2014年01月30日

2014年01月29日

2014/1/29、二見浦と伊勢内宮への旅 U 二見浦

2014/1/27、伊勢神宮に参拝しました。

今年、撮影した、二見浦の夫婦岩の写真です。


IMGA0009.JPG
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2014年01月26日

2014/1/26、オカルト・エーテル考14・存在の謎2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。






2014/1/19、私の記事


これは、フィクションです。


上記のように、宇宙を満たすエーテルを無限の「 弦 」や膜と考え、エネルギーはプラスとマイナスを持つ「 神 」と考え、プラスが「 男神 」でマイナスが「 女神 」と考え、物質は「 弦 」であると考え、この世界は「 エーテル 」を必須とする。

これに対し、人間が持つ「 意識 」はエネルギーであり、その内容である「 思想 」「 内なる世界 」は、エーテルを考慮しない、あるいは認識することが出来ない世界である。

そのため、頭脳は「 永遠 」に「 無明 」であり、事象を「 無常 」と考え、宇宙と一致しないと思います。

下記のように「 存在の謎 」でいう「 「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」については、現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的に存在せず、「 無(mu) 」は、実有する「 エーテル 」であり、宇宙は「 無(mu)」に満たされ、「 無(mu)」に包摂されて「 有 」があり、「 有 」や「 実体 」と認識するのは、「 弦 」のエネルギーが集合した物体であると考え、「 エーテル 」という弦が存在するから、エネルギーから物体、逆に物体からエネルギーへと変換できると思います。

「 弦 」の集合の成立は、前述したようにプラズマ宇宙論を考えます。

この「 無(mu) 」つまり「 エーテル 」が実有するのに対し、人間の頭脳では「 エーテル 」を考慮しない、あるいは認識することが出来ないため、「 無明(mumyou)」や「 無常(muzyou) 」という観念が発生するのだろうと思います。

インドにおいては「存在しない事」を「無が存在する」というらしいが、私は「 無が存在する 」のではなく「 エーテルが存在する 」と考えます。


私は、下記の、なぜ何もないのではなく、何かがあるのか「存在の謎」(Wikipedia) の中に、アインシュタインの相対論も量子論も超弦理論も「 エーテル 」のことも、書かれていないことに、非常に不満に思っています。



2014/1/26、私の考え



これは、フィクションです。

このように、エネルギーが「 神 」であり、「 男神 」と「 女神 」を始めと終わりとした弦で、「 物体 」は素粒子の弦の集合であり、「 実体 」は人間の頭脳で始めと終わりがある、因果関係がある「 弦 」であり、その全てを包摂するのが「 法身(hotsusin)」であるエーテルと考えます。

「 神 」と「 物体 」はエーテルを必ず必要とし、「 実体 」あるいは「 存在 」は意識であり、エーテルを必要とせず、そもそもエーテルが認識することが出来なく、エーテルを「 無(mu)」と考えるのだと思います。

哲学者が言う「 存在と時間 」も「 存在と無 」も、認識の問題であり意識の問題であり、「 無(mu) 」や「 時間 」(私は、存在は存在意識であるし、時間は時間意識と考え、現在には無い過去や未来を作る意識だと考えます)を本当に哲学したのか疑います。

哲学者の「 無 」は「 虚無 」の無でしょうし、「 否定 」の意味しか持たないと思いますが、人間はすべて「 有(yuu) 」の中で生まれて死ぬのであり、「 有(yuu)」も「 無(mu)」も人間は知らないのだと思います。

空気と共に有るエーテルを解明せず、「 宇宙 」のことを解明することは不可能だと思います。

その意味で、相対論と量子力学を結合するなど、エーテルを考慮しない宇宙で終わり、本当の宇宙の解明につながらないと思います。

私は、「 神 」はプラズマ宇宙論から生まれ、「 神 」の身体が「 エーテル 」と考え、宇宙すべて、人体の中でもエネルギーが伝導するのはエーテルの中であると考えます。

その認識不能な空間(エーテル)を「 無(mu)」と考え、認識や言葉を超越し、その「 無(mu)」の始まりを科学者はビッグ・バンと考えるでしょうが、始まりは「 魔法のランプ 」であると考えることと同じで、認識不能であると思います。

「 なぜ宇宙があるのか 」
「 なぜ世界があるのか」
「 なぜ無でないのか 」

「 なぜ宇宙があるのか 」については、上記のとおりで、「 なぜ世界があるのか 」の「 世界 」はエーテルの無い精神の世界であり、なぜ人間は考えるのかと同じことであり、エーテルが無い「 世界 」はエーテルを必須とする「 宇宙 」と一致しないし(つまり無明)、「 なぜ無でないのか 」は、「 無 」といってもエーテルは有るし、人類は「 無 」を知らないと思います。

これらは、認識しようとするのだが、認識は「 原因と結果 」の「 物語 」であり、それらすべてを包摂する宇宙やエーテルの「 有(yuu) 」は超越しているため、「 無(mu)」と思うのだろう。

「 有(yuu) 」は「 無(mu)」であり「 無(mu)」は「 有(yuu) 」である。

「 有(yuu) 」と「 存在 」は相違すると思う。

「 神 」やエーテルなどを、自然界のエネルギーと考え、これらは人間にとって悪いこと(地震や風水害や津波や雷や太陽風)も「 神 」であり、信仰するのも良いかもしれないが、気(ki)を信じることで、超能力を信じることや、現世利益を信じることになると思う。

宗教は、心の悩みを解消することであり、気(ki)の「 神 」ではなく、情(zyou)の「 仏(hotoke)」を信仰することだと思う。

「 仏(hotoke)」は「 人間を超越する 」のであり、涅槃は大気中のエーテルの状態だろうと思う。


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2014年01月19日

2014/1/19、オカルト・エーテル考13・存在の謎

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。




2013/12/29、私の記事

これは、フィクションです。


このように、「 エーテル 」を「 実有 」と考え、昔の人々はこれをどのように考えていたのかを考えます。

私は、仏教しか馴染みはありませんが、昔から「 無(mu) 」という言葉で表されているのが「 エーテル 」であり「 実有 」に該当すると思います。

人類は「 有 」や「 無(mu) 」が何であるかを知ることは出来ないと思います。

もし、知ることが可能なら、エーテルも特異点も暗黒物質も容易に判明するでしょう。

「 有無 」の「 無(mu) 」は「 存在しない 」と考えるのが普通かもしれませんが、「 有 」すなわち「 存在 」を「 存在意識 」と考えると、「 無(mu) 」は「 意識 」ではなく、従って「 意識 」では定義することが出来ないと思います。

「 物体 」が無くても、「 エーテル 」は「 実有 」し、しかもすべての物体を許容し、実在界で「 縁起 」を生む下記の「 四諦 」も包摂し、在りとあらゆるものを矛盾なく包摂します。

その「 無(mu) 」こそ「 実有 」であり、情(zyou)により具現化したのが「 エーテル 」であると考えます。

「 無(mu) 」は「 無限(mugen) 」に使う「 無(mu) 」であり、「 無常(muzyou) 」で使う「 無(mu) 」です。

「 無意識(muisiki) 」にも「 無(mu) 」を使いますが、これは「 意識でないもの 」であり、「 派生する 」意識ではなくて、「 流れる 」エネルギーの領域であり、「 意識 」と「 エーテル 」をつなぐものと考えます。

「 無限(mugen) 」についてですが、無限大は宇宙ですし、無限小の物体は素粒子ですし、素粒子が「 超弦理論 」において「 弦(gen) 」であれば、素粒子を包摂する「 エーテル 」も最大の「 弦(gen) 」として宇宙を満たしているかも知れません。

宇宙は単一の法則が貫通していると考えるからです。

宇宙を満たしている「 エーテル 」が「 実有 」する「 無(mu) 」であり、「 弦(gen) 」で、エネルギーも「 弦(gen) 」であるかも知れず、宇宙の膨張も「 弦(gen) 」の広がりであり、すべてが「 弦(gen) 」として「 連続 」しているかも知れません。

このように、「 エーテル 」を「 弦(gen) 」と考えたとき、一般相対性理論で、なぜ重力により空間が「 ひずみ 」、光の直進を妨げるかを説明することが出来ると考える。

「 エーテル 」が「 弦(gen) 」であるから、その上に乗る星の重力により、弦(gen)であるエーテルが「 ゆがむ 」のであり、光の直進を阻むと考えます。

このように考えると、「 超弦理論 」は、「 物質 」だけでなく、「 エーテル 」や「 エネルギー 」の理論であるかもしれません。


2014/1/5、私の記事



これは、フィクションです。



以上より、宇宙(これは、私の身体を出入りする空気も宇宙だと考えます)は、一つの物質ではない「 無(mu)」という弦であり、すべてを包摂するが、情(zyou)により、エーテル、大気、物質、意識と区別しているのであり、「 死 」により、そのすべての区別が解かれて、人類は宇宙と一つになると考えます。

「 弦(gen)」は、YouTube などを拝見しますと、バイオリンのような弦ではなく、丸い輪のような形状をしていると想定します。

無限小が素粒子で、無限大が宇宙と言いましたが、丸い輪でもバイオリンの絃であっても、情(zyou)は、「 始めと終わり 」で「 有 」を区別するのだと思います。

「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。のは相対論者です。

私は、エーテルが、物質ではない「 無(mu) 」として宇宙のすべてを満たす「 実有 」であると思います。

「 実有 」は、すべての規定(物質や意識)を受け入れ、すべてを否定する「 有 」であり、意識で否定しても、否定しても、疑いなく「 実在する 」「 有 」で、これが宇宙を満たしている、一つの「 弦 」や「 膜 」であると思います。

先に述べましたように、「 死 」により地獄や極楽に行くのではなく(それは、政治的、宗教的、社会的、教育的な善なる行為を推奨する結末)、「 実有 」で「 無(mu)」である一つの「 弦 」に回帰することであり、すべての情(zyou)の規定を拒み、包摂する「 無(mu) 」であるエーテルに回帰することであると思います。

情(zyou)による区別は以下のように考えます。

エーテルは情(zyou)で規定することができないから「 無限(mugen) 」であり、「 永遠 」と想定し、エネルギーは、日本では「 神 」に「 男神 」と「 女神 」があるように、プラスとマイナスという始まりと終わりを持つ、「 気(ki) 」であると想定します。

「 物質 」は素粒子の集まりですから、「 弦(gen)」の組み合わせだと想定します。

人体は宇宙の一部と考えると、暗黒物質の一部でしょうし、「 魔法のランプ 」の一部でしょう。

意識も、「 始めと終わり 」があり、私が今まで「 定在波 」と言って来たのが「 弦(gen) 」でしょうし、「 始めと終わり 」が無意識というエネルギーから生まれるとすれば、「 弦(gen) 」は一定のエネルギーであると考えます。

「 存在 」という「 存在意識 」は、エネルギーから生まれた「 弦(gen) 」であり、「 弦(gen) 」が集合した「 束 」が、「 定在波 」となり「 人格 」となり、何を好み、何に快楽を求めるかの「 弦(gen) 」の違いが「 人格 」の違いであると思います。

この「 束 」の成立に、プラズマ宇宙論を考えます。

このように考えると、意識から人格からエネルギーやエーテルが「 弦(gen) 」でつながり、すべてが、「 無(mu) 」という「 実有 」のエーテルの中での「 有 」であり、前述した気(ki)と情(zyou)の特徴は、「 無(mu) 」と「 有 」、エネルギーやエーテルと意識を分ける結界だと考えます。


2014/1/19、私の考え



これは、フィクションです。


上記のように、宇宙を満たすエーテルを無限の「 弦 」や膜と考え、エネルギーはプラスとマイナスを持つ「 神 」と考え、プラスが「 男神 」でマイナスが「 女神 」と考え、物質は「 弦 」であると考え、この世界は「 エーテル 」を必須とする。

これに対し、人間が持つ「 意識 」はエネルギーであり、その内容である「 思想 」「 内なる世界 」は、エーテルを考慮しない、あるいは認識することが出来ない世界である。

そのため、頭脳は「 永遠 」に「 無明 」であり、事象を「 無常 」と考え、宇宙と一致しないと思います。

下記のように「 存在の謎 」でいう「 「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」については、現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的に存在せず、「 無(mu) 」は、実有する「 エーテル 」であり、宇宙は「 無(mu)」に満たされ、「 無(mu)」に包摂されて「 有 」があり、「 有 」や「 実体 」と認識するのは、「 弦 」のエネルギーが集合した物体であると考え、「 エーテル 」という弦が存在するから、エネルギーから物体、逆に物体からエネルギーへと変換できると思います。

「 弦 」の集合の成立は、前述したようにプラズマ宇宙論を考えます。

この「 無(mu) 」つまり「 エーテル 」が実有するのに対し、人間の頭脳では「 エーテル 」を考慮しない、あるいは認識することが出来ないため、「 無明(mumyou)」や「 無常(muzyou) 」という観念が発生するのだろうと思います。

インドにおいては「存在しない事」を「無が存在する」というらしいが、私は「 無が存在する 」のではなく「 エーテルが存在する 」と考えます。


私は、下記の、なぜ何もないのではなく、何かがあるのか「存在の謎」(Wikipedia) の中に、アインシュタインの相対論も量子論も超弦理論も「 エーテル 」のことも、書かれていないことに、非常に不満に思っています。


参考


「 エーテル 」とは
アインシュタインは「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。
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2014年01月12日

2014/1/12、OfficeSuite Pro 7 で串刺し集計をする

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2014/1/12、私の考え



私の業務の一つに、一日の集計を報告し、その集計表を月末に集計する業務があります。

私は、この業務に、パソコンで作った表計算を、SkyDrive をとおして、officeSuite Pro 7 でデーターを入力するようにしました。

表計算(エクセル)の「 串刺し集計 」をパソコンで作成して、データーを入力したところ、officeSuite Pro 7で、エクセルエラーが現れました。

「 串刺し集計 」を、エクセル関連の本で作っても、ネットの情報で作っても、エクセルエラーが表示されました。

私は、officeSuite Pro 7 で「 串刺し集計 」は出来ないのだろうかと疑いました。

しかし、本やネット情報の入力方法ではなく、エクセルの基本の入力をすれば、officeSuite Pro 7 で、エクセルエラーが出ないと知りました。

officeSuite Pro 7 ではなく、自分の入力方法に間違いがあったのです。


以下は、私の体験談です。



@ 理想的な一日の集計表を作る(エクセルの本を参照)。

A このシートを、31回コピーして、名前を付ける(エクセルの本を参照)。
(たとえば、一日、二日、三日と31日まで作り、最後に集計シートを作る)

B この31枚のシートを「 串刺し集計 」するのだが、もしパソコンを使うなら、エクセルの本やネット情報で作成することが出来る。


このパソコンで作った「 串刺し集計 」を、officeSuite Pro 7 で使いたい場合は、エクセルの本やネット情報ではなく、次のような入力をすれば可能です。

まず、集計したいセルをクリックする。

関数入力のタブ(Fx)をクリックして「SUM 」を選択する。

すると、「 セル範囲に含まれる数値をすべて合計します 」という言葉とともに、「 数値1 」「 数値2 」という数値を入力する欄が現れる。

そこで、「 数値1 」に、合計したいセルを入力する(1〜255個まで入力することが出来る)。

(たとえば、集計したいセルがB2のセルなら、「 一日 」のシートのB2をクリックし、次に「 二日 」のシートのB2をクリックし、続けて「 三日 」のシートのB2と、31日まで、続けて入力すると、パソコンが自動的に加算してくれる)

入力が終わったら、「 エンターキー 」をクリックする。

この一つのセルに入力が終わり、残ったセルも、同じ「 串刺し集計 」するのなら、書式をコピーすればよい(エクセルの本を参照)

このように、本やネット情報の入力方法ではなく、エクセルの基本の入力をすれば、Skydriveにアップロードし、スマートフォンのSkyDriveでofficeSuite Pro 7 の、テンプレートに保存すれば、エクセルエラーが出ない「 串刺し集計 」をつかうことが出来ると知りました。

間違いは無いと思いますが、一度、お試しください。

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2014年01月11日

2014/1/11、3月31日で、LOVELOG の終了




『LOVELOG』サービス提供の終了について

2014年1月8日

KDDI株式会社
沖縄セルラー電話株式会社

平素はLOVELOGをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。

au one net会員さまおよびauひかり ちゅらご契約のお客さま向けに無料で提供しておりましたブログサービス『LOVELOG』につきまして、サービスの提供を終了することになりました。
ご利用中のお客さまのブログの新規投稿・編集(既存記事の編集や削除も含みます)は2014年3月31日(月)まで、ブログの閲覧は2014年6月30日(月)を持ちまして終了します。
これまで長きにわたりご愛顧いただき、誠にありがとうございました。

LOVELOGサービス提供の終了に伴いまして、現在ご利用中のお客さまには、シーサー株式会社が提供する『Seesaaブログ』へ移行して引き続き同様のブログサービスをご利用できるよう準備を進めています。
ブログデータ移行機能をご利用できるようになり次第、改めてトピックスおよびLOVELOGトップページなどでお知らせします。


2014/1/11



ブログの新規投稿・編集(既存記事の編集や削除も含みます)は2014年3月31日(月)で終了します。

そろそろ、私のブログの総括をしなければならないでしょう。

LOVELOG で書いたことは、気(ki)と情(zyou)や、エーテルや無(mu)と気(ki)と情(zyou)の関係で結論は出ていると思います。

この結論を総括して、これまで書いてきた「 カテゴリー 」に対して、結びとなるコメントを書いていこうと思います。

3月31日で、すべてを終わらせる自信は無いが、努力したいと思います。
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2014年01月05日

2014/1/5、オカルト・エーテル考12・無(mu)と気(ki)2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2013/10/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



エーテルが「「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在 」しなく、宇宙がエネルギーに満ちているならば、「 神が位置とは無関係に実有する 」ことが真理であり、人間の意識は、「 七色の虹 」あるいは、「 幻(maborosi)」のようなもので、宇宙のすべての物理法則自体が「 神を写した情報 」であり「 特殊 」な「 神の愛 」の産物であると考えます。






2013/12/29、私の記事

これは、フィクションです。


このように、「 エーテル 」を「 実有 」と考え、昔の人々はこれをどのように考えていたのかを考えます。

私は、仏教しか馴染みはありませんが、昔から「 無(mu) 」という言葉で表されているのが「 エーテル 」であり「 実有 」に該当すると思います。

人類は「 有 」や「 無(mu) 」が何であるかを知ることは出来ないと思います。

もし、知ることが可能なら、エーテルも特異点も暗黒物質も容易に判明するでしょう。

「 有無 」の「 無(mu) 」は「 存在しない 」と考えるのが普通かもしれませんが、「 有 」すなわち「 存在 」を「 存在意識 」と考えると、「 無(mu) 」は「 意識 」ではなく、従って「 意識 」では定義することが出来ないと思います。

「 物体 」が無くても、「 エーテル 」は「 実有 」し、しかもすべての物体を許容し、実在界で「 縁起 」を生む下記の「 四諦 」も包摂し、在りとあらゆるものを矛盾なく包摂します。

その「 無(mu) 」こそ「 実有 」であり、情(zyou)により具現化したのが「 エーテル 」であると考えます。

「 無(mu) 」は「 無限(mugen) 」に使う「 無(mu) 」であり、「 無常(muzyou) 」で使う「 無(mu) 」です。

「 無意識(muisiki) 」にも「 無(mu) 」を使いますが、これは「 意識でないもの 」であり、「 派生する 」意識ではなくて、「 流れる 」エネルギーの領域であり、「 意識 」と「 エーテル 」をつなぐものと考えます。

「 無限(mugen) 」についてですが、無限大は宇宙ですし、無限小の物体は素粒子ですし、素粒子が「 超弦理論 」において「 弦(gen) 」であれば、素粒子を包摂する「 エーテル 」も最大の「 弦(gen) 」として宇宙を満たしているかも知れません。

宇宙は単一の法則が貫通していると考えるからです。

宇宙を満たしている「 エーテル 」が「 実有 」する「 無(mu) 」であり、「 弦(gen) 」で、エネルギーも「 弦(gen) 」であるかも知れず、宇宙の膨張も「 弦(gen) 」の広がりであり、すべてが「 弦(gen) 」として「 連続 」しているかも知れません。

このように、「 エーテル 」を「 弦(gen) 」と考えたとき、一般相対性理論で、なぜ重力により空間が「 ひずみ 」、光の直進を妨げるかを説明することが出来ると考える。

「 エーテル 」が「 弦(gen) 」であるから、その上に乗る星の重力により、弦(gen)であるエーテルが「 ゆがむ 」のであり、光の直進を阻むと考えます。

このように考えると、「 超弦理論 」は、「 物質 」だけでなく、「 エーテル 」や「 エネルギー 」の理論であるかもしれません。


2013/12/31、私の記事

これは、フィクションです。



このように、「 無(mu)」というのが「 エーテル 」であり「 実有 」し、「 無限(mugen) 」の「 弦(gen) 」であることは、私にとっては、重要な帰結になります。

音波が大気という媒体が無ければ伝わらないように、「 波 」は媒介が無ければ伝わらないと思います。

「 電磁波 」や「 重力波 」も「 媒体 」が必要で、その「 媒体 」は「 エーテル 」であると思います。

相対論も量子論も「 エーテル 」を無視してきましたが、それが原因で、物理学と哲学と宗教に「 間 」を作り、不連続で異質な「 学問 」としたのだと思います。

私にとって、「 無(mu)」というのが「 エーテル 」であり「 実有 」し、無限大から無限小まで「 無限(mu) 」の「 弦(gen) 」であることを認めることが、物理から形而上学を統合する情(zyou)になると思います。

これは、私の勝手な結論であり、同調を求めません。


2014/1/5、私の考え



これは、フィクションです。



以上より、宇宙(これは、私の身体を出入りする空気も宇宙だと考えます)は、一つの物質ではない「 無(mu)」という弦であり、すべてを包摂するが、情(zyou)により、エーテル、大気、物質、意識と区別しているのであり、「 死 」により、そのすべての区別が解かれて、人類は宇宙と一つになると考えます。

「 弦(gen)」は、YouTube などを拝見しますと、バイオリンのような弦ではなく、丸い輪のような形状をしていると想定します。

無限小が素粒子で、無限大が宇宙と言いましたが、丸い輪でもバイオリンの絃であっても、情(zyou)は、「 始めと終わり 」で「 有 」を区別するのだと思います。

「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。のは相対論者です。

私は、エーテルが、物質ではない「 無(mu) 」として宇宙のすべてを満たす「 実有 」であると思います。

「 実有 」は、すべての規定(物質や意識)を受け入れ、すべてを否定する「 有 」であり、意識で否定しても、否定しても、疑いなく「 実在する 」「 有 」で、これが宇宙を満たしている、一つの「 弦 」や「 膜 」であると思います。

先に述べましたように、「 死 」により地獄や極楽に行くのではなく(それは、政治的、宗教的、社会的、教育的な善なる行為を推奨する結末)、「 実有 」で「 無(mu)」である一つの「 弦 」に回帰することであり、すべての情(zyou)の規定を拒み、包摂する「 無(mu) 」であるエーテルに回帰することであると思います。

情(zyou)による区別は以下のように考えます。

エーテルは情(zyou)で規定することができないから「 無限(mugen) 」であり、「 永遠 」と想定し、エネルギーは、日本では「 神 」に「 男神 」と「 女神 」があるように、プラスとマイナスという始まりと終わりを持つ、「 気(ki) 」であると想定します。

「 物質 」は素粒子の集まりですから、「 弦(gen)」の組み合わせだと想定します。

人体は宇宙の一部と考えると、暗黒物質の一部でしょうし、「 魔法のランプ 」の一部でしょう。

意識も、「 始めと終わり 」があり、私が今まで「 定在波 」と言って来たのが「 弦(gen) 」でしょうし、「 始めと終わり 」が無意識というエネルギーから生まれるとすれば、「 弦(gen) 」は一定のエネルギーであると考えます。

「 存在 」という「 存在意識 」は、エネルギーから生まれた「 弦(gen) 」であり、「 弦(gen) 」が集合した「 束 」が、「 定在波 」となり「 人格 」となり、何を好み、何に快楽を求めるかの「 弦(gen) 」の違いが「 人格 」の違いであると思います。

この「 束 」の成立に、プラズマ宇宙論を考えます。

このように考えると、意識から人格からエネルギーやエーテルが「 弦(gen) 」でつながり、すべてが、「 無(mu) 」という「 実有 」のエーテルの中での「 有 」であり、前述した気(ki)と情(zyou)の特徴は、「 無(mu) 」と「 有 」、エネルギーやエーテルと意識を分ける結界だと考えます。

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