2010年06月29日

2010/6/29、オカルト・デフォルメと美人画


美人画1












(クリックすれば、少し大きくなります)


私を長年、苦しめ続けた「 ある美人画 」をデジタルカメラで撮影し、デフォルメの見本として掲載します。

私の現在の職業は、兼業を禁止していますので、失職した後、大きな写真として販売する計画です。

ホームページも作っていますが、公開してません。

「 箱根旅行と富士山 」の写真を主として、販売する予定です。

そのときは、改めて、ご紹介します。


2010年06月27日

2010/6/27、オカルト・私の見解6・一般論

これは、フィクションである。

2010/6/26、私の記事

以上により、個々の人間が認識する世界が、「 精神 」であり「 系 」であり、「 特殊相対論 」の世界や系であり、「 絶対静止の空間 」、つまり固定した座標系であると考える。


そして、人間の頭の数だけ、「 特殊相対性理論 」の世界や系が存在し、それら相互の関係は、「 一般相対性理論 」の世界であると考える。



2010/6/27、私の考え


以上の記事が意味する物は何か。


現実生活が、ニュートン力学から特殊相対性理論に変わっても変化しないように、個人の頭の中の「 世界 」に変化は無い。

ニュートン力学から特殊相対性理論に変わっても、個人個人の頭の中が、ニュートンの世界の「 絶対静止の空間 」、つまり固定した座標系で計測するから、「 運動 」を初め、すべてが「 主観的 」であると考える。


これは、「 系 」のすべてに及び、「 系 」のすべてが「 主観的ラグビー・ボール 」であり、「 系 」のすべてに、「 二本足の考え 」が適用されて、人間は行動していると考える。

現実の学問のすべてが「 主観的 」であり、学者のすべてが、私と同じように、「 二本足の考え 」で行動している事が、「 一般相対性理論 」でヒトとヒトが結ばれている事であり、「 時間 」と「 空間 」が「 時空 」となるのは、「 時空を生む小脳の無意識 」の行動可能性でヒトとヒトが結ばれている事であると考える。

ヒトの「 時空を生む小脳の無意識 」の行動可能性で、社会が連結しているから、コンピュターの人工頭脳は「 玩具 」であり、ヒトの「 時空を生む小脳の無意識 」の行動可能性のすべてを含む意識をもつ人工頭脳など不可能であると思う。

個人の「 特殊相対性理論 」の頭脳が「 一般相対性理論 」で結ばれているとは、ヒトとヒトが「 時空を生む小脳の無意識 」の行動可能性やリズムで結ばれている事だと考えた。

そして、認識する宇宙の果てまで「 欲 」が広がり、宇宙の運動が、「 小脳の無意識 」である行動可能性とリズムに「 力 」として現れると考え、その一方、個人の内部では、「 二本足の考え 」が適用されると、無知も無明に対して、「 小脳の無意識 」、つまり「 心 」の広がる範囲が、実体がある物となると考える。

現実の学問のすべてが「 主観的 」であり、学者のすべてが、私と同じように、「 二本足の考え 」で行動するとは、学問の数だけ、精神の行動パターンがあるが、「 行動する 」とは「 二本足で歩く事 」である。

「 二本足で歩く事 」


は、以下の記事を読んでください。


2010/5/8、私の記事

小脳の無意識は、呼吸や覚醒や鼓動という生命の無意識で、大脳の意識と区別し、二つを焦点とした「 二本足の考え 」を以前、発表した。

小脳という臓器は身体の範囲に限られているが、そこから発する無意識は、宇宙の運動を認識し、同じ「 動き 」の身体の行動と直結する。

「 小脳の無意識 」の範囲は「 心 」の範囲である。

「 心 」を動かす、眼を動かしたり、意識の方向を指図するのは、「 小脳 」であり、全ての物体を安定させる「 重力 」を感じるのも、「 小脳 」だと思う。

「 二本足に考え 」の「 無意識 」は、「 小脳の無意識 」である。

「 心 」も「 小脳の無意識 」で、大脳の「 意識 」は、「 時間意識 」と「 空間意識 」の電磁波的構造で、絶えず「 小脳の無意識 」を具現化していると考える。

大脳は、絶えず「 小脳の無意識 」を具現化し、それが「 意思は具現化する」という意味である。


頭脳も、生命維持のために働いている事を考えると当然の事だと思う。


宇宙の全てが、行動を促す「 欲 」であり、「 意欲 」は、個人の「 生活リズム 」という時間意識と「 身体の行動可能性 」という空間意識に合致した「 欲 」であり、行動の原因である。

それが、身体の外部で、「 時間 」や「 空間 」という「 形あるもの」にデフォルメされて、人間の意識と切り離されているが、本来の「 生活リズム 」と「 身体の行動可能性 」に戻して考える。

「 生活リズム 」とは、呼吸や鼓動であり、「 身体の行動可能性 」とは、シュミレーションであり、想像する未来の自分の行動である。

「 人の意見を聞く 」とか「 相手の立場に立って考える 」などは、「 小脳の無意識 」を相手まで広げる事であり、「 無意識で相手を理解する事 」であり、意識の焦点に乗って「 無意識 」の「 足 」を広げる事である。

「 行動する 」とは、無意識の焦点に立って、「 意識 」した行動可能性を決定する事であり、根底は「 無意識が行動を決定する 」事になる。

これが、「 二本足で歩く 」という事である。



Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 04:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 26 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月26日

2010/6/26、オカルト・私の見解5

これは、フィクションである。

2010/6/13、私の記事

ヒトの人生を、「 意識という電磁波 」に乗った座標軸と考えると、一人ひとりが、ひとつの「 系 」であり、「 意識という電磁波に乗っている 」ので、「 意識は一定の速度 」であるため、お互いが同じ速度で、動き、「 意識という電磁波に乗っている状態 」、つまり意識や精神では、お互いより先に進むことが出来ない。


「 共変 」とは、「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えないのであり、それは、一人ひとりの「 系 」の中の出来事であると考える。


それは、「 価値観 」や「 人格 」などの「 力 」であり、「 系の中の加速度 」である。

ヒトは、一人ひとりが、加速度運動をしながら、「 絶対 」という精神の座標を持ち、「 意識という電磁波に乗った系 」を進むのが、「 人生 」であると考える。

「 系 」とは、何か。

「 系 」とは、一人ひとりの頭脳の中の「 慣性系 」であり、その実体は、「 ラグビー・ボール 」、つまり、自然に共変する「 意識 」と「 性 」の無意識が作る「 実体的で性的な時空 」であり、「 小脳 」によって作り出される。


「 絶対静止 」を考えるから「 相対的運動 」が理解されるのであり、「 絶対静止 」は、「 系 」の中の「 座標 」であり、意識である。

「 ラグビー・ボール 」という「 系 」の「 系の中の加速度 」が、価値観や「 判断する力 」、あるいは「 選択する力 」であり、「 力学 」の「 力 」であり、「 小脳の運動可能性 」である。

「 力学 」は、「 小脳の運動可能性 」であり、「 力 」は、一人ひとりの頭脳の「 系 」では、見えない意思の具現化の可能性だと思う。



「 実体的で性的な時空 」は、人類の一人ひとりが、「 今 」と物質的に関係し、「 今 」と同じ方向に運動し、「 今 」という現在から発した問いに応答する物質的な物、であり、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」の上に成り立っている「 小脳が生んだ時空 」であると考える。


「 小脳が生んだ時空 」は、「 運動 」をストレスと捉え、行動パターンを決定するが、その「 行動パターン 」が、他者から見た「 人格 」である。


2010/6/17、私の記事

「 系 」は、「 小脳が生んだ時空 」であるとは、想像や想起などの思考が言葉を使って考えるが、その全てが、小脳の無意識のリズムと運動可能性の組み合わせであり、人間の無意識の中心である「 性 」から逃れられないことだと考える。

一人の「 系 」は、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」により局所化され、「 系 」は、一人の頭脳の中の「 世界 」であり、人類の頭の数だけ「 系 」、即ち「 世界 」が存在し、「 系 」を、身体や社会や国家の、実体的な「 文化 」という「 面 」であると考える。

「 系の中の運動 」は加速度の「 力学 」であり、関数で表現される「 小脳の運動可能性 」だと考え、「 運動は主観的 」であり、「 速度 」を考える事は「 欲 」を考えていることだと思う。

全ての「 運動 」や「 力 」を主観的と考え、「 ラグビー・ボール 」という「 系 」の「 系の中の加速度 」が、価値観や「 判断する力 」、あるいは「 選択する力 」であり、「 力学 」の「 力 」であり、「 小脳の運動可能性 」であり、「 性的 」であると考える。


このように、「 系は世界である 」と考える。

「 系 」は「世界 」であり、、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」は、固執や執念や「こだわり 」であり、何を固執するかによって、「 系 」即ち「 世界 」が決まり、他者は、「 方向 」と判断するだろう。



2010/6/26、私の考え

以上により、個々の人間が認識する世界が、「 精神 」であり「 系 」であり、「 特殊相対論 」の世界や系であり、「 絶対静止の空間 」、つまり固定した座標系であると考える。


そして、人間の頭の数だけ、「 特殊相対性理論 」の世界や系が存在し、それら相互の関係は、「 一般相対性理論 」の世界であると考える。

私自身の考えや感覚が理解されないのは、一つの「 系 」から、一つの「 系 」に飛び込む事が出来ないように、私という「 系 」の中に侵入する事が出来ない事である。

全ては主観的であるが、物理学の力学のように、誰にとっても同じ結果になるから「 客観的 」で、つまり「 共変 」するから「 客観的 」であり、「 共変 」する「 存在 」は意識を持たないから「 客観的 」だと思う。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 26 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月23日

2010/6/23、オカルト・私の見解4

これは、フィクションである。

2010/6/21、私の記事

存在とは何か。

「 存在 」とは、認識するヒトの物理学的「 系 」や、思想の「 価値観 」や「 世界観 」の中で自然と「 共変 」する物である。

万物が流転し、自然物も流転する。

自然物の流転と区別する事が出来ない精神の流転が共変する「 存在 」という意識で、「 系 」という意識と無意識を焦点とする「 ラグビー・ボール 」を形成する「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」という固執や執念や「こだわり 」という意識が流転する事を求める。

「 存在 」は、感覚の統合として「 存在感 」として「 小脳の無意識 」が把握し、意識に「 存在意識 」を求め、意識の新陳代謝を促すと考える。

これが、小脳の運動可能性から生じる「 空間意識 」の軸となると思う。


2010/6/22、私の記事

「 時間 」とは、「 時間意識 」であり、認識するヒトは、天体の運動を「 意識 」として頭脳の中に入れるのであり、時間が認識不可能である点で、「 共変 」する物かもしれない。

自然と「 共変 」するとは、天体の運動から計算した「 時間 」と人体の脈拍数のリズムが大きく違わず、心臓が不随意筋で動き、心臓や呼吸する「 肺 」を意識で統御する事が出来ない事である。

呼吸のリズムや心臓の動きのリズムが「 主観的時間 」であり、生命が「 時間意識 」という形態で天体の運動と連結していると考える。

こうして、「 存在と時間 」は、「 存在 」が小脳の運動可能性であり、「 時間 」が小脳や脳幹の呼吸や心拍のリズムであり、前者が「 空間意識 」で後者が「 時間意識 」を生むと考える。

「 存在と時間 」は、小脳の無意識の中で統合されているが、大脳の「 意識 」により、別物として認識される。


2010/6/23、私の考え


「 共変 」する事を主に考えるのが唯物論だと考え、物質から精神が発生するかも知れないが、「 心 」を「 小脳の無意識 」とし、「 心 」は「 ラグビー・ボール」であると考えると、物質から精神が発生すると考える事には賛成する事が出来ない。

「 時空 」は、小脳の中では未分化であり、その中に、思考の「 体系 」を破る可能性があり、物質の中には存在しない。


「 心 」を「 小脳の無意識 」とし、「 心 」は「 ラグビー・ボール」であるとは、ヒトは社会や国家や家庭などの「 系 」の中で生きながら、生命の始めと終わりが「 無知 」や「 無明 」という「 永遠 」に連結している事で、意識と無意識を焦点とした「 二本足の考え 」で生きている事である。


意識や物質だけで「 安心 」を得るのは不可能であり、日常生活が「 無知 」や「 無明 」という「 永遠 」に連結し、「 無知 」や「 無明 」という「 永遠 」の循環の中に「 生きる 」事を考えると、少しは「 安心 」する事が出来る。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 26 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月22日

2010/6/22、オカルト・私の見解3

これは、フィクションである。

2010/6/20、私の記事

現時点の私の考えは、「 存在 」とは、認識するヒトの物理学的「 系 」や、思想の「 価値観 」や「 世界観 」の中で自然と「 共変 」する物だと考える。

「 時間 」とは、「 時間意識 」であり、認識するヒトは、天体の運動を「 意識 」として頭脳の中に入れるのであり、時間が認識不可能である点で、「 共変 」する物かもしれない。

「 存在 」と「 時間 」の認識不可能性は、前者が「 無知 」後者が「 無明 」であり、個人の「 系 」の中で融合し、「 系 」は意識と無意識を焦点とする「 ラグビー・ボール 」を形成すると考える。

2010/6/21、私の記事

存在とは何か。

「 存在 」とは、認識するヒトの物理学的「 系 」や、思想の「 価値観 」や「 世界観 」の中で自然と「 共変 」する物である。

万物が流転し、自然物も流転する。

自然物の流転と区別する事が出来ない精神の流転が共変する「 存在 」という意識で、「 系 」という意識と無意識を焦点とする「 ラグビー・ボール 」を形成する「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」という固執や執念や「こだわり 」という意識が流転する事を求める。

「 存在 」は、感覚の統合として「 存在感 」として「 小脳の無意識 」が把握し、意識に「 存在意識 」を求め、意識の新陳代謝を促すと考える。

これが、小脳の運動可能性から生じる「 空間意識 」の軸となると思う。


2010/6/22、私の考え

「 時間 」とは、「 時間意識 」であり、認識するヒトは、天体の運動を「 意識 」として頭脳の中に入れるのであり、時間が認識不可能である点で、「 共変 」する物かもしれない。

自然と「 共変 」するとは、天体の運動から計算した「 時間 」と人体の脈拍数のリズムが大きく違わず、心臓が不随意筋で動き、心臓や呼吸する「 肺 」を意識で統御する事が出来ない事である。

呼吸のリズムや心臓の動きのリズムが「 主観的時間 」であり、生命が「 時間意識 」という形態で天体の運動と連結していると考える。

こうして、「 存在と時間 」は、「 存在 」が小脳の運動可能性であり、「 時間 」が小脳や脳幹の呼吸や心拍のリズムであり、前者が「 空間意識 」で後者が「 時間意識 」を生むと考える。

「 存在と時間 」は、小脳の無意識の中で統合されているが、大脳の「 意識 」により、別物として認識される。

「 運動 」を感じるのが小脳で、小脳の無意識が「 心 」であれば、認識する限りの宇宙に「 心 」が広がり、それがエーテルであり、「 行動を惹起する欲 」であると考える。

知る限りは「 欲 」であり、意識する事により「 意欲 」や「 欲望 」になる。

この「 欲の塊 」が、個人の「 世界 」であり「 ラグビー・ボール 」である。

小脳の無意識は、太陽光により時空を作ると書いたが、私は「 プラズマ宇宙論 」を採用し、生命には気(ki)が存在し、それが太陽光からの電気だと考えている。

小脳の無意識が、気(ki)により時空を作り、それが、現在からの意識を反射する「 心あたり 」になり、想像や想起により現在の行為の操作手順になる。

想像や想起は「 記憶 」を復活させるのではなく、過去の行為の操作手順、つまり「 時空 」を復活させていると考える。

小脳の無意識が作る「 時空 」は自然に「 共変 」する「 欲 」だが、想像や想起する「 時空 」は「 運動 」であり、「 欲望 」である。

人間の「 欲 」は、宇宙の果てまで満ちていて、「 運動 」を察知し、意識の電磁波により自己中心の「 欲望 」に変えて行動する。

「 認識論 」は、大脳の意識だけで人間を知る事は不可能で、小脳の無意識によるシュミレーションまで考慮しなければ、説得力が無い。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 04:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 26 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月21日

2010/6/21、オカルト・私の見解2

これは、フィクションです。

2010/6/17、私の記事

「 系 」は、「 小脳が生んだ時空 」であるとは、想像や想起などの思考が言葉を使って考えるが、その全てが、小脳の無意識のリズムと運動可能性の組み合わせであり、人間の無意識の中心である「 性 」から逃れられないことだと考える。

一人の「 系 」は、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」により局所化され、「 系 」は、一人の頭脳の中の「 世界 」であり、人類の頭の数だけ「 系 」、即ち「 世界 」が存在し、「 系 」を、身体や社会や国家の、実体的な「 文化 」という「 面 」であると考える。

……………(省略)…………………………

このように、「 系は世界である 」と考える。

「 系 」は「世界 」であり、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」は、固執や執念や「こだわり 」であり、何を固執するかによって、「 系 」即ち「 世界 」が決まる。


2010/6/20、私の記事

現時点の私の考えは、「 存在 」とは、認識するヒトの物理学的「 系 」や、思想の「 価値観 」や「 世界観 」の中で自然と「 共変 」する物だと考える。

「 時間 」とは、「 時間意識 」であり、認識するヒトは、天体の運動を「 意識 」として頭脳の中に入れるのであり、時間が認識不可能である点で、「 共変 」する物かもしれない。

「 存在 」と「 時間 」の認識不可能性は、前者が「 無知 」後者が「 無明 」であり、個人の「 系 」の中で融合し、「 系 」は意識と無意識を焦点とする「 ラグビー・ボール 」を形成すると考える。

2010/6/21、私の考え

存在とは何か。

「 存在 」とは、認識するヒトの物理学的「 系 」や、思想の「 価値観 」や「 世界観 」の中で自然と「 共変 」する物である。

万物が流転し、自然物も流転する。

自然物の流転と区別する事が出来ない精神の流転が共変する「 存在 」という意識で、「 系 」という意識と無意識を焦点とする「 ラグビー・ボール 」を形成する「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」という固執や執念や「こだわり 」という意識が流転する事を求める。

「 存在 」は、感覚の統合として「 存在感 」として「 小脳の無意識 」が把握し、意識に「 存在意識 」を求め、意識の新陳代謝を促すと考える。

これが、小脳の運動可能性から生じる「 空間意識 」の軸となると思う。



Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 26 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月20日

2010/6/20、オカルト・私の見解1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/6/20、私の考え

私の考えも、行き詰まり、これまで書いてきた事を整理する時が来たと思う。

私が、本を捨てて、自分の認識論を作ろうと思ったのは、「 存在と時間 」を読んでも、三流大学卒の私では、理解する事が出来ず、自分で、これを考えようと思った。

「 存在 」とは何か。

「 時間 」とは、何か。

現時点の私の考えは、「 存在 」とは、認識するヒトの物理学的「 系 」や、思想の「 価値観 」や「 世界観 」の中で自然と「 共変 」する物だと考える。

「 時間 」とは、「 時間意識 」であり、認識するヒトは、天体の運動を「 意識 」として頭脳の中に入れるのであり、時間が認識不可能である点で、「 共変 」する物かもしれない。

「 存在 」と「 時間 」の認識不可能性は、前者が「 無知 」後者が「 無明 」であり、個人の「 系 」の中で融合し、「 系 」は意識と無意識を焦点とする「 ラグビー・ボール 」を形成すると考える。

ヒトは身体を持つため、「 性 」や「 生命 」の無意識を無視する事は出来ない。

大脳での「 意識 」だけではなく、小脳や脳幹の生命維持作用による無意識を考慮しない「 意識の学問 」は成立しない。

私は、大脳の「 意識は電磁波であり 」、呼吸や心拍のリズムや呼吸という運動可能性から来る「 小脳の無意識 」が「 心 」だと考え、「 心 」でシュミレーションをした時空を作り、意識の電磁波に乗って行動する「 二本足の考え 」を採用している。

小脳や脳幹が、時空を作り、大脳でその時空を電磁波に乗せて映像化しているのが視覚であり、呼吸や心拍のリズムが「 音 」を作ると思う。

視覚や聴覚が把握可能な波長や振動数や振幅を超えると、「 見えない 」し、「 聞こえない 」。

その認識不可能性が、「 存在 」の特徴かもしれない。

Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 26 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月19日

2010/6/19、オカルト・意識と性と人格・系3

これは、フィクションである。

2010/6/17、私の記事


「 系 」は、「 小脳が生んだ時空 」であるとは、想像や想起などの思考が言葉を使って考えるが、その全てが、小脳の無意識のリズムと運動可能性の組み合わせであり、人間の無意識の中心である「 性 」から逃れられないことだと考える。

一人の「 系 」は、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」により局所化され、「 系 」は、一人の頭脳の中の「 世界 」であり、人類の頭の数だけ「 系 」、即ち「 世界 」が存在し、「 系 」を、身体や社会や国家の、実体的な「 文化 」という「 面 」であると考える。

「 系の中の運動 」は加速度の「 力学 」であり、関数で表現される「 小脳の運動可能性 」だと考え、「 運動は主観的 」であり、「 速度 」を考える事は「 欲 」を考えていることだと思う。

全ての「 運動 」や「 力 」を主観的と考え、「 ラグビー・ボール 」という「 系 」の「 系の中の加速度 」が、価値観や「 判断する力 」、あるいは「 選択する力 」であり、「 力学 」の「 力 」であり、「 小脳の運動可能性 」であり、「 性的 」であると考える。


このように、「 系は世界である 」と考える。

「 系 」は「世界 」であり、、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」は、固執や執念や「こだわり 」であり、何を固執するかによって、「 系 」即ち「 世界 」が決まり、他者は、「 方向 」と判断するだろう。


2010/6/19、私の考え


「 系の中の運動 」とは、何か。

自然と「 共変 」するのは、「 性 」などの無意識であり、「 静止 」した、デフォルメした実体を決めるだろう。

直立や水平も「 身体の安定 」という小脳の無意識が決めるだろう。

「 共変 」しない物は、「 主観的な運動 」する物として無意識が決めるだろう。

なぜ「 無意識が決める 」かは、「 小脳の無意識 」が「 心 」であり、意識の先に、「 心 」が実体を決めるからである。

「 系の中の運動 」は加速度の「 力学 」であり、関数で表現される「 小脳の運動可能性 」だと考え、「 運動は主観的 」であり、「 ラグビー・ボール 」という「 系 」の「 系の中の加速度 」が、価値観や「 判断する力 」、あるいは「 選択する力 」であり、「 力学 」の「 力 」であり、「 小脳の運動可能性 」であり、「 小脳の運動可能性 」の積み重ねが、「 系 」であり、「 ラグビー・ボール 」であると考える。


「 小脳の無意識 」が「 主観的運動 」を感じると、リズムや生命的な不安定が、「 共変する実体 」を求めて、ストレスを取り入れる。

「 共変する実体 」をDNA、「 小脳の無意識 」がRNA、「 主観的運動 」を「 酵素 」と考え、細胞分裂する姿にも、私は、自分の考えを適用する。

「 共変する実体 」を実数、「 小脳の無意識 」を虚数、「 主観的運動 」が、「 二乗 」であるとも考えている。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月17日

2010/6/17、オカルト・意識と性と人格7・系2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

これは、フィクションである。

2010/6/13、私の記事

ヒトの人生を、「 意識という電磁波 」に乗った座標軸と考えると、一人ひとりが、ひとつの「 系 」であり、「 意識という電磁波に乗っている 」ので、「 意識は一定の速度 」であるため、お互いが同じ速度で、動き、「 意識という電磁波に乗っている状態 」、つまり意識や精神では、お互いより先に進むことが出来ない。


「 共変 」とは、「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えないのであり、それは、一人ひとりの「 系 」の中の出来事であると考える。


それは、「 価値観 」や「 人格 」などの「 力 」であり、「 系の中の加速度 」である。

ヒトは、一人ひとりが、加速度運動をしながら、「 絶対 」という精神の座標を持ち、「 意識という電磁波に乗った系 」を進むのが、「 人生 」であると考える。

「 系 」とは、何か。

「 系 」とは、一人ひとりの頭脳の中の「 慣性系 」であり、その実体は、「 ラグビー・ボール 」、つまり、自然に共変する「 意識 」と「 性 」の無意識が作る「 実体的で性的な時空 」であり、「 小脳 」によって作り出される。


「 絶対静止 」を考えるから「 相対的運動 」が理解されるのであり、「 絶対静止 」は、「 系 」の中の「 座標 」であり、意識である。

「 ラグビー・ボール 」という「 系 」の「 系の中の加速度 」が、価値観や「 判断する力 」、あるいは「 選択する力 」であり、「 力学 」の「 力 」であり、「 小脳の運動可能性 」である。

「 力学 」は、「 小脳の運動可能性 」であり、「 力 」は、一人ひとりの頭脳の「 系 」では、見えない意思の具現化の可能性だと思う。



「 実体的で性的な時空 」は、人類の一人ひとりが、「 今 」と物質的に関係し、「 今 」と同じ方向に運動し、「 今 」という現在から発した問いに応答する物質的な物、であり、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」の上に成り立っている「 小脳が生んだ時空 」であると考える。


「 小脳が生んだ時空 」は、「 運動 」をストレスと捉え、行動パターンを決定するが、その「 行動パターン 」が、他者から見た「 人格 」である。


2010/6/17、私の考え


「 系 」は、「 小脳が生んだ時空 」であるとは、想像や想起などの思考が言葉を使って考えるが、その全てが、小脳の無意識のリズムと運動可能性の組み合わせであり、人間の無意識の中心である「 性 」から逃れられないことだと考える。

一人の「 系 」は、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」により局所化され、「 系 」は、一人の頭脳の中の「 世界 」であり、人類の頭の数だけ「 系 」、即ち「 世界 」が存在し、「 系 」を、身体や社会や国家の、実体的な「 文化 」という「 面 」であると考える。

「 系の中の運動 」は加速度の「 力学 」であり、関数で表現される「 小脳の運動可能性 」だと考え、「 運動は主観的 」であり、「 速度 」を考える事は「 欲 」を考えていることだと思う。

全ての「 運動 」や「 力 」を主観的と考え、「 ラグビー・ボール 」という「 系 」の「 系の中の加速度 」が、価値観や「 判断する力 」、あるいは「 選択する力 」であり、「 力学 」の「 力 」であり、「 小脳の運動可能性 」であり、「 性的 」であると考える。


このように、「 系は世界である 」と考える。

「 系 」は「世界 」であり、、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」は、固執や執念や「こだわり 」であり、何を固執するかによって、「 系 」即ち「 世界 」が決まり、他者は、「 方向 」と判断するだろう。

何を固執するかによって、「 ラグビー・ボール 」の形状と、その軌道の「 六道 」が決まり、それが小脳の無意識の記憶であるから、「 六道輪廻 」すると、考える。

習慣化した執念は、「 六道輪廻 」として、未来に繰り返されると、私は信じている。


系(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%BB

(「 系 」は、物理的な系だと想定している)

Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 03:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月13日

2010/6/13、オカルト・意識と性と人格6・系

これは、フィクションである。

2010/6/1、私の記事

「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えない。

この状態は、「 共変 」とも言えるだろう。


2010/6/12、私の記事

「 共変 」とは、自然に対して、共に変わる事だろう。

ヒトの人生を、「 意識という電磁波 」に乗った座標軸と考えると、一人ひとりが、ひとつの「 系 」であり、「 意識という電磁波に乗っている 」ので、「 意識は一定の速度 」であるため、お互いが同じ速度で、動き、「 意識という電磁波に乗っている状態 」、つまり意識や精神では、お互いより先に進むことが出来ない。


「 共変 」とは、「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えないのであり、それは、一人ひとりの「 系 」の中の出来事であると考える。


それは、「 価値観 」や「 人格 」などの「 力 」であり、「 系の中の加速度 」である。

ヒトは、一人ひとりが、加速度運動をしながら、「 絶対 」という精神の座標を持ち、「 意識という電磁波に乗った系 」を進むのが、「 人生 」であると考える。




「 共変 」は、自然に対して、共に変わることだから、「 地球という天体の上 」だけで成り立つのであり、全てを秩序づける「 重力 」の中で成り立つ考えだと思う。



2010/5/28、私の記事

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけであるので、実体化した「 意識 」の「 絶対静止点 」は、個人の「 時間意識と空間意識 」を生む「 大脳 」の「 自意識 」であり、現実生活では「 今 」、「 ここで 」という時空が「 意識の焦点 」であると考える。

「 無意識の焦点 」は「 無意識の静止点 」であり、自意識から発する「 時間意識と空間意識 」という意識の電磁波が「 小脳の無意識 」つまり、「 心 」と衝突や同調する「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標であると考える。


「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標は、無意識で物質的であるから、「 記憶 」という神経に残存し、意識な電磁波が衝突する時、「 不安 」や「 安定 」という「 心の状態 」を生み、これが「 静止 」しているとは、「 意識と同じ方向に動いている 」と考える。


「 意識と同じ方向に動いている 」から、意識の電磁波を反射する事が可能であるし、「 どのような意識を反射するか 」が、定在波の種類、つまり「 人格 」を決めると考える。

静止した、あるいは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」であり、応答可能性であると考える。


2010/5/30、私の記事

「 今 」という意識と同じ方向の静止した、あるは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは何か?

「 今 」と物質的に関係し、「 今 」と同じ方向に運動し、「 今 」という現在から発した問いに応答する物質的な物は何か?

それは、「 性 」である。

生まれて現在まで変わらないのは、「 性 」である。

男性と生まれると現在も男性であり、女性と生まれると現在も女性である場合が一般的である。

DNA から、身体の全てが、男性か女性に区別され、「 リズムと身体運動可能性 」という小脳の無意識が時空意識を生むが、男性と女性という身体構造の違いにより、応答可能性が違うと思う。

「 今 」の性の刺激に対して、男性と女性の反応が違うのは、DNAの「 性 」という物質的違いであると考える。


2010/6/13、私の考え


ヒトの人生を、「 意識という電磁波 」に乗った座標軸と考えると、一人ひとりが、ひとつの「 系 」であり、「 意識という電磁波に乗っている 」ので、「 意識は一定の速度 」であるため、お互いが同じ速度で、動き、「 意識という電磁波に乗っている状態 」、つまり意識や精神では、お互いより先に進むことが出来ない。


「 共変 」とは、「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えないのであり、それは、一人ひとりの「 系 」の中の出来事であると考える。


それは、「 価値観 」や「 人格 」などの「 力 」であり、「 系の中の加速度 」である。

ヒトは、一人ひとりが、加速度運動をしながら、「 絶対 」という精神の座標を持ち、「 意識という電磁波に乗った系 」を進むのが、「 人生 」であると考える。


「 系 」とは、何か。

「 系 」とは、一人ひとりの頭脳の中の「 慣性系 」であり、その実体は、「 ラグビー・ボール 」、つまり、自然に共変する「 意識 」と「 性 」の無意識が作る「 実体的で性的な時空 」であり、「 小脳 」によって作り出される。


「 絶対静止 」を考えるから「 相対的運動 」が理解されるのであり、「 絶対静止 」は、「 系 」の中の「 座標 」であり、意識である。

「 ラグビー・ボール 」という「 系 」の「 系の中の加速度 」が、価値観や「 判断する力 」、あるいは「 選択する力 」であり、「 力学 」の「 力 」であり、「 小脳の運動可能性 」である。

「 力学 」は、「 小脳の運動可能性 」であり、「 力 」は、一人ひとりの頭脳の「 系 」では、見えない意思の具現化の可能性だと思う。


「 実体的で性的な時空 」は、人類の一人ひとりが、「 今 」と物質的に関係し、「 今 」と同じ方向に運動し、「 今 」という現在から発した問いに応答する物質的な物、であり、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」の上に成り立っている「 小脳が生んだ時空 」であると考える。


「 小脳が生んだ時空 」は、「 運動 」をストレスと捉え、行動パターンを決定するが、その「 行動パターン 」が、他者から見た「 人格 」である。

「 行動パターン 」は「 心 」の具現化であり、自然と共変する、あるいは共感する気(ki)であると思う。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 03:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月12日

2010/6/12、オカルト・意識と性と人格5共変・訂正

申し訳ない。

順番が逆でした。



2010/6/1、私の記事

「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えない。

この状態は、「 共変 」とも言えるだろう。


2010/6/12、私の記事

「 共変 」とは、自然に対して、共に変わる事だろう。

ヒトの人生を、「 意識という電磁波 」に乗った座標軸と考えると、一人ひとりが、ひとつの「 系 」であり、「 意識という電磁波に乗っている 」ので、「 意識は一定の速度 」であるため、お互いが同じ速度で、動き、「 意識という電磁波に乗っている状態 」、つまり意識や精神では、お互いより先に進むことが出来ない。


「 共変 」とは、「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えないのであり、それは、一人ひとりの「 系 」の中の出来事であると考える。


それは、「 価値観 」や「 人格 」などの「 力 」であり、「 系の中の加速度 」である。

ヒトは、一人ひとりが、加速度運動をしながら、「 絶対 」という精神の座標を持ち、「 意識という電磁波に乗った系 」を進むのが、「 人生 」であると考える。




「 共変 」は、自然に対して、共に変わることだから、「 地球という天体の上 」だけで成り立つのであり、全てを秩序づける「 重力 」の中で成り立つ考えだと思う。



2010/5/28、私の記事

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけであるので、実体化した「 意識 」の「 絶対静止点 」は、個人の「 時間意識と空間意識 」を生む「 大脳 」の「 自意識 」であり、現実生活では「 今 」、「 ここで 」という時空が「 意識の焦点 」であると考える。

「 無意識の焦点 」は「 無意識の静止点 」であり、自意識から発する「 時間意識と空間意識 」という意識の電磁波が「 小脳の無意識 」つまり、「 心 」と衝突や同調する「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標であると考える。


「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標は、無意識で物質的であるから、「 記憶 」という神経に残存し、意識な電磁波が衝突する時、「 不安 」や「 安定 」という「 心の状態 」を生み、これが「 静止 」しているとは、「 意識と同じ方向に動いている 」と考える。


「 意識と同じ方向に動いている 」から、意識の電磁波を反射する事が可能であるし、「 どのような意識を反射するか 」が、定在波の種類、つまり「 人格 」を決めると考える。

静止した、あるいは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」であり、応答可能性であると考える。


2010/5/30、私の記事

「 今 」という意識と同じ方向の静止した、あるは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは何か?

「 今 」と物質的に関係し、「 今 」と同じ方向に運動し、「 今 」という現在から発した問いに応答する物質的な物は何か?

それは、「 性 」である。

生まれて現在まで変わらないのは、「 性 」である。

男性と生まれると現在も男性であり、女性と生まれると現在も女性である場合が一般的である。

DNA から、身体の全てが、男性か女性に区別され、「 リズムと身体運動可能性 」という小脳の無意識が時空意識を生むが、男性と女性という身体構造の違いにより、応答可能性が違うと思う。

「 今 」の性の刺激に対して、男性と女性の反応が違うのは、DNAの「 性 」という物質的違いであると考える。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/6/12、オカルト・意識と性と人格5・共変

2010/5/28、私の記事

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけであるので、実体化した「 意識 」の「 絶対静止点 」は、個人の「 時間意識と空間意識 」を生む「 大脳 」の「 自意識 」であり、現実生活では「 今 」、「 ここで 」という時空が「 意識の焦点 」であると考える。

「 無意識の焦点 」は「 無意識の静止点 」であり、自意識から発する「 時間意識と空間意識 」という意識の電磁波が「 小脳の無意識 」つまり、「 心 」と衝突や同調する「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標であると考える。


「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標は、無意識で物質的であるから、「 記憶 」という神経に残存し、意識な電磁波が衝突する時、「 不安 」や「 安定 」という「 心の状態 」を生み、これが「 静止 」しているとは、「 意識と同じ方向に動いている 」と考える。


「 意識と同じ方向に動いている 」から、意識の電磁波を反射する事が可能であるし、「 どのような意識を反射するか 」が、定在波の種類、つまり「 人格 」を決めると考える。

静止した、あるいは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」であり、応答可能性であると考える。


2010/5/30、私の記事

「 今 」という意識と同じ方向の静止した、あるは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは何か?

「 今 」と物質的に関係し、「 今 」と同じ方向に運動し、「 今 」という現在から発した問いに応答する物質的な物は何か?

それは、「 性 」である。

生まれて現在まで変わらないのは、「 性 」である。

男性と生まれると現在も男性であり、女性と生まれると現在も女性である場合が一般的である。

DNA から、身体の全てが、男性か女性に区別され、「 リズムと身体運動可能性 」という小脳の無意識が時空意識を生むが、男性と女性という身体構造の違いにより、応答可能性が違うと思う。

「 今 」の性の刺激に対して、男性と女性の反応が違うのは、DNAの「 性 」という物質的違いであると考える。



2010/6/1、私の記事

「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えない。

この状態は、「 共変 」とも言えるだろう。


2010/6/12、私の考え

「 共変 」とは、自然に対して、共に変わる事だろう。

ヒトの人生を、「 意識という電磁波 」に乗った座標軸と考えると、一人ひとりが、ひとつの「 系 」であり、「 意識という電磁波に乗っている 」ので、「 意識は一定の速度 」であるため、お互いが同じ速度で、動き、「 意識という電磁波に乗っている状態 」、つまり意識や精神では、お互いより先に進むことが出来ない。


「 共変 」とは、「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えないのであり、それは、一人ひとりの「 系 」の中の出来事であると考える。


それは、「 価値観 」や「 人格 」などの「 力 」であり、「 系の中の加速度 」である。

ヒトは、一人ひとりが、加速度運動をしながら、「 絶対 」という精神の座標を持ち、「 意識という電磁波に乗った系 」を進むのが、「 人生 」であると考える。




「 共変 」は、自然に対して、共に変わることだから、「 地球という天体の上 」だけで成り立つのであり、全てを秩序づける「 重力 」の中で成り立つ考えだと思う。



Every miller draws water to his own mill. 
posted by kandk55 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月06日

2010/6/6、オカルト・意識と性と人格4・性格

これは、フィクションである。

2010/5/28、私の記事

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけであるので、実体化した「 意識 」の「 絶対静止点 」は、個人の「 時間意識と空間意識 」を生む「 大脳 」の「 自意識 」であり、現実生活では「 今 」、「 ここで 」という時空が「 意識の焦点 」であると考える。

「 無意識の焦点 」は「 無意識の静止点 」であり、自意識から発する「 時間意識と空間意識 」という意識の電磁波が「 小脳の無意識 」つまり、「 心 」と衝突や同調する「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標であると考える。


「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標は、無意識で物質的であるから、「 記憶 」という神経に残存し、意識な電磁波が衝突する時、「 不安 」や「 安定 」という「 心の状態 」を生み、これが「 静止 」しているとは、「 意識と同じ方向に動いている 」と考える。


「 意識と同じ方向に動いている 」から、意識の電磁波を反射する事が可能であるし、「 どのような意識を反射するか 」が、定在波の種類、つまり「 人格 」を決めると考える。

静止した、あるいは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」であり、応答可能性であると考える。


2010/5/30、私の記事

「 今 」という意識と同じ方向の静止した、あるは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは何か?

「 今 」と物質的に関係し、「 今 」と同じ方向に運動し、「 今 」という現在から発した問いに応答する物質的な物は何か?

それは、「 性 」である。

生まれて現在まで変わらないのは、「 性 」である。

男性と生まれると現在も男性であり、女性と生まれると現在も女性である場合が一般的である。


2010/6/1、私の記事

「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えない。

この状態は、「 共変 」とも言えるだろう。

「 性 」は、身体各部から分泌されるホルモンで、男性か女性かを決定するだろう。

その分泌の中枢は、「 小脳 」や脳幹であると思う。

これをひとつの「 無意識 」の「 焦点 」であると考える。

全ては「 欲 」だから、行動を決定する「 欲 」は小脳の支配の下にある。

太陽光から電気を得るように、「 欲 」がホルモンにより、「 意識化 」して「 性欲 」となると考える。

「 意識化 」とは、刺激という運動エネルギーを判別する「 性の座標 」を持つ事であり、この点を「 小脳が時空を生じる 」と私は考える。

時空とは、間(ma)という実体を識別する領域であり、変化を「 力 」と考える「 性の座標 」は、呼吸や心拍のリズムと運動可能性が「 軸 」であり、それが「 時間意識 」と「 空間意識 」に影響すると思う。

「 静止 」とは「 共変 」するから、変化を判別する事が出来ない事であり、「 性 」と「 意識 」の共変とは何か?

女性については、「 生理 」だろう。

「 月経 」というように、「 生理 」は宇宙の運動に関連するだろうし、生理の周期が女性の行動と共変するから「 女性は子宮で考える 」というのだろう。

男性も「 生理 」があると思うが、性・が昂進する周期だろう。

男性も女性も、「 バイオリズム 」が存在するならば、それが「 無意識 」と「 意識 」の「 焦点間の距離 」を繋ぐ「 波長 」だろう。

「 波長 」と共変する「 時空 」で「 座標 」だから、「 自分が、何故、興奮して行動するのか、あるいは「 何故、無意識の行動するのか 」を判別する事が出来ない。


2010/6/5、私の記事

私は、無意識の焦点と意識の焦点を持ち、交互に行き交う事により、実生活が成り立っていると考える。

無意識とは、「 欲 」であり、「 情 」であり、「 心 」であり、実体や行動を決定し、小脳が中心であろう。

意識は「 電磁波の構造をした時空 」であり、「 認識 」や「 思考 」であり、大脳で生まれると思うが、私の考えは違う。


意識という「 時空 」は、間(ma)という実体を識別する領域であり、小脳により生まれると思う。

天体の動きが「 時間 」や「 空間 」だとしても、ヒトは「 時間意識 」や「 空間意識 」としてしか把握できない。

天体の動きをデフォルメした、「 時間意識 」や「 空間意識 」は、小脳のリズムと運動可能性を想像する事により、誕生から死亡するまで、小脳から生まれ続ける。

その「 時空 」という間(ma)に充満する気(ki)を保持する(hold)し、「 気持ち 」として、無意識の「 心 」の中に保存したり、写真やビデオなどの文明の利器に保存する。

その「 気持ち 」とは、「 文化 」であると思う。



それが「 どこでも時空 」という意味である。


小脳の、呼吸や心拍のリズムと運動可能性を司る神経が「 軸 」であり、それが「 時間意識 」と「 空間意識 」に影響すると思う。

小脳は生命であり、「 性の座標 」であり、人は誕生した時から、「 性 」と「 意識 」を持ち続け、放棄する事が出来ない。



2010/6/6、私の考え

男性も女性も、「 バイオリズム 」が存在するならば、それが「 無意識 」と「 意識 」の「 焦点間の距離 」を繋ぐ「 波長 」だろう。


「 波長 」と共変する「 時空 」で「 座標 」だから、「 自分が、何故、興奮して行動するのか、あるいは「 何故、無意識の行動するのか 」を判別する事が出来ない。

この波長が、「 無知 」であり、波長は閉じられた空間により生じるが、どこで「 閉じている 」のか不明な事を「 無明 」と考える。

私は、意識(精神)が把握する事が出来ない事を「 無知 」といい、無意識(生命)が把握する事が出来ない事を「 無明 」と考える。



現実生活では、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」や「 応答可能性 」が、「 閉じている空間 」を形成し、閉じた空間で生じる「 波長 」で、間(ma)という実体を識別する領域を作り、「 男らしさ 」や「 女らしさ 」という意識を作っていると思う。

「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」や「 応答可能性 」は、「 記憶 」だろうから、「 記憶 」を変える事により、「 男らしさ 」や「 女らしさ 」という意識は変わると思う。

意識による「 性格 」の改革も可能だが、「 性格 」が無意識に属するため、「 性格 」から滲み出る魅力、小脳のリズムと運動可能性から派生する魅力には勝てない。

「 魅力 」とは、身体や生命のエネルギーである「 力 」であり、「 無意識の運動 」である。


参考

性格(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E6%A0%BC

感情面の個性は気質 (temperament) という先天的揃向に基づくといい、気質から作られる行動や意欲の傾向が性格とよばれる。性格とよく似た言葉に人格があるが、人格には社会的もしくは論理的な内容が含まれており、性格より範囲が広い


人格(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A0%BC

性格、気質、興味、態度、価値観などを含む、個人の統合体である

(引用を終わる)
posted by kandk55 at 02:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月05日

2010/6/5、オカルト・意識と性と人格3・どこでも時空

これは、フィクションである。

2010/5/28、私の記事

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけであるので、実体化した「 意識 」の「 絶対静止点 」は、個人の「 時間意識と空間意識 」を生む「 大脳 」の「 自意識 」であり、現実生活では「 今 」、「 ここで 」という時空が「 意識の焦点 」であると考える。

「 無意識の焦点 」は「 無意識の静止点 」であり、自意識から発する「 時間意識と空間意識 」という意識の電磁波が「 小脳の無意識 」つまり、「 心 」と衝突や同調する「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標であると考える。


「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標は、無意識で物質的であるから、「 記憶 」という神経に残存し、意識な電磁波が衝突する時、「 不安 」や「 安定 」という「 心の状態 」を生み、これが「 静止 」しているとは、「 意識と同じ方向に動いている 」と考える。


「 意識と同じ方向に動いている 」から、意識の電磁波を反射する事が可能であるし、「 どのような意識を反射するか 」が、定在波の種類、つまり「 人格 」を決めると考える。

静止した、あるいは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」であり、応答可能性であると考える。


2010/5/30、私の記事

「 今 」という意識と同じ方向の静止した、あるは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは何か?

「 今 」と物質的に関係し、「 今 」と同じ方向に運動し、「 今 」という現在から発した問いに応答する物質的な物は何か?

それは、「 性 」である。

生まれて現在まで変わらないのは、「 性 」である。

男性と生まれると現在も男性であり、女性と生まれると現在も女性である場合が一般的である。


2010/6/1、私の記事

「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えない。

この状態は、「 共変 」とも言えるだろう。

「 性 」は、身体各部から分泌されるホルモンで、男性か女性かを決定するだろう。

その分泌の中枢は、「 小脳 」や脳幹であると思う。

これを一つの「 無意識 」の「 焦点 」であると考える。

全ては「 欲 」だから、行動を決定する「 欲 」は小脳の支配の下にある。

太陽光から電気を得るように、「 欲 」がホルモンにより、「 意識化 」して「 性欲 」となると考える。

「 意識化 」とは、刺激という運動エネルギーを判別する「 性の座標 」を持つ事であり、この点を「 小脳が時空を生じる 」と私は考える。

時空とは、間(ma)という実体を識別する領域であり、変化を「 力 」と考える「 性の座標 」は、呼吸や心拍のリズムと運動可能性が「 軸 」であり、それが「 時間意識 」と「 空間意識 」に影響すると思う。

「 静止 」とは「 共変 」するから、変化を判別する事が出来ない事であり、「 性 」と「 意識 」の共変とは何か?

女性については、「 生理 」だろう。

「 月経 」というように、「 生理 」は宇宙の運動に関連するだろうし、生理の周期が女性の行動と共変するから「 女性は子宮で考える 」というのだろう。

男性も「 生理 」があると思うが、性欲が昂進する周期だろう。

男性も女性も、「 バイオリズム 」が存在するならば、それが「 無意識 」と「 意識 」の「 焦点間の距離 」を繋ぐ「 波長 」だろう。

「 波長 」と共変する「 時空 」で「 座標 」だから、「 自分が、何故、興奮して行動するのか、あるいは「 何故、無意識の行動するのか 」を判別する事が出来ない。


2010/6/5、私の考え


私は、無意識の焦点と意識の焦点を持ち、交互に行き交う事により、実生活が成り立っていると考える。

無意識とは、「 欲 」であり、「 情 」であり、「 心 」であり、実体や行動を決定し、小脳が中心であろう。

意識は「 電磁波の構造をした時空 」であり、「 認識 」や「 思考 」であり、大脳で生まれると思うが、私の考えは違う。


意識という「 時空 」は、間(ma)という実体を識別する領域であり、小脳により生まれると思う。

天体の動きが「 時間 」や「 空間 」だとしても、ヒトは「 時間意識 」や「 空間意識 」としてしか把握できない。

天体の動きをデフォルメした、「 時間意識 」や「 空間意識 」は、小脳のリズムと運動可能性を想像する事により、誕生から死亡するまで、小脳から生まれ続ける。

その「 時空 」という間(ma)に充満する気(ki)を保持する(hold)し、「 気持ち 」として、無意識の「 心 」の中に保存したり、写真やビデオなどの文明の利器に保存する。

その「 気持ち 」とは、「 文化 」であると思う。



それが「 どこでも時空 」という意味である。


小脳の、呼吸や心拍のリズムと運動可能性を司る神経が「 軸 」であり、それが「 時間意識 」と「 空間意識 」に影響すると思う。

小脳は生命であり、「 性の座標 」であり、人は誕生した時から、「 性 」と「 意識 」を持ち続け、放棄する事が出来ない。

ヒトは、「 二本足の考え 」で生活する。

Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月01日

2010/6/1、オカルト、意識と性と人格2共変

これは、何の根拠も無い、フィクションである。


2010/5/28、私の記事

「 静止 」しているのは、自分の頭脳の中の時間軸と空間軸だけであるので、実体化した「 意識 」の「 絶対静止点 」は、個人の「 時間意識と空間意識 」を生む「 大脳 」の「 自意識 」であり、現実生活では「 今 」、「 ここで 」という時空が「 意識の焦点 」であると考える。

「 無意識の焦点 」は「 無意識の静止点 」であり、自意識から発する「 時間意識と空間意識 」という意識の電磁波が「 小脳の無意識 」つまり、「 心 」と衝突や同調する「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標であると考える。


「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標は、無意識で物質的であるから、「 記憶 」という神経に残存し、意識な電磁波が衝突する時、「 不安 」や「 安定 」という「 心の状態 」を生み、これが「 静止 」しているとは、「 意識と同じ方向に動いている 」と考える。


「 意識と同じ方向に動いている 」から、意識の電磁波を反射する事が可能であるし、「 どのような意識を反射するか 」が、定在波の種類、つまり「 人格 」を決めると考える。

静止した、あるいは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは、「 心当たり{ know of;have(a person,a thing)in view }」であり、応答可能性であると考える。


2010/5/30、私の記事

「 今 」という意識と同じ方向の静止した、あるは同じ方向に動く「 生命的なリズムと身体運動可能性 」の座標とは何か?

「 今 」と物質的に関係し、「 今 」と同じ方向に運動し、「 今 」という現在から発した問いに応答する物質的な物は何か?

それは、「 性 」である。

生まれて現在まで変わらないのは、「 性 」である。

男性と生まれると現在も男性であり、女性と生まれると現在も女性である場合が一般的である。

DNA から、身体の全てが、男性か女性に区別され、「 リズムと身体運動可能性 」という小脳の無意識が時空意識を生むが、男性と女性という身体構造の違いにより、応答可能性が違うと思う。

「 今 」の性の刺激に対して、男性と女性の反応が違うのは、DNAの「 性 」という物質的違いであると考える。



2010/6/1、私の考え


「 同じ運動をする 」から「 静止 」して、変化が見えない。

この状態は、「 共変 」とも言えるだろう。

「 性 」は、身体各部から分泌されるホルモンで、男性か女性かを決定するだろう。

その分泌の中枢は、「 小脳 」や脳幹であると思う。

これを一つの「 無意識 」の「 焦点 」であると考える。

全ては「 欲 」だから、行動を決定する「 欲 」は小脳の支配の下にある。

太陽光から電気を得るように、「 欲 」がホルモンにより、「 意識化 」して「 性欲 」となると考える。

「 意識化 」とは、刺激という運動エネルギーを判別する「 性の座標 」を持つ事であり、この点を「 小脳が時空を生じる 」と私は考える。

時空とは、間(ma)という実体を識別する領域であり、変化を「 力 」と考える「 性の座標 」は、呼吸や心拍のリズムと運動可能性が「 軸 」であり、それが「 時間意識 」と「 空間意識 」に影響すると思う。

「 静止 」とは「 共変 」するから、変化を判別する事が出来ない事であり、「 性 」と「 意識 」の共変とは何か?

女性については、「 生理 」だろう。

「 月経 」というように、「 生理 」は宇宙の運動に関連するだろうし、生理の周期が女性の行動と共変するから「 女性は子宮で考える 」というのだろう。

男性も「 生理 」があると思うが、性欲が昂進する周期だろう。

男性も女性も、「 バイオリズム 」が存在するならば、それが「 無意識 」と「 意識 」の「 焦点間の距離 」を繋ぐ「 波長 」だろう。

「 波長 」と共変する「 時空 」で「 座標 」だから、「 自分が、何故、興奮して行動するのか、あるいは「 何故、無意識の行動するのか 」を判別する事が出来ない。

それを、身(身体)口(言葉)意(意識)に具現化する事、あるいは、「 鏡で見る事 」により、自分の「 性の座標 」が判別する事が出来るだろう。

「 行動の習慣化 」は、「 性欲発散の習慣化 」であり、「 意識化した欲 」の繰り返しであるが、「 波長 」の「 特定 」であり、定在波となり、「 人格 」に影響するだろう。

怖いのは、「 性の座標 」が生物的で生命に関する判断基準であるから、「 人格 」の形成に留まらず、DNA の構造に組み込まれ、その刺激が無いと興奮しない状態になるだろうという事だ。

意識が無意識化して、生来の性癖と区別して、脱出する事が出来ず「 依存症 」になる事だ。

私も、社会の性癖の一つの類型の中に含まれているから、非難しないが、せめて「 良心の呵責 」だけは、失わないで欲しいと思う。

「 性 」という無意識と共変する事は「 自然 」であるから、外見は男性だが無意識に女性として行動してしまう。

社会からは、男性としての行動を期待されるが、無意識の「 性 」が女性として行動してしまい、ストレスと感じるのが、性同一性障害だろう。

その他、「 愛情 」と「 愛 」の違いも、前者が「 性 」の無意識から出る行為であり、後者は、生物的な愛情から区別する「 意識 」の行為であるが、「 愛 」が「 愛情 」を持って、無意識の行為として具現化するのが理想的であると思う。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 04:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする