2009年04月30日

2009/4/30・オカルト的思考(無意識は霊の意味)気(ki)

2009/4/28・考えた事。



この「無意識」にも「感受性」があると思います。

人の前ではなく、神や仏陀の前で、「無知の知」を告白しなければなりません。

「無知の知」を悟ったならば、「 心 」を開いて、「見えない智慧」、「知識を生む智慧」を受け入れる事が必要だと思います。

仏教では「南無阿弥陀仏」と言って、自分の全てが阿弥陀仏の所有であり、自分の所有は何物も無いと感じる事だと思います。

自分が無知だと悟ったならば、神や仏陀を信仰した方が良いと思います。

「 信仰 」も、「無意識」を意識の中に獲得する、一つの「感受性」だと思います。

神や仏陀との同時の存在を望む事が「 信仰 」だと思います。

神や仏陀との同時存在とは、プラズマ波により「感動」する事で、「 自分は一人で生きているのではない。神や仏陀と共に生きているのだ 」と思う心であると思います。

私は不可能ですが、「 心 」に神や仏陀を想い浮かべて行為する事が、「 信仰 」であり「 修行 」であると思います。


2009/4/30・考えた事。

上記のように、感動を心に持って、一つの事を思い続けることが、能力開発の一つだと思います。

それは、「霊」が、「魂」というエネルギーを結ぶ「 文化 」として考えると、「魂」が、限界が無い文化の波、つまり知識を、自分という一点に集中させる事であり、個別の「魂」が発現すると思います。

それでは、「 感動 」が無い場合はどのように考えるか。

それが、今日、考えた事です。

東洋では「 気(ki) 」についての研究が、昔から存在します。


「気」(Wikipedia より引用します)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97

気(き)とは、中国思想および中医学(漢方医学)の用語の一つ。

一般的に気は不可視であり、流動的で運動し、作用をおこす。

しかし、気は凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素ともなる。

宇宙生成論や存在論で論じられた。

(引用を終わります)



このように、気(ki)は不可視で、「流れる物」であり、日本では、天気や気候や大気圏、元気や気持ちよいとか病気とか、「 気(ki) 」という漢字が、人間を取り巻く自然のエネルギーや個人の精神状態について使われています。

私は、「霊」や「魂」が、人間の全てを覆い、前者は文化的意識、後者はエネルギーとして、過去は祖先の霊に結びつき、現在のエネルギーを考えても限界が無く、私という肉体的、精神的統一体として一体化していると考える。

社会的、現象的に見ると、私の身体として一体化しているが、それは本来、限界は無い物であると思う。

ネット情報では「エーテル体」などと言うが、私は、人間の周囲は「 気(ki) 」という、大気圏を超えて電離層まで届き、光や音を伝達する媒体が存在すると思う。

それは、「無意識」に自分の身体の中に侵入する。

肺で呼吸するが、「 皮膚呼吸 」という呼吸が、人体には存在する。

肺による呼吸は、大気を身体に取り入れる方法で、生きるためには必須の行為である。

皮膚呼吸も、人体の「 毛穴 」で呼吸するもので、この機能を失えば、大きな身体の負担になる。


この呼吸が、「 気(ki) 」を身体に吸い込む事で生命体に必須の事で、「 気(ki) 」に対して、敏感に反応する事も、「 信仰 」に加えて、「無意識」の「感受性」の能力開発の一つである。

この呼吸方法が、ヨーガとか「太極拳」の呼吸方法で、大気のエネルギーを取り入れる事だと思う。



これが、私のブログの方針と、どのように結びつくかは、後日、書きます。

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2009年04月29日

2009/4/29・オカルト的思考(無意識は霊の意味)能力開発

2009/4/28・考えた事。



この「無意識」にも「感受性」があると思います。

人の前ではなく、神や仏陀の前で、「無知の知」を告白しなければなりません。

「無知の知」を悟ったならば、「 心 」を開いて、「見えない智慧」、「知識を生む智慧」を受け入れる事が必要だと思います。

仏教では「南無阿弥陀仏」と言って、自分の全てが阿弥陀仏の所有であり、自分の所有は何物も無いと感じる事だと思います。

自分が無知だと悟ったならば、神や仏陀を信仰した方が良いと思います。

「 信仰 」も、「無意識」を意識の中に獲得する、一つの「感受性」だと思います。

神や仏陀との同時の存在を望む事が「 信仰 」だと思います。

神や仏陀との同時存在とは、プラズマ波により「感動」する事で、「 自分は一人で生きているのではない。神や仏陀と共に生きているのだ 」と思う心であると思います。

私は不可能ですが、「 心 」に神や仏陀を想い浮かべて行為する事が、「 信仰 」であり「 修行 」であると思います。



2009/4/29・考えた事。



以上の考えに同意するには、「 感動 」を持つ事が近道だと思います。

私は、宗教的な感動は持っていませんので、神や仏陀に対する信仰については、初心者です。

ただ、タバコを吸う欲望を、精神力で止める事が出来たという自信と感動は持っています。

私は、タバコを吸う事は、健康上でも、家族の為にも、良い行為だと思いません。

ニコチン中毒は、大麻を吸う事と同等の「 依存症 」の一つだと思います。

私は、無意識にタバコを探して、新しいタバコが無い時は、タバコの吸殻を探し、残った部分に再点火して喫煙した経験もあります。

禁煙する場合は、無意識への感受性を開発する事ではないですが、「 禁煙は、無意識を克服する 」という経験です。

タバコを吸う人は、「 無意識の行為 」という事実を知る事が出来ますし、禁煙という「 感動 」を獲得する事が出来る人です。

この「 感動 」を獲得すれば、本能に抵抗する場面に応用する事が出来ます。

禁煙する時、私の全ての行為を監視する「 もう一人の自分 」を想定しました。

それが、「 自分は一人で生きているのではない。神や仏陀と共に生きているのだ 」という事の実感であり、出発点だと思います。

そして、神や仏陀との同時存在を意識しながら、自分の欲望を抑えるという意味で、禁煙は修行であると思います。


この修行を、自分の欲望が生じるプラズマ状態の頭脳に対して行う事が、「 能力の開発 」であると思います。

お金を支払って、能力を開発するなどは、自己欺瞞です。

「 自分は一人で生きているのではない。神や仏陀と共に生きているのだ 」と、実感する事が、能力開発への前進だと思います。

「 能力 」とは、仕事をする力という意味だけでなく、「 脳 」の「 力 」であると考え、「 脳 」が発する意識の開発が能力開発であると考えると、無料で、自分の心がけで達成する事が出来ると思います。

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2009年04月28日

2009/4/28・オカルト的思考(無意識は霊の意味)感受性

Yahoo USA が、「無意識は霊の意味」を掲載してくれた。

Yahoo USA 「無意識は霊」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkjmT0fZJuPEAHhSl87UF?p=%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AF%E9%9C%8A%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%91%B3+m24658&fr=yfp-t-501&fr2=sfp&iscqry=

私は、三流の記事を掲載してくれたYahoo USA に感謝すると同時に、Yahoo USA の規模の大きさに驚きました。

感謝の気持ちで、続編を書きます。

優秀な人や科学的な人は、無視してください。

私は、人間は皆、エネルギーで考えると、火の玉のように意識という「光」の塊であり、周囲を意識の「光」で照らしながら、死へと向かっていると思います。

その電磁波が、頭脳という電離層に似た物質に反射して、自分の持つ「感受性」という器に干渉する姿が、「 記憶 」であると書きました。

私の「意識は電磁波(光)である」という考えからは、現実世界は、「 意識の世界 」です。

明るい太陽、時空間の出来事、目覚めている時も眠った時も、「 意識の世界 」です。

なんと、素晴らしく、美しく、眠る時間が惜しいほどの楽しい生活です。

この意識という光に満ちた世界に参加するのが「 感受性 」だと思います。

「 記憶 」は、過去の出来事への呼びかけに答える信号を受け取る「 感受性 」です。

この「 意識の世界 」については、後日、オカルト的に考えますが、今は、無意識の事が問題なのです。

無意識は、先日、書きましたように、「魂」や「霊」と交流する意識であり、「魂の無意識」は、病気の後に、魂が存続しない事への不安になり、「霊の無意識」は、人類の「文化」の延長上に生存している事を忘れさせて、生命を軽く判断するようになると思います。

この「無意識」にも「感受性」があると思います。

人の前ではなく、神や仏陀の前で、「無知の知」を告白しなければなりません。

「無知の知」を悟ったならば、「 心 」を開いて、「見えない智慧」、「知識を生む智慧」を受け入れる事が必要だと思います。

仏教では「南無阿弥陀仏」と言って、自分の全てが阿弥陀仏の所有であり、自分の所有は何物も無いと感じる事だと思います。

自分が無知だと悟ったならば、神や仏陀を信仰した方が良いと思います。

「 信仰 」も、「無意識」を意識の中に獲得する、一つの「感受性」だと思います。

神や仏陀との同時の存在を望む事が「 信仰 」だと思います。

神や仏陀との同時存在とは、プラズマ波により「感動」する事で、「 自分は一人で生きているのではない。神や仏陀と共に生きているのだ 」と思う心であると思います。

私は不可能ですが、「 心 」に神や仏陀を想い浮かべて行為する事が、「 信仰 」であり「 修行 」であると思います。

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2009年04月27日

2009/4/27・オカルト的思考(「無意識は霊」の意味)

「無意識は霊」というタイトルで、Yahoo USA は掲載しているので、私が「無意識は霊」という意味の記事を書きます。

Yahoo USA  「無意識は霊」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkxv0q_RJdIEBw3Wl87UF?p=%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AF%E9%9C%8A&fr=yfp-t-501&fr2=sfp&iscqry=

Yahoo USA 「霊の無意識」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkjldr_RJdxsBO7Wl87UF?p=%E9%9C%8A%E3%81%AE%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98&fr=yfp-t-501&fr2=sfp&iscqry=

Yahoo USA 「生命と無意識」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkjwfsPRJQ0kAhGWl87UF?p=%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%A8%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98&fr=yfp-t-501&fr2=sfp&iscqry=



2009/4/23・考えた事に変更は無い。

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



「感動」の記事の中でも書いたが、「魂」はエネルギーで、「霊」は「場」と考え、前者は「電場」で、後者は「磁場」であり、個人が「魂」であり、個人を成立させている「文化」を「霊」だと考える。

そして、電磁波が伝わるように、一方の存在が、「場」によって、他方の存在を「 誘発 」すると考える。

私は、「電場」と「磁場」と、「意思」と「意思が形態になった文化」とを一緒に考える。

本来は、別に考えるのが適当かも知れないが、現実の生活の中で、個別に考える事は、不自然である。

私は、「意識は電磁波である」という考えで、「電場」と「磁場」は、個人の「意思」の座標軸となり、その個人の「意思」が「機会に対応する脳の力」により、外部に現れた「形態」が「文化」であると思う。

その「文化」を「霊」だと考える。



2009/4/27・考えた事

私が、「無意識は霊である」と書いた意味は、単純で、「 人は、神または仏により、生かされている 」という事である。

個人の「魂」が神や仏に生かされている事については、生命を維持する機能への無意識に現れる。

この無意識は、死亡後の「魂」の存続の不安になると思う。

人類全体の「霊」が神や仏に生かされている事については、「霊」という「場」が無限に広がってる事への無意識である。

意識や意思と形態の総体が文化であり、「文化」が人類を結ぶ無限大の「場」であり「霊」である。

この無意識は、自分の存在を軽視する事であり、生きる価値観の喪失だろう。

過去の哲学者が言った「無知の知」は、「自分が無知である事を知る事」ではなく、全人類の「知」の限界を知る事であり、「無意識は霊である」と知る事だと思う。

「無意識」は「意識」の無い状態だが、私が解釈する「電離層」からの指令を直接、実行した場合の「意識」が無い状態であり、その人の「魂」や「霊」の直接行動である。

「無意識」は、行為の結果に対する言い訳にはならないと思う。

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2009年04月26日

2009/4/26・無意識は霊・若い銀河「卑弥呼」

2009/4/23・若い銀河を発見したというニュースを知った。

「若い銀河、ヒミコ」で検索すれば、次のような事を知る事が出来る。

137億年前の「ビッグ・バン」の、8億年後に存在する巨大なガス雲が、米国のハワイ島に設置されている国立天文台の「すばる望遠鏡」で発見された。

そのガス雲の直径は、5万5000光年で、それは成熟した私たちの銀河と同程度の大きさで、同サイズの天体としては最古の天体で、地球から129億年離れた4番目に遠い位置であり、邪馬台国の女王の卑弥呼(Himiko)と名付けられた。

これは、「すばる望遠鏡」という「機能」の拡大により、発見された物で、今後の宇宙論で、無視する事は許されないだろう。

こうして、人類の意識や知識の範囲が及ばない所で、「新発見」されて、「無意識の霊」が覚醒される。

「ビッグ・バン」の8億年後に、成熟した銀河と同程度の規模の天体が既に存在していた事実を、アインシュタインも知らなかっただろう。

私は、「ビッグ・バン」という人間の思いつきは、何処までも、思いつきであり、その点では、「 プラズマ宇宙論 」と同じである。

「ビッグ・バン」の8億年後に巨大なガス雲が存在する事実は、「ビッグ・バン」が疑わしい理論である証明であると思う。

8億年後に、「卑弥呼」というガス雲が存在する事実は、「ビッグ・バン」以前から存在していたかも知れない。

宇宙創造の「ビッグ・バン」の8億年後に、巨大な天体が生まれるのが不自然である。

「ビッグ・バン」を見た事も無いのだから、宇宙は「ビッグ・バン」より遥か以前に存在しており、現在の銀河は、プラズマによって誕生したかも知れない。

科学は、データーの集積だから、無視する事は許されないが、信じない事は許される。

人の思考は、データーを超越する。

その証明が、この巨体ガス雲の発見である。

しかし、人の思考は、「虚時間」の「内なる宇宙」だから、データーに合致しない方向も存在する。

それをオカルト的思考と言うのだろうが、人間の意識は、全てオカルトである。

科学が科学を考えるのではない。

科学者が科学を考えるのである。

科学者も人間であり、発想に関しては、オカルト信者と同じ発想かも知れない。

科学者は、オカルトという言葉だけで判断せずに、つまり素人だという判断ではなく、哲学的に考えて欲しい。

現に、「時間」と「空間」に関する哲学が無いのに、宇宙の何を知ったのか疑問に思うし、科学者が自分の理論に合致するデーターを集めたのが科学という学問だろうという印象を持っている。


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2009年04月23日

2009/4/23・オカルト的思考(無意識は霊)霊の無意識

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



「感動」の記事の中でも書いたが、「魂」はエネルギーで、「霊」は「場」と考え、前者は「電場」で、後者は「磁場」であり、個人が「魂」であり、個人を成立させている「文化」を「霊」だと考える。

そして、電磁波が伝わるように、一方の存在が、「場」によって、他方の存在を「 誘発 」すると考える。

私は、「電場」と「磁場」と、「意思」と「意思が形態になった文化」とを一緒に考える。

本来は、別に考えるのが適当かも知れないが、現実の生活の中で、個別に考える事は、不自然である。

私は、「意識は電磁波である」という考えで、「電場」と「磁場」は、個人の「意思」の座標軸となり、その個人の「意思」が「機会に対応する脳の力」により、外部に現れた「形態」が「文化」であると思う。

その「文化」を「霊」だと考える。

「意思」が「形態」として具現化するのは、「意識」が安定を求める事であり、不安定から安定に向かうのは、自然の事である。

その安定した、「意識の定在波」の状態が、個人の文化であり、それが集まったのが、その時代の文化だろう。

「文化」は、自分の意思が外部に現れた結果の総和であり、全ての「 意識 」という「 光 」の経路の総和である。

「 光 」の経路は、虚時間を使って計算するように、「文化」も、単純な個人の時間や空間の総和ではないと考える。

意識という「 光 」の経路の総和である「文化」を「霊」だと考える。

「霊」の「無意識」とは、社会の無意識、集団の無意識である。

「霊」は「魂」と「魂」を結ぶ「場」であり、意識という「 光 」の経路の総和であるから、人類の頭脳の全部が「無意識」の状態が「霊の無意識」の状態だと思う。

諺で、「 必要は発明の母である 」と言う。

意識という「 光 」の経路の総和が、「霊の無意識」からの「覚醒」の必要性を要請するのであり、「霊」を「意識」の状態にする、つまり新たな文化を作る契機が「発明」だと思う。

発明や発見を求めて、個人が自分の無意識を開発するが、その姿は、霊の無意識を破る事であり、結局、自分の内面の無意識の開発が、霊の開発である事になる。

個人の内面を形態にする事が、社会の意識の覚醒に結びつくかも知れない。

その意味で、「霊の開発」は個人の努力により達成される事になる。

私とインターネットの関係を、「魂」と「霊」の関係で考える。

意識という「 光 」の総和を「文化」と考えた結果、インターネットのYahoo やGoogle のサイトが、個人の「文化」を結ぶ「霊」だと思う。

個人の記事が、惑星という物質で、引力や電磁波で結ぶのが検索サイトだと考えると、インターネットは一つの宇宙である。

検索する事が私の意識の「光」の輝きでもあり、作成した記事は、私の文化であるが、総和としての文化の中で、「奇妙な記事」の一つに加えられるかも知れない。

Yahoo やGoogle のサイトに掲載されていない事が、社会の無意識、霊の無意識であると考える。


Every miller draws water to his own mill.

そして

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2009年04月22日

2009/4/22・オカルト的思考(無意識は霊)生命と無意識

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


「魂」の中の「無意識」を生命に対する「無意識」と考えると、人体の臓器の動きへの無意識も含まれるだろう。

臓器は、生命を維持するために動いている。

胃も腸も、肺も心臓も。

私は、これらの働きを意識した事が無い。

無視すれば、胃も腸も、肺も心臓も、それを許さない。

「思わず」、「無意識」に、呼吸してしまうし、食べ物を飲み込んでしまうし、食べ物を消化してしまう。

意識したいと思うなら、手を合わせると、左右の体温を知る事ができる。

「体温」も、身体が快適に動くために必要な温度なのだ。

「体温」を意識して、下げられますか?

呼吸を意識して、何分、止める事が可能ですか?

これらは、「意識」に関係なく動いている。

まるで、宇宙の天体の動きのように、人の時間や空間とは関係なく動いている。

この「意識」が屈服する「無意識」の動きには、感謝する。

「魂」の「無意識」さは、人間の「恣意」から生命を守っているのだと思う。

それは、祖先の「霊」が、守っているのかも知れない。

その意味で、「魂」は「霊」と同じ要素を持っていると思う。

意識しない事が、生命の維持なのだ。

自分の食生活の乱れに、身体のリズムが狂った時、その臓器を「意識」する。

「魂」は、生きる事を願って、無意識の動きをして自分を守っている。

「魂」の無意識は、意識して生きる自分を支えている。

病気になって、臓器を意識した時、自分の愚かさを知るだろうし、死と対決した時、自分の身体が持つ無意識の力を信じるだろう。

「無意識」である事が、「幸せ」であるかも知れない。

この「無意識」をどのように開発するのだろうか?

「身体の機能の拡大」も一つの方法かも知れない。

私が、生命体を考える時に「機能を拡大する」というのは、人間本来の機能を拡大するために、眼、耳、鼻、舌、身、意を研ぎ澄ます事であり、仏教の「 六根清浄 」と同じ事を考える。

しかし、私は、「根」という考え方に抵抗感がある。

人間は、生物の遺伝という「 SEX 」の影響を受けるかも知れないが、動物は、植物とは違って、プラズマ状態の脳を持っていると解釈し、「根」という植物が持つエネルギーの摂取の方法を採用しない。

「根」という構造は、人間の「神経細胞」と似ているが、内部を通過する物体が違うと思う。

人間には、「電気刺激」が走るのであり、それが電磁波の構造で「意識」を生むと考える。

「 心 」が、可能性と現実性が混在する、「意思」と「形態」が一体となった時空の範囲と考え、「根」と同じように、樹木の周囲に存在すると考えても、「 心 」の範囲は、「根」と違って、瞬時で変化する。

その「機能の拡大」とは、「 心 」の範囲を拡大するために、「 心 」を成立させている「意思」と「形態」を反省し、その大きさや結合状態を変える事、体勢を変える事、同時に複数個の処理を考える事だと思う。

身体機能の拡大は、身体が持つ情報に敏感になる事であり、記憶という感受性から得られる頭脳だけの意識ではなく、身体のエネルギーからの意識を集積する事が、私が言う頭脳内の「 プラズマ振動 」を発生させる事だと思う。

私の考えでは、「 プラズマ振動 」が「プラズマ波」となって神経を通過して、新たな生命を感じる器官を作り、霊性の開発へ結集すると考える。

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2009年04月21日

2009/4/21・オカルト的思考(無意識は霊)提案

「意識」と「無意識」を分類して、末那識(manasiki)や阿頼耶識(arayasiki)について書いたが、まだ単なる分類で終わっているので、これを生活の中で活用する為に、「魂」と「霊」により、「 動的 」にする必要がある。

思いつくままに書くと、「意識」と「無意識」は、頭脳の中の問題であり、「魂」と「霊」は、身体全体の問題である。

人は、太陽の光が無い状態では生存する事が出来ないほど、太陽に依存していると考える。

私は、可視光線も不可視光線でもある太陽の光を、身体全体で浴びている。

身体全体の存在が、「魂」と「霊」であり、「感動」について書いたように、「魂」はエネルギーであるし、「霊」は「魂」というエネルギーの塊を伝達する「場」として考える。

「魂」が「電場」でありエネルギーであり、「霊」は「磁場」であり、精神的であり時間的であると考える。

私は、「無意識」を阿頼耶識(arayasiki)と分類して、自分の身(身体)・口(言葉)・意(思想) と自分が、現在まで生きた全ての事象を含むもので、「意識」に対して過去を保存する倉庫のような役割を持たせた。

しかし、私は、「意識」と「魂」や「霊」との関係で考える事が必要だと思う。

阿頼耶識(arayasiki)と書きながら、身体全体の「魂」や身体が配置された「霊」という「場」をその内容にしているという間違いをしていると思う。

「意識」の中で「身体のエネルギー」を「無意識」として考えているのだと思う。



ここで、私は、人類史上で、初めての考えであり、世界の人から失笑されるかも知れないが、次の事を考えている。



「魂」と「無意識」や「霊」と「無意識」を考えてはどうかという提案である


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2009年04月20日

2009/4/20・オカルト的思考(無意識は霊である)2

Yahoo USA が、私の今朝の記事を掲載してくれた。

Yahoo USA 「無意識は霊である」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkwyXQ.xJ5HcBiW6l87UF?p=%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AF%E9%9C%8A%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B&fr=yfp-t-501&fr2=sfp&iscqry=



Yahoo USA に掲載されると、私が追い詰められたように感じる。

これは、私の考えが未熟である証拠だろう。

反転して、積極的な攻勢の形態を採用しないと、私の考えは、ここで終わってしまう。

さて、どのように言い訳をしたら、許されるだろうか。



私は、「無意識」に名前を付けて分類するだけでは無意識の開発にはならないと思う。

意識や無意識と、霊や魂を混同して書いてはいけないのかも知れない。

しかし、私は、オカルト的に、両者の関連を考える事により、「無意識」を「意識」して書きたいと思っている。

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2009/4/20・オカルト的思考(無意識は霊である)

2009/4/19・考えた事。

「 魂 」や「 心 」は「実体」で空間かも知れませんが、「霊」は、考え方として物質であるが、実体ではなく、「魂」と「魂」の媒介者であり、時間的、精神的な意識だと思います。

「霊」という意識の構造も、電磁波ですが、可視光線を「普通の意識」とするならば、不可視光線を「無意識」と規定するのが通常かも知れませんが、「 霊という意識 」と解釈します。

「無意識」を知覚する機能は存在しないが、「霊」を知覚するような機能を開発している人が存在します。

それは、霊能者で、不可視光線を検出する機械と似た働きをする人かも知れません。

「無意識」を人類は誰も保持している事は、人類は全て霊能者であります。

人は、「霊」により、「魂」と「魂」を交流させるという物語です。

その場所は、霊界でしょうが、「魂」が「火の玉」のようなエネルギーであるならば、プラズマ状態の場所で交流するかも知れません。

私は、プラズマ状態の「脳」であると思います。


2009/4/20・考えた事。

私は、「無意識」は「霊」であると思います。

可視光線と不可視光線について、前者が「意識」で後者が「無意識」だと書きました。

音でも、聞く事が可能な音と不可能な音があります。

中庸と言いますが、私は、限りない宇宙の中の中間を生きています。

「無意識」や「聞こえない音」は、人間の認識を超えた周波数を持っています。

この周波数が、「霊」だと思うのです。

生きている間は、睡眠中でも、統御は出来ないが、意識があります。

意識する事が不可能な場合を「無意識」と想定し、それが「霊」だと思うのです。

それは、意識してパソコンの文字を書いている時に、意識する事が出来ない意識です。

人は、「言霊」とか言うかも知れませんが、私は、それは周波数だと思います。

波動と言うのでしょうが、波動でも振動でも、事情は同じです。

「無意識」や「霊」が存在するから、中間の「意識」が存在し、「意識」は常に「無意識」からの指示を受けている。

私が、「記憶は感受性である」と思うのは、この「無意識」からの指示を感じる機能なのです。

眼や耳などの機能を拡大して、「機械」を使って認識するのではなく、「無意識」からの信号を受け取る力を開発する事が、「能力開発」だと思います。

瞑想も一つの方法ですが、「何の為に瞑想しているのか?」という自覚が無ければ、ただの思考方法です。

自分の「 心 」からの指示を受け取る行為が、「瞑想」だと思います。

自分の「無意識」からの指示こそ、人類に共通する事だと思います。

私は、「意識は電磁波(光)である」と思いますから、現在からの信号が、「無意識」によって、変容したり反射したりする事を感じるのが、「現存在」なのです。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2009年04月19日

2009/4/19・オカルト的考察(感動と霊魂)

オカルト的考察(感動)

200/4/15 ・考えた事
私は「 感動 」とは、エネルギーの受け取りであり、私は、プラズマ波と考えますが、「 感動 」を「 雷 」だと想定して書きます。

「落雷」は、空中の電気エネルギーが、地表に向かって放出される現象だと思いますが、人間は、「落雷を受ける人」の立場で、物語を書いていません。

稲妻の後に雷鳴を聞いて、雷の発生を知りますが、「 落雷を受ける本人 」にとっては、天空からのエネルギーを、光と音と、同時に獲得するのです。

その「 雷を受けた状態 」が、感電した、あるいは興奮した状態だと思います。

「 雷 」との「 同時性 」を定義しても、定義から感動は生まれません。

「 雷を受けたその人 」だけが、神との「 同時性 」を味わい、その喜びが、「 感動 」だと思います。

それを、音や絵の具で伝えるのが、「 音楽 」であり、「 絵画 」だと思います。

感動は、その本人だけの所有物です。



2009/4/19・考えた事。

「感動」を伝える事が出来るか?

感動は、その本人だけの心理状態であり、無意識の状態まで伝える事は出来ないと思います。

自分の前だけで、雷の光と音が「 同時 」、と言えると思います。

「 神や仏との同時性 」の喜びを経験するのは、経験する本人だけです。

他人に伝える事は出来ないが、他人に伝わる事は可能です。

それは、感情移入と言うかも知れませんが、他人が追体験をするのです。

私は、「 意思 」から「 機能 」を通過して、「 形態 」として外部に「 表現 」され、その反対の順序が「 感情移入 」だと思います。


「感情移入」とは、経験した本人が持っている「感動」というエネルギーが空間に現れた「形態の意思」に、見るとか聞くとかの「機能」を使って自分の「意思の形態」を当てはめて体験を想像した後、自分のエネルギーに取り入れる事だと解釈します。

「形態の意思」とは、形態から受ける意思で、力線や音の強弱から受ける意思と解釈します。

「意思の形態」とは、「意識」の流れの中の安定した「形態」であり、価値や感情を生む空間意識と時間意識の座標であり、考え方であると思います。


「形態の意思」に「意思の形態」を合致させる事が出来ない時、自分のエネルギーに同化する事が出来ない、つまり伝達は不可能だと思います。

表現されていない「無意識」の部分が存在します。

「感動」は、経験する本人だけだが、「意思は形態として具現化される」から、「感動」は「 表現 」によって「形態」として外部に現れ、それを見る、あるいは聞くとかの「機能」を使った結果、本人の意識だけでなく、周囲の人の意識にも伝達が可能だと思います。

これは、夫婦の愛情にも適用する事が可能だと思います。

「同じ価値を持つ」とか「一つの空間を共有する事を望む」などは、感動や愛情を同時に交流させたいと思うのでしょう。

ところが、それらは「神や仏」との同時性であって、人と人は、一つの部屋に住んでも、同一の感情を持つ事は出来ないと思います。

経験する本人だけの「感動」というエネルギーを「魂」と考える。

自分や周囲の人に伝える働きをするのが、同時という「時間意識」であり、それを「霊」と考えると、「霊」が周囲の人の中に「魂」を再構築させると考えます。

テレビの場合、同時中継の場合は、「感動」しますが、ビデオテープで再生する時に「感動」する機会は少ない。

贈り物を愛情の印としますが、これは相手に、愛情の再構築を、愛の交換を反復する事が可能か否かを確認するためだと思います。

言葉も「贈り物」に使う事が出来ます。

「 魂 」や「 心 」は「実体」で時間的且つ空間的な配置かも知れませんが、「霊」は、同時という時間意識を作るが、実体ではなく、「魂」と「魂」の媒介者であり、時間的、精神的な意識だと思います。

「霊」という意識の構造も、電磁波です。

可視光線を「普通の意識」として、不可視光線を「無意識」と規定するのが通常かも知れません。

しかし、私は、「 不可視光線は無意識であり、同時に霊という意識 」と解釈します。

「無意識」を知覚する機能は存在しないが、「霊」を知覚するような機能を開発している人が存在します。

それは、霊能者で、不可視光線を検出する機械と似た働きをする人かも知れません。

「無意識」を人類は誰も保持している事は、人類は全て霊能者であります。

人は、結婚生活でも「霊」により、「魂」と「魂」を交流させるという物語です。

その場所は、霊界でしょうが、「魂」が「火の玉」のようなエネルギーであるならば、プラズマ状態の場所で交流するかも知れません。

私は、プラズマ状態の「脳」であると思います。

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2009年04月17日

2009/4/17・私の解釈・「死中生有り、生中生無し」

Yahoo USA は、私のブログを「上杉謙信」でも「死中生有り、生中生無し」でも掲載しています。

上杉謙信 m24658
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGklpc_.ZJTboAbpul87UF?p=%E4%B8%8A%E6%9D%89%E8%AC%99%E4%BF%A1%E3%80%80m24658&fr=yfp-t-501&fr2=sfp&iscqry=

死中生有り 生中生無し m24658
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkw7e_.ZJtaIA4sNXNyoA?p=%E6%AD%BB%E4%B8%AD%E7%94%9F%E6%9C%89%E3%82%8A%E3%80%80%E7%94%9F%E4%B8%AD%E7%94%9F%E7%84%A1%E3%81%97%E3%80%80m24658&fr=yfp-t-501&fr2=sb-top

私は、上杉謙信について、詳しく知りません。

私は、次に掲載するURL を見て考えただけです。



義ー武士道
http://www.7key.jp/data/bushido/gi.html

「義」には「正しい行い」と同時に「打算や損得から離れた」との意味が含まれ、人間の根源的なエネルギーとされる欲望を制御しなければなし得ない。

現代人の多くが行動判断の基準としている合理的精神は、突き詰めれば「どちらが得か」との相対的なものである。

それに対し武士道における「義」は、普遍的な「良心の掟」に基づく絶対的価値観を基本とするいわば不合理の精神であり、「義」を遂行するためにはよほどの自立心を養わなければならないとされた。

新渡戸稲造はその著『武士道』で、武士道の基本は「フェア・プレイ」の精神と言っている。

フェア・プレイの根源とは「義を貫く」ということであり、武士は例え戦いに勝ったとしても、不正な行為をして勝った者は賞賛されなかった。

(引用を終わる)


直江兼続ー謙信の教えを胸に刻んで
http://www.tentijin.jp/2007/09/post-98.html



上杉謙信が49歳で死去する城の壁に次のような言葉が書いてありましたので、抜粋して引用します。

彼は、これを心意気として、記したものだと思います。

外国の人が、詳しい事を知りたい時は、日本語学校の先生に聞いてください。



「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。

家を出ずるより帰らじと思えば、また帰る。

帰ると思えば、これまた帰らぬものなり」



私の解釈

私は、上杉謙信が残した「 死中生有り、生中生無し 」というのは、「 死のうと思って戦えば生き、生きようと思って戦えば死んでしまう」事だと思います。

上杉謙信は、「 義 」を標榜した武士でした。

それは、紹介した「 義―武士道 」のURL をクリックすれば、知る事が出来ます。

ですから、私は、「 死中生有り、生中生無し 」の前提として、「 義 に生きる武士は 」という主語を付けます。

死ぬのが予見されている戦場に「 生 」を求めるのは、無謀です。

そこに「 義 」を組み込む事により、「打算や損得を超えて、人としての正しい行為」として戦う時、「 死のうと思って戦えば生き、生きようと思って戦えば死んでしまうのだ」という教えだと思います。

「大義名分」という言葉がありますが、「 義 」のために、死の戦場に赴けば、鬼も、神も、その気配に対して、退くと解釈します。

彼らが若い時は、少数の手勢で決死の「奇襲」を行いました。

その時の心意気は、「死中生有り」であるでしょう。

大国の領主になって、生きたいと、「 保身 」の気持ちで戦えば、多数の軍勢で戦っても滅びる。

それが「 生中生無し 」だと解釈します。

現代でも、この精神を持ち、何が「正しい行為」かについては社会の法に従いますが、「 保身 」の気持ちを持って事態を収拾すると「 滅びる 」と解釈した時、事態を判断する「 反対称 」の座標として有用だと思います。


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2009年04月16日

2009/4/16・意思と形態・地熱発電

NHK の「クローズアップ現代」で、「地熱発電」の事を知った。

アメリカのカルフォルニア州やネバダ州とインドネシアの地熱発電の様子が報道された。

私の田舎の新聞記事を要約する。

地熱や太陽や風などの自然エネルギーを「再生可能なエネルギー」と呼び、地球温暖化防止、エネルギー自給率の改善、途上国のエネルギー不足の解決、新産業の創出、発電に関係する雇用の拡大、地域の活性化など、多くの利点があり、「二十世紀の自動車産業が果たした役割を二十一世紀には、自然エネルギーが果たす」と言われ、世界が取り組んでいる。

日本は、世界を先導するのではなく、衰退している。
その理由は、

@国による位置づけが低い。

A支援制度が不十分

B社会の側も、意識が低い。

オープンな対話による社会的な合意を形成し、それを達成する効果的な支援制度を導入する事が必要です。

(要約を終わる)

このように田舎の新聞でも、良心ある記事が掲載されているのに、国は、「給付金の配布」や電化製品購入に対するポイント制度の資金を政府が用意し、その財源として赤字国債を発行している。

これが、本当に、国民の為の政治なのか疑問に思う。

再生可能エネルギーでも、初期の投資に多くの資金が必要な事や送電線などの環境が、地熱を開発する者の負担になっている。

日本では、温泉が枯渇するとか、国定公園や国立公園の景観が破壊されるなどの理由で開発が進まない。

アメリカでは、電力会社の協力が法的に義務づけられていると聞くが、日本では、そんな事を聞いた事も無い。

送電線も、山の中を通り、再生可能エネルギー開発を無意味にしている。

その結果、何もできない。

エネルギー問題は、「絵に描いた餅」で、宣伝だけするが、実行が伴っていない。

これを、私の「 意思は形態として具現化する 」という考えから判断する。

新聞記事やNHKの報道による、エネルギー後進国の日本には、「 意思 」が欠けている。

「 意思 」を形成すべき国会議員が形骸化して、民意を反映していない。

権利の上に眠る者は保護しないという法を作る立場の国会議員が、自分の利権や政治資金などの「 金 」だけ考えて、国家の「 意思 」が形成されていない。

それは意識として存在するが、新聞記事やNHKの報道による、エネルギー後進国という「 形態 」から判断しても、日本という国の進む方向の「 意思 」が無い。

日本では、「電池」など、自動車などに利用する事が出来る「 目先の事 」であり、石油や原子力発電から脱却は、現在では不可能である。

日本は、機能としての「脳梁」は持っていて、素早く脳の指令を末端の市町村に伝えるが、肝心の「 脳 」が腐って、腐った臭いがして、世襲議員ばかりで、新鮮味が無いし、「 考えていない 」のが、最大の特徴である。

鏡で自分の姿を見るように、日本を見ると、食料やエネルギーを海外に依存している事は、明白である。

国会議員は、頭を「 洗脳 」されて、日本の進む方向という「 国家意思 」を形成するという本来の仕事をして欲しい。

もし、世界が、自動車は「電気自動車」を使う事になれば、日本は、石油や原子力による電力で自動車を動かす事になるだろう。

他の国は、安価で、地球温暖化防止する、再生可能なエネルギーを使っているのに、日本は、昔からの電力に依存する。

こんな事を、一流大学卒業の国会議員は、考えない。

「国民」というのは、「国会の中の議員」の事であり、庶民の事を考えないのが、国会議員の特徴である。

もうすぐ選挙である。

景気浮揚策ばかりを言うが、税金の「 無駄遣い 」のような気がする。

本当に、日本の進む方向について考えているのかと疑問に思う。

少しの「給付金」を与えて、「消費税」を増税するのは、明らかである。

消費税を、社会福祉に使うという目的税なら、我慢するが、一般会計で「給付金」を補充するなどしたら、与党や野党に関係なく、反対する。

また老人の生活が苦しくなる。

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2009年04月15日

2009/4/15・オカルト的思考(感動)

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
オカルトの話をするが、超常現象は信じない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


私は、オカルト的なフィクションを基礎にして書きますから、不快と思う人は、遠慮なく去ってください。

私は、今日、「 感動 」について書きます。

ここで、少し「 感動 」について考えます。

私の記事は「究極のオカルト」が基礎になっています。

そこで書いたように、私の解釈は、電離層も頭脳も、宇宙の構成物である限り、私の「 プラズマ宇宙論 」の結論に帰結するという事です。

私は「 感動 」とは、エネルギーの受け取りであり、私は、プラズマ波と考えますが、「 感動 」を「 雷 」と想定して書きます。

「落雷」は、空中の電気エネルギーが、地表に向かって放出される現象だと思いますが、人間は、「落雷を受ける人」の立場で、物語を書いていません。

稲妻の後に雷鳴を聞いて雷の発生を知りますが、「 落雷を受ける本人 」は、天空からのエネルギーと、光と音を、「 同時に 」獲得するのです。

その「 雷を受けた状態 」が、感電した、あるいは興奮した状態だと思います。


「 雷を受けたその人 」だけが、神との「 同時性 」を味わい、その喜びが、「 感動 」だと思います。

それを、音や絵の具で伝えるのが、「 音楽 」であり、「 絵画 」だと思います。

「 芸術は爆発だ 」と、ある日本の芸術家が言いました。

「ビッグ・バン」が、その人の誕生であり、人類が誰でも経験する喜びでありますが、「 感動 」は、誕生した後、死亡するまで体験する事が可能な「 爆発 」であると思います。

感動は、その本人だけの所有物です。

感動は、体験した者だけが得られる興奮です。

「 雷 」との「 同時性 」を定義しても、定義から感動は発生しません。体験が必要なのです。


神に代わって、媒体を通して、人に分け与えるのが芸術家だと思います。

それは、「 人生は芸術である 」という言葉があるように、「人生」を持つ人類の全てが「 芸術家 」であると思います。

芸術家でないのは、「 感動 」を受け止める「 感受性 」が無いからであり、これは、人間本来の「 機能 」として持っているのに気付いていない状態だと思います。

その「 機能 」を拡大して、「 感動 」を受け入れる器を自分の中に発見する事は、誰もが可能であり、人類の全てが芸術家であると思います。


私は、「 能力 」という言葉で、私自身を呪縛しません。

「 能力 」は、「 脳の力 」であり、それは地表から電離層まで広がる「 力」を持っていると信じます。

「雷」や電離層が存在する空間や頭脳の空間を「 実体化 」して、私の考えを否定する所に、その人が考える「 能力 」を感じます。



これは、三流大学卒業者である私の考えです。



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2009年04月14日

2009/4/14・ディスクトップのアイコンを整理する

私のパソコンは、Windows XP です。

購入時のアイコンは、必要なアイコンを残してゴミ箱に捨てたりアンインストールしました。

パソコンには、プリンターなどの周辺機器を接続しますので、アイコンが増えます。

また、有料で、セキュリティソフトウェアなどを購入した時、インストールの保存先をディスクトップにした場合にアイコンが作成されます。

その結果、ディスクトップの上に多くのアイコンが存在し、便利である反面、アイコンを探す時間が必要な時もあります。

ネットで検索すると、アイコンを整理するためのソフトウェアが存在しますが、私は、別の方法で整理しています。

それは、無料であるという長所もありますが、アイコンの所在が不明になる欠点もあります。


その方法は、簡単です。

何も無いディスクトップの上で、「 右クリック 」します。

すると、ディストップの壁紙を選択するプロパティなどの「 欄 」が出現します。

その中で、「 新規作成 」にマウスを当てて押すと、その右に「 ファイル 」が出て来ます。

普通、このファイルは、Out look express のインポートやエクスポートのために使います。

この「 新規作成 」の「 ファイル 」を使う方法です。

「 ファイル 」の名前を「プリンター」や「 ソフトウェアの名前 」など、所在が判明する名前にします。

そして、その「ファイル」に、アイコンをドラッグ・アンド・ドロップすれば、内部にアイコンが収納されます。


長所は、無料である事や自分が好きな名前でファイルを作る事が出来る事。

もしも、不都合ならば、ファイルに入っているアイコンを、ファイルの外のディスクトップへ、ドラッグ・アンド・ドロップすれば、元に戻ります。

ファイルの数は自由ですし、ファイルの名前も自由です。

使わないアイコンは収納して、使うアイコンだけ、ディスクトップ上に表示します。


短所は、ファイルでアイコンが見えなくなります。


採用するのか拒否するのかは、あなたの自由です。

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2009年04月13日

2009/4/13・創作3(私の電離層)究極のオカルト

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2009/4/9・考えた事。

それは、

@脳電図と脳磁図

A米国の「 ハロルド・サクストン・バー 」氏の考え

B「 プラズマ宇宙論・プラズマ振動 」

Cシューマン共振

2009/4/13・考えた事。

プラズマ宇宙論
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

プラズマ宇宙論(ぷらずまうちゅうろん、Plasma Universe、Plasma Cosmology)とは、宇宙でのあらゆる現象は重力の影響だけではなく、宇宙の全バリオン物質の99.9%を構成している電気伝導性の気体プラズマによる影響が大きく、宇宙では巨大な電流と強力な磁場が主導的役割をするとしている。

そして電磁気と重力の相互関係によって、壮大な現象を説明できると主張する宇宙論である。


私は、宇宙の原理を「ビッグ・バン」理論ではなく、プラズマ宇宙論としている。

その原理に沿って、物質が存在すると考える。

どこから出発しても、宇宙の原理に到着する事を信じている。

シューマン共振の周波数が「地球の脳波」と言われるならば、頭脳と電離層が宇宙の原理に合致する性質を持つと考えてはどうかと言う提案である。

宇宙の原理がプラズマであり、電離層もプラズマであり、地球上の生物の頭脳がプラズマにより作られた物と考える。

プラズマの一種の層が、視覚や聴覚を担当する場所だと考え、層の違いで、物理的刺激を意識に変換すると考える。

脳波は必ず頭蓋骨の外から測定するのではなく、脳の内部でも測定する事が出来るかも知れない。

脳波の測定は、頭脳のプラズマの物理的な状態の測定であり、宇宙から「 雷 」を測定している状態だと思う。

プラズマ状態が、地球の全体を囲んでいるのが電離層で、生物の中に存在するプラズマ状態が頭脳と考える。

こう考えると、「プラズマ宇宙論」で、プラズマの中に組織されたフィラメント組織を神経と考え、プラズマ波として神経に電流が流れ、自己組織化するという考えにも合致する。

その自己組織化の結果、身体とほぼ同じ形の電場が存在し、脳と脊髄を電気的な軸で結んでいるという「 ハロルド・サクストン・バー 」氏の考えとも一致する。

プラズマ状態の左右の頭脳で作られた電気刺激が、「脳梁」という神経の束を通って全身を緊張させて、知覚するのであり、物理的刺激を迎えている状態が「 心 」だと思う。

「 心 」は、時空意識と同時に脳によって作られて全身に広がり、感受性となって、物理的刺激を待つと考えるから、「時間」や「空間」、「意思」や「形態」が一体化したものだと考える。

「好き」とか「嫌い」などは、プラズマ振動のように、頭脳の中で生じるが、振動であり、物理的刺激を受けた時、神経という媒体を通して、プラズマ波となって、身体に現れると考える。

「直感」も、これに似た出来事だろう。

そして、頭脳がプラズマ状態ならば、電磁波を起こすだろうし、脳電図と脳磁図の存在は、「意識は電磁波である」という私の主張にも合致するし、それが意識となって「時間」や「空間」を感じると考える。



これが究極のオカルトである。

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2015/4/2、私の現在の考え 14・流れるものと派生するもの・三身即一へと続く
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2009年04月12日

2009/4/12・オカルト(私の電離層)私のブログが生きる道2

Yahoo USA が、私の記事を掲載してくれた。

私のブログが生きる道 m24658
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkjiYNuFJ2CcAurhXNyoA?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E9%81%93%E3%80%80m24658&fr=yfp-t-501&fr2=sb-top

2009/4/9・考えた事。

それは、

@脳電図と脳磁図

A米国の「 ハロルド・サクストン・バー 」氏の考え

B「 プラズマ宇宙論・プラズマ振動 」

私の夢は、これが一つに融合した物語を書く事です。

勿論、フィクションです。

2009/4/12・考えた事

追加します。

Cシューマン共振

シューマン共振 (Wikipedia から引用)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%85%B1%E6%8C%AF

シューマン共振(−きょうしん)あるいはシューマン共鳴(−きょうめい)(Schumann resonance)は、地球の地表と電離層との間で極極超長波(ELF)が反射をして、その波長がちょうど地球一周の距離の整数分の一に一致したものを言う。
その周波数は7.83Hz(一次)、 14.1Hz(二次)、 20.3Hz(三次)、・・・と多数存在する。
常に共振し続けているので常時観測できる。

1952年、ドイツの物理学者、ヴィンフリート・オットー・シューマン(Winfried Otto Schumann、米国イリノイ大学在籍)により発見された。

共振のエネルギー源
雷の放電や太陽風による電離層の震動だと言われている。

脳波との関係
脳波とシューマン共振
ミュンヘン大学のコーニングは、人間の脳波とシューマン共振の周波数との間に強い関係があることを発見した。

脳波のうちα波は7.83Hz(一次)と14.1Hz(二次)との間にあり、β1波は14.1Hz(二次)と20.3Hz(三次)との間にあり、さらにβ2波は20.3Hz(三次)と32.4Hz(五次)との間にある。

これらは大変に強い相関関係にあることが明らかであり、人間の脳(或いは他の生物の脳)が古代生物誕生以来シューマン共振から強い影響を受けてきたことを意味する。

(引用を終わる)



他にもあるが、私は科学を知らないので、私の話は、


オカルト的な話である


私は、超常現象には反対だが、これからは、「 内なる宇宙 」の表現であり、根拠も無い、非科学的な話で、

究極のフィクションである。

同調も求めないし、批判には答えない。

我が道を行くだけである。

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2009年04月11日

2009/4/11・創作3(私の電離層) 瞬間

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


私は、これまで、一瞬の中に、次の物が交差すると書いた。


普通の時間と虚時間

普通の時空の座標と、点で反対称になる時空の座標

普通の宇宙と「内なる宇宙」

ボーズ粒子とフェルミ粒子


これらは、時間と空間と粒子(物質) が構成物である。

私は、「 後者 」、つまり、虚時間と反対称の座標とフェルミ粒子が、精神世界を主導する物だと思う。

精神世界は、如来様(nyoraisama)の宇宙を再構成した観念の世界だと思うが、意識は脳から発生するから、意識と物質が混入した世界だと思う。

意識と物質について、脳科学が解明するのを待っている。

私は、意識が物質として持つのは電磁波という構造であり、意識は物質波であると思うし、普通の電磁波だとは考えない。

電磁波という構造が意識の物質であると考えるが、意識の全部が物質だろうか?

虚時間と反対称の座標とフェルミ粒子を考える事それ自体が、意識が物質でない事であると思う。

考える理由の一つは、私が「 主体的 」な行為を求められているからだと思う。

地球は自転し、人類は、絶えず新たな行為を求められている。

物理的刺激と同時に、意識を持って、あるいは意識を与えられて生きている。

植物のように、「光」や栄養を待っているだけでは、生きられない。

主体的というのは、能動的と同義で、動物は主体的であると思う。

能動的とは、漢字で「 能力 」が「動く」と書くから、「 脳 」が「動く」事だと思う。

実際は、「 脳 」は動かず、神経を通して手足が動く。

社会の人が見た時、意識は瞬時に伝わるから、「 意思 」に「 形態 」が一体となって動く時、「 脳 」が「動いた」と思うだろう。

私は、この一瞬の中で、「 形態 」の中に「 意思 」を読み取るのが「 認識 」であり、「 意思 」を「 形態 」とするのが「 表現 」であり、それは、虚時間と反対称の座標とフェルミ粒子が思考を仲介する事によって成立すると考える。

それは、「 直感 」で、説明が困難だと思うが、その構造を書くのが、哲学者の仕事だと思う。

昔からの「 意識 」の問題が解決されたのかについて、私は、疑問に思っている。


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2009年04月10日

2009/4/10・創造4(私の電離層) 遺伝

2009/4/8、考えた事。

意識を「 意思 」、物理的刺激を「 形態 」、記憶を「 機会を保存する脳 」と考える。

 人間には、現時点で、意味がある「形態」を、時間に可逆的な状態の「 意思 」として、「 機会を保存する脳 」がある。

それは、時間に不可逆な「 意思 」と「 形態 」を一体にした状態を、新たな状況に適用するために「 機会を保存する脳 」である。

それは、生命体を新たな状況に適応するための頭脳の力である。

2009/4/9,考えた事。

私は、「 意思 」と「 形態 」は「 文化 」であり、進展させるのが「 機会の中で拡大する脳 」であると考える。

「意思」と「形態」と「機会の中で拡大する脳」に対応する、頭脳の中の臓器を考えた。

……(中略)……


私は、意識は電磁波の構造をして、「時間意識」と「空間意識」がサインカーブを描いて交わると書いた。

それは、「 左脳 」の「時間座標」と、「 右脳 」の「空間座標」が、「 脳梁 」を共通の軸として、サインカーブを描いて「脳梁」で交点を作り、交点に対して、座標を「反対称」に回転させて「 認識 」に到達すると書く。

……(中略)……

認識という「 粒子 」が連結して「 脳梁 」のように、「 線 」や「 束 」となったものが、意識的には「 物語 」で、神経的には「新たな脳細胞の誕生」であるかも知れない。

「左脳」と「右脳」と「脳梁」が、三位一体となって働いた結果が、「 文化 」である。

2009/4/10・考えた事。

それは、時間に不可逆な「 意思 」と「 形態 」を一体にした状態を、新たな状況に適用するために「 機会を保存する脳 」である。

それは、生命体を新たな状況に適応するための頭脳の力である。

このように「 記憶 」を考えたが、「 意思は形態として具現化する 」から、「 機会を保存した脳 」が形態を持つのは、「 誕生 」の時だと思う。

個人にとっては、時間と空間の開始で、個人の「 ビッグ・バン 」である。

それは、無明から誕生するのだが、「 親 」が持っている「 意思 」が遺伝となって、「 子 」に伝わるのが、具現化だと思う。

私の死後は、社会的には、文化や精神として形態が残るが、「 意思 」は「 形態 」と一体になりDNAという遺伝子に組み込まれて、子孫に遺伝として伝わると思う。

文化の進展は、遺伝も考える必要があると思う。

「 子 」や「 孫 」に祖先の行為の結果が現れる事は、以前書いた「 六道輪廻 」という仏教の教えである。

生物的な「誕生」と精神の「生きる事」は違い、生物的な「死亡」と精神の「死」とは違う。

「死亡」の中にも「生きる事」があると思う。


遺伝により、「六道輪廻」するが、人間一般の「誕生」の性質により、祖先とは違った個人が誕生する可能性がある。

それが、これから書く予定の、宇宙の一構成物としての「 ブラズマ宇宙論 」に類似した性質である。

これは、勿論フィクションである。


Every miller draws water to his own mill.
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2009年04月09日

2009/4/9・創作3(私の電離層)私のブログが生きる道

2009/4/6・考えた事。

今、私の中に存在するのは、「 感動よ、ありがとう 」という気持ちです。

感動とは何だろう?


この感動についての考えが、私のブログの空中分解を防ぐと思います。


2009/4/9・考えた事。

それは、

@脳電図と脳磁図

A米国の「 ハロルド・サクストン・バー 」氏の考え

B「 プラズマ宇宙論・プラズマ振動 」

私の夢は、これが一つに融合した物語を書く事です。

勿論、フィクションです。

これは、後日、書くと思います。

Poor thinking is as good as no thinking.
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