2008年08月31日

2008年8月31日(日)・24時間TV・愛は地球を救う

2008年8月31日(日)、日本のあるTVで、次の番組を放送しています。

24時間テレビ31、

愛は地球を救う



日本の全域にキャラバン隊が巡回して、障害を持つ人に募金を集めています。

2008年8月30日の18時30分に開始され、今日の20時54分で終わります。

例年、タレントさんが、24時間で、113キロのマラソンに挑戦します。

その間は、障害を持つ人が、様々なスポーツに挑戦して、ハンディを克服する姿が放映されます。

マラソンの終着点が、「日本武道館」で、走り終えたタレントを待ちます。

その時の歌が、「 サライ 」です。

私の、もう一つのブログ「 ココロちゃんとおじさん 」で掲載しましたのでお知らせします。

追伸

今回の募金総額は、3億6千万円を超えました

これまでの中で、最高の募金額です。
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2008/8/31・私の空想(ハイデガー・存在と時間)

知識を求める人は、他のブログを見てください。
私は、間違っていると思いながら、書いています。

Martin Heidegger の「存在と時間」の翻訳版が、岩波文庫から出版されている。
その下巻が、320円で売られている。
     ↓
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4003365135/ref=sr_1_olp_8?ie=UTF8&s=books&qid=1220128339&sr=1-8

私が「世界内自分」や「自分内世界」などと書いたのは、この本の「世界・内・存在」に興味があったからだ。
彼は、現象学を学んだ上に、「世界と存在」について書いたと思うが、私は、「存在」の代わりに「自分」を置いている。
その理由。
「自分」は、パスカルの「考える葦」のように、地球上の産物であり、宇宙の塵であるとともに、祖先へ通じる「自意識」を持っている。
存在一般ではなくて、「自分」を考えたいと思ったからだ。

私の考え

@如来様(nyoraisama)の「宇宙」は、人類が滅びても存在すると思う。
「意識」の無い領域で、運動だけだろう。

A「世界は意識」である。

これは、「ちいさなDikz 」で、他の動物とは違って、女性が何故、「 Big Dikz 」が好きなのかを分析した結果である。

B意識は、現在だけに存在する。

これは、「私の空想」から出た結論だ。
現在や過去や未来は、「精神世界」に属する区切りである。
現在とは、精神的には区切りは無いが、相対論の普遍定数の光速による時間の「今」が、人類が相互に理解する事が出来る現在である。
地球が自転し、現在の中で、「全身全霊」で「行動」の方向である「関心」を探すから、現在は、「霊的」でもある。

C「人類としての意識」は、「自意識」であり、「自国の民族意識」であり、祖先に通じる歴史を持つ。

これは、「私の空想」から、出た結論だ。
絶え間なく変化する自分の身体を、今の「自分」の身体と意識して、身体から離れない理由は、「自意識」が、祖先からの「 霊 」の歴史的産物であると思う。
「自分」に固執する事が生きる事であり、責められる事ではない。

そこで、ハイデガーの「存在と時間」を読む。

ヘーゲルの時間概念

「時間測定の相対性理論の問題には、ここでは触れないことにします。……中略……時間問題そのものを展開することは、決してできないのです」

下巻の211ページから引用

「点の自己の対自的設定の可能性の制約が、今なのです。このような可能性の制約が、点の存在を形成し、存在は同時に、(思考されていること)なのです。したがって点在性の、すなわち空間の、純粋な思考が、そのつど今と、今の自己外存在とを「思考する」から、空間は、時間であるのです。」

下巻の234ページから引用

私の考え

私は、相対論を導入した方が良いと思う。

「可能性の制約」の「制約」が、相対論の光速による同時性の定義と解釈して、制約の中で「点の存在を形成」するのは「可能性」を思考している「自意識」が存在すると解釈する。

ヘーゲルもハイデガーも、時間や空間を規定する事は出来なかった。
時間も空間も、意識であり、これらは地球上で生きているから存在する意味があると思う。


私は、太陽光がプリズムで七色に変わるように、太陽光が情報で、頭脳の働きがプリズムで、時間や空間の意識が出来ると思う。
脳梗塞など、頭脳が損傷を受ければ、時間や空間の意識が失われるからだ。
今後の、発展を待っている。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2008年08月28日

2008/8/28・私の空想(相互理解・アフガンの事件)

私の「31才、アフガンで死す」の記事を、Yahoo USA が載せてくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkijvfbZIMyUAbAWl87UF?p=31%E6%89%8D%E3%80%81%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%81%A7%E6%AD%BB%E3%81%99&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

私は、退職も近い老人である。
私の考えは、横溢であり、知識ではないから、客観的な知識を求める人は、他のブログを見て欲しい。



2008年8月25日に書いた記事。

私の夢

前回、「 心 」と「 心 」が接触して、心を守る者が「 霊 」で、心から心へ侵入するのが「 情(zyou) 」だと書いた。

現時点で、私が「 霊 」と言うのは、B「人類としての意識」であり、それは祖先へ通じる四次元だと思うが、歴史や経歴の物語であり、自分を存在させる意識である。
それは、自意識である。

地球は絶え間なく自転し、全てが流転し新陳代謝をして、同じ身体は存在しない。
自意識が変化しようとする事を阻止するのが「霊」だろう。

「霊」を破るものは何か?

生命体は、生命のリズムを持つ。
リズムは振動であり、主観的な時間を持つ。
それは生命が誕生する時に発生するだろう。
そのリズムと方向を同じくする振動を、意識の面で信号として捕らえたのが、「 関心 」や「 好奇心 」だと思う。
恐怖心が、恐怖の状況を作るように、内面の意識の物語の世界を投影したのが現実世界だとすると、「 関心 」を寄せた物体が、その人の「 心 」だと思う。

その「 関心 」は、生命のリズムと同じ動きをする物に同調する事であり、一瞬の時間で、人間は「 全身全霊 」で、「関心」する物を探す。
その「 関心 」を起こすのは「 情(zyou) 」だろう。
私は、「情(zyou)」を本能と思っている。
「 情(zyou) 」は、「愛情」だけと思うのは間違いだろう。
喜怒哀楽の全ての「感情」が「情(zyou) 」であり、万国に共通する。
「関心」を持つ事は、「情(zyou)」を持っている事かも知れない。
「 情(zyou) 」を通して心と心が結合した時、自意識という「霊」は破れる。



2008年8月28日に考えた事。

今までの考えに変更は無い。

アフガンの伊藤和也氏の心を想像すると、彼は「情(zyou)」により、愛情により、一旦は、アフガン人と心を交流させる事に成功したと思う。
心の境界を破るのは、「情(zyou)」だろう。

しかし、彼を拉致した仲間に、彼が農業を指導した村の住民が参加していた事は、重大である。
その住民により、最もアフガン人に接近していた伊藤氏が、拉致の対象として狙われる事になった。

「情(zyou)」は、感情であり、喜怒哀楽の全てに移動する。
情(zyou)は、無常で、その存在の有無は、対象となった人の考えに左右される、移り易い気持ちである。

「愛情」を受ける事が苦痛になって、彼を拉致したのかも知れない。
農業なんか、自分たちで出来る。
外国人の NGO を拒否するのが、タリバンの方針と聞く。
その象徴として、アフガン人に、最も接近した伊藤氏を選んだのだろう。

心と心を情(zyou)で結ぶ事は、第二次世界大戦で、日本軍が行った事だ。

それ以上に、「 霊 」を統合する事は間違っている。

「 霊 」は、「自意識」であり、「自国の民族意識」である。


アジアの諸民族を併合して、「大和魂」を埋め込む事に失敗したではないか。

米国に「アメリカ魂」があり、日本に「大和魂」があるように、アフガンにも、「アフガン魂」があるかも知れない。

福田首相は、これからも出来る事を行うと言っているが、「 霊 」に接触するのは、止めた方が良いと思う。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2008年08月27日

2008/8/27・31才、アフガンで死す

アフガニスタン東部ジャララバード近郊で、日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の、伊藤和也氏(31才)が拉致され、今日、射殺され遺体となって、ジャララバードに戻った。

骨はアフガンに埋めて」も、霊魂は、日本に帰っているから安心してください。

ご冥福を、お祈りします。

日本の皆は、伊藤和也さんが、「アフガンの子供が飢えないように、農業の指導の形で力を尽くしたい」という熱望で、アフガンに行った事を忘れないでしょう。



和也さん、何を得られましたか?

アフガンの子供たちの笑顔ですか?

井戸の水を飲む、アフガンの農民の笑顔ですか?

ごくろうさま、日本の静岡県の実家で、ご両親が待っています。

あなたを、一番、心配していた人です。

私は、アフガンに、米軍艦船に給油する自衛隊だけが、行っていると思ってました。

「日本は人的な貢献をしない国」だと言った国や、「行動で示せ」と言った国は、日本の人的支援を見習うべきでしょう。

伊藤さんの、行為で、誰も行く事を希望しない所へ行く「ペシャワール会」の存在を知りました。

ペシャワール会  ↓
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

子供たちの餓死を防ぐために行って、アフガン人から殺されたのですね。

日本には、秋葉原の通り魔事件のように、「死に場」を知らない若者が、殺人罪を犯して「合法的に死ぬ死刑」を求めています。

これらの若者は、伊藤和也さんの「アフガンの子供を餓死させない」という情(zyou)を持った行動を見習うべきでしょう。

小学校や中学校で教えた方が良いかも知れません。
SEX の事しか考えない若者を、教育するのが、これからの日本の学習指導要領でしょう。

日本の農林大臣は、秘書官の自宅を事務所所在地と届けて、事務所経費が23,450,000円として、国庫から取っていました。

こんな大人は、長生きする事だけを願い(私もですが)、「アフガンの子供の餓死」など心配もしていません。

これで良いのか、「 日本 」
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2008年08月26日

2008/8/26・アフガンで日本人拉致

アフガニスタン東部ジャララバード近郊で、日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の日本人、伊藤和也さん(31才)が、武装勢力により拉致された。

TV 番組で見たが、Mr,伊藤は、アフガンの子供たちが餓死しないように、農業を指導していたと、聞いた。

アフガンの武装勢力は、非戦闘員も拉致するのかと、驚いている。
日本の特攻隊が、イスラムの自爆行為と混同して理解されていると思うが、これだけは違う。

特攻隊は、民間人を攻撃したのではない。自国を攻撃している戦闘員に打撃を与えたのだ」

行為から、その人の「 心 」を理解する事は、今まで、私はブログで書いてきた。

自国の子供が飢えるのを救うために、穀物を作る農業を指導している民間人を、何故、拉致する?

金銭目的か?

Mr,伊藤は、この日が来る事を予想して、「自分の骨は、アフガンに埋めてくれ」と、家族に言い残している。

彼の意思が強く、アフガンへ行く事を止める事が出来なかったらしい。

死を覚悟の上のアフガン入国であるが、

自分の国のために働く民間人を殺すのか。


タリバンよ。
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2008年08月25日

2008/8/25・私の空想(無意識)

Yahoo USA が、私のブログを載せてくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkxaulLJIi1cB.mKl87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98%29+2008%2F8%2F24+m24658&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

現時点では、これ以上を書く事が出来ない。

私の夢

前回、「 心 」と「 心 」が接触して、心を守る者が「 霊 」で、心から心へ侵入するのが「 情(zyou) 」だと書いた。

現時点で、私が「 霊 」と言うのは、B「人類としての意識」であり、それは祖先へ通じる四次元だと思うが、歴史や経歴の物語であり、自分を存在させる意識である。
それは、自意識である。

地球は絶え間なく自転し、全てが流転し新陳代謝をして、同じ身体は存在しない。
自意識が変化しようとする事を阻止するのが「霊」だろう。

「霊」を破るものは何か?

生命体は、生命のリズムを持つ。
リズムは振動であり、主観的な時間を持つ。
それは生命が誕生する時に発生するだろう。
そのリズムと方向を同じくする振動を、意識の面で信号として捕らえたのが、「 関心 」や「 好奇心 」だと思う。
恐怖心が、恐怖の状況を作るように、内面の意識の物語の世界を投影したのが現実世界だとすると、「 関心 」を寄せた物体が、その人の「 心 」だと思う。

その「 関心 」は、生命のリズムと同じ動きをする物に同調する事であり、一瞬の時間で、人間は「 全身全霊 」で、「関心」する物を探す。
その「 関心 」を起こすのは「 情(zyou) 」だろう。
私は、「情(zyou)」を本能と思っている。
「 情(zyou) 」は、「愛情」だけと思うのは間違いだろう。
喜怒哀楽の全ての「感情」が「情(zyou) 」であり、万国に共通する。
「関心」を持つ事は、「情(zyou)」を持っている事かも知れない。
「 情(zyou) 」を通して心と心が結合した時、自意識という「霊」は破れる。

「汝の隣人を愛せよ」というのは、「霊」の破壊かも知れない。
霊の破壊といっても、霊が一つになる事であるが……。


現時点の夢は、ここで終わっている。

カントが後世に残した「 感性 」を説明する哲学者が現れる事を望む。
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2008年08月24日

2008/8/24・私の空想(無意識)

今日は、主観的時間を軸にした無意識についての記事を書くが、次の本を紹介しておこう。

時間の不思議」という本で、Amazonで58円で売っている。

http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4061328735/ref=sr_1_olp_1?ie=UTF8&s=books&qid=1219528772&sr=1-1

この本の180ページから引用する。

「人間の神経が一度回路をつくったら、その回路は、なかなか切れないという。子供の頃、覚えた水泳、自転車、竹馬などは、久しく練習しなくてもすぐにカンをとり戻せるというのも、そのせいだといわれている。これらは全く、不可逆な推移だろう。そうして当然ながら未来のことは知らない。これなど人間の生理も、物理的な不可逆現象にそっくり支配されているあかしであろう。ホーキングも繰り返し述べている「意識の時間」は「エントロピー的時間」と全く等しい、という考えは、ブリゴジンが早くから結論づけている。」

「イリヤ・ブリゴジンは、1917年にモスクワに生まれ、その後ベルギーのブリッュッセル大学で学位をとり、1951年以降、同大学の統計力学・熱力学研究所長を兼任した。1977年に「非平衡の熱力学・とくに散逸構造の研究」によって、ノーベル化学賞を受賞した。」

同書177ページから引用

私の空想

主観的時間は、「意識の時間」であり、「エントロピー的時間」だと思う。
私は、その時間が、「 歴史 」として残ると思う。
私は、時間の不可逆性(これは、地球が逆回転しないと同義)と一緒に、因果律の逆転が無い事が混入していると思う。

地球は自転し、常に新しい空間を人間に与えられ、人間は絶えず行為をしなければならない。

「 了解 」については、Martin,Heidegger 氏の著作より以上は考えていないが、「 了解 」は頭脳ではなく、知覚の先端で、すでに成立していて、人間は何かの行為を既に行った後に、行為の物語を頭脳のコンピュータに入力して合理化をしようとするのだと思う。

身体は、「 心 」の外部への延長の道具ではなくて、物語を内部の頭脳へ伝える道具だと思う。
「 心 」は、既に、知覚と同時に(知覚は精神と物体の衝突である)、外部に露出していると思う。

その物語は、「 自分 」という局所性があり、現在という時点に思い出す記憶の力による解釈であり、普遍性は無く、社会的で私という個性的な歴史的な産物である。

物体が可逆的な運動をしても、私の意識には、歴史として残る。
理論は、時間に対称的、つまり時間には関係なく成立する関係式を好む。
しかし、物体が理論の通りに可逆的な運動をしても、私の意識には、歴史として残る。

理論の合理性やコンピューターの合理性と意識を比べた時、意識の不合理性が発見されるだろう。
それが、無意識に気づく契機となる。
その無意識が、人間に新たな意味を持ち作用を及ぼす時、「 本質 」として、頭脳の中に一つの回路が出来る。
それを「 飛躍 」とする。

私は、現時点では、無意識の中に物語を発見する事が
「飛躍」を生むと思っている。
事物の因果関係を発見して「驚き」が生まれた時に飛躍するかも知れない。
本や絵画や音楽や、全ての人類が作った物語が基礎になって、物語の任意の組み合わせが「驚き」を生むかも知れない。

私は、頭脳の物理的、生理的な解明が進む事を願っている。
プリズムが七色の光を生むように、時間や空間という意識は、地球の回転や重力を考えないと成り立たず、人間が生きるために、それらを頭脳が変換した内容かも知れない。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2008年08月23日

2008/8/23・私の空想(無意識)

Yahoo USA が私の記事を載せてくれたから、続編を書こうと思う。

私は、無意識が@「宇宙」とA「精神の世界」B「人類としての意識」を分ける領域だと思う。

@とAの間の無意識。

量子力学は、理論である。
それは、精神の領域だろう。
理論は意識による産物であり、理論や確率によって意識や「心」を規定する事は出来ないと思う。

理由は、信号や情報の伝達可能の範囲で「意識」が存在するが、後述するが、主観的時間を軸とした「歴史」を持つのが、意識や「心」だと思うからである。

信号や情報の伝達可能の範囲が、意識の「宇宙」への接触であり、意識は私の意識という意味で「局所的」である。

信号や情報の伝達可能の範囲で「意識」の存在を認める事により、現在と過去と未来という意識による区分の中で、意識は「現在」の中だけに「局所的」に存在する。
意識は、理論と置き換えても同じ結論である。

地球が自転して、絶えず新しい時間意識と空間意識を人間に提供し、人間は、絶えず行為する運命である。

意識する事も「観察」する事も行為であり、「宇宙」は、行為により「局所的」事実になるから、行為の外に存在し、意識が届かないという意味での無意識を想定する。

時間的にも空間的にも、一挙に物体が現れる事は無いから、一挙に観察する事は不可能で、信号や情報の伝達可能の範囲を超えた物体は存在するが、私が知る事が出来ないだけである。
一挙に把握するのは、「本質」であり、後述の「了解」に属すると思う。

「了解」という記事を書く予定だが、意識する事は行為であり、認識する事は、光速で定義される現在の中で全身全霊で、自分が知っている全ての知識を適用して、対象を規定する事である。

認識には、事物の認識、つまり因果関係という物語、歴史的認識が必要であり、それについて量子力学が触れずに、意識や「心」を規定するのは、賛成しない。

AとBの間の無意識。

現時点では、信号や情報の伝達可能の範囲を超えた無意識と、自分の記憶の中の無意識は違うと思っている。

前者は、全ての物理学の理論が適用される意識の部分と「宇宙」との間の無意識であり、後者は、主観的時間を軸とした「歴史」を意識していないという意味での無意識であると思う。

私がこれまで書いたB「人類としての意識」とは、「歴史の意識」であると現時点では思う。


Poor thinking is as good as no thinking.

そして、

Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月22日

2008年8月22日・私の空想(無意識)

Yahoo USA が、「私の空想(無意識)」を掲載してくれた。

Yahoo USA

http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkmUJqK5I_LgALs2l87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98%29+m24658&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

いつも思う事だが、Yahoo USA の追求は鋭く、私が何を書くのか、私の間違いを周知させる役目を負った保安官のように見える。

私は、心理学で見る「氷山」に例えた、意識と無意識は嫌いである。
それは、発展性が無いからだ。

That is of no practical use.

そして、私には、学習する時間も無いし、能力も持っていない。
知識を求める人は、このブログから去って欲しい。

私は、自分のための理論を考えている。

Every miller draws water to his own mill.

私の考えは、独自の考えである。
ローレンツ変換は出来ないと思う。

Yahoo USA に感謝する。
後日、意識と無意識について、記事を書く予定である。

再会
posted by kandk55 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月20日

8月20日・私の空想(無意識)

「無意識」について、Wikipedia から引用する。

無意識とは何かということは、その前提に、意識とは何かということの了解がなければならない。「意識」とは、人間一般において、「わたしが意識していると、意識しているとき、自明的に存在了解される何か」であるとされる(デカルトの「我思う、ゆえに我あり」。哲学の分野では長い間、意識と自我は同一視された)。

このような意識の把握は、主観心理学的な把握で、近代に成立した科学がその研究対象とするには、客観的な規定が曖昧すぎ、かつ定量化も、定性的把握も客観的には困難である。そのため、心の学である心理学においても、心や魂、あるいは意識は科学的に定義されないとして、刺激と反応で心理学を築こうとした行動主義心理学などが出現した。

引用を終わる。

私の空想

哲学者は、将来、意識や無意識について書物を書くだろうが、私の空想を書いておく。


氷山の絵が書いてあり、海上に現れている部分が「意識」で、海面に隠れている塊を「無意識」と呼ぶという考えを、私は、捨てた。

「意識」は、情報や信号の応答が可能な範囲の頭脳の回路。

「無意識」は、情報が届いていない他の部分とする。

「意識」の速さは、信号の伝わる時間が上限とする普遍定数の光速以下だろう。
普遍定数の光速を超えるものは、「霊」かも知れない。
それが存在するか否かは、保留する。

その「意識」の重なる総体を「心」とする。
心の能力としては、主観的時間に結ばれた記憶の力がある。




海面に隠れた氷山を想像して、「意識」と「無意識」を考えるのではなく、主観的時間を軸とした、記憶の平面、情報の伝達可能性の平面を、私は空想している。

再会
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2008年08月18日

8月18日・私の空想(心)

Yahoo USA は、8月2日に書いた、私の空想「心」という記事を載せてくれた。

Yahoo USA

http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkkRKUKlIBC4BGrJXNyoA?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E5%BF%83%29++m24658&fr=yfp-t-501&ei=UTF-8

何の意図で、載せているのだろうか?

私は、「心」が、心臓にあるとか頭脳にあるとか言うのではない。

私は、@如来様(nyoraisama)の領域の「宇宙」A意識や精神の「世界」B人類の意識、と三つに分けて、@以外の意識の総体を「心」と思っている。

心臓や頭脳という臓器も重要で、将来、科学的な知識が増す事を願う。
しかし、臓器は臓器であり、クローン技術で同じ臓器を作っても、「心」が同じだとは思わない。
なぜなら、如来様(nyoraisama)は、全てを差別するからだ。

同じ所に住み、同じ食べ物を摂取し、同じ時間で暮らしても、同じ価値観や人生観とはならない。
唯物論者に同意しない理由である。

頭脳から「心」が生まれるとすれば、他の動物でも「心」があるかも知れない。

「心」と「心」が接触し、「心」を破るものが「 情(zyou) 」であると、現時点では思っている。

「心」の境界を越えないのが「霊」だと思っている。

そして、「 情(zyou) 」や意識や心が、「 無常 」と感じる理由は、時間が、エントロピー的時間であり、生命が不可逆である事を感じるからだと思う。
地球が逆に回らないし、老人が若者にはならない。

逆に「 無常 」だから、人間に「情(zyou) 」が生まれるのかも知れない。



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2008年08月17日

8月17日・私の空想(若年性認知症)

今日、TV番組で、若年性認知症を特集していた。
夫婦の間で、愛が深まるという話を聞いた。

ネットで調べると、この病気は、異常な物忘れが多くなり、その忘れる段階を本人が理解している。
そして、忘れた事を何度も聞き返しているうちに、だんだん不安になる。
そんな状態の時、叱ったりする言葉に立腹して、言葉が荒くなったり、暴力を振るったり、意欲が低下したりする……。


私は、この病気を理解していないが、「意識の世界」を失っていく過程を自分自身が感じるが、病気に惑わされて、取り戻す意識も無いし、その能力も無い状態だと思う。

自分が、周囲の慣習に自分の行動を適合させようとしても、出来ない。

TV番組で、認知症の人が、自宅でトイレに行こうとしても、場所を忘れている。
トイレではなく、浴室の方へ行く。
本人は、真剣に迷っているのだ。
友人が訪問し、目の前の友人の名前を忘れている。
妻の横で、妻の事を医師に尋ねられ、妻の名前を忘れて、「この人はいい人です」と返事する。

妻は、この本人と、どのようにして相互理解するのだろうか?

TV番組では、認知症になってから、夫婦の間で、スキンシップが多くなったという話だ。
自分も相手も、一度限りの時間と人生だ。
不可逆的な、エントロピーに従う時間は、自分も相手も同じである。
そこで感じるのが「 情(zyou) 」だと思う。
愛情、感情、心情、など相手を思う心を表現する言葉には「情」が当てはめられている。
「老後の愛」というのも、生命の終焉に向かう者同士の思いやりであると思う。


もう一つは、懐かしい歌を聴かせて、昔の記憶を取り戻そうとしている。
音楽は、有効だろうと思う。
私の場合でも、何かを考えている時は、音楽を聴いている。

歌は世に連れ、世は歌に連れ

そんな言葉がある。
歌は、時代の香りを持っている。

アインシュタインも、死ねばモーツアルトの曲が聴けなくなると言った。
歌って死ぬ事が出来たら、幸福だと思うが……。

私は、幸いにして、まだ現役の職業人である。
このブログを、遺書の代わりにして、何かを息子に残したいと思っている。

While there is life, there is hope.

8月17日・私の空想(相互理解・血液型占い)

「 男と女の間には、深くて暗い川がある 」という歌がある。

私の職場では、相互理解への一つの方法として、血液型の性格占いを参考にして、人間関係を築いている。

Wikipedia からの引用

血液型性格分類


当初は日本人の医学者、教育学者、心理学者などによって、新しい学説の候補として提案されたが、その後にその妥当性を巡って学会で議論が起き、紆余曲折を経た後、学会で否定された[2]。

だが、この説を説く一般向けの本が多数出版されたことや近年日本のマスコミにより繰り返し流布されたことによって、日本、韓国、台湾等一部地域で、それを信じる人やそれを信じているかのような言説が増えた。それらの国々では「血液型」は今や経済的価値を生み出すコンテンツの一種となっており、無数の関連商品及びソフトが市場に流通している。

最も広く流布しているのは、ABO式血液型によって人の性格を分類できるという説である。

血液型と性格との間に特殊な関連を設定した統計的な検証も行われてはいるが、そのような関連を裏付けるような統計データは得られてはいない。

科学的な根拠が存在しない仮説であるにも関らず、一部の人達の間で科学的な説として扱われることがあるので、今日では疑似科学の1つにも数えられることがある[3]。

また、社会心理学では、血液型気質相関説をとりあげ、このような説が社会に流布してしまう仕組みや、このような説が流布することによって人々の認知にどのようなひずみが生じるのか研究している論文などが活発に書かれている。

しかし、こうした学問の世界での検証結果や研究成果はなかなか一般世間には伝わっておらず、最近までテレビ番組等のマスメディアにおいて話題としてさかんに用いられていた。また、今でも世間ではABO式血液型と性格を関連付けて語る事が一時の興として行われていたりする。だが、これらは不当な偏見や差別その他の様々な問題を生む要因を孕んでいるとして、問題視されている。



引用を終わる。


私の空想

日本は、単一民族であるから、血液型占いが流行するのだと思う。
一つの考えとして、「酒の肴」にするもので、血液型で性格の全部を推測しようとするのではない。
遊びとして、宴会の席で話題にする場合が多い。

私のリンクに「血液型占い」を追加したので、興味を持つ人は、調べてください。

私は、「 O型 」である。
「 当たらずといえども、遠からず 」という感想である。

You have guessed nearly right.

posted by kandk55 at 04:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月16日

8月16日・P C (無事生還)

スペースシャトルに搭乗して、無事生還したような気持ちです。

あの世から帰ったと言う方が正しいのかも知れない。
セットアップガイドを見ながら、初期化した時が、地獄の一丁目。
その時、ハードディスクからリカバリをする、しかも、パーティションサイズを変更せずに復元を選んだのが、生還への一歩目でした。

そして、Windows セットアップの後で、カスタムという自分の手でインストールするのを選んだのが、第二歩目でした。

思っていた通り、無線LAN で困難に遭遇しました。
インターネットが開通しない。

そこで、最後の手段として、プロバイダーに援助を求めて、ようやく開通しました。

リカバリーは、半年に一度ほど実施しても苦痛とは感じられないというのが、感想です。

私のような初心者は、マニュアル本を良く読み、パスワードは全部を記録した方が良い結果になるという結論です。

前回は、ブックマークのバックアップだけでしたが、今回は反省して、メールのアカウントのバックアップを取りました。
今回は、成功でした。
面倒だったメールの設定が、インポートとエクスポートを使う事により、簡単になりました。

一歩、一歩、前進してやがて、完全踏破しようと思っています。

今年は、年末に一回する予定です。
posted by kandk55 at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8月15日・私の空想(お盆の夢)

私のブログを、海外の人が見るのを意識して、「お盆」について少し書きます。
興味を持った人は、Wikipedia で、調べてください。


Wikipedia からの引用
仏教用語の「盂蘭盆」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれる。盆とは文字通り、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を備え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もある。現在でも精霊をボンサマと呼ぶ地域がある。

盆の明確な起源は分かっていないが、1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事があった(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残との説がある)が、初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったといわれている。日本では8世紀頃には、夏に祖先供養を行うという風習が確立されたと考えられている。



引用を終わる。
興味を持つ人は、自分で詳しく調べて欲しい。

私か、「お盆」について書くなど、つい先ほどまでは予定に無かった。

8月15日から8月16日に、日付が変わる深夜に、私は怖い夢を見た。

これも、深夜に「霊」が私に教えてくれたかも知れないと思って、書いておく。



それは、「浮気」や「不倫」や「背徳」や「悪徳」つまり、「悪人」についての夢だった。

私の夢によると、それらは、「 異次元空間 」の出来事で、それを通常の次元で見ると、大きな文字の物語で、Penis をエレクトさせる、という事だ。

普通の時は見えないが、影として寄り添い、「悪人」が否かは、「目を細めて、その人を見ればよい」。

決して悪い人には見えないが、目を細めて見ると、微笑が幾重も表情に現われ、「モナリザの微笑み」のように、魅力的である。

「モナリザ」が悪党というのではない。
悪人は、「モナリザ」のように魅力的なのだ。

悪人は、そんな微笑を浮かべて私に、不倫について夢の中で物語ってくれた。



今日は、パソコンを初期化します。
過去の一切を、外部データとして残し、パソコンを生まれたままの姿にします。
Windows XP の初期化です。
無線LANです。
困難が予想されますが、無事に生還する事が出来ると思います。


再見。
posted by kandk55 at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月14日

8月14日・毎日新聞と「2ちゃんねる」

今日、2ちゃんねるを見たら、毎日新聞についてのスレッドが立っていた。

以下、「2ちゃんねる」から引用


毎日新聞の低俗記事問題、社内調査報告書は虚偽の疑い

毎日新聞がオンライン版毎日新聞の英語版コーナー「WaiWai」で事実には反する低俗的な記事を長年に渡って掲載して問題に関連して、低俗記事はオンラインサイトだけでなく毎日新聞の英字紙「Mainichi Daily News」本体にも長年に渡って掲載されていたことが13日までに明らかとなった。

同日付けのJ-CASTニュースが報じた。

毎日新聞では7月20日付けで公表した内部調査報告書においては「(問題の低俗記事は)MDNサイト上では2001年4月から2008年6月まで、原則として毎日、計2561本掲載された」と説明した上で「毎日新聞社は紙面の品質を維持するため社内に紙面審査部門を置き、有識者による第三者機関『開かれた新聞』委員会を設置して紙面の質向上に努めてきました。しかし、英文サイトで起きた今回の問題には目が届きませんでした」と説明し、これらの問題が起きた原因はオンラインサイトのチェック体制が紙面のように十分にできていなかったことによるものとの釈明を行っていた。

しかし、今回、本来であればチェック体制がしっかりとしていたはずの紙面でも低俗記事が長年に渡って掲載されてきたことが判明したことを受けて、問題の本質は毎日新聞のチェック体制そのものにあったことが浮き彫りになった格好だ。

(中略)

実際、2002年に英字サイト側に掲載された「More moms going down to ensure grades go up!(お母さんたちは墜ちていく、成績を上げるために!)」と題された低俗記事は、1997年10月5日付の「Mainichi Daily News」紙に最初に掲載された記事が元となっており、低俗記事の掲載は2001年4月から始まったとする毎日新聞の内部報告書の説明には明らかな虚偽があったこととなる。

ネット上では毎日新聞の内部報告書の誤りを指摘する声が高まってきており、デスク機能が整っていた英字紙面でもなぜ、このような低俗記事がまかり通ったのか、再調査や、関係者の再処分を要望する声も高まってきている。

以上、引用を終わる。




毎日新聞が、自分の新聞を週刊誌と同じレベルと判断して記事を書いたのだから、自分は週刊誌とは違うと言っても、2ちゃんねるは許さないかも知れない。


What one has sown one will have to reap.

そして、

Rome was not built in a day.

そして、

It is no use crying over split milk.
posted by kandk55 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月13日

8月13日・北京五輪・上野雅恵が金メダル

昨日の谷本歩実に続いて、上野雅恵が、アテネ大会に続く二連覇を果たした。

相手は、アナイシ・エルメンデスというキューバの選手だ。
70キロ級の女子柔道は、体格が良い。
キューバの選手は筋肉質で、上野より背が高く、上野は不利だった。

しかし、「 柔よく剛を制す 」である。

昔は、体重別の柔道は存在しなかった。
相撲も柔道も、小さい者が大きい者に勝った時、観客は拍手、喝采をする。
「判官びいき」というが、弱い者に味方するのが、人情である。
勝負は、時の運
勝つ事もあれば、負ける事もある。
負ける事を恐れず、一本勝ちに挑戦して欲しい。

さて、男子柔道について書く。

男子柔道の監督は、変な練習を課したようだが、筋肉トレーニングやマラソンなど持久力をつけるような練習をした方が良いと思う。

スポーツの異種類間のトレーニングが好きかも知れないが、監督は若い頃、そんな練習をしたのか?

忍者のような練習で、一本勝ちが出来るとは信じられない。
忍者には忍者の訓練があり、柔道には、柔道の訓練があると思う。

女子柔道の大会二連覇で、しかも一本勝ちという事実から、小学生に教える気持ちで、指導して欲しい。


監督、あなたの練習方法は間違っている。
posted by kandk55 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月12日

8月12日・北京五輪・谷本の金メダル

2008年8月11日の記事を、Yahoo USA は載せてくれた。
    ↓
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkwwqdaFInksB42pXNyoA?p=translate+Google+cn+m24658&fr=yfp-t-501&ei=UTF-8

Yahoo USA

Virtue never grows old.


何処に何が有るのかを全て知っているインターネットの支配人のように、私のブログを載せてくれた。

「孔子」の国の住人が、私のブログを翻訳して見ているとは意外である。
私は、三流大学卒業で退職が近い老人なのだ。
このブログでは、そんな老人の独り言を掲載している。
日本について、仏教や習俗や知識を求める人は、私のブログを見ると失望すると思う。
だから、速やかに、他のブログを見る事を推奨する。

さて、今日は、北京オリンピックの柔道女子63キロ級で、谷本歩実が、フランスの選手デコスを相手に、「内股」で一本勝ちをした。
彼女は、アテネ大会に続き、同種目で二連覇を果たした。

それが、どうしたの……か ? 

彼女は、一本勝ちを意識して、戦ったと話していた。

日本の柔道のTV番組で、昔の金メダリストの古賀稔彦(koga tosihiko)氏が解説していた。

日本は、外国人と同じ戦法で戦うのではなく、一本勝ちで勝つ事を目標としなさいと話していた。

柔道は国技である。
日本人の武道である。

勝つと思うな、思えば負けよ……という歌がある。

一本勝ちは、一瞬に閃く技である。
試合という流れの中で、「今」という瞬間に閃く、雷鳴のような倒し方である。

ポイントを心配すると、技が小さくなるし、身体の動きも良くない。
そして、外国人の腕力に、日本人は勝てない。

地味だが、腕力を養い技を磨いて、一本勝ちをするのが、日本柔道の進む道だと思う。

柔よく、剛を制す。
間違ったかな?


がんばれ、日本。
がんばれ、日本柔道。

posted by kandk55 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

8月11日・TransLate.GoogLe.cn

先ほど、アクセス解析を見ていたら、私のブログが自動的に翻訳されているのに気づきました。
     ↓
http://translate.google.cn/translate?hl=zh-CN&sl=ja&u=http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/2007-05-2.html&sa=X&oi=translate&resnum=9&ct=result&prev=/search%3Fq%3DFUCK%2B%2BGYANNY%26complete%3D1%26hl%3Dzh-CN%26newwindow%3D1%26client%3Daff-9991%26channel

私のブログも、国際的になったと思います。

五輪の「孔子」の国が、私のブログを翻訳して、閲覧しているのです。

誇り高き国の住人が、私のブログを見ていると判明しました。

聖徳太子が、「日のいずる国から、日の没する国へ」宛てた故事があるように、私も文書を書く必要があるかも知れません。

「北京オリンピックの開催、おめでとうございます。私は日本人ですから、日本を応援します。がんばれ、日本。がんばれ、日本柔道」

また、後日、柔道の事を書きます。

再会。
posted by kandk55 at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月10日

8月10日・毎日新聞が告訴される・9月10日が第一回口頭弁論

今朝、2ちゃんねるを見ていたら、毎日新聞が告訴されているのを知った。



以下は、2ちゃんねるからの引用である。
(実名は○○として伏せた)

毎日新聞社が提供を行っていた英文サイトのコーナー「WaiWai」で日本人を辱める自虐的な低俗記事を外国人向けに提供していたことに関連して、神戸市在住の男性が毎日新聞を相手に損害賠償の民事訴状を神戸地方裁判所に起こしていたことが7日までに明らかとなった。

毎日新聞社を相手に損害賠償訴訟を起こしたのは神戸市に住む○○さん(33)。

訴状の中で○○さんは、「1999年から現在に至るまで、毎日新聞英語版において、日本人全員を侮辱する、何ら根拠に基づかない記事を故意に配信した行為は社会の公器たる新聞社の行為として到底許されるべきものではなく、違法性は極めて高いといわざるを得ない」と糾弾。
その上で「かかる記事は日本人全員を侮辱するものであって、原告も日本人の一員として、被告に対し強い憤りを感じ、被告の行為によって強い精神的苦痛を受けた」として10万円の損害賠償の支払いを求めた。

第一回口頭弁論は神戸地裁で9月にも行われる予定。



9月10日が、第一回口頭弁論である。

原告が勝っても負けても、2ちゃんねるで、「祭り」と称する書き込みがあるだろう。

新聞やTV各社は、毎日新聞の報道を詳しく報じていなかったが、今回は、勝っても負けても、記事になる事を狙った告訴のように思われる。
posted by kandk55 at 12:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする