2008年05月09日

5月9日・世界と自分

5月1日に書いた記事。

@
如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙」

A
人類が獲得した知恵や知識の「精神」の「世界」

B
@とAを体現している「自分」



この三つが、私の頭を混乱させる。
@「宇宙」

矛盾が生じ、混乱するのは私の「世界」であって、「宇宙」には矛盾は無い。
「小さな矛盾」も「大きな矛盾」も、「宇宙」には無い。

「宇宙」は絶対的な因果関係で結ばれ、生じる事も消滅する事も必然であると思う。

「宇宙」と言うが、遥か遠くの天体の話では無い。

人体は、アポロ計画で持ってきた「月の石」と同じ「宇宙」の一部であり、TVで見た宇宙服で月を歩いているのは、地球を歩いている事と同じであり、違うのは、如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙」の条件が違うだけだと思う。
「地球」では「酸素マスク」を着ける必要がないほど酸素に恵まれているから、「酸素マスク」が必要ではない。

地球には、酸素を含む大気があり、水があり、生命を維持する条件がある。
目の前の距離も、「宇宙空間」である。
そして、世界中の皆が、如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙の塵」である。

5月9日、追加。

生まれる前も、「宇宙の塵」で、死ぬと「宇宙の塵」に戻る。
宇宙全体を考えると、多少の誤差はあるかも知れないが、無視するほど、小さな変動である。
如来様(Nyoraisama)により、佛(hotoke)を創られて、霊と生命が、脳で活動すると、「精神」や意識を持つ身体となる。
「宇宙の塵」が、如来様(Nyoraisama)の力で動かされていると思う。
佛(hotoke)を創ると同時に生命体となると思うが、私は、他の動物も含めて、「生命」について理解していない。


A「世界」は意識であり、「精神」である。

人間は、頭の中に、つまり「精神」の中に、如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙の塵」を持っていない。
知覚して、「宇宙の塵」のイメージを、意味という情報にして、自分の意識で、自分が生きるための情報に採用するか否かを判断して脳の中に蓄える。
その、想像する空間が「世界」であると思う。
「世界」とは、価値観を含んだ頭の中の空間であり、如来様(Nyoraisama)の「宇宙の空間」ではない。

人間は、「相当因果関係」の範囲内で、知覚可能な物しか、知覚しない。
大きい物や小さい物は知覚できず、中間の物を知覚している。
この「世界」が、絶対に正しいとは言えない。
人間が「宇宙の空間」との矛盾や食い違いを「世界」に採用しようとするから、科学は更に「宇宙」にFit するように発展すると思う。
科学も観念論である。
「宇宙」を意識の中に模倣している。
科学により「宇宙」を支配する事は、絶対に無い事だ。
「宇宙」は、人体と思うと、科学により人間は作れない事になる。


「宇宙」の進展より「精神」の発達が遅れているから、「宇宙」の進展が、現象となって現われ、「万物は流転する」と言うのかも知れない。
「宇宙」と同じ速度、言い換えれば人間が常に必然の因果関係を理解するならば、不安は感じない。
自分の死も、他人の死も、時期や場所が判明し、不安は無いが、夢は無くなると思う。
その状態が、「成仏した人」だと思う。
「世界」は意識だから、「自分の世界」を持ち、「世界」を変える喜びがあると思う。


B
@とAを体現している自分。

「世界内自分」と「自分内世界」を持ち、自分の意識を中心にして「自分内世界」を持つ。
しかし、人間に生まれたので、自分の身体を他人の身体と交代する事は出来ず、意識は自分という個体に限定され、外部に出した意味を通して他人に伝わる。
病気の子に、親が代わる事は出来ない。
教育ならば可能だろう。
そして、「人類としての自分」の意識が、先祖供養に向かわせて、霊性を開発すると同時に、「世界」の中心の「自分」に、他者も「自分」と同じように考えさせる事により、「隣人を愛しなさい」という命題に応える事が出来る。

間違いかも知れないが、要約する。



総括

カテゴリー、足跡 T

2015/1/21・私の現在の考え 1 

2015/1/27、私の現在の考え 3 世界内存在  参照
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2008年05月08日

5月8日・世界と自分

5月7日、私が書いた記事「世界と自分」が、登録されている。
  ↓
GoogLe

http://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E8%87%AA%E5%88%86&hl=ja&rlz=1T4SUNA_jaJP253JP254&start=10&sa=N

Yahoo USA

http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkyGfwiJIwFcByohXNyoA?p=%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E8%87%AA%E5%88%86+m24658&fr=yfp-t-316&ei=UTF-8

「世界」と「人類としての自分」について、考える。

如来様(Nyoraisama)は、私を人間という動物に創った事は、「人間という動物についての述語」が全て、私に適用される。

私の考え。

私が「世界」は意識だと言っても、それは私だけの見解であり、他の人間は、各自に「世界」について見解を持っていて、私の見解とは、何の関係も無い。
全ての「世界」を包摂する如来様(Nyoraisama)の「宇宙」が一つだから、皆は「世界は一つ」と思っていると、私は思う。

@先祖について

私は、無数の祖先が進化した最先端に、身体があると思う。
遺伝子、そのものが、過去の情報を持っているかも知れない。
「人類としての自分」を「世界」の中心にする事は、この祖先も、中心に入る。
その結果、先祖供養しなければならないだろう。
そして、霊と交信するのが夢だ。

A隣人について

現在、時間の差はあるが、地球上に存在している「人類としての自分」を意識する事は、他人を自分の範囲の中に入れる事だと思う。
「自分」の枠を広げて、他者を「自分」と同じように考える事だと思う。

そう思うと、「隣人を愛しなさい」とか「他者が利益になる行為をする」など、少しは理解する事が出来る。


一人だけで、育ったのでは無い。
他者に感謝しなければならないだろう。

間違いだと思うが、要約する。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2008年05月07日

5月7日・世界と自分

5月6日、私が書いた記事「5月6日・世界」が、検索を専門とする会社に登録されました。
  ↓  
Yahoo USA

http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkkq2dCFIkm4AQtal87UF?p=%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%80%80m24658&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-316&fr2=sfp


GoogLe

http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4SUNA_jaJP253JP254&q=%e4%b8%96%e7%95%8c%e3%80%80m24658

私は、「 bragger 」です。
これは、フィクションです。
知識ではなく、「独り言」です。

A fool judges everything by the one he knows.

どうか、無視してください。

5月6日の要約で、追加する事があります。

最後に書いた、「人類としての自分」について追加します。
「世界内自分」や「自分内世界」は、「脳」を持つ動物ならば、意識を持ち、「世界」を持っていると思います。
自分が、「精神」と如来様(Nyoraisama)の「宇宙」が融合したと意識した時、自分は本能と少しの脳を持つ動物から、霊と交信する事が出来る動物まで、可逆的に、意識を上下させる事が出来ます。

「小さなDikz」が如来様(Nyoraisama)であれば、「世界」が頭脳に向かって、如来様(Nyoraisama)の生命の種子を送り込んで、新たな如来様(Nyoraisama)を作る事を命令すると思います。
その時の意識は、動物の本能と言われるかもしれません。
しかし、意識は、音楽や信仰などの「精神」にも及びます。

Every man has his humor.

Faith will move mountains.

Heaven helps those who help themselves.

「自分」という意識を中心に、「世界」を変えます。
変えるのは、「宇宙の能力」だと思います。

これで良い人もいます。
While there is life,there is hope.

しかし、それが最善ではないと思います。
「自分」という意識を「世界」の中心にするのではなく、「人類としての自分」という意識を中心にした時、「自分が人類のために、どのような行為をすべきか」を考えるのが良いかも知れません。
それが「使命」だと思います。

詳しい事は、本で勉強してください。
私は、信じる事を書くだけです。

Poor thinking is as good as no thinking.
posted by kandk55 at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月06日

5月6日・世界

4月30日は、次のように要約した。

「世界内自分」と「自分内世界」は次のように考える。

全人類の社会的、年代的な意味が集積した「世界」の意味を思い込みや価値観で取り込む「自分内世界」があり、それが精神的に自分を成立させている。

「自分内世界」は、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」の一部で、自分という個体に限定された人間の知覚による構成物である。

5月6日、考えた事。

「世界」は、自分が考えて決定した範囲で存在する。

自分という意識が、「自分内世界」である。
それを「私が自分で決定した世界」として外部に表現する。
自分が意味するものと、社会の意味と比べ合って、「自分内世界」に取り込む。
自分の存在の全体が、「世界内自分」である。
この場合の世界は、文化や文明など人類が得た全ての知識の人類の「精神」である。
この場合の自分は、「自分内世界」をもった意識としての自分である。
知識と意識を同一と考えると、「世界」は、意識である。

身体という物体を持っていて、人間であるという意識は、「精神」と如来様(Nyoraisama)の「宇宙」と融合させる。

間違いかも知れないが、要約する。
posted by kandk55 at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月05日

5月5日・Kay Parker

アクセス解析で、発見した。
     ↓
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=taboo+Kay+Parker&lr=


「 You Tube 無修正 」で検索する人も発見したから、記事にする。

私のブログが、何故、上位に登録されるのか理解する事が出来ない。

私は、Kay Parker が提起した問題は、日本では終焉を迎えたと思う。



日本でも、父親のドメスティック・バイオレンス により、幼少の時、母親と肉体関係を結んだ少年が、自分の母親の死後、母子を襲い、二人とも殺害し、その後、殺害した女性と性交した。

一審と二審が、無期懲役の判決を下したが、最高裁判所は、「死刑にしない相当の理由について審議しろ」と差し戻し、高等裁判所で、少年は「死刑」の判決が出た。

その少年が、無期懲役の判決の後、獄中から友人に宛てた手紙を見ると、最高裁の判断は妥当と思われる。

興味がある人は「光市母子殺害事件」で検索すれば、もっと詳しい事を知るだろう。

こうして、TABOO も、個人の趣味の問題で、家庭内のプライバシーの中で秘密に行われるのであれば、家庭の教育の問題であるから、当事者の自由である。

しかし、社会に出て、犯罪になれば、家庭環境の全てが、世間の目に晒される。
それを覚悟しているから、「TABOO 」なのかも知れないが……。



Every man has his humor.
posted by kandk55 at 06:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

5月4日・世界と個人の感覚と能力

世界は「精神」であり、個人の感覚と能力は、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」の領域だと書いた。

「痴呆」の事を考える。
医学の勉強もしてないから、好き勝手な事を書く。
「痴呆」は、脳の萎縮や脳血管が詰まる事による脳梗塞などから、本人は気付かなくても、異常な行為をしている。
これは、病気であり、薬物の投与により、その進行を抑えるが、脳の萎縮は続く。
つまり、元通りの脳にはならない。
脳の医学的な研究が進む事が望まれる。

脳の一部としての「感覚」や「能力」も、脳萎縮により、環境に適合出来なくなる。
「世界」が変わる。
如来様(Nyoraisama)の「宇宙」が萎縮すれば、「世界」も萎縮する。
感覚の能力や破壊の能力も変わる。
幻聴や幻覚も起こるし、新たな世界を作るのではなく、昔の記憶に戻るようになる。

この「痴呆」も、他人事ではない。
痴呆老人を介護している人に聞くと、70代前後で、その兆候が現われるという話だ。

如来様(Nyoraisama)が創った身体は、新陳代謝と言い、古い物が壊されて、常に新たしい物が作られて、生命を維持している。
血液も、骨も。
意識は、生まれたままの「自分」であるが、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」は恒常の物がなく、万物が流転している。

頭脳が「相当因果関係」しか理解出来ないように、意識は身体より進歩は遅れているのだと思う。

認識論は「精神」の問題だから、本を読んで、自分で考えると良いが、自分の頭脳で理解した範囲内での「認識論」しか獲得しないから、論理は人間を超えるように思えるが、知識の「整理」で終わるかも知れない。
論理の正当さより、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」を「精神」に取り込む事が必要である。
(私が書く記事は、論理の飛躍があると思う)

信仰も「精神」の問題である。
神はサイコロを使わない。
つまり、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」は確率の「世界」ではないのだ。
如来様(Nyoraisama)の「宇宙」は、完全に調和しており、絶対的因果関係であり、如来様(Nyoraisama)に隠れた人間の行動は、存在しない。

「神」に誓って「禁煙」という決意をしたのであれば、タバコが起こす「快楽」という「精神」から、「快楽を追求しない」という「精神」に変化しなくてはならない。
「快楽」という「精神」は、無限大であり、個人が、全てを享受すると思えば、「神」になるしか方法はない。
それよりも、如来様(Nyoraisama)との約束を守り、与えられた環境や世界の改善や如来様(Nyoraisama)から与えられた身体を、死ぬまで大切に扱う事のが良いと思う。

信仰は、各自の問題だから、各自が決める事。
私は、プライバシーを信仰などの人格向上に使って欲しい。
人に見られないから、何をしても平気。
プライバシーだから、人に干渉されない。
そういう考えもあるかも知れない。
私も、一定の獣の時間は必要であると思うが、人間は獣であると同時に精神的動物である。
私は、信仰の事も考えて、生きて欲しいと思う。
信仰するまでに時間が必要だと思う。

Rome was not built in a day.
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2008年05月03日

5月3日・世界と個人の感覚と能力

私は、パソコンで遊んでいるから、インターネットの世界を考える。

私の「老人の話」に、淫らな感覚でアクセスする人が多い。
私の性交渉は、女房だけだから、淫らな話を期待しても無駄である。
ただ、一般の人よりも、海外サイトで遊び、無料で無修正を見ているから、淫らと思うのだろう。

「小さなDikz」の記事でも、書いたように自分の男性器官と釣り合った世界を持つと思う。
私は、「小さなDikz」でも「Big Dikz」でも、男性器官という事は同じである。
「Big Dikz」の感覚から派生する快感に淫らさを感じるのが「精神」であり、「精神」を伝達するサイトが「世界」と考える。

その「世界」を、Google 社やYahoo 社の検索結果として見る事が出来る。

世界中からの検索があるが、私は、それを逆に利用する。
Google 社は、「 Google 捜索 」に興味があるし、Yahoo 社は台湾の検索に興味がある。
そんな検索に遭遇したら、私が「頭脳に記憶している」キーワードを入力して楽しむ。
頭脳に記憶したキーワードが、世界を変える。

実は、今日も「 Google 捜索 」で、興奮する「世界」を発見した。
連続する休暇で、このサイトを探検するつもりだ。



Nothing ventured, nothing gained.

そして、

Heaven helps those who help themselves.
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2008年05月02日

5月2日・世界と個人の感覚と能力U

私の独り言だから、勝手に書かせて欲しい。

私は、五感により、世界が私に開かれたと思っている。

私は、白内障の手術により、眼に「人工レンズ」を入れている。
強い近眼だったが、その手術と「人工レンズ」により、網膜に正しい像が写り、視力が回復した状態である。

退院した夜、車のヘッドライトの色が、それぞれの車で違う事を知った。
普通の人は、何と美しい風景を見ているのかと思い、今までとは違う世界に来たと思った。

白内障で、眼を入れ替えた私が、こんなに驚くから、視覚障害者の眼が開いたら、もっと感動するだろう。

私は、五感が欲望の発生源かもしれないが、如来様(Nyoraisama)が創った物として、感謝しながら、不満を言わず、死ぬまで大切に使いたいと思う。

五感が無い世界は、想像する事が出来ない。
そんな世界の中で、死ぬまで、何を楽しみにしたら良いのか。

While there is life,there is hope.

「能力」も如来様(Nyoraisama)が創った、個人限定の力だと思う。
多くの菩薩が如来の下で修行していると聞いた。
間違いだと思うが、私は、その菩薩は、人間の能力を象徴しているのだと思う。

こうして、感覚も能力も、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」に属する物で、「精神」ではないと思うが、その反面、如来様(Nyoraisama)が創った身体や頭脳を損傷したり、麻薬などを使ったりして、世界を変える事も可能だと思う。

身体は、毒を含む「精神」には強く抵抗するが、「宇宙」の毒を含む薬には、弱いかもしれない。

私は、この「毒」の中に、「タバコ」を含むと考える。

現時点では、感覚も能力も、「宇宙」あるいは「脳」の一部と考える。
他の動物に共通なものと考える。

Poor thinking is as good as no thinking.

これは、未完成のフィクションです。
訂正もします。
posted by kandk55 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月2日・世界と個人の感覚と能力

こんな諺を辞書で発見した。

Every miller draws water to his own mill.

私が書く事は、全て、フィクションであり知識にならないので、期待せずに見てください。

@
如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙」

A
人類が獲得した知恵や知識の「精神」の「世界」

B
@とAを体現している「自分」


Bの自分について書く。

私は、全人類の社会的、年代的な意味が集積した「世界」の意味を思い込みや価値観で取り込む「自分内世界」があり、それが精神的に自分を成立させていると思う。

「自分内世界」は、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」の一部で、自分という個体に限定された人間の知覚による構成物である。

世界内自分の世界の中で知識として認めるかは、自分内世界が「宇宙」に対して道具となるか否かで決まると考える。

自分内世界は、「小さなDikz」で書いたが、感覚の刺激を意識した時、精神世界になり、「小さなDikz」に適合した種々の精神世界を持つと思う。

視覚障害者が、見る世界を失うように、感覚が無いと感覚に対応する自分内世界は無い。

如来様(Nyoraisama)が人間を創る時、見るために眼を創り、聞くため耳を創るのだと思う。
赤ん坊は、誕生と同時に、種々の感覚を、能力として持っている。


感覚と、能力について書く。


世界内自分において、感覚により精神世界から自分内世界に必要な情報を選んで、自分内世界を作る(感覚の能力)。

古い世界を捨てて、新しい世界を作る(破壊能力)

Seeing is believing.

自分内世界の自分固有の世界を、世界内自分の世界に解き放つ、あるいは世界の波動に乗る(表現の能力)。


人間は行動する生き物なので、如来様(Nyoraisama)は、行動力として、能力を創ったと思う。
能力は「宇宙」に属し、精神では無いと思う。
行動するために認識するが、認識しても、行動に直結しない。

自分内世界が変われば、外部に表現する事により、精神世界を変える事も可能かもしれない。


人間が霊的動物ならば、如来様(Nyoraisama)は霊に対する感覚や能力を人体に備え付けているかも知れない。
それは、本を購入して勉強してください。


Poor thinking is as good as no thinking.
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2008年05月01日

5月1日・宇宙と世界

私が作ったフィクションTやUは、次のように分類して、再構築しなくてはならないと思う。

@
如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙」

A
人類が獲得した知恵や知識の「精神」の「世界」

B
@とAを体現している「自分」



この三つが、私の頭を混乱させる。
矛盾が生じ、混乱するのは私の「世界」であって、「宇宙」には矛盾は無い。
「小さな矛盾」も「大きな矛盾」も、「宇宙」には無い。

「宇宙」は絶対的な因果関係で結ばれ、生じる事も消滅する事も必然であると思う。

「宇宙」と言うが、遥か遠くの天体の話では無い。

人体は、アポロ計画で持ってきた「月の石」と同じ「宇宙」の一部であり、TVで見た宇宙服で月を歩いているのは、地球を歩いている事と同じであり、違うのは、如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙」の条件が違うだけだと思う。
「地球」では「酸素マスク」を着ける必要がないほど酸素に恵まれているから、「酸素マスク」が必要ではない。

地球には、酸素を含む大気があり、水があり、生命を維持する条件がある。
目の前の距離も、「宇宙空間」である。
そして、世界中の皆が、如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙の塵」である。

私は、如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙」と、精神の「世界」と自分の関係を考えなくてはならない。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2008年04月30日

4月30日・世界内自分と自分内世界

2月29日の「世界内自分」についての記事。

@
思い込みや自分による限定が無ければ、知覚が成立しない。
眼があるから見えるのであり、耳があるから聞こえるというのは、私も同感する。
眼が無く、耳も無いのは、如来様(Nyoraisama)が創る前の塊であると思う。
思い込みは排除すべきだと思うが、記事にする以上、思い込みは避ける事は出来ない。

A
自分と言う場合、時間や空間などと共に、生きている時代の文化、生まれた国の歴史、家族などの社会的状況など、自分の世界が、全部、如来様(Nyoraisama)が創った霊と佛(hotoke)の融合である生命がある身体を限定する。
そして、これを知覚して、文化を担って生きるように創られている。

B
私の勝手な言い方で、自分の身体を成立させているのを限定と呼び、私が自分の身体を限定しているのを価値観と呼ぶ。
単純に、私と言う時、価値観による自分を言い、これが関係を帰属させる主体である。
価値観による死は、関係の解消で、自分の存在が無くなる事である。

C
関係の帰属主体の自分が死んで、身体は如来様(Nyoraisama)の手元に戻り宇宙の塵になっても、如来様(Nyoraisama)による限定が無くなっただけで、生まれて死んだという事実は、歴史上の人物として記録され、私が考えたり書いた物が、私の文化として、残る。

4月30日

私の考えは間違っていると思うが、考えを進める。


@
B
「思い込み」や「価値観」というのは、「自分内世界」の「世界」に適用する。

A
「限定」というのは、全人類の社会的、年代的な意味が集積した「世界」から、私が名前を付けられて、一つの構成員と認められる事(私が精神に所属する)。

B
同時に、如来様(Nyoraisama)が、他の物体とは区別して、私を人間に創った事(私が人類に所属する)。

C
私の死後に、私の文化として残るが、これまで全人類が残した物が、「世界内自分」の「世界」と考える。



「世界内自分」と「自分内世界」は次のように考える。

全人類の社会的、年代的な意味が集積した「世界」の意味を思い込みや価値観で取り込む「自分内世界」があり、それが精神的に自分を成立させている。

「自分内世界」は、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」の一部で、自分という個体に限定された人間の知覚による構成物である。



間違いだと思うが、要約した。
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2008年04月24日

4月24日・フィクションU自分内世界の要約

私の妄想、フィクションUの要約

3月20日に書いた事。

@現実世界と死亡後の世界

自分にとって一大事は、自分の「死」である。
生まれる前の世界も、死んだ後の世界も、知る事は出来ない。
その想像の世界を、宇宙の力の世界と呼ぶ。
私は、現実の世界と、宇宙の力の世界と区別する。
前者は、偶然の世界で、後者は、絶対的な必然の世界だろう。
前者の中では、「神様はサイコロを振る」と言う現象が起こるし、人間の目で、真理を観察する事は出来ないだろう。
その真理が、後者である。
後者は、前者の中に、「人間は死ぬ」という必然的な現象として現われる。


A生命体は、知覚を持ち、人の世に生まれた瞬間から、人工の文化に包まれ、文化の意味を理解するように教育され、育つ方向を強要される。
能力が世界観を生み、自分が考えた世界観を投影して、反応を確かめながら、自分の世界を作る。
知覚や能力は、文化を発展させるが、個人の心の中に執着も作り出す。
自分を利益に導く物に執着し、他人の利益を排除するが、これは、生命を守るためだから、悪い事では無いかも知れない。
私の考えでは、能力が劣っていたり、楽しい事が無い人は、それに応じて執着心は無いと思う。


B私は、如来様(Nyoraisama)が生命を含む霊と一緒に、「仏性」を埋めて、人間を創ったと思う。
その所で、私は仏教徒であるかも知れない。

C私は、生きている間に成仏(zyoubutu)する事は、現実世界の中に必然性を発見して、行動する事だと思う。
宇宙の力を、体現した時に、その言葉を使う。



4月24日に考えた事

@現実世界とは「精神」の領域であり、人間の数だけ「世界」がある。
現実世界は生きている世界であり、全てが「精神」の領域である。
そして、ここは偶然の世界で、前提や了解の上に築かれた相当因果関係の世界である。

死後の世界とは、如来様(Nyoraisama)が創る「宇宙」の領域である。
それは、遠くに存在する天体と考えなくても、自分の身体が、「宇宙」である。
ここは、必然の生成で、前提が無い、絶対的因果関係が支配する。
死ぬとは、「精神」が消える事で、「宇宙」の塵の佛(hotoke)になる事である。
人は死ぬと星になると言うが、星という天体に行かなくても、如来様(Nyoraisama)の佛(hotoke)になって「宇宙」に戻る事が出来る。

Aこれは、「小さなDikz」で書いたが、生きている間は、自分に(Fit)する「精神」の「世界」を持つ事である。
遭遇した事態により、捨てたり、作ったりする自分を中心に考えた価値観の世界である。


B私は、間違っているかも知れないが、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」の中に、本能を含めるから、
「仏性」は、「精神」に含まれなくて、「宇宙」的、所与として認めるのが適当な本能かも知れない。
霊と呼ぶのかも知れない。
これは、まだ理解していない。

C「宇宙」の力を体現するとは、生きている現実世界の中で、必然や永遠と呼ぶ「精神」を、生きている瞬間の中に把握する力を持つ事だと思う。
自分が何故、この時期、この場所に生まれたかという必然を知る人だろう。

私は、時間は主観的で、自分の生命のリズム、(例えば心臓の鼓動のリズムや睡眠のリズム)と考えていて、世界時間や日本時間と定義された時間に、生命のリズムを同調させていると思う。
時間に生命のリズムが同調しない場合、「精神」は不安になる。
これも、まだ理解していない。

以上を、フィクションUの当面の要約とする。


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2008年04月23日

4月23日・小さなDikzと自分内世界U

Yahoo USA だけだと思ったが、GoogLe 社も、私の「小さなDikzと自分内世界」を登録していた。
     ↓
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4SUNA_jaJP253JP254&q=%e5%b0%8f%e3%81%95%e3%81%aaDikz%e3%81%a8%e8%87%aa%e5%88%86%e5%86%85%e4%b8%96%e7%95%8c


私の小さな記事を登録してくれた返礼として、次の物語を書く。
無視されても、不満は無い。

私の認識論の続きである。

理解する全てが、「精神」である。
Yahoo 社の登録記事も GoogLe 社の登録記事も、内容は全て「精神」だから、理解する。
頭の中に、「宇宙」としての地球が入る事はない。
「地球」という言葉は、歴史的に獲得された観念である。

唯物論は、物に忠実な科学の認識方法だが、どうして発展するのかと考えた。
物自体が発展するのではない。
例えば、優秀な人間と同じ脳を人工的に作ったとする。
作った脳が、それ自身で発展し、真理へ近づくのではない。
脳の存在により、「精神」や「世界」が生まれ、未来からの新たな課題に向かうとき、現存する知識では解決する事が出来ない時、人間は「世界」を変えるのだ。
人間は、「世界」を作ることも、脱出する事もできる。
「世界」は精神的であり、社会的であり、それ自体が前提の下に成立して、体系となり、道具になっている。
ところが、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」は前提が無い。
必然である。
因果関係も、全てが関連を持っている、絶対的因果関係であろう。
相当因果関係の中に、矛盾として現われるかも知れない。
現存する相当因果関係を捨てて、新たな因果関係を発見する時、科学が進歩する。
夢や期待をして実験する中で、以外な関係を発見するのは、「精神」の発展ではなくて、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」が、「精神」の「世界」を超越して、「精神」が近づいて来るのを待っているのだと思う。

知識が客観的と言うのは、物の構造を頭脳に模写したので誰でも同じ考えを持つ事だと思うが、本当は、「宇宙」が一つだから、客観的なのだと思う。

反対から言えば、「宇宙」は一つでも、「世界」は人の頭の数だけ存在する。
同じ物体を見ても、感覚により違う「世界」に分類される。


Poor thinking is as good as no thinking.
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4月23日・小さなDikzと自分内世界

Yahoo USA が、私の「小さなDikzと自分内世界」を登録しました。
     ↓
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkwrIgg5IXX0Bp0Wl87UF?p=%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AADikz&ei=UTF-8&iscqry=&fr=sfp


本当に、嬉しいのですが、これはフィクションであり、誰でも考える事が可能な事なのです。

私のブログのために、ページを作って登録した返礼として、その発展を書きますので、価値が無い記事であれば、登録を抹消されても不満でない。

私が書くのは、狂った認識論ですから、正しい認識論は、本を読んで、自分で考えてください。


では、続きを書きます。

私は、「世界」は「精神」であり、それを衣服と考えました。
如来様(Nyoraisama)が与えた身体に(Fit)した「世界」を選び、それに自分の「小さなDikz」にFitした穴を開けて、「小さなDikz」を出して、小便したり生殖したりする。

私は、自分の努力では何も達成する事ができない身体的な物。
例えば、人種や肌の色や身体の構造を、如来様(Nyoraisama)が与えた個性と考えます。
その中に、「本能」を含んで考えます。
例えば、性欲や食欲や睡眠などの生命維持のために必要な物です。
それを、「精神」ではなくて、「宇宙」の中に入れます。
これは、学問的には、間違いかも知れませんが、今は、そう思います。

「性欲」自体は、非難すべき悪い事では無いと思います。
如来様(Nyoraisama)が与えた子孫を残す方法ですから、社会の規範や道徳で非難するのは間違いです。
裁判官も道徳者も、教育者も、性器をもちSEX して子孫を残しています。

私のフィクションを発展させると、抑制しなくてはならないのは、「性欲」が「精神」に発展する事です。
「精神」は「意識」ですから、性欲を意識する事を抑制する事です。
性欲だけで精神が無い行為は、動物の行為と同じと考えます。
これは、私のフィクションでは、許されます。
許されないのは「性欲を意識して、発散させる事」です。

如来様(Nyoraisama)が創る物を「宇宙」と呼ぶ。
男性の身体は如来様(Nyoraisama)の「宇宙」で、射精された女性の身体も「宇宙」で、受胎も「宇宙」。
その中に、「神経の刺激を快感と感じる精神」を持つことが、「射精」に必要かも知れないが、「宇宙」に対しては価値が低い事だと思う。
価値の低い「快感」という精神を追求しても、それは無限に大きくなるから、抑制すべきだと思う。

それが、「Big Dikz でも小さなDikz でも、小便や生殖が可能ならば、悩む必要は無い」という理由である。

快楽という「精神」を楽しむならば、「Big Dikz」を好むのは、当然かも知れない。
しかし、快感という精神は、肉体の刺激だけで達成されるのではない。
「自分は、他人とは違った、特別の行為をしている」という意識も、精神の中に入るだろうし、「小さなDikz」でも、愛情で「快感」と感じるかも知れない。
あるいは、Animal を相手に行為するアブノーマルな行為で快感を感じるかも知れない。
他にも、快感は得られると思うから、「精神」の領域は、無限大と思う。

無限の喜びの中に、「自分」を発見する事は、大切だが、私は、「精神」の領域ではなくて、如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙」の無限大の中に、自分を発見すべきだと思う。
快楽を求めるのではなく、生きる事の喜び(SEXだけでは無い)の中に、自分を、発見すべきだろう。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2008年04月20日

4月20日・小さなDikzと自分内世界

「自分内世界」という私の言葉が、やっと「 MSN 」 の検索で発見できた。
        ↓
http://search.msn.co.jp/results.aspx?q=%E8%87%AA%E5%88%86%E5%86%85%E4%B8%96%E7%95%8C&FORM=MSNH

「世界内自分」ならば、何となく意味が了解する事が出来るが、「自分内世界」とは何だ?

そんな印象なのだと思う。

では、「自分内世界」とは何を言うのかを書く。

私が「世界」や「地球」という言葉を使うが、皆、観念で、全てが「主観的」で「精神」である。
「精神」は、「小さなDikz」より、「Big Dikz」が好きだと思う事から、人間は精神の動物だと思った。
「精神」だから、人工的、文化的、社会的、時代的な全ての物に及ぶ。
意識が及ぶ所まで、「精神」は及ぶ。
「精神」を「衣服」の様に身体に着て生きているのだと思う。
「衣服」だから、自分の体形にフィットする物を選ぶ。
選ぶ根底には、価値観(例えば、何を「親の秘密」と指定するかなど)が存在し、創作するのだ。
創作された「衣服」は、「親の秘密」と密接しながら、何時でも、脱出が可能なのだ。
「衣服」つまり「世界」から「世界」と移る時は、「衣服」を選ぶ時にお金や流行の情報などが必要なように、「世界」を選ぶ時も、エネルギーが必要だと思う。
人間は皆「仏性」を持っているが、「仏性」を気付くために努力が必要であるように……。

どんな人間でも、自分に(Fit)するように「世界」を持ち生きている。

本当は、「生かされている」と思うが、後日、書く。

「感性」や「悟性」や「理性」なども地層のように身体に(Fit)していて、身体により、統合されている。
その様子は、小便するために「衣服」から「小さなDikz」を取り出すように、行動する時は、「世界」を割って、身体が外部に現われるのだと思う。

「小さなDikz」であるとしても、悲しむ必要はない。
小便する事が可能で、生殖する事が可能なら、それ以上、悩む必要は無い。

フィクションUの結論。

「自分内世界」とは、自分が「精神」による生き物で、「精神」により無数の「世界」を持ち、それを如来様(Nyoraisama)から与えられた身体、宇宙の塵が、それを統合している「自分」の事を意味する。

これは、仏教の「法身」や「報身」や「応身」を、自分の方法で解釈した。
posted by kandk55 at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月17日

4月17日・自分内世界

私は、本能と呼ばれる「性欲」や「食欲」や「睡眠」などは、精神の領域の中に入れていない。
それは、人間の生死に関係し、動物一般に共通する「生命維持機能」だと思って、如来様(Nyoraisama)が作った身体や「宇宙」の中に入れている。

それは、後日、書くことにして、精神の領域を、もっと書く。

「背徳の世界」は見ると興奮する。
「喫煙の世界」も同じだ。
しかし、親に隠れて、喫煙したり、背徳の行為はしない方が良い。

好きな人は、好きな事をすれば良いが悪い結果になるなら止めた方が良い。
商売ならば、金銭で止める事が出来るが、愛情がある二人には、限界が無いから止められない。

昔、私は、喫煙していた。
ある日、私の全てを知る自分自身と約束をした。
今から思えば、如来様(Nyoraisama)と、約束した。
「禁煙する」と約束した。
意思が弱い私だが、それを守るだけで、禁煙する事が出来た。

喫煙も背徳行為も、如来様(Nyoraisama)と約束して、「世界」から脱出すべきだ。

自分が作った、気持ちの良い「世界」から、如来様(Nyoraisama)に従って、脱出すべきだ。

自分と如来様(Nyoraisama)を信じて、止める努力をしなくてはならない。

如来様(Nyoraisama)は、全ての人を助けてくれる。


Heaven helps those who help themselves.
posted by kandk55 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月17日・小さなDikzと自分内世界U

「Big Dikz」が好きなのは、人間である証拠だと書いた。
精神の領域だと思う。
動物は、雄の股間を見て、「Big Dikz」を生殖行為の決定する根拠にしないと思う。

「Big Dikz」の良い所を既に了解しているから、それを持つ男性を求めるのだと思う。
獲物を取るために網を張るように、「Big Dikz」が好きだという「世界」を自分の中に作っている。
「小さなDikz」を持つ私は、その光景を見ようと、「世界」を広げている。

この「知覚の世界」は、文化的、人工的、社会的、時代的な精神の領域であり、他の学者が、多くの本を書いているから、参考にすれば良い結果を得ると思う。

私は、この「知覚の世界」の内容は、人間が作る全ての物であり、地球や天体も、「宇宙」と言っても観念の世界である。
「地球」や「現実」と思っている事も、全部が精神の領域に含まれる。
人間に無限の想像力があるとすれば、精神の世界は無限大に大きいと思う。
人間は寿命がある事を知っていて、宇宙の一部の物体と比べて自分の寿命を推測するのかも知れない。
ブログのように、ブログを書く人間の数だけ、「世界」が存在し、その「世界」は、個人の内面のパーソナリティを外部に表現した物だと思う。
私のように、理解していない頭で書いた文章も、私の世界の一部であり、頭の混乱が表現されていると思う。
頭の混乱を表現した物を見て、私の頭が更に頭が混乱するように、自分で作った「世界」で自分が興奮したり、迷ったりするのだと思う。

自分の相手が「Big Dikz」で、自分がそれを受け入れている「現実」という「世界」を自分の想像力で、喜びを増幅しているのだと思う。

この「世界」が個人の自由であり、個人に「背徳の原体験」がある場合、「背徳の世界」を持つだろう。

それが楽しいのは、私も知っている。

思い出すと、禁煙する前も、楽しい時だった。

Only one who knows can really appreciate it.

再来。
posted by kandk55 at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月17日・小さなDikz と自分内世界

フィクションを続けることにする。

如来様(Nyoraisama)が創った身体が、「宇宙」であり、「宇宙」の一部の脳から生じるものが、霊であり、「精神」である。

その「精神」は、知覚する全ての物であり、社会的で文化的である。
私が、「地球」や「世界」と言った時、それは自分の頭の中の観念であり、科学も哲学も知覚する全ての物体も人間の思想も、全ては精神であり、世界中の人間は皆、観念論者である。

生きている間は、地球とか自然とか「宇宙」と自分と区別するが、死により自分という「精神」が無明(mumyou)に戻り、「宇宙」の一部となる。

肉体の器官は、「宇宙」であるが、肉体への刺激を知覚神経で快感や苦痛と感じた瞬間に、主観的で個人的な精神の領域に入る。

人間の身体が、「宇宙」と「精神」を結びつけているのだ。
「精神」は「世界」である。
なぜなら、「世界」は、その個人が知覚した範囲の「世界」である。
「世界」が一つと思うのは、如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙」が一つである事の反映なのだと思う。

唯物論は一つの「宇宙」を主観的な「世界」の中に模倣した物であり、科学と同じだが、人間が妥当と考える相当因果関係の範囲の思想であり、観念論である。

科学で「同時」というのが主観的なものであるのは、科学が観念論であり、自分が見ている視覚器官を自分で見る事が出来ないように、観測する人間の認識が不正確であるから、如来様(Nyoraisama)が創った「宇宙」の絶対的因果関係は、永遠の謎として現われるだろう。
そして、自分という個体で限るのは社会での帰属を現すだけで、「宇宙の物体」という意味では、天体まで連結しているから、自分と対象物をどこで切り取るかは困難だと思う。

こう考えると、以前に私が作った「フィクションU」に近づく。
死後の世界は、「宇宙」である。
動物が死ぬように、人間も死ぬ。
死んで無くなるのは、死人の持つ「世界」であり、一つの「宇宙」は、存在を続ける。

科学での相対性理論の登場のように、考え方が変わるのは、精神が、一つの「宇宙」へ近づく、精度の高い観念論に進展したからだ。
これも、観念論の一部であり、更に進展する事も考えられる。
なぜなら、因果関係は、相当因果関係に止まっていて、絶対因果関係では無いからだ。
如来様(Nyoraisama)は、絶対因果関係を持っている。
人生の中では、各自が、何故、この時代に生まれ、その使命が何かを明確に自覚できた時、その因果関係を把握したものと考えられ、成仏(zyoubutu)したものと、私は考える。

要するに、「宇宙」と「精神」を自分の身体で一体化しているのであり、死ねば頭脳の働きも止まり、「精神」が無明(mumyou)に戻り、「宇宙」の塵となってこの世に残る。
人間の誕生により、宇宙の塵の中に、精神を生む種子が、人間の全てに埋め込まれるのだと思う。
生きている間は、偶然の世界だが、「宇宙」の世界では必然の世界であり、人間が把握する真理は、一つの「宇宙」への、精度の高い接近した観念論だと思う。


「宇宙」は、遥か彼方の問題では無い。
各自の身体自体が、「宇宙」であり、「月の石」と同等に「宇宙の物体」である。
身体は、空気を吸って、ある時間は生きるように如来様(Nyoraisama)から創られた物体である。
「世界」は各自の観念であるから、「背徳の世界」も「信仰の世界」も、各自が、自分の中に作り出した観念である。
背徳行為が好きな人は「背徳の世界」を自分が観念として持っているからであり、「信仰」する人は「信仰する世界」を自分で持っていると思う。
教会や神社に行くだけでは、信仰は出来ない。
繰り返し行く事により、自分の中に「信仰の世界」を作る方法が良いだろう。

自分の他に「信仰の世界」が存在して、そこに行けば信仰する事が出来るのでは無い。
信仰を希望するならば、自分の中に「信仰の世界」を作る努力が必要だろう。


Poor thinking is as good as no thinking.
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2008年04月16日

4月16日・小さなDikz

4月15日に書いた記事が、Yahoo USA に登録されている。
       ↓
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkyTfzwVIMQMBCI2l87UF?p=%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AADikz&ei=UTF-8&iscqry=&fr=sfp

私のブログが登録されるのは、嬉しいが、内容は無いので無視した方が良いと思う。

「小さなDikz」の記事など、世界中で私しか書かないだろう。
それをYahoo USA が登録するのは、私に、もっと記事を書けという意味だろうか?

では、フィクションを書く。

私が、Cum Shot するのは本能で、動物に共通するものだと思う。
生殖のための行為だ。
私は、Cum Shot する時、ただ生殖の事を考えているのではない。
楽しみ。
それは、社会的な意味を持つ。
「Big Dikz」を求める事は、人間だけだと思う。
他の動物は、「Big Dikz 」が股間に存在するか否かで、生殖の行為はしないだろう。
「Big Dikz」が与える喜びを知っているから求める。
それは、「Big Dikz」が与える肉体的刺激と、その姿を外部から見て、意味を付与する自分が存在する。
精神かも知れない。

肉体の悩みは仏様に頼み、頭の悩み、精神の悩みは神様に聞けと、私が幼少の頃、聞いたことがある。

心臓も含めた肉体は佛(hotoke)で、脳自体は佛(hotoke)だが、脳が生むのが精神で、霊だと思う。

心臓の鼓動と重なる律動の生殖行為が刺激となり、脳に伝わり霊が歓喜して、Cum Shot させるというフィクションを提案する。

「Big Dikz」を求めるのは、精神つまり霊である。
霊の広さは、社会的で文化的で、如来様(Nyoraisama)の「宇宙」の広さにも負けない。

知覚された「現実」と感じているのは、霊の世界と仮定する。

「知覚された現実」は、人間の数だけ存在し、皆、主観的な世界で、「宇宙」が一つだから、「知覚された現実」が客観的だと錯覚していると思う。

「知覚された現実」は主観的だから、快楽も主観的であり、自分の相手の「知覚された現実」も、自分とは違う。
「宇宙」が一つだから、知覚された現実も一つと考え、相手も同じ現実だと錯覚していると思う。

「宇宙」の刺激と、「快楽と知覚された現実」は、別の世界で、快楽を与える刺激が、「苦痛と知覚された現実」になる事もある。

肉体的刺激を、脳で快楽や苦痛と感じるのは、所属する場所が違うと提案する。

続く。
posted by kandk55 at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月15日

4月15日・小さなDikz

少し調べたら、Yahoo USA に、私の「小さなDikz」が登録されているのを知った。
     ↓
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkisonwRIdgABC3ql87UF?p=%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AADikz&ei=UTF-8&iscqry=&fr=sfp

Yahoo USA や Google が、私の小さな記事を、何故、登録するのだろうか?
もっと、「小さなDikz」の持ち主の考えを聞きたいのだろうか?
私は、「Big Dikz 」を知っている。
自分の持ち物が小さいから、嘆くだろうか?
残念だが、私は、如来様(Nyoraisama)が創った物で満足している事は、以前に書いた。

ある無料サイトで、ロシアやヨーロッパ、そしてUSA と「Big Dikz」について知識を得た。
USAやヨーロッパは、その方面のプロフェショナルと思われ、持ち物は「Big Dikz 」だった。

ロシアは、違った。
AmaLia の相手も、「Big Dikz」の持ち主ではないし、他の男性も「Big Dikz 」では無い。
しかし、個性的な男性器官の持ち主だった。

私は、自分の価値観で、ビデオを見て興奮する。
それは、光景の中に、社会的意味を理解するから社会的であり、自分のエレクションの原体験と比べるから個人的である。
私は、「Big Dikz」を理由にして、あるいは無修正を理由にして、興奮するのではない。
「Big Dikz」の場面は想像を許さない完璧な無修正シーンだが、「小さなDikz」と女性の場合は、ビデオ製作者が、「小さいDikz」の欠点を補うために角度を変えて撮影するなど、努力が見られ、その上に、見ている私の社会的な想像が加わるから興奮も大きい。

しかし、日本の無料ビデオには失望する。
簡単に、感情移入が可能であるために、フィクションである事を、直ちに理解する。

ただ、日本の無修正ビデオを、中国語で翻訳した字幕を見る時は、興奮は大きい。
中国での日本女性の価値は大きいと思う。
日本の有名な化粧品が、中国で、高価であっても売れている事は、日本女性への憧れだと思う。
日本女性の官能的な光景を、字幕を付加して、中国人が見ていると考えれば、中国がポルノ解禁した後に日本が解禁すべきだろう。

中国人は好色だと思う。

Poor thinking is as good as no thinking.
posted by kandk55 at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする