2009年10月22日

2009/10/22、オカルト(魂の二本足の考え)記憶 4

これは、フィクションです。

今日の記事で、問題にするのは、2009/10/20、と2009/10/21、の記事の以下の部分です。

「 意識という「 光 」が届く範囲が、想起する範囲だが、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」は蓄積して、「 人格 」となり、想起する事が出来なくなると考える。」

私が主張する「 二本足の考え 」とは、現実生活で認識する時は、同時に「 意識 」と「 無意識 」の二つの意識を使う事である。

そこで、「 意識 」しながら「 無意識 」である、つまり「 意識 」の中の「 無意識 」を考えた。

記憶は、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」であり、「 時空の歪み 」とは、一般相対性理論では巨大な「 重力 」である。

小さな「 時空の歪み 」が集まって蓄積し、「 意識 」の「 光 」が届かなくなって、想起する事が出来なくなって、「 人格 」を形成するから、「 意識 」に、「 人格 」という「 無意識 」が連結していると考える。

これが、「 意識 」の中に「 無意識 」が存在する事であり、「 二本足の考え 」で行為していると考える。

2009/10/22、私の考え

以上が、「 魂の二本足の考え 」ですが、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」が、記憶から、どのような変化をするかを考えました。

二つの眼などの感覚器官から、得られた「 力線 」は「 霊 」だから、意識で解消する事は出来ず、無意識の中でストレスになる。

それは、無意識の「 気持ち 」である時空や、「 無意識の座標 」である「 価値観 」を、一時的に変形するエネルギーであり、「 気持ち 」の内部の気(ki)と統合されて「 生々しい記憶 」として、脳細胞に刻まれる。

「 生々しい記憶 」とは、無意識の時空の中で、人物や事物の関係に論理性があり、整合性があり、次の新たな状況を解決するのに役立つ情報で、論理性、整合性のため、「 エントロピー 」は小さいと考える。

「 エントロピー 」の増大は、「 生々しい記憶 」が薄れ、論理性や整合性が失われる事だが、「 人格 」という「 無意識 」に変化する前の状態があると考える。

論理性や整合性が失われているのは、「 夢 」である。

「 夢 」は、「 記憶 」が時間のエントロピーの増大により無秩序になるのではなく、「 記憶 」のエネルギーが持つ論理性や整合性が失われて無秩序になる事による、「 エントロピーの増大 」であると考える。

「 夢 」は「 記憶 」の一種で、「 記憶 」の論理性や整合性が失われ、時間ではなくて、記憶を統合する「 価値観 」のエントロピーが増大した状態であると考える。

出来事を忘れたり覚えていたりするのは、「 記憶 」の時間の経過によるエントロピーの増大ではなく、「 気持ち 」の論理性や整合性が失われる事によるエントロピーの増大であり、「 記憶 」は「 夢 」と似た無意識になり、「 夢 」と「 記憶 」が統合して、再び現実世界で「 発明 」や「 新発見 」になると考える。

オカルト的には、受信機さえあれば、「 夢 」の状態から鼓動を動力として、「 意識 」の「 電磁波 」を送り、通信することも可能だと考える。

「 記憶 」から「 夢 」になり、現実の「 発明 」になる「 循環 」を考える。

これは、昔の哲学者が言う「 時熟 」という考えでは不可能な事で、時が全てを解決するのではなく、眠っても覚めても「 一つの課題 」を考えるヒトに、「 神 」は現れると考える。


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2009年10月21日

2009/10/21、オカルト(魂の二本足の考え)記憶3

これは、フィクションです。

私の記事を、Yahoo USA は、掲載してくれました。

大変、感謝しています。

Yahoo USA 「 魂の二本足の考え 」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGk79s8t1K.EIBwaml87UF?p=%E9%AD%82%E3%81%AE%E4%BA%8C%E6%9C%AC%E8%B6%B3%E3%81%AE%E8%80%83%E3%81%88&fr=yfp-t-158&fr2=sfp&iscqry=

今日の記事で、問題にするのは、2009/10/20、の記事の以下の部分です。

「 意識という「 光 」が届く範囲が、想起する範囲だが、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」は蓄積して、「 人格 」となり、想起する事が出来なくなると考える。」

私が主張する「 二本足の考え 」とは、現実生活で認識する時は、同時に「 意識 」と「 無意識 」の二つの意識を使う事である。

そこで、「 意識 」しながら「 無意識 」である、つまり「 意識 」の中の「 無意識 」を考えた。

記憶は、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」であり、「 時空の歪み 」とは、一般相対性理論では巨大な「 重力 」である。

小さな「 時空の歪み 」が集まって蓄積し、「 意識 」の「 光 」が届かなくなって、想起する事が出来なくなって、「 人格 」を形成するから、「 意識 」に、「 人格 」という「 無意識 」が連結していると考える。

これが、「 意識 」の中に「 無意識 」が存在する事であり、「 二本足の考え 」で行為していると考える。

その「 人格 」は、脳幹の無意識であり、「 欲 」は「 人格 」の引力だから、現実生活の「 欲 」を満たす無意識の行動は、「 人格の行動 」である。

「 時間意識 」と「 空間意識 」を変形して蓄積した記憶が、「 無意識の座標 」や「 無意識の価値観 」を形成すると考えると、形成する時間も必要であるし、形成された後は、「 意識 」の「 光 」の進行を曲げる「 重力の力 」となり、個人の「 価値観 」が、正しい認識(正見(syouken))を妨害して、間違った行為をすると考える。

これは、避けられない事で、避けられないから、人格の鍛錬が必要だと考える。



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2009年10月20日

2009/10/20、オカルト(魂の二本足の考え)記憶2

これは、フィクションです。

時間と空間を「 時間意識 」と「 空間意識 」であると考え、意識は電磁波の構造を持ち、速度が一定である事との関連を考える。

意識は電磁波と言うが、現実生活では、他者との信号の交換だが、「 魂の二本足の考え 」の中では、「 無意識 」の「 意識 」に対する「 力 」を感じる「 感受性 」の「 力 」であると考える。

その一つの「 力 」は、「 記憶力 」や「 想起力 」だろう。

「 力 」は、「 持続する価値観 」であり、記憶や想起は、ストレスを受けた後遺症の「 時空の歪み 」という「 力 」を、持続する「 無意識の価値観 」から「 意識 」が拾い上げて、「 意識の価値観 」の「 気持ち 」に持ち込む事であり、「 記憶の内容 」は、「 時空の歪み 」を持つから、意識で、再構築する必要がある。

時間と空間を「 時間意識 」と「 空間意識 」であると考え、意識は電磁波の構造を持ち、速度が一定であるとは、意識は、DNA から生じるもので、人類は皆、一定だろう。

相違するのは、個人のDNA であり、ストレスを受けた後遺症の「 時空の歪み 」の「 記憶 」であると考える。

2009/10/20、私の考え

私の考えは、ヒトが、「 時間意識 」と「 空間意識 」として時間や空間を意識の中に採用していて、二つの眼から入った「 力 」がストレスとなり、価値観という「 力 」と衝突し、その衝撃で獲得した気(ki)というエネルギーや情(zyou)という物語を、「 気持ち 」の中に、マイクロフィルムやDVD で保管するように、意識を使って折りたたんだものを、記憶と考え、意識が発した電磁波で、解凍する事を「 思い出す 」事であると考えている。

だから、まず、時間や空間は存在してると思うが、それを、「 意識 」として持っていて、「 意識 」を自由に変形し、「 意識 」は「 光の球 」のように過去の「記憶」を照らすと考える事が私の出発点である。

思い出すのは、時間でも空間でもなく、自分が活動した体験であるが、「 体験 」というのは、時間と空間で折りたたまれた物語や光景であり、インスタント・ラーメンや保存食に湯を入れて食べたり、冷凍された魚を解凍して食べるのが、「 思い出す 」事だと思います。

ストレスの後遺症である「 時空の歪み 」は重力であり、「 無意識の価値観 」を形成する個人の固有の重力であり、それが「 意識の価値観 」では、個人のコンプレックスや優越感として、「 気持ち 」という意識の統一体に現れるが、社会の知識により、濃度が薄くなるが、無意識のエネルギーとして、「 気持ち 」の全体を支配すると考える。

意識という「 光 」が届く範囲が、想起する範囲だが、ストレスの後遺症の「 時空の歪み 」は蓄積して、「 人格 」となり、想起する事が出来なくなると考える。

これを破壊するのは、「 意識 」からの教育であるし、信仰であるし、「 正見 」する事による、欲望のコントロールだろうと思う。

老人の認知症を判定するために、記憶を「 短期記憶 」と「 長期記憶 」と分ける考えもあるが、私は、賛成しない。

時間や空間を、「 真剣に考えないで 」、パブロフの犬のように、「条件と反射」で区別する、安易な、科学的な考えだと思うから賛成しない。

「短期 」とか「長期」という「 測定する時間 」の問題ではなくて、個人の「 感受性 」の問題であり、感動しない印象を、「長期」に記憶する事が不可能だと、科学者は、「 なぜ 」気づかないのだろう。

「 記憶力が強い 」というのは、「 頭脳が明晰である 」で「記憶力を鍛錬する 」のではなく、何に対して感動し、何に対して問題意識を持つかという感受性の強さであり、人間的な人格の問題だと思う。



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2009年10月19日

2009/10/19、オカルト(魂の二本足の考え)記憶

これは、フィクションです。


二つの眼から、「 力線 」を感じて、脳幹の視床下部を通って、無意識の中にストレスを発生させるが、「 力 」は「 霊 」ですので、意識で解決する事が出来ないから、ストレスになる。

何がストレスになるかは、個人が持つDNA や「 価値観 」に左右され、それは、生命的で社会的な「 霊 」が、個人のDNA を通過して、意識や無意識の総体である「 魂 」の中に現れているからだと思います。

2009/10/19、私の考え

時間と空間を「 時間意識 」と「 空間意識 」であると考え、意識は電磁波の構造を持ち、速度が一定である事との関連を考える。

意識は電磁波と言うが、現実生活では、他者との信号の交換だが、「 魂の二本足の考え 」の中では、「 無意識 」の「 意識 」に対する「 力 」を感じる「 感受性 」の「 力 」であると考える。

その一つの「 力 」は、「 記憶力 」や「 想起力 」だろう。

「 力 」は、「 持続する価値観 」であり、記憶や想起は、ストレスを受けた後遺症の「 時空の歪み 」という「 力 」を、持続する「 無意識の価値観 」から「 意識 」が拾い上げて、「 意識の価値観 」の「 気持ち 」に持ち込む事であり、「 記憶の内容 」は、「 時空の歪み 」を持つから、意識で、再構築する必要がある。

時間と空間を「 時間意識 」と「 空間意識 」であると考え、意識は電磁波の構造を持ち、速度が一定であるとは、意識は、DNA から生じるもので、人類は皆、一定だろう。

相違するのは、個人のDNA であり、ストレスを受けた後遺症の「 時空の歪み 」の「 記憶 」であると考える。

身(身体)口(言葉)意(意識)の中で発揮する時、意識が一定であるため、その「 相違 」は、「 魂 」という「 気持ち 」の温度差、エネルギーの差や「 欲 」に現れると考える。

それは、プランクが、溶鉱炉の色から温度を推測したように、他者から、「 人格 」の持つ「 引力 」という「 力 」として、判断されるかも知れない。



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2009年10月18日

2009/10/18、オカルト(魂の二本足の考え)出発1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

これは、フィクションです。

これまでの記事を、簡単にしますと、「 二本足の考え 」とは、地球が自転して人間は、絶えず新たな行為を求められるから、現実世界は「 意識 」と同時に「 無意識 」が混在する世界だと考えます。

「 無意識 」で「 内容 」を判断し、決定し、「 意識 」は、その決定の合理化、正当化する道具だと考えます。

それが、色即是空であると考えます。

二つの眼から、「 力線 」を感じて、脳幹の視床下部を通って、無意識の中にストレスを発生させるが、「 力 」は「 霊 」ですので、意識で解決する事が出来ないから、ストレスになる。

何がストレスになるかは、個人が持つDNA や「 価値観 」に左右され、それは、生命的で社会的な「 霊 」が、個人のDNA を通過して、意識や無意識の総体である「 魂 」の中に現れているからだと思います。

行為には、「 価値観 」が必要だと考えます。

「 価値観 」という「 力 」は、DNA の遺伝情報に含まれるかも知れませんが、生まれた時代の価値観の影響が大きいと思います。

ストレス発散のために、どんな行為を選択するのかは、個人のDNAを通過した「 価値観 」という「 力 」が具現化すると思います。

「 魂 」の「 二本足の考え 」は、「 意識と無意識 」の部分は、2009/8/26に考えた記事が参考になり、身(身体)口(言葉)意(意識)の「 行為 」の決定には、2009/9/28に考えた記事が参考になると思います。


これから、「 魂の二本足 」について書きたいと思います。

参考


2009/8/26

「二本足の考え」とは、意識の「 気持ち 」の中心と、無意識の「 気持ち 」の中心が、直線上に存在し、身(身体)口(言葉)意(意識)を「 外界 」との境界にして、それを円周とした楕円状のラグビー・ボールであり、一方の中心から発した意識の衝撃波は境界で反射され、複素数の二乗のように符号が変わり、逆方向になり他方の中心を破壊して、「 気持ち 」を破壊したり、意識や無意識の感受性を増幅させて刺激すると言う考えです。


私は、「意識は電磁波である」という考えですから、それぞれ、二つの中心(焦点)から意識の光を発して球状になり、意識と無意識は重なるが、相違する所もあり、地球のように楕円形をしているのが「意識の総体」である「霊」であり、二つの中心(焦点)から意識の光を発するのは「 今 」という現在からであると考えます。

電磁波のように進む先端から、記憶や想起や不安という「感受性」を、進行方向とは逆の過去に向けて発信し、突き上げる意識により、自分が自分であると確認しているのが「 自意識 」であると考えます。

「 外界 」とは「 今 」と言う現実世界です。

「 気持ち 」とは、漢字で書きますと、気(ki)を持つ(hold) で、持つ(hold)事を可能にしているのは、意識では記憶でしょうし、無意識では「好き」や「嫌い」という感情だと思います。

意識は主に「大脳皮質と連合野」で生まれ、無意識は主に「脳幹」で生まれ、前者は「 論理 」、後者は「 感情 」を特徴とすると思います。

無意識は、エネルギーとしての気(ki)と、DNAという生命を原因とする「 霊 」から構成されると考え、二つの「 感受性 」を必要とすると考えます。

ですから、「好き」や「嫌い」の感情は、気(ki)の感受性の方向と「霊」の感受性の方向に対する現実を見る「二つの眼」から取り入れた気(ki)により生まれると思います。

それが、「 ストレス 」である事は、以前、書きました。

この意識と無意識が、「 時間意識 」と「 空間意識 」を、「空気」や「大気」のように満たしていると考えます。

2009/9/28、霊と価値観

ここで、「 力 」は、「 霊 」であると考えますと、「 今 」という時点の意識と無意識の二つの焦点から発する信号が、「 持続 」するのは、「 霊 」という「 力 」であり、その「 持続 」により記憶や想起という感受性が生じると思います。

「 霊 」は「 力 」で、「 持続 」という形態を採ると考えます。

「 持続 」が、私の頭脳では理解する事が出来ない天体の重力であれば、太陽や地球の「万有引力」が、「持続」でしょう。

それに類似したものを「 意識 」の中で考えると、「価値観」だろうと思います。

「 価値観 」の性質が「 力 」であり、その「 持続 」という形態が及ぶ範囲が、価値観の範囲であり、「 力 」の大小が、価値観の大小だと思います。


二つの眼から入った力線は、欲の拡大か縮小であり、行為の選択であるが、意識の中の「 価値観 」の対立を総括した「 価値観 」が、「 欲 」というDNAの霊の拡大や縮小を実現する「 力 」という眼には見えない霊として現れる。

「 価値観 」と「 力 」は重なり、「 表 」と「 裏 」の関係であるが、意識と無意識だから、互いに破壊する関係だと考えます。

二つの眼で見えるのは、意識の世界であり、「 行為 」や「 欲望 」だが、実際に、「 行為 」や「 欲望 」を決定するのは、無意識の霊である「 力 」や「 欲 」である。


霊の「 力 」が、見るとか聴くという意識の中で、「 持続 」として現れ、その「 持続 」が「 価値観 」であり、それが見ると聴くという気(ki)を接着して意識と無意識の総体としての「 気持ち 」を形成すると考える。


この「 価値観 」を、私が言う「 座標 」と同一であると考えると、意識の座標は「 意識の価値観 」であり、無意識の座標は、「 無意識の価値観 」であり、意識の総体の中で、常に、二つの価値観が存在する事になります。

上記のように、「 座標 」が「 価値観 」であると考えると、意識と無意識が、ほとんど重なりながらも、別の基準で動くと考えます。

「 意識の価値観 」は、意識の極の「 精神 」からの比較であり、「 精神 」と「 力 」が「 霊 」であり、RNA と似た働きだと考えます。

「 無意識の価値観 」は、無意識の極である「 エネルギー 」や、「 欲 」や「 力 」という「 霊 」からの比較であり、DNA と似た働きだと考えます。

そして、「 意識 」の下に「 無意識 」が隠れているのではなく、「 意識 」と「 無意識 」が、「 時空 」のように、あるいは数学のX軸とY軸のように、互いに必要不可欠であり、相補的であると考えます。

「 空間 」が「 意識 」ならば、「 時間 」は「 無意識 」です。

これは、私が言う「 二本足の考え 」と同じ考えになります。

現実世界は、「意識」と「無意識」の二つの基準が重なっており、外部からの情報が、「意識」で解決する事が出来ない場合は、「無意識」が、ストレスとして受け止めると考えます。


セントラルドグマやDNA複製を、細胞による「 価値観 」の遺伝であり、生物への「 霊 」の具現化であると考えます。

組織や共同体の「 精神 」という「 霊 」が、細胞の中で「 セントラルドグマ 」の「 横の伝達 」に作用し、空間の中で「 自我 」を成立させ、組織や共同体の「 先祖代々の霊 」が、「 DNA 複製 」の「 縦の伝達 」に作用して、時間の中で「 自我 」を形成すると考えます。

遺伝情報を持つ事は、生命を過去から未来へと「 持続 」する事で、持続を可能にする「横の伝達」と「縦の伝達」の存在は、電磁波的な構造を連想します。

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2009年10月17日

2009/10/17、オカルト(二本足の考え)霊魂 3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

これは、フィクションです。

2009/10/14、私の考え

「 霊 」が重力で、「 魂 」の中の気(ki)が、エネルギーであると考えて、「 魂 」の中が、「特殊相対性理論」、「 霊 」と「 魂 」が、「一般相対性理論」と考えたらどのような展開になるだろうか ?

2009/10/17、私の考え

私は、「 霊 」を重力と想定し、「 魂 」を、「 霊 」と根底を同じくして、気(ki)というエネルギーとDNA と意識と価値観が一体となった「 気持ち 」や「 心 」などの「 意識の総体 」であると想定している。

「 霊 」が「エーテル」で、「 魂 」が「 エーテル体 」と想定している。

私の「二本足の考え」が、「 霊 」の世界と「 魂 」の世界で、どのような展開をするか書く予定である。

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2009年10月14日

2009/10/14、オカルト(二本足の考え)霊魂A

これは、フィクションです。

意識と無意識は、「 魂 」と「 霊 」であり、「 二本足の考え 」や「 二つの時空 」というのは、「 私の霊魂 」と言うに等しいかも知れない。

2009/10/14、私の考え

「 魂 」の中に、意識と無意識があり、二本足の考えを採用すると同時に、「 霊 」と「 魂 」は、前者が「 無意識 」で、後者が「 意識 」として、二本足の考えを採用する。

「 霊 」が重力で、「 魂 」の中の気(ki)が、エネルギーであると考えて、「 魂 」の中が、「特殊相対性理論」、「 霊 」と「 魂 」が、「一般相対性理論」と考えたらどのような展開になるだろうか ?

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2009年10月13日

2009/10/13、オカルト(二本足の考え)霊魂

これは、フィクションです。

2009/9/25、私の考え

「 霊 」は、無意識であり、気(ki)が「 電離層 」により、閉鎖されているのが、生命体であり、霊(rei)は、気(ki)と情(zyou)の両方を内部に含み、人間が介入する事は不可能であると考えます。

時空と生命を創った阿弥陀如来、それ自体が霊だと思います。

これを空間的には、エーテル体、時間的にはDNAの連鎖を物質として、前者は真空状態の「引力」という「力」として現れ、後者は「輪廻転生」する「生命の力」として現われると考えます。

以上の考えは維持します。

二つの眼で見て、「 力線 」を意識では解決する事が出来ないからストレスとして蓄積されるという「 二本足の考え 」から、「 力 」は「 無意識の霊 」であると考え、「 力 」は霊だが、自分の体内に「 力を感じる感受性 」で霊を自分の所有物にしたのが、「 魂 」であると考えます。

「 魂 」は、DNA の意識体や生命体と個人の主観的時間で把握した外部の「霊」という「力」であり、「死」によって生命体は消滅するが、身(身体)口(言葉)意(意識)として外部に現れた「力」は消滅しないと考える。

「 霊 」を感じる感覚が無いから、時間的には無意識の中に存在し、空間的な「 力 」が「 霊 」であると考えます。


物理の運動を「 力 」という意味で把握した時、意識の中では、「 霊 」であり、重力が無いと、人間生活が出来ないし、言葉も重力が無ければ意味を失うように、人類の現実の全てを支えているのが「 霊 」であるから、時空と生命を創った阿弥陀如来、それ自体が「 霊 」だと思います。


参考
霊魂 (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%AD%82

「霊魂」という表現は、「霊」という言葉と「魂」という言葉が組み合わされている。

「霊」(れい、たま)は、すぐれて神妙なもの、神、こころ、いのちなど、多様な意味を持っている[4]。

また、そこに何かいると感じられるが、実体としては捉えられない現象や存在(聖霊など)のことを指すこともある。

「魂」(こん、たましい)のほうは精神をつかさどる精気を指し、肉体をつかさどる「魄」と対比されている[5]。

[6] よって、「霊魂」という言葉は「霊」と「魂魄」両方を含む概念を指すために用いられている。

ただし、通常は、個人の肉体および精神活動をつかさどる人格的な実在で、感覚による認識を超えた永遠の存在を意味している[7]。

そして人間だけでなく、動物や植物にまで拡大して用いられることがある[8]。

(引用を終わる)



2009/10/13、私の考え

私が言う「 霊 」とは、契機次第で、あらゆる生命を存在させる、生命に満ちた、生命の源を存在させる「 無明 」という「 生命に満ちた創造的な無 」を想定している。

「 霊 」は、契機(条件)により、「 精神 」となり、「 DNA などの細胞 」となり、「 力 」となり、「 欲 」になり、「 価値観 」により結合した結果、「 魂 」となって、「死 」と共に消滅するが、「 無明 」という「 生命に満ちた創造的な無 」であるため、新たな「 魂 」として生まれると考える。

「 霊 」は、「 無明 」という「 生命に満ちた創造的な無 」であるから、「 魂 」の領域の意識で「無」と規定しても、それでは規定する事が出来ない「 無意識 」として存在すると考えて、「 霊 」が「 魂 」の中に「 無意識 」として存在すると考える。

意識と無意識は、「 魂 」と「 霊 」であり、「 二本足の考え 」や「 二つの時空 」というのは、「 私の霊魂 」と言うに等しいかも知れない。


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2009年09月26日

2009/9/26、オカルト(二本足の考え)霊 A

あるブログで、愚者の考えは、愚かな結論になると書いてありました。

これは、愚者のブログで、フィクションですから、賢者は他のブログを見てくでさい。

2009/9/25、記事

二つの眼で見て、「 力線 」を意識では解決する事が出来ないからストレスとして蓄積されるという「 二本足の考え 」から、「 力 」は「 無意識の霊 」であると考え、「 力 」は霊だが、自分の体内に「 力を感じる感受性 」で霊を自分の所有物にしたのが、「 魂 」であると考えます。

「 魂 」は、DNA の意識体や生命体と個人の主観的時間で把握した外部の「霊」という「力」であり、「死」によって生命体は消滅するが、身(身体)口(言葉)意(意識)として外部に現れた「力」は消滅しないと考える。

「 霊 」を感じる感覚が無いから、時間的には無意識の中に存在し、空間的な「 力 」が「 霊 」であると考えます。


物理の運動を「 力 」という意味で把握した時、意識の中では、「 霊 」であり、重力が無いと、人間生活が出来ないし、言葉も重力が無ければ意味を失うように、人類の現実の全てを支えているのが「 霊 」であるから、時空と生命を創った阿弥陀如来、それ自体が「 霊 」だと思います。


2009/9/26、私の考え

私は、以前、「 無意識は霊で、気(ki)は生命の印 」という記事を書きました。

それに「 霊は力であり、持続を形態とする 」事を追加します。

私は、今まで「 力 」と言う言葉を避けて来ました。

「生命力」や「記憶力」や「能力」、「視力」や「聴力」など、人間の「 力 」は、生物のエネルギーであると思いましたが、エネルギーは気(ki)であると思ったので、「 力 」は使いませんでした。

ここで、「 力 」は、「 霊 」であると考えますと、「 今 」という時点の意識と無意識の二つの焦点から発する信号が、「 持続 」するのは、「 霊 」という「 力 」であり、その「 持続 」により記憶や想起という感受性が生じると思います。

「 霊 」は「 力 」で、「 持続 」という形態を採ると考えます。

「 時間 」は、全ての物体の「 持続 」ではなくて、瞬時の「 時間意識と空間意識のサイカーブが交差して認識が成立する瞬間を接着する力 」(眼の残像のような惰性力)という「 霊 」が現れる「 持続 」の形態であると考えます。

私は、不連続の「 意識 」の中で「 持続 」を解決する事は出来ず、「 時間 」でもなくて、「 持続 」は「 霊 」の形態であると考えます。

私が、意識や考えを持続するのは「 記憶力 」でしょうが、記憶という意識が「 力 」により「 持続 」されるのは、「 霊 」が「 持続 」として現れるのだと考えます。

また、「 力 」は、「 選択 」や「 決定 」であり、一つを採用して他の物を破棄します。

新陳代謝の「 破壊 」も、この「 力 」という「 霊 」の存在を考えます。

二つの眼からの「 力線 」にも「力」という漢字があるから、二つの眼から、「 霊 」が入るのだと考えます。

人体の中にも、DNAから生じる「 祖先の霊 」や、自分を守る「 守護霊 」が存在し、二つの眼から入って来た「 霊 」に共鳴すると思います。

内なる宇宙を変形して「 ストレス 」の状態にするのも「力」という「 霊 」であり、霊の持続により病気になるのかも知れません。

昔の日本で施された、悪霊を払う加持祈祷なども、病気の状態の「 霊 」を追い払うという意味に解釈します。

現代では、病気の治癒のため注射や薬を投与しますが、それ等は、治癒させる「 力 」があるから、「 人体の霊を回復させる物質 」であり、その注射や薬に対して身体に「 順応力 」があるのは、人体は「 生命力 」という「 霊 」の集合体であり、人体は健康を維持する力(霊)に満ちていて、「 霊 」を交流させて生活しているという意味で、人間は「 霊的動物 」だと考えます。



Every miller draws water to his own mill.
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2009年09月25日

2009/9/25、オカルト(二本足の考え)霊

2009/7/20、気(ki)と情(zyou)と霊とエーテル体

http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/8585843.html

B
霊(rei)は、気(ki)と情(zyou)の両方を内部に含み、人間が介入する事は不可能であると考えます。

時空と生命を創った阿弥陀如来、それ自体が霊だと思います。

これを空間的には、エーテル体、時間的にはDNAの連鎖を物質として、前者は真空状態の「引力」という「力」として現れ、後者は「輪廻転生」する「生命の力」として現われると考えます。

真空状態のエーテル体は、地球と月や太陽の間だけでなく、地球を囲んでいますから、「光」が地球に届くと思います。

真空は何も無いのではなく、ディラックの「空孔理論」のように、何かが満たしているかも知れません。

人体も、全てに血液や神経が、常に流れているから瞬時に反応する事が出来るように、何かが満たしているから、重力や引力が瞬時に伝わると思います。


2009/5/5、無意識は霊・気は生命の印

http://blogs.dion.ne.jp/m24658/archives/8341600.html

気(ki)は、生命体に充満する意識やエネルギーであり、自然界との境界は無いが、生命体の身体により区切られる。

それは、個人の身体を取り巻く「電離層」により、気(ki) が、閉鎖されていると考える。


2009/9/25、私の考え

「 霊 」は、無意識であり、気(ki)が「 電離層 」により、閉鎖されているのが、生命体であり、霊(rei)は、気(ki)と情(zyou)の両方を内部に含み、人間が介入する事は不可能であると考えます。

時空と生命を創った阿弥陀如来、それ自体が霊だと思います。

これを空間的には、エーテル体、時間的にはDNAの連鎖を物質として、前者は真空状態の「引力」という「力」として現れ、後者は「輪廻転生」する「生命の力」として現われると考えます。

以上の考えは維持します。

二つの眼で見て、「 力線 」を意識では解決する事が出来ないからストレスとして蓄積されるという「 二本足の考え 」から、「 力 」は「 無意識の霊 」であると考え、「 力 」は霊だが、自分の体内に「 力を感じる感受性 」で霊を自分の所有物にしたのが、「 魂 」であると考えます。

「 魂 」は、DNA の意識体や生命体と個人の主観的時間で把握した外部の「霊」という「力」であり、「死」によって生命体は消滅するが、身(身体)口(言葉)意(意識)として外部に現れた「力」は消滅しないと考える。

「 霊 」を感じる感覚が無いから、時間的には無意識の中に存在し、空間的な「 力 」が「 霊 」であると考えます。


物理の運動を「 力 」という意味で把握した時、意識の中では、「 霊 」であり、重力が無いと、人間生活が出来ないし、言葉も重力が無ければ意味を失うように、人類の現実の全てを支えているのが「 霊 」であるから、時空と生命を創った阿弥陀如来、それ自体が「 霊 」だと思います。

「エーテル体」と「エーテル」は、後日書く予定です。



参考
霊魂 (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%AD%82

「霊魂」という表現は、「霊」という言葉と「魂」という言葉が組み合わされている。

「霊」(れい、たま)は、すぐれて神妙なもの、神、こころ、いのちなど、多様な意味を持っている[4]。

また、そこに何かいると感じられるが、実体としては捉えられない現象や存在(聖霊など)のことを指すこともある。

「魂」(こん、たましい)のほうは精神をつかさどる精気を指し、肉体をつかさどる「魄」と対比されている[5]。

[6] よって、「霊魂」という言葉は「霊」と「魂魄」両方を含む概念を指すために用いられている。

ただし、通常は、個人の肉体および精神活動をつかさどる人格的な実在で、感覚による認識を超えた永遠の存在を意味している[7]。

そして人間だけでなく、動物や植物にまで拡大して用いられることがある[8]。

(引用を終わる)
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