2015年02月27日

2015/2/27、私の現在の考え11・自意識

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2009/1/2、私の反省(欲望と利己愛)

、「 利己愛 」の中に、「 自意識 」と、「利己の愛欲」とを分けて、前者は「電磁波」の構造を持ち、後者は、「台風」の構造を持つと考えます。

「 自意識 」は、末那識(manasiki)の働きであり、肉体が単独である限り、他の存在に同化する事は出来ない。

「私」を「あなた」と同一にする事は出来ない。

「六道」の何処に位置しても、存在するものです。

人間ならば、誰でも持つ意識だと思います。

これは、本能であると思います。


他方「利己の愛欲」は、欲望であり、自分を生き生きとして豊かにするが、自分の利益中心の定在波を持ち、定在波に対応する「六道」のどれかに位置します。

2008/10/23、自意識は末那識であり、電磁波である。

末那識

潜在的精神活動。
意識の底の流れとして存在し、自他を区別する根本。
自分は自分であって、自分に対する他人がある心。

Wikipedia では、次のように書いてある。

末那識は、特に「恒」(間断なく常に作用する)と「審」(明瞭に思惟する)との二義を兼ねて有して、他の七識に勝っているから、末那(意)識という。

私が、「 自意識 」として、常に自分を確認する意識は、末那識であり、その構造は、電磁波(光)の構造と似ていると思う。

2008/11/6・私の展開(自我意識は悪者ではない)

阿頼耶識(arayasiki)は、意識の束ですから、無数の光を発するかもしれませんが、私の「同心円の模様」は、「 五感 」と六感の「意識 」が作る模様であると思います。

「五感」と六感の「意識」という「穴」を通して、阿頼耶識(arayasiki)からの意識の「光」が干渉するのです。

その干渉波が、私の現実面で、「可能性」や「 心 」の所在になります。

「五感」に「意識」を加えた六感から得る「 光 」の干渉波が、「自意識」という末那識(manasiki)を中心にした「同心円」なのです。

その中心は、「自己意識」あるいは「自意識」の末那識(manasiki)ですから、それが、私という個人を、肉体的にも精神的にも、限定するものだと思います。

2012/3/4、オカルト・私の思い11・自意識

「 自意識 」は、「 自分は自分 」であり、自分の顔が鏡に写すことにより意識されるように、「 自意識 」自体は、死ぬまで不変であり、当事者は知ることが出来ない「 一定の関係 」であると思う。

しかし、これが盲点であり、「 自意識 」こそが、「 無明 」の中心だと思う。

「 自意識 」は生命であり、無意識の中で、自分が自分を選択し、自分という「 一定の関係 」の「 心的存在意識 」で細胞と「 共変 」すると思いがちだが、細胞は「 無常 」であり、無意識の中で変化するのに対し、「 自意識 」は、「 自分は自分 」という「 一定の関係 」であり、外部に表現することにより、「 殻 」を知り、破る対象も知る。

2015/2/15 意識と可能性と欲


バイオリズムなどを「 主観的時間 」と考え、考えることができるすべての空間を「 主観的空間 」と考えそれにより規定された「 方向性 」である「 可能性 」と、アラヤシキ(arayasiki)や末那識(manasiki)の経験の「 始めと終わり 」の「 物語 」を「 フィラメント構造 」とみなし、内部を流れる電流を「 意識 」とし、伝達するのが「 心 」あるいは「 欲 」であり、行動のエネルギー(神)である気(ki)になると考える。
人生も「 フィラメント構造 」をしており、人間の一生も、気(ki)に始まり気(ki)に終わるから、無明というのだろう。
煩悩は「 フィラメント構造 」を通る意識や欲の総体であり、その様子は「 台風 」や「 ハリケーン 」と似た形かもしれない。

このよう考えたとき、「 人間 」の分析には「 流れるもの 」と「 派生するもの 」前者が「 気(ki)}であり後者が情(zyou)だとするのが私の考えである。
欲望や心やエーテルやエネルギー(神)など小脳の感受性の部分が前者であるし、時間や空間の意識や思想や文化一般などの大脳の感覚の部分は後者になるだろう。
行動は「 宇宙的運動の一つ 」であり宇宙と連動するのに対して、思考は「 始めと終わり 」を持つ非宇宙的な頭脳の派生物である。

2015/2/27、私の考え


自意識も意識である以上、頭脳の派生物であるだろう。
自意識は存在意識から派生したものであるが、「 派生するもの」を「 関係するもの」と考える。
存在意識の中での「 関係 」は、存在意識に依存した(派生した)社会的な意識だろう。
「 存在意識 」と関係する意識が自意識で、それは、「 自分のフィラメント構造の自覚である」と思う。
自意識は頭脳の派生物で情(zyou)であるが、無意識にちかい(私は電磁波だと思う)から、エネルギー(神)に近く、無明で方向性が無いと思う。
フィラメント構造(生まれながらの時空)を流れる中で形成する意識だから、気(ki)にも似た無意識であるがために、細胞の不連続性(無常)に気づかない無明のエネルギー(神)であるから、自己の不変や自己の永遠を信じる、あるいは、「 死んだら終わり 」という無明に始まり無明に消えてゆくフィラメント構造であるのかもしれない。
気(ki)にも似た無意識であるため、細胞と「 共変 」すると思いがちだが、細胞は「 無常 」であり、無意識の中で変化するのに対し、「 自意識 」は、「 自分は自分 」という社会的な「 一定の関係 」という意識を固持するため、「 自分はいつまでも不変だ 」と思うかもしれない。
「 関係 」は、本来、自己中心的な自意識に情(zyou)を吹き込む社会的なエネルギーであり、「 欲 」が「 欲望 」に変化する契機になるだろう。
自意識は、電磁波に似たフィラメント構造から派生した、自己保存の意識だろうし、利己愛は、自意識が自分に適合したフィラメント構造に適合した欲望を伴った煩悩であり、「 台風 」や「 ハリケーン」のようなものだろう。
人間、生きているので、利己愛も自意識も必要かもしれないが、「 死 」に向かったとき、存在意識ではなくて、どんな自意識を持っていたのか(自分らしく生きたか?)が、エネルギー(神)により苦しみを伴った審判が下されるだろう。


Every miler draw water to his own mill.
posted by kandk55 at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月24日

2015/2/24、私の現在の考え10・これまでの流れ

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

………………(引用する)………………………………

2015/1/21、私の記事


以上のように、法身(hotsusinn)が宇宙の「 エーテル 」であり、報身(housin)を「 神 」と考えますと、神は「 エネルギー 」であり、応身(ouzin)は「 エネルギー 」が全人類の遺伝子などの「 能力 」に物化したのだと思います。

「 能力 」は何かと考えると「 能 」は頭脳の「 脳 」であり、「 脳の力 」が「 能力 」となり、それが具現化したのが言語や絵画などの文化の全部だと考えます。

法身(hotsusinn)と報身(housin)が気(ki)であり、報身(housin)と応身(ouzin)が情(zyou)であり、法身(hotsusinn)と報身(housin)と応身(ouzin)が一体となったのが人体であると考えると、「 三身即一の尊い如来 」である遥か彼方に鎮座する如来様(nyoraisama)と「 人体 」は同一であると考えます。

仏陀やキリストと私たち人類は、程度の違いさえあるが、「 仏(hotoke)」であり、本来は「 人 」ではないものであり、如来であると考えます。

2015/2/15 意識と可能性と欲


2008/10/26、生まれながらの時空より引用すると「人間は、生まれた時から、宇宙に匹敵する「時空間」を頭の中に持っている。全ての人類は同じ「時空間」を持って生まれる。これは、「アプリオリ」「先験的」に持って生まれる。「時間意識」と「空間意識」として、つまり「意識」として「時空間」を持っている。そして、景色を見ている眼を見る事が出来ないように、「時間」と「空間」が、直感の形式と言うだけで、規定する事が出来ない。時空間を持っているから、時空に関する物理学も理解する事が出来るし、「社会」に自分の「時空間」を表現する事が出来る。「時空間」は、神仏から与えられた能力であり、人間は創る事は出来ない。私は、「社会」が定義する地球の自転から生まれる「時間」とは違う主観的時間が人間は持っていて、その時間に気付く事が人間性の発揮に役立つと思う」

バイオリズムなどを「 主観的時間 」と考え、考えることができるすべての空間を「 主観的空間 」と考えそれにより規定された「 方向性 」である「 可能性 」と、アラヤシキ(arayasiki)や末那識(manasiki)の経験の「 始めと終わり 」の「 物語 」を「 フィラメント構造 」とみなし、内部を流れる電流を「 意識 」とし、伝達するのが「 心 」あるいは「 欲 」であり、行動のエネルギー(神)である気(ki)になると考える。
人生も「 フィラメント構造 」をしており、人間の一生も、気(ki)に始まり気(ki)に終わるから、無明というのだろう。
煩悩は「 フィラメント構造 」を通る意識や欲の総体であり、その様子は「 台風 」や「 ハリケーン 」と似た形かもしれない。

このよう考えたとき、「 人間 」の分析には「 流れるもの 」と「 派生するもの 」前者が「 気(ki)}であり後者が情(zyou)だとするのが私の考えである。
欲望や心やエーテルやエネルギー(神)など小脳の感受性の部分が前者であるし、時間や空間の意識や思想や文化一般などの大脳の感覚の部分は後者になるだろう。
行動は「 宇宙的運動の一つ 」であり宇宙と連動するのに対して、思考は「 始めと終わり 」を持つ非宇宙的な頭脳の派生物である。

2015/2/21、私の考え


このように、小脳の生理、快感、ストレスを気(ki)の「 フィラメント 」、大脳の快楽、欲望を情(zyou)の「 フィラメント 」を流れる「 ビルケランド電流 」とし、総体が「 心 」というエネルギー(神)と考える。
以前に書いたように、人間は「 生まれながらの時空 」しか持っておらず、それは人類すべてが相違する時空であり、「 真の時空 」を人間は知らないと考える。
この「 生まれながらの時空 」で「 ビルケランド電流 」を区切り、それぞれの「 電離層 」の中の「 定在波 」を形作っている情(zyou)を持っていると考える。
認識は「 心 」の了解、「 心 」というエネルギー(神)の融合、電場と磁場が直交してエネルギー(神)である行動する「 力 」を生じるが、それは「 電離層 」の中で行われるだろう。
その「 電離層 」の壁が「 六道 」であり、「 電離層 」の中の「 定在波 」を形作っている情(zyou)が「 人格 」であるだろう。
「 類は類を呼ぶ 」や「 同類相憐れむ 」など、「 六道 」の中での「 定在波 」である人格の同調や「 心 」というエネルギー(神)の崩壊であり、「 六道 」の種類(系)の違いにより異なるだろう。
違う種類の「 六道 」に移るためには、情(zyou)である精神による「 始めと終わり 」を区切る壁を変えるいうエネルギー(神)が必要なのかもしれない。
「 電離層 」を回るシューマン波が、人間一般に共通する「 愛 」という電波・エネルギー(神)であるから、誰によっても独占されず、「 人のものであって人のものでないもの 」かもしれない。

………………(引用を終わる)………………………………

2015/2/24,私の考え



このように、「 三身即一 」の状態が人間で、精神的な生き物が人間であれば、精神、すなわち報身(housin)から観た宇宙は広がる真空状態が法身(otsusin)という神仏の身体で、真空状態の広がる温度が宇宙のエネルギー(神)であり(私はそれをプラズマと思うが)、エネルギー(神)が細胞として物化したのが人体で、「 頭脳 」もエネルギー(神)が物化したのだが、意識はそれから「 派生する 」宇宙の産物であると思う。
すべてが「 フィラメント構造 」を持っていて、そのためエネルギー(神)の往来が可能であり、「 フィラメント構造 」は精神においては「 物語 」であり、物化した「 心 」を交流させるのが人体の無意識を司る小脳の「 可能性 」である「 感受性 」であり、「 ストレス 」として、あるいは「 欲 」として、人体の行動のエネルギー(神)になる。
思考も「 論理可能性 」という物語を通じて行動のエネルギー(神)となるだろう。
エネルギー(神)は「 電気(denki)」の気(ki)であると思う。
認識が「 力 」というエネルギー(神)になるのは、空間意識である電場(空間)と時間意識である地場(時間)が直交するときフレミングの理論により「 力 」が生じ、その「 力 」がエネルギー(神)となると思う。
このように、「 フィラメント構造 」がすべてで、気(ki)から情(zyou)へ一貫としたエネルギー(神)が流れると考え、人体の染色体も「 物語 」で、人生も「 物語 」で、人間は「 無明 」のエネルギー(神)から生まれ、死によって「 無明 」のエネルギー(神)に戻るのかもしれない。

Every miler draw water to his own mill.
posted by kandk55 at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月21日

2015/2/21、私の現在の考え 9 六道 ・心・ 愛

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

………………(引用する)………………………………

2008/12/21
これは、私の解釈であるから、主観的な見解であり、間違いだと思うが、書くことにする。

私は、意識が電磁波的な構造を持ち、情(zyou)を過去から現在そして未来の阿頼耶識(arayasiki)へと、伝達する働きや機能を末那識(manasiki)の機能であり、これは本能であると解釈する。

生理的、本能的な「快感」は、神経細胞により、脳の部分に伝達され、エネルギーが飽和や均衡するのだと思う。

この「快感」は、「無明」の一種だと解釈する。

これが、生理的な「電流」であるならば、精神的な「電磁波」を生むと思うが、その電磁波は末那識(manasiki)であり、「快感」の意識として阿頼耶識(arayasiki)に伝達される。

阿頼耶識(arayasiki)は、「快感」だけでなく、「快感」を生じた原因や行為の全てを記録する。

私の考えでは、「快感」という感覚の刺激によりエネルギーが均衡する部分と、感覚の刺激による意識の飽和や均衡の部分とは違うという結論になる。

これは、間違いかも知れないが、私のブログでは、その意識を「欲望」あるいは「欲」の「情(zyou)」と解釈する。

「快感」は、一つの刺激ではなく、五感の刺激により伝達されるのに従い、「欲」の「情(zyou)」も、五感の意識の電磁波の塊である。



「快感」と、「欲」の「情(zyou)」の違い。

生理と精神の違いは、精神は末那識(manasiki)により、波長を増幅したり、持続したりする事が出来る事である。

そして、末那識(manasiki)の「現象」の世界の「道具」による可能性の拡大という特徴が現れる。

末那識(manasiki)により「道具」的な因果関係を固定し、保存し、波長を繰り返したり、増幅して「遊ぶ」事を可能にする。

その力によって、「快感」が、増幅された「欲」の「情(zyou)」という意識の定在波となり、「六道」を選ぶ事になる。

選択する力は、意識であるし、エネルギーでもあると解釈する。

そして、「快感」を得る事が習慣的意思になると、煩悩になる。


慣性力は、「欲望」。

重力は、「煩悩」。

質量は、「利己愛」「自分への執着」。

光は、「意識」。

これを、自然法則の E=mc2 に当てはめる。

欲望=利己愛×意識の二乗

習慣的な行為をする意思が無い場合は、ここで終わり、欲望の達成に満足して終わる。

しかし、質量の「利己愛」が異常に大きい時は、意識の時空間が歪んで重力の「煩悩」が発生し、快感を求める意識が「利己愛」によって始点と終点が区切られて定在波となり、「六道」の「系」に乗る。

自然法則は、「系」が違っても、同じく成立するから、個人は「煩悩」の台風であり、暴風雨として、欲望=利己愛×意識の二乗+「六道のエネルギー」を持って「六道」の系を動くという結論になる。

2015/2/15

バイオリズムなどを「 主観的時間 」と考え、考えることができるすべての空間を「 主観的空間 」と考えそれにより規定された「 方向性 」である「 可能性 」と、アラヤシキ(arayasiki)や末那識(manasiki)の経験の「 始めと終わり 」の「 物語 」を「 フィラメント構造 」とみなし、内部を流れる電流を「 意識 」とし、伝達するのが「 心 」あるいは「 欲 」であり、行動のエネルギー(神)である気(ki)になると考える。
人生も「 フィラメント構造 」をしており、人間の一生も、気(ki)に始まり気(ki)に終わるから、無明というのだろう。
煩悩は「 フィラメント構造 」を通る意識や欲の総体であり、その様子は「 台風 」や「 ハリケーン 」と似た形かもしれない。

………………(引用を終わる)………………………………

2015/2/21、私の考え



このように、小脳の生理、快感、ストレスを気(ki)の「 フィラメント 」、大脳の快楽、欲望を情(zyou)の「 フィラメント 」を流れる「 ビルケランド電流 」とし、総体が「 心 」というエネルギー(神)と考える。
以前に書いたように、人間は「 生まれながらの時空 」しか持っておらず、それは人類すべてが相違する時空であり、「 真の時空 」を人間は知らないと考える。
この「 生まれながらの時空 」で「 ビルケランド電流 」を区切り、それぞれの「 電離層 」の中の「 定在波 」を形作っている情(zyou)を持っていると考える。
認識は「 心 」の了解、「 心 」というエネルギー(神)の融合、電場と磁場が直交してエネルギー(神)である行動する「 力 」を生じるが、それは「 電離層 」の中で行われるだろう。
その「 電離層 」の壁が「 六道 」であり、「 電離層 」の中の「 定在波 」を形作っている情(zyou)が「 人格 」であるだろう。
「 類は類を呼ぶ 」や「 同類相憐れむ 」など、「 六道 」の中での「 定在波 」である人格の同調や「 心 」というエネルギー(神)の崩壊であり、「 六道 」の種類(系)の違いにより異なるだろう。
違う種類の「 六道 」に移るためには、情(zyou)である精神による「 始めと終わり 」を区切る壁を変えるいうエネルギー(神)が必要なのかもしれない。
「 電離層 」を回るシューマン波が、人間一般に共通する「 愛 」という電波・エネルギー(神)であるから、誰によっても独占されず、「 人のものであって人のものでないもの 」かもしれない。

Every miler draw water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月15日

2015/2/15、私の現在の考え8 意識と可能性と欲

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。


2015/2/15 意識と可能性と欲



2008/10/26、生まれながらの時空より引用すると「人間は、生まれた時から、宇宙に匹敵する「時空間」を頭の中に持っている。全ての人類は同じ「時空間」を持って生まれる。これは、「アプリオリ」「先験的」に持って生まれる。「時間意識」と「空間意識」として、つまり「意識」として「時空間」を持っている。そして、景色を見ている眼を見る事が出来ないように、「時間」と「空間」が、直感の形式と言うだけで、規定する事が出来ない。時空間を持っているから、時空に関する物理学も理解する事が出来るし、「社会」に自分の「時空間」を表現する事が出来る。「時空間」は、神仏から与えられた能力であり、人間は創る事は出来ない。私は、「社会」が定義する地球の自転から生まれる「時間」とは違う主観的時間が人間は持っていて、その時間に気付く事が人間性の発揮に役立つと思う」

バイオリズムなどを「 主観的時間 」と考え、考えることができるすべての空間を「 主観的空間 」と考えそれにより規定された「 方向性 」である「 可能性 」と、アラヤシキ(arayasiki)や末那識(manasiki)の経験の「 始めと終わり 」の「 物語 」を「 フィラメント構造 」とみなし、内部を流れる電流を「 意識 」とし、伝達するのが「 心 」あるいは「 欲 」であり、行動のエネルギー(神)である気(ki)になると考える。
人生も「 フィラメント構造 」をしており、人間の一生も、気(ki)に始まり気(ki)に終わるから、無明というのだろう。
煩悩は「 フィラメント構造 」を通る意識や欲の総体であり、その様子は「 台風 」や「 ハリケーン 」と似た形かもしれない。

このよう考えたとき、「 人間 」の分析には「 流れるもの 」と「 派生するもの 」前者が「 気(ki)}であり後者が情(zyou)だとするのが私の考えである。
欲望や心やエーテルやエネルギー(神)など小脳の感受性の部分が前者であるし、時間や空間の意識や思想や文化一般などの大脳の感覚の部分は後者になるだろう。
行動は「 宇宙的運動の一つ 」であり宇宙と連動するのに対して、思考は「 始めと終わり 」を持つ非宇宙的な頭脳の派生物である。

ゆえに、前者を統括する「 人格 」が問題になると思う。

「 宗教 」が人格の問題なら、エネルギー(神)を信仰するのではなく、エネルギー(神)の行動に沿ったことを学ぶために存在価値があり、イスラムが唱えるアラーは理解不能である。

Every miler draw water to his own mill.
posted by kandk55 at 07:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

2015/2/9、現在の私の考え 7・ 可能性

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/1/21、私の記事

以上のように、法身(hotsusinn)が宇宙の「 エーテル 」であり、報身(housin)を「 神 」と考えますと、神は「 エネルギー 」であり、応身(ouzin)は「 エネルギー 」が全人類の遺伝子などの「 能力 」に物化したのだと思います。

「 能力 」は何かと考えると「 能 」は頭脳の「 脳 」であり、「 脳の力 」が「 能力 」となり、それが具現化したのが言語や絵画などの文化の全部だと考えます。

法身(hotsusinn)と報身(housin)が気(ki)であり、報身(housin)と応身(ouzin)が情(zyou)であり、法身(hotsusinn)と報身(housin)と応身(ouzin)が一体となったのが人体であると考えると、「 三身即一の尊い如来 」である遥か彼方に鎮座する如来様(nyoraisama)と「 人体 」は同一であると考えます。



2015/2/9、私の考え



以上のように「 人体 」は複雑な構造であり、私の考えでは「 意識の生成 」で申しましたように、意識は太古の創造のようなことを行っており、意識は無意識を内容とした「 心 」を伝達すると思います。

「 太古の創造 」はエネルギー(神)の仕業であり、物質を創るのでしようが、「 太古の創造のようなこと 」はエネルギー(神)から派生したもので、派生するのは「 意識 」であり、伝達するのは「 心 」であると思います。
「 心 」は法身(hotsusinn)ではなく、報身(housin)であり、宇宙の産物ではなく、人類の産物であり、根本的には法身(hotsusinn)である「 宇宙 」や「 物質 」を規定することはできず(規定は誤りであり)、人類だけの人類愛のようなもので、人類しか判別することができない「 霊 」かもしれません。
言葉に「 霊 」があれは、それであると思います。

このように考えたとき、「 可能性 」とはどのように考えるのでしょう。
「 可能性 」は「 能 」を含んだ単語であり、「 能 」は頭脳の「 脳 」であり、「 脳の力 」が「 能力 」となり、それが言語や絵画などの文化の全部に具現化する契機であり、「 情(zyou)」であり情報であると思います。

これまで述べましたように、情(zyou)は「 物語 」であり「 始めと終わり 」を規定します。
無明(mumyou)というエネルギー(神)であり無意識を始点とし、無明(mumyu)のエネルギー(神)を終点と規定するから成立する「 意識 」であり情(zyou)であり、無明(mumyou)は「 心 」であると思います。

ゴーギャンがいう「 我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこに行くのか 」は、私には、「 無明(mumyou)というエネルギー(神)から始まり無明(mumyou)のエネルギー(神)で終わるもので、人間はエネルギー(神)の産物であり、死によりエネルギー(神)に帰ると思うが、生存中は意識が「 心 」をどこからどこへ伝達するのかということに似ている 」と考えます。

「 可能性 」は、無明(mumyou)のエネルギー(神)のなかの「 方向性 」という情(zyou)であり、法身(hotsusinn)のなかの報身(housin)であり、仏教で、如来(nyorai)が法身(hotsusinn)であれば、如来へ導く「 菩薩 」や「 観音様 」などが「 方向性 」を示す「 可能性 」である報身(housin)だろうと思います。

無意識の中の「 小脳の運動可能性 」つまり「 生きることができるか 」がエネルギー(神)と人体の境界であり、報身(housin)の限界であり、「 蓋然性 」を現わすとき「 意識 」の、論理の可能性であり、法身(hotsusinn)ではなく、法身(hotsusinn)=真理に近づく「 可能性 」であり、「 可能性 」はすべて報身(housin)に属すると思います。

「 人体 」は複雑な構造であり、私の考えでは「 意識の生成 」で申しましたように、意識は太古の創造のようなことを行っており、意識は無意識を内容とした「 心 」を伝達すると思います。

「 太古の創造 」はエネルギー(神)の仕業であり、物質を創るのでしようが、「 太古の創造のようなこと 」はエネルギー(神)から派生したもので、派生するのは「 意識 」であり、伝達するのは「 心 」であると思います。
「 意識 」は「 可能性 」の「 方向性 」を取りまとめたエネルギー(神)であり、伝達するのは「 真理(=法身(hotsusinn)と一致すること)」ではない「 心 」であると考えます。
「 真理 」ではないから、「 心 」は常にその意識が真理に向かっているのか方向性を点検する必要があると思います。

Every miler draw water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月01日

2015/2/1、私の現在の考え 6 意識の生成

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2012/1/14、私の記事

「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う

2012/5/19、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調は求めない。

私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。


2012/6/12、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/8/私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない

私の出発点である「 意識は電磁波である 」ということを考えよう。

私は、プラズマ宇宙論と「 生気論 」を支持し、Tの気(ki)は電気であると思うから、「 意識は電磁波である 」と考えた。

太陽光は意識を発生させると思うが、なぜ、そう思うのか?

頭脳を持つ動物は、世界各国で誕生するのであり、その全てに「 意識 」があり、精神がある。

それを可能にするのは「 神 」かも知れないが、私は世界を包む「 太陽光 」であると考える。

動物が持つ臓器のバイオリズムもDNAの違いで全てが相違する。

「 太陽光 」は紫外線から可視光線や赤外線まで「 連続 」し、このDNAがプリズムのような働きをして、「 太陽光 」から「 可視光線 」を分離し、「 赤 」や「 青 」や「 黄色 」の三原色という記憶を媒介としたUの「 意識 」という情(zyou)を作り、紫外線や赤外線はTの気(ki)が吸収すると思う。

動物が持つ臓器のバイオリズムもDNAの違いで全てが相違するから、Uの情(zyou)やTの気(ki)は全て相違する。

「 太陽光 」も「 バイオリズム 」も連続しTの領域であるが、前者は電磁波で、後者は物質波で、無意識の中で、「 太陽光 」の「 可視光線 」は知覚され、紫外線や赤外線は人体のバイオリズムを変えることもあるだろう。

紫外線が「 皮膚がん 」を起こすのも、人体のバイオリズムを変える証拠だろう。

物質波であるバイオリズムがTの気(ki)であり、「 太陽光 」の「 可視光線 」以外を吸収するだろう。

Uの情(zyou)もバイオリズムであり、物質波であるが知覚器官により、Tの気(ki)の領域の「 可視光線 」の三原色という「 関係(法則) 」をDNAというバイオリズムをプリズムのよう使って実体化することが出来るのは、「 知覚意識は電磁波に同調する性質を持つから可能だ 」と考える。

それは、電磁波と物質波の関係だろうが、私はプラズマ宇宙論と「 生気論 」を支持し、Tの気(ki)は電気であると思うから「 知覚 」は電気で行われているかも知れないと思っている




2015/2/1、私の考え





2012/6/12、私の記事で「 無意識 」を修正した。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考えた。

私は「 無意識 」と「アラヤシキ(arayasiki)}を区別したいのだ。

「 小脳の無意識 」が前者であり、後者の「 大脳の無意識 」を「 アラヤシキ(araysiki)」とし、前者を気(ki)のエネルギー(神)とし、後者を情(zyou)の思考や体験とする。

「 意識 」と「 無意識 」の関係を考えるとき、この区別は前者が「 意識の生成 」であるのに対し、後者は「 合理的な思考(末那識(manasiki)}の生成 」であり、それぞれが、「 プラズマ理論 」と似たような生成をすると考える。

つまり、私たちの頭脳の中では、「 太古の人類(精神)の生成が行われている 」と考える。

………(引用すると)………

フィラメント構造とビルケランド電流

上記に書いたように、宇宙には多くのフィラメント構造が存在している。
このフィラメントと、その内部を流れるビルケランド電流は、太陽フレア、オーロラ、太陽系、星雲、銀河の形成、そして大規模構造などの理解にも必要なものである。
プラズマ宇宙論の重要なファクターと言える。

その形成過程は非常に単純である。
まず、「ピンチ効果 (Z-pinch)」と呼ばれる現象がこの形を作り出す。
直線的な電流がプラズマの中を通るとき、そのまわりに円筒状の磁場が生じる。
これが同じ方向を流れている他の電流を引き寄せるのである。
このようにして小さな電流の糸は互いに引き寄せ合う(ピンチ)傾向がある。
その際に周囲のプラズマを引き寄せる効果が働き収束する。
収束した糸はよじれてフィラメント状の巨大な渦巻きを生み出すのである。
このフィラメントの内部を電流が通る事が知られている。

その電流はビルケランド電流と呼ばれている。

このような特性のために宇宙のフィラメントは、しばしば送電網に例えられる。
この送電は次第に他の送電を引き寄せ、つながり合い巨大な送電網を作りだすことによって宇宙のなかで大量の電流を運んでいる。
………(引用を終わる)………
以上の「 小さな電療 」が、前者では、小脳で感じるストレスという力(エネルギー・神)であり、後者では「 アラヤシキ(arayasiki)」であると考える。

これが、次の考えにつながります。

………(引用すると)………

2015/1/2私の記事

以上から、「 心 」を考えます。

以上のように、「 死んだら終わり 」ではなく、エネルギーが保存されると考えると、「 心 」は、生きているときは「 無意識 」にあるでしょうが、死後の「 心 」は遺品や文化が持つエネルギーとして保存されるのだと思います。

生きているときでも、部屋の中の配置に「 心 」を感じることがありますが、それは、その人が持つ「 脳 」の「 能力 」の具現化であり、潜在するエネルギーであると思います。

「 脳 」の「 能力 」が末那識(manasiki)とアラヤシキ(arayaski)であり脳のエネルギーである「 心 」が顕在化したのが前者であり、潜在するのが後者だろうと思いますが、潜在する「 心 」が、部屋の配置などの、人から離れた、あるいは死後の「 心 」というエネルギーとして保存され、文化として受け継がれるのだろう思います。

だから、文化財に触れて「 心 」を感じ、自分の中にエネルギーが湧き、文化財の「 心 」を自分の「 心 」に同化することが可能だと思います。

これは、アラヤシキ(arayasiki)の無意識の中で、同化され、エネルギーは導入されるのだと思います。

昔は「 発禁本 」などがありましたが、以上の私が述べた考えで、「 発禁本 」に為政者がしたのだと思います。

このエネルギーは、エーテルがある限り伝達されるものだと思いますので、人間に五感がある限り、その「 感受性 」という無意識を通して伝達され、アラヤシキ(arayasiki)になるでしょう。

末那識(manasiki)とアラヤシキ(arayasiki)は「 意識の区別 」ではなくて、エネルギーの顕在化や潜在化の問題で、「 心 」の問題で、前者の生前の「 自意識 」と後者の部屋の配置などの「 心配り 」や「 配慮 」あるいは「 人格 」の問題だと思います。

アラヤシキ(arayasiki)が意識が潜在していることに留まらず、その「 機能 」や「 能力 」に注目すれば、私の考えでは、「 心 」を伝達するものだということになります。

………(引用を終わる)………

小脳で感じたストレスなどの力(エネルギー・神)を始点とする「 意識 」は、力(エネルギー・神)が曖昧であるため、「 無明(mumyou)」 であり、大脳の末那識(manasiki)は曖昧な思考や体験であるアラヤシキ(arayasiki)を始点とするため、「 無常(muzyou)」 であると考える。



Every miler draw water to his own mill.

posted by kandk55 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする