2013年09月28日

2013/9/28、エーテルと神仏30・私の神仏考9・エーテル

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2013/6/22、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



エーテルを否定することが、科学の進歩であれば、成功だったと同時に、失敗であったと思います。

一般相対性理論と特殊相対性理論があるが、前者はエーテルや涅槃の領域であり、後者は「 神の愛 」の領域であると思います。

「 神の愛 」である地球上では、一般相対性理論と特殊相対性理論が重なり、特殊相対性理論で物理が説明されるというが、それは「 エーテルと大気(空気)が一体となり分離できなく、大気だけを考え、エーテルを考えなくても物理は説明することができる 」ということだと思います。

しかし、重力がエーテルの中で伝わると考えると、エーテルの中で物理が成立していることを忘れてはならないと思います。

それは、「 神仏の身体 」の中に「 神の愛 」であることで、後者だけを考え前者を無視することは正しい理論ではないと思います。

一般性総体理論やエーテルや「 神仏の身体 」が「 涅槃 」で「 必然 」あり、特殊相対性理論や空気や「 神の愛 」は本来は「 偶然 」や現象であり、「 必然性 」であると思います。

「 必然 」と「 必然性 」は、前者が「 人間を必要とせずに因果が成立 」し、エーテルが必要であり、連続する「 実有 」であるのに対し、後者は「 人間の頭脳の中で成立する因果 」で、エーテルは必要でなく、不連続な「 実体 」であると思います。


もし、エネルギーがエーテルの中で伝達されるならば、特殊相対性理論でエネルギーを説明することは出来ないと思います。

私は、量子力学の不確実性理論は、エーテルを考慮していないのが原因であり、「 神様はサイコロをふらない 」ことを認めないことも同様で、量子理論は特殊な理論であると思います。

とても、宇宙を解明することは出来ない理論が量子理論であると思います。


2013/9/28、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

これは、すべて、フィクションです。




私は物理を知らないが、相対論と量子論が、以上であるならば、両者を統合する理論の中に「 エーテル 」の概念が必要だと思います。

今まで「 無視 」してきたエーテルを考えることが、統合するのに必要でしょう。

私は、M理論の「 膜 」という考えに関心があります。

質量が大きい惑星の周囲の空間がゆがむのは、空間は「 膜 」であり、ブラックホールは、電磁波を含んだ「 膜 」全体を、大きな質量で吸い込んでいるから、空間もゆがむのだと思います。

「 膜 」はエーテルであり、エネルギーが移動すると考えます。

「 膜 」はどこに行っても人間には四次元であり、エネルギーが四次元の特徴である「 衝突 」による「 仕事量 」で表現することが出来るように思うかも知れませんが、実は四次元に交差する「 膜 」の上で「 エネルギー」が移動しているのであり、「 エネルギー 」は四次元では「 現象 」として現れたものだと思います。

交差する「 膜 」が、M理論の2次元の膜(メンブレーン)や5次元の膜だと思います。

四次元は「 切り口 」であり、不連続であり、四次元に交差し連続させるのが「 膜 」である「 エーテル 」と考えます。

「 エーテル 」は相対論も量子論も包摂する「 エネルギー 」の次元だと思います。

エネルギーの次元と四次元を合わせてM理論の次元になるかも知れません。

人間の認識は四次元であり、宇宙の構造からみれば、エネルギーの次元を含めてM理論の次元になるかも知れません。

四次元で「 無 」であり、実体では「 無 」であるが、「 実有 」であるのは、四次元に交差し、四次元を包摂する次元の「 膜 」の状態の空間が「 エーテル 」というエネルギーに満ちた「 実有 」であるかも知れません。

四次元の特徴である「 衝突 」でしかエネルギーを測定することが出来ないのは、「 マク 」が四次元と交差し、エネルギーが現象として現れるからであると思います。

相対論と量子論の統合が不能なのは、エーテルを考えていないことが原因であり、現代物理学はエーテルの解明をする使命があると思います。


M理論
http://ja.wikipedia.org/wiki/M%E7%90%86%E8%AB%96

M理論(えむりろん)とは、現在知られている5つの超弦理論を統合するとされる、11次元 (空間次元が10個、時間次元が1個)の仮説理論である。尚、この理論には弦は存在せ ず、2次元の膜(メンブレーン)や5次元の膜が構成要素であると考えられている。

エーテル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB_(%E7%89%A9%E7%90%86)

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2013年09月24日

2013/9/24、エーテルと神仏29、私の神仏考8、帰結1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2013/8/25、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように考えるとき、「 神 」と「 仏 」は、「 魂 」と「 霊 」に対応するのだと考えます。

神仏はエネルギーであると思いますが、「 イメージが無い 」エネルギーが「 神 」で、社会的、伝統的な「 イメージが在る 」エネルギーが「 仏 」だと考えます。

「 仏(hotoke)」は、人でないことを意味しますが、生き仏(a living Buddha)とは有徳の人(a saint-like person)であり、この世で涅槃に到達した人であり、宗教という情(zyou)で規定されます。

一方の「 神 」は、宇宙のエネルギーであり、情(zyou)という形では規定することが出来ない気(ki)であると考えます。

「 神 」は情(zyou)の範囲の外だから、「 非情 」であると思います。

原子力エネルギーが「 神 」であるなら、電力を生むエネルギーは人間に幸福を与えますが、原発事故によるエネルギーは情(zyou)を否定する「 非情な神 」です。

情(zyou)が制御することが出来ないのが「 神 」であり、原子力発電は「 非情な神 」を利用しているのだと考えます。

原子爆弾も「 非情な神 」です。

「 非情な神 」を利用しているという意味では、原子力発電と原子爆弾は同じことだと考えます。

歴代の科学者たちが、原子爆弾に反対してきましたが、同じ「 非情な神 」である原子力発電に対しても反対するのが、霊や情(zyou)を持つ霊長類である人間の義務だと思います。

宇宙空間を満たすエネルギーも「 非情な神 」ですが、「 神の愛 」として、地球が生まれたのだと思います。



2013/9/1、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

前述しましたが、Wikipediaによると、エネルギーは「 物事をなしとげる気力、活力、活動の源として体内に保持する力 」あるいは「 仕事をすることのできる能力 」や「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であると定義してあります。

私は、人間を含めて動物は「 生気 」を持ち、それがエネルギーであり、動物内部に蓄えられた仕事をする能力 」を持っていると考えます。

私は、頭脳は電磁波というエネルギーで動き宇宙の気(ki)と同化すると思いますから、頭脳は「 神 」の領域であり、心臓をはじめ臓器の電気は小脳の領域であり、それは「 心 」や「 無意識 」の領域で、「人格 」を形成し、「 仏 」の領域だろうと思います。

人間は頭脳が「 神 」で身体は「 仏(hotoke) 」だろうと思います。


2013/9/8、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



これまで述べたように、エーテルが神の身体であり、エネルギーが神であり、神は気(ki)であるならば、神は情(zyou)である宗教の対象にならないというのが、私の考えです。

古代の日本の八百万の神のように、エネルギーを持つ全てが神でありますから、前述した「 原子力 」や台風やハリケーンや地震や津波も「 神 」であり、それらは人間に不幸をもたらしますが、神は気(ki)であり、元来、全ての生物を育てるエネルギーですが、人間の幸福や不幸を無視するものであると考えます。

この「 神 」を情(zyou)である宗教が対象とするならば、日本の古代のように、すべてに神が宿るという「 八百万の神 」が正当で、「 神 」は恐れ奉る対象であると考えます。

元来、気(ki)である「 神 」を情(zyou)である宗教で実体化するのは不可能だと思います。

宗教は、人間だけの論理であり、気(ki)で惑える人々を、思想により死の対する不安を消滅させるため、あるいは政治で不安を消滅させるなどの、人間的で文化的な情(zyou)であり、「 心 」や「 無意識 」や「 人格 」の問題であり、「 神 」とは直接の関係は無いと考えます。

「 原子力 」や台風やハリケーンや地震や津波を本尊とする宗教は無く、宗教の目的は、「 即身成仏 」や生き仏(a living Buddha)や有徳の人(a saint-like person)になることで、エネルギーの取得ではないと思います。

エネルギーの取得が「 神 」を身に着けることであれば、日本古代の山岳信仰や現在の「 パワースポット巡り 」などが適当で、これは宗教ではないと思います。

エネルギーの取得は「 奇跡 」を起こすことでしょうが、これは私の考えでは「 宗教 」ではありません。

常時、奇跡を起こすのが神であり、その神は「 太陽神 」という「 人間に都合のよい神 」だけでなく、「 原子力 」や台風やハリケーンや地震や津波という「 非情な神 」でもあるからです。

「 神 」は恐れ敬うものであり、「 宗教 」は人格を高めるものだと思います。


2013/9/17、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上のように、「 神 」は気(ki)であり、情(zyou)である宗教の及ぶ範囲外にあると考えますと、次のように考えます。

「 能力 」は内在のエネルギーであり神や気(ki)に属し、「 超能力 」を得ることを宗教に求めることは間違っていると思います。

先に述べたように、宗教は、人間だけの論理であり、気(ki)で惑える人々を、思想により死の対する不安を消滅させるため、あるいは政治で不安を消滅させるなどの、人間的で文化的な情(zyou)であり、「 心 」や「 無意識 」や「 人格 」の問題であり、「 神 」とは直接の関係は無いと思います。

「 神 」の気(ki)に敵対する情(zyou)は「 科学 」だと思います。

この場合に、科学が神に合致すれば、「 原子力 」や台風やハリケーンや地震や津波などの「 非情な神 」を制圧することが出来、合致しなければ、科学は「 無能 」(つまりエネルギーが無い)であるという評価を得ると思います。

私は、福島原発事故は「 神にたいする科学の無能 」であり、科学では処理不能な神(エネルギー)であり、無能な科学は関わるべこでないと思うから、「 原発ゼロ 」を支持するのです。

「 神 」に敵対するのは「 科学 」であり、「 宗教 」ではないと思います。

天動説など、「 神 」を宗教の範囲内にするから、「 宗教 」は「 科学 」と敵対すると評価され、宗教による科学の弾圧になると思います。

2013/8/4 私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、仏教を信じていますが、信者ではないと思います。

これは、私の考えであり、仏教の教えではありません。


仏教では、法身(hostusin)と報身(housin)と応身(ouzin)を三身と言います。これは参考を見てください。

三身は、仏の身体であり、神仏については不明です。

私は、法身(hostusin)をエーテルと考え、報身(housin)を大気や人類が考えるすべての知識と考え、応身(ouzin)を、遺伝子情報と考えます。

三身即一というのは当然であり、法身(hostusin)であるエーテルは報身(housin)である大気と応身(ouzin)である人体の遺伝子情報を包摂し、前者の涅槃と必然は、後者の「 神の愛 」であり、「無明 」である、煩悩や欲望の中で、「 必然的 」関係として現れると考えます。

「 必然的 」な関係として現れるとは、「物体内部に蓄えられた、仕事をする能力」という目には見えないが実有する力が「 偶然で自由 」な意識、すなわち報身(housin)と人体、すなわち応身(ouzin)の中で衝突することにより、物体内部に蓄えられた、仕事をする「 必然的 」な能力であると認められることだと考えます。

この物体内部に蓄えられた、仕事をする能力がエーテルの中で伝わる「 神仏 」と考え、法身(hostusin)であるエーテルと、報身(housin)である大気や人類が考えるすべての知識と、応身(ouzin)である遺伝子情報を境目なく伝わると考えます。

報身(housin)と応身(ouzin)が「 神の愛 」であるなら、神の「 愛 」は物体内部に蓄えられた、仕事をする能力であり、神仏であり、宇宙と人体を連続させるエーテルの中で伝わると考えます。


2013/9/24、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように、神仏を考えた結果、エーテルの中のエネルギーという気(ki)が「 神 」であり、それを具現化する情(zyou)が「 科学 」であり、「 宗教 」は人が生きる「 掟 」だと考えると、次のような帰結になると思います。

以前書きましたように、エネルギーである「 神 」には、人間を生存させるエネルギーと人間を破滅させる「 非情な 」エネルギーがあり、その両方に「 科学 」が具現化すると考えます。

「 科学 」は人間に役立つ場合と、人間を破滅させる場合があり、遺伝子情報を組み換えたり、クローンを作る「 ES細胞 」や原爆や原子力発電など、「 科学 」は「 非情な神 」の領域まで進行することが出来ます。

私たちは「 倫理規定 」という情(zyou)、人の進むべき道(人倫)で、「 科学 」という情(zyou)を規制しなければ、台風やハリケーンや地震や津波の前で無能力な「 科学 」と同じ意味で、「 神 」の前で無力な人間になってしまうと思います。

「 科学 」を人倫で規制するという点で、「 宗教 」は「 科学 」に対立しますが、これは「 宗教 」が「 神 」と関係するのではないと考えます。

「 宗教 」は無明から涅槃へ導く情(zyou)であり、その実体は個人の遺伝子情報を含んだ無意識の人格や心で決定するのであり、宗教は一般の知識であるが、「 実体化 」するのは個人の「 能力 」(エネルギー、あるいは神)つまり、「物体内部に蓄えられた、仕事をする能力」の力であり、従って個人的であり意識がすべての人類で相違するように、「 能力 」はすべて相違し、神の「 存在意識 」もすべて相違し、マネーを支払ったり、一定の行事を行うことが「 免罪符 」にはならないと考えます。

次は、「 神の身体 」であるエーテルをどのように考えるかについては、後日書くことにします。

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2013年09月23日

2013/9/23、スマートフォンをPC用のスピーカーで聞く

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2013/9/23、私の考え


私は以前、スマートフォンを購入したと書きました。

今日、新たな発見をしましたので、報告します。

私は、スマートフォンで音楽の動画を「 お気に入り 」に登録して、暇が出来ると動画を、イアフォーンで聞いていました。

現在は、イヤフォーンも進化して、途中のコードが無くても聞くことが出来ると友達から聞きました。

私が問い合わせたところ、高価でして、もっと安価な楽しみ方を探していました。

私は、イヤフォーンの代わりに、直接、スピーカーを接続することが出来ると思いました。

PCのためのスピーカは安価で、500円ほどで、左右のスピーカー購入することが出来ます。

電源はPCから導くのですが、入力端子をスマートフォンの音声出力端子に接続して、電源を入れました。

何ということでしょう!

スマートフォンで選んだ動画の音声を拡大して聞くことが出来ました。

もしも、PCの音声拡大のためにスピーカーを買った人ならば、是非、試されることをお勧めします。
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2013年09月17日

2013/9/17,オカルト・エーテルと神仏28・私の神仏考7・神と宗教2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2013/8/25、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように考えるとき、「 神 」と「 仏 」は、「 魂 」と「 霊 」に対応するのだと考えます。

神仏はエネルギーであると思いますが、「 イメージが無い 」エネルギーが「 神 」で、社会的、伝統的な「 イメージが在る 」エネルギーが「 仏 」だと考えます。

「 仏(hotoke)」は、人でないことを意味しますが、生き仏(a living Buddha)とは有徳の人(a saint-like person)であり、この世で涅槃に到達した人であり、宗教という情(zyou)で規定されます。

一方の「 神 」は、宇宙のエネルギーであり、情(zyou)という形では規定することが出来ない気(ki)であると考えます。

「 神 」は情(zyou)の範囲の外だから、「 非情 」であると思います。

原子力エネルギーが「 神 」であるなら、電力を生むエネルギーは人間に幸福を与えますが、原発事故によるエネルギーは情(zyou)を否定する「 非情な神 」です。

情(zyou)が制御することが出来ないのが「 神 」であり、原子力発電は「 非情な神 」を利用しているのだと考えます。

原子爆弾も「 非情な神 」です。

「 非情な神 」を利用しているという意味では、原子力発電と原子爆弾は同じことだと考えます。

歴代の科学者たちが、原子爆弾に反対してきましたが、同じ「 非情な神 」である原子力発電に対しても反対するのが、霊や情(zyou)を持つ霊長類である人間の義務だと思います。

宇宙空間を満たすエネルギーも「 非情な神 」ですが、「 神の愛 」として、地球が生まれたのだと思います。



2013/9/1、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

前述しましたが、Wikipediaによると、エネルギーは「 物事をなしとげる気力、活力、活動の源として体内に保持する力 」あるいは「 仕事をすることのできる能力 」や「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であると定義してあります。

私は、人間を含めて動物は「 生気 」を持ち、それがエネルギーであり、動物内部に蓄えられた仕事をする能力 」を持っていると考えます。

私は、頭脳は電磁波というエネルギーで動き宇宙の気(ki)と同化すると思いますから、頭脳は「 神 」の領域であり、心臓をはじめ臓器の電気は小脳の領域であり、それは「 心 」や「 無意識 」の領域で、「人格 」を形成し、「 仏 」の領域だろうと思います。

人間は頭脳が「 神 」で身体は「 仏(hotoke) 」だろうと思います。


2013/9/8、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



これまで述べたように、エーテルが神の身体であり、エネルギーが神であり、神は気(ki)であるならば、神は情(zyou)である宗教の対象にならないというのが、私の考えです。

古代の日本の八百万の神のように、エネルギーを持つ全てが神でありますから、前述した「 原子力 」や台風やハリケーンや地震や津波も「 神 」であり、それらは人間に不幸をもたらしますが、神は気(ki)であり、元来、全ての生物を育てるエネルギーですが、人間の幸福や不幸を無視するものであると考えます。

この「 神 」を情(zyou)である宗教が対象とするならば、日本の古代のように、すべてに神が宿るという「 八百万の神 」が正当で、「 神 」は恐れ奉る対象であると考えます。

元来、気(ki)である「 神 」を情(zyou)である宗教で実体化するのは不可能だと思います。

宗教は、人間だけの論理であり、気(ki)で惑える人々を、思想により死の対する不安を消滅させるため、あるいは政治で不安を消滅させるなどの、人間的で文化的な情(zyou)であり、「 心 」や「 無意識 」や「 人格 」の問題であり、「 神 」とは直接の関係は無いと考えます。

「 原子力 」や台風やハリケーンや地震や津波を本尊とする宗教は無く、宗教の目的は、「 即身成仏 」や生き仏(a living Buddha)や有徳の人(a saint-like person)になることで、エネルギーの取得ではないと思います。

エネルギーの取得が「 神 」を身に着けることであれば、日本古代の山岳信仰や現在の「 パワースポット巡り 」などが適当で、これは宗教ではないと思います。

エネルギーの取得は「 奇跡 」を起こすことでしょうが、これは私の考えでは「 宗教 」ではありません。

常時、奇跡を起こすのが神であり、その神は「 太陽神 」という「 人間に都合のよい神 」だけでなく、「 原子力 」や台風やハリケーンや地震や津波という「 非情な神 」でもあるからです。

「 神 」は恐れ敬うものであり、「 宗教 」は人格を高めるものだと思います。


2013/9/17、私の考え

これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上のように、「 神 」は気(ki)であり、情(zyou)である宗教の及ぶ範囲外にあると考えますと、次のように考えます。

「 能力 」は内在のエネルギーであり神や気(ki)に属し、「 超能力 」を得ることを宗教に求めることは間違っていると思います。

先に述べたように、宗教は、人間だけの論理であり、気(ki)で惑える人々を、思想により死の対する不安を消滅させるため、あるいは政治で不安を消滅させるなどの、人間的で文化的な情(zyou)であり、「 心 」や「 無意識 」や「 人格 」の問題であり、「 神 」とは直接の関係は無いと思います。

「 神 」の気(ki)に敵対する情(zyou)は「 科学 」だと思います。

この場合に、科学が神に合致すれば、「 原子力 」や台風やハリケーンや地震や津波などの「 非情な神 」を制圧することが出来、合致しなければ、科学は「 無能 」(つまりエネルギーが無い)であるという評価を得ると思います。

私は、福島原発事故は「 神にたいする科学の無能 」であり、科学では処理不能な神(エネルギー)であり、無能な科学は関わるべこでないと思うから、「 原発ゼロ 」を支持するのです。

「 神 」に敵対するのは「 科学 」であり、「 宗教 」ではないと思います。

天動説など、「 神 」を宗教の範囲内にするから、「 宗教 」は「 科学 」と敵対すると評価され、宗教による科学の弾圧になると思います。

福島原発事故を宗教で「 心 」を変えることで許してはいけないと思います。

原発は絶対に安全で、事故には水をかければ解決するなど、科学者は国民を愚弄したのであり、これからの私は、「 科学により心から安心する 」のではなく、原子力発電は原爆と同じであるという考えで、今までの物理学者が「 原爆反対 」を主張したように、原子力発電にも「 原発ゼロ 」を主張することが「 神 」に従うことになると考えます。

エーテルが神の身体であり、エネルギーが神であり、神は気(ki)であり、神は情(zyou)である宗教の対象にならなく、心や無意識や人格向上を宗教が目指すのなら、進んで科学を受け入れ、心や無意識や人格や無明や煩悩の解明に科学を道具に使えばよいと思います。
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2013年09月08日

2013/9/8、オカルト・エーテルと神仏27・私の神仏考6・神と宗教

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2013/8/25、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように考えるとき、「 神 」と「 仏 」は、「 魂 」と「 霊 」に対応するのだと考えます。

神仏はエネルギーであると思いますが、「 イメージが無い 」エネルギーが「 神 」で、社会的、伝統的な「 イメージが在る 」エネルギーが「 仏 」だと考えます。

「 仏(hotoke)」は、人でないことを意味しますが、生き仏(a living Buddha)とは有徳の人(a saint-like person)であり、この世で涅槃に到達した人であり、宗教という情(zyou)で規定されます。

一方の「 神 」は、宇宙のエネルギーであり、情(zyou)という形では規定することが出来ない気(ki)であると考えます。

「 神 」は情(zyou)の範囲の外だから、「 非情 」であると思います。

原子力エネルギーが「 神 」であるなら、電力を生むエネルギーは人間に幸福を与えますが、原発事故によるエネルギーは情(zyou)を否定する「 非情な神 」です。

情(zyou)が制御することが出来ないのが「 神 」であり、原子力発電は「 非情な神 」を利用しているのだと考えます。

原子爆弾も「 非情な神 」です。

「 非情な神 」を利用しているという意味では、原子力発電と原子爆弾は同じことだと考えます。

歴代の科学者たちが、原子爆弾に反対してきましたが、同じ「 非情な神 」である原子力発電に対しても反対するのが、霊や情(zyou)を持つ霊長類である人間の義務だと思います。

宇宙空間を満たすエネルギーも「 非情な神 」ですが、「 神の愛 」として、地球が生まれたのだと思います。

死ぬときに、神が迎えにきて頂くと言うのは、「 涅槃 」に行くこと、エーテルになる事で、宗教の違いで、仏が迎えに来て頂くというのかも知れません。

神は気(ki)であり、生きている間は「 神が存在し 」死後は「 非情な神 」、エーテルを満たすエネルギーになると考えます。

自殺する人も、死ぬまで「 神 」が付き添っているのです。

「 神など存在しないから死ぬ 」というのは間違いで、自殺しようと思うときも、自殺を実行するときも「 神が付き添って頂いている 」のです。

神をエネルギーと考えると、生きている限り、神は存在するのですから、無神論は、言葉の遊戯だと思います。

神は「 イメージがない 」から、情(zyou)や宗教で考えた「 イメージがある 」仏(hotoke)に、死ぬときに迎えに来て頂くという発想になると考えます。


2013/9/1、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

前述しましたが、Wikipediaによると、エネルギーは「 物事をなしとげる気力、活力、活動の源として体内に保持する力 」あるいは「 仕事をすることのできる能力 」や「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であると定義してあります。

私は、人間を含めて動物は「 生気 」を持ち、それがエネルギーであり、動物内部に蓄えられた仕事をする能力 」を持っていると考えます。

私は、頭脳は電磁波というエネルギーで動き宇宙の気(ki)と同化すると思いますから、頭脳は「 神 」の領域であり、心臓をはじめ臓器の電気は小脳の領域であり、それは「 心 」や「 無意識 」の領域で、「人格 」を形成し、「 仏 」の領域だろうと思います。

人間は頭脳が「 神 」で身体は「 仏(hotoke) 」だろうと思います。


2013/9/8、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



これまで述べたように、エーテルが神の身体であり、エネルギーが神であり、神は気(ki)であるならば、神は情(zyou)である宗教の対象にならないというのが、私の考えです。

古代の日本の八百万の神のように、エネルギーを持つ全てが神でありますから、前述した「 原子力 」や台風やハリケーンや地震や津波も「 神 」であり、それらは人間に不幸をもたらしますが、神は気(ki)であり、元来、全ての生物を育てるエネルギーですが、人間の幸福や不幸を無視するものであると考えます。

この「 神 」を情(zyou)である宗教が対象とするならば、日本の古代のように、すべてに神が宿るという「 八百万の神 」が正当で、「 神 」は恐れ奉る対象であると考えます。

元来、気(ki)である「 神 」を情(zyou)である宗教で実体化するのは不可能だと思います。

宗教は、人間だけの論理であり、気(ki)で惑える人々を、思想により死の対する不安を消滅させるため、あるいは政治で不安を消滅させるなどの、人間的で文化的な情(zyou)であり、「 心 」や「 無意識 」や「 人格 」の問題であり、「 神 」とは直接の関係は無いと考えます。

「 原子力 」や台風やハリケーンや地震や津波を本尊とする宗教は無く、宗教の目的は、「 即身成仏 」や生き仏(a living Buddha)や有徳の人(a saint-like person)になることで、エネルギーの取得ではないと思います。

エネルギーの取得が「 神 」を身に着けることであれば、日本古代の山岳信仰や現在の「 パワースポット巡り 」などが適当で、これは宗教ではないと思います。

エネルギーの取得は「 奇跡 」を起こすことでしょうが、これは私の考えでは「 宗教 」ではありません。

常時、奇跡を起こすのが神であり、その神は「 太陽神 」という「 人間に都合のよい神 」だけでなく、「 原子力 」や台風やハリケーンや地震や津波という「 非情な神 」でもあるからです。

「 神 」は恐れ敬うものであり、「 宗教 」は人格を高めるものだと思います。

人間がエネルギーを持つから「 神 」は宿っているのであり、自殺者や殺人犯にも神は宿っているのであり、その人が、人の道(倫理)から外れた思想、ないしは宗教を持っているため、自殺や殺人の罪を犯すのであり、人間の行動は「 神 」ではなく、「 宗教 」、つまり「 生き方 」に左右されると考えます。

「 神 」は誕生と同時にすでに宿っているのであり、私が可能なのは、自分の中の「 神 」をどのように行動に発揮させるかですが、これは自分の内部世界で文化的、思想的な感情や情報などの情(zyou)の持ち方に左右されると考えます。
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2013年09月01日

2013/9/1、オカルト・エーテルと神仏26・私の神仏考5・神と仏2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2013/8/25、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように考えるとき、「 神 」と「 仏 」は、「 魂 」と「 霊 」に対応するのだと考えます。

神仏はエネルギーであると思いますが、「 イメージが無い 」エネルギーが「 神 」で、社会的、伝統的な「 イメージが在る 」エネルギーが「 仏 」だと考えます。

「 仏(hotoke)」は、人でないことを意味しますが、生き仏(a living Buddha)とは有徳の人(a saint-like person)であり、この世で涅槃に到達した人であり、宗教という情(zyou)で規定されます。

一方の「 神 」は、宇宙のエネルギーであり、情(zyou)という形では規定することが出来ない気(ki)であると考えます。

「 神 」は情(zyou)の範囲の外だから、「 非情 」であると思います。

原子力エネルギーが「 神 」であるなら、電力を生むエネルギーは人間に幸福を与えますが、原発事故によるエネルギーは情(zyou)を否定する「 非情な神 」です。

情(zyou)が制御することが出来ないのが「 神 」であり、原子力発電は「 非情な神 」を利用しているのだと考えます。

原子爆弾も「 非情な神 」です。

「 非情な神 」を利用しているという意味では、原子力発電と原子爆弾は同じことだと考えます。

歴代の科学者たちが、原子爆弾に反対してきましたが、同じ「 非情な神 」である原子力発電に対しても反対するのが、霊や情(zyou)を持つ霊長類である人間の義務だと思います。

宇宙空間を満たすエネルギーも「 非情な神 」ですが、「 神の愛 」として、地球が生まれたのだと思います。

死ぬときに、神が迎えにきて頂くと言うのは、「 涅槃 」に行くこと、エーテルになる事で、宗教の違いで、仏が迎えに来て頂くというのかも知れません。

神は気(ki)であり、生きている間は「 神が存在し 」死後は「 非情な神 」、エーテルを満たすエネルギーになると考えます。

自殺する人も、死ぬまで「 神 」が付き添っているのです。

「 神など存在しないから死ぬ 」というのは間違いで、自殺しようと思うときも、自殺を実行するときも「 神が付き添って頂いている 」のです。

神をエネルギーと考えると、生きている限り、神は存在するのですから、無神論は、言葉の遊戯だと思います。

神は「 イメージがない 」から、情(zyou)や宗教で考えた「 イメージがある 」仏(hotoke)に、死ぬときに迎えに来て頂くという発想になると考えます。


2013/9/1、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

前述しましたが、Wikipediaによると、エネルギーは「 物事をなしとげる気力、活力、活動の源として体内に保持する力 」あるいは「 仕事をすることのできる能力 」や「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であると定義してあります。

私は、人間を含めて動物は「 生気 」を持ち、それがエネルギーであり、動物内部に蓄えられた仕事をする能力 」を持っていると考えます。

私は、頭脳は電磁波というエネルギーで動き宇宙の気(ki)と同化すると思いますから、頭脳は「 神 」の領域であり、心臓をはじめ臓器の電気は小脳の領域であり、それは「 心 」や「 無意識 」の領域で、「人格 」を形成し、「 仏 」の領域だろうと思います。

人間は頭脳が「 神 」で身体は「 仏(hotoke) 」だろうと思います。

「 思想 」などの観念は頭脳で「 神 」ですから、実体はなく、「 機能 」であり、「 心 」や「 無意識 」は仏(hotoke)であり、実体を決めると思います。

認識について考えると、情(zyou)を運ぶものは「 神 」であり、伝達されるのは情(zyou)のエネルギーで、実体である「 心や無意識 」という仏(hotoke)だと考えています。

前者が「 魂 」であり、後者は「 霊 」であり、人間は霊長類であるから、ミラーニューロンにより、情(zyou)のエネルギーが実体化した「 言葉 」や絵画により、認識すると思います。

認識の機能は「 神 」の働きであり、認識する内容は「 仏(hotoke)」であると考えます。

論理的に考えるのが「 神 」の働きであり、情報を自分で実感するのが「 仏(hotoke)」の働きであり、両者はエネルギーであるので、「 人ではなく 」人間という物体に蓄えられた力であると考えます。

人間は神仏の働きにより、生きることを可能にしていると考えます。

「 生気 」という気(ki)により宇宙と連結し、情(zyou)により、人体内部のDNAなどの遺伝子情報に連結し、前者は宇宙の時間であり、後者は「 主観的時間 」になり、政治や経済上、両者を結ぶのが「 客観的時間 」や「 世界時間 」であると思います。

日本では、神をまつる神社と仏教の寺院がありますが、前者は機能であり、後者は実体であると考えると、矛盾はないと思います。

「 運 」を祈るのが神社であり、先祖供養して仏教により人格を高めるのが寺院であり、両者は願う目的が相違すると考えます。
posted by kandk55 at 06:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 43 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする