2012年05月29日

2012/5/29、原子力発電は本当に必要か?

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



ヤフーニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120529-00000046-mai-soci


<核燃サイクル>秘密会議「第三者検証を」 新大綱策定会議
毎日新聞 5月29日(火)12時37分配信

原子力委員会の新大綱策定会議で核燃料サイクルを巡る秘密会議について批判する金子勝・慶応大教授(右手前)を厳しい表情で見つめる近藤駿介委員長=東京都千代田区で2012年5月29日午前、森田剛史撮影
 原発事故後の新たな原子力政策を論議する内閣府原子力委員会の専門部会「新大綱策定会議」が29日、東京都内であり、使用済み核燃料を再利用する核燃サイクル推進側による秘密会議問題について、複数の委員が第三者委員会による検証を求めた。議長の近藤駿介原子力委員長(69)は「痛切に反省している」と謝罪し、23回の秘密会議で使用した資料を順次公開する方針を示したが、検証については明言を避けた。策定会議は紛糾し、議事に入らず終了した。
【最初のスクープ】核燃サイクル原案 秘密会議で評価書き換え 再処理を有利
 近藤委員長は会議後、記者団に策定会議の議長を務めている点について「見直しも検討課題」と交代の可能性に言及した。
 この問題は核燃サイクルの見直しをしていた原子力委・小委員会の報告案原案が4月24日の「勉強会」と称する秘密会議に示され、再処理に有利になるよう求める事業者の意向に沿って結論部分の「総合評価」が書き換えられ、小委員会に提出されたというもの。小委員会は修正後の総合評価を踏襲し、前回(今月23日)の新大綱策定会議に報告した。
 発覚後初めてとなるこの日の策定会議で、近藤委員長は謝罪したが、自身も4回参加していたのに「監督不行き届きだった」と話した。委員の金子勝・慶応大教授、伴英幸・原子力資料情報室共同代表、浅岡美恵・気候ネットワーク代表(弁護士)らは第三者機関による検証を求めたが近藤委員長は「積極的にするつもりはない」とあいまいな答えに終始した。



2012/5/30、私の考え


誠に恥ずかしいが、これが日本の、原子力発電に関わる政府の態度である。

かって、ノーベル賞候補になった小説家は何も言わないが、私が原子力発電について感じることを書く。

ヤフーニュースでは次のようである。

原発事故後の新たな原子力政策を論議する内閣府原子力委員会の専門部会「新大綱策定会議」で、核燃サイクルの見直しをしていた原子力委・小委員会の報告案原案が4月24日の「勉強会」と称する秘密会議に示され、再処理に有利になるよう求める事業者の意向に沿って結論部分の「総合評価」が書き換えられ、小委員会に提出された。

原子力が、安全なエネルギー源かどうかを考える前に、推進側に事前に内容を秘密会議で示されたらしが、政府は「新大綱策定会議」に図る前に、原発の推進を考えているように感じられる。

私は、「 政府の言う安全 」とは、もし被害があれば税金を投入する範囲であるように思う。

「 原子力安全委員会では安全だといわないが、政府の判断で、原発再開を決めてくれ 」というくらいなら、私だって言える。

専門家が「 安全でない 」と思えば、原発再開に反対というべきである。

「 政府の言う安全 」とは、もし被害があれば税金を投入する範囲であると感じるのは、補助金などmoney を住民に配布すれば、我慢すべきというなら、「 原発配置 」と「 沖縄の基地 」とは同じ考えではないかと思う。

money さえあれば、全てが片付くというのは間違いだろう。

介護の問題でも、money さえあれば、介護を受けることが出来るといのは、大間違いだと思う。

人間は感情の生き物であり、money では動かない場合もあるからだ。

東日本大震災を支援するのは、money だけでない。

生まれた故郷を、money と引き換えに失うことが嫌いであるため、危険な原発再開に反対しているのだと思う。

「 沖縄 」の米軍基地についても同じく、money で解決しようとするのは大間違いだろう。


日本の考えが「 拝金主義 」になっているのではないかと不安に思う。
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2012/5/29、オカルト・思考エネルギー8・Mは人格2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/5/21、私の記事


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


2012/5/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間は、「 生起 」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「 縁起 」(注)の領域であり、原因が結果となって現れるのを、Aの時間で予想することは出来ないだろう。


「 縁起 」とは、@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情(zyou)で作られる情報ではなく、人類には「 先験的 」であり、宇宙の誕生から死滅が「 無明 」であるように、「 無明 」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」であり、時制的には「 現在 」の「 今 」の無明として現れて、意識で「 無明 」と感じ、「 心的存在意識 」や「 行為 」によって、「 形 」に具現化するが、その「 行為 」が「 縁起 」になり、さらに先(未来)の結果を決めるという形で「 連続 」していると思う。


@の時間は「 現在 」の気(ki)の中の無明であり、現在の行為が情(zyou)で決まる未来の結果になり、「 行為の可能性 」は「 結果の可能性 」であり、現在の中で「 行為 」が「 人格 」であれば、「 他の人格になる可能性 」であると考える。

………(略)………………………


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。



2012/5/27、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間を、Aの時間で測定することは出来ないと思う。


「 存在 」を「 時間 」で表現するのではなく、「 存在 」は@の時間で、「 縁起の関係 」であり、「 時間 」は「 時間意識 」であり、Aの時間であり、「 関係 」を感覚に具現化するバイオリズムや無意識を伴い、@の時間が、人類は全て共通であるのに反し、Aの時間は、人類全てが相違する。


「 人間存在 」を時間で測定する(いつまで生きるか)ことは「 縁起 」の関係で不可能であり、それに注目すべきでなく、「 死 」を迎えるときには個人の「 人格 」が現れるのであり、大事なのは、どのような「 人格 」を持ったまま「 死 」を迎えるかであると思う。


人格は一瞬にして変わるものではなく、一刻、一刻と変わる「 他の人格になる可能性 」の中に、自分の人格を形成することにより、「 死 」を迎える人格が形成される。


「 いかに死すべきか 」は、個人の美意識であり、昔の人は「 武士道は死ぬこととみつけたり 」と、没我、献身に重きを置き、「 正義 」のために死すべきと考えたが、「 正義 」とは「 正しい人の道(人倫)」と解釈すれば、それは「 正義 」というC1(夢)を持って人格を形成しなければ、「 正義(人倫) 」にために死ぬことは出来ない。


「 人格は死にざまを決める 」


それは、時間が経過すれば人格が形成されるのではなく、縁起の中に自分の人格を形成する努力が必要であると思う。



2012/5/29、私の考え



これは、私だけの考えであり、同意を求めない。


Aの時間と@の時間の中のMの不連続と連続、意識や無意識と、無常と無明がどのような関係であるかについて考えた。


これらの前者が大脳の領域で、後者が小脳の領域であると思う。


@の時間が宇宙の時間(空間関係)で、Aの時間が、宇宙の時間(空間関係)に現れた物体の比較による時間意識だとすると、@の時間は因果関係であり、「 関係 」であるから自分の関わり合いにより、相手も変わることで連続し、Aの時間の中で「 無明 」と原因となる「 時制の未来に影響する現在の行為 」として現れると思う。


@の因果関係の原因と結果が連続し、現在の「 無明 」の中の「 行為 」が原因であり、見えない形の結果を、すでに含んでいるという意味で「 連続 」していると思う。


@は、無意識(バイオリズム)の中で「 行為 」する点で、Aの時間に属し、Aは感覚器官で把握する「 行為 」と「 行為 」の間(hazama)を比較する点で、不連続な時間となる。


@の時間が連続し、Aの時間が不連続であり、連続を保つために「 うるう年 」を設定するし、@の時間とAの時間を結ぶのが無意識(バイオリズム)であり、「 体内時計 」であるから、「 体内時間 」を無視し、「 振り子の時間 」を信用する科学では、「 時間 」を解明することは出来ないと思う。


人類のすべての時間が相違することは、@の因果関係においてもAの「 振り子の時間 」においても相違し、両者の「 無明 」と「 無常 」、連続と不連続の点でも「 相違 」するが、両者は無意識(バイオリズム)で連結するというのが、現時点で考えていることである。


@の時間が「 無明 」であることは、「 宇宙 」の始まりと終わりが不明であるという所で一致するから、人間が持つ「 無明 」を感じることは宇宙的であるかもしれない。


「 無明 」は気(ki)で、エネルギーであり小脳に属し、「 無常 」は情報や感情の情(zyou)でエネルギーから派生した感覚であり、前者が宇宙に通じるため空間的に無制限であり、後者は、「 体験 」に依存し、科学的、文化的であると思う。

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2012年05月27日

2012/5/27、オカルト・思考エネルギー7・記憶と時間5

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/5/21、私の記事


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


2012/5/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間は、「 生起 」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「 縁起 」(注)の領域であり、原因が結果となって現れるのを、Aの時間で予想することは出来ないだろう。


「 縁起 」とは、@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情(zyou)で作られる情報ではなく、人類には「 先験的 」であり、宇宙の誕生から死滅が「 無明 」であるように、「 無明 」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」であり、時制的には「 現在 」の「 今 」の無明として現れて、意識で「 無明 」と感じ、「 心的存在意識 」や「 行為 」によって、「 形 」に具現化するが、その「 行為 」が「 縁起 」になり、さらに先(未来)の結果を決めるという形で「 連続 」していると思う。


@の時間は「 現在 」の気(ki)の中の無明であり、現在の行為が情(zyou)で決まる未来の結果になり、「 行為の可能性 」は「 結果の可能性 」であり、現在の中で「 行為 」が「 人格 」であれば、「 他の人格になる可能性 」であると考える。

………(略)………………………


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。



2012/5/27、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間を、Aの時間で測定することは出来ないと思う。


「 存在 」を「 時間 」で表現するのではなく、「 存在 」は@の時間で、「 縁起の関係 」であり、「 時間 」は「 時間意識 」であり、Aの時間であり、「 関係 」を感覚に具現化するバイオリズムや無意識を伴い、@の時間が、人類は全て共通であるのに反し、Aの時間は、人類全てが相違する。


「 人間存在 」を時間で測定する(いつまで生きるか)ことは「 縁起 」の関係で不可能であり、それに注目すべきでなく、「 死 」を迎えるときには個人の「 人格 」が現れるのであり、大事なのは、どのような「 人格 」を持ったまま「 死 」を迎えるかであると思う。


人格は一瞬にして変わるものではなく、一刻、一刻と変わる「 他の人格になる可能性 」の中に、自分の人格を形成することにより、「 死 」を迎える人格が形成される。


「 いかに死すべきか 」は、個人の美意識であり、昔の人は「 武士道は死ぬこととみつけたり 」と、没我、献身に重きを置き、「 正義 」のために死すべきと考えたが、「 正義 」とは「 正しい人の道(人倫)」と解釈すれば、それは「 正義 」というC1(夢)を持って人格を形成しなければ、「 正義(人倫) 」にために死ぬことは出来ない。


「 人格は死にざまを決める 」


それは、時間が経過すれば人格が形成されるのではなく、縁起の中に自分の人格を形成する努力が必要であると思う。


E=M×C1×C2により、人格(無意識な行為)を、C1(夢)とC2(構想力)で形成することが、自分が満足して死ぬことが出来ることに通じると思っている。
posted by kandk55 at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 36 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月26日

2012/5/26、オカルト・思考エネルギ6・記憶と時間4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/5/21、私の記事


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


2012/5/26、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間は、「 生起 」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「 縁起 」(注)の領域であり、原因が結果となって現れるのを、Aの時間で予想することは出来ないだろう。


「 縁起 」とは、@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情(zyou)で作られる情報ではなく、人類には「 先験的 」であり、宇宙の誕生から死滅が「 無明 」であるように、「 無明 」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」であり、時制的には「 現在 」の「 今 」の無明として現れて、意識で「 無明 」と感じ、「 心的存在意識 」や「 行為 」によって、「 形 」に具現化するが、その「 行為 」が「 縁起 」になり、さらに先(未来)の結果を決めるという形で「 連続 」していると思う。


@の時間は「 現在 」の気(ki)の中の無明であり、現在の行為が情(zyou)で決まる未来の結果になり、「 行為の可能性 」は「 結果の可能性 」であり、現在の中で「 行為 」が「 人格 」であれば、「 他の人格になる可能性 」であると考える。


Aの時間の「 連続 」は、バイオリズムや無意識や体験によるが、@の時間の「 連続 」は「 原因が結果になる 」という意味で連続し、Aの時間で測定することは出来ないと思う。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」である状態は「 時間は虚数 」である状態で、Aの時間による「 記憶による虚数を乗じることにより 」、実時間としてバイオリズムや無意識が時間を実感し、目に見える物で判断した不連続の「 時間意識 」を生じ(連続と考えるのはバイオリズムによる体験上からの判断)、体験上で「 無常 」となると思う。


@の時間を基礎にして、@の時間が「 現在 」を決める気(ki)として現れ、「 過去や未来 」を決める情(zyou)の「 記憶 」によりAの時間意識を生じ、無明が「 形 」になった瞬間に「 無常 」となると考える。


@の時間の「 無明 」や「 現在 」の「 無明 」は物を生起するエネルギーであり、先験的というのは、判断が不能であることだと思うが、それは宇宙の「 無明 」と共変していることであり、人生が無明であるのは、宇宙の産物のひとつであることの証明であると思う。


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%81%E8%B5%B7

縁起(えんぎ)


仏教における縁起(えんぎ、サンスクリット:pratiitya-samutpaada、パーリ語:paTicca-samuppaada)は、仏教の根幹をなす思想の一つで、世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って生滅変化しているという考え方を指す。縁起の語は「因縁生起」(いんねんしょうき)の略で、「因」は結果を生じさせる直接の原因、「縁」はそれを助ける外的な条件のことである。
ある結果が生じる時には、直接の原因(近因)だけではなく、直接の原因を生じさせた原因やそれ以外の様々な間接的な原因(遠因)も含めて、あらゆる存在が互いに関係しあうことで、それら全ての関係性の結果として、ある結果が生じるという考え方である。 なお、その時の原因に関しては、数々の原因の中でも直接的に作用していると考えられる原因のみを「因」と考え、それ以外の原因は「縁」と考えるのが一般的である。

posted by kandk55 at 05:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 36 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月22日

2012/5/22、Windows Media Player でMP4形式のビデオを再生する4(W7)

私は、東芝製のパソコンを使っています。

一つは、D710/T5BWSで、もう一つは、D711/T3DWS です。

前者は、@ 2011春製で、DVDドライブで、Qosmioと称し、後者はA 2011冬製で、ブルーレイドライブでRegza PCと称し、両者ともWindows 7 で、内蔵のハードディスクは、1テラバイトです。


前回、書いたのは外付けハードディスクから、MP4形式のビデオファイルを呼び出す方法でした。


これは、@ではスムーズで不満がなかったのですが、Aでは、不満でした。


それで、今回は少し冒険しました。


両者とも内蔵のハードディスクが1テラバイトもあるので、MP4形式のビデオファイルをディスクトップに保存したら、Windows Media Player で再生することが出来るか試しました。

(マイドキュメントに保存しても同じ結果になると思います)


@の場合、Window Media Player を開いて、上部の「 整理 」をクリックして「 ライブラリの管理 」をクリックして、「 ビデオ 」を選び「 ライブラリの場所 」に、保存した「 ディスクトップ 」か「 マイビデオ 」を「 追加 」します。

「 ライブラリ 」から「 ビデオ 」から「 すべてのビデオ 」へ進みます。


すると、ディスクトップに保存したMP4形式のビデオが表示されます。


それから、上部の「 整理 」をクリックして「 メディア情報への変更を適用(I)」をクリックすると、 ディスクトップに保存したMP4形式のビデオの表示が保存されます。


その後、Windows Media Player を閉じても、保存した状態が表示されます。




Aの場合、も@の場合と同じです。





その後のことです。

私の場合、「 整理 」の中の「 オプション 」で「 プレーヤー 」の更新を1日1回に設定しています。

結局、外づけハードディスクの場合と同じ結果になります。

posted by kandk55 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 私とパソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

2012/5/21、オカルト・思考エネルギー5・記憶と時間3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれ、@は、出来事により脳にストレスを生じさせ(遠近でもストレスを生じる)、Aは、@により生じたストレスとストレスの間(hazama)を数えることだと考え、@は連続した時間でありAは、脳の電磁波により不連続と考える。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれるとは、五感で感じる光や音は「 波動 」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「 記憶 」であり、「 波動 」がストレスという「 粒子 」に変換され、大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると考えると、Aの一秒や一時間という「 時間意識 」は、ストレスの周期を数えているのであり、@の天体の関係からの、因果の「 時間 」とは相違すると思う。


Aの「 時間意識 」はバオリズム(体内時計)であり、「 記銘 」と「 想起 」という記憶により「 時間がある 」と思うが、それは「 時間の保持 」ではなく、ストレスを数えるバイオリズムによる「 時間の予想 」であり、「 記銘 」したり「 想起 」したりする瞬間に「 時間は無く 」、不連続の時間であり、虚数の時間であり、それに反して、@は、ストレスを作る「 関係 」として存在し、連続する実時間であると考える。


Aの時間が不連続というのは、目で見ることができる出来事(一定の関係)の間(hazama)を計測することにより、「 時間意識 」が生まれ、出来事は連続であるが、間(hazana)を計測する限り不連続であると思う。


Aは、文化的であり民族的であり、文化を生む情(zyou)であり、@は、情(zyou)の有無に関わらず気(ki)も情(zyou)も生むと思う。


「 うるう年 」の存在は、@とAに相違があることを証明していると思う。


Aにより、音楽や絵画や彫刻などの芸術が生まれるが、@を表現したとき、「 時代の先取り 」と呼ばれるのだろう。


Aの中で@を捕らえるのがC1(夢)やC2(構想力)であると思う。


人間は、目に見える形の経過の変化で「 時間 」を知り、Aの形で「 時間 」を把握し、不連続な「 時間意識 」であるが、「 時間を保持する 」とはバイオリズムが連続しているので、「 連続した時間 」だと感じるのだと思う。


「 連続した時間 」は天体の運動の関係として有るのだが、人間の場合は、映画を見るように不連続な場面を、感覚器官のバイオリズムにより連続していると思うのであり、感覚器官を使わない「 夢 」の中では「 時間 」を感じない。


2012/5/21、私の考え


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


果実が実る時間として「 桃栗三年、柿八年 」というが、人間のバイオリズムで、生物の生育を測定することは出来ず、「 三年と一日 」を経過した場合は、測定自体が間違いであったということだと思う。


自然が持つ原因と結果の間(hazama)が測定可能ならば、人間が死亡する時間も測定することが出来ることになると思う。

posted by kandk55 at 01:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 36 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月20日

2012/5/20、オカルト・思考エネルギー4・Mは人格

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれ、@は、出来事により脳にストレスを生じさせ(遠近でもストレスを生じる)、Aは、@により生じたストレスとストレスの間(hazama)を数えることだと考え、@は連続した時間でありAは、脳の電磁波により不連続と考える。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれるとは、五感で感じる光や音は「 波動 」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「 記憶 」であり、「 波動 」がストレスという「 粒子 」に変換され、大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると考えると、Aの一秒や一時間という「 時間意識 」は、ストレスの周期を数えているのであり、@の天体の関係からの、因果の「 時間 」とは相違すると思う。


Aの「 時間意識 」はバオリズム(体内時計)であり、「 記銘 」と「 想起 」という記憶により「 時間がある 」と思うが、それは「 時間の保持 」ではなく、ストレスを数えるバイオリズムによる「 時間の予想 」であり、「 記銘 」したり「 想起 」したりする瞬間に「 時間は無く 」、不連続の時間であり、虚数の時間であり、それに反して、@は、ストレスを作る「 関係 」として存在し、連続する実時間であると考える。


Aの時間が不連続というのは、目で見ることができる出来事(一定の関係)の間(hazama)を計測することにより、「 時間意識 」が生まれ、出来事は連続であるが、間(hazana)を計測する限り不連続であると思う。


Aは、文化的であり民族的であり、文化を生む情(zyou)であり、@は、情(zyou)の有無に関わらず気(ki)も情(zyou)も生むと思う。


「 うるう年 」の存在は、@とAに相違があることを証明していると思う。


Aにより、音楽や絵画や彫刻などの芸術が生まれるが、@を表現したとき、「 時代の先取り 」と呼ばれるのだろう。


Aの中で@を捕らえるのがC1(夢)やC2(構想力)であると思う。


人間は、目に見える形の経過の変化で「 時間 」を知り、Aの形で「 時間 」を把握し、不連続な「 時間意識 」であるが、「 時間を保持する 」とはバイオリズムが連続しているので、「 連続した時間 」だと感じるのだと思う。


「 連続した時間 」は天体の運動の関係として有るのだが、人間の場合は、映画を見るように不連続な場面を、感覚器官のバイオリズムにより連続していると思うのであり、感覚器官を使わない「 夢 」の中では「 時間 」を感じない。


現時点では、Mは出来事(場面や音楽)の波動がストレスと記憶により粒子化し、情(zyou)の「 一定の関係 」として「 心的存在意識 」となるが、内容は波動であり、「 記銘 」と「 想起 」することにより実時間となって実体化すると考える。


2012/5/20、私の考え


これは、私の考えであり、同調を求めない。

私は、以前、E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2と書いた。

Eは、思考エネルギーであり、人格形成のエネルギーであると思うからだ。

そしてMは情(zyou)であり、個人の意識や無意識や遺伝子情報や行為も含む全人格を形成する情報であると考える。

これまで書いたように、なぜ「 時間 」を問題にするかと言えば、「 時間は生命である 」と思うからだ。

@時間を創る空間関係(因果の時間)

A人間が考える時間(時間意識)


@は人類が破滅しても存在するだろうが、Aは人間だけにある事は、前述したとおりである。

Aは、地球上にいる限り空間関係による時間も違うし、私は、主観的時間はバイオリズムや無意識により決まるから、人類は全て、内面的にも「 時間 」は相違すると考える。


Mは情(zyou)であり、個人の意識や無意識や遺伝子情報や行為も含む全人格を形成する情報であると考えると、情(zyou)は全て、内面的に相違するし、すべてが時間的である。


小脳のストレスや大脳の記憶に関係するから「 時間 」は生命であり、「 時間意識 」は生命を感じることであり、感覚器官は、自分と違う動きをする(加速度運動)物体しか「 時間 」を感じることができず、自分と共変する物体は「 静止 」(連続)と考え、その「 静止 」(連続)から、「 無明 」という意識が生じると思う。

その「 無明 」を形にしたのが「 心的存在意識 」であり、「 無常 」という意識が生じるだろうと思う。

Mは情(zyou)であり、個人の意識や無意識や遺伝子情報や行為も含む全人格を形成する情報であり、時間的、文化的であり、個人のバイオリズムや無意識や記憶の「 塊 」(一定の関係)であると思う。

Mの発生原因は「 波動 」であることは以前に書いた。

Mは情(zyou)であるが、「 心 」でもあり、その表現である「 人格 」でもある。

それは、繰り返し書いたことだが、「 可能性を考える 」とは、「 どんな人格になる 」かの選択である。

人は、「 六道 」のひとつに投げいれられて、人格を向上するように創られているのであり、寿命という生命を通して、時間が生命であることに気づき、一瞬を輝いて生きることが「 生きること 」であると思う。

そのエネルギーがE=M×C1×C2であるというのが私の考えである。
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2012年05月19日

2012/5/19、オカルト・思考エネルギー3・記憶と時間2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2012/5/13、私の記事


これは私の考えであり同調を求めない。


「 時間意識 」とバイオリズムを考えるとき、「 記憶 」の問題に対する考えは不可欠だろう。


私は心理学者や脳科学者ではないから、「 知識 」は持っていないので、「 知識 」を求める人はここを去って欲しい。


記憶の「 記銘 」や「 保持 」があると思うが、私は「 意識は電磁波に似たもの 」であると思うから、私の立場からの「 記銘 」や「 想起 」を考える。


前述のように、「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


五感で感じる光や音は「 波動 」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「 記憶 」であると思う。


「 波動 」がストレスという「 粒子 」に変換されると考える。


大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると思う。


「 時間 」も同様に考える。


「 時間意識 」は電磁波による「 記銘 」と「 想起 」であり、その記銘した時と時の「 間(hazama) 」は、個人のバイオリズムにより相違する。


スポーツの競技者やピアニストの時間意識が「 時計 」のように正確なのは、競技者やピアニストの中に習練で得たバイオリズム(体内時計)が正確であることだろう。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思うから、「 時間 」は「 虚数 」として存在すると思う。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると思うから、「 記銘 」した時点で「 時間は存在せず 」、想起や予想する「 時間も存在しない 」。


「 記銘すること 」と「 想起すること 」が複素数であり、それを乗じた時「 時間は存在する 」と考える。


過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


「 記銘すること 」と「 想起すること 」が複素数であり、記憶は両者が一体となってバイオリズム上での「 実体 」を形成すると思う。


2012/5/19、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。

私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれ、@は、出来事により脳にストレスを生じさせ(遠近でもストレスを生じる)、Aは、@により生じたストレスとストレスの間(hazama)を数えることだと考え、@は連続した時間でありAは、脳の電磁波により不連続と考える。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれるとは、五感で感じる光や音は「 波動 」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「 記憶 」であり、「 波動 」がストレスという「 粒子 」に変換され、大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると考えると、Aの一秒や一時間という「 時間意識 」は、ストレスの周期を数えているのであり、@の天体の関係からの、因果の「 時間 」とは相違すると思う。


Aの「 時間意識 」はバオリズム(体内時計)であり、「 記銘 」と「 想起 」という記憶により「 時間がある 」と思うが、それは「 時間の保持 」ではなく、ストレスを数えるバイオリズムによる「 時間の予想 」であり、「 記銘 」したり「 想起 」したりする瞬間に「 時間は無く 」、不連続の時間であり、虚数の時間であり、それに反して、@は、ストレスを作る「 関係 」として存在し、連続する実時間であると考える。


Aの時間が不連続というのは、目で見ることができる出来事(一定の関係)の間(hazama)を計測することにより、「 時間意識 」が生まれ、出来事は連続であるが、間(hazana)を計測する限り不連続であると思う。


Aは、文化的であり民族的であり、文化を生む情(zyou)であり、@は、情(zyou)の有無に関わらず気(ki)も情(zyou)も生むと思う。


「 うるう年 」の存在は、@とAに相違があることを証明していると思う。


Aにより、音楽や絵画や彫刻などの芸術が生まれるが、@を表現したとき、「 時代の先取り 」と呼ばれるのだろう。


Aの中で@を捕らえるのがC1(夢)やC2(構想力)であると思う。


人間は、目に見える形の経過の変化で「 時間 」を知り、Aの形で「 時間 」を把握し、不連続な「 時間意識 」であるが、「 時間を保持する 」とはバイオリズムが連続しているので、「 連続した時間 」だと感じるのだと思う。


「 連続した時間 」は天体の運動の関係として有るのだが、人間の場合は、映画を見るように不連続な場面を、感覚器官のバイオリズムにより連続していると思うのであり、感覚器官を使わない「 夢 」の中では「 時間 」を感じない。


現時点では、Mは出来事(場面や音楽)の波動がストレスと記憶により粒子化し、情(zyou)の「 一定の関係 」として「 心的存在意識 」となるが、内容は波動であり、「 記銘 」と「 想起 」することにより実時間となって実体化すると考える。

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2012年05月13日

2012/5/13、オカルト・思考エネルギー2・M(記憶と時間)

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2012/5/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであり、同意を求めない。


E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2のC1は「 夢 」であり、C2は「 構想力 」であると書いたが、Mについては書いていない。


Mについては次のように考える。


E(人格形成のエネルギー)の全体が「 無明 」であり、気(ki)であり、Mは質量、即ち「 個人の習慣化した一定の関係 」であり、遺伝子情報や全ての物語である情(zyou)であり、常に変化するものであり「 無常 」を形成すると思う。


呼吸で決まる「 今 」「 現在 」という気(ki)は可能性が現実化したものであり、「 関係 」が「 実体 」となっているが、その中には情(zyou)という「 無常 」な「 関係 」を内包し、「 無明 」であると同時に「 無常 」であると思う。


Mが情(zyou)であるから、今まで考えた@関係と実体A無常と無明B情(zyou)と気(ki)C「 時間意識 」とバイオリズムなどの考えを内包し、前者が「 意識 」で「 大脳 」の問題、後者が「 無意識 」で「 小脳 」の問題になると思う。


この中でBの「 時間意識 」とバイオリズムに重点を置くことにする。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在すると思う。


過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


2012/5/13、私の考え


これは私の考えであり同調を求めない。


「 時間意識 」とバイオリズムを考えるとき、「 記憶 」の問題に対する考えは不可欠だろう。


私は心理学者や脳科学者ではないから、「 知識 」は持っていないので、「 知識 」を求める人はここを去って欲しい。


記憶の「 記銘 」や「 保持 」があると思うが、私は「 意識は電磁波に似たもの 」であると思うから、私の立場からの「 記銘 」や「 想起 」を考える。


前述のように、「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


五感で感じる光や音は「 波動 」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「 記憶 」であると思う。


「 波動 」がストレスという「 粒子 」に変換されると考える。


大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると思う。


「 時間 」も同様に考える。


「 時間意識 」は電磁波による「 記銘 」と「 想起 」であり、その記銘した時と時の「 間(hazama) 」は、個人のバイオリズムにより相違する。


スポーツの競技者やピアニストの時間意識が「 時計 」のように正確なのは、競技者やピアニストの中に習練で得たバイオリズム(体内時計)が正確であることだろう。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思うから、「 時間 」は「 虚数 」として存在すると思う。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると思うから、「 記銘 」した時点で「 時間は存在せず 」、想起や予想する「 時間も存在しない 」。


「 記銘すること 」と「 想起すること 」が複素数であり、それを乗じた時「 時間は存在する 」と考える。


過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


「 記銘すること 」と「 想起すること 」が複素数であり、記憶は両者が一体となってバイオリズム上での「 実体 」を形成すると思う。

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2012年05月09日

2012/5/9、オカルト・思考エネルギー1・M1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2012/4/28、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

@「 夢 」は、睡眠中での脳の作用であり、それ自体を認識することは出来ない。


A「 夢 」を語るのは、「 夢の記憶 」であり、それは、覚醒したときの「 構想力 」であるから、「 夢診断 」の「 性衝動 」は「 構想力 」である。


B @とAより、「 夢診断 」などは不可能であり、情(zyou)や記憶により思い出した「 夢 」を分析して過去や未来を決定し、予想するのは、現実の「 夢を利用した 」性格判断である。


この理由により、「 性衝動 」が無意識であり、生命であるとは思うが、私は賛成しない。


無意識は「 性衝動 」より範囲が広く、「 性 」だけでは判断することは出来ないと考えるし、「 意識 」も解明していないのに、「 性衝動 」だけが無意識であるとは思わない。



C 私は、E(人格形成のエネルギー)は、E=M×C1×C2と考え、「 C1(夢) 」は、睡眠中の記憶を問題にするのではなく、「 覚醒時の夢 」を考え、「 C1(夢) 」は「 大志 」と考え、その具現化が、現実の「 行為 」であるから、 E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2が具現化した行為は「 人格の表現 」であると思う。


C1(夢)を覚醒状態のとき見るとき、エネルギーとなると思う。


C1の「 夢 」あるいは「 大志や目的 」の方向に、「 プラス思考 」は、「 プラスの構想力 」、「 マイナス思考 」は「 マイナスの構想力 」が働き、行為が習慣的になり、Mの「 一定の関係・心的存在意識 」を作り、それが他人には「 物 」と見られ、「 その人の人格 」と判断されると思う。


E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2が具現化した行為は「 人格の表現 」で、M(一定の関係・心的存在意識)になったとき、「 人物 」となるが、他者が私を「 人物 」と認めたとき、私の中では「 さらなる人格の具現化 」が始まっている。


その構造が、「 志向性 」や「 指向性 」であると考える。


「 志向性 」とは、すべての意識が常にある何ものかについての意識であるという意識の特性をいい、物質的、自然的現象から区別された心的現象を分析するが、私は賛成しない。


「 何者かについての意識 」の「 何者 」とは、「 C1(夢) 」であり、「 志向性 」はC1(夢)の具現化に向かう(無意識の)エネルギーであると思う。


C1(夢)は、行為の可能性であり、一般的には過去に「 夢 」を見ると言うだろうが、私は、C1(夢)は、覚醒時のC2(想定)と同じだが、C2(想定)が因果関係などの合理的な関係に従うのに反し、C1(夢)は合理的な関係に従わないことが相違すると考える。


意識はC1(夢)や行為の可能性を具現化するため、即ち人格を形成するために「 志向性 」という特性を持つと思う。


意識の志向性を考えるとは、意識の対象の心的現象を考えることで止まらず、C1(夢)に向かって、行為し、人格の形成を考えることまで発展すると思う。


私は、E(人格形成のエネルギー)は、E=M×C1×C2と考え、「 C1(夢) 」は、睡眠中の記憶を問題にするのではなく、「 覚醒時の夢 」を考え、「 C1(夢) 」は「 大志 」と考え、その具現化が、現実の「 行為 」であり、 E=M×C1×C2というエネルギーが「 心的現象 」であり、それが具現化した行為は「 人格の表現 」と思う。



ここで、私だけの考えは、さらに続く。


C1(夢)は、バイオリズムなどの物質波で、C2(構想力)は、脳や心臓を動かす電磁波で、これがMという遺伝子情報や知識など全ての情報を含む情(zyou)のバランスを変化させるとき、「 人格 」に大きなエネルギーを発生させると考える。


反対に「 人格 」が変化したときは、E=M×C1×C2のバランスが変化したときと考える。


E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2という無意識の「 エネルギー 」を生むC1(夢)が「 志向性 」や「 指向性 」を生み、人格の形成に進むから、コンピューターにとって志向性というエネルギーが判断不能であることは言うまでもない。


2012/5/9、私の考え


これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであり、同意を求めない。


E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2のC1は「 夢 」であり、C2は「 構想力 」であると書いたが、Mについては書いていない。


Mについては次のように考える。


E(人格形成のエネルギー)の全体が「 無明 」であり、気(ki)であり、Mは質量、即ち「 個人の習慣化した一定の関係 」であり、遺伝子情報や全ての物語である情(zyou)であり、常に変化するものであり「 無常 」を形成すると思う。


呼吸で決まる「 今 」「 現在 」という気(ki)は可能性が現実化したものであり、「 関係 」が「 実体 」となっているが、その中には情(zyou)という「 無常 」な「 関係 」を内包し、「 無明 」であると同時に「 無常 」であると思う。


Mが情(zyou)であるから、今まで考えた@関係と実体A無常と無明B情(zyou)と気(ki)C「 時間意識 」とバイオリズムなどの考えを内包し、前者が「 意識 」で「 大脳 」の問題、後者が「 無意識 」で「 小脳 」の問題になると思う。


この中でBの「 時間意識 」とバイオリズムに重点を置くことにする。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在すると思う。


過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


「 無常 」も「 体験上、存在する 」ということであり、「 無常 」は「 体験 」の範囲内であり、身体の新陳代謝が無常であるが、それは「 体験 」の最先端であり、意識することは出来ないという意味で無明である。


「 時間 」は「 関係 」であり「 形式 」であり、全人類に共通であるが、バイオリズムが相違するため「 主観的時間意識 」は、全人類は相違し、「 同時 」は、個人の「 体験の最先端 」で存在し、全人類が相違するので、「 同時性 」は「 定義 」することしか出来ないと思う。


「 関係 」は「 定義 」することが出来ても、「 実体 」は、バイオリズムである無意識が決めるもので、「 定義 」することは出来ないと思う。


それが「 与件 」とか「 世界内存在 」というものだと思う。


「 関係 」はバイオリズムを内包するので、「 想定内 」の関係であり、過去から未来へ通じるが、「 現在 」の中では「 可能性 」として現れると思う。


「 関係 」を「 実体化 」するのは、可能性が現実となることだが、「 関係 」という形式をバイオリズムからの無意識が「 実体化 」するものであり、「 物体 」が変化する内容は「 人間という物体 」が変化する内容と、私は、同視する。


変化するエネルギーがE(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2であると思う。

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