2009年04月09日

2009/4/9・創作3(私の電離層) 脳

2009/4/8、考えた事。

意識を「 意思 」、物理的刺激を「 形態 」、記憶を「 機会を保存する脳 」と考える。

 人間には、現時点で、意味がある「形態」を、時間に可逆的な状態の「 意思 」として、「 機会を保存する脳 」がある。

それは、時間に不可逆な「 意思 」と「 形態 」を一体にした状態を、新たな状況に適用するために「 機会を保存する脳 」である。

それは、生命体を新たな状況に適応するための頭脳の力である。

2009/4/9,考えた事。

私は、「 意思 」と「 形態 」は「 文化 」であり、進展させるのが「 機会の中で拡大する脳 」であると考える。

「意思」と「形態」と「機会の中で拡大する脳」に対応する、頭脳の中の臓器を考えた。

思考や論理に関係する「 左脳 」は、内部で時間意識を生み、外部では「 意思 」を表現すると思う。

芸術などに関係する「 右脳 」は、内部では空間意識を生み、外部では、「 形態 」を認識すると思う。

「 機会の中で拡大する脳 」の存在箇所は、「 脳梁 」であると思う。

「 脳梁 」は、左右の脳の間の交信を可能にする所であり、「 意思 」と「 形態 」を変化させる事が可能だと思う。


左右の脳を連結する束であり、左右の脳の神経の束である「 脳梁 」が、「 機会 」に対応して、左右の脳を交信させて、脳をリラックスさせて、脳の力を拡大させると思う。

私は、音楽を聴きながら考えるなど左右の脳をリラックスさせて考えるのは、「 脳梁 」を使っているのだと思う。

私は、意識は電磁波の構造をして、「時間意識」と「空間意識」がサインカーブを描いて交わると書いた。

それは、「 左脳 」の「時間座標」と、「 右脳 」の「空間座標」が、「 脳梁 」を共通の軸として、サインカーブを描いて「脳梁」で交点を作り、交点に対して、座標を「反対称」に回転させて「 認識 」に到達すると書く。

私は、「 弁証法 」を知らないが、「 弁証法 」を知らなくても、意識は、電磁波の構造で、「 定立 」から不連続な「 定立 」へ向かうと思う。

「 定立 」する所は、認識が成立する「 面 」であると思うが、「 点 」でも「 束 」でも賛成する。

「 点 」が「 粒子 」であっても賛成する。

認識という「 粒子 」が連結して「 脳梁 」のように、「 線 」や「 束 」となったものが、意識的には「 物語 」で、神経的には「新たな脳細胞の誕生」であるかも知れない。

「左脳」と「右脳」と「脳梁」が、三位一体となって働いた結果が、「 文化 」である。

この事は、瞬間的に行われ、しかも自分の脳を分析する事も出来ないから、私の考えは、何の根拠も無いフィクションである。





「脳梁」(Wikipedia から引用する)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E6%A2%81

機能
脳梁線維は交連線維であり、ある皮質領域から対側の同じ領域または対側の異なる領域へ信号を送っている。

脳梁の部位と、そこを通る神経線維が結合する脳の部位は、ある程度位置的に対応している。

例えば脳梁前部(脳梁膝)は左右の前頭前野を、中部は左右の運動領域を、後部は左右の視覚野を結ぶ線維からなっている。

左右の半球で連絡の多いところと少ないところがあり、たとえば手足の知覚領域は半球間の連絡をまったくもたないが、視覚連合野は左右で密接に連絡している。

(引用を終わる)
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2009年04月08日

2009/4/8・創作3(私の電離層) 記憶

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2009/4/7・考えた事。

@感覚器官は、物理的刺激と意識の両方を取得する。前者は物理学の世界であり、後者は、哲学の世界だろう。

A物理的刺激の大小は、意識には反映しない。

B両方を仲介するのは、「記憶」という形態を結ぶ「感受性」である。

C物理的刺激を実体化するのは「意識」であり、形態に関しては、前者は可逆的であり後者は不可逆的だが、時間は前者が不可逆であり後者は可逆的である。

D時間は、意識にしか存在せず、過去や未来は意識の産物である。

E過去や未来は、現在の「 感受性 」が働く範囲で「意識的」であると思う

F意識や無意識の中に、保存されるのは「時間」ではなくて、「意味ある形態」であり、内在的な時間などは存在せず、「時熟」という言葉も、現在の私は考えていない。



2009/4/8・考えた事。

@については、物理学者も哲学者も、頭脳や意識について、もっとWikipedia などで、情報を公開して欲しい。

それに加えて、脳科学や認知科学も、情報を公開して欲しい。


Aについては、少し安心する。

意識の内容が金銭で取得されるなどは最悪の事態である。

栄養を豊富にすれば、意識が向上するなど、最悪である。

食は貧しくても、意識を改革するような人が現れる事を期待する。


Bについては、記憶は、意識的、無意識的を問わず、体験から「意味ある形態」を抽出して、保存すると思う。

私は、「記憶」を植物の根のようには考えない。

能力も、植物が持つ力と似た発想はしない。

能力は、「頭脳」の「力」であり、状況に応じて変化すると思う。

現在に対して、可逆的な意味ある形態が保存されるのが意識の層であり、意味の連関から可逆的になるのを無意識の層だと思う。

昔、記憶した物事が、木の芽のように自然に成長して現在に現れたりしないと思う。

現状と過去の状況を比較する意識があるから、昔の記憶が現在に現れる。

意識は、「今」、存在し、時間も「今」存在する。

「記憶」は、意識によって、生かされる。

私は、「記憶」は、「文字や物体の形を頭脳に刻んで覚える」のではなく、「過去の意味ある形態から、現在の状況に適応する形態を感じる感受性 」だと思う。

過去の経歴を知っても、現状は、常に新たな状況なのだ。

地球は自転し、無常である中で、適応して安定するのが「記憶」の力だと思う。


私は、「記憶」を「 機能 」と似たように考え、「機会の中の頭脳の力」であり、現状で古い物とは違う「新しい物を発見する力」と同義に考える。

物理的には、「記憶」は「覚える」事だと思うが、意識として「新しい物の発見への感受性」であると考える。



Bについて、物理的刺激を実体化するのは「意識」である。

「形態に関しては、前者は可逆的であり後者は不可逆的」というのは、意識は頭脳の中に隠れている時に「意識」と呼ばれ、「形態」になった時、意識は、現れたのであるが、意識の本体は既に存在しない。

意識を取り出して、「さあ、これですよ」と見せる事は出来ない。

「だが、時間は前者が不可逆であり後者は可逆的である」というのは、物理的刺激は、エントロピーの関係で、時間には不可逆である。

それに対して、意識は、「 時間対称性 」を持つ理論が正しいと聞く。

天体の運動に、人間の時空は必要でない事を考えると、時間だけでなく、言葉や意識を無視する事が出来る理論が真実かも知れない。


CとEについては、「記憶」の所で書いた。

Fは、人間を「樹木」のように考えない事から、記憶力も能力も、内在する時間も、植物的には考えない。
内容は、前述した。


そして、次のように考える。

意識を「 意思 」、物理的刺激を「 形態 」、記憶を「 機会を保存する脳 」と考える。

 人間には、現時点で、意味がある「形態」を、時間に可逆的な状態の「 意思 」として、「 機会を保存する脳 」がある。

それは、時間に不可逆な「 意思 」と「 形態 」を一体にした状態を、新たな状況に適用するために「 機会を保存する脳 」である。

それは、生命体を新たな状況に適応するための頭脳の力である。

間違いかも知れないが、要約する。

Every miller draws water to his own mill.
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2009年04月07日

2009/4/7・創作3(私の電離層)意識

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


私は、「 機能 」を「 機会 」の中の「 頭脳 」と拡大し、感覚器官は、物理的刺激の他に、社会的な「 意識 」も取得すると思う。

感覚器官は多数あり、物理的刺激を流すのが神経であり、意識は電磁波として発生する。

それは、「 雷 」のように、雷光と雷鳴とエネルギーを伝達する。

雷光は、意識として、媒体も無く伝達され、雷鳴は空気が媒体として必要なように、神経を媒体として必要とする。

物理的刺激は、繰り返す事により、新しい刺激に細胞を順応させ、神経突起として自己増殖するだろう。

しかし、それは、「 意識 」の進展には関与しない。

両者の進展の「 機会 」が違うのだ。

意識の進展は、絶えざる「今」に対して、意識の可逆性により、現在を通過した意識の残影と照合して、自分を確立し、新たな「今」に対して形態を作る。

意識が、感性から悟性、理性と進展するのは、意識と直結した行動という形態の進展を伴うが、それは物理的刺激とは因果関係は無いと思う。

物理的刺激は、社会的であるのに対し、意識は個人的であるからだ。

両者の進展を仲介するのは、「 記憶 」だと思うが、私は「 感受性 」という拡大された機能であると思う。

「記憶」は、刺激に対する神経の回路で、頻繁に使う因果関係を形態化したもので、反射神経と言うように、意識を経る事なく、意思が行動に直結するという無意識の形態化を可能にする。

私は、信号の受け取りが可能な事が「意識」の特徴だと思う。

それは、意識が「過去」と区別する形態に対して発した信号を受け取るのは「 感受性 」であり、その存在を「意識」の特徴とする。

「感受性」には、時間は存在せず、個人的には「智慧」であるが、意識が社会的だから社会的な「 感受性 」も存在するだろう。

無意識の行動は、社会的な「 感受性 」によると思う。
世間の風潮に合った行為などが、その例と考える。

現在と過去と未来の区別は、意識の働きであるが、時間は「現在」にしか存在しない。

過去や未来は、現在の「 感受性 」が働く範囲で「意識的」であると思う。

意識や無意識や記憶は「内なる宇宙」であり、時間は「虚時間」である。

私は、意識も無意識も、「 虚時間 」の「 内なる宇宙 」であるため、時間により区別する事は出来ず、「今」という瞬間に「 感受性 」が働くか否かで区別する。

「虚時間」というのは、現在の座標を、「 反対称 」にした座標の世界であり、物体の時間であり、現在の時間意識を人為的に加工した時間であり、計測が可能かも知れない。

物理的刺激と意識を同時に取得するから、「 心 」が身体の外に存在しても、「 痛み 」や「 悲しみ 」あるいは「 喜び 」などの「 意識 」を取得する。

物理的刺激は、意識と共に、物体の認識へと私を導く。

前者は、認識の骨格とも言える形態を取得し、後者は、それを実体化すると思う。

前者は、心理的時間とも言える不可逆的な「時間意識」で、感覚器官による無意識の「 層 」として、沈殿するし、身(身体)や口(言葉)や意(意識) が体験として表現した形態も、「意味ある形態」として沈殿するだろう。

物理的刺激は、「意味ある形態」として、意識的にも無意識にも、保存されると思う。

後者の意識は、現在の時間意識と空間意識を座標として、物体を実体化し、行動と直結した「 機会 」の中の、発生した経路を問わない現実の「 層 」であり、「 感受性 」による信号の伝達可能性を特徴とする。


@感覚器官は、物理的刺激と意識の両方を取得する。前者は物理学の世界であり、後者は、哲学の世界だろう。

A物理的刺激の大小は、意識には反映しない。

B両方を仲介するのは、「記憶」という形態を結ぶ「感受性」である。

C物理的刺激を実体化するのは「意識」であり、形態に関しては、前者は可逆的であり後者は不可逆的だが、時間は前者が不可逆であり後者は可逆的である。

D時間は、意識にしか存在せず、過去や未来は意識の産物である。

E過去や未来は、現在の「 感受性 」が働く範囲で「意識的」であると思う

F意識や無意識の中に、保存されるのは「時間」ではなくて、「意味ある形態」であり、内在的な時間などは存在せず、「時熟」という言葉も、現在の私は考えていない。

Every miller draws water to his own mill.

そして、

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2009年04月06日

2009/4/6・創作2(私の電離層)知覚とは

今朝、書いた私の記事が、第5位で閲覧されています。

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私の記事は平凡なフィクションです。


仏教に関しては、「半覚斎さん」がブログで詳しく書かれています。

検索してご覧になれば、ヒューマニズムを感じる事が出来ると思います。

今、私の中に存在するのは、「 感動よ、ありがとう 」という気持ちです。

感動とは何だろう?


この感動についての考えが、私のブログの空中分解を防ぐと思います。

また、後日、書きます。

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2009/4/6・創作3(私の電離層の意味)知覚とは何

私の記事を、Yahoo USA は、掲載して、その後の進展を催促している。

Yahoo USA 「 創作3(私の電離層の意味)知覚とは何」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkjv1_dhJJFQAOFdXNyoA?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E9%9B%BB%E9%9B%A2%E5%B1%A4%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%80%80&fr=yfp-t-501

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


「 知覚 」(Wikipedia より引用する)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%A6%9A

知覚(ちかく)とは、動物が外界からの刺激を感じ取り、意味づけすることである。 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、体性感覚、平衡感覚などの感覚情報をもとに、「熱い」「重い」「固い」などという自覚的な体験として再構成する処理であると言える。

(引用を終わる)



2009/4/6・考えた事。

私の記事は、フィクションである。


私は、宇宙は一つの原理があり、その原理に逆行する物は、消滅すると思う。

だから、何処から物語を始めても、一つの原理に届くと信じている。

私が書く記事は、原理を求めるフィクションである。

私は、「ビッグ・バン」理論には賛成せず、「 プラズマ宇宙論 」を支持すると書いた。

それは、「ビッグ・バン」の開始も、「プラズマ宇宙論」の開始も、想像の産物であり、どちらを「 原理 」と考えるかは、個人の自由だと思う。

科学者は、「ビッグ・バン」理論だと思うが、「ビッグ・バン」を信じる事実は、「プラズマ宇宙論」の一形態かも知れない。

私は、人間の身体を、「 宇宙の塵 」が、プラズマ状態の「 意識 」を持った生命体と考える。

「人間の身体」
「 記憶 」とは何か。
「 記憶 」と時間。
「 記憶 」と知覚。
「 認知 」

これ等の「 創作した物語 」に突入する。


これはフィクションである。

根拠を求められると、非常に困る。

プラズマや虚時間や「意思は形態である」などの私の道具で、どこまで書く事が出来るのかについて、私は知らない。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 04:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月13日

2009/3/13・創作3(時空意識とプラズマ振動)2

間違った考えかも知れないが、私の考えを書くしか方法は無い。

私だけが想像した考えで、他の人は、決して想像も出来ないと思う。

私は、プラズマ振動を、「意識の電磁波」に還元する事を考え、最後に、「 普通の時間 」と「 虚時間 」の時間意識のサインカーブと、「 普通の宇宙 」と「内なる宇宙 」の空間意識のサインカーブが、「プラズマ振動」をサインカーブに変換すれば似ていると訂正したいが、Stop(止めた)した。

間違った道を進むのも、人生である。

意識の電場と磁場は交互に現れるが、プラズマ振動は、電場の考えだと思う。

電場が複素数にならず、振動して、その波長が、意識の電場となって、電磁波を作っていると想像する。

意識が生まれるのは、この「 プラズマ振動 」で、それは複素数で表現されず、常に現実面に存在すると考える。

意識の「 虚時間 」や「 内なる宇宙 」に及ぼす力線や形態が、この「 プラズマ振動 」だと思う。

宇宙に原理は一つ。

私は、「 プラズマ宇宙論 」を採用し、人体の全ては、プラズマにより形成され、神経が「フィラメント構造」の物と思う。

神経を伝わる刺激が、プラズマを流れる「電流」であると想像し、流れる物は「電流」であり、派生する物が意識であり、これは、「電流」が作る「磁場」と同じだと思う。

人体は、「プラズマ宇宙論」の一つの作品であり、常に「清らか」であり、人体を維持する「本能」も、「清らかな物」であると考えている。



Every miller draws water to his own mill.

いや、これだな。

Poor thinking is as good as no thinking.



2015/4/2、私の現在の考え 14・流れるものと派生するもの・三身即一へと続く
posted by kandk55 at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009/3/13・創作3(時空意識とプラズマ振動)

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

私は、2009/1/24〜2009/1/30 の間で、「ビッグ・バン」理論ではなく、「プラズマ宇宙論」を採用すると書いた。

私は、意識は電磁波(光)である事を、このブログで考えている。

その一環として、前述した「普通の時間」と「虚時間」という事を考えたし、その延長で、私の身体にプラズマの要素を含んで考える。

これは、全くの「創作」であり、夢である。

まず、Wikipedia から、引用して、それを解釈する。

プラズマ振動 (Wikipedia より引用)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%9E%E6%8C%AF%E5%8B%95

プラズマは正の荷電をもつイオンと負の荷電をもつ電子との混合物であり、全体として電気的中性が保たれている。
 
そこである場所の電子集団が局所的に動くとそこで電気的中性が破れて電荷密度を生じ、電子を引き戻す方向に電場を生ずる。
 
イオンは電子より質量がはるかに大きいので、電場によって加速されるのは電子だけである。
 
こうしてその電場により電子群が動いて、電気的中性を取り戻す。
 
しかし、電子には慣性があるので、中性を取り戻した時点では止まらず、逆の方向に行き過ぎる。
 
そこでまた中性が破れて電場が生じ、また電子群が引き戻される。
 
かくして電子群の往復運動、すなわち振動が起こる。
これは巨視的には電荷密度の波動となる。
 
これがプラズマ振動である

(引用を終わる)


私の解釈


私は、以前、意識を電磁波として考えて、「電場」を「空間意識」と考えて、「磁場」を「時間意識」と考えた。


「プラズマは正の荷電をもつイオンと負の荷電をもつ電子との混合物であり、全体として電気的中性が保たれている。」

これを、私の場合、「普通の時間」の座標の中の電子と解釈する。

「そこである場所の電子集団が局所的に動くとそこで電気的中性が破れて電荷密度を生じ、電子を引き戻す方向に電場を生ずる。

イオンは電子より質量がはるかに大きいので、電場によって加速されるのは電子だけである。
 
こうしてその電場により電子群が動いて、電気的中性を取り戻す。」 


これを、「普通の時間」、「普通の空間」と「虚時間」、「内なる宇宙」との交点で働く、「 機能の増大 」により、電子(情(zyou))が、均衡を破り、その電子(情(zyou))を「普通の時間」、「普通の空間」の座標に戻そうとする「普通の空間」の状態と解釈する。
 
「しかし、電子には慣性があるので、中性を取り戻した時点では止まらず、逆の方向に行き過ぎる。」

これを、私は、電子(情(zyou))が複素数で回転した座標に入った状態と解釈する。

 
「そこでまた中性が破れて電場が生じ、また電子群が引き戻される。」

これを、「虚時間」と「内なる宇宙」の座標の中の電子(情(zyou))が、「普通の時間」と「普通の空間」に引き戻されると解釈する。

 
「かくして電子群の往復運動、すなわち振動が起こる。
これは巨視的には電荷密度の波動となる。
 
これがプラズマ振動である。」

これを次のように解釈する。

意識の電磁波の進行に従って、エントロピーの増大の方向では、「電子群の往復運動、すなわち振動」であるが、往復や振動は波長に変換できる。
(ボーアの量子条件からの創作)

「 プラズマ振動 」は、電磁波の進行方向から見れば、円運動を描いていて、時空間的には、「普通の時間」と「虚時間」、「普通の時間」と「普通の空間」のサインカーブと同視する。


意識の時間座標と空間座標の「 対称 」と「 反対称 」が、「 プラズマ振動 」であり、複素数による座標の回転である。

知らない者は、毒蛇も恐れない。


Every miller draws water to his own mill.

これは、究極のフィクションです。

2015/4/2、私の現在の考え 14・流れるものと派生するもの・三身即一へと続く

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2009年03月06日

2009/3/6・創作2(これまでの私の考え)3

2009/3/5・考えた事。

私が、意識は電磁波であり、「磁場」のサインカーブの「 時間意識 」と「電場」のサインカーブの「 空間意識 」が、交差していることを考える。

その前半が「 普通の時間 」で、後半が「 虚時間 」であるとは、前半の座標と後半の座標が「 反対称 」であることである。

そして、電磁波が運ぶ「情(zyou)」は、フェルミ粒子であるという結論になる。

理科の電磁波の図を見ると、二つのサインカーブが真ん中で交わり、前半が正の座標で、後半が反対称の座標である。

このように、複素数を乗じて、電磁波が進むと思われる。

2009/3/6・考えた事

さあ、自分に向かってくる意識の電磁波を見てください。

電磁波が、左半分の正の電磁場の座標から、右半分の負の電磁波の座標、(つまり複素数で変換された座標・反対称な座標)へと回転しながら、自分の方へ向かってくるのが見えると思います。

そのように、意識の場合は、正の時空間座標から負の時空間座標へと回転しながら、意識が自分の方へ向かってくると思います。

意識の速度は一定だから、他の意識と干渉する事が可能になり、回転しながら進む軌道が、一定になって安定すると思います。

私は、それを、定在波と呼んで、人間の「六道」という類型のどれかに落ち着くと思います。

そして、この「 普通の時間 」と「 虚時間 」に対応して、「 普通の宇宙 」と「 内なる宇宙 」が、時間と空間の一組になると思います。

人間の場合は、空間の場合の「 虚時間 」とは、「時間が無い 」のではなく、「 普通の時間 」に依存した時間が、「 虚時間 」だと思います。

これは、次に「意識」と「無意識」を書く時、再び書きます。

このように、認識については、電磁波を受ける「 電離層 」に立っている所から、自分の方向へ進んで来る意識を見なくてはなりません。

「 心 」や過去の「電離層」から、未来の「 心 」には、ボーズ粒子がエネルギーとして伝わると思いますが、その過程は、電磁波でありフェミニ粒子のボーズ粒子化によるものかも知れません。

「内なる宇宙」の「六道」に該当して意識が、社会の中で、どのように「 具現化 」するかも考えます。

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2009年03月05日

2009/3/5・創作2(これまでの私の考え)反対称2

今日、ネットで、ボーズ粒子を調べていたら、「 反対称 」についての記事を発見した。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E7%A7%B0%E6%80%A7

反対称性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア Wikipedia)』

反対称性(はんたいしょうせい)とは数学で、ある要素にある変換を施した結果が、元の要素に逆符号を付けたもの(実数でいえば絶対値が同じで正負が逆)と等しくなる、という性質をいう。

対象分野によっては交代性(こうたいせい)または歪対称性(わいたいしょうせい)とも呼ばれる。

このような要素を「その変換に対して反対称である」という。

変換によって変化しない「対称性」に類似した性質であり、対称性・反対称性とも全くない「非対称性」とは異なる。

反対称性の要素に変換を複数回施すと、元と同じになる。

奇関数:変数の反転に対して反対称である関数を奇関数という。

波動関数(量子力学):空間反転操作によって逆符号になる波動関数を、反対称であるという(各座標軸の反転に対して奇関数であるということ)。

それに対して空間反転により変化しない波動関数を対称という。

これらで表現される電子軌道をそれぞれ、反対称性軌道・対称性軌道という。

また、同種の複数のフェルミ粒子からなる系の全波動関数は、任意の2つの粒子の交換に対して反対称である。

(引用を終わる)



私が、意識は電磁波であり、「磁場」のサインカーブの「 時間意識 」と「電場」のサインカーブの「 空間意識 」が、交差していることを考える。

その前半が「 普通の時間 」で、後半が「 虚時間 」であるとは、前半の座標と後半の座標が「 反対称 」であることである。

そして、電磁波が運ぶ「情(zyou)」は、フェルミ粒子であるという結論になる。

理科の電磁波の図を見ると、二つのサインカーブが真ん中で交わり、前半が正の座標で、後半が反対称の座標である。

このように、複素数を乗じて、電磁波が進むと思われる。

私が「 虚時間 」というのは、「ビッグ・バン」の理論には賛成しないから、ホーキングの考えと同じではない。

私は、複素数を乗じて、座標を転換することに注目したのだ。

この転換が、頭脳の中で、何回も実行されているのだと思う。

知覚を考える時、再び、この記事を引用すると思う。

Every miller draws water to his own mill.

注意してください。

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2009年03月02日

2009/3/2・創作2(これまでの私の考え)

これは、今までの経過を、コピー・アンド・ペーストしただけです。

これは、全てフィクションです。


2008/10/14・私の悩み(意識は電磁波である)

意識が電磁波(光)である。

@私の考えが、一般と違うのは次の事である。

「人間は、生まれた時から、宇宙に匹敵する「時空間」を頭の中に持っている。全ての人類は同じ「時空間」を持って生まれる。これは、「アプリオリ」「先験的」に持って生まれる。「時間意識」と「空間意識」として、つまり「意識」として「時空間」を持っている。そして、景色を見ている眼を見る事が出来ないように、「時間」と「空間」が、直感の形式と言うだけで、規定する事が出来ない。時空間を持っているから、時空に関する物理学も理解する事が出来るし、「社会」に自分の「時空間」を表現する事が出来る。「時空間」は、神仏から与えられた能力であり、人間は創る事は出来ない。私は、「社会」が定義する地球の自転から生まれる「時間」とは違う主観的時間が人間は持っていて、その時間に気付く事が人間性の発揮に役立つと思う」

A「人の住む世界」

これは、認識が成立した「霊界」の世界である。
会話する時に、現実に見るのは相手の顔で、音声が飛び交うだけであり、相互に認識するのは、目には見えない世界だろうと思う。

B「可能性とエネルギー」

さて、エネルギーの話も、しなくてはならないだろう。
私は、理系の学生ではないので、詳しくは知らない。

まず、半分「 幽霊 」になるか、あるいは「守護霊」とかになって、自分の現実面を上から見て欲しい。

そこは、「人の住む世界」で、「霊的な世界」であり、下には、「現実面」が横たわっていると仮定する。

その「現実面」には、下の、過去の「現実面」から発せられた意識が「電磁波」となって、「現実面」に衝突して、波形を作っているだろう。

それは、電子波の干渉模様として、F.A.ウルフ氏が著した「量子の謎をとく」の174ページに掲載されている。

F.A.ウルフ氏は、「水溜りに小石が落ちるたびに、水の同心円のひだがたえずできた」(175ページ)と書いている。

私は、それを、過去からの意識という電磁波が、現実面で干渉した痕跡と解釈する。

同心円を描いて周囲に広がっていくのは、「意味」が、「思想」が「波動」となって社会に広がる様子だと解釈する。

つまり、意識が電磁波となって現実面に衝突して、意味という小石のような「塊」として残る。

現実面は、精神だから、「塊」の意味は、光波として広がる。

ちょうど、私が書いた記事が、ネットの力で、世界に広がるように。

それを、上から、座標軸の縦軸の上から、見ているのが、「幽霊」の私である。



2008/10/26・私の思索(末那識(manasiki)とエネルギー)

この時、私は「脳波」について、ネットで調べました。

左脳は言語情報を処理し、右脳は、視覚情報を処理するという知識を得ました。

これは、私の「時間意識」と「空間意識」に対応するものだと思います。

「左脳」が「時間意識」で、「右脳」が「空間意識」なのです。

そして、瞬きする瞬間に、時間と空間が交互に現われて、認識が成立するのだと思います。

生まれたばかりの子供が、既に、「空間」も「時間」も知っています。

これが、「アプリオリ」「先験的」と言わなければ、何を先験的と言うのでしょう?

お釈迦様は、生まれたばかりなのに、「天上天下、唯我独尊」と申されました。

これを、「子供が空間や時間を意識する事」への驚きだと解釈します。

光電効果を知っていますね。

これで、アインシュタインが、ノーベル賞を貰いました。

頭脳が、「金属」で、それに光のようなエネルギーを当てると、「意識」が飛び出す。

なんと、素晴らしい!

意識は光なのです。

私も、ブログを書かなければ、こんな事は、一生の間、考えないでしょう。

パソコンに出会って(衝突して)知りました。



2009/2/21、考えた事

私は、物理学は、全く勉強していませんから、私のブログの方針に合うように、解釈します。


@外部の光を見る時や考えを取り入れる時。

私は、「 感覚器官 」を持っています。

外部からの刺激を感覚器官の神経で把握する時は、少しの「 刺激を受ける 」時間が必要だと思います。

その時間が「 普通の時間 」であり、刺激が、「 光子 」のエネルギーであれば、「 普通の時間 」の中で、ボーズ粒子をボーズ粒子として受け取るのが、感覚器官による外部からエネルギーの取得だと思います。

「 感覚神経 」が受け取る時間が「 普通の時間 」であり、それはフェルミ粒子が、偶数個、集まってボーズ粒子化した状態だと思います。

「 意識 」というフェルミ粒子を偶数個、集めるとは、「時間意識」と「空間意識」を集める事かも知れませんが、私は、別の事を想像します。

「時間意識」と「空間意識」は、自分の意思で集める事は出来ないと思います。

それは、物質の「 背景 」の「 場 」であるからです。

私は、「集める」とは、「二つの意識を集める事」と解釈します。

私は、感覚する事は、複数個の意識により成立すると思います。

私は、物理学でいう「超伝導」などは、考えていません。

「超伝導」は、電気の流れの中での問題ですから、神経の内部で生じるのかも知れません。

私は、意識は、「流れる物」ではなく、「派生する物」として考えていますから、「超伝導」は考えていません。

感覚器官の中で、複数個の意識により、ボーズ粒子化した時、それが「 実体 」だと思います。

「 実体 」が、物の全てではありません。

「 実体 」の他に、フェルミ粒子としての、「隠された時間の虚時間」や「内なる宇宙」が現れていない部分が存在するからです。

「 実体 」の座標により得られる物に、「 方向転換 」して得られる物を合計した物が、「 認識 」だと思います。

「 認識 」した物は、阿頼耶識(arayasiki)であり、ボーズ粒子かも知れませんが、その伝達の過程は、フェルミ粒子の過程だと思います。



A「 内なる宇宙 」から、外部へ表現する時。

これは、偶数個のフェルミ粒子を集めて、ボーズ粒子を作る事であり、「 実体 」を作る事です。

人が認識可能な「 実体 」を作るとは、「内なる宇宙」の実体化であり、意識が社会の中で「 形 」を持つ事だと思います。

例えば、「 神 」の登場には、「光」と「音楽」があるように、フェルミ粒子が層を作っている「内なる宇宙」が、外部からみれば、複数の意識に現れた時、社会はそれを「 誕生 」や「 芸術 」と言うでしょう。

私は、複数の意識が「 感動 」だと思います。

「 感動を与えない芸術は無い 」と思います。



B創造するための方法。

これは、「 瞑想 」が必要だと思います。

「 瞑想 」は、黙って眼を閉じているだけではないと思います。

一つの意識の外延に立ちながら、他の事を意識する事だと思います。

それが可能なら、特定の「 瞑想 」方法を採用しなくても、自分の「 瞑想法 」でも許されると思います。

「念仏」も「お題目」も、「ヨガ」も、修行と言われる物は、この「 瞑想法 」であると思います。

瞑想によって生じた物が、人に「 感動 」を与えるなら、それは「 芸術 」であるかも知れません。

ある宗教家は、言いました。

「人生は芸術である」

この言葉も、正しいと思います。


私の虚時間の意味・再考
私は、「意識は電磁波(光)である」という方針で、電磁波の構造を考えて、@時間やA空間やB物質波への光子の取り入れと放出について、書きました。

これは、全て、フィクションでから、物理的な根拠は全くありません。


@時間

地球は自転しますから、私が「 今 」と叫んだ時の世界の状況と、叫んだ後の「 今 」の世界の状況は、変化しています。

社会で「 今 」という瞬間が、人体の内部では、「 普通の時間 」と「 虚時間 」の合計だと書きました。

電磁波の「 ラセン状 」のサインカーブ上で、実数で表現される時空の領域が「 普通の時間 」で、複素数を乗じた時空の領域が、「 虚時間 」です。

それは、エントロピーに従う生理的な時間の方向に進む電磁波の進行方向に直角な「時間意識」と「空間意識」の座標軸の回転により、表現されます。

「 虚時間 」は、時間についてだけであり、空間も「虚空間」が存在するかも知れません。

時間意識と空間意識が、サインカーブを描いて、「 今 」と叫んだ状態と次の新しい「 今 」の状態の不連続面を結合した結果、「 連続 」していると心理的に思わせていると思います。

私は、映画の仕組みを想像します。

不連続だから、西洋の実存主義が成立すると思います。

その不連続の面を「普通の時間」と「 虚時間 」が結合していると考えます。

不連続を肉体の「 慣性 」が、連続していると意識させると思います。

その不連続な時間の中で、「 永遠 」を求めるのは、「 実体 」を求める事だと思いますが、それが、間違いだと思います。

「 実体 」は、宇宙を写して同調させただけで、「 実体 」は主観的であり、局所的であるからです。

永遠な実体は無いと思います。

私は、意識の構造が原因で、以上の事が起こる事を知るだけです。


A空間

私は、この不連続な瞬間に、「 普通の時間 」の感覚の外の宇宙と、「 虚時間 」の「 内なる宇宙 」が交差すると考えます。

それは、目の前の出来事であるが、実際は、何光年も離れた宇宙の交差かも知れません。

後日、書きますが、「 短期記憶 」と「 長期記憶 」という言葉がありますが、私は、短期や長期という記憶の区別ではなく、本人の立場で考えます。

短期や長期の区別ではなく、本人が、「 今 」に想起可能か否かの問題であり、記憶は全て「 虚時間 」や「 虚空間 」に貯蔵されると考えます。

それらは、短期や長期の区別ではなくて、数光年も離れている私の内部の「 仏の智慧 」と、ネット上の「 知識 」の関係かも知れません。

記憶が、「 虚時間 」や「 虚空間 」に蓄えられる「 智慧 」であると考えると、「 未来は、既に見えている 」人も世界に存在するかも知れません。

「 今 」の瞬間に「 宇宙 」が交差しており、過去や未来の区別が無意味なのかも知れません。

経済や天候などの予測も、「 虚時間 」だから、成立するのだと思います。



B物質波への光子の取り入れと放出。

意識はフェルミ粒子で物質から離れない物質波であると思います。

フェルミ粒子の意識は、ボーズ粒子の光子ではない。

「 普通の時間 」の中で、フェルミ粒子が偶数個、集まって、ボーズ粒子状態になり、ボーズ粒子のエネルギーを取り入れる。

そして、座標が「 虚時間 」に回転した時、フェルミ粒子に戻り、干渉して、次の「 今 」の世界に模様を作る。

それが、物の「 実体 」であると思います。

放出については、「 内なる宇宙 」の「誕生」ですが、「 虚時間 」や「 虚空間 」が、現実世界に「 形 」を持って、実体化する事です。

思想の表現や芸術の表現です。

意識が、複素数を乗じても変換されない事物、阿頼耶識(arayasiki)として出現する事です。

身(身体)・口(言葉)・意(意識)のマンホールを通過して、本人の「 内なる宇宙 」から誕生する事です。

一つの意識ではなく、身(身体)・口(言葉)・意(意識)の意識を集中させて、具現化した物体が、思想や芸術だと思います。

思想は具現化する。

これも、正しいかも知れません


2009/3/2・考えた事。

私の考えは迷走していますが、次は、知覚や認知について考えます。

その前に、記憶や意識や無意識についても、再考します。

後日、書きます。

Every miller draws water to his own mill.

注意してください。

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2009年02月27日

2009/2/27・創作3(私の電離層の意味)知覚とは何

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


「 知覚 」(Wikipedia より引用する)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%A6%9A

知覚(ちかく)とは、動物が外界からの刺激を感じ取り、意味づけすることである。 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、体性感覚、平衡感覚などの感覚情報をもとに、「熱い」「重い」「固い」などという自覚的な体験として再構成する処理であると言える。

大脳におる知覚のメカニズム

体性感覚情報はまず刺激対側の中心後回(一次感覚野)に達し、その後両側の頭頂弁蓋部(二次感覚野)に伝えられる。

聴覚情報は主に刺激対側の側頭葉上面の一次聴覚野、その後その周囲の二次聴覚野に伝達される。

聴覚、体性感覚とも一次から二次皮質に進むに従い、高次な処理が行われるようである。

視覚情報は後頭葉の一次視覚野にまず達し、順次前方に向かって情報が伝達され様々な処理がなされていく。

視覚、体性感覚、聴覚皮質に囲まれた・あるいは重複する場所に位置する頭頂葉は、それらの情報を統合する(「異種感覚情報の統合」)働きを有している。

例えば「机の上にあるコップに手を伸ばして掴む」という一見単純な動作にも、表在感覚や深部覚を含む体性感覚、視覚、さらに運動出力情報を複雑な統合が必要であるが、頭頂葉の障害でこのような動作がスムーズにできなくなる(このような症状は失行と呼ばれる)。

知覚における運動の役割

ただし、知覚を実現しているのは感覚情報だけではない。

例えば、「重い」という知覚を感じ取るためには皮膚からの強い圧覚、筋紡錘や関節からの深部覚フィードバックとともに、それに拮抗して筋力を収縮させているという運動出力の情報も必要となっている。

このように能動的に運動することも情報として使用することによる物体の認識は「アクティブ・タッチ」とよばれている。

知覚から認知へ

知覚をもとにして、さらに「これは犬である」などと解釈する処理などが認知である。

(引用を終わる)



これが、これからの話の種である。

私は、以前、問題にしたように、時間や空間は、人間が生まれた時から持っていて、「 人間 」というだけで、時空が既に了解されて、「 世界内存在 」であると言えば、「現存在」も了解される。

疑う前に、了解してしまうのだ。

哲学で、「 疑う 」と言うが、自分の頭脳の内部は、他人と同じであると信じて疑わないのか?

他人と同じであるならば、何故、他人と同じなのかと、疑わないのだろうか?

私は、時間意識や空間意識と言ったが、今まで、カントを除いた哲学者が、「 時間 」と「 空間 」を疑った事があるのだろうかと疑問に思う。

「自分を知れ」と言うが、哲学者や物理学者や心理学者が、自分について何処まで知ったのだろうかと、疑問に思う。

私は、心理学者が主張するような「意識」と「無意識」が「氷山」などを例にしての説明には、反対である。

心理学者は、「意識は電磁波(光)である」という考えを認めないだろう。

私も、意識は電磁波であると思うから、心理学者の説明を認めない。


そんな疑問に答えるのは形而上学で、無益な事だと考えるから、何時までも、問題は続く。


「ねえ、おじいさん。

ぼく、どうして大人と、時間や空間が同じなの?

他の動物も、同じなの?。

知覚って何なの?」




親は子に、何と説明するのだろうか?

これは、世界中の哲学者や物理学者の怠慢だろう。

形而上学で結構だから、見せてください。

私は、Wikipedia から、引用したが、知覚が何であるのか、自分を納得させる事が出来ない。

そこで、好き勝手に、私の話を書くことにする。

Every miller draws water to his own mill.
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2009年02月02日

2009/2/2・私の創作(電離層は霊界である)自我の範囲

私の記事が、Yahoo USA に登録されている。

Yahoo USA 「私の創作(電離層は霊界である)」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkmvUCoZJNyAAmgWl87UF?p=%E9%9B%BB%E9%9B%A2%E5%B1%A4%E3%81%AF%E9%9C%8A%E7%95%8C%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B&fr=yfp-t-305&fr2=sfp&iscqry=



物理学者は勿論、心霊の研究者も、私の言葉を理解しないだろう。

私は、物質面と心霊面を重ねて現象を見る立場だが、私の言葉を物質的に証明する事は不可能だろうし、真実ではないと思っている。

これは、「意識は電磁波(光)である」立場から、電磁波を受けるのは電離層であると考えて、人類史上、誰も理解しない事を書いた。

Yahoo USA も、登録するのは自由だが、真実でなく、一つのブログの結果だと思い、削除した方が良いかも知れない。

無視している、もう一つの、優秀な検索エンジンのように……。




私は、「 プラズマ宇宙論 」を知り、人間の構造に適用する事を考えている。

私は、これから、「 自我 」の範囲を限定するのは、「 電離層 」であると書く。

前述したように、電磁波という意識を生む細胞である「 頭脳 」を一つのプラズマ状態と考えて、その根底には、「 生命 」の電流と直結していると思う。

ここで初めて、私のブログに「 生命 」が出てきた。

私は、「 生命 」は、「 身体 」を流れる電流だろうと思っている。

「 自我 」は、私の身体と意識の総体の心であると思うが、「意識は電磁波である」から、意識は「 電離層 」まで到達するので、「 自我 」も「 電離層 」まで拡大する。

「 身体 」は、自分が見ている肉体の大きさではなくて、地球全体が「 身体 」で、その周囲を「 電離層 」が囲んでいるとも考える。

だから、私が見ている身体の実体が「 身体 」ではなくて、物質的には「生命」の電流が流れる肉体であり、精神的には「 理解 」や「 了解 」が成立する知性の世界という「 電離層 」まで拡がると思う。

自分の肉体から、遠い「 電離層 」は天体としての「 電離層 」であり、最も近い物は、「 頭脳 」で感じる「 霊的世界 」であると思う。


Poor thinking is as good as no thinking.
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2009年02月01日

2009/2/1・私の創作(電離層は霊界である)霊と魂

「 プラズマ宇宙論 」を知ってから、私が書いた記事を見ますと、私は「 魂 」の事を書いて、「 霊 」については書いていないと思います。

人は霊界に包まれていると、多くの人が言います。

私は、「 人は電離層に包まれている 」と言うことにします。

私は、「 霊 」というのは、「 電離層 」であると解釈して、「 霊 」はプラズマを持ち、意識という魂を反射すると同時に、プラズマによる力を付与するものと考えます。

「 魂 」は、身体の中が領域で、「 電離層 」に囲まれた意識の総体であります。

「 頭脳 」は、意識という電磁波を作り出すという面で、プラズマを帯びた物体で、意識が頭脳の物質界に触れると、「 霊 」の力を出すと考えます。

前述しましたように、人間は、地球の自転により、絶えず新たな空間と衝突していますし、新陳代謝で、身体も恒常ではありません。

「 恒常 」と錯覚させているのが、「 自意識 」であり、電磁波の構造である事も前述しました。

私が、行動する時に、過去の体験を想起しますが、この「 記憶力 」や「 想起力 」は、現在の意識が、意識を局所化している「 電離層 」に衝突して、現在に反射される力だと思うのです。

「 頭脳 」に「 記憶力 」が存在するのではなく、意識が、「 無意識 」の層の霊界に衝突して反射するものと思います。

記憶は、力ではなくて、意識の構造ではなくて、霊界に反射された意識の内容だと思います。

そして、根底に「 電離層 」という霊界があるから、それに触れると「 電流 」が流れて、新たな電磁波の構造をした意識を生むと思います。

それが、現在の状況に、「 可能性 」の「 幅 」として現れますが、それは、「 電離層 」の幅だと思います。

もちろん、「 電離層 」は、周波数により、反射が「浅い場合」と「深い場合」があり、「 六道 」の意識が、周波数となって、現在に反映するものと思います。

この世では、「天国」の住人には「天国」の、「地獄」の住人には「地獄」しか見えません。

未来を展望する場合も、人が地球の自転の最先端に存在しますから、過去を見る事になります。

「 意識の速さは一定 」で、普通の場合は、過去を見ますが、霊感を持つ超能力者は、自分の「 電離層 」で、予言するのでしょう。

「 ビッグ・バン 」の宇宙論は科学者の立場でしょうが、私は「 プラズマ宇宙論 」が好きです。

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2009年01月31日

2009/1/31・私の創作(電離層は霊界である) 2

これが、2009/1/31,9時40分、現在のアクセス状況です。

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8 2009/1/28・私の創作(ブラズマの勉強)  
9 2009/1/23・オバマ新大統領 3  
10 2009/1/20・私の創作(誕生するとは何か) 
11 2009/1/17・私の夢・(内なる宇宙は胎内)

今朝の記事が、トップで閲覧されています。

皆さんは、霊界について興味をお持ちのようです。



(Wikipediaから引用します)

周波数による違い

長波は、昼はD層で反射して、D層が消滅する夜はE層で反射される(中波に似る)。

中波は、昼はD層で減衰されてしまうため、数十キロ程度に留まるが、D層が消滅する夜は主にE層で反射され、数百から1000キロ以上の遠くまで届くようになる。

短波は、常にD層を通り抜けE・F層で反射されるが,昼と夜では電離層の状態が異なるので伝わり方が変わる。(昼は高い周波数が、夜は低い周波数が反射されるようになる)

VHF・UHF以上の高い周波数(短い波長)の電波は、電離層を通り抜けてしまうので遠くには伝わらない。(地上用としては、基本的に見渡せる距離しか伝わらない)逆に、電離層を通り抜ける性質を使い、人工衛星や電波天文学など宇宙との通信に利用される。但し、電離層を通り抜けている間は、伝播速度が遅くなるため、GPSでは測位誤差の原因になる。

(引用を終わる)



私は、この周波数は、パソコンの周波数のように考えます。

光の速度は一定でも、周波数が違うように、意識の速度は一定でも、「意識の定在波」が違うために、周波数が違うのだと思います。

つまり、何処で安定するのか、その意識の不安定さが、理解する層の違いとなると思います。



私が、2008/10/9・私の可能性(認識と人の住む世界)で書いた、「 人の住む世界 」は、この「 電離層 」であると思うのです。

人は、精神的に、電離層に住んで、下から、つまり過去からの意識や「 光 」の衝突を受けるのです。

それを吸収している間は、勉強の時だと思います。

理解すれば、反射すると思います


理解した内容を大地に返すのです。

過去からの光で、未来を照らすのではなくて、現在を照らすのです。


電離層の上は、「 宇宙空間 」であり、「 無明 」であり、そこに存在するのは、「 宇宙波 」や「 仏の智慧 」だと思います。

その宇宙波や仏の智慧で、電離層は、「 プラズマ 」の状態であり、何時、放電しても不思議では無いのです。

その必要があれば、「 智慧 」からの「 知識 」として、放電されると思います。


人は、未来について、「 電離層 」に意識を衝突させながら、つまり仏の智慧に相談しながら、自分の位置を決めているのだと思います。

「 自分 」や「 自我 」については、後で書きます。

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2009/1/31・私の創作(電離層は霊界である)

電離層について引用する。

電離層出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E9%9B%A2%E5%B1%A4

電離層(でんりそう)とは、地球を取り巻く大気の上層部にある分子や原子が、太陽光線やエックス線などの宇宙線により電離した領域である。
この領域は電波を反射する性質を持ち、これによって短波帯の電波を用いた遠距離通信が可能である。

周波数による違い

長波は、昼はD層で反射して、D層が消滅する夜はE層で反射される(中波に似る)。

中波は、昼はD層で減衰されてしまうため、数十キロ程度に留まるが、D層が消滅する夜は主にE層で反射され、数百から1000キロ以上の遠くまで届くようになる。

短波は、常にD層を通り抜けE・F層で反射されるが,昼と夜では電離層の状態が異なるので伝わり方が変わる。(昼は高い周波数が、夜は低い周波数が反射されるようになる)

VHF・UHF以上の高い周波数(短い波長)の電波は、電離層を通り抜けてしまうので遠くには伝わらない。(地上用としては、基本的に見渡せる距離しか伝わらない)逆に、電離層を通り抜ける性質を使い、人工衛星や電波天文学など宇宙との通信に利用される。但し、電離層を通り抜けている間は、伝播速度が遅くなるため、GPSでは測位誤差の原因になる。

電波の入射、吸収、反射

電波は電離層に入射すると、電離層により吸収、屈折、反射される。
それぞれの割合は、電離層の電子密度、電波の周波数、電波の入射角に依存する。
電波の入射角が全反射の条件を満たすと入射したエネルギーが吸収も屈折もされることなく、すべて反射されることがある。
これは空気から水に入った光が吸収されたり反射したり屈折したりする現象とほぼ同様である。
電離層が電波を反射する条件が整った場合、地上からやってきた電波が電離層に入射すると、今まで通ってきた空気中よりも電子の数が急激に増すため、電波はそのスピードを失う。
最終的に電波は電離層に反射させられ、再び地上に戻ってくる。
電離層への入射角により、電波の一部は電離層により吸収されたり、屈折して宇宙空間に伝わったり、反射されたりする。

(引用を終わる)



これと、私の記事を結合する。

2008/10/9・私の可能性(認識と人の住む世界)

2008/10/19・私の想い(可能性とエネルギー)

「意識は電磁波(光)である」

これ等を結合すれば、次の通りである。

私が、これまで書いたのは、「 意識 」の方面からであり、「 内なる宇宙・胎内の世界」であった。

「エネルギー」は、これまで何者か判明しなかったけれど、それは、「 プラズマ 」であると思う。

「 プラズマ 」を考えるとは、「エネルギー」を考える事であり、宇宙規模で身近なプラズマは「 電離層 」である。

それが人間の場合は、物質的には「 頭脳 」が、光子としての「 意識 」を出すという意味で「 プラズマ 」状態である。

「 電離層 」は地球を包んでいるが、地球を包む「 霊界 」であると、私は思う。

「 電離層 」は地球規模で電波を吸収したり反射して遠くへ電波を運んで遠距離の理解を可能にする。

人と人の交流が、「 霊界 」を媒体にして、「 理解 」が成立する。

人と人の交流が可能であるのは、人体の周囲を、「 電離層 」と似た媒体が存在し、それが「 霊界 」であると思う。

「 電離層 」が地球を囲んでいるように、「 霊界 」が、人体を囲んでいると思う

それは、物理的な媒体が「電離層」であり、心霊界では「 霊界 」である。

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2009年01月30日

2009/1/30・私の創作(身近なプラズマ)

身近なプラズマについて調べた。

プラズマ宇宙論出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%9E%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%AB%96

フィラメント構造とビルケランド電流

その形成過程は非常に単純である。
まず、「ピンチ効果 (Z-pinch)」と呼ばれる現象がこの形を作り出す。
直線的な電流がプラズマの中を通るとき、そのまわりに円筒状の磁場が生じる。
これが同じ方向を流れている他の電流を引き寄せるのである。
このようにして小さな電流の糸は互いに引き寄せ合う(ピンチ)傾向がある。
その際に周囲のプラズマを引き寄せる効果が働き収束する。
収束した糸はよじれてフィラメント状の巨大な渦巻きを生み出すのである。
このフィラメントの内部を電流が通る事が知られている。

その電流はビルケランド電流と呼ばれている。

このような特性のために宇宙のフィラメントは、しばしば送電網に例えられる。
この送電は次第に他の送電を引き寄せ、つながり合い巨大な送電網を作りだすことによって宇宙のなかで大量の電流を運んでいる。
身近な例ではオーロラもビルケランド電流によって生じている。

(引用を終わる)


それでは、私の身近に、プラズマは無いのだろうかと、考えた。

そこで、次の記事に注意した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%9E%E7%89%A9%E7%90%86

次に太陽系内に戻ると、まず太陽コロナはかなり高密度の完全電離プラズマからなる。

その外側でも至る所に完全電離プラズマが存在するが、表には地球の公転軌道付近のプラズマの特性を挙げてある。

さらに地球に近づくと、よく知られた電離層がある。

表では密度がもっとも大きいF2層(高さ 200–500km)についての値を挙げてある。

このプラズマは完全電離ではなく、弱電離である。

(引用を終わる)

この、「 電離層 」に注目した。

その結果、私にとって、大きな収穫になった。

それは、後日、書くことにする。

Every miller draws water to his own mill.
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2009年01月28日

2009/1/28・私の創作(ブラズマの勉強)

以下は、Wikipedia からの引用です。

プラズマ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%9E

プラズマ (plasma) はその歴史的な背景から、一般には気体が電離したものとして認知されている。身近にある炎の中では通常の気体を構成する中性分子が電離して、正の電荷をもつイオンと負の電荷をもつ電子とに別れて自由に飛び回っている。
全体として電気的に中性な系であるが、構成粒子が電荷をもつため、粒子運動がそれ自身のつくり出す電磁場と相互作用を及ぼしあうことにより、通常の中性分子からなる気体とは大きく異なった性質をもつ。 そこで気体とは別の物質状態であるとして、これにプラズマの名が与えられている。
……(中略)……
典型的なプラズマは充分高温になった物質の状態として定式化され、イオンや電子が自由に飛び回っているとする点で気体状といえるが、そこで生み出された研究方法や概念はある種の条件のもとの固体状、液体状の物質の研究にも有効に用いられる。 かくして、産業分野で利用される、半導体のような固体やイオン化された液体なども、そのある側面についてはプラズマとして研究することにより物性がよりよく理解され、「固体プラズマ」などの新しい研究分野が生まれた。
プラズマの定義には「気体」という言葉は存在しない。 プラズマ物理学における定義は「荷電粒子群が不規則な熱運動をする力学系のなかで、全体として電気的に中性で、プラズマの3要件を満たすもの」となる。 しかしこの定義によればその論理的帰結として粒子系が弱結合であることが導かれ、気体状とのイメージになる。半導体においてもその中の電子と正孔のみに着目することでプラズマとして扱えることになる。3要件については項目プラズマ物理を参照のこと。
プラズマの特徴として、中に多数の自由電子があるため電流が極めて流れやすいという点が挙げられる。電流が流れればその近辺に電磁場を生じ、それがまたプラズマ自身の行動に大きく影響する。そのためプラズマ中では粒子は集団行動をとりやすく、全体として有機的な挙動が観測される。外部から電磁場を掛ければそれに強く反応する。こうした挙動のひとつの現れとして、プラズマ中には通常の気体中には存在しない、電場を復元力とする縦波であるプラズマ振動が存在する。

物質の第四状態
プラズマは、物質の三態のいずれにも当てはまらない「物質の第四状態 (the fourth state of matter)」と言われる事がある。
……(中略)……
現在では、プラズマ現象と固・液・気体間の第一種相転移の概念はまったく別のものとして確立され、プラズマ物理では炎やオーロラなどの電離気体から固体中の電子振動(プラズモン)まで、広い範囲の現象が取り扱われている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%9E%E7%89%A9%E7%90%86

次に太陽系内に戻ると、まず太陽コロナはかなり高密度の完全電離プラズマからなる。その外側でも至る所に完全電離プラズマが存在するが、表には地球の公転軌道付近のプラズマの特性を挙げてある。
さらに地球に近づくと、よく知られた電離層がある。表では密度がもっとも大きいF2層(高さ 200–500km)についての値を挙げてある。このプラズマは完全電離ではなく、弱電離である。
地上ではプラズマはもっぱら人工的につくられる。よく知られた例は蛍光灯、広告用ネオンサインなどの放電管内のプラズマで、いずれも弱電離プラズマである。


電離層
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E9%9B%A2%E5%B1%A4
熱圏に存在する窒素や酸素などの原子や分子は、太陽光線などの宇宙線を吸収する。そのエネルギーによって、原子は原子核の回りを回転する電子を放出し、イオンとなる。この現象を光電離という。この電離状態であるイオンと電子が存在する領域が電離層である。大気に入った宇宙線は、熱圏内で次々と原子や分子に吸収されていくため、繰り返し光電離が生じる。こうして熱圏内は電子密度の高い状態となっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%9E

自己組織化によってプラズマ中に生成されるさまざまな構造
ダストプラズマが自己組織化することによって、クーロン結晶などが生成されることが1994年に複数の研究チームによって確認されている。プラズマ構造を積極的に制御することにより、微粒子の糸状結晶なども容易に得ることができる。
プラズマは何らかのエネルギーが外部から供給されて揺らぎが生じると、不安定な様相を見せる。プラズマが揺らいで発生するフィラメント状の構造の代表的な例は、オーロラとして観察できる。パルス発信機を用いてX線放射の実験を行うことで確認できるが、フィラメントや渦といった構造は、条件が整うとお互いが生み出した磁場によって、同じ方向に動いているほかの渦を引き寄せて、自己組織化しながら成長していく。プラズマは螺旋状の渦を作ったり、一定条件下では渦糸が結晶構造を作ることもある。渦の成長はやがて止まって何らかの理由で自然消滅した後に、再び新たなフィラメントを生成していくこともある。このような生成と消滅を伴うエネルギーのサイクルは、グレートウォールとボイドによって構成された、銀河の集団が作る気泡状の宇宙構造が生成されていくメカニズムの中にも認められる。

(引用を終わります)



私の考え

私は、宇宙規模の理論を学んだ事はありません。

私は、私の方法で、「プラズマ宇宙論」に接近するだけです。

私は、電磁波のサインカーブは、頭脳などの物質界と意識などの心霊界、見える物と見えない物、東洋の「陰」と「陽」、電気や信号のように流れる物と意識のように派生する物などの現象に現れていると思います。

私は、物質界ではなくて意識の領域で、「 プラズマ宇宙論 」に接近するだけです。

非常に、困難だと思います。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2009年01月21日

2009/1/21・私の創作(誕生するとは何) 3

昨日、紹介しました事について書きます。

「死ぬ」ために生まれて……そして、生まれるために「死ぬ」こと

David Icke in Japan


私の解釈は、次の通りです。

私の「内なる宇宙は胎内 」ですから、私は、精神的には誕生していないのです。

前半の「 死ぬために生まれて 」というのは、私にとっては、「 物質的に死ぬために物質的に生まれる 」事です。

つまり、物質界の生死です。

後半の「 そして、生まれるために死ぬこと 」とは、私にとって「 精神的に誕生していない私は、誕生するために、物質的な「死」が必要だと解釈します。

これは、心霊界で誕生するためには、煩悩で詰まった物質界の死が必要だという事だという解釈です。

あの世での誕生が、仏教では何を示すのかは知りません。

現実生活で生きている私、そして精神的に「 胎内の中の私 」は、私の肉体的な死により「 無明 」が消えて、「 光の 」、「 精神の 」私が誕生し、如来様(nyoraisama)の力により、他の動物の胎内の中に生まれるのだと思います。


私の身体が、宇宙の塵になっても、地球は自転しながら太陽の周りを公転するでしょう。

人間は、必ず死ぬでしょう。

必ず死ぬならば、死へ向かう苦痛を、誕生までの「 陣痛 」と考えて、天国で生きる事や霊の世界で生きる事を、強く願って死ぬ方が、「 安らかな死 」を迎える事が出来ると思います。

私は、「 安らかな死 」を願います。

私が死に直面して、「 生 」への欲望で動揺する私を見ると、私の周囲の親族も、迷惑するでしょう。

私は、「 天国 」にも「 地獄 」にも、行きたくない。

この世を、輪廻転生すれば、充分に満足します。

死後の私が、「あなた」の妻や夫になるかも知れないし、「あなた」の子供になるかも知れない。

そう思えば、「 人を殺してはいけない 」とか「 人類は皆、兄弟だ 」とか「 人を道具に使わない 」などの言葉に同意しませんか?

Poor thinking is as good as no thinking.
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2009年01月20日

2009/1/20・私の創作(誕生するとは何か) 2

私は、「私の創作(誕生するとは何)」の中で、次のように書きました。

それは、「 無明 」について書いた時、「地球は自分の身体」であると書きましたが、この地球、この現実面で、精神的に「 誕生 」しなくてはならない。

身(身体)・口(言葉)・意(意識)が、現実面で、自分の阿頼耶識(arayasiki)となりますが、この中で、「 誕生 」という事実を示す事が必要でしょう。

(以上で引用を終わる)


私が、精神的に「 誕生 」している現場が、この私のブログです。


皆さんは、このブログを見て、「 私が誕生した 」とは思わないでしょう。

私が、身(身体)・口(言葉)・意(意識)というマンホールを通過させて現実面で、「 誕生 」という事実を示す事は、私の能力を超えています。

私は、無駄な努力だと思いますが、このブログで、私の無意識や阿頼耶識(arayasiki)を現実化して、「 誕生 」する事を目指しています。

母親から誕生した時に与えられている身体の機能は、私が、やがて「 親 」になり、死ぬまで使います。

「 親 」とは、「 子供 」を生む事により、生物的に「 親 」となります。

子供を生むのは女性ですから、女性が子供を生む事により、男性より早く「 親 」の意識に到達するでしょう。

男性は、経済的に家庭を支える事により、女性より遅く、生物的に「 親 」となるでしょう。

男性の「 親 」としての意識は、時間の経過と共に、「 氷 」が溶けるように現れると、私は思います。

自分の子供に、身(身体)・口(言葉)・意(意識)を使って、自分の「 人生 」の経験を教えますが、範囲を広げて、世間一般に、経験を伝えるのが「 親 」となる理想です。


私の場合は、このブログで書いているように、精神的な「 親 」ではありません。


私の最大で、かつ最終の「 子 」に対する「 親 」の教育は、私が死ぬ事を、「 子 」に見せる事だと思います。

「 子 」も、やがては死ぬからです。

「 親 」の私は、死ぬ事により、「 子 」の中に生きる、誕生するのです。

その準備は、人生の早い時期にした方が良いと思います。

死期を宣告されてから始めるのは、遅いと思います。


死ぬ事は必然ですから、私の独自の解釈として、釈迦が「 苦 」と言った「 死 」を、「 苦 」とは思わない事に決めました。

「 死 」は、必ず訪れます。

「 死 」を恐れる「 生 」の欲望を抑制する事を、私が精神的に「 生まれる 」ための痛みや苦しみを耐える事であると解釈します。

私を生む時、母親は非常に大きい痛みや苦しみを感じたと思います。

母親は子供を生むために、非常に大きい肉体的な痛みや精神的な苦しみに耐えたと思います。

私が、精神的に私を生むためには、母親が耐えた苦しみに劣らない苦しみを、今度は、私自身が耐える事になるでしょう。

私の欲望の強さに比例して、その痛みも大きいと思います。

これは、努力目標です。

私が死ぬ時は必死に「 生きる事 」を求めると思いますが、目標を作りたいのです。


「生きるため」という言葉で、Google 社の検索を使うと、次のようなタイトルを発見しました。


「死ぬ」ために生まれて……そして、生まれるために「死ぬ」こと
David Icke in Japan

興味を持つ人は、検索してください。

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2009年01月19日

2009/1/19・私の創作(誕生するとは何か)

私が、「内なる宇宙は胎内である」と言いましたのは、物質面の現象と、心霊面の現象の二つの方向から、物事を考えているのです。

物質界の現象は、心霊界、精神の世界での現象とは、必ずしも一致しないと思います。

前述しましたように、生物としての「 親 」が、精神的な「 親 」であるとは、必ずしも言えません。

セックスは、男女の現象面での快楽の追求として取り上げる話題ではなくて、「 自分が親となるための行為 」として把握した方が良いでしょう。

「 誕生 」も、「 胎内 」も、同じように、物質面と心霊面から考えた方が良いでしょう。

母親から生まれて、長い時間が経過しても、「 親 」にとっては、「 子供 」は時間巻の経過と関係なく「 子供 」であり、親に対して、子供ではないと言うためには、「 子供 」の精神を卒業しなくてはならないように、物質界の「 誕生 」は、生物としての「 誕生 」であり、その頭脳は、「 胎内 」の状態であると思います。

肉体的に「 生まれた 」だけであり、心霊的、精神的には、まだ「 あの世 」の頭の内容です。


精神的に「 誕生 」しなくてはならない。

それは、「 無明 」について書いた時、「地球は自分の身体」であると書きましたが、この地球、この現実面で、精神的に「 誕生 」しなくてはならない。


身(身体)・口(言葉)・意(意識)が、現実面で、自分の阿頼耶識(arayasiki)となりますが、この中で、「 誕生 」という事実を示す事が必要でしょう。



私は、物質界と心霊界の面で、物事を見る事しか出来ません。

他のブログで、「 修行 」をしている人もいます。

自分の阿頼耶識(arayasiki)を、「 修行 」により、改善する事が、「 誕生 」であるかも知れません。

私は、相変わらず、言うだけしか出来ませんので、いつまでも、「 胎内 」にいるのだと思います。

Poor thinking is as good as no thinking.
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