2012年11月27日

2012/11/27、気(ki)と情(zyou)・魂と鬼

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)


2012/11/25、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


………………(省略)………………………………


この観点から、霊魂を考えると、情(zyou)として、意識としての見えない物や「 文化 」が「 霊 」であり、「 虚 」であり、これは人から教育や教唆されても、「 実体 」と意識するだろう。


これに対して、気(ki)として、見えない物、あるいはエネルギーが「 魂 」であり、無意識によって「 実有 」と実感され、「 実体 」と「 実有 」が出会い実感される場所が「 今 」「 現在 」の「 現実 」であり、それが「 霊魂 」であると思う。


教育や教唆されての「 人で無いもの 」が鬼(oni)であり、無意識に恐れる「 人で無いもの 」が鬼(ki)であるだろう。


前者の鬼(oni)が、文化として、情(zyou)としての「 人で無いもの 」であり、社会的であり、宗教など信じることなく生まれる。


言い換えると、「 信義則 」や「 信頼 」が無くても、鬼(oni)は生まれるし、「 信義則 」や「 約束 」は鬼(oni)には必要が無い。

それが、科学的「 実体 」であるだろう。


鬼(oni)は、後者の鬼(ki)を必要としない、科学的「 実体 」という「 虚 」であり、学問の「 虚 」であり、生命に直結する「 信義則 」や「 約束を信じること 」つまり「 義 」は必要ではない。


後者の鬼(ki)が、気(ki)としての「 人で無いもの 」であり、個別的であり、生命的な「 無明 」であり、「 信義則や約束を信じること 」により、存在し、それが「 義 」であるだろう。


「 不連続 」と「 不連続 」を「 信じること 」により「 連続 」させる。


鬼(oni)は情(zyou)であり、「 信義則 」や「 約束 」という「 義 」を破っても存在し続けるが、鬼(ki)は、「 信義則 」や「 約束 」を守り、信じる人は「 信義則や約束が無い状態、つまり「 義 」が無い状態(無明)が生命と直結することを恐れる 」から、「 恐れる 」人の間に存在する。


「 信義則 」や「 約束 」を破る鬼(oni)は、科学的な死霊であり、「 信じること 」をせず、「 義 」を知らず、生命を考えないから、鬼(ki)である「 魂 」を持っていないことになると考えている。


2012/11/27、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない


これまでの考えは、間違っているかも知れないが、更に考えてみる。


これまでのように、鬼(oni)を「 実体 」とし、「 不連続 」な「 虚 」であり、情(zyou)と考える。

鬼(ki)を気(ki)と考え「 実体 」と「実体 」を「 連続 」させたのが「 実有 」であり、「 連続 」するエネルギーと考える。


この、「 実有 」と「 実体 」のほかに「 関係 」を考え、この「 実体 」と「実体 」を「 連続 」させるものを「 関係 」と考え、この「 関係 」がエネルギーを持つと、私は思う。


「 実有 」は、「 関係 」をエネルギーとして保有すると考える。


「 信義則 」や「 契約 」は、情(zyou)と一般的に考えられると思うが、それ自体は情(zyou)では無く「 関係 」であり、従って気(ki)であり、その「 関係 」を破壊するのが「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」というエネルギーであると、私は思う。


食物や飲み物が情報に包まれた「 実体 」であっても、生命にとって安全に摂取可能であるという「 信義則 」や「 契約 」という「 義 」が無ければ生きてゆけない。


「 信義則 」や「 契約 」や「 義 」は情(zyou)ではなく、「 関係 」であり、「 関係 」プラス「 実体 」、すなわち「 実有 」が破壊されたら「 不安 」になるが、これは「 無明 」に通じる。


「 不安 」や「 無明 」にするのが「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」というエネルギーが鬼(ki)だと思う。


情(zyou)である鬼(oni)が、「 実体 」の間(hazama)の閉塞した人間の自我の内部の波動であるのに対して、気(ki)である鬼(ki)は、遮るものが無い「 関係 」の間(hazama)のエネルギーだと思う。

前者の殻を破るとき、すなわち、閉鎖した自我が「 信義則 」という関係に解消したとき、情(zyou)の「 霊 」が気(ki)の「 魂 」に解消して「 霊魂 」となり「 実有 」となるが、それを破壊して「 不安 」で「 無明 」にするのが鬼(ki)というエネルギーであり、鬼(ki)という「 実体 」ではなく、「 実体 」を破壊するエネルギーの存在意識や「 関係 」を意識するとき鬼(ki)が存在すると考える。

鬼(ki)を「 恐れる 」意識を持つとき、鬼(ki)ではなく、「 魂 」を維持できるだろう。


鬼(ki)は、 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」だから、人間は神になれないと同時に、鬼(ki)になれない。

人間は、死霊である鬼(oni)になる可能性はあるが、鬼(ki)にはなれないと思う。


これは、間違いであるかも知れないが、そう思う。





http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.80.8C.E9.AC.BC.E3.80.8D

鬼の学説

文芸評論家の馬場あき子は5種類に分類している[1]。
1.民俗学上の鬼で祖霊や地霊。
2.山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例、天狗。
3.仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。
4.人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。
5.怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼。


中国における「鬼」

中国で鬼(グウェイ、ピンイン : guǐ)という場合、死霊、死者の霊魂のことを指す[8]。日本で言う「亡霊」の方がニュアンスとして近い(中国語版ウィキペディアの記事『鬼』は、日本語版『亡霊』にリンクされている)。中国では、直接鬼と呼ぶのはタブーであることから、婉曲して好兄弟ともいう。また日本にもこの思想が入っており、人が死ぬことを指して「鬼籍に入る」などと言う言い方がある他、元来の意味合いと混交したイメージでも捉えられている。

また他国の人種を蔑称する際「鬼子(広東語:鬼佬)」といい、日本人を最大級の蔑称として日本鬼子を使用する。2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて中国で発生したデモで、多く日本人が目にした言葉であるが、日本人にとって「鬼」=「強い力」を意味するなど肯定的な意味に捉えることもできるため、肝心の日本人にはいまひとつ侮蔑の意が伝わらなかった。

posted by kandk55 at 05:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 41 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月25日

2012/11/25、気(ki)と情(zyou)・実有と実体

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)


2012/11/25、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


単純なことだが、「 実体 」と「 実有 」とは違うことに気づいた。


前者は、「 不連続 」の「 意識 」であり、文化であり、教育も出来る、「 実体 」という「 虚 」であり、前者の無意識は大脳の情(zyou)の無意識である。


後者は、気(ki)の無意識であり、小脳の無意識、つまり生命に直結する「 連続 」した「 実有 」であり、範囲は「 実体 」より広く、意識を超えた宇宙である。


意識の「 実体 」に「 現在 」という気(ki)の無意識が加わったのが「 実有 」であるかも知れない。


教育し、伝承され、共感される(ミラーニューロンが働く)のは、「 今 」や「 現在 」という気(ki)の中で「 実体 」の「 不連続 」を「 連続 」させることであり、「 実有 」や「 連続 」は、共感した現在の個人の中に存在すると考える。


「 実体 」は「 実有 」を必要としない「 虚 」であり、学問は「 虚 」であり、学問を修めるとは、人類が知恵を喰い尽くし、その食べ残しを食べることだと思う。


この観点から、霊魂を考えると、情(zyou)として、意識としての見えない物や「 文化 」が「 霊 」であり、「 虚 」であり、これは人から教育や教唆されても、「 実体 」と意識するだろう。


これに対して、気(ki)として、見えない物、あるいはエネルギーが「 魂 」であり、無意識によって「 実有 」と実感され、「 実体 」と「 実有 」が出会い実感される場所が「 今 」「 現在 」の「 現実 」であり、それが「 霊魂 」であると思う。


教育や教唆されての「 人で無いもの 」が鬼(oni)であり、無意識に恐れる「 人で無いもの 」が鬼(ki)であるだろう。


前者の鬼(oni)が、文化として、情(zyou)としての「 人で無いもの 」であり、社会的であり、宗教など信じることなく生まれる。


言い換えると、「 信義則 」や「 信頼 」が無くても、鬼(oni)は生まれるし、「 信義則 」や「 約束 」は鬼(oni)には必要が無い。

それが、科学的「 実体 」であるだろう。


鬼(oni)は、後者の鬼(ki)を必要としない、科学的「 実体 」という「 虚 」であり、学問の「 虚 」であり、生命に直結する「 信義則 」や「 約束を信じること 」つまり「 義 」は必要ではない。


後者の鬼(ki)が、気(ki)としての「 人で無いもの 」であり、個別的であり、生命的な「 無明 」であり、「 信義則や約束を信じること 」により、存在し、それが「 義 」であるだろう。


「 不連続 」と「 不連続 」を「 信じること 」により「 連続 」させる。


鬼(oni)は情(zyou)であり、「 信義則 」や「 約束 」という「 義 」を破っても存在し続けるが、鬼(ki)は、「 信義則 」や「 約束 」を守り、信じる人は「 信義則や約束が無い状態、つまり「 義 」が無い状態(無明)が生命と直結することを恐れる 」から、「 恐れる 」人の間に存在する。


「 信義則 」や「 約束 」を破る鬼(oni)は、科学的な死霊であり、「 信じること 」をせず、「 義 」を知らず、生命を考えないから、鬼(ki)である「 魂 」を持っていないことになると考えている。


「 義 」とは、人倫の道であり、人として為すべき人の行為である。


「 魂 」という漢字の中には「 鬼(oni)」という漢字が含まれている。

「 魂 」は、人類のすべてが持っている。

人類のすべては、「 鬼(oni)」を持っている。


鬼(oni)を、鬼(oni)として残すか、鬼(ki)に変えるかは、個人の自由である。





http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.80.8C.E9.AC.BC.E3.80.8D

鬼の学説

文芸評論家の馬場あき子は5種類に分類している[1]。
1.民俗学上の鬼で祖霊や地霊。
2.山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例、天狗。
3.仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。
4.人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。
5.怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼。


中国における「鬼」

中国で鬼(グウェイ、ピンイン : guǐ)という場合、死霊、死者の霊魂のことを指す[8]。日本で言う「亡霊」の方がニュアンスとして近い(中国語版ウィキペディアの記事『鬼』は、日本語版『亡霊』にリンクされている)。中国では、直接鬼と呼ぶのはタブーであることから、婉曲して好兄弟ともいう。また日本にもこの思想が入っており、人が死ぬことを指して「鬼籍に入る」などと言う言い方がある他、元来の意味合いと混交したイメージでも捉えられている。

また他国の人種を蔑称する際「鬼子(広東語:鬼佬)」といい、日本人を最大級の蔑称として日本鬼子を使用する。2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて中国で発生したデモで、多く日本人が目にした言葉であるが、日本人にとって「鬼」=「強い力」を意味するなど肯定的な意味に捉えることもできるため、肝心の日本人にはいまひとつ侮蔑の意が伝わらなかった。

posted by kandk55 at 04:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 41 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月23日

2012/11/23、気(ki)と情(zyou)・魂

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)






U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)





2012/11/18、私の記事


これは、私だけの個人的な考えであり、同調を求めない。


鬼(ki)は気(ki)であり、鬼(oni)は情(zyou)であるとは、前者が「 現在 」であり、「 魂 」であり、後者は「 過去や未来 」であり、「 霊 」であることだと思う。


「 過去や未来 」が「 現在 」で出会うのが「 霊魂 」であり、鬼(ki)と鬼(oni)の具現化であり、「 恐れ 」という関係の、無意識による「 憎しみ 」という感情への具現化であると思う。

これは、喧嘩や戦争における鬼(oni)になるだろう。


第二次世界大戦だけでなく、ベトナム、イラク、アフガニスタン、尖閣諸島など、すべての争いの根本に、鬼(oni)と「 欲 」があると思う。


状況の中に鬼(oni)や「 欲 」を発見し、それが、当事者の国ばかりでなく、他国に住む自分の中にも存在すると考えると、自分のなかで、鬼(oni)を消滅することより、「 欲 」を消滅させる方が簡単だと思う。


鬼(oni)は、社会的な情(zyou)であるが、「 欲 」は、個人の願望であり、「 欲 」を制することは、宇宙の果てまで広がる自我の制圧でもあり、結局は、本人の利益となるからだ。


世界で一番、幸福と言われるブータン王国を御覧なさい。


先進国に比べて、経済的に恵まれてはいないが、経済やマネーから発する「 欲 」が少なくて、そのかわり哲学や宗教がある。


宗教は、前述したように、「 無明 」から発する不安を消すだろう。


私の考えでは、ブータン王国の宗教はチベット仏教であり、「 輪廻転生 」を考える宗教だと思う。


また、ブータン国王が来日されたとき、人間は「 龍 」を飼っていて、正義に反するときは病気となって、そのことを人間に知らせると聞いた。


正義とは、人の道であり、人倫の道である。


これに反するとき、病気になるというと聞いた。


チベット仏教も、「 輪廻転生 」の考えをすると思うが、宗教を否定し、「 輪廻転生 」を否定し、哲学も無い大国は、「 魂 」を持っていない国だと考えると頷くことが出来る。


「 毛沢東 」や「 周恩来 」がチベットの「 ダライ・ラマ 」のように、「 輪廻転生 」して現れたら困るという考えがあるのかも知れない。


すべては、Uの「 虚 」ではなくて、Tの「 実有 」なのだと思う。


因果応報

善因善果、悪因悪果

これらの関係が、現実の中で、すべて実現するだろう。


仏教の考えも、鬼(oni)を消滅させ、「 欲 」を小さくする技術だと思う。


人倫の道を行く政治家が現れることを希求する。


2012/11/23、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121108-00000027-scn-int

 
記事は、ダライ・ラマが「中国大陸で反日情勢が高まった」と指摘したことに対して「事実無根の発言」と非難。
 ダライ・ラマは反日運動の原因を「大陸が極端な反日教育をしている」、などと発言したことに対して、記事は「中国は反日教育をしたことがない。中国は、(戦前・戦中の)日本の戦争犯罪人と日本人民は分けて考えている」と反発。
 ダライ・ラマの「大陸社会は閉鎖的で、情報も欠乏している。中国人の多くはいまだに、日本人と軍国主義を連想して結びつける」との指摘については、「釣魚島の主権は中国大陸だけの問題でなく、海外の中華民族に共通した心の声だ」、「ダライは故意に事情を歪曲(わいきょく)し、中国大陸が『社会の閉鎖性により反日感情が出現した』と言った。台湾、香港、マカオ(澳門)、海外華僑も含めて、中華民族の愛国の情熱を侮辱した」と反論した。
 ダライ・ラマが11月2日にインド紙の取材に対して「チベットの問題が完全に正常化しなければ、中国とインドは相互信頼を築くことができない」と述べた。環球時報は「ダライの心の中には、中国の国家利益などまったくないことが分かる」と非難。
 ダライ・ラマが、「中国がチベットの主権を持つというなら、インドがチベットの主権を持つという方が、まだ理にかなっている」と述べたことなどに注目し、「祖先の地を売り渡す」考え方と非難。「ダライは自分の魂を売り渡したが、中国には、ダライが外国に売り渡すことができる寸土も存在しない」と論じた。(編集担当:如月隼人)



私の考え



このことについて、私は、次のことを考える。


@中国は「 共産主義 」であり、「 宗教 」を拒否している。


A中国はすべてマネーであり、国益とは、経済的なことであるだろう。


Bチベットは、チベット仏教という宗教を持っており、同じ宗教を持つ国は、中国を拒否する「 ブータン王国 」であり、チベットやブータン王国は、インドの文化に近い。


C「 魂を売った 」というが、中国には「 魂 」が無く、有るのは「 死霊 」であり中国の人はすべて「 死霊 」を持っているが、「 売るべき魂 」を持っていない。


D最近の中国のテレビを見ると、ダライ・ラマが言うように、中国は、(戦前・戦中の)日本の戦争犯罪人と日本人民は分けて考えていない。これは、中国が「 魂 」ではなく「 死霊 」を持っていて「 恨みを忘れない 」という死霊を持っているのだろう。

Eチベット族の焼身自殺のニュースが多いが、チベット族は、領土は中国であっても、中国人民ではないのだろうか?




日本国民は、多くの戦没者を犠牲にして、宗教の自由や言論の自由や表現の自由などの「 基本的人権 」という国家からの干渉を拒否する権利を取得したが、中国には、それが無いし、ダライ・ラマを受け入れる価値観や寛容性を持っていない。


「 魂 」をもっていないから、金銭で人を動かす。


チベット仏教の「 輪廻転生 」など、私は共感するところが多いが、チベット仏教を容認すると「 毛沢東 」や「 周恩来 」の「 転生 」を恐れているのだろう。






http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.80.8C.E9.AC.BC.E3.80.8D

鬼の学説

文芸評論家の馬場あき子は5種類に分類している[1]。
1.民俗学上の鬼で祖霊や地霊。
2.山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例、天狗。
3.仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。
4.人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。
5.怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼。


中国における「鬼」

中国で鬼(グウェイ、ピンイン : guǐ)という場合、死霊、死者の霊魂のことを指す[8]。日本で言う「亡霊」の方がニュアンスとして近い(中国語版ウィキペディアの記事『鬼』は、日本語版『亡霊』にリンクされている)。中国では、直接鬼と呼ぶのはタブーであることから、婉曲して好兄弟ともいう。また日本にもこの思想が入っており、人が死ぬことを指して「鬼籍に入る」などと言う言い方がある他、元来の意味合いと混交したイメージでも捉えられている。

また他国の人種を蔑称する際「鬼子(広東語:鬼佬)」といい、日本人を最大級の蔑称として日本鬼子を使用する。2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて中国で発生したデモで、多く日本人が目にした言葉であるが、日本人にとって「鬼」=「強い力」を意味するなど肯定的な意味に捉えることもできるため、肝心の日本人にはいまひとつ侮蔑の意が伝わらなかった。

ブータン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3

posted by kandk55 at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 41 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月19日

2012/11/19、原子力発電は必要か?17・「 原発ゼロ 」に向けて

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



ヤフーニュース


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120915-00000103-san-bus_all


原発ゼロ 経済界、広がる波紋 成長・雇用に大打撃

産経新聞 9月15日(土)7時55分配信

 ■世界トップ水準 原発技術力、衰退の危機

 政府が14日、「2030年代の原発稼働ゼロ」を柱とする新たなエネルギー・環境戦略を決定したことで、国内産業界からは一斉に反発の声があがった。高い技術力を誇る原発産業の衰退を招く恐れがあるばかりか、産業の空洞化により国内の成長や雇用に重大な影響を及ぼしかねない。原発ゼロの決定は、日本経済の将来に影を落としている。

 世界有数の競争力を誇る日本の原発メーカー。しかし、原発新設が閉ざされれば、国内では保守・廃炉事業しかなくなる。しかも頼みの原発輸出も政府が国内で危険と認定したことで売り込みが難しくなる。

 「日本の産業競争力そのものが、一層低下する」。東芝の佐々木則夫社長はこう懸念する。

 今後、新設計画に国内メーカーが参加できなくなれば技術の蓄積の場がなくなる。原発の関連事業で6千人の人員を抱える日立製作所の中村豊明副社長は「新設が難しいとなれば、別分野に人員を振り向けるしかない」と縮小をにおわせる。原発ゼロ政策が世界トップ水準にある日本の原発技術力を鈍化させかねないだけに、三菱重工業の大宮英明社長は「政府の成長戦略との整合が図られているか検証がいる」として政府を厳しく追及する考えだ。

 ◆空洞化加速に警鐘

 問題は原発産業だけにとどまるわけではない。

 「国際競争力を保つ体制を整えないと、産業としては海外立地を求めざるをえない」。日本化学工業協会の高橋恭平会長は14日の定例会見で産業空洞化の加速に警鐘を鳴らした。原発ゼロで電力不足の不安が慢性化すれば、企業は海外に流出。国内の雇用減少に直結するからだ。


 「なぜ急いで将来の国民を縛るようなことをするのか」と憤るのは新日本製鉄の三村明夫会長。原発代替で、太陽光や風力発電といった自然エネルギーの比率を増やせば、その分のコスト上昇分が電気料金にはねかえる。日本鉄鋼連盟は原発をゼロにした際の産業用電気料金が最大で2・1倍上昇するとの試算を示す。



 そもそも資源に乏しい日本は、原油を中心とした化石燃料の大部分を海外からの輸入に頼りきっているのが現実だ。原発ゼロは、エネルギー安全保障の根幹にひびを入れ、日本経済の土台を揺るがす恐れがある。

 JXホールディングスの渡文明相談役は「原発に代わるエネルギーがあるのか。時間をかけて結論を出すべきだ」と苦言を呈する。



経済3団体トップが「原発ゼロ」政策反対 「労働人口の半数超が反対」とアピール

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120918-00000568-san-bus_all

経済3団体、共同会見で「原発ゼロ」撤回要求

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120918-00001126-yom-bus_all

<エネルギー調査会>三村委員長が苦言「議論難しい」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120919-00000005-mai-bus_all


私だけの考え


上記の「 経済界 」の意見には、「 国民のため 」とか「 福島原発事故 」とか「 放射能漏れ 」などは、無視、あるいは反省されていないと思う。

「 日本国のエネルギー 」を考えることは、「 日本国民のためのエネルギー政策 」であると考えると、政府の「 原発ゼロ 」という方向は、間違いでないと私は思う。

私の反論は、2012/9/19「 原子力発電は必要か?14「 原発ゼロ 」に賛成 」で書いた。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121118-00000002-jct-bus_all


日本海に採取しやすいメタンハイドレート 実用化への期待高まる

J-CASTニュース 11月18日(日)17時4分配信


 未来のエネルギー源として期待されるメタンハイドレートをオホーツク海や日本海の海底下数メートルで発見し、回収に成功したというニュースが、世間をにぎわしている。明治大学と北見工業大学、東京大学などの共同調査グループ「表層ガスハイドレート研究コンソーシアム」が2012年10月末に発表した。

 これまでに太平洋側で確認された海底の地下深くにあるものと比べ、海底の地下数メートルの浅い部分に埋まっていて掘り出しやすいのが大きなポイント。有力な国産エネルギー源としての関心を集めている。

■日本のEEZの範囲内に眠る

 メタンハイドレートは天然ガスの主成分メタンを水分子が囲んだ構造体で、低温・高圧の環境の地底や海底に氷結した状態で存在するので「燃える氷」と呼ばれる。メタンは、そのまま大気中に放出されると二酸化炭素(CO2)の20倍もの温室効果があるが、メタンを燃焼させた場合のCO2排出量は石油や石炭の半分とされ、地球温暖化対策としても有効なエネルギー源と目される。

 今回「発見」されたのは北海道網走市沖のオホーツク海と、秋田、山形、新潟各県沖の日本海の海底。いずれも沖合30〜50キロ程度、日本の排他的経済水域(EEZ)の範囲で、一部を掘り出して回収した。さらに兵庫県から島根県にかけての日本海沖でも存在を示す証拠を確認しており、調査の中心メンバーの松本良・明治大特任教授は「こうした場所はたくさんあると考えてよい」と述べ、日本海やオホーツク海の海底に広く眠っている可能性を示した。


2012/11/19、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


資源に乏しい日本は、原油を中心とした化石燃料の大部分を海外からの輸入に頼りきっているかも知れないが、「 原発ゼロ 」は、世界の潮流だと思う。


原発トップの技術者が、「 福島 」のとき、何をしたか。


アメリカやフランスの技術に頼りきっていたではないか。


指導したのは、「 水をかけろ 」だけ。


現在、設置されている原発も、電力会社が地盤を調査して、公務員が許可しただけとのこと。


だから、現在、稼働中の原発の敷地に断層があることを、原発を稼働させながら調査している。


これが、最高水準の原発技術なのか、国民は悲しくなってしまう。


資源に乏しい日本は、原油を中心とした化石燃料の大部分を海外からの輸入に頼りきっていると言ってきたのに、日本の領海内に、大量の「 メタンハイドレード 」という資源が眠っていることが判明した。


アメリカでは、シェールガスという資源があり、開発中だから、何も日本が先頭になって、MOX燃料(プルトニウム・ウラン混合酸化物)を使った「 もんじゅ 」という高速増殖炉を国家プロジェクトを作って推進する必要は無いと思う。


世界の潮流は、「 原発ゼロ 」だから、原発を廃炉にする技術を残して、原子力発電はやめた方が良いと思う。


子孫は、原発の廃止に苦しむことは明瞭である。


それを、「 経済界の都合 」で、国債のように先送りしていると、子孫が泣くということは明瞭である。


ロシアのドストエフスキーは、「 本当の悪 」は、「 悪 」と知りながら、何もせず見逃すことだと、テレビ番組で言っていた。


原発が、プルトニウムという「 原爆 」の材料を作ることになれば、原爆の被爆国である日本が、率先して原発をやめることが、「 悪 」を見逃さないことになる。



「 経済界 」は、マネーのことしか知らない。


マネーで、心を売る「 悪魔 」にはなりたくないと思う。


資源に乏しい日本は、原油を中心とした化石燃料の大部分を海外からの輸入に頼りきっていたが、資源を発見したのだから、その開発に取り組めば、「 雇用の創出 」にもなり、「 電力の安定供給 」にもなることが、「 経済界 」は知らない。

posted by kandk55 at 01:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発は必要か? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月18日

2012/11/18、オカルト・気(ki)と情(zyou)・鬼考4(終焉)

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)






U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)






2012/11/11、私の記事


これは、私だけの個人的な考えであり、同調を求めない。


鬼を鬼(ki)と鬼(oni)に分けるのは、Tの気(ki)とUの情(zyou)とで、性質も違えば、分野も違うのだと思うからだ。


気(ki)が、情(zyou)という物語を付着させると、「 実体 」になるのかも知れないが、気(ki)から情(zyou)は生じないし、情(zyou)から気(ki)も生じないと思う。


性質とは何か?


鬼(ki)は、「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」であり、私が感じる日本とアメリカの魂を書いてみよう。


日本人から見たアメリカ人は、「 黒船 」のときと同じく、体格からしても日本人を超えた者で、日本が今まで侵略に遭遇しなかった事情や当時の情報不足により、人としてではない「 恐れ 」を持った結果、アメリカ人を鬼(ki)と呼んだのだと思う。


他方、アメリカから見た日本人は、「 真珠湾攻撃 」は勿論、「 神風特攻隊 」など、人間を否定する攻撃(テロリズムと考えたのかも知れない)であるため、個人の認識ではなく、背後で人を狩り立てる天皇も一緒に考えて、日本人を鬼(ki)と考えたのだと思う。


両者とも、「 人 」の理解はなく、「 恐れ 」や「 悪魔 」として、人ではない物で、情報としては、生まれつきの先祖からくる仏教系の鬼(oni)、あるいは人鬼系の鬼(oni)と考えたのかも知れない。


そのように考えさせるのは、「 心 」に「 恐れ 」があり、「 魂 」の中の鬼(ki)が、「 現在 」「 今 」の時点で、互いを許さない同質の鬼(ki)であり、人知を超えた鬼(ki)であったのかも知れない。


他方の情(zyou)の鬼(oni)は、昔からの歴史的な鬼(oni)の理解であり、5の怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼(oni)であるだろう。


「 心 」の中に「 恐れ 」ではなく「 憎しみや怨念の塊 」を持ち、「 心 」が「 心 」を許さない「 人情 」としての鬼(oni)であり、情報や知識に関しては鬼(ki)の範囲を含み、情(zyou)であるため、過去や未来に連続する鬼(oni)であり、内容は「 憎しみ 」であるだろう。


鬼(oni)は情(zyou)を知った後の「 怨恨や憤怒 」であり、人と人の人間関係の鬼(oni)であり、夫婦や親子の中の「 心 」の鬼(oni)である点で「 現代的 」であると思う。


2012/11/17、私の記事


これは、私だけの個人的な考えであり、同調を求めない。


それでは、分野とは何か?


私は、鬼(ki)は気(ki)であり、「 現在 」の「 行為 」の「 エネルギー 」であり、Tに分類し、鬼(oni)は、情(zyou)であり、感情であり、「 記憶 」や「 思考 」であり、Uに分類し、「 過去や未来 」に存続すると考える。


前者は、死亡により消滅し、後者は、人が死亡しても「 文化 」として残るから、中国の昔の考えのように「 死霊 」となるのかも知れない。


後者は、人が死亡に至るまでの苦悩や葛藤や憎しみが凝縮したのであり、「 残念 」とか「 無念 」とかいう感情で、「 霊 」となり、後世の霊長類が持つミラーニューロンにより共感され、「 過去や未来 」に存続するだろう。


私が「 分野 」というとき考えるには、この「 存続する領域 」であると考える。


前者は「 関係 」として存続し、「 連続 」して「 実有 」として存続するが、生まれてくる他者の「 現在 」にエネルギーとして存続する、つまり「 人を替えて、エネルギーとして 」存続するのが鬼(ki)であり気(ki)であり、「 魂 」であり、「 魂の復活 」、「 気質 」の引き継ぎと呼ぶものであると考える。


後者は、「 文化 」や「 思考 」として存続し、ミラーニューロンが働くならばエネルギーとなるが、一般には「 歴史 」として「 過去や未来 」という「 思考 」による「 虚 」の中に存続する。


前者は、後世の人への気質の引き継ぎや「 価値観 」の引き継ぎだから、「 あの世 」への連鎖であり、後者は、文化や遺伝子情報という情(zyou)を引き継ぐから、生殖による世代への「 感情 」の引き継ぎという「 この世 」の連鎖であるところに、分野の違いを感じる。


「 価値観 」であるから、「 無明 」であり「 感情 」であるから「 無常 」であるとも考える。


前者は、「 魂 」であり魂に含まれる鬼(ki)を必ず必要とするが、後者は、「 霊 」であり、魂ではないから、死亡した人の鬼(ki)の存在が存在していることを必要としないが、「 生きていること 」は鬼(ki)を持つことだから、結局は、「 死霊 」の中に、自分のミラーニューロンという鬼(ki)により、自分の鬼(oni)を発見し、「 生きている死霊 」という鬼(oni)になると思う。


私のブログでは、人が死亡しても、人が「 魂 」を持つ限り、鬼(ki)や鬼(oni)は、後世の人に引き継がれるが、その内容がすべて、後世の人に引き継がれるのではなく、後世の人の考え次第であるということになる。


2012/11/18、私の考え


これは、私だけの個人的な考えであり、同調を求めない。


鬼(ki)は気(ki)であり、鬼(oni)は情(zyou)であるとは、前者が「 現在 」であり、「 魂 」であり、後者は「 過去や未来 」であり、「 霊 」であることだと思う。


「 過去や未来 」が「 現在 」で出会うのが「 霊魂 」であり、鬼(ki)と鬼(oni)の具現化であり、「 恐れ 」という関係の、無意識による「 憎しみ 」という感情への具現化であると思う。

これは、喧嘩や戦争における鬼(oni)になるだろう。


第二次世界大戦だけでなく、ベトナム、イラク、アフガニスタン、尖閣諸島など、すべての争いの根本に、鬼(oni)と「 欲 」があると思う。


状況の中に鬼(oni)や「 欲 」を発見し、それが、当事者の国ばかりでなく、他国に住む自分の中にも存在すると考えると、自分のなかで、鬼(oni)を消滅することより、「 欲 」を消滅させる方が簡単だと思う。


鬼(oni)は、社会的な情(zyou)であるが、「 欲 」は、個人の願望であり、「 欲 」を制することは、宇宙の果てまで広がる自我の制圧でもあり、結局は、本人の利益となるからだ。


世界で一番、幸福と言われるブータン王国を御覧なさい。


先進国に比べて、経済的に恵まれてはいないが、経済やマネーから発する「 欲 」が少なくて、そのかわり哲学や宗教がある。


宗教は、前述したように、「 無明 」から発する不安を消すだろう。


私の考えでは、ブータン王国の宗教はチベット仏教であり、「 輪廻転生 」を考える宗教だと思う。


また、ブータン国王が来日されたとき、人間は「 龍 」を飼っていて、正義に反するときは病気となって、そのことを人間に知らせると聞いた。


正義とは、人の道であり、人倫の道である。


これに反するとき、病気になるというと聞いた。


チベット仏教も、「 輪廻転生 」の考えをすると思うが、宗教を否定し、「 輪廻転生 」を否定し、哲学も無い大国は、「 魂 」を持っていない国だと考えると頷くことが出来る。


「 毛沢東 」や「 周恩来 」がチベットの「 ダライ・ラマ 」のように、「 輪廻転生 」して現れたら困るという考えがあるのかも知れない。


すべては、Uの「 虚 」ではなくて、Tの「 実有 」なのだと思う。


因果応報

善因善果、悪因悪果

これらの関係が、現実の中で、すべて実現するだろう。


仏教の考えも、鬼(oni)を消滅させ、「 欲 」を小さくする技術だと思う。


人倫の道を行く政治家が現れることを希求する。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.80.8C.E9.AC.BC.E3.80.8D

鬼の学説

文芸評論家の馬場あき子は5種類に分類している[1]。
1.民俗学上の鬼で祖霊や地霊。
2.山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例、天狗。
3.仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。
4.人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。
5.怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼。


中国における「鬼」

中国で鬼(グウェイ、ピンイン : guǐ)という場合、死霊、死者の霊魂のことを指す[8]。日本で言う「亡霊」の方がニュアンスとして近い(中国語版ウィキペディアの記事『鬼』は、日本語版『亡霊』にリンクされている)。中国では、直接鬼と呼ぶのはタブーであることから、婉曲して好兄弟ともいう。また日本にもこの思想が入っており、人が死ぬことを指して「鬼籍に入る」などと言う言い方がある他、元来の意味合いと混交したイメージでも捉えられている。

また他国の人種を蔑称する際「鬼子(広東語:鬼佬)」といい、日本人を最大級の蔑称として日本鬼子を使用する。2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて中国で発生したデモで、多く日本人が目にした言葉であるが、日本人にとって「鬼」=「強い力」を意味するなど肯定的な意味に捉えることもできるため、肝心の日本人にはいまひとつ侮蔑の意が伝わらなかった。

ブータン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3

posted by kandk55 at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 41 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月17日

2012/11/17、オカルト・気(ki)と情(zyou)・鬼考 3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)






U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)



2012/11/10、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

「 魂 」を持っていない人間はいない。

人間はすべて「 魂 」を持っている。


「 雲 」の原字である「 云 」に「 鬼 」をプラスしたのが、日本語の「 魂 」である。

すると、人間はすべて「 鬼」を持っているという結果になる。


「 魂 」を鬼が雲のように発達したのが「 魂 」か、あるいは雲が小さくなったのが「 魂 」であるのではなく、「 鬼が雲のように広がった 」のが「 魂 」であると現在は考える。


「 魂 」は「 大和魂 」とか「 アメリカ魂 」とかいうように、人間はすべて「 魂 」を持ち、日本語では「 雲 」の原字である「 云 」に「 鬼 」をプラスしたのが「 魂 」であり、人間はすべて「 鬼 」を持っていると考える。


その「 鬼 」が、「 大和魂 」とか「 アメリカ魂 」という場合に、鬼(ki)という意味に解釈するのか、鬼(oni)という意味に解釈するかが問題である。


前者の鬼(ki)、は「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」という意味で、Tの気(ki)に分類し、後者の鬼(oni)は、中国や古代の日本での解釈のように「 死霊 」や「 亡霊 」とし、人間が作るので、Uの情(zyou)に分類する。


私は、第二次世界大戦での「 大和魂 」とか「 アメリカ魂 」を考えるとき、「 魂 」を「 死霊 」や「 悪霊 」を持って戦争したとは考えず、「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」を持った戦争だったと考える。


最近でも中国は、昔からの「 鬼は死霊である 」と考えていると思うから、中国人はすべて「 死霊 」や「 亡霊 」を持っている人間であるという結果になる。



2012/11/11、私の記事


これは、私だけの個人的な考えであり、同調を求めない。


鬼を鬼(ki)と鬼(oni)に分けるのは、Tの気(ki)とUの情(zyou)とで、性質も違えば、分野も違うのだと思うからだ。


気(ki)が、情(zyou)という物語を付着させると、「 実体 」になるのかも知れないが、気(ki)から情(zyou)は生じないし、情(zyou)から気(ki)も生じないと思う。


性質とは何か?


鬼(ki)は、「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」であり、私が感じる日本とアメリカの魂を書いてみよう。


日本人から見たアメリカ人は、「 黒船 」のときと同じく、体格からしても日本人を超えた者で、日本が今まで侵略に遭遇しなかった事情や当時の情報不足により、人としてではない「 恐れ 」を持った結果、アメリカ人を鬼(ki)と呼んだのだと思う。


他方、アメリカから見た日本人は、「 真珠湾攻撃 」は勿論、「 神風特攻隊 」など、人間を否定する攻撃(テロリズムと考えたのかも知れない)であるため、個人の認識ではなく、背後で人を狩り立てる天皇も一緒に考えて、日本人を鬼(ki)と考えたのだと思う。


両者とも、「 人 」の理解はなく、「 恐れ 」や「 悪魔 」として、人ではない物で、情報としては、生まれつきの先祖からくる仏教系の鬼(oni)、あるいは人鬼系の鬼(oni)と考えたのかも知れない。


そのように考えさせるのは、「 心 」に「 恐れ 」があり、「 魂 」の中の鬼(ki)が、「 現在 」「 今 」の時点で、互いを許さない同質の鬼(ki)であり、人知を超えた鬼(ki)であったのかも知れない。


他方の情(zyou)の鬼(oni)は、昔からの歴史的な鬼(oni)の理解であり、5の怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼(oni)であるだろう。


「 心 」の中に「 恐れ 」ではなく「 憎しみや怨念の塊 」を持ち、「 心 」が「 心 」を許さない「 人情 」としての鬼(oni)であり、情報や知識に関しては鬼(ki)の範囲を含み、情(zyou)であるため、過去や未来に連続する鬼(oni)であり、内容は「 憎しみ 」であるだろう。


鬼(oni)は情(zyou)を知った後の「 怨恨や憤怒 」であり、人と人の人間関係の鬼(oni)であり、夫婦や親子の中の「 心 」の鬼(oni)である点で「 現代的 」であると思う。


2012/11/17、私の考え



これは、私だけの個人的な考えであり、同調を求めない。


それでは、分野とは何か?


私は、鬼(ki)は気(ki)であり、「 現在 」の「 行為 」の「 エネルギー 」であり、Tに分類し、鬼(oni)は、情(zyou)であり、感情であり、「 記憶 」や「 思考 」であり、Uに分類し、「 過去や未来 」に存続すると考える。


前者は、死亡により消滅し、後者は、人が死亡しても「 文化 」として残るから、中国の昔の考えのように「 死霊 」となるのかも知れない。


後者は、人が死亡に至るまでの苦悩や葛藤や憎しみが凝縮したのであり、「 残念 」とか「 無念 」とかいう感情で、「 霊 」となり、後世の霊長類が持つミラーニューロンにより共感され、「 過去や未来 」に存続するだろう。


私が「 分野 」というとき考えるには、この「 存続する領域 」であると考える。


前者は「 関係 」として存続し、「 連続 」して「 実有 」として存続するが、生まれてくる他者の「 現在 」にエネルギーとして存続する、つまり「 人を替えて、エネルギーとして 」存続するのが鬼(ki)であり気(ki)であり、「 魂 」であり、「 魂の復活 」、「 気質 」の引き継ぎと呼ぶものであると考える。


後者は、「 文化 」や「 思考 」として存続し、ミラーニューロンが働くならばエネルギーとなるが、一般には「 歴史 」として「 過去や未来 」という「 思考 」による「 虚 」の中に存続する。


前者は、後世の人への気質の引き継ぎや「 価値観 」の引き継ぎだから、「 あの世 」への連鎖であり、後者は、文化や遺伝子情報という情(zyou)を引き継ぐから、生殖による世代への「 感情 」の引き継ぎという「 この世 」の連鎖であるところに、分野の違いを感じる。


「 価値観 」であるから、「 無明 」であり「 感情 」であるから「 無常 」であるとも考える。


前者は、「 魂 」であり魂に含まれる鬼(ki)を必ず必要とするが、後者は、「 霊 」であり、魂ではないから、死亡した人の鬼(ki)の存在が存在していることを必要としないが、「 生きていること 」は鬼(ki)を持つことだから、結局は、「 死霊 」の中に、自分のミラーニューロンという鬼(ki)により、自分の鬼(oni)を発見し、「 生きている死霊 」という鬼(oni)になると思う。


私のブログでは、人が死亡しても、人が「 魂 」を持つ限り、鬼(ki)や鬼(oni)は、後世の人に引き継がれるが、その内容がすべて、後世の人に引き継がれるのではなく、後世の人の考え次第であるということになる。








http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.80.8C.E9.AC.BC.E3.80.8D

鬼の学説

文芸評論家の馬場あき子は5種類に分類している[1]。
1.民俗学上の鬼で祖霊や地霊。
2.山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例、天狗。
3.仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。
4.人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。
5.怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼。


中国における「鬼」

中国で鬼(グウェイ、ピンイン : guǐ)という場合、死霊、死者の霊魂のことを指す[8]。日本で言う「亡霊」の方がニュアンスとして近い(中国語版ウィキペディアの記事『鬼』は、日本語版『亡霊』にリンクされている)。中国では、直接鬼と呼ぶのはタブーであることから、婉曲して好兄弟ともいう。また日本にもこの思想が入っており、人が死ぬことを指して「鬼籍に入る」などと言う言い方がある他、元来の意味合いと混交したイメージでも捉えられている。

また他国の人種を蔑称する際「鬼子(広東語:鬼佬)」といい、日本人を最大級の蔑称として日本鬼子を使用する。2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて中国で発生したデモで、多く日本人が目にした言葉であるが、日本人にとって「鬼」=「強い力」を意味するなど肯定的な意味に捉えることもできるため、肝心の日本人にはいまひとつ侮蔑の意が伝わらなかった。

posted by kandk55 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 41 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月14日

2012/11/14、マララさんに平和賞を・ネットで署名に賛成

パキスタン:マララさんに平和賞を ネットで署名活動

http://mainichi.jp/select/news/20121110k0000e030192000c.html

毎日新聞 2012年11月10日 13時30分


 パキスタンでイスラム武装勢力に銃撃され、英国で治療を受けている少女マララ・ユスフザイさん(15)にノーベル平和賞を贈るよう、英国の活動家が9日までに、インターネット上で署名活動を始めた。

 既に数万人が署名。同様の呼び掛けはカナダ、フランス、スペインなどでも行われている。

 マララさんは、パキスタン北西部を拠点とするイスラム武装勢力「パキスタンのタリバン運動(TTP)」の女子教育抑圧や残虐行為をブログなどで告発。10月9日、下校途中にTTPに銃撃され、重傷を負った。(共同)



2012/10/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記のように、自殺したからと言って「 自我 」を消すことは出来ない。


それでは、「 自我 」を周囲に知らせたいと思うだろう。


しかし、自殺して自分の「 自我 」を伝えるた場合は、Tに分類する気(ki)である生命は無く、従って行為も不能になり、「 自我 」を知らせるのは、Uに分類する「 遺書 」などの情(zyou)を他人に「 共感 」して貰うしか方法は無い。


他殺なら、警察が犯人を捕らえるが、自殺したら、逆襲することが出来ないから、自殺は死んだら終わりであるかも知れない。


自殺は自由だが、自殺は「 死んだら終わり 」である。

While there is life, there is hope.


そうであれば、生きて戦おうと思う人を、私は期待する。


「 忍 」とは、刃(yaiba)の下に心(kokoro)と書く。


外国であれば、「 銃口を恐れない心 」であるかも知れない。


悔しいだろうが、「 無常 」を信じて、不安に思うことなく、逆境に耐え、忍んで生きてほしい。


たとえば、小学校や中学校での「 いじめ 」を、「 無常 」、つまりこの状態が恒常ではないことを信じて、自殺せずに生き続けてほしい。


学校の先生は何もしないだろうが、時は過ぎ、大人になれば、状況も違ってくる。


不登校と責められても、「 病気 」になっても、生き続けてほしい。


学校を卒業すれば、きっと、逆襲することが出来る。


それを信じて、気(ki)を養うことが必要だと思う。


何のために本を読むのか?

目や耳は、何のために存在するのか?


それは、自分のミラーニューロンで「 共感 」する、自分の「 可能性 」を求めて、「 将来の自分の姿 」を探しているのだと思う。


そうであれば、学校へ行かなくても、職場を休んでも、「 学ぶ 」ことを忘れてはいけないと思う。


学校を卒業したとき、あるいは職場に復帰したとき、「 学んだこと 」が本領を発揮する。


何もせず、現実を逃避した者と学び続けた者には、それぞれに違う結果が現れる。


それを信じて、現実を「 忍ぶ 」ことが、「 無常 」を信じて生きることであると思う。


2012/11/14、私の考え


昨日、テレビで見たが、パキスタンで「 第二のマララさん 」になる可能性がある少女がいることを知った。

パキスタンのタリバンが、その少女の家の扉に、赤く大きな×印をつけたのを報道していた。

これは、昔の「 アリババと40人の盗賊 」の話の中で、命を狙われる「 アリババ 」と同じである。

21世紀になっても「 先夜一夜物語 」の盗賊と同じ行動をするタリバンがいるとは驚きである。

家の扉に印を着けられた少女の気持ちを思うと、これは大人の集団による「 いじめ 」であり、少女が如何に傷つくか、タリバンは考えることが出来ないのだろうか?


上記の私の考えからいえば、「 マララさん事件 」は、銃口の前で忍ぶ少女の姿であり、宗教の問題であるが、可哀そうとしか言いようがない。


私たち日本は、第二次世界大戦で、特攻隊を始め多くの戦没者の犠牲の上に、言論の自由を始め「 基本的人権 」を擁護する日本国憲法を持った。


一部の人が、外国が制定した憲法で改正すべしと言うが、現憲法を上回る「 基本的人権擁護の憲法 」を制定することが出来るとは考えない。


パキスタンの人々は「 マララさん 」のような犠牲者の上に、「 基本的人権 」を得るのだと思うが、銃口の前で忍ぶ少女の姿を見て、何も援助することが出来ないが、もし署名運動が日本でも始まれば参加したいと思う。


ノーベル賞に支えられ、少しでもパキスタン政府の援助を促すことが出来るなら、ノーベルも喜ぶと思う。
posted by kandk55 at 04:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月11日

2012/11/11、オカルト・気(ki)と情(zyou)・鬼考 2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)






U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)



2012/11/10、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

「 魂 」を持っていない人間はいない。

人間はすべて「 魂 」を持っている。


「 雲 」の原字である「 云 」に「 鬼 」をプラスしたのが、日本語の「 魂 」である。

すると、人間はすべて「 鬼」を持っているという結果になる。


「 魂 」を鬼が雲のように発達したのが「 魂 」か、あるいは雲が小さくなったのが「 魂 」であるのではなく、「 鬼が雲のように広がった 」のが「 魂 」であると現在は考える。


「 魂 」は「 大和魂 」とか「 アメリカ魂 」とかいうように、人間はすべて「 魂 」を持ち、日本語では「 雲 」の原字である「 云 」に「 鬼 」をプラスしたのが「 魂 」であり、人間はすべて「 鬼 」を持っていると考える。


その「 鬼 」が、「 大和魂 」とか「 アメリカ魂 」という場合に、鬼(ki)という意味に解釈するのか、鬼(oni)という意味に解釈するかが問題である。


前者の鬼(ki)、は「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」という意味で、Tの気(ki)に分類し、後者の鬼(oni)は、中国や古代の日本での解釈のように「 死霊 」や「 亡霊 」とし、人間が作るので、Uの情(zyou)に分類する。


私は、第二次世界大戦での「 大和魂 」とか「 アメリカ魂 」を考えるとき、「 魂 」を「 死霊 」や「 悪霊 」を持って戦争したとは考えず、「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」を持った戦争だったと考える。


最近でも中国は、昔からの「 鬼は死霊である 」と考えていると思うから、中国人はすべて「 死霊 」や「 亡霊 」を持っている人間であるという結果になる。



2012/11/11、私の考え



これは、私だけの個人的な考えであり、同調を求めない。


鬼を鬼(ki)と鬼(oni)に分けるのは、Tの気(ki)とUの情(zyou)とで、性質も違えば、分野も違うのだと思うからだ。


気(ki)が、情(zyou)という物語を付着させると、「 実体 」になるのかも知れないが、気(ki)から情(zyou)は生じないし、情(zyou)から気(ki)も生じないと思う。


性質とは何か?


鬼(ki)は、「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」であり、私が感じる日本とアメリカの魂を書いてみよう。


日本人から見たアメリカ人は、「 黒船 」のときと同じく、体格からしても日本人を超えた者で、日本が今まで侵略に遭遇しなかった事情や当時の情報不足により、人としてではない「 恐れ 」を持った結果、アメリカ人を鬼(ki)と呼んだのだと思う。


他方、アメリカから見た日本人は、「 真珠湾攻撃 」は勿論、「 神風特攻隊 」など、人間を否定する攻撃(テロリズムと考えたのかも知れない)であるため、個人の認識ではなく、背後で人を狩り立てる天皇も一緒に考えて、日本人を鬼(ki)と考えたのだと思う。


両者とも、「 人 」の理解はなく、「 恐れ 」や「 悪魔 」として、人ではない物で、情報としては、生まれつきの先祖からくる仏教系の鬼(oni)、あるいは人鬼系の鬼(oni)と考えたのかも知れない。


そのように考えさせるのは、「 心 」に「 恐れ 」があり、「 魂 」の中の鬼(ki)が、「 現在 」「 今 」の時点で、互いを許さない同質の鬼(ki)であり、人知を超えた鬼(ki)であったのかも知れない。


他方の情(zyou)の鬼(oni)は、昔からの歴史的な鬼(oni)の理解であり、5の怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼(oni)であるだろう。


「 心 」の中に「 恐れ 」ではなく「 憎しみや怨念の塊 」を持ち、「 心 」が「 心 」を許さない「 人情 」としての鬼(oni)であり、情報や知識に関しては鬼(ki)の範囲を含み、情(zyou)であるため、過去や未来に連続する鬼(oni)であり、内容は「 憎しみ 」であるだろう。


鬼(oni)は情(zyou)を知った後の「 怨恨や憤怒 」であり、人と人の人間関係の鬼(oni)であり、夫婦や親子の中の「 心 」の鬼(oni)である点で「 現代的 」であると思う。






http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.80.8C.E9.AC.BC.E3.80.8D

鬼の学説

文芸評論家の馬場あき子は5種類に分類している[1]。
1.民俗学上の鬼で祖霊や地霊。
2.山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例、天狗。
3.仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。
4.人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。
5.怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼。


中国における「鬼」

中国で鬼(グウェイ、ピンイン : guǐ)という場合、死霊、死者の霊魂のことを指す[8]。日本で言う「亡霊」の方がニュアンスとして近い(中国語版ウィキペディアの記事『鬼』は、日本語版『亡霊』にリンクされている)。中国では、直接鬼と呼ぶのはタブーであることから、婉曲して好兄弟ともいう。また日本にもこの思想が入っており、人が死ぬことを指して「鬼籍に入る」などと言う言い方がある他、元来の意味合いと混交したイメージでも捉えられている。

また他国の人種を蔑称する際「鬼子(広東語:鬼佬)」といい、日本人を最大級の蔑称として日本鬼子を使用する。2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて中国で発生したデモで、多く日本人が目にした言葉であるが、日本人にとって「鬼」=「強い力」を意味するなど肯定的な意味に捉えることもできるため、肝心の日本人にはいまひとつ侮蔑の意が伝わらなかった。

posted by kandk55 at 06:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 41 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月10日

2012/11/10、オカルト・気(ki)と情(zyou)・鬼考 1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)






U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)



2012/11/3、私の記事



これは、フィクションであり同調を求めない。


「 魂 」という日本語を解釈したい。


「 雲 」の原字である「 云 」に「 鬼 」をプラスしたのが「 魂 」である。


鬼が雲のように発達したのが「 魂 」か、あるいは雲が小さくなったのが「 魂 」かもしれない。


私は、人間を気(ki)というエネルギーと情(zyou)という情報で考えているが、気(ki)には「 魂 」を、情(zyou)には「 霊 」をあてはめて、前者は空中の「 シューマン共振 」になり、後者は、文化や価値観となって、「 共感 」により「 霊長類 」の間で伝達されると考えた。


気(ki)が「 魂 」であるが、鬼は(ki)と(oni)の両方の発音を持つ。


気(ki)は鬼(ki)であり、「 雲 」のように湧き上がり、空中の「 シューマン共振 」になり、あるいは「 シューマン共振 」が、人間の肉体に入ったと考えるが、もう一方の鬼(oni)は、日本書紀には「邪しき神」を「邪しき鬼(もの)」としており得体の知れぬ「カミ」や「モノ」であり、その両者をプラスしたのが「 魂 」であると思う。


2012/11/10、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

「 魂 」を持っていない人間はいない。

人間はすべて「 魂 」を持っている。


「 雲 」の原字である「 云 」に「 鬼 」をプラスしたのが、日本語の「 魂 」である。

すると、人間はすべて「 鬼」を持っているという結果になる。


「 魂 」を鬼が雲のように発達したのが「 魂 」か、あるいは雲が小さくなったのが「 魂 」であるのではなく、「 鬼が雲のように広がった 」のが「 魂 」であると現在は考える。


「 魂 」は「 大和魂 」とか「 アメリカ魂 」とかいうように、人間はすべて「 魂 」を持ち、日本語では「 雲 」の原字である「 云 」に「 鬼 」をプラスしたのが「 魂 」であり、人間はすべて「 鬼 」を持っていると考える。


その「 鬼 」が、「 大和魂 」とか「 アメリカ魂 」という場合に、鬼(ki)という意味に解釈するのか、鬼(oni)という意味に解釈するかが問題である。


前者の鬼(ki)、は「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」という意味で、Tの気(ki)に分類し、後者の鬼(oni)は、中国や古代の日本での解釈のように「 死霊 」や「 亡霊 」とし、人間が作るので、Uの情(zyou)に分類する。


私は、第二次世界大戦での「 大和魂 」とか「 アメリカ魂 」を考えるとき、「 魂 」を「 死霊 」や「 悪霊 」を持って戦争したとは考えず、「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」を持った戦争だったと考える。


最近でも中国は、昔からの「 鬼は死霊である 」と考えていると思うから、中国人はすべて「 死霊 」や「 亡霊 」を持っている人間であるという結果になる。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.80.8C.E9.AC.BC.E3.80.8D

中国における「鬼」

中国で鬼(グウェイ、ピンイン : guǐ)という場合、死霊、死者の霊魂のことを指す[8]。日本で言う「亡霊」の方がニュアンスとして近い(中国語版ウィキペディアの記事『鬼』は、日本語版『亡霊』にリンクされている)。中国では、直接鬼と呼ぶのはタブーであることから、婉曲して好兄弟ともいう。また日本にもこの思想が入っており、人が死ぬことを指して「鬼籍に入る」などと言う言い方がある他、元来の意味合いと混交したイメージでも捉えられている。

また他国の人種を蔑称する際「鬼子(広東語:鬼佬)」といい、日本人を最大級の蔑称として日本鬼子を使用する。2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて中国で発生したデモで、多く日本人が目にした言葉であるが、日本人にとって「鬼」=「強い力」を意味するなど肯定的な意味に捉えることもできるため、肝心の日本人にはいまひとつ侮蔑の意が伝わらなかった。

posted by kandk55 at 04:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 41 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月05日

2012/11/5、原子力発電は必要か?16 敷地に断層があれば撤去すべき

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121105-00000093-san-soci

大飯原発、乏しい判断材料 断層?地滑り?議論は二分

産経新聞 11月5日(月)7時55分配信

 関西電力大飯原発(福井県)の敷地内を走る「F−6断層(破砕帯)」が活断層か否かについて議論した4日の評価会合では、現地調査で新たに確認された地層のずれが、断層が動いた形跡か、地滑りの痕跡かで議論が二分。「資料が足りない」などの意見が相次ぎ、結論は次回以降へ持ち越しとなったが、専門家でも意見が分かれる難解なテーマに、議論は長期化する可能性も出てきた。

 評価会合で最大の焦点となったのは、原発の海側で行った調査で新たに見つかった地層のずれだ。関電が今回の調査で試掘溝を掘ったところ、F−6断層があるとみられていた場所とは異なる、試掘溝の東端部分で新たに地層がずれているのが見つかったのだ。このずれの上にある地層は12万5000年前に堆積したものとみられるが、ずれに合わせて変形していた。

 ずれが断層であれば、12万5000年前よりも新しい時代に、断層が動いたことになる。国の指針では、13万〜12万年前以降に動いた断層を活断層としており、指針に照らせば、今回見つかったずれは活断層となり、大飯原発は停止させなければならなくなる。

 「横ずれに伴う典型的な構図。断層面だ」

 東洋大の渡辺満久(みつひさ)教授はそう断言し、大飯原発の即刻停止を求めた。渡辺教授は、最初にF−6断層が活断層である可能性を指摘した人物だ。

 一方で、立命館大の岡田篤正教授は「これまで多くの活断層を見てきたが、こういう構造はあまりない。違和感を覚える」と話す。岡田教授は日本活断層学会の元会長で日本を代表する活断層の専門家だ。「海側と山側でもずれ方が違う。むしろ地滑りに見える」との立場だ。

 地層のずれについては関西電力も見解を示しておらず、他のメンバーからも明確な意見が聞かれないため、原子力規制委員会として調査団に加わった島崎邦彦委員長代理は「今日はこれ以上結論を出すのは無理。事業者の意見も聞くべきだろう」と述べ、結論は持ち越しとなった。

 7日の次回会合では関電から見解を聞く予定だが、ずれの正体が断層か地滑りによるものかを判断する材料は乏しい。そもそも今回見つかったずれがF−6断層かどうかも不明だ。追加調査の必要性を訴える指摘も多く、結論はさらに先延ばしになる可能性もある。(原子力取材班)


深層崩壊
http://www.mlit.go.jp/river/sabo/deep_landslide_FAQ.html


深層崩壊についてよくあるご質問

○深層崩壊とは。

・山崩れ・崖崩れなどの斜面崩壊のうち、すべり面が表層崩壊よりも深部で発生し、表土層だけでなく深層の地盤までもが崩壊土塊となる比較的規模の大きな崩壊現象。

参考:

「表層崩壊」:山崩れ・崖崩れなどの斜面崩壊のうち、厚さ0.5〜2.0m程度の表層土が、表層土と基盤層の境界に沿って滑落する比較的規模の小さな崩壊のこと。

○深層崩壊の発生メカニズムは。

・降雨、融雪、地震などが原因。

・降雨による場合は、短時間降雨よりも長時間降雨に影響されると言われている。

(参考)総降雨量が400mmを越えると増えるとの指摘もある。

・地形的には岩盤クリープ、円弧状クラックなど、深層崩壊が発生しやすい微地形があると言われている。

・渓流域の集水面積が大きい、比高差が大きいなど水の力がかかりやすい地形は相対的に深層崩壊が発生しやすいと言われている。


○深層崩壊は表層崩壊、がけ崩れ、地すべり、土石流などと何がちがうのか。

・深層崩壊は崩壊の形態を表した言葉で、かけ崩れ・地すべり・土石流は土砂災害の形態を表した言葉である。

・崩壊は表層崩壊と深層崩壊に分けられる(表層崩壊でないものを深層崩壊と呼んでいる)。

・一般的にがけ崩れは、表層崩壊によるものが多く、土石流は表層崩壊によるものが多いが1997年の鹿児島県出水市の針原川の事例のように、深層崩壊に由来するものもある。また、地すべりは一般的には深層崩壊にともなって発生する現象で動きが緩慢なものが多いが、今回取り上げている深層崩壊は深層崩壊のうち、動きが速いものを対象としている。

○深層崩壊は増加傾向にあるのか。

・増加傾向にあるかどうかは、明らかでない。今後さらに検証が必要と考える。


2012/11/5、私の考え


これは、私だけの考えである。


先日も書いたが、「 断層 」が「 活断層 」か「 地すべり 」かで、原発設置を決めるのでなく、原発の重大性を鑑み、「 断層が存在する所には、原発を設置しない 」ということが重要だと思う。


「 地すべり 」でも、「 深層崩壊 」の地すべりであれば、「 山 」が崩れ、その上に乗っている原発が異常を起こす可能性がある。


崩れた土砂で、稼働中の原発が埋没するかも知れない。


これからは、「 想定外は許されず、あらゆる可能性を想定しなければならない 」と考えるべきで、「 深層崩壊 」が「 地震以外の原因でも起こること 」を考えると、「 活断層 」以上に「 危険 」である。


原発付近の「 深層崩壊 」した場所を調べたのか?


「 地すべり 」と言った人は、原発の安全性を検証して、責任を持つべきだろう。


もしも、安全性に責任が持てないならば、簡単である。


原発を止めれば良い。
posted by kandk55 at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発は必要か? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月04日

2012/11/4、原子力発電は必要か?15 断層が地すべりでも原発を停止すべき

ヤフーニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121104-00000025-asahi-soci

大飯原発の断層問題、結論持ち越し 7日に再び議論

朝日新聞デジタル 11月4日(日)17時12分配信

 関西電力大飯原発の敷地内の断層が活断層との疑いが指摘されている問題で、原子力規制委員会は4日、東京で評価会を開いたが結論がまとまらず、7日に再度会合を開き議論することを決めた。規制委は活断層の疑いが強いと判断すれば、全国で唯一稼働中の大飯原発を止めるよう関電に求めることにしている。

 この日の評価会は、「活断層だ」とする意見と、「地すべりだ」とする意見が専門家の間で出て、結論がまとまらなかった。調査メンバーは2日、現地調査して問題の断層をみた。
.
朝日新聞社


2012/11/4、私の考え


これは、私の考えであり、同調を求めない。


原子力規制委員会で、関西電力大飯原発の敷地内の断層が活断層であるか否かが議論されている。

活断層の上に、原発を認めないから、活断層か否かが問題になっていると思うが、問題は「 活断層 」か「 地すべり 」であるかではなく、原発の敷地内に断層が存在することである。

「 地すべり 」でも、「 深層地すべり 」であれば、原発の敷地が、「 地すべり 」で引き裂かれて、「 福島 」と同じ結果になる恐れがある。

そのことは、「 地すべり 」であっても「 活断層 」と、「 地面が裂ける 」という点では、同じ危険性があり、即刻、安全性が満たされないから、稼働中の原発でも停止すべきであると思う。

事故があったら、誰が責任をとるのか?

国民は心配で仕方がない。
posted by kandk55 at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発は必要か? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012/11/04、オカルト・死後の自我の行方5・鬼2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)



2012/11/3、私の記事



これは、フィクションであり同調を求めない。


「 魂 」という日本語を解釈したい。


「 雲 」の原字である「 云 」に「 鬼 」をプラスしたのが「 魂 」である。


鬼が雲のように発達したのが「 魂 」か、あるいは雲が小さくなったのが「 魂 」かもしれない。


私は、人間を気(ki)というエネルギーと情(zyou)という情報で考えているが、気(ki)には「 魂 」を、情(zyou)には「 霊 」をあてはめて、前者は空中の「 シューマン共振 」になり、後者は、文化や価値観となって、「 共感 」により「 霊長類 」の間で伝達されると考えた。


気(ki)が「 魂 」であるが、鬼は(ki)と(oni)の両方の発音を持つ。


気(ki)は鬼(ki)であり、「 雲 」のように湧き上がり、空中の「 シューマン共振 」になり、あるいは「 シューマン共振 」が、人間の肉体に入ったと考えるが、もう一方の鬼(oni)は、日本書紀には「邪しき神」を「邪しき鬼(もの)」としており得体の知れぬ「カミ」や「モノ」であり、その両者をプラスしたのが「 魂 」であると思う。


鬼(oni)を、「 死霊 」という言葉で考えるから、「 人に危害を加える怪物 」のようなイメージを持つと思う。

私は、気(ki)の中で鬼(ki)と鬼(oni)を考える。

鬼(ki)と鬼(oni)の違いは、善いエネルギーと悪いエネルギーであると考える。

それは、気(ki)の中の「 創造 」と「 破壊 」のエネルギーであると思う。

気(ki)というエネルギーは、エーテルを媒体とするから宇宙から胎内まで障壁もなく浸透し、精子と卵子の結合の際にも入り込むから、鬼(ki)も鬼(oni)も、生殖行為の中に現れることは考えられると思う。


気(ki)というエネルギーは鬼(ki)と鬼(oni)とともに「 魂 」となり、その「 魂 」が「 霊 」と結びついて「 霊魂 」となり、生命に対する精神になると考える。


すると、人間は誰でも「 魂 」として、気(ki)というエネルギーとして鬼(ki)と鬼(oni)、それに情(zyou)を持ち、鬼(ki)と鬼(oni)はエネルギーや行為だから小脳に属し、情(zyou)は大脳に属すると思う。



「 霊 」は、情(zyou)であると思うが、気(ki)である鬼(oni)も内包して「 霊魂 」となり、破壊の鬼(oni)が情(zyou)により記憶や翻訳されて「 心や精神が形になった得体の知れぬ「カミ」や「モノ」である状態(エネルギー)として、歴史的に伝承されて来たのだと思う。


気(ki)は、無明であり、精神的に方向が無いエネルギーで、人知では想像することが不能なエネルギーで、創造する面を鬼(ki)であると考える。


気(ki)の破壊するエネルギーを人が想像したのが鬼(oni)であると思う。


人は気(ki)として、@Tに分類する創造のエネルギーとしての鬼(ki)と、A破壊のエネルギーを人間が行為に想像した鬼(oni)と、B大脳による情(zyou)を持ち、気(ki)と情(zyou)を結ぶのが破壊する鬼(oni)で、鬼(oni)は、人間がエネルギーを感じて行為する小脳に属する情(zyou)であると思う。

行為が思考を破壊する、つまり「 無常である 」とは、鬼(oni)の行為であるかも知れない。


人はすべて鬼(oni)を飼っているとは、人は生まれたときから、「 魂 」として人知では想像することが出来ないエネルギーである鬼(ki)と、それを行為に想像した鬼(oni)のエネルギーを持っていて、それは遺伝子情報に組み込まれた情(zyou)と共に生きていて、情(zyou)のすべての発現の中に含まれる、言い換えると、すべての心の状態や行為の中に、創造の鬼(ki)と破壊の鬼(oni)が現れ、「 人間はすべての破壊の鬼(oni)になる可能性があるから注意しなさい」という宗教的な教えだと思う。




2012/11/4、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


それでは、生きているとき、鬼をどのように考えるか?


人間は誰でも気(ki)として鬼(ki)と鬼(oni)、それに情(zyou)を持っているという結論になり、創造する鬼(ki)は独自的で無明だが、破壊する鬼(oni)は「 人に危害を与えるもの 」として「 共感 」が可能であり、社会的で文化的である。


破壊する鬼(oni)が社会的で文化的である事は、情(zyou)により記録や記憶され「 心や精神が形になった 」状態だから、歴史的に共感や伝達することが出来ると思う。


一方、創造する鬼(ki)は、無明であり、精神的に方向が無く、エネルギーに近く、人知で想像することが不能なエネルギーであると思う。


感情などの情(zyou)と創造する鬼(ki)が結合したとき、自分の本来の方向に向いた情(zyou)、自分の個性とも言われる率直な情(zyou)のエネルギーの発揮であり、これが、プラス思考のエネルギーであると思う。

これは、創造する鬼(ki)が無明であり、精神的な方向が定まっていないことには変化はなく、生きている自分の無明が、この創造的な鬼(ki)の方向に一致することが創造ではない。


この場合、自我は堅持され、創造する鬼(ki)に対して、自己の力不足を考え、「 無常 」を感じることが、この創造的な鬼(ki)に接する態度だと思う。


創造とは、自分の内部の自己を変革することであり、自分の目的から離れて創造する鬼(ki)の方向に、方向を統一すること、たとえば「 超能力を求めること 」は、自己の放棄であり、「 マインドコントロール 」される危険があると思う。


一方、恨みや憎しみという感情の情(zyou)と破壊的な鬼(oni)が結合したとき、自分を見失った「 人に危害を与える方向 」へのエネルギーの発揮であり、これが、マイナス思考のエネルギーであると思う。


この場合、破壊的な鬼(oni)により自我は失われ、一見したところ「 悟った 」と思われるが、そうではなく、自己喪失であり、自分の判断の放棄であり、いわゆる「 マインドコントロール 」の状態であり、無責任である。


「 超能力 」を求めることも、自分には存在しないものを求めることであり、自己変革ではない。


これは、新興宗教などの教祖を鬼(oni)と考えると、教祖への服従は「 マインドコントロール 」であり、オカルト教団や教祖の実態を見れば、正当でないことは明らかである。


創造や破壊と言えど、鬼(oni)は鬼(oni)であり、鬼(oni)に「 心を奪われること 」は、真理への陶酔や解脱ではなく、自殺行為に等しい。


創造や破壊は、自己変革であり、自分の肉体を離れることは、正当ではない。


気(ki)のプラスのエネルギーを体内から引き出すか、マイナスのエネルギーを引き出すかは、情(zyou)が鬼(ki)と結びつくか、あるいは鬼(oni)と結びつくかの違いがあると思う。


鬼(ki)や鬼(oni)は、善悪の違いはあるが、「 人知を超えるエネルギー 」という意味では同じで、人知である情(zyou)の領域を広げたり、狭めたりする。


「 良い方向 」にも「 悪い方向 」にも、人知を超えることができるのが人間だと思う。


人はみんな鬼(oni)を持ち、殺人鬼などのような自分中心の「 悪い方向 」の鬼(oni)を飼うのも自由だが、「 自分中心の発想を変えて、自分の中から他者を憎む鬼を消すこと 」がプラスのエネルギーを取得することであり、「 自我 」という肉体と精神の障壁である「 殻 」を破ることが、創造することだと思う。

なぜなら、すべての原因は自分にあるからだ。


何のために手や足があり、何のために目や耳があるかを考えるとき、人の役に立って奉仕し、真理を求めることが、創造の鬼(ki)に従うことであり、そのとき鬼(oni)は消え、本来の情(zyou)すなわち人を益する情報(zyouhou)の先端に立つことが「 創造 」であると、私は思う。






http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC

マイナス思考

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B9%E6%80%9D%E8%80%83

posted by kandk55 at 02:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 40 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月03日

2012/11/03、オカルト・死後の自我の行方 4・鬼1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)


2012/10/28、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


これは、私が考えた物語であり、まったくのフィクションである。


それは、前回に続いて、死後の自我はどんな道を行くのかについて気(ki)と情(zyou)の観点から考える。


死後は、天国や地獄などに行くと言うが、天国も地獄も、体験した人も無く、体験をすることが出来ないので、すべて想像だろう。


「 六道 」の中に鬼(oni)がいるというが、何だろう?


「 六道 」と「 輪廻転生 」や「 鬼(oni)」など、下記のようなネット情報はあるが、これらを結ぶ物語が無く、これらを物語にするのは僧侶だろうが、ネット情報にも物語はないので、自分で考えることにした。


これから、私だけの方法で「 六道 」と「 輪廻転生 」や「 鬼 」を物語にする。


「 輪廻転生 」は先日書いたように、生前に子孫を残す生殖行為が「 目に見える輪廻 」であり、死後の自我の行方は「 目に見えない輪廻 」であり、両者は「 生と死を繰り返すと想像すること 」は同じである。


「 六道 」は、以下のように「 心の状態 」であると思うが、私は上記のように「 心 」は情(zyou)であると考え、この情(zyou)が残るとき霊として世界に漂い、生命の気(ki)である「 魂 」と結びついて「 六道 」の中に「 霊魂 」を持って生まれると思っている。


「 六道 」の中の「 家畜 」に生まれたと仮定して、「 家畜 」になった「 私 」を殺して食肉にしようとする人間は「 家畜の私 」にとっては「 鬼(oni) 」と思うだろう。


鬼(oni)は、人間にとっての鬼(oni)ばかりでなく、「 家畜 」にとっても鬼(oni)が存在して、それが人間であるかも知れない。


鬼(oni)は鬼神(kizin)と言うように鬼(ki)とも呼ぶ。


鬼(ki)を気(ki)と同義に考えると、「 家畜としての気(ki)」以外の気(ki)の持ち主、すなわち異種の生き物が鬼(oni)であると思う。


すると、現在の自分が他の動物にとって鬼(oni)であることになる。


自分の死後、気(ki)はエーテルの中に消えても、残った情(zyou)により「 輪廻転生 」して「 家畜 」になった自分が、人間から生命の危険を感じるとき人間は鬼(oni)であり、違った気(ki)を持つ鬼(ki)だと思うだろう。


人間の場合は、情(zyou)の中に鬼(oni)がいるのではなく、気(ki)の中にいる。


「 鬼 」が「 亡霊 」や「 死霊 」ではなく、つまり人間が持つ情(zyou)から生まれるのではなく、気(ki)すなわち、人知では不可能なTに分類するような気(ki)、あるいは神(God)の中に鬼(ki)がいることになる。


情(zyou)つまり霊や心の状態の「 六道 」の動物の階層ごとに、鬼(oni)がいて、違った気(ki)を持つ鬼(ki)の人間から生命が危険に晒される。


生きた人から人への情(zyou)が肉体を作り(だから、情は(nasake)とも言い、情事(zyouzi)という性交の意味も持つ)、霊が入るが、魂は気(ki)として、鬼(ki)として(精子の中の気(ki)という生命として?)、個の男性から個の女性の中に入ると思うから、人間はみんな内部に鬼(ki)を持つと考える。


人間はみんな鬼(oni)を内部に飼っているから、人間の行為とは思えない殺人の罪を犯すこともできる。


殺人は、人間とは違う鬼(ki)を持つ鬼(oni)の具現化である。


「 あの世 」だけでなく、「 この世 」にも鬼(oni)がいることは、地獄も「 この世 」にあるということだろう。


「 地獄 」を「 心の状態 」と解釈すれば、肯定できる。



2012/11/3、私の考え



これは、フィクションであり同調を求めない。


「 魂 」という日本語を解釈したい。


「 雲 」の原字である「 云 」に「 鬼 」をプラスしたのが「 魂 」である。


鬼が雲のように発達したのが「 魂 」か、あるいは雲が小さくなったのが「 魂 」かもしれない。


私は、人間を気(ki)というエネルギーと情(zyou)という情報で考えているが、気(ki)には「 魂 」を、情(zyou)には「 霊 」をあてはめて、前者は空中の「 シューマン共振 」になり、後者は、文化や価値観となって、「 共感 」により「 霊長類 」の間で伝達されると考えた。


気(ki)が「 魂 」であるが、鬼は(ki)と(oni)の両方の発音を持つ。


気(ki)は鬼(ki)であり、「 雲 」のように湧き上がり、空中の「 シューマン共振 」になり、あるいは「 シューマン共振 」が、人間の肉体に入ったと考えるが、もう一方の鬼(oni)は、日本書紀には「邪しき神」を「邪しき鬼(もの)」としており得体の知れぬ「カミ」や「モノ」であり、その両者をプラスしたのが「 魂 」であると思う。


鬼(oni)を、「 死霊 」という言葉で考えるから、「 人に危害を加える怪物 」のようなイメージを持つと思う。

私は、気(ki)の中で鬼(ki)と鬼(oni)を考える。

鬼(ki)と鬼(oni)の違いは、善いエネルギーと悪いエネルギーであると考える。

それは、気(ki)の中の「 創造 」と「 破壊 」のエネルギーであると思う。

気(ki)というエネルギーは、エーテルを媒体とするから宇宙から胎内まで障壁もなく浸透し、精子と卵子の結合の際にも入り込むから、鬼(ki)も鬼(oni)も、生殖行為の中に現れることは考えられると思う。


気(ki)というエネルギーは鬼(ki)と鬼(oni)とともに「 魂 」となり、その「 魂 」が「 霊 」と結びついて「 霊魂 」となり、生命に対する精神になると考える。


すると、人間は誰でも「 魂 」として、気(ki)というエネルギーとして鬼(ki)と鬼(oni)、それに情(zyou)を持ち、鬼(ki)と鬼(oni)はエネルギーや行為だから小脳に属し、情(zyou)は大脳に属すると思う。



「 霊 」は、情(zyou)であると思うが、気(ki)である鬼(oni)も内包して「 霊魂 」となり、破壊の鬼(oni)が情(zyou)により記憶や翻訳されて「 心や精神が形になった得体の知れぬ「カミ」や「モノ」である状態(エネルギー)として、歴史的に伝承されて来たのだと思う。


気(ki)は、無明であり、精神的に方向が無いエネルギーで、人知では想像することが不能なエネルギーで、創造する面を鬼(ki)であると考える。


気(ki)の破壊するエネルギーを人が想像したのが鬼(oni)であると思う。


人は気(ki)として、@Tに分類する創造のエネルギーとしての鬼(ki)と、A破壊のエネルギーを人間が行為に想像した鬼(oni)と、B大脳による情(zyou)を持ち、気(ki)と情(zyou)を結ぶのが破壊する鬼(oni)で、鬼(oni)は、人間がエネルギーを感じて行為する小脳に属する情(zyou)であると思う。

行為が思考を破壊する、つまり「 無常である 」とは、鬼(oni)の行為であるかも知れない。


人はすべて鬼(oni)を飼っているとは、人は生まれたときから、「 魂 」として人知では想像することが出来ないエネルギーである鬼(ki)と、それを行為に想像した鬼(oni)のエネルギーを持っていて、それは遺伝子情報に組み込まれた情(zyou)と共に生きていて、情(zyou)のすべての発現の中に含まれる、言い換えると、すべての心の状態や行為の中に、創造の鬼(ki)と破壊の鬼(oni)が現れ、「 人間はすべての破壊の鬼(oni)になる可能性があるから注意しなさい」という宗教的な教えだと思う。






http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC

鬼の学説

文芸評論家の馬場あき子は5種類に分類している[1]。
1.民俗学上の鬼で祖霊や地霊。
2.山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例、天狗。
3.仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。
4.人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。
5.怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼。


posted by kandk55 at 04:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 40 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする