2009年10月31日

2009/10/31、オカルト(二本足の考え)出発1

2008/10/25、私の記事

ここに「無相庵」の中の「唯識の世界」のURL を掲載しますので、日本の人はクリックして、更に深くご研究してください。

http://www.plinst.jp/musouan/yuishiki.html

この「無相庵」の主人が、人生に対して、適切な言葉を書かれているので、ご紹介します。


心が変れば態度が変る、

態度が変れば行動が変る

行動が変れば習慣が変る、

習慣が変れば人格が変る

人格が変れば運命が変わる、

運命が変れば、人生が変る



以下は、「無相庵〜仏教に学ぶ〜」の「唯識の世界」から抜粋しました。

「阿頼耶識(arayasiki)は、過去の一切の行為を洩れなく記録し、溜め込んでいる心である」

「阿頼耶識(arayasiki)は、@私たちの、あらゆる行為(身→行動した事。口→口でしゃべった事。意→心で思った事)を溜め込む。……現行薫種子(gengyoukunsyuzi)。」

A溜め込んだものによって、人柄やその人の心境世界を決定する。……種子生現行(syuugisyougengyou)。

B凡夫において我執の対象として実体化され、執着される……末那識との関連で、盲目的に生きようとする意欲を出す源泉としての阿頼耶識(arayasiki)」

阿頼耶識(arayasiki)の恐ろしい所は、「心に思った事、想像した事も溜め込む。

例え言動に出なくても恨み心を積み重ねてゆくと、いずれは爆発する。

一方、気付かないうちに、ストレスを溜めていくと、病という形になって現われる。

阿頼耶識(arayasiki)は、善と悪の、どちらでもない。
性善説も性悪説も、どちらの立場でもない。
善の種子も悪の種子も混在している。

生物としての本能(生存欲や生殖欲)も貯蔵している。
この本能そのものにも、善悪は無いが、縁により、他を害しても本能を満足させる人格に育ったり、場所や遭遇する状況により、犯罪も生み出す。

しかし、阿頼耶識(arayasiki)は、善で悪でもなく、これらの薫習(kunzyuu)によって、仏様の境涯になったり、悪者にもなったりする。

私たちが認識する事が出来る意識は、阿頼耶識(arayasiki)が直接支配を持っているのではなく、自分の得になる事、有利になる事だけを考える末那識(manasiki)というフィルターを通じて、無意識のうちに、阿頼耶識(arayasiki)に溜め込まれた種子が形を変えて出て来る。

末那識(manasiki)は、阿頼耶識(arayasiki)に溜め込まれた種子の有様により、変化する。

抜書きを終わります。

2009/10/31、私の考え

以上が、仏教的な意識の説明ですが、私は、「 種子 」という考えを採用しません。

「 種子 」が「 記憶 」であれば、それは「 時空の歪み 」であり、時空により歪んだ「 気持ち 」や「 心 」が、現在からの、「 意識の電磁波 」により、解凍される、あるいは復活するのが「 思い出す 」事だと考えます。

「 記憶 」は、意識の電磁波により解凍可能な状態に「 時空の歪める方法 」であり、時空を折り畳む方法だと考えます。

だから、「 記憶 」の方法は、個人により相違し、「 頭脳明晰 」というのは、「 ニューロンが優秀」なのでは無く、「 整理方法が上手 」である事です。

本当に「 頭脳明晰 」な人は、ノーベル賞でも、受賞するでしょう。

意識の電磁波は、人間の全てに共通である事を、「 意識は一定の速度を持つ 」と言いました。

意識の電磁波が及ぶ範囲は、「 価値観 」という、意識では解決できない「 霊 」で、DNA まで浸透している状態が「 阿頼耶識(arayasiki) 」であると考えます。

阿頼耶識(arayasiki)は、無意識であり、「 欲 」であり、「 霊の及ぶ範囲 」であり、これが本能であると考えますから、阿頼耶識(arayasiki)自体は、善や悪ではないと考えます。

「 阿頼耶識(arayasiki)の恐ろしい所は、「心に思った事、想像した事も溜め込む。

例え言動に出なくても恨み心を積み重ねてゆくと、いずれは爆発する。

一方、気付かないうちに、ストレスを溜めていくと、病という形になって現われる。」


これは、私が「 二本足の考え 」で説明したように、人間の二つの眼から入った、遠近や大小や、力線という、ベクトルという「 霊 」が、脳幹の視床下部を通り、無意識の「 価値観 」により、ストレスとなる事と同一の事です。

ストレスは、「 行動の選択 」の迷いですが、地球の自転より人間は行為を求められていますから、(例えば、呼吸を止める事は出来ない)、ストレスの発散のための行為をする宿命なのです。

私たちが認識する事が出来る意識は、阿頼耶識(arayasiki)が直接支配を持っているのではなく、自分の得になる事、有利になる事だけを考える末那識(manasiki)というフィルターを通じて、無意識のうちに、阿頼耶識(arayasiki)に溜め込まれた種子が形を変えて出て来る。

これは、「 欲 」という「 霊 」に、「 精神 」による「 計算 」を加えて、自己の利益のために利用するのが末那識(manasiki)で、これを捨てて、正見(syoukenn)、つまり悪い所も、良い所も、正しく見る事が、「 霊的生物 」としての人間の生き方だと考えます。

また、後日、書きます。


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2009年10月28日

2009/10/28、オカルト(霊の二本足の考え)天命と宿命と運命2

少し考えた事を、記事にする。

これは、フィクションである。

@
「 天命 」とは何?

「 天 」とは「宇宙」であり、「命」とは「 気持ち 」や「意思」だろう。

「 宇宙の意思 」が「 具現化 」するのが「 天命 」であると思う。

それは、「 霊の二本足の考え 」で書いたが、「 創造の働きをする無(生命)阿弥陀仏 」と「 意識 」の関係であると思う。

例としては、「 地磁気 」を感じるアンテナをヒトは、「 直感 」として持っていると書いた。

「 宇宙の意思 」の「 具現化 」には、ストレスという時空の歪みや無意識を統御する「 価値観 」は無く、自分への「 方向 」という「 霊 」だけが、意識に働き、「 実有 」や「本当の真実」を受け取るだろう。

だから、「 神託 」という言葉が使われると思う。

ここは意識が発生する所で、意識と無意識が未分化の状態であり、物質と精神も未分化だと考える。

A
「 宿命(fate,destiney,doom)」とは何?

「 人力では変える事が出来ない超自然的な力による宿命 」であると辞書に書いてある。

私に、仏教的な教養があれば、役に立つ事を書けると思うが、私の考えで書くしか方法は無い。

知識を求めるヒトは、検索してください。

私は、「 霊 」が、個人の「 魂 」に中に、一定の強い価値観として、DNAの水準から、浸透していると思う。

「 価値観 」は、先祖代々のDNA の価値観だったり、思想という精神だったりして、自分の価値観と認めるが、自分が考えた価値観ではなく、その「 方向 」という「 霊 」が、自分の考えにフィットしないのが、「 宿命 」だと思う。

「 方向 」という、天命の「 霊 」を変える事が出来ないとき「 宿命 」というと考える。

私は、この領域が普通の状態だと考えます。

例えば、「 価値観 」を国家の教育と考え、その国家の「 方向 」という「 霊 」が、自分の「 価値観 」とフィットしない時、ストレスが生まれる場合があるし、例えば「 価値観 」が家庭も教育や先祖代々の「 家風 」である時、その「 方向 」と、自分の「 価値観 」の方向が衝突し、ストレスが発生する。

自分の価値観ではなくて、国家、家庭、家風、DNA(遺伝子情報)の価値観に従う時、「 宿命 」というと思う。

これは、仏教の「 生き方 」ではなく、仏教の考えでもなく、「 私の考え 」であり、フィクションである。


B
「 運命 」とは何?

「運命」は「 命 」を「 運ぶ 」事だというヒトがいるが、私は、賛成しない。

私は、「 運命 」も「 宿命 」も同じだと思うが、違うのは、「 価値観 」が自分の価値観であり、「 天命 」と類似して、「 創造の働きをする無(生命) 阿弥陀仏」を感じる気持ちだと思う。

「 魂の二本足の考え 」で、「 意識 」が「 無意識 」を統御して、目的を達成する「 価値観 」という「 力 」を持って「 方向 」という「 霊 」を変える事が出来ると考える。

だから、「 運命は変える事が出来る 」と思う。

DNAの中に、「 霊 」が浸透し、無意識の「 力 」で行動するが、自分の「 価値観 」を持ち、それを「 力 」にして意識による統御により、「 霊 」の方向とは違う方向に、軌道を修正する事が出来ると思う。ただし、失敗が多く、失敗を恐れず行動する気持ちが必要だと思う。

2009/10/28、私の考え

私は、この三つの「 命 」の状態を、並列に考えて、「 言葉の遊び 」とするのではなく、気(ki)が違う別の領域だと考える。

並列にして考える事は、間違いだと思う。

BとAの間には、ストレスをAと@の間には、DNA と「 霊 」の分離を考える事が必要だろう。

その三段階は、「 不連続 」に見えて、逃げる事が不可能だと思うが、私は、「 不連続をジャンプ 」する事により、脱出は可能であると考える。

Bの段階で、「 無意識 」を「 認識 」する事が、Aの段階にジャンプする事で、Aの段階で、「 自己 」を放棄する事が、@へのジャンプだと考え、@の段階は、「 神仏との合一 」であると考える。


「 不連続 」に見えても、「 肉体 」で統合しているから、見えない所で、「 連続 」していると考える。

考え方を変えれば、この三段階は、自由に往復する事が出来るかも知れない。

その時点で、この三つの「 命 」の状態を、並列の状態で考える事が許されると考える。


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2009年10月27日

2009/10/27、オカルト(霊の二本足の考え)天命と宿命と運命

これは、私だけのフィクションです。

これまで、「 霊 」と「 魂 」を区別し、前者は人間の意識を支え、意識では解決することが出来ないものとして後者の意識に現れてストレスになると考えた。

重力に似た「 力 」や「 価値観 」、「 方向性 」や無意識の中の「 人格 」や「 創造の働きをする無(生命)阿弥陀仏 」などの「 霊 」が、「 自我 」を形成する「 魂 」の物質的要素のDNAから浸透して、「 心 」や「 気持ち 」という意識の総体の中の「 無意識 」を形成する。

「 魂 」の中の「 無意識 」が、身(身体)口(言葉)意(意識)の中にストレスという「 気持ちの歪み 」を解消する「 行為 」をする。

「 欲 」を解消する行為であるかも知れない。

その「 行為 」により、「 意識 」が強くなる。

自分が鏡の中で泣いている自分を見て、悲しくなるように。

死んでいる自分の姿を見て、「 自分は死んだんだ 」と知るのかも知れない。

「 霊 」が、自我である「 魂 」の物質面でも精神面でも、浸透し、「 力 」となる事は、「 魂の二本足の考え 」や「 霊の二本足の考え 」で書いた。

@
「 天命 」とは何?

「 天 」とは「宇宙」であり、「命」とは「 気持ち 」や「意思」だろう。

「 宇宙の意思 」が「 具現化 」するのが「 天命 」であると思う。

それは、「 霊の二本足の考え 」で書いたが、「 創造の働きをする無(生命)阿弥陀仏 」と「 意識 」の関係であると思う。

例としては、「 地磁気 」を感じるアンテナをヒトは、「 直感 」として持っていると書いた。

「 宇宙の意思 」の「 具現化 」には、ストレスという時空の歪みや無意識を統御する「 価値観 」は無く、自分への「 方向 」という「 霊 」だけが、意識に働き、「 実有 」や「本当の真実」を受け取るだろう。

だから、「 神託 」という言葉が使われると思う。

A
「 宿命(fate,destiney,doom)」とは何?

「 人力では変える事が出来ない超自然的な力による宿命 」であると辞書に書いてある。

私に、仏教的な教養があれば、役に立つ事を書けると思うが、私の考えで書くしか方法は無い。

知識を求めるヒトは、検索してください。

私は、「 霊 」が、個人の「 魂 」に中に、一定の強い価値観として、DNAの水準から、浸透していると思う。

「 価値観 」は、先祖代々のDNA の価値観だったり、思想という精神だったりして、自分の価値観と認めるが、自分が考えた価値観ではなく、その「 方向 」という「 霊 」が、自分の考えにフィットしないのが、「 宿命 」だと思う。

「 方向 」という、天命の「 霊 」を変える事が出来ないとき「 宿命 」というと考える。

B
「 運命 」とは何?

「運命」は「 命 」を「 運ぶ 」事だというヒトがいるが、私は、賛成しない。

私は、「 運命 」も「 宿命 」も同じだと思うが、違うのは、「 価値観 」が自分の価値観であり、「 天命 」と類似して、「 創造の働きをする無(生命) 阿弥陀仏」を感じる気持ちだと思う。

「 魂の二本足の考え 」で、「 意識 」が「 無意識 」を統御して、目的を達成する「 価値観 」という「 力 」を持って「 方向 」という「 霊 」を変える事が出来ると考える。

だから、「 運命は変える事が出来る 」と思う。


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2009年10月26日

2009/10/26、オカルト(霊の二本足の考え)4

私の「 二本足の考えシリーズ 」で、実益が無いと思われる記事を、Yahoo USA は、掲載してくれました。

Yahoo USA 「 霊の二本足の考え 」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGky6SbeVKZy8ADv.l87UF?p=%E9%9C%8A%E3%81%AE%E4%BA%8C%E6%9C%AC%E8%B6%B3%E3%81%AE%E8%80%83%E3%81%88&fr=yfp-t-701&fr2=sfp&iscqry=

私のような記事を掲載して頂いて、Yahoo USA の感謝しています。

ある有名な検索会社に対抗するために、Microsoft と提携されましたが、Yahoo USA が、末長く支持される事を願います。

Virtue never grows old.

インターネットは、金儲けや検索で商売するだけではないはずです。

検索で負けても、商売で負けても、老舗は老舗としての貫禄を感じます。

私のフィクションですから、ただちに潰れるだろうと想像されていると思いますが、今日は、「 二本足の考えシリーズ 」を応用して、世界で初の「 考え 」である「 霊の二本足の考え(運命と宿命と天命) 」を思いつきました。

フィクションの上のフィクシヨンですから、期待せずに、後日、披露する予定の「 霊の二本足の考え(運命と宿命と天命) 」をお待ちください。


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2009/10/26、オカルト(霊の二本足の考え)3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

これは、フィクションです。

2009/10/24、考えた事

太古の地球も現在の地球も、「 地磁気 」を持っている。

この「 地磁気 」が意識を生むならば、地球上の全ての生き物に「 意識 」があるのも、大人も赤ちゃんも、古代人も現代人も同じ「 時間意識 」や「空間意識 」を持つ世界的規模の意識の発生が納得できる。

鳥が地磁気で飛ぶ方向を知るという否定された考えがあるが、人間の頭脳の中に存在する「 磁気 」を感じる場所が、体内の磁気を把握するのではなく、「 地磁気 」を感じる場所で、そこから「 磁場 」の「 時間意識 」が発生すると考えている。

2009/10/25、私の考え

私が酔っ払っても、自宅に帰る事が出来る。

伝書鳩でも犬でも、猫でも「 帰巣本能 」があると思うが、「 本能 」という言葉で規定が終わっているのが不満です。

「 本能 」という「 能力 」で表現するから、「 持続する力 」であり、「 霊 」であると考える。

「 帰巣本能 」が、生物に存在するとは、「 地磁気 」による「 意識 」であり、「 意識 」ではなくて気(ki)であれば、「 生気論 」になる。

地球上の全ての生物に、「 帰巣本能 」があるとすれば、全ての生物に及ぶ「 力 」は、「 地磁気 」だろうと思う。

2009/10/26、私の考え

これは、根拠も何もない、考えです。

日本のアニメに、「 ゲゲゲの鬼太郎 」という作品がある。

ゲゲゲの鬼太郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E9%AC%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E

鬼太郎は、幽霊で、妖気を感じるアンテナを持っていて、霊が関係するかどうかを察知する。

私は、ヒトにも、「 地磁気 」を察知するアンテナが、頭脳の中に存在すると考える。

それが、「 脳磁図 」で示される箇所で、「 磁場 」を「 意識 」と考えると、「 意識 」を作るだけでなく、鳥の「 帰巣本能 」のように「 地磁気 」を感じる箇所であると考える。


「 帰巣本能 」が「 方向 」を察知すると考えると、「 方向 」は、人間の感覚の全部で感じられる「 方向性 」であり、それが「 意識 」という思考の中では、考えの方向を転換する「 直感 」として現れると考える。

地磁気が原因の「 方向 」も、重力が原因の「 力 」や「 価値観 」も、人間の力では、解決する事が出来ない「 霊 」であると考える。

それらが、個人の「 魂の二本足の考え 」の「 無意識 」に浸透して、思考や行動の全てに浸透すると考える。

私は、霊能力者ではないから、「 霊 」については、「 方向性 」と「 価値観 」が「 霊 」であると予想する事しか出来ない。


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2009年10月25日

2009/10/25、オカルト(霊の二本足の考え)2

これは、何の根拠もない、フィクションです。

太古の地球も現在の地球も、「 地磁気 」を持っている。

2009/10/24、考えた事

この「 地磁気 」が意識を生むならば、地球上の全ての生き物に「 意識 」があるのも、大人も赤ちゃんも、古代人も現代人も同じ「 時間意識 」や「空間意識 」を持つ世界的規模の意識の発生が納得できる。

鳥が地磁気で飛ぶ方向を知るという否定された考えがあるが、人間の頭脳の中に存在する「 磁気 」を感じる場所が、体内の磁気を把握するのではなく、「 地磁気 」を感じる場所で、そこから「 磁場 」の「 時間意識 」が発生すると考えている。

2009/10/25、私の考え

私が酔っ払っても、自宅に帰る事が出来る。

伝書鳩でも犬でも、猫でも「 帰巣本能 」があると思うが、「 本能 」という言葉で規定が終わっているのが不満です。

「 本能 」という「 能力 」で表現するから、「 持続する力 」であり、「 霊 」であると考える。

「 帰巣本能 」が、生物に存在するとは、「 地磁気 」による「 意識 」であり、「 意識 」ではなくて気(ki)であれば、「 生気論 」になる。

地球上の全ての生物に、「 帰巣本能 」があるとすれば、全ての生物に及ぶ「 力 」は、「 地磁気 」だろうと思う。

「 脳磁図 」で、「 脳 」の事だけを判断するのではなく、脳の磁場と「 地磁気 」の関連を調べると、「 意識 」が解明されるかも知れないし、シューマン波と脳波の関連も、解明されるかも知れない。

現在は、「 地磁気 」が弱まっていると聞くが、これは、「 思想や価値観の多様化 」として、「 意識 」に現れていると思う。

将来、「磁気嵐」などが「 意識 」に影響しないことを願う。

「 脳 」という肉体の一部の構造を詳しく調べても無益だと思う。

全ては関連して、人間は生まれている。

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2009年10月24日

2009/10/24、オカルト(霊の二本足の考え)1

これは、フィクションです。


「 魂の二本足の考え 」とは。

「 魂の二本足の考え 」では、見る事や聞く事などの意識的世界でも、「 意識の光 」が届かない記憶は、「 人格 」という無意識になる。

見たり聞いたりすると同時に、無意識の人格が、無意識の価値観になり、行動を決定する。

「 表象 」するのは「 意識 」だが、「 決定 」するのは「 無意識 」の「 欲 」である。

生命的で、社会的な「 霊 」を、DNA の中で統合したものが「 魂の二本足の考え 」で、「 生き生きとした現実世界 」で、煩悩の世界で、「 特殊相対論 」の世界であると考える。

「 霊の二本足の考え 」とは。

「 魂の二本足の考え 」が、意識と無意識の考えであるが、「 霊の二本足の考え 」とは、「 魂の二本足の考え 」を「 意識 」として、その意識と「 無 」を考える。

「 無 」に中から「 意識 」を考える事になる。

もちろん、これは私の「 思いつき 」でありフィクションでありオカルトであるが、私は、真剣である。

まず太古の地球を考えると、地殻変動や氷河期などの大気の変化など、どこで生命が生まれたのか不明である。

ヒトが、太古から「 時間 」や「 空間 」を認識し、それが現代まで続いていると考える。

もし、「 時間 」や「 空間 」が、DNA が原因であれば、突然変異が現れて、一般とは違う「 時空間 」が現れるだろう。

それも無いまま、現代の「 赤ちゃん 」も同じ「時空間 」をもつのは、どうしてだろう。

私は、意識を電磁波の構造を持ち、物質でなく派生するもので、物質を「 電場 」とするなら、意識は「 磁場 」であると考えている。

私は、「時間」も「空間」も、「魂」が意識で解釈した「 時間意識 」であり、「 空間意識 」であると考える。

私が死んだら、「時間意識」や「空間意識」は消滅するが、「時間」も「空間」も減少する事は無い。

この「 意識 」が、「 無 」から生まれるとは、私は、何を言うのだろうか?

そして、現代の「 赤ちゃん 」も同じ「時空間 」をもつのは、どうしてだろう。

もちろん、これは私の「 思いつき 」でありフィクションでありオカルトであるが、私は、真剣である。

太古の地球も現在の地球も、「 地磁気 」を持っている。

この「 地磁気 」が意識を生むならば、地球上の全ての生き物に「 意識 」があるのも、大人も赤ちゃんも、古代人も現代人も同じ「 時間意識 」や「空間意識 」を持つ世界的規模の意識の発生が納得できる。

鳥が地磁気で飛ぶ方向を知るという否定された考えがあるが、人間の頭脳の中に存在する「 磁気 」を感じる場所が、体内の磁気を把握するのではなく、「 地磁気 」を感じる場所で、そこから「 磁場 」の「 時間意識 」が発生すると考えている。


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2009/10/22、オカルト(魂の二本足の考え)記憶 4

これは、フィクションです。

今日の記事で、問題にするのは、2009/10/20、と2009/10/21、の記事の以下の部分です。

「 意識という「 光 」が届く範囲が、想起する範囲だが、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」は蓄積して、「 人格 」となり、想起する事が出来なくなると考える。」

私が主張する「 二本足の考え 」とは、現実生活で認識する時は、同時に「 意識 」と「 無意識 」の二つの意識を使う事である。

そこで、「 意識 」しながら「 無意識 」である、つまり「 意識 」の中の「 無意識 」を考えた。

記憶は、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」であり、「 時空の歪み 」とは、一般相対性理論では巨大な「 重力 」である。

小さな「 時空の歪み 」が集まって蓄積し、「 意識 」の「 光 」が届かなくなって、想起する事が出来なくなって、「 人格 」を形成するから、「 意識 」に、「 人格 」という「 無意識 」が連結していると考える。

これが、「 意識 」の中に「 無意識 」が存在する事であり、「 二本足の考え 」で行為していると考える。

2009/10/22、私の考え

以上が、「 魂の二本足の考え 」ですが、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」が、記憶から、どのような変化をするかを考えました。

二つの眼などの感覚器官から、得られた「 力線 」は「 霊 」だから、意識で解消する事は出来ず、無意識の中でストレスになる。

それは、無意識の「 気持ち 」である時空や、「 無意識の座標 」である「 価値観 」を、一時的に変形するエネルギーであり、「 気持ち 」の内部の気(ki)と統合されて「 生々しい記憶 」として、脳細胞に刻まれる。

「 生々しい記憶 」とは、無意識の時空の中で、人物や事物の関係に論理性があり、整合性があり、次の新たな状況を解決するのに役立つ情報で、論理性、整合性のため、「 エントロピー 」は小さいと考える。

「 エントロピー 」の増大は、「 生々しい記憶 」が薄れ、論理性や整合性が失われる事だが、「 人格 」という「 無意識 」に変化する前の状態があると考える。

論理性や整合性が失われているのは、「 夢 」である。

「 夢 」は、「 記憶 」が時間のエントロピーの増大により無秩序になるのではなく、「 記憶 」のエネルギーが持つ論理性や整合性が失われて無秩序になる事による、「 エントロピーの増大 」であると考える。

「 夢 」は「 記憶 」の一種で、「 記憶 」の論理性や整合性が失われ、時間ではなくて、記憶を統合する「 価値観 」のエントロピーが増大した状態であると考える。

出来事を忘れたり覚えていたりするのは、「 記憶 」の時間の経過によるエントロピーの増大ではなく、「 気持ち 」の論理性や整合性が失われる事によるエントロピーの増大であり、「 記憶 」は「 夢 」と似た無意識になり、「 夢 」と「 記憶 」が統合して、再び現実世界で「 発明 」や「 新発見 」になると考える。

オカルト的には、受信機さえあれば、「 夢 」の状態から鼓動を動力として、「 意識 」の「 電磁波 」を送り、通信することも可能だと考える。

「 記憶 」から「 夢 」になり、現実の「 発明 」になる「 循環 」を考える。

これは、昔の哲学者が言う「 時熟 」という考えでは不可能な事で、時が全てを解決するのではなく、眠っても覚めても「 一つの課題 」を考えるヒトに、「 神 」は現れると考える。


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2009年10月21日

2009/10/21、オカルト(魂の二本足の考え)記憶3

これは、フィクションです。

私の記事を、Yahoo USA は、掲載してくれました。

大変、感謝しています。

Yahoo USA 「 魂の二本足の考え 」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGk79s8t1K.EIBwaml87UF?p=%E9%AD%82%E3%81%AE%E4%BA%8C%E6%9C%AC%E8%B6%B3%E3%81%AE%E8%80%83%E3%81%88&fr=yfp-t-158&fr2=sfp&iscqry=

今日の記事で、問題にするのは、2009/10/20、の記事の以下の部分です。

「 意識という「 光 」が届く範囲が、想起する範囲だが、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」は蓄積して、「 人格 」となり、想起する事が出来なくなると考える。」

私が主張する「 二本足の考え 」とは、現実生活で認識する時は、同時に「 意識 」と「 無意識 」の二つの意識を使う事である。

そこで、「 意識 」しながら「 無意識 」である、つまり「 意識 」の中の「 無意識 」を考えた。

記憶は、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」であり、「 時空の歪み 」とは、一般相対性理論では巨大な「 重力 」である。

小さな「 時空の歪み 」が集まって蓄積し、「 意識 」の「 光 」が届かなくなって、想起する事が出来なくなって、「 人格 」を形成するから、「 意識 」に、「 人格 」という「 無意識 」が連結していると考える。

これが、「 意識 」の中に「 無意識 」が存在する事であり、「 二本足の考え 」で行為していると考える。

その「 人格 」は、脳幹の無意識であり、「 欲 」は「 人格 」の引力だから、現実生活の「 欲 」を満たす無意識の行動は、「 人格の行動 」である。

「 時間意識 」と「 空間意識 」を変形して蓄積した記憶が、「 無意識の座標 」や「 無意識の価値観 」を形成すると考えると、形成する時間も必要であるし、形成された後は、「 意識 」の「 光 」の進行を曲げる「 重力の力 」となり、個人の「 価値観 」が、正しい認識(正見(syouken))を妨害して、間違った行為をすると考える。

これは、避けられない事で、避けられないから、人格の鍛錬が必要だと考える。



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2009年10月20日

2009/10/20、オカルト(魂の二本足の考え)記憶2

これは、フィクションです。

時間と空間を「 時間意識 」と「 空間意識 」であると考え、意識は電磁波の構造を持ち、速度が一定である事との関連を考える。

意識は電磁波と言うが、現実生活では、他者との信号の交換だが、「 魂の二本足の考え 」の中では、「 無意識 」の「 意識 」に対する「 力 」を感じる「 感受性 」の「 力 」であると考える。

その一つの「 力 」は、「 記憶力 」や「 想起力 」だろう。

「 力 」は、「 持続する価値観 」であり、記憶や想起は、ストレスを受けた後遺症の「 時空の歪み 」という「 力 」を、持続する「 無意識の価値観 」から「 意識 」が拾い上げて、「 意識の価値観 」の「 気持ち 」に持ち込む事であり、「 記憶の内容 」は、「 時空の歪み 」を持つから、意識で、再構築する必要がある。

時間と空間を「 時間意識 」と「 空間意識 」であると考え、意識は電磁波の構造を持ち、速度が一定であるとは、意識は、DNA から生じるもので、人類は皆、一定だろう。

相違するのは、個人のDNA であり、ストレスを受けた後遺症の「 時空の歪み 」の「 記憶 」であると考える。

2009/10/20、私の考え

私の考えは、ヒトが、「 時間意識 」と「 空間意識 」として時間や空間を意識の中に採用していて、二つの眼から入った「 力 」がストレスとなり、価値観という「 力 」と衝突し、その衝撃で獲得した気(ki)というエネルギーや情(zyou)という物語を、「 気持ち 」の中に、マイクロフィルムやDVD で保管するように、意識を使って折りたたんだものを、記憶と考え、意識が発した電磁波で、解凍する事を「 思い出す 」事であると考えている。

だから、まず、時間や空間は存在してると思うが、それを、「 意識 」として持っていて、「 意識 」を自由に変形し、「 意識 」は「 光の球 」のように過去の「記憶」を照らすと考える事が私の出発点である。

思い出すのは、時間でも空間でもなく、自分が活動した体験であるが、「 体験 」というのは、時間と空間で折りたたまれた物語や光景であり、インスタント・ラーメンや保存食に湯を入れて食べたり、冷凍された魚を解凍して食べるのが、「 思い出す 」事だと思います。

ストレスの後遺症である「 時空の歪み 」は重力であり、「 無意識の価値観 」を形成する個人の固有の重力であり、それが「 意識の価値観 」では、個人のコンプレックスや優越感として、「 気持ち 」という意識の統一体に現れるが、社会の知識により、濃度が薄くなるが、無意識のエネルギーとして、「 気持ち 」の全体を支配すると考える。

意識という「 光 」が届く範囲が、想起する範囲だが、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」は蓄積して、「 人格 」となり、想起する事が出来なくなると考える。

これを破壊するのは、「 意識 」からの教育であるし、信仰であるし、「 正見 」する事による、欲望のコントロールだろうと思う。

老人の認知症を判定するために、記憶を「 短期記憶 」と「 長期記憶 」と分ける考えもあるが、私は、賛成しない。

時間や空間を、「 真剣に考えないで 」、パブロフの犬のように、「条件と反射」で区別する、安易な、科学的な考えだと思うから賛成しない。

「短期 」とか「長期」という「 測定する時間 」の問題ではなくて、個人の「 感受性 」の問題であり、感動しない印象を、「長期」に記憶する事が不可能だと、科学者は、「 なぜ 」気づかないのだろう。

「 記憶力が強い 」というのは、「 頭脳が明晰である 」で「記憶力を鍛錬する 」のではなく、何に対して感動し、何に対して問題意識を持つかという感受性の強さであり、人間的な人格の問題だと思う。



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2009年10月19日

2009/10/19、オカルト(魂の二本足の考え)記憶

これは、フィクションです。


二つの眼から、「 力線 」を感じて、脳幹の視床下部を通って、無意識の中にストレスを発生させるが、「 力 」は「 霊 」ですので、意識で解決する事が出来ないから、ストレスになる。

何がストレスになるかは、個人が持つDNA や「 価値観 」に左右され、それは、生命的で社会的な「 霊 」が、個人のDNA を通過して、意識や無意識の総体である「 魂 」の中に現れているからだと思います。

2009/10/19、私の考え

時間と空間を「 時間意識 」と「 空間意識 」であると考え、意識は電磁波の構造を持ち、速度が一定である事との関連を考える。

意識は電磁波と言うが、現実生活では、他者との信号の交換だが、「 魂の二本足の考え 」の中では、「 無意識 」の「 意識 」に対する「 力 」を感じる「 感受性 」の「 力 」であると考える。

その一つの「 力 」は、「 記憶力 」や「 想起力 」だろう。

「 力 」は、「 持続する価値観 」であり、記憶や想起は、ストレスを受けた後遺症の「 時空の歪み 」という「 力 」を、持続する「 無意識の価値観 」から「 意識 」が拾い上げて、「 意識の価値観 」の「 気持ち 」に持ち込む事であり、「 記憶の内容 」は、「 時空の歪み 」を持つから、意識で、再構築する必要がある。

時間と空間を「 時間意識 」と「 空間意識 」であると考え、意識は電磁波の構造を持ち、速度が一定であるとは、意識は、DNA から生じるもので、人類は皆、一定だろう。

相違するのは、個人のDNA であり、ストレスを受けた後遺症の「 時空の歪み 」の「 記憶 」であると考える。

身(身体)口(言葉)意(意識)の中で発揮する時、意識が一定であるため、その「 相違 」は、「 魂 」という「 気持ち 」の温度差、エネルギーの差や「 欲 」に現れると考える。

それは、プランクが、溶鉱炉の色から温度を推測したように、他者から、「 人格 」の持つ「 引力 」という「 力 」として、判断されるかも知れない。



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2009年10月18日

2009/10/18、オカルト(魂の二本足の考え)出発1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

これは、フィクションです。

これまでの記事を、簡単にしますと、「 二本足の考え 」とは、地球が自転して人間は、絶えず新たな行為を求められるから、現実世界は「 意識 」と同時に「 無意識 」が混在する世界だと考えます。

「 無意識 」で「 内容 」を判断し、決定し、「 意識 」は、その決定の合理化、正当化する道具だと考えます。

それが、色即是空であると考えます。

二つの眼から、「 力線 」を感じて、脳幹の視床下部を通って、無意識の中にストレスを発生させるが、「 力 」は「 霊 」ですので、意識で解決する事が出来ないから、ストレスになる。

何がストレスになるかは、個人が持つDNA や「 価値観 」に左右され、それは、生命的で社会的な「 霊 」が、個人のDNA を通過して、意識や無意識の総体である「 魂 」の中に現れているからだと思います。

行為には、「 価値観 」が必要だと考えます。

「 価値観 」という「 力 」は、DNA の遺伝情報に含まれるかも知れませんが、生まれた時代の価値観の影響が大きいと思います。

ストレス発散のために、どんな行為を選択するのかは、個人のDNAを通過した「 価値観 」という「 力 」が具現化すると思います。

「 魂 」の「 二本足の考え 」は、「 意識と無意識 」の部分は、2009/8/26に考えた記事が参考になり、身(身体)口(言葉)意(意識)の「 行為 」の決定には、2009/9/28に考えた記事が参考になると思います。


これから、「 魂の二本足 」について書きたいと思います。

参考


2009/8/26

「二本足の考え」とは、意識の「 気持ち 」の中心と、無意識の「 気持ち 」の中心が、直線上に存在し、身(身体)口(言葉)意(意識)を「 外界 」との境界にして、それを円周とした楕円状のラグビー・ボールであり、一方の中心から発した意識の衝撃波は境界で反射され、複素数の二乗のように符号が変わり、逆方向になり他方の中心を破壊して、「 気持ち 」を破壊したり、意識や無意識の感受性を増幅させて刺激すると言う考えです。


私は、「意識は電磁波である」という考えですから、それぞれ、二つの中心(焦点)から意識の光を発して球状になり、意識と無意識は重なるが、相違する所もあり、地球のように楕円形をしているのが「意識の総体」である「霊」であり、二つの中心(焦点)から意識の光を発するのは「 今 」という現在からであると考えます。

電磁波のように進む先端から、記憶や想起や不安という「感受性」を、進行方向とは逆の過去に向けて発信し、突き上げる意識により、自分が自分であると確認しているのが「 自意識 」であると考えます。

「 外界 」とは「 今 」と言う現実世界です。

「 気持ち 」とは、漢字で書きますと、気(ki)を持つ(hold) で、持つ(hold)事を可能にしているのは、意識では記憶でしょうし、無意識では「好き」や「嫌い」という感情だと思います。

意識は主に「大脳皮質と連合野」で生まれ、無意識は主に「脳幹」で生まれ、前者は「 論理 」、後者は「 感情 」を特徴とすると思います。

無意識は、エネルギーとしての気(ki)と、DNAという生命を原因とする「 霊 」から構成されると考え、二つの「 感受性 」を必要とすると考えます。

ですから、「好き」や「嫌い」の感情は、気(ki)の感受性の方向と「霊」の感受性の方向に対する現実を見る「二つの眼」から取り入れた気(ki)により生まれると思います。

それが、「 ストレス 」である事は、以前、書きました。

この意識と無意識が、「 時間意識 」と「 空間意識 」を、「空気」や「大気」のように満たしていると考えます。

2009/9/28、霊と価値観

ここで、「 力 」は、「 霊 」であると考えますと、「 今 」という時点の意識と無意識の二つの焦点から発する信号が、「 持続 」するのは、「 霊 」という「 力 」であり、その「 持続 」により記憶や想起という感受性が生じると思います。

「 霊 」は「 力 」で、「 持続 」という形態を採ると考えます。

「 持続 」が、私の頭脳では理解する事が出来ない天体の重力であれば、太陽や地球の「万有引力」が、「持続」でしょう。

それに類似したものを「 意識 」の中で考えると、「価値観」だろうと思います。

「 価値観 」の性質が「 力 」であり、その「 持続 」という形態が及ぶ範囲が、価値観の範囲であり、「 力 」の大小が、価値観の大小だと思います。


二つの眼から入った力線は、欲の拡大か縮小であり、行為の選択であるが、意識の中の「 価値観 」の対立を総括した「 価値観 」が、「 欲 」というDNAの霊の拡大や縮小を実現する「 力 」という眼には見えない霊として現れる。

「 価値観 」と「 力 」は重なり、「 表 」と「 裏 」の関係であるが、意識と無意識だから、互いに破壊する関係だと考えます。

二つの眼で見えるのは、意識の世界であり、「 行為 」や「 欲望 」だが、実際に、「 行為 」や「 欲望 」を決定するのは、無意識の霊である「 力 」や「 欲 」である。


霊の「 力 」が、見るとか聴くという意識の中で、「 持続 」として現れ、その「 持続 」が「 価値観 」であり、それが見ると聴くという気(ki)を接着して意識と無意識の総体としての「 気持ち 」を形成すると考える。


この「 価値観 」を、私が言う「 座標 」と同一であると考えると、意識の座標は「 意識の価値観 」であり、無意識の座標は、「 無意識の価値観 」であり、意識の総体の中で、常に、二つの価値観が存在する事になります。

上記のように、「 座標 」が「 価値観 」であると考えると、意識と無意識が、ほとんど重なりながらも、別の基準で動くと考えます。

「 意識の価値観 」は、意識の極の「 精神 」からの比較であり、「 精神 」と「 力 」が「 霊 」であり、RNA と似た働きだと考えます。

「 無意識の価値観 」は、無意識の極である「 エネルギー 」や、「 欲 」や「 力 」という「 霊 」からの比較であり、DNA と似た働きだと考えます。

そして、「 意識 」の下に「 無意識 」が隠れているのではなく、「 意識 」と「 無意識 」が、「 時空 」のように、あるいは数学のX軸とY軸のように、互いに必要不可欠であり、相補的であると考えます。

「 空間 」が「 意識 」ならば、「 時間 」は「 無意識 」です。

これは、私が言う「 二本足の考え 」と同じ考えになります。

現実世界は、「意識」と「無意識」の二つの基準が重なっており、外部からの情報が、「意識」で解決する事が出来ない場合は、「無意識」が、ストレスとして受け止めると考えます。


セントラルドグマやDNA複製を、細胞による「 価値観 」の遺伝であり、生物への「 霊 」の具現化であると考えます。

組織や共同体の「 精神 」という「 霊 」が、細胞の中で「 セントラルドグマ 」の「 横の伝達 」に作用し、空間の中で「 自我 」を成立させ、組織や共同体の「 先祖代々の霊 」が、「 DNA 複製 」の「 縦の伝達 」に作用して、時間の中で「 自我 」を形成すると考えます。

遺伝情報を持つ事は、生命を過去から未来へと「 持続 」する事で、持続を可能にする「横の伝達」と「縦の伝達」の存在は、電磁波的な構造を連想します。

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2009年10月17日

2009/10/17、オカルト(二本足の考え)霊魂 3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

これは、フィクションです。

2009/10/14、私の考え

「 霊 」が重力で、「 魂 」の中の気(ki)が、エネルギーであると考えて、「 魂 」の中が、「特殊相対性理論」、「 霊 」と「 魂 」が、「一般相対性理論」と考えたらどのような展開になるだろうか ?

2009/10/17、私の考え

私は、「 霊 」を重力と想定し、「 魂 」を、「 霊 」と根底を同じくして、気(ki)というエネルギーとDNA と意識と価値観が一体となった「 気持ち 」や「 心 」などの「 意識の総体 」であると想定している。

「 霊 」が「エーテル」で、「 魂 」が「 エーテル体 」と想定している。

私の「二本足の考え」が、「 霊 」の世界と「 魂 」の世界で、どのような展開をするか書く予定である。

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2009年10月14日

2009/10/14、オカルト(二本足の考え)霊魂A

これは、フィクションです。

意識と無意識は、「 魂 」と「 霊 」であり、「 二本足の考え 」や「 二つの時空 」というのは、「 私の霊魂 」と言うに等しいかも知れない。

2009/10/14、私の考え

「 魂 」の中に、意識と無意識があり、二本足の考えを採用すると同時に、「 霊 」と「 魂 」は、前者が「 無意識 」で、後者が「 意識 」として、二本足の考えを採用する。

「 霊 」が重力で、「 魂 」の中の気(ki)が、エネルギーであると考えて、「 魂 」の中が、「特殊相対性理論」、「 霊 」と「 魂 」が、「一般相対性理論」と考えたらどのような展開になるだろうか ?

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2009年10月13日

2009/10/13、オカルト(二本足の考え)霊魂

これは、フィクションです。

2009/9/25、私の考え

「 霊 」は、無意識であり、気(ki)が「 電離層 」により、閉鎖されているのが、生命体であり、霊(rei)は、気(ki)と情(zyou)の両方を内部に含み、人間が介入する事は不可能であると考えます。

時空と生命を創った阿弥陀如来、それ自体が霊だと思います。

これを空間的には、エーテル体、時間的にはDNAの連鎖を物質として、前者は真空状態の「引力」という「力」として現れ、後者は「輪廻転生」する「生命の力」として現われると考えます。

以上の考えは維持します。

二つの眼で見て、「 力線 」を意識では解決する事が出来ないからストレスとして蓄積されるという「 二本足の考え 」から、「 力 」は「 無意識の霊 」であると考え、「 力 」は霊だが、自分の体内に「 力を感じる感受性 」で霊を自分の所有物にしたのが、「 魂 」であると考えます。

「 魂 」は、DNA の意識体や生命体と個人の主観的時間で把握した外部の「霊」という「力」であり、「死」によって生命体は消滅するが、身(身体)口(言葉)意(意識)として外部に現れた「力」は消滅しないと考える。

「 霊 」を感じる感覚が無いから、時間的には無意識の中に存在し、空間的な「 力 」が「 霊 」であると考えます。


物理の運動を「 力 」という意味で把握した時、意識の中では、「 霊 」であり、重力が無いと、人間生活が出来ないし、言葉も重力が無ければ意味を失うように、人類の現実の全てを支えているのが「 霊 」であるから、時空と生命を創った阿弥陀如来、それ自体が「 霊 」だと思います。


参考
霊魂 (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%AD%82

「霊魂」という表現は、「霊」という言葉と「魂」という言葉が組み合わされている。

「霊」(れい、たま)は、すぐれて神妙なもの、神、こころ、いのちなど、多様な意味を持っている[4]。

また、そこに何かいると感じられるが、実体としては捉えられない現象や存在(聖霊など)のことを指すこともある。

「魂」(こん、たましい)のほうは精神をつかさどる精気を指し、肉体をつかさどる「魄」と対比されている[5]。

[6] よって、「霊魂」という言葉は「霊」と「魂魄」両方を含む概念を指すために用いられている。

ただし、通常は、個人の肉体および精神活動をつかさどる人格的な実在で、感覚による認識を超えた永遠の存在を意味している[7]。

そして人間だけでなく、動物や植物にまで拡大して用いられることがある[8]。

(引用を終わる)



2009/10/13、私の考え

私が言う「 霊 」とは、契機次第で、あらゆる生命を存在させる、生命に満ちた、生命の源を存在させる「 無明 」という「 生命に満ちた創造的な無 」を想定している。

「 霊 」は、契機(条件)により、「 精神 」となり、「 DNA などの細胞 」となり、「 力 」となり、「 欲 」になり、「 価値観 」により結合した結果、「 魂 」となって、「死 」と共に消滅するが、「 無明 」という「 生命に満ちた創造的な無 」であるため、新たな「 魂 」として生まれると考える。

「 霊 」は、「 無明 」という「 生命に満ちた創造的な無 」であるから、「 魂 」の領域の意識で「無」と規定しても、それでは規定する事が出来ない「 無意識 」として存在すると考えて、「 霊 」が「 魂 」の中に「 無意識 」として存在すると考える。

意識と無意識は、「 魂 」と「 霊 」であり、「 二本足の考え 」や「 二つの時空 」というのは、「 私の霊魂 」と言うに等しいかも知れない。


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2009年10月10日

2009/10/10、オカルト(二本足の考え)霊と価値観H

これは、フィクションです。

過去の記事です。

2009/9/28、霊と価値観

ここで、「 力 」は、「 霊 」であると考えますと、「 今 」という時点の意識と無意識の二つの焦点から発する信号が、「 持続 」するのは、「 霊 」という「 力 」であり、その「 持続 」により記憶や想起という感受性が生じると思います。

「 霊 」は「 力 」で、「 持続 」という形態を採ると考えます。

「 持続 」が、私の頭脳では理解する事が出来ない天体の重力であれば、太陽や地球の「万有引力」が、「持続」でしょう。

それに類似したものを「 意識 」の中で考えると、「価値観」だろうと思います。

「 価値観 」の性質が「 力 」であり、その「 持続 」という形態が及ぶ範囲が、価値観の範囲であり、「 力 」の大小が、価値観の大小だと思います。


二つの眼から入った力線は、欲の拡大か縮小であり、行為の選択であるが、意識の中の「 価値観 」の対立を総括した「 価値観 」が、「 欲 」というDNAの霊の拡大や縮小を実現する「 力 」という眼には見えない霊として現れる。

「 価値観 」と「 力 」は重なり、「 表 」と「 裏 」の関係であるが、意識と無意識だから、互いに破壊する関係だと考えます。

二つの眼で見えるのは、意識の世界であり、「 行為 」や「 欲望 」だが、実際に、「 行為 」や「 欲望 」を決定するのは、無意識の霊である「 力 」や「 欲 」である。


霊の「 力 」が、見るとか聴くという意識の中で、「 持続 」として現れ、その「 持続 」が「 価値観 」であり、それが見ると聴くという気(ki)を接着して意識と無意識の総体としての「 気持ち 」を形成すると考える。


この「 価値観 」を、私が言う「 座標 」と同一であると考えると、意識の座標は「 意識の価値観 」であり、無意識の座標は、「 無意識の価値観 」であり、意識の総体の中で、常に、二つの価値観が存在する事になります。

上記のように、「 座標 」が「 価値観 」であると考えると、意識と無意識が、ほとんど重なりながらも、別の基準で動くと考えます。

「 意識の価値観 」は、意識の極の「 精神 」からの比較であり、「 精神 」と「 力 」が「 霊 」であり、RNA と似た働きだと考えます。

「 無意識の価値観 」は、無意識の極である「 エネルギー 」や、「 欲 」や「 力 」という「 霊 」からの比較であり、DNA と似た働きだと考えます。

そして、「 意識 」の下に「 無意識 」が隠れているのではなく、「 意識 」と「 無意識 」が、「 時空 」のように、あるいは数学のX軸とY軸のように、互いに必要不可欠であり、相補的であると考えます。

「 空間 」が「 意識 」ならば、「 時間 」は「 無意識 」です。

これは、私が言う「 二本足の考え 」と同じ考えになります。

現実世界は、「意識」と「無意識」の二つの基準が重なっており、外部からの情報が、「意識」で解決する事が出来ない場合は、「無意識」が、ストレスとして受け止めると考えます。


セントラルドグマやDNA複製を、細胞による「 価値観 」の遺伝であり、生物への「 霊 」の具現化であると考えます。

組織や共同体の「 精神 」という「 霊 」が、細胞の中で「 セントラルドグマ 」の「 横の伝達 」に作用し、空間の中で「 自我 」を成立させ、組織や共同体の「 先祖代々の霊 」が、「 DNA 複製 」の「 縦の伝達 」に作用して、時間の中で「 自我 」を形成すると考えます。

遺伝情報を持つ事は、生命を過去から未来へと「 持続 」する事で、持続を可能にする「横の伝達」と「縦の伝達」の存在は、電磁波的な構造を連想します。

もし、体内の電気が、「流れるもの」として、「 セントラルドグマ 」に作用しているならば、「 霊 」と「 プラズマ宇宙論 」が、細胞のDNA を媒体として連結すると考えます。



2009/10/10、私の考え

「 霊 」は「 力 」で、「 持続 」という形態から、「 価値観 」として、身体に取り込まれ、「 無意識の座標 」である「 無意識の価値観 」が「 欲 」という「 エネルギー 」と化合して、行為の「 力 」として、身(身体)口(言葉)意(意識)に現れる。

その一方、「 持続 」が、「 意識の座標 」である「 意識の価値観 」で、「 欲 」に「 精神 」を加えた「 欲望 」として現れる。

物質的には、前者が、DNA 、後者が、RNA であると考える。

「 霊 」は、細胞レベルから、精神のレベルまで浸透して、細胞膜を外皮として、「 魂 」を形成すると考える。

「 霊 」は、重力のように消滅せず、「 魂 」は、生命と共に消滅すると考える。

もし、それらが、生命体の電気により結合しているならば、「 プラズマ宇宙論 」で統一される、というのが、私のフィクションである。


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2009年10月08日

2009/10/8、オカルト(二本足の考え)霊と価値観G

これは、フィクションです。

霊と価値観 F
http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/8820467.html

前回、書きましたように、「 セントラルドグマ 」は「 表現 」であり、「認識」であり、「 精神 」という「 霊 」に到達すると思います。

「 DNA 複製 」は、親が子を作るのですから、「 先祖代々と続く祖先の霊 」に到達すると考えます。

私は、「 流れるもの 」は、眼で見る形態でしょうが、それは、「 霊 」に近い存在であると思います。

2009/10/8、私の考え

Wikipedia で調べると、「 セントラルドグマ 」と「 価値観 」に、類似した記述を発見しました。


@
DNAの内部(セントラルドグマ)

「セントラルドグマが、遺伝子の「生物の表現型を決める働き」を遺伝情報の横の伝達と理解する。」

価値観

組織や共同体に属することによって継承されることもある。また、個人的な体験をきっかけにしたり、思索の積み重ねによって、独自に新たな価値観が構築されることもある。

私の考え

「 セントラルドグマ 」は「 表現 」であり、「認識」であり、「 精神 」という「 霊 」に到達すると思います。


A
DNAの内部(セントラルドグマ)

遺伝子の「親から子へ受け継がれる働き」を遺伝子の縦の伝達と理解させるのがDNA複製である。

価値観

親から教えられることもある。

私の考え

「 DNA 複製 」は、親が子を作るのですから、「 先祖代々と続く祖先の霊 」に到達すると考えます。


2009/10/8、私の考え

セントラルドグマやDNA複製を、細胞による「 価値観 」の遺伝であり、生物への「 霊 」の具現化であると考えます。

組織や共同体の「 精神 」という「 霊 」が、細胞の中で「 セントラルドグマ 」の「 横の伝達 」に作用し、空間の中で「 自我 」を成立させ、組織や共同体の「 先祖代々の霊 」が、「 DNA 複製 」の「 縦の伝達 」に作用して、時間の中で「 自我 」を形成すると考えます。

遺伝情報を持つ事は、生命を過去から未来へと「 持続 」する事で、持続を可能にする「横の伝達」と「縦の伝達」の存在は、電磁波的な構造を連想します。

もし、体内の電気が、「流れるもの」として、「 セントラルドグマ 」に作用しているならば、「 霊 」と「 プラズマ宇宙論 」が、細胞のDNA を媒体として連結すると考えます。



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参考

セントラルドグマ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%B0%E3%83%9E

セントラルドグマとは、あらゆる生物種において、遺伝情報(タンパク質のアミノ酸配列情報)を読み取り、遺伝情報を発現する(タンパク質を合成する)過程が転写と翻訳である、という主張である。

遺伝情報が核酸(DNA)から核酸(RNA)に伝達されること(転写)、さらにタンパク質の形に変換されること(翻訳)を、「(遺伝子)発現」と呼ぶ。

セントラルドグマが、遺伝子の「生物の表現型を決める働き」を遺伝情報の横の伝達と理解するのに対し、遺伝子の「親から子へ受け継がれる働き」を遺伝子の縦の伝達と理解させるのがDNA複製である。


価値観
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%A1%E5%80%A4%E8%A6%B3

価値観の形成とその現れ

価値観の形成は様々に行われる。親から教えられることもある。

書物を読むことで吸収することもある。

組織や共同体に属することによって継承されることもある。

また、個人的な体験をきっかけにしたり、思索の積み重ねによって、独自に新たな価値観が構築されることもある。

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2009年10月05日

2009/10/5、再考、オカルト(二本足の考え)霊と価値観F

今日の記事は、あまり評判が良くないです。

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2009/10/5、オカルト(二本足の考え)霊と価値観E
http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/8819227.html

DNA が「 無意識 」、RNA が「 意識 」であるという想定です。

2009/10/5、再び考えた事

霊と価値観Eの、「 流れるもの 」の全体が、眼に見える物質的な「 認識 」であり、眼に見えない精神的な「 認識 」が、「 派生するもの 」と考えます。

両者の実質は、DNA やRNA でありますが、眼に見える形態を求めると、「 流れるもの 」であり、眼に見えない形態では、「 派生するもの 」と考えます。

「 流れるもの 」と「派生するもの 」は、電磁波のように交互に現れると考えますが、眼に見える形態か、あるいは眼に見えない形態かの違いであり、実質は同じであると考えます。

物質的な「 流れるもの 」のほうが、「 霊 」と親密であるかも知れません。

人間は精神的な生き物ですが、生き物ですから、物質的なDNA に左右されると考えます。

単純に、「 酵素 」に注目した場合は「 流れるもの 」であり、「 価値観 」に注目した場合は「 派生するもの 」であると考えます。

両者は、分解したり結合したりする「 力 」を、前者は生物界、後者は精神界で持っていて、それぞれを統合する物です。

「 力 」ですから、意識で理解する事が出来ない「 霊 」です。

前回、書きましたように、「 セントラルドグマ 」は「 表現 」であり、「認識」であり、「 精神 」という「 霊 」に到達すると思います。

「 DNA 複製 」は、親が子を作るのですから、「 先祖代々と続く祖先の霊 」に到達すると考えます。

私は、「 流れるもの 」は、眼で見る形態でしょうが、それは、「 霊 」に近い存在であると思います。

霊界かも知れません。

Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 10 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

209/10/5、オカルト(二本足の考え)霊と価値観E

これは、フィクションです。

霊と価値観 D
http://blogs.dion.ne.jp/m24658/

「 意識の価値観 」は、意識の極の「 精神 」からの比較であり、「 精神 」と「 力 」が「 霊 」であり、RNA と似た働きだと考えます。

「 無意識の価値観 」は、無意識の極である「 エネルギー 」や、「 欲 」や「 力 」という「 霊 」からの比較であり、DNA と似た働きだと考えます。

そして、「 意識 」の下に「 無意識 」が隠れているのではなく、「 意識 」と「 無意識 」が、「 時空 」のように、あるいは数学のX軸とY軸のように、互いに必要不可欠であり、相補的であると考えます。




2009/10/5、私の考え

私は、「 流れるもの 」と「 派生するもの 」を区別して、前者が生物的なエネルギーで、後者が意識だと、以前、書きました。

今までは、「 派生するもの 」について書きましたが、「 流れるもの 」について書きます。

「 派生するもの 」の意識には、無意識も含まれますが、無意識は「 流れるもの 」と交流する意識で、「 派生するもの 」の中で、意識では解決する事が出来ない「価値観」という「持続」として現れると考えます。

「 流れるもの 」とは、DNA やRNA のレベルで、認識を考えるのですが、私は専門の学問を知らないから、フィクションになります。

DNA が「 無意識 」、RNA が「 意識 」であるという想定です。

セントラルドグマは「遺伝情報はDNA→(複製)→DNA→(転写)→RNA→(翻訳)→タンパク質の順に伝達されると主張するもの」ですが、なぜこの流れが必要かと考えた時、私は、変化を促す、二つの眼からのストレスが、「遺伝情報」の前にあると思います。

ストレスに対して安定的なのはDNA であるから、ストレスが作用するのは不安定なRNAであるように思いましたが、安定だから不安定が判明すると思い、ストレスの作用はDNAに作用した時に、判明すると解釈しました。

「 無意識 」のほうが、「 意識 」より安定し、安定した「 無意識 」にストレスが作用した時、「 セントラルドグマ 」が判明すると考えます。

この「 セントラルドグマ 」が意味するのが「 認識 」であり、「 DNA 複製 」が、「 先祖代々に伝わる遺伝 」であると考えます。

「 酵素 」として機能するのが、「 価値観 」であると想定します。

Every miller draws water to his own mill.



参考

セントラルドグマ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%B0%E3%83%9E
遺伝情報はDNA→(複製)→DNA→(転写)→RNA→(翻訳)→タンパク質の順に伝達されると主張するもの


セントラルドグマとは、あらゆる生物種において、遺伝情報(タンパク質のアミノ酸配列情報)を読み取り、遺伝情報を発現する(タンパク質を合成する)過程が転写と翻訳である、という主張である。

遺伝情報が核酸(DNA)から核酸(RNA)に伝達されること(転写)、さらにタンパク質の形に変換されること(翻訳)を、「(遺伝子)発現」と呼ぶ。

セントラルドグマが、遺伝子の「生物の表現型を決める働き」を遺伝情報の横の伝達と理解するのに対し、遺伝子の「親から子へ受け継がれる働き」を遺伝子の縦の伝達と理解させるのがDNA複製である。

RNA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%9C%E6%A0%B8%E9%85%B8


遺伝情報をもとにタンパク質が合成される場合には、RNAポリメラーゼの働きにより、DNAに対して相補的な配列を持つmRNAが転写され、次にリボソームにより、mRNAの配列に基づいたタンパク質の合成が行われる(翻訳)。このように、DNAがいったんRNAへと転写され、RNAを鋳型としてタンパク質への翻訳が行われるという、一連の遺伝情報の流れをセントラルドグマと呼ぶ。

酵素
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%B5%E7%B4%A0

生体を機関に例えるならば、核酸塩基配列が表すゲノムが設計図に相当するのに対して、生体内における酵素は組み立て工具に相当する。

酵素の特徴である作用する物質(基質)をえり好みする性質(基質特異性)と目的の反応だけを進行させる性質(反応選択性)などによって、生命維持に必要なさまざまな化学変化を起こさせるのである。

誘導適合

基質の結合した酵素は、それが結合していない酵素よりもエントロピーが減少していると考えられており、事実、基質を結合させた酵素はあらゆるストレス(熱や pH の変化など)に対して安定である。

これは酵素の立体構造変化が起きているためであると考えられている。

すなわち、基質が結合すると酵素が触媒反応に適した形状に変化すると考えられている。

そして酵素の立体構造変化に従い、基質の立体構造も変化し遷移状態へと向かう。

そうすると遷移状態に向かう反応の過程がエントロピーの減少とともに促進されることによって反応の活性化エネルギーを低下させていると考えられている。

これらの誘導的な化学反応を生じる考え方を誘導適合という。

posted by kandk55 at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 10 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする