2012年04月28日

2012/4/28、オカルト・私の思い21・思考エネルギー3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2012/4/21、私の記事


これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであるから、同調を求めない。


さて、以上のように、「 思うこと 」をエネルギーと考えるとき、私は次のような関係だろうと思う。

「 思うこと 」のエネルギー(E)は、情(zyou)の一定の関係(M)に「 夢 」(C1)と「 構想力 」(C2)を乗じたものと考える。


E=M×C1×C2


「 M 」はバイオリズムや遺伝子情報などが習慣となった一定の関係(存在)であり、「 C1 」×「 C2 」は直感であり、関係から関係への飛躍を可能とするエネルギーであり、前者を精神状態の物質、後者を精神状態の「 電磁波 」で「 夢 」(C1)は無意識、「 構想力 」(C2)は意識の「 電磁波 」と考える。


「 乗じる 」とは、ひとつの項目が変化すれば、その変化が全体に及ぶことである。


「 夢 」を思い出すことは記憶であり、「 夢そのもの 」は認識することは出来ない。

「 構想力 」も自覚することは出来ない。


しかし、両者は、情(zyou)の一定の関係(M)を組み替えて、現実の状況を作ることは出来ることで、同じ性質を持つと思う。


MとC1とC2は、人類全てが相違し、「 思う力 」(E)も人類全てが相違するが、共通なことは、E=M×C1×C2であることだと思う。


Eが行為に具現化する力で、行為が「 人格の現れ 」であれば、その内面は、M×C1×C2であるだろう。


人格の変化を期待するなら、M×C1×C2を変化させる必要があると思う。



2012/4/22、私の記事


これは、私だけの考えであり、思考するモルモットであるから同調は求めない。


E=M×C1×C2


これは、「 現在 」の気(ki)の中で、行為に現れるエネルギーであり、無意識の「 夢 」(C1)を含み、それが「 生命(時間)と共変する 」、言い換えると時間の変化が先験的に認識できないから、時間の経過が認識できず、直感(C1×C2)が突然、現れる場合もあれば、永遠に現れることを認識できない場合もあるだろう。


しかし、E=M×C1×C2は、現在の行為の中で現れる共通のエネルギーだと思うから、M(一定の関係)で行われる行為の中に、常に現れていると思う。


行為は、「 過去や未来 」では不可能で、「 現在 」可能であるから、E=M×C1×C2は「 現在 」に成り立つ関係だと思う。


「 常に現れる 」というから、行為の本質であり、人格の発露である行為の本質だと思うが、「 夢 」という無意識を必ず含み、その方向が「 生きる目的 」という生きがいに沿わない場合は、「 無明 」であると思う。


E=M×C1×C2は、「 無明 」の中でM(一定の関係)を行為に具現化(実体化)するためのエネルギーであると思う。


多くの場合、行為は「 無明 」の中の関係の「 実体 」であり、E(エネルギー)が完全に発揮されている場合は少ないだろう。


MとC1とC2を増加させるためには、外部のMであり、変化を認識することが出来る「 無常 」である情(zyou)の援助が必要であると思う。


援助になる情(zyou)とは、Mには知識や情報だろうし、C1には「 夢 」でなく「 大志 」という目的だろうし、C2には、プラス思考(構想)やマイナス思考(構想)だろう。


私は、どんな情(zyou)の援助を受けるかで、現状が良くもなるし、悪くもなると思う。


2012/4/28、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

@「 夢 」は、睡眠中での脳の作用であり、それ自体を認識することは出来ない。


A「 夢 」を語るのは、「 夢の記憶 」であり、それは、覚醒したときの「 構想力 」であるから、「 夢診断 」の「 性衝動 」は「 構想力 」である。


B @とAより、「 夢診断 」などは不可能であり、情(zyou)や記憶により思い出した「 夢 」を分析して過去や未来を決定し、予想するのは、現実の「 夢を利用した 」性格判断である。


この理由により、「 性衝動 」が無意識であり、生命であるとは思うが、私は賛成しない。


無意識は「 性衝動 」より範囲が広く、「 性 」だけでは判断することは出来ないと考えるし、「 意識 」も解明していないのに、「 性衝動 」だけが無意識であるとは思わない。



C 私は、E(人格形成のエネルギー)は、E=M×C1×C2と考え、「 C1(夢) 」は、睡眠中の記憶を問題にするのではなく、「 覚醒時の夢 」を考え、「 C1(夢) 」は「 大志 」と考え、その具現化が、現実の「 行為 」であるから、 E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2が具現化した行為は「 人格の表現 」であると思う。


C1(夢)を覚醒状態のとき見るとき、エネルギーとなると思う。


C1の「 夢 」あるいは「 大志や目的 」の方向に、「 プラス思考 」は、「 プラスの構想力 」、「 マイナス思考 」は「 マイナスの構想力 」が働き、行為が習慣的になり、Mの「 一定の関係・心的存在意識 」を作り、それが他人には「 物 」と見られ、「 その人の人格 」と判断されると思う。


E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2が具現化した行為は「 人格の表現 」で、M(一定の関係・心的存在意識)になったとき、「 人物 」となるが、他者が私を「 人物 」と認めたとき、私の中では「 さらなる人格の具現化 」が始まっている。


その構造が、「 志向性 」や「 指向性 」であると考える。


「 志向性 」とは、すべての意識が常にある何ものかについての意識であるという意識の特性をいい、物質的、自然的現象から区別された心的現象を分析するが、私は賛成しない。


「 何者かについての意識 」の「 何者 」とは、「 C1(夢) 」であり、「 志向性 」はC1(夢)の具現化に向かう(無意識の)エネルギーであると思う。


C1(夢)は、行為の可能性であり、一般的には過去に「 夢 」を見ると言うだろうが、私は、C1(夢)は、覚醒時のC2(想定)と同じだが、C2(想定)が因果関係などの合理的な関係に従うのに反し、C1(夢)は合理的な関係に従わないことが相違すると考える。


意識はC1(夢)や行為の可能性を具現化するため、即ち人格を形成するために「 志向性 」という特性を持つと思う。


意識の志向性を考えるとは、意識の対象の心的現象を考えることで止まらず、C1(夢)に向かって、行為し、人格の形成を考えることまで発展すると思う。


私は、E(人格形成のエネルギー)は、E=M×C1×C2と考え、「 C1(夢) 」は、睡眠中の記憶を問題にするのではなく、「 覚醒時の夢 」を考え、「 C1(夢) 」は「 大志 」と考え、その具現化が、現実の「 行為 」であり、 E=M×C1×C2というエネルギーが「 心的現象 」であり、それが具現化した行為は「 人格の表現 」と思う。



ここで、私だけの考えは、さらに続く。


C1(夢)は、バイオリズムなどの物質波で、C2(構想力)は、脳や心臓を動かす電磁波で、これがMという遺伝子情報や知識など全ての情報を含む情(zyou)のバランスを変化させるとき、「 人格 」に大きなエネルギーを発生させると考える。


反対に「 人格 」が変化したときは、E=M×C1×C2のバランスが変化したときと考える。


E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2という無意識の「 エネルギー 」を生むC1(夢)が「 志向性 」や「 指向性 」を生み、人格の形成に進むから、コンピューターにとって志向性というエネルギーが判断不能であることは言うまでもない。



志向性(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%90%91%E6%80%A7


指向性(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87%E5%90%91%E6%80%A7


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2012年04月22日

2012/4/22、オカルト・私の思い20・思考エネルギー2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2012/4/21、私の記事


これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであるから、同調を求めない。


さて、以上のように、「 思うこと 」をエネルギーと考えるとき、私は次のような関係だろうと思う。

「 思うこと 」のエネルギー(E)は、情(zyou)の一定の関係(M)に「 夢 」(C1)と「 構想力 」(C2)を乗じたものと考える。


E=M×C1×C2


「 M 」はバイオリズムや遺伝子情報などが習慣となった一定の関係(存在)であり、「 C1 」×「 C2 」は直感であり、関係から関係への飛躍を可能とするエネルギーであり、前者を精神状態の物質、後者を精神状態の「 電磁波 」で「 夢 」(C1)は無意識、「 構想力 」(C2)は意識の「 電磁波 」と考える。


「 乗じる 」とは、ひとつの項目が変化すれば、その変化が全体に及ぶことである。


「 夢 」を思い出すことは記憶であり、「 夢そのもの 」は認識することは出来ない。

「 構想力 」も自覚することは出来ない。


しかし、両者は、情(zyou)の一定の関係(M)を組み替えて、現実の状況を作ることは出来ることで、同じ性質を持つと思う。


MとC1とC2は、人類全てが相違し、「 思う力 」(E)も人類全てが相違するが、共通なことは、E=M×C1×C2であることだと思う。


Eが行為に具現化する力で、行為が「 人格の現れ 」であれば、その内面は、M×C1×C2であるだろう。


人格の変化を期待するなら、M×C1×C2を変化させる必要があると思う。



2012/4/22、私の考え


これは、私だけの考えであり、思考するモルモットであるから同調は求めない。


E=M×C1×C2


これは、「 現在 」の気(ki)の中で、行為に現れるエネルギーであり、無意識の「 夢 」(C1)を含み、それが「 生命(時間)と共変する 」、言い換えると時間の変化が先験的に認識できないから、時間の経過が認識できず、直感(C1×C2)が突然、現れる場合もあれば、永遠に現れることを認識できない場合もあるだろう。


しかし、E=M×C1×C2は、現在の行為の中で現れる共通のエネルギーだと思うから、M(一定の関係)で行われる行為の中に、常に現れていると思う。


行為は、「 過去や未来 」では不可能で、「 現在 」可能であるから、E=M×C1×C2は「 現在 」に成り立つ関係だと思う。


「 常に現れる 」というから、行為の本質であり、人格の発露である行為の本質だと思うが、「 夢 」という無意識を必ず含み、その方向が「 生きる目的 」という生きがいに沿わない場合は、「 無明 」であると思う。


E=M×C1×C2は、「 無明 」の中でM(一定の関係)を行為に具現化(実体化)するためのエネルギーであると思う。


多くの場合、行為は「 無明 」の中の関係の「 実体 」であり、E(エネルギー)が完全に発揮されている場合は少ないだろう。


MとC1とC2を増加させるためには、外部のMであり、変化を認識することが出来る「 無常 」である情(zyou)の援助が必要であると思う。


援助になる情(zyou)とは、Mには知識や情報だろうし、C1には「 夢 」でなく「 大志 」という目的だろうし、C2には、プラス思考(構想)やマイナス思考(構想)だろう。


私は、どんな情(zyou)の援助を受けるかで、現状が良くもなるし、悪くもなると思う。





プラス思考(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E6%80%9D%E8%80%83


マイナス思考(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B9%E6%80%9D%E8%80%83



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2012年04月21日

2012/4/21、オカルト・私の思い19・思考エネルギー

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2012/4/7、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上のように、「 構想力 」と「 夢 」は、脳の覚醒したときか睡眠しているときかの違いであり、両者は同じ脳の働きであると思う。


前者が、「 関係 」から「 関係 」へと意識的に「 因果 」を思う力であり、後者は、前者の力から「 因果 」を除いた脳の力であるかも知れない。


両者は、気(ki)の領域であり、意識的にも無意識でも認識は不可能で、先験的であるが、気(ki)の領域の「 現在 」の「 行為 」(例えば、呼吸)への具現化により、認識される。


前者では、「 発明 」や「 発見 」したときに、呼吸や脈拍数が多くなるだろうし、後者は「 悪夢 」をみたとき、呼吸が乱れるだろう。


呼吸という「 行為 」による認識は情(zyou)であり、感情であり、過去や未来の「 因果 」へ連結する。


「 関係 」から「 関係 」へと意識的に「 因果 」を思う力は、過去の知識や遺伝情報などの情(zyou)から発生すると思うが、「 力そのもの 」は、情(zyou)ではなく、気(ki)であると考える。


それは、「 時間 」により自然に発生する「 力 」ではないことであり、「 今 」「 現在 」、思うことから生じる力であり、それゆえに「 構想力 」も「 夢 」も、無意識の「 エネルギー 」の領域であることである。


「 思うこと 」が「 エネルギー 」に変換されると、「 私は思う 」。


「 構想力 」や「 夢 」という「 思い 」は気(ki)という「 現在 」の「 行為 」に具現化する「 力 」、言い換えれば「 エネルギー 」であると思う。



2012/4/21、私の考え


これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであるから、同調を求めない。


さて、以上のように、「 思うこと 」をエネルギーと考えるとき、私は次のような関係だろうと思う。

「 思うこと 」のエネルギー(E)は、情(zyou)の一定の関係(M)に「 夢 」(C1)と「 構想力 」(C2)を乗じたものと考える。


E=M×C1×C2


「 M 」はバイオリズムや遺伝子情報などが習慣となった一定の関係(存在)であり、「 C1 」×「 C2 」は直感であり、関係から関係への飛躍を可能とするエネルギーであり、前者を精神状態の物質、後者を精神状態の「 電磁波 」で「 夢 」(C1)は無意識、「 構想力 」(C2)は意識の「 電磁波 」と考える。


「 乗じる 」とは、ひとつの項目が変化すれば、その変化が全体に及ぶことである。


「 夢 」を思い出すことは記憶であり、「 夢そのもの 」は認識することは出来ない。

「 構想力 」も自覚することは出来ない。


しかし、両者は、情(zyou)の一定の関係(M)を組み替えて、現実の状況を作ることは出来ることで、同じ性質を持つと思う。


MとC1とC2は、人類全てが相違し、「 思う力 」(E)も人類全てが相違するが、共通なことは、E=M×C1×C2であることだと思う。


Eが行為に具現化する力で、行為が「 人格の現れ 」であれば、その内面は、M×C1×C2であるだろう。


人格の変化を期待するなら、M×C1×C2を変化させる必要があると思う。

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2012年04月14日

2012/4/14、オカルト・私の思い18・構想力と夢と直感

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2012/3/31、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 構想力 」が、悟性と感性に共通した別物であるならば、悟性を意識、感性をバイオリズムや無意識、それに共通な別物として「 関係 」を考えたとき、「 構想力 」とは何だろうか?


ネットで調べると、カントは、「 構想力 」は「 時間 」と考えたそうである。


「 時間 」は生命だと考えたのだろう。


「 無意識 」を考えたくない気持ちは理解できるが、私は、「 意識 」と「 無意識 」と一旦は分けて考え、前者は「 気(ki)」であり、「 無明 」の領域であり、後者は「 情(zyou)」であり、無明から生まれた「 一定の関係 」を相対化する「 無常 」の領域だと考える。


私は「 先験的 」で認識不可能なものとして、大脳の覚醒した「 意識 」では「 構想力 」であり、小脳の睡眠の「 無意識 」では「 夢 」であると考える。


覚醒した状態(意識)も睡眠した状態(無意識)でも、呼吸は続き、従って「 現在 」であるし、両者は「 今 」の中で働く、物語を結合させる「 力 」である。


覚醒した状態(意識)は、「 行動 」の可能性を目的とするから、「 関係 」という「 物語 」を「 一定の関係 」に変える「 力 」が「 構想力 」だと思う。


「 一定の関係 」から「 一定の関係 」を連想するのも「 構想力 」だろう。


睡眠した状態(無意識)では、「 行動 」の目的は無く、無作為に「 物語 」を結合するのが「 夢 」であるだろう。


「 構想力 」は何を「 一定の関係 」、即ち「 存在 」と認識したかで判断し、「 夢 」もどのような夢をみたのかは、記憶により思い出すだけで、働く「 力 」は認識不能である。


両者は、「 認識不能 」ということでは、「 先験的 」であり、生命の維持に必要であるから、生命と「 共変 」する、即ち「 構想力 」や「 夢 」が生命の一部であると考える。


2012/4/7、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上のように、「 構想力 」と「 夢 」は、脳の覚醒したときか睡眠しているときかの違いであり、両者は同じ脳の働きであると思う。


前者が、「 関係 」から「 関係 」へと意識的に「 因果 」を思う力であり、後者は、前者の力から「 因果 」を除いた脳の力であるかも知れない。


両者は、気(ki)の領域であり、意識的にも無意識でも認識は不可能で、先験的であるが、気(ki)の領域の「 現在 」の「 行為 」(例えば、呼吸)への具現化により、認識される。


前者では、「 発明 」や「 発見 」したときに、呼吸や脈拍数が多くなるだろうし、後者は「 悪夢 」をみたとき、呼吸が乱れるだろう。


呼吸という「 行為 」による認識は情(zyou)であり、感情であり、過去や未来の「 因果 」へ連結する。


「 関係 」から「 関係 」へと意識的に「 因果 」を思う力は、過去の知識や遺伝情報などの情(zyou)から発生すると思うが、「 力そのもの 」は、情(zyou)ではなく、気(ki)であると考える。


それは、「 時間 」により自然に発生する「 力 」ではないことであり、「 今 」「 現在 」、思うことから生じる力であり、それゆえに「 構想力 」も「 夢 」も、無意識の「 エネルギー 」の領域であることである。


「 思うこと 」が「 エネルギー 」に変換されると、「 私は思う 」。


「 構想力 」や「 夢 」という「 思い 」は気(ki)という「 現在 」の「 行為 」に具現化する「 力 」、言い換えれば「 エネルギー 」であると思う。


2012/4/14、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


「 構想力 」と「 夢 」を以上のように考えるとき、「 直感 」は両者の混合であると思う。


「 直感 」は「 第六感 」とも言われるが、「 睡眠中 」では発揮できないし、覚醒中に論理を積み重ねても、発揮できないと思う。


論理の積み重ねはコンピューターが得意であるが、コンピューターが人工知能であっても「 直感 」は出来ない。


覚醒中に夢をみるというのは、「 関係 」や因果や論理を伴わないときは、「 空想 」であり、それらを伴うとき、「 直感 」というだろう。


それは「 関係 」から「 関係 」への飛躍であり、飛躍自体が「 夢を思う力 」、即ち「 思う力 」というエネルギーであり、気(ki)という現在で行われる行為に具現化すると思う。


「 直感 」が「 第六感 」というのは、感覚それ自体が「 心 」によるもので、認識不能であると同じ意味で、「 直感 」が「 構想力 」と「 夢 」の混合であり認識不能であるが、エネルギーとして持っているから、六番目の感覚というのだと思う。


論理の積み重ねはコンピューターが得意であるが、コンピューターが人工知能であっても「 直感 」することが出来ないのは、「 直感 」が生命に「 関係するもの 」であり、「 生きる過程 」が「 直感 」という無意識での行為であり「 直感 」である。


「 直感するコンピューター 」の下で働くというのも好きでない。


常識では考えられないことを結びつけることにより、発明や発見が生まれ、これが「 夢を実現した 」といわれるが、「 実現 」は構想が現実になることで、「 夢 」は「 構想力 」であると思う。


「 夢 」は無意識で、意識である「 構想 」を導き、気(ki)という現在の中で、「 思う力 」としてエネルギーになったとき、「 直感 」が働いたというのだと思う。





直感(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E8%A6%B3
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2012年04月10日

2012/4/10、近所の桜(夕暮れ)

夕暮れの近所の桜です



sakura
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2012年04月07日

2012/4/7、オカルト・私の思い17・構想力と夢

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2012/3/31、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 構想力 」が、悟性と感性に共通した別物であるならば、悟性を意識、感性をバイオリズムや無意識、それに共通な別物として「 関係 」を考えたとき、「 構想力 」とは何だろうか?


ネットで調べると、カントは、「 構想力 」は「 時間 」と考えたそうである。


「 時間 」は生命だと考えたのだろう。


「 無意識 」を考えたくない気持ちは理解できるが、私は、「 意識 」と「 無意識 」と一旦は分けて考え、前者は「 気(ki)」であり、「 無明 」の領域であり、後者は「 情(zyou)」であり、無明から生まれた「 一定の関係 」を相対化する「 無常 」の領域だと考える。


私は「 先験的 」で認識不可能なものとして、大脳の覚醒した「 意識 」では「 構想力 」であり、小脳の睡眠の「 無意識 」では「 夢 」であると考える。


覚醒した状態(意識)も睡眠した状態(無意識)でも、呼吸は続き、従って「 現在 」であるし、両者は「 今 」の中で働く、物語を結合させる「 力 」である。


覚醒した状態(意識)は、「 行動 」の可能性を目的とするから、「 関係 」という「 物語 」を「 一定の関係 」に変える「 力 」が「 構想力 」だと思う。


「 一定の関係 」から「 一定の関係 」を連想するのも「 構想力 」だろう。


睡眠した状態(無意識)では、「 行動 」の目的は無く、無作為に「 物語 」を結合するのが「 夢 」であるだろう。


「 構想力 」は何を「 一定の関係 」、即ち「 存在 」と認識したかで判断し、「 夢 」もどのような夢をみたのかは、記憶により思い出すだけで、働く「 力 」は認識不能である。


両者は、「 認識不能 」ということでは、「 先験的 」であり、生命の維持に必要であるから、生命と「 共変 」する、即ち「 構想力 」や「 夢 」が生命の一部であると考える。


2012/4/7、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上のように、「 構想力 」と「 夢 」は、脳の覚醒したときか睡眠しているときかの違いであり、両者は同じ脳の働きであると思う。


前者が、「 関係 」から「 関係 」へと意識的に「 因果 」を思う力であり、後者は、前者の力から「 因果 」を除いた脳の力であるかも知れない。


両者は、気(ki)の領域であり、意識的にも無意識でも認識は不可能で、先験的であるが、気(ki)の領域の「 現在 」の「 行為 」(例えば、呼吸)への具現化により、認識される。


前者では、「 発明 」や「 発見 」したときに、呼吸や脈拍数が多くなるだろうし、後者は「 悪夢 」をみたとき、呼吸が乱れるだろう。


呼吸という「 行為 」による認識は情(zyou)であり、感情であり、過去や未来の「 因果 」へ連結する。


「 関係 」から「 関係 」へと意識的に「 因果 」を思う力は、過去の知識や遺伝情報などの情(zyou)から発生すると思うが、「 力そのもの 」は、情(zyou)ではなく、気(ki)であると考える。


それは、「 時間 」により自然に発生する「 力 」ではないことであり、「 今 」「 現在 」、思うことから生じる力であり、それゆえに「 構想力 」も「 夢 」も、無意識の「 エネルギー 」の領域であることである。


「 思うこと 」が「 エネルギー 」に変換されると、「 私は思う 」。


「 構想力 」や「 夢 」という「 思い 」は気(ki)という「 現在 」の「 行為 」に具現化する「 力 」、言い換えれば「 エネルギー 」であると思う。


人間は、みんな、「 思うとおりに 」生活しているのであり、「 思い 」が「 行為 」の「 エネルギー 」になって生活しているのであり、「 可能性 」は「 行為の可能性 」であり、新たな「 自分 」を発見する原動力は、「 構想力 」や「 夢 」という「 思い 」であると思う。


気(ki)という「 現在 」の呼吸の中で、「 構想力 」や「 夢 」という「 思い 」が原動力になって「 行為 」をしていると考える。


われ思う、ゆえにわれは生きる。
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