2010年09月30日

2010/9/30、レアアース不要の車載モーター、開発成功

2010/9/29、ヤフーニュースで、次の記事を読み、日本の技術は素晴らしいと思った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100929-00000609-san-bus_all

レアアース不要の車載モーター NEDOと北大、開発に成功

産経新聞 9月29日(水)18時47分配信

 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)と北海道大学の研究グループは29日、レアアース(希土類)を使わない新構造のハイブリッド車(HV)向け磁石モーターの開発に成功したと発表した。モーター内で強い電磁力を発生させ、それを逃がさない構造にして高出力を実現した。

国内メーカーから打診があれば協力して実用化を目指す。

 尖閣事件を契機に中国からの輸出が停滞し、レアアースの調達問題がクローズアップされる中、注目を集めそうだ。

電気自動車(EV)にも応用可能で、次世代エコカーの開発競争で日本の新たな“武器”となる可能性もある。

 HVやEVのモーターは、レアアースを使うことで高出力を実現している。

レアアースを使わない高出力モーターはこれまでにもあるが、新開発のモーターは、回転が滑らかなうえ軽量で小さく、車両への搭載に適しているという。

 モーターの回転部分を円盤状にするなど独自の構造で、強い電磁力を外に逃がさず、動力として活用することに成功。

トヨタ自動車のHV「プリウス」などに使われているモーターと同じ50キロワットの出力を実現した。モーターのサイズも同等という。

 現在のHV用モーターは、コストの3〜4割をレアアースが占めており、コストを大幅に削減することも可能としている。

会見した北大の竹本真紹準教授は「必要な出力に応じた設計をすれば、EVにも応用できる」と指摘。

NEDOの弓取修二・蓄電技術開発室長は「民間企業と連携し、技術を大きく発展させてほしい。必要ならコーディネートをする」と話した

(全文の引用を終わる)

資源が乏しい日本は、技術革新に道を求めるしか方法は無い。

私は、このニュースは、資源の束縛から逃れた日本人の頭脳の勝利だと思う。

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2010年09月26日

2010/9/26、オカルト・特殊論・世界は時空3

これは、私だけの考えである。

2010/9/18、私の記事

「 大脳 」の言葉での思考は「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」という価値観の存在を前提とした思考であり、それが「 世界 」であるが、私は、それを「 時空 」と考える。

意識に影響するのは、時間意識に影響する呼吸や心拍のリズムと空間意識に影響する身体運動可能性という「 小脳の無意識 」であると考える。


意識が五感という感覚から生まれるとすれば、五つの「 世界 」があり、その「 世界 」は現実生活であるが故に、時間意識に影響する呼吸や心拍のリズムと空間意識に影響する身体運動可能性を伴うから、五つの「 時空 」をヒトは持つと考える。


意識は形態を感じ、実体を決定するのは無意識であると考えるから、五感が五つの形態の意識であり、それは五つの「 小脳の無意識 」により、「 感覚の実体 」を与えられている事であると考える。


その五つの時空の総体が意識の総体であり、「 気持ち 」であり、「 気持ち 」を外部に表現する事は、「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」という価値観により「 気持ち 」が行為として現れる、つまり「 意思が具現化する 」と考える。


五感が五つの形態の意識であり、それは五つの「 小脳の無意識 」により、「 感覚の実体 」を与えられるが、共通する「 小脳の無意識 」が、形態に制限されずに現れるのが、「 観音 」つまり、音を観ることだろう。


2010/9/19、私の記事


五感が感情で、「 気持ち 」ならば、五感の全てが、現実生活では、時間意識に影響する呼吸や心拍のリズムと空間意識に影響する身体運動可能性を伴うから、哲学者が「 感情移入 」と言うのは、五感を往復する「 時空 」であると考える。


「 時空 」と言えば、一般的には、現実に広がる時間や空間を考えるだろうが、私は、「 真の時間や空間 」を人間が知っているのではなく、時間意識や空間意識であり、人間が知るのは、「 小脳の無意識 」が作る意識であると考える。


眼で光景を見ながら行為しているのは、「 欲 」を持って、視野に時間意識に影響する呼吸や心拍のリズムを自分の行為として置き換えて感じているのであり、「 共感 」と言うのも、同じ事だろう。


2010/9/26、私の考え


一方で、人間の五感という形態の意識が時空であり、他方で、人間は「 真の時空 」を知らないとは矛盾したことだと思うが、私の考えでは、矛盾しない。

時空の中にいて、真の時空を知らない。

意識は電磁波であり、時間意識と空間意識を生み、それを「 時間 」と「 空間 」呼んで実体化している。

実体化するのは「 小脳の無意識 」であり、意識を生むと考える。

意識は「 生まれた物 」だから、「 生んだ物 」を知らないという意味で、意識を超越した、あるいは意識する事が出来ないのが、「 時空 」であると考える。

五感は全て、「 時空 」をデフォルメして、脳の内部で再構築した感覚であり、五感という意識に共通で、五感という区別をしない「 無意識 」が、時空と関連していると考える。

「 時空 」が「 無意識 」で、目が構成する時間意識や空間意識と、耳で構成する時間意識と空間意識は同一で共通だから、神様は音を観る「 観音 」が可能であり、人間は、目で見えなくてもピアノを弾く事が可能である。

「 真の時空 」は、感覚を超越して、人間では「 小脳の無意識 」で繋がっていると考える。




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2010年09月24日

2010/9/24、オカルト・特殊論・特殊論の理由

私の「 特殊論 」の目的は、ガリレオ以前に戻る事です。

ガリレオは、科学の基礎を築いた人で、科学の進歩により、現在の私が、パソコンでインターネットしている事には感謝しているが、私がこれまで書いて来た「 意識 」や「 無意識 」、「 時間 」や「 空間 」や「 心 」などという、人間の誰もが持っている事を哲学者が解明して来なかったと思う。

私の勉強不足で、イマヌエル・カント以外に、時間や空間を考えた有名な哲学者を知らない。

赤ん坊は、時間や空間を説明しなくても呼吸する事が出来るし、身体を動かす事も出来る。

この何万年も続いた事実を、哲学者はどのように説明するのだろうか?

私は、ガリレオが「 心拍 」より「 振り子 」が正しい時間を示すと考え、時間を計測したとき、悪魔に心を売ったと思っている。

振り子を見ている事、何故、目で見えるのかが説明できないのに、見えない時間を計測する事が出来ると考えた事が、科学の進歩であると同時に、哲学の後退であると考える。


私は、「 心拍 」や「 呼吸 」こそが時間を決定し、身体の運動可能性が空間を決定する無意識で、これを放棄したガリレオに反対するので、オカルトであり、特殊論であると書いている。


私は、以前書いたように、「 真の時間や空間 」を人間が知っているのではなく、「 時間 」や「 空間 」と言うのは、自分の「 時間意識 」や「 空間意識 」であり、「 真の時間や空間 」を知らないという点が「 客観的事実 」であると考える。



私は、ビッグ・バン理論を採用せず、プラズマ宇宙論を信じているから、人間に走る「 脳波 」や「 心電図 」の電流は、プラズマ宇宙論と矛盾しない原因があると思うし、「 時間意識 」や「 空間意識 」という意識は、その原因から生じると考える。

頭脳の中で神経に走る電流が磁場に変わったのが「 視界 」であり、「 聴覚 」であると考えている。

「 脳波 」も「 心電図 」も、宇宙論と矛盾しない電波であり、地球を囲むシューマン共振とも矛盾しない電波であるだろうと考え、「 意識は電磁波である 」と考えている。


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2010年09月19日

2010/9/19、オカルト・特殊論・世界は時空2

これは、特殊な考えである。

2010/9/18、私の記事

「 大脳 」の言葉での思考は「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」という価値観の存在を前提とした思考であり、それが「 世界 」であるが、私は、それを「 時空 」と考える。

意識に影響するのは、時間意識に影響する呼吸や心拍のリズムと空間意識に影響する身体運動可能性という「 小脳の無意識 」であると考える。


意識が五感という感覚から生まれるとすれば、五つの「 世界 」があり、その「 世界 」は現実生活であるが故に、時間意識に影響する呼吸や心拍のリズムと空間意識に影響する身体運動可能性を伴うから、五つの「 時空 」をヒトは持つと考える。


意識は形態を感じ、実体を決定するのは無意識であると考えるから、五感が五つの形態の意識であり、それは五つの「 小脳の無意識 」により、「 感覚の実体 」を与えられている事であると考える。


その五つの時空の総体が意識の総体であり、「 気持ち 」であり、「 気持ち 」を外部に表現する事は、「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」という価値観により「 気持ち 」が行為として現れる、つまり「 意思が具現化する 」と考える。


五感が五つの形態の意識であり、それは五つの「 小脳の無意識 」により、「 感覚の実体 」を与えられるが、共通する「 小脳の無意識 」が、形態に制限されずに現れるのが、「 観音 」つまり、音を観ることだろう。


2010/9/19、私の考え


五感が感情で、「 気持ち 」ならば、五感の全てが、現実生活では、時間意識に影響する呼吸や心拍のリズムと空間意識に影響する身体運動可能性を伴うから、哲学者が「 感情移入 」と言うのは、五感を往復する「 時空 」であると考える。


「 時空 」と言えば、一般的には、現実に広がる時間や空間を考えるだろうが、私は、「 真の時間や空間 」を人間が知っているのではなく、時間意識や空間意識であり、人間が知るのは、「 小脳の無意識 」が作る意識であると考える。


眼で光景を見ながら行為しているのは、「 欲 」を持って、視野に時間意識に影響する呼吸や心拍のリズムを自分の行為として置き換えて感じているのであり、「 共感 」と言うのも、同じ事だろう。


「 欲 」を持って見ているから、「 心 」が動揺し、興奮するのも、視野に時間意識に影響する呼吸や心拍のリズムを感じているからであり、社会的に考えると、時間意識は国家や民族の思想であり、出来事に「 心 」が動揺し、戦争になるのかも知れない。

自分は自分の判断で行為するが、国家や社会は自分だけの判断で行為するのは間違いだろう。

挑発的な行為に隠された「 欲 」を考えて、国益を守るのが政治家だろう。

自分を考えない、哲学を持たない単純な考えの政治家が多くて困るのは国民である。


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2010年09月18日

2010/9/18、オカルト・特殊論・世界は時空

私の考えは特殊である。

私は、脳細胞が動くのは「 脳波 」として、心臓が動くのは心電図として、前者の「 意識 」と後者の「 無意識 」は、気(ki)という生命を維持する電流により発生すると考える。

それが、私の「 生気論 」であり源は「 プラズマ宇宙論 」であると考える。

脳細胞の意識は電磁波の構造を持ち、意識の総体は「 霊 」であり「 人格 」であると考える。

「 大脳 」の言葉での思考は「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」という価値観の存在を前提とした思考であり、それが「 世界 」であるが、私は、それを「 時空 」と考える。

意識に影響するのは、時間意識に影響する呼吸や心拍のリズムと空間意識に影響する身体運動可能性という「 小脳の無意識 」であると考える。


意識が五感という感覚から生まれるとすれば、五つの「 世界 」があり、その「 世界 」は現実生活であるが故に、時間意識に影響する呼吸や心拍のリズムと空間意識に影響する身体運動可能性を伴うから、五つの「 時空 」をヒトは持つと考える。


意識は形態を感じ、実体を決定するのは無意識であると考えるから、五感が五つの形態の意識であり、それは五つの「 小脳の無意識 」により、「 感覚の実体 」を与えられている事であると考える。


その五つの時空の総体が意識の総体であり、「 気持ち 」であり、「 気持ち 」を外部に表現する事は、「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」という価値観により「 気持ち 」が行為として現れる、つまり「 意思が具現化する 」と考える。


五感が五つの形態の意識であり、それは五つの「 小脳の無意識 」により、「 感覚の実体 」を与えられるが、共通する「 小脳の無意識 」が、形態に制限されずに現れるのが、「 観音 」つまり、音を観ることだろう。

これは、画家が絵画から音楽を連想させたり、音楽家が音楽から景色を連想させたりする事だろう。

これは、五感の「 世界 」に共通する「 小脳の無意識 」が存在するから可能であり、画家が絵画から音楽を連想させるのは、絵画という空間と音楽という時間を「 小脳の無意識 」が作り出すのだと考える。

時間と空間が一体となった物を求めるのが本質を求める事であり、ビッグ・バンにより散らばった時空を一つにするのが芸術かもしれない。


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2010年09月12日

2010/9/12、竹中平蔵の失敗

日本振興銀行の経営破たんで、預金保護や事業継続のために預金保険機構の支援が、最大2000億円に達すると読売新聞は書いている。

また、中小企業を救う目的で作られた日本振興銀行が、経営破たんした最大の原因は、小泉純一郎と竹中平蔵のもとの金融庁顧問として、一時は金融行政に深くかかわった木村剛被告(銀行法違反で起訴されている)が、自分が主導する振興銀行に、早々と銀行免許を与え、それを放置して、預金者の犠牲を招いた金融庁(当時は竹中平蔵が金融大臣)の責任は重い。

木村剛被告を重用した、竹中平蔵の責任は重い。

日本銀行を離れて、まだ無名の金融コンサルタントだった木村剛被告は、竹中平蔵のブレーンとして頭角をあらわし、政府が平成14年に金融機関の不良債権比率を半減する目標を掲げて打ち出した「金融再生プログラム」の策定にも参加している。

「前々から銀行経営が夢だった。コンサルタント業で接した、困っている中小企業を救いたい」と、振興銀行の開業準備に入る。

当時は、不良債権処理を理由に貸し渋りを強めるメガバンクへの批判が高まっていた。

金融庁内にも、構造改革路線の象徴として銀行の新規参入を促進したいとの思惑があった。

 そこに木村被告は、「ミドルリスク・ミドルリターンの新しい金融モデルで、中小企業に円滑に資金を供給する」とぶち上げ、異例のスピードで銀行免許を取得した。

産経新聞による


2010/9/12、私の考え


日本で有名私立の大学教授まで勤めた竹中平蔵が、小泉純一郎の経済の無知のために、政界で指導した結果が2000億円の損失である。

エリートはエリートを好む。

そして、好むもので破綻する。

小泉純一郎のブレーンが、竹中平蔵であり木村剛被告であるから、

小泉純一郎が実施した経済政策は

「 全て 」を再検討する必要がある。


ひとつの銀行ではなく

日本国が危ない

NHKの大河ドラマで、「 坂本龍馬 」を放送していたが、

この日本国を救う「 馬 」よ、出て来い。

私は「 小脳の無意識 」を信じるが、日本国が危ないのは「 小脳 」の「 生命の危機 」にも似ている。

一般的に、このような危機的状況に、英雄が出現するのだが、「 小沢 」や 「 菅 」では、期待する事が出来ない。

若者よ、坂本龍馬が無名の武士でも日本を救ったように、エリートなどに配慮せず(彼らは自分の保身だけ考えているヒトが多い)、日本国を救って欲しい。

そのために、NHKの大河ドラマを観ていたのではないのか?

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2010年09月11日

2010/9/11、オカルト・特殊論・心脳問題2

「 脳は心を記述する事が出来るか 」

2010/9/6、私の記事

このような私の結論から、「 脳は心を記述できるか 」という問いには、否定的に考える。

あるウェブサイトで、精神科医師と脳科学者が、書簡を交わしていたが、精神科医師は、「 欲 」である「 心 」についての記述については書かず、「 心 」は言葉で記述する事が可能と言うし、脳科学者は、「 小脳 」の働きを考慮せず、脳の問題を言葉の問題にしていると思った。

ウェブサイトは、現在、閉鎖されている。


「 大脳 」の言葉での思考は「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」という価値観の存在を前提とした思考であり、脳を「 小脳 」を含めて考える時、行動に直結する「 欲 」を考える事が不可欠だと思う。


精神科医師や脳科学者は、第六感や透視などのオカルト的な直感を言葉で表現する事は出来ないと思う。


精神科医師や脳科学者は、「 時空を作る小脳の無意識 」、あるいは「 感受性 」を、考える事は無いだろうし、合理的で実証する範囲で止まるのが科学者の任務だと考えているからだ。

閉鎖した書簡が「 本 」になっても、商業主義の「 本 」だから、購入しないだろう。

「 書 」を捨てて、科学以前の、ガリレオ以前の時空に戻る事を目的とした私のブログでは、精神科医師や脳科学者の議論は不毛であるという結論になる。


2010/9/11、私の考え

閉鎖した書簡が「 本 」になって発売されている。

46版、並製、388ページ
2010年8月25日発売
定価2,000円(税5%)
ISBN978-4-902465-17-4

興味を持つヒトは購入するだろうが、私は買わない。

精神科医は、「 心 」について述べず、脳科学者は「 小脳 」や脳幹など、大脳に影響する周辺については沈黙している。

両者は、「 言葉遊び 」の段階で、本職の医師や科学者としての考えが無い。

両者は、本職から離れた「 クオリア」という言葉を議論している。

「 クオリア 」というのが、「 光 」のある周波数が脳で一定の「 質感 」を生む事だと解釈すれば、文化と人格について述べたように、「 質感 」は文化が個人の人格として具現化したもので、「 脳 」の問題より、価値観を前提とした「 哲学 」の問題であり、「 哲学 」を持たない精神科医や脳科学者に回答を求めるのは間違いだろう。

「 哲学 」を持たない精神科医や脳科学者に、文化や人格が理解する事が出来ないのは当然であり、両者は、根本的に「 クオリア」の問題を考えていない。

両者の本を読んで回答を求めるより、自分で考えた方が良いと思う。

「 書 」を捨てて、自分で考えるのが良い。

私は、両者の書簡で「 心 」が議論されると思っていたが、誤算だった。

「 心 」や「 脳 」は自分で考えよう。

人間は、ヒトから教えられなくても、誰でも自分の「 心 」や「 脳 」を持っている。

「 心 」や「 脳 」について、精神学会や脳科学学会では、答えが無いというのは書簡を見て理解した。

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2010年09月06日

2010/9/6、オカルト・特殊論・心脳問題

「 脳は心を記述できるか」

2010/9/4、私の記事

人間は宇宙の産物であれば、物理の数式が、意識と無意識に応用する事が出来ないだろうかと考えた。

E=mC2

Eを「 欲 」、mを「 DNAやRNA 」、Cは意識の電磁波と無意識の電磁波があり、Cの二乗は両者を乗じた速度ベクトルと考える。

「 欲 」は「 小脳の無意識 」であり「 心 」であり、広大に広がった可能性だと考える。

「 心 」=「 DNA 」×「 意識の光 」×「 無意識の光 」となる。

右辺は、「 ハスの花 」のように、普通は意識と無意識が分かれているが、「 修行 」や「 三昧 」の状態になる事で、「 我 」は「 自意識で囲まれた欲望 」であり、「 自意識の囲い 」を解いて小脳の無意識になって、右辺が統合される。

「 心 」は意識と無意識の総体で、「 霊 」と考える。

「 心 」の状態が「 六道 」であり、右辺の構成要素の違いで、「 六道 」に分類される。

「 肉欲が強く忘れがたいヒト 」の行動や心は「 地獄 」や「 餓鬼 」に見えるだろう。

それを克服する事が「 修行 」かも知れない。

この「 小脳の無意識 」を創造する力は、「 阿弥陀仏 」が持っていて、「 阿弥陀仏が時空である 」から、自分が作る時空を超越し、その力が、人間一人ひとりの「 小脳 」となり、「 生命 」となり、一人ひとりの「小脳が時空を作る 」と考える。

人類が持つ全ての時空は、「 絶対静止の座標軸 」の存在を前提とした「 阿弥陀仏 」の時空であり、天体の運動である真の時空ではないかも知れない。

2010/9/5、私の記事

「 心 」の範囲は次のように考える。

「 今 」や「 ここ 」が動かないと仮定しなければ、運動の相対性が判明しないように、「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」が宇宙にあるのではなく、人間の脳の中に存在し、それが「 価値観 」であり、測定するヒトは皆、「 固定した座標軸 」という価値観を持ち、地上の重力のように、誰もが持っているという意味で、普遍的なことだと思う。


空間には、方位も境界もなく、「 固定した座標軸 」から見た時空の相互関係しかなく、その相互関係が、「 欲 」というエーテルを通じ、引力のように「 小脳の無意識 」に届いて反応するとき、「 心 」が及ぶと考える。


「 心 」を「 小脳の無意識 」(つまり、心拍や呼吸や身体運動可能性)と考え、それらは、生来、与えられる資質だと考える。

この「 小脳の無意識 」を創造する力は、「 阿弥陀仏 」が持っていて、「 阿弥陀仏が時空である 」から、自分が作る時空を超越し、その力が、人間一人ひとりの「 小脳 」となり、「 生命 」となり、一人ひとりの「小脳が時空を作る 」と考える。


脳を次のように考えた。

「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」が宇宙にあるのではなく、人間の脳の中に存在し、それが「 価値観 」であり、測定するヒトは皆、「 固定した座標軸 」という価値観を持ち、地上の重力のように、誰もが持っているという意味で、普遍的なことだと思う。

意識は、脳が持つ「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」という価値観の存在を前提とした「 電磁波 」であり、生物的な遺伝子や食物のエネルギーや文化という関係の重なりと、「 絶対静止の座標軸 」である自意識により、「 我 」が成立していると考える。

「 我 」の及ぶ範囲、脳で考える事が可能な範囲は次のとうりである。

「 心 」=「 DNA 」×「 意識の光 」×「 無意識の光 」となる。

右辺は、「 ハスの花 」のように、普通は意識と無意識が分かれているが、「 修行 」や「 三昧 」の状態になる事で、「 我 」は「 自意識で囲まれた欲望 」であり、「 自意識の囲い 」を解いて小脳の無意識になって、右辺が統合される。

脳で考えられる限度が「 小脳の無意識 」、「 心 」であるが、この「 小脳の無意識 」を創造する力は、「 阿弥陀仏 」が持っていて、「 阿弥陀仏が時空である 」から、自分が作る時空を超越し、その力が、人間一人ひとりの「 小脳 」となり、「 生命 」となり、一人ひとりの「小脳が時空を作る 」と考える。

「 心 」と脳は、池に浮かぶ「 ハスの花 」に似て、花と池を往来する共通の物は「 時空 」であると思う。

「 ハスの花 」を「 思想 」と考えた時、次のような結果になる。

「 花を生存させる池の欲 」が「 花という形態となって具現化した 」事と、「 ハスの花 」の生存可能性が「 花という形態となって具現化した 」事が重なり、前者の「 区切られない物 」を後者の「 身体生存可能性 」で区切って具現化したものが「 価値観の具現化であり 」、「人格 」であり「文化」であり、「 時空の可能性 」であると考える。



2010/9/6、私の考え


このような私の結論から、「 脳は心を記述できるか 」という問いには、否定的に考える。

あるウェブサイトで、精神科医師と脳科学者が、書簡を交わしていたが、精神科医師は、「 欲 」である「 心 」についての記述については書かず、「 心 」は言葉で記述する事が可能と言うし、脳科学者は、「 小脳 」の働きを考慮せず、脳の問題を言葉の問題にしていると思った。

ウェブサイトは、現在、閉鎖されている。


「 大脳 」の言葉での思考は「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」という価値観の存在を前提とした思考であり、脳を「 小脳 」を含めて考える時、行動に直結する「 欲 」を考える事が不可欠だと思う。


精神科医師や脳科学者は、第六感や透視などのオカルト的な直感を言葉で表現する事は出来ないと思う。


精神科医師や脳科学者は、「 時空を作る小脳の無意識 」、あるいは「 感受性 」を、考える事は無いだろうし、合理的で実証する範囲で止まるのが科学者の任務だと考えているからだ。

閉鎖した書簡が「 本 」になっても、商業主義の「 本 」だから、購入しないだろう。

「 書 」を捨てて、科学以前の、ガリレオ以前の時空に戻る事を目的とした私のブログでは、精神科医師や脳科学者の議論は不毛であるという結論になる。


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2010年09月05日

2010/9/5、オカルト・特殊論・結論

「 ハス 」を考えると、「 ハスの花 」と水中の茎や「 池 」に分けられる。

前者が「 意識 」や「 精神の世界 」であり、「 大脳の世界 」であり、後者は、「 小脳 」の無意識 」の世界であり、「 心 」であると考えるようになった。


「 ハス 」は「 睡蓮 」であり、夜になると花を閉じるという。

これは、睡眠と同じで、夜、大脳が休むが小脳は大脳を覚醒させる働きに似ている。


茎や池が表現するのは、「 ハスの花 」を「 花 」として咲かせる生命力であり、「 花 」の生命力、言い換えると「 花 」の生存欲であると同時に、池が持つ生存させる力であり、それが「 花 」に及ぶ範囲が「 心 」である。


「 花を生存させる池の欲 」が「 花という形態となって具現化した 」事と、「 ハスの花 」の生存可能性が「 花という形態となって具現化した 」事が重なり、前者の「 区切られない物 」を後者の「 身体生存可能性 」で区切って具現化したものが「 価値観の具現化であり 」、「人格 」であり「文化」であると考える。

そう考えると、「 ハス 」は「 人格 」であり、「 文化 」である事になる。

仏陀から見た「 ハス 」の色は、「 人格 」の色、価値観の色、つまり「 六道 」の色かも知れない。

「 心 」の範囲は次のように考える。

「 今 」や「 ここ 」が動かないと仮定しなければ、運動の相対性が判明しないように、「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」が宇宙にあるのではなく、人間の脳の中に存在し、それが「 価値観 」であり、測定するヒトは皆、「 固定した座標軸 」という価値観を持ち、地上の重力のように、誰もが持っているという意味で、普遍的なことだと思う。


空間には、方位も境界もなく、「 固定した座標軸 」から見た時空の相互関係しかなく、その相互関係が、「 欲 」というエーテルを通じ、引力のように「 小脳の無意識 」に届いて反応するとき、「 心 」が及ぶと考える。


2010/8/29、私の記事
「 我 」は何だろう。

「 我 」は、物質面では宇宙の一部であり、宇宙空間(エーテル)が私の体の隅々にまで浸透し、宇宙に対して独自性が無いという点では、「 無我 」であろう。

生物的な遺伝子や食物のエネルギーや文化という関係の重なりと、「 絶対静止の座標軸 」である自意識により、「 我 」が成立していると考える。

「 絶対静止空間という座標軸 」は、心拍や呼吸のリズムと身体運動可能性という「 小脳 」の無意識から生じると思う。

人工衛星の中で生まれて育った人類が基準とする「 絶対静止空間座標 」は、重力が無く、上下左右の意識も無く「 小脳 」の無意識、生命力による意識という電磁波により、時空を形成するだろう。

重力が存在し、鈍感な知覚を持つ事を自覚しないヒトは、「 時空は客観的だ 」と感じるかも知れないが、地球は自転し、太陽系も宇宙の位置を変えているので、「 同時性 」はもちろん、客観的時空などは、思考されたものであり存在しない。

重力が存在し、鈍感な知覚を持ち「 時空は客観的だ 」と感じるから、「 我 」が、そのヒトの頭脳の中だけに存在する。

従って「 我 」とは、鈍感な感覚の産物であるが、保身の為には必要だろう。

区切られないものを区切るのは「 意識 」だから、意識の世界が「 我 」の世界である。

私は、「 無我 」ではなく「 大我(大きな我) 」を求める方が発展的だと思う。

人間は行動する。

行動が意識を決定するのが「 欲 」であれば、「 欲 」は無意識に属するだろう。

「 意識 」と「 欲 」に関しては、先日、考えた「 意識 」と「 心 」の事と重複する。

「 花を生存させる池の欲 」が「 花という形態となって具現化した 」事と、「 ハスの花 」の生存可能性が「 花という形態となって具現化した 」事が重なり、前者の「 区切られない物 」を後者の「 身体生存可能性 」で区切って具現化したものが「 価値観の具現化であり 」、「人格 」であり「文化」であると考える。

そう考えると、「 ハス 」は「 人格 」であり、「 文化 」である事になる。

仏陀から見た「 ハス 」の色は、「 人格 」の色、価値観の色、つまり「 六道 」の色かも知れない。

「 心 」の範囲は次のように考える。

「 今 」や「 ここ 」が動かないと仮定しなければ、運動の相対性が判明しないように、「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」が宇宙にあるのではなく、人間の脳の中に存在し、それが「 価値観 」であり、測定するヒトは皆、「 固定した座標軸 」という価値観を持ち、地上の重力のように、誰もが持っているという意味で、普遍的なことだと思う。


空間には、方位も境界もなく、「 固定した座標軸 」から見た時空の相互関係しかなく、その相互関係が、「 欲 」というエーテルを通じ、引力のように「 小脳の無意識 」に届いて反応するとき、「 心 」が及ぶと考える。



このように、「 ハスの花 」が意識界であり、「 池 」が無意識界であり、「 ハスの花 」と「 池 」とを往来するエネルギーが「 時空 」であると思う。

2010/9/4、私の記事

人間は宇宙の産物であれば、物理の数式が、意識と無意識に応用する事が出来ないだろうかと考えた。

E=mC2

Eを「 欲 」、mを「 DNAやRNA 」、Cは意識の電磁波と無意識の電磁波があり、Cの二乗は両者を乗じた速度ベクトルと考える。

「 欲 」は「 小脳の無意識 」であり「 心 」であり、広大に広がった可能性だと考える。

「 心 」=「 DNA 」×「 意識の光 」×「 無意識の光 」となる。

右辺は、「 ハスの花 」のように、普通は意識と無意識が分かれているが、「 修行 」や「 三昧 」の状態になる事で、「 我 」は「 自意識で囲まれた欲望 」であり、「 自意識の囲い 」を解いて小脳の無意識になって、右辺が統合される。

「 心 」は意識と無意識の総体で、「 霊 」と考える。

「 心 」の状態が「 六道 」であり、右辺の構成要素の違いで、「 六道 」に分類される。

「 肉欲が強く忘れがたいヒト 」の行動や心は「 地獄 」や「 餓鬼 」に見えるだろう。

それを克服する事が「 修行 」かも知れない。

この「 小脳の無意識 」を創造する力は、「 阿弥陀仏 」が持っていて、「 阿弥陀仏が時空である 」から、自分が作る時空を超越し、その力が、人間一人ひとりの「 小脳 」となり、「 生命 」となり、一人ひとりの「小脳が時空を作る 」と考える。

人類が持つ全ての時空は、「 絶対静止の座標軸 」の存在を前提とした「 阿弥陀仏 」の時空であり、天体の運動である真の時空ではないかも知れない。

2010/9/5、私の考え

「 心 」の範囲は次のように考える。

「 今 」や「 ここ 」が動かないと仮定しなければ、運動の相対性が判明しないように、「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」が宇宙にあるのではなく、人間の脳の中に存在し、それが「 価値観 」であり、測定するヒトは皆、「 固定した座標軸 」という価値観を持ち、地上の重力のように、誰もが持っているという意味で、普遍的なことだと思う。


空間には、方位も境界もなく、「 固定した座標軸 」から見た時空の相互関係しかなく、その相互関係が、「 欲 」というエーテルを通じ、引力のように「 小脳の無意識 」に届いて反応するとき、「 心 」が及ぶと考える。


「 心 」を「 小脳の無意識 」(つまり、心拍や呼吸や身体運動可能性)と考え、それらは、生来、与えられる資質だと考える。

この「 小脳の無意識 」を創造する力は、「 阿弥陀仏 」が持っていて、「 阿弥陀仏が時空である 」から、自分が作る時空を超越し、その力が、人間一人ひとりの「 小脳 」となり、「 生命 」となり、一人ひとりの「小脳が時空を作る 」と考える。


脳を次のように考えた。

「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」が宇宙にあるのではなく、人間の脳の中に存在し、それが「 価値観 」であり、測定するヒトは皆、「 固定した座標軸 」という価値観を持ち、地上の重力のように、誰もが持っているという意味で、普遍的なことだと思う。

意識は、脳が持つ「 絶対静止の空間 」、「 固定した座標軸 」という価値観の存在を前提とした「 電磁波 」であり、生物的な遺伝子や食物のエネルギーや文化という関係の重なりと、「 絶対静止の座標軸 」である自意識により、「 我 」が成立していると考える。

「 我 」の及ぶ範囲、脳で考える事が可能な範囲は次のとうりである。

「 心 」=「 DNA 」×「 意識の光 」×「 無意識の光 」となる。

右辺は、「 ハスの花 」のように、普通は意識と無意識が分かれているが、「 修行 」や「 三昧 」の状態になる事で、「 我 」は「 自意識で囲まれた欲望 」であり、「 自意識の囲い 」を解いて小脳の無意識になって、右辺が統合される。

脳で考えられる限度が「 小脳の無意識 」、「 心 」であるが、この「 小脳の無意識 」を創造する力は、「 阿弥陀仏 」が持っていて、「 阿弥陀仏が時空である 」から、自分が作る時空を超越し、その力が、人間一人ひとりの「 小脳 」となり、「 生命 」となり、一人ひとりの「小脳が時空を作る 」と考える。

「 心 」と脳は、池に浮かぶ「 ハスの花 」に似て、花と池を往来する共通の物は「 時空 」であると思う。

「 ハスの花 」を「 思想 」と考えた時、次のような結果になる。

「 花を生存させる池の欲 」が「 花という形態となって具現化した 」事と、「 ハスの花 」の生存可能性が「 花という形態となって具現化した 」事が重なり、前者の「 区切られない物 」を後者の「 身体生存可能性 」で区切って具現化したものが「 価値観の具現化であり 」、「人格 」であり「文化」であり、「 時空の可能性 」であると考える。

posted by kandk55 at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 28 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月04日

2010/9/4、オカルト・特殊論5、目覚め

僧侶が、なぜ「 三昧 」を求めて修行するのか、結論に至らなかった。

そして、どうしても、ガンジーや上杉謙信が言った「 死中生有り、生中生無し 」の言葉が思い出された。


修行や「 三昧 」の状態は、意識と無意識の区別が無くなる事だと思うが、私は、「 我 」は「 自意識で囲まれた欲望 」であり、「 自意識の囲いを解いて小脳の無意識になる事 」が「 三昧 」だと考える。

自己の「 欲望 」ではなく、人間としての「 欲 」を知る事、あるいは、宇宙を飛び交う光のように、自己の意識の電磁波のエネルギーである「 気(ki)」が無意識の「 池 」の中に没する反面、意識の電磁波が無意識の「 エーテル体 」に拡大する事が「 目覚め 」であり、「 悟り 」だろう。

これが、「 死中生有り 」の意味だと考える。

「 欲 」は「 小脳の無意識 」であり「 心 」であり、広大に広がった可能性だと考えると、「 欲望 」に囚われている時は価値観という重力が及ぶ気(ki)が充満した「 我欲 」であり、「 小脳の無意識 」の範囲には及ばない。

これが「 生中生無し 」の意味だと考える。

有るとか無いとか言う「 生 」は「 小脳の無意識 」であり、「 死 」や「 生 」の欲望の下に隠れていると考える。


人間は宇宙の産物であれば、物理の数式が、意識と無意識に応用する事が出来ないだろうかと考えた。

E=mC2

Eを「 欲 」、mを「 DNAやRNA 」、Cは意識の電磁波と無意識の電磁波があり、Cの二乗は両者を乗じた速度ベクトルと考える。

「 欲 」は「 小脳の無意識 」であり「 心 」であり、広大に広がった可能性だと考える。

「 心 」=「 DNA 」×「 意識の光 」×「 無意識の光 」となる。

右辺は、「 ハスの花 」のように、普通は意識と無意識が分かれているが、「 修行 」や「 三昧 」の状態になる事で、「 我 」は「 自意識で囲まれた欲望 」であり、「 自意識の囲い 」を解いて小脳の無意識になって、右辺が統合される。

「 心 」は意識と無意識の総体で、「 霊 」と考える。

「 心 」の状態が「 六道 」であり、右辺の構成要素の違いで、「 六道 」に分類される。

「 肉欲が強く忘れがたいヒト 」の行動や心は「 地獄 」や「 餓鬼 」に見えるだろう。

それを克服する事が「 修行 」かも知れない。

この「 小脳の無意識 」を創造する力は、「 阿弥陀仏 」が持っていて、「 阿弥陀仏が時空である 」から、自分が作る時空を超越し、その力が、人間一人ひとりの「 小脳 」となり、「 生命 」となり、一人ひとりの「小脳が時空を作る 」と考える。

人類が持つ全ての時空は、「 絶対静止の座標軸 」の存在を前提とした「 阿弥陀仏 」の時空であり、天体の運動である真の時空ではないかも知れない。

Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 28 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする