2013年11月24日

2013/11/24、オカルト・エーテル考 7・実有

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/10/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



エーテルが「「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在 」しなく、宇宙がエネルギーに満ちているならば、「 神が位置とは無関係に実有する 」ことが真理であり、人間の意識は、「 七色の虹 」あるいは、「 幻(maborosi)」のようなもので、宇宙のすべての物理法則自体が「 神を写した情報 」であり「 特殊 」な「 神の愛 」の産物であると考えます。



2013/11/17、私の記事


これは、私だけの考えであり、フィクションです。



以上のように、暗黒物質という「 魔法のランプ 」から出た「 魔神 」がエーテルであり、エネルギーである「 神 」であるならば、地球上の私たち人類も、この構造と矛盾しない構造を持っていると考えます。

その「 魔法のランプ 」は、「 人体 」であり、時間意識や空間意識や、様々の思想やすべての「 文化 」が「 魔法のランプ 」から出た情(zyou)であると考えます。

暗黒物質という「 魔法のランプ 」から出た「 魔神 」が気(ki)であり、人体という「 魔法のランプ 」からでた「 文化 」が情(zyou)であり、気(ki)が情(zyou)に作用することはあっても、情(zyou)により気(ki)が消滅するのではない構造だと考えます。

情(zyou)は、気(ki)を「 実体化 」、あるいは「 認識可能にする 」無意識であると考えます。

遺伝子情報が「 魔法のランプ 」であり、それに対して気(ki)が作用したとき、すなわち「 アラジンがランプを擦ったとき 」現れるのは、「 意識 」であり、時間という時間意識や空間という空間意識であると思います。

気(ki)はエネルギーで「 神 」であり、暗黒物質という「 魔法のランプ 」から出た「 魔神 」で、宇宙のすべての物質に浸透するためにエーテルを必要とするが、人間の頭脳が持つ「 魔法のランプ 」から生み出される、精神という情(zyou)は「 エーテル 」を必要としないので、「 エーテル 」を認識することが出来ないと思います。

宇宙のすべてを生み出す、暗黒物質という「 魔法のランプ 」(ビッグ・バンはこの「 魔法のランプ 」の出口かも知れません)は、必ず「 エーテル 」を必要とし、伝達されるのは「 エネルギー(E) 」であり、気(ki)であり、ある条件で「 物質(M) 」になるのかも知れません(E=MC2)。

人間の頭脳という「 物質(M )」の「 魔法のランプ 」から生み出される「 精神 」という情(zyou)は、「 エネルギー 」を伝達せず、「 エーテル 」を必要としないので「 エーテル 」を認識することが出来ず、「 エネルギー 」が「 力(chikara) 」に実体化したとき、「 仕事量 」という範疇で認識し、「 力学 」を生むと思います。

神、言い換えると「 エネルギー 」を「 精神 」で把握したとき、エネルギーは「 力(chikara)」であり、「 仕事量 」で、物理学の「 力学 」は人類のためにエネルギーを利用する方法であると考え、意識による「 神の把握 」であるから、それを拒む気(ki)である「 神 」と対立すると考えます。

宇宙を成立させている暗黒物質の「 魔法のランプ 」が、エーテルを必要とする「 実有 」であることと、頭脳の「 魔法のランプ 」が生み出す精神的に、宇宙を成立させているという「 意識 」、が作る、エーテルを必要としないが「 実体化が必要な虚である宇宙 」と混同してはいけないと思います。

後者の「 意識 」は、情(zyou)であり、エーテルを必要としないが、実体化を必要とするので不連続の「 虚の宇宙 」であり、前者は、連続する「 実有の宇宙 」であり、後者の中で前者は、エーテルを起因とする「 実体化されない不安 」「 虚数 」として現れると思います。

この二重の構造により、情(zyou)で、思想として「 神 」を信仰しても否定しても、気(ki)であるエネルギーとしての「 神 」は存在し、自殺する人体を動作させるから、「 神がいないから自殺 」しても「 神 」は存在するのであり、「 神の名のもとの処刑 」など精神的な「 神 」を理由にしての殺人は人体を動作させるエネルギーである「 神 」を否定することであり、殺人は許さないと考えます。

人体という「 魔法のランプ 」から出る情(zyou)が暗黒物質という「 魔法のランプ 」から出た「 魔神 」を認識するのは自然現象のエネルギーを「 科学 」で解明することであり、「 力学 」を考えることであり、「 科学 」が「 魔神 」に対抗するのであり、「 宗教 」ではないことは前述しました。

「 宗教 」は気(ki)である「 神 」と対立するのではなく、気(ki)が情(zyou)の中で現れる「 無明 」や「 不安 」を克服し、「 人格の完成 」に向かう思想であると思います。

気(ki)が擦った「 魔法のランプ 」からの噴出物である「 不安 」を「 人格の完成 」に向かわせるのが宗教であり、「 魔法のランプ 」を擦る方法(統治方法など政治的思想を教育すること)、「 不安 」を利用して人を操作する方法を教えることは政治であり、「 宗教 」ではないと思います。

統治方法の宗教は、本来の目的ではなく、禁止すべきで、古代の日本人が、仏教を「 統治方法 」として利用したのは誤りであり、孔子思想や儒教(武士道)などの統治方法と、日本古来の「 八百万の神 」を敬う「 神道 」と混同しなかったのは正しいと考えます。

孔子思想や儒教は情(zyou)であり、政治的であり、気(ki)である自然エネルギーを敬う「 神道 」は、皇室だけの思想ではなく、日本人全体の思想であると考えます。

このような、自然エネルギーを敬う思想を持ちながら、再生自然エネルギー開発をしないで、原子力エネルギーに固執し、国内どころか海外にも輸出しようとする、自民党の思想は、日本人として「 正しい道 」ではないと考えます。


2013/11/24、私の考え




これは、フィクションです。


このように、宇宙を成立させている暗黒物質の「 魔法のランプ 」が、エーテルを必要とする「 実有 」の世界であり、、頭脳の「 魔法のランプ 」がエーテルを必要としない精神的な虚像の世界であり、前者が「 外なる世界 」で、後者が「 内なる世界 」である「 自我 」であると、以前、書きました。

後者の理論である、量子力学と相対論を組み合わせて宇宙を考える人もいますが、私は、エーテルを「 内なる世界 」を考慮しない考えは、間違いであると思います。

このことは、物理学だけでなく、哲学や宗教学も、同様であると考えます。

「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。


私は、「 エネルギー 」が伝達する空間を「 エーテル 」とし、これが「 永遠 」で「 不変 」であると考えます。

「 エネルギー 」が一定の条件で物質になり(E=MC2)、その物質により判断する「 内なる世界 」は相対的であり、「 諸行無常 」であり「 万物は流転する 」のであり、「 永遠 」や「 不変 」であるのは「 内なる世界 」には構造として存在しない「 エーテル 」であると考えます。

「 存在(意識)しないもの 」を「 存在(意識)する 」と考えることが「 不変 」や「 永遠 」を考えることだと思いますが、存在(意識)を変化させるので、「 相対的 」を「 絶対的 」にすることで、「 自我を否定 」することで、社会的には「 狂気 」という評価を得るかも知れませんが、これが「 永遠 」を求めることであり、「 神 」を信じることだと思います。

「 神 」を信じるためには「 エーテル 」を考えることが必須だと考えます。

「 エーテル 」という気(ki)が「 実有 」であり、「 諸行無常 」という情(zyou)は「 エネルギー 」と「 物質 」が流動的であることで、気(ki)を原因とする「 現象 」であり「 相対的 」な存在意識であると思います。

「 実有 」は存在意識という情(zyou)を含む気(ki)であり、あらゆる現象を包摂する空間で、人間の情(zyou)では、「 時間 」や「 速度 」では想定不能の「 空間 」だと思います。

「 空間 」として考える限り情(zyou)であり、測定不能の「 場 」であると考えます。

真空でも、地上のリンゴが落ちるとき、「 重力 」というエネルギーは測定可能だが、「 エネルギーが働く場 」は意識で測定不能であるが「 実有 」するように、「 エーテル 」は意識とは無関係に「 実有 」するのだと思います。

そのことが、「 宗教的 」には「 不安 」と「 可能性 」になると思います。

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2013年11月17日

2013/11/17、オカルト・エーテル考 6・魔法のランプ

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/10/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



エーテルが「「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在 」しなく、宇宙がエネルギーに満ちているならば、「 神が位置とは無関係に実有する 」ことが真理であり、人間の意識は、「 七色の虹 」あるいは、「 幻(maborosi)」のようなもので、宇宙のすべての物理法則自体が「 神を写した情報 」であり「 特殊 」な「 神の愛 」の産物であると考えます。



2013/11/10、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


課題は「 エーテル 」ですが、重力や電磁波などのエネルギーをすべて容認する空間であり、「 万有引力 」の重力を含む、連続し、実有である空間であると思います。

「 次元 」などは、情(zyou)であり、神の愛の下での考えであり、私が考える「 エーテル 」は、「 アラジンの魔法のランプ 」の「 魔神 」のように、「 魔法のランプ 」の暗黒物質から「 膨張 」したり「 収縮 」する「 膜 」のようなものだと想像します。

「 魔神 」の「 力 」がエネルギーであり、「 神 」であり、「 魔神 」の「 身体 」が「 エーテル 」であり、「 宇宙 」だと想像します。

「 魔神 」ですから、情(zyou)で定義される「 連続や不連続 」を含み、すべての「 神 」であるエネルギーも含む暗黒物質であり、ブラックホールも含んだ「 神を生む物質 」であるかも知れません。

測定不能の空間があり、測定不能の暗黒物質もあり、これらが調和した「 宇宙 」の解明が必要だと思います。

私の考えは、現時点では、以上のような「 アラジンの魔法のランプ 」の構造が宇宙論であるということになります。



2013/11/17、私の考え




これは、私だけの考えであり、フィクションです。



以上のように、暗黒物質という「 魔法のランプ 」から出た「 魔神 」がエーテルであり、エネルギーである「 神 」であるならば、地球上の私たち人類も、この構造と矛盾しない構造を持っていると考えます。

その「 魔法のランプ 」は、「 人体 」であり、時間意識や空間意識や、様々の思想やすべての「 文化 」が「 魔法のランプ 」から出た情(zyou)であると考えます。

暗黒物質という「 魔法のランプ 」から出た「 魔神 」が気(ki)であり、人体という「 魔法のランプ 」からでた「 文化 」が情(zyou)であり、気(ki)が情(zyou)に作用することはあっても、情(zyou)により気(ki)が消滅するのではない構造だと考えます。

情(zyou)は、気(ki)を「 実体化 」、あるいは「 認識可能にする 」無意識であると考えます。

遺伝子情報が「 魔法のランプ 」であり、それに対して気(ki)が作用したとき、すなわち「 アラジンがランプを擦ったとき 」現れるのは、「 意識 」であり、時間という時間意識や空間という空間意識であると思います。

気(ki)はエネルギーで「 神 」であり、暗黒物質という「 魔法のランプ 」から出た「 魔神 」で、宇宙のすべての物質に浸透するためにエーテルを必要とするが、人間の頭脳が持つ「 魔法のランプ 」から生み出される、精神という情(zyou)は「 エーテル 」を必要としないので、「 エーテル 」を認識することが出来ないと思います。

宇宙のすべてを生み出す、暗黒物質という「 魔法のランプ 」(ビッグ・バンはこの「 魔法のランプ 」の出口かも知れません)は、必ず「 エーテル 」を必要とし、伝達されるのは「 エネルギー(E) 」であり、気(ki)であり、ある条件で「 物質(M) 」になるのかも知れません(E=MC2)。

人間の頭脳という「 物質(M )」の「 魔法のランプ 」から生み出される「 精神 」という情(zyou)は、「 エネルギー 」を伝達せず、「 エーテル 」を必要としないので「 エーテル 」を認識することが出来ず、「 エネルギー 」が「 力(chikara) 」に実体化したとき、「 仕事量 」という範疇で認識し、「 力学 」を生むと思います。

神、言い換えると「 エネルギー 」を「 精神 」で把握したとき、エネルギーは「 力(chikara)」であり、「 仕事量 」で、物理学の「 力学 」は人類のためにエネルギーを利用する方法であると考え、意識による「 神の把握 」であるから、それを拒む気(ki)である「 神 」と対立すると考えます。

宇宙を成立させている暗黒物質の「 魔法のランプ 」が、エーテルを必要とする「 実有 」であることと、頭脳の「 魔法のランプ 」が生み出す精神的に、宇宙を成立させているという「 意識 」、が作る、エーテルを必要としないが「 実体化が必要な虚である宇宙 」と混同してはいけないと思います。

後者の「 意識 」は、情(zyou)であり、エーテルを必要としないが、実体化を必要とするので不連続の「 虚の宇宙 」であり、前者は、連続する「 実有の宇宙 」であり、後者の中で前者は、エーテルを起因とする「 実体化されない不安 」「 虚数 」として現れると思います。

この二重の構造により、情(zyou)で、思想として「 神 」を信仰しても否定しても、気(ki)であるエネルギーとしての「 神 」は存在し、自殺する人体を動作させるから、「 神がいないから自殺 」しても「 神 」は存在するのであり、「 神の名のもとの処刑 」など精神的な「 神 」を理由にしての殺人は人体を動作させるエネルギーである「 神 」を否定することであり、殺人は許さないと考えます。

人体という「 魔法のランプ 」から出る情(zyou)が暗黒物質という「 魔法のランプ 」から出た「 魔神 」を認識するのは自然現象のエネルギーを「 科学 」で解明することであり、「 力学 」を考えることであり、「 科学 」が「 魔神 」に対抗するのであり、「 宗教 」ではないことは前述しました。

「 宗教 」は気(ki)である「 神 」と対立するのではなく、気(ki)が情(zyou)の中で現れる「 無明 」や「 不安 」を克服し、「 人格の完成 」に向かう思想であると思います。

気(ki)が擦った「 魔法のランプ 」からの噴出物である「 不安 」を「 人格の完成 」に向かわせるのが宗教であり、「 魔法のランプ 」を擦る方法(統治方法など政治的思想を教育すること)、「 不安 」を利用して人を操作する方法を教えることは政治であり、「 宗教 」ではないと思います。

統治方法の宗教は、本来の目的ではなく、禁止すべきで、古代の日本人が、仏教を「 統治方法 」として利用したのは誤りであり、孔子思想や儒教(武士道)などの統治方法と、日本古来の「 八百万の神 」を敬う「 神道 」と混同しなかったのは正しいと考えます。

孔子思想や儒教は情(zyou)であり、政治的であり、気(ki)である自然エネルギーを敬う「 神道 」は、皇室だけの思想ではなく、日本人全体の思想であると考えます。

このような、自然エネルギーを敬う思想を持ちながら、再生自然エネルギー開発をしないで、原子力エネルギーに固執し、国内どころか海外にも輸出しようとする、自民党の思想は、日本人として「 正しい道 」ではないと考えます。

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2013年11月10日

2013/11/10、オカルト・エーテル考 5

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/10/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



以上は、私の立場です。

一般性相対論で現される空間で、エネルギーが通過することが、宇宙の仕組みであり、エーテルの中でエネルギーが伝達され、それを「 可視化 」したり「 数式 」で法則として表現することが、「 特殊性 」であり、「 一般性相対論 」も数式で表現される限り、「 特殊性 」であると考えます。

意識で「 実体化 」することが「 特殊性 」であり、情(zyou)である限り「 特殊性 」であり、実体化が不可能な物が、気(ki)であり、エーテルであると考えます。

気(ki)であるエーテルは「 法身(hostusin)」であり、情(zyou)は「 報身(housin)」であることに符合すると思います。

「 神 」はエネルギーであり、情(zyou)で説明する範囲は(宗教では)「 実体化 」することが不可能であると思います。

数式として「 実体化 」するのは、「 無意識 」も含む「 遺伝子情報 」であり情(zyou)であり、「 実体化 」されないのが気(ki)であり、エネルギーやエーテルであると思います。

エーテルが「「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在 」しなく、宇宙がエネルギーに満ちているならば、「 神が位置とは無関係に実有する 」ことが真理であり、人間の意識は、「 七色の虹 」あるいは、「 幻(maborosi)」のようなもので、宇宙のすべての物理法則自体が「 神を写した情報 」であり「 特殊 」な「 神の愛 」の産物であると考えます。


2013/10/27、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上のように、気(ki)である「 エーテル 」や「 エネルギー 」と情(zyou)である「 大気 」や「 次元 」や「 マク 」とは違うと考えます。


「 次元 」や「 マク 」というのは、「 実体化 」する情(zyou)の一種だと思います。

「 エーテル 」や「 エネルギー 」に位置が無いとは、精神では把握が不能であることで、それらはすべての所、宇宙のすべてに「 エーテル 」が「 実有 」することであり、エーテルを通過する「 重力 」や「 引力 」が宇宙のすべてに「 実有 」し、それが情(zyou)や次元の認識(実体化)を成立させていると考えます。


2013/11/10、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


課題は「 エーテル 」ですが、重力や電磁波などのエネルギーをすべて容認する空間であり、「 万有引力 」の重力を含む、連続し、実有である空間であると思います。

「 次元 」などは、情(zyou)であり、神の愛の下での考えであり、私が考える「 エーテル 」は、「 アラジンの魔法のランプ 」の「 魔神 」のように、「 魔法のランプ 」の暗黒物質から「 膨張 」したり「 収縮 」する「 膜 」のようなものだと想像します。

「 魔神 」の「 力 」がエネルギーであり、「 神 」であり、「 魔神 」の「 身体 」が「 エーテル 」であり、「 宇宙 」だと想像します。

「 魔神 」ですから、情(zyou)で定義される「 連続や不連続 」を含み、すべての「 神 」であるエネルギーも含む暗黒物質であり、ブラックホールも含んだ「 神を生む物質 」であるかも知れません。

測定不能の空間があり、測定不能の暗黒物質もあり、これらが調和した「 宇宙 」の解明が必要だと思います。

私の考えは、現時点では、以上のような「 アラジンの魔法のランプ 」の構造が宇宙論であるということになります。

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2013年11月03日

2013/11/3、オカルト・エーテル考 4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/10/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



以上は、私の立場です。

一般性相対論で現される空間で、エネルギーが通過することが、宇宙の仕組みであり、エーテルの中でエネルギーが伝達され、それを「 可視化 」したり「 数式 」で法則として表現することが、「 特殊性 」であり、「 一般性相対論 」も数式で表現される限り、「 特殊性 」であると考えます。

意識で「 実体化 」することが「 特殊性 」であり、情(zyou)である限り「 特殊性 」であり、実体化が不可能な物が、気(ki)であり、エーテルであると考えます。

気(ki)であるエーテルは「 法身(hostusin)」であり、情(zyou)は「 報身(housin)」であることに符合すると思います。

「 神 」はエネルギーであり、情(zyou)で説明する範囲は(宗教では)「 実体化 」することが不可能であると思います。

数式として「 実体化 」するのは、「 無意識 」も含む「 遺伝子情報 」であり情(zyou)であり、「 実体化 」されないのが気(ki)であり、エネルギーやエーテルであると思います。

エーテルが「「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在 」しなく、宇宙がエネルギーに満ちているならば、「 神が位置とは無関係に実有する 」ことが真理であり、人間の意識は、「 七色の虹 」あるいは、「 幻(maborosi)」のようなもので、宇宙のすべての物理法則自体が「 神を写した情報 」であり「 特殊 」な「 神の愛 」の産物であると考えます。

物理法則が展開される舞台、「 次元 」がエーテルであり、力学の「 力 」が神だと思います。

「 速さ 」を考えますと、距離を時間で除しますが、この「 距離 」や「 時間 」自体が意識であり、「 速さ 」そのものは、不明です。

新幹線に乗っているときも、飛行機に乗っているときも、「 速度 」は「 時速 」と言っても「 不明 」です。

速度などのエネルギーは、四次元では把握できないのだと思います。

これは、「 速度 」や「 運動量 」と「 位置 」は「 次元 」が違うのだと考えています。



2013/10/27、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上のように、気(ki)である「 エーテル 」や「 エネルギー 」と情(zyou)である「 大気 」や「 次元 」や「 マク 」とは違うと考えます。


「 次元 」や「 マク 」というのは、「 実体化 」する情(zyou)の一種だと思います。

「 エーテル 」や「 エネルギー 」に位置が無いとは、精神では把握が不能であることで、それらはすべての所、宇宙のすべてに「 エーテル 」が「 実有 」することであり、エーテルを通過する「 重力 」や「 引力 」が宇宙のすべてに「 実有 」し、それが情(zyou)や次元の認識(実体化)を成立させていると考えます。

将来、地球が消滅した場合、情(zyou)が消滅しても、気(ki)は残ると考えます。

人間が滅んでも、太陽系などの惑星の軌道も原子核の陽子などの軌道を形成するエネルギーは残るだろうし、エネルギー(神)に変化は無いかも知れない。


2013/11/3、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



以上より、全宇宙に共通する、「 エネルギー 」を通過させる「 膜 」である「 エーテル 」があり、これが「 膨張 」するから宇宙は膨張し、そしてブラックホールの中に消えてゆき、その一方、地球に存在する大気の「マク」があり、「 エネルギー 」が大気を通過して、地球上に生命を育てていると思います。

私に立場では、「 エネルギー 」が「 神 」であり、人体の中では気(ki)になり、電磁波であり、これが時間意識と空間意識を生むと考え、この気(ki)は生物すべてが保持し、社会的には「 生気論 」として表現されると考えます。

「 時間 」や「 空間 」が意識であることは、一般性相対論の結論から考えました。

気(ki)であるエネルギーが伝わるのは、エーテルの中であり、「 次元 」というのは気(ki)を実体化する情(zyou)である認識の形式だと思います。

「 光 」が最速であるとは、「 光 」は「 電磁波 」ですが、「 電磁波 」というエネルギーが「 実体化 」したのが「 光 」であり、人間が認識し実体化するエネルギーのなかで最速だということだと思います。

エーテルの中で、人間が実体化し認識する最速が「 光 」というだけで、もし「 認識方法 」が変われば光に替わる「 最速のエネルギー 」が発見されるかも知れません。


「 最速 」と言いましたが、「 速さ 」がエネルギーであり、前述したように、四次元では「 時間 」や「 距離 」などの「 意識 」を使用しなければ「 実体化 」あるいは「 認識 」することが出来なく、この「 速さ 」は観念であり、「 大小 」の観念と同じく相対的で、実体は無いと考えます。

「 速さ 」は方向性が無い点でも、エネルギーであると思います。

ジェットコースターやレーシングカーのように、速度がある乗り物の上で「 不安 」なのは、エネルギーに方向性が無く、意識による操縦が必要であるのは、「 速度 」がエネルギーであることを示しています。

ここで、私は「 エネルギー 」と「 不安 」を結びつけます。

大気汚染の空気を吸って「 不安 」であるのは、汚染された空気が生存を短縮する「 不安 」です。

「 空気 」にたいする「 不安 」でなく、汚染された空気が運ぶエネルギーの健康に対する影響が「 不安 」であり、「 大気汚染 」や「 放射能汚染 」でも同じだと思います。

「 エーテル 」の中の「 エネルギー 」に対する「 不安 」であり、「 不安 」は気(ki)であるエネルギーを認識する、あるいは実体化する人間の「 力 」であると思います。

この「 力 」は「 仕事量 」で表現され、エネルギーと共通し、人体の外部からエネルギーを授受すると考えます。

高所恐怖症も人体に対する高い所が持つエネルギーへの「 不安 」であり、「 速度 」に対する「 不安 」と似ていると思います。

「 エーテル 」と「 エネルギー 」と「 人間の身体 」や「 自我 」は「 不安 」を介在させて連結し、それは「 神 」に対する「 恐れ 」であり、その結果、「 神 」を敬うことになると考えます。

近代では、「 科学 」により「 神 」が否定され、「 不安 」が無い社会になったと考えがちですが、それはガリレオが心拍数を振り子に変えたように、人間が本来持つ「 不安 」という人間の本来の「 能力 」を科学で間違った方向に進んでいることであり、「 科学の進歩は不安を解消しない、あるいは安心に至らない 」ことは、福島の原発事故を見ても正しいと思います。

私は「 エネルギー」を「 神 」と思いますが、「 エーテル 」はそのエネルギーを通過させる「 膜 」であり、「 エネルギー 」や「 神 」を信じることは、「 不安 」だから信じるのですが、「 不安 」は自分の身体に対する「 不安 」であり、自分が作り出したエネルギーや「 力 」であり、「 自我 」は自分が所有しない「 神 」であるエネルギーの一部であると考えたとき、「 自我 」に対する「 不安 」は解消し、「 神 」を包摂した「 エーテル 」となると考えています。

「 物 」という「 不連続 」が解消して、「 エーテルの中のエネルギー 」という「 連続 」になると考えます。

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