2008年11月30日

2008/11/30・私の解釈(ガイア理論的・台風的)U

Yahoo USA で、「ガイア理論的・台風的」という言葉の検索をすると、今日の記事が、LOVELOG という形で登録されていた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkiMtVTJJzM4AVgKl87UF?p=%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A2%E7%90%86%E8%AB%96%E7%9A%84%E3%83%BB%E5%8F%B0%E9%A2%A8%E7%9A%84&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-105&fr2=sfp

仏教に関する私の知識は、「笹本戒浄上人全集」から得ているが、上人が言う「大我」を理解していない。

その「大我」は、宇宙を知る事ではなくて、地球上の生き物、全ての生命を感じる事だと思っている。

その意味で、「ガイア」という言葉を使った。

宇宙を知る事が可能か?

私は、疑問に思っている。

宇宙の構造や「暗黒物質」やブラック・ホールの存在など、未知の世界は多い。

量子論の結論は、「全体と一部と分離する事は出来ない」と、解釈している。

宇宙の物質の人間が、同じ宇宙の物質や生物を完全に制覇する事は不可能だと思う。

私は、他の生物を制覇する事に重点を置かない。

前述したように、生き物には「無明」が存在する。

私は、その「無明」を通路にして、人間や牛や馬や猫や犬などの動物に生まれ変わると思っている。

これは、私が考えたのでは無い。

仏教で、「六道輪廻」という循環が説いてある。

その「六道輪廻」する終点と出発点が、「ガイア」に存在すると思っている。



これは、私の解釈として、後日、書く予定である。

今回は、そのターミナルを書いただけである。

Every miller draws water to his own mill.
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2008/11/30・私の解釈(私はガイア理論的・台風的な構造か?)

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

以下がこれまでの経過です。

@如来様(nyoraisama)の「宇宙」
A意識と精神の「世界」
B電磁波の構造を持つ「 自意識 」

C光に乗った意識。
D「幽霊」になった自分。
E自分の外に「 心 」を持つ。


F「空間意識」では、現象を見る。
G「感覚」により、エネルギーを取り出す。
H身体(2008/11/3 追加)
I意識の座標軸(主観的時間)は、無明であり、生命である。
J無明の中で「認識」は成立して、エネルギーになる。
K人間は、無明、つまり自我意識であり生きる意欲により、霊と魂に結ばれている。
L「精神」とは、阿頼耶識(arayasiki)である。
M現象は「あの世」に対する「仮の世」とか「現象学の現象」とは違い、無明(私は涅槃と同じと思っています)の世界で成立していない、自分だけの考えで、末那識(manasiki)の中での認識であり、本来のエネルギーとなっていない。

N認識した事を、無意識のレベルで感じる事、無意識は阿頼耶識(arayasiki)の領域であり、認識した情(zyou)は、エネルギーに変わり、見る事が出来ない事が「意識は電磁波である」事の証拠とします。

O生まれてから死ぬまでの一生と、生きている瞬間、あるいは一日の長さには、根本的な違いは無く、時間の長さは違いますが、無明(私から言うと涅槃)から無明へ進む。

私が言う現象面で、現象から瞬時に無明(涅槃)を把握した時、つまり本質直感をした時と死んで涅槃に行く時を同じで、涅槃に行くとは、自分の末那識(manasiki)に終止符を打つ事で、それは生きている時も可能である。

生きている間は、人生を変える可能性が有り、何時でも生き方と言う可能性、つまり末那識(manasiki)を変更する事が出来る。

無明から無明へと現れて消えて行き軌道を人の運命と考える。
人の涅槃には、生命の創造者が存在して、生命は、無明の中に解消されるが、如来様(nyorisama)の領域で、「生命保存の原則」が存在するかも知れない。

P生命の終点と出発点は同じ「無明」であり、精神が何処から生まれて、死後は、何処に行くのか不明である。
そんな「無明」を、地球上の生物は、皆、持っていて、「無明」で、地球上の生物は、一つに連結している。

地球の一つの霊魂に戻り、そこから再び、出生として人間として生まれ変わる。

生死、流転するものが「子」の自分の魂。
地球の一つの霊が、「親」としての人類の霊。




2008/11/30・考えた事。



今、考えているのは、ガイア理論と台風である。

ガイア理論

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

ガイア理論(ガイアりろん)とは、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げていることを、ある種の「巨大な生命体」と見なす仮説である。ガイア仮説ともいう。



このガイア理論に該当するのが、「親」としての地球の一つの生命体の「霊」であると思う。

私は、仏教の「大我」は知らないが、それに相当する物として、「巨大な生命体」を考える。

それで、生死を流転する「小我」は何か?

台風についての考え。

「小我」は、「台風」的な構造した自我意識であると思う。

「意識は電磁波である」という考えは崩したくないが、現象界で想像する形としては、「台風」である。

大気の変動により発生すると思うが、私の経験では、「台風の目」は、明るい空を見る事が出来る。

そして、「台風の目」の周囲は、暴風雨である。

「台風の目」が、私の「意識は電磁波である」という考えの縦軸の「主観的時間」、「生命のリズム」であり、「無明」である。

台風の中心で青空を見る事が出来るが、それは自分の根本の「無明」が、宇宙の無明に連結している事であり、台風を形成している暴風雨が「煩悩」であり、「時間意識」と「空間意識」が存在する「現象界」であると思う。

台風は、低気圧であり、自我を形成する末那識(manasiki)が形成する「煩悩」である。

暴風雨圏内とは、「煩悩」の広がる範囲であり、末那識(manasiki)に形成させれる阿頼耶識(arayasiki)の範囲である。

台風も自分も、低気圧や煩悩により、実体として感じられるが、水蒸気の集まりと宇宙の塵であり、自然の一部として循環する物体であり、ある条件で発生する形である。

その条件が、仏教の「縁」だと解釈している。

台風も自分も、実体は無くて、形を変えるだけで、株式会社が経営形態を変えるのと同じである。



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2008年11月29日

2008/11/29・私の解釈(男と女と親と子と無明)

男と女
牡と牝
親と子

世界の生き物は、どれかに該当するだろう。

男でなければ女。
牡でなければ牝。
親でなければ子。

その意味。

男ならば女の事を知って配慮しなさい。
親であれば、子の事を知って配慮しなさい。
子であれば、親の事を知りなさい。
何時かは、子も親になり、死んでゆく。
結婚は、男女が選んだ事である。
愛とは何かを考えなさい。
親は子を選べないが、子は、親を選んで生まれて来るという話を聞いた。
もし、そうであるなら、親孝行して、親を喜ばせたらどうですか?

後日、書きますが、生命の終点と出発点は同じ「無明」だと思います。

つまり、精神が何処から生まれて、死後は、何処に行くのか不明なのです。

そんな「無明」を、地球上の生物は、皆、持っています。

「無明」で、地球上の生物は、一つに連結しています。

地球の一つの霊魂に戻り、そこから再び、出生として人間として生まれ変わるのです。

それが、「親」と「子」の「関係」だと思います。

生死、流転するものが「子」の自分の魂。
それを可能にするのが「親」としての人類の霊。


自然のままの「男女」や「親子」の現象を楽しむと同時に、精神としての「関係」も考える方が良いと思います。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2008/11/29・私の解釈(男と女と親と子と性教育)

以下が、私のブログへのアクセス状況である。

1 土曜日・セックスの条件
2 /m24658/pages/user/m/tb/regist/input  
3 トップページ
4 /m24658/pages/user/m/comments/regist/lis..  
5 2008/9/23・スパイウェア対策ソフト  
6 /m24658/pages/user/m/article  
7 /m24658/pages/user/m/comments/regist/inp..
8 2月3日・Window Media Player 11 でMP3に変..  
9 6月9日・昨日の秋葉原通り魔事件  
10 2008/9/5・ SEX 画像

人間であるから、SEX について知りたいと思うのは、私も同じである。

しかし、疑問も感じて欲しい。

世界中の人間が、

男と女

親と子に

分類されるのは、

何故だろう ?

あるいは、世界は、

どうしてオスとメスなのか ?

神は、なぜ男と女を作り、

SEX をするのか?






私の解釈

それは、神が、汝に親が存在する事を知らせ、学習させるためだと思う。

全ての人間は、男か女であり、子孫繁栄のために、SEX をして、生物的に親になる。

生物的に、親になるのは、人間だけではない。

犬も猫も、生物は、皆、親になる。

植物にも、雌雄の区別があって、種を保存している。

人間は、生物的に親になる事のほかに、精神的に親になって、本当の「親」になると解釈する。

学校の性教育は、「親」になる事を教えなくてはならない。

植物と動物や人間の SEX の違いなど、子供は既に知っている。

知らないのは、「親」になる事だ。

植物の雄蕊と雌蕊で、生殖を説明する事と、人間の性器で教育するのに、大きな違いは無い。

子供は、面白がって聞いている。

しかし、「親」の気持ち、子供への愛情や異性への配慮などは、知らない。

性教育で教えるのは、「親」になるための教育であり、SEX の方法を教える事ではない。

性教育の場で、「男」と「女」の尊厳を教えなくてはならないのに、人体の違いと、妊娠の防御方法だけを教える。

大切なのは、「生殖」ではなくて、「生命の誕生」と「生命の尊厳」なのだ。

若い時は、SEX ばかり考えても誰も不思議とは思わないが、生殖が終わり、「親」とは何か、「子」とは何か、について子供から聞かれると、親の頭は混乱する。

これについて、私の解釈は、後で書くが、現在の日本の尊属殺を思うと、親は殺される理由を持っているから殺されるかも知れないし、親から教育された子供も、親の教え以上に成長していないのかも知れない。

私のブログを検索する人が、そんな人であるとは思わないが……。

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2008年11月28日

2008/11/28・私の解釈(笹本戒浄上人の本・値段)

大変、ありがたい事ですが、Yahoo USA に、「笹本戒浄上人の本」が登録されています。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkkRI6y5JFMIAxqNXNyoA?p=%E7%AC%B9%E6%9C%AC%E6%88%92%E6%B5%84%E4%B8%8A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%9C%AC&fr=yfp-t-501&ei=UTF-8


市場での価格は、以下の通りです。

笹本戒浄上人全集(上巻)96、000円〜
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/B000J7PU0O/ref=sr_1_olp_3?ie=UTF8&s=books&qid=1227808994&sr=1-3

笹本戒浄上人全集(中巻)5、000円〜
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/B000J7F2V6/ref=dp_olp_used?ie=UTF8&condition=used

笹本戒浄上人全集(下巻)5、000円〜
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/B000J7225A/ref=sr_1_olp_2?ie=UTF8&s=books&qid=1227810930&sr=1-2

真実の自己 900円〜
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4900470120/ref=sr_1_olp_5?ie=UTF8&s=books&qid=1227809186&sr=1-5


笹本戒浄上人全集(上巻)の値段が高い。

山崎弁栄上人を師とする、光明主義の基本的な考えが書かれているからでしょう。
六道輪廻についても書かれています。


笹本戒浄上人全集(中巻)は、「真実の自己」について書かれています。

笹本戒浄上人全集(下巻)は、論文集です。



これらの本は、宗教的な本なので、私の解釈の間違いは、信仰する人を侮辱する事になり、間違いを恐れるから、解釈を書きません。

メモ

笹本戒浄上人全集(中巻)

真実の自己とは、仏教でいう大我である。
生死流転し、変化する自己は、小我である。

真実の自己(198ページより引用)

(小我)は、業(gou)と煩悩(bonnou)からできる。
業(gou)とは、習慣になった意志活動である。
生まれ変わった事は、生きている間に身体の中にいろいろな心ができます。
子供をよく虐めることが習慣となりますと、遂に心が鬼となってしまう。
この身体の中の心が鬼となってしまう。
それは意志活動、それが習慣となると、この身体の中に鬼の心が身ごもる。
この身体が死んだ時に、鬼の子が生まれるのであります。

(引用を終わる)

これは、六道輪廻について書かれた物と思います。

私は、仏教については、これ等の本しか持っていません。

仏教に興味を持つ人は、この本を呼んでください。

現代人でも読めば理解する事が出来るように、六道輪廻が、簡単に書かれています。

笹本戒浄上人の本を参考にして、「意識は電磁波である」という私の立場から、六道輪廻を考えることにします。
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2008年11月14日

2008/11/14・老人よ、来年から介護保険料が上がるヨA

Yahoo USA に「老人よ、来年から介護保険料が上がるヨ」が登録されました。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkyUjtRxJ.DoBI0il87UF?p=%E8%80%81%E4%BA%BA%E3%82%88%E3%80%81%E6%9D%A5%E5%B9%B4%E3%81%8B%E3%82%89%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E4%BF%9D%E9%99%BA%E6%96%99%E3%81%8C%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%82%8B%E3%83%A8&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501

世界中に、この情報が発信されました。

どうする、自由民主党。

日本の消費税が、定価の5パーセントで、世界に比べて低い事は、認めます。

私は、消費税を払いますが、その税金が社会福祉に補充されないから、反対するのです。

社会福祉に使う目的の消費税ならば、消費税を上げる事に賛成します。


さて、介護保険ですが、費用の半分を税金で負担します。
国が25パーセント、県が12.5パーセント、市町村が12,5パーセント。
そして、残りの50パーセントを、40歳以上で65歳未満の成人と65歳以上の老人が負担します。

介護報酬を上げると、負担する割合に変化が有りませんから、負担する金額が増加します。

そして、介護保険を使っているのは、障害を持つ人や、生活保護の人が多いです。

本来は、国が、全部を負担するのが「政治」でしょう?

国の負担を、老人が負担していると思います。

老人の負担は、限度です。

老人は、病気も成人に比べて多く持っています。

後期高齢者保険の負担もしています。

「老人は、早く死ね」と言う政策です。

この福祉に、なぜ税金を使わないのか?

人を人と思わない考えの持ち主が、「政治家」なのです。

二世、三世と、「政治家の世襲」は、腐敗を呼び、健全な頭の政治家は育ちません。

職業の世襲は許されるならば、遠い昔の「奈良時代」や「平安時代」に戻った政治です。

米国も、チェンジしました。

日本の政治家も、チェンジしては、いかがですか?

経済が「世界恐慌」を向かえるかも知れないのに、「給付金」という税金を配るのは、根本的な解決ではありません。

しかも、無為、無策の政治。

早く、経済の有識者を集めて、対策を考えなさい。
経済は、生きています。

日本経済が、恐慌に襲われたら、配られた「給付金」で生活する事は出来ません。

せめて、人間的な温かみを見せなさい。

人間として安心を与えなさい。

総理、総理、日本を導いてください。

それが、あなたの仕事でしょ?
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2008/11/14・私の解釈(ブログの方針)

Yahoo USA が、「私の解釈(笹本戒浄上人の本)」を登録してくれました。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkiYXbxxJ0mwBnIGl87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E8%A7%A3%E9%87%88%EF%BC%88%E7%AC%B9%E6%9C%AC%E6%88%92%E6%B5%84%E4%B8%8A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%9C%AC%EF%BC%89&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

笹本戒浄上人が、世界中から注目される事を願います。

しかし、このブログの方針により、好きな所だけを取り上げますから、笹本戒浄上人の全貌を知りたい人は、本を読んでください。

以下がこれまでの経過方針です。

@如来様(nyoraisama)の「宇宙」
A意識と精神の「世界」
B電磁波の構造を持つ「 自意識 」

C光に乗った意識。
D「幽霊」になった自分。
E自分の外に「 心 」を持つ。


F「空間意識」では、現象を見る。
G「感覚」により、エネルギーを取り出す。
H身体(2008/11/3 追加)
I意識の座標軸(主観的時間)は、無明であり、生命である。
J無明の中で「認識」は成立して、エネルギーになる。
K人間は、無明、つまり自我意識であり生きる意欲により、霊と魂に結ばれている。
L「精神」とは、阿頼耶識(arayasiki)である。
M現象は「あの世」に対する「仮の世」とか「現象学の現象」とは違い、無明(私は涅槃と同じと思っています)の世界で成立していない、自分だけの考えで、末那識(manasiki)の中での認識であり、本来のエネルギーとなっていない。

N認識した事を、無意識のレベルで感じる事、無意識は阿頼耶識(arayasiki)の領域であり、認識した情(zyou)は、エネルギーに変わり、見る事が出来ない事が「意識は電磁波である」事の証拠とします。



ブログの方針

笹本戒浄上人の本を解釈すると言っても、それは、独断と偏見に満ちています。

私は、「意識は電磁波である」と言う立場で、笹本戒浄上人の立場とは違います。

それは、いままでの経過を読むと判断する事が出来ますが、少し、補足します。

これは、私の考えであり、笹本戒浄上人の本の内容とは違いますので仏教では無いでしょう。

私は、立場の構造上、生まれてから死ぬまでの一生と、生きている瞬間、あるいは一日の長さには、根本的な違いは無いと思います。

時間の長さは違いますが、無明(私から言うと涅槃)から無明へ進む事は可能です。

私が言う現象面で、現象から瞬時に無明(涅槃)を把握した時、つまり本質直感をした時と死んで涅槃に行く時を同じと解釈します。

死んで涅槃に行くとは、自分の末那識(manasiki)に終止符を打つ事で、それは生きている時も可能であると思います。

違うのは、涅槃に行くまでの「時間」が違う事。

生きている間は、人生を変える可能性が有り、何時でも生き方と言う可能性、つまり末那識(manasiki)を変更する事が出来る事です。


私は、彗星のような流れ星を想像します。

流れ星は、軌道を変更する事が出来ませんが、私は、その軌道を人の運命と考えます。

無明から無明へと現れて消えて行きますから、「宇宙」の軌道としては、流れ星も人間も、同じかも知れません。

菩薩が現れるために、何年も時の経過を必要とするのも、「宇宙」の軌道に似ています。

星と人は、「宇宙」の構成物は同じで、生命の有無が違うだけだからと思います。



人の涅槃には、生命の創造者が存在して、生命は、無明の中に解消されるが、如来様(nyorisama)の領域で、「生命保存の原則」が存在するかも知れません。



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2008年11月13日

2008/11/13・老人よ、来年から介護保険料が上がるヨ

政府・自由民主党は、10月30日に、介護報酬を2009年度から3パーセント引き上げる事を決めた。

介護保険法は、介護に関する費用を、税金で50パーセント、保険料で50パーセントを負担すると決めている。

介護サービスの費用の90パーセントを介護報酬として、介護保険特別会計からサービスを提供した事業所に支払い、10パーセントを介護を受けた者が負担する。

税金からの支出の割合を変えずに、介護報酬の金額を上げると、保険料の割合は変わらないが、金額が増える。

これまで、事業所の経営を犠牲にしても、保険料は上がった。

今回は、事業所で働く職員の給与を上げるためだろうが、事業所の経営に吸収されて、給与は上がらないかもしれない。

そして、確実に介護保険料は上がり、庶民の負担が多くなり、老人の可処分所得は減少する。

政府の自由民主党に対する不満が高くなるかも知れない。

選挙で勝つために、日本国中に、税金を配る自由民主党。


老人たちよ、こんな政治家に、命を預けるのか。

老人も、私も、投票する一票を持っている。

もう、猿芝居は結構だ。
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2008/11/13・私の解釈(意識は電磁波である)

アクセス解析を見て、Yahoo USA からのアクセスを発見しました。

Yahoo USA 「意識は電磁波である」の検索
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkxI5ExpJXwYAkY5XNyoA?p=%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AF%E9%9B%BB%E7%A3%81%E6%B3%A2%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B&y=Search&fr=yfp-t-501&ei=UTF-8

私の主張の根拠を問うのでしょうか ?

私は、人間が「時間」と「空間」を、無条件に「了解」するのが不思議だと言うだけなのです。

人類の歴史上で、人が誕生の時に持つ時空の問題を考えた人がいないのが不思議なのです。

一般相対性理論で、「時間」と「空間」を時空として考えるならば、「時間」や「空間」は、意識の問題だろうと、私は、言うのです。

詳しくは、過去の記事を見てください。

世界を象が支えている絵画を見ましたが、それと同じ水準の考えなのです。

無視されても、私に不満はありません。

これは、現実の科学的な問題ではなくて、私にとって、そう考えた方が種々の面で合理的だから、保持するのです。

世界の知識として妥当とは思いません。

しかし、生みの親として、わが子を放棄しません。



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2008/11/13・私の解釈(笹本戒浄上人の本)

私は、仏教の話が好きだが、僧侶ではない。
私は、物理の話をするが、理系の卒業生でもない。
私は、哲学の話をするが、哲学を学んでいない。
私は、法律科の卒業生である。

これまでに考えた事。

@如来様(nyoraisama)の「宇宙」
A意識と精神の「世界」
B電磁波の構造を持つ「 自意識 」

C光に乗った意識。
D「幽霊」になった自分。
E自分の外に「 心 」を持つ。


F「空間意識」では、現象を見る。
G「感覚」により、エネルギーを取り出す。
H身体(2008/11/3 追加)
I意識の座標軸(主観的時間)は、無明であり、生命である。
J無明の中で「認識」は成立して、エネルギーになる。
K人間は、無明、つまり自我意識であり生きる意欲により、霊と魂に結ばれている。
L「精神」とは、阿頼耶識(arayasiki)である。
M現象は「あの世」に対する「仮の世」とか「現象学の現象」とは違い、無明(私は涅槃と同じと思っています)の世界で成立していない、自分だけの考えで、末那識(manasiki)の中での認識であり、本来のエネルギーとなっていない。

N認識した事を、無意識のレベルで感じる事、無意識は阿頼耶識(arayasiki)の領域であり、認識した情(zyou)は、エネルギーに変わり、見る事が出来ない事が「意識は電磁波である」事の証拠とします。




2008/11/13・考えた事

私は、以前、念仏していると書きました。

私は仏教についての知識を持っていませんが、次の本を読んで、感じた事を、「私の解釈」として書きます。

笹本戒浄上人全集、(全3巻)   ↓
http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g65760513?u=soudesyo1

Yahoo のオークションで買う事が出来ます。
「お別時」の法話を中心とした本です。

この本を、これまでの私の考えで解釈します。

仏教についての知識を求める人には、不適当ですから別のブログを見てください。

これは、私だけの考えで、独断と偏見で書きますので、同調は求めません。

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2008年11月12日

2008/11/12・私の展開(意識は電磁波である)

Yahoo USA が、「私の悩み(意識は電磁波である)」の記事を登録しています。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkxI5ExpJXwYAkY5XNyoA?p=%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AF%E9%9B%BB%E7%A3%81%E6%B3%A2%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B&y=Search&fr=yfp-t-501&ei=UTF-8

私は、人類の歴史上で初めて「意識は電磁波である」と言う文句を作りました。

詳しい事は、別の記事に書いています。

何度も言いますが、赤ん坊に時間も空間も教育する必要がありません。

赤ん坊は、既に、知っているのです。

昼や夜、時刻を知らないだけです。

少し考えると、これ等は、社会の生活様式です。

知っていても知らなくても、人間として生きる事ができます。


私は、時間や空間を意識する事は、遺伝子の中に組み込まれていて、全ての人間が持つ力であると思うのに、人類が今まで考えた事も無かった事が不思議です。

私の欠点は、「意識は電磁波である」事を証明する事が出来ない所です。

私は、認識した事を、無意識のレベルで感じる事が、「意識は電磁波である」事の証拠とします。

無意識は阿頼耶識(arayasiki)の領域であり、認識した情(zyou)は、エネルギーに変わり、見る事が出来ない事も、その証拠としましょう。

これは、後日、話す「無明」の中の「形」の変化にも関連します。

次の話を、お楽しみください。

Poor thinking is as good as no thinking.


2015/1/30、私の現在の考え 5 意識は電磁波である。 を参照
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2008年11月11日

2008/11/11・私の展開(これまでの経過と現象について)

私は、仏教の話が好きだが、僧侶ではない。
私は、物理の話をするが、理系の卒業生でもない。
私は、哲学の話をするが、哲学を学んでいない。
私は、法律科の卒業生である。

私は、仏教は好きですが、仏教の事を書いているのではありません。

仏教について知識を求める人は、他のブログをみてください。


これまでに考えた事。


@如来様(nyoraisama)の「宇宙」
A意識と精神の「世界」
B電磁波の構造を持つ「 自意識 」

C光に乗った意識。
D「幽霊」になった自分。
E自分の外に「 心 」を持つ。


F「空間意識」では、現象を見る。
G「感覚」により、エネルギーを取り出す。
H身体(2008/11/3 追加)
I意識の座標軸(主観的時間)は、無明であり、生命である。
J無明の中で「認識」は成立して、エネルギーになる。
K人間は、無明、つまり自我意識であり生きる意欲により、霊と魂に結ばれている。
L「精神」とは、阿頼耶識(arayasiki)である。


私が言う「現象」の意味は、「意識は電磁波である」と言う考えから出た言葉です。

「あの世」に対する「仮の世」とか「現象学の現象」とは違い、無明(私は涅槃と同じと思っています)の世界で成立していない、自分だけの考えを「現象の世界」と書いています。

意識の世界、つまり末那識(manasiki)の中での認識であり、本来のエネルギーとなっていません。

全て、自分を中心にして見て、自分の可能性を拡げるために、道具として利用する事だけ考える。

宇宙を知るのは自分であり、自分を考えないと宇宙は存在しない、と言う考えです。


「愛」が現象界に現れると「愛」という精神が「受肉」しているから「愛情」として現れる。

「愛」として差し出された物、「愛情」を、SEX の対象として見て、自分の欲望を満たすために計算する。

人を道具として見る考え。

現在、考えている、この私の考えも、現象としての私の考えです。

これが、人類の「精神」として認められないと、知識ではありません。

私の「精神」として私を慰め、私だけの実存の証として残すだけしか私はできません。

書いた物は、書いた人の文化として残るのは、誰でも同じです。

これまでの経過を書きました。

これから、どうすれば良いのか、私も知りません。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2008年11月10日

2008/11/10・私の展開(自我意識は悪者ではない)C

私は、仏教の話が好きだが、僧侶ではない。
私は、物理の話をするが、理系の卒業生でもない。
私は、哲学の話をするが、哲学を学んでいない。
私は、法律科の卒業生である。

Yahoo USA が、私の記事を載せてくれました。
私の考えが、転覆すると思っているのでしょう。

私の展開(自我意識は悪者ではない)
   ↓
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkwRVchdJXSQB0AOl87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E5%B1%95%E9%96%8B%EF%BC%88%E8%87%AA%E6%88%91%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AF%E6%82%AA%E8%80%85%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%EF%BC%89&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

私の考えに限界がありますので、少し Wikipedia から引用して考えます。


煩悩
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A9%E6%82%A9

煩悩の根源(人間の諸悪の根源)は貪欲(とんよく[1])・瞋恚(しんに・しんい)・愚痴(ぐち)の三つとされ、これをあわせて三毒と呼ぶ。三毒の中でも特に愚痴、すなわち物事の正しい道理を知らないこと、十二因縁の無明が、最も根本的なものである。
煩悩は、我執(自己中心の考え、それにもとづく事物への執着)から生ずる。この意味で、十二因縁中の「愛」は、ときに煩悩のうちでも根本的なものとされる(日常語の愛と意味が異なることを注意)。

貼り付け元

私の考え

私は、「意識は電磁波である」という立場です。

Wikipedia は、知識として書いていると思いますが、私の立場からは、「 自我意識 」は、これに反対します。

煩悩の根源は無明かも知れませんが、無明だから希望を持つ事が出来て、死に怯えずに生きる事ができると思います。



煩悩は、我執(自己中心の考え、それにもとづく事物への執着)から生ずる。

これは、私が言う「時間意識」と「空間意識」の中で、つまり認識が成立する意識の中で、現象として考える事を必要とされる中で、現象ではなくて「実体」と判断して、執着する態度が煩悩だと思います。

末那識(manasiki)で終わった認識で無明まで進んでいない認識だと思います。

それは、本来のエネルギーではなくて、自分に都合が良いエネルギーで、快楽という物でしょう。


仏教の「愛」の内容は知りませんが、私は、自分を正しく愛すると言う事を、仏教が、どのようにして伝えて来たのか知りません。

これは、私の無知です。

私は、現象として考える事を必要とされる中で、「愛」は、「 情(zyou) 」として現れると思います。

私の考えでは、末那識(manasiki)が「愛」を「情(zyou)」として、楽しむから、快楽と言う煩悩が生まれると思います。

これも、末那識(manasiki)で終わった認識で無明まで進んでいない認識だと思います。

それは、本来のエネルギーではなくて、自分に都合が良いエネルギーです。

つまり、規制するのが「愛」であるのに、「情(zyou)」として、追求を止めるのだと思います。

そうであれば、「精神」とは、阿頼耶識(arayasiki)であると言うのが結論です

Poor thinking is as good as no thinking.
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2008年11月09日

2008/11/9・私の展開(自我意識は悪者ではない)B

私は、仏教の話が好きだが、僧侶ではない。
私は、物理の話をするが、理系の卒業生でもない。
私は、哲学の話をするが、哲学を学んでいない。
私は、法律科の卒業生である。


2008/11/7・考えた事。

私は、以下の座標軸で考えている。

@如来様(nyoraisama)の「宇宙」
A意識と精神の「世界」
B電磁波の構造を持つ「 自意識 」

C光に乗った意識。
D「幽霊」になった自分。
E自分の外に「 心 」を持つ。


F「空間意識」では、現象を見る。
G「感覚」により、エネルギーを取り出す。
H身体(2008/11/3 追加)
I意識の座標軸(主観的時間)は、無明であり、生命である。
J無明の中で「認識」は成立して、エネルギーになる。



Wikipwdia での解説は以下の通りです。

無明

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%98%8E


十二因縁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%9B%A0%E7%B8%81


無明は、無知であり、迷いであるかも知れませんが、無明とは「生きる意欲」でもあります。

私が、今、想像している事は、「台風」の姿です。

日本に「台風」が来ますが、「台風の目」は、天気が良くて大気圏に抜けていますが、周囲は暴風雨です。

暴風雨の範囲が、「意識」の範囲で、「台風の目」が無明であると考えます。

大気圏を「霊」と考えて、意識を「魂」と考えます。

「魂」、つまり意識は死亡により消滅しますが、大気圏、つまり「霊」は消滅せず、次の「台風」、つまり「人間」を生みます。

古来、「波」が「自我」で「水」が「大我」と説明される事を、「台風」と「大気圏」にした考えです。

「台風」と「大気圏」を結ぶ物は、「台風の目」である無明です。

大気圏が存在する限り「霊」も存在し、「台風」が発生するように「魂」も発生し、「台風の目」である無明も発生すると考えます。

このように考えると、「魂」は消滅し個人の無明も消滅するが、「霊」は消滅しないという結論になります。


人間は、無明、つまり自我意識であり生きる意欲により、霊と魂に結ばれている。


これを、私のブログの結論とします。
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2008年11月08日

2008/11/8・パソコンのリカバリB

2008/11/8・19時30分、現在の状況です。

1 /m24658/pages/user/m/article  
2 /m24658/pages/user/m/comments/regist/lis..
3 /m24658/pages/user/m/tb/regist/input  
4 /m24658/pages/user/m/comments/regist/inp..
5 RSS  
6 土曜日・SEX 画像  
7 トップページ
8 2008/11/7・パソコンのリカバリーA
9 2008/11/7・パソコンのリカバリー  
10 木曜日・老人SEX画像

パソコンのリカバリが、8位と9位にランクされています。
無事に生還しました。

パソコンは、ガイドに従いますから、自分のパソコンのガイドブックは大切にしましょう。

参考にはならないと思いますが、私が感じた所を書きます。

@確実なバックアップが必要です。

ブックマークは、パソコンのマイ、コンピュターを開いて、Cドライブの内容を開いてから、CD等の外部媒体を開いて、ドラッグアンドドロップすれば簡単にコピーする事が出来ます。

メールも、Outlook Express を開いてドラッグアンドドロップすれば、コピーする事が出来ます。

自分のガイドブックで確認すれば、リカバリなどは、簡単です。

「知識は力」であり「知識は光」なのです。

Aパスワードは、一つのブックに書きましょう。

私は、可能であれば印刷をしています。

印刷物を見れば安心です。

私は、その印刷物を、ノートにホチッキスで留めています。

ノートを見れば、パスワードが判明するように工夫しています。

これも「知識」です。

B音楽を聴きながら、リカバリを行いました

Windows Update やウイルスソフトのスキャンなどは、時間を必要とします。

そんな時、私は、ICレコーダーで好きな音楽を聴きました。

来日した米国の歌手の曲です。

頭脳に創造的な脳波を生む曲が有るかも知れませんが、私は、以前、好きだった曲を聴きます。

ICレコーダーを推薦します。

私のレコーダーは、中国産ですが日本の会社名です。
好きな曲を、繰り返して聴く事が出来るので、リカバリに集中する事が出来ました。

私が感じた所なので、参考にならないと思いますが、今日の報告として書きました。
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2008年11月07日

2008/11/7・パソコンのリカバリーA

続きです。

データーのバックアップは、日常的に行っているので、簡単に完了しました。

そこで、私の考えも、単純だと知りました。

私の意識の構造が、パソコンの機械。

データーが阿頼耶識(arayasiki)。

その中から、必要なデーターをバックアップする方法が、末那識(manasiki)の仕組み。

バックアップされたのは、選ばれた阿頼耶識(arayasiki)。

パソコンを購入した時と同じ状態にして、バックアップしたデーターを複写するのも、末那識(manasiki)の仕組み。

リカバリーした後は、選ばれた阿頼耶識(arayasiki)だけが存在し、その上に、末那識(manasiki)の仕組みにより、新たな阿頼耶識(arayasiki)を積み重ねる。

それを操作しているのは、生きている私。

それは、「幽霊」になって、上からパソコンを見ている私。

私の話も、単純な話である。
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2008/11/7・パソコンのリカバリー

私はパソコンを、明日、リカバリーします。

前回のリカバリーが8月16日でしたから、三ヶ月後のリカバリーになります。

「仮想メモリーが少ない」という警告で、アプリケーションを削除しましたが、C ドライブの75パーセントを使っている事が判明しましたので、リカバリーをして、パソコンの動作を軽くしたいと思います。



原因は、普通のウイルス対策ソフトに加えて、スパイウェア対策ソフトを二つもインストールしている事。

Microsoft のinternet Explorer の他に、Apple 社のSafari や iTune と QickTime をインストールしている事。

それに加えて、 Rial Player をインストールしている事。




これらが、パソコンの動作を遅くしている原因だと思います。

しかし、一旦、便利さを味わった私は、これらを再びインストールするだろうと思います。

これまで経験した快感を忘れる事が出来ないのです。

自分の弱さは、自分が一番、知っています。

明日は、全てが白紙に戻ります。

このブログに帰還するのが遅くなるかも知れません。

今夜は、リカバリーの前に、全部のデータをバックアップします。

では、後日、また会いましょう。

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2008/11/7・私の展開(自我意識は悪者ではない)A

私は、仏教の話が好きだが、僧侶ではない。
私は、物理の話をするが、理系の卒業生でもない。
私は、哲学の話をするが、哲学を学んでいない。
私は、法律科の卒業生である。


2008/11/7・考えた事。

私は、以下の座標軸で考えている。

@如来様(nyoraisama)の「宇宙」
A意識と精神の「世界」
B電磁波の構造を持つ「 自意識 」

C光に乗った意識。
D「幽霊」になった自分。
E自分の外に「 心 」を持つ。


F「空間意識」では、現象を見る。
G「感覚」により、エネルギーを取り出す。
H身体(2008/11/3 追加)
I意識の座標軸(主観的時間)は、無明であり、生命である。



Yahoo USA は、「私の展開(自我意識は悪者ではない)」を登録してくれました。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGklqeGxNJQgIAyJSl87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E5%B1%95%E9%96%8B%28%E8%87%AA%E6%88%91%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AF%E6%82%AA%E8%80%85%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%29&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-100&fr2=sfp

私の小さな記事を紹介してくれた Yahoo USA に、大変、感謝します。

これは、世界中で私だけが考えた事で、特殊な考えで、無視されても不満はありません。

反対されても、私は、この方針を進むだけです。



私は、この記事で、絶えず進行する「無明」の座標軸との交点で、「認識」が成立し、それがエネルギーに変換される事を主張しました。

「認識」の成立を「意識」が知る事は出来ない。

認識した瞬間に、エネルギーに変換され、次の意識の段階に進むからです。

ブログの方針として、私は「自我意識」を持って生きていますが、無明の中で生活しています。

そして、「私の意識は電磁波」であるが、神に近づくのではなくて、自分が生きるためのエネルギーを収集している事になります。

言い訳ですが、「意識は光である」と、私は主張しません。

電磁波というのは、「物質波」だと思っているのです。

「光」と「物質波」は同じかも知れませんが、人間は太陽の光のような自然の「光」ではなくて、身体から発する「物質波」だと思うのです。

この違いは、物理学の量子力学の本を読んで、考えました。

神の「光」と、人間の「光」は、後日、書きます。

私は、二つは関係は存在すると思いますが、性質は違うと思うのです。

だから、「意識」したとしても、「光」によって照らされて明るくなったのではありません。
(私にとっては、明るくなります)

「物質波」が、「光」になった時、人類の闇は無くなるのだと思います。



話は、脱線してしまいましたが、私の考えは、「同心円」は、意識の軸に近いほど現実的で生き生きとしていますが、「暗い領域」であり、意識の軸から遠いほど、「明るい」、つまり認識が簡単だと思います。

明るく遠い領域でも暗い領域でも、「認識」の成立により、エネルギーに変換されますが、近いほど、「無明」の領域に近づき、現実的で個人的だと思います。

そして、六道に向かいます。

Every miller draws water to his own mill.
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2008年11月06日

2008/11/6・私の展開(自我意識は悪者ではない)

私は、以下の座標軸で考えている。

@如来様(nyoraisama)の「宇宙」
A意識と精神の「世界」
B電磁波の構造を持つ「 自意識 」

C光に乗った意識。
D「幽霊」になった自分。
E自分の外に「 心 」を持つ。


F「空間意識」では、現象を見る。
G「感覚」により、エネルギーを取り出す。
H身体(2008/11/3 追加)

これまでの考え。

阿頼耶識(arayasiki)は、意識の束ですから、無数の光を発するかもしれませんが、私の「同心円の模様」は、「 五感 」と六感の「意識 」が作る模様であると思います。

「五感」と六感の「意識」という「穴」を通して、阿頼耶識(arayasiki)からの意識の「光」が干渉するのです。

その干渉波が、私の現実面で、「可能性」や「 心 」の所在になります。

「五感」に「意識」を加えた六感から得る「 光 」の干渉波が、「自意識」という末那識(manasiki)を中心にした「同心円」なのです。


その中心は、「自己意識」あるいは「自意識」の末那識(manasiki)ですから、それが、私という個人を、肉体的にも精神的にも、限定するものだと思います。

……(省略)……

2008/11/6、考えた事。

意識の座標軸は、同心円の中心であり、阿頼耶識(arayasiki)の中の「無明」である。

Wikipwdia での解説は以下の通りです。

無明

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%98%8E


十二因縁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%9B%A0%E7%B8%81









私の考え

独り言です……

人は無明から生まれ、死んで無明に帰ります。

だから、誕生する前か、死後の世界が無明と思っていました。

しかし、私は、「自我意識」、「自意識」の根本の「 意識の座標軸 」が、「無明」であり、「生命」だろうと思います。

無明は、「 今 」の中で活躍しているのです。

「意識の座標軸」に近い同心円上に、「本能」という意識があるのだろうと思います。

それは、自分には最も身近で、正直な意識で安心します。

それは、「生命」を満足させるから安心するのです。

その「生命」に近い同心円は、「暗い」のです。

時間の意識が発生する所であり、消えて行く所であり、空間の意識が発生し、消えて行く所です。

発生する時や消えて行く時に、意識されるだけで、認識が成立する時、実体があると意識されるが、すぐに消えて行く現象になってしまうと思います。

「自我意識」が消えた「無明」の中で「認識」が成立するのであり、特別に、自我意識を消さなくても、認識が成立すれば、消えると思います。

自我意識は、悪者ではない。

自我意識を、人為的に消すのは間違いだと思う。

成立した認識は、「意識」では無い物、例えば、エネルギーに変わってしまうと思います。

そして、そのエネルギーが、新たな電磁波を生むのです。

無明から意識が生まれて、無明で意識が消滅する事は、人間の生死と同じだと思う。

これは、Every miller draws water to his own mill.
しかし、次に進むための考えなのです。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2008/11/7・私の展開(心と六道 @)

私は、この制約された私は、仏教の話が好きだが、僧侶ではない。
私は、物理の話をするが、理系の卒業生でもない。
私は、哲学の話をするが、哲学を学んでいない。
私は、法律科の卒業生である。


2008/11/5・考えた事

自分の阿頼耶識(arayasiki)を運ぶ「道」の検討です。

末那識(manasiki)の構造の選択です。

私は、出発点と終着点を決める事が出来ます。

それは、一つの電磁波という波を選んだ事だと思います。

出発点と到着点を変更するならば、別の道、別の電磁波を選ぶ事になると思います。

その「道」を進んで行く事、つまり行為をする事に喜びを感じます。

(ここが、Every miller draws water to his own mill.です)



2008/11/6・考えた事
一般的に、上記の事が適用されると仮定します。

「人は自由に、末那識(manasiki)により時間の始めと終わりを設定して、その間の時空間を伝わる波長の上で行為した結果の阿頼耶識(arayasiki)を享受する事が出来る」と仮定します。

これは、人間だけが出来る能力であり、素晴らしいと思いますが、その反面、自由である事の危険性もあると思います。

始めと終わりを区切って、ある行為により得られた阿頼耶識(arayasiki)に満足したと仮定します。

人間は、一度楽しむと、それを続ける傾向があると思います。

楽しむと、その波長の行為を好む事を続ける事になりますが、その波長が、限られていたら、どんな結果になるでしょう?

能力とか、エネルギーなどによる可能性の制約です。

これを人生という長い期間で適用します。

私は、人生を送る中で行為する事が出来る波長の道、可能性の道を、「六道」と考えます。


六道とは、仏教で教える、@天道A人間道B修羅道C畜生道D餓鬼道E地獄道です。


六道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93



私は、六道は、自分が末那識(manasiki)で選んだ自分の楽しい実体の生活様式だと思います。

この可能性が、如来様(nyoraisama)によって決定された物が、人間とか動物という姿になっていると思います。

動物は、可能性を変える事は出来ません。

人間は、素晴らしい事に、末那識(manasiki)を変える事により、この可能性の道を変える事が出来ると思います。

六道が輪廻するとも言います。

次の記事で、それは何かを、私の解釈で書きます。

興味を持っている人は、自分で調べると面白いでしょう。

Every miller draws water to his own mill.
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