2015年04月30日

2015/4/30、私の現在の考え22・心は磁場である・使用価値と交換価値

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/28、私の考え

価値観について考えを変更します。

DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))から生じる脳波(バイオリズム)を@とします。

DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される大脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))から生じる脳波(バイオリズム)をAとします。

@により磁場である自我意識の無意識の磁極を決めます。
これは地球でいえば南極と北極のようなものです。
小脳が決めるでしょう。
この磁極の間に地磁気のような磁気の流れの可能性があるでしょう。これをAとします。

Aにより磁場である自我意識の磁極を決めます。
これは、思考上の両極端です。
大脳が決めるでしょう。
この磁極の間にはあいまいな領域の可能性があります。これをBとします。

@が気(ki)である可能性の磁極であるのに対し、Aは情(zyou)、情報の可能性の極端です。
Aは情動(zyoudou)により影響を受けます(考え方により磁極が変わる)が、@は影響を受けません(考え方を変えても、自分が他人に変わることはない)

Bは、情(zyou)、情報の数に対応して、重複してあるでしょう。
「 気持ち 」の単語は気(ki)を持つこと(hold)ですから、重複して持つことを「 気持ち 」とし、その全体が磁場の「 心 」と考えます。
AもBも「 定在波 」(了解や理解か可能な波、バイオリズム)を持ち、可能性の定在波を実生活で自我意識に具現化する、あるいは決定する(価値観を表明する)のはBではなくAであると考えます。
磁場の「 心 」や「 気持ち 」が、「 良い 」や「 悪い 」という言語などの情(zyou)に具現化するのは、無意識のAであると考えます。
Aは生死のレベルであり、無意識であり、Bは常にAに従うものです。
BではなくA単独で行動する場合もあります(呼吸や血液の循環のように)。
Aは情(zyou)ではなく、気(ki)であると思います。
自我意識の価値観を決定するのは、Aで、「 人格 」を決定し、変化しているBを把握し、AからBへ、BからAへと進み、現象上はAからAへ変わるとみられ、それが自我が自我を把握することであり、「 生きること 」であり、人生であると考える。
電場から磁場、磁場から電場へと変わるので、自我から自我への進展は不連続であることになる。


2015/4/30、私の考え


これを、経済学について考えてみる。

価値は、マルクス経済学に使用価値や交換価値があるが、これを考察したい。

使用価値は@で決められるAであろう。
交換価値はAで決められるBであろう。

前述したように、@やAは小脳の領域に属し、生命、欲求、などの気(ki)に属する。
Aはその可能性(エネルギーの価値)のバイオリズムで、最終的には、個人のDNAやRNAに依存し同一ということは無い。
欲求(エネルギー)の大小は、そのバイオリズムの定在波により、変化するだろう。

AやBは、大脳の領域であり、情報や教育など文化的、社会的な情(zyou)に属する。
Bは「 始めと終わり 」がある物語で、その可能性は社会の可能性であり、方向はAに従うが、決めるのは社会であり、個人はそれを大脳で「 物語 」として受け入れるときに、社会の可能性(価値)の大小は個人の教育や教養から得た磁極間の定在波として現れ、変化し、個人のDNAやRNAからなるAにより決定したとき、価格として具現化すると考える。

「 物 」の物神性は、物をエネルギー(神)として崇拝するとき「 物神性 」というだろうが、それは人格形成を目指す「 宗教 」とは違う自然宗教であり、貨幣に物神性があるとするのは「 拝金主義 」であり、私には受け入れられない。
「 物 」は音楽の音符のように、価値のバイオリズムを示す目印にすぎず、貨幣も価値の大小の目盛としてしか価値は無い。

交換価値の内容が、抽象的人間労働や希少性であるとするのは、思考体系から要望される「 物語 」であり、情(zyou)の種類であり、社会の可能性として社会が決定すると思うが、個人の「 心 」の中では、教育や教養が決めた磁極間の定在波(B)が「 交換価値 」として重複して変化するのであり、交換する「 価格 」として決定するのは、個人のDNAやRNAからなるAであり、個人の欲求(自我・エネルギー)が自我を把握するのが、経済活動であると考えると、私の考えは、「 近代経済学 」の「 効用価値説 」に近いと考える。

Eagles eat no flies.

価値(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%A1%E5%80%A4


Every miler draw water to his own mill.
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2015年04月28日

2015/4/28、私の現在の考え21・心は磁場である・心・価値観 

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
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2015/4/26、私の記事

人はすべて人格者である。
ただ、その「 完成度 」が、すべて違うのだと考える。
なぜなら、DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))が脳波(バイオリズム)という電流になり、それから派生した磁場が「 自我意識 」となり、「 心 」となり、その磁極を脳波(バイオリズム)が決定し(たとえば南極と北極)、磁極と磁極を結ぶ「 定在波 」(バイオリズム)が価値観であり、自我意識の価値観を決定するのは小脳レベルの可能性から生じた電荷が脳波(バイオリズム)というように、電場から磁場へ、そして磁場から電場へと循環して自我意識は進展すると考える。
磁場である「 心 」のなかの磁極は、さまざまな情(zyou)の力(エネルギー)により影響をうけるが、これを情動(zyoudou)と呼び、そのなかに言語や宗教や絵画などの芸術や音楽という文化を含み、これにより人類は重複した価値観、「 定在波 」を持ち、これを自我の価値観と決定するのはDNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))を集めた脳波(バイオリズム)であり、それを気(ki)を含む「 気持ち 」(kimochi)というと考える。
この気(ki)を含む「 気持ち 」(kimochi)の集合体が「 人格 」であり、気持ちがある以上、人格者であると考える。
人は社会的で、情(zyou)は人から人に伝わるだろう。
人の「 人格 」が他人の「 人格 」に作用するので、教師や僧侶は完成度が高い「 人格者 」であることが望ましい。
自我の価値観と決定するのはDNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷を集めた脳波(バイオリズム)であり、それが文化という情(zyou)に結集する以上、情(zyou)は「 心 」が具現化したものであり、人は死後、その人が残した文化を通して「 心 」や「 人格 」を伝達し、後世の者は、小脳レベルの「 無意識 」(エネルギー)により、先人の「 心 」を受け取る。「 心 」は「 魂 」と同義かもしれない。
ここにも、電場から磁場、磁場から電場への道程があると考える。
「 死んだら終わり 」ではない。


2015/4/28、私の考え



価値観について考えを変更します。


DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))から生じる脳波(バイオリズム)を@とします。

DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される大脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))から生じる脳波(バイオリズム)をAとします。

@により磁場である自我意識の無意識の磁極を決めます。
これは地球でいえば南極と北極のようなものです。
小脳が決めるでしょう。
この磁極の間に地磁気のような磁気の流れの可能性があるでしょう。これをAとします。

Aにより磁場である自我意識の磁極を決めます。
これは、思考上の両極端です。
大脳が決めるでしょう。
この磁極の間にはあいまいな領域の可能性があります。これをBとします。

@が気(ki)である可能性の磁極であるのに対し、Aは情(zyou)、情報の可能性の極端です。
Aは情動(zyoudou)により影響を受けます(考え方により磁極が変わる)が、@は影響を受けません(考え方を変えても、自分が他人に変わることはない)

Bは、情(zyou)、情報の数に対応して、重複してあるでしょう。
「 気持ち 」の単語は気(ki)を持つこと(hold)ですから、重複して持つことを「 気持ち 」とし、その全体が磁場の「 心 」と考えます。
AもBも「 定在波 」(了解や理解か可能な波、バイオリズム)を持ち、可能性の定在波を実生活で自我意識に具現化する、あるいは決定する(価値観を表明する)のはBではなくAであると考えます。
磁場の「 心 」や「 気持ち 」が、「 良い 」や「 悪い 」という言語などの情(zyou)に具現化するのは、無意識のAであると考えます。
Aは生死のレベルであり、無意識であり、Bは常にAに従うものです。
BではなくA単独で行動する場合もあります(呼吸や血液の循環のように)。
Aは情(zyou)ではなく、気(ki)であると思います。
自我意識の価値観を決定するのは、Aで、「 人格 」を決定し、変化しているBを把握し、AからBへ、BからAへと進み、現象上はAからAへ変わるとみられ、それが自我が自我を把握することであり、「 生きること 」であり、人生であると考える。
電場から磁場、磁場から電場へと変わるので、自我から自我への進展は不連続であることになる。
その結果、「 人が生きる道を示す宗教 」などの影響により、人格や自我が向上する場合もあれば、性や麻薬により人格や心や自我が汚れる場合もあり、その程度は「 人格の完成度 」として社会に示されるであろう。
「 宗教 」は、頭脳で考えた情(zyou)であり、情報であり、その種類が問題ではない。
どんな宗教でも宗教ならば、「 人格の向上 」を願うはずであり、IS(イスラム国)のように、イスラム教に改宗する必要は、まったく無く、「 神 」をエネルギーと考えると、彼らは、神の名をかたる「 神の冒涜者 」であると思う。

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2015年04月26日

2015/4/26、私の現在の考え20・心は磁場である・人格・価値観

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/15、私の記事


「 心 」を以上のように「 磁場である 」と考えるのは、有史以来、私が初めてだろう。
「 心 」は、大脳レベルの、意識である 情(zyou)としての「 精神 」であり、「 思考されたもの 」である部分と小脳レベルの無意識の気(ki)としての「 精神 」を考え、前者が「 自意識 」による極を持った「 始めと終わり 」がある「 物語 」であるのに対して、後者は「 自意識 」ではあるが「 生命 」、あるいは本能として、「 可能性 」として、前者をコントロールする機能(kinou)と考える。
両者の共通するのはDNAとRNAの「 フィラメント構造 」から得られた脳波から派生した「 磁場 」であるが、前者は思考という始めと終わりがある「 物語 」であり、後者は始めと終わりを作る「 可能性 」であり、前者は「 意識 」と呼び、後者を「 無意識 」と呼ぶと考える。

磁極を結ぶ地磁気にあたるのが「 バイオリズム 」だと考える。
バイオリズムが重複して無意識も「 好き嫌い 」の価値観を生じ、それは無意識を基にしているから、小脳レベルの「 自意識 」であり「 生命 」、あるいは本能として、あたかも地球上の重力のように、情(zyou)であり、「 物語 」(物体)である思考や精神を「 好きな物語 」や「 嫌いな物語 」として、バイオリズムで決めると考える。
DNAやRNAから生まれたバイオリズムと音楽や宗教や言語や物語の波長が合致したとき、「 好き 」になる。

2015/4/16、私の記事


磁極を決めるのはDNAやRNAの「 フィラメント構造 」を流れる気(ki)である脳波だが、これはバイオリズムとういう脳波であることになる。
磁極を結ぶ地磁気のようなものもバイオリズム(脳波)であるが、DNAやRNAが持つ「 遺伝子情報 」という情(zyou)が混在したバイオリズム(脳波)であり、バイオリズム(脳波)から派生した「 精神 」であり、その「 定在波 」が「 価値観 」であり、それが重複したのが「 人格 」という「 形 」であると考える。

価値観である「 定在波 」は磁極を変えることにより共変するが、「 遺伝子情報 」は情(zyou)であり、同じ情(zyou)である文化を変えることにより、「 形 」である「 人格 」は変化し、「 無常 」な物となる。

バイオリズム(脳波)を変えることにより磁極が変わるが、これはエネルギー(神)であり、「 生命 」、あるいは本能である「 無意識 」であり、これを変えることが「 人格 」を変えることだが、DNAやRNAを変えることが出来ないから、情(zyou)である磁極を人間の教育で変えることしか出来ないかもしれない。


2015/4/21、私の記事


このように「 人格 」を考えるとき、「 人格の完成 」を目指すのが「 宗教 」であると思う。
「 宗教 」は情(zyou)であるが、決められた価値観を生む予定の「 始めと終わり 」の磁極を提示し(物語)、そこから生じる「 定在波 」(理解や了解)を利用して人格や人の生き方である人生を変えようとする思想であると思う。

生命や本能に近い磁極は小脳のバイオリズムだから「 定在波 」は人類には共通で、好きや嫌いも容易に形成されるが、人間は精神であり、この「 定在波 」を承知の上、精神的な磁極、大脳のバイオリズムによる「 定在波 」(死中生あり、生中生なし)に従う情動(zyoudou)もある。
この情動(zyoudou)というエネルギー(神)こそ、人格という「 形 」を変えるものであり、そこが宗教の狙いでもあるが、危険な点でもあると思う。
「 精神的な磁極 」が、人格の完成へ向かうならば危険ではないが、多数の人の死を目的としたときは殺人であり、危険である。
宗教は個人の人格完成であり、集団の人の人格完成はありえない。

「 心は磁場 」であり、派生したものであるから、派生した精神から生じる人の言動や行為により、その人の「 人格完成の度合い 」がわかるだろう。


2015/4/26、私の考え



人はすべて人格者である。
ただ、その「 完成度 」が、すべて違うのだと考える。
なぜなら、DNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))が脳波(バイオリズム)という電流になり、それから派生した磁場が「 自我意識 」となり、「 心 」となり、その磁極を脳波(バイオリズム)が決定し(たとえば南極と北極)、磁極と磁極を結ぶ「 定在波 」(バイオリズム)が価値観であり、自我意識の価値観を決定するのは小脳レベルの可能性から生じた電荷が脳波(バイオリズム)というように、電場から磁場へ、そして磁場から電場へと循環して自我意識は進展すると考える。
磁場である「 心 」のなかの磁極は、さまざまな情(zyou)の力(エネルギー)により影響をうけるが、これを情動(zyoudou)と呼び、そのなかに言語や宗教や絵画などの芸術や音楽という文化を含み、これにより人類は重複した価値観、「 定在波 」を持ち、これを自我の価値観と決定するのはDNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷(気(ki))を集めた脳波(バイオリズム)であり、それを気(ki)を含む「 気持ち 」(kimochi)というと考える。
この気(ki)を含む「 気持ち 」(kimochi)の集合体が「 人格 」であり、気持ちがある以上、人格者であると考える。
人は社会的で、情(zyou)は人から人に伝わるだろう。
人の「 人格 」が他人の「 人格 」に作用するので、教師や僧侶は完成度が高い「 人格者 」であることが望ましい。
自我の価値観と決定するのはDNAやRNAの「 ラセン構造 」から構成される小脳レベルの可能性から生じた電荷を集めた脳波(バイオリズム)であり、それが文化という情(zyou)に結集する以上、情(zyou)は「 心 」が具現化したものであり、人は死後、その人が残した文化を通して「 心 」や「 人格 」を伝達し、後世の者は、小脳レベルの「 無意識 」(エネルギー)により、先人の「 心 」を受け取る。「 心 」は「 魂 」と同義かもしれない。
ここにも、電場から磁場、磁場から電場への道程があると考える。
「 死んだら終わり 」ではない。


Every miler draw water to his own mill.
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2015年04月22日

2015/4/22、そんなに無料・無修正を見たいのか

[北京 2日 ロイター] - 中国10+ 件文化省はインターネットサービス大手、騰訊控股(テンセント・ホールディングス)(0700.HK: 株価, 企業情報, レポート)とネット検索大手の百度(バイドゥ)(BIDU.O: 株価, 企業情報, レポート)を含む合計11社に対し、ポルノと暴力を広めたとして罰金を科す方針を固めた。新華社が2日、報じた。


2015/4/22、ネットで見た中国内部の日本ポルノ



その後、どうなっているのかと思って、ネットで調べてみた。

@ まず、Yahoo Japan で、「 baidu 」で検索し、「 百度一下 」を選ぶ。

A 中国サイトの「 百度一下 」で、「  porn japan 」などで検索・実行する。

B たくさんの日本のポルノサイトが出てくるが、2ページに記載された「 porn-ok 」をクリックすると、中国の字幕付きで、無料・無修正の日本アダルトビデオを見ることができる。
あるいは、中国サイトの「 baidu 」「 百度一下 」で「 porn ok 」で検索すればよい。

もしも、日本のポルノを見たいのなら、アメリカのポルノサイトで探すのも良いが、一番良いのは、中国サイトで、日本のポルノを探すことだ。
そこには、中華人民共和国が中国人民に推薦した日本ポルノを「 中国語の字幕付き 」で、安全に見ることが出来る。

この国は、反日運動をしながら、自分の国のポルノではなく、日本のポルノを、しっかりと、中国語の字幕つきで見ていることがわかる。
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2015年04月21日

2015/4/21、私の現在の考え19・心は磁場である・宗教・IS(イスラム国)

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/15、私の記事


「 心 」を以上のように「 磁場である 」と考えるのは、有史以来、私が初めてだろう。
「 心 」は、大脳レベルの、意識である 情(zyou)としての「 精神 」であり、「 思考されたもの 」である部分と小脳レベルの無意識の気(ki)としての「 精神 」を考え、前者が「 自意識 」による極を持った「 始めと終わり 」がある「 物語 」であるのに対して、後者は「 自意識 」ではあるが「 生命 」、あるいは本能として、「 可能性 」として、前者をコントロールする機能(kinou)と考える。
両者の共通するのはDNAとRNAの「 フィラメント構造 」から得られた脳波から派生した「 磁場 」であるが、前者は思考という始めと終わりがある「 物語 」であり、後者は始めと終わりを作る「 可能性 」であり、前者は「 意識 」と呼び、後者を「 無意識 」と呼ぶと考える。

磁極を結ぶ地磁気にあたるのが「 バイオリズム 」だと考える。
バイオリズムが重複して無意識も「 好き嫌い 」の価値観を生じ、それは無意識を基にしているから、小脳レベルの「 自意識 」であり「 生命 」、あるいは本能として、あたかも地球上の重力のように、情(zyou)であり、「 物語 」(物体)である思考や精神を「 好きな物語 」や「 嫌いな物語 」として、バイオリズムで決めると考える。
DNAやRNAから生まれたバイオリズムと音楽や宗教や言語や物語の波長が合致したとき、「 好き 」になる。

2015/4/16、私の記事


磁極を決めるのはDNAやRNAの「 フィラメント構造 」を流れる気(ki)である脳波だが、これはバイオリズムとういう脳波であることになる。
磁極を結ぶ地磁気のようなものもバイオリズム(脳波)であるが、DNAやRNAが持つ「 遺伝子情報 」という情(zyou)が混在したバイオリズム(脳波)であり、バイオリズム(脳波)から派生した「 精神 」であり、その「 定在波 」が「 価値観 」であり、それが重複したのが「 人格 」という「 形 」であると考える。

価値観である「 定在波 」は磁極を変えることにより共変するが、「 遺伝子情報 」は情(zyou)であり、同じ情(zyou)である文化を変えることにより、「 形 」である「 人格 」は変化し、「 無常 」な物となる。

バイオリズム(脳波)を変えることにより磁極が変わるが、これはエネルギー(神)であり、「 生命 」、あるいは本能である「 無意識 」であり、これを変えることが「 人格 」を変えることだが、DNAやRNAを変えることが出来ないから、情(zyou)である磁極を人間の教育で変えることしか出来ないかもしれない。


2015/4/21、私の考え



このように「 人格 」を考えるとき、「 人格の完成 」を目指すのが「 宗教 」であると思う。
「 宗教 」は情(zyou)であるが、決められた価値観を生む予定の「 始めと終わり 」の磁極を提示し(物語)、そこから生じる「 定在波 」(理解や了解)を利用して人格や人の生き方である人生を変えようとする思想であると思う。

生命や本能に近い磁極は小脳のバイオリズムだから「 定在波 」は人類には共通で、好きや嫌いも容易に形成されるが、人間は精神であり、この「 定在波 」を承知の上、精神的な磁極、大脳のバイオリズムによる「 定在波 」(死中生あり、生中生なし)に従う情動(zyoudou)もある。
この情動(zyoudou)というエネルギー(神)こそ、人格という「 形 」を変えるものであり、そこが宗教の狙いでもあるが、危険な点でもあると思う。
「 精神的な磁極 」が、人格の完成へ向かうならば危険ではないが、多数の人の死を目的としたときは殺人であり、危険である。
宗教は個人の人格完成であり、集団の人の人格完成はありえない。

「 心は磁場 」であり、派生したものであるから、派生した精神から生じる人の言動や行為により、その人の「 人格完成の度合い 」がわかるだろう。

IS(イスラム国)の場合も、彼らの行動や言語より、「 人格の完成の度合い 」が測られ、彼らがいう宗教が「 イスラム 」であれば、その宗教は「 人格の完成 」ではなく、「 人殺し 」の宗教であるだろう。
情(zyou)である宗教の前に、人間の平等は無く、気(ki)であるエネルギー(神)の前にあることを、IS(イスラム国)は知らない。
人間が、太陽の下に平等であるなら、「 人殺し 」ができるはずがない。
これは、IS(イスラム国)だけでなく、日本の「 オーム真理教 」にも、同じく言うことができる。
両者が「 テロリズムの集団 」であることは、共通であるが。

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2015年04月16日

2015/4/16、私の現在の考え18・心は磁場である・バイオリズム・価値観・人格

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/8、私の記事


この気(ki)としての小脳レベルの「 自意識 」や「 自分 」であるという大脳レベルの「 自意識 」が磁場である「 心 」の磁極を規定し、それは同時に「 物と物の関係 」であり、物を安定させる重力である「 価値観 」の「 始めと終わり 」(たとえば「 善 」と「 悪 」、「 天国 」と「 地獄 」)という極を規定することになり、その極の間で生じる幾重にも重なる「 定在波 」が「 人格 」を形成すると考える。


2015/4/15、私の記事


両者の共通するのはDNAとRNAの「 フィラメント構造 」から得られた脳波から派生した「 磁場 」であるが、前者は思考という始めと終わりがある「 物語 」であり、後者は始めと終わりを作る「 可能性 」であり、前者は「 意識 」と呼び、後者を「 無意識 」と呼ぶと考える。


磁極を結ぶ地磁気にあたるのが「 バイオリズム 」だと考える。
バイオリズムが重複して無意識も「 好き嫌い 」の価値観を生じ、それは無意識を基にしているから、小脳レベルの「 自意識 」であり「 生命 」、あるいは本能として、あたかも地球上の重力のように、情(zyou)であり、「 物語 」(物体)である思考や精神を「 好きな物語 」や「 嫌いな物語 」として、バイオリズムで決めると考える。
DNAやRNAから生まれたバイオリズムと音楽や宗教や言語や物語の波長が合致したとき、「 好き 」になる。

2015/4/16、私の考え



磁極を決めるのはDNAやRNAの「 フィラメント構造 」を流れる気(ki)である脳波だが、これはバイオリズムとういう脳波であることになる。
磁極を結ぶ地磁気のようなものもバイオリズム(脳波)であるが、DNAやRNAが持つ「 遺伝子情報 」という情(zyou)が混在したバイオリズム(脳波)であり、バイオリズム(脳波)から派生した「 精神 」であり、その「 定在波 」が「 価値観 」であり、それが重複したのが「 人格 」という「 形 」であると考える。

価値観である「 定在波 」は磁極を変えることにより共変するが、「 遺伝子情報 」は情(zyou)であり、同じ情(zyou)である文化を変えることにより、「 形 」である「 人格 」は変化し、「 無常 」な物となる。

バイオリズム(脳波)を変えることにより磁極が変わるが、これはエネルギー(神)であり、「 生命 」、あるいは本能である「 無意識 」であり、これを変えることが「 人格 」を変えることだが、DNAやRNAを変えることが出来ないから、情(zyou)である磁極を人間の教育で変えることしか出来ないかもしれない。

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2015年04月15日

2015/4/15、私の現在の考え17・心は磁場である・バイオリズム

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/8、私の記事


以上から、次のように考える。

「 可能性 」は「 能 」を含んだ単語であり、「 能 」は頭脳の「 脳 」であり、「 脳の力 」が「 能力 」となり、DNAやRNAの電荷となった宇宙のエネルギーの「 力 」であるだろう。
それらからの「 ビルケランド電流 」である脳波が「 無意識 」である気(ki)の「 自意識 」となり、生まれながらに持っていた時空(法身としての時空)を、「 物と物の関係 」を認識させ、情(zyou)であり、報身である「 時間意識 」と「 空間意識 」を目覚めさせ、磁場である「 心 」を作ると考える。
報身は「 文化 」であり「 言語 」であり、「 精神 」であり、ここに言葉上の、宗教の「 神 」が生まれるが、「 神 」は宇宙のエネルギーであり、「 神 」の身体は「 エーテル 」であるというのが私の考えである。
この気(ki)としての小脳レベルの「 自意識 」や「 自分 」であるという大脳レベルの「 自意識 」が磁場である「 心 」の磁極を規定し、それは同時に「 物と物の関係 」であり、物を安定させる重力である「 価値観 」の「 始めと終わり 」(たとえば「 善 」と「 悪 」、「 天国 」と「 地獄 」)という極を規定することになり、その極の間で生じる幾重にも重なる「 定在波 」が「 人格 」を形成すると考える。


2015/4/15、私の考え



「 心 」を以上のように「 磁場である 」と考えるのは、有史以来、私が初めてだろう。
「 心 」は、大脳レベルの、意識である 情(zyou)としての「 精神 」であり、「 思考されたもの 」である部分と小脳レベルの無意識の気(ki)としての「 精神 」を考え、前者が「 自意識 」による極を持った「 始めと終わり 」がある「 物語 」であるのに対して、後者は「 自意識 」ではあるが「 生命 」、あるいは本能として、「 可能性 」として、前者をコントロールする機能(kinou)と考える。
両者の共通するのはDNAとRNAの「 フィラメント構造 」から得られた脳波から派生した「 磁場 」であるが、前者は思考という始めと終わりがある「 物語 」であり、後者は始めと終わりを作る「 可能性 」であり、前者は「 意識 」と呼び、後者を「 無意識 」と呼ぶと考える。


地球は、南極と北極をもつ磁場であるが、地球自体が宇宙の産物としての気(ki)であり、地球上の精神生活は「 磁場 」の中での生活であり、情(zyou)である「 心 」が脳波という気(ki)から派生した「 磁場 」であるから生活が可能であると考える。
地球の気(ki)と情(zyou)である「 心 」を結ぶものは、前述した「 無意識 」であり「 可能性 」として現れる気(ki)である「 自意識 」であると考える。
磁気(ziki)が直接に「 心 」を支配することはなく(心は派生したものだから),磁気(ziki)を無意識の気(ki)を通して支配する(心は派生したものだから)。
磁気(ziki)が「 心 」を派生させるのではなく、脳波が「 心 」を派生させるから。

磁極を結ぶ地磁気にあたるのが「 バイオリズム 」だと考える。
バイオリズムが重複して無意識も「 好き嫌い 」の価値観を生じ、それは無意識を基にしているから、小脳レベルの「 自意識 」であり「 生命 」、あるいは本能として、あたかも地球上の重力のように、情(zyou)であり、「 物語 」(物体)である思考や精神を「 好きな物語 」や「 嫌いな物語 」として、バイオリズムで決めると考える。
DNAやRNAから生まれたバイオリズムと音楽や宗教や言語や物語の波長が合致したとき、「 好き 」になる。

この気(ki)が含まれる単語は小脳レベルの「 自意識 」であり「 生命 」の特徴であることは生気論(seikiron)に共通すると考える。

「 始めと終わりがある 」物語が物体の形であり、「 無常 」であるのに対して、気(ki)は循環するため「 始めと終わりが無く」エネルギーであり、「 無明 」というと考える。
前者が情(zyou)であり、後者は気(ki)であり、気(ki)と情(zyou)である「 心 」を結ぶものは、前述した「 無意識 」であり「 可能性 」として現れる気(ki)である「 自意識 」と考えれば、「 本を読んだりや宗教から生きる可能性を発見する 」ことも可能だろう。

Every miler draw water to his own mill.

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2015年04月08日

2015/4/8、私の現在の考え16・心は磁場である・可能性・意識・心・価値観・人格

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/6、私の記事

私は、「 ビッグバン理論 」ではなく、「 プラズマ宇宙論 」を採用し、後者の「 電気 」が主に気(ki)というエネルギーであり、それを「 神 」とみなし、「 エーテル 」を通して人体のDNAやRNAに浸透して「 流れるもの 」となり、脳波となり、電場を作り、DNAやRNAから磁場として「 派生するもの 」として意識を考える。
その意識は「 心 」を作るが、それは「 派生したもの 」で、宇宙の産物ではない。
宇宙の産物はエネルギーが物化したものであり、人体のDNAもRNAも含むが、それは始めや終わりがある「 物語 」ではなく、「 無 」はなく「 すべて有 」であり、すべてが連続し、循環し、これを「 無明 」というと考える。
一方のDNAやRNAから派生する「 意識 」は機能としては、無意識という気(ki)で電場であり、情(zyou)を「 派生させ」、「 時間意識 」や「 空間意識 」を作り、「 心 」を作るが、それらは磁場であり、重力のように磁場を支配するのは「 価値観 」であり、地球には磁極というのがあるように「 価値観 」にも磁極があり、「 善と悪 」や「 天国と地獄 」などが、それであると考える。
人類すべての意識が相違するのは、DNAやRNAが相違するからで、これは、人類の「 文化 」がすべて相違することで、相対論の「 同時性 」のように、同一であるものは個人の中にのみ存在すると考える。
「 文化 」は物語であり、始めと終わりがある「 形 」を持つが、それが崩れるとき「 無常 」というと考える。


2015/2/9、私の記事


以上のように「 人体 」は複雑な構造であり、私の考えでは「 意識の生成 」で申しましたように、意識は太古の創造のようなことを行っており、意識は無意識を内容とした「 心 」を伝達すると思います。

「 太古の創造 」はエネルギー(神)の仕業であり、物質を創るのでしようが、「 太古の創造のようなこと 」はエネルギー(神)から派生したもので、派生するのは「 意識 」であり、伝達するのは「 心 」であると思います。
「 心 」は法身(hotsusinn)ではなく、報身(housin)であり、宇宙の産物ではなく、人類の産物であり、根本的には法身(hotsusinn)である「 宇宙 」や「 物質 」を規定することはできず(規定は誤りであり)、人類だけの人類愛のようなもので、人類しか判別することができない「 霊 」かもしれません。
言葉に「 霊 」があれは、それであると思います。

このように考えたとき、「 可能性 」とはどのように考えるのでしょう。
「 可能性 」は「 能 」を含んだ単語であり、「 能 」は頭脳の「 脳 」であり、「 脳の力 」が「 能力 」となり、それが言語や絵画などの文化の全部に具現化する契機であり、「 情(zyou)」であり情報であると思います。


2015/2/27、私の記事

自意識も意識である以上、頭脳の派生物であるだろう。
自意識は存在意識から派生したものであるが、「 派生するもの」を「 関係するもの」と考える。
存在意識の中での「 関係 」は、存在意識に依存した(派生した)社会的な意識だろう。
「 存在意識 」と関係する意識が自意識で、それは、「 自分のフィラメント構造の自覚である」と思う。
自意識は頭脳の派生物で情(zyou)であるが、無意識にちかい(私は電磁波だと思う)から、エネルギー(神)に近く、無明で方向性が無いと思う。
フィラメント構造(生まれながらの時空)を流れる中で形成する意識だから、気(ki)にも似た無意識であるがために、細胞の不連続性(無常)に気づかない無明のエネルギー(神)であるから、自己の不変や自己の永遠を信じる、あるいは、「 死んだら終わり 」という無明に始まり無明に消えてゆくフィラメント構造であるのかもしれない。
気(ki)にも似た無意識であるため、細胞と「 共変 」すると思いがちだが、細胞は「 無常 」であり、無意識の中で変化するのに対し、「 自意識 」は、「 自分は自分 」という社会的な「 一定の関係 」という意識を固持するため、「 自分はいつまでも不変だ 」と思うかもしれない。
「 関係 」は、本来、自己中心的な自意識に情(zyou)を吹き込む社会的なエネルギーであり、「 欲 」が「 欲望 」に変化する契機になるだろう。



2015/4/8、私の考え



以上から、次のように考える。

「 可能性 」は「 能 」を含んだ単語であり、「 能 」は頭脳の「 脳 」であり、「 脳の力 」が「 能力 」となり、DNAやRNAの電荷となった宇宙のエネルギーの「 力 」であるだろう。
それらからの「 ビルケランド電流 」である脳波が「 無意識 」である気(ki)の「 自意識 」となり、生まれながらに持っていた時空(法身としての時空)を、「 物と物の関係 」を認識させ、情(zyou)であり、報身である「 時間意識 」と「 空間意識 」を目覚めさせ、磁場である「 心 」を作ると考える。
報身は「 文化 」であり「 言語 」であり、「 精神 」であり、ここに言葉上の、宗教の「 神 」が生まれるが、「 神 」は宇宙のエネルギーであり、「 神 」の身体は「 エーテル 」であるというのが私の考えである。
この気(ki)としての小脳レベルの「 自意識 」や「 自分 」であるという大脳レベルの「 自意識 」が磁場である「 心 」の磁極を規定し、それは同時に「 物と物の関係 」であり、物を安定させる重力である「 価値観 」の「 始めと終わり 」(たとえば「 善 」と「 悪 」、「 天国 」と「 地獄 」)という極を規定することになり、その極の間で生じる幾重にも重なる「 定在波 」が「 人格 」を形成すると考える。


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2015年04月06日

2015/4/6、私の現在の考え15・心は磁場である

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。

2015/4/2、私の記事


気(ki)である「 エネルギー 」と情(zyou)との共通した構造は、「 フィラメント構造 」である。
宇宙の気(ki)であるエネルギー(神)はどこから人体の中に入るかと言えば、私の考えでは、「 DNA 」と「 RNA 」を通して人体に入るとする。
DNAやRNAはラセン構造であるがこれを「 フィラメント構造 」とし、不安定なRNAの孤立電子対の負の電荷こそエネルギー(神)が入る箇所であると考える。
この頭脳の電荷の電気が「 フィラメント構造 」を通り、「 ビルケランド電流 」になったのが「 脳波 」であると考える。
「 脳波 」は電場を作り、磁場の「 意識 」や「 精神 」を生むと考える。
その結果、DNAの違いに応じて「 意識 」や「 精神 」が相違する。
したがって、人間は「 流れるもの 」として「 生まれながらにして時空(宇宙空間・法身) 」を持ち、誕生と同時に「 派生するもの 」として「 時間意識 」と「 空間意識 」という報身である「 時間と空間 」を持つ。
このように、「 エーテル(神の身体) 」の中の「 エネルギー(神)」と人体の中のDNAを通してエネルギーが一致する。
それらは、プラズマ宇宙論の「 フィラメント構造 」と「 ビルケランド電流 」を共通して持つと考える。

2015/3/14、私の記事

頭脳は「 フィラメント構造 」を流れる脳波という気(ki)であるが、意識は脳波を原因とした磁場で、それが精神であり、ちょうどビデオテープに残された映像のように記録されたのが記憶であるかもしれない。
そして今、現在、生活するとき、過去に向けて電磁波を発し出てくるのが「 思い出 」や記憶であるかもしれない。
私は、これらすべてを情報(zyouhou)である情(zyou)と呼び、これは感性や悟性や感情や理論や理性や宗教のすべてを含むと考える。
情(zyou)は、意識の内容であり、意識を持つのは人類共通であるが、その内容はすべて相違するだろう。
これは、地球上のどんなところでも時間意識、空間意識は相違するし、同じ場所や同じ時間は自分以外に存在しないし、相対性理論の「 同時性 」は「 自分以外 」に理論で拡張したものであることからも推察できる(エーテルも無視している)。
情(zyou)は、「 物語 」であり、「 心 」や「 心情(sinzyou)」であり、始めがあって終わりがあり、思考が人類すべて相違するように、「 物語 」もすべて相違するから、言語に変換して、他人の変換を待って伝達されると考える(心が伝わると表現する)。
つまり、「 循環 」することはなく、その単体のみで終わるのが「 物語 」であると思う。
人間をすべて言語で表現されても、人間を精神と規定することはできないと思う。
感情などを言語で表現されたとしても、人間には気(ki)があり、エーテルやエネルギーを言語で表現しない限り、人間を規定したものとはいえないだろう。
宗教で使われる「 無 」は頭脳の産物で宇宙は「 有 」であり、人間は無の状態を経験していないから「 無 」とは「 情(zyou)の無 」であり、「 フィラメント構造 」や気(ki)に近い状態であると考える。

2015/4/6、私の考え


私は、「 ビッグバン理論 」ではなく、「 プラズマ宇宙論 」を採用し、後者の「 電気 」が主に気(ki)というエネルギーであり、それを「 神 」とみなし、「 エーテル 」を通して人体のDNAやRNAに浸透して「 流れるもの 」となり、脳波となり、電場を作り、DNAやRNAから磁場として「 派生するもの 」として意識を考える。
その意識は「 心 」を作るが、それは「 派生したもの 」で、宇宙の産物ではない。
宇宙の産物はエネルギーが物化したものであり、人体のDNAもRNAも含むが、それは始めや終わりがある「 物語 」ではなく、「 無 」はなく「 すべて有 」であり、すべてが連続し、循環し、これを「 無明 」というと考える。
一方のDNAやRNAから派生する「 意識 」は機能としては、無意識という気(ki)で電場であり、情(zyou)を「 派生させ」、「 時間意識 」や「 空間意識 」を作り、「 心 」を作るが、それらは磁場であり、重力のように磁場を支配するのは「 価値観 」であり、地球には磁極というのがあるように「 価値観 」にも磁極があり、「 善と悪 」や「 天国と地獄 」などが、それであると考える。
人類すべての意識が相違するのは、DNAやRNAが相違するからで、これは、人類の「 文化 」がすべて相違することで、相対論の「 同時性 」のように、同一であるものは個人の中にのみ存在すると考える。
「 文化 」は物語であり、始めと終わりがある「 形 」を持つが、それが崩れるとき「 無常 」というと考える。
「 物 」が崩れるのを「 無常 」というのかもしれないが、「 物 」自体の構成物は依然として有り続けるが、「 物 」の文化の意味が崩れるだけである。
唯物論で、「 観念や精神、心などの根底には物質がある 」というのは、ただ現象面だけの哲学であり、「 物質から精神が派生した」 とか「 精神は物質から派生した 」などは説得力がない。
「 物質 」も「 精神も心 」も説明されてはいない。
私の考えでは、「 物質 」も「 精神も心 」もすべて情(zyou)であり、宇宙のエネルギー(神)が、気(ki)が、DNAやRNAを通して頭脳の中に派生させた情(zyou)、即ち情報であり、唯物論では、「 物質 」も「 心 」も「 精神 」も「 意識 」も、まったく解明されておらず、ただ言葉の遊びであると考える。
物質からどのようにして精神や意識や心が派生するのかを考えるのが「 哲学 」であると考える。
どうせ考えるなら、宇宙規模で、(もちろんエーテルも説明して)哲学することを提案する。


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2015年04月02日

2015/4/2、私の現在の考え14・流れるものと派生するもの・三身即一

私も65才になり、人生に残された時間も少なくなってきました。
kandk55 をニックネームとした本名の「 高口克則(Kouguchi Katsunori)]が、これまで広げたカテゴリーにある程度の総括をする責任があると思い、再びブログを書くことにしました。



2015/1/21、私の記事


以上のように、法身(hotsusinn)が宇宙の「 エーテル 」であり、報身(housin)を「 神 」と考えますと、神は「 エネルギー 」であり、応身(ouzin)は「 エネルギー 」が全人類の遺伝子などの「 能力 」に物化したのだと思います。

「 能力 」は何かと考えると「 能 」は頭脳の「 脳 」であり、「 脳の力 」が「 能力 」となり、それが具現化したのが言語や絵画などの文化の全部だと考えます。

法身(hotsusinn)と報身(housin)が気(ki)であり、報身(housin)と応身(ouzin)が情(zyou)であり、法身(hotsusinn)と報身(housin)と応身(ouzin)が一体となったのが人体であると考えると、「 三身即一の尊い如来 」である遥か彼方に鎮座する如来様(nyoraisama)と「 人体 」は同一であると考えます。

2015/4/2、私の考え



気(ki)である「 エネルギー 」と情(zyou)との共通した構造は、「 フィラメント構造 」である。
宇宙の気(ki)であるエネルギー(神)はどこから人体の中に入るかと言えば、私の考えでは、「 DNA 」と「 RNA 」を通して人体に入るとする。
DNAやRNAはラセン構造であるがこれを「 フィラメント構造 」とし、不安定なRNAの孤立電子対の負の電荷こそエネルギー(神)が入る箇所であると考える。
この頭脳の電荷の電気が「 フィラメント構造 」を通り、「 ビルケランド電流 」になったのが「 脳波 」であると考える。
「 脳波 」は電場を作り、磁場の「 意識 」や「 精神 」を生むと考える。
その結果、DNAの違いに応じて「 意識 」や「 精神 」が相違する。
したがって、人間は「 流れるもの 」として「 生まれながらにして時空(宇宙空間・法身) 」を持ち、誕生と同時に「 派生するもの 」として「 時間意識 」と「 空間意識 」という報身である「 時間と空間 」を持つ。
このように、「 エーテル(神の身体) 」の中の「 エネルギー(神)」と人体の中のDNAを通してエネルギーが一致する。
それらは、プラズマ宇宙論の「 フィラメント構造 」と「 ビルケランド電流 」を共通して持つと考える。

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DNAとRNA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%9C%E6%A0%B8%E9%85%B8#DNA.E3.81.AE.E5.90.88.E6.88.90

1本鎖RNAでは2'位のヒドロキシ基が比較的柔軟な構造を取り反応性もあるため、DNAと比較すると不安定である。水酸基の酸素には孤立電子対が2つあるため負の電荷を帯びており、例えば、近接したリン酸のリンは周囲を電気陰性度の高い酸素原子に囲まれて水酸基の酸素原子から求核攻撃を受けやすく、攻撃によりホスホジエステル結合が切れ、リン酸とリボースの骨格が開裂する可能性があるなどDNAと比べて不安定である。この特性から、翻訳の役割を終えたmRNAを直ちに分解することが可能になる(バクテリアでは数分、動物細胞でも数時間後には分解される)。安定RNAでは1本鎖に水素結合を形成し、らせん構造となるなど、多様な二次構造、三次構造を取り、安定性を増している。

孤立電子対

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A4%E7%AB%8B%E9%9B%BB%E5%AD%90%E5%AF%BE
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