2014年03月23日

箱根旅行と富士山

これは、私です。
息子が撮ってくれました。

P1000329.JPG




私の退職記念の旅行先に、箱根を選んだのですが、これは私にとっては、二度目の箱根と富士山でした。

最初は、高校の修学旅行で、同じく、箱根の駒ヶ岳を訪れたのですが、その時は夕方でして、山頂に着いたとき富士山を見ましたら、真っ赤な夕日の中に黒々とした富士山で、富士山の方向から冷たい風が吹いて来ました。

その時は「 なんと怖い山だ 」というのが富士山の印象で、人を寄せ付けない厳しい富士山だったのを覚えています。

「 赤富士は縁起が良い 」と言いますが、私が見たのは、真っ赤な夕日の中の黒い富士山で、「 赤富士 」と言えば黒い富士山の強烈な思い出が浮かび、もう二度とここに来ることは無いだろうと思いました。

ところが、時は巡って退職のとき、妻や息子に富士山を見せようと、箱根に来たとき、すでに公開したような富士山を見ることが出来たのです。

それは、私の誤解を解くかのように、素晴らしく大きく美しい富士山で、私に写真を撮ってくれと要求するモデルのような気がしまして、何枚かの写真を撮ることが出来ました。

私が望むのは、修学旅行で箱根の富士山を見た高校生や中学生が、富士山はいかに大きく素晴らしく美しいのかという印象を持ってほしいことです。

間違っても、私のように、怖い富士山という印象を持たないように。



「 箱根旅行と富士山 」forkN が写真集です。

http://forkn.jp/book/7411/


「 箱根旅行と富士山 U」forkN もあります
     ↓
http://forkn.jp/book/7479/
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2014年03月21日

城崎温泉と城崎マリンワールド forkN

本日、「 城崎温泉と城崎マリンワールド 」forkN を公開しました。
     ↓
http://forkn.jp/book/7459/

ブログで公開した写真です。
無料ですので、見てやってください。
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2014年03月16日

2014/3/16、オカルト・エーテル考22・価値観と満足感5

2014/3/1、私の記事

これは、フィクションです

これまで書いて来たことを振り返りますと、意識は電磁波の構造を持ち、電場はエネルギーの領域で「 空間意識 」であり、磁場は精神の領域であり、「 時間意識 」であると思います。

時間や空間は、「 今、ここ 」を超越するエーテルであり、意識の中では、無(mu)あるいは有(yuu)を把握することが不能であり、無(mu)をエネルギー(電場)で区切って実体化し、具現化したのが「 空間意識 」で、精神(磁場)で区切って実体化し、具現化したのが「 時間意識 」と考えます。

無(mu)は、エーテルであり、法身(hotsusin)の無(mu)を媒介にして、宇宙からのエネルギーがストレスとして体内に摂取され、その飽和点が「 満足感 」であり、その一定の「 定在波 」が「 人格 」として、行為となって外部に具現化すると思います。

「 定在波 」である「 人間関係 」に「 価値観 」という精神が満足したのが「 六道 」の人間であると思います。

満足感は「 六道 」の一つの「 定在波 」であり、他の「 定在波 」に乗り換えたいと思うとき、「 価値観 」の変化が必要であると思います。

例えば、タバコの喫煙や大麻の喫煙の習慣や人間関係から逃れる行為をするとき、「 価値観 」の変化が求められます。

2014/3/2、私の記事

これは、フィクションです。

情(zyou)は、地球、国家、地域、社会、DNAなどにより、相違しますが、意識の構造を、以上のように考えたとき、情(zyou)についても、「 満足感 」と「 価値観 」で考えることにします。

「 満足感 」は、「 好き 」や「 嫌い 」や「 大小 」などのベクトルやストレスや「 感情 」や感性であり、電場、つまり空間のエネルギーや「 小脳 」に関係すると考えます。

「 価値観 」は、「 満足感 」を選択する基準であり、精神、磁場、記憶などの大脳に関連し、時間意識に関係すると思います。

「 電場 」は、共通のエネルギーであるのに対し、「 磁場 」は「 テンソル計算 」でもわかるように、一定の磁場は無いと思います。

「 満足感 」は自己中心的で動物的であるのに対し、「 価値観 」は社会的で精神的であると思います。

それゆえに、「 満足感 」の「 教育 」は必要でないのに対し、「 価値観 」は万人が相違するため、「 教育 」が必要であると思います。

「 満足感 」や感性などは、「 感じるもの 」であり、「 感受性 」の問題であるのに対し、「 価値観 」や精神は「 思考するもの 」であり、「 記憶 」の問題で、前者は「 エーテル 」を含む無意識(muisiki)であり、後者は、「 エーテル 」を無視する意識(無(mu)という記憶は無い)に特有のものだと思います。

これらは、電磁波のごとく、繰り返して意識に惹起し、意識が無意識から生じるように思いますが、実際は領域が違い、無意識から意識が生じると思うのは、意識も無意識も、「 心 」や「 行為 」から生じるからだと思います。

その「 電磁波 」の「 定在波 」が、満足し安心した軌道であり、心が生む行為であり、「 人格 」であることは、以前に述べました。

2014/3/16、私の考え

これは、フィクションです。

このように、「 意識 」を電磁波の構造と捉え、電場を気(ki)であるエネルギーや空間意識、磁場を情(zyou)である思考や価値観や時間意識と考え、電場が小脳、磁場が大脳が担当し、この妥協点が「 行為 」や「 人格 」と考えると、愛情や憎悪が際限なく進むのは、電磁波が進むことと同じだと思います。

それは、次のようになると思います。

「 好き 」や「 嫌い 」というエネルギーが小脳で「 満足感 」を感じ「 人格 」が形成された後、大脳で、この「 満足感 」を否定して「 もっと好き 」や「 もっと嫌い 」を増幅させ、それに対応した「 価値観 」を形成し、その後、小脳で、現状に対しストレスというエネルギーを形成し、「 自然界 」には存在しない、愛情や憎悪が増幅することになると思います。

愛情や憎悪の増幅を止めるのは、行為や人格として「 具現化 」することではなく、電磁波を逆に進めることだと思います。

電場、つまり好き嫌いという気(ki)である感情や感性を止めると、小脳が「 満足感 」を感じず、ストレスを感じて病気になるから、情(zyou)を変化させることであり、情(zyou)とは思考であり悟性であるから、記憶の考え方を変化させることであり、社会通念や価値観を変化させること、つまり「 相手の愚行を許すこと 」で、電磁波であり意識の進行方向を逆にすることが出来ると思います。

嫌いだから「 ヘイトスピーチ 」を発するのではなく、相手の行動の価値観を許すことが必要で、それは相手の言うとうりに「 行為 」して妥協点(人格や政策決定)をつくるのではなく、地球の重力(価値観)と月の重力(価値観)が違い、それによって行為が違うように、本来は妥協が無く、相手の価値観を変えることは戦争など強制を必要としますが、自分の価値観を変えることは可能であり、「 価値観を変えましたよ 」と相手に告知することにより、地球から月に移動したことを、相手が持つ価値観を自覚させ、相手の価値観を変えることが出来るかも知れないと考えます。

これは、愛情や憎悪一般に適用し、個人対個人、国家対国家、に適用が可能であり、両者の思考や悟性を強化する「 教育 」を改善することが、「 政治 」だと思います。

個人は「 教育 」が出来ないから、個人のDNAの働きによる「 人格の向上 」に期待するしかないでしょう。

愛情や憎悪が進行するのは、意識に電磁波的な構造が原因であり、仏教では「 苦 」であり、思いどうりに進行しないのは、大脳で「 無(mu)」を否定と考え、「 無(mu)の存在であるエーテルや無意識(muisiki)の存在 」を考えないことであり、小脳の「 生命に関する満足感の可能性 」を考えないこと、「 相手がどのように生きて満足するのか 」を考えないことだと思います。

生命の関する満足感の可能性とは、動物同士の「 思いやり 」や「 譲り合い 」の「 精神 」であると考えます。

それは、その困った現場を脱するだけの妥協ではなく、私も必要だが、私が必要とするものを贈呈するという「 布施 」であり、相手に屈することでないことも、相手に理解させることが必要であると思います。

「 布施 」の概念は「 精神 」ですから教育することは可能であると思います。
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2014年03月13日

箱根旅行と富士山 forkN ・近所の桜 forkN


ここで、私の電子書籍の閲覧状況を確認したいと思います。

箱根旅行と富士山 forkN
   ↓
http://forkn.jp/book/7411/



近所の桜 forkN
   ↓
http://forkn.jp/book/7403/

追加しました。
「 城崎温泉と城崎マリンワールド 」forkN

http://forkn.jp/book/7459/

追加しました「 箱根旅行と富士山U 」forkN

http://forkn.jp/book/7479/
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2014年03月10日

2014/3/10、箱根旅行と富士山


電子書籍「 箱根旅行と富士山 」です。
ブログで公開した写真です。
      ↓
http://forkn.jp/book/7411/page/1

無料です。
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2014年03月09日

2014/3/9、本日公開・電子書籍「 近所の桜 」

本日、公開しました電子書籍 「 近所の桜 」です。
    ↓
http://forkn.jp/book/7403/page/1

無料です。

追加しました「 箱根旅行と富士山 」です。
     ↓
http://forkn.jp/book/7411/page/1


http://forkn.jp/book/7411/



hakonero-pu1


なお、kandk55 と m24658 の本名は、高口克則(katsunori kouguchi)です。
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2014/3/9、seesaaブログへ移行します

LOVELOGはサービスを終了するので、この際、私のブログも閉じようかと思いました。

しかし、過去の記事の総括も出来ていないし、来年は、完全失業状態になり、ブログを書く時間も増えると考えて、seesaaブログに移行することにしました。

LOVELOGの皆様、さようなら。


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2014年03月02日

2014/3/2、オカルト・エーテル考21・「 価値観 」と「 満足感 」4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。





2014/2/23、私の記事

これは、フィクションです。



情(zyou)は、意識であると思いますが、合理的で理性的ですが、エーテルを含まないため、無(mu)を「 否定 」と把握し、無(mu)の存在を認めないと思います。

私は、意識を電磁波的な構造と考え、電場がエネルギーの領域、磁場は精神の領域と解釈し、前者に「 満足感 」で後者に「 価値観 」を当てはめ、「 価値観 」という精神の柱に沿って、「 満足感 」を中心とするエネルギーが変化した実体の「 関係 」があると考えます。

例えば、台風やハリケーンのように、何層もの低気圧(これを関係と考えます)を縦に重ねたような構造が、思考であると考えます。

見るもの聞くもの、五感すべてから取り入れる「 好き 」や「 嫌い 」や「 大小 」という知覚は、電場、つまりエネルギーの関係で安定し、無意識を中心とした「エーテル 」の影響がある安定であるのに対して、「 価値観 」は物と物を秩序づけるエネルギーで合理的で過去の記憶や社会的規範の影響があるエネルギーだと思います。

「 知覚 」から生じる感情や「 価値観 」は行動するための合理的精密機械のようなものですが、「 エーテル 」を含まないため、無(mu)を「 否定 」と考えるため、無(mu)が有(yuu)として有る自分の外部の関係に触れると、エーテルを「 否定 」と考えるため、思ったように事態は進まず、「 ストレス 」が蓄積された状態になると考えます。


つまり、現実を知覚すれば、ストレスになると考えます。



2014/3/1、私の記事




これは、フィクションです



これまで書いて来たことを振り返りますと、意識は電磁波の構造を持ち、電場はエネルギーの領域で「 空間意識 」であり、磁場は精神の領域であり、「 時間意識 」であると思います。

時間や空間は、「 今、ここ 」を超越するエーテルであり、意識の中では、無(mu)あるいは有(yuu)を把握することが不能であり、無(mu)をエネルギー(電場)で区切って実体化し、具現化したのが「 空間意識 」で、精神(磁場)で区切って実体化し、具現化したのが「 時間意識 」と考えます。

無(mu)は、エーテルであり、法身(hotsusin)の無(mu)を媒介にして、宇宙からのエネルギーがストレスとして体内に摂取され、その飽和点が「 満足感 」であり、その一定の「 定在波 」が「 人格 」として、行為となって外部に具現化すると思います。

「 定在波 」である「 人間関係 」に「 価値観 」という精神が満足したのが「 六道 」の人間であると思います。

満足感は「 六道 」の一つの「 定在波 」であり、他の「 定在波 」に乗り換えたいと思うとき、「 価値観 」の変化が必要であると思います。

例えば、タバコの喫煙や大麻の喫煙の習慣や人間関係から逃れる行為をするとき、「 価値観 」の変化が求められます。

科学は実験により正当性を保つように、精神である「 思想 」も実践で正当性を保つというのは、「 科学的に考える 」のでは無く、精神(磁場)そのものが行為(電場)により両端を結合されている「 弦 」の「 定在波 」である構造であることだと思います。

「 科学的に考える 」ことが精神や人格の向上に繋がるのではなく、電場と磁場で構成されrた「 意識 」の内在的構造により、精神や人格が向上すると思います。

精神は行為するためにあると考え、現状の行為に満足しない価値観を持つことが、精神や人格の向上になると思います。

価値観が最高であるのは、無(mu)だと思います。

虚無主義の無(mu)ではなく、時間や空間の概念や意識を超越する有(yuu)を持つことです。



2014/3/2、私の考え


これは、フィクションです。



情(zyou)は、地球、国家、地域、社会、DNAなどにより、相違しますが、意識の構造を、以上のように考えたとき、情(zyou)についても、「 満足感 」と「 価値観 」で考えることにします。

「 満足感 」は、「 好き 」や「 嫌い 」や「 大小 」などのベクトルやストレスや「 感情 」や感性であり、電場、つまり空間のエネルギーや「 小脳 」に関係すると考えます。

「 価値観 」は、「 満足感 」を選択する基準であり、精神、磁場、記憶などの大脳に関連し、時間意識に関係すると思います。

「 電場 」は、共通のエネルギーであるのに対し、「 磁場 」は「 テンソル計算 」でもわかるように、一定の磁場は無いと思います。

「 満足感 」は自己中心的で動物的であるのに対し、「 価値観 」は社会的で精神的であると思います。

それゆえに、「 満足感 」の「 教育 」は必要でないのに対し、「 価値観 」は万人が相違するため、「 教育 」が必要であると思います。

「 満足感 」や感性などは、「 感じるもの 」であり、「 感受性 」の問題であるのに対し、「 価値観 」や精神は「 思考するもの 」であり、「 記憶 」の問題で、前者は「 エーテル 」を含む無意識(muisiki)であり、後者は、「 エーテル 」を無視する意識(無(mu)という記憶は無い)に特有のものだと思います。

これらは、電磁波のごとく、繰り返して意識に惹起し、意識が無意識から生じるように思いますが、実際は領域が違い、無意識から意識が生じると思うのは、意識も無意識も、「 心 」や「 行為 」から生じるからだと思います。

その「 電磁波 」の「 定在波 」が、満足し安心した軌道であり、心が生む行為であり、「 人格 」であることは、以前に述べました。

「 好き 」や「 嫌い 」も行為するためであり、「 思考 」や記憶も行為するためのものです。

行為は個人の自由であり、法によって制限するしか方法は無いと思います。

ポルノを見ることや、タバコや麻薬は、「 満足感 」がある限り止めないだろうし、やめさせるやめには、ポルノを発行禁止にしたり、タバコや麻薬を吸うことを禁じても復活するだろうから、人生に対する「 価値観 」、つまり「 死んだら終わり 」ではなく、死んでもエーテルとして有り続け、ポルノや麻薬を求める霊として迷い続け、輪廻転生するということを教育したらどうかと思う。
posted by kandk55 at 05:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 44 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月01日

2014/3/1、オカルト・エーテル考20・価値観と満足感3小脳の可能性

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。





2014/2/23、私の記事

これは、フィクションです。



情(zyou)は、意識であると思いますが、合理的で理性的ですが、エーテルを含まないため、無(mu)を「 否定 」と把握し、無(mu)の存在を認めないと思います。

私は、意識を電磁波的な構造と考え、電場がエネルギーの領域、磁場は精神の領域と解釈し、前者に「 満足感 」で後者に「 価値観 」を当てはめ、「 価値観 」という精神の柱に沿って、「 満足感 」を中心とするエネルギーが変化した実体の「 関係 」があると考えます。

例えば、台風やハリケーンのように、何層もの低気圧(これを関係と考えます)を縦に重ねたような構造が、思考であると考えます。

見るもの聞くもの、五感すべてから取り入れる「 好き 」や「 嫌い 」や「 大小 」という知覚は、電場、つまりエネルギーの関係で安定し、無意識を中心とした「エーテル 」の影響がある安定であるのに対して、「 価値観 」は物と物を秩序づけるエネルギーで合理的で過去の記憶や社会的規範の影響があるエネルギーだと思います。

「 知覚 」から生じる感情や「 価値観 」は行動するための合理的精密機械のようなものですが、「 エーテル 」を含まないため、無(mu)を「 否定 」と考えるため、無(mu)が有(yuu)として有る自分の外部の関係に触れると、エーテルを「 否定 」と考えるため、思ったように事態は進まず、「 ストレス 」が蓄積された状態になると考えます。


つまり、現実を知覚すれば、ストレスになると考えます。



2014/3/1、私の考え




これは、フィクションです



これまで書いて来たことを振り返りますと、意識は電磁波の構造を持ち、電場はエネルギーの領域で「 空間意識 」であり、磁場は精神の領域であり、「 時間意識 」であると思います。

時間や空間は、「 今、ここ 」を超越するエーテルであり、意識の中では、無(mu)あるいは有(yuu)を把握することが不能であり、無(mu)をエネルギー(電場)で区切って実体化し、具現化したのが「 空間意識 」で、精神(磁場)で区切って実体化し、具現化したのが「 時間意識 」と考えます。

無(mu)は、エーテルであり、法身(hotsusin)の無(mu)を媒介にして、宇宙からのエネルギーがストレスとして体内に摂取され、その飽和点が「 満足感 」であり、その一定の「 定在波 」が「 人格 」として、行為となって外部に具現化すると思います。

「 定在波 」である「 人間関係 」に「 価値観 」という精神が満足したのが「 六道 」の人間であると思います。

満足感は「 六道 」の一つの「 定在波 」であり、他の「 定在波 」に乗り換えたいと思うとき、「 価値観 」の変化が必要であると思います。

例えば、タバコの喫煙や大麻の喫煙の習慣や人間関係から逃れる行為をするとき、「 価値観 」の変化が求められます。

科学は実験により正当性を保つように、精神である「 思想 」も実践で正当性を保つというのは、「 科学的に考える 」のでは無く、精神(磁場)そのものが行為(電場)により両端を結合されている「 弦 」の「 定在波 」である構造であることだと思います。

「 科学的に考える 」ことが精神や人格の向上に繋がるのではなく、電場と磁場で構成されrた「 意識 」の内在的構造により、精神や人格が向上すると思います。

精神は行為するためにあると考え、現状の行為に満足しない価値観を持つことが、精神や人格の向上になると思います。

価値観が最高であるのは、無(mu)だと思います。

虚無主義の無(mu)ではなく、時間や空間の概念や意識を超越する有(yuu)を持つことです。

呼吸する息から宇宙の果てまで、連続するエーテルが有り、死後は無(mu)になりますが、この無(mu)はエーテルであり、現実にある実有(zituyuu)であり、数億光年先から呼吸する肺の中まで、一気に移動するエーテルです。

空気とエーテルを分離することなく、呼吸している働きをするのは「 小脳 」です。

私は、「 大脳 」の精神(磁場)が、「 心 」や行為(電場)を司る「 小脳 」により「 派生 」したもので、「 小脳 」は「 必然的 」であり、「 小脳の可能性 」というとき、「 必然 」やエーテルを無(mu)としか判断することしかできない、無明(mumyou)な「 大脳 」が考える「 必然性 」と「 小脳 」の「 必然 」との相違だと思います。

「 小脳 」は生死を瞬時に判断し、必然といえるが、「 小脳の可能性 」とは「 心 」であり、エーテルを含まず、合理的な蓋然性であり、「 小脳の可能性 」を無(mu)にすることが、必然に近づくことだと思います。

自己を自然の中に消えさせることは無(mu)になることだが、自己の拡大であり(これは自殺である)、そうではなく、無(mu)を考えの中に入れることであり、絶え間ない自己崩壊が、「 小脳の可能性 」を無(mu)に近づけることだと思います。
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