2009年08月02日

2009/8/2・オカルト(二つの眼と二本足の考え)B

二つの眼が、力線(ベクトル)を発見して、それが視床下部を通って、緊張やストレスになる事は書きましたが、それ以降を書きます。

前回、見る事は、「色」を感じるが、実際は「光」と「闇」しか存在せず、「色」を感じるのは、「光」が物体に反射する光量子がRNAかDNA によるものだと書きました。

もう一つは、「二つの眼が希望」を作ると書きます。

見る事により、遠近を知りますが、これは、希望や欲望の増大になると思います。

行動は無意識の「欲」が原因ですが、見るという精神行為により、それが「欲望」や「希望」に変わると思います。


DNA は、自己増殖が任務ですから、意識の座標では、見える所は全部、自分の支配下に置く事を望みます。

そして、夜は照明で見えない所を見るように、道具を使って見えない所を見たり、人間を道具に使って、見えない所を、自分の支配下に置きます。


これは、DNAの働きで、動物の持つ本能であり、非難はしませんが、共存して、「欲望」の代わりに「希望」を持つ社会になる事が望ましいと思います。

意識を重視して、無意識は無いと言ったり、支配の為の学問は、「一本足打法」です。

打撃する時は、「二本足打法」になるのですから、「二本足打法」の変形です。

それは、力は発揮されるでしょうが、不安定で、不安定を消すために、努力しているのでしょう。

しかし、野球は、楽しむ所に意義があるのです。

私は、頭脳明晰ではないので、「二本足打法」で楽しみながら考えます。

未来が不安であるため、不安を消すために支配するのかも知れませんが、不安は、自分の心の投影である事は、昔から言われてきました。

夜は眠るように、「欲望」のスイッチを消して、人間の本来のリズム、自分のリズムで生活するのが良いと思います。

Poor thinking is as good as no thinking.
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2009年08月01日

2009/8/1・オカルト(二つの眼と二本足の考え)A

これは、フィクションであり、私の認識論です。

私は、現実が夢という未来と経歴という過去が、同一時に存在し、意識と無意識が混在して存在し、形を決めるのが意識であり、RNA であり、内容はDNA という無意識が決めるものだと思います。

私が「映像」として書いたのは、本当は「 色 」は無くて「 光 」と「 闇 」の世界で、光の反射を、RNAやDNAで「 色 」として見ている。

結局は、昆虫などの動物の眼のように、「 色 」は単色だけかも知れない。


「 眼は心の窓 」と言いますが、身体の外面の世界と内面の世界が、二つの眼を往来していると考えます。

「 心 」は、私の書く文章かも知れません。

先ほどの文章で、「電圧」を調整するとか書きましたが、人体で電気が発生する理由を知りません。

ただ、DNAやRNAや酵素が存在するから、電気も発生するだろうと思っています。

現時点では、生命の存在に「電気」が流れているという夢を持っています。

頭脳の中の細胞のRNAの働きにより、電場が発生し磁場が発生するのが、私の夢です。


Poor thinking is as good as no thinking.
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2009/8/1・オカルト(二つの眼と二本足の考え)

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

私は、還暦に近づき、一つ一つ自分が納得するような認識論を作らなくてはならない。

これは、フィクションですから、知識を求める人は去ってください。

二つの眼が、風景や事物の奥行きを知り、遠近が、視床下部を通って、ホルモン系の松果体を刺激して、ストレスを形成するだろうという考えは、既に書いた。

2009/7/16・オカルト(二つの眼と視床下部)
http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/8572388.html#comments

今回は、二つの眼で、「映像」として「見る」事について考えます。

参考にする本

光で語る現代物理学
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4061327623/ref=sr_1_olp_1?ie=UTF8&s=gateway&qid=1249060261&sr=8-1

プランクは、熱放射で出てくる振動数ν(nyuu)の光(電磁波)のエネルギーEは、hνを単位として、その整数倍しかとれなく、E=hνであるという。(h はE とνを結ぶ定数で「プランク定数」と呼ばれている)

「同書、103ページより引用」


この飛び飛びの光のエネルギーを「光量子」として光電効果を考えたのが、アインシュタインです。

私は、この飛び飛びの光のエネルギーの変化が、スペクトル解析されて「 色 」の変化として現われるのに注目します。

「 色 」は、飛び飛びの光のエネルギーの「光量子」が、二つの眼に衝突するから、生じると考えました。



「実験原理はヤングの干渉実験の応用に他ならない。
つまり、光の代わりに電子を適当な「スリット」に入射させ、干渉を起こさせようというわけである。
ここで、スリット役に選ばれたのが、結晶である。
さきほど述べたように、電子の波長λ(ramuda)は、運動量Pに反比例する。そこで加速電圧を調整して運動量を決めると、電子の波長は、結晶内の原子どうしの間隔(原子が並んだ面……これを「格子面」と呼ぶ……どうしの間隔)と、ほぼ同程度になる。
こういう条件が満たされれば、光の場合と同様、電子も干渉を起こすことになる。
こうして、ドゥ・ブロイの予言どおり、電子の波動性が実証された。」

(同書、115ページより引用)

私の解釈

「実験原理はヤングの干渉実験の応用に他ならない。
つまり、光の代わりに電子を適当な「スリット」に入射させ、干渉を起こさせようというわけである。

(光の代わりに、飛び飛びの光のエネルギーの「光量子」を「 RNA 」に入射させて、意識の座標に干渉を起こさせる)

ここで、スリット役に選ばれたのが、結晶である。

(ここで選んだのが「 RNA 」という構造体)

さきほど述べたように、電子の波長λ(ramuda)は、運動量Pに反比例する。そこで加速電圧を調整して運動量を決めると、電子の波長は、結晶内の原子どうしの間隔(原子が並んだ面……これを「格子面」と呼ぶ……どうしの間隔)と、ほぼ同程度になる。

(生体内では、電圧は一定で、運動量は一定で電子は動き、構造体の原子どおしの間隔と同じ程度の波長になると考えます。)

こういう条件が満たされれば、光の場合と同様、電子も干渉を起こすことになる。

(飛び飛びの光のエネルギーの「光量子」は、無意識の気(ki)として、無意識を構成するRNAに入射して、そのRNA の構造がスペクトル解析をして、最も「強い光の色」、最も振幅が大きい光の振動数を、社会で理解される「 色 」という情(zyou)に当てはめて決定して、二つの眼で映像を見ているのだと思います。)

私が「 色 」を判断するのは、無意識でプランク定数の整数倍の反射光を、RNA でエネルギーを転換して、景色を見ているかも知れません。

図形や文字の形式として伝達されるのは、情(zyou)であり、その中身、内容は、無意識の気(ki)であると考えます。


Every miller draws water to his own mill.
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2009年07月28日

2009/7/28・オカルト(整理)二つの時空から二本足の考えB

私の「 二本足の考え 」は、私の独自の考えの上で構築しており、知識ではありませんので、賛同を求めません。

以下は、私の独自の考えです。

2009/7/2・考えた事

これは私の、独自の考えです。

私は、楕円に二つの中心があるように、私の考えも、二つの座標で考えました。

それは、ラグビーのボールのように立体的に考えています。

「精神の座標」は、時間意識と空間意識が電磁波の構造を作り情(zyou)を過去から現在や未来へと運びます。

その座標軸は「本能の座標」の「好き」と「嫌い」の合力である生命のベクトルであると考えています。

生命のベクトルが、「精神の座標」の周期や速さを決定します。

生命のベクトルが、エネルギーであるかも知れません。

「本能の座標」を、気(ki)とDNAの「霊」で構成し、前者は空間的な無意識、後者は時間的な無意識です。

現実社会で、「色」を見た場合、その色の印象は各自、DNA の数と同じほど違い、「個性的」ですが、「色」や「形」は、社会的な教育が原因で、言葉を使いますから、社会的な情報です。

意識の世界は、情(zyou)で、「物語」です。

「意識の座標」の「色の名前」や「形」は情(zyou)として、情報として伝達し、DNAの数と同じ「個性的な色」は、無意識の領域で、写真のように印象として残ると思います。

私は「実体」の認識は社会的ですが、外部の色が「個性的な色」であるという判断は「無意識」により行われ、無意識により決定されると思います。

無意識の世界は、気(ki)が、外部と体内を連結しています。


これは、私の独自の解釈です。


2009/7/4・考えた事

以上の考えを「 二本足の考え 」と名前を付けます。

……(省略)……

意識と無意識に関しては、意識しか存在しないと主張する人が正しいかも知れないが、私は、「二つの軸」として、考えます。

……(省略)……

意識の時空と、無意識の時空を一つだと考えると、現実世界に、意識と無意識が混在しているという結果になります。

混在する物で、一方が情(zyou)という「物語」であり、他方は気(ki)というエネルギーとして、次元は違っても、混在すると思います。

……(省略)……

そして、人間の行動を決定するのは、「意識」ではなく、「無意識」であり、「 人格 」であると思います。

私は、「欲」は、「人格」の引力と考えますから、人間は全て、欲で動くと思います。

無意識に、「欲」を持って行動しますから、「人格」を「霊」へ向上させる事が必要だと思います。



2009/7/28・考えた事

私は、意識の下に潜在的に無意識があるとは考えないで、同時に存在し、前者は情(zyou)という「物語」を人から人へ伝え、人は、その伝えられた情(zyou)の「物語」を自分の無意識で実体を決定する。

あるいは、無意識に獲得した実体の中から、「物語」を抽出して他人に伝える。

意識の拡大は、無意識の縮小ではなく、無意識の拡大を導く。

情(zyou)という「物語」を伝達するが、実体は受け取る人が自分の無意識で決定し、その無意識は、人格の引力である「欲」である。

「欲」で人間は行動を決定し、意識は道具である。

以上の過程は、「 二つの眼 」により獲得された、遠近の上で成立する。

この考えは、私の独自の考えであり、何の根拠も無い。

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2009年07月27日

2009/7/27・オカルト(整理)二つの時空から二本足の考えA

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
生物の話をするが、生物の知識は持っていない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

二つの時空が、中心を持ち、「ラグビー・ボール」のように立体的な楕円形という形態を採用することは、「 独り言 6 」で書きました。

「独り言 6」
http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/cat_326500-1.html

私の考えも、これで終わりだろうと思っていましたが、60歳の「 還暦 」を目前にして、これまでの考えを覆す考えを持ちました。

これまでの考えを「水泡に帰す」かも知れない考えは、「 二つの眼 」からヒントを得ました。

キリストも仏陀も、二つの眼で世界を見ただろうし、意識と無意識も持っていただろうし、時間と空間も考えたと思います。

けれども、これまで人類史上の誰が、それらの問題を解決したでしょう。


時間や空間は、カントが考え、意識と無意識は哲学者が考えました。

「存在と時間」で何が解決したのでしょう。

時間ですか? 存在ですか?

私から見れば、ニュートンの考えた時間を「持続」と称して、先祖代々、伝えているとしか考えられません。

地球や太陽などの天体の運動や、エーテル体を媒介にしての引力は、人類、いや、私が生まれた前は存在していたと思うが、私が「時間」や「空間」というのは、私にとっての「時間」や「空間」であり、それは「時間意識」や「空間意識」として、私だけが持っている。

世界中の人類は全て、生まれたばかりの赤ちゃんを含めて「時間」や「空間」を既に知っていて、説明は必要では無いのは、何故か?

「二つの眼」を人類が持つ理由と、その効果については哲学者は、疑いもしなかったと思います。

皆、当たり前の事。 常識です。

しかし、それを疑うのが哲学だと思います。

私の考え

私が、これまでの考えを覆すというのは、意識の時空の中心がRNA で、無意識や「 心 」や、本能の時空の中心が、DNA だと思うからです。

RNAワールドという仮説が存在します。

これは、RNAが、生命の発生時に、RNA が遺伝情報の維持(現在のDNAの役割)と、酵素のような生化学的触媒の両方を持っていたという仮説です。

私は、生物の全てを差別するが、平等な物質として、DNAとRNAを考えています。

そして、意識の時空の中心がRNA で、無意識や「 心 」や、本能の時空の中心が、DNA だと思うからです。

DNAとRNAを、阿弥陀如来の形態化として考えます。

「時間」と「空間」を創ったのは、それらを超越する阿弥陀仏だから、「時間意識」も「空間意識」も阿弥陀如来からの生物への「 贈り物 」です。

阿弥陀仏は「創造主」と置き換えても同じです。

それは、ミクロの世界では、細胞ですが、大きく考えると、地球も楕円形していますから、地球の全部の生物の中心が、二つあり、意識の時空の中心がRNA で、無意識や「 心 」や、本能の時空の中心が、DNA であり、それらは、北極と南極のような働きをしているかも知れません。

生命の当初は、RNAワールドであったのは、人間の眼も、当初は一つだったかも知れない。

頭脳が二つに別れる事により、一つの眼が左右の頭脳に一つずつ発生し合計三個になり、当初の一つの目は、「松果体」であるかも知れない。

人体に二対の器官があるのは、脳が左右の二つの脳があるからかも知れないと考えています。

このDNAとRNAを考えながら、キリストや仏陀の事を考える必要があると思います。


Poor thinking is as good as no thinking.
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2009年07月20日

2009/7/20・オカルト(整理)気(ki)と情(zyou)と霊とエーテル体

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

私は、知識や学問として、認識論を書いていません。

知識を求める人は、他のブログを見てください。

さて、これまでの私の記事で、Yahoo USA の掲載に多くの迷惑をかけている事を知り、私の言葉に少しの解説をしたいと思います。

それは、気(ki)と情(zyou)と霊とエーテル体です。

Yahoo USA 「気(ki) m24658」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkjo0g2FKz88Ahg6l87UF?p=%E6%B0%97%28ki%29m24658&fr=yfp-t-313&fr2=sfp&iscqry=

Yahoo USA 「情(zyou) m24658」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkmvWg2FK51oBtE5XNyoA?p=%E6%83%85%28zyou%29%E3%80%80m24658&fr=yfp-t-313&fr2=sb-top&sao=1

Yahoo USA 「霊 m24658」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGk9wZm2FKRRYBi6el87UF?p=%E9%9C%8A%E3%80%80m24658&fr=yfp-t-313&fr2=sfp&iscqry=

Yahoo USA 「DNA m24658」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkx4gtGFKcz0ApA.l87UF?p=DNA+m24658&fr=yfp-t-313&fr2=sfp&iscqry=

Yahoo USA 「エーテル体 m24658」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGk0nOtGFK9EMAFD2l87UF?p=%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E4%BD%93%E3%80%80m24658&fr=yfp-t-313&fr2=sfp&iscqry=

このように、Yahoo USA は、私の言葉を積分的に、あるいは総和で、分析していると思います。

しかし、私の考えは「任意」で「恣意的」で、過去の記事から常に変化しています。

私が、現時点で考えている内容を書きますので、違った内容になるかも知れません。

私の考えは、単純です。

@
気(ki)は、「場におけるエネルギー」と考えています。
地球を囲む大気(taiki)は、地球という場で、生命維持には不可欠な空気(kuuki)であり、人体は肺だけでなく皮膚の毛穴からも呼吸し、それを統御するのは「脳幹」という「本能の時空」で「無意識の時空」です。

磁気(ziki)は、磁場という空間が持つエネルギーだろうし、電気(denki)は、電場という空間が持つエネルギーです。

磁場を「時間」、電場を「空間」という背景を考えて、創ったのは阿弥陀如来か神かも知れませんが、自動車や飛行機などに乗り、時計を見て時速を知り、場所を探すのは、無意識の気(ki)を感受性によって意識にした「時間意識」という気(ki)と「空間意識」という気(ki)による旅行や訪問です。

意識は電磁波であり、電場から派生すると考えるからです。

全ての時間も空間も、気(ki)というエネルギーが充満していると思います。

A
情(zyou)は、「物語」として考えています。

人間と動物の間に、「会話」という「物語」はありませんが、猟犬や番犬のように、動物同士の意思疎通は存在すると思います。

それを含んで情(zyou)を考えますと、生命体同士の意思疎通の「物語」が情(zyou)であります。

人間の「物語」は、ゲームのように始めと終わりがあり、「任意に」区切る事が出来ると思います。

また、情報(zyouhou)としての情(zyou)は、言語では「範疇」や「概念」であり、内容の「実体」は情(zyou)ではないと思います。

「実体」は、「無意識の欲」が決定し、意識や精神は始めと終わりで区切るしか出来ないと思います。

つまり物質が脳や言葉の中に入るのではなく、物質を実数と考えると、虚数として頭脳で理解されると思います。

だから、「物語」であり、「フィクション」であると思います。

「実体」が「無意識の欲」で決まると、客観的な情報にするため、物質の周波数や熱などで「実体」の内容を決めますが、これは社会生活の為であり、個人の内容としてはDNAの数だけ相違すると思います。

私は、そこに「直感」の働く場所を作ります。

また、情(zyou)は、情事(zyuzi)という言葉が、SEXを意味する言葉ですから、大変、人間的な情報だと考えています。


B
霊(rei)は、気(ki)と情(zyou)の両方を内部に含み、人間が介入する事は不可能であると考えます。

時空と生命を創った阿弥陀如来、それ自体が霊だと思います。

これを空間的には、エーテル体、時間的にはDNAの連鎖を物質として、前者は真空状態の「引力」という「力」として現れ、後者は「輪廻転生」する「生命の力」として現われると考えます。

真空状態のエーテル体は、地球と月や太陽の間だけでなく、地球を囲んでいますから、「光」が地球に届くと思います。

真空は何も無いのではなく、ディラックの「空孔理論」のように、何かが満たしているかも知れません。

人体も、全てに血液や神経が、常に流れているから瞬時に反応する事が出来るように、何かが満たしているから、重力や引力が瞬時に伝わると思います。

DNAについての知識を持っていませんが、私は、人間の行為の全てが、DNA とRNA に集約されると思っています。

意識と無意識の領域も、RNA とDNA の関係で説明が可能かも知れません。

例えば、二重らせん構造が自意識あるいは「時間意識」と「空間意識」で、紡錘体があるとすれば、それが五感という意識で、塩基対が「実体」であるなどと考えます。

そして、RNA は、DNAという意識が拡大する時であり、転写が完成し翻訳された時、新たなニューロンの回路が成立した場合かも知れません。

そして、人体が全てDNA に満たされていると考えると、人体の全てが、意識を感じる器官となり、「人間は霊的動物である」と考える事が出来ます。


これは、現時点の考えです。
変更するかも知れません。

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2009年07月19日

2009/7/19・オカルト(整理)二つの時空から二本足の考え

私は、心臓と脳を考えると、「二本足の考え」という考えを持つようになりました。

意識と無意識が重なり、無意識は意識に隠れて、意識だけを考えるのが正しいかもしれませんが、私は、並列的、同時的に、意識と無意識を考えます。

意識と無意識を、「精神」と「本能」と考え、前者が「大脳」、後者は「脳幹」で発生すると考えます。

「大脳」は思考しますし、「脳幹」は、呼吸や心臓などの循環器やホルモンに関係します。

遺伝子レベルでは、前者がRNA で、後者はDNA だと思い、DNA の二重らせん構造を解く「酵素」は、「脳幹」のホルモンか、生体に流れる電流により生じると思っています。

二つの中心が、「今」存在し、意識は情(zyou)という「物語」の始まりと終わりを区切り、無意識は、気(ki)や霊として、始まりと終わりを決定する。

私に実体として知らせる感覚器官の感受性により、情(zyou)は意識の内容、気(ki)は、無意識の内容として把握されると思います。

これが、現時点の考えです。

後日は、私の過去の記事から、好きな記事を取り上げて、情(zyou)や気(ki)や霊などを、オカルト的に考えますので、無視しても良いと思います。


Every miller draws water to his own mill.
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