2008年10月16日

2008/10/16・私の悩み(意識は電磁波であるか)

Yahoo USA が「私の悩み(意識は電磁波である)」を登録してくれた。
Yahoo USA に感謝します。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkmnAufVItd4ARUml87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%82%A9%E3%81%BF%28%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AF%E9%9B%BB%E7%A3%81%E6%B3%A2%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%29&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

私の小さな記事が、Yahoo USA に登録された事は、世界の人が私のブログを見ている事だと解釈すれば嬉しい事である。

思った事。

不連続面と不連続面を、サインカーブで結合して連続しているように見える。

瞬間は、不連続面である。

人類は皆、生まれた時から、自分の可能性の範囲内での「時空間」という「宇宙」に匹敵する「意識の世界」を頭の中に持っている。

不連続面から不連続面へと、頭の「時空間」を伝わる物が「情(zyou)」であり、サインカーブの波が可能性かも知れない。

可能性は、精神的な物と物体の両方が融合した物かも知れない。


もう一つ思うのは、「空間意識」では、「現象」を見ているという事。

「現象」は、生き生きとして楽しいが、「本質」を把握しないと、不安になる。

しかし、「現象」の世界に住むしか方法は無い。

この世は「現象」だと受け入れて、所有する事に固執せず、「無常」を喜ぶのが良いかも知れない。

本当の認識の世界は、「 霊 」の世界かも知れない。

「空間意識」の中の、生命的、時間的な面がある。

「現象」としての人は物体として現われ、自分の可能性を拡げるように見えるかも知れないが、「他人を道具に使ってはいけない」と思う。

この考えは、後日、引き続いて記述するが、重要な考えだと思う。

家族が一緒に集まって、様々な可能性が生まれるかもしれないが、個人の人格を尊重して、「お金を稼ぐ道具」と思ってはいけない。

お父さんを、お金を稼ぐ動物だと思ってはいけない。

保険金目的の殺人事件が、後を絶たないのは、人を道具として自分の目的のために使っている人が多い事を示している。

以上の事は、「空間意識」だけで、認識は成立していないのに、一瞥しただけで、全てを知ったと思う人が多いのだろう。

時間、音、音楽、生命、精神、意識、の全ては、「時間意識」を持っているから、理解する事が出来ると思う。

「 自意識 」と無意識が「人間社会」の知識により、教育される。

何物かを知る事、つまり認識するためには、社会の知識を必要とする。

「自分」とは、「絶え間の無い自己意識」であり、他者は、「自分」の記憶のために一緒に住んでくれる住人である。

人を見ると、昔の「自分」を見る事が出来る。

「自分」の年齢ではなくて、他者に囲まれた若い自分を発見する。

ああ、私も老いた……。



Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  Z | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月15日

2008/10/15・私の悩み(意識は電磁波であるか)

私は次のように思う。

今、見ている、聞いている世界が、五感の世界が、頭脳で電気が走り、脳波が走っている内容だと思う。

頭の中で考える「世界」は、「意識」が作った世界であり、この「世界」には、物質は入らない。
この、見ている、聞いている、生き生きとした世界が、「現象」なのだ。
(「現象」については、ネットや辞書で調べてください。)

変換前の、脳波や電波を見る事が、可能性を見る事では無い。

この生き生きとした現象は、生きている喜びの世界だろうし、身体の外部からのエネルギーと、「主観的時間」、つまり自分の生命のエネルギーが出会い、衝突する現実の世界だと思う。

私は、自分の生命のエネルギーの一つに「 自意識 」を数えている。

その「意識」が、電磁波の構造を持つと言うのだ。

私の目的
私は、「認識」という出来事を知りたい。

例えば、TV番組で、ダウン症の子供を見ると仮定しよう。

私は、彼を見て、「自分は清らかな物を無くしてしまった」と感じた。

彼の、人を信じきった、他力本願の顔は、私の神仏に対する態度を反省させる。
彼の態度で、神仏に接するのが良いと思う。

彼は、障害と思われる自分の身体を、心が既に離れている事を示すような態度である。

所有に固執しない。

能力が無いから出来る事だと思うが、能力が有る身体が見習うべき態度である。

こんな感情が、私の身体の中に何故、発生するのか。
メカニズムを知りたいから、「認識論」を求める。

私は、自分が納得する認識論を求めている。

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posted by kandk55 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  Z | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/10/15・私の悩み(意識は電磁波であるか)

Yahoo USA が、「私の悩み(観測)」を登録してくれました。

Yahoo USA
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私が「意識は電磁波である」と言うのは、以前から書いているように、「意識を電磁波の構造に考えると面白い」と言うだけです。

どこかの集団のように、電極を頭に刺す事ではありません。

伝わる電気や磁気が、頭脳の中で「時空」を作っていると思うのが面白いと言うのです。

電気や電波が判明しても、それが何の証拠なのですか?
アルファ波でも、ベータ波でも構わないから、調べたいと思う人は調べてください。

何かの現象が判明するかも知れませんから、無意味とは言いませんが、それが、当のご本人の頭脳の中で、何を形成しているのかが、私の問題なのです。

また書きます。

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posted by kandk55 at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  Z | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/10/15・私の悩み(観測)

私が、「意識は電磁波である」と言う時、現実の「脳波」を言っているのではありません。

頭脳に電気が流れているのは、「脳波」かも知れないが、それは「現象」であって、見えない物は、サインカーブを描いて各自の「時空間」の中で、生き生きと景色を見たり、音を聴いているのです。

そのサインカーブが、意識のエネルギーであり、現実面に現われるのが印象という空間の意味だと思います。

不連続な瞬間が、次々に起こる事が、現象面では連続していると思うのです。

印象の残像が、連続させているのです。

「観測」も、人間が見ている限り、この事態の例外ではありません。

「観測」しない時は、連続しているように見え、「観測」した途端、時間と空間に分かれると思います。

「時間」の面に注目すれば、「時間」は不明で、空間のエネルギーしか判明せず、「空間」の面に注目すれば、エネルギーは不明で、「時間」しか判明しないのではないかと思います。

だから、同時に「観測」出来ないのだと思います。


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posted by kandk55 at 06:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  Z | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月14日

2008/10/14・私の悩み(意識は電磁波である)

Yahoo USA が、「私の悩み(可能性とエネルギー・脳波と心臓)」を登録してくれました。

Yahoo USA
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私のブログも、ついに自滅するか ??

この時、私は「脳波」について、ネットで調べました。

左脳は言語情報を処理し、右脳は、視覚情報を処理するという知識を得ました。

これは、私の「時間意識」と「空間意識」に対応するものだと思います。

「左脳」が「時間意識」で、「右脳」が「空間意識」なのです。

そして、瞬きする瞬間に、時間と空間が交互に現われて、認識が成立するのだと思います。

生まれたばかりの子供が、既に、「空間」も「時間」も知っています。

これが、「アプリオリ」「先験的」と言わなければ、何を先験的と言うのでしょう?


お釈迦様は、生まれたばかりなのに、「天上天下、唯我独尊」と申されました。

これを、「子供が空間や時間を意識する事」への驚きだと解釈します。

光電効果を知っていますね。

これで、アインシュタインが、ノーベル賞を貰いました。

頭脳が、「金属」で、それに光のようなエネルギーを当てると、「意識」が飛び出す。

なんと、素晴らしい!

意識は光なのです。

私も、ブログを書かなければ、こんな事は、一生の間、考えないでしょう。

パソコンに出会って(衝突して)知りました。

何かの出会いがあり、愛情という意識が飛び出す事もあります。

これからも、出会い(衝突)を求めて、生きて行きます。

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posted by kandk55 at 21:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 独り言  Z | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月13日

2008/10/13・私の悩み(可能性とエネルギー・脳波と心臓)

2008年10月13日、21時20分、現在のアクセス状況です。

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6 2008/10/13・私の悩み(可能性とエネルギー)  
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9 2008/10/12・私の悩み(可能性とエネルギー)  
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「私の悩み(可能性とエネルギー)」の閲覧に対して、感謝します。

これからの、暫定的な進め方を書きます。

今日、Wikipedia で、「脳波」を調べました。
「人や動物の脳から生じる電気活動」が脳波と書いてあります。

私は、これまで考えた「 自意識 」は、脳から生じる意識だと思います。

電気により、「電場」に相当する物として「空間意識」が生じ、「磁場」に相当する物として「時間意識」が生じると思います。

「可能性」は、心臓の鼓動よりも、脳波に関係が深いと思いますし、「エネルギー」も、身体から取り入れられたエネルギーが、どのように脳に与えられるかの問題だと思います。

「 心 」が、身体の外に存在するから、認識の時は、エネルギーを先に考えます。

意識や理論は、「心臓」で考えませんから、頭脳で考えます。

時間の意識は頭脳ですが、「主観的時間」は、「心臓」の鼓動で数えます。

「主観的時間」は、繰り返す事で、終わりも始めもない、生きている限りの生命のリズムで、主観的時間を区切るのは、精神です。

電気などのエネルギーの摂取は、食べ物や身体全体から取り入れるから、頭脳の「座標軸」とは直接に関係しないで、別に考えます。

頭脳は、エネルギーから影響を受けるが、平常の状態では、考慮せず、必要な時に考慮します。

認識の時は、最初に考慮します。

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posted by kandk55 at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  Z | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008/10/13・私の悩み(可能性とエネルギー)

「私の悩み(可能性とエネルギー)」が、Yahoo USA に登録されています。

Yahoo USA
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私は、可能性とエネルギーについて、確かな方向を持っていません。
ですから、私の悩みであるのです。
これは、フィクションで、冗談だと思って読んでください。

「 自意識 」の構造が電磁波のように「時間意識」と「空間意識」が交互に現れて、その交点が「認識」の現実の場所という考えは、私の考えで、皆さんには、全く参考にならないと思います。
ですが、私の考えが、以上のような展開ですので、続けます。

空間意識」での事物は生々しい現実味を持つ現象であり、未来の可能性は、背後の抽象的な時空の方程式であるだろうと思います。

他の事物との関係であり、情報の伝達手段は「 光 」でしょう。

意識の場合は、意味を事物と考えるならば、意味と事物から派生する社会的な因果関係の意識の関係だと思います。

本を読んで、因果関係を探るのは、「空間意識」だと思います。
想像した本の状況に、自分を置いて、自分の可能性を考える事だと思います。



時間意識」は、無意識との交流で、これも「光」かも知れないが、私は「 音 」だと思います。

「時間」は精神的で、言葉、音楽、物語など、「節」があり、伝達には順番に沿って積み上げてゆき、残像の上に新たな物を記憶します。

地球が回って、順番に、景色が変わっていくのが「時間」です。

「音」にはリズムや振動がありますが、人体の場合は、心臓の鼓動、呼吸などがあり、それぞれに周波数が違う波長が、人体に走っていると思います。

その、波長が重なる所に「 快感 」があると思います。

「音」は可能性ではなくて、「安心」や「満足」と言う生命の安定に関係すると思います。

意欲は、体内の波長に従うかも知れないと思います。



このように、従来の認識論とは大きく違った、私の考えです。

現在は、可能性もエネルギーも不明です。

Poor thinking is as good as no thinking.
posted by kandk55 at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  Z | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月12日

2008/10/12・私の悩み(可能性とエネルギー)

私は、以下の座標軸で考えている。

@如来様(nyoraisama)の「宇宙」
A意識と精神の「世界」
B電磁波の構造を持つ「 自意識 」

C光に乗った意識。
D「幽霊」になった自分。
E自分の外に「 心 」を持つ。

追加
F「空間意識」では、現象を見る。
G「感覚」により、エネルギーを取り出す。


「私の可能性」の記事に書いたように、人類は皆、生まれた時から持っている「 自意識 」の中の「時間意識」と「空間意識」という眼には見えない「時空間」の交点に「 自意識 」という「認識」が成立する。

「時間意識」は、無意識や「阿頼耶識」という、精神や「霊」と接する。

「空間意識」は、如来様(nyoraisama)の未知の存在と接する。


「 自意識 」を、現実面では不連続で、眼に見えない所で、連続していると考える。

現実面の「 自意識 」は、五感で認識される「自分」であり生き生きとしているが、「空間意識」の自分であり、本当の自分の現象面である。

生き生きとした「自分」という実体は、「空間意識」で把握されるから現象であり、「時間意識」により、未来の自分への可能性を生じ、更なる「認識」を目指す。

しかし、地球の自転上の自分が「光」に乗った最先端だから、将来の自分は、過去の体験から構成するしか方法は無い。

常に、過去に向かって、「光」を発するしか方法は無い。

そして、未来の自分を過去から構成する時、如来様(nyoraisama)から身体に与えられた「能力」を道具に使って、如来様(nyoraisama)の領域の「空間意識」から、エネルギーを取り出す。

エネルギーは、情(zyou)であり、情報である。

「能力」は「感覚」であり、「空間意識」に属する。

これは、「認識」という精神面だけを考えている。

精神面でも、「能力」や「感覚」という自分に固有の領域が、エネルギーを吸収して未来への可能性としているのだと思う。

横軸を、二重底だと考えているので、本格的なエネルギーの吸収や発散は、後日、書くことにする。

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posted by kandk55 at 07:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  Z | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月09日

2008/10/9・私の可能性(認識と人の住む世界)

2008年10月9日、20時00分、現在のアクセス状況である。

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8 2008/10/7・私の可能性(認識と人の住む世界.
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11 2008/10/8・私の可能性(認識と人の住む世界..
12 2008/10/5・迷惑メールの削除  
13 2008/10/5・私の可能性(座標軸U)

「私の可能性(認識と人の住む世界)」について、アクセスが多いのは、驚いた。


@自分が「 光 」に乗っている。

A自分は「 霊 」である。

B自分の身体の外に「 心 」がある。

この三つから、出発した。

私は、「空間意識」の中の、生々しい「現象」の裏の必然的な因果関係が「可能性」だが、人間の五感では、「現象」を見たり聞いたり触れたりする事が出来るだけで、一挙に可能性や本質を知る事は出来ないと思う。

それは、「時空間」を使って、考えたり反省したりすれば判明するだろう。

目の前の顔と自分の顔が向き合って話し合っても、相互理解しているのは、「 霊 」と「 霊 」である。

人を物質と見ている限り、本当のコミュニケーションは成立していないと思う。

「霊」だから、「本質」も「情(zyou)」も伝達して、理解が成立する。

眼や耳や鼻や口を閉じて、物質になれば、相手の「 心 」を知る事が出来る。

人間には空間が必要で、空間を広げるために、道具を使う。
あるいは、空間を自分の所有を現すために、道具で周囲を囲む。

その「道具」が「人」である場合は、悲惨だ。
内部の自分の代わりに、外を囲む道具の「人間」が殺される。
あるいは、内部の自分が、外部へ発展するために、外にいる道具の「人間」が殺される。

私は、憲法九条の「戦争放棄」は、広く解釈して、「暴力」による人殺しに反対する。

今、生きているのは、生々しい現象面なのだ。

そこで見ている人間は、物質にしか見えない。

本当の、「霊的」な人間として、見ていない。

見るのが無理で、見る事は不可能なのだ。

しかし、人間が物質だから、道具に使う必然は無い。

不可能だから、見なくても良いとは言わない。

五感に知られない物を、感じるしか方法は無いだろう。
それは、自分を、「霊」にしなくてはならない。


「認識」を考えると、認識が成立している世界は、「 仏画(butuga) 」で、雲に乗った菩薩が話し合う姿の世界だと思う。

その中で、最も尊いのが、如来様(nyoraisama)である。

見る方向を変えると、「 幽霊 」が話し合っているとも見る事が出来る。

ただ違うのは、光速の雲に乗っているのが、自分だという事。

生きていながら、「幽霊」となる事によって、「人と人との相互理解が出来る」と思う。


出来ないのでは無い。
出来る。
それは、自分を「 幽霊 」にすれば充分だと思う。

生きた眼は、物質しか見ないから、間違うのだと思う。


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posted by kandk55 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  Z | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月08日

2008/10/8・私の可能性(認識と人の住む世界と聖戦)

Yahoo USA が、「私の可能性(認識と人の住む世界)」を登録してくれた。

Yahoo USA
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私のブログを登録してくれて、感謝します。
アメリカの読者のために、考えた事を書きます。

現在、私の頭の中には、次の三つがあります。

@自分は、「 光 」の上に乗っている。

A自分は霊だ。

B「 心 」は、身体の外にも存在する。

@の「 光 」の構造から、「時間意識」と「空間意識」が交互に現れて、交点を作った所に「認識」が成立すると思います。

「時間意識」も「空間意識」も「私の」所有ですから、「主観的時間」の範囲内で成立するという限界があります。

「時間意識」については、別の記事を見てください。
「空間意識」について、「認識と人の住む世界」で述べた事に、追加します。

「可能性」を証明するのが、空間の幅だと仮定します。
一歩の前進が、その可能性の証拠なのです。
以前書いたように、可能性は不可視です。
空間の幅を拡げる目的で、例えば顕微鏡や望遠鏡という器具をつかうと、可能性が増すかも知れません。

人を見る場合、五感を使って人を知ります。
現実的な物は、「現象」であります。
生き生きとした他人の像は、自分の網膜に写った像です。
自分の想像も混入させても、その人の可能性や「霊」は見る事は出来ません。
自分が「 幽霊 」になった時、相手も「 幽霊 」であると知るでしょう。

だから、顕微鏡でも望遠鏡でも、どんな器具を使っても、「霊」の無い、物体の世界です。

可能性を拡げるために、「人間」を使うと考えるでしょう。
その人の目に写るのは、「物体としての人間」だから、これを「道具」にしようとするのは、他の顕微鏡などの器具を使うのと同じ感覚なのです。

ところが、これは大きな間違いだと思います。
昔、西洋に「 カント 」という哲学者が存在しました。
そして、「他人を道具にしてはならない」と言いました。

この「他人を道具にする」のは、自分の可能性を拡げるためだと思います。

私は、「空間意識」の中の、一つの物質としての人間を道具にする事だと思います。

しかし、「人」は物質だけでは無い。

「人の住む世界」は、如来様(nyoraisama)の物質と霊が構成しています。

人間は物質だけではない。

霊的生物です。


これは、非常に大切な事だと思います。

このように思わない人は、「 聖戦(ジハード) 」をテロとは思わない人だと、私は判断します。

人を道具にして人を殺す事が、神の喜びなのか、疑問に思います。

「神」は、自爆する人の中にも、存在するのです。

自爆を教唆する人の「神」が喜ぶために、自分が死ぬ事が正義だとは思いません。


「 子供を道具にする聖戦 」については、後日、書くでしょう。

カントは、それを否定しているのだと思う。

「他人を道具にする事」を良く、考えてください。
これは、東洋ではなくて、あなた達の、西洋の哲学者が、言ったのです。

また書きます。

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posted by kandk55 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言  Z | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月07日

2008/10/7・私の可能性(認識と人の住む世界)

Yahoo USA が、「私の可能性(認識・時間意識」「認識・空間意識)」を登録してくれた。

Yahoo USA
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小さな私の記事を登録すれば、Yahoo USA が汚れるのではないかと心配する。
その感謝の印に、もう少し、「可能性の認識」について、書きたい。

2008年10月6日の、「認識・空間意識の面」で、次のように述べた。

私の前方に、一歩進む事が可能だという事を「可能性」と言うかも知れないが、それは、「一歩」という空間で代表された「可能性」なのだ。

だから、「可能性」は、眼で見える物ではなく、現代物理学の、幾何学的な、確率的な方程式であるかも知れない。

2008年10月7日、考えた事。
自分の立つ場所から「一歩」進む事は、可能性についての自信が無ければ、困難だ。

しかし、地球上の人間は、常に行為を求められているので、「 心 」を「身体」から半分ほど出している。

「 心 」は意識の総体だが、自分の「身体」の外に「 心 」を置くと、自分の可能性を知る事が出来るかも知れない。

可能性を求めて悶え苦しむ自分が、その最中に自分の中に、可能性を発見するとは考えない。

私は、「 幽霊 」になりなさい、と言う。
「 守護霊 」でも結構だ。

「世界」とは、「意識や精神の世界」であり、それは網膜に写る像だろう。

五感で現実と感じる事が出来る「世界」が「空間意識」の世界であり、客観的な「世界」、誰も感じる「世界」だと思うが、それは、「人間が住む世界」では無い。

「人間が住む世界」は、物質と霊の「世界」である。
五感で獲得した「世界」を、「人間が住む世界」と考えてはならない。

生き生きとした現実は、現象である。
そんな言葉が、哲学に無かったか?

現実世界は、自分の五感で捉えた世界で、「可能性」が無い世界、物質世界の反映だと思う。

五感で捉えたのは、様々な制約や条件が存在した上での世界であり、本当の「人の住む世界」では無い。


「人の住む世界」

自分が、生まれた時から「時空間」を持っているから、学校で学ぶ「時空間」を理解する事が出来るように、自分が「 幽霊 」などの霊的な生物だから、人体という物質の他に、人の魂や霊を感じる事ができるのだ。

その結果として、感動する事や、「情(zyou)」を伝達する事も受け取る事が出来ることになる。

人と人が交信するとは、単なる「信号」の送受信ではない。

「以心伝心」も可能だし、「テレパシー」も可能だと思う。

「 幽霊 」を死後の世界と考えず、「自分が霊だ」と考えることをお勧めする。

@自分は、「 光 」の上に乗っている。

A自分は霊だ。

B「 心 」は、身体の外にも存在する。

私は、この三つを提案する。

物語は、自分についての物語だから、自分が生きている限りの物語、「主観的時間」を生きた軌跡という意味を、死後は残す事が出来ると思う。

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2008年10月06日

2008/10/6・私の可能性(認識)

「 自意識 」の「時間意識」と「空間意識」が交差する現実面を「認識」とした。

「時間意識」の面では、過去の体験の中に、未来への可能性を探した。

「空間意識」の面では、現実の世界ではなく、幾何学的な時空の方程式の世界を可能性とし、道具を使って可能性を見る事にした。

可能性は、不可視的な物で、昔の自分と今の自分を結んでいる。

私は、可能性は、エスカレーターのような物で、自分が何をしなくても、階上へ運んでくれるが、階上には何があるかを保証しない物だと思う。

世界の誰もが、同じエスカレーターに乗っている。

地球の上に住んでいる事が、同じ型の、一つの可能性の上に乗っているのかも知れない。

階上に何が有るのか知っている者には、可能性は面白くないかも知れない。

しかし、人生では、階上が何階で、何が有るのか知る事が出来ない。

そして、私たちは、何階で、突然、消滅するかもしれないエスカレーターに乗っているのだ。

あるいはエレベーターがお好きなら、いつ綱が切れるか分からないエレベーターに乗っているのだ。

現実は、思考実験などでは無いのだ。

ただ、相対論などの時空の方程式は、何時、何処でも適用される道具としての人類の宝である。

その方程式を、古典物理学に適用するように、自分が所有すれば、自分の可能性が広がったと言えるかもしれない。


なぜなら、原爆のように、如来様(nyoraisama)の領域のエネルギーを、自分の力にするのだから。


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2008/10/6・私の可能性(認識・空間意識の面)

私は、「 自意識 」を、電磁波の一種だという考えは維持したい。

つぎに、「空間意識」の面の認識だ。

古典物理学は、具体的で現実的だという印象がある。
それに比べると、アインシュタインの「相対論」は、抽象的だ。
幾何学と時空の方程式の理解は不可欠だろう。

私は、その抽象的な理論を理解する事が出来なかったが、「 光 」に乗っている人間を想像した考えに、私は賛同して、「 自意識 」を電磁波の一種だとした。

空間意識の認識だが、この「古典物理学」が、私の「空間意識」で、「知識」が、「相対論」に代表される現代物理学だと思う。

一瞬の間で、私が見るのは、現実の世界であり、方程式ではない。

眼で見ている世界が、「空間意識」であり、古典物理学に代表される、現実味のある具体的な世界だ。

「空間意識」の平面を「電場」と考えるならば、場に三つのベクトルを持つ事は、現実に見ている世界に適用される。

見ているのは、「空間意識の世界」なのだと思う。

私の前方に、一歩進む事が可能だという事を「可能性」と言うかも知れないが、それは、「一歩」という空間で代表された「可能性」なのだ。

だから、「可能性」は、眼で見える物ではなく、現代物理学の、幾何学的な、確率的な方程式であるかも知れない。

仕事をする力で、仕事の結果は眼で見る事が出来るが、仕事のエネルギーを、眼で見る事が出来ない。

測定器を使う事は、「可能性」を増す事かも知れない。
道具で、空間を広げるのは、「可能性」の力かも知れない。

空間意識では、この「道具」について、可能性を高める物として、注目したい。


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2008/10/6・私の可能性(認識・時間意識の面)

Yahoo USA が、「私の可能性(アウトライン)」を登録してくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0geu7hy3elIz3EAo6Cl87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7%28%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%29&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

こんな小さな記事を登録してくれて、ありがとう。

私は、言いました。
知識を求めるならば、このプログから去れと。

Yahoo USA は、私の自滅を待っていると思うが、今日は、新たな展開となり、本当に、自滅してしまうかも知れない。

それは、「 自意識 」の構造の「時間意識」と「空間意識」についての展開である。

「時間意識」の面では、私は、光の上に乗っている人間を想定している。

自分より未来に光は無く、過去に向かっての光があるだけだ。

「光」とは、交信手段である。


前方の未来に向かいながら、前方の背中を向けて、後方と交信するのは、ロケットの噴射のように前方へ進める物を探しているのかもしれない。

その前方へ進めるのは、「可能性」かも知れない。

後方と交信するとは、時間軸の存在方向である過去の体験の中に、同じ物の存在を照合すること。

時間の流れと反対方向だから、数学的には虚数や複素数となるのも理解できる。

時間軸を、常に、光速で遡っているのが「時間意識」の側面での認識だろう。

歴史的認識だ思う。

これは、社会的な意味を知る事と同じ事だから、普通に学校で意味を勉強しているのは、過去の体験を遡る事、つまり「時間意識」で、未来を認識するために、力を養っているとも言える。

「可能性」を養っているのだ。

人は、瞬間的に、過去の「阿頼耶識」を探しているのだ。

これは、今の考えである。

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2008/10/6・私の可能性(アウトライン)

私が、現在、思っている事は、次のとおりです。

@本を読んだり、音楽を聴いたり、芸術的な事をして、無意識の能力の開発をして、自分の潜在的能力を高めた方が良いですよ。

A行為は、意識的行為とは限らないから、無意識の行為をしても、後悔しないように、無意識を鍛錬した方が良いですよ。

B一瞬の「 今 」に、周囲を光速で見渡すと同時に、光速で自分の過去からの足跡を振り返るのが「認識」だから、自分の体験が良い体験である方が良いですよ。
今からでも、良い体験をするように思った方が良いと思います。

C「社会」が定義した「時間」の束縛から逃れて、自分の「時間」を持った方が良いと思います。
物理学の発展は歓迎しますが、個人的には、ガリレオにより物理学が始まる前の、自然に対して畏敬を持つ人生観を持った方が良いと思います。

D私のように、死ぬまで時間が少ない人は、後悔しないように毎日を過ごしてください。

E私が書くのは、フィクションで、間違っているに決まっているから、自分で考える習慣をつけた方が良いですよ。

現在は、以上の事を考えています。

ここまで来て、「了解」した人は、他のブログを見てください。



これから、暇つぶしのために、「私の可能性」を書きますが、そのアウトラインを書きます。

私は、本に書いてある「認識論」に不満があります。
これも、老人になったためか、自分の考えに固執してしまいます。
若い人は、批判的に読んでください。

私の考え

私は、「世界」は「意識の世界」であり、「意識」は「 光 」のような電磁波の構造をしていると思っています。
人は、子供でも大人でも、皆、「光」であり、仏陀やキリストのように、背後に光の輪を持っている。
自分は、それぞれ自分の「時空間」を持っているから、「社会」が言う「時空」を理解し、情報を交換している。
そして、自分の体験は、眼には見えないが、四次元の軌跡を描いている。
その方向は、「運命」とか「宿命」とか言うものだろう。
私は、間違っていると思いますが、以上の考えで書きます。


アウトライン

「認識」を考えて、「無意識」の層を考えて、獲得した「情(zyou)や因果関係や物語」の衝撃を考えて、自分の思考回路を「飛躍」させる可能性を考えて、それが現実面に現れる事態を考えます。

これは、全てフィクションであり、何の根拠もありません。
興味を持たれたら、他のブログみたり、本を読んだりして、自分の潜在能力を開発してください。


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2008年10月05日

2008/10/5・私の可能性(座標軸U)

「私の可能性(座標軸)」が、Yahoo USA に登録されています。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0geu5aTmOhILcsAP4Sl87UF?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7%28%E5%BA%A7%E6%A8%99%E8%BB%B8%29&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

アメリカは、可能性について関心があると思う。

それとも、私のブログの自滅を待っているのだろうか?

いずれにしても、少し補足が必要だった。

「私の可能性(座標軸)」は、横軸の「エネルギー」や「阿頼耶識」という無意識の領域、如来様(nyoraisama)の領域を簡単に書いただけである。

阿頼耶識

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%A0%BC%E8%80%B6%E8%AD%98


縦軸の精神の部分の「時間意識」も「空間意識」も、すべてが「主観的時間」を限度としている。

「主観的時間」とは、生命体のリズムだと思う。


「可能性」だから、何かと比べて、現実化するエネルギーだと思う。

比べる対象は、「 自意識 」の「時空間」の中に入って来る因果関係や物語や情(zyou)と、自分が持っている現在の物語である。

もう一つは、まるで幽霊のように「 心 」が、身体から半分は出ていると思っている。

このフィクションは、後日、書く。

私は、法律科専攻の退職に近い老人で、最新の理論ではなく、「量子論」の初めの頃の考えが好きな老人だから、間違った考えだと思うが、好きだから書くことにする。

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2008/10/5・私の可能性(座標軸)

「私の空想」と「私の想像」の要点を、Yahoo USA が登録してくれた。

Yahoo USA
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkxdHv.dIltoAhvil87UF?p=%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%83%B3%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%83%B3%E5%83%8F%E3%80%8D&ei=UTF-8&iscqry=&fr=yfp-t-501&fr2=sfp

私は、Yahoo USA に登録されると、「世界」を意識してしまう。
法律科卒業の私が、「世界」の皆さんの考えに貢献する事が出来るとは思わないが、「世界」の読者のために、「私の可能性」について、書こうと思う。

物理学、心理学、哲学などは、全く勉強していない。
自分の考えだから、勿論、独断も偏見もあるので、知識を求める人は、他のブログを見る事をお勧めする。

縦軸による認識
私は、「 自意識 」と「主観的時間」と「時間意識」と「空間意識」を縦軸にして、「エネルギー」や「情(zyou)」を横軸にしたが、横軸は二重底として考えた。
「空間意識」は、横軸のエネルギーに影響されると考える。

縦軸の、「 自意識 」の構造である「時間意識」とエネルギー的な「空間意識」が、現実面に現れた時、「世界内自分」の範囲の知識の「認識」と考える。

縦軸の範囲内で、精神的な認識は成立すると考える。

縦軸も「主観的時間」、つまり個人の「 今 」の区切りの範囲内で成立すると思う。

横軸の構造
横軸は、「認識」の結果、電流というエネルギーを引き起こすと考える。
それは、人間は電気的な存在と思うからである。
横軸も、「 意識 」であるから、エネルギーの中でも電磁波的な構造を持つと考える。

私は、「可能性」を自分の潜在的な能力を、現実面に現す力の有無と考える。

実現力の有無だろう。

「能力」の有無は、「 意識 」だから、電磁波的な構造をもつと思う。
縦軸に「 自意識 」から派生する「 実現する自信 」。
横軸を「 潜在的な能力 」として、「無意識」の領域、如来様(nyoraisama)の領域を考える。

「認識」した場合、「自分内世界」で、自信から派生する積極的な考えによるエネルギーと、自分の「潜在的な能力」に自信が無く「無為」という消極的な考えによるエネルギーが、「時間」と「空間」のように交互に現れて、交点に「行為」が成立すると考える。

地球が自転し、常に行為を求められるが、「 心 」つまり意識全体が、どちらかを支配するエネルギーにより、現実面で、「認識」する前に「行為」として現れると考える。
「行為」しながら、「認識」するのだと思う。

私は男性であるから、SEX の場合、情況の認識後、penis を勃起させるか否かを、例として考えている。

縦軸の構造と横軸の構造を結ぶのは、「主観的時間」であり、それから派生する「 自意識 」と「 自信 」であると考える。

空間に広がるエネルギーの中から、積極的なエネルギーを採用するのか、消極的なエネルギーを採用するのかは、「自意識」と「自信」によると考える。

何を原因として、「潜在的な能力」から、「実現の自信」が生まれるかを、「私の可能性」として書くので、興味が無い人は、無視する事をお勧めする。


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2008年10月04日

2008/10/4・「私の空想」と「私の想像」の要点

「私の空想」と「私の想像」を、現時点で総括する。

@如来様(nyoraisama)の「宇宙」A精神世界B自意識と分けて考える。

「相対論」や「意識の座標軸」や「 自意識 」について書いたように、私の「時間」や「空間」についての考えを繰り返す。

「相対論」は、「主観的時間」を「社会的」に定義しただけで、「時間」や「空間」の存在論ではない。
それは、形而上学として、哲学に任せたのだろう。


私は、物理学者ではないから、「時間」や「空間」の存在論を書く。

それは、「 自意識 」で述べたように、「 自意識 」の電磁波的な構造で、人間は生まれた時から、自分の「時空」を持っている。

アインシュタインは、亡くなる直前に

「そのパラドックスは光線のビームを(真空中の)光速度c で追いかけると、その光線ビームは、静止した、空間的に振動する電磁波としてみえるはずというものだった」

と回想しているが、(→光で語る現代物理学・74ページ)、私の考えでは、自分の「 自意識 」は、電磁波として、「社会」の他人の電磁波を見ているとなる。
「 自意識 」は光速で進んでいる。
「振動する」と言う事は、今後、述べる。

「時間意識」と「空間意識」であり、光速で交互に現れるから、意識する事が出来ないのだと思う。

地球が自転するから、個人は地球の中心から見れば、464m/秒で動いているのであり、その空間移動の意識が「時間」なのだと思う。


量子力学では、その「意識」を観測しようとするから、不可能なのだ。
「時空」の哲学が無い事を、「原理」として考えないのが量子力学である。


「相対論」も「量子論」も、統一した「時間」や「空間」は無い。
時空は、「了解」の押し付けである。


そこで、私は、「意識の座標軸」として、「主観的時間」と「 自意識 」と「時間意識」と「空間意識」を縦軸として、エネルギーや「情(zyou)」を横軸にして、そのサインカーブの交点が現実面の「認識」であり、無意識の部分も含んで人格として現れると考えた。

「時間意識」と「空間意識」は光速で交互に現れるから、「時間意識」だけ、「空間意識」だけは、認識する事が出来ない。

ボーアの言うように「相補原理」として、混じり合った時に認識できる。

というのが、私の当面の結論であるが、この「横軸」の「エネルギー」と「情(zyou)」を、今後、修正する。
「相対論」のもう一つの、エネルギーについて考えなくてはならない。

これは、次のカテゴリーの「私の可能性」で述べる。

The day is short and the work is much.
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