2009年11月27日

2009/11/27、オカルト(二本足の考えとヒンズー教の名言)6

これは、フィクションです。

2009/11/26、私の記事

心や態度の間には、無意識のストレス。

態度と行動の間には、無意識の「 欲 」。

行動と習慣の間には、習慣化した行動から生じる無意識の「 欲望 」。

過去の記憶に固執して、「 主義 」として現れる無意識の 「 価値観 」という、過去の記憶との間の安定した「 意識の定在波 」の「 六道 」。

「 主義 」を共通にするヒトの群れや快楽を共有する無意識の「 六道の人格 」。

人格と運命の間には、人間の力で操作する事が出来ない無意識の「 方向 」。

無意識の「 方向 」の積み重ねが、「 人生 」であると考えます。



2009/11/27、私の考え

私の「 今 」は、人生の一部ですから、「 今 」の「 心 」を変える事は、人生を変えている事だと考えます。

生きる事は人生であると考えますので、全ての人間は、既に、自分の人生を「 歩いている 」のであり、努力をしなくても、人生は自分の死亡で終わります。

ですが、その人生は、「 六道 」の中の、「 人格 」が低い道であるかも知れず、「 人生を変えたいという事は、人格を変えたいという欲求である 」かも知れません。

人格を変えるなら、今、固執している過去の記憶を捨てて、新たな記憶や思想や夢などと、現在の自分との間の習慣的な「 定在波 」を作る必要があります。

それは、現在の行動の反省や態度の反省から、自分の「 心 」を反省する事だと考えます。

新たな記憶や思想や夢などの中に、無意識の「 方向 」を感じれば、「 力線 」となり、解決を迫る「 ストレス 」になり、ストレスのエネルギーを解消する「 方向 」を求めて行動するでしょう。

それが、「 天命 」や「 運命 」の「 方向 」に合致すれば良いですが、一般的には、「 意識の定在波 」の「 方向 」に従い、主義や主張や「 価値観 」を共にする仲間を作り、同じ欲望の「 方向 」と同じ方向に生活になるでしょう。

The two are congenial friend.

They were in perfect harmony.

He gets on well with his colleagues.


「気(ki)」が合う仲間や、息が合う仲間や「あうんの呼吸 」などと言うように、この「 六道 」の仲間は、「 価値観 」を共にした、密接な関係を持つと考える。


ヒトは、物語の始点と終点を、「 欲 」で決定する事が出来ますから、欲望の「 方向 」とは違った「 方向 」を志向する事も出来ると思います。

二つの眼からの「 ストレス 」から始まった「 力線 」という「 方向 」とエネルギーを、「 運命 」に沿った「 方向 」に変えた時、人生が「 使命 」に変わると考えます。

これを、生物的に考えますと、「意識」は、左右の大脳であり、「無意識」は、脳幹であると考え、「 霊 」という「 無意識 」は、脳と脳幹の相互関係だと考えますから、脳だけではなく、人体の全てを分析する必要があるから、「 人間は霊的生物である 」と考えます。

このように、人間の発達には「 無意識 」が先行し、人間が理解するストレスがコンピューターに無いから、コンピューターが先導する「 夢 」は、一部のヒトの夢であり、コンピューターによる「 人生相談 」では、最終的な結論は出ないと考えます。


Every miller draws water to his own mill.
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2009年11月26日

2009/11/26、オカルト(二本足の考えとヒンズー教の名言)5

これは、私の考えであり、フィクションです。


ヒンズー教の名言です。

自分が変われば、相手が変わる。

心が変われば、態度が変わる。

態度が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。

人格が変われば、運命が変わる。

運命が変われば、人生が変わる




私は、ヒンズー教徒ではありませんから、正確な意味を知りません。

「 心 」が変われば、態度が変わり、行動が変わり、習慣が変わり、人格が変わり、運命が変わり、人生が変わる。

「 心 」が変わると、人生の全てが変わるから、全てを変えたいと思うなら、「 心 」を変えなさいという意味でしょうが、私は、簡単に「 人生の全ては変わらない 」と思います。

それは、「 変わる 」という言葉が意味するのは、「 歩く事 」だと思うからです。

心や態度の間には、無意識のストレス。

態度と行動の間には、無意識の「 欲 」。

行動と習慣の間には、習慣化した行動から生じる無意識の「 欲望 」。

過去の記憶に固執して、「 主義 」として現れる無意識の 「 価値観 」という、過去の記憶との間の安定した「 意識の定在波 」の「 六道 」。

「 主義 」を共通にするヒトの群れや快楽を共有する無意識の「 六道の人格 」。

人格と運命の間には、人間の力で操作する事が出来ない無意識の「 方向 」。

無意識の「 方向 」の積み重ねが、「 人生 」であると考えます。

以上の「 無意識 」を「 霊 」と考えるなら、心と態度と行動と習慣と人格と運命と人生の間は、「 不連続 」でありますが「 無意識 」で連続しているから、「 意識と無意識の二本足 」で「 歩く事 」により、ヒンズー教の名言が実現されると考えます。

口で唱えるだけの名言ではなく、「 歩いて」具現化する事を求められているのかも知れません。


Every miller draws water to his own mill.

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2009年11月25日

2009/11/25、オカルト(二本足の考えとヒンズー教の名言)歩く事の定義A

これは、フィクションです。

信じられる事を期待しませんが、「 意識と無意識 」についての問題提議と考えています。

2009/11/24、私の記事

魂の次元では、視力がある事が、ストレスになり「 無意識 」を形成しますが、「 意識 」の中の「 歩き 」は、「 無意識 」を信頼していると考えます。

「 無意識 」が、「 信頼 」から「 不信 」になり、「 不信 」の状態を信じる事により「 信頼 」になるかも知れません。

「 無意識 」は「 霊 」であり、信頼や不信頼という精神状態に左右されず、「 無意識 」が「 信頼 」に変わった時、「 歩く事 」が現実生活で「 可能 」となると考えます。

2009/11/24、私の考え

私が、「 歩く 」という事は、現実生活では、地球の重力などの宇宙の力を利用して、体重を移動するという人間という動物の行動ですが、精神的には次のように使います。



ある安定した状態から、次の状態へ移動するとき、「 意識した状態 」を不安定にする「 無意識 」を、意識という精神により「 信頼して 」、「 仮に 」安定した状態として移動する。

「 無意識 」という「 霊 」を、意識という精神で信頼して、自分の考えを移動するが、「 無意識 」は「 霊 」であるから、「 仮に 」安定した状態を不安定にする「 力 」として現れる。

「 無意識 」という「 霊 」を、意識という精神で信頼して、自分の考えが安定するが、常に不安定にする「 力 」や「 価値観 」として現われて、次の状態へ進む原動力になると考えます。

「 無意識 」は、精神や魂という世界を貫通する「 霊 」であるのが、原因であると考えます。

2009/11/25、私の考え

神仏の偶像を破壊しても神仏という「 無意識 」の「 霊 」が消滅しないように、一時的には無意識を規定し克服したと思っても、その後、「 無意識 」は「 霊 」であるから、新たな形態(次元が違う形態)の「 無意識 」が現れると考えます。


言葉に「 言霊 」があるように、人間が死んで「 人魂(ignis) 」が肉体から離れるように、社会の精神の規定から離れて、言葉や物質で規定し克服する事が出来ないのが無意識の「 霊 」であり、自分の意識を向上させる原動力であると考えます。

「 向上する 」あるいは、後退するのが、意識を片足にし、もう一方の片足を無意識にして、交互に「 歩く事 」であり、導くのが無意識の「 霊 」であると考えます。


こうして「 歩く事 」が、未知の土地を歩くと思うと、霊と自分との「 同行二人(dougyou ninin) 」であると考えます。


Every miller draws water to his own mill.
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2009年11月24日

2009/11/24、オカルト(二本足の考えとヒンズー教の名言)歩く事の定義

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2009/11/22、私の記事

(眼を閉じて)一歩を踏み出すのは、大地が続いているという「 無意識 」を信じて体重を移動するから、「 可能な事 」です。

どれだけ歩いたかは、手や足で知ったり、他人からの言葉、言い換えれば精神という「 無意識 」の力で知る事が出来ます。

「 歩く 」とは、「 無意識 」を信じなければ、不可能だと思います。

視力がある事は、運動の比較を容易にし、暗闇に光を当てるように、不安を軽減し、直接、「 信頼 」を形成します。

魂の次元では、視力がある事が、ストレスになり「 無意識 」を形成しますが、「 意識 」の中の「 歩き 」は、「 無意識 」を信頼していると考えます。

「 無意識 」が、「 信頼 」から「 不信 」になり、「 不信 」の状態を信じる事により「 信頼 」になるかも知れません。

「 無意識 」は「 霊 」であり、信頼や不信頼という精神状態に左右されず、「 無意識 」が「 信頼 」に変わった時、「 歩く事 」が現実生活で「 可能 」となると考えます。


2009/11/24、私の考え

私が、「 歩く 」という事は、現実生活では、地球の重力などの宇宙の力を利用して、体重を移動するという人間という動物の行動ですが、精神的には次のように使います。



ある安定した状態から、次の状態へ移動するとき、「 意識した状態 」を不安定にする「 無意識 」を、意識という精神により「 信頼して 」、「 仮に 」安定した状態として移動する。

「 無意識 」という「 霊 」を、意識という精神で信頼して、自分の考えを移動するが、「 無意識 」は「 霊 」であるから、「 仮に 」安定した状態を不安定にする「 力 」として現れる。

「 無意識 」という「 霊 」を、意識という精神で信頼して、自分の考えが安定するが、常に不安定にする「 力 」や「 価値観 」として現われて、次の状態へ進む原動力になると考えます。

「 無意識 」は、精神や魂という世界を貫通する「 霊 」であるのが、原因であると考えます。



こうして「 歩く事 」が、未知の土地を歩くと思うと、霊と自分との「 同行二人(dougyou ninin) 」であると考えます。

「 同行二人(dougyou ninin) 」については、インターネットで調べてください。

Every miller draws water to his own mill.
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2009年11月23日

2009/11/23、オカルト(二本足の考えとヒンズー教の名言)歩く4


これは、全くのフィクションです。

光のエネルギーは、プランク定数に振動数を乗じます。

プランク定数が、飛び飛びの値を取る事を認めて計算しますが、私は、これも、「 歩く事 」だと考えます。

時間意識と空間意識が、私が考えるように、電磁波の構造で、直交しているならば、「 正(プラス)」の部分だけが、空間意識に現れたプランクの定数で、時間意識が「 位置 」として現れている時は、消えている値だと考えます。


空間意識に現れる光のエネルギーは、プランクの定数を乗じて、飛び飛びに現れますが、そのエネルギーは「負(マイナス)」の部分に、時間意識の中で「 位置 」という精神的なエネルギーに変換しているから、時間的に見ると「 飛び飛び」の値を取ると考えます。


そう考えると、位置と運動量の「不確定存理」も、時間意識と空間意識の構造が原因だと思います。

そんな「 位置 」という見えない値を計算に入れて、「 正(プラス)」のエネルギーを算出するのですから、「 歩く事 」の一種だと考えます。


プランク定数
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E5%AE%9A%E6%95%B0


Every miller draws water to his own mill.
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2009年11月22日

2009/11/22、オカルト(二本足の考えとヒンズー教の名言)歩く3



これは、フィクションです。

Yahoo USA は、私の記事を掲載してくれました。

Yahoo USA 「オカルト(二本足の考えとヒンズー教)」
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkiTnbghLU5oAEEul87UF?p=%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%88%E4%BA%8C%E6%9C%AC%E8%B6%B3%E3%81%AE%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A8%E3%83%92%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%BC%E6%95%99%EF%BC%89&fr=yfp-t-701&fr2=sfp&iscqry=

ここで、「 歩く事 」を考えます。

日常生活で、「 歩く 」とは、普通の事だと思っています。

しかし、それは、宇宙の中の身体の移動であり、宇宙の力によって支えられています。

例えば、視力障害になったとして、眼を閉じて歩いて御覧なさい。

一歩を踏み出す事が、如何に不安な事かを実感するでしょう。

そして、自分が進む方向にも不安になり、どれだけ歩いたか知る事もできません。

一歩を踏み出すのは、大地が続いているという「 無意識 」を信じて体重を移動するから、「 可能な事 」です。

どれだけ歩いたかは、手や足で知ったり、他人からの言葉、言い換えれば精神という「 無意識 」の力で知る事が出来ます。

「 歩く 」とは、「 無意識 」を信じなければ、不可能だと思います。

視力がある事は、運動の比較を容易にし、暗闇に光を当てるように、不安を軽減し、直接、「 信頼 」を形成します。

魂の次元では、視力がある事が、ストレスになり「 無意識 」を形成しますが、「 意識 」の中の「 歩き 」は、「 無意識 」を信頼していると考えます。

「 無意識 」が、「 信頼 」から「 不信 」になり、「 不信 」の状態を信じる事により「 信頼 」になるかも知れません。

「 無意識 」は「 霊 」であり、信頼や不信頼という精神状態に左右されず、「 無意識 」が「 信頼 」に変わった時、「 歩く事 」が現実生活で「 可能 」となると考えます。

この「 無意識 」は、地球の重力や地磁気など、全ての宇宙と連携し、私に「 無意識 」や「 無明 」がある限り、宇宙の一部だと自覚するだけで、何も出来ません。


Every miller draws water to his own mill. 
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2009/11/22、オカルト(二本足の考えとヒンズー教の名言)2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

ヒンズー教の名言

自分が変われば、相手が変わる。

心が変われば、態度が変わる。

態度が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。

人格が変われば、運命が変わる。

運命が変われば、人生が変わる


この名言は、「 そして(and)」の形式で結ばれているが、連続性は無く、段階や幅や次元や時間や空間の存在を隠した言葉だと考えます。

そこで、私は、意識、言い換えれば「 世界観 」の問題から人格という「 魂のあり方 」の問題、そして運命や宿命という魂の「 方向 」の問題と分割しますが、「 無意識 」で連結していると考えました。

人間を霊的動物と考えて、霊が「 無意識 」という形態で、それぞれの次元で「 不可能 」として現れると考えます。

「 心 」と「 態度 」は意識と意識の具現化と考え、「 行動 」や「 習慣 」は「 人格 」の「 欲 」が、具現化したと考え、「 運命 」は「 魂 」の具現化と考え、「 人生 」は、「 魂 」の具現化の「 方向 」だと考えます。

こうして、「 Every miller draws water to his own mill. 」が始まります。

名言は、段階や次元や時空が隠されていて、「そして(and)」で結ばれているのは、必然性が約束されているのではなく、「 無意識 」で連結している事であり、「 無意識 」を通過して、次の次元に進むと考えます。


「 意識と無意識の二本足を使って、歩くのです。」

後日、私が考える「 意識と意識の具現化 」と「 人格 」の「 欲 」の具現化と、「 魂 」の具現化の「 方向 」について考えます。

Every miller draws water to his own mill.
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2009年11月21日

2009/11/21、オカルト(二本足の考えとヒンズー教の名言1

これは、私の考えです。

ネットで、ヒンズー教の名言を検索すれば、次のような言葉を発見します。

自分が変われば、相手が変わる。

心が変われば、態度が変わる。

態度が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。

人格が変われば、運命が変わる。

運命が変われば、人生が変わる




私は、ヒンズー教徒ではありませんから、正確な意味を知りませんが、「 意識は電磁波である」とか、「意識の定在波は六道であり、人格である」とか、「意思は具現化する」とか、「無意識は霊であり、精神や魂の中を無意識として貫通する」とか、「地磁気が方向を決める」とか「価値観は重力に似て、意識や欲の全てを統合する」という考えで、このヒンズー教の名言に挑戦したい。

ネットで検索しても、この「 名言 」について、自分の考えを述べている人は、「 少ない 」。

私も、自分の心を変えるだけで、運命や人生が変わるなら、素晴らしい事であるし、簡単な事だと思うが、それが困難だから、「 名言 」であるかも知れない。

私は、この「 名言 」により、現在の自分を向上させたいと思うと、「 名言 」は、次のように、私に迫って来る。


人生を変えたいなら、運命を変えなさい。

運命を変えたいなら、人格を変えなさい。

人格を変えたいなら、習慣を変えなさい。

習慣を変えたいなら、行動を変えなさい。

行動を変えたいなら、態度を変えなさい。

態度を変えたいなら、心を変えなさい。

相手を変えたいなら、自分を変えなさい。



現在の自分の状態を否定して、向上するためには、自分の「 心 」を変えて、変化を具現化する事が求められると考えます。


Every miller draws water to his own mill.
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