2013年10月27日

2013/10/27、オカルト・エーテル考 3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/10/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



以上は、私の立場です。

一般性相対論で現される空間で、エネルギーが通過することが、宇宙の仕組みであり、エーテルの中でエネルギーが伝達され、それを「 可視化 」したり「 数式 」で法則として表現することが、「 特殊性 」であり、「 一般性相対論 」も数式で表現される限り、「 特殊性 」であると考えます。

意識で「 実体化 」することが「 特殊性 」であり、情(zyou)である限り「 特殊性 」であり、実体化が不可能な物が、気(ki)であり、エーテルであると考えます。

気(ki)であるエーテルは「 法身(hostusin)」であり、情(zyou)は「 報身(housin)」であることに符合すると思います。

「 神 」はエネルギーであり、情(zyou)で説明する範囲は(宗教では)「 実体化 」することが不可能であると思います。

数式として「 実体化 」するのは、「 無意識 」も含む「 遺伝子情報 」であり情(zyou)であり、「 実体化 」されないのが気(ki)であり、エネルギーやエーテルであると思います。

エーテルが「「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在 」しなく、宇宙がエネルギーに満ちているならば、「 神が位置とは無関係に実有する 」ことが真理であり、人間の意識は、「 七色の虹 」あるいは、「 幻(maborosi)」のようなもので、宇宙のすべての物理法則自体が「 神を写した情報 」であり「 特殊 」な「 神の愛 」の産物であると考えます。

物理法則が展開される舞台、「 次元 」がエーテルであり、力学の「 力 」が神だと思います。

「 速さ 」を考えますと、距離を時間で除しますが、この「 距離 」や「 時間 」自体が意識であり、「 速さ 」そのものは、不明です。

新幹線に乗っているときも、飛行機に乗っているときも、「 速度 」は「 時速 」と言っても「 不明 」です。

速度などのエネルギーは、四次元では把握できないのだと思います。

これは、「 速度 」や「 運動量 」と「 位置 」は「 次元 」が違うのだと考えています。



2013/10/27、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上のように、気(ki)である「 エーテル 」や「 エネルギー 」と情(zyou)である「 大気 」や「 次元 」や「 マク 」とは違うと考えます。


「 次元 」や「 マク 」というのは、「 実体化 」する情(zyou)の一種だと思います。

「 エーテル 」や「 エネルギー 」に位置が無いとは、精神では把握が不能であることで、それらはすべての所、宇宙のすべてに「 エーテル 」が「 実有 」することであり、エーテルを通過する「 重力 」や「 引力 」が宇宙のすべてに「 実有 」し、それが情(zyou)や次元の認識(実体化)を成立させていると考えます。

将来、地球が消滅した場合、情(zyou)が消滅しても、気(ki)は残ると考えます。

人間が滅んでも、太陽系などの惑星の軌道も原子核の陽子などの軌道を形成するエネルギーは残るだろうし、エネルギー(神)に変化は無いかも知れない。

人類が滅んだ場合、情(zyou)である宗教は無くなるが、気(ki)である「 神 」は残るだろう。

その延長で、日本では仏教や儒教など外来宗教や政治思想とは別に、山や川などの自然や自然現象を敬い、それらに八百万の神を見出す「 神道 」が存在することは正しい考えかもしれない。


神道(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93

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2013年10月20日

2013/10/20、オカルト・エーテル考 2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/6/22、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



エーテルを否定することが、科学の進歩であれば、成功だったと同時に、失敗であったと思います。

一般相対性理論と特殊相対性理論があるが、前者はエーテルや涅槃の領域であり、後者は「 神の愛 」の領域であると思います。

「 神の愛 」である地球上では、一般相対性理論と特殊相対性理論が重なり、特殊相対性理論で物理が説明されるというが、それは「 エーテルと大気(空気)が一体となり分離できなく、大気だけを考え、エーテルを考えなくても物理は説明することができる 」ということだと思います。

しかし、重力がエーテルの中で伝わると考えると、エーテルの中で物理が成立していることを忘れてはならないと思います。

それは、「 神仏の身体 」の中に「 神の愛 」であることで、後者だけを考え前者を無視することは正しい理論ではないと思います。

一般性総体理論やエーテルや「 神仏の身体 」が「 涅槃 」で「 必然 」あり、特殊相対性理論や空気や「 神の愛 」は本来は「 偶然 」や現象であり、「 必然性 」であると思います。

「 必然 」と「 必然性 」は、前者が「 人間を必要とせずに因果が成立 」し、エーテルが必要であり、連続する「 実有 」であるのに対し、後者は「 人間の頭脳の中で成立する因果 」で、エーテルは必要でなく、不連続な「 実体 」であると思います。


もし、エネルギーがエーテルの中で伝達されるならば、特殊相対性理論でエネルギーを説明することは出来ないと思います。

私は、量子力学の不確実性理論は、エーテルを考慮していないのが原因であり、「 神様はサイコロをふらない 」ことを認めないことも同様で、量子理論は特殊な理論であると思います。

とても、宇宙を解明することは出来ない理論が量子理論であると思います。



2013/10/20、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



以上は、私の立場です。

一般性相対論で現される空間で、エネルギーが通過することが、宇宙の仕組みであり、エーテルの中でエネルギーが伝達され、それを「 可視化 」したり「 数式 」で法則として表現することが、「 特殊性 」であり、「 一般性相対論 」も数式で表現される限り、「 特殊性 」であると考えます。

意識で「 実体化 」することが「 特殊性 」であり、情(zyou)である限り「 特殊性 」であり、実体化が不可能な物が、気(ki)であり、エーテルであると考えます。

気(ki)であるエーテルは「 法身(hostusin)」であり、情(zyou)は「 報身(housin)」であることに符合すると思います。

「 神 」はエネルギーであり、情(zyou)で説明する範囲は(宗教では)「 実体化 」することが不可能であると思います。

数式として「 実体化 」するのは、「 無意識 」も含む「 遺伝子情報 」であり情(zyou)であり、「 実体化 」されないのが気(ki)であり、エネルギーやエーテルであると思います。

エーテルが「「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在 」しなく、宇宙がエネルギーに満ちているならば、「 神が位置とは無関係に実有する 」ことが真理であり、人間の意識は、「 七色の虹 」あるいは、「 幻(maborosi)」のようなもので、宇宙のすべての物理法則自体が「 神を写した情報 」であり「 特殊 」な「 神の愛 」の産物であると考えます。

物理法則が展開される舞台、「 次元 」がエーテルであり、力学の「 力 」が神だと思います。

「 速さ 」を考えますと、距離を時間で除しますが、この「 距離 」や「 時間 」自体が意識であり、「 速さ 」そのものは、不明です。

新幹線に乗っているときも、飛行機に乗っているときも、「 速度 」は「 時速 」と言っても「 不明 」です。

速度などのエネルギーは、四次元では把握できないのだと思います。

これは、「 速度 」や「 運動量 」と「 位置 」は「 次元 」が違うのだと考えています。

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2013年10月13日

2013/10/13、オカルト・エーテル考1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。




2013/10/11、私の記事

これは、フィクションです。


私は、この「 膜 」が「 エーテル 」で、重力もすべてのエネルギーは、この「 膜 」の中を通して伝達すると考えます。

「 神様はサイコロをふらない 」ことは当然で、プランクの定数やすべての物理の数値は「 エーテルを無視して計算されたもの 」であり、これらが宇宙の真理であるとは考えません。

エネルギーがエーテルの中で伝達することなど考えず、地球上で計測したのが飛び飛びの数値のプランクの定数であり、宇宙空間で計測された場合は相違するかもしれません。

空気とエーテルを分離することが出来ないのは、エーテルがエネルギーを通す「 膜 」であるかもしれません。

人体を考えても、太陽エネルギーは「 空気 」ではなく「 エーテル 」を通して人体の伝達され、人間の知覚や感受性は無意識ですが「 膜 」を通過するから「 連続 」であり、意識は無意識から生じると考えると、エーテルという「 膜 」を通して「 エネルギー 」を摂取し、外部に発散するのが「 意識 」であり、それは「 太陽光から意識が生じる 」ことだと考えます。

気(ki)であるエネルギーはエーテルという「 膜 」を通して人体に届き、同じ気(ki)である無意識がエネルギーを感受し、「 力 」として発揮するとき「 意識 」であると考えます。

人は皆、エーテルという「 膜 」の中で無意識にエネルギーを摂取し、意識的に発散させるので、人体そのものが「 神の仕業 」であることになります。

自殺する人も、ジハードする人も「 神の仕業 」であり、その行動を支配する情(zyou)が「 自殺 」させ「 ジハード 」させるのだと考えます。

情(zyou)は文化的であり、政治的であり、遺伝子情報の結果だろうと考えます。

この情(zyou)の典型が「 宗教 」だと考えます。

これまで、宗教も「 エーテル 」のことを考えていませんが、私にとって、この「 エーテル 」こそが「 信仰 」には必須のものなのです。

以前に書きましたが「 私が死んだら星になる 」と「 私はお前たちのそばにいる 」とか「 神はそばにいる 」とか「 二人同行 」ということが同時に成立するためには、「 エーテル 」が必要です。

「 エーテル 」に乗って何万里も離れた星や西方浄土からもあなたのそばでも、あなたの「 意識次第 」で存在(意識)になりますということです。

今という時間意識の中で「 永遠 」なのは「 エーテル 」であるからです。

「 無 」は人間が経験しないブラックホールの中であり、私は信じません。

いろいろ書きましたが、「 エーテル 」を除外した相対論と量子力学は統合が不可能であることと、「 エーテル 」を考えない「 宗教 」は、「 人倫の道 」を示すべきであって、「 神 」とは「 全く 」無関係というか、「 神を含んだ宗教は間違いである 」と私は、考えます。


2013/10/13、私の考え



これは、フィクションです。


これまでの帰結として、「 エーテル 」が物理でも宗教でも必要であるのに、これまでの哲学者は全く考えていなかったと思います。

物理でも、宗教でも、「 不必要だから考えない 」という態度は、宇宙から見たとき、あまりのも人間中心的であると思います。

それは、都合の良いことだけを考えることであり、「 真理 」からは遠く隔てた人間の頭だけの宇宙であると考えます。

こんなことは、「 ドンキホーテ 」の仕事であると思います。

私は「 ドンキホーテ 」として、「 エーテル 」とは何かを考えることにします。

二次元に住む住人は三次元を理解することができないのと同じように、四次元の住人である人間は、それ以上の次元は理解することが出来ないかも知れません。

私は「 次元 」というのが理解していないが、四次元の次元とは、参考に挙げた「 結界 」が四つあると考えています。

参考のように、物理で、「 エーテル 」を否定することは、物理哲学の事で、「 エーテル 」を実在するという考えも否定されていないと考えます。


「 実有 」の気(ki)を「 実体化 」するのが情(zyou)です。

学問である情(zyou)で気(ki)を否定しても、実有である気(ki)は消滅しません。

私の考えでは、気(ki)と情(zyou)は、宇宙と人間の思考で、互いに侵入できない領域だと思います。

この領域は「 神 」と「 人間 」の領域であり、「 エーテル 」と「 大気 」であり、気(ki)と情(zyou)であり、領域が「 界 」であり、以前に書いた「 膜 」であると思います。

「 膜 」の境が「 結界 」であり、それは人間から見た「 境 」であり、「 次元 」と同じように考えます。

神社の「 鳥居 」がこの世と神の領域を隔てる「 境 」であれば、その「 鳥居 」を発見することが「 次元 」を考えることだと思いますが、私の頭では発見することは不可能です。

ただ、領域が違うということで満足していますが、私はこの「 結界 」や「 鳥居 」が不明であるのは、「 エーテルがエネルギーの領域でエネルギーはエーテルの中で伝達される 」と考えています。

宇宙空間にはエネルギーが満ちているし、地球上はエネルギーの集合であり、「 エネルギーを神と考える 」と、「 八百万の神 」が宇宙に実有すると考えます。

エネルギーの通る通路が「 エーテル 」であり、人間の胎内と宇宙を連続させ、「 結界 」や「 鳥居 」が不明であると思います。

この「 鳥居 」に該当するのが、私が以前に書いた「 気(ki)と情(zyou)を分ける特徴である 」と考えます。





結界
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E7%95%8C

結界(けっかい、Skt:Siimaabandha)とは、聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ること。本来は仏教用語であるが、古神道や神道における神社なども、同様の概念があることから、言葉として用いられている。大和言葉では端境(はざかい)やたんに境ともいう。

鳥居
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

鳥居(とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。



エーテル(物理)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB_(%E7%89%A9%E7%90%86)

エーテル (aether, ether, luminiferous aether) は、主に19世紀までの物理学で、光が伝播するために必要だと思われた媒質を表す術語である。現代では特殊相対性理論などの理論がエーテルの概念を用いずに確立されており、エーテルは廃れた物理学理論の一部であると考えられている。

アインシュタインは、より根本的な原理から「長さ」や「時間」といった性質を導出できるはずであると考えた。そして、ローレンツ変換をマクスウェルの方程式から切り離し、時空間の性質を表す基本的な法則であると仮定した。また、アインシュタインは「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在せず、従って「エーテルに対する相対運動」を考えることは無意味となる[6]。

アインシュタインが相対性原理を最も根本的な原理として考えたのに対し、特殊相対性理論の基礎を造ったローレンツは相対性原理の根本がエーテルであると考え、「長さの収縮」や「時間の遅れ」に表されるように、物体の特性はエーテル中の運動により変化すると考えた。アインシュタインとの違いは、長さや時間について絶対的な基準を設けることを可能と考えるか否かである。これは物理哲学の問題であるため、決着はついていない。従って、エーテルの実在性は完全には否定されていないと言える。

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2013年10月11日

2013/10/11、オカルト・エーテルと神仏32・私の神仏考11、帰結2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。




2013/10/6、私の記事


これは、フィクションです


このように、「 エーテル 」を無視した(あるいは棚上げした)相対論と、相対論を無視し「 エーテル 」を無視する量子論が宇宙を支配する理論ではないことは明瞭です。


宇宙は何一つ除外せず、「 エーテル 」が中心の連続した広がりであることは明白で、宇宙には「 エーテル 」が実有するのも事実だと思います。

相対論と量子論を統合することが出来たとしても(私はエーテルを除外する限り統合することは出来ないと思います)、ブラックホールなどの事実は解明されないと思います。

私は、「膜 」という考えに興味があります。

光が重力により曲げられるのもエネルギーが通過する「 膜 」が重力により変形していると考えるのが妥当と考えるからです。

それを拡大して、「 膜 」の相違が「 次元 」の相違だと考えます。

気(ki)と情(zyou)が、互いに排斥するのは「 膜 」の違いだと考えます。

エーテルと大気、エネルギーと質量、「 愛 」と「 愛情 」などは「 膜 」が相違するのであり、実有が実体と認識される「 次元 」が「 膜 」であると考えます。

E=MC2はEとMが実体になる「次元 」すなわち「 膜 」が、C2というエネルギーで連結していることを示し、両者を四次元で観察することは出来ないと思います。

宇宙は四次元以上の次元で構成され、我々が四次元だと思うことは、間違った考えであり、人間の恣意的な考えであるかも知れない。

とにかく、「 エーテル 」を解明しないで、相対論と量子論は統合しないというのが、私の考えです

2013/10/11、私の考え

これは、フィクションです。


私は、この「 膜 」が「 エーテル 」で、重力もすべてのエネルギーは、この「 膜 」の中を通して伝達すると考えます。

「 神様はサイコロをふらない 」ことは当然で、プランクの定数やすべての物理の数値は「 エーテルを無視して計算されたもの 」であり、これらが宇宙の真理であるとは考えません。

エネルギーがエーテルの中で伝達することなど考えず、地球上で計測したのが飛び飛びの数値のプランクの定数であり、宇宙空間で計測された場合は相違するかもしれません。

空気とエーテルを分離することが出来ないのは、エーテルがエネルギーを通す「 膜 」であるかもしれません。

人体を考えても、太陽エネルギーは「 空気 」ではなく「 エーテル 」を通して人体の伝達され、人間の知覚や感受性は無意識ですが「 膜 」を通過するから「 連続 」であり、意識は無意識から生じると考えると、エーテルという「 膜 」を通して「 エネルギー 」を摂取し、外部に発散するのが「 意識 」であり、それは「 太陽光から意識が生じる 」ことだと考えます。

気(ki)であるエネルギーはエーテルという「 膜 」を通して人体に届き、同じ気(ki)である無意識がエネルギーを感受し、「 力 」として発揮するとき「 意識 」であると考えます。

人は皆、エーテルという「 膜 」の中で無意識にエネルギーを摂取し、意識的に発散させるので、人体そのものが「 神の仕業 」であることになります。

自殺する人も、ジハードする人も「 神の仕業 」であり、その行動を支配する情(zyou)が「 自殺 」させ「 ジハード 」させるのだと考えます。

情(zyou)は文化的であり、政治的であり、遺伝子情報の結果だろうと考えます。

この情(zyou)の典型が「 宗教 」だと考えます。

これまで、宗教も「 エーテル 」のことを考えていませんが、私にとって、この「 エーテル 」こそが「 信仰 」には必須のものなのです。

以前に書きましたが「 私が死んだら星になる 」と「 私はお前たちのそばにいる 」とか「 神はそばにいる 」とか「 二人同行 」ということが同時に成立するためには、「 エーテル 」が必要です。

「 エーテル 」に乗って何万里も離れた星や西方浄土からもあなたのそばでも、あなたの「 意識次第 」で存在(意識)になりますということです。

今という時間意識の中で「 永遠 」なのは「 エーテル 」であるからです。

「 無 」は人間が経験しないブラックホールの中であり、私は信じません。

いろいろ書きましたが、「 エーテル 」を除外した相対論と量子力学は統合が不可能であることと、「 エーテル 」を考えない「 宗教 」は、「 人倫の道 」を示すべきであって、「 神 」とは「 全く 」無関係というか、「 神を含んだ宗教は間違いである 」と私は、考えます。
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2013年10月06日

2013/10/6、オカルト・エーテルと神仏31・私の神仏考10・エーテル2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2013/9/28、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

これは、すべて、フィクションです。




私は物理を知らないが、相対論と量子論が、以上であるならば、両者を統合する理論の中に「 エーテル 」の概念が必要だと思います。

今まで「 無視 」してきたエーテルを考えることが、統合するのに必要でしょう。

私は、M理論の「 膜 」という考えに関心があります。

質量が大きい惑星の周囲の空間がゆがむのは、空間は「 膜 」であり、ブラックホールは、電磁波を含んだ「 膜 」全体を、大きな質量で吸い込んでいるから、空間もゆがむのだと思います。

「 膜 」はエーテルであり、エネルギーが移動すると考えます。

「 膜 」はどこに行っても人間には四次元であり、エネルギーが四次元の特徴である「 衝突 」による「 仕事量 」で表現することが出来るように思うかも知れませんが、実は四次元に交差する「 膜 」の上で「 エネルギー」が移動しているのであり、「 エネルギー 」は四次元では「 現象 」として現れたものだと思います。

交差する「 膜 」が、M理論の2次元の膜(メンブレーン)や5次元の膜だと思います。

四次元は「 切り口 」であり、不連続であり、四次元に交差し連続させるのが「 膜 」である「 エーテル 」と考えます。

「 エーテル 」は相対論も量子論も包摂する「 エネルギー 」の次元だと思います。

エネルギーの次元と四次元を合わせてM理論の次元になるかも知れません。

人間の認識は四次元であり、宇宙の構造からみれば、エネルギーの次元を含めてM理論の次元になるかも知れません。

四次元で「 無 」であり、実体では「 無 」であるが、「 実有 」であるのは、四次元に交差し、四次元を包摂する次元の「 膜 」の状態の空間が「 エーテル 」というエネルギーに満ちた「 実有 」であるかも知れません。

四次元の特徴である「 衝突 」でしかエネルギーを測定することが出来ないのは、「 マク 」が四次元と交差し、エネルギーが現象として現れるからであると思います。

相対論と量子論の統合が不能なのは、エーテルを考えていないことが原因であり、現代物理学はエーテルの解明をする使命があると思います。


2013/10/6、私の考え


これは、フィクションです


このように、「 エーテル 」を無視した(あるいは棚上げした)相対論と、相対論を無視し「 エーテル 」を無視する量子論が宇宙を支配する理論ではないことは明瞭です。


宇宙は何一つ除外せず、「 エーテル 」が中心の連続した広がりであることは明白で、宇宙には「 エーテル 」が実有するのも事実だと思います。

相対論と量子論を統合することが出来たとしても(私はエーテルを除外する限り統合することは出来ないと思います)、ブラックホールなどの事実は解明されないと思います。

私は、「膜 」という考えに興味があります。

光が重力により曲げられるのもエネルギーが通過する「 膜 」が重力により変形していると考えるのが妥当と考えるからです。

それを拡大して、「 膜 」の相違が「 次元 」の相違だと考えます。

気(ki)と情(zyou)が、互いに排斥するのは「 膜 」の違いだと考えます。

エーテルと大気、エネルギーと質量、「 愛 」と「 愛情 」などは「 膜 」が相違するのであり、実有が実体と認識される「 次元 」が「 膜 」であると考えます。

E=MC2はEとMが実体になる「次元 」すなわち「 膜 」が、C2というエネルギーで連結していることを示し、両者を四次元で観察することは出来ないと思います。

宇宙は四次元以上の次元で構成され、我々が四次元だと思うことは、間違った考えであり、人間の恣意的な考えであるかも知れない。

とにかく、「 エーテル 」を解明しないで、相対論と量子論は統合しないというのが、私の考えです。
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