2008年05月31日

5月31日・You Tube が好きですか?

アクセス解析を見ると、You Tube の検索が多い。
    ↓
「 You Tube 無料 無修正 」
http://search.yahoo.co.jp/search?p=You+Tube+%E7%84%A1%E6%96%99%E7%84%A1%E4%BF%AE%E6%AD%A3&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8



You Tube は、無料で無修正だが、この検索している人は、何を探しているのだろう?

「Adalt」などの検索語を使う人もいる。
何を見ているのだろう?
「Adalt 」を求める人は、Adalt ではない。


「You Tube 」などの画面は、海外の他のサイトに多く存在する。

USA が好きでないならば、オランダのサイトもある。

オランダのサイトの内容
   ↓
Sletje word van onder gelik
Ze geeft een showtje bij de bure
Als de gymleraar haar nou eens apart na
Gina wil alleen boven o
Een beurt op de WC van examenfees
In bad pijpt ze hem heerlijk klaar
Haar stevige tienertieten worden verwen
Katja krijgt een lift op zijn harde paa
Lekker vers modelletje die nog alles doe
Zwarte mannen met groot en lang vlee
Blond en geil, gaat helemaal lo
Ze zijn jong puntig en geil, Studentenborste
cindy probeer haar speeltje ui
Tienertje zuigt en neukt erop los
Een lekkere latex lul in haar Praagse Poe
Sletje laat zich voor 500 afpale
Een lange plastic lul in haar natte poesj
Ze zuigt haar vriendje a

これは、無知な人に、オランダのサイトの内容を紹介しただけで、文章の最後の一文字は省略した。


Nothing ventured, nothing gained.

そして

Rome was not built in a day.

今日も、英語の諺を披露した。

良いブログだ。
posted by kandk55 at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月31日・WHO 世界禁煙デー

これは、タバコを吸い続けると発生する場合が多い病気です。

COPD (慢性閉塞性肺疾患)……気道の空気の流れが慢性的に悪くなる病気の総称

@肺気腫

@は、肺でガス交換(酸素を入れて二酸化炭素を出す)を受け持つ「肺胞」の壁がこわれて、数個から数百個の肺胞が袋のようにつながり、空気を吸っても肺胞が十分に広がらない。そのため、呼吸が苦しくなる。

A慢性気管支炎

Aは、気管支が弾力を失い、タンが増えて空気の通りが悪くなり、呼吸が苦しくなる。

症状

a>坂道や階段を上がると、ひどく息切れがする。

b>呼吸すると、「ゼーゼー」「ヒューヒュー」と音がする。

c>風邪をひいてないのに、セキやタンが出続ける。

c>歩いたり、走ったりすると息苦しさを感じる。

世界で、死亡原因の第四位。
日本では、死亡原因の六位。
患者の約90%が喫煙者
特に、40歳以上で、喫煙歴が、10年以上が危険。

禁煙しよう

仕事のために、自分の身体を犠牲にするのですか ?

会社は、褒めてくれますか ?

健康は、自己管理です。

病気になれば、金銭的にも肉体的にも苦しいですよ。

私は、死にたくないから、禁煙するのではありません。

依存する事を止めるのです。

自分の意思で、欲望をストップさせた経験を持つと、自分に自信がつきます。

Heaven helps those who help themselves.
posted by kandk55 at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 禁煙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月30日

5月30日・人生とは、死とは(SEX)

性については、以前、考えた事から、進展していないので、その記事を掲載する。

Big Dikz
   ↓
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=t&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4SUNA_jaJP253JP254&q=Big+dikz

私のブログが、「 SEX画像 」として検索の上位に登録されているし、毎日、それを検索する人が多い。
人間の性器や「SEX」に関しては、共通の話題で、賛否が別れると思うが、私の考えを書く。


2008年4月23日の記事。

私は、自分の努力では何も達成する事ができない身体的な物。
例えば、人種や肌の色や身体の構造を、如来様(Nyoraisama)が与えた個性と考えます。
その中に、「本能」を含んで考えます。
例えば、性欲や食欲や睡眠などの生命維持のために必要な物です。
それを、「精神」ではなくて、「宇宙」の中に入れます。
これは、学問的には、間違いかも知れませんが、今は、そう思います。

「性欲」自体は、非難すべき悪い事では無いと思います。
如来様(Nyoraisama)が与えた子孫を残す方法ですから、社会の規範や道徳で非難するのは間違いです。
裁判官も道徳者も、教育者も、性器をもちSEX して子孫を残しています。

私のフィクションを発展させると、抑制しなくてはならないのは、「性欲」が「精神」に発展する事です。
「精神」は「意識」ですから、性欲を意識する事を抑制する事です。
性欲だけで精神が無い行為は、動物の行為と同じと考えます。
これは、私のフィクションでは、許されます。
許されないのは「性欲を意識して、発散させる事」です。

如来様(Nyoraisama)が創る物を「宇宙」と呼ぶ。
男性の身体は如来様(Nyoraisama)の「宇宙」で、射精された女性の身体も「宇宙」で、受胎も「宇宙」。
その中に、「神経の刺激を快感と感じる精神」を持つことが、「射精」に必要かも知れないが、「宇宙」に対しては価値が低い事だと思う。
価値の低い「快感」という精神を追求しても、それは無限に大きくなるから、抑制すべきだと思う。

それが、

Big Dikz でも小さなDikz でも、小便や生殖が可能ならば、悩む必要は無い

という理由である。

快楽という「精神」を楽しむならば、「Big Dikz」を好むのは、当然かも知れない。
しかし、快感という精神は、肉体の刺激だけで達成されるのではない。
「自分は、他人とは違った、特別の行為をしている」という意識も、精神の中に入るだろうし、「小さなDikz」でも、愛情で「快感」と感じるかも知れない。
あるいは、Animal を相手に行為するアブノーマルな行為で快感を感じるかも知れない。
他にも、快感は得られると思うから、「精神」の領域は、無限大と思う。

5月30日の記事。

性器の摩擦による刺激が、脳に伝達されて、射精をさせて子孫を残す事は、動物に許された子作りの快感である。
動物は、発情期に支配され、生理の周期を考えたり、快感だけを追及する行為はしない。

人間は、Big Dikz を求めたり、コンドームを使ったりして、快感という「精神」を追求する。
「生殖行為」から「快感」という精神を楽しむ。

私は、夜を昼のように明るくしたり、夏と冬を冷暖房で調整するように、「生殖」という如来様(Nyoraisama)という「宇宙の力」を、人工的な装置でオモチャにしていると思う。
原始生活に戻れとは言わないが、人工的な産物で楽しむ間に、命を尊重する気持ちや、地震の予知などの「宇宙の力」は、自分から無くなるかも知れない。
仏教で「中道」という言葉を聞くが、違う意味だと思うが、人間と動物の「中道」としての考えを持つのが良いと思う。


学校の性教育も、「生理」を教えて、快感を追求する方法ではなくて、命についての教育が必要だと思う。


それと、AnimalのSEX動画を見ると、出演する人間は、人間の限界を見せてくれるから、貴重な画像である。
しかし、人間に調教されたAnimalが、発情期に交尾するという自然の摂理から離れ、人間の欲望のままに交尾かる姿を見る時、動物の哀れさを感じる。

動物を愛するならば、自然の摂理に従った飼育法をした方が良いと思う。


Poor thinking is as good as no thinking.
posted by kandk55 at 03:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

5月28日・人生とは、死とは(生きる)

2008年5月26日の記事に、こんな事を書いた。

「世界」の中に如来様(Nyoraisama)は存在しない。
「世界」を創るのが如来様(Nyoraisama)だ。
……(省略)……
私は、「小さなDikz」で書いたように、自分の努力で解決する事が出来ないのは、「個性」として受け入れる態度である。

2008年5月28日の記事

生きる事については、独り言Tの要約などで、書いて、繰り返しになるが、少し考えた。
これは、フィクションであり、同調を期待しない。
いつものように、独断と偏見で書く。

「世界内自分」は、権利義務の帰属として「自分」を考えた。
如来様(Nyoraisama)から与えられた身体を「自分内世界」では与えられた物として如来様(Nyoraisama)に不満を言わないが、「世界内自分」では、「人類としての自分」として、人類の特殊な自分を正当に扱うように要求する。
「小さなDikz」であっても、平等な扱いを社会に要求する。

社会には、平等な扱いを。

如来様(Nyoraisama)には、感謝を。

どうして感謝するのか?

これは、フィクションであり、間違っているかも知れない。

それは、如来様(Nyoraisama)が、自分の身体を選び、修行、あるいは夢を見ているからだ。
自分を選んでもらった事に感謝する。
そして、自分の「苦」のように思えるが、それは如来様(Nyoraisama)の「苦」が自分の身体の上に現われていると思い、「自分」の「苦」だとは思わない。

それは、「自分」が選択する余地が無いものであり、責任は如来様(Nyoraisama)にある。

これは、自分の力では解決する事が出来ない事は、受け入れる態度であると思う。

自分の姿は、如来様(Nyoraisama)が修行する姿だと考える。
すると、人生が「苦」であっても、それは如来様(Nyoraisama)の「苦」であり、死によって、終止符を打たれても、無念という気持ちは無くなるのではないかと思う。

これは、健常者が言う、つまらない事かもしれない。

Poor thinking is as good as no thinking.

posted by kandk55 at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月27日

5月27日・ブログに求めるモノ

これが、2008年5月27日9時51分、現在で私のブログに求める事項である。

1 RSS  
2 土曜日・SEX 画像
3 木曜日・老人SEX画像  
4 /m24658/pages/user/m/article  
5 /m24658/pages/user/m/comments/regist/inp..
6 /m24658/pages/user/m/comments/regist/lis..  
7 /m24658/pages/user/m/tb/regist/input  
8 トップページ  3.8% 15 22
9 日曜日・無料・無修正サンプル動画  
10 /m24658/archives/5236700.html  

「悪徳の為せる業」というか、私の過去の記事に対する評判である。

Sexに関する興味が、異常に高い事が、事実として現われている。

私が、Sex について、積極的な事を言うと思っている人が多いのに驚く。
私は、検索する人以上に、海外のSEXについて、画像も動画も、豊富に持っている。
それを、感じている敏感なSEXが好きな人が検索しているのだろう。

貴方は、成人なのか?
どこの大学を卒業しているのか?
夫婦なのか?

私が、これまで、「人生とは、死とは」と問い続けてきたのに、これがその反応か。

日本民族が、この程度の興味なのか。
戦死した、神風攻隊員が泣いていると思わないのか。
何のために、戦死したのか。

私は、知っている。

貴方は、SEX しか知らない事を。
posted by kandk55 at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月26日

5月26日・人生とは(如来様)

今日、TV のニュースで、若くて美人のアナウンサーが自殺したと報道していた。
それで、「死とは」をタイトルから外すことにした。

さて、フィクションの如来様(Nyoraisama)について理屈を考える。

想像して得られるイメージは、S F 作家に任せる。
それ以上のイメージを、私は持っていない。
「世界」の中に如来様(Nyoraisama)は存在しない。
「世界」を創るのが如来様(Nyoraisama)だ。

最近、四川省の地震が話題になっている。
地震も、サイクロンも、地球温暖化も、「宇宙」の問題だ。
その力が、「宇宙の力」であると思う。
太陽からエネルギーを得て、育つ樹木は、どうした。
動物は、どうした。
樹木は、サイクロンの力の前に倒され、動物は地震から逃げた。
「南無阿弥陀仏」と言って、自分は全部、阿弥陀の物だと祈る人間はどうした?
阿弥陀仏が助けてくれたのか?
倒されるでも無いし、逃げるでもない。
逃げられずに、死者が出た。

私は、「小さなDikz」で書いたように、自分の努力で解決する事が出来ないのは、「個性」として受け入れる態度である。

地震も、サイクロンも、地球温暖化も、「人類としての意識」で受け入れるが、逃げるならば、もっと早く、他の動物よりも早く、逃げられないのかと残念に思う。
人間は、霊長類の王様だから、それくらい知恵がほしい。
それと、地球温暖化だが、科学が発達しても、樹木の「葉」一枚が作れないのだろうか?
大規模な「葉」を作れば、酸素も作れるし、炭酸化物も作れて、食料難も、解決するのではないのか?
何か、行動しないと「人類の絶滅」も考えられる。
「絶滅」は、自然界に珍しい事ではない。

砂漠に育つ樹木とか、あるいは、小学校で学んだが、光合成が可能な「葉」を人工的に作る事は出来ないのか?
これらを、自由自在に創る人は、「神様」だろう。

如来様(Nyoraisama)は、全てを創る「宇宙の力」で、人間に解決不能な現象して現われると思う。

仏教が、「精神世界」ならば、如来様(Nyoraisama)は存在しないと思う。
存在を祈る身体を宿舎にして、眠っている。
posted by kandk55 at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月26日・人生とは、死とは(夢)

妄想は、ここから始まった。
2008年5月21日の記事。

「死は、リセットである。それは夢の終わりである。それは如来様(Nyoraisama)の夢の終わりである。私の死により、夢から目覚めた如来様(Nyoraisama)は、私の身体から離れて、また別の人体で夢を見られるだろう」

半覚斎さんのブログを拝見して、「どうして夢なのか?」について、再び説明する必要があると思います


考えている間に、自分は間違っているだろうと思いますが、説明をします。


生きている事が如来様(Nyoraisama)の夢という私の理屈。

独り言Tで書いたように、「宇宙の塵」が人体で、「宇宙の塵」を含まないのが「精神世界」です。
人生は、「精神世界」を自分中心に考えた、終わりが有る世界です。

日常の夢

脳は「宇宙の塵」で、生きている間は活動を続け、眠ると、私は、「精神世界」の夢を見る。
夢の中では、目覚めた生活の断片が、因果関係を無視して結合されて、思いもしない結果になる。

如来様(Nyoraisama)の夢

勿論、私の脳や夢は、如来様(Nyoraisama)の夢とは違うが、「宇宙の塵」と「精神世界」を融合するのが「宇宙の力」つまり如来様(Nyoraisama)だと考える。
目覚めた如来様(Nyoraisama)の領域は「精神世界」など必要とせず、「精神世界」が無くても、「宇宙」は存在すると思う。
人類が滅亡すれば、「精神世界」は無くなるが、「宇宙」は存在する事は必然だろう。
「宇宙」は「精神」が無くても存在する。
「宇宙」は、絶対的因果関係だが、「精神世界」は相当的因果関係しか知らない。
「自由意志」と言って、人間の勝手で、「宇宙の塵」や物事を結合する。
如来様(Nyoraisama)からは、これは「悪夢」であると思う。
大きい物体も小さな物体も、完全には見る事が出来ない。
科学は、万人に共通だけど、守備範囲は、人間だけである。
そんな「精神世界」が「宇宙」と同等には考えられない。


人類誕生については、知らないが、何かの偶然だと思う。
「宇宙」の必然として、人類が誕生したのではないと思う。
釈迦やキリストが、「精神世界」に「宇宙の力」を表現したから、彼らは「神」として扱われる。
それは、「精神世界」は「宇宙の力」では無い事だと思う。
「精神世界」が間違っているという意味で、「宇宙の力」の「夢」だと書いた。
素晴らしいという意味の「夢」ではない。


「精神世界」の真ん中を生きている自分は、如来様(Nyoraisama)を中に埋めたまま、勝手に生きている。
これは、如来様(Nyoraisama)の夢を体現している事であると思う。

昨日、TV で放送していたが、クリーブランドの氷河が全部溶けると仮定すれば、海面が6メートル程、上昇するという。
如来様(Nyoraisama)、つまり「宇宙の力」で「精神世界」を充満させないと、人類の破滅も有るかも知れない。

Poor thinking is as good as no thinking.
posted by kandk55 at 06:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月25日

5月25日・半覚斎 様 へ感謝

今日、半覚斎様のブログを拝見させて頂きました。

ブログのタイトルは、次のとおりです。
カテゴリーは、「独り言」で、私のブログと同じです。
Yahoo USA にも、紹介されています。


 「 半覚斎閑時種 」


私は、仏教については、念仏会で講話をお聞きするぐらいで、勉強はしてません。

しかし、父母の死や上司の死を見て、私は死ぬ前に、人生とは何か、死とは何かについて知識を持っているならば、私が死ぬ時に私を看取る妻や子に何と言えば、私の気持ちが伝わるか便利だと思い、ブログを書いています。

私が、脳梗塞や心筋梗塞のために身体が麻痺して、言葉が出ないとき、あるいは死ぬ間際のとき、僧侶が私に説法し、私が「ありがたい。私も仏になれる」と言って死ぬのが理想でした。

しかし、人を頼ってはいけない。
人には、それぞれ事情がある。

それでは、自分が納得するように理屈を考えようと思ったのが、このブログでした。


仏教に興味を持った人は、「 半覚斎閑時種 」の半覚斎さんのブログを見てください。


私は、私のために、このブログをフィクションという形で書いているのです。
老人になれば、有ることも無いことも、混在させて話を作る傾向があります。
私のブログが、それに該当します。

仏教の教えは、間違った道では、到達しないと思います。
私は、迷いながら、記事を書いています。
皆さんの参考には、なりません。
用心して、閲覧してください。
posted by kandk55 at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月25日・Kay Parker とflv

アクセス解析を見たら、GoogLe 社の検索結果を発見した。
      ↓
http://www.google.co.jp/search?q=taboo+kay+parker&sourceid=navclient-ff&ie=UTF-8&rlz=1B3GGGL_jaJP215JP215


「 taboo kay parker 」で検索すると、私のブログが、Google 社では二番目に登録されている。

その記事は、昔の記事で、現在は少し事情が違う。

今日は、●ビデオ.コムという会社が、フラッシュ・ビデオ形式で、「TABOO U」を配信しているのを観賞した。
You Tube と同じ形式のフラッシュ・ビデオなら、MEGAROTIC という会社でも、サンプル動画を見た事がある。


貧乏で語学力もないから、有償サイトに加入しないのは、変わらないが、フラッシュ・ビデオ形式の無料で無修正のビデオを観賞するのが、以前とは違っている。

今までの四つの場面ではなくて、ストーリとして楽しめる。
それに、以前、Picture で見た場面を動画で見る楽しみが加わった。

「 TABOO U 」のフラッシュ・ビデオは長編だった。
音楽が流れる中で、想像もしなかったサイズのBig Dikz が Fuck する場面は、その種の劇場で、ショーを見いているような感じがした。
語学力が不足のために、女優が何を言ってるのか理解する事が出来ないのは、残念だ。

以前も書いたが、このフラッシュ・ビデオ形式は、今後も増えるだろう。
ストーリとして楽しむ事が出来る。

私のブログを「 You Tube 無料動画 無修正 」で検索している人を、今日も発見したが、どうして海外を探さないのだろうか?

いや、そうではない。

パソコン歴が浅い私が、無料で無修正の動画を見ているのだから、大人の日本人は、既に、知っているのだ。
隣国も、その種のビデオには積極的で、日本のビデオに隣国の文字の解説が付いている。

日本人は、内気で恥ずかしがりやだから、無修正を見ていても、見ているとは言わないのだろう。

インターネットで、日本人の無料で無修正の長編ビデオを見たいと思うが、私が死ぬまでに見る事が出来るだろうか?
posted by kandk55 at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | Teen・Mature・Granny | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月25日・人生とは、死とは・人生

5月21日、このように書いた。

「死は、リセットである。それは夢の終わりである。それは如来様(Nyoraisama)の夢の終わりである。私の死により、夢から目覚めた如来様(Nyoraisama)は、私の身体から離れて、また別の人体で夢を見られるだろう」

5月25日、人生について

私のフィクションから考えると、人生は如来様(Nyoraisama)が人体を通して、この世で夢を見ている歴史だという事になる。

私が、人生の中で物事を解決する際、「自由意志」で決定しただろうか?
(「自由意志」については後日考える)
親の意見や教師や友達など、「人類としての自分」の意志で、決めて生きて来た。
しかも、因果関係を考慮して生きて来た。
それは、「宇宙の理法」を利用する事であり、全くの「自由意志」ではない。
過去を思うと、全て人に助けられながら、綱渡りの状態で、人生を歩いてきたのだ。

その事は、私の人体の根底に如来様(Nyoraisama)が眠り、如来様(Nyoraisama)が選択したといえば、責任回避になるだろうか?

「小さなDikz」でも書いたが、自分が努力しても変える事が出来ない物がある。
それを個性と考えたが、それは如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙の塵」であり、自分の選択ではない。

如来様(Nyoraisama)は、人生のスタートの時に、既にその人の人生の物語を決めているのだと思う。
障害を持つ人のブログを閲覧すると、私が如何に恵まれているかを教えられる。

その個性を、如来様(Nyoraisama)がその姿になって、夢を見ている。
夢を見ているという意味は、「現実の生活に忙しい、つまり現実の生活の中で自分の使命に従って生きていないという事」である。
夢を夢だと知り、夢から脱出しようとする事は、如来様(Nyoraisama)のように行為しよう(成仏(zyoubutu)しよう)とする事だと思う。

私の過去の人生を取り戻す事は出来ないが、人生は終わっていない。
私は、余命10年と診断された病人だと思って、ブログを書いている。

死を目前にして、「人生とは何か」を考えると、満足する結果は得られないと思う。
生きている間に、「人生とは何か」とかこの世に思い残す事は無いかを考えた方が良い。

この世に、残念や無念の気持ちを残さないようにする。
お金、財産、知識などは、死後に残す物であり、それらに思いを残す事は、一切を所有しなければ、止まらない。
他のブログに書いてあるように、これらを全て所有したものと思い、自分の魂の価値を上げる事を考えた方がよい。
例えば、満員電車で年寄りに席を譲るとか、自分で可能な小さな善行をする方が良いかも知れない。
そうすれば、自分が死ぬ時、「貴方は、あのような善行をした。如来様(Nyoraisama)が見ていたから、天国に行ける」と慰めの一つをもらえるかも知れない。


話は変わるが、死ぬと人の魂は一箇所で会うという考えには、反対である。
「特攻隊員」に、靖国神社の桜となって会おうなどと言う、間違った考えになると思う。
私の考えは、仏典の言葉を無視しているので間違いだと思うが、その考えを維持する。
「諸上善人、倶会一処」が、死んだら一箇所で会えるという意味ならば反対である。
死んでも生きても、如来様(Nyoraisama)は、一つの根底となり、霊的生物を貫通していると思う。
死んでも生きても、人間は、「自分」という殻を抜け出して、如来様(Nyoraisama)を通じて、一箇所で会っているのだ。
現在の姿が、如来様(Nyoraisama)と同居して、死亡した祖先と同居している姿なのだ。
全て差別化され、同じ物は無いが、その根底は一つである。
霊的な理解可能性も、そこから生じると思う。

仏教について、興味がある人は、他に仏教のブログがあるから、それを見てください。
私は、フィクションを書いているのです。
posted by kandk55 at 06:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月24日

5月24日・You Tube が好きですか?

アクセス解析で、熱心な青少年を発見しました。
      ↓
http://search.yahoo.co.jp/search?p=you+tube+%E7%84%A1%E6%96%99%E5%8B%95%E7%94%BB+%E7%84%A1%E4%BF%AE%E6%AD%A3&ei=UTF-8&fr=top_ga1&x=wrt

「You Tube 無料動画 無修正 」で検索しています。
You Tube は、無料で無修正の動画です。
「You Tube」を検索語にすれば、発見する事が出来ます。
私の、「ココロちゃんとおじさん」に掲載していますから、楽しんでください。

毎日、You Tube に関係した検索が多いです。
無知で探すのか、検索の遊びをしているのか知りませんが、成長しない人たちです。

海外サイトで探せば、You Tube と同じ形式のフラッシュ・ビデオのサイトは、幾つも発見する事が出来ます。
今日は、冒険もしましたが、収穫もありました。
MEGAROTIC という会社のビデオも閲覧しました。
若い人は、時間がたくさんあるから、幸せです。
私は、余命10年と思い、危険なサイトも閲覧しています。

Nothing ventured, nothing gained.

そして、

The day is short and the work is much.

そして、

Rome was not built in a day.

今日は、英語の諺の勉強をたくさんしました。
posted by kandk55 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月24日、人生とは、死とは(念仏三昧)

5月24日の記事は、以下のとおりである。

私は、念仏を唱える事について、違ったフィクションを持っている。
私が如来様(Nyoraisama)で、如来様(Nyoraisama)は私の中で、夢を見ている状態だと仮定する。
木魚は、煩悩を断つために叩くと教えられたが、私は、木魚を叩いて私の中で眠っている如来様(Nyoraisama)の眼を覚まさせるのだと思う。
目の前の仏像や仏画は、作者の「自分内世界」を反映したものであり、そこに如来様(Nyoraisama)は存在しない。
反映に過ぎない。
如来様(Nyoraisama)は、私の中で、眠っていて、眼を覚ます事は、私が「悟る」事であり、如来様(Nyoraisama)の世界に入る事である。

そして、念仏を唱える事は、自分の中に眠っている如来様(Nyoraisama)に対して、目覚ましを呼びかける事であり、外部に如来様(Nyoraisama)を求める事ではないと思う。




5月24日、念仏三昧について

自分が既に如来様(Nyoraisama)であり、ただ眠った状態であり、夢から目覚めさせるのが「悟り」と思う。

自分の中の、如来様(Nyoraisama)と、お会いしたいと強く思って、念仏していると、「自分内世界」の中に、まるで外部の「世界内自分」から如来様(Nyoraisama)が来たように、自分の中から、如来様(Nyoraisama)が現われる。

「主観と客観の合一」とか「我が佛(hotoke)か、佛(hotoke)が我か」という状態は、「自分内世界」と「世界内自分」の境界が無くなる事だと思う。
自分の拡大であり、それが「大我」というものだろう。

実際は、自分の中から、如来様(Nyoraisama)が出現したのであり、外部の仏像や仏画から、如来様(Nyoraisama)が来たのではない。

自分に、如来様(Nyoraisama)を思う気持ちが無ければ、如来様(Nyoraisama)を自分の「世界」の中で、発見する事が出来ない。
つまり、本当の意味で、如来様(Nyoraisama)に成れない(成仏(zyoubutu)できない)のだと思う。

無意識の中に、如来様(Nyoraisama)は眠っている。
感覚が無ければ、如来様(Nyoraisama)は眠ったままで、自分が死ぬ時に、眼を覚ます。

如来様(Nyoraisama)を知る感覚が無いと、如来様(Nyoraisama)を「世界」に迎える事が出来ない。
その感覚を持つだめに、念仏をしていると思う。

常に、自分が如来様(Nyoraisama)の状態が、釈迦だろうと思う。

彼は、瞑想が必要だとしたが、私は、自分の中に如来様(Nyoraisama)をイメージする事が出来るならば、瞑想が必要とは思わない。
posted by kandk55 at 11:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 人生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月23日

5月23日・人生とは、死とは

5月21日の記事が、フィクションの始まりでした。

「死は、リセットである。それは夢の終わりである。それは如来様(Nyoraisama)の夢の終わりである。私の死により、夢から目覚めた如来様(Nyoraisama)は、私の身体から離れて、また別の人体で夢を見られるだろう」

私は、死にたいとは思わない。

While there is life,there is hope.

しかし、ブログを書いていると、「現実世界」または「精神の世界」の記録上で死んでも、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」では、生きている物に生まれ変わり、循環しながら永遠を保つ事を考えるようになりました。

死後の事などは、深くは考えていません。

死後について知識を得ても、この世に残して、魂だけで、あの世に行きます。
名声も、財宝も、配偶者も子供も同じように、残してゆきます。
何を所有しても、如来様(Nyoraisama)から良い評価を得る手段にはなりません。

私は、魂が如来様(Nyoraisama)の計量で、どの生物に生まれ変わるか決められると観念しています。

死後は、浄土へ行くと信じて死ぬ人は幸せだ。

私は、念仏を唱える事について、違ったフィクションを持っている。
私が如来様(Nyoraisama)で、如来様(Nyoraisama)は私の中で、夢を見ている状態だと仮定する。
木魚は、煩悩を断つために叩くと教えられたが、私は、木魚を叩いて私の中で眠っている如来様(Nyoraisama)の眼を覚まさせるのだと思う。
目の前の仏像や仏画は、作者の「自分内世界」を反映したものであり、そこに如来様(Nyoraisama)は存在しない。
反映に過ぎない。
如来様(Nyoraisama)は、私の中で、眠っていて、眼を覚ます事は、私が「悟る」事であり、如来様(Nyoraisama)の世界に入る事である。

そして、念仏を唱える事は、自分の中に眠っている如来様(Nyoraisama)に対して、目覚ましを呼びかける事であり、外部に如来様(Nyoraisama)を求める事ではないと思う。
posted by kandk55 at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月22日

5月22日・人生とは、死とは

5月21日に書いた、私の小さな記事を、Yahoo USA が登録してくれました。
     ↓
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkjbsRTVIkTwAW4Wl87UF?p=%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E6%AD%BB%E3%81%A8%E3%81%AF&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

私の思いつきを登録して頂いて、感謝します。
少し考えます。

「始め」と「終わり」があるのは、精神の世界です。
私の「始め」は誕生日として、「終わり」は死亡した日として、記録されるでしょう。

私は、現在の名前を父母から、命名してもらいましたが、DNA は、過去から途切れる事なく、続いて来た結果が私です。

父母の命名により、「精神世界」に登場したけど、肉体に住む精神や魂は、精神世界の始めと終わりに関わらず、存続します。

如来様(Nyoraisama)の「宇宙」には、「始め」と「終わり」はない。

「精神世界」での権利義務の帰属する物体は、死亡により消えても、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」に対する自分は続くと思います。

如来様(Nyoraisama)に対して、「私は何ですか」というと、私は「人類としての意識」を持つ如来様(Nyoraisama)だと思います。

私は、独断と偏見を持って、如来様(Nyoraisama)が、生命や人類の数だけ存在するが、根本は一つの如来様(Nyoraisama)だと思います。

如来様(Nyoraisama)とは「宇宙の力」という意味で使っています。

ネットで自分の小さな思い付きが、アメリカまで届くように、この世の特殊な事情は、全て一般化されると思います。

例えば「小さなDikz」のように、自分は特殊だと思って萎縮せず、特殊な事情に不満を言わず、その事情を表現すれば、世界が認めてくれるかも知れない。

特殊な事情も、「人類の中の一つの事例」である。

自分の特殊な、心の底にある思いが、一般化されるかも知れない。

私は、そんな気持ちで、ブログを書いています。
posted by kandk55 at 19:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月21日

5月21日・人生とは、死とはU

私が、今日書いた記事が、検索会社に登録されていない。
無論、思いつきだから、仕方がないが……。
それで、思いつきの追加をする。

まず、これが今日の記事である。

「死は、リセットである。それは夢の終わりである。それは如来様(Nyoraisama)の夢の終わりである。私の死により、夢から目覚めた如来様(Nyoraisama)は、私の身体から離れて、また別の人体で夢を見られるだろう」

思いつきの追加。

@

釈迦は、「生」・「老」・「病」・「死」を四苦と言ったという。

これは、釈迦が、如来様(Nyoraisama)の世界から派遣された肉化した佛(hotoke)であるから、この言葉を言えるのだ。
如来様(Nyoraisama)の世界ならば、思いのままに、必然として物事が生起するに違いない。
釈迦が、この世に生まれたから、四苦が生じたのだと思う。
釈迦の誕生と死は、この世に如来様(Nyoraisama)の化身が現われて死んだ事実だと思う。

A
何故、夢か?

私が夢を見る時、合理的でない出来事が起こる。

如来様(Nyoraisama)が現実に釈迦となって現われた時、「思いどうりにならない」四苦の事を言った。
肉体を持つ、偶然に支配される世界は、私の夢の中の世界と同様に、納得できない世界であろう。

それで、如来様(Nyoraisama)にとって現実世界は夢だと思う。
更に言えば、頭脳の組織が如来様(Nyoraisama)で、頭脳が生んだ「意識」の「世界」を夢に当てはめる。

B
何故、終わりか ?

始まりや終わりが存在するのは、「精神」の「世界」の中だけである。
如来様(Nyoraisama)の「宇宙」の領域で、始めや終わりは存在しない。
「終わり」が言えるのは、「精神の世界」。


「身体から離れて別の人体で夢を見る」事は、輪廻の事を思っているが、それはまだ考えていない。
「意識」と「意識」、生命と生命を往復する事が出来るのは、如来様(Nyoraisama)だけだろう。

最後に、「人生は旅だ」とか「人生は修行だ」と言うが、その主語は、「自分の人生」ではなくて、「菩薩の人生」ではないかと思う。
主語を、取り違えると、違う意味になると思う。

以上、三つを思いついた。
直感への結論は、まだ早い。
posted by kandk55 at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月21日・人生とは、死とは

人は、皆、別れがある。
私も、女房も、親との別れがあり、私たちも息子と別れてゆく。
私は、肺癌の上司に、何も言葉をかけてあげられなかった。
今、私たちに両親が存命ならば、そして、これから死んで行くならば、何と言葉をかけようかと思っていた。
その言葉は、これから死んで行く人に送る言葉であるけれど、私が死ぬ時に、私を囲む親族に言う言葉でもある。
あるサイトで、「特攻隊員」に別れを告げるように、「また一つの所で会おう」と言って死んだ話を閲覧した。
私は、その瞬間、「これは違うな」と思った。
死ぬ場面に対しての、いかにも宗教的な言葉であると思う。

私は、こう思う。


「死は、リセットである。それは夢の終わりである。それは如来様(Nyoraisama)の夢の終わりである。私の死により、夢から目覚めた如来様(Nyoraisama)は、私の身体から離れて、また別の人体で夢を見られるだろう」


私のフィクションは、生きている状態を「宇宙の塵」が如来様(Nyoraisama)の力によって踊らされている状態だとした。
その状態を、「如来様(Nyoraisama)の夢」と理解するのだ。
全ての人類の数は、如来様(Nyoraisama)の夢の数である。
如来様(Nyoraisama)の頭は、全ての人類が入る器である。
「人生は夢だ」とか「人生は、仮の宿」と教えられたが、夢を見るのは、私ではなくて、如来様(Nyoraisama)なのだ。
如来様(Nyoraisama)が、私の身体を使って、夢を見ているのだ。

そう思う。
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2008年05月20日

5月20日・地球温暖化防止

今日、TV で、地球温暖化防止について放送していた。
私は、以前から言っていたが、地球温暖化は阻止しなければならないと思う。
私は、「世界」、つまり地球に住む人間の「意識の世界」を変えるべきだと思う。


  「世界」は「意識」


  「意識が変われば、世界が変わる」


子孫のために、CO2削減を「 意識 」しよう。

    
地球温暖化防止のために、CO2の排出量取引が良いのか、セクター別アプローチで国のCO2の総量を決めるのが良いか、議論していた。

前者は、国連の環境計画の特別顧問が、後者は、電気連合会の副会長が出席していた。
前者は、EU が、国が排出するCO2の総量を決めて、CO2に値段を付けて、排出量を会社が国から買う方式だ。
市場に新たなビジネスを生み、CO2も排出量が少なくなっているらしい。
しかし、CO2に値段を付けて売買した結果が、マネー・ゲームになり、新しい技術革新の資金にならないのではないかという懸念がある。

後者は、電気連合会だから、日本の意見だと思う。
CO2削減する新技術で、電力や鉄鋼などセクター別に、CO2の排出量を決めて、その総量を国が規制する。

今年の7月に、主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)が開催される。

福田首相は、2000年を基準として、2050年では、60%〜80%の削減を目標としている。

以前、ブログで書いたが、私はCO2に値段を付けて、売買するEU の方式は嫌いだ。

嫌いだが、EU の方式を国際社会で採用するならば、日本は、日本で開発したCO2削減の技術をEUに輸出すれば良いと思う。

EU やUSA などには、高い値段で売り、発展途上国には、無償で技術協力すると良い。

高い値段が嫌であれば、先進国は自分の力で、技術を開発するだろう。

そして、私たち国民は、自動車を使うのを、出来るだけ止め、CO2削減のために、積極的に努力する。
もちろん、禁煙も、CO2削減する心の表現である。


自分が、CO2 を削減する事が出来る所から、始めよう。


思う事から、世界が変わる。
posted by kandk55 at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 禁煙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月19日

5月19日・You Tube が好きですか?

熱心な青少年を、アクセス解析で発見しました。
     ↓
http://search.yahoo.co.jp/search?p=adalt+tube&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8

「 adalt tube 」で検索しています。

残念ですね。

世界の人は、You Tube と同じ形式のフラッシュ・ビデオで、別の無料・無修正のサイトを閲覧しています。

「Adalt」で検索する人は「AdaLt」ではない。
「AdaLt」を見る資格が無い人です。

このブログは、「世界」の人が見ている可能性があります。
世界の人から、笑われますよ。

もしも、検索会社の人が仕事で検索しているのならば、貴方の最高責任者に言いなさい。
ライバル社の事を宣伝すると、USA から叱られる……と。
インターネットへの独自の貢献を考えましょう。
日本の最高責任者の頭の「世界」が狭いのですか?
トップが交代する事も一つの選択肢です。
posted by kandk55 at 19:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月18日

5月18日・執着

先ほど、「キェルケゴールとレギーネ・オルセン」という記事を書いたが、ふと思った。

彼は、好きな彼女と、婚約を破棄した。
彼は、幼児を乳離れさせるために乳房を黒く染める母親のように、自分から好きな女性を手放した。
自然に婚約を破棄したのではなく、自分の意思が加わっているので、彼は、間違ったと言えるかも知れないが、私は、彼が執着を捨てようとしたのだと思う。
彼女が結婚した後、彼女に和解を求めるが、自分に正直になった時、どうしても好きという執着を捨てる事が出来なかったからだろう。
私は、彼が、一旦執着する心から離れたから、彼の著作が生まれたと思う。
大好きな物を手放す事が、人生に影響する。
例えば、「布施(fuse)」などを同じように考えられないだろうか?
「布施(fuse)」も、自分の余剰物を人に与えるのではない。
自分も必要、貴方も必要。
その両方が必要な物を、人に与えるのが「布施(fuse)」だと聞いた事がある。

おーい、お坊さん。
教えてくれ。
posted by kandk55 at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月18日・キェルケゴールとレギーネ・オルセン


5月17日に書いた記事が、GoogLe に登録された。
     ↓
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=t&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4SUNA_jaJP253JP254&q=%e3%83%ac%e3%82%ae%e3%83%bc%e3%83%8d%e3%83%bb%e3%82%aa%e3%83%ab%e3%82%bb%e3%83%b3

キェルケゴールとレギーネ・オルセンについて、少し詳しく調べてみた。

タイトル→キルケゴール全集 第2巻
訳者→桝田啓三郎
発行所→株式会社・筑摩書房
定価→1200円
1966年10月15日発行

526ページ
「彼女に対するわたしの関係(セーレン・キルケゴールの遺稿から)」
ヘンリエッテ・ルン編
1904年 コペンハーゲン

628ページから引用(キルケゴールから見たレギーネ) (訳者→桝田啓三郎)

「わたしがはじめて見た時の彼女はかわいかった、献身しきった姿は愛らしかった、ほんとうに愛らしかった。悩んでいるときの姿には心を動かすものがあった。別れの最後の瞬間には崇高でさえあった。初めから終わりまで子供のようであった。そして小さな聡明な頭なのに、一つだけいつも彼女にわたしの見出したものがある。この一つだけで彼女を永久に讃美するに足りるだろう。それは沈黙と内面性だ。それに彼女には一つの力があった、彼女が哀願する時の、石をも感動させずおかない、祈るような眼差しなのだ。……(中略)……わたしの著作活動も、ただ彼女の名誉と讃美の記念碑として見てほしいのだ。わたしは彼女をいっしょに歴史のなかへ連れてゆく。……(中略)……わたしは彼女と並んで歩くのだ。式部官さながらに、わたしは凱旋する彼女を先導するのだ、そして、彼女のために「わたしの大事な、かわいい、小さなレギーネ」のために、「皆さん、どうか席をあけてください」というのだ」

そして、レギーネがキルケゴールから婚約を破棄された後、シュレーゲルと結婚した。

634ページからの引用。(訳者→桝田啓三郎)

「1855年の春、シュレーゲルが西インド総督に任命されて夫人とともにまさに赴任しようとした時、シュレーゲル夫人は、彼女自身の語ったところによれば、別れの挨拶をするために彼に出会おうと努めた。そして出会ったのをよい機会に、さりげなく彼に挨拶した。彼は、旅行のことをまだ何も知らなかったらしく、やはりさりげなくすれ違いながら、ひどくびっくりした表情で帽子をとった。
これがこの世における彼らの最後の出会いになった。シュレーゲル夫妻が西インドから帰ってきたときには、キルケゴールが死んでからすでに数年を経過していた」

彼の死後、手紙を受け取ったレギーネは、

618ページから引用 (訳者→桝田啓三郎)

「彼が死にましてからは、わたくしは臆病さから義務を怠ったように思われてまいりました。それは、彼に対する義務であるばかりでなく、神に対する義務であったように思えてきました」

そして、ヘンリエッテ・ルン(編者)に、

530ページから引用 (訳者→桝田啓三郎)

「夫人自身は、それを故人に対する(故人のもつ大きい宗教的意義など少しも考慮しなくても)一種の義務感と呼ばれましたが、故人の生涯のこの時期をはっきりさせるのにいかほどでも役立つことができることなら、どんなことでも包み隠すことなく発表してしまおうとしておられるのでした。」

533ページから引用 (訳者→桝田啓三郎)

「1904年3月、やさしい老夫人は死去されました。それでわたくしはできるだけ出版を急がせてこれを送り出すのです……深い悲しみに沈みながらも、このようにして夫人の願いを実現できることに感謝しながら。
         ……ヘンリエッテ・ルン」

「キルケゴール全集 第2巻」の1ページと2ページに、キルケゴールと、レギーネ・オルセンの写真を見る事が出来る。

レギーネ・オルセンは、美人です。



P1000022(1).JPG



Seeing is believing.
posted by kandk55 at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書V レギーネ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする