2010年05月31日

2010/5/31、オカルト・意識と性と人格1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
脳の話をするが、脳科学者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

これは、フィクションである。

2010/5/28、私の記事

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけであるので、実体化した「 意識 」の「 絶対静止点 」は、個人の「 時間意識と空間意識 」を生む「 大脳 」の「 自意識 」であり、現実生活では「 今 」、「 ここで 」という時空が「 意識の焦点 」であると考える。

「 無意識の焦点 」は「 無意識の静止点 」であり、自意識から発する「 時間意識と空間意識 」という意識の電磁波が「 小脳の無意識 」つまり、「 心 」と衝突や同調する「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標であると考える。


「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標は、無意識で物質的であるから、「 記憶 」という神経に残存し、意識な電磁波が衝突する時、「 不安 」や「 安定 」という「 心の状態 」を生み、これが「 静止 」しているとは、「 意識と同じ方向に動いている 」と考える。


「 意識と同じ方向に動いている 」から、意識の電磁波を反射する事が可能であるし、「 どのような意識を反射するか 」が、定在波の種類、つまり「 人格 」を決めると考える。

静止した、あるいは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」であり、応答可能性であると考える。


2010/5/30、私の記事

「 今 」という意識と同じ方向の静止した、あるは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは何か?

「 今 」と物質的に関係し、「 今 」と同じ方向に運動し、「 今 」という現在から発した問いに応答する物質的な物は何か?

それは、「 性 」である。

生まれて現在まで変わらないのは、「 性 」である。

男性と生まれると現在も男性であり、女性と生まれると現在も女性である場合が一般的である。

DNA から、身体の全てが、男性か女性に区別され、「 リズムと身体運動可能性 」という小脳の無意識が時空意識を生むが、男性と女性という身体構造の違いにより、応答可能性が違うと思う。

「 今 」の性の刺激に対して、男性と女性の反応が違うのは、DNAの「 性 」という物質的違いであると考える。


誕生して今まで、「 性の座標 」は「 意識の座標 」と同じ動きをするから、身(身体)口(言葉)意(意識)に投影、あるいは具現化しないと、自分では知る事が出来ない。

これは、他者から、物質としての「 性の座標 」が判断できるから、「 性衝動 」からの精神分析が可能であると考える。

しかし、他者は自分ではないから、静止した「 性の座標 」や「 力と運動 」の「 性衝動 」は自分しか知る事が出来ない。

同じ方向に動く、静止した「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標や「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」や応答可能性に該当するのは、「 性の座標 」であるというのが、現時点の結論である。



2010/5/31、私の考え

「 静止 」とは、同じ方向に動いているために、自分だけの主観的な絶対静止した意識の座標上で「 動かない 」と主観的に小脳の運動の無意識が決めることで、「 山は動かない 」、「 建物は動かない 」と言うが、それは地球上の重力を前提した意見で、宇宙の天体の運動から見れば、全てが動いているのであり、「 動かない 」というのは、個人の頭脳による意識を「 動かさない 」だけの主観的な考えであると思う。

「 持続 」というが、地球は自転し、公転して絶えず動いていて、思考は地球の重力を前提とした「 身体運動の可能性 」の操作であり、哲学者が言う「 持続 」は、頭脳の中の言葉の遊びであると思う。

「 持続 」を考えるなら、「 新陳代謝する身体を持ちながら、自分が自分である事 」や、誕生して死ぬまで、男性は男性で、女性は女性であるという意識こそ「 持続 」であり、その理由を考えるのが、哲学者や心理学者の仕事である思う。

それは、本を発売し、金儲けになる事だけを考える哲学者や心理学者には、発想もしないことだろう。

金儲けだけでなく、人類の考えを前進させる考えをしない学者の「 認識論 」など捨てて、自分が知りたい「 認識論 」にする意図を持っているのが、このブログである。

「 静止 」は、「 動かない 」だけでなく、現在の意識に絶えず「 存在 」として影響し、小脳の無意識により、運動の有無の決定をしている。

「 小脳の無意識 」は「 心 」であるから、思考より先に存在すると考えるから把握する事は出来ないが、「 無意識 」の一つとして「 意識しない性 」と「 意識しない人格 」について考える。


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2010年05月30日

2010/5/30、オカルト・小脳の無意識・静止3(主観的見解)

これは、フィクションです。

2010/5/28、私の記事

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけであるので、実体化した「 意識 」の「 絶対静止点 」は、個人の「 時間意識と空間意識 」を生む「 大脳 」の「 自意識 」であり、現実生活では「 今 」、「 ここで 」という時空が「 意識の焦点 」であると考える。

「 無意識の焦点 」は「 無意識の静止点 」であり、自意識から発する「 時間意識と空間意識 」という意識の電磁波が「 小脳の無意識 」つまり、「 心 」と衝突や同調する「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標であると考える。


「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標は、無意識で物質的であるから、「 記憶 」という神経に残存し、意識な電磁波が衝突する時、「 不安 」や「 安定 」という「 心の状態 」を生み、これが「 静止 」しているとは、「 意識と同じ方向に動いている 」と考える。


「 意識と同じ方向に動いている 」から、意識の電磁波を反射する事が可能であるし、「 どのような意識を反射するか 」が、定在波の種類、つまり「 人格 」を決めると考える。

静止した、あるいは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」であり、応答可能性であると考える。


2010/5/30、私の考え

「 今 」という意識と同じ方向の静止した、あるは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは何か?



「 今 」と物質的に関係し、「 今 」と同じ方向に運動し、「 今 」という現在から発した問いに応答する物質的な物は何か?


それは、「 性 」である。


生まれて現在まで変わらないのは、「 性 」である。



男性と生まれると現在も男性であり、女性と生まれると現在も女性である場合が一般的である。

DNA から、身体の全てが、男性か女性に区別され、「 リズムと身体運動可能性 」という小脳の無意識が時空意識を生むが、男性と女性という身体構造の違いにより、応答可能性が違うと思う。

「 今 」の性の刺激に対して、男性と女性の反応が違うのは、DNAの「 性 」という物質的違いであると考える。


誕生して今まで、「 性の座標 」は「 意識の座標 」と同じ動きをするから、身(身体)口(言葉)意(意識)に投影、あるいは具現化しないと、自分では知る事が出来ない。

これは、他者から、物質としての「 性の座標 」が判断できるから、「 性衝動 」からの精神分析が可能であると考える。

しかし、他者は自分ではないから、静止した「 性の座標 」や「 力と運動 」の「 性衝動 」は自分しか知る事が出来ない。

同じ方向に動く、静止した「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標や「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」や応答可能性に該当するのは、「 性の座標 」であるというのが、現時点の結論である。


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2010年05月29日

2010/5/29、オカルト・小脳の無意識・静止2(主観的見解)

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
脳の話をするが、脳科学者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

これは、フィクションです。

2010/5/28、私の記事

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけであるので、実体化した「 意識 」の「 絶対静止点 」は、個人の「 時間意識と空間意識 」を生む「 大脳 」の「 自意識 」であり、現実生活では「 今 」、「 ここで 」という時空が「 意識の焦点 」であると考える。

「 無意識の焦点 」は「 無意識の静止点 」であり、自意識から発する「 時間意識と空間意識 」という意識の電磁波が「 小脳の無意識 」つまり、「 心 」と衝突や同調する「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標であると考える。


「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標は、無意識で物質的であるから、「 記憶 」という神経に残存し、意識な電磁波が衝突する時、「 不安 」や「 安定 」という「 心の状態 」を生み、これが「 静止 」しているとは、「 意識と同じ方向に動いている 」と考える。


「 意識と同じ方向に動いている 」から、意識の電磁波を反射する事が可能であるし、「 どのような意識を反射するか 」が、定在波の種類、つまり「 人格 」を決めると考える。

静止した、あるは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」であり、応答可能性であると考える。




2010/5/29、私の考え

「 静止 」する機能は「 意識 」だが、「 静止 」を決定するのは、「 無意識 」であると考える。

時間を「 時間意識 」、空間を「 空間意識 」と考えて、この意識は、「 小脳の、平衡感覚やバランス感覚 」だと考えると、「 静止 」とは、小脳の平衡感覚やバランス感覚が、「 今 」と「 同じ動きをする時空 」と考える。

私は、この「 同じ動きをする時空 」が、小脳から生まれた生命的で神経的で物質的な「 記憶 」であり、大脳の「 記憶 」と区別して、「 本能的記憶 」とする。

「 本能的記憶 」を生むのが、「 小脳 」であり、小脳の平衡感覚やバランス感覚という神経刺激(電場)から、呼吸や心臓の鼓動のリズムと身体運動の可能性の方向に、「 時間意識 」と「 空間意識 」という「 意識 」の磁場を生むと思う。


頭脳で、「 同じ動きをする時空 」と違う「 運動 」を感じるのは、小脳の平衡感覚やバランス感覚を保持しながら、変化する「 運動 」に対応する事だろう。

変化する「 運動 」に対応する事は、物理的には「 ニューロンの発火 」、つまり電流が惹起する事であり、体内でホルモンが分泌されて、心理的には「 安心 」や「 不安 」を生む。

「 今 」と、「 本能的、生命的記憶 」は、「 小脳の平衡感覚やバランス感覚 」で結ばれた「 関係 」であり、「 今 」という「 意識と同じ方向に動いている 」から、意識の電磁波を反射する事が可能であるし、「 どのような意識を反射するか 」が、定在波の種類、つまり「 人格 」を決めると考える。

「 意識に対して、どのように反射するか 」は、小脳の平衡感覚やバランス感覚であり、この種類が「 人格 」であり、「 人格 」を決めるのは、静止した、あるいは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標であり、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」であり、応答可能性であると考える。

「 人格 」が、無意識に決まるというのは、小脳の無意識である「 心 」が具現化する事であるが、「 人格 」は、意思により変えられる事が出来るとも考えている。


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2010年05月28日

2010/5/28、オカルト・小脳の無意識・静止(主観的見解)

これは、フィクションです。

2010/5/14、私の記事


「 運動 」とは、何か。

全てを地球上で考えると、自転し、「 重力 」が存在する地球を前提にして、上下、左右、東西南北という「 方向 」を定義し、その中の「 運動 」である。

「 運動 」が、位置の変化であれば、動かない座標が必要だが、それは、全ての人間の頭脳の中の「 時間意識 」という時間軸と、「 空間意識 」という空間軸であると考える。

「 運動 」は、全ての人間で、「 違う運動 」であり、相対的運動と言う前に、個人だけの「 主観的運動 」しか存在しないと考える。

「 同時 」も個人の座標軸の中でしか考えられない。

「 静止 」も定義された「 静止 」であり、天体的の見れば、地球も宇宙も動いていて、「 静止 」は存在しない。

物体が静止してるのは、観察する自分と同じ方向に動いているから、「 静止 」しているのであり、「 運動 」を決めるのは「 方向 」という、「 小脳 」が決める「 運動可能な身体図形 」の空間意識であると考える。

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけである

「 小脳 」を持つ生物は、生命保存のため「 方向 」という運動可能な空間意識を持ち、「 運動 」を認識し、その内容は、「 小脳の無意識 」であり、「 心 」であり、全ての生物が「 心 」を持つが、その全てが相違する。

その「 方向 」により、小脳の中で酵素やホルモンを分泌させ、ストレスを作り、小脳が意識の座標軸を動かしたり、「 意欲 」や「 欲望 」を作るのは「 二本足の考え 」で述べた通りである。

「 運動 」は、自分だけが認識する、あるいは自分の小脳の無意識が決定する「 動き 」であると考える。

「 静止物 」も「 同じ方向に動く物 」であり、意識の組み立てに必要だから「 止まっている物 」と考えていると思う。


2010/5/28、私の考え

私は、「 二本足の考え 」を、楕円形の地球、あるいは、太陽の周りを公転する地球の楕円軌道を立体化した「 ラグビー・ボール 」と想定し、その焦点を「 意識 」と「 無意識 」として、しの焦点間の「 定在波 」が「 人格 」を生むと考えているが、「 焦点 」とな何かを考える。

地球や楕円軌道の焦点は「 静止 」しているが、特定は出来ないと考える。

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけであるので、実体化した「 意識 」の「 絶対静止点 」は、個人の「 時間意識と空間意識 」を生む「 大脳 」の「 自意識 」であり、現実生活では「 今 」、「 ここで 」という時空が「 意識の焦点 」であると考える。

「 無意識の焦点 」は「 無意識の静止点 」であり、自意識から発する「 時間意識と空間意識 」という意識の電磁波が「 小脳の無意識 」つまり、「 心 」と衝突や同調する「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標であると考える。


「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標は、無意識で物質的であるから、「 記憶 」という神経に残存し、意識な電磁波が衝突する時、「 不安 」や「 安定 」という「 心の状態 」を生み、これが「 静止 」しているとは、「 意識と同じ方向に動いている 」と考える。


「 意識と同じ方向に動いている 」から、意識の電磁波を反射する事が可能であるし、「 どのような意識を反射するか 」が、定在波の種類、つまり「 人格 」を決めると考える。

静止した、あるは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」であり、応答可能性であると考える。



「 科学 」は、宇宙に「 絶対静止点 」を求めるのではなく、「 個人の主観 」に「 絶対静止 」を求めるべきだと考える。

「 個人の主観 」に中心を求めるのは、「 宇宙 」が「 欲 」であり、小脳が時空意識を生み、個人の中に「 阿弥陀仏 」が存在する結果であると考える。

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2010年05月23日

2010/5/23、オカルト・哲学的ゾンビと独我論

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


これは、フィクションである。

2010/5/22、私の記事


物質としての人間は、(神経的には)静止しているが、精神の中のヒトは、全て流転する。


精神の中では、「 時の間 」が時間であり、「 物体と物体の間 」が空間であり、精神の中では、いずれも「 間(ma) 」として、「 虚 」が「 実 」として存在し、天体の運動が主観的に「 力 」として把握されると考える。



2010/5/23、私の考え


私の考えは、主観的であり、独我論の一種です。

「 意識 」する前の「 時間 」や「 空間 」や「 光 」それ自体を知らないという点では、「 独我論 」であり、「 心 」は「 小脳の無意識 」である点で、「 哲学的ゾンビ」を認めない。


「 小脳の無意識 」が、宇宙に広がり、宇宙の運動を主観的な力として感じる点で、私の「 人間観 」は、世界中のヒトが、全て「 阿弥陀仏 」であり、振り子で測定される前の「 時間 」や「 空間 」に戻り、社会で定義された「 時間 」や「 空間 」が与えるストレスから「 心 」を解放する事を目的とする。


「 時間 」や「 空間 」を「 意識 」とする事により、写真や絵や文字などの文明の利器により、情報や意味を「 時空の缶詰 」にする。

「 缶詰 」を開けたら美味しい食物が出てくるように、「 時空の缶詰 」を開けたら、保存した当時の「 時空 」が現れる。

それが「 思い出 」であり、「 記憶 」である。

「 時空 」は、「 小脳の無意識 」というリズムと身体可能性が大脳に貯蔵され、大脳の時空意識により、解凍され、食べる事が出来るか否かは、情報が「 今 」の「時空 」に利用する事が可能か否かである。

この場合、「 時空の缶詰 」が、絵から音楽、音楽から光景を連想させなければ、「 美味しい 」とはいえない。



人工知能が、全てのヒトの不安を持ち、宇宙の運動を力に変換し、無から細胞を作るとか、光合成する植物を作る能力が有れば、「 意識 」を持ったコンピューターと言えるかもしれないが、ヒトの場合は、宇宙の全てを「 入力 」と感じる「 感受性 」がある点で、人工知能は、ヒトを凌駕する事は出来ないと思う。

人工知能が、精子や卵子を加工するのではなく、無から細胞を創造する生命体でないと、「 心 」や意識を持つとは言えない。

「 心 」とは、生命のドームのような「 小脳の無意識 」だと考える。

「 時空 」を意識とは考えず、「 心 」を考えず、「 人間不在 」であるから、「 哲学的ゾンビ 」という考えを持つかも知れない。

人工知能と言う前に、「 時間 」や「 空間 」や「 心 」とは何かについて、考える必要があると思う。


参照

独我論(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E6%88%91%E8%AB%96

独我論は、私の認識とは無関係な事物の存在を否定する。リンゴが存在するのは、私が認識しているときだけであり、私が認識を止めると、リンゴもまた消滅する(見えなくなるのではなく、存在しなくなる)。全ては私の意識の中にのみ存在し、私の意識を離れては何物も存在しない。これが独我論の基本的な世界観である。
このような一見突拍子のない発想には、次のような根拠がある。普通、私が認識しようとしまいとリンゴは存在する、というが、私はそのことを論理的には証明できない。なぜなら、認識の前に存在するリンゴを認識することはできないからである。いかなるリンゴも、私の認識後にのみ存在するのであり、認識されていないリンゴについて何かを説明することはできない。



哲学的ゾンビ(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93

主な論点

チューリング・テストをパスした、人工知能 (AI) は意識を持つのか。また意識を持たない人工知能は実現可能なのか

(以上、引用を終わる)


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2010年05月22日

2010/5/22、オカルト・小脳の無意識・運動(主観的見解)10

これは、フィクションである。

2010/5/14、私の記事

物体が静止してるのは、観察する自分と同じ方向に動いているから、「 静止 」しているのであり、「 運動 」を決めるのは「 方向 」という、「 小脳 」が決める「 運動可能な身体図形 」の空間意識であると考える。

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけである

「 小脳 」を持つ生物は、生命保存のため「 方向 」という運動可能な空間意識を持ち、「 運動 」を認識し、その内容は、「 小脳の無意識 」であり、「 心 」であり、全ての生物が「 心 」を持つが、その全てが相違する。

その「 方向 」により、小脳の中で酵素やホルモンを分泌させ、ストレスを作り、小脳が意識の座標軸を動かしたり、「 意欲 」や「 欲望 」を作るのは「 二本足の考え 」で述べた通りである。

「 運動 」は、自分だけが認識する、あるいは自分の小脳の無意識が決定する「 動き 」であると考える。



2010/5/22、私の考え


前回で、運動は主観的であると書いた。

これは、私の主観的な考えである。

天体の運動から規定される時間や空間が無限であるかも知れないが、ヒトは「 意識 」として「 時間意識 」と「 空間意識 」を持つと考えると、この「 意識 」も主観的であり、「 今、ここ 」という時間軸と空間軸が「 絶対 」に静止していると仮定している。

「 静止 」とは、同じ方向に運動しているから、動きが判断する事が出来ないから、「 静止 」しているのであり、「 絶対 」は、主観の中に存在する。

「 無限 」あるいは、「 無明 」の方向に動いているから、静止している。

物質も同じだ。

物質としての人間は、(神経的には)静止しているが、精神の中のヒトは、全て流転する。


精神の中では、「 時の間 」が時間であり、「 物体と物体の間 」が空間であり、精神の中では、いずれも「 間(ma) 」として、「 虚 」が「 実 」として存在し、天体の運動が主観的に「 力 」として把握されると考える。



「 間(ma) 」という生命体の生存範囲の中の「 小脳の無意識 」から生じる「 絶対的 」な身(身体)口(言葉)意(意識)を「 閉じた楕円球 」として考え、その内部のエネルギーを「 人格の高さ 」と考え、「 人格 」は主観的で、主観的な運動により変化すると考える。


その主観的な「 人格の高さ 」が、精神の「 ピラミッドパワー 」に合致するのが「 人格の完成 」であると、現在は、考えている。


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2010年05月15日

2010/5/15、オカルト・小脳の無意識・運動(主観的見解)9

これは、フィクションである。

2010/5/14、私の記事

物体が静止してるのは、観察する自分と同じ方向に動いているから、「 静止 」しているのであり、「 運動 」を決めるのは「 方向 」という、「 小脳 」が決める「 運動可能な身体図形 」の空間意識であると考える。

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけである

「 小脳 」を持つ生物は、生命保存のため「 方向 」という運動可能な空間意識を持ち、「 運動 」を認識し、その内容は、「 小脳の無意識 」であり、「 心 」であり、全ての生物が「 心 」を持つが、その全てが相違する。

その「 方向 」により、小脳の中で酵素やホルモンを分泌させ、ストレスを作り、小脳が意識の座標軸を動かしたり、「 意欲 」や「 欲望 」を作るのは「 二本足の考え 」で述べた通りである。

「 運動 」は、自分だけが認識する、あるいは自分の小脳の無意識が決定する「 動き 」であると考える。


2010/5/15、私の考え


「 小脳 」が運動に関する臓器である事は、衆知の事実だが、私は、「 動き 」が観察者の主観によって相違すると考える。

「 絶対的運動 」も「 相対的運動 」も思考上の「 運動 」であり、実生活で「 運動 」を考えると、「 動かない座標 」、あるいは同じ方向に動く座標は個人の時間軸と空間軸であり、それに対する変化が、「 動き 」であるから、運動は「 個人的 」、「 主観的 」な運動だと思う。


現代の物理学で「 観測 」が問題になるのは、「 運動 」が主観的である事が原因だろうと思う。


実生活で、「 心 」は「 小脳の無意識 」であり、生命であり、私の考えでは「 欲 」であるが、この「 生活リズム 」と「 運動可能性 」を時間意識と空間意識として固定して「 動き 」を知る事により「 欲 」が「 意欲 」に変わる。


「 欲 」は個人の頭脳の中だけの「 情動 」ではなく、宇宙全体に広がったエーテルであり、宇宙の「 動き 」が、ヒトの一人ひとりの「 意欲 」になると考える。

「 意欲 」は感覚を指揮し、何を見て何を聞き、何を知るのかという「 方向 」を決定する。

眼球の動きや感覚器官を動かすのは「 意欲 」であり、「 意欲 」は「 動き 」によるストレスにより生じると考える。

「 第三の眼 」は、「 小脳の無意識 」であるというのが、現在の結論である。


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2010年05月14日

2010/5/14、オカルト・小脳の無意識・運動(主観的見解)8

これは、フィクションです。

「 運動 」とは、何か。

全てを地球上で考えると、自転し、「 重力 」が存在する地球を前提にして、上下、左右、東西南北という「 方向 」を定義し、その中の「 運動 」である。

「 運動 」が、位置の変化であれば、動かない座標が必要だが、それは、全ての人間の頭脳の中の「 時間意識 」という時間軸と、「 空間意識 」という空間軸であると考える。

「 運動 」は、全ての人間で、「 違う運動 」であり、相対的運動と言う前に、個人だけの「 主観的運動 」しか存在しないと考える。

「 同時 」も個人の座標軸の中でしか考えられない。

「 静止 」も定義された「 静止 」であり、天体的の見れば、地球も宇宙も動いていて、「 静止 」は存在しない。

物体が静止してるのは、観察する自分と同じ方向に動いているから、「 静止 」しているのであり、「 運動 」を決めるのは「 方向 」という、「 小脳 」が決める「 運動可能な身体図形 」の空間意識であると考える。

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけである

「 小脳 」を持つ生物は、生命保存のため「 方向 」という運動可能な空間意識を持ち、「 運動 」を認識し、その内容は、「 小脳の無意識 」であり、「 心 」であり、全ての生物が「 心 」を持つが、その全てが相違する。

その「 方向 」により、小脳の中で酵素やホルモンを分泌させ、ストレスを作り、小脳が意識の座標軸を動かしたり、「 意欲 」や「 欲望 」を作るのは「 二本足の考え 」で述べた通りである。

「 運動 」は、自分だけが認識する、あるいは自分の小脳の無意識が決定する「 動き 」であると考える。

「 静止物 」も「 同じ方向に動く物 」であり、意識の組み立てに必要だから「 止まっている物 」と考えていると思う。


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2010年05月13日

2010/5/13、オカルト・小脳の無意識(主観的見解)7

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

これは、フィクションである。


2010/5/12、私の記事

「 小脳 」が呼吸や心臓の鼓動や覚醒の関係するだけでなく、ホルモンや酵素の分泌にも関係すると考える。

酵素は、DNA の二重のらせん構造を解き、細胞を分裂させるから、「 小脳 」や「 脳幹 」は、生物に必要であり、「脳内の神経細胞にある微小管で、波動関数が収縮すると、意識が生起する」というペンローズの考えに賛成し、これが「 小脳の無意識 」が「 意識 」を生む生理的原因だと思う。



私は、この「 意識 」は、染色体に関係するから、DNA に関係して、「 時間意識 」や「 空間意識 」だけでなく、「 自我意識 」や「 人格 」を形成する「 意識 」も同時に、発生すると思う。


2010/5/13、私の考え


昨日の記事を訂正する。


私は、ペンローズに賛成すると書いたが、彼は「 ビッグ・バン 」理論を支持するが、私は「 プラズマ宇宙論 」を支持するので、私の考えは違う。

彼が言う「 脳内 」は「 大脳内 」だと思うが、私は、意識は大脳で生じるかも知れないが、「 心 」は「 小脳の無意識 」であり、これが「 生命 」であり、「 動き 」を感じる箇所だから、私のブログでは、「 小脳 」を重視する。


彼が、「脳内の神経細胞にある微小管で、波動関数が収縮すると、意識が生起する」と「 微小管 」に注目したのには敬意を表する。

しかし、私は、食事によるエネルギーや外部の太陽光などのエネルギーが、小脳の無意識と結合する事により「 プラズマ宇宙論のビルケランド電流 」のように、「 微小管 」というフィラメントに「 電流 」が生起すると考える。


「 脳内の神経細胞にある微小管 」の「 微小管 」をフィラメントと考えて、意識ではなく「 電流 」が生起すると考える。



その電流が、小脳や脳幹で、細胞を分裂する「 酵素 」を分泌させ、DNA の「 らせん構造 」を解く時、左右の大脳の中で「 電流 」とは違う「 磁場 」とも言うべき「 意識 」が生じると考える。

小脳の無意識は、「 欲 」で、「 電流 」は行動を惹起する「 意欲 」であり、リズムと行動可能性という意識を伴った「 欲 」である。

「 意欲 」は、行動の範囲として具現化する。

行為や意欲が「 収縮 」であり、それを見た他者は、「 意識した 」と見えるのかも知れない。

量子力学は、「 意識 」を記述していると思うが、「 小脳の無意識 」や「 心 」の「 欲 」は、まだ解決していないと思う。


「 力学は小脳が感じる運動の学問 」であり、運動を感じる「 小脳 」を解明していないと思う。

科学者が、図形をイメージするが、それは「 運動の可能性 」という小脳の空間意識を具現化したもので、イメージの発想が「 小脳の無意識 」から、意識になった事であり、それを考えなくてはならないと思う。

しかし、昨日の記事の下記の部分は維持する。

「 私は、この「 意識 」は、染色体に関係するから、DNA に関係して、「 時間意識 」や「 空間意識 」だけでなく、「 自我意識 」や「 人格 」を形成する「 意識 」も同時に、発生すると思う。 」


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2010年05月12日

2010/5/12、オカルト・時空と認識と心(主観的見解)6

これは、フィクションである。

2010/5/11、私の記事

私のブログでは、@感性を重視し、A「 時空 」を意識と考え、B「 心 」とは、「 小脳の無意識 」が時空意識により出現したと考える。

小脳の無意識とは、呼吸、心拍、心臓の動きという「 時間意識 」を生むリズムと、三次元空間での行動の範囲の可能性という「 空間意識 」を生む「 イメージ」が未分化の状態だと考える。

「 認識 」とは、他者の「 小脳の無意識 」を知る事であり、リズムという「 時間意識 」と、行動可能性という「 空間意識 」を他者の時空に調節する必要がある。

それを、「 呼吸を合わせる 」とか、「 相手の気持ちを考える 」事だと思う。

呼吸が合わなかったり、気(ki)が合わない相手の意見を理解する事は出来ない。

2010/5/12、私の考え

「 心 」は、「 小脳の無意識 」であり、極めて生命に近い脳の状況だろう。

それは、時空が未分化であるから、(精神的)時間と(精神的)空間を超越する阿弥陀仏や神が、(生命的な)「 小脳 」に入り、「 時間意識 」と「 空間意識 」を生み、その電磁波的な構造で、現実生活に現れる。

ヒトは、みんな胎児の中に、生命として阿弥陀仏が入り、「 時間意識 」と「 空間意識 」が与えられ、誕生というビッグ・バンと共に、実社会の「 時間 」と「 空間 」を自覚すると思う。

このように考えると、阿弥陀仏が時空を生み、小脳が時空を生み、「 時間意識 」と「 空間意識 」が「 左右の大脳 」で目覚め、その電磁波の力で、視覚や聴覚として、「 小脳の無意識 」である「 心 」が、具現化するという物語になる。


「 小脳 」が呼吸や心臓の鼓動や覚醒の関係するだけでなく、ホルモンや酵素の分泌にも関係すると考える。

酵素は、DNA の二重のらせん構造を解き、細胞を分裂させるから、「 小脳 」や「 脳幹 」は、生物に必要であり、「脳内の神経細胞にある微小管で、波動関数が収縮すると、意識が生起する」というペンローズの考えに賛成し、これが「 小脳の無意識 」が「 意識 」を生む生理的原因だと思う。



私は、この「 意識 」は、染色体に関係するから、DNA に関係して、「 時間意識 」や「 空間意識 」だけでなく、「 自我意識 」や「 人格 」を形成する「 意識 」も同時に、発生すると思う。

「 人格 」は、個人的でDNA による遺伝の影響もあるだろう。

その「 人格 」という意識の生理的原因が、脳細胞の微小管が意識を生む事だと思う。


意識(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98

「ペンローズの量子脳理論」「ペンローズの量子脳仮説」などと呼ばれる意識に関する独自の仮説を提唱しており、「脳内の神経細胞にある微小管で、波動関数が収縮すると、意識が生起する」としている。微小管とは細胞骨格の一種で、細胞の構造を維持する役割を担っているタンパク質の複合体である。

微小管(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AE%E5%B0%8F%E7%AE%A1

微小管(びしょうかん、英: microtubule、マイクロチューブル)は、細胞中に見いだされる直径約 25 nm の管状の構造であり、主にチューブリンと呼ばれるタンパク質からなる。細胞骨格の一種。細胞分裂の際に形成される分裂装置(星状体・紡錘体・染色体をまとめてこう呼ぶ。


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2010年05月11日

2010/5/11、オカルト・時空と認識と心(主観的見解)5

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職したが、人格者ではない。
医学の話をするが、医師ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/5/9、私の記事


「 心 」も「 小脳の無意識 」で、大脳の「 意識 」は、「 時間意識 」と「 空間意識 」の電磁波的構造で、絶えず「 小脳の無意識 」を具現化していると考える。

言い換えれば、「 心 」は、電磁波の構造した時空の中に具現化された「 小脳の無意識 」であり、「 心 」を理解するためには、時空、すなわち、鼓動や呼吸の「 生活リズム 」や「 運動可能性 」という空間を、相手と共有する事が必要であると考える。

芸術家は、当時の時空の保存方法で、時空(感覚や意識)が未分化の作品を作るから、その鑑賞者は、現在の時空(感覚や意識)を当時の時空(感覚や意識)に調節する事が必要である。

「 心 」は、「 小脳の無意識 」は、過去の時空が未分化のまま、現在の時空に具現化している。

調節する事が出来ない場合は、芸術家を理解できない。


2010/5/11、私の考え


私のブログでは、@感性を重視し、A「 時空 」を意識と考え、B「 心 」とは、「 小脳の無意識 」が時空意識により出現したと考える。

小脳の無意識とは、呼吸、心拍、心臓の動きという「 時間意識 」を生むリズムと、三次元空間での行動の範囲の可能性という「 空間意識 」を生む「 イメージ」が未分化の状態だと考える。

「 認識 」とは、他者の「 小脳の無意識 」を知る事であり、リズムという「 時間意識 」と、行動可能性という「 空間意識 」を他者の時空に調節する必要がある。

それを、「 呼吸を合わせる 」とか、「 相手の気持ちを考える 」事だと思う。

呼吸が合わなかったり、気(ki)が合わない相手の意見を理解する事は出来ない。



その理由は、心理学や生理学で解明されるかも知れない。

「 小脳 」は生命維持器官であり、前述した「 時間意識 」と「空間意識 」により「 小脳の無意識 」が具現化された物を「 心 」であると考える。



「 具現化 」とは、「 生命の出現 」であり、無意識が意識に具現化したのが「 心配り 」や「 配慮 」であり、それは日本に存在する「 日本庭園 」の配置に発見されるだろう。

その配置により「 日本の心 」を認識するのだろうが、私は、理解していない状態である。



「 具現化 」とは、無意識による意識的行為でもある。

かって「 盲目のピアニスト 」として紹介した、辻井伸行氏のピアノを弾く指は、無意識と意識が合致した演奏だと思う。

彼は、耳で聴いた楽曲を、瞬時にピアノで弾く。

これは、過去の音楽家が持っていた「 リズム感 」を彼が持っている事であり、日本のあるオーケストラの指揮者は、彼の演奏を聴いて、風景が見えるようだったと言った。

彼の演奏は、音楽(時間)が、風景(空間)と渾然一体となっているのだろう。

日本のあるオーケストラの指揮者は、音楽を通して、辻井伸行氏の「 心 」を見ていたのだと思う。

このように、「 小脳の無意識 」が自分の「 心 」で、それを、時空意識と行動に具現化したのが、他者から見た「 心 」であると考える。



もし、その「 心 」がエネルギーであれば、エネルギーの強弱や濃淡は、他者から見た「 心 」の範囲として具現化するだろう。

古代の人が、山などの自然物にエネルギーを感じて、神の領域としたのも、「 ピラミッドパワー 」に似て、神の心が出現する場所だと考えたら、私は、肯定する。

「 二本足の考え 」のラグビ・ボールのように、世界や次元が閉じる事により、「 時空意識 」が生じて「 人格 」となると考えるが、これは私の宿題である。



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2010年05月09日

2010/5/9、オカルト、時空と認識と心(主観的見解)4

これは、フィクションである。

2010/4/29、私の考え

「 小脳は時空を生む 」について考える。

今までの科学者や哲学者は、「 大脳 」の意識を研究したが、実際生活には、役立たずの言葉の遊びだったのだろうと思う。

真の認識のためには、今までの考えを、一新する必要がある。

それは過去の哲学者も科学者も、「 感情 」や「 無意識 」については、謎として解決していないと思う。

「 感情 」も含めた「 認識 」を考えるとは、「 大脳 」だけでなく「 小脳 」を考える事だと考える。

2010/5/6、私の記事

小脳の無意識を「 自我 」から解放する事が、「 無我 」であると思う。

小脳の無意識を使い、身体という「 枠 」を破り、宇宙の動きを感造る事が出来れば、素晴らしいと思う。


2010/5/8、私の記事

小脳の無意識は、呼吸や覚醒や鼓動という生命の無意識であり、大脳の意識と区別し、二つを焦点とした「 二本足の考え 」を以前、発表した。

小脳という臓器は身体の範囲に限られているが、そこから発する無意識は、宇宙の運動を認識し、同じ「 動き 」の身体の運動と直結する。

「 小脳の無意識 」の範囲は「 心 」の範囲である。

「 心 」を動かす、眼を動かしたり、意識の動向を指図するのは、「 小脳 」であり、全ての物体を安定させる「 重力 」を感じるのも、「 小脳 」だと思う。

「 二本足に考え 」の「 無意識 」は、「 小脳の無意識 」である。

「 心 」も「 小脳の無意識 」で、大脳の「 意識 」は、「 時間意識 」と「 空間意識 」の電磁波的構造で、絶えず「 小脳の無意識 」を具現化していると考える。

大脳は、絶えず「 小脳の無意識 」を具現化し、それが「 意思は具現化する」という意味である。


頭脳も、生命維持のために働いている事を考えると当然の事だと損う。


宇宙の全てが、運動を促す「 欲 」であり、「 意欲 」は、呼吸や鼓動の「 生活リズム 」という時間意識と「 身体の運動可能性 」という空間意識に合致した「 欲 」であり、運動の原因である。



2010/5/9、私の考え

「 心 」も「 小脳の無意識 」で、大脳の「 意識 」は、「 時間意識 」と「 空間意識 」の電磁波的構造で、絶えず「 小脳の無意識 」を具現化していると考える。

言い換えれば、「 心 」は、電磁波の構造した時空の中に具現化された「 小脳の無意識 」であり、「 心 」を理解するためには、時空、すなわち、鼓動や呼吸の「 生活リズム 」や「 運動可能性 」という空間を、相手と共有する事が必要であると考える。


芸術族は、当時の時空の保存方法で、時空(感覚や意識)が未分化の作品を作るから、その鑑賞者は、現在の時空(感覚や意識)を当時の時空(感覚や意識)に調節する事が必要である。

「 心 」は、「 小脳の無意識 」は、過去の時空が未分化のまま、現在の時空に具現化している。

調節する事が出来ない場合は、芸術家を理解できない。

私の場合、時空を「 時間意識 」と「 空間意識 」であると考えるから、意識を置き換えるだけで、時空(感覚や意識)を調節できる。



これは、認識一般に該当すると考える。

「 意識 」する前に、「 小脳の無意識 」がシュミレーションをして、「 心 」を広げて、運動の可能性を把握している。

行為は、「 無意識 」で、既に決定されていると考える。

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2010年05月08日

2010/5/8、オカルト・どこでも時空(主観的見解)3

これは、フィクションである。



2010/5/6、私の記事

小脳の無意識を「 自我 」から解放する事が、「 無我 」であると思う。

小脳の無意識を使い、身体という「 枠 」を破り、宇宙の動きを感じる事が出来れば、素晴らしいと思う。

私は、小脳の無意識から「 時間意識 」と「 空間意識 」が生まれ、デフォルメしたのが、「 生活リズム 」と「 運動可能性 」で、それが「 身体 」という「 枠 」を作り、習慣化した行為の間隔で定在波となった意識が「 六道 」の「 人格 」を作り、それが無意識の行為として社会に具現化すると考える。



2010/5/8、私の考え

小脳の無意識は、呼吸や覚醒や鼓動という生命の無意識で、大脳の意識と区別し、二つを焦点とした「 二本足の考え 」を以前、発表した。

小脳という臓器は身体の範囲に限られているが、そこから発する無意識は、宇宙の運動を認識し、同じ「 動き 」の身体の行動と直結する。

「 小脳の無意識 」の範囲は「 心 」の範囲である。

「 心 」を動かす、眼を動かしたり、意識の方向を指図するのは、「 小脳 」であり、全ての物体を安定させる「 重力 」を感じるのも、「 小脳 」だと思う。

「 二本足に考え 」の「 無意識 」は、「 小脳の無意識 」である。

「 心 」も「 小脳の無意識 」で、大脳の「 意識 」は、「 時間意識 」と「 空間意識 」の電磁波的構造で、絶えず「 小脳の無意識 」を具現化していると考える。

大脳は、絶えず「 小脳の無意識 」を具現化し、それが「 意思は具現化する」という意味である。


頭脳も、生命維持のために働いている事を考えると当然の事だと思う。


宇宙の全てが、行動を促す「 欲 」であり、「 意欲 」は、個人の「 生活リズム 」という時間意識と「 身体の行動可能性 」という空間意識に合致した「 欲 」であり、行動の原因である。

それが、身体の外部で、「 時間 」や「 空間 」という「 形あるもの」にデフォルメされて、人間の意識と切り離されているが、本来の「 生活リズム 」と「 身体の行動可能性 」に戻して考える。

「 生活リズム 」とは、呼吸や鼓動であり、「 身体の行動可能性 」とは、シュミレーションであり、想像する未来の自分の行動である。

「 人の意見を聞く 」とか「 相手の立場に立って考える 」などは、「 小脳の無意識 」を相手まで広げる事であり、「 無意識で相手を理解する事 」であり、意識の焦点に乗って「 無意識 」の「 足 」を広げる事である。

「 行動する 」とは、無意識の焦点に立って、「 意識 」した行動可能性を決定する事であり、根底は「 無意識が行動を決定する 」事になる。

これが、「 二本足で歩く 」という事である。


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2010年05月06日

2010/5/6、オカルト、どこでも時空(主観的見解)2

これは、フィクションである。

すべては、流転する。

地球が同じ軌道で太陽を公転するかもしれないが、空間と時間は、すべて相違する。

宇宙は膨張していると考えれば、同じ位置など存在しない。

同じ位置は無いし、持続もしない。

一瞬、一瞬がすべて、新しい時間と空間である。

この「 動き 」を、「 小脳 」が察知すると考えると、「 小脳 」は安定した生活を暮らすためには、最も重視すべき部分だと思う。

「 小脳 」は、「 運動 」を察知する、あるいは「 感受性 」の範囲は、宇宙の全てに達するから、ヒトは星座の動きから占星術を考え、運動の相対性から理論を作ると思う。

「 流れ星 」から「 運命 」を感じたり、政治の吉凶を占う事も、古代なヒトは、盲目的だが感受性が豊かだったと思う。

その、天体の運動から、ヒトにとっての「 時間 」や「 空間 」という概念を作ったのが科学だと思う。

「 時間 」や「 空間 」という概念の中に、ヒトの小脳による無意識の生活リズムが含まれていると考える。

小脳による無意識は、「 エーテル 」のように宇宙に広がっていて、運動や力を感じる「 感受性 」が「 感性 」であり、「 悟性 」や「 理性 」の範囲より、遥かに広大で、小脳による「 感性 」こそ、時空意識を生むと考える。

想像力も構想力も、「 感性 」が存在するから、発展すると思う。

「 感性 」は、「 悟性 」や「 理性 」に統御されるのではなく、その反対だと、私は思う。

小脳の無意識を「 自我 」から解放する事が、「 無我 」であると思う。

小脳の無意識を使い、身体という「 枠 」を破り、宇宙の動きを感じる事が出来れば、素晴らしいと思う。

私は、小脳の無意識から「 時間意識 」と「 空間意識 」が生まれ、デフォルメしたのが、「 生活リズム 」と「 運動可能性 」で、それが「 身体 」という「 枠 」を作り、習慣化した行為の間隔で定在波となった意識が「 六道 」の「 人格 」を作り、それが無意識の行為として社会に具現化すると考える。

小脳から生まれた時空の意識を、「 思い出 」や「 記憶 」という「 運動可能な時空 」に、折り畳み続けるのが人生かもしれないと思っている。

写真を見て過去の出来事を思い出すのは、意識の世界では、「 タイムマシーン 」に乗って、過去の時空を見ることかもしれない。




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2010年05月04日

2010/5/4、オカルト、どこでも時空(主観的認識論)

これは、フィクションである。


2010/4/30、私の記事

「 動物 」は「 動く 」。

胎内で、生命が宿った瞬間に、動いている。


2010/5/4、私の考え

人間が動物で「 動く 」ならば、「 止まる 」も「 動く 」の範疇である。

全ては、動き、流転し、常なる事や静止は無い。

人間は、流転しながら、無常の中で、考えて行動しなければならない。

「 二本足の考え 」と「 小脳 」が、意識と無意識を、無常の中で、意味有るものにすると考える。


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2010年05月01日

2010/5/1、オカルト・どこでも時空・小脳Uー3

これは、フィクションである。


2010/4/11、私の記事


科学者は、大脳の事を話題にするが、私は「 小脳 」に注目すべきだと考える。

言葉は、運動を調整する小脳の文字情報であり、「 小脳の活動記録 」である。

言葉は大脳で生まれると考えるが、無意識の「 小脳の活動記録 」が「 意味 」となって、相手の「 意思 」を理解する。

小脳や脳幹による無意識が存在するから、会話が成立するのは、「 言葉 」や「 文字 」という意識が、小脳や脳幹による無意識に基礎を持つ事である。

思い出す事が「 出来事 」であり、「 シュミレーション 」するのは、「 出来事 」を想像する事だが、「 出来事 」を「 時空(状況)の行為 」と考えれば、言葉を使うのは行為や運動を考えている事である。

行為や運動を調節する小脳を使う事が基礎であり、無意識を使う事が、意識の基礎である。

全てが言葉で決定されるのではなく、「 全てが無意識 」で決定される。

「 時間意識 」も「 空間意識 」も、「 リズム 」と「 欲の範囲 」を基礎とすると考えるが、これらは脳幹や小脳の周波数や振幅と神経の範囲と考える。

行為や運動を調節する小脳や脳幹を使う事が基礎である事は、動物には、非常に重要な事である。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、無意識の領域だが、これらの運動の要素が存在しているから、天体の運動まで意識が広がり、「 時間 」や「 空間 」という概念を作る事を可能にする。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、宇宙の運動に連動するかも知れない。

小脳や脳幹が、無意識の領域であり、運動に関連し、天体の運動に関連しているかも知れない。


2010/4/29、私の記事

「 小脳は時空を生む 」について考える。

今までの科学者や哲学者は、「 大脳 」の意識を研究したが、実際の生活には、役立たずの言葉の遊びだったのだろうと思う。

真の認識のためには、今までの考えを、一新する必要がある。

それは過去の哲学者も科学者も、「 感情 」や「 無意識 」については、謎として解決していないと思う。

「 感情 」も含めた「 認識 」を考えるとは、「 大脳 」だけでなく「 小脳 」を考える事だと思う。

「 大脳 」が全てではなく、IQが全てでなく、「 人格 」を含める必要がある。

それは、「 記憶 」や「 想起 」のイメージする「 像 」は、時空であると考える事である。

時空は意識であり、小脳の「 運動 」の認識から生じると考えている。

ここを中心として、全ての哲学を「 感情 」を基礎にして、根底から逆転して考える必要があると思う。


2010/4/30、私の考え

「 動物 」は「 動く 」。

胎内で、生命が宿った瞬間に、動いている。

観察者からは、時間と空間に対する位置の変化かも知れないが、胎児にとっての時空を考える。

時空から運動を規定するのは、理由づけに過ぎず、胎児には時空が生じているのであり、「 動く 」のが「 小脳 」の働きならば、「 小脳 」が「 動き 」と共に時空を生んでいると考える。

私は、「 運動 」が、時空を作ると考えている。

「 動き 」は、生命の動きだけでなく、天体の動きと共通するから、「 天体の動きに連動して、生命が宿り、運動する 」と考える。

天体の動きは「 小脳 」に伝わり、時間意識と空間意識を生むだろう。

胎児が母親の胎内で「 動く 」というのは、時空の中に胎児が存在すると考えるのではなく、生命と共に時空の意識が発生し、「 誕生 」以前に、時空意識を持っていると考える。

誕生に意味は無く、誕生しても「 無明 」から逃れる事は出来ず、「 無明 」の中で、「 天体の動きに連動して、生命が宿り、運動する 」から、天体の運動と共に生きると考える。

誕生まで、十ヶ月と十日を要することや、女性の生理が「 月経 」と呼ばれたり、心臓の鼓動が約一分の周期である事は、「 小脳 」を通して天体の運動と関連していると思う。


2010/5/1、私の考え

私は、「 内なる宇宙 」で、「 二本足の考え 」を書いたが、「 認識 」にも、この考えを採用する。

外部の宇宙を見る場合も、「 意識 」と「 無意識 」の焦点があると考える。

「 意識 」は「 精神 」だが、「 無意識 」は「 欲 」と考え、無意識を組織化、あるいは具現化するのが「 意欲 」と考える。

「 意欲 」とは、「 小脳 」の「 身体図形や行為の可能性 」により、無意識が意識化したと考える。

外部の宇宙は、無限の無意識で、「 無明 」と同じで、無限の「 欲 」であると考える。


記憶や想像を使い、身体の行動の可能性という形態にして、無限の欲に適用するのが「 意欲 」であり、形態をデフォルメした関係にして、学問が生まれると思う。

無限の「 欲 」が、人類の可能性を拡げ、精神と刺激して学問を進展させると考える。

無限の「 欲 」とは、「 小脳 」が支配する感情である。

天体の運動も全ての運動が、「 小脳 」で「 生命に対する力線やベクトル」となり、「 ストレス 」になり、ホルモンを分泌させ、行動させる。

その行動を合理的にするのが「 左右の大脳 」による「 意識 」や精神であり、大脳は「 ストレス 」を増大するだろう。

こうして、身体の内部の「 無明 」と、外部の「 無知 」とが、「 欲 」というエネルギーにより連結されると考える。

行動は、自己の内部の投影であるのは、身体の内部と外部の「 欲 」というエネルギーの形態、あるいは内部と外部の「 位置 」が変わった「 運動 」であり、「 エネルギー保全の法則 」が成立するかも知れない。


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