2013年04月28日

2013/4/28、オカルト・エーテルと神仏 5 死後

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)



2013/4/20、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


一切の情(zyou)を捨てることが「 死ぬこと 」であり、地球の大気から脱出すること、空気を吸わないことが「 死ぬこと 」であると考えますと、死後の魂は、地球上では、情(zyou)は無いから、気(ki)を帯びた「 エーテル 」であり、生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」であるでしょう。

私は、人間は「 無 」を想像も出来ず、体験することも出来ず、常に気(ki)である「 実有 」を体験しているのであり、その「 実有 」が、「 因縁 」や「 縁起 」により、因果関係を作ったのが情(zyou)であると思います。

幼い時、「 死んだら星になる 」とか、「 死んでもお前の傍に居る 」と言われたことは、「 死んだらエーテルになる 」と解釈すれば、解決すると思います。

「 エーテル 」は宇宙を満たす「 実有 」であり、これを「 神 」とすれば、神は「 実体として実在しないかも知れないが実有することは確かである 」と思います。

「 実体 」や「 実在 」は、個人の情(zyou)が決めることで肯定や否定はあるでしょうが、「 実有 」は気(ki)であり、情(zyou)が及ぶところではありません。


2013/4/27、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


暫定的に次のように考えます。


@ 死後、大和魂やアメリカ魂などという魂は、気(ki)になり、「 エーテル 」の中に拡散し、「 実有 」する宇宙を満たす力に戻るだろう。

A @の力を、人間の感覚(無意識)で認識したとき、「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」というエネルギーとして具現化しますが、方向性が無い「 因縁 」や「 縁 」による衝突や出会いによるエネルギーであり、生命を維持する小脳による知覚であり、生きることが可能であるという欲、小脳の運動可能な欲、本能やストレスになるだろう。

方向性が無いから「 無明 」であるだろう。

B、Aの「 欲 」を、情(zyou)で認識したとき、Aの「 因果 」の欲が「 因果関係 」として合理化され、統御可能な欲であり、自己保存の欲、すなわち自我となち、「 実体 」が形成されるだろう。

方向性は、精神という情(zyou)によるものだから、「 実体 」把握による一面的な方向性であり、恒常でないから「 無常 」であるだろう。

@とAとBを貫通するのは、「 エーテルの中のエネルギー 」であり、「 実体と実体 」を衝突や出会わせて認識することにより、エネルギーが顕在化し、「 無明と無常 」を生むと思う。

死後の魂は、地球上では、情(zyou)は無くなり、気(ki)を帯びた「 エーテル 」になり、生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」であるでしょう。


AとBは「 霊 」であり、情(zyou)であり、@の気(ki)である魂とは区別します。


2013/4/28、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



上記の結果、次のような結論になります。


死後、大和魂やアメリカ魂などという魂は、気(ki)になり、「 実有 」する「 エーテル 」の中に拡散して宇宙を満たし、生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」になると考えますと、「 死んだら星になる 」とか、「 死んでもお前の傍に居る 」と言われたことは、「 死んだらエーテルになる 」と解釈すれば、解決し、「 エーテル 」は宇宙を満たす「 実有 」であり、これを「 神 」とすれば、神は「 実体として実在しないかも知れないが実有することは確かである 」と。

そして、この「 エーテル 」を神仏の身体であると解釈すれば、エーテルが満たす宇宙の果てと、呼吸により肺に吸い込む空気と分離されないエーテルが繋がり、自分の身体と神仏の身体が融合し、プラズマ宇宙論が言うように、宇宙に電気が在るならば、電気の気(ki)は神仏であり、エネルギーが神仏であり、人体内に走る電気と融合します。

「 エーテル 」は神仏の身体であり、気(ki)は神仏である。


このように解釈すれば、自分は神仏と共に有り、遺伝子情報も含むすべての情(zyou)が「 実体化 」するところに神仏が「 実体 」となる。

西方浄土に阿弥陀仏が居ると思えば存在するし、吸い込む空気の中に神仏が居ると思えば存在するし、神仏を呼ぶ所に神仏が存在し、神仏を否定すれば存在しないだろうと思います。

神仏は、宇宙を満たすエーテルで、現実の距離を超越して存在しますから、存在意識が在る所に「 存在 」します。

「 存在 」とは「 存在意識 」であることは、以前に書きました。


神仏の身体はエーテルであり、存在意識を持つ所に、神仏は存在すると思います。


死後、大和魂やアメリカ魂などという魂は、気(ki)になり、「 実有 」する「 エーテル 」の中に拡散して宇宙を満たし、生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」になり、「 神仏の身体と一体化する 」ことになり、「 地獄 」や「 天国 」など、空想の世界に行くこともなく、宇宙の塵の一つに戻るだけと考えますと、死後も、家族を見守ることも可能であるから、自分の祖先を供養することは、自分の魂を大切にすることになると思います。

死後、魂がエーテルになって「 実有 」し、脳波はシューマン波に戻り、自分の肉体の遺伝子情報の情(zyou)は遺伝により子孫にひきつがれ、魂は気(ki)として生命になるでしょう。

このように考えると、私の死後への不安は少し減ったように思います。
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2013年04月27日

2013/4/27、オカルト・エーテルと神仏4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)



2013/4/20、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


一切の情(zyou)を捨てることが「 死ぬこと 」であり、地球の大気から脱出すること、空気を吸わないことが「 死ぬこと 」であると考えますと、死後の魂は、地球上では、情(zyou)は無いから、気(ki)を帯びた「 エーテル 」であり、生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」であるでしょう。

私は、人間は「 無 」を想像も出来ず、体験することも出来ず、常に気(ki)である「 実有 」を体験しているのであり、その「 実有 」が、「 因縁 」や「 縁起 」により、因果関係を作ったのが情(zyou)であると思います。

幼い時、「 死んだら星になる 」とか、「 死んでもお前の傍に居る 」と言われたことは、「 死んだらエーテルになる 」と解釈すれば、解決すると思います。

「 エーテル 」は宇宙を満たす「 実有 」であり、これを「 神 」とすれば、神は「 実体として実在しないかも知れないが実有することは確かである 」と思います。

「 実体 」や「 実在 」は、個人の情(zyou)が決めることで肯定や否定はあるでしょうが、「 実有 」は気(ki)であり、情(zyou)が及ぶところではありません。


2013/4/27、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


暫定的に次のように考えます。


@ 死後、大和魂やアメリカ魂などという魂は、気(ki)になり、「 エーテル 」の中に拡散し、「 実有 」する宇宙を満たす力に戻るだろう。

A @の力を、人間の感覚(無意識)で認識したとき、「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」というエネルギーとして具現化しますが、方向性が無い「 因縁 」や「 縁 」による衝突や出会いによるエネルギーであり、生命を維持する小脳による知覚であり、生きることが可能であるという欲、小脳の運動可能な欲、本能やストレスになるだろう。

方向性が無いから「 無明 」であるだろう。

B、Aの「 欲 」を、情(zyou)で認識したとき、Aの「 因果 」の欲が「 因果関係 」として合理化され、統御可能な欲であり、自己保存の欲、すなわち自我となち、「 実体 」が形成されるだろう。

方向性は、精神という情(zyou)によるものだから、「 実体 」把握による一面的な方向性であり、恒常でないから「 無常 」であるだろう。

@とAとBを貫通するのは、「 エーテルの中のエネルギー 」であり、「 実体と実体 」を衝突や出会わせて認識することにより、エネルギーが顕在化し、「 無明と無常 」を生むと思う。

死後の魂は、地球上では、情(zyou)は無くなり、気(ki)を帯びた「 エーテル 」になり、生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」であるでしょう。


AとBは「 霊 」であり、情(zyou)であり、@の気(ki)である魂とは区別します。

霊長類は「 霊 」の認識、大脳による自己保存的な欲の認識は可能ですが、気(ki)であるエネルギーを生むことはできないでしょう。

気(ki)であるエネルギーが、「 無 」から「 有 」を作り出すのであり、ブラックホールや暗黒物質などの「 無 」と思われるものを想像も出来ないし、「 エーテル 」が無い宇宙を想像することも出来ず、現実社会でも、絶滅した種を「 無 」から「 有 」に復活させることも出来ないことから考えて、人間は、「 有 」の中に生きているのであり、「 無 」を知らないと思います。

宇宙全体が「 実有 」であり、「 実有 」を消滅させる反対物質が、宇宙と同じ規模で存在し、それがブラックホールや暗黒物質で、それが「 無 」であるかもしれません。


「 エーテル 」は宇宙を満たす「 実有 」であり、これを「 神 」と思いますので、「 無神論 」や「 虚無主義 」などは、「 実有 」まで考えず、自己保存の「 実体 」しか考えないという無知の告白だろうと、私は思っています。
posted by kandk55 at 05:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 43 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月21日

2013/4/21、Facebook で牡丹を見ませんか?

昨日、牡丹の写真を、Facebook にアップしました。

興味がお有りでしたら、ご覧ください。

    ↓

https://ja-jp.facebook.com/katsunori.kouguchi
posted by kandk55 at 03:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月20日

2013/4/20、オカルト・エーテルと神仏 3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)





2013/4/14、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない



「 神仏 」は宇宙のかなたにも居て、かつ、呼吸する空気の中にも居る。


「 同行二人 」や「 神のしもべ 」となることが出来るのは、このエーテルが在るから可能だろう。

エーテルが「 神仏 」であり、情(zyou)ではなく、気(ki)に在ること。

従って、情(zyou)である「 死霊 」には、気(ki)である「 神仏 」はいなく、エーテルが在る限り「 神仏 」は居るのであり、私はエーテルを否定できないから、「 神 」を否定することが出来ない。


2013/4/15、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 エーテル 」が「 実有 」で連続していることは物理学で実証済みであると思います。

私は、宇宙を満たしていると思われる「 エーテル 」を「 神仏 」という「 実体 」と思うのです。

何を「 実体 」とみなすのかは、教育レベルや頭脳の明晰さや、文化という情(zyou)によると思いますが、私を合理化するものとして、「 エーテル 」を「 神仏 」と思うのです。

私は僧侶ではなく、詳しいことはわかりませんが、「 般若心経 」の中にある「 不生不滅 」「 不垢不浄 」「 不増不減 」という言葉の「 実体 」が「 エーテル 」であると思うのです。

「 エーテル 」であれば、生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、情(zyou)により、生死や増減や汚れが生じると思うのです。

想像ですが、宇宙の何億光年のかなたにもエーテルは在るだろうし、私が呼吸する空気にも、人体内にもエーテルで満たされていると思います。

西方のかなたに極楽が在るとしてもエーテルで満たされているだろうし、極楽へ連続しているエーテルが目の前に在り、「 西方のかなたに極楽が在る 」とは、「 極楽は目の前に在る 」と同じ意味になると思うのです。

死ぬことにより、極楽や地獄に行くとは、一切の情(zyou)を捨てることが「 死ぬこと 」であり、地球の大気から脱出すること、空気を吸わないことが「 死ぬこと 」であると考えますと、現在に意識の中には、心の中に情(zyou)が地獄や極楽を作り出していることになると思います。

空間的に考えると、「 神仏 」は「 エーテル 」の中に在り、時間的、つまり生きることや死ぬことを考えると、「 神仏 」は情(zyou)が心の中に作り出していると思うのです。

「 神仏は無いと言う 」のは、「 エーテル 」を考えず、心の中に神仏を作る情(zyou)を持っていないことを、告白していることになると思います。


2013/4/20、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


一切の情(zyou)を捨てることが「 死ぬこと 」であり、地球の大気から脱出すること、空気を吸わないことが「 死ぬこと 」であると考えますと、死後の魂は、地球上では、情(zyou)は無いから、気(ki)を帯びた「 エーテル 」であり、生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」であるでしょう。

私は、人間は「 無 」を想像も出来ず、体験することも出来ず、常に気(ki)である「 実有 」を体験しているのであり、その「 実有 」が、「 因縁 」や「 縁起 」により、因果関係を作ったのが情(zyou)であると思います。

幼い時、「 死んだら星になる 」とか、「 死んでもお前の傍に居る 」と言われたことは、「 死んだらエーテルになる 」と解釈すれば、解決すると思います。

「 エーテル 」は宇宙を満たす「 実有 」であり、これを「 神 」とすれば、神は「 実体として実在しないかも知れないが実有することは確かである 」と思います。

「 実体 」や「 実在 」は、個人の情(zyou)が決めることで肯定や否定はあるでしょうが、「 実有 」は気(ki)であり、情(zyou)が及ぶところではありません。

たとえば、スティーブ・ジョブズは「 実在 」しないかも知れませんが、彼が「 エーテル 」として実有すると考えると、情(zyou)である思い出は消えますが、気(ki)として、現在、呼吸の中にも彼が居ることになると思います。

posted by kandk55 at 03:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 43 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月15日

2013/4/15、オカルト・エーテルと神仏 2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)





2013/4/14、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない


エーテルの中で「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 )が伝播され、それを五感で感じたとき、「 エネルギー 」と呼ぶと考えると、気(ki)を感じる力は気(ki)のエネルギーであり、情(zyou)を感じる力は情(zyou)のエネルギーであるだろう。

人間には、エネルギーは力や欲として現れるだろう。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」がエーテルの中で伝播し、それは「 魂 」であり、人間の中では「 無意識 」の中で、伝播すると考えると、無意識の力や欲であると思う。

以前、書いたように、エーテルの中でエネルギーが伝播し、衝突によりエネルギーという「 実体 」が無意識の力や欲であると思う。

エーテルは「 無 」ではなく、「 実有 」であり、人間は「 無 」を経験していないから、「 無 」を前提とした「 ビッグ・バン理論 」には賛成することが出来ない。

ビッグ・バン理論はプラズマ宇宙論と等しく「 形而上学 」であると思う。

エーテルは、エネルギーを伝播し、宇宙を満たしている「 実有 」であり、エネルギーに満ちていて、人間が感知したとき、エネルギーの「 実体 」になる。

エーテルは宇宙を満たし、我々の身体内部まで満たし、空気とエーテルを分離しることなく、呼吸して生きている。

東洋の合気道などの気よりは、もっと広い意味で、細胞の一つ一つまで、人体を貫通している。

エーテルがエネルギーに満ちているのは、「 永遠のエネルギー 」を持つことであり、「 永遠の気(ki)」であり、気(ki)が生命に共通であれば、人間にとっては「 永遠の生命 」であると思う。

死体が「 土葬 」されれば遺伝子情報という情(zyou)が残り、それは「 死霊 」となって、あるいは「 ゾンビ 」となって伝染するかも知れない。

日本の場合は「 火葬 」であるから、「 魂 」と「 骨 」になり、魂は気(ki)のエネルギーになり、情(zyou)は消滅するかも知れないが、遺品から、「 心 」という情(zyou)が「 魂 」と共に伝播するだろう。

宇宙に満ちたエーテルがエネルギーを持ち、すべての中に浸透して、「 力 」となって万物を流転するならば、エーテルこそ、「 神仏 」であると思う。

「 神仏 」は宇宙のかなたにも居て、かつ、呼吸する空気の中にも居る。


「 同行二人 」や「 神のしもべ 」となることが出来るのは、このエーテルが在るから可能だろう。

エーテルが「 神仏 」であり、情(zyou)ではなく、気(ki)に在ること。

従って、情(zyou)である「 死霊 」には、気(ki)である「 神仏 」はいなく、エーテルが在る限り「 神仏 」は居るのであり、私はエーテルを否定できないから、「 神 」を否定することが出来ない。


2013/4/15、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 エーテル 」が「 実有 」で連続していることは物理学で実証済みであると思います。

私は、宇宙を満たしていると思われる「 エーテル 」を「 神仏 」という「 実体 」と思うのです。

何を「 実体 」とみなすのかは、教育レベルや頭脳の明晰さや、文化という情(zyou)によると思いますが、私を合理化するものとして、「 エーテル 」を「 神仏 」と思うのです。

私は僧侶ではなく、詳しいことはわかりませんが、「 般若心経 」の中にある「 不生不滅 」「 不垢不浄 」「 不増不減 」という言葉の「 実体 」が「 エーテル 」であると思うのです。

「 エーテル 」であれば、生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、情(zyou)により、生死や増減や汚れが生じると思うのです。

想像ですが、宇宙の何億光年のかなたにもエーテルは在るだろうし、私が呼吸する空気にも、人体内にもエーテルで満たされていると思います。

西方のかなたに極楽が在るとしてもエーテルで満たされているだろうし、極楽へ連続しているエーテルが目の前に在り、「 西方のかなたに極楽が在る 」とは、「 極楽は目の前に在る 」と同じ意味になると思うのです。

死ぬことにより、極楽や地獄に行くとは、一切の情(zyou)を捨てることが「 死ぬこと 」であり、地球の大気から脱出すること、空気を吸わないことが「 死ぬこと 」であると考えますと、現在に意識の中には、心の中に情(zyou)が地獄や極楽を作り出していることになると思います。

空間的に考えると、「 神仏 」は「 エーテル 」の中に在り、時間的、つまり生きることや死ぬことを考えると、「 神仏 」は情(zyou)が心の中に作り出していると思うのです。

「 神仏は無いと言う 」のは、「 エーテル 」を考えず、心の中に神仏を作る情(zyou)を持っていないことを、告白していることになると思います。
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2013年04月14日

2013/4/14、オカルト・エーテルと神仏

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)



2013/3/31、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

エーテルの中で「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 )が伝播され、それを五感で感じたとき、「 エネルギー 」と呼ぶと考えると、物理学や化学で、エネルギーの測定指標が違うのも肯定することが出来る。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は目に見えないものであり、気(ki)のTの特徴があると思う。

私は、題名どおり、気(ki)と情(zyou)と欲に分類し、宇宙の「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は気(ki)、社会や人類全体の遺伝子情報も含めて「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」を情(zyou)と考え、それを五感で捉えたとき、「 欲 」と考えている。

宇宙すべてに「 欲 」は広がるから、月や火星などの天球に興味がわくのであり、物質の素粒子などにも興味がわくのだろう。

その根本的な「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」を「 小脳の可能性 」で、根本的な欲を「 小脳の欲 」であると私は考えている。

「 小脳の可能性 」は気(ki)のTであり、連続した関係で実有であり、「 形が無い関係であり、形を造る関係 」であり、それを五感で捉えたとき「 小脳の欲 」という実体になり、言語の「 言霊 」というのも、この「 小脳の可能性 」を「 欲 」に具現化する言葉が持つ「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であり、気(ki)の「 魂 」であると思う。

「 言霊 」に「 霊 」という言葉をつかうが、「 魂 」でなければエネルギーにならない。

「 魂 」を持つ言葉だけが、「 言霊 」を持つというのにふさわしい。

中華人民共和国は「 死霊 」を持つ「 ゾンビ 」を考えるが、「 ゾンビ 」は何の解決にもならず、「 魂 」の働きを不明にし、解決を阻害する。

中華人民共和国は「 魂 」が無い国であるかも知れない。

歌にも「 ソウル 」という分野があるが、絵画では画家の「 ソウル(魂) 」が人に伝わり、人の中で「 関係 」がエネルギーという「 実体 」になるのかも知れない。

人の行動の動機になって、はじめて「 エネルギー 」と認められるので、私の考えはエネルギーにならないだろう。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」がエーテルの中で伝播し、それは「 魂 」であり、人間の中では「 無意識 」の中で、伝播すると考える。



2013/4/14、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない


エーテルの中で「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 )が伝播され、それを五感で感じたとき、「 エネルギー 」と呼ぶと考えると、気(ki)を感じる力は気(ki)のエネルギーであり、情(zyou)を感じる力は情(zyou)のエネルギーであるだろう。

人間には、エネルギーは力や欲として現れるだろう。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」がエーテルの中で伝播し、それは「 魂 」であり、人間の中では「 無意識 」の中で、伝播すると考えると、無意識の力や欲であると思う。

以前、書いたように、エーテルの中でエネルギーが伝播し、衝突によりエネルギーという「 実体 」が無意識の力や欲であると思う。

エーテルは「 無 」ではなく、「 実有 」であり、人間は「 無 」を経験していないから、「 無 」を前提とした「 ビッグ・バン理論 」には賛成することが出来ない。

ビッグ・バン理論はプラズマ宇宙論と等しく「 形而上学 」であると思う。

エーテルは、エネルギーを伝播し、宇宙を満たしている「 実有 」であり、エネルギーに満ちていて、人間が感知したとき、エネルギーの「 実体 」になる。

エーテルは宇宙を満たし、我々の身体内部まで満たし、空気とエーテルを分離しることなく、呼吸して生きている。

東洋の合気道などの気よりは、もっと広い意味で、細胞の一つ一つまで、人体を貫通している。

エーテルがエネルギーに満ちているのは、「 永遠のエネルギー 」を持つことであり、「 永遠の気(ki)」であり、気(ki)が生命に共通であれば、人間にとっては「 永遠の生命 」であると思う。

死体が「 土葬 」されれば遺伝子情報という情(zyou)が残り、それは「 死霊 」となって、あるいは「 ゾンビ 」となって伝染するかも知れない。

日本の場合は「 火葬 」であるから、「 魂 」と「 骨 」になり、魂は気(ki)のエネルギーになり、情(zyou)は消滅するかも知れないが、遺品から、「 心 」という情(zyou)が「 魂 」と共に伝播するだろう。

宇宙に満ちたエーテルがエネルギーを持ち、すべての中に浸透して、「 力 」となって万物を流転するならば、エーテルこそ、「 神仏 」であると思う。

「 神仏 」は宇宙のかなたにも居て、かつ、呼吸する空気の中にも居る。


「 同行二人 」や「 神のしもべ 」となることが出来るのは、このエーテルが在るから可能だろう。

エーテルが「 神仏 」であり、情(zyou)ではなく、気(ki)に在ること。

従って、情(zyou)である「 死霊 」には、気(ki)である「 神仏 」はいなく、エーテルが在る限り「 神仏 」は居るのであり、私はエーテルを否定できないから、「 神 」を否定することが出来ない。
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2013年04月08日

2013/4/8、気(ki)と情(zyou)と欲 17・医食同源

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/4/7、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



日本語の「 病気(byouki)」は「 病(yamai)」と「 気(ki)」を組み合わせている。

The mind rules the body.

何事も「 心 」の持ち方次第であり、人体は霊の統一体であると思うが、私は次のように考える。


私の立場は、気(ki)と情(zyou)を峻別し、両者は相容れない特質を持ち、それが上記のTとUの違いだろうと思う。

「 病(yamai)」は、気(ki)を通して人から人へ感染するのは精神疾患に該当すると思うが、インフルエンザの場合の気(ki)は大気(taiki)であり、その中で運搬する媒体は情(zyou)の「 霊 」であり、気(ki)の「 魂 」ではないと思う。

トリインフルエンザは細胞寄生体でありウイルスという「 実体 」の増殖であり、情(zyou)である医学で退治することが出来るだろう。

トリインフルエンザを運搬するのが「 霊 」であるとは、鳥の身体を形成する「 鳥の霊 」のリズムを崩す「 病(yamai)」が人体を形成する「 人間の霊 」の調子を崩すことであり、「 鳥の霊 」が「 人間の霊 」に伝播したと私は考える。

「 人の霊 」が「 鳥の死霊 」に感染したと言う。

トリインフルエンザは、科学で解決することが出来る「 死霊 」の感染だろう。

鳥を食べて、その毒でもあるトリインフルエンザを人間の胎内に取り込む。

細胞寄生は、「 エーテル 」の領域(たとえば宇宙)で行われるエネルギーの交換ではなく、従って気(ki)ではなく、「 大気 」、すなわち生命界の中の死への感染であり、人体を統一する「 霊 」への「 鳥の霊 」の寄生である。

種の壁で遮られていた「 病(yamai)」という「 霊 」が、人体の霊に寄生したことであり、死亡した人は「 死霊 」の人、すなわちゾンビ、であるだろう。

それは、鳥を食べるときに心がける気持ちや「 鳥の霊 」に感謝して「 霊 」という生命を頂くという気持ちや「 欲 」(食欲)があれば感染しないだろうし、食生活を反省しなければ、同じように「 病気 」になるだろう。

「 医食同源 」

これは、中国の言葉である。


もし、それが「 エーテル 」の中の気(ki)の「 魂 」の仕業であれば、その「 魂 」は神様の指示によるかも知れない。



「 平和の象徴である鳩を食べるな と。



2013/4/8、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


先日、「 医食同源 」は、中国の言葉だと書いたが、ネットで調べてみると、日本での「 造語 」だと判明しましたので、訂正します。

私が言いたいことは、「 漢方薬 」も同じで、「 医は食にあり 」で、健康の源は食事であることです。

鳥を食べる食生活は、鳥インフルエンザの感染も含めて「 食べる 」ことであり、10年前の「 SARS 」を生んだ状況は、改善されていないことであり、自業自得、善因善果・悪因悪果のことわざが真実である証明であると思います。

「 鳩 」を食べると、「 鳩 」を死に至らしめる病気があるはずです。

人間の場合の「 ガン 」のように。

「 鳩 」やニワトリを、生命を頂くという感謝の気持ちも無しに、物質として食べる習慣が改められない限り、第二、第三の「 SARS 」が発生するでしょう。

鳥が死ぬ時限爆弾を、人間が飲み込むのです。

「 SARS 」などの病気を薬によって防ぐのではなく、食べ物を選択することで防ぐ方法もあるはずです。


生き物が誕生して死亡することが「 霊的統一体 」であるなら、「 霊 」が乗り移ったと考えてもよいと思います。

ちなみに、日本人は「 鳩 」を食べません。



医食同源

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E9%A3%9F%E5%90%8C%E6%BA%90

医食同源(いしょくどうげん)とは、日頃からバランスの取れた美味しい食事をとることで病気を予防し、治療しようとする考え方。

「医食同源」という言葉自体は中国の薬食同源思想から着想を得て、近年、日本で造語された。この言葉「医食同源」は発想の元になった中国へ逆輸入されている。

………………(省略)………………………


ちなみに、中国における「医食同源」的な思考とは、「肝臓を食べると肝臓に効く」「脳を食べると脳にいい」 「心臓を食べると心臓によい」といった様な中国漢方的なものである。

posted by kandk55 at 04:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 42 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月07日

2013/4/7、気(ki)と情(zyou)と欲 16・鳥インフルエンザ

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)






2013/3/31、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

エーテルの中で「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 )が伝播され、それを五感で感じたとき、「 エネルギー 」と呼ぶと考えると、物理学や化学で、エネルギーの測定指標が違うのも肯定することが出来る。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は目に見えないものであり、気(ki)のTの特徴があると思う。

私は、題名どおり、気(ki)と情(zyou)と欲に分類し、宇宙の「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は気(ki)、社会や人類全体の遺伝子情報も含めて「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」を情(zyou)と考え、それを五感で捉えたとき、「 欲 」と考えている。

宇宙すべてに「 欲 」は広がるから、月や火星などの天球に興味がわくのであり、物質の素粒子などにも興味がわくのだろう。

その根本的な「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」を「 小脳の可能性 」で、根本的な欲を「 小脳の欲 」であると私は考えている。

「 小脳の可能性 」は気(ki)のTであり、連続した関係で実有であり、「 形が無い関係であり、形を造る関係 」であり、それを五感で捉えたとき「 小脳の欲 」という実体になり、言語の「 言霊 」というのも、この「 小脳の可能性 」を「 欲 」に具現化する言葉が持つ「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であり、気(ki)の「 魂 」であると思う。

「 言霊 」に「 霊 」という言葉をつかうが、「 魂 」でなければエネルギーにならない。

「 魂 」を持つ言葉だけが、「 言霊 」を持つというのにふさわしい。

中華人民共和国は「 死霊 」を持つ「 ゾンビ 」を考えるが、「 ゾンビ 」は何の解決にもならず、「 魂 」の働きを不明にし、解決を阻害する。

中華人民共和国は「 魂 」が無い国であるかも知れない。

歌にも「 ソウル 」という分野があるが、絵画では画家の「 ソウル(魂) 」が人に伝わり、人の中で「 関係 」がエネルギーという「 実体 」になるのかも知れない。

人の行動の動機になって、はじめて「 エネルギー 」と認められるので、私の考えはエネルギーにならないだろう。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」がエーテルの中で伝播し、それは「 魂 」であり、人間の中では「 無意識 」の中で、伝播すると考える。


2013/4/7、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



日本語の「 病気(byouki)」は「 病(yamai)」と「 気(ki)」を組み合わせている。

The mind rules the body.

何事も「 心 」の持ち方次第であり、人体は霊の統一体であると思うが、私は次のように考える。


私の立場は、気(ki)と情(zyou)を峻別し、両者は相容れない特質を持ち、それが上記のTとUの違いだろうと思う。

「 病(yamai)」は、気(ki)を通して人から人へ感染するのは精神疾患に該当すると思うが、インフルエンザの場合の気(ki)は大気(taiki)であり、その中で運搬する媒体は情(zyou)の「 霊 」であり、気(ki)の「 魂 」ではないと思う。

トリインフルエンザは細胞寄生体でありウイルスという「 実体 」の増殖であり、情(zyou)である医学で退治することが出来るだろう。

トリインフルエンザを運搬するのが「 霊 」であるとは、鳥の身体を形成する「 鳥の霊 」のリズムを崩す「 病(yamai)」が人体を形成する「 人間の霊 」の調子を崩すことであり、「 鳥の霊 」が「 人間の霊 」に伝播したと私は考える。

「 人の霊 」が「 鳥の死霊 」に感染したと言う。

トリインフルエンザは、科学で解決することが出来る「 死霊 」の感染だろう。

鳥を食べて、その毒でもあるトリインフルエンザを人間の胎内に取り込む。

細胞寄生は、「 エーテル 」の領域(たとえば宇宙)で行われるエネルギーの交換ではなく、従って気(ki)ではなく、「 大気 」、すなわち生命界の中の死への感染であり、人体を統一する「 霊 」への「 鳥の霊 」の寄生である。

種の壁で遮られていた「 病(yamai)」という「 霊 」が、人体の霊に寄生したことであり、死亡した人は「 死霊 」の人、すなわちゾンビ、であるだろう。

それは、鳥を食べるときに心がける気持ちや「 鳥の霊 」に感謝して「 霊 」という生命を頂くという気持ちや「 欲 」(食欲)があれば感染しないだろうし、食生活を反省しなければ、同じように「 病気 」になるだろう。

「 医食同源 」

これは、中国の言葉である。


もし、それが「 エーテル 」の中の気(ki)の「 魂 」の仕業であれば、その「 魂 」は神様の指示によるかも知れない。



「 平和の象徴である鳩を食べるな と。
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2013年04月06日

2013/4/6、Facebook でお花見 4

(これで終わりです)

桜9

桜10

桜11

桜12
posted by kandk55 at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013/4/6、Facebook でお花見2

Facebook に掲載した写真を披露します。
(撮影日時不詳)

桜1


桜2


桜4

桜3
posted by kandk55 at 09:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月03日

2013/4/3、FaceBookでお花見

FaceBookに、桜の花を掲載しました。

興味があれば「 高口克則(Katsunori Kouguch) 」で検索してください。

そして、「 高口克則(Katsunori Kouguchi) 」のFaceBookにログインしてください。

近所の桜 forkN でも見ることが出来ます。
    ↓
http://forkn.jp/book/7403/


近所の桜 U
   ↓
http://forkn.jp/book/9133/page/1


Katsunori Kouguchi

https://ja-jp.facebook.com/katsunori.kouguchi



桜11


昨夜の雨と風で、すこし葉桜になりました。

追加

kandk55 と m24658 の本名は、高口克則(katsunori kouguchi)です。


このほかに、「 箱根旅行と富士山 」や「 城崎温泉と城崎マリーンランド 」の写真集もあります。

「 箱根旅行と富士山 」
    ↓
http://forkn.jp/book/7411/


hakonero-pu1




posted by kandk55 at 18:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 2010年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする