2008年02月29日

2月29日・世界内自分・下手な考え

思った事。

言葉を否定して、身体で真実を知る事は、大変に危険な行為だと思う。
真理を得るためには肯定するが、自分が、自分の判断で死を選ぶ事は、如来様(Nyoraisama)の意図に反する行為で否定する。
自分という存在は、どの国に生まれても、言葉を教えられる。
それは、一箇所での教育であり、偏りが生じる。
偏りが有る教育が、曲解した思い込みになると思う。
その曲解や勝手な思い込みの力で、如来様(Nyoraisama)が創った身体を処分する権限は無い。
自殺行為には全て当てはまる。
これを他人が強要すれば、殺人である。


霊が喜ぶからという理由での死ぬ行為は、否定する。
霊の喜びは生命の喜びだから、死ぬ行為を生命が喜ぶとは考えられない。
死ぬ行為以外であれば、霊の喜ぶ事をするのは、その人の生きるための楽しい行為として肯定する。

それが、社会で、霊が喜ぶと決められている行為をするのは否定する。
如来様(Nyoraisama)は、個人の身体に限定され、社会の如来様(Nyoraisama)は存在しないと思う。
社会の霊のために死ぬ事は、無論、否定する。


私は、自分から死を選ぶという事に反対する。
「霊が喜ぶから死ぬ」とか「霊のために死ぬ」などは、間違った考えである。
霊の喜ぶ事をするのが使命を果たす事だと思うと、如来様(Nyoraisama)から与えられた使命が死ぬ事などとは考えられない。

使命を果たして死ぬ事は考えられる。
死は人間にとって絶対に平等であり、通過点であり、避けられない必然の事だ。

死んで無くなるのは関係であり、その関係に執着するから死ぬ事を恐れたり、死ぬ事を望んだりする。
そして、関係というのも、人間界での相当因果関係であり、宇宙の因果関係では無い。
その関係は、自分に好都合な関係だから執着するのかも知れない。

執着する事は自然の事であるが、死ぬ事も自然な事である。

自然に死ぬ事を、私は望んでいるのかも知れない。


I don't want to die in vain.

Poor thinking is as good as no thinking.

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2月29日・世界内自分U

これまでの考え。

フィクションTは承継するが、次のような制限を設ける。

私は、自分について考える時、如来様(Nyoraisama)が創った身体という塊が無い自分は考えられない。

言葉を信じないで、身体を重点にして関係を考えて、自分という枠を捨てる行為は、個人の範囲内であれば、肯定する。
この事を、他人に強要するのは、否定する。

身体を動かしている時、霊が喜ぶ事をするのは、個人が自ら決意し、自分だけが行為するのは肯定する。
しかし、霊が喜ぶと思う事を、他人に強要する事は否定する。

実行している者と実行させる者が、一つになって霊を喜ばせているのは、自分だけなら、肯定する。
他人の間では、それは存在しない。

なぜなら、如来様(Nyoraisama)は、同一物を同じ水準では、創らないと思うから。
それぞれに個性があると思うから。

私は、如来様(Nyoraisama)が創った佛(hotoke)と霊が融合して生命がある身体を形成していることは、否定しない。

強要は無いが、私が記事に書く事は思い込みが入ることも否定しない。
主観的だから、これを見た人が、私の考えに同調することは要望しない。
私が正しいとも思っていない。

思い込みや自分による限定が無ければ、知覚が成立しない。
眼があるから見えるのであり、耳があるから聞こえるというのは、私も同感する。
眼が無く、耳も無いのは、如来様(Nyoraisama)が創る前の塊であると思う。
思い込みは排除すべきだと思うが、記事にする以上、思い込みは避ける事は出来ない。

自分と言う場合、時間や空間などと共に、生きている時代の文化、生まれた国の歴史、家族などの社会的状況など、自分の世界が、全部、如来様(Nyoraisama)が創った霊と佛(hotoke)の融合である生命がある身体を限定する。
そして、これを知覚して、文化を担って生きるように創られている。

私の勝手な言い方で、自分の身体を成立させているのを限定と呼び、私が自分の身体を限定しているのを価値観と呼ぶ。
単純に、私と言う時、価値観による自分を言い、これが関係を帰属させる主体である。
価値観による死は、関係の解消で、自分の存在が無くなる事である。

関係の帰属主体の自分が死んで、身体は如来様(Nyoraisama)の手元に戻り宇宙の塵になっても、如来様(Nyoraisama)による限定が無くなっただけで、生まれて死んだという事実は、歴史上の人物として記録され、私が考えたり書いた物が、私の文化として、残る。
言葉が、食べた後の残骸のように残り、それを食べて栄養にするかどうかは個人による。

永遠の真理を説いた思想は、時間を超越して妥当するだろう。

2月29日に思った事。

私が、現代に誕生した事は、歴史上の事実として残る。
一定の時代に生命を持つ身体を如来様(Nyoraisama)が創った事は、私の劣った身体を宿舎として霊の世界から目的を持った霊を派遣していると考える。
私の身体を宿舎にした必然性は、如来様(Nyoraisama)が私の霊に使命を与えた事であり、現実社会で私が使命と思う事だろう。

私は、教育により思い込みを強要され、自分も思い込んで価値観の主体として生きる。
私が、全身で霊の喜びを感じる時、霊の使命に触れる時かもしれない。

人間と言っても、自分しか知らない。
一人の他者と接する事は、多くの他者と接する事かも知れない。
その他者の心と自分の心と交流する時、昔からの言葉が通用するのかも知れない。
自分の心の深い所を現実の中に表現する事が、個性を発揮した事であり、如来様(Nyoraisama)が与えた使命を果たした事だと思う。
私は、神様や仏陀や如来様(Nyoraisama)などと叫んで、外部の現実社会に存在を求める事は否定する。
自分自身の身体が大宇宙の産物であり、如来様(Nyoraisama)である。
私は、自分の心の深くに自分の願いを探し、外部に表現して、他者の共感を得た時、神様や仏陀が存在すると言う。
共有できる心境が、神様や仏陀の現われた物かも知れない。
幸いな事に、日本には、仏教が残っている。
宗派の数だけ、仏教を学ぶ事が出来る。
自分の宗派の坊主に、心のキーワードを聞くと面白いかも知れない。
この世の乱れは、社会全体が、自分の心を再発見しなければ解決する事は出来ないかもしれない。


Poor thinking is as good as no thinking.

しかし、

Heaven helps those who help themselves.
posted by kandk55 at 03:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月28日

2月28日・隣国訪問

今まで、隣国のサイトを pussy で検索して、獲物を持っています。

ポルノ禁止なんか、「嘘」です。

Set a thief to catch a thief.

隣国の目が入っているから、ウイルスなど心配しなくても良い。
内容は、西洋のサイト。
興味を持っているサイトを登録しているのでしょう。
露骨です。
pussy などの検索語で、面白いように西洋人の裸体を見る事が出来る。

日本の画像検索で、露骨な物が検索されると騒いでいる人は、子供です。
あんなのは、遊びだと何故、理解しないのでしょうか?
日本人に、検索の力を見せているだけです。
それを騒いでいるのは、同じ種類の人。
あるいは子供です。

日本人は、皆、知っています。
隣国では、ポルノを子供でも見ている事を。

隣国の子供は、ゲーム中毒だけでは無いと思います。
こんなに簡単にポルノを見る事が出来るから、子供も早熟な金持ちだと思います。
アメリカYahoo でこんな検索結果を見ました。

http://www.baidu.jp/s?tn=baidujp&ie=utf-8&bs=big+dikz+%E7%94%BB%E5%83%8F&sr=&z=&cl=3&f=8&wd=doodlings+index&ct=262144

こんな事は、昔の事だと、何故、理解しないのでしょうか?
現在は、インターネット暦5年の私が、もっと簡単に、ポルノを探す事が出来ます。
沈黙しているだけの事。


日本人は可哀想。
自分たちが、ポルノの最先端を走っていると思っている。
アジアの中で、遥か後ろを走っているとも知らないで。

ポルノの最先端を行くならば、アメリカYahoo に話題を提供しましょう。
日本独自の文化を発見しましょう。
それは、あなたの胸の奥に潜んでいるかも知れません。
ポルノも良いが、他に興味は無いか?
ポルノを含んだ精神を探しましょう。
posted by kandk55 at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月28日・懇親会の写真

2月26日、「とんかつ葵」で開催された懇親会の写真を、同僚から受け取った。

このブログの中に、写真をアップロードしたいが、容量オーバで不可能である。

だから、「 ココロちゃんとおじさん 」のブログに掲載している。

写真を見たい人は、リンク先をクリックして見てください。

28年間という年月は、容貌を変える。
白髪が多くなった私だが、メンバーも老いていた。

万物は流転する。
無常である。
恒久な物は無い。

古い友は、昔の容貌からは想像も出来ない。
しかし、昔を語り合う時、同じ昔に時間が戻った気持ちになって、自分が若くなった気がした。
毎年、一回、逢う事を約束した。
昔に戻れる時間を持つ事は、幸せだし思う。

Heaven helps those who help themselves.

少し違うかな?
posted by kandk55 at 06:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月27日

2月27日。アメリカYAHOO と私のブログ

アメリカYahoo で、私のブログを探した。

@アメリカYahoo

この言葉だけで検索すると、私のブログは出て来なかった。
残念に思い、次に「アメリカYahoo と私のブログ」で検索した。

登録されていた。
私のブログがトップに現れた。

AQuickie fuck.com

この言葉で検索すれば、私のブログが登録されている事は、最近、知ったから安心していた。
4ページ目に、2月23日の記事が登録されている。

BAmateur 18TV

この言葉で検索すると、私のブログは、トップで登録されている。
「 Flexible 」のカテゴリーを探せば、必ず存在する有名なサイトだ。
内容は、クラッシック・バレーを踊っている女の子とSEXするという不謹慎な作品だ。

CAmalia Russian Mature

この言葉で検索すると、1ページ目の二番目に登録されている。
私は「背徳」という部門では、アメリカよりロシアに優れた作品を発見する。
アメリカはMILF の世界だ。
数有るサイトの中で、私のブログが二番目に登録されるのは、アメリカ人は「背徳」が嫌いで閲覧しない事を示しているのかも知れない。
そんな国が、世界の中に存在する事も良い事だと思う。

DBig dikz

この言葉で検索すると、10ページ目に、私のブログが登録されている。

Seeing is believing.

私も、この諺と同じ気持ちだ。
私も男だが、このサイトを見る前は、Big Dikz を信じていなかった。
この大きさ故に、可能な体位があるだろう。
その楽しさを経験しないで、死んでしまう事は残念である。

以上、五つのサイトが、アメリカYahoo に登録されている事を確認した。

私のブログを「 S E X 」という言葉で検索する愚か者が日本にいるが、この四つのサイトを見れば分るように、「 S E X 」で検索しても、その言葉は何処にも使われていない。

A frog in the well knows not the great ocean.

隣国でも、日本のような検索はしない。
日本人は「SEX」しか知らない可哀想な人たちだ、と言われる理由だ。
隣国のインターネットの中では、ポルノは解禁になっている事を、日本人は、まだ知らない。

先日、記事に書いたように、私が知っていると書けば、即座にアメリカYahoo の支配内に組み込まれる。
これを利用して、最先端のサイトを報告すれば、また登録されるかも知れない。

これからも、私が楽しんだ残骸を残してアメリカYahooに登録させたいと思う。

私だけではなく、皆さんも、一緒に、海外サイトの最前線を探検してみませんか?

Nothing ventured, nothing gained.
posted by kandk55 at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | Yahooと私のブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月25日

2月25日・「とんかつ葵」

これは、私の日記ですから、無視してください。

2月26日のPM 18:00 、「とんかつ葵」店で、親睦会が開催される。
1980年の、区民室の構成メンバーと会う事が出来る。
28年前の、同僚だ。
年賀状の交換は、絶える事なく、28年間続いた。
返信を期待しない一方的な年賀状の投函だったが、相手からも絶える事なく返事が来た事は、相手も同じ気持ちだったのだろう。

アフターファイブと言い、28 年前は、お酒を飲みに繁華街へ行った。
休日は、ゴルフやマージャンなどの交流が有り、人的交流は濃厚だった。

今度、「とんかつ葵」で会う同僚は、私が入社した時の労働組合の幹部だった。
頻繁に、ストライキやデモ行進へ誘われた。
何も知らない私は、喜んで職場を放棄したのだった。

私は、言葉で、どれだけ書いても、体験には劣ると思っている。
懐かしいメロディの歌詞を読むよりも、歌詞が歌われている状態が、私の霊を喜ばせる。

そのように、実際、会って声を聴いたり、顔を見たりする事で、急速に昔に戻れる。

Seeing is believing.

この言葉は、見る事は素晴らしいと云う意味かも知れない。
しかし、私は、これを、言葉より体験が優れていると云う意味に解釈する。

追記

海外サイトについては、私も同じ意見だ。

Seeing is believing.
posted by kandk55 at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月24日

2月24日・禁煙

禁煙してますか?
私が、これまで書いたのは、禁煙したという体験が基本にあるからです。

病気になったから禁煙するのでは無い。
身体は、元気で、タバコを求めているのに、それを拒絶する。
知りながら、拒絶する。

一時間や一日間などの禁煙には、肉欲は沈黙しています。
「三日坊主」と言って、三日間ほど時間が経過すると、肉欲は、猛然と歯を出し、首を握り、タバコの自動販売機の前に連れて行こうとします。

この肉欲を抑える快感を手に入れましょう。

肉欲に抵抗すれば、必ず、何かを獲得すると思います。

霊の衝動を抑えて、霊の本来の喜びを手に入れるのです。
タバコを吸い、肺癌になるために如来様(Nyoraisama)が創ったのではない。
何か、使命を与えられていると思います。

「犬死」は避けますが、タバコを吸う事は「犬死」の実行行為です。

いままで、フィクションを書いてきましたが、禁煙するためには、フィクションによる思い込みでも、有用ならば使う方が良いと思います。

如来様(Nyoraisama)から与えられた身体に良いならば、騙されたとしても、実行した方が良いと思います。

犬死はしたくない。

I don't want to die in vain.

そう思いませんか?
posted by kandk55 at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 禁煙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月24日・世界内自分Uの追加

先ほど、限定の構造と書いた。
その続きである。

時間・空間・時代を限定されて、私の身体は存在する。
価値観を持った自分も存在する。

死後は、自分という存在が無くなるのではない。
価値観を担う自分は無くなるが、自分の死後も佛(hotoke)は、宇宙の塵として存在し続け、限定された自分は、誕生して死亡したという事実が文化に残される。

人間が生きている間に、食べ物を消化する過程で栄養を摂取して消化した残骸を残すように、良い事も悪い事も、その人が生きた状況は、後世に残るのだ。

それを言い伝えて、伝記が成立する。
言葉を知る事は、残骸を食べて栄養を摂取するのと似ている。
教訓として、言葉を未来に残すのだろう。

しかし、未来は自分が、食べる未知の食べ物である。
未知の物体を食べる時は、如来様(Nyoraisama)と相談して、食べる事が可能な物を食べる事になる。

私のブログは、苦いから、食べないように……。
posted by kandk55 at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月24日・世界内自分U

以前のフィクション。

私は、自分について考える時、如来様(Nyoraisama)が創った身体という塊が無い自分は考えられない。

言葉を信じないで、身体を重点にして関係を考えて、自分という枠を捨てる行為は、個人の範囲内であれば、肯定する。
この事を、他人に強要するのは、否定する。

身体を動かしている時、霊が喜ぶ事をするのは、個人が自ら決意し、自分だけが行為するのは肯定する。
しかし、霊が喜ぶと思う事を、他人に強要する事は否定する。

実行している者と実行させる者が、一つになって霊を喜ばせているのは、自分だけなら、肯定する。
他人の間では、それは存在しない。

なぜなら、如来様(Nyoraisama)は、同一物を同じ水準では、創らないと思うから。
それぞれに個性があると思うから。

思い込みや強要による行為は、許さない。

2月24日の記事。

私は、如来様(Nyoraisama)が創った佛(hotoke)と霊が融合して生命がある身体を形成していることは、否定しない。

強要は無いが、私が記事に書けば、思い込みという限定が入ることも否定しない。
だから、これを見た人が、私の考えに同調することは要望しない。
私が正しいとも思っていないし、私は人間の一事例と思って読んで欲しい。

思い込みや自分による限定が無ければ、知覚が成立しない。
眼があるから見えるのであり、耳があるから聞こえるというのは、私も同感する。
眼が無く、耳も無いのは、如来様(Nyoraisama)が創る前の塊であると思う。
思い込みは排除すべきだと思うが、記事にする以上、思い込みは避ける事は出来ない。

それを注意して見て欲しい。

自分と言う場合、時間や空間などと共に、生きている時代の文化、生まれた国の歴史、家族などの社会的状況など、自分の世界が、全部、如来様(Nyoraisama)が創った霊と佛(hotoke)の融合である生命がある身体を限定する。
そして、これを知覚して、文化を担って生きるように創られている。

これを、私の価値観と呼ぶ。
私の勝手な言い方で、自分の身体を成立させているのを限定と呼び、私が自分の身体を限定しているのを価値観と呼ぶ。
単純に、私と言う時、価値観による自分を言い、これが関係を帰属させる主体である。
価値観による死は、関係の解消で、自分の存在が無くなる事である。

関係の帰属主体の自分が死んで、身体は如来様(Nyoraisama)の手元に戻り宇宙の塵になっても、生まれて死んだという事実は、歴史や記録として残っている。

これを、私は勝手に、限定の構造と呼ぶ。

今、思ったから書く。
posted by kandk55 at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月23日

2月23日・ネットの中の私

私が、2月23日、「ドラえもんのび太と夢幻三剣士」について記事を書いたら、登録されてしまった。

私は、しばらく、Google 社の検索で、遊んでいた。
そして、考えた。
「のび太」は、「私」かも知れない。
夢世界では、現実世界で駄目な人ほど、英雄になれると言う。

「夢世界」を、インターネットの世界。
「現実世界」は、実社会での生活。
「私」の能力は、両世界に共通する。

以上のように仮定すれば、「のび太」は「私」になる。

インターネットで、アメリカYahoo に登録されても、実生活には、何の影響も無い。
やはり、「のび太」は「私」だ。

「のび太」は、白銀(sirogane)の剣を手に入れた。
「私」はどうか?
インターネットで何か手に入れたか?
何も無いではないか。

一つだけ判明した。
それは、私が「のび太」を見たと書いたら、私のブログが「のび太」の領域に入って、私のブログが、彼の述語になってしまった事だ。

私のブログに書いて、「のび太」を私の述語にしたら、反対に「のび太」の述語になってしまう。
自分の意見が、世界の文化の一つに組み込まれてしまう。
これが、世界の文化の中で自分の文化を使う事だろう。

小さな体験をした。

インターネットで、白銀(sirogane)の剣を持った「のび太」のつもりで、独断と偏見で、記事を書くので、注意して見て欲しい。
posted by kandk55 at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月23日・Quickie Fuck.com

久しぶりに、海外サイトを閲覧しました。
私の存在が、アメリカYahoo に忘れられてないかと心配になり、調べました。

「 Qickie Fuck.com 」です。

2月13日に書いた、私のブログの記事が、8ページ目に登録されていました。

日本語のブログは、私のブログだけというのは、以前と変化がありません。

皆さん、知っているのに、書かない。
現在でも、私のブログを「 SEX 」という言葉で検索するのに、「 Quickie Fuck.com 」を見たという報告は無い。

アメリカYahoo のサイトで検索すれば、動画は無理かもしれませんが、静止画は見る事が出来ます。

Nothing ventured, nothing gained.

もう一つ、書きます。

Only one who knows can really appreciate it.
posted by kandk55 at 05:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月23日・ドラえもんのび太と夢幻三剣士

私の好きなアニメで「ドラえもん」シリーズがある。
その中で、「ドラえもんのび太と夢幻三剣士」に興味がある。


1994年の映画で、ダルタニャン物語をベースにしたフィクションで、「ドラえもん」シリーズで、唯一、明確に死が描かれた作品である。

夢の世界と現実の世界を混ぜた物語で、夢世界では現実世界で駄目な人ほど素晴らしい英雄になる事が出来る。

あらすじ

夢世界で、「ユミルメ国」が「妖霊大帝オドローム」により、滅ぼされようとする。
「ユミルメ国」には、白銀(sirogane)の剣士が現れて、国を救うという伝説があった。
その伝説の人に、一番脆弱な人間を選ぶために、「オドローム」が現実社会に使者を派遣して「のび太」を選ぶ。
「のび太」が夢の中で「ユミルメ国」に行き、天上で輝く白銀の剣を手に入れ、白銀(siroganene)の剣士になり、「ジャイアン」や「スネオ」を率いて、「ドラえもん」の不思議な力を借りて、女王の「シズカ」と共に、「妖霊大帝オドローム」を滅ぼす物語である。

アニメを見る手段。

この作品については、Wikipedia に説明があるので、興味を持った人は見て欲しい。

無料動画のYouTube にも、区切った内容だが、アニメを見る事ができる。

どうして興味があるのか?

その白銀の剣が、「仏性」だと思うからだ。
リンクの「 ココロちゃんとおじさん 」に、主題歌を掲載している。
Google 社で検索した場合の、YouTube の動画である。
良い歌だと思う。
posted by kandk55 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月22日

2月22日・世界内自分U

私の考えは、危険な考えかもしれない。
そこで、考えた。

私は、自分について考える時、如来様(Nyoraisama)が創った身体という塊が無い自分は考えられない。

言葉を信じないで、身体を重点にして関係を考えて、自分という枠を捨てる行為は、個人の範囲内であれば、肯定する。
この事を、他人に強要するのは、否定する。

身体を動かしている時、霊が喜ぶ事をするのは、個人が自ら決意し、自分だけが行為するのは肯定する。
しかし、霊が喜ぶと思う事を、他人に強要する事は否定する。

実行している者と実行させる者が、一つになって霊を喜ばせているのは、自分だけなら、肯定する。
他人の間では、それは存在しない。

なぜなら、如来様(Nyoraisama)は、同一物を同じ水準では、創らないと思うから。
それぞれに個性があると思うから。

これは、クローンの問題についても、同じ考えを採用する。

思い込みや強要による行為は、許さない。

これで、どうだろうか?
posted by kandk55 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月22日・世界内自分と戦死T

これまでのフィクション。

「死」とは苦しみからの脱出方法ではなくて、如来様(Nyoraisama)が、池から天上界へ戻り、霊と宇宙の塵に分離するだけであり、霊は消滅しないで、天上界に戻るのか、あるいは現世で次の身体と融合するのかも知れない。

「あの人は、誰かの生まれ変わり」と言うように、身体という宿舎を変えるだけかも知れない。
いずれにしても、如来様(Nyoraisama)は消滅しないかも知れない。
現世では、「自分の死」は、この世の中から消滅すると思っている。
「自分」は無くなるかもしれないが、つまり自分という限定された生命は無くなるかもしれないが、霊は「自分」から分離して存続すると思う。

2月22日・世界内自分と戦死T

「自分」は無くなるかもしれないが、つまり自分という限定された生命は無くなるかもしれないが、霊は「自分」から分離して存続すると思う。


以上の所を、後日の記事で、霊が自分の身体に生命として現れた使命を果たす時、自分という限定された命を失う事を肯定した。


死は如来様(Nyoraisama)に戻る事だと思うが、私の考えが、違う方向に進む心配がある。
だから、私のフィクションは未熟で危険な遊びだと思う。

それは、「天皇のため」とか「民族のため」とか「死んで神になる」とかである。

戦争やテロ行為に利用される心配である。

日本には、第二次世界大戦中に、「神風特攻隊」という、自殺行為とも考えられる戦法があった。

死を考える時、「神風特攻隊」についても書かなくてはならないだろう。

私の父は、陸軍の兵士だった。
ビルマで、足を弾丸が貫通して、野戦病院に収容されて終戦を迎えたが、父は、戦争について多くは言わず、死んだ。

「神風特攻隊」の遺品が展示されている知覧市に行った事も無いし、ビデオを見たのでもない。
子供の頃、プラモデルを作る時に、「零式戦闘機」や「戦艦大和」などに少し興味を持っただけで、詳しく調べた事はない。

私は、戦争の内容はネットで調べる程度に書いて、戦死や平和について書くことにする。

私は、戦争についての専門家でも無いし、宗教家でもない。
戦争を知らない世代なので、フィクションで終わると思う。

私のブログでは、「憲法九条」のカテゴリーも作っているし、フィクションで終わるが、戦争に反対する一つの考えとして書こうと思っている。
posted by kandk55 at 04:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月21日

2月21日・富永恭次(tominaga kyouzi)

Wikipedia で、この言葉を調べてください。

後日、感想を書きます。


富永恭次


東條英機の腰巾着


特別攻撃隊(特攻隊)


敵前逃亡


日本の陸軍軍人



「ヤフーグル」で調べる時
    ↓
http://www.yahoogle.jp/
posted by kandk55 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月21日・世界内自分

これは、フィクションである。
これまでの記述。

自分は、時間も空間も限定した世界に、塊を投げ込むように誕生する。
誕生により、自分は自分の周囲を、都合の良いように限定するのかも知れない。
世界内で、様々な述語で、自分を規定し、自分を関係の中心に置いて関係から生まれた果実を帰属させる。
そして、帰属の関係が逆転する物を自覚する。
「私はあなたの物だ」
如来様(Nyoraisama)が、佛(hotoke)へ導く物、仏性として現れると考える。
導く物が、仏性で、それが「くもの糸」かも知れない。

2月21日・世界内自分

如来様(Nyoraisama)が、霊(rei)と佛(hotoke)を融合した生命を持つ身体を誕生させる。
これは、如来様(Nyoraisama)の行為で、人間の誕生は偶然と思えるが、必然かも知れない。

私は、自分の「思い込み」で、自分を規定している状態を「限定」と書いている。

時間とか空間と言うが、人間が決めた約束事であり、社会の共通の約束事かもしれないが、主観的には違う定義をする事も可能だと思う。
「同時性」が相対的で、人は体内時間を持っていると言われている。
体内時間の感覚は個人的で、何に対して過去や現在、そして未来と順序を付けるかも個人的であるかも知れない。
過去の物も未来の物も、「同時性」に現れるかも知れない。
次元も、四次元と言われるが、説明上は都合が良いというだけで、如来様(Nyoraisama)の世界は何次元かは不明だ。
言葉を使う時、私の普通の感覚で当たり前と思い込んでいる部分について他人に共感を要求し、共感すると思い込んでいるのかも知れない。

それが、如来様(Nyoraisama)に向かっては、言葉は無力なのだ。
外国人と話す様に、共感を前提とする事が出来ない。
それどころか、物理的な尺度さえも如来様(Nyoraisama)との対話に使えない。
何億の彼方が、目の前だとも言える。

身体は如来様(Nyoraisama)だから、身体を使って如来様(Nyoraisama)と対話するしか方法が無い。
宗教には、行為や儀式が必要なのは、それが理由だろう。
何を対話するのか?
霊が身体を宿舎にして、誕生した使命を果たす必然性を対話して知るのだと思う。
それは、自分のオリジナルな物の発見だろう。
如来様(Nyoraisama)、私は何をするために誕生したのですか?
それが、仏性を発見する事だろうか?
私の身体を宿舎にした霊を喜ばせる事をするのが仏性に近づく事なのか?

自分の命が無くなるのを悲しむのではなく、私の身体を宿舎にしている霊が、宿舎に選んだ必然性を果たして身体から分離する事を問題にしたい。

自分の身体は、自分が作ったのではない。
自分を自分で社会的に規定しない方が良い。
自分は、他人ではない。
他人にもなれない。
自分という個人が持つ思い込みを排除して、自分の使命を探す方が良いかも知れない。
私は、それが可能とは言わない。
それが、仏性を探す事だろうか?

私は、まだ迷っている。
何時になったら、「くもの糸」を手に入れる事が出来るだろうか?
迷っている魂である。
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2008年02月19日

2月19日・世界内自分U

ようこそ、私のフイクションへ。
2月19日に書いた記事を見た人がいるので、続きを書きます。

V、自分
仏陀は、過去の人である。
例え、現在、生きていると仮定しても、行為や言葉は、霊と如来様(Nyoraisama)の融合した身体から出た物であり、その瞬間、嘘が入る。
言葉は、余分な物を捨てて合理的にならなければ、道具にはならない。
万物は流転し、条件は全て違うから、後世に残された物語もフィクションかも知れない。

自分は、時間も空間も限定した世界に、塊を投げ込むように誕生する。
誕生により、自分は自分の周囲を、都合の良いように限定するのかも知れない。
世界内で、様々な述語で、自分を規定し、自分を関係の中心に置いて関係から生まれた果実を帰属させる。
そして、帰属の関係が逆転する物を自覚する。
「私はあなたの物だ」
如来様(Nyoraisama)が、佛(hotoke)へ導く物、仏性として現れると考える。
導く物が、仏性で、それが「くもの糸」かも知れない。

これは、今、考えたフィクションです。
こんなフィクションは、お好きですか?
posted by kandk55 at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月19日・世界内自分

昨日の終わりは、以下の通りです。

自分と言う時、社会的には限定ですが、神様や如来様(Nyoraisama)に対して自分とは何か?
その時の自分は、限定ではなくて、如来様(Nyoraisama)自身かも知れません。



私のフィクションでは、「くもの糸」とは違ったストーリになります。

「くもの糸」の罪人は、生前に行った善行を如来様(Nyoraisama)が認め、天上界へ上る「くもの糸」を、罪人のいる池に下げて、罪人が登る事を可能にしたのですが、私の結論とは違って来ます。

T、私のフィクション。

池も、如来様(Nyoraisama)が創った物であり、それは宇宙の塵と霊を融合させた、現世であり、如来様(Nyoraisama)が立つ場所と同一の次元(?)であり、天上界に存在する池である。

人は、その池の中で、関係という波の中で苦しむ。
立てば、関係を断つ事が出来るかもしれない。
歩いて池を出るとか、泳いで池を出るとか、苦しんでいる池から出る方法があるかも知れない。

あるいは、脱出方法を考えるのではなく、UFO が宇宙に浮くように、如来様(Nyoraisama)から与えられた身体で、宇宙、即ち天上界に浮く事が出来るかもしれない。

「くもの糸」は、善行した人に如来様(Nyoraisama)が与える物かもしれないが、その「くもの糸」が、苦しんでいる池の中に存在するかも知れない。
あるいは善行をした特定の人だけでなく、池に投げ込まれた生まれた人間には、全ての人間に与えられているのかも知れない。

理由は、「仏性が全ての人の中にある」からだ。
生きている時、仏性を自覚した時あるいは仏性の中で生きる時、佛(hotoke)になって、天上界に浮く、即ち成仏(zyoubutu)出来るかも知れない。

「自分」という言葉が、社会的には帰属を示すが、如来様(Nyoraisama)には、子を産んだ親と同じような関係かも知れない。

U、「死」について。

「死」とは苦しみからの脱出方法ではなくて、如来様(Nyoraisama)が、池から天上界へ戻り、霊と宇宙の塵に分離するだけであり、霊は消滅しないで、天上界に戻るのか、あるいは現世で次の身体と融合するのかも知れない。

「あの人は、誰かの生まれ変わり」と言うように、身体という宿舎を変えるだけかも知れない。
いずれにしても、如来様(Nyoraisama)は消滅しないかも知れない。
現世では、「自分の死」は、この世の中から消滅すると思っている。
「自分」は無くなるかもしれないが、つまり自分という限定された生命は無くなるかもしれないが、霊は「自分」から分離して存続すると思う。

その死ぬ時に、如来様(Nyoraisama)が「お迎え」してくれるなら、嬉しいが……。
posted by kandk55 at 03:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月18日

2月18日・世界内自分

私が先に書いた記事を読む人がいないのなら、明日、書こうと思っていた話です。

昔、日本に、芥川龍之介という偉い小説家が「くもの糸」という短編小説を書きました。

皆さんも、お読みになったと思います。
私も読みました。
読んでない人は、読んだ方が良いでしょう。

その感想ではありません。
私は、フィクションTの中で、自分という言葉は、帰属を示す言葉だと書きました。

私は、「くもの糸」の池の中に投げ込まれた事は、誕生したという事だと思うのです。
池は、万物が流転する現世と同じで、投げ込まれた時の波紋が、関係かも知れません。

一つの関係の中心が「自分」だと思います。
様々な関係から生じる結果を帰属させるのが、生身の自分、如来様(Nyoraisama)から創られた身体です。

時系列でも空間的にも、自分という言葉で、流転する世界を、自分の身体で限定して、自分に与えるのだと思います。

自分と言う時、社会的には限定ですが、神様や如来様(Nyoraisama)に対して自分とは何か?
その時の自分は、限定ではなくて、如来様(Nyoraisama)自身かも知れません。
posted by kandk55 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月18日・アメリカYahoo と私のフィクション

フィクションTやフィクションの要約を書いたが、検索サイトの反応を調べた。

アメリカYahoo の登録状況について。

@「 Nyorai 」 という言葉で検索した。
発見する事が出来ない。
そこで、「 Nyorai kandk 」で検索した。
登録されている。
もう一つ「 Nyoraisama 」で検索すれば、私のブログだけが登録されていた。
私が造った言葉だった。
これから、「 Nyoraisama 」を私のブログのキーワードにする。


A「 Risyukyou 」では、珍しいのか、私のブログが9番目に登録されていた。


B「 hotoke 」という言葉ではなく、「 hotoke kandk 」で私のブログが出て来た。


C「 佛 」という言葉では容易に私のブログは出て来ない。
「 佛 kandk 」で、私のブログが出て来た。


D「 フィクションT 」で検索すれば、私のブログが出て来る。

「 フィクション kandk 」でも、私のブログが出て来る。


結論

私が書いた「フィクションT」は、使用した言葉を調べると、アメリカYahoo に、一つのフィクションと見られていると思います。

これは、私の禁煙の体験を元にして、私の独断と偏見を持って書いた作品で、今後も、更に展開する事が予想されています。
アメリカYahoo に登録されるとは光栄に思います。
これからも、思う事を書きますから、期待せずに楽しんでください。

Heaven helps those who help themselves.

不適当かな?
posted by kandk55 at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | Yahooと私のブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする