2008年09月16日

2008/9/16・私の空想(不確定性原理への疑問)

今日は、「連続」と「不連続」を考える。

2008年9月16日、19時00分現在の私のブログへのアクセス状況だ。

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9.2008/9/6・私の空想(意味と意識)
10.2008/9/15・私の空想(不確定性原理への疑問..

この10位の昨日の記事にアクセスがあるのを知った。そして、Yahoo USA は、その記事を登録している。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkmuggM9IlEABeJul87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E4%B8%8D%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E6%80%A7%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%96%91%E5%95%8F%29&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

何度も書くが、私は、三流大学の法律学科を卒業し、退職も近い老人である。
私が、何を知っていると言うのだ。
若者よ、私が、以前紹介した本がAmazon で1円で売っている。

私は、本に書いてある事は書かない。
私の空想だから、本当に知識を求めるならば、本を読んでください。

「本は可能性を生む」と思う。
問題意識という種子を内部に育てないと、いくら時間を経ても、自分が死ぬだけで、現状に変化は無いだろう。
私は、法律を学び、本で読んだだけの物理学に、自分の考えで反論しようと思っている。
私は、量子力学も古典物理学も知らないので、全く見当が外れた方向に行く可能性があるが、それは素人の見解として、目を閉じて、黙って見て欲しい。
いずれ、地獄へ落ちるから……。

私は、「 自意識 」は、電磁波の様な構造で、「電場」や「磁場」の代わりに、頭脳の中で「 時間意識 」と「 空間意識 」が交互に現れて、現実面に現れたその交点が「 認識 」であり、その「認識」と「認識」を結び、以前の「自分」が今の「自分」と確かめる事が「 自意識 」であると思う。

だから、「自分」は「 不連続 」のように見えるが、実は、時間の面と空間の面のサインカーブで「 連続 」している。

見えない所で、連続しているのだ。


物理学は、見える範囲での学問だから、「不連続」と言う。
西洋の「 実存主義 」は「自分」が不連続と考えた結果かもしれない。

私は、人に見えない所で努力しなければ、人格は向上しないと思っている。
善行なければ、向上はしない。

「 時間意識 」と「 空間意識 」が交互に現れるというのは、時間は精神に属し、空間は「宇宙」のエネルギーに属していると思うから分離した理由である。

そして、時間と距離と速度という概念で時間や空間を定義するならば、時間を測定する時に空間的なものが混入し、空間を測定する時には時間的なものが混入して「認識」が成立すると思う。

私は、これを時空という座標に置き換えずに、時間と空間を哲学的に考える必要があると思っている。

自分の「認識過程」を考える必要があると思う。

その結果が、これまで述べた「 自意識 」の構造という、私の空想の結果である。

Every miller draws water to his own mill.

素人です。
どうぞ、お見逃しください。
posted by kandk55 at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

2008/9/15・私の空想(不確定性原理への疑問)

Yahoo USA が、「私の空想(意識と座標軸U)」を登録してくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkxfiGsxIj8sA4dal87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E5%BA%A7%E6%A8%99%E8%BB%B8%29&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

私は、三流の法科の大学卒業生であり、物理学や哲学には無縁だった。
しかし、Yahoo USA を始め、私のブログが登録されてから、様々な事を空想した。

A fool judges everything by the one thing he knows.

私には、これまで空想したものしか知識は無い。

「私の空想(意識の座標軸T、U) 」を適用して考えるだけだ。

「不確定性原理」というのは、物体の位置と運動量を同時に記述できない事だと思うが、「位置」は精神の領域で「運動量」はエネルギーの領域と考えると、私の座標軸に適用される。

「位置」は、私の主観的な時間の幅で縦軸であり、「運動量」は、「情(zyou)」や「エネルギー」の横軸と考える。

「電場」と「磁場」が同時に見れないように、他方を見る時は、もう一方は見えないのだ。

自意識の中で、認識が成立するのは、サインカーブの交差点である。

後で述べる「観測問題」にも適用するが、同時に見れないというのは、観測される物体に責めがあるのではなくて、「認識」という行為が両方を見るのが不可能だという事である。

誰が見ても同じ結果になると言えど、見る時は、本人ただ一人の眼で見た主観的印象である。
誰が見ても、自分が間違った印象を持っている事を気づかない事もある。

「この不確定性は、位置と運動量という古典的な量をどのように正確に測定しようとしても、その測定には常にある不確実さが伴うということである。これをハイゼンベルクの不確定性原理と呼ぶ」

(量子の謎をとく・著者→F.A.ウルフ。訳者→中村誠太郎の150ページから引用)

「それは電子そのものの存在をあやうくする」……のではない。
電子に責めは無く、人間の時間と空間と認識が不可能にしているのだと思う。

アインシュタインの言うように、「未確認の力学的制御因子としての「隠れた変数」が存在しなければならない。」

(同書、160ページより引用)

私の考えでは、その隠れた変数とは、「意識の座標軸」で述べたように、認識の成立過程が、同時に測定する事を拒んでいるのだ。

両方を同時に認識する時は、つまり過去の残像として見る時は、両方は、「あいまい」あるいは「ぼんやり」として見えるだろう。


A fool judges everything by the one thing he knows.
posted by kandk55 at 08:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月14日

2008/9/14・私の空想(意識の座標軸U)

Yahoo USA が、「私の空想(意識と座標軸)」を載せてくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkxfiGsxIj8sA4dal87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E5%BA%A7%E6%A8%99%E8%BB%B8%29&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

私の考えに変更は無い。
「 主観的時間 」と「自意識」が縦軸で、「エネルギー」や「情(zyou)」が横軸である。


私は、「 自意識 」が、電磁波のような構造をしているのだと思っている。

「 自意識 」つまり「 光 」が発生するのは、電気が必要だろう。

それは、如来様(nyoraisama)の領域の「 心臓 」や「 頭脳 」の働きである。

生命があるものは、「 自意識 」を持っているかも知れない。

電磁波は「 電場 」や「 磁場 」が「 光 」の進行方向、つまり情(zyou)が伝達される方向に、交互に現れる。

これは、「時間意識」と「空間意識」だろうと思っている。

一般的に「時間」と「空間」は、同時に現れない。

物理学で、時空としての関係式が存在するが、これは両者が「 意識 」であるから、「 時空 」として一つの関係式に表現されると思う。

光速で進むのは、「自分」を確認する「 自意識 」であって、「時間」ではない。

時間」は地球の自転により発生するのであり、光速ではない。
宇宙が、時空の関係式で表現できると言うのは、ニュートンの言うように「絶対的時間」が存在するのではなくて、天体の運動が、地球の自転と同じく、正確であるからである。

なお、私の「 主観的時間 」は「 心臓 」から作られる生命のリズムと思っている。

情(zyou)は情報であるが、因果関係が時空の関係式で表現されるから、情(zyou)も時空に関係する。

それは、「 精神 」や「 意識 」の領域である。

「 自意識 」の中で、情(zyou)のエネルギーをベクトルとして生命体の「自分」が感じるから、情(zyou)が時空の関係式であっても、理解する時は、時間と空間に分けると思う。

情(zyou)の伝達には、時間も空間も必要だ。

理解する場合は、時間も空間も、「主観的時間」であり、「自意識」も個人の可能性で判断するから、人によっては、ベクトルを生命への情報として感じない場合も存在すると思う。

電場と磁場、時間と空間が、サインカーブで交点を作る時が「自分」と確認する事で、「自分」が連続しているように思えるが、実際は、不連続かも知れない。

西洋の「実存主義」の立場では、「自分」は不連続かも知れない。

電場と磁場、時間と空間が交点を作るとは「 認識 」する事である。

空間の事物を見て、主観的時間の中で全身全霊を使って、判断する。
私は、これが、時間と空間が交互に現れて交差する事だと思う。

私が考える時間と空間は、自意識を形成する「場」であり、その「場」が、サインカーブのように交差している点に「認識」が成立するのだと思う。

情(zyou)のエネルギーを「電場」か「磁場」で捉えた時、サインカーブの長さ、つまり「 主観的時間」の幅が小さくなったり広くなったりする。
それが、興奮したり減滅したりする事だろう。

それが、現実面の「自意識」に「 人格 」として表現されるのかも知れない。

「認識」と「表現」が交互に現れる事が、意識の意味化、意味の意識化であるだろう。

私は、意味と意識を結ぶものは因果関係という物語、あるいは情(zyou)だと解釈している。

意味と意識については、フッサールなどの哲学者が詳しい本を書いているから、見て欲しい。

「 自意識 」が生まれる物語は、後日、書くことにする。

私は、三流の法律科大学の卒業生である。

私が正しい事を書くとは、私も思っていない。
青少年に言う。
「本を読め」

The day is short and the work is much.

そして、

Every miller draws water to his own mill.

注意。
注意。
posted by kandk55 at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月13日

2008/9/13・私の空想(意識の座標軸)

「場」とはなにか
著者→都筑卓司
定価→580円

Amazon では、1円で売っている。
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4061179632/ref=dp_olp_2?ie=UTF8&qid=1221262588&sr=1-1

これを読んで、私の座標軸の参考にする。

私は、意識の座標を、主観的時間と「 自意識 」を縦軸にし、エネルギーと情(zyou)を横軸に設定した。

心電図や脳波などの存在から判断すると、人間は電気的な生き物だろう。
紹介した本は、電磁波の構造を簡単に書いたものだが、私は、「 主観的時間 」は「 心臓 」で、「 自意識 」は、電磁波だろうというのが、現時点の考えである。

横軸の解釈

「 自意識 」は、「 今 」の空間的広がりを持ち、情(zyou)を捕らえる。

情(zyou)のエネルギーは、誰にとっても同じ値を取るから、「 スカラー 」値だろうが、「 自意識 」の空間では、複数の情(zyou)が重なって、「 ベクトル 」値として現れる。

「 主観的時間 」の一種の「 自意識 」は、ベクトルの充満した空間を時間的に把握する。
つまり、歴史的、思い出として残る。

縦軸の解釈

「 自意識 」は、電磁波のように周期を持ち、波長を持つ。

「 自意識 」は、自分であるという点に繰り返すのは、光が前進して進むように、周期を繰り返して、「自分」を確認するのだ。

絶え間なく変化する「自分」を「自分」として、時間が経過しても「自分」として見るのは、既に、周期が一回だけ回っているのだ。

それを自分は気づかず、「自分」は不変だと思っている。

私は、今、このように考えている。

Poor thinking is as good as no thinking.
posted by kandk55 at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月11日

2008/9/11・私の空想(意味と意識とくもの糸V)

2008年9月11日、20時25分現在のアクセス状況です。

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9 2008/9/10・私の空想(意味と意識とくもの糸..
10 2008/9/8・私の空想(意識と人格)

私のブログを見てくださって、ありがとうございます。

私は、普通の出来事を想像して書いています。

例えば、映画館の前を通ったと仮定します。

「映画の題名を見て、考えて、入場するか否かを決めて金銭を探す」という流れは、頭の中で、想像された考えであり、現実的ではありません。

題名を見て、入場したいと思った時は、同時に、ポケットの中の金銭を探しています。

「 心 」では、入場しているのです。

自分に気づく時は、入場する障壁を探しています。

映画が始まると、映画の物語の中で一緒に考えている自分を知ります。

客観的な時間で作られた映画の因果関係を主人公と一緒に体験する事により、自分の主観的時間で物語を複写するから、物語のエネルギーを感動的な印象として受け取り、その歴史、つまり思い出が残ると思います。

感動した時、映画の上映時間よりも、自分の主観的時間の経過が短く、映画の内容から濃密な物語を抽出した事を知ります。

私は、この事を映画だけではなく、音楽も本も、物語の全てについて適用します。

SEXについても、記事を書きますので、見てください。

一つ、或る事を考えました。

このように感動した自分は、他人に感動を伝えるのが、エネルギーの保全だろう。

私の周りの妻や息子、それに親戚や友達に、私の感動が伝わるだろう。
息子が結婚した後は、息子の妻、そして孫へと伝わる。
これは、私だけの問題ではなくなる……と。

このブログも、子孫が見るかも知れない。

こんな考えしか持っていない私を、孫は何と言うだろうか?

Poor thinking is as good as no thinking.
posted by kandk55 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/9/11・私の空想(意味と意識とくもの糸U)

Yahoo USA に「私の空想(意味と意識とくもの糸T)」を載せてくれました。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkwFr8cdIRE8BqHNXNyoA?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%A8%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%A8%E3%81%8F%E3%82%82%E3%81%AE%E7%B3%B8%E2%85%A0%29&fr=yfp-t-501&ei=UTF-8

私の空想で、皆さんに披露するのは、まだ早いと思っていましたが、今後の伸展へのステップとして書きます。

座標軸の説明
私が、「 自意識 」と「主観的時間」を縦軸にした理由は、前者が頭脳の産物で、後者は心臓による産物であり、両者は必ず一致すると思わないからです。

「自意識」は、「今」という「主観的時間」の幅に、横軸の「エネルギー」と「情(zyou)」の存在可能性の限界を持っています。

これは、「 今 」という時間の幅に、情(zyou)という信号を交信する意識の範囲と交信する事が出来ないという意味の無意識との区切りです。

情報(くもの糸)のエネルギーの保全
私は、意味と意識の間に「エネルギー保全の法則」が成立しなくてはならないと言う事を考えた。

地球上で絶え間ない行為をする事を求められている人間には、常に自分の身体の外部の意味を受け取っている。

その外部の意味から出る情報のエネルギーが、受け取られた意識の中で、保全されていると考えた。

大きなエネルギーは、自分の生命に大きな印象や衝撃となるのが保全された事と考える。

情報(くもの糸)のエネルギーの発見

「今」という現実面の情報は、精神であり始めと終わりがある物語である。

これは、情報は、人から人に伝わる事を使命とする。
始めと終わりの物語だから、「 自意識 」は「主観的時間」を投入して、物語を体験にする事が出来る。

体験して、自分の生命に対して、強烈な印象、強烈なエネルギーを受けた場合、「くもの糸」は、大きなエネルギーを持っていると思う。

それは、観測者の自分自身の脈拍が上がるとか、頭脳の回路が興奮状態になるとか、嬉しいとか思う事が、「エネルギーが保全された」事である。

この体験は、縦軸の「 自意識 」と、阿頼耶識から発生する無意識によって実施され、印象や衝撃として自分の経歴や歴史に残ると考える。

客観的な時間から構成された「情報」を、主観的な時間で置き換えて、自分の問題として判断した時、意味を「了解」したと言う。

この「情報」のエネルギーは、個人の中で、体験した衝撃として残る。

それが、「エネルギーの保全」だと、現在は思う。
その結果として、人格が形成され、頭脳の回路も変化するのだと思う。

このように体験する事でエネルギーを受け取るのが一般的だと思うが、頭脳で、因果関係の始めと終わりを往復させて、シュミレーションすれば、エネルギーを測定できるかも知れない。

エネルギーを持つ「情報」を作る事は可能だ。

しかし、印象は体験しないで得られないと考えると、エネルギーは測定する事が出来ても、感動などの情(zyou)は獲得できず、単なる知識で終わるだろう。
意味は意識があるから、存在する価値がある。

「情報」という意識が到達する事が不可能という意味の無意識

客観的な、知識としての意味が持っている「因果関係」を体験して、自分を作っている。

この「情報」が、「 今 」という現実面で、不可能とか、謎として現れる時、それは、阿頼耶識に通じるものか、あるは、天国への「くもの糸」のように、未来へ通じる因果関係かも知れない。

未来に通じる「くもの糸」として、現代物理学の「超弦理論」に期待する。

自分の阿頼耶識へ通じるものは何か。
ユングやフロイトの心理学が、過去に通じる因果関係かもしれないが、私は、保留する。

未来は、不安である。

私は、不安な状態から安定な状態を求める事。

世の中が、エントロピー増大に従う事を自分が認めて安定する事は、心理的には安心する事だと思う。

快感という感覚は、自分の状況から、楽しい気持ちにする物語のエネルギーを保全している状態かも知れない。

楽しいとは、生きる希望を与える事。
それを身体の近くに配置する事が、快楽主義の人だろう。

Poor thinking is as good as no thinking.
posted by kandk55 at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月10日

2008/9/10・私の空想(意味と意識とくもの糸T)

Yahoo USA が、「私の空想(意味と意識)」を登録してくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkk9ckcdITZUAbANXNyoA?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%A8%E6%84%8F%E8%AD%98%29&fr=yfp-t-501&ei=UTF-8

私は、哲学者でも学校の教師でもない。
定年が近い老人である。
私は、哲学の言葉が好きで本を読むが、自分の気持ちにFit する哲学を発見出来ない。
それで、自分で作ろうという意図で、独り言を書いている。
現在の投稿件数は、793件である。
読者は、好き勝ってに書いていると思っているだろうが、本人は、ある座標がある。
読者は、毎日の記事が、「 現象 」と見えるだろう。

私は、「小さなDikz 」を持った人間である。
私の考えは、幼稚で、人に披露する価値は無いと思うが書いておく。

私の考え

「意味と意識」と「くもの糸」

意味と意識については、Yahoo USA で登録された事で、新しい事はない。
意味の中の「くもの糸」の一方が、意識に捕まれて、意識の中に入る様子を想像する。

意識や無意識を成立させる物として、如来様(nyoraisama)の領域の「 脳 」と「 心臓 」が人間の中に、共通して存在し、時間と空間の意識を作り出すと思う。



「アインシュタインが指摘したように、人間の「 心臓 」もまた一種の時計である」

(相対論はいかにしてつくられたか・著者→リンカーン・バーネット・訳者→中村誠太郎)の95ページから引用

「そこで私の時間、すなわち主観的な時間が存在するのである」

同書、75ページより引用



私が、「主観的時間」というのは、アインシュタインも認めているからだ。

「くもの糸」とは何だろう?

それは、以前、書いたが、如来様(nyoraisama)が地獄の亡者に差し出した天国へ導く糸だ。

私のブログでは、「因果関係という物語」である。
物語の結果に得られるのは、「情(zyou)」である。

「物語」は、体験であり、科学的因果関係は、追体験が可能な物語であり、体験して同じ結果を得ても、歴史は残り、可逆的とか時間に対称とは言う事は出来ないと思っている。

この世の全ては、不可逆だと思う。
精神や社会の世界では、因果ではなくて「因果関係」として、始めと終わりがある「くもの糸」である。

私は、縦軸に「 自意識 」と「主観的時間 」を採用し、横軸に「情(zyou)」あるいは「エネルギー」を採用して、「意味と意識」に臨む。

西洋での「ドンキホーテ」である。
結果を次に書く。
これが、夢みたいな空想です。

再会
posted by kandk55 at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

2008/9/8・私の空想(意識と人格)

Yahoo USA が、「私の空想(意識と行為)」を登録してくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkxINYMRIulcAq3ql87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%EF%BC%88%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%A8%E8%A1%8C%E7%82%BA%EF%BC%89&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

私のブログのアクセス状況を見て、空想を止めようとしたが、Yahoo USA からのアクセスを発見して、空想する事を続ける。

私は、哲学者が使う言葉が好きだ。
私は哲学の教師でもない、三流大学の法律学科を卒業した老人です。
仏教に興味がある人は、このLOVELOG の中に、仏教に詳しいブログが在るので、それを見てください。

さて、「人格」について書く。

私の時空軸では、主観的時間の方向に考えるが、「自意識」の面に、「自分内世界」つまり「 心 」を表現した行為の総体として、「人格」を想像する。

「意識と行為」で述べたように、「 心 」が自分の身体から既に外に飛び出していて、頭脳の中に「 心 」が存在するのではない。

自分の行為を見ながら判断する。
行為を仲介して、内部からと外部から、「自分」を見ている。
他人も自分の行為を見て、自分も「自分の行為」を見ているのだと思う。
つまり、一種の「 霊 」として外部に存在するのだと思う。

「  」は、意識と無意識の総体で、意識と無意識を結ぶ「情(zyou)」は、体験として個人の阿頼耶識を通り、本能を通って、如来様(nyoraisama)の「宇宙」に届く。

そして、自分の全ての経歴や歴史が、個人の主観的時間の幅から生まれる「 価値 」と光速で定義される主観的時間意識の「自意識」が、一緒に、現実面に適応する個人の行為の中に現れる

その現実面に適応する行為の全てが安定した状態が「 人格 」である

これが、私の空想の産物です。

安定した状態だから、絶え間なく変動し、変動した瞬間に「 光 (オーロラ) 」を発するかも知れない。

キリストや如来様(nyoraisama)の姿の後ろに光があるように、人類は皆、光を持っているかも知れない。
それが、「 霊 」かも知れないし、「 人格 」かも知れない。

その「 光 」によって、この世の地獄界や畜生界、あるいは天上界に住んでいるか、如来様(nyoraisama)から見られているかも知れない。

これは、全くの夢物語です。

独り言です。

今日は、色を使って書きました。
posted by kandk55 at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  X | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月07日

2008/9/7・私の空想(意識と行為)

Yahoo USA が、「私の空想(意味と意識)」を登録してくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkmgVqMNIbXAADBul87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%A8%E6%84%8F%E8%AD%98%29&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

私は、法律学科の卒業だから、哲学を専門としていない。
知識を愛する人は、他のブログを見てください。

私は、@如来様(nyoraisama)の「宇宙」とA精神と意識の「世界」とB「自意識の世界」の三段階を貫いて、人間は生きている。
地球は自転し、自分も社会も絶え間の無い変化する中で、その最先端で、「 心 」による命令で行為をしているのが「現存在」である。

自分の認識が妥当か否かの判断の前に、行為をしているのだ。

 自我 」について、Wikipedia で調べると、

「意識層の中心にあり、エス(無意識か?)からの要求と超自我(例えば法律?)からの自己規制を受け取り、感情を現実に適応させる機能」

そのように書いてあるが、行為する現実という場面に、私が言う「 情(zyou) 」を出す機能と、私は解釈する。

「情(zyou)」は、「情報」という「物語」で外部の意味から意識へ伝わり、自分から発した意味に戻ると解釈する。

行為する場面で「情(zyou)」が「 心 」から出るが、それが「意識」から出た行為とか「無意識」の行為だと言うのは、言い訳である。

「無意識」の「情(zyou)」を鍛錬しなくてはならない。
「無意識」は、阿頼耶識に通じ、本能から@如来様(nyoraisama)の「宇宙」の領域に通じる。
過去の自分の全ての行為が体験という物語として、体内に蓄えられていて、「意識」を補完するものとして「無意識」に出て来るのであると思う。

阿頼耶識
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%A0%BC%E8%80%B6%E8%AD%98

「育ちが出る」などと日本語では言う。
「親の顔を見たい」とも言う。
生まれてからの躾や家庭環境や親の考えを見る事が出来る。
社交の場で、無意識に本能が出ると、恥ずかしい。

乗り物の中で、老人に席を譲らない若者が話題になるが、老人が目の前に立つのを嫌だと思う事が、席を譲らないという行為なのだ。

「 心 」は、自分の身体の外に存在し、他人にも自分にも、見る事が出来るのに、「 心 」が誰にも知られない頭の中に存在するという気持ちが間違いだと思う。

外に現れているから、親も学校の先生も、指摘するのだ。
これを理解しないのは、親の責任かも知れない。

あるいは、「情(zyou)」という感情が若者の中に、存在しないのかも知れない。
これは、本人の責任だが、親や教師や、社会の責任でもある。

「情(zyou)」とは、愛情や同情など、人を愛する本能が現れた言葉だと思う。

これを失っては、人間も終わりだろう。

Every miller draws water to his own mill.
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2008年09月06日

2008/9/6・私の空想(意味と意識)

2008年9月6日、に考えた事。

既述したように、「 自意識 」が現在にしか存在せず、後は精神世界で言う「 過去 」を認識しているのだ。
アインシュタインが、「 光と同じ速さで走る 」と言うが、人は、光速で定義される「 今 」の先端を地球と同じ速度で移動している。

言葉、音楽の持つ時間は全てが物語であり、伝わる時は、過去の事を聞くのであって、「 今 」ではない。

「 今 」は、言葉を発する人だけが持つ主観的時間である。

これは、ハイデガーの言う「内部時間」とは違う意味に使っている。
時間を持っているのではなくて、時間を作っているのだ。
各自の心臓で。

2008年9月6日、考えた事。

全てが過去の物語を聞く事であるとするならば、意味の中の物語、つまり因果関係と、意識を区別する必要はないと思っている。

過去の、記憶にも無い自分の体験や経歴と、未来の「時熟」する出来事とは、「 今 」からは、記憶の能力に関しては同じ位置にあると思う。

過去の、自分の行為や楽しみの物語を、もっとその続きを見るために「 今 」の瞬間に、行為をしてしまうのだ。

これは、「 心 」で行為をしている。

汝、姦淫するなかれ」と言う。

女性の中に「姦淫」している自分を見た時、既に、「姦淫」しているのだ。

実際の行為を為したか否かは、犯罪に関係する事で、思う事が、行為をしている事なのだと思う。

それを、私は「 自分内世界 」の投影と言っている。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2008/9/6・私の空想(ハイデガー・存在と時間からの脱出)

Yaho USA が、私の記事を載せてくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkjkposFIVNIAVDul87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%A8%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E8%84%B1%E5%87%BA&ei=UTF-8


ハイデガーの「 了解 」というものは、皮相な概念だと思う。

私の考えから、彼は、「 浅い 」了解を示していて、生まれる前の祖先や死後の「世界」まで計算した上の概念とは思えないからだ。

既述したように、「 自意識 」が現在にしか存在せず、後は精神世界で言う「 過去 」を認識しているのだ。
アインシュタインが、「 光と同じ速さで走る 」と言うが、人は、光速で定義される「 今 」の先端を地球と同じ速度で移動している。

言葉、音楽の持つ時間は全てが物語であり、伝わる時は、過去の事を聞くのであって、「 今 」ではない。

「 今 」は、言葉を発する人だけが持つ主観的時間である。

これは、ハイデガーの言う「内部時間」とは違う意味に使っている。
時間を持っているのではなくて、時間を作っているのだ。
各自の心臓で。

自分が「 世界 」に棲み付く状況を、歴史的に述べるのが「 了解 」だと思う。


ハイデガーが「内部時間」や「世界時間」と言う時は、虚しい。

時間が存在するのか否か、彼は、何も言っていない。
「内部時間」とは、時間が存在する事が前提だろう。

しかし、時間は地球が自転するために、人に絶えず新しい空間を提供する状況を「時間」と言うだけであり、「 意識 」であると思う。

私は、各自が持つ心臓の鼓動が違うように、人類は皆、時間が違い、違うから仕事の関係で「時間」を合わせる必要があり、地球の緯度と経度により、「世界時間」が定義される。
この「世界時間」は、地球上では、全て違う時刻である。
「標準時間」は、各国で決めているだろう。


「時熟」と言う概念も皮相である。

人は、「 阿頼耶識 」という過去の全ての体験と、生まれながらの種子を持っている。
その種子が、地球が何回転かした後に、花開くのだ。
種子が無い状態では、時間が来ても、花は開かない。
人は、全身全霊で、「 今 」の中に、過去の物語の続きを発見して、死へと向かう。
そして、死ぬ時、全ての過去を、走馬灯のように思い出すのだ。

この哲学が、二十世紀を動かして来たとは信じられない。
戦争に結びつく考えだから、危険な思想であるが……。

話は変わるが、2008年9月13日に、日本に壊滅的な地震が起こるという予言がある。

ブラジルの人が、9・11、ニューヨークの貿易ビル爆破も予言した。
今回は、日本の地震を予言した。
「予知能力」があるのか?

私だったら、宝クジの当選番号を予知するが……。


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2008年09月05日

2008/9/5・私の空想(ハイデガー・存在と時間からの脱出U

私の空想

哲学者は、将来、意識や無意識について書物を書くだろうが、私の空想を書いておく。


氷山の絵が書いてあり、海上に現れている部分が「意識」で、海面に隠れている塊を「無意識」と呼ぶという考えを、私は、捨てた。

「意識」は、情報や信号の応答が可能な範囲の頭脳の回路。

「無意識」は、情報が届いていない他の部分とする。

「意識」の速さは、信号の伝わる時間が上限とする普遍定数の光速以下だろう。
普遍定数の光速を超えるものは、「霊」かも知れない。
それが存在するか否かは、保留する。

その「意識」の重なる総体を「心」とする。
心の能力としては、主観的時間に結ばれた記憶の力がある。


海面に隠れた氷山を想像して、「意識」と「無意識」を考えるのではなく、主観的時間を軸とした、記憶の平面、情報の伝達可能性の平面を、私は空想している。

意識の面は、次の通りである。

「可能性の制約」の「制約」が、相対論の光速による同時性の定義と解釈して、制約の中で「点の存在を形成」するのは「可能性」を思考している「自意識」が存在すると解釈する。


これは、私が、デカルトの「われ思う。故にわれあり」を「自意識」として「 霊 」として、「自国の民族意識 」として認めた事を表現した文章である。




2008年9月5日に考えた事

私が、何故、光円錐のように、意識と無意識を考えたのは、人間は、@如来様(nyoraisama)の「宇宙」の産物でA精神と意識を持ったB自意識であるからだ。

Bの「自意識」は、「 今 」という現在に存在する。
聞く物、見る物、全て、過去の出来事を認識している。
その過去は、仏教の「 阿頼耶識 」に通じる。
何故ならば、人間は全て、祖先を持つからだ。
無意識とは、生まれてから全部、体験した経歴が重なっているのだ。
だから、人間は、繰り返し「 背徳 」行為を行う。
物語を完成させようと、自分の過去の物語の先を読んで将来に投影するのだ。

しかも、自分の好きな分野を……。

阿頼耶識
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%A0%BC%E8%80%B6%E8%AD%98

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2008/9/5・私の空想(ハイデガー・存在と時間からの脱出)

「可能性の制約」の「制約」が、相対論の光速による同時性の定義と解釈して、制約の中で「点の存在を形成」するのは「可能性」を思考している「自意識」が存在すると解釈する。


これは、私が、デカルトの「われ思う。故にわれあり」を「自意識」として「 霊 」として、「自国の民族意識 」として認めた事を表現した文章である。

光速で「 今 」を測定する事は、私にとっては、大きな意味があった。
それは、空間的には同時と意識する人の範囲を、光が及ぶ範囲に拡大した事であり、時間的には、結果について因果関係を理由にする事が出来ない事である。
「 今 」は、「自意識」にとって因果関係は無いと思うかも知れないが、「宇宙」で見れば、因果は存在する。
反面では、「自意識」は光の及ぶ範囲という局所性がある意識である事を意味する。

「自意識」が現在だけに存在し、存在した痕跡が四次元で表現され、歴史として表現されるだろう。

私の考えは、「自意識」を縦軸として、光の及ぶ範囲の空間を横軸にして、「 心臓の鼓動 」を主観的時間として、「自意識」に並び、エントロピー的に進むのが「 自分 」であると思う。

人類が作った精神の「世界」の中の自分が、「世界内自分」であるが、「自分内世界」については未解決である。

2008年9月5日、考えた事。

「自分内世界」は、自分の中に如来様(nyoraisama)を見た時に、完結する。
今は、それまでの道中を楽しむことにする。

さて、アメリカでは大統領選挙があるが、この「 アメリカン・ドリーム」というのが、西洋の実存と関係があると思っている。

それは、意味と意識について考えた事を、後日、述べるが、物語(ストーリ)と関係する。

物語は、意識や精神の「世界」に存在し、始めと終わりがあるが、これが如来様(nyoraisama)の「宇宙」についての物語となれば、始めも終わりも無い。

自分が体験した、四次元の主観的時間の中の軌跡の全てが、物語であり、この物語を完結させようとか、続きを見たいと将来に向かって意識する事が「 実存 」だと思う。

想像も出来ない事は、将来でも、期待する事は出来ない。

「 今 」の可能性の中に、「自意識」の中に、物語の萌芽が存在するのだ。

「時熟」というのは、この可能性を無視して、「時間」を存在するものとする考えで、私は、賛成しない。

もし、想像も出来ない事が実現したら、それは「 奇跡 」である。
人間は、間違いを犯して、前進するものだ。

後日、また述べる。


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2008年09月02日

2008/9/2・私の空想(ハイデガー・存在と時間)

2008年8月31日に書いた記事。

そこで、ハイデガーの「存在と時間」を読む。

ヘーゲルの時間概念

「時間測定の相対性理論の問題には、ここでは触れないことにします。……中略……時間問題そのものを展開することは、決してできないのです」

下巻の211ページから引用

「点の自己の対自的設定の可能性の制約が、今なのです。このような可能性の制約が、点の存在を形成し、存在は同時に、(思考されていること)なのです。したがって点在性の、すなわち空間の、純粋な思考が、そのつど今と、今の自己外存在とを「思考する」から、空間は、時間であるのです。」

下巻の234ページから引用

私の考え

私は、相対論を導入した方が良いと思う。

「可能性の制約」の「制約」が、相対論の光速による同時性の定義と解釈して、制約の中で「点の存在を形成」するのは「可能性」を思考している「自意識」が存在すると解釈する。

2008年9月2日に考えた事。

知識を求める人は、他のブログを見てください。
ここは、独り言のブログです。

ハイデガーが捨てた物の中に、私が信ずる物がある。
私の考えは、彼とは逆向きである。
カントもヘーゲルも「相対性理論」も考慮しない哲学が二十世紀の哲学者たちに影響したとは驚いてしまう。
ヘーゲルについて書いた記事を繰り返そう。

「可能性の制約」の「制約」が、相対論の光速による同時性の定義と解釈して、制約の中で「点の存在を形成」するのは「可能性」を思考している「自意識」が存在すると解釈する。


これは、私が、デカルトの「われ思う。故にわれあり」を「自意識」として「 霊 」として、「自国の民族意識 」として認めた事を表現した文章である。

光速で「 今 」を測定する事は、私にとっては、大きな意味があった。
それは、空間的には同時と意識する人の範囲を、光が及ぶ範囲に拡大した事であり、時間的には、結果について因果関係を理由にする事が出来ない事である。
「 今 」は、「自意識」にとって因果関係は無いと思うかも知れないが、「宇宙」で見れば、因果は存在する。
反面では、「自意識」は光の及ぶ範囲という局所性がある意識である事を意味する。

「自意識」が現在だけに存在し、存在した痕跡が四次元で表現され、歴史として表現されるだろう。

私の考えは、「自意識」を縦軸として、光の及ぶ範囲の空間を横軸にして、「 心臓の鼓動 」を主観的時間として、「自意識」に並び、エントロピー的に進むのが「 自分 」であると思う。

人類が作った精神の「世界」の中の自分が、「世界内自分」であるが、「自分内世界」については未解決である。

後で、修正するかも知れません。

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2008年09月01日

2008/9/1・私の空想(ハイデガー・存在と時間)

私の「ハイデガー・存在と時間」の記事を、Yahoo USA が載せてくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkwaBsLtI8x8B76Wl87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%A8%E6%99%82%E9%96%93%29&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

私の記事は、知識ではないので、知識を愛する人は、他のブログを見てください。

さて、Yahoo USA が載せてくれた善意を無にしてはならない。
今まで、「存在と時間」を読んだ感想などを書くことにする。

@「了解」について、不満です。

「了解の働きの投企作用は、自分を形成しようとする独自の可能性を持っています。了解の働きの形成を、わたしたちは解釈と名づけます」

「存在と時間」岩波文庫・中巻・48ページ

私は、この「解釈」により、自分を形成する過程を知りたい。
この過程に、意味や意識の働き、それに加えて、時間と空間の問題があると思うが、記述は無い。

Aハイデガーの「世界」は「社会」であり、私の「世界」は、「意識」であり「心」である。

この事により、彼の主張は、私の考えに反する。
「道具」や「言葉」について彼の場合は、自分の外へ向かっての社会的な意味を与えるが、私の場合は、既に行為した後の「経路」や「歴史」の説明でしかない。
心、つまり世界は既に、自分の身体の外で賛否の行為した後に、自分の内部に向かって妥当か否かを、道具や言葉で問うている。
私は、ハイデガーとは逆向きに考えているのが現状である。
だから、彼の本は、難解で何か参考になりそうだが、実際は、全く理解していない。

B死への本来的存在を先駆した人間の行動が、私の場合とは違う。

人間は死ぬと彼も知っているし、人類は皆知っている。
彼が騒ぐより、もっと深く、他の人は、「死」について知っている。
彼は、自分の無能を言っているだけだ。
他の人は「死」を知っているから、情(zyou)があり、優しい。
死を先駆したならば、他の命有る物に、情(zyou)を感じないのだろうか?


C「時熟」というのも、違う意味に考える。

時が熟するのでは無い。
時間の問題では無い。
自分の中にある可能性が、時間の経過により外部に現れるだけだと思う。
「使命」とは、その一種かも知れない。
命有る物は、「死」と言う時限爆弾を抱えている。
草も木も、花が咲き、実をつけるのを「時熟」というかも知れないが、草や木が誕生以来、持っていたエネルギーが発露したにすぎない。
時間では無い。
地球の自転により、時間の意識が生まれ、時間の意識がエネルギーを発露させるのでは無い。
その物が持つ本質という可能性の発露だろう。

時間や空間については、ヘーゲルの方が、私の考えに近い。
地球が存在するから、時間も空間も、意味が有る。
無重力の世界に行けば、時間も空間も違うように考えるかも知れない。

また後で訂正するかも知れません。
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2008年08月31日

2008/8/31・私の空想(ハイデガー・存在と時間)

知識を求める人は、他のブログを見てください。
私は、間違っていると思いながら、書いています。

Martin Heidegger の「存在と時間」の翻訳版が、岩波文庫から出版されている。
その下巻が、320円で売られている。
     ↓
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4003365135/ref=sr_1_olp_8?ie=UTF8&s=books&qid=1220128339&sr=1-8

私が「世界内自分」や「自分内世界」などと書いたのは、この本の「世界・内・存在」に興味があったからだ。
彼は、現象学を学んだ上に、「世界と存在」について書いたと思うが、私は、「存在」の代わりに「自分」を置いている。
その理由。
「自分」は、パスカルの「考える葦」のように、地球上の産物であり、宇宙の塵であるとともに、祖先へ通じる「自意識」を持っている。
存在一般ではなくて、「自分」を考えたいと思ったからだ。

私の考え

@如来様(nyoraisama)の「宇宙」は、人類が滅びても存在すると思う。
「意識」の無い領域で、運動だけだろう。

A「世界は意識」である。

これは、「ちいさなDikz 」で、他の動物とは違って、女性が何故、「 Big Dikz 」が好きなのかを分析した結果である。

B意識は、現在だけに存在する。

これは、「私の空想」から出た結論だ。
現在や過去や未来は、「精神世界」に属する区切りである。
現在とは、精神的には区切りは無いが、相対論の普遍定数の光速による時間の「今」が、人類が相互に理解する事が出来る現在である。
地球が自転し、現在の中で、「全身全霊」で「行動」の方向である「関心」を探すから、現在は、「霊的」でもある。

C「人類としての意識」は、「自意識」であり、「自国の民族意識」であり、祖先に通じる歴史を持つ。

これは、「私の空想」から、出た結論だ。
絶え間なく変化する自分の身体を、今の「自分」の身体と意識して、身体から離れない理由は、「自意識」が、祖先からの「 霊 」の歴史的産物であると思う。
「自分」に固執する事が生きる事であり、責められる事ではない。

そこで、ハイデガーの「存在と時間」を読む。

ヘーゲルの時間概念

「時間測定の相対性理論の問題には、ここでは触れないことにします。……中略……時間問題そのものを展開することは、決してできないのです」

下巻の211ページから引用

「点の自己の対自的設定の可能性の制約が、今なのです。このような可能性の制約が、点の存在を形成し、存在は同時に、(思考されていること)なのです。したがって点在性の、すなわち空間の、純粋な思考が、そのつど今と、今の自己外存在とを「思考する」から、空間は、時間であるのです。」

下巻の234ページから引用

私の考え

私は、相対論を導入した方が良いと思う。

「可能性の制約」の「制約」が、相対論の光速による同時性の定義と解釈して、制約の中で「点の存在を形成」するのは「可能性」を思考している「自意識」が存在すると解釈する。

ヘーゲルもハイデガーも、時間や空間を規定する事は出来なかった。
時間も空間も、意識であり、これらは地球上で生きているから存在する意味があると思う。


私は、太陽光がプリズムで七色に変わるように、太陽光が情報で、頭脳の働きがプリズムで、時間や空間の意識が出来ると思う。
脳梗塞など、頭脳が損傷を受ければ、時間や空間の意識が失われるからだ。
今後の、発展を待っている。

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2008年08月28日

2008/8/28・私の空想(相互理解・アフガンの事件)

私の「31才、アフガンで死す」の記事を、Yahoo USA が載せてくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkijvfbZIMyUAbAWl87UF?p=31%E6%89%8D%E3%80%81%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%81%A7%E6%AD%BB%E3%81%99&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

私は、退職も近い老人である。
私の考えは、横溢であり、知識ではないから、客観的な知識を求める人は、他のブログを見て欲しい。



2008年8月25日に書いた記事。

私の夢

前回、「 心 」と「 心 」が接触して、心を守る者が「 霊 」で、心から心へ侵入するのが「 情(zyou) 」だと書いた。

現時点で、私が「 霊 」と言うのは、B「人類としての意識」であり、それは祖先へ通じる四次元だと思うが、歴史や経歴の物語であり、自分を存在させる意識である。
それは、自意識である。

地球は絶え間なく自転し、全てが流転し新陳代謝をして、同じ身体は存在しない。
自意識が変化しようとする事を阻止するのが「霊」だろう。

「霊」を破るものは何か?

生命体は、生命のリズムを持つ。
リズムは振動であり、主観的な時間を持つ。
それは生命が誕生する時に発生するだろう。
そのリズムと方向を同じくする振動を、意識の面で信号として捕らえたのが、「 関心 」や「 好奇心 」だと思う。
恐怖心が、恐怖の状況を作るように、内面の意識の物語の世界を投影したのが現実世界だとすると、「 関心 」を寄せた物体が、その人の「 心 」だと思う。

その「 関心 」は、生命のリズムと同じ動きをする物に同調する事であり、一瞬の時間で、人間は「 全身全霊 」で、「関心」する物を探す。
その「 関心 」を起こすのは「 情(zyou) 」だろう。
私は、「情(zyou)」を本能と思っている。
「 情(zyou) 」は、「愛情」だけと思うのは間違いだろう。
喜怒哀楽の全ての「感情」が「情(zyou) 」であり、万国に共通する。
「関心」を持つ事は、「情(zyou)」を持っている事かも知れない。
「 情(zyou) 」を通して心と心が結合した時、自意識という「霊」は破れる。



2008年8月28日に考えた事。

今までの考えに変更は無い。

アフガンの伊藤和也氏の心を想像すると、彼は「情(zyou)」により、愛情により、一旦は、アフガン人と心を交流させる事に成功したと思う。
心の境界を破るのは、「情(zyou)」だろう。

しかし、彼を拉致した仲間に、彼が農業を指導した村の住民が参加していた事は、重大である。
その住民により、最もアフガン人に接近していた伊藤氏が、拉致の対象として狙われる事になった。

「情(zyou)」は、感情であり、喜怒哀楽の全てに移動する。
情(zyou)は、無常で、その存在の有無は、対象となった人の考えに左右される、移り易い気持ちである。

「愛情」を受ける事が苦痛になって、彼を拉致したのかも知れない。
農業なんか、自分たちで出来る。
外国人の NGO を拒否するのが、タリバンの方針と聞く。
その象徴として、アフガン人に、最も接近した伊藤氏を選んだのだろう。

心と心を情(zyou)で結ぶ事は、第二次世界大戦で、日本軍が行った事だ。

それ以上に、「 霊 」を統合する事は間違っている。

「 霊 」は、「自意識」であり、「自国の民族意識」である。


アジアの諸民族を併合して、「大和魂」を埋め込む事に失敗したではないか。

米国に「アメリカ魂」があり、日本に「大和魂」があるように、アフガンにも、「アフガン魂」があるかも知れない。

福田首相は、これからも出来る事を行うと言っているが、「 霊 」に接触するのは、止めた方が良いと思う。

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2008年08月27日

2008/8/27・31才、アフガンで死す

アフガニスタン東部ジャララバード近郊で、日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の、伊藤和也氏(31才)が拉致され、今日、射殺され遺体となって、ジャララバードに戻った。

骨はアフガンに埋めて」も、霊魂は、日本に帰っているから安心してください。

ご冥福を、お祈りします。

日本の皆は、伊藤和也さんが、「アフガンの子供が飢えないように、農業の指導の形で力を尽くしたい」という熱望で、アフガンに行った事を忘れないでしょう。



和也さん、何を得られましたか?

アフガンの子供たちの笑顔ですか?

井戸の水を飲む、アフガンの農民の笑顔ですか?

ごくろうさま、日本の静岡県の実家で、ご両親が待っています。

あなたを、一番、心配していた人です。

私は、アフガンに、米軍艦船に給油する自衛隊だけが、行っていると思ってました。

「日本は人的な貢献をしない国」だと言った国や、「行動で示せ」と言った国は、日本の人的支援を見習うべきでしょう。

伊藤さんの、行為で、誰も行く事を希望しない所へ行く「ペシャワール会」の存在を知りました。

ペシャワール会  ↓
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

子供たちの餓死を防ぐために行って、アフガン人から殺されたのですね。

日本には、秋葉原の通り魔事件のように、「死に場」を知らない若者が、殺人罪を犯して「合法的に死ぬ死刑」を求めています。

これらの若者は、伊藤和也さんの「アフガンの子供を餓死させない」という情(zyou)を持った行動を見習うべきでしょう。

小学校や中学校で教えた方が良いかも知れません。
SEX の事しか考えない若者を、教育するのが、これからの日本の学習指導要領でしょう。

日本の農林大臣は、秘書官の自宅を事務所所在地と届けて、事務所経費が23,450,000円として、国庫から取っていました。

こんな大人は、長生きする事だけを願い(私もですが)、「アフガンの子供の餓死」など心配もしていません。

これで良いのか、「 日本 」
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2008年08月25日

2008/8/25・私の空想(無意識)

Yahoo USA が、私のブログを載せてくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkxaulLJIi1cB.mKl87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98%29+2008%2F8%2F24+m24658&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

現時点では、これ以上を書く事が出来ない。

私の夢

前回、「 心 」と「 心 」が接触して、心を守る者が「 霊 」で、心から心へ侵入するのが「 情(zyou) 」だと書いた。

現時点で、私が「 霊 」と言うのは、B「人類としての意識」であり、それは祖先へ通じる四次元だと思うが、歴史や経歴の物語であり、自分を存在させる意識である。
それは、自意識である。

地球は絶え間なく自転し、全てが流転し新陳代謝をして、同じ身体は存在しない。
自意識が変化しようとする事を阻止するのが「霊」だろう。

「霊」を破るものは何か?

生命体は、生命のリズムを持つ。
リズムは振動であり、主観的な時間を持つ。
それは生命が誕生する時に発生するだろう。
そのリズムと方向を同じくする振動を、意識の面で信号として捕らえたのが、「 関心 」や「 好奇心 」だと思う。
恐怖心が、恐怖の状況を作るように、内面の意識の物語の世界を投影したのが現実世界だとすると、「 関心 」を寄せた物体が、その人の「 心 」だと思う。

その「 関心 」は、生命のリズムと同じ動きをする物に同調する事であり、一瞬の時間で、人間は「 全身全霊 」で、「関心」する物を探す。
その「 関心 」を起こすのは「 情(zyou) 」だろう。
私は、「情(zyou)」を本能と思っている。
「 情(zyou) 」は、「愛情」だけと思うのは間違いだろう。
喜怒哀楽の全ての「感情」が「情(zyou) 」であり、万国に共通する。
「関心」を持つ事は、「情(zyou)」を持っている事かも知れない。
「 情(zyou) 」を通して心と心が結合した時、自意識という「霊」は破れる。

「汝の隣人を愛せよ」というのは、「霊」の破壊かも知れない。
霊の破壊といっても、霊が一つになる事であるが……。


現時点の夢は、ここで終わっている。

カントが後世に残した「 感性 」を説明する哲学者が現れる事を望む。
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2008年08月24日

2008/8/24・私の空想(無意識)

今日は、主観的時間を軸にした無意識についての記事を書くが、次の本を紹介しておこう。

時間の不思議」という本で、Amazonで58円で売っている。

http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4061328735/ref=sr_1_olp_1?ie=UTF8&s=books&qid=1219528772&sr=1-1

この本の180ページから引用する。

「人間の神経が一度回路をつくったら、その回路は、なかなか切れないという。子供の頃、覚えた水泳、自転車、竹馬などは、久しく練習しなくてもすぐにカンをとり戻せるというのも、そのせいだといわれている。これらは全く、不可逆な推移だろう。そうして当然ながら未来のことは知らない。これなど人間の生理も、物理的な不可逆現象にそっくり支配されているあかしであろう。ホーキングも繰り返し述べている「意識の時間」は「エントロピー的時間」と全く等しい、という考えは、ブリゴジンが早くから結論づけている。」

「イリヤ・ブリゴジンは、1917年にモスクワに生まれ、その後ベルギーのブリッュッセル大学で学位をとり、1951年以降、同大学の統計力学・熱力学研究所長を兼任した。1977年に「非平衡の熱力学・とくに散逸構造の研究」によって、ノーベル化学賞を受賞した。」

同書177ページから引用

私の空想

主観的時間は、「意識の時間」であり、「エントロピー的時間」だと思う。
私は、その時間が、「 歴史 」として残ると思う。
私は、時間の不可逆性(これは、地球が逆回転しないと同義)と一緒に、因果律の逆転が無い事が混入していると思う。

地球は自転し、常に新しい空間を人間に与えられ、人間は絶えず行為をしなければならない。

「 了解 」については、Martin,Heidegger 氏の著作より以上は考えていないが、「 了解 」は頭脳ではなく、知覚の先端で、すでに成立していて、人間は何かの行為を既に行った後に、行為の物語を頭脳のコンピュータに入力して合理化をしようとするのだと思う。

身体は、「 心 」の外部への延長の道具ではなくて、物語を内部の頭脳へ伝える道具だと思う。
「 心 」は、既に、知覚と同時に(知覚は精神と物体の衝突である)、外部に露出していると思う。

その物語は、「 自分 」という局所性があり、現在という時点に思い出す記憶の力による解釈であり、普遍性は無く、社会的で私という個性的な歴史的な産物である。

物体が可逆的な運動をしても、私の意識には、歴史として残る。
理論は、時間に対称的、つまり時間には関係なく成立する関係式を好む。
しかし、物体が理論の通りに可逆的な運動をしても、私の意識には、歴史として残る。

理論の合理性やコンピューターの合理性と意識を比べた時、意識の不合理性が発見されるだろう。
それが、無意識に気づく契機となる。
その無意識が、人間に新たな意味を持ち作用を及ぼす時、「 本質 」として、頭脳の中に一つの回路が出来る。
それを「 飛躍 」とする。

私は、現時点では、無意識の中に物語を発見する事が
「飛躍」を生むと思っている。
事物の因果関係を発見して「驚き」が生まれた時に飛躍するかも知れない。
本や絵画や音楽や、全ての人類が作った物語が基礎になって、物語の任意の組み合わせが「驚き」を生むかも知れない。

私は、頭脳の物理的、生理的な解明が進む事を願っている。
プリズムが七色の光を生むように、時間や空間という意識は、地球の回転や重力を考えないと成り立たず、人間が生きるために、それらを頭脳が変換した内容かも知れない。

Poor thinking is as good as no thinking.
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