2013年12月31日

2013/12/31、オカルト・エーテル考11・無(mu)と気(ki)

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/10/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



エーテルが「「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在 」しなく、宇宙がエネルギーに満ちているならば、「 神が位置とは無関係に実有する 」ことが真理であり、人間の意識は、「 七色の虹 」あるいは、「 幻(maborosi)」のようなもので、宇宙のすべての物理法則自体が「 神を写した情報 」であり「 特殊 」な「 神の愛 」の産物であると考えます。






2013/12/29、私の記事

これは、フィクションです。


このように、「 エーテル 」を「 実有 」と考え、昔の人々はこれをどのように考えていたのかを考えます。

私は、仏教しか馴染みはありませんが、昔から「 無(mu) 」という言葉で表されているのが「 エーテル 」であり「 実有 」に該当すると思います。

人類は「 有 」や「 無(mu) 」が何であるかを知ることは出来ないと思います。

もし、知ることが可能なら、エーテルも特異点も暗黒物質も容易に判明するでしょう。

「 有無 」の「 無(mu) 」は「 存在しない 」と考えるのが普通かもしれませんが、「 有 」すなわち「 存在 」を「 存在意識 」と考えると、「 無(mu) 」は「 意識 」ではなく、従って「 意識 」では定義することが出来ないと思います。

「 物体 」が無くても、「 エーテル 」は「 実有 」し、しかもすべての物体を許容し、実在界で「 縁起 」を生む下記の「 四諦 」も包摂し、在りとあらゆるものを矛盾なく包摂します。

その「 無(mu) 」こそ「 実有 」であり、情(zyou)により具現化したのが「 エーテル 」であると考えます。

「 無(mu) 」は「 無限(mugen) 」に使う「 無(mu) 」であり、「 無常(muzyou) 」で使う「 無(mu) 」です。

「 無意識(muisiki) 」にも「 無(mu) 」を使いますが、これは「 意識でないもの 」であり、「 派生する 」意識ではなくて、「 流れる 」エネルギーの領域であり、「 意識 」と「 エーテル 」をつなぐものと考えます。

「 無限(mugen) 」についてですが、無限大は宇宙ですし、無限小の物体は素粒子ですし、素粒子が「 超弦理論 」において「 弦(gen) 」であれば、素粒子を包摂する「 エーテル 」も最大の「 弦(gen) 」として宇宙を満たしているかも知れません。

宇宙は単一の法則が貫通していると考えるからです。

宇宙を満たしている「 エーテル 」が「 実有 」する「 無(mu) 」であり、「 弦(gen) 」で、エネルギーも「 弦(gen) 」であるかも知れず、宇宙の膨張も「 弦(gen) 」の広がりであり、すべてが「 弦(gen) 」として「 連続 」しているかも知れません。

このように、「 エーテル 」を「 弦(gen) 」と考えたとき、一般相対性理論で、なぜ重力により空間が「 ひずみ 」、光の直進を妨げるかを説明することが出来ると考える。

「 エーテル 」が「 弦(gen) 」であるから、その上に乗る星の重力により、弦(gen)であるエーテルが「 ゆがむ 」のであり、光の直進を阻むと考えます。

このように考えると、「 超弦理論 」は、「 物質 」だけでなく、「 エーテル 」や「 エネルギー 」の理論であるかもしれません。


2013/12/31、私の考え


これは、フィクションです。



このように、「 無(mu)」というのが「 エーテル 」であり「 実有 」し、「 無限(mugen) 」の「 弦(gen) 」であることは、私にとっては、重要な帰結になります。

音波が大気という媒体が無ければ伝わらないように、「 波 」は媒介が無ければ伝わらないと思います。

「 電磁波 」や「 重力波 」も「 媒体 」が必要で、その「 媒体 」は「 エーテル 」であると思います。

相対論も量子論も「 エーテル 」を無視してきましたが、それが原因で、物理学と哲学と宗教に「 間 」を作り、不連続で異質な「 学問 」としたのだと思います。

私にとって、「 無(mu)」というのが「 エーテル 」であり「 実有 」し、無限大から無限小まで「 無限(mu) 」の「 弦(gen) 」であることを認めることが、物理から形而上学を統合する情(zyou)になると思います。

これは、私の勝手な結論であり、同調を求めません。

これから、「 無(mu)」から、気(ki)へ、「 無(mu)」と気(ki)から情(zyou)へと述べるのですが、先ほどの、音波が大気という媒体が無ければ伝わらないように、「 波 」は媒介が無ければ伝わらず、「 電磁波 」や「 重力波 」も「 媒体 」が必要で、その「 媒体 」は「 エーテル 」であるというのが、「 無(mu)」と気(ki)の関係であると考えます。

電磁波が地球の大気が無くても発生し、大気が無くても伝わることは、電磁波が「 エーテル 」を媒介として伝わることを示していると考えます。

エネルギーである気(ki)の媒体は「 エーテル 」であり「 無(mu)」であり、「 実有 」であり「 弦(gen) 」であり、宇宙が「エーテル 」という「 無(mu)」が連続していると考えると、エネルギーという気(ki)も「 連続 」していることになり、「 実有 」であり、「 流れるもの 」であると考えます。

この「 無(mu) 」が人間の中の「 無意識 」を通じていて、「 無意識(muisiki) 」の根本である「 小脳 」と「 無(mu) 」が繋がっていると考え、「 小脳 」の領域は「 無(mu)」であると考えると「 大脳 」の領域である情(zyou)の「 下部組織 」ではないと思います。

無意識や無(mu)や気(ki)の中心はエネルギーの中心であり、意識の中心である精神の中心とは一致せず、前者が「 エーテル 」を必須とするのに対し、後者は「 エーテル 」を無視することも、一致しない原因であると考えます。

後者は、「 無(mu)」を「 実有 」と考えるのではなく、単に「 存在しないもの 」と考えるのかも知れませんが「 有 」とは「 存在 」ではなく、人類は「 有 」も「 無(mu)」も経験していないのに、情(zyou)の都合で、「 無(mu) 」である「 エーテル 」を考えないことにしようという「 協定 」を設けているがゆえに、いつまでも「 真実 」を求めているのだと思います。

ありとあらゆるものを包摂する「 エーテル 」が「 有 」であると私は思います。
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2013年12月29日

2013/12/29、オカルト・エーテル考 10・エーテルは実有であり、無である

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/10/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



エーテルが「「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在 」しなく、宇宙がエネルギーに満ちているならば、「 神が位置とは無関係に実有する 」ことが真理であり、人間の意識は、「 七色の虹 」あるいは、「 幻(maborosi)」のようなもので、宇宙のすべての物理法則自体が「 神を写した情報 」であり「 特殊 」な「 神の愛 」の産物であると考えます。




2013/11/24、私の記事


これは、フィクションです。


このように、宇宙を成立させている暗黒物質の「 魔法のランプ 」が、エーテルを必要とする「 実有 」の世界であり、、頭脳の「 魔法のランプ 」がエーテルを必要としない精神的な虚像の世界であり、前者が「 外なる世界 」で、後者が「 内なる世界 」である「 自我 」であると、以前、書きました。

後者の理論である、量子力学と相対論を組み合わせて宇宙を考える人もいますが、私は、エーテルを考慮しない「 内なる世界 」の考えは、間違いであると思います。

このことは、物理学だけでなく、哲学や宗教学も、同様であると考えます。

「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。


私は、「 エネルギー 」が伝達する空間を「 エーテル 」とし、これが「 永遠 」で「 不変 」であると考えます。

「 エネルギー 」が一定の条件で物質になり(E=MC2)、その物質により判断する「 内なる世界 」は相対的であり、「 諸行無常 」であり「 万物は流転する 」のであり、「 永遠 」や「 不変 」であるのは「 内なる世界 」には構造として存在しない「 エーテル 」であると考えます。

「 存在(意識)しないもの 」を「 存在(意識)する 」と考えることが「 不変 」や「 永遠 」を考えることだと思いますが、存在(意識)を変化させるので、「 相対的 」を「 絶対的 」にすることで、「 自我を否定 」することで、社会的には「 狂気 」という評価を得るかも知れませんが、これが「 永遠 」を求めることであり、「 神 」を信じることだと思います。

「 神 」を信じるためには「 エーテル 」を考えることが必須だと考えます。

「 エーテル 」という気(ki)が「 実有 」であり、「 諸行無常 」という情(zyou)は「 エネルギー 」と「 物質 」が流動的であることで、気(ki)を原因とする「 現象 」であり「 相対的 」な存在意識であると思います。

「 実有 」は存在意識という情(zyou)を含む気(ki)であり、あらゆる現象を包摂する空間で、人間の情(zyou)では、「 時間 」や「 速度 」では想定不能の「 空間 」だと思います。

「 空間 」として考える限り情(zyou)であり、測定不能の「 場 」であると考えます。

真空でも、地上のリンゴが落ちるとき、「 重力 」というエネルギーは測定可能だが、「 エネルギーが働く場 」は意識で測定不能であるが「 実有 」するように、「 エーテル 」は意識とは無関係に「 実有 」するのだと思います。



2013/12/29、私の考え


これは、フィクションです。


このように、「 エーテル 」を「 実有 」と考え、昔の人々はこれをどのように考えていたのかを考えます。

私は、仏教しか馴染みはありませんが、昔から「 無(mu) 」という言葉で表されているのが「 エーテル 」であり「 実有 」に該当すると思います。

人類は「 有 」や「 無(mu) 」が何であるかを知ることは出来ないと思います。

もし、知ることが可能なら、エーテルも特異点も暗黒物質も容易に判明するでしょう。

「 有無 」の「 無(mu) 」は「 存在しない 」と考えるのが普通かもしれませんが、「 有 」すなわち「 存在 」を「 存在意識 」と考えると、「 無(mu) 」は「 意識 」ではなく、従って「 意識 」では定義することが出来ないと思います。

「 物体 」が無くても、「 エーテル 」は「 実有 」し、しかもすべての物体を許容し、実在界で「 縁起 」を生む下記の「 四諦 」も包摂し、在りとあらゆるものを矛盾なく包摂します。

その「 無(mu) 」こそ「 実有 」であり、情(zyou)により具現化したのが「 エーテル 」であると考えます。

「 無(mu) 」は「 無限(mugen) 」に使う「 無(mu) 」であり、「 無常(muzyou) 」で使う「 無(mu) 」です。

「 無意識(muisiki) 」にも「 無(mu) 」を使いますが、これは「 意識でないもの 」であり、「 派生する 」意識ではなくて、「 流れる 」エネルギーの領域であり、「 意識 」と「 エーテル 」をつなぐものと考えます。

「 無限(mugen) 」についてですが、無限大は宇宙ですし、無限小の物体は素粒子ですし、素粒子が「 超弦理論 」において「 弦(gen) 」であれば、素粒子を包摂する「 エーテル 」も最大の「 弦(gen) 」として宇宙を満たしているかも知れません。

宇宙は単一の法則が貫通していると考えるからです。

宇宙を満たしている「 エーテル 」が「 実有 」する「 無(mu) 」であり、「 弦(gen) 」で、エネルギーも「 弦(gen) 」であるかも知れず、宇宙の膨張も「 弦(gen) 」の広がりであり、すべてが「 弦(gen) 」として「 連続 」しているかも知れません。

このように、「 エーテル 」を「 弦(gen) 」と考えたとき、一般相対性理論で、なぜ重力により空間が「 ひずみ 」、光の直進を妨げるかを説明することが出来ると考える。

「 エーテル 」が「 弦(gen) 」であるから、その上に乗る星の重力により、弦(gen)であるエーテルが「 ゆがむ 」のであり、光の直進を阻むと考えます。

このように考えると、「 超弦理論 」は、「 物質 」だけでなく、「 エーテル 」や「 エネルギー 」の理論であるかもしれません。




無(mu)(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1


四諦(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6

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2013年12月23日

2013/12/23、携帯電話と人生・OfficeSuite 7 とSkyDrive とパソコン2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2013/12/23、私の考え



これは、私の拙い体験談です

前日の説明では、不明瞭なところがあると思いますので、補足します。


@ パソコンからスマートフォンに保存するまでの行程。

パソコンでワード(エクセル)文章を作成します。

パソコンのSkyDrive を開き、アップロードします。

スマートフォンのSkyDrive を開き、アップロードされているのを確認します。

アップロードされたファイル名を選択しますと、アプリケーションと、「 常時 」か「 1回のみ 」かをを聞いてきます。

「 OfficeSuite pro 7」 で「 常時 」を選びます。

スマートフォンにダウンロードされてパソコンで作成したワード(エクセル)文章が出てきます。

下部の機能を押して、保存先をテンプレートにします。

(これは、別の保存先もありますが、便宜上、テンプレートにします。)

保存されます。

OfficeSuite pro7のテンプレートを開いて保存されているか確認します。


(最初のとき、よく憶えていませんが、確認できず、Officesuite pro 7 で常時を選んで「 PDFで送る 」を選んだと思います。二度目からは、「 PDF 」を選ばなくても、テンプレートに保存されると思います。そして、エクセルは必要ないかも知れません)

確認後、変更が必要ならば変更して、保存先をテンプレートにして、ファイル名を選べば上書きして保存されます。

このとき、保存先として

Excelブック 
Excel97-2003ブック
Csv(カンマ区切り)
テンプレート

という選択先がありますから、好きなところに保存できます。

私は、保存先をテンプレートにして、ファイル名を選んで保存しました。

(このテンプレートからでも、他の選択先に保存することも出来ます)

これで、パソコンで作成した文書をスマートフォンで保存することが出来ました。



スマートフォン側で削除するとき。

パソコンで作成した文書が不要であるとき、保存先のテンプレートを開き、文章を開かないようにして、ファイル名に上を下に圧迫します。

すると、「 ファイルオプション 」が表示されて「 名前を変える 」とか「 削除 」する項目が現れ、「 削除 」を押すと削除されます。

SkyDrive にアップロードしたワード(エクセル)文書を削除する場合は、スマートフォンでSkyDrive を開き、左側にチェックして、「 ゴミ箱 」を押せば削除されます。

パソコン側で削除するときは

SkyDrive を開き、当該ファイル名を「 右クリック 」すれば、削除することが出来ます。



A スマートフォンで作成した文書をパソコンに保存するのは、前日、書いたとおりであり下に再掲します。





次に、スマートフォンで作成した文章をパソコンに保存することが出来るかについてです。

T、スマートフォンで作成したワードやエクセルを「 SkyDrive 」にアップロードする。

スマートフォンでエクセル文書を作るとき、「 officeSuite 7 Pro 」の「 テンプレート 」にも保存したほうが良いと思います。
(後日、SkyDrive にアップロードするとき、SDカードを開きますが、その中に「 My Templates 」というファイル名なので容易に判明するから)

スマートフォンにダウンロードしてインストールした「 SkyDribe 」を開き、下部にあるアップロードをクリックすると、「 写真と動画のアップロード 」か、あるいは「 ファイルのアップロード 」か? を聞いてきます。

「 ファイルのアップロード 」を選択すると、スマートフォンのSDカードの内容が表示されます。

そのSDカードの中から作成したワードやエクセルのファイルやパソコンからダウンロードしたファイルを選んでアップロードします。

すでに、アップロードした文書は、officesuiteの「 リモートファイル 」で「 SkyDrive 」を選び文章を呼び出して修正します。

それを上書きで保存します。

それは、skyDriveへのアップロードとなります(エクセルもワードも同じです)。

U、スマートフォンで作成したワードやエクセルの文書を、パソコンに取り込みワードやエクセルの文章で保存する。



スマートフォンからパソコンへの取り込みは、パソコン側のOutlookの「 ファイル共有 」を使います。

私は、Outlook 2010 を使用しています。

パソコン側の、Outlook の「 オフィスナビ 」で「 ファイル共有 」を選び、「 SkyDrive」にログインして、スマートフォンからアップロードした文書を選んで呼び出します。

「 ワード文章 」も「エクセル文書 」も同じです。


「 SkyDrive 」から呼び出したエクセル(ワード)文書を、そのまま保存するときは、まず、「 ファイル 」をクリックして、「 名前を付けて保存 」を選びます。

つぎに、「 ダウンロード 」を選び、クリックしますと、「 開くか 」または「 保存する 」か?とパソコンが聞いてきます。

「 ファイルを開く 」をクリックします。

「 エクセル 」の場合、「 エクセルで開く 」を選んだとき、も「 ファイルを開く 」段階になります。

エクセルが立ち上がって、入力画面になりますが、上部に「 保護されたビュー 」と表示しますので、「 編集を有効にする 」をクリックします。

すると、普通のエクセル(ワード)の画面になります。

それから「 ファイル 」をクリックして、「 名前を付けて保存 」を選ぶと、保存先の「 マイドキュメント 」が表示されるので、「 保存 」をクリックすればパソコンに保存することが出来ます。

保存する前に修正ができますが、「 ワード 」の場合は、それ以外の修正の方法もあります。

ワード文書の場合、「 編集して保存する 」ことを選ぶと「 電子メールアドレス 」と「 パスワード 」を聞いてきますが、これはSkyDriveのアカウントを設定したときのものを入力します。

「 ワード 」が開き、「 編集を有効にする 」をクリックします。
編集をして、「 ファイル 」をクリックして「 名前をつけて保存する 」を選ぶと、保存する場所を聞いてきますので、そのとき左側の「 ライブラリ 」の中の「 ドキュメント 」を指定して保存しますと、パソコンの「 ドキュマント 」に「 ワード文書 」として保存されます。
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2013年12月22日

2013/12/22、携帯電話と人生・OfficeSuite 7 とSkyDrive とパソコン

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/12/15、私の記事


これは、みなさんには既知のことだと思いますが、エクセルとスマートフォンのアプリである「 OfficeSuite 7 pro について、私の体験談を書かせてもらいます。



学んだこと

@ 自分のパソコンのメールの添付書類を読み取れるように、スマートフォンを準備した方がよい。

A 私の場合、自分のパソコンから、自分のパソコンに、エクセル表計算のデーターを添付して送信する。
自分のパソコンの受信トレイから、その添付物を、スマートフォンで読み取り、保存することにより、パソコンとスマートフォンが連携する。

B エクセルの表計算はパソコンで作り、仕事場でデーターを入力して計算した方がよい。
計算が終わったら保存せず、次の日に使う(現在は、データーのみを消去する方法がわからない)。
このことは、別の方法を発見したので、後日、書きます。

C 自分のパソコンから自分のパソコンへ、エクセルの表計算を添付して送り、それをスマートフォンで読み取り、添付書類を保存すると、自然の「 Office Suite 7 」に保存される(有料の場合は、ダウンロードのファイル)。


2013/12/16、私の記事


これは、拙い体験談です



D 上記のように、メールを送信するしか方法は無いのだろうか?

もっと、簡単にパソコンとスマートフォンを連携することが出来ないだろうか?

と考えたとき、「 OfficeSuite 7 」の中にある、「 リモートファイル 」の「 クラウド 」を利用することに気づきました。

「 リモートアカウント追加 」の中で、5種類のクラウドが選択できますが、わたしはマイクロソフトの「 SkyDrive 」に決めました。

パソコンで「SkyDrive 」のアカウントを取得して開くと、写真や文書をアップロードすることが出来ることを知りました。

そこで、エクセル文書をアップロードしました。

そのあとは、携帯電話で、「 リモートファイル 」の「SkyDrive 」を選択して、アップロードしたエクセル文書を保存するだけでした。

このように、メールだけでなく、「 クラウド 」を使うことで、簡単にパソコンと連携することが出来ました。

E 次に、計算が終わったら保存せず、次の日に使う(現在は、データーのみを消去する方法がわからない)方法ですが、「 上書き 」する方法と、消去するセルを選択して消去する方法があります。



2013/12/22、私の考え



これは、私の拙い体験談です。


みなさんには、すでに既知のことだと思いますが、マイクロソフト社のアプリケーションである「 SkyDrive 」と「 officeSuite 7 Pro 」と「 パソコン 」の連携についてです。

私のスマートフォンとパソコンをUSBでつなぐことは出来ません。

そこで、パソコンとスマートフォンの繋がりですが、私はマイクロソフト社の「 SkyDrive 」を利用したいと思いました。

このアプリケーションを利用すれば、OfficeSuit 7 Proからは「 リモートファイル」の中の「 SkyDrive 」を呼び出してダウンロードするだけで、パソコンでアップロードしたデーターを得ることが出来るし、OfficeSuite 7 Pro で作成したり加工したデーターは、スマートフォンの「 SkyDrive 」にアップロードし、パソコン側のOutlook2010の「 ファイル共有 」の「SkyDrive 」を使って簡単にスマートフォンからパソコン側で受け取り、エクセルやワード文書に変換することが出来ることを知りました。

それには、まず@ パソコンで「 Sky Drive 」を検索して、自分のメールと暗証番号を入力して、「 アカウント 」を取得します。

「 SkyDrive 」の内部では、「 アップロード 」の箇所がありますから、パソコンの中の文書やエクセルや写真をアップロードします。
(このアップロードは短時間で済みます)

A その後、スマートフォン(私の場合はandroidです)のGoodle社のGooglePlay のアプリケーションの中にある「 SkyDrive 」をダウンロードしてインストールします。

パソコンの「 SkyDrive」の「 アカウント取得 」やアップロードも無料ですし、容量は7ギガまで無料です。

Google社のGoogle Play の中にある「 SkyDrive 」をダウンロードやインストールすることも無料です。

B スマートフォンにインストールした「 SkyDrive 」を開き、パソコンで入力したメールアドレスと暗証番号を入力して「 サインイン 」すれば、パソコンとスマートフォンの「 SkyDrive 」が一致し、パソコンでアップロードした文書やエクセルや写真を閲覧し、ダウンロードして「 OfficeSuite 7 pro 」で加工することが出来ますし、写真はスマートフォンのピクチャに保存することも出来ます。

スマートフォンに「 officeSuite 7Pro 」をインストールし、パソコンとスマートフォンの両方に「 SkyDrive 」のアプリケーションをインストールすれば、メールなどを使わず、「 SkyDrive 」を使って、パソコンの内部データーを簡単にスマートフォンへダウンロードして、加工や保存することが出来ます。



C次に、スマートフォンで作成した文章をパソコンに保存することが出来るかについてです。

T、スマートフォンで作成したワードやエクセルを「 SkyDrive 」にアップロードする。

スマートフォンでエクセル文書を作るとき、「 officeSuite 7 Pro 」の「 テンプレート 」にも保存したほうが良いと思います。
(後日、SkyDrive にアップロードするとき、SDカードを開きますが、その中に「 My Templates 」というファイル名なので容易に判明するから)

スマートフォンにダウンロードしてインストールした「 SkyDribe 」を開き、下部にあるアップロードをクリックすると、「 写真と動画のアップロード 」か、あるいは「 ファイルのアップロード 」か? を聞いてきます。

「 ファイルのアップロード 」を選択すると、スマートフォンのSDカードの内容が表示されます。

そのSDカードの中から作成したワードやエクセルのファイルやパソコンからダウンロードしたファイルを選んでアップロードします。

すでに、アップロードした文書は、officesuiteの「 リモートファイル 」で「 SkyDrive 」を選び文章を呼び出して修正します。

それを上書きで保存します。

それは、skyDriveへのアップロードとなります(エクセルもワードも同じです)。

U、スマートフォンで作成したワードやエクセルの文書を、パソコンに取り込みワードやエクセルの文章で保存する。



スマートフォンからパソコンへの取り込みは、パソコン側のOutlookの「 ファイル共有 」を使います。

私は、Outlook 2010 を使用しています。

パソコン側の、Outlook の「 オフィスナビ 」で「 ファイル共有 」を選び、「 SkyDrive」にログインして、スマートフォンからアップロードした文書を選んで呼び出します。

「 ワード文章 」も「エクセル文書 」も同じです。


「 SkyDrive 」から呼び出したエクセル(ワード)文書を、そのまま保存するときは、まず、「 ファイル 」をクリックして、「 名前を付けて保存 」を選びます。

つぎに、「 ダウンロード 」を選び、クリックしますと、「 開くか 」または「 保存する 」か?とパソコンが聞いてきます。

「 ファイルを開く 」をクリックします。

「 エクセル 」の場合、「 エクセルで開く 」を選んだとき、も「 ファイルを開く 」段階になります。

エクセルが立ち上がって、入力画面になりますが、上部に「 保護されたビュー 」と表示しますので、「 編集を有効にする 」をクリックします。

すると、普通のエクセル(ワード)の画面になります。

それから「 ファイル 」をクリックして、「 名前を付けて保存 」を選ぶと、保存先の「 マイドキュメント 」が表示されるので、「 保存 」をクリックすればパソコンに保存することが出来ます。

保存する前に修正ができますが、「 ワード 」の場合は、それ以外の修正の方法もあります。

ワード文書の場合、「 編集して保存する 」ことを選ぶと「 電子メールアドレス 」と「 パスワード 」を聞いてきますが、これはSkyDriveのアカウントを設定したときのものを入力します。

「 ワード 」が開き、「 編集を有効にする 」をクリックします。
編集をして、「 ファイル 」をクリックして「 名前をつけて保存する 」を選ぶと、保存する場所を聞いてきますので、そのとき左側の「 ライブラリ 」の中の「 ドキュメント 」を指定して保存しますと、パソコンの「 ドキュマント 」に「 ワード文書 」として保存されます。

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2013年12月16日

2013/12/16、携帯電話と人生・エクセルとOfficeSuite 7 pro 2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/12/15、私の記事


これは、みなさんには既知のことだと思いますが、エクセルとスマートフォンのアプリである「 OfficeSuite 7 pro について、私の体験談を書かせてもらいます。



学んだこと

@ 自分のパソコンのメールの添付書類を読み取れるように、スマートフォンを準備した方がよい。

A 私の場合、自分のパソコンから、自分のパソコンに、エクセル表計算のデーターを添付して送信する。
自分のパソコンの受信トレイから、その添付物を、スマートフォンで読み取り、保存することにより、パソコンとスマートフォンが連携する。

B エクセルの表計算はパソコンで作り、仕事場でデーターを入力して計算した方がよい。
計算が終わったら保存せず、次の日に使う(現在は、データーのみを消去する方法がわからない)。
このことは、別の方法を発見したので、後日、書きます。

C 自分のパソコンから自分のパソコンへ、エクセルの表計算を添付して送り、それをスマートフォンで読み取り、添付書類を保存すると、自然の「 Office Suite 7 」に保存される(有料の場合は、ダウンロードのファイル)。


2013/12/16、私の考え




これは、拙い体験弾です



@ 上記のように、メールを送信するしか方法は無いのだろうか?

もっと、簡単にパソコンとスマートフォンを連携することが出来ないだろうか?

と考えたとき、「 OfficeSuite 7 」の中にある、「 リモートファイル 」の「 クラウド 」を利用することに気づきました。

「 リモートアカウント追加 」の中で、5種類のクラウドが選択できますが、わたしはマイクロソフトの「 SkyDrive 」に決めました。

パソコンで「SkyDrive 」のアカウントを取得して開くと、写真や文書をアップロードすることが出来ることを知りました。

そこで、エクセル文書をアップロードしました。

そのあとは、携帯電話で、「 リモートファイル 」の「SkyDrive 」を選択して、アップロードしたエクセル文書を保存するだけでした。

このように、メールだけでなく、「 クラウド 」を使うことで、簡単にパソコンと連携することが出来ました。

A 次に、計算が終わったら保存せず、次の日に使う(現在は、データーのみを消去する方法がわからない)方法ですが、「 上書き 」する方法と、消去するセルを選択して消去する方法があります。



「 上書き 」は、「 ダウンロード 」の「 マイドキュメント 」(マイドキュメントという選択肢もあります)に保存してあるエクセル文書を開き、何も入力していない表計算だけの文書の保存先を「 テンプレート 」にします。

「 テンプレート 」の中で、エクセル文書を複数シート作り、一日、計算が終わったシートに、表計算だけの文書を「 上書き 」すれば、データーを消すことなく、新しい一日が始まると思います。
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2013年12月15日

2013/12/15、携帯電話と人生・エクセルとOfficeSuite 7 pro

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2012/12/29、私の記事

これは、非常に特殊な個人的な場合であうので、無視されても結構です。

機種変更のとき、アップル社のアイフォーンにするか、Google 社のアンドロイドにするか、OSの選択に迫られますが、国産の端末であることと検索や地図を利用する機会が多いので、アンドロイドにしました。

Google 社のGメールのアカウントを持っていることが、Google 社のYouTube 利用に便利でした。

結局、アンドロイドにしたのですが、詳しいことは、「 iPhoneとAndroid の比較 」を検索して、自分にフィットした機種を購入すれば良いと思います。

スマートフォンは、携帯電話というより、「 モバイル 」であり、手のひらに乗る小さなパソコンであり、電話も楽しめるという感じで、「 電話 」と「 パソコン 」の割合が、従来の携帯電話と逆転しているように思います。

検索は以前の携帯電話の入力と似ていますが、従来の携帯電話のメールとは別に、「 パソコンのメール 」や「 Gメール 」も受信することが出来、受信することは受信する環境も設定する必要がある点で、パソコンと似ています。

パソコンを初期化したら理解することが出来るのですが、パソコンの送受信サーバやアカウント名やパスワードを設定した後で、パソコンのメールを受信することができます。

Gメールは、Google社のアカウントを、あらかじめパソコンで取得していた方が良いでしょう。

これらの「 設定 」をして、初めてすべてのメールが、スマートフォンに入って来ます。

すると、一気にメールのすべてを閲覧し、処理することが出来ますから、「 スマートフォンは小さなパソコンだ 」と思うのです。


2013/12/15、私の考え


これは、みなさんには既知のことだと思いますが、エクセルとスマートフォンのアプリである「 OfficeSuite 7 pro について、私の体験談を書かせてもらいます。


以前、「 DVDの整理とエクセルの活用 」で書きましたが、そのエクセルの文書を簡単に見ることが出来ないだろうかと考えました。

もちろん、エクセルの文書ですから、パソコンではディスクトップのショートカットで簡単に見ることが出来ます。

しかし、もっと簡単に、スマートフォンからでも見ることが出来るかもしれないと思いました。

私のスマートフォンは、USBなどでパソコンに接続することは出来ません。

ですので、パソコンの写真をスマートフォンで見るためには、スマートフォンに写真を添付したメールを送るか、あるいは自分のパソコンで、自分宛てに写真を添付したメールを送り、その添付した写真を「 保存 」すれば、自然にスマートフォンのピクチュアの中に保存され、閲覧していました。

そこで、エクセルの文書も、メールに添付したら、スマートフォンへ送ることが出来るかも知れないと考えました。

それで、自分のパソコンから自分へ、エクセル文書を添付したメール送って、それをスマートフォンで読み取り、添付したエクセルの文書を、携帯電話の中に保存したところ、Google社の「 office Suite 7 」の無料アプリケーションに自然に保存されました。

しばらくは、DVDを整理したエクセル文書をスマートフォンで見ていましたが、有料のアプリケーションでは、データーを変化させることが出来るという説明がありました。

これは、スマートフォンで、エクセルを使った表計算が出来て、仕事にエクセルが使えるかもしれないと思って購入を決めました。

値段は、2000円未満でした。

何も知らない私にとって、実は、そこからが苦難の連続でした。

有料のダウンロードは成功し、エクセルの画面を発見しましたが、どのようにすれば良いのか分かりません。

「 セル 」をタップしたとき、データーの入力が可能になり、上部の検索のような印をタップしたとき、「 関数 」の入力可能な画面になりました。


私は、初めてですので、スマートフォンで作った表の「 行 」や「 列 」の加除が出来ず、パソコンで加除をすることに決めて、メールに添付してパソコンに送り、エクセルの表計算はパソコンで作り、データーはスマートフォンで入力して計算することにしました。

スマートフォンで入力した内容をパソコンで見たとき、SUMの範囲が、私の考えた範囲と違うのに気づきました。

基本的にエクセルを使う方法は同じのようですが、少し違うところもあると思います。


パソコンで作成したエクセルの表計算を添付し、自分のパソコンから自分のメールアドレスに送り、それをスマートフォンで読み取り、添付書類を保存すると、こんどは無料の「Office Suite 7 」には保存されず、有料の「Office Suite 7 pro」の「 ダウンロード 」の中に、自然に保存されました。



学んだこと

@ 自分のパソコンのメールの添付書類を読み取れるように、スマートフォンを準備した方がよい。

A 私の場合、自分のパソコンから、自分のパソコンに、エクセル表計算のデーターを添付して送信する。
自分のパソコンの受信トレイから、その添付物を、スマートフォンで読み取り、保存することにより、パソコンとスマートフォンが連携する。

B エクセルの表計算はパソコンで作り、仕事場でデーターを入力して計算した方がよい。
計算が終わったら保存せず、次の日に使う(現在は、データーのみを消去する方法がわからない)。
このことは、別の方法を発見したので、後日、書きます。

C 自分のパソコンから自分のパソコンへ、エクセルの表計算を添付して送り、それをスマートフォンで読み取り、添付書類を保存すると、自然の「 Office Suite 7 」に保存される(有料の場合は、ダウンロードのファイル)。

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2013年12月08日

2013/12/8、オカルト・エーテル考 9・無意識

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/10/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



エーテルが「「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在 」しなく、宇宙がエネルギーに満ちているならば、「 神が位置とは無関係に実有する 」ことが真理であり、人間の意識は、「 七色の虹 」あるいは、「 幻(maborosi)」のようなもので、宇宙のすべての物理法則自体が「 神を写した情報 」であり「 特殊 」な「 神の愛 」の産物であると考えます。




私の記事


これは、フィクションです。

私は、仏教的な言葉を書きますが、仏教を勉強したこともありませんし、僧侶でもなく、仏教の門外漢です。

まして、哲学者でもありません。

しかし、フィクションとして、書きたいのです。

私は、「 神 」をエネルギーと考え、「 法身(hotsusin)」を神の身体であるエーテルと考え、「 報身(housin)」 を社会や文化のすべての思想だと考えています。

仏教に興味がある人は、ほかのブログをご覧になるようお願いします。

以上のように、宇宙を成立させている暗黒物質の「 魔法のランプ 」からの噴出物が、エーテルを必要とする「 実有 」の世界であり、頭脳の「 魔法のランプ 」からの噴出物がエーテルを必要としない精神的な虚像の世界であり、前者が「 外なる世界 」で、後者が「 内なる世界 」である「 自我 」であると考えますと、「 世界 」を生む二つの「 魔法のランプ 」は、宇宙の産物であり、法身(hotsusin)であると思います。

後者の「 魔法のランプ 」は、「 神 」であるエネルギーの身体、すなわち重力や電磁波などの気(ki)が通う空間である「 エーテル 」に包まれた宇宙の産物ですから法身(hotssin)の一部であり、人体自身は、科学の対象となる気(ki)の塊ですから科学が適用されます。

人体は「 魂 」であり気(ki)でありますから、科学が適用されると考えます(生気論)。

後者の「 魔法のランプ 」から出た「 内なる世界 」は、エーテルを含まない、法身(hotssin)でない情(zyou)であり、報身(housin)であると考えます。

この報身(housin)の中に「 宗教 」があると思うのですが、エーテルを含まないから科学的な対象とはならず、宗教が作った「 神 」は、気(ki)であるエネルギーを通過させたり、エネルギーを生んだりせず、その目的は「 人格の完成 」であり、報身(housin)が作るのは「 仏(hotoke) 」であり「 神 」ではないと思います。

「 宗教が作った神仏 」は、エーテルを必要としないことを理由として「 限界 」が生じると思います。

「 限界 」とは「 永遠 」と唱えながらも、「 永遠 」を解決していないから、人間では考えられないほどの時間や空間の概念を「 宗教 」は必要とするのだと思います。

私は、宗教が「 エーテル 」を考えていないから、そのような概念を必要とすると考えます。

「 人間は神の前で平等である 」と言いますが、私は、後者の情(zyou)である宗教が作った「 神 」ではなく、前者の気(ki)であるエネルギーの「 神 」の前で「 平等 」であると思います。


ちょうど、真空で物体を落下させるとき、「 重いもの 」も「 軽いもの 」も同一の重力で落ちるように、「 重いもの 」とか「 軽いもの 」などの情(zyou)を排除すれば、重力という気(ki)の前では、同一、つまり平等であると考えます。

「 人間は神の前で平等である 」とは、宗教や社会的権利や文化的思考により与えられる「 平等 」ではなく、人間という存在自体が気(ki)であり、人間が生まれたときから気(ki)であるエネルギーとしての「 神 」の前で「 平等 」であると考えます。



このように、宇宙を成立させている暗黒物質の「 魔法のランプ 」からの噴出物が、エーテルを必要とする「 実有 」の世界であり、頭脳の「 魔法のランプ 」からの噴出物がエーテルを必要としない精神的な虚像の世界であり、前者が「 外なる世界 」で、後者が「 内なる世界 」である「 自我 」であると考えますと、「 世界 」を生む二つの「 魔法のランプ 」は、宇宙の産物であり、法身(hotusin)であるので、「 人間は宇宙の産物として平等である 」と思います。


2013/12/8、私の考え



これは、フィクションです。


私は、これまで書いてきた記事をひとつの考えで説明することが出来るかどうかに挑戦しています。

ちょうど、真空で物体を落下させるとき、「 重いもの 」も「 軽いもの 」も同一の重力で落ちるように、「 重いもの 」とか「 軽いもの 」などの情(zyou)を排除すれば、重力という気(ki)の前では、同一、つまり平等であると考えます。

これは、人種や宗教や国籍を問わず、人間は宇宙の産物として、気(ki)であるエネルギー(神)の前で平等であり、人種や宗教や国籍や自我や教育やDNAなどの情報である情(zyou)が「 重いもの 」や「 軽いもの 」という差別を生むと思います。

「 差別 」自体が、「 外なる世界 」を差別する「 内なる世界 」の表現であり、「 人格 」の発露であると思います。


確実な実体を認識したと思っても、それが瞬時に「 相対的 」で「 万物が流転し 」「 無常 」となる「 実体 」で、その原因は「 外なる世界 」に有るのではなく、「 内なる世界 」にあると思います。

「 外なる世界 」が、絶えず相対的で無常で、掴んでも掴むことが出来ない「 地獄 」であると思うのですが、その原因は「 内なる世界 」に有ると思います。

「 外なる世界 」のエーテルの中の「 絶対的因果 」で連続する「 実有 」のエネルギーを、「 内なる世界 」では、エーテルを含まず、記憶による世界が始めと終わりがある物語として把握するのが原因で、「 相対的 」で「 無常 」で「 相当因果関係 」な「 実体 」だという判断を下すのだと思います。


「 内なる世界 」は、「 一面的な 」自我意識であり、人種や宗教や国籍であり、自我に反する気(ki)を否定し、自我に都合がよい気(ki)選択して体系化し、差別するものだと思います。

「 内なる世界 」でエーテルを考えるとは、ちょうど、真空で物体を落下させるとき、「 重いもの 」も「 軽いもの 」も同一の重力で落ちるように、「 重いもの 」とか「 軽いもの 」などの情(zyou)を排除すれば、重力という気(ki)の前では、同一、つまり平等であると考えることで、意識ではない「 無意識 」の状態を考えることだと思います。

宗教的には、死の中に在りながら(エーテルの中に在りながら、あるいは涅槃に在りながら)生きること(大気の中で生命を保つこと、死ぬまでの煩悩を受け入れて楽しむこと)が、「 内なる世界 」でエーテルを考えることだと思います。

その意識を排除した状態で意識ではない無意識はエネルギーであり、エーテルの中でエネルギーを伝えるのが「 無意識 」で、「 無意識 」とは意識の一種ではなく、エネルギーと意識を連結するエネルギーと意識の「 膜 」であると考えます。

人間の周りに「 光 」があるとすれば、それが「 無意識の膜 」であり、「 エネルギーの膜 」であり、それは「 内なる世界 」や自我の中の気(ki)と「 外なる世界 」の気(ki)とを連結しているのだと思います。


私は、ちょうど「 呼吸 」のように、「 無意識 」を通過させて、「 外なる世界 」から気(ki)を取り入れ、「 内なる世界 」の気(ki)を「 無意識 」を通過させて発露するのだと思います。

この際、書いておくと、情(zyou)である「 霊 」は社会や精神に帰属し作り出したり、「 見る 」ことが可能で、エネルギー(神)はなく、気(ki)である「 魂 」には、飛んだり消えたりするエネルギー(神)があることになり、エーテルの中にあり、「 見る 」ことは不可能で、感じるだけであると考えています。

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2013年12月01日

2013/12/1、オカルト・エーテル考 8・神の前の平等

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/10/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



エーテルが「「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在 」しなく、宇宙がエネルギーに満ちているならば、「 神が位置とは無関係に実有する 」ことが真理であり、人間の意識は、「 七色の虹 」あるいは、「 幻(maborosi)」のようなもので、宇宙のすべての物理法則自体が「 神を写した情報 」であり「 特殊 」な「 神の愛 」の産物であると考えます。



2013/11/17、私の記事


これは、私だけの考えであり、フィクションです。



以上のように、暗黒物質という「 魔法のランプ 」から出た「 魔神 」がエーテルであり、エネルギーである「 神 」であるならば、地球上の私たち人類も、この構造と矛盾しない構造を持っていると考えます。

その「 魔法のランプ 」は、「 人体 」であり、時間意識や空間意識や、様々の思想やすべての「 文化 」が「 魔法のランプ 」から出た情(zyou)であると考えます。

暗黒物質という「 魔法のランプ 」から出た「 魔神 」が気(ki)であり、人体という「 魔法のランプ 」からでた「 文化 」が情(zyou)であり、気(ki)が情(zyou)に作用することはあっても、情(zyou)により気(ki)が消滅するのではない構造だと考えます。

情(zyou)は、気(ki)を「 実体化 」、あるいは「 認識可能にする 」無意識であると考えます。

遺伝子情報が「 魔法のランプ 」であり、それに対して気(ki)が作用したとき、すなわち「 アラジンがランプを擦ったとき 」現れるのは、「 意識 」であり、時間という時間意識や空間という空間意識であると思います。

気(ki)はエネルギーで「 神 」であり、暗黒物質という「 魔法のランプ 」から出た「 魔神 」で、宇宙のすべての物質に浸透するためにエーテルを必要とするが、人間の頭脳が持つ「 魔法のランプ 」から生み出される、精神という情(zyou)は「 エーテル 」を必要としないので、「 エーテル 」を認識することが出来ないと思います。

宇宙のすべてを生み出す、暗黒物質という「 魔法のランプ 」(ビッグ・バンはこの「 魔法のランプ 」の出口かも知れません)は、必ず「 エーテル 」を必要とし、伝達されるのは「 エネルギー(E) 」であり、気(ki)であり、ある条件で「 物質(M) 」になるのかも知れません(E=MC2)。

人間の頭脳という「 物質(M )」の「 魔法のランプ 」から生み出される「 精神 」という情(zyou)は、「 エネルギー 」を伝達せず、「 エーテル 」を必要としないので「 エーテル 」を認識することが出来ず、「 エネルギー 」が「 力(chikara) 」に実体化したとき、「 仕事量 」という範疇で認識し、「 力学 」を生むと思います。

神、言い換えると「 エネルギー 」を「 精神 」で把握したとき、エネルギーは「 力(chikara)」であり、「 仕事量 」で、物理学の「 力学 」は人類のためにエネルギーを利用する方法であると考え、意識による「 神の把握 」であるから、それを拒む気(ki)である「 神 」と対立すると考えます。

宇宙を成立させている暗黒物質の「 魔法のランプ 」が、エーテルを必要とする「 実有 」であることと、頭脳の「 魔法のランプ 」が生み出す精神的に、宇宙を成立させているという「 意識 」、が作る、エーテルを必要としないが「 実体化が必要な虚である宇宙 」と混同してはいけないと思います。

後者の「 意識 」は、情(zyou)であり、エーテルを必要としないが、実体化を必要とするので不連続の「 虚の宇宙 」であり、前者は、連続する「 実有の宇宙 」であり、後者の中で前者は、エーテルを起因とする「 実体化されない不安 」「 虚数 」として現れると思います。


2013/11/24、私の記事


これは、フィクションです。


このように、宇宙を成立させている暗黒物質の「 魔法のランプ 」が、エーテルを必要とする「 実有 」の世界であり、、頭脳の「 魔法のランプ 」がエーテルを必要としない精神的な虚像の世界であり、前者が「 外なる世界 」で、後者が「 内なる世界 」である「 自我 」であると、以前、書きました。

後者の理論である、量子力学と相対論を組み合わせて宇宙を考える人もいますが、私は、エーテルを「 内なる世界 」を考慮しない考えは、間違いであると思います。

このことは、物理学だけでなく、哲学や宗教学も、同様であると考えます。

「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。


私は、「 エネルギー 」が伝達する空間を「 エーテル 」とし、これが「 永遠 」で「 不変 」であると考えます。

「 エネルギー 」が一定の条件で物質になり(E=MC2)、その物質により判断する「 内なる世界 」は相対的であり、「 諸行無常 」であり「 万物は流転する 」のであり、「 永遠 」や「 不変 」であるのは「 内なる世界 」には構造として存在しない「 エーテル 」であると考えます。

「 存在(意識)しないもの 」を「 存在(意識)する 」と考えることが「 不変 」や「 永遠 」を考えることだと思いますが、存在(意識)を変化させるので、「 相対的 」を「 絶対的 」にすることで、「 自我を否定 」することで、社会的には「 狂気 」という評価を得るかも知れませんが、これが「 永遠 」を求めることであり、「 神 」を信じることだと思います。

「 神 」を信じるためには「 エーテル 」を考えることが必須だと考えます。

「 エーテル 」という気(ki)が「 実有 」であり、「 諸行無常 」という情(zyou)は「 エネルギー 」と「 物質 」が流動的であることで、気(ki)を原因とする「 現象 」であり「 相対的 」な存在意識であると思います。

「 実有 」は存在意識という情(zyou)を含む気(ki)であり、あらゆる現象を包摂する空間で、人間の情(zyou)では、「 時間 」や「 速度 」では想定不能の「 空間 」だと思います。

「 空間 」として考える限り情(zyou)であり、測定不能の「 場 」であると考えます。

真空でも、地上のリンゴが落ちるとき、「 重力 」というエネルギーは測定可能だが、「 エネルギーが働く場 」は意識で測定不能であるが「 実有 」するように、「 エーテル 」は意識とは無関係に「 実有 」するのだと思います。


2013/12/1、私の考え



これは、フィクションです。

私は、仏教的な言葉を書きますが、仏教を勉強したこともありませんし、僧侶でもなく、仏教の門外漢です。

まして、哲学者でもありません。

しかし、フィクションとして、書きたいのです。

私は、「 神 」をエネルギーと考え、「 法身(hotsusin)」を神の身体であるエーテルと考え、「 報身(housin)」 を社会や文化のすべての思想だと考えています。

仏教に興味がある人は、ほかのブログをご覧になるようお願いします。

以上のように、宇宙を成立させている暗黒物質の「 魔法のランプ 」からの噴出物が、エーテルを必要とする「 実有 」の世界であり、頭脳の「 魔法のランプ 」からの噴出物がエーテルを必要としない精神的な虚像の世界であり、前者が「 外なる世界 」で、後者が「 内なる世界 」である「 自我 」であると考えますと、「 世界 」を生む二つの「 魔法のランプ 」は、宇宙の産物であり、法身(hotsusin)であると思います。

後者の「 魔法のランプ 」は、「 神 」であるエネルギーの身体、すなわち重力や電磁波などの気(ki)が通う空間である「 エーテル 」に包まれた宇宙の産物ですから法身(hotssin)の一部であり、人体自身は、科学の対象となる気(ki)の塊ですから科学が適用されます。

人体は「 魂 」であり気(ki)でありますから、科学が適用されると考えます(生気論)。

後者の「 魔法のランプ 」から出た「 内なる世界 」は、エーテルを含まない、法身(hotssin)でない情(zyou)であり、報身(housin)であると考えます。

この報身(housin)の中に「 宗教 」があると思うのですが、エーテルを含まないから科学的な対象とはならず、宗教が作った「 神 」は、気(ki)であるエネルギーを通過させたり、エネルギーを生んだりせず、その目的は「 人格の完成 」であり、報身(housin)が作るのは「 仏(hotoke) 」であり「 神 」ではないと思います。

「 宗教が作った神仏 」は、エーテルを必要としないことを理由として「 限界 」が生じると思います。

「 限界 」とは「 永遠 」と唱えながらも、「 永遠 」を解決していないから、人間では考えられないほどの時間や空間の概念を「 宗教 」は必要とするのだと思います。

私は、宗教が「 エーテル 」を考えていないから、そのような概念を必要とすると考えます。

「 人間は神の前で平等である 」と言いますが、私は、後者の情(zyou)である宗教が作った「 神 」ではなく、前者の気(ki)であるエネルギーの「 神 」の前で「 平等 」であると思います。


ちょうど、真空で物体を落下させるとき、「 重いもの 」も「 軽いもの 」も同一の重力で落ちるように、「 重いもの 」とか「 軽いもの 」などの情(zyou)を排除すれば、重力という気(ki)の前では、同一、つまり平等であると考えます。

「 人間は神の前で平等である 」とは、宗教や社会的権利や文化的思考により与えられる「 平等 」ではなく、人間という存在自体が気(ki)であり、人間が生まれたときから気(ki)であるエネルギーとしての「 神 」の前で「 平等 」であると考えます。



このように、宇宙を成立させている暗黒物質の「 魔法のランプ 」からの噴出物が、エーテルを必要とする「 実有 」の世界であり、頭脳の「 魔法のランプ 」からの噴出物がエーテルを必要としない精神的な虚像の世界であり、前者が「 外なる世界 」で、後者が「 内なる世界 」である「 自我 」であると考えますと、「 世界 」を生む二つの「 魔法のランプ 」は、宇宙の産物であり、法身(hotusin)であるので、「 人間は宇宙の産物として平等である 」と思います。


三身(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BA%AB

法身(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%BA%AB

報身(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B1%E8%BA%AB

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