2008年10月02日

2008/10/2・私の想像(私の時空と量子力学U)

2008年10月2日、22時00分現在のアクセス状況である。

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法律科卒業の私が、量子力学など理解できると思うのですか?
答えは、N O ですね。
N O と言える日本人ですから……。

しかし、書いた責任も有りますから、少し書きます。

量子力学の本を読んでいると、いろんな「原理」を書いてあります。

ハイゼンベルクの「不確定性原理」

ボーアの「相補性原理」

重ね合わせの原理

このような「原理」がありますが、原理は、一つか二つだと思います。

私の考えでは、これらは、「時間」や「空間」の問題を哲学に任せ、自分たちは「物理学者」だと、言って測定可能なものだけを理論にしている態度だと思います。

「原理」と称して、形而上学に入らない態度です。


アインシュタインも、哲学者ではなくて、物理学者に留まったので、ボーアの反論に負けたのだと思います。

私は、物理学者ではありませんので、哲学者になるしか方法はありません。

そこで、考えたのは、「原理」は、「時間」や「空間」について、形而上学としても、確立していないから、不毛の議論に終わるのだと思いました。

私の時空は、「 自意識 」は、「時間意識」と「空間意識」が電磁波の構造のように交互に現れて、現実面では「認識」となります。

その構造は、「 光 」に類似するから、人は光の速さで「時空」を振り分けるプリズムを持った頭脳を持ち、時間と空間の途切れる瞬間の空白を「残像」を持つという能力で、連続と思い、瞬時に、刺激に反応する生き物だと思います。


意識は「 光 」ではなくて、頭脳の中の「時空間」で「情(zyou)」を伝達し、原動力は、体内の電気だと思います。

このように考えると、「情(zyou)」の伝達力が、「時空間」へのベクトルによって決まると言っても、説明には便利ですが、未来に対しては、未知数です。

「時間意識」と「空間意識」の空白を「残像」で埋めて、連続させる。

ちょうど、映画を見ているように、この世は連続して見える。

絶えず、変化しているのに、変化していないと思う自分。

地球の上に住んでいるから、他人と全く同一の時間などは無いし、同一の空間も無い。

生まれて、死ぬまで、人間は一人で生きるのです。

死後も一緒なのは、神様や如来様(nyoraisama)です。

どんなに愛しても、その人と同一時間や同一空間は存在しないのです。

神様や如来様(nyoraisama)は、同一時間や同一空間を共有する事ができます。


The day is short and the work is much.
posted by kandk55 at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/10/2・私の想像(私の時空と量子力学)

Yahoo USA は、「私の時空」の記事を登録するのではなくて、少し興味があると思われる。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkmLS4uNI240AD8.l87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%83%B3%E5%83%8F%28%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%99%82%E7%A9%BA%29%E3%80%80m24658&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

Yahoo が、「 世界の検索会社 」と言われるのに、私は、納得する。

それに応えて、次の展開を書こうと思うが、「 今 」は、時間が無いし、本も読んでいない。


私が興味を持っている本を紹介する。

タイトル→量子力学の考え方
著者→J.C.ポーキングホーン
訳者→宮崎 忠
定価→640円

これが、Amazon では、1 円で売られている。

http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4061326937/ref=sr_1_olp_4?ie=UTF8&s=books&qid=1222894454&sr=1-4

後日、感想を書きます。

The day is short and the work is much.

若い時に、勉強しておけば良かった………。
posted by kandk55 at 06:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月01日

2008/10/1・私の想像(私の時空)

私の考えでは、「 自意識 」は、電磁波の構造をした「時間意識」と「空間意識」が交差(つまり一回転する事になるが)した現実面に「認識」が出来る。

「空間意識」の面での例は、「打ち水をした家への通路」とか、「竜安寺の石庭」とか、時間は無限にあるが(あるいは無くても)、空間だけで、意味という「物語」を感じる場合を想定している。

「時間意識」の面での例は、空間の認識がなくても成立する「作曲」のように、音を頭の中に思いながら(あるいは音を聴きながら)音楽を空間化する事を想定する。

「空間での物体の配置」で意味を持たせるのは、「時間」を意識している。

「音」を、「空間化」あるいは「空間の音の配置」が与える意味を持たせる時は、「空間」を意識している。

その意味で、「時空間」がサインカーブで結ばれて、その交点で、認識が成立すると思う。


I am my own Lord throughout heaven and earth.

これは、先日の記事のタイトルを英語で翻訳しました。
posted by kandk55 at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月29日

2008/9/29・私の想像(天上天下唯我独尊)

これは、伝説です。

お釈迦さまが、シャカ族の村のルンビニーの花園で、お生まれになった時、十方を見渡したところ、どちらにも自分より尊い者はなく、北に七歩、歩いて、天と地を指差して「天上天下唯我独尊」と仰ったという伝説です。

私は、受け入れます。
お釈迦さまであれば、それは可能だろう。

「私の想像」でも書きましたが、人間は生まれた時から、「時空」を頭の中に持っていると思います。

「先験的」と言うのかは知りませんが、生来、時間意識も空間意識も持って生まれているのです。

ただ、「時計」や「巻尺」を知らないだけです。
生命に対する危険を知らないだけです。

大人になっても、同じです。

皆、頭の中に「時空」を持っています。
それが、「自分内世界」であり、皆、自然に「時空」に沿って行動しているのだと思います。


それは、具体的で現実的な「時空」なのですが、「世界内自分」として、「世界」に対して「社会」に対して、意味(つまり因果関係や物語)を表現したり、あるいは、理解したりする「能力」(これは如来様(nyoraisama)の領域です)が無いから物理学は難しいのであって、頭の中に「時空間」が存在するから、何時かは、時空が分かるのだと思います。

「宇宙論」が、様々に存在することで判断すると、本当の「時空」は、何かは、物理学者も知らないと思います。
今まで、積み重ねた概念で、「時空」を表現しているだけだと思います。

如来様(nyoraisama)の「宇宙」に対して、誰もが平等に接して、「宇宙」も、平等に私たちに接するから、一つの真実があるのだと思います。

生まれた幼児でも、私のような老人でも、「世界内自分」の場合であっても、「自分内世界」の場合であっても、自分の「時空」を持ちますが、それとは全く違った如来様(nyoraisama)の「時空」が存在するかも知れません。
posted by kandk55 at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月28日

2008/9/28・私の想像(未来)

2008年9月28日、3時50分、現在のアクセス状況です。

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6位に「私の想像(未来)」を閲覧した人がいるのが嬉しい。
この人に感謝の気持ちで、未来の事を少し書こう。

私は、「座標軸」を「直感の形式」として、アプリオリな物として考えている。
生まれた時には、危機意識として、「時間意識」と「空間意識」が交互に現れて認識が成立する「能力」を持っていると思う。
それは、「魂」であるかも知れない。

地球の自転により与えられる生起の順序を超えた、認識の成立する面を想像する事が出来ないのは、「宇宙論」が想像する事が出来ないのと似ている。

鏡を見て自分の眼を見るように、反射が無ければ、反射して来る光が無いので、発した光との衝突を自分で確認する事が出来ない。

「 今 」の中に、未来の姿を見る事が出来ない。

確率として見るのだろうか?

私は、可能性の一端を掴み、未来の認識へ続く方を好む。

どこかの国の、「予知夢」を見る人のように、未来を見るのは、「夢」の中かも知れない。
しかし、現実に見ていないから、日本に地震という災害は、起こらなかった。
「予知夢」が確率なのか?
確率で、「予知夢」を見るのは、直感ではない。
思考された予想である。
それは、私のブログと、価値は同じだろう。

時間の感覚と空間の感覚が、先験的(アプリオリ)だから、予知は不可能なのだと思う。

過去のデータを見て、確率で「予知夢」を見るのは、天気予報と同じであり、当たる時もあれば、外れるときもある。
当たった時に備えて、準備しなさい。
こんな無責任な、「予言者」を「予言者」と認めて良いものか、私は「社会」を疑う。

日本のTV番組は、この「予言者」をゲストに向かえ、大学教授が、「有り得る」と、学問的に応援した。
米国のテロを「予言」したならば、どうして大規模にTV番組で発表しないのだ。
発表すれば、今回の日本のように、地震に備えて、「地震グッズ」を買わされたように、米国政府も、動いたかも知れない。

「私は、予言したよ。後は、あんたに任せる」

こんな態度は、「愛」、「人類愛」を持っていない人の態度だと思う。

人の不幸を回避する態度を示さないのは、「愛」が無い証拠である。
なぜって?
予知が間違えば、自分の「予知夢」が、注目されるのを失う。
あるいは、評判が落ちるという、自己保身に他ならない。



日本の地震は、延期されて、将来、地震が起きるという。
そんな事は、日本人なら、誰だって知っている。
学問の世界で、予想はされている。

米国の大統領は誰なのか?
地球の資源は、何時、無くなるのか?
世界恐慌は来るのか?

さあ、「予言者」は忙しくなる。
期待に応えて、評価される。
さあ、世界はどうなるのだ?
posted by kandk55 at 04:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月27日

2008/9/27・私の想像(未来)

2008年9月26日の記事

しかし、自分が昔からと同じ自分である事を光速で確認するのが「自意識」だと思います。
未来の自分を把握するのは、光速で、過去の自分を確認してする事だろうか?

事物の認識は、「 今 」の瞬間かも知れないが、「 今 」に過去の自分を思い出している。

空間の中で自分が存在するのは、空間に存在する物を光速で把握する「 今 」に存在するという意識であるが、同時に、時間的にも、光速で把握した自分を「 今 」に存在させているのが「自意識」であるかも知れない。

2008年9月27日、考えた事

私は、「時間」には何も無いから、ハイデガーのような「時熟」も無い。
未来に対して、時間の経過を待つより、「 今 」の可能性を把握するように、お勧めした。
西洋の「実存主義」は、未来に向かって、自分の本当の姿を捉える事だと思う。

私は、理論が「可能性」であり、「 自意識 」の電磁波的な構造により理解して、不連続な面から不連続を見える面へ、可能性を広げる事は、賛成する(これはサインカーブで連続しているから、どんな可能性でも未来へ続く)。

しかし、未来の不連続な面を知る事が出来るとは思わない。
私は、光速で「現在」と「過去」の無意識の領域を知ったが、それが可能なのは、「 光 」を反射してくれる無意識と信じられる面があるからだ。
自分の所で、発した光と反射した光とが、「衝突」する事により認識が成立する。

ところが、未来は、「 光 」を反射する物が無い。
私は、「 自意識 」という「 光 」の上に存在していると思っている。
例えば、「 彗星 」に乗っている人みたいな感じだ。
そこで「 光 」を発する時、「過去」や「現在」は「 光 」で照らす事が出来るが、「未来」を照らす事は出来ず、未来にいる人に、進行方向を知らせるだけだ。
他の所の人は、「ドップラー効果」のように、自分に遠ざかっているとか近づいていると判断するだろう。

では、未来について何も、考えが無いのか?

私は、「 彗星 」に天体の軌道があるように、個人は皆、それぞれの軌道により運動すると思う。
何かに、導かれて生きるのだろう。
そして、過去の軌跡は、四次元として表現され、自分の歴史として残るだろう。


これは、独り言です。
posted by kandk55 at 10:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月26日

2008/9/27・私の想像(認識)

2008年9月27日、8時45分、現在のアクセス状況です。

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私のブログを閲覧して戴き、感謝しています。
皆さんから励まされる気持ちで、書いています。

私が、認識について書くのは、「 心 」が、自分の身体の外にあり、見たり聞いたりしただけで、興奮したり同情したりする原因は何かについて考えました。

見て、考えて、手足を道具にして、行為をすると考えるのは、思考された認識です。
私の場合、見た瞬間に、興奮するのは何故か、が問題でした。
意味を知ると同時に、興奮しているのです。

思考された認識は、遅く思われます。
相対論では、光速で走る人は、静止している人より、時間の進み方が遅いと言います。

私の考えでは、「 自意識 」は光速で進みます。
思考された認識は、遅く感じられまから、私の光速の「自意識」は思考された認識の反対方向に光速で進んでいるか、あるいは自分の「自意識」は止まっていて、思考された認識が、私より先に進んでいると思われます。

私の「自意識」が、反対方向に進んでいるのが妥当でしょう。
地球が自転し、その先端に自分が存在します。

その自分の意識が、光速で、普通に認識するのに必要な地球の動きと反対に進んでいるとは、何でしょうか?

私の考えが、時代遅れの思考だからでしょう。

しかし、自分が昔からと同じ自分である事を光速で確認するのが「自意識」だと思います。
未来の自分を把握するのは、光速で、過去の自分を確認してする事だろうか?

事物の認識は、「 今 」の瞬間かも知れないが、「 今 」に過去の自分を思い出している。

空間の中で自分が存在するのは、空間に存在する物を光速で把握する「 今 」に存在するという意識であるが、同時に、時間的にも、光速で把握した自分を「 今 」に存在させているのが「自意識」であるかも知れない。

それが、人は歴史的な存在だという意味だ思う。
現実面で、歴史的に考えている私である。
時間的にも空間的にも、光速の範囲が、「社会的」な自分の存在だろう。

光速の範囲は、意識の総体の「 心 」の範囲かも知れない。
その範囲内では、意識が交流して、情(zyou)が伝達される。
私は、「自意識」の現実面が認識だと思う。
認識は、空想に書いたように、時空の交点であり、不連続な面だが、サインカーブで連続している。

認識と同時に、感情が起こるのは、空想で書いたように、「電流」が流れるからだろう。
身体に「電流」が流れるのは、意識しても無意識であっても可能だろう。

私は、見て、聞いて、興奮するというのを、単に知識だけでは、満足しない。
認識論は、存在論だから、本能や無意識も含む理論であるのが望ましいと思う。

これは、独り言です。


2015/2/27、私の現在の考え11・自意識を参照

posted by kandk55 at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月25日

2008/9/25・私の想像(意識と欲の座標軸 U)

2008年9月25日、18時20分、現在でのアクセス状況である。

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私のブログを閲覧した人に感謝する。
私は、真理の言葉を書いているのではない。
仏教で、「真言」が、本当の真理の言葉と聞くが、私の言葉は、「苦悩の言葉」である。
哲学者が言うように、「道具」を書いている。
粗末な道具で、お恥ずかしいが、これは私のオリジナルのフィクションである。

理解が出来ないと思うから、説明を少し追加する。

@
私は、縦軸の「主観的時間」と「 自意識 」に、「空間意識」を精神的だと判断して、加えた。

認識するためには、「社会」が定義した時間内の「世界の可能性」と、「主観的時間」で、始めと終わりを設定した「自分の可能性」の波長(これは振動数でもある)を同調させて、写し取るが、時空の関係は、縦軸の「時間意識」と「空間意識」が作る時空の範囲で止めて、横軸の「エネルギー」まで届かせない方が安全だ。

なぜなら、横軸の「エネルギー」は本能や無意識へと続き、横軸への衝撃は印象になり、力学の保存の法則に従い、「欲望」の「電気」を起こし、「 自意識 」に衝撃を伝え、人格形成に影響するだろう。

良い「欲望」は、横軸に届かせて良いが、悪い欲望は、縦軸の「精神」の中で、止める方が良いだろう。

その意味で、横軸は二重底にした方が良いだろう。

A
「主観的時間」で、始めと終わりを設定した「自分の可能性」の波長(これは振動数でもある)は、「社会」が定義した時間内の「世界の可能性」に対して、始点と終点を様々に変える事により、波長のエネルギーを変えて、同調させて因果関係や物語を獲得する。

あるいは、若い時のエネルギーを考えても良い。
可能性の幅が、整数倍かも知れない。
これは、「思考実験」であり、物理学者の模倣である。
「思考実験」には、「本能」を参加させなくても、実験は可能である。
私の目的は、「本能」を見る事だから、私は例外である。

これは、「苦悩の認識論」であり、私の道具だから、閲覧する人に同意は求めない。
posted by kandk55 at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/9/25・私の想像(意識と欲の座標軸)

少し整理すれば、@如来様(nyoraisama)の「宇宙」A人類の「精神」の「世界内自分」B自分の「自意識」に変化は無い。

Bの「意識の座標軸」は、@とA、Bを模倣して、自分の中に、「情(zyou)とエネルギー」の横軸と、「主観的時間」や「空間意識」と「自意識」の縦軸を持つ。

「自意識」は、時空を持つから、自然法則の時空の関係式を「自意識」は認識する。

可能性や欲は、縦軸で区切られ、横軸のエネルギーの面で、区切られた幅の波長が発生し、時空の関係式に情(zyou)を流す。

「世界の可能性」と「自分の可能性」が重なると思われる所に「欲」という実体(?)が生じる。

横軸で発生した「欲」は、身体に現れ、@の如来様(nyoraisama)の「宇宙」の領域で「電流」が流れるように作用する。

電流が流れると、横軸と縦軸が交互に現れて、「自意識」を形成する。

実体の有無が判明しないから、「電流」も不安定で、「自意識」も不安定で、「欲」を求めて、絶えず可能性を探さなくてはならない。

posted by kandk55 at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/9/25・私の想像(認識と欲と実存)

「世界の人類の可能性」の可能性自体は、果てしなく続くエネルギーであり、始めと終わりは存在しない。

始めと終わりを区切るのは、「精神」であり、「知識」としての可能性は、「社会」や「世界」の「定義された時間」であるし、自分の可能性は、私の「主観的時間」が区切る。


「世界の人類の可能性」から生じる知識としての波動や因果関係や物語を、自分の可能性の波動の一つに取り入れて、情(zyou)の波として考える。

それは、波動の中で、自分の実体を考える幅を与えられたという意味で、波動を生む可能性の幅が拡がった事であり、選択の幅が拡がったと言う。

「実存主義」は、「瞬間」の中に自分の進む方向を選択する事だと思う。

しかし、上記のように、波動の可能性の中で自分を選択するのであり、「瞬間」という「時間」の中に現れる「永遠」の自分を発見するのではなくて、「エネルギー」の軸の中に、自分の可能性を発見する事だと思う。

瞬間」は、私の考えでは、光速で進む「 自意識 」の面と面の間の不連続の時空であるように思われるが、「電場」や「磁場」に似た面で連続している時空であり、情(zyou)の伝達だけを役目とした時空であり、縦軸の「精神」に属し、「可能性」は存在しない。

時間は、思想という可能性を淘汰するだけであり、時間の中に可能性は「存在」しない。

私の「主観的時間」は、「内在的な時間」ではなくて、祖先から続く生命のリズムであり、可能性を区切るが、時間意識であるが、「時間」という存在ではない。

波動を生む可能性は、自分の中に存在する。

何も存在しない「時間」に、因果関係の網を投げても、自分の進む可能性を発見する事は出来ない。

「時間」があるから、可能性があるとは言えない。

「時熟」も、現れて来る自分の可能性が時間による淘汰の結果で現れる事であり、「時間」にエネルギーは「存在」しないので、「時間」を待っても、自分の可能性は現れない。

可能性を生むエネルギーは、如来様(nyoraisama)の「宇宙」に関連した横軸に属し、「宇宙」の領域で「電気」を流すと思う。

「 今 」と言う「時間」に、永遠を求めるのではなく、「 今 」で限定された、「可能性」というエネルギーの中に、未来の自分の種を発見するのが良いと思う。

地球が自転し、絶えず今であり、認識するのは全て過去の出来事である。

だから、自分の過去の延長上に、自分の可能性があるとも言えるが、意識の構造として、エネルギーの軸を認めれば、「世界」から取り入れた可能性が、「 自意識 」の形成を変化させる事もあると思う。

未来の自分を発見するというが、「欲」の実現が目標であるかも知れない。

前述したように、「欲」も、「良い欲」と「悪い欲」がある。

人間の本来の方向に、「欲」を選択するのをお勧めする。
posted by kandk55 at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月24日

2008/9/24・私の想像(認識と欲 U)

「欲」は可能性であるか?

「欲」の位置はどこか?

私の「意識の座標軸」を修正したが、横軸の情(zyou)や「宇宙」のエネルギーの面で、「可能性の一致」により、「欲」のエネルギーが、身体に電流を流すだろう。

その周囲に、「電場」のような「エネルギー」の面と「磁場」のような地球上で必要な精神の面が、瞬時に、交互に現れて、「 自意識 」となるだろう。

「時空は自分の頭の中に存在する」

「相対論も量子力学も、頭の中の時空を、外部に表現した関係式である。アインシュタインもディラックも自分の頭の中の時空を表現した」

そう思えば、物理学のあらゆる時空の関係式が、自分の可能性となる。

性欲や食欲など、「欲」という漢字で、本能的な物を表現する場合が多い。

「欲」それ自体は、生きるために必要かも知れない。



しかし、征服欲のように、人を道具に使う欲もある。

「欲」は、「快感」となり、電流を流し続けるだろう。

「欲」の発生する場所が、自分の内部の横軸なので、縦軸の「精神」が抑制する事を期待する。

これは、禁煙を実行すれば、良く理解する事が出来るだろう。

「欲」を見る事が必要だ。

タバコに誘う自分の「欲」を見なければならない。

見る、つまり意識するほど近くまで、引き寄せて、拒絶する事が必要だと思う。

Poor thinking is as good as no thinking.
posted by kandk55 at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/9/24・私の想像(認識と欲)

Yahoo USA が、9月24日に書いた「私の想像(認識)」を登録してくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkw1vB9pIWR8B4MBXNyoA?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%83%B3%E5%83%8F%28%E8%AA%8D%E8%AD%98%29%E3%80%80m24658&fr=yfp-t-501&ei=UTF-8

この「意識の座標軸」から「認識」については、私のオリジナルである。
我が子のように可愛い。
しかし、私は、 Yahoo USA などの「精神の世界」から、自分の「意識の座標軸」に取り入れる過程を書いていない。

今日、思った事で、これもオリジナルである。

それは、「」を取り入れる事で、更に面白い物語になる。

「欲」とは、自分の能力と比べて、可能性が存在する時、現れる力であると思う。

どのように、私の想像に、Fit させるか?

「意識の座標軸」を「主観的時間」と「自意識」の軸と、「情(zyou)」や「エネルギー」の軸としたが、前者は、精神的であり、地球上でしか通用しないので、修正する。

前者の「時間意識」の中に「空間意識」も加える。
「空間」も、地球上に住んでこそ意味がある。
無重力の状態で、上下や左右など、何の意味も無い。

「意識の座標軸」の縦軸を地球上の精神的な意識として、「宇宙」的な「エネルギー」に、本能や「情(zyou)」を、しばらくの間は、横軸とする。



」は、「世界の人類の可能性」と「自分の可能性」を比べた時に発生する。

その「可能性の一致」は、量子力学から学んだ波束であると思えば面白い。

可能性が自分だけの場合は、一つの情(zyou)の波長で安定しているが、「世界の人類の可能性」を意識に入れると、不安定になる。

種々の可能性を取り入れた状態が、情(zyou)の波を重ねる事だ。

その波動の中に実体を求める事、情(zyou)を現実に把握する事が、「可能性の一致」であると思う。

可能性は、因果関係であり、物語である。

それは、量子力学が、時空の関係式で波動関数を表現して、それを「知識」だと言うが、それは、「因果関係」や「物語」と言う事と同じである。


可能性の波を飛ぶのは、情(zyou)である。

私は、「可能性の一致」は、情(zyou)の獲得であり、「欲」の表現だと思う。

その一致して実体が存在すると思って、安心して喜ぶのが「快楽」だろう。

「実体」により、電流が流れ、「 自意識 」などの精神的なものが、光速で、現実に「微笑み」として現れるかも知れない。

日本語では、「表」と「情」を並べて書いて、顔の表情の意味となる。

しかし、「実体」は無いかも知れない。

可能性が多いとは、欲も多い事である。

老人になれば、可能性も少なくなるし、欲も少なくなる。

若者は、種々の可能性が生む波長に情(zyou)を乗せて、観測する事が出来る。

これは、フィクションである。

また、後日、書きます。
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2008/9/24・私の想像(認識)

Yahoo USA が、「私の想像(認識)」を登録してくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkwVGPtlIcEwA9wNXNyoA?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%83%B3%E5%83%8F%28%E8%AA%8D%E8%AD%98%29%E3%80%80m24658&fr=yfp-t-501&ei=UTF-8

私の記事を登録してくれて感謝する。
世界の誰かが、私のブログを見ていると思うと、書く力が湧いて来る。

その意味で、Yahoo USA は、好きだ。

私の認識は、@如来様(nyoraisama)の「宇宙」A文明や文化など全ての「精神」の「世界」B私という「 自意識 」という基本の考えに、多少の肉付けをしただけである。

Aの「世界」は、Yahoo やGoogle の世界を意識している。
特に、Yahoo USA は、「社会」としての「世界」の代表として考えている。

「世界内自分」を考える時、私の個人的な空想が、全て、「世界」に吸収されて、私の内部は、貧しくなる。

しかし、熱意だけは失わない。

「量子の謎をとく・著者→F.A.ウルフ、訳者→中村誠太郎」の中で、ガリレオについて書いた箇所がある。
53ページである。

ガリレオは17歳の時、故郷ピサの教会で、振り子のように揺れているシャンデリアの動きが、自分の脈拍と同じ振動を繰り返す事に気づき、力学的な時計の原理を初めて発見した。時間は、あらゆる運動を測定するための不可欠な背景となるであろう。



自分の脈拍から、時間という概念が生まれて、現代の精度が高い時間が定義されている。

しかし、「時間とは何か?」という疑問は解決していない。

私の考えは、「空想」や「想像」で書いた。

私は、このガリレイの前の時代に戻り、「時間」に拘束されない「時間感覚」や「時間意識」を持つ事が、「人間性の復活」へと続くものと信じている。

だから、「主観的時間」について、書いた。

「認識」についても、哲学の本を読んだならば、その知識が、社会に適用される理論であるのが理想だ。

しかし、人間の「 SEX 」について、適用される哲学を私は知らない。

ネットの「世界」は、知識で満ちているのに、それを自分のために利用する哲学が無いと思う。

私は、若い時は、多くの本を読む事をお勧めする。

私は、本を読むのは、自分の可能性を拡げる事だと思う。
老人になれば、本を読む根気も視力も衰えるが、それを補うように、考える力は出て来る。
その時、勉強していない頭脳は、私のように、空転するだけである。

それも、如来様(nyoraisama)が私に与えた能力だから、不満は言わない。

今後の私は、カントもヘーゲルもマルクスも、キェルケゴールもハイデガーも考えなかった「 SEX 」について、考える計画である。


The day is short and the work is much.
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2008年09月21日

2008/9/21・私の想像(認識)

私は、哲学的な言葉を好む。
意味や意識や行為について書いてきたが、少しだけ整理をしよう思う。

地球が自転し、地球に住む生物は皆、変動している。
草も木も人間も、新陳代謝をしている。

人間は、心臓が動き血液が流れるし、呼吸をしているし、心電図や脳波があるから、電気が流れているだろう。

だから、私は、「 自意識 」は、電磁波の一種だと思っている。
認識は、頭脳の働きだろう。
脳についての科学の進歩を待っているが、私の考えを書こう。

何度も書いたが、行為が認識の先に発生すると思う。

脈拍や内臓の不随意筋の動きや呼吸が行為だとすれば、環境を認識する前に、行為が不可能なのだ。


私は、「禅」は知らないから、西田哲学の「行為的直観」は知らないが、行為が認識の出発点であると思う。

では、どのように事態が進むのか?

私の考えでは、「電気」が走り、「電場」と「磁場」が出来るように「 自意識 」が出来て、頭脳の中で、「認識」が始まる。

「 心 」が身体の外にあると書いたが、五感で情(zyou)を感じる時、身体の中に電流が流れると思う。

網膜に入った光や耳に入った音の刺激の大小が、頭脳に伝わる前に、電流が流れて、「同情」したり「憐憫」の思いなどの感情が発生するのだと思う。

「以心伝心」という言葉があるが、人間の態度により、「 心 」が伝わるのだ。
「以心伝心」を辞書で調べたら、テレパシーである。

「目は口ほどに物を言う」という言葉があるように、口で発声しなくても、目を見れば、「 心 」を読む事が出来る。

The eye is the window of the soul.

口から発した言葉の中には、「虚偽」が混入している。
真意は、既に外にある。

行為している自分を見ている自分がいる。
「自分は偽善者だ」と思う自分がいる。

言葉の分析は、川底の砂を水で洗って「砂金」を発見する事に似た方法であるが、我慢するのがAdalt だろう。

Every miller draws water to his own mill.
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2008年09月20日

2008/9/20・私の想像(意識と座標軸)

2008年9月19日、考えた事

私は、「 自意識 」は、光速で定義される現実面であると思っている。

その面は「認識の面」だが、面と面が電磁波のような構造で結ばれている。

「電場」の代わりに「空間」を、「磁場」の変わりに「時間」を置き換えて想像する。

つまり、面と面の間に自分の「時空」があると想像する。

「宇宙」に時間や空間が存在するから、受け入れるのではない。

自然法則の、時間と空間の関数は、自分の意識の中に「時空」が存在するから、理解する事が可能だと想像する。

「自分の時空」を光子のように伝わる物は、情(zyou)だろう。





2008年9月20日、考えた事

物理学が、何故、時間と空間の関数であるか?

私は、「認識の構造」自体が、時空を持っていて、そのサインカーブを描いて時空を伝わるのが、「情報」や「信号」という情(zyou)であると想像する。

その伝わる軌跡が、時間と空間の関数なのだ。
それは、可能性かも知れない。

その時空を、理論にしたのが相対論であり、量子力学である。

その理論は、物理学者の「自分内世界」の時空を表現し、実験で確かめられた因果関係なのだろう。

しかし、「時間」と「空間」に対する哲学的な基礎が無いために、哲学が無いという意味の「不確定性原理」やボーアの「相補理論」という哲学で終わるのが残念である。

時間と空間が補うから、頭脳の中で、サインカーブの交点として、時空を補って成立し、それが「認識」だと思う。
「観測」は、既に、補って成立した結果を見ているだけなのだ。


「時間」や「空間」の哲学の登場を待っている私である。

Every miller draws water to his own mill.
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2008年09月19日

2008/9/19・私の想像(意識の座標軸)

Yahoo USA が、「私の想像(意識の座標軸)」を登録している。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkw6KbtNItSMAt3ul87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%83%B3%E5%83%8F%28%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E5%BA%A7%E6%A8%99%E8%BB%B8%29&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

生まれた子供は可愛い。
Yahoo USA に感謝しよう。

私は、「 自意識 」は、光速で定義される現実面であると思っている。

その面は「認識の面」だが、面と面が電磁波のような構造で結ばれている。

「電場」の代わりに「空間」を、「磁場」の変わりに「時間」を置き換えて想像する。

つまり、面と面の間に自分の「時空」があると想像する。

「宇宙」に時間や空間が存在するから、受け入れるのではない。

自然法則の、時間と空間の関数は、自分の意識の中に「時空」が存在するから、理解する事が可能だと想像する。

「自分の時空」を光子のように伝わる物は、情(zyou)だろう。

情(zyou)とは、文化や文明の精神的な産物は全て含むと仮定する。

情(zyou)が、現実面の「 自意識 」に現れて、世界や社会と交流して、新たな力が生まれ、それが身体の心臓や頭脳の中に「電流」を流して、新たな電磁場を作ると想像する。

人間は、地球の自転により、常に行為を求められる。
行為が先で、考えるのは後なのだ。

行為が「電流」を起こして、新たな「 自意識 」へと進むという物語である。

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2008年09月18日

2008/9/18・私の想像(意識の座標軸)

Yahoo USA に、「私の空想(意識と座標軸)」が登録されている。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkju1NtJIDfkAHZNXNyoA?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%28%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E5%BA%A7%E6%A8%99%E8%BB%B8%29&fr=yfp-t-501&ei=UTF-8

「 自意識 」が電磁波に似た構造をしているなど、世界の中で、誰も思わないだろう。

この考えは、私が作った物語であり、私には、息子のような存在である。
我が子を愛するように、この物語を続けるために、新しいカテゴリーを作った。

私は、デカルトが言う「われ思う、故にわれあり」という気持ちで、「 自意識 」を考えたのではない。

夢から覚めても、自分は自分。
どんなに苦しい時も、楽しい時も、「自分」は「自分」。
万物は流転し、私の身体の血液も新陳代謝し、新しい自分になっているのに、まるで変化が無いように、「自分」は「自分」と認めている。

最初は、この構造は、循環しながら無限だと思った。

自分の脈拍の始めと終わりが判明しないのと同様に、生きている限り自分が自分に衝突して、自分を確認するのだと思った。

私が人間でなくて、手で触れると何時も存在する物体であれば、時間を超越する物として認識しても構わない。
私は、人間である。
老化、あるいは進化する動物である。


「存在」と「時間」を組み合わせた時、私は、「 自意識 」が電磁波のような構造だろうと思った。

それは、「 時間意識 」と「 空間意識 」が「磁場」と「電場」のように交互に現れながら前進する電磁波のような意識である。

当初は、「電場」も「磁場」のどちらの「場」が時間と空間か判明しなかったが、「電場」には三つの空間成分を持っていると本で読んだので、「電場」を「空間」やエネルギーの「場」として、「磁場」は、「時間」とする。

電磁波を生む電流は、如来様(nyoraisama)の心臓と頭脳が作るという物語である。

伝達されるのが「光子」であるとは思わない。
「 情(zyou) 」が伝達されるという想像である。



人間は誰も「 自意識 」を持っている。

これが、如来様(nyoraisama)の「宇宙」と「時間」を理解するための道具であるかも知れない。
人類の皆が、「時間」と「空間」を認識する事が出来るように、如来様(nyoraisama)が、誕生とともに人間に与えたのだ。

「時間」や「空間」を認識するのではなく、認識するように創られていて、生きている時に楽しみなさいという意味かも知れない。

風景を見ている自分の眼を見る事が出来ないように、如来様(nyoraisama)の「時間」や「空間」は、測定する事が出来ないかも知れない。

それが、「不確定性原理」として、逆らう事が出来ない定義になっていると想像する。

外を見るのではなくて、自分の認識過程を考える必要があると想像する。

Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 Y | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする