2013年05月26日

2013/5/26、オカルト・エーテルと神仏 10

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2013/5/18、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない


私は、涅槃は「 迷いのない状態 」であり、その実体はエーテルと考えますが、それが現実とは、どんな関係でしょうか?

「 生きること 」により、有余涅槃、死後は無余涅槃と区別されますが、共通するのは「 必然 」という関係だと思います。

涅槃の実体がエーテルという神仏の身体であれば、それは生物が生きているときや死後を問わず「 実有 」する必然的な因果であると考えます。

「 必然 」と「 必然性 」は、前者が気(ki)であるエーテル(神仏の身体)の領域で後者は、空気、つまり「 神の愛 」、すなわち情(zyou)の領域であると考えます。

地球上ではエーテルと空気(神の愛)は一体であり、神の愛を行為する人は必然の行為をする人で、その人が「 さとり 」の人だと思います。

本来、人間は他の動物と同じく、生存期間が決められた必然的な生物であると思います。

人間は記憶する力を持ち、情(zyou)の中で、未来や過去を思考しますが、その思考の産物が「 可能性 」や「 必然性 」や「 偶然性 」であり、現実には「 必然 」しか無いのかも知れません。

現実に人間は「 必然 」の行為をして、「 必然 」の行為しかできないのに、「 夢 」や「 可能性 」や「 自由 」や「 偶然性 」を信じるのは、人間は、「 無明 」という「 神の愛 」に包まれて生活しているから出来るのであり、すべてが「 必然 」であると知れば、夢も希望も無く、「 欲 」が無く、その時代の権力者から支配される生活になるかも知れません。

その生活が「 有余涅槃 」であると思います。


2013/5/26、私の考え




これは私だけの考えであり、同調を求めない。


地球の環境自体が「 偶然 」であり、「 神の愛 」であると思います。

地球の環境の一つだけが「 神の愛 」であり、情(zyou)である宗教や哲学が、それぞれに「 神の愛 」を解釈しますが、「 必然 」ではありません。

大気(空気)とエーテルを分離することが出来ないように、「 偶然 」と「 必然 」を分離することはできず、分離することが可能であるのは「 悟った人 」である思います。

分離してエーテルだけを感じるのが「 有余涅槃 」であり、エーテルだけで生命が無いのが「 無余涅槃 」であると思います。

私の考えでは、万物は流転しますが、情(zyou)により、法則として、関係として把握されるのが気(ki)であり、エーテルの中のエネルギー(神仏)の発見であるということになります。

万物が流転すること(無常)は「 神の愛 」であり、「 必然 」を求める方向が科学であり、「 生き方 」を変えるのが宗教や哲学などの情(zyou)であると思います。

情(zyou)は、自分がどこから生まれ、死後はどこに行くか(無明)からの脱却であり、そのことは個人が決めることであり、社会や政治や宗教の団体が決めることではありません。

自然は、津波や竜巻や地震など、人に災害として、鬼(ki)として現れますが、これも地球上の気(ki)であり、私たちに情(zyou)の変化を促しているのだと思います。

災害に対する物資の補給など、「 人の愛 」に対して感謝しますが、自分自身も損得勘定ではなく、貨幣の多寡では無い「 幸せ 」を築く必要があると思います。

私は災害に遭遇していないが、災害に遭遇する可能性がある、つまり、「 神の愛 」の中に生きているから考えるのですが、「 神の愛 」の解釈も私の内部からの価値観です。

私の生命が続くことも、終わることも「 神の愛 」であり、死後はエーテルになりますが、この世に生存する人と共に「 実有 」すると考えると、後世のために、自分のために、何を残すかを個人が決めなくてはなりません。

金銭で、情(zyou)である愛情を買うことはできても、「 必然 」を買うことはできません。

「 必然 」は死亡により「 涅槃 」、つまりエーテルになりますが、それを金銭で止めることはできません。

死後、残るのは情(zyou)としての金銭であり、遺伝子も含んだ生前のすべての情(zyou)でしょうが、情(zyou)は流転し消滅し、「 実有 」するのはエーテルの中のエネルギー(神仏)であると思います。

エネルギー(神仏)を、仏像や宗教画として残すことができれば幸せですが、それに代わるものは何でしょう。

私に出来ることは、私の生き方を子供に教えることぐらいです。

親の魂を子の魂に伝達すること。

政治や宗教や金銭(社会的な霊)ではなく、気(ki)である「 魂 」を伝達することしか思い浮かびません。

死後も地球は残るのだから、自然環境を、どこかの国のように、経済のため土壌汚染や大気汚染をするのではなく、良好な状態に保つことも、「 神の愛 」の方向であると思います。
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2013年05月18日

2013/5/18、オカルト・エーテルと神仏 9・涅槃は必然

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)





2013/5/13、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように、宇宙を満たすエーテルを神仏と思い、大気(空気)の存在を神の愛と考え、「 実有 」を「 実体 」で「 証明することは出来ない 」と考えると、「 神の存在証明 」など、私の頭脳では理解できません。

実有を実体に変えるのが情(zyou)であると思いますが、「 神の存在証明 」が成功したから、神仏の存在意識が在るとは限りません。

「 神の存在証明 」を知らなくても、神仏と共に生きている人は多数いるとおもいます。

神仏の存在意識が有れば、「 神の存在証明 」は必要でなく、「 神の存在証明 」と信仰は別物であると思います。

さて、これまでは、エーテルと大気(空気)の違いでしたが、情(zyou)の中では、どのように違うでしよう。

私は仏教徒ですから、次のように考えます。


エーテルを涅槃だと考えます


宇宙空間を満たすエーテルは「 無余涅槃 」であり、大気(空気)と分離できないエーテルが「 有余涅槃 」であると思います。

死後は「 無余涅槃 」であり、生前は「 有余涅槃 」であり、その実体は同じエーテルであり、連続していると思います。

佛(hotoke)とは、人で無いという意味ですが、「 無余涅槃 」は生命が無い、情(zyou)が無い状態で、「 有余涅槃 」は、生きながらも情(zyou)、つまり私情(sizyou)や自我が無い状態で、「 悟り 」の状態だと思います。

それは、エーテルで神仏の身体ですから、人間の頭脳や心臓に電気が必要で、それが神仏で、魂であれば、「 無余涅槃 」と「 有余涅槃 」を、神仏が、エネルギーである気(ki)が、往復し、「 有余涅槃 」の状態が、神仏の存在意識を持ち、エーテルという涅槃と一体である「 神の愛 」を持ち、神仏と共に生きている人だと思います。

寺院での修行や禁欲生活は、神仏の存在意識を持つようにならなければ、無意味です。

「 神の存在証明 」があるからと言って、神の存在意識を持っているとは限りません。

自我が無いことが必要でしょうが、神仏の存在意識が有ってこそ、「 神の愛 」を持ってこそ、「 有余涅槃 」である「 悟り 」の境涯になったと言えると思います。



涅槃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83

涅槃を有余と無余との二種に区別する際の有余涅槃は、釈迦が三十五歳で成道して八十歳で入滅するまでの間の「さとり」の姿を言う。無余涅槃は八十歳で入滅した後の「さとり」の姿とみるのである


2013/5/18、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない


私は、涅槃は「 迷いのない状態 」であり、その実体はエーテルと考えますが、それが現実とは、どんな関係でしょうか?

「 生きること 」により、有余涅槃、死後は無余涅槃と区別されますが、共通するのは「 必然 」という関係だと思います。

涅槃の実体がエーテルという神仏の身体であれば、それは生物が生きているときや死後を問わず「 実有 」する必然的な因果であると考えます。

「 必然 」と「 必然性 」は、前者が気(ki)であるエーテル(神仏の身体)の領域で後者は、空気、つまり「 神の愛 」、すなわち情(zyou)の領域であると考えます。

地球上ではエーテルと空気(神の愛)は一体であり、神の愛を行為する人は必然の行為をする人で、その人が「 さとり 」の人だと思います。

本来、人間は他の動物と同じく、生存期間が決められた必然的な生物であると思います。

人間は記憶する力を持ち、情(zyou)の中で、未来や過去を思考しますが、その思考の産物が「 可能性 」や「 必然性 」や「 偶然性 」であり、現実には「 必然 」しか無いのかも知れません。

現実に人間は「 必然 」の行為をして、「 必然 」の行為しかできないのに、「 夢 」や「 可能性 」や「 自由 」や「 偶然性 」を信じるのは、人間は、「 無明 」という「 神の愛 」に包まれて生活しているから出来るのであり、すべてが「 必然 」であると知れば、夢も希望も無く、「 欲 」が無く、その時代の権力者から支配される生活になるかも知れません。

その生活が「 有余涅槃 」であると思います。
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2013年05月13日

2013/5/13、オカルト・エーテルと神仏 8、エーテルは涅槃

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)





2013/5/6、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


エーテル(電磁場や重力場が存在する真空の空間)が無い宇宙は、ブラッホール以外は思いつかないのが私の知識です。

エーテルは大気(空気)と一体で、分離することは出来ません。

生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、「 死んだら星になる 」とか、「 死んでもお前の傍に居る 」ことを成立させるためには、人類の体内から地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」が神仏の身体と考えます。

何億光年も離れている、西方浄土に阿弥陀仏が居ると思えば存在するだろうし、吸い込む空気の中に神仏が居ると思えば存在するだろうし、神仏を呼ぶ所に神仏は存在し、神仏を否定する所では存在しないだろうと思います。

存在とは「 実体 」ではなく「 存在意識 」ですから、個人が神仏を意識すれば「 存在 」します。

情(zyou)により、神仏が存在したり、存在しなかったりするのだと思います。

エーテルは大気(空気)と一体で、分離することは出来ません。

宇宙を満たすエーテルは「 神仏の身体 」で、地球が持つ大気圏は全ての生き物が生きることを可能にする「 神の愛 」であり、大気圏では、エーテルと神仏(ki)と神の愛は一体であるかも知れません。

電磁波や重力などのエネルギーは大気の有無に関わりなく伝わりますが、エネルギーはエーテルの中で伝わり、見ることが出来ないのだと思います。

呼吸してエネルギーを摂ったり、食事してエネルギーを摂るとき、エネルギーが見えないのは、エーテルの中で移動しているからだと思います。

空気や食物という実体がエネルギーを持つのではなく、体内に取り込み、消化して、エネルギーに変えるのは、細胞と細胞の間のエーテルの中のエネルギーの移動であり、神仏のために働く仕事量である気(ki)の仕事量であり、愛の仕事量であるかもしれません。

呼吸して食事して、生きることが可能であるのも、呼吸や植物や動物を育てる大気があるから、人間も生きることが出来ます。

「 愛 」は気(ki)であり、人間の情(zyou)の及ぶところではないことは、以前に書きました。

大気(taiki)や空気(kuuki)の贈り物こそ、「 神の愛 」かも知れません。

このように、宇宙を満たすエーテルを神仏と思い、大気(空気)の存在を神の愛と考え、「 実有 」を「 実体 」で「 証明することは出来ない 」と考えると、「 神の存在証明 」など、私の頭脳では理解できません。



神の存在証明

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%A8%BC%E6%98%8E


2013/5/11、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



死後の自分を考えるとき、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を考える必要があります。

死後は、自分の行為により極楽や地獄などという自分が想像できない所に行くと宗教から教わったように思いますが、ビッグ・バン理論のように、闇から生まれ闇に消えてゆくというのは、プラズマ宇宙論を支持する私には信じることが出来ません。


神仏は、宗教という情(zyou)が規定すると考えると、宗教の数だけ、世界の人類の数だけ神仏が居るとすれば、私の「 神仏 」が許されるだろうし、自分が死後に行く所は、自分で決めることが出来ると思います。

一般的に言えば、死ぬことは自分で考えた神仏に自分を預けることですから、自分で決めた神仏の中に、死んでゆくのかもしれません。

私は、エーテルを神仏の身体、エネルギー(あるいはプラズマ)が神仏と考えますから、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」については、私は、エーテルの中のエネルギーから生命を得た宇宙の塵であり、私が死んで火葬されれば、身体は宇宙の塵になり、魂は、エーテルの中のエネルギーになるだろうと思います。

全宇宙は神仏の身体であり、火星や月や木星や土星とは違い、地球には生き物を育む大気(空気)が存在することが、人類にとっての偶然ではなく、神仏(エーテルとプラズマ)にとっての偶然であり、大気(空気)が人類の人知という情(zyou)が及ばない気(ki)であり、生命というエネルギーを育むから、私はそれを感謝して、「 神の愛 」と呼びます。

私は、宗教が決めた複数個の「 神の愛 」ではなく、「 神の愛 」は一つであり、神仏も「 神の愛 」も人知という情(zyou)が及ばない、気(ki)の大気(空気)であると思います。

大気(空気)とエーテルを分離することはできず、「 神の愛 」も神仏も一体であり、地球は神の愛に包まれ、自然のエネルギーである地震や台風も「 神の愛 」であり、被災者を助けるのは「 人間の愛情 」であるかも知れません。


2013/5/13、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように、宇宙を満たすエーテルを神仏と思い、大気(空気)の存在を神の愛と考え、「 実有 」を「 実体 」で「 証明することは出来ない 」と考えると、「 神の存在証明 」など、私の頭脳では理解できません。

実有を実体に変えるのが情(zyou)であると思いますが、「 神の存在証明 」が成功したから、神仏の存在意識が在るとは限りません。

「 神の存在証明 」を知らなくても、神仏と共に生きている人は多数いるとおもいます。

神仏の存在意識が有れば、「 神の存在証明 」は必要でなく、「 神の存在証明 」と信仰は別物であると思います。

さて、これまでは、エーテルと大気(空気)の違いでしたが、情(zyou)の中では、どのように違うでしよう。

私は仏教徒ですから、次のように考えます。


エーテルを涅槃だと考えます


宇宙空間を満たすエーテルは「 無余涅槃 」であり、大気(空気)と分離できないエーテルが「 有余涅槃 」であると思います。

死後は「 無余涅槃 」であり、生前は「 有余涅槃 」であり、その実体は同じエーテルであり、連続していると思います。

佛(hotoke)とは、人で無いという意味ですが、「 無余涅槃 」は生命が無い、情(zyou)が無い状態で、「 有余涅槃 」は、生きながらも情(zyou)、つまり私情(sizyou)や自我が無い状態で、「 悟り 」の状態だと思います。

それは、エーテルで神仏の身体ですから、人間の頭脳や心臓に電気が必要で、それが神仏で、魂であれば、「 無余涅槃 」と「 有余涅槃 」を、神仏が、エネルギーである気(ki)が、往復し、「 有余涅槃 」の状態が、神仏の存在意識を持ち、エーテルという涅槃と一体である「 神の愛 」を持ち、神仏と共に生きている人だと思います。

寺院での修行や禁欲生活は、神仏の存在意識を持つようにならなければ、無意味です。

「 神の存在証明 」があるからと言って、神の存在意識を持っているとは限りません。

自我が無いことが必要でしょうが、神仏の存在意識が有ってこそ、「 神の愛 」を持ってこそ、「 有余涅槃 」である「 悟り 」の境涯になったと言えると思います。





涅槃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83

涅槃を有余と無余との二種に区別する際の有余涅槃は、釈迦が三十五歳で成道して八十歳で入滅するまでの間の「さとり」の姿を言う。無余涅槃は八十歳で入滅した後の「さとり」の姿とみるのである

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2013年05月11日

2013/5/11、オカルト・エーテルと神仏7・神の愛2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)





2013/5/6、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


エーテル(電磁場や重力場が存在する真空の空間)が無い宇宙は、ブラッホール以外は思いつかないのが私の知識です。

エーテルは大気(空気)と一体で、分離することは出来ません。

生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、「 死んだら星になる 」とか、「 死んでもお前の傍に居る 」ことを成立させるためには、人類の体内から地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」が神仏の身体と考えます。

何億光年も離れている、西方浄土に阿弥陀仏が居ると思えば存在するだろうし、吸い込む空気の中に神仏が居ると思えば存在するだろうし、神仏を呼ぶ所に神仏は存在し、神仏を否定する所では存在しないだろうと思います。

存在とは「 実体 」ではなく「 存在意識 」ですから、個人が神仏を意識すれば「 存在 」します。

情(zyou)により、神仏が存在したり、存在しなかったりするのだと思います。

エーテルは大気(空気)と一体で、分離することは出来ません。

宇宙を満たすエーテルは「 神仏の身体 」で、地球が持つ大気圏は全ての生き物が生きることを可能にする「 神の愛 」であり、大気圏では、エーテルと神仏(ki)と神の愛は一体であるかも知れません。

電磁波や重力などのエネルギーは大気の有無に関わりなく伝わりますが、エネルギーはエーテルの中で伝わり、見ることが出来ないのだと思います。

呼吸してエネルギーを摂ったり、食事してエネルギーを摂るとき、エネルギーが見えないのは、エーテルの中で移動しているからだと思います。

空気や食物という実体がエネルギーを持つのではなく、体内に取り込み、消化して、エネルギーに変えるのは、細胞と細胞の間のエーテルの中のエネルギーの移動であり、神仏のために働く仕事量である気(ki)の仕事量であり、愛の仕事量であるかもしれません。

呼吸して食事して、生きることが可能であるのも、呼吸や植物や動物を育てる大気があるから、人間も生きることが出来ます。

「 愛 」は気(ki)であり、人間の情(zyou)の及ぶところではないことは、以前に書きました。

大気(taiki)や空気(kuuki)の贈り物こそ、「 神の愛 」かも知れません。

このように、宇宙を満たすエーテルを神仏と思い、大気(空気)の存在を神の愛と考え、「 実有 」を「 実体 」で「 証明することは出来ない 」と考えると、「 神の存在証明 」など、私の頭脳では理解できません。



神の存在証明

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%A8%BC%E6%98%8E


2013/5/11、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



死後の自分を考えるとき、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を考える必要があります。

死後は、自分の行為により極楽や地獄などという自分が想像できない所に行くと宗教から教わったように思いますが、ビッグ・バン理論のように、闇から生まれ闇に消えてゆくというのは、プラズマ宇宙論を支持する私には信じることが出来ません。


神仏は、宗教という情(zyou)が規定すると考えると、宗教の数だけ、世界の人類の数だけ神仏が居るとすれば、私の「 神仏 」が許されるだろうし、自分が死後に行く所は、自分で決めることが出来ると思います。

一般的に言えば、死ぬことは自分で考えた神仏に自分を預けることですから、自分で決めた神仏の中に、死んでゆくのかもしれません。

私は、エーテルを神仏の身体、エネルギー(あるいはプラズマ)が神仏と考えますから、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」については、私は、エーテルの中のエネルギーから生命を得た宇宙の塵であり、私が死んで火葬されれば、身体は宇宙の塵になり、魂は、エーテルの中のエネルギーになるだろうと思います。

全宇宙は神仏の身体であり、火星や月や木星や土星とは違い、地球には生き物を育む大気(空気)が存在することが、人類にとっての偶然ではなく、神仏(エーテルとプラズマ)にとっての偶然であり、大気(空気)が人類の人知という情(zyou)が及ばない気(ki)であり、生命というエネルギーを育むから、私はそれを感謝して、「 神の愛 」と呼びます。

私は、宗教が決めた複数個の「 神の愛 」ではなく、「 神の愛 」は一つであり、神仏も「 神の愛 」も人知という情(zyou)が及ばない、気(ki)の大気(空気)であると思います。

大気(空気)とエーテルを分離することはできず、「 神の愛 」も神仏も一体であり、地球は神の愛に包まれ、自然のエネルギーである地震や台風も「 神の愛 」であり、被災者を助けるのは「 人間の愛情 」であるかも知れません。
posted by kandk55 at 06:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 43 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月06日

2013/5/6、オカルト・エーテルと神仏 6 神の愛

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/4/28、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



上記の結果、次のような結論になります。


死後、大和魂やアメリカ魂などという魂は、気(ki)になり、「 実有 」する「 エーテル 」の中に拡散して宇宙を満たし、生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」になると考えますと、「 死んだら星になる 」とか、「 死んでもお前の傍に居る 」と言われたことは、「 死んだらエーテルになる 」と解釈すれば、解決し、「 エーテル 」は宇宙を満たす「 実有 」であり、これを「 神 」とすれば、神は「 実体として実在しないかも知れないが実有することは確かである 」と。

そして、この「 エーテル 」を神仏の身体であると解釈すれば、エーテルが満たす宇宙の果てと、呼吸により肺に吸い込む空気と分離されないエーテルが繋がり、自分の身体と神仏の身体が融合し、プラズマ宇宙論が言うように、宇宙に電気が在るならば、電気の気(ki)は神仏であり、エネルギーが神仏であり、人体内に走る電気と融合します。

「 エーテル 」は神仏の身体であり、気(ki)は神仏である。


このように解釈すれば、自分は神仏と共に有り、遺伝子情報も含むすべての情(zyou)が「 実体化 」するところに神仏が「 実体 」となる。

西方浄土に阿弥陀仏が居ると思えば存在するし、吸い込む空気の中に神仏が居ると思えば存在するし、神仏を呼ぶ所に神仏が存在し、神仏を否定すれば存在しないだろうと思います。

神仏は、宇宙を満たすエーテルで、現実の距離を超越して存在しますから、存在意識が在る所に「 存在 」します。

「 存在 」とは「 存在意識 」であることは、以前に書きました。


神仏の身体はエーテルであり、存在意識を持つ所に、神仏は存在すると思います。


死後、大和魂やアメリカ魂などという魂は、気(ki)になり、「 実有 」する「 エーテル 」の中に拡散して宇宙を満たし、生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」になり、「 神仏の身体と一体化する 」ことになり、「 地獄 」や「 天国 」など、空想の世界に行くこともなく、宇宙の塵の一つに戻るだけと考えますと、死後も、家族を見守ることも可能であるから、自分の祖先を供養することは、自分の魂を大切にすることになると思います。

死後、魂がエーテルになって「 実有 」し、脳波はシューマン波に戻り、自分の肉体の遺伝子情報の情(zyou)は遺伝により子孫にひきつがれ、魂は気(ki)として生命になるでしょう。

このように考えると、私の死後への不安は少し減ったように思います。


2013/5/6、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


エーテル(電磁場や重力場が存在する真空の空間)が無い宇宙は、ブラッホール以外は思いつかないのが私の知識です。

エーテルは大気(空気)と一体で、分離することは出来ません。

生まれることもなく、滅することもなく、増えることもなく、減ることもなく、汚れることもない「 実有 」であり、「 死んだら星になる 」とか、「 死んでもお前の傍に居る 」ことを成立させるためには、人類の体内から地球を離れても何億光年の宇宙の果てまで「 連続するエーテル 」が神仏の身体と考えます。

何億光年も離れている、西方浄土に阿弥陀仏が居ると思えば存在するだろうし、吸い込む空気の中に神仏が居ると思えば存在するだろうし、神仏を呼ぶ所に神仏は存在し、神仏を否定する所では存在しないだろうと思います。

存在とは「 実体 」ではなく「 存在意識 」ですから、個人が神仏を意識すれば「 存在 」します。

情(zyou)により、神仏が存在したり、存在しなかったりするのだと思います。

エーテルは大気(空気)と一体で、分離することは出来ません。

宇宙を満たすエーテルは「 神仏の身体 」で、地球が持つ大気圏は全ての生き物が生きることを可能にする「 神の愛 」であり、大気圏では、エーテルと神仏(ki)と神の愛は一体であるかも知れません。

電磁波や重力などのエネルギーは大気の有無に関わりなく伝わりますが、エネルギーはエーテルの中で伝わり、見ることが出来ないのだと思います。

呼吸してエネルギーを摂ったり、食事してエネルギーを摂るとき、エネルギーが見えないのは、エーテルの中で移動しているからだと思います。

空気や食物という実体がエネルギーを持つのではなく、体内に取り込み、消化して、エネルギーに変えるのは、細胞と細胞の間のエーテルの中のエネルギーの移動であり、神仏のために働く仕事量である気(ki)の仕事量であり、愛の仕事量であるかもしれません。

呼吸して食事して、生きることが可能であるのも、呼吸や植物や動物を育てる大気があるから、人間も生きることが出来ます。

「 愛 」は気(ki)であり、人間の情(zyou)の及ぶところではないことは、以前に書きました。

大気(taiki)や空気(kuuki)の贈り物こそ、「 神の愛 」かも知れません。

このように、宇宙を満たすエーテルを神仏と思い、大気(空気)の存在を神の愛と考え、「 実有 」を「 実体 」で「 証明することは出来ない 」と考えると、「 神の存在証明 」など、私の頭脳では理解できません。

次は、もう少し進みます。




神の存在証明

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%A8%BC%E6%98%8E

エーテル(物理)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB_(%E7%89%A9%E7%90%86)

地球の大気

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%81%AE%E5%A4%A7%E6%B0%97

posted by kandk55 at 05:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 43 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月03日

2013/5/3、オカルト・医食同源 2

「 平和の象徴である鳩を食べるな と。



2013/4/8、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


先日、「 医食同源 」は、中国の言葉だと書いたが、ネットで調べてみると、日本での「 造語 」だと判明しましたので、訂正します。

私が言いたいことは、「 漢方薬 」も同じで、「 医は食にあり 」で、健康の源は食事であることです。

鳥を食べる食生活は、鳥インフルエンザの感染も含めて「 食べる 」ことであり、10年前の「 SARS 」を生んだ状況は、改善されていないことであり、自業自得、善因善果・悪因悪果のことわざが真実である証明であると思います。

「 鳩 」を食べると、「 鳩 」を死に至らしめる病気があるはずです。

人間の場合の「 ガン 」のように。

「 鳩 」やニワトリを、生命を頂くという感謝の気持ちも無しに、物質として食べる習慣が改められない限り、第二、第三の「 SARS 」が発生するでしょう。

鳥が死ぬ時限爆弾を、人間が飲み込むのです。

「 SARS 」などの病気を薬によって防ぐのではなく、食べ物を選択することで防ぐ方法もあるはずです。


生き物が誕生して死亡することが「 霊的統一体 」であるなら、「 霊 」が乗り移ったと考えてもよいと思います。

ちなみに、日本人は「 鳩 」を食べません。



医食同源

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E9%A3%9F%E5%90%8C%E6%BA%90

医食同源(いしょくどうげん)とは、日頃からバランスの取れた美味しい食事をとることで病気を予防し、治療しようとする考え方。

「医食同源」という言葉自体は中国の薬食同源思想から着想を得て、近年、日本で造語された。この言葉「医食同源」は発想の元になった中国へ逆輸入されている。

………………(省略)………………………


ちなみに、中国における「医食同源」的な思考とは、「肝臓を食べると肝臓に効く」「脳を食べると脳にいい」 「心臓を食べると心臓によい」といった様な中国漢方的なものである。


2013/5/3、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 医は食にあり 」というのが、医食同源という意味だと思いますが、その中国で、信じられないことが起こりました。

ネズミの肉を羊の肉として販売されたそうです。

「 事実は小説より奇なり 」と申しますが、私の「 想定外 」でした。

これでは、想定外の病気が発生するのも、当然であるかも知れません。


ヤフーニュースは下記の通りです。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130503-00000018-rcdc-cn

ネズミ肉を羊肉に見せかけ販売、上海・蘇州などで=業者逮捕―中国

Record China 5月3日(金)20時33分配信

ネズミ肉を羊肉に見せかけ販売、上海・蘇州などで=業者逮捕―中国

3日、中国公安部がこのほど発表した食品犯罪・安全摘発調査結果によると、上海市や江蘇省でキツネやミンク、ネズミなどの肉が羊肉に見せかけて売られていたことが分かった。写真は羊のくし焼き。

2013年5月3日、中国公安部がこのほど発表した食品犯罪・安全摘発調査結果によると、上海市や江蘇省でキツネやミンク、ネズミなどの肉が羊肉に見せかけて売られていたことが分かった。新京報が伝えた。


公安当局は病死した家畜の肉や「注水肉(水を注入して重くした肉)」、有毒・有害肉製品を製造・販売したなどの疑いで、10年以降全国で闇工場や闇市場1721カ所を摘発・閉鎖し、業者ら3576人を逮捕。偽装肉など2万トン余りを押収した。

江蘇省無錫市で摘発された事例によると、山東省出身の闇組織が上海市や江蘇省蘇州市などでキツネやミンク、ネズミなどの肉を羊肉と称して販売。これらの獣の肉は検疫も経ておらず、ゼラチンや着色料などで羊肉のように見せかけていた。当局は組織の拠点50カ所以上を捜索・閉鎖し、原料や製品10トン以上を押収した。

また、陝西省では闇業者が違法に屠殺した子羊の肉を食べ、中毒症状で1人が死亡。肉から農薬成分が検出されたケースもあった。
posted by kandk55 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 2010年からの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

箱根旅行と富士山 世界文化遺産登録勧告

おめでとう、富士山


fuzi2




富士山 世界遺産に登録へ NHKニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130430/t10014292061000.html


ユネスコの世界文化遺産への登録を目指している富士山について、ユネスコの諮問機関は、「登録がふさわしい」とする勧告をまとめ、富士山は6月にも正式に世界遺産に登録される見通しになりました。


posted by kandk55 at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 箱根旅行と富士山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする