2013年02月25日

2013/2/25、気(ki)と情(zyou)と欲11・第六感と志向性

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)



2013/2/24、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない



上記のように、気(ki)と情(zyou)、エーテルと大気、連続と不連続、実有と実体と考え、前者は「 小脳の欲 」後者は「 大脳の欲 」、前者は生命的で方向性が無いという意味で無明、後者は文化的で理論的であり、恒常でないという意味で無常といえると思う。

前者が後者を包摂すると考え、この両者を同時に考える。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、「 実体 」は時間的な欲であり、「 実有 」から生じる「 可能性 」は「 実体 」を否定する空間的な欲であるだろう。

「 可能性 」は「 実有 」であり、、時間的で空間的な「 実体 」から、時間を否定した空間的な「 実体 」を作り出すのかも知れない。

第六感は「 実有 」に属し、五感は「 実体 」に属すると思う。

「 思考エネルギー 」でも述べたように、E(人格形成力)=M(遺伝子情報や文化)+C1(夢)+C2(構想力)の延長に「 悟り 」や「 第六感 」があるかも知れないが、それは「 大脳の欲 」の延長であり、「 小脳の欲 」を包摂することはなく、理知的ではあるが、「 安心 」を生じない。

「 小脳の欲 」は「 無明 」だが、もし、無明でない場合があれば、それが「 第六感 」であると思う。

渡り鳥が、地磁気を感じて、方向を間違うことなく目的地につくように、重力や引力などのエーテルの中を流れるエネルギーを感じるのが「 第六感 」だと思う。

渡り鳥は、生命維持のために地磁気というエネルギーを感じるなら、人間も生命維持のためにエネルギーを感じる力があると思う。

「 大気 」という「 実体 」の中の電磁波に該当するのは、五感という意識であり、「 エーテル 」という「 実有 」の中の重力や引力に該当するのが「 第六感 」というものだと思う。

第六感は、真空という「 実有 」の中の太陽系のように、「 実体 」と「 実体 」を「 実有 」の真空の中で結ぶ重力や引力であり、それは、すでに「 関係 」として結ばれていて、重力や引力の伝わる速度は、「 光 」を超えるかも知れないと考える。

「 虫の知らせ 」で、親族の不幸が判明するように、事故と認識は時間や空間を超えて、同時である場合もあると思う。

このように、「 大気 」の中の時間的で空間的なエネルギーを感じるのが「 五感 」であり、「 エーテル 」という実有の中で、実体の間の「 関係 」のエネルギーを感じるのが「 第六感 」であるだろうと思う。



第六感
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E6%84%9F

第六感(だいろっかん、sixth sense)とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており[1]、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのことである[2]。



2013/2/25、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記のように、気(ki)であるエーテルの中で伝わるエネルギー(欲)が第六感で、情(zyou)である大気の中で伝わるエネルギーを感じるのが五感であると考えた。

気(ki)は、情(zyou)の中で「 不安 」であることは前に書いたが、この「 不安 」が第六感であると思う。

あるいは、変化を求める心だろう。

この「 不安 」が「 実体 」を変化させ、「 実体 」という存在意識を「 無常 」にすると思う。

この気(ki)である「 不安 」や「 無明 」や「 第六感 」は、情(zyou)が決めた「 今 」や「 現在 」の中で「 無明 」を構成し、「 無常 」という存在意識を生じさせると思う。


「 意識は何ものかについての意識である 」とは、言葉の構造の問題だけを考えても解決はしないと思う。

言葉は人間が使うのであり、人間の「 脳 」の働きの問題だと思う。

「 何ものか 」は「 実体 」であり、「 実体 」は意識される。

意識を破るのは「 実体 」は無いのに在るという「 実有 」である。

それは、不連続と連続の違いかもしれないが、空気とエーテルを伝わるエネルギーの感じ方、すなわち五感による「 実体 」を否定する「 実有 」を感じる第六感との違いが、ヨーロッパの哲学者が言う「 志向性 」ではないかと思う。


志向性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%90%91%E6%80%A7

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2013年02月24日

2013/2/24、気(ki)と情(zyou)と欲 10・第六感

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)






2013/2/10、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 在る 」とか「 形 」とかいうものは、実体の不連続な存在意識であり、恒常で無常でなく、新陳代謝しないと思うだろうが、それは欲であり、世界は「 在る 」とか「 形 」が無くても「 実有 」するのだと思う。

「 無 」ではなく「 実有 」であるので、迷うのである。

それは、無明が生じることだと思う。

「 在る 」とか「 形 」以外は「 無 」ではなく「 実有 」であるため迷う欲が生じ、新陳代謝が生じるのだろう。

細胞の酵素の代わりに、意識の領域では「 欲 」を置き換える。

「 在る 」とか「 形 」などの「 実体 」は、情(zyou)であり、大脳の欲であると思う。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、シュミレーションをするミラーニューロンの働きかも知れない。


2013/2/17、私の記事


これは、私だけの考えであり同調を求めない。

気(ki)と情(zyou)は、上記のようにエーテルと大気に比較する。

大気が無ければ生きてゆけないように、情(zyou)が無ければ生きてゆけない。

では、情(zyou)が気(ki)であるかと問えば、大気がエーテルでないように、情(zyou)は気(ki)ではない。

気(ki)と情(zyou)は、無明と無常と比較するが、エーテルと大気の比較によれば、大気に無いエーテルの状態は在るが、エーテルの無い大気は無い。



2013/2/24、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない



上記のように、気(ki)と情(zyou)、エーテルと大気、連続と不連続、実有と実体と考え、前者は「 小脳の欲 」後者は「 大脳の欲 」、前者は生命的で方向性が無いという意味で無明、後者は文化的で理論的であり、恒常でないという意味で無常といえると思う。

前者が後者を包摂すると考え、この両者を同時に考える。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、「 実体 」は時間的な欲であり、「 実有 」から生じる「 可能性 」は「 実体 」を否定する空間的な欲であるだろう。

「 可能性 」は「 実有 」であり、、時間的で空間的な「 実体 」から、時間を否定した空間的な「 実体 」を作り出すのかも知れない。

第六感は「 実有 」に属し、五感は「 実体 」に属すると思う。

「 思考エネルギー 」でも述べたように、E(人格形成力)=M(遺伝子情報や文化)+C1(夢)+C2(構想力)の延長に「 悟り 」や「 第六感 」があるかも知れないが、それは「 大脳の欲 」の延長であり、「 小脳の欲 」を包摂することはなく、理知的ではあるが、「 安心 」を生じない。

「 小脳の欲 」は「 無明 」だが、もし、無明でない場合があれば、それが「 第六感 」であると思う。

渡り鳥が、地磁気を感じて、方向を間違うことなく目的地につくように、重力や引力などのエーテルの中を流れるエネルギーを感じるのが「 第六感 」だと思う。

渡り鳥は、生命維持のために地磁気というエネルギーを感じるなら、人間も生命維持のためにエネルギーを感じる力があると思う。

「 大気 」という「 実体 」の中の電磁波に該当するのは、五感という意識であり、「 エーテル 」という「 実有 」の中の重力や引力に該当するのが「 第六感 」というものだと思う。

第六感は、真空という「 実有 」の中の太陽系のように、「 実体 」と「 実体 」を「 実有 」の真空の中で結ぶ重力や引力であり、それは、すでに「 関係 」として結ばれていて、重力や引力の伝わる速度は、「 光 」を超えるかも知れないと考える。

「 虫の知らせ 」で、親族の不幸が判明するように、事故と認識は時間や空間を超えて、同時である場合もあると思う。

このように、「 大気 」の中の時間的で空間的なエネルギーを感じるのが「 五感 」であり、「 エーテル 」という実有の中で、実体の間の「 関係 」のエネルギーを感じるのが「 第六感 」であるだろうと思う。



第六感
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E6%84%9F

第六感(だいろっかん、sixth sense)とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており[1]、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのことである[2]。

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2013年02月17日

2013/2/17、気(ki)と情(zyou)と欲 9・考え方 3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/02/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように、気(ki)と情(zyou)を、連続と不連続、エーテルと空気、実有と実体などを、同時に考え、その背後に「 欲 」を考えると、実体は、個人の「 欲 」の表明であり、すべては個人の内部の欲の程度次第であると思う。

実体、すなわち情(zyou)は、全人類にとって相違するのは、遺伝子情報だけでなく、すべてであり、個人の感覚であり、「 同一 」は、定義された言葉であると思う。

情(zyou)、すなわち言葉は定義されたものであるが、「 欲 」の定義であり、定義されないものは感情であると思うが、「 なぜ定義するのか? 」や「 どのように定義するのか?」、なぜ「 実体 」と考えるのかを問えば、「 それは欲の表明である 」という結論になる。

「 欲 」は、方向性が不明という意味で無明であり、その表明も、恒常でないから無常であり、「 実体 」を決める「 欲 」は個人次第という意味で「 主観的 」である。

「 気(ki)の欲 」は不安であり、「 情(zyou)の欲 」は実体であり、実体の裏に不安があるのは、不連続の実体は連続した実有が背後に存在することであり、意識の裏に無意識が潜んでいることと同義である。

不連続の実体であるから「 安心 」であり、連続した実有を思うと「 不安 」になる。

相当因果関係により自分の行為による損得の計算は可能であるから「 安心 」であり、善因善果、悪因悪果で、自分の行為の方向性が計算することが出来ないという意味で無明だから「 不安 」になる。

前者が情(zyou)の欲であり、後者が気(ki)の欲であると思う。


2013/2/10、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 在る 」とか「 形 」とかいうものは、実体の不連続な存在意識であり、恒常で無常でなく、新陳代謝しないと思うだろうが、それは欲であり、世界は「 在る 」とか「 形 」が無くても「 実有 」するのだと思う。

「 無 」ではなく「 実有 」であるので、迷うのである。

それは、無明が生じることだと思う。

「 在る 」とか「 形 」以外は「 無 」ではなく「 実有 」であるため迷う欲が生じ、新陳代謝が生じるのだろう。

細胞の酵素の代わりに、意識の領域では「 欲 」を置き換える。

「 在る 」とか「 形 」などの「 実体 」は、情(zyou)であり、大脳の欲であると思う。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、シュミレーションをするミラーニューロンの働きかも知れない。


2013/2/17、私の考え


これは、私だけの考えであり同調を求めない。

気(ki)と情(zyou)は、上記のようにエーテルと大気に比較する。

大気が無ければ生きてゆけないように、情(zyou)が無ければ生きてゆけない。

では、情(zyou)が気(ki)であるかと問えば、大気がエーテルでないように、情(zyou)は気(ki)ではない。

気(ki)と情(zyou)は、無明と無常と比較するが、エーテルと大気の比較によれば、大気に無いエーテルの状態は在るが、エーテルの無い大気は無い。

無常は、形や存在が流転することだと思うが、それは情(zyou)の区別であり、「 実体 」の区別であり、気(ki)であるエーテルは「 実有 」し、「 実有 」の「 実体 」が形であるかも知れない。

「 実有 」である「 無明 」が「 実体化 」したもの、「 心的存在意識 」になったのが形や存在であり、実質が無明であるから、「 実体 」は流転する「 無常 」であると思う。

「 無常 」は「 無明 」から生じると思う。

「 実有 」の「 実体 」は情(zyou)であり、知覚で確認することが出来る存在意識であるから、「 安心 」という「 欲 」が生まれるが、「 実体 」が無いのに「 実有 」するという気(ki)に「 欲 」が繋がると「 不安 」になると思う。

生や死というものは情(zyou)であり、経験則であり、「 実有 」としては、生きても死んでも変化は無いかも知れない。

生と死が一体の状態をエーテルと考え、生きようとする欲、死のうとする欲が、大気であり、そのエネルギーである「 欲 」が生気論の気(ki)であると思う。

以前の考えを下記に書く。

………………………………………………

2012/2/5、私の記事


私は、現時点では、「 無明 」と「 無常 」は無意識の中で連結し、「 一定の関係 」である「 心的存在意識 」を境界にして、互いに入れ替わると考えている。



「 無明 」と「 無常 」は、無意識の中で連結し、「 無明 」であるために、生命より安定的な「 存在 」という「 心的存在意識 」を作り出して「 安心 」し、それらの「 知覚可能な物 」を比較することにより、「 無常 」という、知覚不能の「 関係 」が生まれる。


逆に、「 無常 」な知覚不能の関係により生命に「 不安 」を生じ、それに意識を当てはめて、実体化して「 安心 」しようとして、「 心的存在意識 」が生じると、現時点では考えている。


両者は、全て「 心 」次第であり、「 心 」により、様々な「 心的存在意識 」が生じるだろう。


全ては、「 心 」の投影であり、「 人格 」という人を特徴づける「 心的存在意識 」の現れとして知覚されるだろう。

………………………………………………

「 心 」を「 欲 」に置き換えると、全ては「 欲 」の投影であることになる。
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2013年02月10日

2013/2/10、気(ki)と情(zyou)」と欲 8・考え方2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/02/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように、気(ki)と情(zyou)を、連続と不連続、エーテルと空気、実有と実体などを、同時に考え、その背後に「 欲 」を考えると、実体は、個人の「 欲 」の表明であり、すべては個人の内部の欲の程度次第であると思う。

実体、すなわち情(zyou)は、全人類にとって相違するのは、遺伝子情報だけでなく、すべてであり、個人の感覚であり、「 同一 」は、定義された言葉であると思う。

情(zyou)、すなわち言葉は定義されたものであるが、「 欲 」の定義であり、定義されないものは感情であると思うが、「 なぜ定義するのか? 」や「 どのように定義するのか?」、なぜ「 実体 」と考えるのかを問えば、「 それは欲の表明である 」という結論になる。

「 欲 」は、方向性が不明という意味で無明であり、その表明も、恒常でないから無常であり、「 実体 」を決める「 欲 」は個人次第という意味で「 主観的 」である。

「 気(ki)の欲 」は不安であり、「 情(zyou)の欲 」は実体であり、実体の裏に不安があるのは、不連続の実体は連続した実有が背後に存在することであり、意識の裏に無意識が潜んでいることと同義である。

不連続の実体であるから「 安心 」であり、連続した実有を思うと「 不安 」になる。

相当因果関係により自分の行為による損得の計算は可能であるから「 安心 」であり、善因善果、悪因悪果で、自分の行為の方向性が計算することが出来ないという意味で無明だから「 不安 」になる。

前者が情(zyou)の欲であり、後者が気(ki)の欲であると思う。


2013/2/10、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 在る 」とか「 形 」とかいうものは、実体の不連続な存在意識であり、恒常で無常でなく、新陳代謝しないと思うだろうが、それは欲であり、世界は「 在る 」とか「 形 」が無くても「 実有 」するのだと思う。

「 無 」ではなく「 実有 」であるので、迷うのである。

それは、無明が生じることだと思う。

「 在る 」とか「 形 」以外は「 無 」ではなく「 実有 」であるため迷う欲が生じ、新陳代謝が生じるのだろう。

細胞の酵素の代わりに、意識の領域では「 欲 」を置き換える。

「 在る 」とか「 形 」などの「 実体 」は、情(zyou)であり、大脳の欲であると思う。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、シュミレーションをするミラーニューロンの働きかも知れない。


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2013年02月09日

2013/2/9、気(ki)と情(zyou)と欲 7・考え方

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/1/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、上記のように、心理を「 気(ki)と情(zyou) 」と「 欲 」という「 エネルギー 」の二重構造と考える。



行動は無意識と意識の行動であると考えるのが一般的かもしれないが、私は賛成しない。


行動は気(ki)であり、それを促すのは「 気(ki)の欲 」と「 情(zyou)の欲 」というエネルギーであると思う。


前者が「 無意識 」で後者が「 意識 」であると考えるのではなく、「 気(ki)の欲 」や「 情(zyou)の欲 」の中にも「 無意識と意識 」は存在する。


私は、「 欲 」が気(ki)と「 実体化 」した、あるいは存在として感じたのが「 気(ki)の欲 」であり、それが「 対象が無い不安 」であると考える。


「 気(ki)の欲 」が「 不安 」であり、目的を持たない「 実体化 」であるのは、本来が「 無明 」から発生するからであり、「 実体 」ではないが、「 実有 」である。


これに対して、「 欲 」が情(zyou)と「 実体化 」したのが「 情(zyou)の欲 」であり、これが一般的に「 意欲 」と呼ぶものだと思う。


これは、対象(実体)のある動機であり、行動のエネルギーである。


「 欲 」が「 実体化 」するとはエネルギーが行動となって現れることであり、心理学で扱われるものだと思うが、「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 実有 」であるが「 実体 」でないので、心理学では解決することが出来ない「 無意識 」であると言われるかも知れない。


「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 無明 」を内包し、「 実体 」ではなく「 実有 」のエネルギーであり、「 実体 」を「 相対化 」する、あるいは「 無常 」と感じさせるエネルギーであると思う。


2013/1/27、私の記事・不安


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


不安は欲から生じるものだから、方向性が不明という意味で「 無明 」であり、気(ki)と結びつくため、気(ki)の特質が、すべて「 不安 」に該当する。

連続と不連続。

実有と実体。

前者が気(ki)で、後者が情(zyou)であるが、これまで述べて来たように、気(ki)は物語やストーリーや情報ではない。

しかし、真空でも重力や電磁波のエネルギーが往来するように「 無 」ではない。

ビッグ・バン以前が不明であることからわかるように、「 無 」というのは、人類が経験したものではない。

「 実体 」や「 不連続 」は人間が作ったもので、情(zyou)であり、物語であり、利用可能な相当因果関係である。

情(zyou)の「 実体 」は「 形あるもの 」で「 無常 」であるのに対し、気(ki)の「 実有 」は「 形がなくても物語を当てはめると存在するもの 」であり、物語によって、「 在るかも知れないし、無いかもしれないが、すべてを受け入れる 」という意味で「 形の無いもの 」であると思う。

「 無 」を人類は知らないが、物語の構想次第で存在意識になるものが在ることは知っている。

それを「 実有 」と、私は呼ぶ。

「 気(ki)の欲 」であるのが「 不安 」であるが、気(ki)であるため「 実有 」であり、「 実体 」が無くても「 在る 」エネルギーである。


「 不連続 」や「 実体 」にするのは人類であり、この世のすべては「 連続 」した「 因縁 」の世界が「 欲 」の世界であり、「 在るかも知れないし、無いかも知れない 」世界であるため、「 気(ki)の欲」が不安になると考える。


大気と真空が人類の身体を満たしているように、この世のすべては、重力や電磁波を通す真空のエーテルに満たされている。

それを、「 連続 」と呼ぶ。

「 実有 」で「 連続 」した「 欲 」が方向性が無い「 無明 」であるため、「 不安 」であると考えている。


2013/02/9、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように、気(ki)と情(zyou)を、連続と不連続、エーテルと空気、実有と実体などを、同時に考え、その背後に「 欲 」を考えると、実体は、個人の「 欲 」の表明であり、すべては個人の内部の欲の程度次第であると思う。

実体、すなわち情(zyou)は、全人類にとって相違するのは、遺伝子情報だけでなく、すべてであり、個人の感覚であり、「 同一 」は、定義された言葉であると思う。

情(zyou)、すなわち言葉は定義されたものであるが、「 欲 」の定義であり、定義されないものは感情であると思うが、「 なぜ定義するのか? 」や「 どのように定義するのか?」、なぜ「 実体 」と考えるのかを問えば、「 それは欲の表明である 」という結論になる。

「 欲 」は、方向性が不明という意味で無明であり、その表明も、恒常でないから無常であり、「 実体 」を決める「 欲 」は個人次第という意味で「 主観的 」である。

「 気(ki)の欲 」は不安であり、「 情(zyou)の欲 」は実体であり、実体の裏に不安があるのは、不連続の実体は連続した実有が背後に存在することであり、意識の裏に無意識が潜んでいることと同義である。

不連続の実体であるから「 安心 」であり、連続した実有を思うと「 不安 」になる。

相当因果関係により自分の行為による損得の計算は可能であるから「 安心 」であり、善因善果、悪因悪果で、自分の行為の方向性が計算することが出来ないという意味で無明だから「 不安 」になる。

前者が情(zyou)の欲であり、後者が気(ki)の欲であると思う。

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2013年02月04日

2013/2/4、携帯電話と人生8・スティーブ・ジョブズ 4

これまで、スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学での卒業式辞について考えてきました。

iPhone を使っての読者のために、これまでの記事を集めてみました。

2013/1/28、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、昨年の12月、スマートフォンを購入したことは披露しました。

スマートフォンを使って、その操作の便利さに感心しました。

アップル社のスティーブジョブズ氏は、確かに、世界を変えました。

今まで、モバイル用の端末と携帯電話用の端末が、電話線(無線)を共有して、別々に存在していたのを一つの iPone という端末に統合し、両者を可能にしました。

今、モバイルとか携帯電話を単独で保有する人は稀でしょう。

「 iPone があるじゃあないか 」という返事が返ってくることが、「 世界を変えた証拠 」であると思うのです。

過去の世界に戻らないことが、「 世界を変えたこと 」です。


Googl 社のYou Tube で、スティーブジョブズ氏のスタンフォード大学卒業式辞の日本語字幕版を拝見させて頂きました。

彼は、三つの話をされましたが、私にとって、一番目の話が難問でした。

その一番目の「 点と点をつなげる 」とは何かについて、私の考えを書きます。

三つの話は、互いに連結しているのですが、「 点と点をつなげる 」とは、私が「 気(ki)と情(zyou)と欲 」で述べた、気(ki)の人生を生きなさいという意味に解釈しました。

気(ki)とは「 因縁 」の世界であり、「 連続 」した「 実有 」の世界ですから、「 無明 」の人間は、因果の方向性がわからずに、迷います。


「 運命やカルマなど何かを信じ、我々はいまやっていることが、いずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。」というのは、「 いまは因縁の世界で生きていて、原因や結果は(点と点のつながりは)、後日判明するから、何かを信じて生きるしか方向性はない 」ということに解釈すれば、彼は気(ki)の人生を生きていることになると思います。


情(zyou)、すなわち相当因果関係を信じて生きることは、金儲けにはなりますが、パイオニアにはならないでしょう。

彼は、コンピューターを手段に使い、人間の感情を伝えることを意図したと、ネットのどこかで、拝見したが、良く言えば、彼は金儲けではなく、コンピューターを使って人生を楽しむことを意図したのだろう。

アップルの役員である以上、利益を追求したのでしょうが、金儲けだけの意図では、iPone は生まれなかったであろうことは、他のコンピューターの会社の行動を見ればわかります。


2013/1/28、私の記事



大切なものとそれを失うこと



「 失う、大切なもの 」は情(zyou)であるでしょう。

遺伝子情報でも、情報は何でも、「 受け継いだもの 」であり、自分だけが独占して、所有するものではありません。

人は、「 裸ひとつで生まれ、裸ひとつで死ぬもの 」です。

情(zyou)は、金銭も含めて、技術でありすべての文化であり、この世の「 美味なるもの 」です。

従って、その情(zyou)を守ることは、自己保身であり、独占欲などの利己欲であると思います。

ジョブズにとって、アップル社は役員ですから、アップル社に金儲けさせようという利己欲を持つでしょう。

アップル社に対する「 愛 」と、利己欲である「 愛情 」と取り違えてはいけません。


彼が、アップル社から解雇されたことは、「 利己欲を捨てなさい 」ということだと思います。



「 失うこと 」を「 喪失 」という意味だけに理解するのは自由ですが、「 失うこと 」は「 自分の利己欲を取り去ってくれた 」あるいは「 重荷を外してくれた 」と理解することも自由だと思います。



彼が、NeXT社やPixar社という会社を立ち上げたことは、利己欲を捨てた所に立っていることであり、それゆえに、iPhone を生み出したと、私は思います。

「 アップル社が可愛い 」という所に立ち止まることは利己欲の延長に立っていることであり、世界は変わりません。


そこを離れて、「 民衆は何を望み、自分は何を望み、何が出来るのか? 」を考え、民衆が望むものを作れば、おのずと物は売れて、自然に金儲けになると思います。


「 アップル社が可愛いから、金儲けさせる 」という考えは、普通の大企業が考えることで、一つのプロジェクトに多くの人間を従事させるでしょう。

ですが、この行動から、iPhone は生まれません。

「 損得勘定 」から生まれた製品で、世界は変わりません。


人が何を望み、自分が何を望むのかを考えて、それを作品にした時、iPhone が生まれ、アップル社に莫大な利潤をもたらしたと思います。

利己欲から離れ、民衆の求める物を作ったとき、民衆が買ってくれます。

民衆は、利己欲から得られない利益をもたらすでしょう。

2013/2/3、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

あなたも、考えてみませんか?

スティーブ・ジョブズは、第3話に、「 死 」について語りました。

幸いにして、私は「 死 」に直面していないので、私の言葉のすべてが虚構の言葉です。

私の、以上の考えにより、「 呼吸 」は「 生きること 」であり、空気と共にエーテルを体内に取り込んで、「 欲 」というエネルギーを作ります。

空気だけが生きるために必要に思っても、「 呼吸 」には、必ずエーテルを伴いまして、分離することが出来ません。

私の分類では、エーテルは気(ki)であり、「 不安 」であり方向が分からないという意味で「 無明 」であり、現在に存在します。

未来が不安であるのは、今までの体験上、過去の体験から判断して、生きる自信が無いことで、情(zyou)であり、打算であり、人を信じれば未来の不安は無いと思います。

空気を吸うのは生きるためであり、呼吸が出来れば「 安心や満足 」でしょうが、分離することが出来ない「 不安 」の気(ki)であるエーテルも同時に取り込んで「 不安 」になります。

その「 不安 」の程度が、死に向かう自分の「 安心や満足 」や死への準備を決め、それは個人的で画一的ではないでしょう。



「 ハングリーであれ 」というには、満足しないことであり、「 Foolish であれ 」というのは挑戦者であり続けろということだと思いますが、生きている限り、現在に完全な満足や安心が無いからであり、自分の欲を満足させるのでなく、「 そのように行動して社会に貢献しなさい 」という意味であると、私は解釈しました。


不安が無い「 安心や満足 」に到達するのは死後のことでしょうし、それが「 涅槃 」と言われるものだと思います。

どんなに情報を持っていても、金銭を持っていても、人は裸で死んでゆくのです。

金儲けも必要でしょうが、スティーブ・ジョブズのように、「 世界を変えること 」が出来たら素晴らしいと思います。

iPhone を持つあなたは、どのようにお考えですか?



2012/2/4、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

彼は、演説の終わりに言っています。

「 死は生命に変化をもたらす主体だ。古き物を消し去り新しき物に道を確保する。」

「皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない」

「自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っている。その他のことは二の次だ」

これは、裸で生まれ、裸で死んでゆく人から人へのメッセージだと思う。

第一話でも書いたが、「 現在 」は「 因縁と縁 」の世界で、何が原因となって、どのような結果になるかは不明である。

自分の心と直感に従う勇気を持って、「 点と点がむすばれると信じて 」行動し、失ったものは奪ってくれたと解釈し、利己欲より、他者を優先して考えれば、おのずと「 点と点が結ばれて 」再建も可能である。

社会貢献が出来ないことより、これから自分の何が、社会貢献になるかを考えれば、金儲けは後から着いて来るだろう。

社会を変革するのは、卒業する君たちだ。

私は、ジョブズ氏の哲学に触れた思いをしている。

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2013年02月03日

2013/2/3、携帯電話と人生7.死の話 3

2013/2/2、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない


このように、エーテルと大気を考え、前者が気(ki)であり、後者が情(zyou)であると考え、宇宙では前者は「 連続 」した「 実有 」であり、後者は地球だけの「 不連続 」なものであり「 実体 」であると考える。

私は「 生気論 」を支持するので、生き生きとした実体の世界の中での遺伝子情報などの情(zyou)が主と考えると思うかもしれないが、気(ki)を支持する。


それは、「 気(ki)の欲 」は「 不安 」であり、「 実体 」が無常であるのは、人間は「 不安 」を持つ生き物であるからだと思う。


死ぬ運命であるのが人間であり、人間は必ず死ぬ。


これが正当である限り、人生は不安が原則であるだろう。

「 呼吸 」は、エーテルと大気を同時に吸い込むことであり、大気はエーテルの存在無しには考えらないように、「 実体 」は「 実有 」、「 不連続 」は「 連続 」を考える限りで成立する。


「 実体 」とは「 満足 」であり「 実有 」とは「 実体 」を相対化して「 不満足 」に導くもの、不安にするものであり、「 生 」の中に「 死 」を内包することであり、あるいは「 死 」が「 生 」を「 生 」として自覚させているのであり、「 死中生有り、生中生無し 」ということかも知れない。


人生は不安だから生きるのであり、安心は死であり、安心や満足している状態は、「 死 」の状態であると思う。


これは、エーテルを欠いた大気は想定することが出来ないことと同義である。

2013/2/3、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

あなたも、考えてみませんか?

スティーブ・ジョブズは、第3話に、「 死 」について語りました。

幸いにして、私は「 死 」に直面していないので、私の言葉のすべてが虚構の言葉です。

私の、以上の考えにより、「 呼吸 」は「 生きること 」であり、空気と共にエーテルを体内に取り込んで、「 欲 」というエネルギーを作ります。

空気だけが生きるために必要に思っても、「 呼吸 」には、必ずエーテルを伴いまして、分離することが出来ません。

私の分類では、エーテルは気(ki)であり、「 不安 」であり方向が分からないという意味で「 無明 」であり、現在に存在します。

未来が不安であるのは、今までの体験上、過去の体験から判断して、生きる自信が無いことで、情(zyou)であり、打算であり、人を信じれば未来の不安は無いと思います。

空気を吸うのは生きるためであり、呼吸が出来れば「 安心や満足 」でしょうが、分離することが出来ない「 不安 」の気(ki)であるエーテルも同時に取り込んで「 不安 」になります。

その「 不安 」の程度が、死に向かう自分の「 安心や満足 」や死への準備を決め、それは個人的で画一的ではないでしょう。



「 ハングリーであれ 」というには、満足しないことであり、「 Foolish であれ 」というのは挑戦者であり続けろということだと思いますが、生きている限り、現在に完全な満足や安心が無いからであり、自分の欲を満足させるのでなく、「 そのように行動して社会に貢献しなさい 」という意味であると、私は解釈しました。


不安が無い「 安心や満足 」に到達するのは死後のことでしょうし、それが「 涅槃 」と言われるものだと思います。

どんなに情報を持っていても、金銭を持っていても、人は裸で死んでゆくのです。

金儲けも必要でしょうが、スティーブ・ジョブズのように、「 世界を変えること 」が出来たら素晴らしいと思います。

iPhone を持つあなたは、どのようにお考えですか?
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2013年02月02日

2013/2/2、オカルト・気(ki)と情(zyou)と欲6、人生は不安

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/1/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、上記のように、心理を「 気(ki)と情(zyou) 」と「 欲 」という「 エネルギー 」の二重構造と考える。



行動は無意識と意識の行動であると考えるのが一般的かもしれないが、私は賛成しない。


行動は気(ki)であり、それを促すのは「 気(ki)の欲 」と「 情(zyou)の欲 」というエネルギーであると思う。


前者が「 無意識 」で後者が「 意識 」であると考えるのではなく、「 気(ki)の欲 」や「 情(zyou)の欲 」の中にも「 無意識と意識 」は存在する。


私は、「 欲 」が気(ki)と「 実体化 」した、あるいは存在として感じたのが「 気(ki)の欲 」であり、それが「 対象が無い不安 」であると考える。


「 気(ki)の欲 」が「 不安 」であり、目的を持たない「 実体化 」であるのは、本来が「 無明 」から発生するからであり、「 実体 」ではないが、「 実有 」である。


これに対して、「 欲 」が情(zyou)と「 実体化 」したのが「 情(zyou)の欲 」であり、これが一般的に「 意欲 」と呼ぶものだと思う。


これは、対象(実体)のある動機であり、行動のエネルギーである。


「 欲 」が「 実体化 」するとはエネルギーが行動となって現れることであり、心理学で扱われるものだと思うが、「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 実有 」であるが「 実体 」でないので、心理学では解決することが出来ない「 無意識 」であると言われるかも知れない。


「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 無明 」を内包し、「 実体 」ではなく「 実有 」のエネルギーであり、「 実体 」を「 相対化 」する、あるいは「 無常 」と感じさせるエネルギーであると思う。


2013/1/27、私の記事・不安


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


不安は欲から生じるものだから、方向性が不明という意味で「 無明 」であり、気(ki)と結びつくため、気(ki)の特質が、すべて「 不安 」に該当する。

連続と不連続。

実有と実体。

前者が気(ki)で、後者が情(zyou)であるが、これまで述べて来たように、気(ki)は物語やストーリーや情報ではない。

しかし、真空でも重力や電磁波のエネルギーが往来するように「 無 」ではない。

ビッグ・バン以前が不明であることからわかるように、「 無 」というのは、人類が経験したものではない。

「 実体 」や「 不連続 」は人間が作ったもので、情(zyou)であり、物語であり、利用可能な相当因果関係である。

情(zyou)の「 実体 」は「 形あるもの 」で「 無常 」であるのに対し、気(ki)の「 実有 」は「 形がなくても物語を当てはめると存在するもの 」であり、物語によって、「 在るかも知れないし、無いかもしれないが、すべてを受け入れる 」という意味で「 形の無いもの 」であると思う。

「 無 」を人類は知らないが、物語の構想次第で存在意識になるものが在ることは知っている。

それを「 実有 」と、私は呼ぶ。

「 気(ki)の欲 」であるのが「 不安 」であるが、気(ki)であるため「 実有 」であり、「 実体 」が無くても「 在る 」エネルギーである。


「 不連続 」や「 実体 」にするのは人類であり、この世のすべては「 連続 」した「 因縁 」の世界が「 欲 」の世界であり、「 在るかも知れないし、無いかも知れない 」世界であるため、「 気(ki)の欲」が不安になると考える。


大気と真空が人類の身体を満たしているように、この世のすべては、重力や電磁波を通す真空のエーテルに満たされている。

それを、「 連続 」と呼ぶ。

「 実有 」で「 連続 」した「 欲 」が方向性が無い「 無明 」であるため、「 不安 」であると考えている。


2013/2/2、私の考え

これは、私だけの考えであり、同調を求めない


このように、エーテルと大気を考え、前者が気(ki)であり、後者が情(zyou)であると考え、宇宙では前者は「 連続 」した「 実有 」であり、後者は地球だけの「 不連続 」なものであり「 実体 」であると考える。

私は「 生気論 」を支持するので、生き生きとした実体の世界の中での遺伝子情報などの情(zyou)が主と考えると思うかもしれないが、気(ki)を支持する。


それは、「 気(ki)の欲 」は「 不安 」であり、「 実体 」が無常であるのは、人間は「 不安 」を持つ生き物であるからだと思う。


死ぬ運命であるのが人間であり、人間は必ず死ぬ。


これが正当である限り、人生は不安が原則であるだろう。

「 呼吸 」は、エーテルと大気を同時に吸い込むことであり、大気はエーテルの存在無しには考えらないように、「 実体 」は「 実有 」、「 不連続 」は「 連続 」を考える限りで成立する。


「 実体 」とは「 満足 」であり「 実有 」とは「 実体 」を相対化して「 不満足 」に導くもの、不安にするものであり、「 生 」の中に「 死 」を内包することであり、あるいは「 死 」が「 生 」を「 生 」として自覚させているのであり、「 死中生有り、生中生無し 」ということかも知れない。


人生は不安だから生きるのであり、安心は死であり、安心や満足している状態は、「 死 」の状態であると思う。


これは、エーテルを欠いた大気は想定することが出来ないことと同義である。
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