2017年09月14日

2017/9/14 一億総活躍 (老人がキレるわけ)

現在は、無趣味の年金生活者です。
昔はよかった。
労働条件を改善するため、ストライキに参加したのは、数知れない。
労働組合も強く、将来もらえる年金額も夢があった。
しかし、今ではどうだろう?
ストライキどころか、グローバルな国際社会の中で会社の競争力の維持に賛同して、「 御用組合 」になりさがっている。
ああ、嘆かわしい。
そんな気持ちで、「 ココロちゃんとおじさん 」というブログで、現政権批判の「 一本の矢 」として、記事を書いた。
それを無視されるのが嫌で、その記事を埼葛する。
以下は、その記事である。

………………………………………………………………………………………………………………………
一億総活躍とは?

安倍政権が掲げた「 一億総活躍社会 」の実現でしょうか、現在の日本では、定年退職者たちも、「 目の色を変えて 」、「 自由時間 」を投げうって「 仕事 」を探したり、シルバー人材センターを通して働いています。
この人たちは、本当に「 安倍政権 」の政策実現のためそんな行動をするのでしょうか?
私は「 なまけ者 」のせいか、働こうともせず、家に居れば女房から、「 趣味をもちなさい 」でなければ、「 働きなさい 」と、うるさいほど催促してきます。
「 無趣味のすすめ 」という本を読んだことはありませんが、女房と同じく「 働け 」というのが結論のようです。
定年退職したら、のんびりと生活したいもので、私も現役の時は、そんな「 毎日が日曜日 」であることを夢見て働いてきました。
でも、こういう世間の風潮に対しては、「 反発心 」があります。
他の人がネットで、第二次世界大戦の「 一億総火の玉 」という言葉を思い出すといいましたが、私も、この意味を測りかねていました。
何という意味だろう?と。
それが、年金生活者になって、初めて、その意味を実感しました。
「 年金だけでは生活できない!!」
まさに、女房様のおっしゃる通りです。
当初、約束されていた「 年金 」が、支払者の上部を「 そんたく 」したのか、減額を一方的に「 通達 」し、我々、年金生活者は抗うこともできず、「 じゃあ、働きなさい 」という女房様の言葉で、仕事を探して、現金収入の道を確保しなければ、あわれ生活保護者となり、行政に税金で「 お世話 」にならなくてはならない水準になりました。
「 一億総活躍 」とは、「 今から、お前たちが立っている鍋底に火を点灯して、年金だけで食って行けなくするから、覚悟して、その鉄板の上で踊れよ 」という意味であると、実感したのです。
こんな状態で、「 趣味 」なんか持てるはずがない。
実質、北朝鮮と同じことを、我らの「安倍首相 」が行動しているではないか!!
他の政策と同じく、彼らは、憲法上の最低生活の保障たる「 生活保護 」とギリギリの生活を、かっての勤労者であった老人に背負わせ、自分たちは「 加計学園 」や「 森友学園 」にみられるように、権力乱用、スレスレのことをして、国会議員として国民の税金で、「 丸もうけ 」しているのだ。
これでは、国会議員は「 不倫 (W不倫)」や「 架空領収書による政治活動費の詐欺 」あるいは「 秘書への暴言・暴行 」を行っても、自分は議員辞職をせすに、堂々と、「 自分を選んだ国民 」のせいにするのも、うなずける。
ここ最近で、安倍首相をトップにした国会議員が、こんな行動をとるのが多いのも、自分も、男女の肉体関係や金銭の詐欺という場面で「 一億総活躍 」している国民だと思っているからだろう。

………………………………………………………………………………………………………………………
こんな調子で「 憲法改正 」されれば、どうなるか、火を見るより明らかである。
生活基準は引き下げられて、「 ここは、北朝鮮か? 」と、見間違う社会になるだろう。
この平和を、「 屍 」となって実現させてくれた、「 神風特攻隊 」らの民衆と、それを指導した「 安倍さん 」の先祖に反対の意味を込めて、この一弾を放つ。


posted by kandk55 at 10:35| Comment(0) | 九条の会その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月12日

2017/9/12,気(ki)と情(zyou)その他の総括

1、神

神とは何だろう?
宇宙創造、天地創造したものだろう。
宇宙は、ビッグ・バンにより誕生したと言われているから、私もそれの従い、宇宙創造主を「 神 」としよう。
それは、何だろうか?
爆発して出来たと言われ、宇宙にはダークマターというものがあるらしいから、多分そのダークマターから、爆発して宇宙が生まれ爆発したエネルギーがダークマターの間に「 宇宙空間 」を作り、様々な銀河などの星を作ったと仮定しよう。
私は、そのエネルギーが「 神 」であり、「 宇宙空間 」が「 神 」の身体だと仮定する。
エネルギーである「 神 」が動く、伝わる媒体が必要なら、その媒体は「 宇宙空間 」を満たす「 真空 」であり、真空を否定するなら「 宇宙空間 」自体が、神の身体であろう。
わたしは、かって「 宇宙空間 」を満たすものは「 エーテル 」とした。
「 エーテル 」を否定するなら、「 宇宙空間 」が神の身体であろう。
宗教によっては、神の偶像を禁止するらしいが、「 神 」が「 この意味での神 」であれば、私も当然であると思う。
「 神 」が星を作り、その中で、地球が誕生したのだろう。
地球の周囲に大気を作り、生物が発生できる環境を作ったのだろう。
「 神 」は、エネルギーであるから、太陽の光には生物は感謝するが、噴火や地震などの地殻変動や台風やハリケーンや原発もエネルギーだから、これも「 神 」だろう。
だから、人間にとって都合の良い「 神 」もあれば、都合の悪い「 神 」もいると、私は思う。

2、仏とは?

生命というエネルギーも「 神 」なのか?
それは、「 神 」の一種であるかも知れないが、ビッグ・バンに電気があったかは不明である。
私は、生命のエネルギーは気(ki)であるから、気(ki)という電気を持っていそうなものは何だろう?と考えた。
それは、プラズマ宇宙論がいうプラズマが電気を持っているから、その星座を誕生させる電気を持つエネルギーが、生命の源であり、それを「 仏(阿弥陀仏)」と呼びたい。
「 仏 」という漢字は、「 佛 」とも書き、「 人間ではない 」という意味があり、それは「 神 」と同じくエネルギーであると思うから、人間の眼では見えないし、偶像を作ることすら出来ないものだと思う。
仏画や仏像があるが、あれは、想像上、人間に似せて、人間の源であると示そうとするもので、「 仏 」は、信じる人の中にあるものだと思う。

3、自然信仰と宗教

日本は、神社と仏閣がある。
前者は「 神 」で後者は「 仏 」を奉る建物である。
また、日本には「 やおよろず 」の神がいて、すべての事物に神が宿り、霊峰富士や出羽三山といわれる神々が宿る神々の山があり、山岳信仰があり、「 富士山 」が世界文化遺産になったのは、山岳信仰も含めて信仰の山であるからだと思う。
このように、日本は神仏混交の国ではあるが、私は、これは正しい信仰の態度ではないかと思う。
神社は、1、の「 神 」の領域であり、仏閣は2、の「 仏 」の領域であるが、前者の目的は将来の豊作を祈願したり、神々の怒りを鎮めることであるのに対して、後者の目的は「 仏教の目的 」、即ち「 人格の完成 」という「 人が進むべき態度 」をめざすことであり、同時に生命の源への祈りであると思う。
仏閣の背後に神社を設けることは、「 高野山 」や「 清水寺 」など数多くの場所でみることができる。
私は、神社と仏閣が一か所にあることは、矛盾とは考えない。
日本は自然物のすべてに「 神 」が宿ると考えるのは宇宙のエネルギーが宿るもので、仏閣を囲む自然に「 神 」を認めるのも肯定できる。
また、一部の生き物にも「 神 」を認めたが、そこに、すべての生き物も同じであることを認めて欲しかった。
例えば、人間である。
「 神 」が宿るのは、現人神である「 天皇 」のみで、民衆は対象ではない。
これが、日本人の最大の誤りであったと思う。
「 意識は電磁波の構造をしている 」の総括でも述べたように、人間は宇宙エネルギー(生命エネルギー)による細胞分裂の結果であり、「 神 」や「 仏 」が含まれているのは無論のことであり、「 天皇 」と民衆を区別する理由は、民衆支配という政治目的でしかないと思う。


4、人間の考え方

「 意識は電磁波の構造を持つ 」でも書いたように、人間が生きていることは、大気や天気や気候など宇宙の気(ki)と連結して生命エネルギーである気(ki)が体内で働いていることである。
精子が卵子の中に入ることにより、生命エネルギーが細胞分裂を起こし、人間だったら人間に、馬だったら馬に、ネズミだったらネズミに、DNAの要求により身体が成長するだろう。
人間に生まれたのは、「 偶然 」といってもよいだろう。
その意味で、「 生きとし生きるもの 」には、生命エネルギーである「 仏 」がいるのであり、それを仏教でいう「 生きとし生けるものに仏性が宿る 」となるだろう。
私は、「 仏性 」を、生命エネルギーと理解し、「 仏性 」は生き物のすべてに同じで、「 人間 」の仏性に特別の意味を持つとは思わない。
生命エネルギーである2、「 仏 」もエネルギーである点では、1、の「 神 」と同じく気(ki)であると思う。
1、 「 神 」という気(ki)は、天気や気候や大気などの気(ki)であり、その気(ki)を呼吸により体内に取り込んで、2、「 仏 」である、生命エネルギーを起こすのであると思う。
その運動は、「 無意識 」に行われるが、それは生命維持に関する「 脳幹 」や「 間脳 」が主な働きをしていると思う。
その気(ki)が、大脳に回り、「 五感 」や「 意識」を働かせ始めると、人間らしい行動を取るだろう。
これを、情(zyou)と呼んでおく。
このような大脳の働きを情(zyou)と呼ぶのは、感情、人情、情事、情報など、人間を表す時に使う言葉に、情(zyou)という単語が多く、これは、価値判断が起こる「 始めと終わり 」を個人が設定して、「 物語 」として発する言葉であると思う。
人は直面した出来事に対して行動した事の相当因果関係を個人が設定し、それを記憶するのだが、仏教でいう「末那識 」が働き、生命維持のため、どうしても「 自己中心的 」な記憶の塊が、「 阿頼耶識 」に蓄積されるだろう。
時間に「 未来や現在や過去 」という区別は無く、あるのは、自分にとっての「 現在 」あるいは「 今 」しかなく、その「 今 」の中には「 時間 」ではなく、「 今 」まで蓄積された、自己中心の意識や無意識(阿頼耶識)に蓄えられた因果関係や物語となった行動基準だけが、いわゆる「 自分の可能性 」だけが存在し、その「 今 」の出来事に直面して発揮されるだろう。
その無意識の行動を私は「 人格 」と呼ぶ。
「 人格 」が意識的行動をする前に現れて行為しているのだと思う。
無意識に動く心臓は意識で制御できないように、無意識の動きを意識で統御するのは困難であろう。
これは、「 意識は電磁波の構造を持つ 」で述べたように、「 意識 」の中で制御する方向に考えや行動を変えることにより、無意識を変化させることができると思う。
それには、「 物語 」の「 始めと終わり 」の設定を変える必要があるだろう。
つまり、「 哲学 」して、考えや行動を改めることが必要であると思う。
今、はやりのAIも、自分に与えられたデーターを「 哲学 」し、根底から疑うことができれば、人間より真実に近づくかも知れないが、AIに、人間の情(zyou)を司る「 大脳辺縁系」や生命を司る「 脳幹 」や「 間脳 」の働きが無い限り、人間性から離れ、独自の理論を展開するため、かっての「 信頼度 」も失うだろう。
この気(ki)と情(zyu)の集合が「 意識 」であり「 心 」であり、「 精神 」であると思う。
気(ki)は生命エネルギーである「 仏 」や宇宙のエネルギーである「 神 」に通じると考える。

5、宗教

人間は生命エネルギーである「 仏 」や宇宙のエネルギーである「 神 」が、たまたま人間の精子と卵子が結合することにより、人間が持つDNAに対してエネルギーを発揮して細胞分裂を起こし、子供が生まれるのだと思うが、この細胞の一つ一つに「 空間 」と「 エネルギー」があるので、生命エネルギーである「 仏 」や宇宙のエネルギーである「 神 」が、人間という姿を獲得したと思われる。
だから、自分の身体は確かに自分のものだけど、エネルギーは「 神 」や「 仏 」であるということになる。
私は、ここから、「 神 」や「 仏 」に対する信仰が始まるのではないかと思う。
「 私は無神論者だ 」という人もいるが、自分の人生は自分が決めるもので、無神論者であっても構わないと思うが、私から見れば、「 あなたは、神が作った傑作物です 」としか言いようがない。
私は、宇宙創成の「 神 」を信じるか、生命エネルギーである「 仏 」を信じるか違いはあると思うが、「 心の安定 」として、どちらを選ぶか迷っている。
周りが仏教だから、「 仏 」を信仰し、「 釈迦 」を人間としての理想像としているが、どうしていいのか分からない。
ただ、宗教の選択は、生活態度の選択だろうと思う。
宗教的な体験も無いし、宗教により、日々の戒律が違うだろうし、結婚式から葬儀から、死後の墓場まで違うから、迷う。

6、死んだらどうなるか。

老人らしく、死後のことも気になるのだ。
死によって気(ki)は全て無くなり、それから派生した情(zyou)も無くなり、この世を去ったら、どうなるか?
先日、書いたように、外部から入った、空気のような「 神のエネルギー 」は、人間の細胞内で、生命エネルギーに転化し、それが無意識の中に、神経を流れて、外部へと放出され、人間の身体は、気(ki)が乗り込んで動く「 乗り物 」のようなものだろう。
ただ、乗っているのが、生命エネルギーであり、自意識を持つ自分ではないから、勝手に乗りたり降りたりはできない。
物理的に「 私 」を形成した細胞は、「 火葬 」なら灰として残り、「 土葬 」なら埋葬後に腐敗して骨になって残るだろう。
私は、それだけでは無いと思っている。
細胞の中にあった気(ki)というエネルギーは、自分が処理できるのではなく「 神 」のものであるから、細胞に入る前のエネルギーに戻るだろう(燃えたガスに漂い神の身体である宇宙空間に漂うかも知れない)。
チベット仏教でいう「 光 」は、この生命エネルギーであるかもしれない。
このエネルギーは、偶然に人間の精子と卵子の中で生まれたが、生物は人間だけではない。
人間は動物であるから、同じ動物の犬や猫や馬や牛やいたるところの動物の生殖の中に、人間の死んだ屍から抜け出た生命エネルギーは「 輪廻転生 」するのかも知れない。
なぜなら、「 神 」にとっては、人間もその他の動物も、みんな同じ「 神の作品 」であるからだ。
どこに「 輪廻転生 」するかは、生命エネルギーの持ち主である、「 阿弥陀如来 」の決定に従うことになるだろう。
しかし、馬や牛に「 輪廻転生 」しても、心配する必要がない。
彼らが、人のため短時間で殺されたら、そこでまた生命エネルギーは「 輪廻転生 」することが出来るのだ。
人間には生まれるための「 時間 」が必要かも知れないが、生命エネルギーには、何年経ったら「 輪廻転生 」するかという「 時間 」は必要ではない。


7、「 霊 」

僧侶のような、修行を積んだ人はそれで終わりだと思うが、本能の欲というのが、人間にはある。
無意識のレベルでは「 欲 」であるが、これが自己中心の意識の中になると「 欲望 」となり、更に「 欲 」を募らせるものだ。
人間は動物であり、本能維持のため「 本能 」という欲、動物が持つ「 獣性 」というのを必ず持つものである。
「 欲 」は、エネルギーであるとも考えるから、屍から抜けた生命エネルギーは、すべての動物に「 輪廻転生 」するのだと思う。
この「 本能 」や「 獣性 」があるため、生命エネルギー(仏)を曇らせる。
これを、「 煩悩 」であると思いたい。
これがあるため、身体という「 乗り物 」に乗る生命エネルギーは「 仏 」ではなく、「 霊 」になり、人間は霊長類と呼ばれると考える。
「 霊 」とは人間味が残っている生命エネルギーで、「 煩悩 」の集合を気(ki)で結合させたものだと考える。
「 煩悩 」を消す行為や考えで、「 霊 」を浄化するのは、意識で無意識を変更させることと同じで可能であると思う。
「 霊 」には「 煩悩 」が含まれているため、執着が強いと思う。
それは、「 死にたくない 」と考えることであり、死によって「 乗り物 」たる身体を手放す時に、執着して捨てようとしないことで、気(ki)と情(zyou)が完全に分離せず、純粋に生命エネルギーである「 仏 」になることが出来ない、つまり、「 成仏 」出来ない状態が「 霊 」であると考える。
自殺した場合も、その場所に「 霊 」が残り「 成仏 」出来ず、「 徐霊師 」が成仏させると、よくテレビで放映している。
「 自殺 」により、自分をこの世から抹消したいという気持ちであろう。
ところが、前述したように、「 自分の身体 」は、生命エネルギーの「 乗り物 」であって、乗り物の自分の身体は抹消したように見えても、その「 乗り手 」である生命エネルギーの処分ができない。
だから、この生命エネルギーが、自殺者の姿を借りたままで「 成仏 」出来ないのだと思う。
また、死んだ人の霊を呼び寄せる「 霊媒師 」という人もいる。
私は、これらの職業は、「 霊 」という人間味が残っている生命エネルギーが無いと成立しないと思う。
ただ、こうした「 徐霊師 」や「 霊媒師 」というひとの中にはインチキでしている場合があると考える人も多い。
私は、そんな「 霊 」も人間の気(ki)と身体である情(zyou)が分離する途中の過程であり、人間味がある生命エネルギーであるという意味で「 霊 」を認めたい。

8、我々はどこからきたのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか

以上の考えで、このテーマに挑みたい。
前述したように、人間は生命エネルギーである「 仏 」や宇宙のエネルギーである「 神 」が、たまたま人間の精子と卵子が結合することにより、人間が持つDNAに対してエネルギーを発揮して細胞分裂を起こし、子供が生まれるのだと思うが、この細胞の一つ一つに「 空間 」と「 エネルギー」があるので、生命エネルギーである「 仏 」や宇宙のエネルギーである「 神 」が、人間という姿を獲得したと思われる。
「 意識は電磁波の構造を持つ 」という記述でも触れたように、生きているということは、宇宙創造の神である気(ki)が、神の被造物である人間の身体の細胞により生命エネルギーである気(ki)に転化して、意識を派生させ「 身体 」という「 乗り物 」を動かし、その後、宇宙の気(ki)の中に戻る過程である。


8−1、我々はどこからきたのか

それは、宇宙創造の「 神 」としてのエネルギーが「 仏 」としての生命エネルギーである気(ki)というエネルギーが、偶然にも人間の生殖の中に働き、細胞を分裂させ人体という「 乗り物 」の中に意識を派生させ、誕生し、親から「 お前の名前はゴーギャンだ」と命名され、その後、本能を中心とした自己中心の自意識を発生させ、「 私はゴーギャンである 」と名乗っているにすぎない。
だから、どこからきたかと問われるなら、生命エネルギーの源である「 阿弥陀仏 」の指令のもと、ほかの「 乗り物 」から離れて、この身体に「 輪廻転生 」したとでもいうだろう。

8−2、我々は何者か

それは、親から「 ゴーギャン 」という名前を頂いたが、実際は生命エネルギーにより集められた細胞の塊で、その働きで、「 私は、ゴーギャンだ 」という人間だと自分は思っているが、人間の形をした「 乗り物 」であるかも知れない。
なぜなら、自分を動かしているのは生命エネルギーであり、最終処分を下すのは、そのエネルギーであるから、人間という「 乗り物 」は自分の手で処分することができても、「 ゴーギャン 」だという人間は、「 ゴーギャン 」という姿の「 霊 」になったまま残るのかも知れない。。

8−3、我々はどこに行くのか

生命エネルギーによる最終処分が「 死 」であるなら、生命エネルギーである「 仏 」と屍に分離し、屍は宇宙の中の原子や分子になって、この地上に残るだろう。
生命エネルギーである「 仏 」は本来の源である「 阿弥陀仏 」のもとの戻り、また他の生物に「 輪廻転生 」するだろうが、私の中に、執着心などの「 煩悩 」があれば、生命エネルギーは、人間味を持ち(そのために「 仏 」になれない)「 霊 」として、この世を漂うだろう。
どこといっても、エネルギーに定まった「 位置 」はなく、遥か宇宙空間に飛び、星になるかもしれず、大気中にとどまり、生物の中にエネルギーとして入り込んだり、あるいは「 神 」のように、宇宙空間を身体として、宇宙を漂うかも知れない。
なにせ、エネルギーだから。
昔の人が、「 私が死んだら星になるから、寂しかったら見上げてごらん 」という言葉も、「 私が死んでも、お前のそばにいて、ずーっと守ってあげる 」とういう言葉は、私の立場から言えば、「 正しい 」ことになる。

posted by kandk55 at 06:17| Comment(0) | 足跡 U | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

2017/9/10 「意識は電磁波の構造を持つ」の総括

「 意識は電磁波の構造を持つ 」の総括
意識の中身について、哲学や脳科学の成果を期待していたが、私の68歳という年齢上、死ぬまでの時間も少なくなってきたので、私が、今までに考えた「 意識 」というものを、断捨離するつもりで、ここに書く。
20世紀が経ても「 意識 」が解決しないのは、「 鍬の入れどころ 」が違うのが原因ではないかと思い始めた。
金や温泉を探して、いたずらに地面を掘っても、金や温泉を発見することができない。
「 鍬の入れどころ 」が違うからである。
私は、精神病の患者が「 電波が飛ぶ 」というような訴えを、精神科医は笑って無視していたことを、考え直した。
意識は電波ではないかと。
バカほど、本当のことを言うのだ。
それで、これを発展させようとブログを書きだした。

他のブログに書いたことを引用して、「 意識は電磁波の構造を持つ 」という話の総括としたい。

まず注目したのは「 時間 」だった。
以前は、地球に上に立つ場所により、地球の緯度と経度が違うから、「 時間 」もすべて違うと考えていた。
しかし、これは違うのではないか?
ビッグ・バンが世界の始めならば、その時、爆発するエネルギーと「 広がり 」が有ったかも知らないが、「 時間 」はどうだろう?
「 広がり 」とエネルギーによる天体の運動は宇宙にあるかもしれないが、「 時間 」は、人間が生きているために必要な脳内の道具ではないか?
人間は空腹や睡眠のリズムがあり、女性には繁殖に必要な「 生理 」が「 間 」をおいて現れる。
稲の種を撒いたり収穫したり、生物の成長を待ったり、物が出来上がるまで、「 間 」が必要だ。
その「 間 」を天体の動きで知ったのが「 時間 」であり、宇宙の誕生以来、宇宙は一定の「 時間 」で動くのではなく、エネルギーが一定であるにすぎない。
つまり、宇宙は「 時間 」を必要としない。
「 時間 」が一定であるのは、天体が動くエネルギーが一定であるのではないか。
実際、暦には「 うるう年 」が設けられており、測定誤差を調節しているではないか。
となると、「 時間 」は、「 因果 」の関係などを「 物語 」の形式で脳内に蓄積するための道具にすぎない。
そして、「 時間 」は、地球に立つ位置の緯度や経度とは関係なく、本来は、主観的、個人的であり、人間は生まれながら違う時間を持っているのではないかと考えた。
その「 時間 」が振り子一つで決まる客観的なものであるとしたガリレイは、「 時間 」が持つ本来の主観的、個人的な意味を奪い、科学の基礎となった。
しかし、私は、ガリレイが時間を客観的なものに変えたことにより、人間の「 意識 」の解明の妨げになったと思う。
だから、以下のような記事になった。
以下は、「 ココロちゃんとおじさん 」というブログの記事である。

………………………………

1、ガリレイへの疑問

前回、ガリレイへ疑問があると書いたが、その理由である。
AI(人工知能)は、人間の脳を進化させたものだと思うが、AIが知る「 時間 」とは何であろうか?
「 記憶 」も「 意識 」も「 神 」も「 仏 」もそうだ。
これら、人間でもわからない知識を基礎にしたAIが、人間を指導するなんて、ちゃんちゃらおかしい。
ビッグバンが宇宙の誕生とすれば、エネルギーと空間しかなく、時間はないと思う。
「 時間 」は、人間の脳から生まれる意識であり、振り子一つでわかるなんてとんでもない。
重力が違う星では、地球とは違うかも知れない。
「 時刻 」は、地球上はすべて違うから、時計は無意味である。
「 今 」も自分だけにしか存在しない。
「 時間 」は、自分の脳の中で、順序をつけ、「 関係 」を知るための道具であり、人間が生存するための必要悪であり、生理的なリズム(例えば心臓の動き)、であり、個人的であり、そもそも人間はすべて、違った「 時間 」を持っていて、寿命と関係があるかも知れないと、私は思う。
客観的で誰にも同じ「 時間 」なんて、ありゃしない。
あるとした「 ガリレイ」は、科学には貢献したと思うが、彼は「 基本的に 」間違いを犯し、それを、ニュートンやカントなどの物理学者や哲学者が正当化したもんだから、みんな騙されちまった。
そういうわけで、ガリレイは、人間を間違った方向に導き、今になっても、「 時間 」とは何かは、わからない。



2、「 記憶 」について


自分が生きているのに必須である「 記憶 」について、我々は何を知っているというのだろう。
ネットで「 記憶 」について検索してみても、長期記憶とか短期記憶とか、あるいは脳のどの部分に蓄積されるかは知ることができるが、私は満足できない。
「 時間 」を、脳が関係づけるための道具と考えると、長期や短期という区別は意味がない。
私は、運動の過程から脳に受けた衝撃を「 印象 」と考え、その衝撃(エネルギー)を脳が蓄積し、それを整理し、関係づける接続詞のようなものが「 時間 」という意識(時間意識)であり、目覚めているとき「 印象 」を整理、蓄積し、睡眠する間に今まで蓄積した「 印象 」を結び、一定の運動エネルギーとして、海馬に蓄積すると思う。
「 時間 」は存在しないから、過去と現在と未来の区別は無く、存在するのは「 現在 」「 今 」のみで、過去や現在や未来、「 時間 」の繋がりではなく、個人の脳の内部に、運動により脳が受けた衝撃(エネルギー)を「 時間意識 」により「 印象の関係 」として有るのだろうと思う。
意識はDNAにより人類皆相違するから、時間も記憶もすべてが「 個人的 」であると思う。
すべてが「 個人的 」あるいは「 主観的 」であるのに、ある一定の「 時間 」や「 記憶 」があるというが、それも人間が定義したものであり、間違っていることもあると思う。


3、記憶される「 印象 」について

では、脳の中に保存される「 印象 」とは何だろう。
知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を時間という道具を使い、「 相当因果関係 」として保存すると思う。
限りなく続く出来事を、自分のDNAで切り取り、始めと終わりを設定し、ひとつの「 物語 」として、保存すると思う。
これは、自分に関係するとして個人のDNAで始めと終わりを設定するから、「 見落とし 」や「 誤解 」もあるだろう。
これを原因として、理論体系が崩れ、この世は「 無常 」となる。
このため、科学が進歩し、哲学が崩れるのだと思う。
これら、知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を「 物語 」として設定するから、「 エピソード記憶 」や「 非陳述記憶 」という区別もなくなり、すべて知覚(運動)した衝撃(エネルギー)の大小により、記憶の強さが違うだろう。
この「 印象 」を「 時間意識 」で結びつけ、運動(知覚)するとき、「 過去 」の出来事から、「 現在 」「 今 」この瞬間に「 時間意識 」の形式を取っているため、一機に思い出すことができると思う。
自分が経験した知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を、今、この瞬間に発揮する。
知覚(運動)した衝撃(エネルギー)は、すぐ消えるが、「 物語 」は脳の中に残る。
これが、「 知恵 」であり、個人の内部にあって、客観的な「 知識 」とならない、自分だけの道具となり、「 可能性 」となるだろう。
夜、夢の中では、あり得ないことが起きることがあるが、脳が「 印象 」を勝手に結びつけているのではないかと思う。
このように、「 時間 」を区別せず、「 時間意識 」とすることで、脳の中に意識の形式を取って、知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を保存するのだと思う。
これらを、人間が作ったAIが可能だろうか?
AIが「 労働 」して、知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を得ることができるのなら、可能であるかもしれない。


4、「 意識 」について


私は、科学者でもなければ学者でもないので、詳しいことは知らない。
素人考えを書く。
「 意識 」は生き物が持っていると思うが、人間に限って考える。
「 意識 」は死者にはなく、生きている人間の中にある。
前者には生きるという気(ki)はなく、後者にはある。
肺とか心臓とか脳などという臓器が活動し、血液が循環させているのが気(ki)であると思う。
臓器の活動は神経かも知れないが、指令を与えるのは脳であり、これらの生命活動は小脳などの「 脳幹 」や神経や睡眠に関係する「 間脳 」とその周辺の「 大脳辺縁系 」などであり、思考の関する大脳による指令でなされているだろう。
脳も臓器も、神経を活動させる電気があるだろう。
だから、心臓の動きは心電図、脳の活動は脳波により推察されると思う。
これを気(ki)というエネルギーだとする。
私は、死者には無く、生きている人間にあるのは気(ki)であると思う。
この気(ki)は、天気や気候や大気などという宇宙の気(ki)に通じており、私たちの体はこの気(ki)が絶えず出入りする、「 流れるもの」であると思う。
一方「 意識 」は、気(ki)のように出入りするのではなく、「 自意識 」など生命体の個性を守るものであり、生命体特有のものだから「 流れるもの」ではなく、気(ki)から「 派生するもの」であると思う。
私は、この「 意識 」を「 表層意識 」と「 深層意識 」に分類することに賛成する。
前者は「 末那識(manasiki)」で後者は「 阿頼耶識(arayasiki)」に相当し、「 意識 」といえば前者であり、「 無意識 」といえば後者になると思う。
前者は、目的的活動であり、後者は蓄積活動を主にし、前者は「 前頭葉 」で後者は「 海馬 」に相当し、両者は主に「 睡眠 」を通して交流するだろう。
「 意識 」は気(ki)から派生するのだが、DNAの螺旋構造の影響で、人類のすべての「 意識 」は相違するだろう。
自意識も時間意識も空間意識も。
「 空間意識 」は後で書くが、どこまでを空間とするのは、個人の問題で、自分自体が細胞の集合で、「 物 」ではなく、「 空間 」であるから。
これらの「 意識 」は、人間が生まれる時には保持しているから、「 アプリオリ 」であるともいえる。
幼児は教えられなくても、空腹の時間を知っているし、手や足を伸ばせる空間も知っているからだ。
行動するときは、宇宙の気(ki)に直面し、表層意識に走った気(ki)が、「 時間意識 」と「 空間意識 」を、目的的に発生させ、過去の経験により「 時間意識 」として蓄積されていた「 運藤のエネルギー 」という自分に可能な気(ki)を現前させ、あるいは思い出すことにより、可能な運動を想起させると思う。


5、「 無意識 」について

これも、素人の考えである。
先日『 気(ki)は、天気や気候や大気などという宇宙の気(ki)に通じており、私たちの体はこの気(ki)が絶えず出入りする、「 流れるもの」であると思う。一方「 意識 」は、気(ki)のように出入りするのではなく、「 自意識 」など生命体の個性を守るものであり、生命体特有のものだから「 流れるもの」ではなく、気(ki)から「 派生するもの」であると思う。』と書いたが、「 派生したものであったはずの意識(表層意識) 」が、「 睡眠 」などにより、知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を時間意識の形式を取って(物語の形式を取って)、脳の中に蓄積されることにより、「 流れるもの 」である気(ki)に変化している状態が「 深層意識(無意識)」であり、それが神経に流れることにより、意識する前に出来事に応じて既に行為している(無意識に体が動いている)のではないかと思う。
この無意識は「 本能 」に近く、生命保持に動き、行為や呼吸やホルモンなど生命を司る「 脳幹 」を通過するのではないかと思う。
このような「 無意識 」が、私が言う「 人格 」であり、「 人柄やパーソナリティ 」であり、行為を導くと考える。
つまり、考え方を変えることにより、人格という無意識を変えられるということで、「 洗脳 」もできれば、元に戻すことも可能であると思う。
多分、仏教でいう「 自我 」も、自分の記憶により形成した自己中心的な自意識を、仏教の教えに沿って自分の考えを変えることにより、脱却できるというのかもしれない。


6、「 空間 」について

先日、少し書いた「 空間意識 」についても、素人の考えながら、披露しよう。
「 空間 」も「 空間意識 」であると思う。
物体と物体の間に何も無いとき、「 空間 」と呼ぶ場合が多いが、何も無いとは個人の認識であり、「 物体と自分との間の空間 」というとき、空間の認識は更に困難になるだろう。
なぜなら、自分自身は物体ではなく、空間に満たされた細胞の集合であり、自分を貫通した空間なのか、あるいは自分の体の表皮までを空間と呼ぶかは、個人の都合次第であるからだ。
「 絶対空間 」も「 相対空間 」も定義された「 空間 」であり、人間の意識の中にしか存在しない。
もし「 絶対空間 」が有るとすれば、それは宇宙誕生以来、人間が定義(つまり、意識化)することしかできず、それ以外、全く窺い知ることができない「 神(エネルギー)の領域の空間 」であろう。
「 宇宙空間 」といっても宇宙の広がりが分からないし、宇宙の果てが、如何なる状態なのか知ったうえでの定義であるか、疑問であるし、定義(意識化)されたものである限り「 意識 」であることは免れないと思う。
「 空間 」が多種多様に考えられるために、「 定義 」を必要とするだろうし、「 定義 」が必要なのは、「 空間 」が、そもそも主観的で「 空間意識 」であることを認めているようなものだと思う。
それに、「 無い 」というのは、頭脳の中だけで言えることであり、実際は、必ず何かが有るのであって、「 無い 」というのは認識不能というだけだと思う。
地球の大気を取り除けば「 真空 」で、宇宙が何も無い「 真空 」で満たされていると頭脳で考えても、「 ディラック 」が考えたように「 真空 」を満たすものがあるかも知れず、「 何も無いと考える真空 」はあるのである。
「 真空 」と重なって「 大気 」「 空気 」があり、我々は、その真空を空気とともに、吸い込んで、体内で気(ki)を起こして生きているのである。
まして「 ブラックホール 」の周囲の真空の空間がどのような状態になるのかは知られていない。
「 空間 」という定義はあるが、定義のない「 空間 」は無い。
では、「 空間意識 」と何かになるが、私は「 記憶 」の関係で考えるから、「 運動可能な余地 」という意味に理解し、この「 運動エネルギーを空間意識と時間意識を使って相当因果関係のある物語 」として、脳は記憶すると考えたい。
前述したが、知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を時間意識と空間意識の形式を取って(物語の形式を取って)、脳の中に蓄積されることにより、「 流れるもの 」である気(ki)に変化している状態が「 深層意識(無意識)」であり、それが神経に流れることにより、意識する前に出来事に応じて、T(時間)・P(場所)・O(機会)に応じて、既に行為している(無意識に体が動いている)のではないかと思う。



7、私説・意識の構造

人間は四次元でものを考えるという。
私は、この「 次元 」というものが、数学が不得手のため、どうしても馴染めない。
これは、思考方法であり、その現実が如何なるものか(人間の認識がどうして四次元になるのか)は、私は知らない。
これは、私だけの考えだが、時間や空間が意識であり、人間の頭脳の産物であるとすれば、「 次元 」が実際はどうなっているのか分からない。
私は、生活する我々の「 認識 」が四次元であれば好都合なので、そうなっているのかも知れない。
我々が、時間と空間を必要とするのなら、認識する我々の意識の構造が、時間と空間を必須としているのだろうと思う。
私は、時間や空間を意識とし、その構造上、四次元の世界を見るのだろうと思う。
では、その構造とは、何か。
先日も書いたように、脳波のような電流が「 流れるもの 」である気(ki)で、それから「 派生するもの 」が意識とする。
一般に電流は磁場を生むが、この磁場が「 精神 」であると考える。
電流(気・エネルギー)はサイン波を持つが、これが、脳内に無意識と意識に共通な「 時間意識の軸(時間を感じる軸) 」と「 空間意識の軸(運動可能な余地を感じる軸) 」という直交した座標軸を生み、その気(ki)から伸びた座標軸が「 派生した精神 」の中で定義される「 時間 」と「 空間 」を感じさせると考える。
「 精神 」については、多くの学問があり、私が言うまでもないだろう。
認識から行動までは、次のように考える。
認識によって得た自分への力(ベクトル)を「 精神 」の中でT(時間)・P(場所)・O(機会)に応じた気(ki)を表層意識で目的的に把握し、それが深層意識と共通する体内の気(ki)より生じた「時間意識」と「 空間意識 」の軸を通り、深層意識(無意識)に達し、その中で「 時間意識 」と「 空間意識 」により因果の物語になっていた気(ki)である運動エネルギーを呼び覚まして、運動神経の中を流れると考える。
このように考えると、認識から行為までは、人体の外部から内部を通って気(ki)が流れる過程であるように思う。
これは、気(ki)というエネルギーが、人体を循環していると言ってもよいと思う。
気(ki)により精神が「 派生した 」と考えるのは、「 不確定性原理 」により、「 運動量 」と「 位置 」が同時に計測できないことに、ヒントを得た発想である。
「 派生した 」精神が、精神を派生させた気(ki)と同類の「 運動量 」を計測できないのは、人間が「 神 」になることが出来ないことと同様に当然であると考える。

………………………………

私の考えでは、「 意識 」は生命エネルギーである気(ki)から派生したものだが、気(ki)は、「 表層意識(末那識)・意識」と「 深層意識(阿頼耶識)・無意識」を貫いて「 時間意識の軸 」と「 空間意識の軸 」が、電磁波のサイン波の座標軸のように存在し、生命を維持する無意識の中で、時間と空間を感じ、それが意識の中で、「 間 」として現れるのではないかと思う。
生命を維持する無意識のどこから軸が生まれるのかは不明で、あるいは、脳を含めて体内に走るバイオリズムから生まれるのかも知れない。
その「 軸 」を通して、「 想起 」や「 予想 」や「 期待 」、あるいは「 不安 」が、無意識から意識へと現れ、または、外部からの「 力 」を自分に取り入れる際に「 ストレス 」となり、「 軸 」を通して無意識に達し、体の変調として現れるのかもしれない。

posted by kandk55 at 04:16| Comment(0) | 足跡 U | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月10日

2017/7/10,Windows10 の初期化から原状回復まで

皆さんは、既に実施済だと思うが、初期化から現状に戻すことを書いてみた。

昔は、PCの初期化に時間がかかったが、今は、そうではない。

私のPCのラインアップは、東芝製の64ビットと32ビットのWindows 7をWindows 10 に無償でアップグレードしたもので、両方ともWindows10アップグレードアシスタントをインストールしている。

初期化してもWindows7 に戻らずWindows10のままである。

過去一回だけ、初期化しているので、今回は二回目となった。

初期化して現状回復まで、バックアップしてあれば簡単なのかも知れないが、私はバックアップはしていない。
しかし、購入したCDと各種アカウント、パスワードのメモがあれば、原状回復は可能である。

A,初期状態に戻す手順は、PCで検索してください。
    私は、「 個人用ファイルを保持する」を選びます。

B,初期状態に戻す処理で削除されるアプリ
   Google Chrome
Microsoft Office Home and Business 2010
Microsoft One Drive
Microsoft Visual C
Microsoft Visual studio 2010 Tools for office Runtime
Language Pack 日本語
   Norton Security
Real Player(Real Time)
Sound organizer

Windows10アップグレードアシスタント(64ビットのみで、更新される)

C,準備したもの
   Norton Security のCD
Office 2010 のCD2枚

   設定に必要なアカウントやパスワードを書いたメモ
       Microsoft
       Office のメール
       Norton
       Real player
       FaceBook

1,初期状態になったら、PCの指示によりインターネットエクスプローラーから「お気に入り 」をインポートし、スリーブを「 なし 」に設定する。(私の方法)。

2、「 windowsストア 」を開いて「 DVDプレーヤー 」を検索してダウンロードする。
この時、Microsoft のアカウントが必要で、一度購入していれば料金は発生しない。
二台目も「 DVDプレーヤー 」をダウンロードする時も一台目と同じMicrosoft のアカウントを使用し、料金は発生しないが、一部に制限があると私は思っている。

3、Norton のCDをDVDプレーヤーに入れてダウンロードする時、Norton のアカウントを入力する(一台目も二台目も同じ手順である)。
保護の期間に変化はないし、料金も発生しない。
「 ライブアップデート 」をして、スキャンを実施する。

4、office 2010 のCDを入れて「 プロダクトキー 」を入力してダウンロードする。
二台目は、もう一枚のoffice 2010 をいれて、一台目とは違う「 プロダクトキー 」を入力してダウンロードする。
Office のアウトルックエクスプレスでメールを設定する。
二台とも同じアカウントで設定することは可能。

5、Real Player をネットからダウンロードする。
この時、それぞれのアカウントとパスワードが必要。

6、FaceBook を開く。(アカウントとパスワード)

7、無線の設定は、以前のまま続行すると思われる。

私は、「 筆ぐるめ 」を使っているが、宛名を呼び込む時、外部記憶装置に保存するのがBest だが、ドキュメントに保存されていても、宛名を呼び込むことは、可能である。

それと、ダウンロードの記録は残るように思う。
posted by kandk55 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

2017/3/3 区民室同窓会の開催結果

恒例の同窓会がありました。

希望者だけの同窓会で、当初は約10名ほどの集まりでしたが、今回は4名だけの参加者になりました。
しかし、さすが残りしつわものどもで、4名の風貌には、年月を超えた優しさや慈しみの様子が伺いとれると思います。

下の写真が、4名のつわものどもです。

愛しき同士達よ、また、来年の3月3日の「 お雛様 」の日にお会いしましょう。



2017区民室同窓会.jpg



posted by kandk55 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月28日

2016/2/28。自民党が憲法九条改正を言い出した

私は、「 原発ゼロ 」の民意が理解不能な自民党に幻滅していたが、最近、次のような出来事があった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160227-00000025-mai-pol

<中谷防衛相>憲法9条改正、自衛隊の明確な位置付けが必要
毎日新聞 2月27日(土)11時16分配信
 ◇テレビ東京の番組収録で

 中谷元(げん)防衛相は27日午前、テレビ東京の番組で、憲法改正について「自衛隊の存在は意見が分かれる状態だ。国の安全保障の基本的なところは、国民に分かりやすいように制定すべきだ」と述べ、戦力不保持を規定した憲法9条を改正し、自衛隊を明確に位置付ける必要があると指摘した。

 ただ、中谷氏は「具体的な改正案を各党で議論し、(国民に)提案すべきだ。時間をかけて丁寧に議論し、決めるべき問題だ」と述べ、具体的な改正項目は夏の参院選の争点にならないという見方も示した。

 安倍晋三首相も3日の衆院予算委員会で9条改正に言及している。【村尾哲】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160219-00000047-mai-pol


<島尻北方担当相>「歯舞」言葉に詰まっただけ 政府答弁書

毎日新聞 2月19日(金)18時14分配信

<島尻北方担当相>「歯舞」言葉に詰まっただけ 政府答弁書


 政府は19日の閣議で、島尻安伊子沖縄・北方担当相が北方四島の一つである「歯舞(はぼまい)」群島を読めなかったことに関し、「読み方を知らないという事実はない」とする答弁書を決定した。

 島尻氏は9日の記者会見で、北方領土の元島民らでつくる「千島歯舞諸島居住者連盟」の団体名を資料を見ながら読み上げる際、「はぼ、えー、何だっけ」と一瞬考え込み、秘書官に「はぼまい」と教えられた。

 答弁書は、同団体は「千島連盟」という略称が使われることが多いとした上で、「(島尻氏が)正式名称を使用しようとした際に言葉に詰まっただけ」としている。維新の党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。【樋口淳也】



2016/2/28、私の考え



最近、自民党は、中国の武力行使を理由に、先ほど「 安保法案 」を可決した勢いで、戦力放棄を明言する憲法九乗を改正しようと画策を始めた。

「 安保法案 」が国会に招かれた憲法学者をはじめとする知識人に「 違憲 」と言われたにもかかわらず、憲法に「 戦力放棄 」が明言されているにもかかわらず、自民党の内閣は、従来の憲法解釈から踏み出て、戦争可能な戦力を持つ「 自衛隊 」にしようとしている。

これでは、自衛隊は、戦前の軍隊に逆戻りではないか。

もっとも、安倍氏の先祖は、「 戦犯 」であるから、その道が好きなのかもしれないが、憲法を遵守する「 特別公務員 」たる総理大臣や国会議員がすべきことなのか?

公務員になる前に「 憲法遵守 」を宣誓するが、あれもこれも、「 嘘 」だったのか?

民意の反映をいう前に、自民党は、公務員ではなく、利権で動く「 おっさんやおばさん 」に過ぎなかったことは、甘利大臣の汚職、上の二人の「 お大臣 」の知識不足からも容易に推察できる。

中国の武力行使に対する「 安保法制 」は認めるにしても、戦争による武力行使を否定した「 健保九乗 」を改正しようとする「 自民党 」に、私は強い危険課感を持つ。
posted by kandk55 at 05:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦争反対 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

2015/11/18、すごいぞ、東北大学・レアアースフリーなFeNi磁石の作製

2015/11/18、ネット情報

https://gunosy.com/articles/RMCe3

東北大学(東北大)は11月17日、SmやNd、Dyなどのレアアース元素を全く含まない“レアアースフリー”なFeNi磁石の作製に成功したと発表した。

同成果は、同大学 リサーチプロフェッサー 牧野彰宏 教授らの「東北発 素材技術先導プロジェクト(文部科学省)超低損失磁心材料技術領域」の研究グループによるもので、11月16日付けの英科学誌「Scientific Reports」に掲載された。

レアアースに依存しない高性能磁石を新規で開発することは、現在の重要課題となっている。宇宙空間で超徐冷(超平衡状態)して形成された天然隕石中に極微量含まれるFe-Ni磁石は1960年代から知られており、ネオジム磁石並みの磁石特性を示すとの予測も報告されていたが、形成に数十億年かかるため人工的に短時間で作製することは不可能であると考えられていた。

今回作製に成功したレアアースフリー磁石は、Fe-Si-B-P-Cu系ナノ結晶軟磁性合金「NANOMET」中のFeをNiで一部置換したFe-Ni半金属合金を用い、液体急冷して原子配列が無秩序となったアモルファス金属を熱処理し、ナノ結晶化させることで得られた。アモルファス金属は猛烈な速度で結晶化が進行するため、数十億年かかかる天然隕石中のFe-Ni規則相の生成時間は、約300時間にまで短縮できたという。同磁石は高価な元素を含まないため、原料価格は著しく廉価となる。

2015/11/18


これは、画期的な出来事かもしれない。
いや、これからの社会を変えるだろうという意味で「 ノーベル賞 」に値するかもしれない。
「 数十億年かかかる天然隕石中のFe-Ni規則相の生成時間は、約300時間にまで短縮できたという 」ことは、画期的であるし、電力や交通機関の磁石も、レアアースフリーの磁石に変わるだろうし、廉価であることは、電化製品などの身近な磁石も、レアアースを含んだ磁石と同程度の磁力を持ち、社会は大きく変わるかもしれない。
レアアースが無い状態で、レアアースを使うのと同程度の力なので、レアアースも不要となるかもしれない。
posted by kandk55 at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

2015/11/5、Windows10 への無償アップグレードへの経過と感想 4

今日は、前回とは違ったwindows10 とインターネットエクスプローラからインポートしたお気に入りと「 Real Times 」への保存について書きたいと思う。

2015/11/1、の記事

T、これまでの経過

2、「 お気に入り 」を増加させたいが、どうすれば良いか?
アップグレードする前の「 お気に入り 」は、「 お気に入りのインポート 」を使い、前の「 インターネットエクスプローラ 」から回復することが出来る。
他のパソコンの「 お気に入り 」を追加したい。
その場合は、他のパソコンにリマーブルデスクを接続させ、そのパソコンの「 お気に入り 」を開き、コピーアンドペーストでリマーブルデスクにコピーし、リマーブルデスクを外してwindows10 に接続し、またもやコピーアンドペーストで、windows10 の「 お気に入り 」にコピーする。
そののち、「 お気に入りのインポート 」を使うと、windows10 の「 お気に入り 」に追加されて、使うことが可能になる。


2、の場合、アップグレードする前の「 インターネットエクスプローラ 」にある「 お気に入り 」は、Real Times にダウンロードすることが出来ないから、普段からダウンロードなど終わっている方が良いと思う。
追加した場合も、ダウンロードすることが出来ないとわかった。

U、Real Times への保存

追加した場合は、Real Times にダウンロードすることが出来る場合と出来ない場合がある。


b、ダウンロードすることが出来ない時、ダウンロードした場合は、 RealPlayer Downloads のファイルに保存される。

bの場合の手順

5、すると、RealPlayer のなかに、同じ画面の「 インターネットエクスプローラ 」による画面が出てきて「 このビデオをダウンロード 」というマークが出るから、それをクリックすると、 realDownloader の中で、ダウンロードが始まる。

6、ダウンロードが終了すると、「 ビデオ 」の中の RealPlayer Downloads の中に収納されて、無事に保存することが出来た。

2015/11/5



T、経過

1、「 インターネットエクスプローラ 」による画面が出てきて「 このビデオをダウンロード 」というマークが出るから、それをクリックするのだから、「 インターネットエクスプローラ 」がどのあるのかを考えた。

2、Windows10 のスタートから、「 すべてのアプリ 」の中の「 Windows アクセサリ 」をクリックすると、一番上に「 インターネットエクスプローラ 」がある。
 
3、それをクリックすると、「 msn }のホームページが出てくる。

4、右上の「 ツール 」を選び、「 アドオンの管理 」を選び、その中の「 RealNetworks Download 」の状態を、「 有効 」にして、その「 ツール 」の横の「 お気に入り 」をクリックすると、Windows10 へ「 インポート 」する前の「 お気に入り 」がある。

5、その「 お気に入り 」の中の動画をクリックすると、動画が現れて、「 このビデオをダウンロード 」の表示が現れて、クリックすれば、RialTimes Download ファイルへのダウンロードが始まる。

6、「 esn 」のホームページで「 お気に入り 」を作っても良いが、「 ヤフージャパン 」をウエブ検索に入力して「 ヤフー 」の中で「 お気に入り 」を作っても良い。

7、そののち、「 お気に入りのインポート 」を使うと、windows10 の「 お気に入り 」に追加されて、使うことが可能になる。

U、感想

このように、簡単にアップグレードする前の「 お気に入り 」を、Reai Times にドウンロード出来ることを知った。
もっと、別の方法もあるかも知れないが、もっと勉強したいと思っている。

追記

後日、知ったのだが、Edge の右端に「 … 」という印がある。
それをクリックすると、internet explorer で開く 」という項目がある。
それをクリックし、「 お気に入り 」の中の動画をクリックすると、動画が現れて、「 このビデオをダウンロード 」の表示が現れて、クリックすれば、容易に、RialTimes Download ファイルへのダウンロードが始まる。

これが、一番わかりやすいと思う。
posted by kandk55 at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月01日

2015/11/1、windows10 への無償アップグレードの経過と感想 3

今日は、windows10 とインターネットエクスプローラからインポートしたお気に入りと「 Real Times 」への保存について書きたいと思う。

T、これまでの経過

2、「 お気に入り 」を増加させたいが、どうすれば良いか?
アップグレードする前の「 お気に入り 」は、「 お気に入りのインポート 」を使い、前の「 インターネットエクスプローラ 」から回復することが出来る。
他のパソコンの「 お気に入り 」を追加したい。
その場合は、他のパソコンにリマーブルデスクを接続させ、そのパソコンの「 お気に入り 」を開き、コピーアンドペーストでリマーブルデスクにコピーし、リマーブルデスクを外してwindows10 に接続し、またもやコピーアンドペーストで、windows10 の「 お気に入り 」にコピーする。
そののち、「 お気に入りのインポート 」を使うと、windows10 の「 お気に入り 」に追加されて、使うことが可能になる。


2、の場合、アップグレードする前の「 インターネットエクスプローラ 」にある「 お気に入り 」は、Real Times にダウンロードすることが出来ないから、普段からダウンロードなど終わっている方が良いと思う。
追加した場合も、ダウンロードすることが出来ないとわかった。

U、Real Times への保存

追加した場合は、Real Times にダウンロードすることが出来る場合と出来ない場合がある。

a、ダウンロードすることが出来る場合は、RealPlayer Download のファイルに保存される。

b、ダウンロードすることが出来ない時、ダウンロードした場合は、 RealPlayer Downloads のファイルに保存される。

bの場合の手順

1、インターネットエクスプローラからインポートした「 動画 」のお気に入りをクリックすると、画面に動画が現れる。
そして「 このビデオをダウンロードする 」を押すと画面に動画が現れているにもかかわらず「 このページにはダウンロードするビデオはありません 」(ページを再ロードするか別のWebサイトをお試しください)という案内が出る。

2、その下に「 またはビデオリンクを入力してダウンロード 」という欄があるので、そのビデオのURLをコピーアンドペーストしてエンターキーを押して成功すれば簡単だが、「 このWeb アドレスに動画は見つかりませんでした 」という場合が多い。

3、その場合、OKをクリックして、再びこのビデオをダウンロードするを押し、 Real Times のマークをクリックして、RealPlaer に接続し、ロゴの横にある小さな三角形をしたマークを押して「 ファイル 」を「 開く 」。

4、すると、「 クリップまたはWebページの場所を入力するとRealTimesで自動的に表示されます 」という案内の下に欄がある。
その欄に、2、でコピーしたものを貼りつけて、「 OK 」をクリックする。

5、すると、RealPlayer のなかに、同じ画面の「 インターネットエクスプローラ 」による画面が出てきて「 このビデオをダウンロード 」というマークが出るから、それをクリックすると、 realDownloader の中で、ダウンロードが始まる。

6、ダウンロードが終了すると、「 ビデオ 」の中の RealPlayer Downloads の中に収納されて、無事に保存することが出来た。



V、感想

こんなに面倒なのは、マイクロソフトエッジの安全性のためだろうと思う。

どうしてもダウンロードしたい時に限って、危険を承知のうえで、実行した方が良いと思う。

もっと簡単な方法は「 2015/11/5、Windows10 への無償アップグレードへの経過と感想 4 」を参照

posted by kandk55 at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月24日

2015/10/24、windows10 への無償アップグレードの経過と感想 2

T、経過

アップグレードして一か月以上経過してから、旧バージョンに「 回復 」し、惨めになったのちの経過である。

1、DVDが使えず、1500円で「 DVDプレイヤー 」を買ったのだが、CDからソフトをインストールすることが可能か否かを、一番心配していた。
年賀状に使うためのソフトは、CDからインストール出来たから、アンチウイルスソフトもインストール出来るだろうと思う。

2、「 お気に入り 」を増加させたいが、どうすれば良いか?
アップグレードする前の「 お気に入り 」は、「 お気に入りのインポート 」を使い、前の「 インターネットエクスプローラ 」から回復することが出来る。
他のパソコンの「 お気に入り 」を追加したい。
その場合は、他のパソコンにリマーブルデスクを接続させ、そのパソコンの「 お気に入り 」を開き、コピーアンドペーストでリマーブルデスクにコピーし、リマーブルデスクを外してwindows10 に接続し、またもやコピーアンドペーストで、windows10 の「 お気に入り 」にコピーする。
そののち、「 お気に入りのインポート 」を使うと、windows10 の「 お気に入り 」に追加されて、使うことが可能になる。

U、感想

1、の場合、年賀状の送付先は復元することが出来るから、普段の時に、リマーブルデスクなどに、バックアップしていた方が良いと思う。

2、の場合、アップグレードする前の「 インターネットエクスプローラ 」にある「 お気に入り 」は、Real Times にダウンロードすることが出来ないから、普段からダウンロードなど終わっている方が良いと思う。
追加した場合も、ダウンロードすることが出来ないとわかった。

まだわからないことが多いが、以上は実験済みである。
posted by kandk55 at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月18日

2015/10/18、windows10 への無償アップグレードの経過と感想

T、経過

私は、東芝製のWindows 7 のパソコンを二台所有している。
7月下旬から、Windows 10 への無償アップグレードが始まっていた。
私も、8月の上旬に、二台ともアップグレードした。
しかし、DVD再生のアプリケーションとoffice10 にwindows7 とwindows10 の互換性が無いと知り、古い方のパソコンは、即刻、windows7 に戻した。
新しいもう一台はWindows10のままにして、戻さなかったのは、DVDのアイコンがwindows10 で消えなかったので、従来通りに使うことができると思い込んでしまったのだ。

10月になり、新しいパソコンで、DVDを見ようとした時、使えないと知り愕然とした。
あわててWindows7 へ戻そうとしたが、アップグレードして一か月以上を経過していたので、戻すことは出来ず、さればと言ってリカバリーをしようとしても、リカバリーデスクを用意していないため、リカバリーも出来なかった。

「 回復 」を実行して、残ったのは再インストールされたwindows10 と以前使用していたフォルダーだけで、東芝がプレインストールしていたアプリケーションは、その日のうちに削除された旨を告げるフォルダーだけだった。
アンチウイルスソフトも消え、Real Time も消え、東芝製のアプリケーションはすべて消えていた。

こうなったら、一台はwindows10 で、一台はWindows7 で生活するしか方法が無いことを知り、今度は、徹底的にWindows10 を調べてやろうと思った。

インターネットエクスプローラーの替わりに、マイクロソフト・エッジを使うらしい。
Office10 は読み取りだけで、outlook も使えない。

「 無償でアップグレード 」が狙うのは、機械というハード面はそのまま生かし、ソフトを全部、買い替えさせることだろうと思う。

まずは、DVDの機能を使うために、1500円で、「 DVDプレイヤー 」を買い、アンチウイルスをCDからインストールしようとしたが不可能で、ダウンロードしてウイルスソフトを買った。
Rial Times をダウンロードし、やっとDVDを見ることが出来た。

マイクロソフト・エッジの「 お気に入り 」をクリックすると、「 お気に入りのインポート 」という項目が出て、インターネットエクスプローラの表示があった。

それをクリックすると、windows10 にアップグレードする前に作ったwindows7 の「 お気に入り 」がwindouws10 の「 お気に入り 」に現れた。

こうして、やっと日常が取り戻せたように思う。

U、まだ良く知らないが、感想としては、

1.「 無償アップグレード 」は、メーカーのホームページで互換性を確認し、バックアップCDを作り、ネット情報を調べてから、余裕をもって実行すること。

2、windows7 やwindows8 が好きならば、一か月以内に戻すこと。(一か月を経過すると戻れない)
posted by kandk55 at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月11日

2015/7/11、一国二制度は欺瞞

2015/7/11、私の考え


私は、政治学も経済学も学んでいないが、最近の中国を見ていると、彼らがいう「 一国二制度 」は、欺瞞だろうと思う。

一国二制度
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E5%9B%BD%E4%BA%8C%E5%88%B6%E5%BA%A6-169708
「一つの国,二つの制度」 (一個国家・両種制度) の略称。中国がホンコン,マカオの主権を回復し,台湾との統一を実現するために 1978年末に打出した統一方針。この方針によって,中華人民共和国を中央政府として,平和統一の前提下で大陸は社会主義制度,ホンコン,マカオおよび台湾は高度な自治権を有する特別行政区として資本主義制度を実行する。

………………………………………………………………………………………………………………………

社会主義、共産主義は、生産手段の私的所有(資本主義)は認めず、生産手段を社会的共有と管理するのだと思う。

中国は政治的には共産党独裁で共産主義の姿をしているが、内実は「 資本主義 」であると私は思う。

日本では「 生活保護 」といって、生活困窮者の生存権を認めているが、中国は、いくら富を持つ人も、土地など私的所有は認められず私的自治もなく、国家の保護のもとにいるから、「 富を持つ生活保護者 」であると私は思う。

彼らの富は、海外に私的資産を持つことになるし、国内では、資本主義の「 株 」という名前で「 株式会社 」という実体はない「 賭博 」に走ることになる。

いくら富を貯めても土地は国家が所有しているので、今現在、楽しい事に消費するか、社会主義国家でありながら子弟を資本主義の国に留学させて、資本主義を学ばせることに消費する。

「 一国二制度 」でも、ホンコンやマカオが資本主義というなら、ホンコンやマカオの市民に私的所有を認めなくてはならないのに、社会主義の「 平和統一の前提 」としているから認めず、「 私的自治 」さえ認めない。

彼らは、射幸心を国民にもたせるため、資本主義を利用しているというだろうが、彼ら自身が、思想の自由や信仰の自由などの基本的人権も認めない未発達な「 資本主義国 」であると思う。

生産手段の社会的共有と管理を少しでも私的にすれば、それは立派な資本主義国であると思う。
posted by kandk55 at 06:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月20日

2015/6/20、私の現在の考え26・心は磁場である・霊的に生まれ変わる事V

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/6/16、私の記事

私は「 神 」はエネルギーで、「 神 」の身体はエーテルであると考え、「 神 」はエネルギーであるから、人間から見れば「 悪 」であったり「 善 」である場合もあると考える。
「 神社 」は、エネルギーという自然神を奉る建物であると考える(たとえば、静岡県の浅間神社は、富士山をご神体とし、富士山の噴火(悪)を宥め、湧水(善)を感謝する建物であると思う)。
「 神社 」は自然神を奉る所であるから、超能力など神がかり的な力を求める人が集まって来ると思う。
その「 神社 」に憑いている「 悪霊 」に油を注ぐ行為をした「 金山医師 」が信じる宗教が自然神を奉じているのなら、少しは肯定もできる。
しかし、「 金山医師 」が信じるのはキリスト教であり、仏教と同じく「 人が人として生きる思想 」や「 人格の完成を目指す思想 」であるならば、「 金山医師 」の行為を肯定することは出来ない。
私は、宗教を人格完成の思想と考え、太陽や風などの自然を崇拝する思想であると考えないから、IS(イスラム国)や「 金山医師 」の行動を肯定することはできない。
「 金山医師 」の宗教がキリスト教ならば、彼の行為は、イエス・キリストの行為から判断する「 価値観 」に全面的に従い、キリストの「 心 」をくみ取って行為することだとは思えない。
自分勝手に切り取った「 価値観 」ではなく、教祖のすべての「 価値観 」を受け入れることが「 霊的に生まれ変わること 」であると思う。
イエス・キリストが、神社仏閣に油を注ぐなら、私の負けであるが……。

2015/6/20、私の考え


Yahooニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150619-00000005-gnasia-asia

【タイ】韓国お笑い番組のタイ仏教コメディにタイ人激怒

Global News Asia 6月19日(金)17時0分配信

タイの僧侶は、多くの戒律を守り、人々に道を説き導くことで多くの尊敬を集める。しかし、逆に戒律を破った僧侶への罰則は厳しく、時には検挙される事もある。

 2015年6月18日、タイのSNSに掲載された韓国のお笑い番組が多くのタイ人のひんしゅくを買っている。タイの僧侶の格好をしたコメディアンたちが、面白おかしく演じている映像は、タイ人たちは見るに耐えないようだ。

タイの僧侶が女性に触れる事は重大な戒律破りになる。僧侶との記念撮影でも女性が隣に来る事なく、少し距離を置くことが通例だ。

 問題となっている映像は、タイのSNSにアップされると瞬く間にネチズン(ネット市民)たちが噛み付いた。番組の中では、女性に触れたり、叩き合ったりすることや、女性がオレンジ色の袈裟を着ているなど、タイの僧侶は絶対にしてはならないとして、戒律に定められていることを次々と、お笑いのネタとして繰り出している
……………(省略)…………………


(私の考え)


私は、宗教を人格完成の思想と考え、「 人が人として生きる思想 」や「 人格の完成を目指す思想 」であると思う(つまり、人の生き方だと思う)。
韓国はキリスト教の生き方をしている人が多いと思うが、韓国のお笑い番組を創る人が、仏教国であるタイ人の宗教(生き方)をお笑いのネタとする行為は、イエス・キリストの行為から判断する「 価値観 」に全面的に従い、キリストの「 心 」をくみ取って行為しているとは思えない(仏教徒は、こんなことは決してしないのが常識である)。
自分勝手に切り取った「 価値観 」を持ち、教祖のすべての「 価値観 」を受け入れていない人は、「 霊的に生まれ変わること 」が不可能であると思う。
イエス・キリストが仏教徒をお笑いのネタとするのなら、私の負けであるが……。

Every miler draw water to his own mill.
posted by kandk55 at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月16日

2015/6/16私の現在の考え25・心は磁場である・霊的に生まれ変わる事U

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/6/8、私の記事

上記のように、「 人 」を形作るのが「 人格 」と考え、最終的にはDNAやRNAによる価値の決定として行為に現れると考えるなら、「 霊的に生まれ変わる 」とは、「 人格を変えよ 」という意味だろうと思う。
それでは、DNAやRNAを変えるしか方法が無いのかといえば、他に手段は有る。
「 人格の完成者 」を仏教では釈迦、キリスト教ではイエス・キリストとすれば、その人たちが残した「 心 」を、そのまま受け入れることだと思う。
「 死んだら終わり 」ではない。
その人が為した行為が「 心 」として、後世に伝わる筈である。
難しいことかも知れないが、釈迦やイエス・キリストの行為から判断される「 価値観 」の全面受け入れ、つまり、「 信仰しなさい 」ということだと思う。
前述したように、DNAやRNAが行為を選んだ「 価値観 」として現れるのが「 人格 」であるが、その逆を辿って、自分のDNAやRNAが持つ気(ki)に変化を及ぼすことにより、「 人格が変わる 」、信仰することにより「 人格 」を変える方法があると思う。
現在のような信仰ではなく、「 本当に信仰してください 」という意味ではないだろうか?
「 本当の信仰とは何か? 」
私は、仏教では釈迦、キリスト教ではイエス・キリストの行為から判断する「 価値観 」に全面的に従い、その人たちの「 心 」をくみ取って行為することだと思うが、僧侶ではないため、私にはわかりません。

2015/6/16、私の考え


Yahooニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150609-00010002-shincho-soci

国宝級「神社仏閣」に油を掛けた「カルト教祖」は在米産婦人科医〈週刊新潮〉


 国宝級の神社仏閣に油を掛けるとは、多くの日本人にとって不愉快極まりない行為であることはいうまでもない。しかし、急浮上した容疑者は、意外にも米国在住の日本人産婦人科医。その上、この男、カルト教団の創始者だという。驚くべき、その正体とは――。
…………………(中略)………………………
カルト教団について情報収集をしている、アッセンブリー京都教会の村上密牧師によれば、

「油の撒布が問題になる中、キリスト教の教会が被害に遭っていないことに気付きました。そこで、こんなことをやるのはキリスト教系のカルト的なグループのはず、悪霊にまつわる活動を行っているIMM(インターナショナル・マーケットプレイス・ミニストリー)が怪しい、という考えに至った。その後、IMMの内情に詳しい人に連絡。ある韓国系のキリスト教団のHPに、金山が神社仏閣に油を撒いている映像がアップされているとの情報を掴んだのです」

 村上牧師は、その映像を入手。5月22日、京都府警南署に提出したという。

 IMMは、金山によって2013年5月に設立されたキリスト教系の教団だ。

 まず、金山医師の経歴について触れておこう。

 1962年9月、東京・深川で在日韓国人の両親の下に生れた。名門の駒場東邦高校へ進学。その後、帰化し、17歳の時には韓国系の教団で洗礼を受けたという。
…………………(中略)………………………

(私の考え)

私は「 神 」はエネルギーで、「 神 」の身体はエーテルであると考え、「 神 」はエネルギーであるから、人間から見れば「 悪 」であったり「 善 」である場合もあると考える。
「 神社 」は、エネルギーという自然神を奉る建物であると考える(たとえば、静岡県の浅間神社は、富士山をご神体とし、富士山の噴火(悪)を宥め、湧水(善)を感謝する建物であると思う)。
「 神社 」は自然神を奉る所であるから、超能力など神がかり的な力を求める人が集まって来ると思う。
その「 神社 」に憑いている「 悪霊 」に油を注ぐ行為をした「 金山医師 」が信じる宗教が自然神を奉じているのなら、少しは肯定もできる。
しかし、「 金山医師 」が信じるのはキリスト教であり、仏教と同じく「 人が人として生きる思想 」や「 人格の完成を目指す思想 」であるならば、「 金山医師 」の行為を肯定することは出来ない。
私は、宗教を人格完成の思想と考え、太陽や風などの自然を崇拝する思想であると考えないから、IS(イスラム国)や「 金山医師 」の行動を肯定することはできない。
「 金山医師 」の宗教がキリスト教ならば、彼の行為は、イエス・キリストの行為から判断する「 価値観 」に全面的に従い、キリストの「 心 」をくみ取って行為することだとは思えない。
自分勝手に切り取った「 価値観 」ではなく、教祖のすべての「 価値観 」を受け入れることが「 霊的に生まれ変わること 」であると思う。
イエス・キリストが、神社仏閣に油を注ぐなら、私の負けであるが……。

Every miler draw water to his own mill.
posted by kandk55 at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月08日

2015/6/8、私の現在の考え24心は磁場である・霊的に生まれ変わる事を考える

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/26、私の記事

人はすべて人格者である。
ただ、その「 完成度 」が、すべて違うのだと考える。
なぜなら、DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))が脳波(バイオリズム)という電流になり、それから派生した磁場が「 自我意識 」となり、「 心 」となり、その磁極を脳波(バイオリズム)が決定し(たとえば南極と北極)、磁極と磁極を結ぶ「 定在波 」(バイオリズム)が価値観であり、自我意識の価値観を決定するのは小脳レベルの可能性から生じた電荷が脳波(バイオリズム)というように、電場から磁場へ、そして磁場から電場へと循環して自我意識は進展すると考える。
磁場である「 心 」のなかの磁極は、さまざまな情(zyou)の力(エネルギー)により影響をうけるが、これを情動(zyoudou)と呼び、そのなかに言語や宗教や絵画などの芸術や音楽という文化を含み、これにより人類は重複した価値観、「 定在波 」を持ち、これを自我の価値観と決定するのはDNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))を集めた脳波(バイオリズム)であり、それを気(ki)を含む「 気持ち 」(kimochi)というと考える。
この気(ki)を含む「 気持ち 」(kimochi)の集合体が「 人格 」であり、気持ちがある以上、人格者であると考える。
人は社会的で、情(zyou)は人から人に伝わるだろう。
人の「 人格 」が他人の「 人格 」に作用するので、教師や僧侶は完成度が高い「 人格者 」であることが望ましい。
自我の価値観と決定するのはDNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷を集めた脳波(バイオリズム)であり、それが文化という情(zyou)に結集する以上、情(zyou)は「 心 」が具現化したものであり、人は死後、その人が残した文化を通して「 心 」や「 人格 」を伝達し、後世の者は、小脳レベルの「 無意識 」(エネルギー)により、先人の「 心 」を受け取る。「 心 」は「 魂 」と同義かもしれない。
ここにも、電場から磁場、磁場から電場への道程があると考える。
「 死んだら終わり 」ではない。


2015/6/8、私の考え



上記のように、「 人 」を形作るのが「 人格 」と考え、最終的にはDNAやRNAによる価値の決定として行為に現れると考えるなら、「 霊的に生まれ変わる 」とは、「 人格を変えよ 」という意味だろうと思う。

それでは、DNAやRNAを変えるしか方法が無いのかといえば、他に手段は有る。

「 人格の完成者 」を仏教では釈迦、キリスト教ではイエス・キリストとすれば、その人たちが残した「 心 」を、そのまま受け入れることだと思う。

「 死んだら終わり 」ではない。

その人が為した行為が「 心 」として、後世に伝わる筈である。

難しいことかも知れないが、釈迦やイエス・キリストの行為から判断される「 価値観 」の全面受け入れ、つまり、「 信仰しなさい 」ということだと思う。

前述したように、DNAやRNAが行為を選んだ「 価値観 」として現れるのが「 人格 」であるが、その逆を辿って、自分のDNAやRNAが持つ気(ki)に変化を及ぼすことにより、「 人格が変わる 」、信仰することにより「 人格 」を変える方法があると思う。

現在のような信仰ではなく、「 本当に信仰してください 」という意味ではないだろうか?

「 本当の信仰とは何か? 」

私は、仏教では釈迦、キリスト教ではイエス・キリストの行為から判断する「 価値観 」に全面的に従い、その人たちの「 心 」をくみ取って行為することだと思うが、僧侶ではないため、私にはわかりません。


Every miler draw water to his own mill.
posted by kandk55 at 02:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月17日

2015/5/17、私の現在の考え23・心は磁場である・価値の決定

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/28、私の考え

価値観について考えを変更します。

DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))から生じる脳波(バイオリズム)を@とします。

DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される大脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))から生じる脳波(バイオリズム)をAとします。

@により磁場である自我意識の無意識の磁極を決めます。
これは地球でいえば南極と北極のようなものです。
小脳が決めるでしょう。
この磁極の間に地磁気のような磁気の流れの可能性があるでしょう。これをAとします。

Aにより磁場である自我意識の磁極を決めます。
これは、思考上の両極端です。
大脳が決めるでしょう。
この磁極の間にはあいまいな領域の可能性があります。これをBとします。

@が気(ki)である可能性の磁極であるのに対し、Aは情(zyou)、情報の可能性の極端です。
Aは情動(zyoudou)により影響を受けます(考え方により磁極が変わる)が、@は影響を受けません(考え方を変えても、自分が他人に変わることはない)

Bは、情(zyou)、情報の数に対応して、重複してあるでしょう。
「 気持ち 」の単語は気(ki)を持つこと(hold)ですから、重複して持つことを「 気持ち 」とし、その全体が磁場の「 心 」と考えます。
AもBも「 定在波 」(了解や理解か可能な波、バイオリズム)を持ち、可能性の定在波を実生活で自我意識に具現化する、あるいは決定する(価値観を表明する)のはBではなくAであると考えます。
磁場の「 心 」や「 気持ち 」が、「 良い 」や「 悪い 」という言語などの情(zyou)に具現化するのは、無意識のAであると考えます。
Aは生死のレベルであり、無意識であり、Bは常にAに従うものです。


2015/5/17、私の考え



このように、@により磁場である自我意識の無意識の磁極を決め、地球でいえば南極と北極のようなものです。
@の小脳が決める気(ki)である「 生 」と「 死 」が極であり、それを重複するようにAの大脳が決める情(zyou)である「 生 」と「 死 」があり、その「 緯度 」であるのが社会的価値の目盛で、Bであり、@の「 極 」のどちらの極の近いかが主観的「 快 」や「 不快 」や「 利益 」や「 不利益 」であり、Aの「 極 」のどちらの極の近いかが客観的「 快 」や「 不快 」や「 利益 」や「 不利益 」であり、選択という行動で「 具現化 」あるいは「 実体化 」するのがAであると考える。

この構造の上に「 善 」や「 悪 」の磁極や「 地獄 」や「 極楽 」の磁極が重複してあり(たとえば、行為が客観的、社会的に「 悪 」であっても主観的に「 快 」であるとか、行為の結果が客観的、社会的に「 不利益 」でも主観的には「 快 」であるとか、行為が客観的、社会的に「 善 」であっても主観的に「 不快 」とか、行為の結果が客観的、社会的に「 利益 」であっても主観的に「 不快 」であるとか)それらを貫いて行為として具現化し実体化するのが、個人のDNAやRNAから生じた脳波(バイオリズム)であり、それが「 行動スタイル 」であり「 人格 」であると思う。

使用価値は主観的であり気(ki)であり、交換価値は客観的、社会的であり、情(zyou)であると考える。

「 宗教 」は「 行動スタイル 」であり「 如何なる人格を形成するか 」とういう「 生き方 」の問題であり、「 宗教 」のない共産主義は「 生き方が画一で選択が無い思想 」で人格形成する余地は無い人格欠陥者であり、「 宗教 」がIS(イスラム国)がいう「 戦う生き方 」であれば、「 破壊する生き方 」しか正当でなく、「 人間は生と死の戦いの統一体である 」ことを否定する「 人間破壊の思想 」であることになるだろう。

すべては、個人のDNAやRNA次第であるが。

Every miler draw water to his own mill.

posted by kandk55 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月08日

好き勝ってな老人の富士山写真ポスター

本日「 好き勝ってな老人の富士山写真ポスター 」を販売します。

購入していただくときは、下記の URL をクリックしてください。
     ↓
「 好き勝ってな老人の富士山写真ポスター 」 の URL
http://kandk333.free.makeshop.jp/

P1000296.JPG

ポスターのサイズ
縦 41.5 cmm
横 59.5 cmm

価格
1,000円 税込(郵政による通常発送・送料無料)・国内限定
楽天銀行決済ですので、楽天銀行の口座が必要です。

楽天銀行の口座をお持ちでないとき、あるいは代金引換をご希望されるときは、メールか電話でご連絡ください。
電話 09035619291
メール kandk555@r4.dion.ne.jp

ピンボケ写真ですが、これを理由とした返品はできません。
posted by kandk55 at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ポブター販売 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月30日

2015/4/30、私の現在の考え22・心は磁場である・使用価値と交換価値

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/28、私の考え

価値観について考えを変更します。

DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))から生じる脳波(バイオリズム)を@とします。

DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される大脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))から生じる脳波(バイオリズム)をAとします。

@により磁場である自我意識の無意識の磁極を決めます。
これは地球でいえば南極と北極のようなものです。
小脳が決めるでしょう。
この磁極の間に地磁気のような磁気の流れの可能性があるでしょう。これをAとします。

Aにより磁場である自我意識の磁極を決めます。
これは、思考上の両極端です。
大脳が決めるでしょう。
この磁極の間にはあいまいな領域の可能性があります。これをBとします。

@が気(ki)である可能性の磁極であるのに対し、Aは情(zyou)、情報の可能性の極端です。
Aは情動(zyoudou)により影響を受けます(考え方により磁極が変わる)が、@は影響を受けません(考え方を変えても、自分が他人に変わることはない)

Bは、情(zyou)、情報の数に対応して、重複してあるでしょう。
「 気持ち 」の単語は気(ki)を持つこと(hold)ですから、重複して持つことを「 気持ち 」とし、その全体が磁場の「 心 」と考えます。
AもBも「 定在波 」(了解や理解か可能な波、バイオリズム)を持ち、可能性の定在波を実生活で自我意識に具現化する、あるいは決定する(価値観を表明する)のはBではなくAであると考えます。
磁場の「 心 」や「 気持ち 」が、「 良い 」や「 悪い 」という言語などの情(zyou)に具現化するのは、無意識のAであると考えます。
Aは生死のレベルであり、無意識であり、Bは常にAに従うものです。
BではなくA単独で行動する場合もあります(呼吸や血液の循環のように)。
Aは情(zyou)ではなく、気(ki)であると思います。
自我意識の価値観を決定するのは、Aで、「 人格 」を決定し、変化しているBを把握し、AからBへ、BからAへと進み、現象上はAからAへ変わるとみられ、それが自我が自我を把握することであり、「 生きること 」であり、人生であると考える。
電場から磁場、磁場から電場へと変わるので、自我から自我への進展は不連続であることになる。


2015/4/30、私の考え


これを、経済学について考えてみる。

価値は、マルクス経済学に使用価値や交換価値があるが、これを考察したい。

使用価値は@で決められるAであろう。
交換価値はAで決められるBであろう。

前述したように、@やAは小脳の領域に属し、生命、欲求、などの気(ki)に属する。
Aはその可能性(エネルギーの価値)のバイオリズムで、最終的には、個人のDNAやRNAに依存し同一ということは無い。
欲求(エネルギー)の大小は、そのバイオリズムの定在波により、変化するだろう。

AやBは、大脳の領域であり、情報や教育など文化的、社会的な情(zyou)に属する。
Bは「 始めと終わり 」がある物語で、その可能性は社会の可能性であり、方向はAに従うが、決めるのは社会であり、個人はそれを大脳で「 物語 」として受け入れるときに、社会の可能性(価値)の大小は個人の教育や教養から得た磁極間の定在波として現れ、変化し、個人のDNAやRNAからなるAにより決定したとき、価格として具現化すると考える。

「 物 」の物神性は、物をエネルギー(神)として崇拝するとき「 物神性 」というだろうが、それは人格形成を目指す「 宗教 」とは違う自然宗教であり、貨幣に物神性があるとするのは「 拝金主義 」であり、私には受け入れられない。
「 物 」は音楽の音符のように、価値のバイオリズムを示す目印にすぎず、貨幣も価値の大小の目盛としてしか価値は無い。

交換価値の内容が、抽象的人間労働や希少性であるとするのは、思考体系から要望される「 物語 」であり、情(zyou)の種類であり、社会の可能性として社会が決定すると思うが、個人の「 心 」の中では、教育や教養が決めた磁極間の定在波(B)が「 交換価値 」として重複して変化するのであり、交換する「 価格 」として決定するのは、個人のDNAやRNAからなるAであり、個人の欲求(自我・エネルギー)が自我を把握するのが、経済活動であると考えると、私の考えは、「 近代経済学 」の「 効用価値説 」に近いと考える。

Eagles eat no flies.

価値(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%A1%E5%80%A4


Every miler draw water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月28日

2015/4/28、私の現在の考え21・心は磁場である・心・価値観 

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/26、私の記事

人はすべて人格者である。
ただ、その「 完成度 」が、すべて違うのだと考える。
なぜなら、DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))が脳波(バイオリズム)という電流になり、それから派生した磁場が「 自我意識 」となり、「 心 」となり、その磁極を脳波(バイオリズム)が決定し(たとえば南極と北極)、磁極と磁極を結ぶ「 定在波 」(バイオリズム)が価値観であり、自我意識の価値観を決定するのは小脳レベルの可能性から生じた電荷が脳波(バイオリズム)というように、電場から磁場へ、そして磁場から電場へと循環して自我意識は進展すると考える。
磁場である「 心 」のなかの磁極は、さまざまな情(zyou)の力(エネルギー)により影響をうけるが、これを情動(zyoudou)と呼び、そのなかに言語や宗教や絵画などの芸術や音楽という文化を含み、これにより人類は重複した価値観、「 定在波 」を持ち、これを自我の価値観と決定するのはDNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))を集めた脳波(バイオリズム)であり、それを気(ki)を含む「 気持ち 」(kimochi)というと考える。
この気(ki)を含む「 気持ち 」(kimochi)の集合体が「 人格 」であり、気持ちがある以上、人格者であると考える。
人は社会的で、情(zyou)は人から人に伝わるだろう。
人の「 人格 」が他人の「 人格 」に作用するので、教師や僧侶は完成度が高い「 人格者 」であることが望ましい。
自我の価値観と決定するのはDNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷を集めた脳波(バイオリズム)であり、それが文化という情(zyou)に結集する以上、情(zyou)は「 心 」が具現化したものであり、人は死後、その人が残した文化を通して「 心 」や「 人格 」を伝達し、後世の者は、小脳レベルの「 無意識 」(エネルギー)により、先人の「 心 」を受け取る。「 心 」は「 魂 」と同義かもしれない。
ここにも、電場から磁場、磁場から電場への道程があると考える。
「 死んだら終わり 」ではない。


2015/4/28、私の考え



価値観について考えを変更します。


DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))から生じる脳波(バイオリズム)を@とします。

DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される大脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))から生じる脳波(バイオリズム)をAとします。

@により磁場である自我意識の無意識の磁極を決めます。
これは地球でいえば南極と北極のようなものです。
小脳が決めるでしょう。
この磁極の間に地磁気のような磁気の流れの可能性があるでしょう。これをAとします。

Aにより磁場である自我意識の磁極を決めます。
これは、思考上の両極端です。
大脳が決めるでしょう。
この磁極の間にはあいまいな領域の可能性があります。これをBとします。

@が気(ki)である可能性の磁極であるのに対し、Aは情(zyou)、情報の可能性の極端です。
Aは情動(zyoudou)により影響を受けます(考え方により磁極が変わる)が、@は影響を受けません(考え方を変えても、自分が他人に変わることはない)

Bは、情(zyou)、情報の数に対応して、重複してあるでしょう。
「 気持ち 」の単語は気(ki)を持つこと(hold)ですから、重複して持つことを「 気持ち 」とし、その全体が磁場の「 心 」と考えます。
AもBも「 定在波 」(了解や理解か可能な波、バイオリズム)を持ち、可能性の定在波を実生活で自我意識に具現化する、あるいは決定する(価値観を表明する)のはBではなくAであると考えます。
磁場の「 心 」や「 気持ち 」が、「 良い 」や「 悪い 」という言語などの情(zyou)に具現化するのは、無意識のAであると考えます。
Aは生死のレベルであり、無意識であり、Bは常にAに従うものです。
BではなくA単独で行動する場合もあります(呼吸や血液の循環のように)。
Aは情(zyou)ではなく、気(ki)であると思います。
自我意識の価値観を決定するのは、Aで、「 人格 」を決定し、変化しているBを把握し、AからBへ、BからAへと進み、現象上はAからAへ変わるとみられ、それが自我が自我を把握することであり、「 生きること 」であり、人生であると考える。
電場から磁場、磁場から電場へと変わるので、自我から自我への進展は不連続であることになる。
その結果、「 人が生きる道を示す宗教 」などの影響により、人格や自我が向上する場合もあれば、性や麻薬により人格や心や自我が汚れる場合もあり、その程度は「 人格の完成度 」として社会に示されるであろう。
「 宗教 」は、頭脳で考えた情(zyou)であり、情報であり、その種類が問題ではない。
どんな宗教でも宗教ならば、「 人格の向上 」を願うはずであり、IS(イスラム国)のように、イスラム教に改宗する必要は、まったく無く、「 神 」をエネルギーと考えると、彼らは、神の名をかたる「 神の冒涜者 」であると思う。

Every miler draw water to his own mill.
posted by kandk55 at 03:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月26日

2015/4/26、私の現在の考え20・心は磁場である・人格・価値観

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/15、私の記事


「 心 」を以上のように「 磁場である 」と考えるのは、有史以来、私が初めてだろう。
「 心 」は、大脳レベルの、意識である 情(zyou)としての「 精神 」であり、「 思考されたもの 」である部分と小脳レベルの無意識の気(ki)としての「 精神 」を考え、前者が「 自意識 」による極を持った「 始めと終わり 」がある「 物語 」であるのに対して、後者は「 自意識 」ではあるが「 生命 」、あるいは本能として、「 可能性 」として、前者をコントロールする機能(kinou)と考える。
両者の共通するのはDNAとRNAの「 フィラメント構造 」から得られた脳波から派生した「 磁場 」であるが、前者は思考という始めと終わりがある「 物語 」であり、後者は始めと終わりを作る「 可能性 」であり、前者は「 意識 」と呼び、後者を「 無意識 」と呼ぶと考える。

磁極を結ぶ地磁気にあたるのが「 バイオリズム 」だと考える。
バイオリズムが重複して無意識も「 好き嫌い 」の価値観を生じ、それは無意識を基にしているから、小脳レベルの「 自意識 」であり「 生命 」、あるいは本能として、あたかも地球上の重力のように、情(zyou)であり、「 物語 」(物体)である思考や精神を「 好きな物語 」や「 嫌いな物語 」として、バイオリズムで決めると考える。
DNAやRNAから生まれたバイオリズムと音楽や宗教や言語や物語の波長が合致したとき、「 好き 」になる。

2015/4/16、私の記事


磁極を決めるのはDNAやRNAの「 フィラメント構造 」を流れる気(ki)である脳波だが、これはバイオリズムとういう脳波であることになる。
磁極を結ぶ地磁気のようなものもバイオリズム(脳波)であるが、DNAやRNAが持つ「 遺伝子情報 」という情(zyou)が混在したバイオリズム(脳波)であり、バイオリズム(脳波)から派生した「 精神 」であり、その「 定在波 」が「 価値観 」であり、それが重複したのが「 人格 」という「 形 」であると考える。

価値観である「 定在波 」は磁極を変えることにより共変するが、「 遺伝子情報 」は情(zyou)であり、同じ情(zyou)である文化を変えることにより、「 形 」である「 人格 」は変化し、「 無常 」な物となる。

バイオリズム(脳波)を変えることにより磁極が変わるが、これはエネルギー(神)であり、「 生命 」、あるいは本能である「 無意識 」であり、これを変えることが「 人格 」を変えることだが、DNAやRNAを変えることが出来ないから、情(zyou)である磁極を人間の教育で変えることしか出来ないかもしれない。


2015/4/21、私の記事


このように「 人格 」を考えるとき、「 人格の完成 」を目指すのが「 宗教 」であると思う。
「 宗教 」は情(zyou)であるが、決められた価値観を生む予定の「 始めと終わり 」の磁極を提示し(物語)、そこから生じる「 定在波 」(理解や了解)を利用して人格や人の生き方である人生を変えようとする思想であると思う。

生命や本能に近い磁極は小脳のバイオリズムだから「 定在波 」は人類には共通で、好きや嫌いも容易に形成されるが、人間は精神であり、この「 定在波 」を承知の上、精神的な磁極、大脳のバイオリズムによる「 定在波 」(死中生あり、生中生なし)に従う情動(zyoudou)もある。
この情動(zyoudou)というエネルギー(神)こそ、人格という「 形 」を変えるものであり、そこが宗教の狙いでもあるが、危険な点でもあると思う。
「 精神的な磁極 」が、人格の完成へ向かうならば危険ではないが、多数の人の死を目的としたときは殺人であり、危険である。
宗教は個人の人格完成であり、集団の人の人格完成はありえない。

「 心は磁場 」であり、派生したものであるから、派生した精神から生じる人の言動や行為により、その人の「 人格完成の度合い 」がわかるだろう。


2015/4/26、私の考え



人はすべて人格者である。
ただ、その「 完成度 」が、すべて違うのだと考える。
なぜなら、DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))が脳波(バイオリズム)という電流になり、それから派生した磁場が「 自我意識 」となり、「 心 」となり、その磁極を脳波(バイオリズム)が決定し(たとえば南極と北極)、磁極と磁極を結ぶ「 定在波 」(バイオリズム)が価値観であり、自我意識の価値観を決定するのは小脳レベルの可能性から生じた電荷が脳波(バイオリズム)というように、電場から磁場へ、そして磁場から電場へと循環して自我意識は進展すると考える。
磁場である「 心 」のなかの磁極は、さまざまな情(zyou)の力(エネルギー)により影響をうけるが、これを情動(zyoudou)と呼び、そのなかに言語や宗教や絵画などの芸術や音楽という文化を含み、これにより人類は重複した価値観、「 定在波 」を持ち、これを自我の価値観と決定するのはDNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))を集めた脳波(バイオリズム)であり、それを気(ki)を含む「 気持ち 」(kimochi)というと考える。
この気(ki)を含む「 気持ち 」(kimochi)の集合体が「 人格 」であり、気持ちがある以上、人格者であると考える。
人は社会的で、情(zyou)は人から人に伝わるだろう。
人の「 人格 」が他人の「 人格 」に作用するので、教師や僧侶は完成度が高い「 人格者 」であることが望ましい。
自我の価値観と決定するのはDNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷を集めた脳波(バイオリズム)であり、それが文化という情(zyou)に結集する以上、情(zyou)は「 心 」が具現化したものであり、人は死後、その人が残した文化を通して「 心 」や「 人格 」を伝達し、後世の者は、小脳レベルの「 無意識 」(エネルギー)により、先人の「 心 」を受け取る。「 心 」は「 魂 」と同義かもしれない。
ここにも、電場から磁場、磁場から電場への道程があると考える。
「 死んだら終わり 」ではない。


Every miler draw water to his own mill.
posted by kandk55 at 06:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする