2013年03月31日

2013/3/31、気(ki)と情(zyou)と欲15・エネルギーと魂

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/2/25、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記のように、気(ki)であるエーテルの中で伝わるエネルギー(欲)が第六感で、情(zyou)である大気の中で伝わるエネルギーを感じるのが五感であると考えた。

気(ki)は、情(zyou)の中で「 不安 」であることは前に書いたが、この「 不安 」が第六感であると思う。

あるいは、変化を求める心だろう。

この「 不安 」が「 実体 」を変化させ、「 実体 」という存在意識を「 無常 」にすると思う。

この気(ki)である「 不安 」や「 無明 」や「 第六感 」は、情(zyou)が決めた「 今 」や「 現在 」の中で「 無明 」を構成し、「 無常 」という存在意識を生じさせると思う。


「 意識は何ものかについての意識である 」とは、言葉の構造の問題だけを考えても解決はしないと思う。

言葉は人間が使うのであり、人間の「 脳 」の働きの問題だと思う。

「 何ものか 」は「 実体 」であり、「 実体 」は意識される。

意識を破るのは「 実体 」は無いのに在るという「 実有 」である。

それは、不連続と連続の違いかもしれないが、空気とエーテルを伝わるエネルギーの感じ方、すなわち五感による「 実体 」を否定する「 実有 」を感じる第六感との違いが、ヨーロッパの哲学者が言う「 志向性 」ではないかと思う。

2013/3/17、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、エーテルと大気の中のエネルギーを区別して、人間の知覚は、前者が第六感で、後者が五感であるとしたが、私のブログでは、エネルギーは、エーテルの中で授受されるとする。

エネルギーは「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であると思うが、それはエーテルの中で授受され、そのことを五感で感じたとき、エネルギーを認識する。

食べ物がエネルギーになるのも、呼吸するのも、エーテルの中だろう。

エーテルは、「 無 」ではなく、上記Tの特徴がある構造で、大気と一体であり、人体はもちろん、宇宙のすべてを満たしていると考え、すべてが繋がっているのだと思う。

人体のエネルギーは「 欲 」であると思うが、生命のなかでそれは気(ki)という特徴で、精神のなかで情(zyou)という特徴があるが、それは地球の大気圏の中だけであり、大気圏を離れると、「 無 」ではなく、真空という構造をもった「 実有 」であり、「 エーテル 」で宇宙は繋がっているのだと思う。

生命、すなわち小脳の欲が気(ki)のエネルギーであり、精神、すなわち大脳の欲が情(zyou)のエネルギー、すなわち感情や思考エネルギー、であると考える。

超能力というのは第六感であり、生命的であり、空間的であるだろう。

五感は、記憶や想像による認識であり、時間的であり、物語であると考える。

エネルギーは、この第六感や五感を通して、エーテルの中で授受される。

私が、「 了解した 」というのは、エネルギーがエーテルの中で授受されたことであり、それを、私は以前、「 電離層で認識が成立する 」と言ったことに繋がる。

五感は「 電磁波的 」であり、第六感は「 重力的、引力的 」であり、五感が「 痺れる 」と表現し、第六感は「 魅力的 」と表現されると思う。

前者が現実的であり、後者は時空を歴史を超越する。



2013/3/31、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

エーテルの中で「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 )が伝播され、それを五感で感じたとき、「 エネルギー 」と呼ぶと考えると、物理学や化学で、エネルギーの測定指標が違うのも肯定することが出来る。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は目に見えないものであり、気(ki)のTの特徴があると思う。

私は、題名どおり、気(ki)と情(zyou)と欲に分類し、宇宙の「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は気(ki)、社会や人類全体の遺伝子情報も含めて「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」を情(zyou)と考え、それを五感で捉えたとき、「 欲 」と考えている。

宇宙すべてに「 欲 」は広がるから、月や火星などの天球に興味がわくのであり、物質の素粒子などにも興味がわくのだろう。

その根本的な「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」を「 小脳の可能性 」で、根本的な欲を「 小脳の欲 」であると私は考えている。

「 小脳の可能性 」は気(ki)のTであり、連続した関係で実有であり、「 形が無い関係であり、形を造る関係 」であり、それを五感で捉えたとき「 小脳の欲 」という実体になり、言語の「 言霊 」というのも、この「 小脳の可能性 」を「 欲 」に具現化する言葉が持つ「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であり、気(ki)の「 魂 」であると思う。

「 言霊 」に「 霊 」という言葉をつかうが、「 魂 」でなければエネルギーにならない。

「 魂 」を持つ言葉だけが、「 言霊 」を持つというのにふさわしい。

中華人民共和国は「 死霊 」を持つ「 ゾンビ 」を考えるが、「 ゾンビ 」は何の解決にもならず、「 魂 」の働きを不明にし、解決を阻害する。

中華人民共和国は「 魂 」が無い国であるかも知れない。

歌にも「 ソウル 」という分野があるが、絵画では画家の「 ソウル(魂) 」が人に伝わり、人の中で「 関係 」がエネルギーという「 実体 」になるのかも知れない。

人の行動の動機になって、はじめて「 エネルギー 」と認められるので、私の考えはエネルギーにならないだろう。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」がエーテルの中で伝播し、それは「 魂 」であり、人間の中では「 無意識 」の中で、伝播すると考える。
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2013年03月24日

2013/3/24、気(ki)と情(zyou)と欲14・志向性と不安

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2013/2/25、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記のように、気(ki)であるエーテルの中で伝わるエネルギー(欲)が第六感で、情(zyou)である大気の中で伝わるエネルギーを感じるのが五感であると考えた。

気(ki)は、情(zyou)の中で「 不安 」であることは前に書いたが、この「 不安 」が第六感であると思う。

あるいは、変化を求める心だろう。

この「 不安 」が「 実体 」を変化させ、「 実体 」という存在意識を「 無常 」にすると思う。

この気(ki)である「 不安 」や「 無明 」や「 第六感 」は、情(zyou)が決めた「 今 」や「 現在 」の中で「 無明 」を構成し、「 無常 」という存在意識を生じさせると思う。


「 意識は何ものかについての意識である 」とは、言葉の構造の問題だけを考えても解決はしないと思う。

言葉は人間が使うのであり、人間の「 脳 」の働きの問題だと思う。

「 何ものか 」は「 実体 」であり、「 実体 」は意識される。

意識を破るのは「 実体 」は無いのに在るという「 実有 」である。

それは、不連続と連続の違いかもしれないが、空気とエーテルを伝わるエネルギーの感じ方、すなわち五感による「 実体 」を否定する「 実有 」を感じる第六感との違いが、ヨーロッパの哲学者が言う「 志向性 」ではないかと思う。

2013/3/17、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、エーテルと大気の中のエネルギーを区別して、人間の知覚は、前者が第六感で、後者が五感であるとしたが、私のブログでは、エネルギーは、エーテルの中で授受されるとする。

エネルギーは「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であると思うが、それはエーテルの中で授受され、そのことを五感で感じたとき、エネルギーを認識する。

食べ物がエネルギーになるのも、呼吸するのも、エーテルの中だろう。

エーテルは、「 無 」ではなく、上記Tの特徴がある構造で、大気と一体であり、人体はもちろん、宇宙のすべてを満たしていると考え、すべてが繋がっているのだと思う。

人体のエネルギーは「 欲 」であると思うが、生命のなかでそれは気(ki)という特徴で、精神のなかで情(zyou)という特徴があるが、それは地球の大気圏の中だけであり、大気圏を離れると、「 無 」ではなく、真空という構造をもった「 実有 」であり、「 エーテル 」で宇宙は繋がっているのだと思う。

生命、すなわち小脳の欲が気(ki)のエネルギーであり、精神、すなわち大脳の欲が情(zyou)のエネルギー、すなわち感情や思考エネルギー、であると考える。

超能力というのは第六感であり、生命的であり、空間的であるだろう。

五感は、記憶や想像による認識であり、時間的であり、物語であると考える。

エネルギーは、この第六感や五感を通して、エーテルの中で授受される。

私が、「 了解した 」というのは、エネルギーがエーテルの中で授受されたことであり、それを、私は以前、「 電離層で認識が成立する 」と言ったことに繋がる。

五感は「 電磁波的 」であり、第六感は「 重力的、引力的 」であり、五感が「 痺れる 」と表現し、第六感は「 魅力的 」と表現されると思う。

前者が現実的であり、後者は時空を歴史を超越する。



2013/3/24、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


物体を動かす力は、宇宙全体に広がるエーテルの中に充満し、感覚することが出来たとき、「 エネルギー 」と呼ばれると解釈する。

エーテルの中のエネルギーを感じるのが第六感であり、地球の大気圏の空気中のエネルギーを感じるのが五感であると思う。

「 志向性 」と「 不安 」について考えた。

志向性とは「 意識は何ものかについての意識である 」と考えて、言葉の構造の問題だけを考えても解決はしないと思う。

言葉は人間が使うのであり、人間の「 脳 」の働きの問題だと思う。

論理学の問題ではなく、存在論として、志向性を考えると、それは過去の体験(存在=存在意識=実体)に向かう大脳の欲、情(zyou)のエネルギーであり、意識という電磁波に似たエネルギーを過去の記憶に照射して、過去の情報を「 思い出し 」、現在の不明な方向性を探るエネルギーであると思う。

過去の体験(存在=存在意識=実体)に意識を照射しても、実有する事態の方向性を定めることが出来ないとき、情(zyou)のエネルギーは気(ki)のエネルギーに転換されて「 不安 」になると思う。

存在意識という情(zyou)が、「 不安 」という気(ki)のエネルギーにより、方向性が無い「 無明 」にされた後、情(zyou)のエネルギーである「 志向性 」が、実有である「 無明 」の中で新たな「 存在=存在意識=実体 」を形成して、「 安定 」に変える。

私は、「 志向性 」はプラズマ宇宙論のビルケランド電流に該当すると思っている。

宇宙論は、人体の中でも、成立しなければならないからだ。

私は、「 不安 」という黒雲の中に、一条の「 志向性 」という雷鳴を想定し、「 不安 」が雷鳴に巻き付いて物化すると想像する。


「 志向性 」は情(zyou)のエネルギーであり、体験とか意識とかの言葉を研究しても解決しないと思う。

「 不安 」も「 志向性 」も、ともにシュミレーションすることで共通し、それは、ミラーニューロンの働きであるかも知れない。

渡り鳥が地磁気を感じて方向を発見するように、方向性が不明だと解釈した「 無明 」に方向を与えるのが情(zyou)のエネルギーである「 志向性 」だと思う。

意識を電磁波的に考え、電場の方向が物質などの「 空間意識 」と考え、地場の方向が「 時間意識 」などの精神的な方向だと考えるから、「 志向性 」は、「 時間的 」という結果になる。

時間的という意味で、情(zyou)のエネルギーである「 志向性 」は言葉の問題であるような様相を見せるのだと思う。

実有である「 無明 」の中で、(存在=存在意識=実体)への方向が「 志向性 」であり、(存在=存在意識=実体)が、気(ki)のエネルギーである「 不安 」により、大脳に中で、「 無明 」を生むと思う。

もう一方の気(ki)であるエネルギーの「 不安 」は、「 空間意識 」の働き、空間的になるというのが結論になる。

「 不安 」は、空間で方向性が不明であるという意味で「 無明 」になるのかも知れない。

志向性

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%90%91%E6%80%A7

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2013年03月17日

2013/3/17、気(ki)と情(zyou)と欲 13・エネルギー

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)








2013/2/24、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない



上記のように、気(ki)と情(zyou)、エーテルと大気、連続と不連続、実有と実体と考え、前者は「 小脳の欲 」後者は「 大脳の欲 」、前者は生命的で方向性が無いという意味で無明、後者は文化的で理論的であり、恒常でないという意味で無常といえると思う。

前者が後者を包摂すると考え、この両者を同時に考える。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、「 実体 」は時間的な欲であり、「 実有 」から生じる「 可能性 」は「 実体 」を否定する空間的な欲であるだろう。

「 可能性 」は「 実有 」であり、、時間的で空間的な「 実体 」から、時間を否定した空間的な「 実体 」を作り出すのかも知れない。

第六感は「 実有 」に属し、五感は「 実体 」に属すると思う。

「 思考エネルギー 」でも述べたように、E(人格形成力)=M(遺伝子情報や文化)+C1(夢)+C2(構想力)の延長に「 悟り 」や「 第六感 」があるかも知れないが、それは「 大脳の欲 」の延長であり、「 小脳の欲 」を包摂することはなく、理知的ではあるが、「 安心 」を生じない。

「 小脳の欲 」は「 無明 」だが、もし、無明でない場合があれば、それが「 第六感 」であると思う。

渡り鳥が、地磁気を感じて、方向を間違うことなく目的地につくように、重力や引力などのエーテルの中を流れるエネルギーを感じるのが「 第六感 」だと思う。

渡り鳥は、生命維持のために地磁気というエネルギーを感じるなら、人間も生命維持のためにエネルギーを感じる力があると思う。

「 大気 」という「 実体 」の中の電磁波に該当するのは、五感という意識であり、「 エーテル 」という「 実有 」の中の重力や引力に該当するのが「 第六感 」というものだと思う。

第六感は、真空という「 実有 」の中の太陽系のように、「 実体 」と「 実体 」を「 実有 」の真空の中で結ぶ重力や引力であり、それは、すでに「 関係 」として結ばれていて、重力や引力の伝わる速度は、「 光 」を超えるかも知れないと考える。

「 虫の知らせ 」で、親族の不幸が判明するように、事故と認識は時間や空間を超えて、同時である場合もあると思う。

このように、「 大気 」の中の時間的で空間的なエネルギーを感じるのが「 五感 」であり、「 エーテル 」という実有の中で、実体の間の「 関係 」のエネルギーを感じるのが「 第六感 」であるだろうと思う。

2013/3/17、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、エーテルと大気の中のエネルギーを区別して、人間の知覚は、前者が第六感で、後者が五感であるとしたが、私のブログでは、エネルギーは、エーテルの中で授受されるとする。

エネルギーは「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であると思うが、それはエーテルの中で授受され、そのことを五感で感じたとき、エネルギーを認識する。

食べ物がエネルギーになるのも、呼吸するのも、エーテルの中だろう。

エーテルは、「 無 」ではなく、上記Tの特徴がある構造で、大気と一体であり、人体はもちろん、宇宙のすべてを満たしていると考え、すべてが繋がっているのだと思う。

人体のエネルギーは「 欲 」であると思うが、生命のなかでそれは気(ki)という特徴で、精神のなかで情(zyou)という特徴があるが、それは地球の大気圏の中だけであり、大気圏を離れると、「 無 」ではなく、真空という構造をもった「 実有 」であり、「 エーテル 」で宇宙は繋がっているのだと思う。

生命、すなわち小脳の欲が気(ki)のエネルギーであり、精神、すなわち大脳の欲が情(zyou)のエネルギー、すなわち感情や思考エネルギー、であると考える。

超能力というのは第六感であり、生命的であり、空間的であるだろう。

五感は、記憶や想像による認識であり、時間的であり、物語であると考える。

エネルギーは、この第六感や五感を通して、エーテルの中で授受される。

私が、「 了解した 」というのは、エネルギーがエーテルの中で授受されたことであり、それを、私は以前、「 電離層で認識が成立する 」と言ったことに繋がる。

五感は「 電磁波的 」であり、第六感は「 重力的、引力的 」であり、五感が「 痺れる 」と表現し、第六感は「 魅力的 」と表現されると思う。

前者が現実的であり、後者は時空を歴史を超越する。
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2013年03月11日

2013/3/11、原子力発電は必要か?26・放射能と不安

二年前の今日、東日本大震災が発生し、津波で東北地方が被災しただけでなく、福島の第一、第二、第三、第四の原発の炉心がメルトダウンして、原子炉を保護する建物が水素爆発して放射能が飛散した。

私は被災者ではないが、「 放射能 」と「 不安 」について考える。



2013/3/10、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、気(ki)の中のエネルギーと情(zyou)の中のエネルギーとを考えたが、エネルギーがエーテルの中で働くものと考えると、人間の身体から宇宙の果てまで、エネルギーが満ちていることになる。


エネルギーが、「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であり、人体にとって「 活力 」となるのは「 欲 」であり、エーテルと同じく「 欲 」も宇宙へ連続していると思う。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は宇宙も地球上も同一の「 関係 」であり、関係の具現化の違いが気(ki)の第六感と情(zyou)の五感の違いであると思う。


エーテルと大気、気(ki)と情(zyou)は混在していて、エーテルや気(ki)の中のエネルギーが「 不安 」という欲であり、大気が無くてもエーテルが連続しているように、五感による「 実体 」が無くても、宇宙を満たすエーテルの中に「 実体 」へ導くエネルギーが「 実有 」するから「 不安 」という欲を生じると思う。

大気や情(zyou)の中のエネルギーが「 実体 」であり、「 不連続 」だから「 安心 」という欲が生じると思う。

エーテルと大気、気(ki)と情(zyou)は混在し、「 実体が無いのに実有する 」とか「 不連続は連続の中に実有する 」から「 不安 」である。


気(ki)である「 関係 」の何かを「 実体化 」するのは、情(zyou)の自由だろう。

これは、エネルギーを実体の形にするのが、個人の情(zyou)次第であると思う。

「 関係 」が、誰にとっても「 実体化 」するとき、自分を利する方向が「 希望 」であり、自分を不利にするのが「 不安 」であると思う。

「 無常 」であるのは、エネルギーと質量の往来と同じだと思う。

心の投影というのは、情(zyou)による「 関係の実体化 」であり、人格の現れであると思う。


2013/3/11、私の考え



これは、私の考えであり、同調を求めない


「 不安 」を以上のように考えると、私の原発への不安を言うことが出来る。


エーテルと大気、気(ki)と情(zyou)は混在していて、エーテルや気(ki)の中のエネルギー(放射能)が「 不安 」という欲であり、大気が無くてもエーテルが連続しているように、五感による「 実体 」が無くても(放射能が無くても)、宇宙を満たすエーテルの中に「 実体 」へ導くエネルギー(放射能)が「 実有 」するから「 不安 」という欲を生じると思う。


測定して日常生活に異常がないという「 実体 」が無くても、放射能は気(ki)の中に「 実有 」するのであり、「 不安 」は生じる。

大気や情(zyou)の中に放射能が無いことが「 実体 」であり、「 安心 」かも知れないが、放射能は気(ki)の中に「 実有 」するから「 安心 」という欲が生じないのだと思う。

エーテルや気(ki)は連続して、在り、気(ki)の中の放射能は生命を危険にするのは常識で、放射能は、情(zyou)という物語ではなく、現実の気(ki)の中に「 実有 」しているのは事実であるからだ。

エーテルと大気、気(ki)と情(zyou)は混在し、情(zyou)では、つまり物語では「 実体が無い 」のに、気(ki)の中に、エネルギーとして放射能が「 実有する 」から「 不安 」である。

「 放射能が無い 」という物語は「 実体 」であるかも知れないが、同じく物語として「 実体のないところに放射能が実有するかも知れない 」から「 不安 」である。

 
気(ki)である「 関係 」の何かを「 実体化 」するのは、情(zyou)の自由である。


気(ki)の中に「 放射能が無いこと 」を、政府が宣言するのは自由だが、本当に判断するのは生命を危険に晒されている国民である。

「 安全神話 」の物語では、「 安心 」はしない。

エネルギーを実体の形にするのが、個人の情(zyou)次第であるが、「 関係 」が、誰にとっても「 実体化 」するとき、自分を利する方向が「 希望 」であり、自分を不利にするのが「 不安 」であると思う。

放射能が原発から漏れていて、放射能が「 実有 」するのは事実であるから、「 原発ゼロ 」などという放射能を覆す事実が無ければ「 安心 」はできない。


電力会社は、断層の上に設置した原発を、経済界のために安全という理由をつけて、再稼働をしようとしている。

原発が、断層の上でも安全ならば、東京や大阪などの消費者に近い所に、なぜ作らないのだろうか。

それは、上記のような「 不安 」が、東京や大阪の住民に発生するからだと思う。

原発が危険であるから遠隔地に設置して、事故があっても自分だけは、「 関係無い 」という態度は、利己心の現れである。

電気業界や原発を製造した大企業をはじめとした経済界が、原発再稼働を望むなら、自社に不利益でも、その被害者である福島の人々を雇用し、経済的に全面的にバックアップすることが前提だと思う。
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2013年03月10日

2013/3/10、気(ki)と情(zyou)と欲 12、不安

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)





2013/2/25、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記のように、気(ki)であるエーテルの中で伝わるエネルギー(欲)が第六感で、情(zyou)である大気の中で伝わるエネルギーを感じるのが五感であると考えた。

気(ki)は、情(zyou)の中で「 不安 」であることは前に書いたが、この「 不安 」が第六感であると思う。

あるいは、変化を求める心だろう。

この「 不安 」が「 実体 」を変化させ、「 実体 」という存在意識を「 無常 」にすると思う。

この気(ki)である「 不安 」や「 無明 」や「 第六感 」は、情(zyou)が決めた「 今 」や「 現在 」の中で「 無明 」を構成し、「 無常 」という存在意識を生じさせると思う。


「 意識は何ものかについての意識である 」とは、言葉の構造の問題だけを考えても解決はしないと思う。

言葉は人間が使うのであり、人間の「 脳 」の働きの問題だと思う。

「 何ものか 」は「 実体 」であり、「 実体 」は意識される。

意識を破るのは「 実体 」は無いのに在るという「 実有 」である。

それは、不連続と連続の違いかもしれないが、空気とエーテルを伝わるエネルギーの感じ方、すなわち五感による「 実体 」を否定する「 実有 」を感じる第六感との違いが、ヨーロッパの哲学者が言う「 志向性 」ではないかと思う。


2013/3/10、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、気(ki)の中のエネルギーと情(zyou)の中のエネルギーとを考えたが、エネルギーがエーテルの中で働くものと考えると、人間の身体から宇宙の果てまで、エネルギーが満ちていることになる。


エネルギーが、「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であり、人体にとって「 活力 」となるのは「 欲 」であり、エーテルと同じく「 欲 」も宇宙へ連続していると思う。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は宇宙も地球上も同一の「 関係 」であり、関係の具現化の違いが気(ki)の第六感と情(zyou)の五感の違いであると思う。


エーテルと大気、気(ki)と情(zyou)は混在していて、エーテルや気(ki)の中のエネルギーが「 不安 」という欲であり、大気が無くてもエーテルが連続しているように、五感による「 実体 」が無くても、宇宙を満たすエーテルの中に「 実体 」へ導くエネルギーが「 実有 」するから「 不安 」という欲を生じると思う。

大気や情(zyou)の中のエネルギーが「 実体 」であり、「 不連続 」だから「 安心 」という欲が生じると思う。

エーテルと大気、気(ki)と情(zyou)は混在し、「 実体が無いのに実有する 」とか「 不連続は連続の中に実有する 」から「 不安 」である。


気(ki)である「 関係 」の何かを「 実体化 」するのは、情(zyou)の自由だろう。

これは、エネルギーを実体の形にするのが、個人の情(zyou)次第であると思う。

「 関係 」が、誰にとっても「 実体化 」するとき、自分を利する方向が「 希望 」であり、自分を不利にするのが「 不安 」であると思う。

「 無常 」であるのは、エネルギーと質量の往来と同じだと思う。

心の投影というのは、情(zyou)による「 関係の実体化 」であり、人格の現れであると思う

posted by kandk55 at 05:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 42 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする