2012年06月30日

2012/6/30、オカルト・考えよう2・金銭

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

2012/6/25、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


TとUから連想するものを書こう。


Tは「 小脳 」でUは「 大脳 」に関するとは、以前、書いた。


内臓の不随意筋が前者で、随意筋が後者であることだと思うが、前者が「 欲 」で、後者は情(zyou)で着色された「 意欲 」であると思う。


Tは、人間の力では不可能な「 因縁 」や「 縁起 」の世界であり、何者かの複合物であるだろうし、Uは、Tを分析する「 自意識 」であるだろう。


Uの「 自意識」は「 欲 」の中の「 利己欲 」であり、人間の生命維持には必要だろうが、自分の意思を主張し、利益を独占する、人格には「 毒 」であると思う。




2012/6/27、私の記事


これは、私の考えであり、同調を求めない。



Tの「 人間が無明であるため 」その無明から逃れようとして、Uの「 金銭 」という「 心的存在意識 」を作ったと思う。


「 金銭 」という実体に「 人間の心 」は無いが、情(zyo)であるため、「 過去や未来 」を持っている。


だから、「 人格 」など無くても、心が無くても、未来がある。


しかし、タイ国の僧侶や昔の日本の僧侶は、「 托鉢 」をして、その日だけの食糧を、人の善意で頂戴し、明日、食糧が無いことを心配して、今日の糧を「 蓄える 」ということをしないことが、僧侶の修行だと、私はかって聞いたことがある。


今日の余剰を「 金銭 」として蓄え、明日、人の善意が無くても生き延びようとするのは、人の善意を信じない立場だろう。

2012/6/30、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


宇宙の産物としての人間はTであり、宇宙と同じく「 無明 」だろう。


Uの情(zyou)とは、生命から発する精神であり、記憶であり、「 無明 」が「 心的存在意識 」として現れるだろう。


「 金銭 」は「 無明 」からの不安を解消するための「 情(zyou)」であると思う。


金銭やコインや紙幣は、食物でもなく、何かを作る道具でもない。


それは、「 体験上では、このままで過去から未来へ続く精神的価値 」であり、「 無明の顕在化した心的存在意識 」であると思う(無常であるが……)。


現在のヨーロッパの経済危機が「 金銭 」では「 安心 」することができないのは、「 ギリシャの無明 」と「 その他のヨーロッパの国の無明 」の相違であり、「 それぞれの遺伝子が持つ不安 」であり「 遺伝子が持つ無明 」であるのだと思う。


「 貨幣 」を一つに統一しても、「 その国が持つ無明 」、即ち「 国力への不安 」が「 統一貨幣 」の前で、自信をなくすのだと思う。


Tの無明であるために、「 金銭 」の金額で安心することができず、次の金銭を求めるのは、強欲であるからではなく、「 金銭 」が情(zyou)、即ち精神的なものであり、それが「 無常 」であるため、不安になるのだと思う。


ヨーロッパがすべきなのは「 金銭 」に拘らない「 人格形成 」だが、それが無理ならば「 相互援助 」で、即ち「 私も一緒の運命共同体 」という最初の目的と、その「 構想力 」をシステムにして、「 不安 」を薄めることだろう。


このように、金銭は無明の顕在化であり、文化であり、「 安心 」するためには資本主義や社会主義を超越した「 人格 」が必要だろう。


資本主義や社会主義になっても「 聖人 」が出てこないのは何故だろう。

それは、「 金銭 」を超越した人が出てこないからだと思う。
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2012年06月27日

2012/6/27、オカルト・考えよう・何が買えるのか?

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

2012/6/25、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


TとUから連想するものを書こう。


Tは「 小脳 」でUは「 大脳 」に関するとは、以前、書いた。


内臓の不随意筋が前者で、随意筋が後者であることだと思うが、前者が「 欲 」で、後者は情(zyou)で着色された「 意欲 」であると思う。


Tは、人間の力では不可能な「 因縁 」や「 縁起 」の世界であり、何者かの複合物であるだろうし、Uは、Tを分析する「 自意識 」であるだろう。


Uの「 自意識」は「 欲 」の中の「 利己欲 」であり、人間の生命維持には必要だろうが、自分の意思を主張し、利益を独占する、人格には「 毒 」であると思う。


ある教授がテレビで、「 金銭で全てを買えるか? 」という問題を出したが、これは愚問であるだろう。


資本主義や社会主義などの「 金銭 」で、ルールを買うものは独裁者であり、「 金銭 」がUであれば、Tを「 金銭 」では買えないことは明らかであるからだ。


Uは「 存在 」という「 心的存在意識 」の上に成立するから、「 心的存在意識 」を生むTに支配が及ばないことは明らかである。


「 金銭 」という「 心的存在意識 」に心を奪われるから、「 心配 」や「 不安 」になるのであり、本当の「 幸せ 」は、資本主義や社会主義を超越した、即ち「 金銭 」という「 心的存在意識 」が及ばない、あるいは「 商売にならない 」ところに、存在すると思うからだ。


死ぬ間際に、「 金銭 」で「 天国 」や「 極楽 」は買えない。


それは、いつも言うように「 善因善果、悪因悪果 」という言葉があるように、個人は個人の「 行為 」によってのみ、「 因縁 」や「 縁起 」に参加し、日々、その報酬を受けるのみだと思う。


2012/6/27、私の考え


これは、私の考えであり、同調を求めない。



Tの「 人間が無明であるため 」その無明から逃れようとして、Uの「 金銭 」という「 心的存在意識 」を作ったと思う。


「 金銭 」という実体に「 人間の心 」は無いが、情(zyo)であるため、「 過去や未来 」を持っている。


だから、「 人格 」など無くても、心が無くても、未来がある。


しかし、タイ国の僧侶や昔の日本の僧侶は、「 托鉢 」をして、その日だけの食糧を、人の善意で頂戴し、明日、食糧が無いことを心配して、今日の糧を「 蓄える 」ということをしないことが、僧侶の修行だと、私はかって聞いたことがある。


今日の余剰を「 金銭 」として蓄え、明日、人の善意が無くても生き延びようとするのは、人の善意を信じない立場だろう。


それらの過去の行為が「 善因善果、悪因悪果 」として、現在や未来の自分に「 報酬 」として、「 結果 」として現れ、その最後が、「 死に際 」に現れると思う。


それは、日本の過去の「 忠臣蔵 」の大石のような死に際の和歌を見れば理解されると思う。


「 金銭 」や心残りだった家族のことも書かずに、使命を果たせたことの喜びを書いた心を見れば、彼らは、「 金銭 」で心が動いた人ではないことが判断できる。


彼らの心を、「 買えるか?」。


金銭が出来ない相談だろう。
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2012年06月25日

2012/6/25、オカルト・思考のエネルギー16・買えるもの

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

2012/6/25、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


TとUから連想するものを書こう。


Tは「 小脳 」でUは「 大脳 」に関するとは、以前、書いた。


内臓の不随意筋が前者で、随意筋が後者であることだと思うが、前者が「 欲 」で、後者は情(zyou)で着色された「 意欲 」であると思う。


Tは、人間の力では不可能な「 因縁 」や「 縁起 」の世界であり、何者かの複合物であるだろうし、Uは、Tを分析する「 自意識 」であるだろう。


Uの「 自意識」は「 欲 」の中の「 利己欲 」であり、人間の生命維持には必要だろうが、自分の意思を主張し、利益を独占する、人格には「 毒 」であると思う。


ある教授がテレビで、「 金銭で全てを買えるか? 」という問題を出したが、これは愚問であるだろう。


資本主義や社会主義などの「 金銭 」で、ルールを買うものは独裁者であり、「 金銭 」がUであれば、Tを「 金銭 」では買えないことは明らかであるからだ。


Uは「 存在 」という「 心的存在意識 」の上に成立するから、「 心的存在意識 」を生むTに支配が及ばないことは明らかである。


「 金銭 」という「 心的存在意識 」に心を奪われるから、「 心配 」や「 不安 」になるのであり、本当の「 幸せ 」は、資本主義や社会主義を超越した、即ち「 金銭 」という「 心的存在意識 」が及ばない、あるいは「 商売にならない 」ところに、存在すると思うからだ。


死ぬ間際に、「 金銭 」で「 天国 」や「 極楽 」は買えない。


それは、いつも言うように「 善因善果、悪因悪果 」という言葉があるように、個人は個人の「 行為 」によってのみ、「 因縁 」や「 縁起 」に参加し、日々、その報酬を受けるのみだと思う。

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2012年06月18日

2012/6/18、オカルト・思考エネルギー15・C1とC2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/6/18、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


E(人格形成のエネルギー)=M(人格)×C1(夢)×C2(構想力)



Mについては、TとUに分けたように、C1(夢)がTで、C2(構想力)をUと考え、前者を気(ki)の領域で、後者を情(zyou)の領域として考える。


Mを考えるとき書いたように、人間は、生まれたときから、「 欲 」と「 人格を向上する力 」を持つと仮定する。


前者が「 小脳 」の領域の「 本能 」であるだろうし、後者は「 大脳 」の領域の「 可能性を考える力 」であるだろう。



Mについて連想したように、C1(夢)は睡眠欲であり、生命欲であり、C2(構想力)は思考であり、哲学であり、どちらも「 時間 」(@とAの時間)を必要とすると同時に「 (因果)関係 」でもあるだろう。


ただし、C1(夢)は、睡眠中の夢ではなく、目覚めたときの夢であり、「 大志 」と同義であり、C2(構想力)によりC1(夢)を作ることは出来ないが、C1(夢や大志)によりC2(構想力)を作ることが出来るかもしれない。



「 (因果)関係 」が習慣により「 一定の関係 」になったときが気(ki)が情(zyou)になったときであり、M(人格)が変化したときだろう。



「 存在 」は、言葉では「 思想 」であり、目に見える物としては「 行為 」であり、人格であるMであり、それらを変化させる力がE(人格形成のエネルギー)であると思う。

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2012年06月17日

2012/6/17、オカルト・思考エネルギー14・Mの要約

忘れる心配があるので、M(人格)について要約する。

ここには、新しい考えは書いていない。




私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。


2012/6/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


宇宙の連鎖は、「 因果関係 」の「 因縁や縁起 」の関係であり、連続し、人間の中では、気(ki)というエネルギーにより決められる「 現在 」の中で「 無明 」として現われ、自分の「 因果関係 」を決めるのは、自分の「 行為 」だろうと思う。


「 善因善果、悪因悪果」


善きことをすれば善きことが、悪しきことをすれば悪いことが我が身に起こる。


行為の結果は、全て自分の身に降り注ぐ。


宇宙の連鎖や因果関係を「 時間 」で測定することは出来るかもしれないが、「 時間は時間意識 」であるため、測定した結果は全て「 主観的 」であることは免れない。


気(ki)というエネルギーが「 現在 」を決め、「 行為 」は「 現在 」で行われ、「 時間 」は「 現在 」にしか存在しないと思う。


「 過去や未来 」に時間があると思うのは、「 体験上の時間意識 」であり、バイオリズムで決めた時間であると思う。


「 時間 」は、開始と終わりの目印を必要とする情(zyou)という感情や遺伝子情報による「 時間意識 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から「 不連続 」である。


情(zyou)は、感覚から派生する意識であり、「 体験上の時間意識 」であり、「 過去や未来 」を決め、「 形あるもの 」を根拠に判断するから、「 無常 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から不連続であると思う。


「 人格 」を「 一定の習慣化した無意識のバイオリズム 」と考え、「 人格による行為 」が「 現在 」行われて宇宙の連鎖に影響すると思えば、「 行為 」が情(zyou)と気(ki)を繋ぐ無意識の具現化と考える。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体



このように分けて、前述したように、私は考える。

T、の連想により、
宇宙の連鎖は、「 因果関係 」の「 因縁や縁起 」の関係であり、連続し、人間の中では、気(ki)というエネルギーにより決められる「 現在 」の中で「 無明 」として現われ、自分の「 因果関係 」を決めるのは、自分の「 行為 」だろうと思う。


「 善因善果、悪因悪果」


善きことをすれば善きことが、悪しきことをすれば悪いことが我が身に起こる。


行為の結果は、全て自分の身に降り注ぐ。


宇宙の連鎖や因果関係を「 時間 」で測定することは出来るかもしれないが、「 時間は時間意識 」であるため、測定した結果は全て「 主観的 」であることは免れない。


U、の連想により、

「 過去や未来 」に時間があると思うのは、「 体験上の時間意識 」であり、バイオリズムで決めた時間であると思う。


「 時間 」は、開始と終わりの目印を必要とする情(zyou)という感情や遺伝子情報による「 時間意識 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から「 不連続 」である。


情(zyou)は、感覚から派生する意識であり、「 体験上の時間意識 」であり、「 過去や未来 」を決め、「 形あるもの 」を根拠に判断するから、「 無常 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から不連続であると思う。


「 人格 」を「 一定の習慣化した無意識のバイオリズム 」と考え、「 人格による行為 」が「 現在 」行われて宇宙の連鎖に影響すると思えば、「 行為 」が情(zyou)と気(ki)を繋ぐ無意識の具現化と考える。



T、の無意識は、「 小脳の無意識 」であり、U、の無意識は「 大脳の無意識 」であると仮定する。

T、は「 関係 」であり、「 宇宙の空間関係 」であり「 因縁 」と「 縁起 」で成立し、人間の中では「 無明 」であり、気(ki)で決まる「 現在 」の中だけに存在する「 行為 」により、その因果を決定する。


U、はT、の「 関係 」を実体化する人間の思いで、「 時間 」は気(ki)で決まる「 現在 」に存在し、「 現在の時間 」を「 心的存在意識 」により「 存在する 」と思い、その体験で過去や未来に時間が存在すると思うのだと考える。


人間の死期や果物の実りが「 時間 」で計れないように、Tの「 因縁や縁起 」は「 関係 」であり、Uの「 時間意識 」では計れない。


物体に時間が存在すると考えるのは間違いで、物体を見る人間の体験上の時間意識を、物体の時間に置き換えて想像しているのだと思う。

それは、「 生命 」を「 肉体 」で説明することが不能であることも、私の結論になる。


2012/6/16、私の記事


これは、私だけに考えであり、同調を求めない。


TとUに分けると、Tは、宇宙の構成物で、Uは、人間の大脳、特に「 記憶 」が働く領域であると思う。


「 人格 」は「 無意識 」であり、バイオリズムであると考えるが、バイオリズムも無意識もTとUに分けて考える。


Tにおけるバイオリズムはエネルギーであり、「 小脳 」の領域のリズムであり、心臓や脳や腸などの細胞や臓器の不随意筋のリズムだろう。


リズムは周期であり、人間は、太陽を回る惑星のような「 空間関係 」を体内に持ち、この関係が「 小脳の可能性 」であり、「 可能性を探すこと 」は「 行為の可能性 」即ち「 人格形成の可能性 」を探すことであり、常に人格を形成していると考える。


不随意筋というのは、「 意の従わない 」という「 無意識 」を持ち、これが「 小脳の無意識 」で「 欲 」という「 関係を実体化する 」作用を持つと考える。


人間は、根源的に「 欲 」を持つが、常に「 人格形成 」をする生き物であると、私は思う。


Uにおけるバイオリズムは「 大脳 」の領域のリズムであり、Tのリズムを「 記憶 」という情(zyou)である意識の力で増幅し、分類したのが、一般的に「 人格 」といわれるのだろう。


学問の精神病や仏教の「 六道 」やバイオリズムなどが、「 人格 」といわれるのだと思う。


Tの「 欲 」が、情(zyou)により着色されたのが「 人格 」であり、「 人格 」の源は清らかであると思う。


どうしてリズムが生まれるのかは、「 プラズマ宇宙論 」の「 ビルケランド電流 」とフィラメント構造のように、「 欲 」という気(ki)という電流が習慣によりDNA(神経回路)に主要な電気として形成された電流がリズムとなるのであり、リズムは、個人のDNA(神経回路)により相違すると思う。


人間も宇宙の産物であるので、「 ビッグ・バン理論 」を採用した人は、その理論の延長上で、人間の意識を考えるべきだろうと思う。


宇宙に例外は認められないと信じるからだ


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2012年06月16日

2012/6/16、オカルト・思考エネルギー13・Mの構造4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/6/16、私の考え


これは、私だけに考えであり、同調を求めない。


TとUに分けると、Tは、宇宙の構成物で、Uは、人間の大脳、特に「 記憶 」が働く領域であると思う。


「 人格 」は「 無意識 」であり、バイオリズムであると考えるが、バイオリズムも無意識もTとUに分けて考える。


Tにおけるバイオリズムはエネルギーであり、「 小脳 」の領域のリズムであり、心臓や脳や腸などの細胞や臓器の不随意筋のリズムだろう。


リズムは周期であり、人間は、太陽を回る惑星のような「 空間関係 」を体内に持ち、この関係が「 小脳の可能性 」であり、「 可能性を探すこと 」は「 行為の可能性 」即ち「 人格形成の可能性 」を探すことであり、常に人格を形成していると考える。


不随意筋というのは、「 意の従わない 」という「 無意識 」を持ち、これが「 小脳の無意識 」で「 欲 」という「 関係を実体化する 」作用を持つと考える。


人間は、根源的に「 欲 」を持つが、常に「 人格形成 」をする生き物であると、私は思う。


Uにおけるバイオリズムは「 大脳 」の領域のリズムであり、Tのリズムを「 記憶 」という情(zyou)である意識の力で増幅し、分類したのが、一般的に「 人格 」といわれるのだろう。


学問の精神病や仏教の「 六道 」やバイオリズムなどが、「 人格 」といわれるのだと思う。


Tの「 欲 」が、情(zyou)により着色されたのが「 人格 」であり、「 人格 」の源は清らかであると思う。


どうしてリズムが生まれるのかは、「 プラズマ宇宙論 」の「 ビルケランド電流 」とフィラメント構造のように、「 欲 」という気(ki)という電流が習慣によりDNA(神経回路)に主要な電気として形成された電流がリズムとなるのであり、リズムは、個人のDNA(神経回路)により相違すると思う。


人間も宇宙の産物であるので、「 ビッグ・バン理論 」を採用した人は、その理論の延長上で、人間の意識を考えるべきだろうと思う。


宇宙に例外は認められないと信じるからだ。
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2012年06月13日

2012/6/13、オカルト・Mの構造3・小脳の可能性

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2011/2/17、私の記事

@の「 時 」や「 空 」は天体の動きで、「 間(ma)」が、実生活の中で、「 時間 」や「 空間 」であると実感させる主観的な感情であると考える。

「 時 」や「 空 」を、バイオリズムで切り取ったのが「 時間 」や「 空間 」であると考え、バイオリズムが「 過去や現在や未来 」という時制を決定するので、人類の全てにおいて時制の範囲は相違する。

これは、地球上の全ての点で時空が相違する事を、人間の心理面で書いた事になる。


時制は、「 記憶 」が必要だが、これは「 時間 」や「 空間 」を創るのではなく、「 可能性 」を、時制の「 現在 」にフィットさせると思う。


Dにより、宇宙の果てまで「 小脳の運動可能性 」が「 欲 」として延びているが、その「 欲 」をバイオリズムで切り取ったのが「 可能性 」であり、「 確率を持った欲 」であり、「 目覚めた欲 」であり、「 意欲 」である。


「 可能性 」は、「 欲 」であり、どのように切り取っても、「 小脳の運動可能性 」つまり「 欲 」の総体に変化は無い。


「 エネルギー保存 」や「 不増不減 」というのは、物質の事かもしれないが、「 欲 」についても「 眠っている欲 」か「 目覚めている欲 」かの違いで、エネルギーも保全され、「 不増不減 」であると考える。


「 可能性 」は意識された欲だと思うが、意識が電磁波で無意識がバイオリズムである事により、「 欲 」は、人体の中で「 意識された欲 」と「 小脳の欲 」になると思うが、「 欲 」はエネルギーであり、「 小脳の運動可能性 」は、思考された空間も含む時空であると考え、少し違うと思うが、この事は留保する。


「 可能性 」は意識であるが、「 心当たり 」を記憶により往復する事により、眠った主観的時間の「 過去の可能性 」を溶解し、「 現在の可能性 」を取りだし、「 未来の可能性 」の眠りへと、記憶により主観的時間の「 現在 」にフィットさせ、「 可能性 」を変換するのが「 意識の記憶 」だと思う。 


2011/2/19、私の記事

宇宙の果てまで続く「 小脳の可能性 」は、個人の主観的時間の「 過去 」の中で、「 過去の可能性 」であり、それは「 知識 」だろう。

限りなく続く「 小脳の可能性 」、「 運動可能性 」を、「 自分の今 」という主観的な「 現在 」で区切っていて、「 自我 」という楕円体を形成し、外側の「 殻 」が知識だろう。


それは、地上に生育している植物に似て、目に見えない地下の「 根 」が知識であり、自我のバイオリズムの全ての「 正弦波 」であり、太陽から生じる電磁波的な構造の意識により、「 自我 」という「 幹 」を作り、社会の中で自分の可能性を開花させ、文化という果実を作り、死亡により「 自我 」が消滅しても、個人のバイオリズムから生じた可能性が開花し消滅しただけで、人類の「 小脳の運動可能性 」の総量には変化がない。


一つの生き物に生と死があっても、「 小脳の運動可能性 」は、生により「 眠っていた可能性 」が「 目覚め 」て、死によって「 眠った可能性 」になっただけで総量に変化がないと考える。

知識には、主観的な「 過去と現在と未来 」を貫く可能性が存在しているかも知れない。

なぜなら、「 過去と現在と未来 」という時制は、バイオリズムが決定し、「 記憶 」はこれに「 可能性 」をフィットさせて「 知識 」とするが、「 死 」により「 記憶 」が消えても、別の人の「 記憶 」が、同様にして、「 可能性 」を「 復活 」させるからだ。


「 小脳の運動可能性 」から言えば、人間は可能性を目覚めさせる動物である。


日本の幕末で「 坂本龍馬 」が現れたのは、社会の隠れた運動可能性が、個人の可能性を通じて具現化したと考える。

その意味で、動物も植物も、生き物の「 運動可能性 」を「 現在 」に具現化する生き物である事では相違はない。

この「 運動可能性 」が、時空を超越する「 阿弥陀仏 」や「 創造主 」であるかも知れない。



2012/6/13、私の考え


これは、私だけの考えである。


以上の「 小脳の可能性 」や「 運動可能性 」は、「 行為の可能性 」であり、行為は人格を作るから、「 行為の可能性 」や「 運動可能性 」は、「 他の人格へ変容する、他の人格を選ぶ可能性や確率 」であると考える。


これまで書いて来たように、「 可能性 」は「 行為の可能性 」であり、「 人格形成の可能性 」であると思う。


その最高の人格が、「 阿弥陀仏 」や「 創造主 」であるかもしれない。



「 過去の時間 」や「 未来の時間 」は無く、「 現在 」に「 時間 」があり、過去や未来に時間があると思うのは、「 体験上の、記憶された時間 」であると思う。


宇宙の因果は「 因縁 」や「 縁起 」が結合し、記憶による時間で測定することが出来ない。


「 時間 」は現在にあり、「 行為 」だけが宇宙の因果に参加できると考えると、「 現在の行為可能性 」こそ、「 人格を変える機会 」であるかもしれない。


それは、「 善因善果、悪因悪果 」で、善い行為は善い結果を得るし、悪い行為は悪い結果を受け取ることになる。


「 小脳の無意識 」や「 小脳の運動可能性 」は、後日、書くことにする。
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2012/6/13、オカルト・Mの構造2・小脳の無意識

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/6/13、私の考え

「 小脳の無意識 」については、すでに以下のように書いていた。

………………………………………………

2010/5/13、私の考え



私は、ペンローズに賛成すると書いたが、彼は「 ビッグ・バン 」理論を支持するが、私は「 プラズマ宇宙論 」を支持するので、私の考えは違う。

彼が言う「 脳内 」は「 大脳内 」だと思うが、私は、意識は大脳で生じるかも知れないが、「 心 」は「 小脳の無意識 」であり、これが「 生命 」であり、「 動き 」を感じる箇所だから、私のブログでは、「 小脳 」を重視する。


彼が、「脳内の神経細胞にある微小管で、波動関数が収縮すると、意識が生起する」と「 微小管 」に注目したのには敬意を表する。

しかし、私は、食事によるエネルギーや外部の太陽光などのエネルギーが、小脳の無意識と結合する事により「 プラズマ宇宙論のビルケランド電流 」のように、「 微小管 」というフィラメントに「 電流 」が生起すると考える。


「 脳内の神経細胞にある微小管 」の「 微小管 」をフィラメントと考えて、意識ではなく「 電流 」が生起すると考える。


その電流が、小脳や脳幹で、細胞を分裂する「 酵素 」を分泌させ、DNA の「 らせん構造 」を解く時、左右の大脳の中で「 電流 」とは違う「 磁場 」とも言うべき「 意識 」が生じると考える。

小脳の無意識は、「 欲 」で、「 電流 」は行動を惹起する「 意欲 」であり、リズムと行動可能性という意識を伴った「 欲 」である。

「 意欲 」は、行動の範囲として具現化する。

行為や意欲が「 収縮 」であり、それを見た他者は、「 意識した 」と見えるのかも知れない。

量子力学は、「 意識 」を記述していると思うが、「 小脳の無意識 」や「 心 」の「 欲 」は、まだ解決していないと思う。


「 力学は小脳が感じる運動の学問 」であり、運動を感じる「 小脳 」を解明していないと思う。

科学者が、図形をイメージするが、それは「 運動の可能性 」という小脳の空間意識を具現化したもので、イメージの発想が「 小脳の無意識 」から、意識になった事であり、それを考えなくてはならないと思う。

しかし、昨日の記事の下記の部分は維持する。

「 私は、この「 意識 」は、染色体に関係するから、DNA に関係して、「 時間意識 」や「 空間意識 」だけでなく、「 自我意識 」や「 人格 」を形成する「 意識 」も同時に、発生すると思う。 」

………………………………………………

以上の流れから、「 小脳の無意識 」は「 欲 」であり、電流であり、「 生命 」であることになる。

私は「 生気論 」と「 プラズマ宇宙論 」を採用するから、「 小脳の無意識 」は「 気(ki)の無意識 」と規定する。

Tの分類では、「 小脳の無意識 」は「 気(ki)の無意識 」であり、「 欲 」であり「 電流 」であり、「 生命 」であるということになる。


Tの分類は、「 宇宙の因果や因縁 」の世界であるから、「 小脳の無意識 」はすでに、「 欲 」を持った「 生命 」として宇宙に存在していたというのが私の結論になる。


Tの「 現在の行為 」や「 無明 」は「 欲 」が原因となるものであり、人間は「 欲 」を持つ存在であり、生きるための欲が「 性欲 」ならば「 性欲 」を持つのであり、「 欲 」が意識されて、情(zyou)の「 意欲 」など、情(zyou)に着色され、「 情欲 」になったとき、「 人格 」となると考える。


「 欲 」が情(zyou)により着色された程度で、「 人格 」が決まるのかも知れない。

これについては、後日、書くことにする。
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2012年06月12日

2012/6/12、オカルト・思考エネルギー12・Mの構造1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。


2012/6/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


宇宙の連鎖は、「 因果関係 」の「 因縁や縁起 」の関係であり、連続し、人間の中では、気(ki)というエネルギーにより決められる「 現在 」の中で「 無明 」として現われ、自分の「 因果関係 」を決めるのは、自分の「 行為 」だろうと思う。


「 善因善果、悪因悪果」


善きことをすれば善きことが、悪しきことをすれば悪いことが我が身に起こる。


行為の結果は、全て自分の身に降り注ぐ。


宇宙の連鎖や因果関係を「 時間 」で測定することは出来るかもしれないが、「 時間は時間意識 」であるため、測定した結果は全て「 主観的 」であることは免れない。


気(ki)というエネルギーが「 現在 」を決め、「 行為 」は「 現在 」で行われ、「 時間 」は「 現在 」にしか存在しないと思う。


「 過去や未来 」に時間があると思うのは、「 体験上の時間意識 」であり、バイオリズムで決めた時間であると思う。


「 時間 」は、開始と終わりの目印を必要とする情(zyou)という感情や遺伝子情報による「 時間意識 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から「 不連続 」である。


情(zyou)は、感覚から派生する意識であり、「 体験上の時間意識 」であり、「 過去や未来 」を決め、「 形あるもの 」を根拠に判断するから、「 無常 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から不連続であると思う。


「 人格 」を「 一定の習慣化した無意識のバイオリズム 」と考え、「 人格による行為 」が「 現在 」行われて宇宙の連鎖に影響すると思えば、「 行為 」が情(zyou)と気(ki)を繋ぐ無意識の具現化と考える。



2012/6/12、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体



このように分けて、前述したように、私は考える。

T、の連想により、
宇宙の連鎖は、「 因果関係 」の「 因縁や縁起 」の関係であり、連続し、人間の中では、気(ki)というエネルギーにより決められる「 現在 」の中で「 無明 」として現われ、自分の「 因果関係 」を決めるのは、自分の「 行為 」だろうと思う。


「 善因善果、悪因悪果」


善きことをすれば善きことが、悪しきことをすれば悪いことが我が身に起こる。


行為の結果は、全て自分の身に降り注ぐ。


宇宙の連鎖や因果関係を「 時間 」で測定することは出来るかもしれないが、「 時間は時間意識 」であるため、測定した結果は全て「 主観的 」であることは免れない。


U、の連想により、

「 過去や未来 」に時間があると思うのは、「 体験上の時間意識 」であり、バイオリズムで決めた時間であると思う。


「 時間 」は、開始と終わりの目印を必要とする情(zyou)という感情や遺伝子情報による「 時間意識 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から「 不連続 」である。


情(zyou)は、感覚から派生する意識であり、「 体験上の時間意識 」であり、「 過去や未来 」を決め、「 形あるもの 」を根拠に判断するから、「 無常 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から不連続であると思う。


「 人格 」を「 一定の習慣化した無意識のバイオリズム 」と考え、「 人格による行為 」が「 現在 」行われて宇宙の連鎖に影響すると思えば、「 行為 」が情(zyou)と気(ki)を繋ぐ無意識の具現化と考える。



T、の無意識は、「 小脳の無意識 」であり、U、の無意識は「 大脳の無意識 」であると仮定する。

T、は「 関係 」であり、「 宇宙の空間関係 」であり「 因縁 」と「 縁起 」で成立し、人間の中では「 無明 」であり、気(ki)で決まる「 現在 」の中だけに存在する「 行為 」により、その因果を決定する。


U、はT、の「 関係 」を実体化する人間の思いで、「 時間 」は気(ki)で決まる「 現在 」に存在し、「 現在の時間 」を「 心的存在意識 」により「 存在する 」と思い、その体験で過去や未来に時間が存在すると思うのだと考える。


人間の死期や果物の実りが「 時間 」で計れないように、Tの「 因縁や縁起 」は「 関係 」であり、Uの「 時間意識 」では計れない。


物体に時間が存在すると考えるのは間違いで、物体を見る人間の体験上の時間意識を、物体の時間に置き換えて想像しているのだと思う。

それは、「 生命 」を「 肉体 」で説明することが不能であることも、私の結論になる。
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2012年06月09日

箱根旅行と富士山

二年半ぐらい前になりますが、未発表の写真を発見しました。

箱根駒ヶ岳山頂からの富士山です。



koma2




私のホームページ

http://www.k5.dion.ne.jp/~denden55/index.html
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2012/6/9、オカルト・思考エネルギー11・行為

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2012/6/3、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


宇宙の「 無明 」と人間の「 無明 」は、地球上では地球の自転に気づかないように、共変しているのかも知れない。


「 無明 」は人間には無意識であり連続であるが、意識は「 始めと終わり 」を持つ物語であるから不連続であり、前者は「 因縁や縁起 」の組み合わせであり、時間を生む(空間)関係であり、後者は人間のバイオリズムや無意識から生じた「 心的存在意識 」の比較による「 時間意識 」であることは、これまで書いてきた。


前者が気(ki)で、後者が情(zyou)であれば、「 過去や現在や未来 」は後者が決め、個人的文化滝であるのに反し、前者は宇宙のプログラムであるため、人類に共通することになる。


宇宙に共通な「 無明 」が、「 因縁や縁起 」(複素数かも知れない)であり、それが人間では現在という時制の中での「 行為 」が、「 因縁や縁起 」を変化する要素になっている。


本や講演会の話など、情(zyou)という情報の中に「 可能性 」を発見するのは、「 行為の可能性 」であり「 他の人格になることの可能性 」であることは以前、書いた。


以上のことにより、次のことを考える。


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。



現在、生起することも、将来、生起することも、現在の自分の行為が基点になって、人格を形成すると思う。


この「 人格形成 」は、時間が経過すれば(老人になれば)、人格が良くなることはない。

「 時間 」で「 因縁や縁起 」を測定することは出来ないからだ。


人生で最後の行為の死ぬとき、人間の「 人格 」が現れると考えている。

「 人格は死にざまを決める 」


それは、偉人が死ぬときに書き記した文章をみれば理解することが出来ると思う。


2012/6/9、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


宇宙の連鎖は、「 因果関係 」の「 因縁や縁起 」の関係であり、連続し、人間の中では、気(ki)というエネルギーにより決められる「 現在 」の中で「 無明 」として現われ、自分の「 因果関係 」を決めるのは、自分の「 行為 」だろうと思う。


「 善因善果、悪因悪果」


善きことをすれば善きことが、悪しきことをすれば悪いことが我が身に起こる。


行為の結果は、全て自分の身に降り注ぐ。


宇宙の連鎖や因果関係を「 時間 」で測定することは出来るかもしれないが、「 時間は時間意識 」であるため、測定した結果は全て「 主観的 」であることは免れない。


気(ki)というエネルギーが「 現在 」を決め、「 行為 」は「 現在 」で行われ、「 時間 」は「 現在 」にしか存在しないと思う。


「 過去や未来 」に時間があると思うのは、「 体験上の時間意識 」であり、バイオリズムで決めた時間であると思う。


「 時間 」は、開始と終わりの目印を必要とする情(zyou)という感情や遺伝子情報による「 時間意識 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から「 不連続 」である。


情(zyou)は、感覚から派生する意識であり、「 体験上の時間意識 」であり、「 過去や未来 」を決め、「 形あるもの 」を根拠に判断するから、「 無常 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から不連続であると思う。


「 人格 」を「 一定の習慣化した無意識のバイオリズム 」と考え、「 人格による行為 」が「 現在 」行われて宇宙の連鎖に影響すると思えば、「 行為 」が情(zyou)と気(ki)を繋ぐ無意識の具現化と考える。

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2012年06月08日

2012/6/8、原子力発電は本当に必要か? 2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


ヤフーニュース

夏限定の原発再起動では国民生活守れぬ…首相
読売新聞 6月8日(金)18時15分配信

 野田首相は8日夕、首相官邸で記者会見し、関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の再稼働について、「国民の生活を守るために、3、4号機を再起動するべきだ」と述べ、国民に理解を求めた。

 首相は「夏場限定の再起動だけでは国民の生活は守れない」と語った。また、「(原発)立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければいけない」と述べ、福井県やおおい町に配慮を示した。

 福井県の西川一誠知事は、再稼働の同意の前提として、原発の必要性などを首相が国民に説明することを求めていた。政府は、地元の同意手続きが終わり次第、来週中にも再稼働を最終判断する。



2012/6/8、私の考え


私の意見は極端であるから、無視されてもかまわない。


以前に書いたが、野田首相は、原子力発電の安全性を「 判断 」していない。


それにもかかわらず、安全でなくても「 国民の生活を守るために 」原発を再稼動させようとしている。


「 野田首相の判断 」は認めるが、日本国を任せるに足る判断なのか疑問に思う。

政府の判断は、国民の安全を考えずに原発を再稼動させるもので、「 福島原子力発電所の放射能漏れ 」の反省や、調査もなく、マスコミに福島原発事故の現場を見せることで、調査が終わったかのような態度である。



世界が求めているのは、「 徹底した原発事故の調査 」ではないのか。



経済界の人々は原発再稼動が必要であるというが、国民の安全を犠牲にして経済界のために、原発の再稼動を認めることは、政権交代する前の政党が行った、「 国民をだました政策 」を追認するもので、かって、経済のために「 第二次世界大戦 」を実行した政府と、どのように違うのか疑問に思う。


私は、野田首相が世界に約束した「 消費税 」よりも、「 原発の再稼動 」について、「 解散 」して、国民の「 信 」を問うべきで、それこそ「 首相が判断すべき事柄 」であると思う。


自分が世界に約束した消費税のためには懸命に努力するが、国民の安全については、何の判断を示さず、原発を再稼動すると主張する。


これが、国民を考えた政治なのか、首相なのか、大いに疑問に思う私である。

 
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2012年06月03日

2012/6/3、オカルト・思考エネルギー10・Mは人格4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/5/21、私の記事


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


2012/5/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間は、「 生起 」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「 縁起 」(注)の領域であり、原因が結果となって現れるのを、Aの時間で予想することは出来ないだろう。


「 縁起 」とは、@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情(zyou)で作られる情報ではなく、人類には「 先験的 」であり、宇宙の誕生から死滅が「 無明 」であるように、「 無明 」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」であり、時制的には「 現在 」の「 今 」の無明として現れて、意識で「 無明 」と感じ、「 心的存在意識 」や「 行為 」によって、「 形 」に具現化するが、その「 行為 」が「 縁起 」になり、さらに先(未来)の結果を決めるという形で「 連続 」していると思う。


@の時間は「 現在 」の気(ki)の中の無明であり、現在の行為が情(zyou)で決まる未来の結果になり、「 行為の可能性 」は「 結果の可能性 」であり、現在の中で「 行為 」が「 人格 」であれば、「 他の人格になる可能性 」であると考える。

………(略)………………………


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。



2012/5/27、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間を、Aの時間で測定することは出来ないと思う。


「 存在 」を「 時間 」で表現するのではなく、「 存在 」は@の時間で、「 縁起の関係 」であり、「 時間 」は「 時間意識 」であり、Aの時間であり、「 関係 」を感覚に具現化するバイオリズムや無意識を伴い、@の時間が、人類は全て共通であるのに反し、Aの時間は、人類全てが相違する。


「 人間存在 」を時間で測定する(いつまで生きるか)ことは「 縁起 」の関係で不可能であり、それに注目すべきでなく、「 死 」を迎えるときには個人の「 人格 」が現れるのであり、大事なのは、どのような「 人格 」を持ったまま「 死 」を迎えるかであると思う。


人格は一瞬にして変わるものではなく、一刻、一刻と変わる「 他の人格になる可能性 」の中に、自分の人格を形成することにより、「 死 」を迎える人格が形成される。


「 いかに死すべきか 」は、個人の美意識であり、昔の人は「 武士道は死ぬこととみつけたり 」と、没我、献身に重きを置き、「 正義 」のために死すべきと考えたが、「 正義 」とは「 正しい人の道(人倫)」と解釈すれば、それは「 正義 」というC1(夢)を持って人格を形成しなければ、「 正義(人倫) 」にために死ぬことは出来ない。


「 人格は死にざまを決める 」


それは、時間が経過すれば人格が形成されるのではなく、縁起の中に自分の人格を形成する努力が必要であると思う。



2012/6/2、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。

存在と時間について


これまでの考えにより、「 存在 」する物は、「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊であると思う。


「 原因と結果 」の「 関係 」で「 連続 」しており、人間の場合は「 現在 」という気(ki)の中では「 行為 」であり、「 行為 」(例えば呼吸)を無意識に行っていることは、「 原因と結果 」の「 関係 」の中であることであり、「 可能性 」は、「 行為の可能性 」であり可能性を選ぶことは、「 無明 」の中での「 将来の人格の選択 」であり、「 現在の行為で将来の結果を決めている 」ことになる。


「 存在 」は「 無明 」であり、人間が無明の生物であることは、「 宇宙が無明である 」ことと同じだと思う。


「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊が、繰り返し生起する様子を「 心的存在意識 」として固定したものを、「 存在 」と呼び、その精神的な「 位置 」の比較から「 時間意識 」が生まれ、無意識のバイオリズムや「 体内時間 」により比較を実体化した「 時間 」が生まれると思う。


存在は「 無明 」であり、形成された「 心的存在意識 」や「 時間意識 」を「 無常 」であると感じると思う。


「 存在 」は「 無明 」であるが、人間が考える「 無常 」ではない。


「 無常 」は観念であり、不連続であるが「 無明 」である「 存在 」は「 因縁や縁起 」として連続している。


Aの不連続の「 時間意識 」を@の連続した「 因縁や縁起 」に当てはめた結果には、「 無常 」という答えがあると思う。


過去に時間は無く、未来の時間が無く、現在だけに時間があるのは「 時間意識 」が生命による感覚であり、無意識のバイオリズムや「 体内時間 」が「 現在 」にしか存在しないことで、その「 現在 」とは呼吸という行為が作りだす間(hazama)であると、現時点では考える。


「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊である「 存在 」を「 時間 」で測定することや予見することは出来ないと思う。


科学で原因と結果が時間的に判明すると、(一般的には)考えるが、エネルギーの結びつきは時間では測定できないと思う。


自分が何歳まで生きるか、あるいは人の余命が何時間か、あるいは樹木が果実を実らせる時間は何年かなどが不明であることは、根本的にエネルギーの塊である「 存在 」を「 時間 」で測定することや予見することは出来ないことを示していると思う。


科学で原因と結果が時間的に判明するというのは、人間の精神的な「 時間意識 」を「 存在 」に当てはめただけで、「 存在 」の時間など不明であるのが本当だと思う。


2012/6/3、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


宇宙の起源と終焉が不明であるように、人間の生死の行方は不明であり、私はそれを「 無明 」と呼んでいる。


仏教の「 無明 」ではない。


宇宙の「 無明 」と人間の「 無明 」は、地球上では地球の自転に気づかないように、共変しているのかも知れない。


「 無明 」は人間には無意識であり連続であるが、意識は「 始めと終わり 」を持つ物語であるから不連続であり、前者は「 因縁や縁起 」の組み合わせであり、時間を生む(空間)関係であり、後者は人間のバイオリズムや無意識から生じた「 心的存在意識 」の比較による「 時間意識 」であることは、これまで書いてきた。


前者が気(ki)で、後者が情(zyou)であれば、「 過去や現在や未来 」は後者が決め、個人的文化滝であるのに反し、前者は宇宙のプログラムであるため、人類に共通することになる。


宇宙に共通な「 無明 」が、「 因縁や縁起 」(複素数かも知れない)であり、それが人間では現在という時制の中での「 行為 」が、「 因縁や縁起 」を変化する要素になっている。


本や講演会の話など、情(zyou)という情報の中に「 可能性 」を発見するのは、「 行為の可能性 」であり「 他の人格になることの可能性 」であることは以前、書いた。


以上のことにより、次のことを考える。


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。




現在、生起することも、将来、生起することも、現在の自分の行為が基点になって、人格を形成すると思う。


この「 人格形成 」は、時間が経過すれば(老人になれば)、人格が良くなることはない。

「 時間 」で「 因縁や縁起 」を測定することは出来ないからだ。



人生で最後の行為の死ぬとき、人間の「 人格 」が現れると考えている。

「 人格は死にざまを決める 」


それは、偉人が死ぬときに書き記した文章をみれば理解することが出来ると思う。
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2012年06月02日

2012/6/2、オカルト・思考エネルギー9・Mは人格3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/5/21、私の記事


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


2012/5/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間は、「 生起 」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「 縁起 」(注)の領域であり、原因が結果となって現れるのを、Aの時間で予想することは出来ないだろう。


「 縁起 」とは、@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情(zyou)で作られる情報ではなく、人類には「 先験的 」であり、宇宙の誕生から死滅が「 無明 」であるように、「 無明 」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」であり、時制的には「 現在 」の「 今 」の無明として現れて、意識で「 無明 」と感じ、「 心的存在意識 」や「 行為 」によって、「 形 」に具現化するが、その「 行為 」が「 縁起 」になり、さらに先(未来)の結果を決めるという形で「 連続 」していると思う。


@の時間は「 現在 」の気(ki)の中の無明であり、現在の行為が情(zyou)で決まる未来の結果になり、「 行為の可能性 」は「 結果の可能性 」であり、現在の中で「 行為 」が「 人格 」であれば、「 他の人格になる可能性 」であると考える。

………(略)………………………


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。



2012/5/27、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間を、Aの時間で測定することは出来ないと思う。


「 存在 」を「 時間 」で表現するのではなく、「 存在 」は@の時間で、「 縁起の関係 」であり、「 時間 」は「 時間意識 」であり、Aの時間であり、「 関係 」を感覚に具現化するバイオリズムや無意識を伴い、@の時間が、人類は全て共通であるのに反し、Aの時間は、人類全てが相違する。


「 人間存在 」を時間で測定する(いつまで生きるか)ことは「 縁起 」の関係で不可能であり、それに注目すべきでなく、「 死 」を迎えるときには個人の「 人格 」が現れるのであり、大事なのは、どのような「 人格 」を持ったまま「 死 」を迎えるかであると思う。


人格は一瞬にして変わるものではなく、一刻、一刻と変わる「 他の人格になる可能性 」の中に、自分の人格を形成することにより、「 死 」を迎える人格が形成される。


「 いかに死すべきか 」は、個人の美意識であり、昔の人は「 武士道は死ぬこととみつけたり 」と、没我、献身に重きを置き、「 正義 」のために死すべきと考えたが、「 正義 」とは「 正しい人の道(人倫)」と解釈すれば、それは「 正義 」というC1(夢)を持って人格を形成しなければ、「 正義(人倫) 」にために死ぬことは出来ない。


「 人格は死にざまを決める 」


それは、時間が経過すれば人格が形成されるのではなく、縁起の中に自分の人格を形成する努力が必要であると思う。



2012/5/29、私の記事



これは、私だけの考えであり、同意を求めない。


Aの時間と@の時間の中のMの不連続と連続、意識や無意識と、無常と無明がどのような関係であるかについて考えた。


これらの前者が大脳の領域で、後者が小脳の領域であると思う。


@の時間が宇宙の時間(空間関係)で、Aの時間が、宇宙の時間(空間関係)に現れた物体の比較による時間意識だとすると、@の時間は因果関係であり、「 関係 」であるから自分の関わり合いにより、相手も変わることで連続し、Aの時間の中で「 無明 」と原因となる「 時制の未来に影響する現在の行為 」として現れると思う。


@の因果関係の原因と結果が連続し、現在の「 無明 」の中の「 行為 」が原因であり、見えない形の結果を、すでに含んでいるという意味で「 連続 」していると思う。


@は、無意識(バイオリズム)の中で「 行為 」する点で、Aの時間に属し、Aは感覚器官で把握する「 行為 」と「 行為 」の間(hazama)を比較する点で、不連続な時間となる。


@の時間が連続し、Aの時間が不連続であり、連続を保つために「 うるう年 」を設定するし、@の時間とAの時間を結ぶのが無意識(バイオリズム)であり、「 体内時計 」であるから、「 体内時間 」を無視し、「 振り子の時間 」を信用する科学では、「 時間 」を解明することは出来ないと思う。


人類のすべての時間が相違することは、@の因果関係においてもAの「 振り子の時間 」においても相違し、両者の「 無明 」と「 無常 」、連続と不連続の点でも「 相違 」するが、両者は無意識(バイオリズム)で連結するというのが、現時点で考えていることである。


@の時間が「 無明 」であることは、「 宇宙 」の始まりと終わりが不明であるという所で一致するから、人間が持つ「 無明 」を感じることは宇宙的であるかもしれない。


「 無明 」は気(ki)で、エネルギーであり小脳に属し、「 無常 」は情報や感情の情(zyou)でエネルギーから派生した感覚であり、前者が宇宙に通じるため空間的に無制限であり、後者は、「 体験 」に依存し、科学的、文化的であると思う。


2012/6/2、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。

存在と時間について


これまでの考えにより、「 存在 」する物は、「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊であると思う。


「 原因と結果 」の「 関係 」で「 連続 」しており、人間の場合は「 現在 」という気(ki)の中では「 行為 」であり、「 行為 」(例えば呼吸)を無意識に行っていることは、「 原因と結果 」の「 関係 」の中であることであり、「 可能性 」は、「 行為の可能性 」であり可能性を選ぶことは、「 無明 」の中での「 将来の人格の選択 」であり、「 現在の行為で将来の結果を決めている 」ことになる。


「 存在 」は「 無明 」であり、人間が無明の生物であることは、「 宇宙が無明である 」ことと同じだと思う。


「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊が、繰り返し生起する様子を「 心的存在意識 」として固定したものを、「 存在 」と呼び、その精神的な「 位置 」の比較から「 時間意識 」が生まれ、無意識のバイオリズムや「 体内時間 」により比較を実体化した「 時間 」が生まれると思う。


存在は「 無明 」であり、形成された「 心的存在意識 」や「 時間意識 」を「 無常 」であると感じると思う。


「 存在 」は「 無明 」であるが、人間が考える「 無常 」ではない。


「 無常 」は観念であり、不連続であるが「 無明 」である「 存在 」は「 因縁や縁起 」として連続している。


Aの不連続の「 時間意識 」を@の連続した「 因縁や縁起 」に当てはめた結果には、「 無常 」という答えがあると思う。


過去に時間は無く、未来の時間が無く、現在だけに時間があるのは「 時間意識 」が生命による感覚であり、無意識のバイオリズムや「 体内時間 」が「 現在 」にしか存在しないことで、その「 現在 」とは呼吸という行為が作りだす間(hazama)であると、現時点では考える。


「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊である「 存在 」を「 時間 」で測定することや予見することは出来ないと思う。


科学で原因と結果が時間的に判明すると、(一般的には)考えるが、エネルギーの結びつきは時間では測定できないと思う。


自分が何歳まで生きるか、あるいは人の余命が何時間か、あるいは樹木が果実を実らせる時間は何年かなどが不明であることは、根本的にエネルギーの塊である「 存在 」を「 時間 」で測定することや予見することは出来ないことを示していると思う。


科学で原因と結果が時間的に判明するというのは、人間の精神的な「 時間意識 」を「 存在 」に当てはめただけで、「 存在 」の時間など不明であるのが本当だと思う。

posted by kandk55 at 05:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 36 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする