2009年12月17日

2009/12/17、オカルト(二本足の考えと人格)関係6

これは、フィクションです。

2009/12/15、私の記事

私が現実を見る時、「意識」の周囲を「関係」という「無意識」が薬をオブラートで包むように取り囲み、「 存在する 」という「 確率の意識 」を、「 関係する感覚 」で確かめていると考える。


2009/12/17、私の考え

私は、「 時間 」や「 空間 」を「 時間意識 」と「 空間意識 」と考えているから、私が「 実時間 」や「 実空間 」と言う時、私が脳や脳幹などの身体の感覚で「 実感した時空 」である。


私が生きている間、私が「 実感した 」という感覚で歪ませた時空を「 実時間 」と「 実空間 」と考えるから、普通に言う「 時間 」や「 空間 」は「 実感した時空 」ではなく「 考えられた時空 」だから、私は、「 虚時間 」と「 虚空間 」だと思う。

「 虚時間 」と「 虚空間 」は、「 考えられた時空 」であるから、「 真の時空 」ではなく、考えれた事もない「 真の時空 」が現れるかも知れない。

「 関係 」の中で「 体験 」し「 実感 」した状況が、私の歪んだ時空を形成するから、私の存在は、「 関係 」の幅の中で規定されるが、「 今 」の私は、見るとか聞くとかの「意識」の周囲を「関係」という「無意識」が薬をオブラートで包むように取り囲み、「 存在する 」という「 確率の意識 」を、感覚で確かめながら進むしか方法はない。

「 考えられた時空 」の「 虚時間 」と「 虚空間 」は情報伝達のために存在し、私は、それを他者と共有して、「 関係 」を作りながら、自分の存在を作る。

「 虚時間 」や「 虚空間 」と、私だけの「 実時間 」と「 実空間 」が、虚数を二乗したら実数になるように、電磁波の構造で繰り返すというのが、私の考えです。

私の死後は、どうなるのだろう?

私の「実時間」の意識や「実空間」の意識は消滅するが、「 私が考えた時空 」の「 虚時間 」と「 虚空間 」は、「 精神 」として、子孫に影響するだろう。

これが、音楽や絵画などの芸術が持つ情報であり、「 感受性 」という「 チャンネル 」を合わせるだけで、作者の「実時間」の意識や「実空間」の意識が復活すると思うから、「 感受性 」を敏感にしたほうが良いと思う。

「 感受性 」で歪められた時空は、「 感受性 」により、現実の時空になる。

人間である以上は、「 感受性 」という「意識」の速さは共通であり、人間は誰でも持っているから、可能だと思う。

私は、「 関係 」の幅の中で規定されるが、私の死後に規定され、「 今 」は、「 関係 」の確率の波の中で、「 方向 」しか知らない「 船の船長 」であると考える。

私のブログの到達点も見えていない。



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2009年12月15日

2009/12/15、オカルト(二本足の考えと人格)意識と関係2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2009/12/14、私の記事

歪んだ時空(状況)は、現実には、眼には見えない「 体験 」という形態で具現化するが、「 意識 」の一種の「 虚時間の意識や虚空間の意識 」として現れると考える。

「 虚時間の意識や虚空間の意識 」として現れるとは、以前、認識は「 実時間と実空間 」意識と「 虚時間と虚空間 」意識のサインカーブによって構成されると書いたが、この「 虚時間と虚空間 」意識が、「 重力波 」と呼ぶ実体であると考えるが、それは「 波動関数 」という「 確率の波 」であると考える。

確率は、「 無意識 」であるが、「 波動関数 」という「 確率の波 」として認識された時に「 意識 」であり、未知の未来へのシュミレーションになると考える。

「 関係 」は、「 重力波 」であると思うが、現実では「 波動関数 」という「 確率の波 」であると考える。

ヒトの現実生活は、「 意識 」と「 確率の波 」である「 関係 」により、認識し、行動していると考える。


2009/12/15、私の考え


@関係の意識

意識を(光)波に似た電磁波と考え、記憶を「 感受性により歪められた時空(状況)」と考え、歪められた時空(状況)が、現実の中で、虚時間の意識や虚空間の意識として現れるのが「 関係 」と考える。

現実を「 知覚する 」とは、見るとか聞くという意識だけでなく、「 今 」から過去へ向かって意識の電磁波が到達する範囲の「 状況 」と現実の知覚を結び、現実の中に「 確率の波 」や「 波動関数 」として現れる関係の「 想起 」が共に連動するのが「 知覚 」だと考える。

誰にとっても同じという客観的な現実を、私の意識と関係で「 私の今 」を限定しているのが「 知覚 」であると考える。

A関係と意味

現実の中で、虚時間の意識や虚空間の意識として現れる「 関係 」は意識する事が出来ない「 無意識 」であり、「 精神 」であるから、「 無意識 」を記述して「 意味 」として残したり、芸術として絵画や音楽で表現するのだと思う。

「 意味 」は、文字や絵画に閉じ込められた虚時間の意識や虚空間の意識の状況であり、「 意味を知る 」とは、現実の状況に過去の状況を想起して、虚時間の意識や虚空間の意識を、意識に変換して、虚数を二乗して実数に変換し、歪められていた気(ki)を現実に解き放つ事だと考える。


私は、この考えを情報や音楽や芸術などの文化一般に応用し、「 感情移入 」とか「 追体験 」というのが、歪められていた気(ki)を現実に解き放つ事であると思う。

B人間関係

自分の意識の世界では、「 関係 」を虚時間の意識や虚空間の意識と考えるが、親子や友人などの「 人間関係 」について、「 波動関数 」や「 確率の波 」を、どのように考えるかを問題にする。

ある行為をする時、その行為の結果が、親子関係や友人関係に及ぼす影響を考える事が、「 波動関数 」や「 確率の波 」を考える事であると考える。

私が行為する時、親子や友人の悲しんだり、喜んだりする顔(状況)を想起しない時、「 関係が無い 」と考えている心理状態であり、行為の後に影響が無い時、虚数を二乗して実数に変換した時であり、「 関係が無かった 」と考える。

その反対の「 気持ち 」や「 状況 」が、「 関係 」という絆の存在を現わすと考える。

私が現実を見る時、「意識」の周囲を「関係」という「無意識」が薬をオブラートで包むように取り囲み、「 存在する 」という「 確率の意識 」を、「 関係する感覚 」で確かめていると考える。

「 関係 」の集合が「 人格 」であり、人格は多くの関係を、「 欲 」や「 気(ki)」や「 息(呼吸のリズム)」で統合し、社会の中で同種類の考えや仲間を発見し、その結果、「 六道 」の中の一つの「 生きる道 」となっていると、私は考える。



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2009年12月14日

2009/12/14、オカルト(二本足の考えと人格)意識と関係

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2009/12/4、私の考え

個人は、それぞれ自分の「時空意識」を持ち、「感受性」により、それを「 状況 」として歪めて保持するのが「記憶」であり、その「記憶」が「 無意識 」として、現在の意識を補完して、過去の歪んだ時空の「状況」と現在の歪んだ時空の「状況」とが、気(ki)を介して連結される事を、「 関係 」と考える。

「 関係 」は「 意識 」の構造であり、因果関係も人間関係も「 意識 」であると考える。

因果の形態で全ては関連し、「因果関係」とは、人間的、社会的な解決である。

………………(省略)………………


「 関係 」が歪んだ時空の結合であり、因果関係も人間関係も「 意識 」の構造であると考えると、ヒトが持つ多くの「関係」は、「意識の塊」の「歪んだ時空の結合」であると考える。

歪んだ時空は、「 重力波 」という電磁波に似た波で結合する。

「 関係 」が電磁波の構造であり、人間関係は「 魅力 」という「 引力 」で結合するから、


 関係は重力波である 」と考える。

人格の引力は煩悩であるが、その実体は、「 関係 」という重力波による引力であると考える。

「 関係 」は煩悩であり、関係の集合は煩悩の塊である。



2009/12/10、私の考え

私は、意識は波であると考え、電磁波的な構造が「 意識 」であり、「 意識 」を補完する「 記憶 」の意識の波を「 関係 」とし、「 重力波 」であると考えた。

地球空間で、電磁波と重力が排斥しないように、意識の中でも、「 意識 」と「 関係 」が成立すると考える。

「 関係 」は、「 意識 」を補完する「 記憶 」の意識の波であり、「 重力波 」であるとは、現時点では、次のように考える。

「 重力波 」とは、歪んだ時空(状況)を連結する波と考え、物理学の「 重力波 」ではないが、重力のような引力を持つ波であると考える。

「 重力波 」は「 重力 」の「 波 」だから、因果関係と同じく、「 重力 」が「 因果 」で、現実に現れるのが「 波 」という「 関係 」であると考える。

「 重力 」は、自分の現実生活の全てを支え、自然界では均等かも知れないが、均等か否かを確かめる事は出来ない。

「 記憶する力 」や「 感受性 」は、個人的であり、「 DNA が持つ感受性により歪められた時空(状況と呼ぶ)」も違うが、意識と無意識の二本足で重力に逆らった体験として、眼に見える物質間の関係として、現実に現れ、体験は、「 無意識 」に近い「 意識 」であると考える。

現実の認識には、精神としての「 意識 」と、感受性に歪められた状況の記憶としての「 関係 」を必要とするが、前者は「 電磁波的な構造 」であり、後者は、電磁波的だが、体験という「 時空の歪み 」を伴った意識で、「 無意識 」に近い意識の波であると考える。

「 波 」だから、周波数や振幅を持ち、時空を超えて共鳴し、「 時空の歪み 」を伝達し、同じ仲間を作る。

………………(省略)………………

この、「 意識 」と「 関係 」を考える事が、「 意識 」と「 意味 」を考える事であるかも知れない。

「 意味 」を人類が蓄積した体験と解釈すれば、「 意味 」は「 関係 」であり、人類の意識が習慣となって蓄積した「 状況 」であり、「 状況 」は「 波 」として時間と空間を超越すると考える。





2009/12/14、私の考え

なぜ、「 意識 」が歪むのか?

本来の「 意識 」は、一点から発する「 光 」のように、現時点の全ての事物に及ぶが、「 記憶する力 」や「 感受性 」は、個人的であり、「 DNA が持つ感受性 」は局所的であり、しかも、「 魂 」という生命からの「 感受性 」なので、強烈で、「 光 」が「 強烈な重力 」により歪められるように、「 意識 」は歪められ、誰にも同じという意味での「 客観的な時空 」が、個人の時空(状況と呼ぶ)」になり、「 体験 」として保存され、その「 体験 」が現実に現れる時、眼に見える物質間の関係として現れ、体験は、「 無意識 」に近い「 意識 」であると考える。

歪んだ時空(状況)は、現実には、眼には見えない「 体験 」という形態で具現化するが、「 意識 」の一種の「 虚時間の意識や虚空間の意識 」として現れると考える。

「 虚時間の意識や虚空間の意識 」として現れるとは、以前、認識は「 実時間と実空間 」意識と「 虚時間と虚空間 」意識のサインカーブによって構成されると書いたが、この「 虚時間と虚空間 」意識が、「 重力波 」と呼ぶ実体であると考えるが、それは「 波動関数 」という「 確率の波 」であると考える。

確率は、「 無意識 」であるが、「 波動関数 」という「 確率の波 」として認識された時に「 意識 」であり、未知の未来へのシュミレーションになると考える。

「 関係 」は、「 重力波 」であると思うが、現実では「 波動関数 」という「 確率の波 」であると考える。

ヒトの現実生活は、「 意識 」と「 確率の波 」である「 関係 」により、認識し、行動していると考える。

(意識は)「 波 」だから、周波数や振幅を持ち、時空を超えて共鳴し、「 時空の歪み 」を伝達し、同じ仲間を作る。

………………(省略)………………

この、「 意識 」と「 関係 」を考える事が、「 意識 」と「 意味 」を考える事であるかも知れない。

「 意味 」を人類が蓄積した体験と解釈すれば、「 意味 」は「 関係 」であり、人類の意識が習慣となって蓄積した「 状況 」であり、「 状況 」は「 波 」として時間と空間を超越すると考える。


続きは、後日、書く予定である。


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2009年12月10日

2009/12/10、オカルト(二本足の考えと人格)関係4

これは、フィクションです。

2009/12/4、私の考え

個人は、それぞれ自分の「時空意識」を持ち、「感受性」により、それを「 状況 」として歪めて保持するのが「記憶」であり、その「記憶」が「 無意識 」として、現在の意識を補完して、過去の歪んだ時空の「状況」と現在の歪んだ時空の「状況」とが、気(ki)を介して連結される事を、「 関係 」と考える。

「 関係 」は「 意識 」の構造であり、因果関係も人間関係も「 意識 」であると考える。

因果の形態で全ては関連し、「因果関係」とは、人間的、社会的な解決である。

呼吸する事は、地球規模では地球の温暖化の一因であり、人間の存在そのものが、「 悪 」であるかも知れない。


「 関係 」が歪んだ時空の結合であり、因果関係も人間関係も「 意識 」の構造であると考えると、ヒトが持つ多くの「関係」は、「意識の塊」の「歪んだ時空の結合」であると考える。

歪んだ時空は、「 重力波 」という電磁波に似た波で結合する。

「 関係 」が電磁波の構造であり、人間関係は「 魅力 」という「 引力 」で結合するから、


 関係は重力波である 」と考える。

人格の引力は煩悩であるが、その実体は、「 関係 」という重力波による引力であると考える。

「 関係 」は煩悩であり、関係の集合は煩悩の塊である。



2009/12/10、私の考え

私は、意識は波であると考え、電磁波的な構造が「 意識 」であり、「 意識 」を補完する「 記憶 」の意識の波を「 関係 」とし、「 重力波 」であると考えた。

地球空間で、電磁波と重力が排斥しないように、意識の中でも、「 意識 」と「 関係 」が成立すると考える。

「 関係 」は、「 意識 」を補完する「 記憶 」の意識の波であり、「 重力波 」であるとは、現時点では、次のように考える。

「 重力波 」とは、歪んだ時空(状況)を連結する波と考え、物理学の「 重力波 」ではないが、重力のような引力を持つ波であると考える。

「 重力波 」は「 重力 」の「 波 」だから、因果関係と同じく、「 重力 」が「 因果 」で、現実に現れるのが「 波 」という「 関係 」であると考える。

「 重力 」は、自分の現実生活の全てを支え、自然界では均等かも知れないが、均等か否かを確かめる事は出来ない。

「 記憶する力 」や「 感受性 」は、個人的であり、「 DNA が持つ感受性により歪められた時空(状況と呼ぶ)」も違うが、意識と無意識の二本足で重力に逆らった体験として、眼に見える物質間の関係として、現実に現れ、体験は、「 無意識 」に近い「 意識 」であると考える。

現実の認識には、精神としての「 意識 」と、感受性に歪められた状況の記憶としての「 関係 」を必要とするが、前者は「 電磁波的な構造 」であり、後者は、電磁波的だが、体験という「 時空の歪み 」を伴った意識で、「 無意識 」に近い意識の波であると考える。

「 波 」だから、周波数や振幅を持ち、時空を超えて共鳴し、「 時空の歪み 」を伝達し、同じ仲間を作る。

私が現実に直面した時、「 因果 」と「 体験 」の二つの「 無意識 」の波で考えて行動しているのかも知れない。



この、「 意識 」と「 関係 」を考える事が、「 意識 」と「 意味 」を考える事であるかも知れない。

「 意味 」を人類が蓄積した体験と解釈すれば、「 意味 」は「 関係 」であり、人類の意識が習慣となって蓄積した「 状況 」であり、「 状況 」は「 波 」として時間と空間を超越すると考える。




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2009年12月07日

2009/12/7、オカルト(二本足の考えと人格)疑問

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2009/12/5、私の記事

「 関係 」は、「 重力波 」であり、意識の構造をするが「 引力 」であり、「 価値観 」が静的統合であるのに反し、「 関係 」は、過去の「 時空の歪み 」の記憶から現在の「 時空の歪み 」の記憶への伝達だから、動的統合である。

ラグビーボールが「 価値観 」により作られ、ラグビーボールを移動させるのが「 関係 」であると考える。

「 価値観 」は、力線(ベクトル)を感じてストレスという「 感覚の同一 」であるが、「 関係 」は、「 感覚の持続 」であり、動的であるが故に、「 方向 」を持つ。

「価値観」は、「 意識 」であるから「物差し」として一定だが、「 関係 」は「人格」の引力だから、「 六道 」の方向を持ち、磁力線のように「 定在波 」の方向の従うと考える。

2009/12/7、私の考え

人間は地球上の生き物であり、地球の構造の全てが、人間生活に影響しているのだが、人間は「 意識 」しない。

大気(taiki)が存在するから、空気(kuuki)を呼吸する事により気(ki)で、エネルギーを得るのに「 意識 」しない。

重力の存在が、人間の思考に秩序を与えるし、地磁気の存在が「 方向 」を与えるのに、「 意識 」しない。

「 意識しない事 」を無意識と考え、その無意識を思考上、発見されていない「 重力波 」であると考える。

観測されなくても「 引力 」は存在し、「 引力 」を考える時、理論上は「 重力子 」の存在を考えるなら、観測されない「 重力波 」が、思考上の引力である「 関係 」だと想定するのが「 オカルト 」であると考える。

人間を考える時、頭脳による意識だけでなく、意識を生む「 身体の構造 」を考える必要があると思う。

私が、「 二つの眼 」や「 意識と無意識の二本足 」や「 霊は無意識である 」などと書くのは、従来の「 認識論 」は、考える範囲が狭い理論であり、実際の生活には「 役立たない理論 」であり、自分の「 認識論 」を作りたいと思うからです。

実際、意識し思考する上下、左右の方向だけではなく、科学の因果や因果関係などの全ての情報や関係は、重力や地磁気の存在を前提としているのに、疑う事が無い。

意識は電磁波である。

関係は重力波である。

人格は、意識の定在波である。


こんな記事は、人類の誕生以来、このように考えた書物が無く、インターネットの情報にも存在しないから、私の考えは、「 狂った考え 」かも知れない。

だが、私の考えで、人間のSEXについての意識も行動も説明する事が出来ると考えている。

「 老人のSEX 」で検索する人が、まだ存在するが、私から見れば、その検索する人が「 狂っている 」と考えている。

人間のSEXを、興味本位に考える事しか出来ない人であるから、自分の人格も人生も、「 SEXが全ての基準である 」と考えているかもしれない。

そんな人は、死後、SEXの事しか考えない生き物に生まれ代わるかも知れない。


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2009年12月05日

2009/12/5、オカルト(二本足の考えと人格)関係3

これは、私の考えです。

2009/12/4、私の考え

個人は、それぞれ自分の「時空意識」を持ち、「感受性」により、それを「 状況 」として歪めて保持するのが「記憶」であり、その「記憶」が「 無意識 」として、現在の意識を補完して、過去の歪んだ時空の「状況」と現在の歪んだ時空の「状況」とが、気(ki)を介して連結される事を、「 関係 」と考える。

「 関係 」は「 意識 」の構造であり、因果関係も人間関係も「 意識 」であると考える。

因果の形態で全ては関連し、「因果関係」とは、人間的、社会的な解決である。

呼吸する事は、地球規模では地球の温暖化の一因であり、人間の存在そのものが、「 悪 」であるかも知れない。


「 関係 」が歪んだ時空の結合であり、因果関係も人間関係も「 意識 」の構造であると考えると、ヒトが持つ多くの「関係」は、「意識の塊」の「歪んだ時空の結合」であると考える。

歪んだ時空は、「 重力波 」という電磁波に似た波で結合する。

「 関係 」が電磁波の構造であり、人間関係は「 魅力 」という「 引力 」で結合するから、


 関係は重力波である 」と考える。

人格の引力は煩悩であるが、その実体は、「 関係 」という重力波による引力であると考える。

「 関係 」は煩悩であり、関係の集合は煩悩の塊である。





2009/12/5、私の考え

「 関係 」と「 価値観 」について考えました。

「 価値観 」は、私の意識や無意識の欲を統合し、現実の秩序を保ち、現実の行為を可能にし、例えば「 表面張力 」のように意識と無意識と気(ki)などの記憶を統合すると考える。

「 関係 」は、「 重力波 」であり、意識の構造をするが「 引力 」であり、「 価値観 」が静的統合であるのに反し、「 関係 」は、過去の「 時空の歪み 」の記憶から現在の「 時空の歪み 」の記憶への伝達だから、動的統合である。

ラグビーボールが「 価値観 」により作られ、ラグビーボールを移動させるのが「 関係 」であると考える。

「 価値観 」は、力線(ベクトル)を感じてストレスという「 感覚の同一 」であるが、「 関係 」は、「 感覚の持続 」であり、動的であるが故に、「 方向 」を持つ。

「価値観」は、「 意識 」であるから「物差し」として一定だが、「 関係 」は「人格」の引力だから、「 六道 」の方向を持ち、磁力線のように「 定在波 」の方向の従うと考える。

夫婦関係や人間関係を良好にする為に、「 価値観の同一 」が求められると思うが、私の考えでは、「 人格の方向の同一 」を求める方が、息が合い、気(ki)が合う「 仲間 」となる可能性が高い。

社会の中で、「 有志の会 」というサークルがあるが、「 価値観 」を同一のする仲間ではなく、「 人格の方向が同一 」の仲間である。

その、最も代表的な仲間が、「 夫婦 」であると考える。

だから、結婚する場合、二人の「 愛 」と「 尊敬 」と「 尊厳 」を誓うのだと思う。

そこには、「 価値観 」の同一は現れず、結婚後の経済生活に現れるだろう。

二人が仲良く生活するには、「価値観の同一」が必要かもしれないが、「 人生の伴侶 」を決める場合は、「 人格の方向 」が問題になると考える。

人間関係の「 妥協 」が「価値観」であり、「 関係の自覚 」が「 向上 」になると考える。

そして、「 関係 」が折り畳まれた時空の連続が「 人格 」であり、「 人生 」だと考える。

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2009年12月04日

2009/12/4、オカルト(二本足の考えと人格)関係2

これは、私の考えである。

2009/12/3、私の記事

「 関係 」を考える前に、@時空を「時間意識」と「空間意識」が電磁波的な構造と考え、A性格や気質などのDNA が持つ「感受性」により歪められ「 状況 」として、意識と無意識の楕円のラグビーボールに痕跡として残るものが、「 記憶 」とします。

楕円の外皮により、意識と無意識は、楕円に方程式のように、中心を直結させていると考えます。

@の「時間意識」と「空間意識」を「状況」として保存する場合、Aの「感受性」という気(ki)やエネルギーが一緒に保存されると考えます。

自分の過去の記憶を想起する「 関係 」は、因果関係などの「 関係 」です。

この場合は、直面する現在の「状況」に、「 記憶 」している過去の「状況」を「無意識」に想起すると考えます。

意識は電磁波的な構造ですから、「時間」と「空間」を同時に規定する事は出来ず、「時間」を考える場合は「空間」を無意識として、「空間」を考える場合は、「時間」を無意識として考え、それぞれの「 無意識 」が「時間」と「空間」を決定し、認識させると考えます。

決定し、認識するとは、過去の状況が持つ気(ki)を、現在の状況に伝達される事を想定しています。

2009/12/4、私の考え

個人は、それぞれ自分の「時空意識」を持ち、「感受性」により、それを「 状況 」として歪めて保持するのが「記憶」であり、その「記憶」が「 無意識 」として、現在の意識を補完して、過去の歪んだ時空の「状況」と現在の歪んだ時空の「状況」とが、気(ki)を介して連結される事を、「 関係 」と考える。

「 関係 」は「 意識 」の構造であり、因果関係も人間関係も「 意識 」であると考える。

因果の形態で全ては関連し、「因果関係」とは、人間的、社会的な解決である。

呼吸する事は、地球規模では地球の温暖化の一因であり、人間の存在そのものが、「 悪 」であるかも知れない。


「 関係 」が歪んだ時空の結合であり、因果関係も人間関係も「 意識 」の構造であると考えると、ヒトが持つ多くの「関係」は、「意識の塊」の「歪んだ時空の結合」であると考える。

歪んだ時空は、「 重力波 」という電磁波に似た波で結合する。

「 関係 」が電磁波の構造であり、人間関係は「 魅力 」という「 引力 」で結合するから、


 関係は重力波である 」と考える。

人格の引力は煩悩であるが、その実体は、「 関係 」という重力波による引力であると考える。

「 関係 」は煩悩であり、関係の集合は煩悩の塊である。




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2009年12月03日

2009/12/3、オカルト(二本足の考えと人格)関係1

「 関係 」について考えました。

2009/11/30、私の記事

人間関係や夫婦関係などの「 ヒトの関係 」は、私の「 定在波 」に類似すると思う。

現在の時空と記憶の間の「 定在波 」は、自分と他人との間で生まれる「 関係 」と類似すると考える。

妻と子との関係を、私が「 意識する 」妻や子の時空と私の時空の「 意識 」との間隔であると考えます。

時空である点で、私の過去の記憶という時空と類似します。

2009/12/3、私の考え

「 関係 」を考える前に、時空を「時間意識」と「空間意識」が電磁波的な構造と考え、性格や気質などのDNA が持つ「感受性」により歪められ「 状況 」として、意識と無意識の楕円のラグビーボールに痕跡として残るものが、「 記憶 」とします。

楕円の外皮により、意識と無意識は、楕円に方程式のように、中心を直結させていると考えます。

「時間意識」と「空間意識」を「状況」として保存する場合、「感受性」という気(ki)やエネルギーが一緒に保存されると考えます。

@
自分の過去の記憶を想起する「 関係 」は、因果関係などの「 関係 」です。

この場合は、直面する現在の「状況」に、「 記憶 」している過去の「状況」を「無意識」に想起すると考えます。

意識は電磁波的な構造ですから、「時間」と「空間」を同時に規定する事は出来ず、「時間」を考える場合は「空間」を無意識として、「空間」を考える場合は、「時間」を無意識として考え、それぞれの「 無意識 」が「時間」と「空間」を決定し、認識させると考えます。

決定し、認識するとは、過去の状況が持つ気(ki)を、現在の状況が伝達される事を想定しています。

A
私と他人の関係(人間関係)。

私も他人も、@の「記憶」と同じように、「状況」を持ち、気(ki)と一緒に、歪めて保存しています。

@の場合は、現在の「状況」に、「 記憶 」している過去の「状況」を「無意識」に想起しましたが、人間関係の場合は、私と他人が同一の身体を共有する事は出来ませんので、私の「 状況 」を考える時は、「 無意識 」に他人の「 状況 」を考えます。

その「 無意識 」に考えた他人の「 状況 」が、私の「 状況 」を決める時、「 人間関係が存在する 」と考えます。

決定するとは、他人の状況が持つ気(ki)を、私の状況に伝達される事を想定しています。

このように、「 無意識 」により決定される時、「 関係が存在する 」と考えます。


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2009年12月01日

2009/12/1、オカルト(二本足と人格)弁明

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2009/11/27、私の記事

人格を変えるなら、今、固執している過去の記憶を捨てて、新たな記憶や思想や夢などと、現在の自分との間の習慣的な「 定在波 」を作る必要があります。

それは、現在の行動の反省や態度の反省から、自分の「 心 」を反省する事だと考えます。

新たな記憶や思想や夢などの中に、無意識の「 方向 」を感じれば、「 力線 」となり、解決を迫る「 ストレス 」になり、ストレスのエネルギーを解消する「 方向 」を求めて行動するでしょう。

それが、「 天命 」や「 運命 」の「 方向 」に合致すれば良いですが、一般的には、「 意識の定在波 」の「 方向 」に従い、主義や主張や「 価値観 」を共にする仲間を作り、同じ欲望の「 方向 」と同じ方向に生活になるでしょう。

The two are congenial friend.

They were in perfect harmony.

He gets on well with his colleagues.


「気(ki)」が合う仲間や、息が合う仲間や「あうんの呼吸 」などと言うように、この「 六道 」の仲間は、「 価値観 」を共にした、密接な関係を持つと考える。

ヒトは、物語の始点と終点を、「 欲 」で決定する事が出来ますから、欲望の「 方向 」とは違った「 方向 」を志向する事も出来ると思います。

2009/11/30、私の記事

人格 (Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A0%BC

@
私の、「 人格は意識の定在波であり六道である」という考えは、Wikipediaの「性格、気質、興味、態度、価値観などを含む、個人の統合体である」に類似すると思う。

A
私の考えと、Wikipediaの「パーソナリティとは、人間に特徴的な行動と考えとを決定する精神身体的体系の力動的組織」を考える時、それは、私の「 煩悩という欲は、人格の引力である 」という考えに類似すると思う。

2009/12/1、私の弁明

@についての弁明

「 意識は電磁波 」であり、「意識は一定の速度を持ち 」、人類の全てが、同種類の無意識の「 霊 」を持つと考えます。

「 能力 」と言う言葉は、持続する力や「 価値観 」として「 霊 」であり、人類の全てが、保有すると思います。

「 記憶力 」や「 想起力 」が、時空を「 感受性 」で歪めて、時空を個人の状況として保存したり、現在の個人の状況に解凍する事だと考えます。

その「 力の強弱 」は、性格、気質、興味、態度、価値観などのDNA が持つ「 霊 」の強弱であり、超能力ではない。

「 力の強弱 」の心の状態が、「 六道 」の状態であると考えます。

「 力の強弱 」が、習慣化し蓄積する事により、自分が作り出した「 無意識 」となり、想起する事が出来ない「 人格 」となると考えます。


砂鉄を磁石が引き付けるように、内面に蓄積された「 人格 」の引力である煩悩が人格の周りに引き付ける模様が、人間関係だと思います。

だから、人間関係は、与えられた環境だけではなく、自分の人格が作り出した要素もあると思います。

There is no place like home.

この諺は、少し違うかも知れません。

Aの弁明

行動を起こすのは、「 欲 」だと思います。

私は、「 欲 」を、「正見(syouken)」の場合は、人間に基本的な「 欲 」と思いますが、「 精神 」により増幅されると「 欲望 」になり、「 六道 」を歩く事になります。

私が、「 六道 」の中で求める仲間は、「 力の強弱 」を好んで、「気(ki)」が合う仲間や、息が合う仲間や「あうんの呼吸 」などと言うように、「 価値観 」を共にした、密接な関係を持つ「 六道 」の仲間であると考えます。

Birds of a feather flock together.

「 六道 」は、煩悩に満ちた楽しい精神世界ですから、私も、その楽しさを享受していますが、死後は、あなたの近くの、犬や猫や馬や牛に生まれるかも知れません。

私の考えでは、生き物は全て六道を輪廻すると考えますから、あなたも、犬や猫や馬や牛に生まれるかも知れません。

六道(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93

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2009年11月30日

2009/11/30、オカルト(二本足の考えと人格)定義

2009/11/27、私の記事

人格を変えるなら、今、固執している過去の記憶を捨てて、新たな記憶や思想や夢などと、現在の自分との間の習慣的な「 定在波 」を作る必要があります。

それは、現在の行動の反省や態度の反省から、自分の「 心 」を反省する事だと考えます。

新たな記憶や思想や夢などの中に、無意識の「 方向 」を感じれば、「 力線 」となり、解決を迫る「 ストレス 」になり、ストレスのエネルギーを解消する「 方向 」を求めて行動するでしょう。

それが、「 天命 」や「 運命 」の「 方向 」に合致すれば良いですが、一般的には、「 意識の定在波 」の「 方向 」に従い、主義や主張や「 価値観 」を共にする仲間を作り、同じ欲望の「 方向 」と同じ方向に生活になるでしょう。

The two are congenial friend.

They were in perfect harmony.

He gets on well with his colleagues.


「気(ki)」が合う仲間や、息が合う仲間や「あうんの呼吸 」などと言うように、この「 六道 」の仲間は、「 価値観 」を共にした、密接な関係を持つと考える。


ヒトは、物語の始点と終点を、「 欲 」で決定する事が出来ますから、欲望の「 方向 」とは違った「 方向 」を志向する事も出来ると思います。

2009/11/30、私の考え

ここで、「 人格 」の定義を調べました。

人格 (Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A0%BC

パーソナリティの概念規定は様々ありはするが、人間関係の問題にかかわる場面に限定するなら、実際的に活用できる概念規定としては「パーソナリティとは、人間に特徴的な行動と考えとを決定する精神身体的体系の力動的組織」とするゴードン・オルポートの定義であろう[1][2]。

そしてさらに「性格、気質、興味、態度、価値観などを含む、個人の統合体である」としておくとよい[3]。

(引用を終わる)

私の、「 人格は意識の定在波であり六道である」という考えは、Wikipediaの「性格、気質、興味、態度、価値観などを含む、個人の統合体である」に類似すると思う。

私の考えと、Wikipediaの「パーソナリティとは、人間に特徴的な行動と考えとを決定する精神身体的体系の力動的組織」を考える時、それは、私の「 煩悩という欲は、人格の引力である 」という考えに類似すると思う。

人間関係や夫婦関係などの「 ヒトの関係 」は、私の「 定在波 」に類似すると思う。

現在の時空と記憶の間の「 定在波 」は、自分と他人との間で生まれる「 関係 」と類似すると考える。

妻と子との関係を、私が「 意識する 」妻や子の時空と私の時空の「 意識 」との間隔であると考えます。

時空である点で、私の過去の記憶という時空と類似します。

「ヒトとヒトの信頼などの絆 」は、意識と意識の間で情報を伝達する「 波 」であり、「 関係の強弱 」を、固執する意識の間に生じる「 定在波の周期 」が持つエネルギーだと考えます。

「 関係 」の種類は、「 定在波 」の種類と考えて、「 関係 」の集合は習慣として安定した「 定在波 」であると考えます。

それに個人の「 価値観 」や「 欲 」などの、行動を決定する習慣的で安定的した「 無意識 」が「 人格 」であると考えるのが「 人格は意識の定在波である 」の内容であります。

それが「 六道 」の一つであるとする点で、私の考えと違います。



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2009年11月29日

2009/11/29、オカルト(二本足の考えと人格)多重人格

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
人格の話をあうるが、人格者でもない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2009/11/27、私の記事

人格を変えるなら、今、固執している過去の記憶を捨てて、新たな記憶や思想や夢などと、現在の自分との間の習慣的な「 定在波 」を作る必要があります。

それは、現在の行動の反省や態度の反省から、自分の「 心 」を反省する事だと考えます。

新たな記憶や思想や夢などの中に、無意識の「 方向 」を感じれば、「 力線 」となり、解決を迫る「 ストレス 」になり、ストレスのエネルギーを解消する「 方向 」を求めて行動するでしょう。

それが、「 天命 」や「 運命 」の「 方向 」に合致すれば良いですが、一般的には、「 意識の定在波 」の「 方向 」に従い、主義や主張や「 価値観 」を共にする仲間を作り、同じ欲望の「 方向 」と同じ方向に生活になるでしょう。

The two are congenial friend.

They were in perfect harmony.

He gets on well with his colleagues.


「気(ki)」が合う仲間や、息が合う仲間や「あうんの呼吸 」などと言うように、この「 六道 」の仲間は、「 価値観 」を共にした、密接な関係を持つと考える。


ヒトは、物語の始点と終点を、「 欲 」で決定する事が出来ますから、欲望の「 方向 」とは違った「 方向 」を志向する事も出来ると思います。

2009/11/29、私の考え

人格の意味を調べると、人格障害や多重人格など、精神に関する言葉が現れる。

私は精神科の医者でもないから、誤った考えを書くかもしれない。

私のブログでは、「 人格は意識の定在波であり、六道である 」というのが、到達点であり、そこから、人格について書きます。

人格は精神という意識の問題だけではなく、行為を決定する「 欲 」や「 霊 」の「 方向 」も同時に考える必要があると考える。

「 霊 」は「 無意識 」として、精神の中に現れ、人格障害や多重人格と言っても、「 欲 」の結果としての行為が行われた後に、行為から人格を推定する。

行為を決定する「 欲 」や「 欲望 」は、「 無意識 」であるから、物質を対象とする心理学や生理学などで追求し、人格は、精神の問題に加えて、「 人生 」などの将来の「 方向 」も考える必要があります。

人格は、現在の精神の時空と過去の歪められた時空を結んだ「 定在波 」であれば、人間の「 心 」が「 六道 」の全ての道を歩くように、いくつもの「 定在波 」が「 心 」の中に生じるから、人類の全てが人格障害や多重人格であり、表面上は、一つの「 定在波 」として統一されているのが、「 正常 」と言われると考えます。

人格障害や多重人格と言うのは、本人が使う場合でも医者が使う場合でも、行為した後の「 正当化 」や「 合理化 」の道具としての言葉であると思います。

その言葉を当てはめて結論とするのでは無く、「 定在波 」の始点の現在の状況(時空)と、終点である、時空(状況)の歪みの記憶を特定し、違う時空(状況)の歪みの記憶に導いて、将来の「 方向 」に向かって統一された人格に導くのが、病気の解決になると考えます。


時空は無限の広がりであり、個人の時空は「 欲 」により歪んだ「 状況 」です。

個人の時空(状況)を保存したのが歪んだ時空の記憶です。


どんな記憶から、現在の何を始点と終点を設定するかは、個人のコンプレックスかも知れません。


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2009年11月28日

2009/11/28、オカルト(二本足の考えと人格)記憶

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

私は、人格の話をするが、高潔な人格者ではなく、欲望で満ちた60歳の老人である。

私のブログでは、「 人格は六道である 」という結論である。

私は、この「 六道 」の中の一つの道を行く者であり、「 六道輪廻 」するだろうし、私も、死後、犬や猫や牛や馬などに生まれ変わっても不満は無い。



六道(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93


人間の姿である間に、自分が、アルツハイマー病などの「 認知症 」になる前に、意識がある間に、自分の考えを社会に出して、安らかな老後を迎えたいと思って、ブログを書いている。



2009/11/27、私の記事

人格を変えるなら、今、固執している過去の記憶を捨てて、新たな記憶や思想や夢などと、現在の自分との間の習慣的な「 定在波 」を作る必要があります。

それは、現在の行動の反省や態度の反省から、自分の「 心 」を反省する事だと考えます。

新たな記憶や思想や夢などの中に、無意識の「 方向 」を感じれば、「 力線 」となり、解決を迫る「 ストレス 」になり、ストレスのエネルギーを解消する「 方向 」を求めて行動するでしょう。

それが、「 天命 」や「 運命 」の「 方向 」に合致すれば良いですが、一般的には、「 意識の定在波 」の「 方向 」に従い、主義や主張や「 価値観 」を共にする仲間を作り、同じ欲望の「 方向 」と同じ方向に生活になるでしょう。

The two are congenial friend.

They were in perfect harmony.

He gets on well with his colleagues.


「気(ki)」が合う仲間や、息が合う仲間や「あうんの呼吸 」などと言うように、この「 六道 」の仲間は、「 価値観 」を共にした、密接な関係を持つと考える。


ヒトは、物語の始点と終点を、「 欲 」で決定する事が出来ますから、欲望の「 方向 」とは違った「 方向 」を志向する事も出来ると思います。

2009/11/28、私の考え

ヒトには、「 好奇心 」があり、「 試し 」に、ある行為をする。

蛍光灯の中で乱反射する電子のように、ラグビーボールの外皮のような身(身体)口(言葉)意(意識)に保存された「 記憶 」に向かって、乱反射するのが「 意識 」であると考える。

この行為が習慣的に、固執して行われる事により、「 定在波 」が生じ、安定した「 気持ち 」になるのが、「 人格 」であると考える。

記憶という痕跡は、「 時空の歪み 」であり、電磁波の意識により、現在の時空に復活する。

これは、時間も空間も、それぞれ「 時間意識 」であり、「 空間意識 」であり、それを個人の「 感受性 」で歪めて保存したのが「 記憶 」であると考える。

短期記憶や長期記憶という言葉は、「 医者 」が使う単語であり、薬を投与する基準であって、「 記憶 」の実体が判明したのではないと思う。

脳の「 海馬 」という部分が記憶に関係する部分であると判明しても、医者が自分の記憶を把握しているとは思えない。

海馬に保存した記憶を提示する事が可能なら、私は納得する。

記憶が意識である限り「 時空の歪み 」と思う。

歪むのは、個人のDNA を貫く「 霊 」や、自己意識から生じる「 感受性 」や「 価値観 」というエネルギーが、強烈であるからだ。

反面、「 想起 」も、正比例して、強烈となると考える。

強烈であるのが「 長期記憶 」であり、「 無意識 」の「 欲 」として現れると考える。


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