2010年04月30日

2010/4/30、オカルト・どこでも時空・小脳Uー2

これは、フィクションである。


2010/4/11、私の考え


科学者は、大脳の事を話題にするが、私は「 小脳 」に注目すべきだと考える。

言葉は、運動を調整する小脳の文字情報であり、「 小脳の活動記録 」である。

言葉は大脳で生まれると考えるが、無意識の「 小脳の活動記録 」が「 意味 」となって、相手の「 意思 」を理解する。

小脳や脳幹による無意識が存在するから、会話が成立するのは、「 言葉 」や「 文字 」という意識が、小脳や脳幹による無意識に基礎を持つ事である。

思い出す事が「 出来事 」であり、「 シュミレーション 」するのは、「 出来事 」を想像する事だが、「 出来事 」を「 時空(状況)の行為 」と考えれば、言葉を使うのは行為や運動を考えている事である。

行為や運動を調節する小脳を使う事が基礎であり、無意識を使う事が、意識の基礎である。

全てが言葉で決定されるのではなく、「 全てが無意識 」で決定される。

「 時間意識 」も「 空間意識 」も、「 リズム 」と「 欲の範囲 」を基礎とすると考えるが、これらは脳幹や小脳の周波数や振幅と神経の範囲と考える。

行為や運動を調節する小脳や脳幹を使う事が基礎である事は、動物には、非常に重要な事である。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、無意識の領域だが、これらの運動の要素が存在しているから、天体の運動まで意識が広がり、「 時間 」や「 空間 」という概念を作る事を可能にする。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、宇宙の運動に連動するかも知れない。

小脳や脳幹が、無意識の領域であり、運動に関連し、天体の運動に関連しているかも知れない。


2010/4/29、私の記事

「 小脳は時空を生む 」について考える。

今までの科学者や哲学者は、「 大脳 」の意識を研究したが、実際の生活には、役立たずの言葉の遊びだったのだろうと思う。

真の認識のためには、今までの考えを、一新する必要がある。

それは過去の哲学者も科学者も、「 感情 」や「 無意識 」については、謎として解決していないと思う。

「 感情 」も含めた「 認識 」を考えるとは、「 大脳 」だけでなく「 小脳 」を考える事だと思う。

「 大脳 」が全てではなく、IQが全てでなく、「 人格 」を含める必要がある。

それは、「 記憶 」や「 想起 」のイメージする「 像 」は、時空であると考える事である。

時空は意識であり、小脳の「 運動 」の認識から生じると考えている。

ここを中心として、全ての哲学を「 感情 」を基礎にして、根底から逆転して考える必要があると思う。


2010/4/30、私の考え

「 動物 」は「 動く 」。

胎内で、生命が宿った瞬間に、動いている。

観察者からは、時間と空間に対する位置の変化かも知れないが、胎児にとっての時空を考える。

時空から運動を規定するのは、理由づけに過ぎず、胎児には時空が生じているのであり、「 動く 」のが「 小脳 」の働きならば、「 小脳 」が「 動き 」と共に時空を生んでいると考える。

私は、「 運動 」が、時空を作ると考えている。

「 動き 」は、生命の動きだけでなく、天体の動きと共通するから、「 天体の動きに連動して、生命が宿り、運動する 」と考える。

天体の動きは「 小脳 」に伝わり、時間意識と空間意識を生むだろう。

胎児が母親の胎内で「 動く 」というのは、時空の中に胎児が存在すると考えるのではなく、生命と共に時空の意識が発生し、「 誕生 」以前に、時空意識を持っていると考える。

誕生に意味は無く、誕生しても「 無明 」から逃れる事は出来ず、「 無明 」の中で、「 天体の動きに連動して、生命が宿り、運動する 」から、天体の運動と共に生きると考える。

誕生まで、十ヶ月と十日を要することや、女性の生理が「 月経 」と呼ばれたり、心臓の鼓動が約一分の周期である事は、「 小脳 」を通して天体の運動と関連していると思う。

それと、「 認識 」の関係は、後日、書きます。



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2010年04月29日

2010/4/29、オカルト・どこでも時空・小脳Uー1

これは、フィクションである。


2010/4/11、私の考え


科学者は、大脳の事を話題にするが、私は「 小脳 」に注目すべきだと考える。

言葉は、運動を調整する小脳の文字情報であり、「 小脳の活動記録 」である。

言葉は大脳で生まれると考えるが、無意識の「 小脳の活動記録 」が「 意味 」となって、相手の「 意思 」を理解する。

小脳や脳幹による無意識が存在するから、会話が成立するのは、「 言葉 」や「 文字 」という意識が、小脳や脳幹による無意識に基礎を持つ事である。

思い出す事が「 出来事 」であり、「 シュミレーション 」するのは、「 出来事 」を想像する事だが、「 出来事 」を「 時空(状況)の行為 」と考えれば、言葉を使うのは行為や運動を考えている事である。

行為や運動を調節する小脳を使う事が基礎であり、無意識を使う事が、意識の基礎である。

全てが言葉で決定されるのではなく、「 全てが無意識 」で決定される。

「 時間意識 」も「 空間意識 」も、「 リズム 」と「 欲の範囲 」を基礎とすると考えるが、これらは脳幹や小脳の周波数や振幅と神経の範囲と考える。

行為や運動を調節する小脳や脳幹を使う事が基礎である事は、動物には、非常に重要な事である。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、無意識の領域だが、これらの運動の要素が存在しているから、天体の運動まで意識が広がり、「 時間 」や「 空間 」という概念を作る事を可能にする。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、宇宙の運動に連動するかも知れない。

小脳や脳幹が、無意識の領域であり、運動に関連し、天体の運動に関連しているかも知れない。


2010/4/29、私の考え

「 小脳は時空を生む 」について考える。

今までの科学者や哲学者は、「 大脳 」の意識を研究したが、実際の生活には、役立たずの言葉の遊びだったのだろうと思う。

真の認識のためには、今までの考えを、一新する必要がある。

それは過去の哲学者も科学者も、「 感情 」や「 無意識 」については、謎として解決していないと思う。

「 感情 」も含めた「 認識 」を考えるとは、「 大脳 」だけでなく「 小脳 」を考える事だと思う。

「 大脳 」が全てではなく、IQが全てでなく、「 人格 」を含める必要がある。

それは、「 記憶 」や「 想起 」のイメージする「 像 」は、時空であると考える事である。

時空は意識であり、小脳の「 運動 」の認識から生じると考えている。

ここを中心として、全ての哲学を「 感情 」を基礎にして、根底から逆転して考える必要があると思う。



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2010年04月23日

2010/4/23、オカルト・(自由)意志と意欲

これは、フィクションである。

まず、「 自由意志 」については、

以下の通りである。


2010/4/21、私の記事

人類の身体的運動可能性を基本にして、必然性や偶然性を考え、自分の最善の身体的運動可能性を考えたのが「 私の必然性 」であれば、私は、「 全ての可能世界の中で最善な私の世界 」に生きていると考える。

「 自由意志 」は、科学的な関数による定義と対立して考えるのでなく、科学が「 関数 」として定義しても、「 関数を生んだり、壊したりする力 」が、人類や神の「 意志 」だと思えば、「関数の存在が自由意志であり」、「 自由意志 」が存在するから、人類は進歩すると考える。

2010/4/22、私の記事

「 自由意志 」と「 科学 」を対立するとは、考えない。

「 自由意志 」を「 欲望 」で不明瞭な、人間の意志と思うから、対立するのであり、むしろ、科学という意識による解明を待つ認識の「 関係 」であり、それが「 関数 」で定義する事が終わりではなく、「 関数 」である点が、虚数の「 実体ではない意志 」が存在する事を認める事であると考える。

「 関数 」とは、虚数として存在する事だと思う。

「 意思は具現化 」し、寄せ集めた関数として科学が把握するのは、人類の意志が解明されていない事であり、私は、「 意志や意識は波動関数 」であると思う。

「 関係 」の中に「 実体 」がある。

隠れた「 ストーリー」という「 動き 」中に実体を作る事であり、小脳の運動可能性を隠れた虚数の「 関係 」とし、小脳が比較的に動かないものを実体だと認める事であると思う。

存在は、「 時間性 」ではなく、単純に「 自己との比較的動きの少なさ 」が「 存在 」であるかも知れない。

小脳の運動可能性を隠れた虚数として、無意識として、シュミレーションしながら、認識すると考えるからである。


次に、「 意欲 」については、

次の通りである。



2010/4/14、私の記事

私は、小脳や脳幹を、「 動物 」の基本的な要素だと考える。

これまで書いてきた、「 無意識 」は、ここから発生し、「 意志 」や「 意欲 」も、ここから発生すると考える。

無意識の「時間意識」を「 リズム 」とし、「 空間意識 」を「 欲の範囲 」とした。


「 リズム 」は、心臓を持った胎児の鼓動であり、誕生後も「 一秒 」の感覚が、天体の運動から測定する「 一秒 」と酷似し人類の全てが同じである事から考えると、心臓の鼓動が「 時間意識 」の発生であり、死後も、しばらくは時間意識が残存する事を考えると、動物に基本的な要素であると思う。


「 空間意識 」とは、「 生きるスペースの意識 」であり、胎児が生きるために運動する「 意欲 」が具現化する範囲であり、「 生きる可能性の範囲 」であると考える。

これらは、誕生する前の胎児のときに具備している事から考えると、胎児のときから、小脳や脳幹が時空を作ると考える。


運動を知る小脳は、自分と天体の運動を知るだろう。

「 時間 」と「 空間 」は天体の運動から生じるので、天体の運動を知る事は、天体の時空と自分の時空を連結する事だろう。

自分の時空意識は電磁波(光)の構造を持つと考えるので、自分の意識と天体の電磁波(太陽光)を調整する事により、天体の運動を自分の時間意識と空間意識に調整し、社会の「 時間 」と「 空間 」を知る。

…………………(省略)………………………

私は、小脳や脳幹の中で、「 意識 」を選択して行動する「 意欲 」が生じ、意識を統合して本質であるとデフォルメする価値観も、小脳や脳幹で生じると思う。

「 心の動き 」も「 意欲 」であり、「 意志 」も無意識の運動であり、「 意欲 」や「 意志 」に従って、眼球が動き、身体が動く。



2010/4/16、私の記事

私の考えは、一般の知識とは相違する。

右脳が視覚などの「 空間意識 」、左脳が聴覚や思考などの「 時間意識 」を司り、これらの意識が電磁波の構造を持ち、無意識の中に時空を形成すると考える。

「 無意識 」とは、身体を統御する脳幹や小脳の機能の領域で、体内リズムを時間的要素とし、操作可能性の範囲を空間的要素とすると考える。

「 意識 」が外部の太陽光と周波数を同調させて、エネルギーにするのに対して、「 無意識 」は食物により、エネルギーを摂取し、植物が光合成をするように、太陽光のエネルギーが、無意識の時間的要素と空間的要素を、時間意識と空間意識に変換すると考える。

構造や機能の類似が存在する事により、エネルギーの変換が可能であり、相違すれば独自のエネルギーとして存在するだろう。

独自性とは、「 意識 」が精神、「 無意識 」が行為であると考える。

認識を考える時、大脳ばかりではなく、脳幹や小脳を含めて考える。

学問や知識として合理的な認識を考えるのは単純な考えで、現実生活では役立たずの、学者のための認識論になり、「 本を捨てる 」のは正しいと思う。

「 意識 」が静的で、中立的で、合理的な「 知識 」であるのに対し、「 無意識 」は、動的で、個人的で、不合理な決定する「 欲 」であるが、「 神様 」は、不合理な決定をする点では、「 無意識 」と同じで、物質的であると考える。

小脳が「 時空 」を生むとは、物質的エネルギーを「 リズム 」と「 欲の範囲 」に分解する事であり、「 芸術は爆発である 」という考えに近い。

「 欲の範囲 」とは、小脳から指令する操作可能性や運動可能性であり、「 意識 」の「 可能性 」も、これを基礎としていると考える。

「 可能性 」は、物質の可能性かもしれないが、人類は、物質と同視される小脳の運動可能性として認識するのだと思う。

小脳の運動可能性や操作可能性が、「 意識 」される事により、「 意欲 」となり、行動に現れる。

「 意欲 」は、エネルギーの表現であり、操作可能な範囲だから、「 空間意識 」である。


「 意志 」は、「 意欲 」の実現に向けての意識の選択と持続であり、強い電磁波、周波数の高い電磁波の一種で、小脳の影響が強い意識だと考える。

「 プラズマ宇宙論 」の「 ビルケランド電流 」のように、「 雷 」のように、多数の「 無意識 」を束ねる電流に似た電磁波であると想定する。



小脳や脳幹は、「 物質的な脳 」であり、運動を調整する機能が宇宙の運動を知った時空の塊である。

「 時空 」は、自然界の時空であると考えるのが自然だが、私は、小脳や脳幹により、操作可能性の範囲やリズムとしてデフォルメして記憶の中に保存し、イメージとして現実生活に現れると考える。


2010/4/17、私の記事

以上の考えは、「 性欲 」を説明していると思う。

「 リズム 」と「 操作可能性の範囲 」を同時に身体に顕在化するのは、「 踊り 」であり、無意識に動くことも「 踊り 」で「 生殖行為 」も「 踊り 」であると解釈する。

「 操作可能性 」という空間に「 リズム 」という時間が顕在化したのが「 踊り 」であり、意識という磁場が、神経刺激の電場に変換された状態と考える。

「 小脳 」による「 意欲 」は、動物の生存に関わる「 性欲 」であり、「 自我の欲 」は「 性欲 」であり、フロイトの考えも、この点では、賛成するが、「 自我の欲 」であるため、「 自分 」が知るだけであるから、他者による「 精神の分析 」は、不可能である。

精神の分析に、フロイトの考えを支持する事は、「 解釈 」であり、患者を「 病気 」と見做す自己の正当化であると考える。

「 自我の欲 」は、患者自身の「 愛着 」や「 執着 」という「 こだわり 」が原因であり、そこから逃れる事を指導するのが精神科の医師の仕事だと思う。

執着しないという考えは、閉じた空間で合一した「 リズム 」と「 操作可能性 」ではなく、開いた空間で、「 リズム 」と「 操作可能性 」を、個性の表現という「 関係の顕在化 」として考える事であり、「 意識 」の実体は「 無意識 」である。

自分を「 病気 」にしているのは、自分であると自覚する事、自分という牢獄から出る事が、「 治癒 」であると考える。

「 小脳 」や「 脳幹 」は、生命維持の方向を持つから、盲目的な「 性欲 」の衝動が生じ、これを基礎にして、自己の精神を人類の精神に解消した時に、「 芸術 」が生まれると考える。

「 芸術 」が性的であるのは当然で、個人の性から人類の性に解消したか否かが、「 芸術性 」の分岐点だと考える。


2010/4/23、私の考え


「 意志 」と「 意欲 」は相違すると考える。

前者は、「 大脳 」による言葉や論理などという意識であり、虚数であり、「 開放した空間関係 」であると考える。

後者は、「 小脳 」による、「 身体の運動可能性 」であり、エネルギーであり、「 閉じた空間に生じた時間 」により「 実体 」を形成する実数である。

後者の「 関係 」の部分は、釈迦が垂らした「 くもの糸 」のように、「 意志 」から導かれる「 感覚の方向性 」であり、「 意志 」に通じると考える。

前者は、「 精神 」を支配し、後者は、「 肉体 」を支配すると考える。

前者の「 意思 」という虚数は二乗すれば、後者の「 意欲 」という実数に具現化する。

意思は、意欲という形態に具現化する。




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2010年04月22日

2010/4/22、オカルト・自由意志

これは、フィクションである。

2010/4/21、私の記事

人類の身体的運動可能性を基本にして、必然性や偶然性を考え、自分の最善の身体的運動可能性を考えたのが「 私の必然性 」であれば、私は、「 全ての可能世界の中で最善な私の世界 」に生きていると考える。

「 自由意志 」は、科学的な関数による定義と対立して考えるのでなく、科学が「 関数 」として定義しても、「 関数を生んだり、壊したりする力 」が、人類や神の「 意志 」だと思えば、「関数の存在が自由意志であり」、「 自由意志 」が存在するから、人類は進歩すると考える。

2010/4/22、私の考え

「 自由意志 」と「 科学 」を対立するとは、考えない。

「 自由意志 」を「 欲望 」で不明瞭な、人間の意志と思うから、対立するのであり、むしろ、科学という意識による解明を待つ認識の「 関係 」であり、それが「 関数 」で定義する事が終わりではなく、「 関数 」である点が、虚数の「 実体ではない意志 」が存在する事を認める事であると考える。

「 関数 」とは、虚数として存在する事だと思う。

「 意思は具現化 」し、寄せ集めた関数として科学が把握するのは、人類の意志が解明されていない事であり、私は、「 意志や意識は波動関数 」であると思う。

「 関係 」の中に「 実体 」がある。

隠れた「 ストーリー」という「 動き 」中に実体を作る事であり、小脳の運動可能性を隠れた虚数の「 関係 」とし、小脳が比較的に動かないものを実体だと認める事であると思う。

存在は、「 時間性 」ではなく、単純に「 自己との比較的動きの少なさ 」が「 存在 」であるかも知れない。

小脳の運動可能性を隠れた虚数として、無意識として、シュミレーションしながら、認識すると考えるからである。

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2010年04月21日

2010/4/21、オカルト・自由意志・必然性・可能世界2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/4/20、私の記事


自由意志や必然性は、小脳を持つ人類の「 身体可能性 」だから、私は、「 全ての可能世界の中で最善な私の世界 」に生きていると考える。

2010/4/21、私の考え

可能世界を、「 神 」による「 可能 」ではなく、ヒトの小脳の身体運動の「 可能性 」として、私は考えている。

小脳の身体運動の「 可能性 」の中で、無限に続く、限定されない因果を、時間的に前の形態の「 原因という時空 」と「 結果という時空 」を無意識が「 原因 」と「 結果 」だと決定する。

時空は切れ目なく「 関係 」として続いているが、実体化するのは身体的運動可能性の無意識の気(ki)というエネルギーである。

意識の内容は、身体的運動可能性の無意識の気(ki)であると思う。

身体に可能な形態にデフォルメ、意識化するから、意識化する気(ki)と可能性を分けて考えて、可能性は「 関係 」だと考える。

意識の不連続は、実体化した身体的運動可能性の無意識の気(ki)の不連続であり、気(ki)が身体細胞により限定されない無意識の可能性という「 関係 」により連続した意識になる。

言葉や物体で実体化すれば、失望するように。

必然性は、意識と無意識の「 ラグビーボール 」からではなく、「 ピラミッドパワー 」から生じる可能性であり、身体的運動可能性の無意識の気(ki)にとっては、「 幅 」という空間として現れ、自分の空間意識を閉ざして「 リズム 」という定在波、時間意識を作ると思う。

例えば、ヒトは死ぬ事を知ると、行為が変化するように。

必然性も偶然性も、ヒトにとっての因果の可能性であり、身体的運動可能性が基本になっていると思う。

人類の身体的運動可能性を基本にして、必然性や偶然性を考え、自分の最善の身体的運動可能性を考えたのが「 私の必然性 」であれば、私は、「 全ての可能世界の中で最善な私の世界 」に生きていると考える。

「 自由意志 」は、科学的な関数による定義と対立して考えるのでなく、科学が「 関数 」として定義しても、「 関数を生んだり、壊したりする力 」が、人類や神の「 意志 」だと思えば、「関数の存在が自由意志であり」、「 自由意志 」が存在するから、人類は進歩すると考える。

自由意志は、「 ピラミッドパワー 」かも知れない。


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2010年04月20日

2010/4/20、オカルト・自由意志・必然性・可能世界

これは、私だけの特殊な考えです。

ネットで調べた知識では、「 自由意志・必然性・可能世界 」などを、「 大脳 」の思考を使い客観的な意味で定義するが、私は、これらは、「 大脳 」だけでなく、「 小脳や脳幹 」の無意識を使って考える。

私は、身体の運動を司る「 小脳や脳幹 」は、身体図形(身体図式)という運動可能な空間を作り、その延長上に「 存在する 」という無意識の決定をし、「 無意識が実体を決定し、意識はそれを理由づけする 」と考える。

「 必然性 」は思考の論理という「 関係 」であるとしても、「 必然性の存在 」は無意識が決定すると考え、閉じた身体図形(身体図式)という運動可能な空間の中の存在である。

身体の運動を司る「 小脳や脳幹 」は、「 運動 」を知覚する器官であり、運動可能な「 空間意識 」を作り、心臓の鼓動は、天体の運動にある程度合致するリズムであり、「 時間意識 」を作ると思うが、この「 身体的時間意識 」を「 振り子 」の「 科学的時間 」に置き換え、意識である事を否定した時、科学の進歩と時間の謎が発生したと考える。

運動を扱う「 力学 」は、小脳が運動する関数であるかも知れない。

運動は、「 小脳 」が認知器官だと考えるからである。

そして、力学が関数として意識される事が、「 自由意志 」の存在だと思う。

その理由は、「 力 」を感じるのは小脳であり、無意識の小脳の意志は、隠れた虚数であり、その具現化したのが「 関数 」であり、「 関数 」として意識するとは、無意識で「 自由意志 」を認める事だと考える。

「 自由意志 」とは、人類の意志ではなく、「 神の意志 」と考える。

自由意志や必然性は、小脳を持つ人類の「 身体可能性 」だから、私は、「 全ての可能世界の中で最善な私の世界 」に生きていると考える。




自由意志
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97

必然性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%85%E7%84%B6%E6%80%A7

可能世界論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%83%BD%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%AB%96

ライプニッツ「全ての可能世界の中で最善のものである」


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2010年04月17日

2010/4/17、オカルト・どこでも時空11・意欲

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
芸術の話をするが、芸術家ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



これは、フィクションである。


2010/4/14、私の記事

私は、小脳や脳幹を、「 動物 」の基本的な要素だと考える。

これまで書いてきた、「 無意識 」は、ここから発生し、「 意志 」や「 意欲 」も、ここから発生すると考える。

無意識の「時間意識」を「 リズム 」とし、「 空間意識 」を「 欲の範囲 」とした。


「 リズム 」は、心臓を持った胎児の鼓動であり、誕生後も「 一秒 」の感覚が、天体の運動から測定する「 一秒 」と酷似し人類の全てが同じである事から考えると、心臓の鼓動が「 時間意識 」の発生であり、死後も、しばらくは時間意識が残存する事を考えると、動物に基本的な要素であると思う。


「 空間意識 」とは、「 生きるスペースの意識 」であり、胎児が生きるために運動する「 意欲 」が具現化する範囲であり、「 生きる可能性の範囲 」であると考える。

これらは、誕生する前の胎児のときに具備している事から考えると、胎児のときから、小脳や脳幹が時空を作ると考える。


運動を知る小脳は、自分と天体の運動を知るだろう。

「 時間 」と「 空間 」は天体の運動から生じるので、天体の運動を知る事は、天体の時空と自分の時空を連結する事だろう。

自分の時空意識は電磁波(光)の構造を持つと考えるので、自分の意識と天体の電磁波(太陽光)を調整する事により、天体の運動を自分の時間意識と空間意識に調整し、社会の「 時間 」と「 空間 」を知る。

…………………(省略)………………………

私は、小脳や脳幹の中で、「 意識 」を選択して行動する「 意欲 」が生じ、意識を統合して本質であるとデフォルメする価値観も、小脳や脳幹で生じると思う。

「 心の動き 」も「 意欲 」であり、「 意志 」も無意識の運動であり、「 意欲 」や「 意志 」に従って、眼球が動き、身体が動く。



2010/4/16、私の記事



私の考えは、一般の知識とは相違する。

右脳が視覚などの「 空間意識 」、左脳が聴覚や思考などの「 時間意識 」を司り、これらの意識が電磁波の構造を持ち、無意識の中に時空を形成すると考える。

「 無意識 」とは、身体を統御する脳幹や小脳の機能の領域で、体内リズムを時間的要素とし、操作可能性の範囲を空間的要素とすると考える。

「 意識 」が外部の太陽光と周波数を同調させて、エネルギーにするのに対して、「 無意識 」は食物により、エネルギーを摂取し、植物が光合成をするように、太陽光のエネルギーが、無意識の時間的要素と空間的要素を、時間意識と空間意識に変換すると考える。

構造や機能の類似が存在する事により、エネルギーの変換が可能であり、相違すれば独自のエネルギーとして存在するだろう。

独自性とは、「 意識 」が精神、「 無意識 」が行為であると考える。

認識を考える時、大脳ばかりではなく、脳幹や小脳を含めて考える。

学問や知識として合理的な認識を考えるのは単純な考えで、現実生活では役立たずの、学者のための認識論になり、「 本を捨てる 」のは正しいと思う。

「 意識 」が静的で、中立的で、合理的な「 知識 」であるのに対し、「 無意識 」は、動的で、個人的で、不合理な決定する「 欲 」であるが、「 神様 」は、不合理な決定をする点では、「 無意識 」と同じで、物質的であると考える。

小脳が「 時空 」を生むとは、物質的エネルギーを「 リズム 」と「 欲の範囲 」に分解する事であり、「 芸術は爆発である 」という考えに近い。

「 欲の範囲 」とは、小脳から指令する操作可能性や運動可能性であり、「 意識 」の「 可能性 」も、これを基礎としていると考える。

「 可能性 」は、物質の可能性かもしれないが、人類は、物質と同視される小脳の運動可能性として認識するのだと思う。

小脳の運動可能性や操作可能性が、「 意識 」される事により、「 意欲 」となり、行動に現れる。

「 意欲 」は、エネルギーの表現であり、操作可能な範囲だから、「 空間意識 」である。


「 意志 」は、「 意欲 」の実現に向けての意識の選択と持続であり、強い電磁波、周波数の高い電磁波の一種で、小脳の影響が強い意識だと考える。

「 プラズマ宇宙論 」の「 ビルケランド電流 」のように、「 雷 」のように、多数の「 無意識 」を束ねる電流に似た電磁波であると想定する。



小脳や脳幹は、「 物質的な脳 」であり、運動を調整する機能が宇宙の運動を知った時空の塊である。

「 時空 」は、自然界の時空であると考えるのが自然だが、私は、小脳や脳幹により、操作可能性の範囲やリズムとしてデフォルメして記憶の中に保存し、イメージとして現実生活に現れると考える。


2010/4/17、私の考え

以上の考えは、「 性欲 」を説明していると思う。

「 リズム 」と「 操作可能性の範囲 」を同時に身体に顕在化するのは、「 踊り 」であり、無意識に動くことも「 踊り 」で「 生殖行為 」も「 踊り 」であると解釈する。

「 操作可能性 」という空間に「 リズム 」という時間が顕在化したのが「 踊り 」であり、意識という磁場が、神経刺激の電場に変換された状態と考える。

「 小脳 」による「 意欲 」は、動物の生存に関わる「 性欲 」であり、「 自我の欲 」は「 性欲 」であり、フロイトの考えも、この点では、賛成するが、「 自我の欲 」であるため、「 自分 」が知るだけであるから、他者による「 精神の分析 」は、不可能である。

精神の分析に、フロイトの考えを支持する事は、「 解釈 」であり、患者を「 病気 」と見做す自己の正当化であると考える。

「 自我の欲 」は、患者自身の「 愛着 」や「 執着 」という「 こだわり 」が原因であり、そこから逃れる事を指導するのが精神科の医師の仕事だと思う。

執着しないという考えは、閉じた空間で合一した「 リズム 」と「 操作可能性 」ではなく、開いた空間で、「 リズム 」と「 操作可能性 」を、個性の表現という「 関係の顕在化 」として考える事であり、「 意識 」の実体は「 無意識 」である。

自分を「 病気 」にしているのは、自分であると自覚する事、自分という牢獄から出る事が、「 治癒 」であると考える。

「 小脳 」や「 脳幹 」は、生命維持の方向を持つから、盲目的な「 性欲 」の衝動が生じ、これを基礎にして、自己の精神を人類の精神に解消した時に、「 芸術 」が生まれると考える。

「 芸術 」が性的であるのは当然で、個人の性から人類の性に解消したか否かが、「 芸術性 」の分岐点だと考える。



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2010年04月16日

2010/4/16、オカルト・どこでも時空10・小脳4

これは、フィクションである。

運動を知る小脳は、天体の電磁波(太陽光)により、天体の運動を知り、時間意識と空間意識を生む。

小脳は時空を生む。


2010/4/14、私の記事

私は、小脳や脳幹を、「 動物 」の基本的な要素だと考える。

これまで書いてきた、「 無意識 」は、ここから発生し、「 意志 」や「 意欲 」も、ここから発生すると考える。

無意識の「時間意識」を「 リズム 」とし、「 空間意識 」を「 欲の範囲 」とした。


「 リズム 」は、心臓を持った胎児の鼓動であり、誕生後も「 一秒 」の感覚が、天体の運動から測定する「 一秒 」と酷似し人類の全てが同じである事から考えると、心臓の鼓動が「 時間意識 」の発生であり、死後も、しばらくは時間意識が残存する事を考えると、動物に基本的な要素であると思う。


「 空間意識 」とは、「 生きるスペースの意識 」であり、胎児が生きるために運動する「 意欲 」が具現化する範囲であり、「 生きる可能性の範囲 」であると考える。

これらは、誕生する前の胎児のときに具備している事から考えると、胎児のときから、小脳や脳幹が時空を作ると考える。


運動を知る小脳は、自分と天体の運動を知るだろう。

「 時間 」と「 空間 」は天体の運動から生じるので、天体の運動を知る事は、天体の時空と自分の時空を連結する事だろう。

自分の時空意識は電磁波(光)の構造を持つと考えるので、自分の意識と天体の電磁波(太陽光)を調整する事により、天体の運動を自分の時間意識と空間意識に調整し、社会の「 時間 」と「 空間 」を知る。

…………………(省略)………………………

私は、小脳や脳幹の中で、「 意識 」を選択して行動する「 意欲 」が生じ、意識を統合して本質であるとデフォルメする価値観も、小脳や脳幹で生じると思う。

「 心の動き 」も「 意欲 」であり、「 意志 」も無意識の運動であり、「 意欲 」や「 意志 」に従って、眼球が動き、身体が動く。



2010/4/16、私の考え



私の考えは、一般の知識とは相違する。

右脳が視覚などの「 空間意識 」、左脳が聴覚や思考などの「 時間意識 」を司り、これらの意識が電磁波の構造を持ち、無意識の中に時空を形成すると考える。

「 無意識 」とは、身体を統御する脳幹や小脳の機能の領域で、体内リズムを時間的要素とし、操作可能性の範囲を空間的要素とすると考える。

「 意識 」が外部の太陽光と周波数を同調させて、エネルギーにするのに対して、「 無意識 」は食物により、エネルギーを摂取し、植物が光合成をするように、太陽光のエネルギーが、無意識の時間的要素と空間的要素を、時間意識と空間意識に変換すると考える。

構造や機能の類似が存在する事により、エネルギーの変換が可能であり、相違すれば独自のエネルギーとして存在するだろう。

独自性とは、「 意識 」が精神、「 無意識 」が行為であると考える。

認識を考える時、大脳ばかりではなく、脳幹や小脳を含めて考える。

学問や知識として合理的な認識を考えるのは単純な考えで、現実生活では役立たずの、学者のための認識論になり、「 本を捨てる 」のは正しいと思う。

「 意識 」が静的で、中立的で、合理的な「 知識 」であるのに対し、「 無意識 」は、動的で、個人的で、不合理な決定する「 欲 」であるが、「 神様 」は、不合理な決定をする点では、「 無意識 」と同じで、物質的であると考える。

小脳が「 時空 」を生むとは、物質的エネルギーを「 リズム 」と「 欲の範囲 」に分解する事であり、「 芸術は爆発である 」という考えに近い。

「 欲の範囲 」とは、小脳から指令する操作可能性や運動可能性であり、「 意識 」の「 可能性 」も、これを基礎としていると考える。

「 可能性 」は、物質の可能性かもしれないが、人類は、物質と同視される小脳の運動可能性として認識するのだと思う。

小脳の運動可能性や操作可能性が、「 意識 」される事により、「 意欲 」となり、行動に現れる。

「 意欲 」は、エネルギーの表現であり、操作可能な範囲だから、「 空間意識 」である。


「 意志 」は、「 意欲 」の実現に向けての意識の選択と持続であり、強い電磁波、周波数の高い電磁波の一種で、小脳の影響が強い意識だと考える。

「 プラズマ宇宙論 」の「 ビルケランド電流 」のように、「 雷 」のように、多数の「 無意識 」を束ねる電流に似た電磁波であると想定する。



小脳や脳幹は、「 物質的な脳 」であり、運動を調整する機能が宇宙の運動を知った時空の塊である。

「 時空 」は、自然界の時空であると考えるのが自然だが、私は、小脳や脳幹により、操作可能性の範囲やリズムとしてデフォルメして記憶の中に保存し、イメージとして現実生活に現れると考える。

記憶は、時空(状況)を保存し、物を保存しない。

写真を見る事は、過去の時空に遡っているのだと思う。

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2010年04月14日

2010/4/14、オカルト・どこでも時空9・小脳3

これは、フィクションである。

運動を知る小脳は、天体の電磁波(太陽光)により、天体の運動を知り、時間意識と空間意識を生む。

小脳は時空を生む。


2010/4/14、私の考え

私は、小脳や脳幹を、「 動物 」の基本的な要素だと考える。

これまで書いてきた、「 無意識 」は、ここから発生し、「 意志 」や「 意欲 」も、ここから発生すると考える。

無意識の「時間意識」を「 リズム 」とし、「 空間意識 」を「 欲の範囲 」とした。


「 リズム 」は、心臓を持った胎児の鼓動であり、誕生後も「 一秒 」の感覚が、天体の運動から測定する「 一秒 」と酷似し人類の全てが同じである事から考えると、心臓の鼓動が「 時間意識 」の発生であり、死後も、しばらくは時間意識が残存する事を考えると、動物に基本的な要素であると思う。


「 空間意識 」とは、「 生きるスペースの意識 」であり、胎児が生きるために運動する「 意欲 」が具現化する範囲であり、「 生きる可能性の範囲 」であると考える。

これらは、誕生する前の胎児のときに具備している事から考えると、胎児のときから、小脳や脳幹が時空を作ると考える。


運動を知る小脳は、自分と天体の運動を知るだろう。

「 時間 」と「 空間 」は天体の運動から生じるので、天体の運動を知る事は、天体の時空と自分の時空を連結する事だろう。

自分の時空意識は電磁波(光)の構造を持つと考えるので、自分の意識と天体の電磁波(太陽光)を調整する事により、天体の運動を自分の時間意識と空間意識に調整し、社会の「 時間 」と「 空間 」を知る。

「 時間の持続 」や「 空間の延長 」は、天体に従った意識の拡大という形態を持つが、「 時間 」と「 空間 」は、無意識をデフォルメしたものだから「 持続 」し「 延長 」するのも、意識による定義不能を意味すると考える。

「 持続 」や「 延長 」を「 実体化 」するのは「 無意識 」だが、それは胎児から具備する無意識の時空の範囲、「 意欲の範囲 」の「 無意識 」であると考える。



小脳は、生命体としての時空を生むから小脳が天体の運動を知る事を可能とし、大脳の意識が「 時間 」と「 空間 」を定義する。

「 時間 」と「 空間 」の持続や延長は、天体を定義する事が出来ない事であると同時に、持続や延長の実体は無意識で決定されるのであり、言葉で表現しても、言葉では決定する事が出来ない事でもある。

「 運動 」も、決定的な言葉の定義が存在するかについては疑問に思う。

言葉で表現するのは、無意識の小脳の活動が、意欲が具現化した「 情報 」であるが、無意識の小脳の活動であるため、言葉から「 逃げ出る物 」であり、定義する事は出来ないと考える。

言葉で、純粋の「 持続 」や「 延長 」を定義するのは言葉の遊びであり、本当に考えるなら、「 無意識による範囲の決定 」を考える必要があるだろう。

「 時間 」や「 空間 」という言葉自体が、無意識の具現化であり、デフォルメであるからである。

私は、小脳や脳幹の中で、「 意識 」を選択して行動する「 意欲 」が生じ、意識を統合して本質であるとデフォルメする価値観も、小脳や脳幹で生じると思う。

「 心の動き 」も「 意欲 」であり、「 意志 」も無意識の運動であり、「 意欲 」や「 意志 」に従って、眼球が動き、身体が動く。

これについては、更に考える。


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2010年04月13日

2010/4/13、オカルト・どこでも時空8・小脳2

これは、フィクションである。

2010/4/11、私の考え


科学者は、大脳の事を話題にするが、私は「 小脳 」に注目すべきだと考える。

言葉は、運動を調整する小脳の文字情報であり、「 小脳の活動記録 」である。

言葉は大脳で生まれると考えるが、無意識の「 小脳の活動記録 」が「 意味 」となって、相手の「 意思 」を理解する。

小脳や脳幹による無意識が存在するから、会話が成立するのは、「 言葉 」や「 文字 」という意識が、小脳や脳幹による無意識に基礎を持つ事である。

思い出す事が「 出来事 」であり、「 シュミレーション 」するのは、「 出来事 」を想像する事だが、「 出来事 」を「 時空(状況)の行為 」と考えれば、言葉を使うのは行為や運動を考えている事である。

行為や運動を調節する小脳を使う事が基礎であり、無意識を使う事が、意識の基礎である。

全てが言葉で決定されるのではなく、「 全てが無意識 」で決定される。

「 時間意識 」も「 空間意識 」も、「 リズム 」と「 欲の範囲 」を基礎とすると考えるが、これらは脳幹や小脳の周波数や振幅と神経の範囲と考える。

行為や運動を調節する小脳や脳幹を使う事が基礎である事は、動物には、非常に重要な事である。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、無意識の領域だが、これらの運動の要素が存在しているから、天体の運動まで意識が広がり、「 時間 」や「 空間 」という概念を作る事を可能にする。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、宇宙の運動に連動するかも知れない。

小脳や脳幹が、無意識の領域であり、運動に関連し、天体の運動に関連しているかも知れない。




2010/4/13、私の考え

これまで、私が「 情 」とか「 情報 」や「 物語 」や「 意味 」という言葉や文字で伝達される時間的な因果関係は、無意識である「 小脳 」の活動記録である。


私は、運動する物は、運動に対応する知覚で認識されると思う。

視覚には眼があり、聴覚には耳があるが、運動を知覚するのではない。

眼や耳から得られる表象は意識であり不連続だが、時空の中で連続した運動と知覚するのが「 小脳 」であると考える。

「 運動の知覚 」が天体の運動を知覚する事も含むと考えれば、女性の生理が「 月 」の運動に影響されたり、太陽の運動による睡眠や覚醒という脳幹の働きも、「 小脳 」の機能であるかもしれない。

「 小脳 」が酵素を含んだ血液を循環させる事は、脳幹のホルモンの分泌となり、ストレスを生む「 力線 」や「 ベクトル 」、更に無意識の「 心の動き 」も「 小脳 」の機能だろうと推測する。



「 機能 」は「 時空という機会の中の脳の働き 」であると考えると、「 小脳 」は、宇宙の運動に影響されると考える。

この機能を「 私の小脳 」の限定するのが「 意識 」であると思う。

時間を意識し、空間を意識し、自分の運動を考える事により、「 小脳 」が運動の「 可能性 」を決定する。

自我を考える事により、「 小脳 」の働きが、天体の運動から、自分の運動を考える事にデフォルメされ、局限され、特殊化されると考える。

「 閉じた内なる宇宙 」という時空意識を持つ事により、無意識の生命的なエネルギーが内部に充満し、心臓の鼓動による「 リズム 」と、生命を維持するための「 欲 」が生じ、時空意識の中で、何を思い、何を行動するかを決定する身(身体)口(言葉)意(意識)の行動の傾向となり、「 人格 」となるというのが、私の考えである。


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2010年04月11日

2010/4/11、オカルト、どこでも時空7・小脳

これは、フィクションである。

2010/4/8、私の記事

「 体験 」とは、「 状況に対処した運動 」を記憶している事であり、「 小脳 」の活動の記録だろう。

「 小脳 」や「 脳幹 」は、無意識であり、「 無意識が実体を決定する 」とは、無意識も意識である限り、時空の構造を持つと推定する。


「 時間意識 」に相当するのは「 リズム 」であり、

…………………(省略)……………………

「 空間意識 」に対応するのが、身体の活動範囲で、身体が到達する範囲はエネルギーが及ぶから、範囲はエネルギーの大きさに依存すると考える。

エネルギーの大小は、生命的な欲求の大小で、「 欲 」であると、現時点では考えている。

欲求不満は、「 性衝動 」に現れると思うが、私は、「 ラグビーボール 」という二本足の考えを採用するから、「 欲 」は、身(身体)口(言葉)意(意識)で「 行為する範囲 」に現れると考える。

「 行為する範囲 」を「 欲 」と考えると、「 過去に行為した範囲 」は「 身体の動きの確保 」で保存され、その反復は「 欲 」の持続であると考える。

「 行為する範囲 」と「 リズム 」が無意識の時空なら、意識と同じく、閉じられた範囲の「 定在波 」が「 安定し、満足した状態 」であり、実体を決定すると考える。

行為は「 小脳 」の働きと思うから、「 行為する範囲 」は「 小脳 」により決まると考える。



この無意識が作る「 リズム 」と「 行為の反復可能な範囲 」が、「 言葉 」の情報であると思うから、単に「 言葉の言霊 」を考えても、「 言葉 」は解明されないと思う。

2010/4/9、私の記事

「 思い出す 」とは、特別な事ではない。

認識する事は、全て「 思い出す事 」であり、珍しい事ではない。

言葉は意識して使うが、何故、相手に伝わるかを考えると、言葉には、「 リズム 」と「 行為の反復可能な範囲 」で決定された、無意識の「 小脳の活動した記録 」が内包され、無意識の「 小脳 」の行為により伝わると考える。

行為は「 欲 」の具現化であり、相手の身(身体)口(言葉)意(意識)の範囲を自分の範囲に置き換える事により、その中に、時間的な物語として存在する気(ki)としての「 小脳の活動した記録 」として存在する「 行動の情報 」を、行動する無意識の小脳が気(ki)として取得し、左脳が「 情報 」として取得すると考える。

認識に時間と空間を必要とするのは、ヒトが時間と空間の中で行為をするからである。

私の考えは、ヒトは「時間意識」と「空間意識」の中で、「 行動の情報 」を気(ki)として無意識が実体だとデフォルメし、ヒトは社会で身(身体)口(言葉)意(意識)に現れた行為を経由して、認識すると考える。


言葉が多重の意味を持つのは、「 小脳による運動の活動 」が、時間や場所の変化に応じて多重である事だと思う。

言葉は、意識の統合である実体を時間や場所の変化に応じた「 小脳による運動の活動 」を、デフォルメし、表現した物だと考える。




2010/4/11、私の考え


科学者は、大脳の事を話題にするが、私は「 小脳 」に注目すべきだと考える。

言葉は、運動を調整する小脳の文字情報であり、「 小脳の活動記録 」である。

言葉は大脳で生まれると考えるが、無意識の「 小脳の活動記録 」が「 意味 」となって、相手の「 意思 」を理解する。

小脳や脳幹による無意識が存在するから、会話が成立するのは、「 言葉 」や「 文字 」という意識が、小脳や脳幹による無意識に基礎を持つ事である。

思い出す事が「 出来事 」であり、「 シュミレーション 」するのは、「 出来事 」を想像する事だが、「 出来事 」を「 時空(状況)の行為 」と考えれば、言葉を使うのは行為や運動を考えている事である。

行為や運動を調節する小脳を使う事が基礎であり、無意識を使う事が、意識の基礎である。

全てが言葉で決定されるのではなく、「 全てが無意識 」で決定される。

「 時間意識 」も「 空間意識 」も、「 リズム 」と「 欲の範囲 」を基礎とすると考えるが、これらは脳幹や小脳の周波数や振幅と神経の範囲と考える。

行為や運動を調節する小脳や脳幹を使う事が基礎である事は、動物には、非常に重要な事である。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、無意識の領域だが、これらの運動の要素が存在しているから、天体の運動まで意識が広がり、「 時間 」や「 空間 」という概念を作る事を可能にする。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、宇宙の運動に連動するかも知れない。

小脳や脳幹が、無意識の領域であり、運動に関連し、天体の運動に関連しているかも知れない。


私は、次のように考えている。


運動を知る小脳は、

天体の電磁波(太陽光)により、

天体の運動を知り、

時間意識と空間意識を生む。

小脳は時空を生む。




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2010年04月09日

2010/4/9、どこでも時空6・思い出す4

これは、フィクションである。

2010/4/8、私の考え

「 体験 」とは、「 状況に対処した運動 」を記憶している事であり、「 小脳 」の活動の記録だろう。

「 小脳 」や「 脳幹 」は、無意識であり、「 無意識が実体を決定する 」とは、無意識も意識である限り、時空の構造を持つと推定する。


「 時間意識 」に相当するのは「 リズム 」であり、

…………………(省略)……………………

「 空間意識 」に対応するのが、身体の活動範囲で、身体が到達する範囲はエネルギーが及ぶから、範囲はエネルギーの大きさに依存すると考える。

エネルギーの大小は、生命的な欲求の大小で、「 欲 」であると、現時点では考えている。

欲求不満は、「 性衝動 」に現れると思うが、私は、「 ラグビーボール 」という二本足の考えを採用するから、「 欲 」は、身(身体)口(言葉)意(意識)で「 行為する範囲 」に現れると考える。

「 行為する範囲 」を「 欲 」と考えると、「 過去に行為した範囲 」は「 身体の動きの確保 」で保存され、その反復は「 欲 」の持続であると考える。

「 行為する範囲 」と「 リズム 」が無意識の時空なら、意識と同じく、閉じられた範囲の「 定在波 」が「 安定し、満足した状態 」であり、実体を決定すると考える。

行為は「 小脳 」の働きと思うから、「 行為する範囲 」は「 小脳 」により決まると考える。



この無意識が作る「 リズム 」と「 行為の反復可能な範囲 」が、「 言葉 」の情報であると思うから、単に「 言葉の言霊 」を考えても、「 言葉 」は解明されないと思う。

2010/4/9、私の考え

「 思い出す 」とは、特別な事ではない。

認識する事は、全て「 思い出す事 」であり、珍しい事ではない。

言葉は意識して使うが、何故、相手に伝わるかを考えると、言葉には、「 リズム 」と「 行為の反復可能な範囲 」で決定された、無意識の「 小脳の活動した記録 」が内包され、無意識の「 小脳 」の行為により伝わると考える。

行為は「 欲 」の具現化であり、相手の身(身体)口(言葉)意(意識)の範囲を自分の範囲に置き換える事により、その中に、時間的な物語として存在する気(ki)としての「 小脳の活動した記録 」として存在する「 行動の情報 」を、行動する無意識の小脳が気(ki)として取得し、左脳が「 情報 」として取得すると考える。

認識に時間と空間を必要とするのは、ヒトが時間と空間の中で行為をするからである。

私の考えは、ヒトは「時間意識」と「空間意識」の中で、「 行動の情報 」を気(ki)として無意識が実体だとデフォルメし、ヒトは社会で身(身体)口(言葉)意(意識)に現れた行為を経由して、認識すると考える。


言葉が多重の意味を持つのは、「 小脳による運動の活動 」が、時間や場所の変化に応じて多重である事だと思う。

言葉は、意識の統合である実体を時間や場所の変化に応じた「 小脳による運動の活動 」を、デフォルメし、表現した物だと考える。

法則には、デフォルメした言葉による統合は必要でなく、デフォルメしない無意識の「 関係 」が「 法則 」であり、言葉にとっては、理念として具現化すると考える。

法則は言葉を生むのであり、その逆は成立しない。

「 言霊 」によっての法則ではなく、太陽光が意識を生むように、法則が「 言霊 」を生むと考える。

「 言霊 」は精神の領域であり、精神の発生の領域ではなく、太陽光を受ける細胞のように、時空が未分化の法則を「 時間意識 」と「 空間意識 」に分解して、具現化するエネルギーであると考える。

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2010年04月08日

2010/4/8、どこでも時空5・思い出す3

これは、フィクションである。

2010/4/6、私の記事

小脳により行為する時に、眼による視覚や耳による聴覚で「 力線 」や「 ベクトル 」を感じて、脳幹の中で「 ストレス 」となる。

生きるために「 時間 」や「 空間 」を人格によりデフォルメ(変形)するのは、左脳の論理的処理であり、無意識で実体を決定し、未来を意識で予測し想像する事は、右脳のイメージ処理である。

この「 時間意識 」と「 空間意識 」の中に、「 ストレス 」が、気(ki)として挿入される。

その処理結果は、無意識を司る「 脳幹 」や生きるために運動を指令する「 小脳 」に送られ、身(身体)口(言葉)意(意識)の「 ラグビーボール 」を動かす事になる。



時間的な順序と物語という文字情報から、過去の体験を想起するのは「 左脳 」で、過去の写真や絵画を見て過去を想起するのは「 右脳 」だろう。

想起する内容は、「 状況に対処した運動 」であり、「 小脳 」の働きで過去の時空に現在の気(ki)を送る事が、「 思い出す事 」だと考える。

2010/4/8、私の考え

「 体験 」とは、「 状況に対処した運動 」を記憶している事であり、「 小脳 」の活動の記録だろう。

「 小脳 」や「 脳幹 」は、無意識であり、「 無意識が実体を決定する 」とは、無意識も意識である限り、時空の構造を持つと推定する。


「 時間意識 」に相当するのは「 リズム 」であり、呼吸や内臓の動きが「 心電図 」のように電気的刺激で、意識では統御する事が出来ないという意味で、天体の運動による「 時間 」と同じであり、天体の運動による「 時間 」が「 うるう年 」で調整するように、「 体内時間 」の誤差を考えなければ、無意識を解明する事は出来ないと思う。

これは、「 脳幹 」の問題だろう。


「 空間意識 」に対応するのが、身体の活動範囲で、身体が到達する範囲はエネルギーが及ぶから、範囲はエネルギーの大きさに依存すると考える。

エネルギーの大小は、生命的な欲求の大小で、「 欲 」であると、現時点では考えている。

欲求不満は、「 性衝動 」に現れると思うが、私は、「 ラグビーボール 」という二本足の考えを採用するから、「 欲 」は、身(身体)口(言葉)意(意識)で「 行為する範囲 」に現れると考える。

「 行為する範囲 」を「 欲 」と考えると、「 過去に行為した範囲 」は「 身体の動きの確保 」で保存され、その反復は「 欲 」の持続であると考える。

「 行為する範囲 」と「 リズム 」が無意識の時空なら、意識と同じく、閉じられた範囲の「 定在波 」が「 安定し、満足した状態 」であり、実体を決定すると考える。

行為は「 小脳 」の働きと思うから、「 行為する範囲 」は「 小脳 」により決まると考える。



この無意識が作る「 リズム 」と「 行為の反復可能な範囲 」が、「 言葉 」の情報であると思うから、単に「 言葉の言霊 」を考えても、「 言葉 」は解明されないと思う。


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2010年04月07日

2010/4/7、どこでも時空4・思い出す2

これは、フィクションである。

2010/4/6、私の記事

小脳により行為する時に、眼による視覚や耳による聴覚で「 力線 」や「 ベクトル 」を感じて、脳幹の中で「 ストレス 」となる。

生きるために「 時間 」や「 空間 」を人格によりデフォルメ(変形)するのは、左脳の論理的処理であり、無意識で実体を決定し、未来を意識で予測し想像する事は、右脳のイメージ処理である。

この「 時間意識 」と「 空間意識 」の中に、「 ストレス 」が、気(ki)として挿入される。

その処理結果は、無意識を司る「 脳幹 」や生きるために運動を指令する「 小脳 」に送られ、身(身体)口(言葉)意(意識)の「 ラグビーボール 」を動かす事になる。



時間的な順序と物語という文字情報から、過去の体験を想起するのは「 左脳 」で、過去の写真や絵画を見て過去を想起するのは「 右脳 」だろう。

想起する内容は、「 状況に対処した運動 」であり、「 小脳 」の働きで過去の時空に現在の気(ki)を送る事が、「 思い出す事 」だと考える。



2010/4/7、私の考え


「 どこでも時空 」とは、ドラえもんの「 どこでもドア 」を想定した考えで、「 ドア」を、写真やビデオなどの映像や「 言葉 」という、文明の機器による保存方法と考え、「 ドア 」を開けて違う空間に入るとは、保存した内容で、文化という時空だと想定しています。

私は、静止した状態でも、地球は自転しているから、全て新たな空間に突入している状態であり、時間の経過を天体の運動で考えると、空間の移動であり、「 歴史 」は「 地球の空間移動の経路 」であると考える。

私の歴史は、「 地球の空間移動の経路 」の中での私の行為の累積であり、時間意識と空間意識の時空の中での「 小脳 」の活動の累積であると考える。

過去は消滅したのではなく、現在の中で「 歴史 」として連続している。

「 歴史 」や「 文化 」とは、全ての人類の時間意識と空間意識の時空の中での「 小脳 」の活動の累積として連続した時空であると考える。

言葉の意味という情報は、時間意識と空間意識の時空の中での「 小脳 」の活動という出来事であると思う。

現実生活の中で、タイムマシンやテレポーションなどによる空間移動は不可能だと思う。

しかし、私自身の中で連続している「 歴史 」という時間意識と空間意識の時空の中での「 小脳 」の活動の累積を「 形 」にデフォルメした「 文明の機器 」を利用する事により、「 小脳 」を活動させる気(ki)を惹起させる事が、「 思い出す事 」だと考える。

「 文明の機器 」を利用して、過去という時空の中の気(ki)を復活させるし、「 文明の機器 」により、他者の時間意識と空間意識の時空の中での「 小脳 」の活動の累積を、自分の時空を適応させて気(ki)を惹起させるのが、「 学習 」であると考える。

思い出すとは、意識の電磁波が運ぶ気(ki)というエネルギーが存在する所まで、時空を遡る事で、「 小脳 」や「 脳幹 」に意識の電磁波により気(ki)を送る事だと考える。

思い出すとは、常に新しい気(ki)であり、過去の気(ki)が復活するのではない。

「 歴史 」は、「 現在 」に存在する。

現在の意識の電磁波が届く範囲で、「 歴史 」は存在するから、社会は「 歴史教育 」する。

意識の電磁波が気(ki)を運ばないヒトには、「 歴史 」は存在しないと考える。

何を、「 小脳 」の活動の累積と考えて行為するかという歴史についての考えも、「 人格 」の判断材料となると考える。

「 人格 」は、そこから発生すると思う。


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2010年04月06日

2010/4/6、どこでも時空3・思い出す 1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


これは、フィクションである。

体験を思い出す事について考える。

私は、時間と空間は、社会生活のために、デフォルメした言葉であり、その実体は、個人の無意識により決定された時間意識と空間意識であると思う。

「 時間意識 」と「 空間意識 」は、左脳の言語を用いる論理処理と右脳の図形や空間を用いるイメージ処理に対応し、「 無意識で 」とは「 脳幹で 」という意味で「 決定する 」とは運動を支配する小脳が働くことであり、「 時間意識 」は聴覚、「 空間意識 」は視覚という感覚に対応すると考える。

「 時間意識 」と「 空間意識 」は、個人が、運動して生きるために、デフォルメ(変形)させた時空であり、一般的に四次元というが、私の考えは違う。

私は、「 関係と人格 」で書いたように、「 時間意識 」と「 空間意識 」は電磁波の構造で、ニューロンを流れる刺激が電気で電場なら、磁場として「 時間意識 」と「 空間意識 」が生じ、感覚への刺激で計測した後、意識で計測するのが、「 無意識は実体を決定する事 」であり、意識で計測した後感覚で計測するのが「 意識で予測し想像する事 」で、ヒトは、「 不可分 」の状態で行為すると考える。

「 不可分 」とは、頭脳が不可分である事だと考える。

小脳により行為する時に、眼による視覚や耳による聴覚で「 力線 」や「 ベクトル 」を感じて、脳幹の中で「 ストレス 」となる。

生きるために「 時間 」や「 空間 」を人格によりデフォルメ(変形)するのは、左脳の論理的処理であり、無意識で実体を決定し、未来を意識で予測し想像する事は、右脳のイメージ処理である。

この「 時間意識 」と「 空間意識 」の中に、「 ストレス 」が、気(ki)として挿入される。

その処理結果は、無意識を司る「 脳幹 」や生きるために運動を指令する「 小脳 」に送られ、身(身体)口(言葉)意(意識)の「 ラグビーボール 」を動かす事になる。



時間的な順序と物語という文字情報から、過去の体験を想起するのは「 左脳 」で、過去の写真や絵画を見て過去を想起するのは「 右脳 」だろう。

想起する内容は、「 状況に対処した運動 」であり、「 小脳 」の働きで過去の時空に現在の気(ki)を送る事が、「 思い出す事 」だと考える。


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2010年04月05日

2010/4/5、オカルト・関係と人格・太陽光は意識を生む

これは、フィクションであり、願望です。

2010/3/21、私の記事

(1)「 ピラミッド」についての考え。

ピラミッドの頂点に当てた光が、ピラミッドの底辺を形成すると考え、光が意識であり、ピラミッドの内部が光(意識)のエネルギーの回路で、ピラミッドの底辺の面積が、現実生活で「 事実 」と考えている、デフォルメした意識であると想定する。

この場合の「 光 」や「 意識 」は、物理的に考えるのではなく、「 霊の光 」であり、「 魂の意識 」であり、「 電離層 」や「 霊界 」の事であると考える。

現実面では、オカルトや擬似科学として「 力 」を否定されるが、精神的な「 ピラミッドパワー 」が「 現実の意識や精神 」を「 回転 」させる。

「 回転 」とは、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る。

その軸から軸へと「 回転 」するエネルギーが「 ピラミッドパワー 」であると考える。

その内容は、「 太陽光 」という「 霊の力」が伝える「 気 」であり、生命は「 気(ki) 」を持ち、霊と気が交流するという「 生気論 」に賛成する。

「 ピラミッド 」の中のエネルギーは、「 霊性 」の感受性により、強弱が決まるのであり、人間に平等な「 霊格 」であり、人格形成に影響するが、個人的な「 超能力 」や「 人格 」ではないと考える。



2010/4/5、私の考え

植物は、太陽光の向かって芽を伸ばし、光合成をする。

ヒトも生物であるから、万遍なく注がれる太陽光に影響されると考える。

太陽光の周波数の違いで、可視光線や紫外線や赤外線があり、前者の眼で見る事を可能にするだけでなく、後者は、身(身体)に作用する。

宇宙での太陽光の周波数は、多様で、地表では一部を摂取しているにすぎず、身(身体)に作用するならば、口(言葉)や意(意識)に影響する事を考える事も許されるだろう。

太陽光から意識が生じると考えると、「 色 」は太陽光の反射であり、太陽光と大気が存在するから「 色 」という意識があると考える。

「 狂気 」も、「 性的 」だけでなく、宇宙の周波数を感受し、一般社会とは違った感覚だから、「 病気 」であり、本当は、「 意識の爆発 」であり「 意識の誕生 」であるかも知れない。

「 芸術は爆発である 」というのも、「 芸術は意識を爆発させる事である 」と考え、「 狂気 」の存在を必要とするだろう。

「 狂気 」は、距離や速度の否定であり、地球から遠く離れた星座の爆発を、光速を超えて認識する事かも知れない。

距離や速度の否定は、時間意識や空間意識が未分化の時空であり、未分化が芸術の本質であると思う。

同時代では「 狂気 」と呼ばれた画家が、時間の経過につれて「 正気 」の画家となるように。

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2010年04月04日

2010/4/4、オカルト・関係と人格10・組み合わせ7

これは、フィクションです。

私だけの考えです。

2010/3/21、私の記事

(1)「 ピラミッド」についての考え。

ピラミッドの頂点に当てた光が、ピラミッドの底辺を形成すると考え、光が意識であり、ピラミッドの内部が光(意識)のエネルギーの回路で、ピラミッドの底辺の面積が、現実生活で「 事実 」と考えている、デフォルメした意識であると想定する。

この場合の「 光 」や「 意識 」は、物理的に考えるのではなく、「 霊の光 」であり、「 魂の意識 」であり、「 電離層 」や「 霊界 」の事であると考える。

現実面では、オカルトや擬似科学として「 力 」を否定されるが、精神的な「 ピラミッドパワー 」が「 現実の意識や精神 」を「 回転 」させる。

「 回転 」とは、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る。

その軸から軸へと「 回転 」するエネルギーが「 ピラミッドパワー 」であると考える。

その内容は、「 太陽光 」という「 霊の力」が伝える「 気 」であり、生命は「 気(ki) 」を持ち、霊と気が交流するという「 生気論 」に賛成する。

「 ピラミッド 」の中のエネルギーは、「 霊性 」の感受性により、強弱が決まるのであり、人間に平等な「 霊格 」であり、人格形成に影響するが、個人的な「 超能力 」や「 人格 」ではないと考える。



2010/4/2、私の記事

「 二本足の考え 」は、意識と無意識の中心が、ラグビーボールという身(身体)口(言葉)意(意識)を経由して結ばれるとういう考えです。

@本質(実数)と法則(虚数や関係)の精神の縦軸とA生命体のDNA(安定した状態)とRNA(不安定な状態)の横軸が交差し、「 軸上の一点 」を90度回転させるエネルギーが「 ピラミッドパワー 」と考え、それが描く「 円 」が「 真・善・美 」であると考える。

@がAにより規定され、同時にAが@により規定されるのが「 真・善・美 」だろう。

ヒトの意識は常にデフォルメするから、ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標上の一点 」しか存在しない。

「 座標上の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数であると考える。

@の場合、虚数は、客観的という因果関係であり、時間を排除する空間であり、法則であると考える。

実数は主観的という個人の時間で成立する特殊な因果関係で、意識の統合である本質であると考える。

Aの場合、虚数はRNA(活動的)、実数はDNA(安定的・保存的)と考える。

「 座標上の一点 」は、「 軸上の一点 」から離れているので、「 ピラミッドパワー 」が座標軸を回転させることにより、軌跡は「 実数と虚数の二つの円 」を形成すると考える。

ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標の一点 」が存在し、「 軸の交点(原点)」から「 座標の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数である事は、「 軸は同じ面で交差していない 」と考える。


@からの計測というデフォルメとAからの計測というデフォルメの和であり、@が「 意識や精神 」、Aが「 生命体 」からの計測である。

計測というデフォルメとは、@とAの交点(原点)からの距離で、「 座標の一点 」からは、@意識とA無意識の距離であり、ヒトは「 同時に 」計測する事は出来ないが、意識と無意識が「 不可分だから同時 」、あるいは主観的真理として「 同時に 」計測して、意識と無意識の総和は「 ラグビーボール 」の「 楕円体 」であると考える。

Aで計測した後@で計測するのが、「 無意識は実体を決定する 」事であり、@で計測した後Aで計測するのが「 意識で予測し想像する事 」で、ヒトは、「 不可分 」の状態で行為すると考える。

意識と無意識の距離の「 定在波 」が「 六道 」であり「 人格 」であるが、「 定在波 」が生じる距離は、(1)で考えた交点と、自分が持つと自覚する交点が、始点と終点である。

2010/4/3、私の考え


この実数とは、「 安定 」や「 実体 」で表現される時空で、生命体では、DNAや「 脳幹 」に対応し、「 無意識の性的安定 」だと考える。

虚数とは、「 意識 」であり、「 脳 」に対応し、社会に関連し、生命体ではRNAで、「 ピラミッドパワー」の気(ki)を受ける「 感受性 」だと考える。

この気(ki)が、電気であれば「 プラズマ宇宙論 」と同じであるが、円偏光と旋光の違いから、電気を誘発するだけだろう。

「 ピラミッドパワー 」は生物の全ての上に存在するが、虚数を、気(ki)が交流する演算子やアンテナと考え、虚数が描く円の大きさが、個人の「 ピラミッドパワー 」になると考える。

無意識は、生来は不安定であるから、安定を求めるのであり、生物的には「 女性 」を想像し、意識は、生来は安定しているが(例えば、物事に言葉を付与する事で安定する)、不安を求め、発展を求め、生物的には、「 男性 」を想像し、古代からの女性の「 陰 」と男性の「 陽 」で、女性がDNAで保存的であり、男性がRNAであり、発展的であると考える。

不安と安定は、「 性的 」であるから、心理学は「 性 」を中心に考えると思うが、生物の一面から来る意識であり、「 認識 」を考える場合は、「 ピラミッドパワー 」を考える必要があると思う。

「 人格 」を考える場合は、過去の自分の「 性的時空 」と現在の時空を結んだ場合の波長や振幅の安定した「 実数部分 」が強度であり、力線となり、脳幹に「 好み 」を生じるだろう。

一方では、「 ピラミッドパワー 」によって回転する、無意識と安定と女性と「 陰 」とDNAの「 円 」があり、他方は、「 ピラミッドパワー 」によって回転する意識と不安定と男性と「 陽 」とRNAの「 円 」があり、DNA が持つラセン構造のように、連結した姿が、「 ラグビーボール 」という細胞の似た形態になると考える。

2010/4/4、私の考え


以上で、「 ピラミッドパワー 」の内部の意識(光)は、「 今 」という平面に@本質と法則の縦軸とA生命体の「 陰 」と「 陽 」の横軸を回転させ、「 座標軸上の一点 」を回転させて、底辺に円の面積を作るが、ヒトは、意識と無意識を持つため、楕円の面積になる。

立体的に考え、彗星に乗っているように、「 今 」を境界として、過去は切り口を楕円とする円柱であり、未来は底辺を円とする円錐で、意識は前者では「 楕円の偏光 」の軌道を描き、後者では、「 円偏光 」の軌道を描くと考える。

「 円偏光 」する霊の意識に導かれながら、人体の中の意識は「 楕円偏光 」になる。

過去は切り口を楕円とする円柱の周囲が、身(身体)口(言葉)意(意識)で、内部は「 内なる宇宙 」であり、「 脳内時空 」であり、前者が「 物体的 」あるいは「 実数的 」な文化や文明であり、後者は「 精神的 」な文化や意識であると考える。

「 楕円偏光 」するのは、ヒトが欲望を持つからであり、生物として生きるための、食欲や性欲や睡眠欲の軌跡であると思う。

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2010年04月03日

2010/4/3、オカルト・関係と人格9・組み合わせ6

これは、フィクションです。

2010/4/2、私の記事

「 二本足の考え 」は、意識と無意識の中心が、ラグビーボールという身(身体)口(言葉)意(意識)を経由して結ばれるとういう考えです。

@本質(実数)と法則(虚数や関係)の精神の縦軸とA生命体のDNA(安定した状態)とRNA(不安定な状態)の横軸が交差し、「 軸上の一点 」を90度回転させるエネルギーが「 ピラミッドパワー 」と考え、それが描く「 円 」が「 真・善・美 」であると考える。

@がAにより規定され、同時にAが@により規定されるのが「 真・善・美 」だろう。

ヒトの意識は常にデフォルメするから、ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標上の一点 」しか存在しない。

「 座標上の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数であると考える。

@の場合、虚数は、客観的という因果関係であり、時間を排除する空間であり、法則であると考える。

実数は主観的という個人の時間で成立する特殊な因果関係で、意識の統合である本質であると考える。

Aの場合、虚数はRNA(活動的)、実数はDNA(安定的・保存的)と考える。

「 座標上の一点 」は、「 軸上の一点 」から離れているので、「 ピラミッドパワー 」が座標軸を回転させることにより、軌跡は「 実数と虚数の二つの円 」を形成すると考える。

ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標の一点 」が存在し、「 軸の交点(原点)」から「 座標の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数である事は、「 軸は同じ面で交差していない 」と考える。


@からの計測というデフォルメとAからの計測というデフォルメの和であり、@が「 意識や精神 」、Aが「 生命体 」からの計測である。

計測というデフォルメとは、@とAの交点(原点)からの距離で、「 座標の一点 」からは、@意識とA無意識の距離であり、ヒトは「 同時に 」計測する事は出来ないが、意識と無意識が「 不可分だから同時 」、あるいは主観的真理として「 同時に 」計測して、意識と無意識の総和は「 ラグビーボール 」の「 楕円体 」であると考える。

Aで計測した後@で計測するのが、「 無意識は実体を決定する 」事であり、@で計測した後Aで計測するのが「 意識で予測し想像する事 」で、ヒトは、「 不可分 」の状態で行為すると考える。

意識と無意識の距離の「 定在波 」が「 六道 」であり「 人格 」であるが、「 定在波 」が生じる距離は、(1)で考えた交点と、自分が持つと自覚する交点が、始点と終点である。

2010/4/3、私の考え

私は、勉強不足のため、同じ思考回路を循環してしまいます。

考えが脱線してしまう事をお許しください。

「 座標上の一点 」は、「 軸上の一点 」から離れているので、「 ピラミッドパワー 」が座標軸を回転させることにより、軌跡は「 実数と虚数の二つの円 」を形成すると考える。

ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標の一点 」が存在し、「 軸の交点(原点)」から「 座標の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数である事は、「 軸は同じ面で交差していない 」と考える。


この実数とは、「 安定 」や「 実体 」で表現される時空で、生命体では、DNAや「 脳幹 」に対応し、「 無意識の性的安定 」だと考える。

虚数とは、「 意識 」であり、「 脳 」に対応し、社会に関連し、生命体ではRNAで、「 ピラミッドパワー」の気(ki)を受ける「 感受性 」だと考える。

この気(ki)が、電気であれば「 プラズマ宇宙論 」と同じであるが、円偏光と旋光の違いから、電気を誘発するだけだろう。

「 ピラミッドパワー 」は生物の全ての上に存在するが、虚数を、気(ki)が交流する演算子やアンテナと考え、虚数が描く円の大きさが、個人の「 ピラミッドパワー 」になると考える。

無意識は、生来は不安定であるから、安定を求めるのであり、生物的には「 女性 」を想像し、意識は、生来は安定しているが(例えば、物事に言葉を付与する事で安定する)、不安を求め、発展を求め、生物的には、「 男性 」を想像し、古代からの女性の「 陰 」と男性の「 陽 」で、女性がDNAで保存的であり、男性がRNAであり、発展的であると考える。

不安と安定は、「 性的 」であるから、心理学は「 性 」を中心に考えると思うが、生物の一面から来る意識であり、「 認識 」を考える場合は、「 ピラミッドパワー 」を考える必要があると思う。

「 人格 」を考える場合は、過去の自分の「 性的時空 」と現在の時空を結んだ場合の波長や振幅の安定した「 実数部分 」が強度であり、力線となり、脳幹に「 好み 」を生じるだろう。

一方では、「 ピラミッドパワー 」によって回転する、無意識と安定と女性と「 陰 」とDNAの「 円 」があり、他方は、「 ピラミッドパワー 」によって回転する意識と不安定と男性と「 陽 」とRNAの「 円 」があり、DNA が持つラセン構造のように、連結した姿が、「 ラグビーボール 」という細胞の似た形態になると考える。

DNAとRNAを持つから、男性も女性も「 ラグビーボール」を持つが、女性は、軸を実数とした「 円 」を持ち、男性は虚数を軸とした「 円 」を持ち、両者は別れているが結合していると考える。

自分の中に、女性と男性が混在した結果、「 ラグビーボール 」を持つかも知れない。

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2010年04月02日

2010/4/2、オカルト・関係と人格8・組み合わせ5

これは、フィクションです。

2010/3/21、私の記事

(1)「 ピラミッド」についての考え。

ピラミッドの頂点に当てた光が、ピラミッドの底辺を形成すると考え、光が意識であり、ピラミッドの内部が光(意識)のエネルギーの回路で、ピラミッドの底辺の面積が、現実生活で「 事実 」と考えている、デフォルメした意識であると想定する。

この場合の「 光 」や「 意識 」は、物理的に考えるのではなく、「 霊の光 」であり、「 魂の意識 」であり、「 電離層 」や「 霊界 」の事であると考える。

現実面では、オカルトや擬似科学として「 力 」を否定されるが、精神的な「 ピラミッドパワー 」が「 現実の意識や精神 」を「 回転 」させる。

「 回転 」とは、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る。

その軸から軸へと「 回転 」するエネルギーが「 ピラミッドパワー 」であると考える。

その内容は、「 太陽光 」という「 霊の力」が伝える「 気 」であり、生命は「 気(ki) 」を持ち、霊と気が交流するという「 生気論 」に賛成する。

「 ピラミッド 」の中のエネルギーは、「 霊性 」の感受性により、強弱が決まるのであり、人間に平等な「 霊格 」であり、人格形成に影響するが、個人的な「 超能力 」や「 人格 」ではないと考える。


………………(省略)………………………

これらの条件は、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、軸上の一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る事で、成立すると考える。


この完全な「 円運動 」が「 真理 」だと思うが、人間は、意識だけではなく、無意識を持ち、「 軸上の一点 」が人間には無く、「 円運動 」は「 楕円運動 」になり、「 事実 」もデフォルメした事実になる。

2010/3/21、私の記事

(2)@「本質」という実体とAの「法則」という関係の縦軸とB「 感覚の複合 」である生命の横軸を「 デフォルメして限定する 」人格の説明

(1)の交点は、デフォルメした思考上の交点だから、一点として決まるが、(2)の人格を考える時、「 感覚の複合 」である生命の横軸が、@「本質」とA「 法則 」の縦軸との交点が、(1)とは、位置を異にする。

生命体には、意識と無意識があり、時間意識と空間意識を持つからであり、細胞を考えても、「 対称 」ではない。

………………(省略)………………………

その交点の距離は、「 二本足の考え 」で考えた、意識と無意識の距離であり、楕円のラグビーボールの焦点である。

(1)の「 ピラミッドの底辺 」が、(2)では、ラグビーボールの周囲となる。

意識と無意識の距離の「 定在波 」が「 六道 」であり「 人格 」であるが、「 定在波 」が生じる距離は、(1)で考えた交点と、自分が持つと自覚する交点が、始点と終点である。

「 人格 」は、その交点から発した意識が形成するラグビーボール、言い換えれば、身(身体)口(言葉)意(意識)という「 鏡 」を見る事により、個人は知る事ができる。



それは、「 神仏の教え 」から、自分の考えが離れているか、を知る事により、「 人格 」を神仏の考えに変換できる。

ヒトは、生まれた時から、アウトローであり、それが西洋では、「 罪 」を持つヒトで、東洋では「 六道 」の中のヒトという意味だろう。

(3)の「 欲 」とは、何か。

「 ピラミッドパワー 」に相当するヒトのエネルギーが「 欲 」であり、両者とも、気(ki)である。

磁場が回転を生むように、「精神」のピラミッドが座標を回転させるパワーを生み、「真・善・美」を形成するが、現実生活では、人格を作る無意識と意識の距離の「定在波」が、ラグビーボールの軌道を回る「六道」のエネルギーである「欲望」を生み、「真・善・美」から遠くなったり近くなったりする楕円軌道を描くと思う。



2010/4/2、私の考え

「 二本足の考え 」は、意識と無意識の中心が、ラグビーボールという身(身体)口(言葉)意(意識)を経由して結ばれるとういう考えです。

@本質(実数)と法則(虚数や関係)の精神の縦軸とA生命体のDNA(安定した状態)とRNA(不安定な状態)の横軸が交差し、「 軸上の一点 」を90度回転させるエネルギーが「 ピラミッドパワー 」と考え、それが描く「 円 」が「 真・善・美 」であると考える。

@がAにより規定され、同時にAが@により規定されるのが「 真・善・美 」だろう。

ヒトの意識は常にデフォルメするから、ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標上の一点 」しか存在しない。

「 座標上の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数であると考える。

@の場合、虚数は、客観的という因果関係であり、時間を排除する空間であり、法則であると考える。

実数は主観的という個人の時間で成立する特殊な因果関係で、意識の統合である本質であると考える。

Aの場合、虚数はRNA(活動的)、実数はDNA(安定的・保存的)と考える。

「 座標上の一点 」は、「 軸上の一点 」から離れているので、「 ピラミッドパワー 」が座標軸を回転させることにより、軌跡は「 実数と虚数の二つの円 」を形成すると考える。

ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標の一点 」が存在し、「 軸の交点(原点)」から「 座標の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数である事は、「 軸は同じ面で交差していない 」と考える。


@からの計測というデフォルメとAからの計測というデフォルメの和であり、@が「 意識や精神 」、Aが「 生命体 」からの計測である。

計測というデフォルメとは、@とAの交点(原点)からの距離で、「 座標の一点 」からは、@意識とA無意識の距離であり、ヒトは「 同時に 」計測する事は出来ないが、意識と無意識が「 不可分だから同時 」、あるいは主観的真理として「 同時に 」計測して、意識と無意識の総和は「 ラグビーボール 」の「 楕円体 」であると考える。

Aで計測した後@で計測するのが、「 無意識は実体を決定する 」事であり、@で計測した後Aで計測するのが「 意識で予測し想像する事 」で、ヒトは、「 不可分 」の状態で行為すると考える。

意識と無意識の距離の「 定在波 」が「 六道 」であり「 人格 」であるが、「 定在波 」が生じる距離は、(1)で考えた交点と、自分が持つと自覚する交点が、始点と終点である。

「 人格 」は、その交点から発した意識が形成するラグビーボール、言い換えれば、身(身体)口(言葉)意(意識)という「 鏡 」(座標上の一点)を見る事により、個人は知る事ができる。

「 真・善・美 」を考える事は、何故、デフォルメするかという理由を問う事であり、@とAの交点を問う事であり、ラグビーボールの生命体の意識を、「 ピラミッドパワー 」が与える円の意識に近づける事であり、「 人格 」を向上させることだと思う。

Every miller draws water to his own mill.
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