2010年02月13日

2010/2/13、オカルト(関係と人格)デフォルメ10漢方

昨日、漢方薬の使い方について、TVが放送していた。

その中で、漢方には、「 陰 」・「 陽 」・「 実 」・「 虚 」という方向があり、その病気の方向に沿って成分が違う薬を処方すると、私は理解した。

漢方医学(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%96%B9%E5%8C%BB%E5%AD%A6

私は、この「 陰 」・「 陽 」と「 実 」・「 虚 」を、私のブログに利用する事が可能か否かを考えた。


私は、これを「 心の状態 」と考えて、「 陰 」と「 陽 」は、DNA でデフォルメする生物的な「 関係 」で、「 実 」と「 虚 」は、現在をデフォルメ(変形)する意識的な「 関係 」であると考える。


この「 関係 」の何処かに分類される「 病気という心の状態 」は、「 関係を実体にする無意識 」であり、「 病気 」と社会から見られる閉じた時空のエネルギーであり、それに対応する成分を持った「 薬 」を処方する事は、病気を治療する事だが、「 無意識 」に「 知識 」を供給する事であり、閉じた時空を、閉じる範囲が広い時空に導く事だと考える。


「 陰 」と「 陽 」は、「 流れる物 」であり、性的、生物的な方向のエネルギーであり、「 実 」と「 虚 」は、「 派生する物 」であり、意識的、精神的なエネルギーであり、「 薬 」は、循環を促すエネルギーであると考える。


私のブログから見れば、「 陰 」・「 陽 」・「 実 」・「 虚 」は、現実を交差する、目には見えない「 関係 」であり、「 薬 」は、漢方薬の効能を信じる人にとっては、「 関係 」を脱出するための神仏のエネルギーであると考える。

私のブログは、「 虚無主義 」ではない。

私が作った言葉で私のブログは「 虚実主義 」である。


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2010年02月12日

2010/2/12、オカルト(関係と人格)デフォルメ9現象と本質

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


………………………………………………………
2010/2/9、私の記事

私が「 今、見ている 」とか「 今、聞いている 」というが、「 同時 」は「 時間 」の中には無く、「 空間 」の中の衝突と考えると、私の感覚からの意識のエネルギーが、一定の速度で「 頭脳 」の空間的な面(関係)で衝突している事だと考える。

人間は、感覚器官により、自分に理解が可能な状態に物をデフォルメ(変形)し、多くの意識のエネルギーを統合して、「 頭脳 」の空間的な面(関係)を形成すると考える。

現象は人間にとっての物の一時的現れと考えるが、感覚による多くの意識のエネルギーの総和であるが、簡単なデフォルメ(変形)された空間的な面(関係)であり、自分に理解が可能な状態が「 主観的 」で、一般万人が同じデフォルメ(変形)するのが「 客観的 」であり、その「 客観的 」デフォルメ(変形)を発生させる空間(関係)が「 本質 」であると思う。

「 本質 」や「 理想 」は、デフォルメ(変形)のデフォルメ(変形)で虚数に虚数を乗じて実数にする「 究極のデフォルメ 」であり、デフォルメ(変形)を発生させる精神であり文化であると考える。

それは、感覚(意識)が可能と言うのではなく、感覚を生む関係であると考える。

感覚(意識)が原因を持つので始点と終点があり、始点と終点を設定する事が可能な空間(関係)であるから一時的で主観的であるのに反し、「 本質 」は、始点と終点が不明である事が誰でも同じである点で、「 永遠 」で客観的な空間(関係)であると考える。

「 本質 」は、意識に同じデフォルメ(変形)させる「 エネルギーの場 」かも知れない。

一時的というのは、「 今 」という空間の面での始点と終点であり任意に「 今 」を選ぶ事で空間(関係)が変わるが、「 時代 」や「 世代 」が変わっても始点と終点が不明であるが空間(関係)が成立する事を「 永遠 」であると、現時点で、考えている。


………………………………………………………

2010/2/12、私の考え

私は、見る事が出来る範囲で、見る事が出来る。

「 光 」でも、可視光線は見る事ができるが、紫外線や赤外線は、見る事は出来ず、エネルギーとして、身体で受け取る。

見る事は、可視光線という「 光 」の一部のエネルギーの交換であり、見る事が出来る範囲で見る、あるいは「 観察 」や「 測定 」する。

しかも、無限の天体の運動の中から、無意識で対象を選択し、決定する。

天体の運動が「 現象 」ではなく、見る事が、「 現象 」を作り出している。

見る世界は、虚数の世界であり、「 無意識で決定する 」とは、複数の意識を衝突させる事により、始点と終点を持つ実数や実体を作りだしている。

虚数の世界だから、「 無意識 」で決定すると考える。

「 本質 」は社会的で客観的であるため、自分だけの「 無意識 」で、始点と終点は決定する事は出来ないから、「 永遠 」と言われると思う。

そして、以下のように考えた。

………………………………………………………

2010/2/11、私の記事

私は、「 時間 」や「 空間 」というのは、天体の動きを知るためのデフォルメ(変形)した、言葉という道具だと思う。

天体の動きを、「時間」や「空間」という言葉で表現するが、天体の動きを言葉でデフォルメ(変形)して考えているだけである。

人類は全てデフォルメ(変形)して相違する「時間」や「空間」を持つから、世界時間などという一つの時間は、社会生活に必要であるから作られた「時間」である。

物理学や哲学には、独自の「時間」が必要であると考える。

私は、「時空」について、独自の考えを持っている。

私は、「 今 」、「 ここで 」感じる複数の意識や無意識の衝突が「 時間 」や「 空間 」の実体と考えるが、それは、「 時間意識 」と「 空間意識 」であると考える。


私は、「 時間意識 」と「 空間意識 」と考えて、思考可能な時空で、デフォルメ(変形)が可能で、複数の無意識や意識の衝突により実数となる、虚数の「 関係 」で、絶えず実数にして生きているのが、「 実存 」であると考える。

………………………………………………………
2010/2/12、私の考え


「 本質 」とは、可視光線だけでなく、紫外線や赤外線も考えて、「 光 」を定義する事であると思う。

可視光線の範囲内で「 現象 」と言うのではなく、エネルギーも含めて、「 本質 」を定義する。

だから、「 本質 」は「 究極のデフォルメ」であり、私は「 現実 」を以下のように考える。


………………………………………………………

2010/2/3、私の記事


「 類型 」や「 確率 」という「 関係 」が、デフォルメされて現実の「 惰性 」や「 習慣 」として現れる。


「 惰性 」や「 習慣 」がデフォルメされる前の「 関係 」は「 エネルギーを持つ場 」という空間意識であり「 空間的な配置 」であり、それがベクトルとして、個人の意識に潜入するから、「意欲」として行動を決定する無意識である。

この「 関係 」が持つエネルギーが、「 惰性 」や「 習慣 」として連続体を構成して、「 意識 」が持つ、呼吸や気(ki)という生命的で一時的なエネルギーの均衡を崩し、逆に、個人が、意識のエネルギーを「 惰性 」や「 習慣 」という「 関係 」として保存し、総和は「 エネルギー保存 」される。


………………………………………………………
2010/2/12、私の考え

このように、エネルギーを保存しながら、「 見ている 」、「 測定している 」、「 観察している 」のだと思う。

ここから、学問も出発しなければならないと思う。


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2010年02月11日

2010/2/11、オカルト(関係と人格)デフォルメ8

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/2/9、私の記事

私が「 今、見ている 」とか「 今、聞いている 」というが、「 同時 」は「 時間 」の中には無く、「 空間 」の中の衝突と考えると、私の感覚からの意識のエネルギーが、一定の速度で「 頭脳 」の空間的な面(関係)で衝突している事だと考える。

人間は、感覚器官により、自分に理解が可能な状態に物をデフォルメ(変形)し、多くの意識のエネルギーを統合して、「 頭脳 」の空間的な面(関係)を形成すると考える。

現象は人間にとっての物の一時的現れと考えるが、感覚による多くの意識のエネルギーの総和であるが、簡単なデフォルメ(変形)された空間的な面(関係)であり、自分に理解が可能な状態が「 主観的 」で、一般万人が同じデフォルメ(変形)するのが「 客観的 」であり、その「 客観的 」デフォルメ(変形)を発生させる空間(関係)が「 本質 」であると思う。

「 本質 」や「 理想 」は、デフォルメ(変形)のデフォルメ(変形)で虚数に虚数を乗じて実数にする「 究極のデフォルメ 」であり、デフォルメ(変形)を発生させる精神であり文化であると考える。

それは、感覚(意識)が可能と言うのではなく、感覚を生む関係であると考える。

感覚(意識)が原因を持つので始点と終点があり、始点と終点を設定する事が可能な空間(関係)であるから一時的で主観的であるのに反し、「 本質 」は、始点と終点が不明である事が誰でも同じである点で、「 永遠 」で客観的な空間(関係)であると考える。

「 本質 」は、意識に同じデフォルメ(変形)させる「 エネルギーの場 」かも知れない。

一時的というのは、「 今 」という空間の面での始点と終点であり任意に「 今 」を選ぶ事で空間(関係)が変わるが、「 時代 」や「 世代 」が変わっても始点と終点が不明であるが空間(関係)が成立する事を「 永遠 」であると、現時点で、考えている。


2010/2/10、私の記事


ヒトは、物体の変化をデフォルメ(変形)して認識すると考えると、「 現象 」は、デフォルメしたヒトの意識の多様性であり、天体の運動としての物体の変化ではない可能性も存在する。

「 現象 」や「 本質 」というのは、個人だけのデフォルメ(変形)で終わったのが「 現象 」であり、万人が行うデフォルメ(変形)であるのが「 本質 」だと考える。

意識は、ヒトに共通の一定の速度を持つから、個人が表現に使う素材の種類に関わらず、個人のデフォルメ(変形)が、直ちに、万人のデフォルメに到達する事も考える事が出来る。

デフォルメする方法が、「 情報 」であり「 時間 」であり、発展する精神の「 自己意識 」であり、デフォルメした結果が精神や文化の「 類型 」という「 関係 」だと考える。

これは、個人の「 自意識 」という「 時間意識 」と「 関係 」という「 空間意識 」に対応し、ヒトのエネルギーを媒体にして、虚数を乗じる事により、電磁波の構造で、相互に入れ替わり、その結果が「 本質直感 」であり、時空の制限を超えた、特異点の無い「 永遠 」の循環に入ると考える。


2010/2/11、私の考え

私は、「 時間 」や「 空間 」というのは、天体の動きを知るためのデフォルメ(変形)した、言葉という道具だと思う。

天体の動きを、「時間」や「空間」という言葉で表現するが、天体の動きを言葉でデフォルメ(変形)して考えているだけである。

人類は全てデフォルメ(変形)して相違する「時間」や「空間」を持つから、世界時間などという一つの時間は、社会生活に必要であるから作られた「時間」である。

物理学や哲学には、独自の「時間」が必要であると考える。

私は、「時空」について、独自の考えを持っている。

私は、「 今 」、「 ここで 」感じる複数の意識や無意識の衝突が「 時間 」や「 空間 」の実体と考えるが、それは、「 時間意識 」と「 空間意識 」であると考える。


私は、「 時間意識 」と「 空間意識 」と考えて、思考可能な時空で、デフォルメ(変形)が可能で、複数の無意識や意識の衝突により実数となる、虚数の「 関係 」で、絶えず実数にして生きているのが、「 実存 」であると考える。

宇宙は一つの原理があり、私はプラズマ理論に賛成するから、「 時間意識 」と「 空間意識 」は、電磁波の構造をして、人間の体内では電気のエネルギーが必要であると考える。

意識と精神を結ぶのはエネルギーであり、時間意識と空間意識の電磁波的な「 関係 」の中で、エネルギーが移動すると考える。

繰り返しになるが、意識には始点と終点が任意で決定されて意識の定在波が生じて習慣という確率により、「 六道 」という心の状態になる。

始点と終点が、祖先のDNAが示すほど無限に長いのが「精神」で、何時でも同じデフォルメをするという意味で「 永遠 」であり、それが「 真実 」と呼ばれる実体だが、繰り返すだけで、「 真理 」ではないかも知れない。

これは、後日、書く予定である。

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2010年02月10日

2010/2/10、オカルト(関係と人格)デフォルメ7

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2010/2/9、私の記事

私が「 今、見ている 」とか「 今、聞いている 」というが、「 同時 」は「 時間 」の中には無く、「 空間 」の中の衝突と考えると、私の感覚からの意識のエネルギーが、一定の速度で「 頭脳 」の空間的な面(関係)で衝突している事だと考える。

人間は、感覚器官により、自分に理解が可能な状態に物をデフォルメ(変形)し、多くの意識のエネルギーを統合して、「 頭脳 」の空間的な面(関係)を形成すると考える。

現象は人間にとっての物の一時的現れと考えるが、感覚による多くの意識のエネルギーの総和であるが、簡単なデフォルメ(変形)された空間的な面(関係)であり、自分に理解が可能な状態が「 主観的 」で、一般万人が同じデフォルメ(変形)するのが「 客観的 」であり、その「 客観的 」デフォルメ(変形)を発生させる空間(関係)が「 本質 」であると思う。

「 本質 」や「 理想 」は、デフォルメ(変形)のデフォルメ(変形)で虚数に虚数を乗じて実数にする「 究極のデフォルメ 」であり、デフォルメ(変形)を発生させる精神であり文化であると考える。

それは、感覚(意識)が可能と言うのではなく、感覚を生む関係であると考える。

感覚(意識)が原因を持つので始点と終点があり、始点と終点を設定する事が可能な空間(関係)であるから一時的で主観的であるのに反し、「 本質 」は、始点と終点が不明である事が誰でも同じである点で、「 永遠 」で客観的な空間(関係)であると考える。

「 本質 」は、意識に同じデフォルメ(変形)させる「 エネルギーの場 」かも知れない。

一時的というのは、「 今 」という空間の面での始点と終点であり任意に「 今 」を選ぶ事で空間(関係)が変わるが、「 時代 」や「 世代 」が変わっても始点と終点が不明であるが空間(関係)が成立する事を「 永遠 」であると、現時点で、考えている。




2010/2/10、私の考え


ヒトは、物体の変化をデフォルメ(変形)して認識すると考えると、「 現象 」は、デフォルメしたヒトの意識の多様性であり、天体の運動としての物体の変化ではない可能性も存在する。

「 現象 」や「 本質 」というのは、個人だけのデフォルメ(変形)で終わったのが「 現象 」であり、万人が行うデフォルメ(変形)であるのが「 本質 」だと考える。

意識は、ヒトに共通の一定の速度を持つから、個人が表現に使う素材の種類に関わらず、個人のデフォルメ(変形)が、直ちに、万人のデフォルメに到達する事も考える事が出来る。

デフォルメする方法が、「 情報 」であり「 時間 」であり、発展する精神の「 自己意識 」であり、デフォルメした結果が精神や文化の「 類型 」という「 関係 」だと考える。

これは、個人の「 自意識 」という「 時間意識 」と「 関係 」という「 空間意識 」に対応し、ヒトのエネルギーを媒体にして、虚数を乗じる事により、電磁波の構造で、相互に入れ替わり、その結果が「 本質直感 」であり、時空の制限を超えた、特異点の無い「 永遠 」の循環に入ると考える。



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2010年02月09日

2010/2/9、オカルト(関係と人格)デフォルメ6

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/2/7、私の記事

ヒトの頭脳は、「 物体 」をデフォルメする。

見る事は、自然を倒立した像で網膜に受け入れて、それを更に倒立させ、自分の空間感覚で配置し、判断すると考える。

倒立させ、更に倒立させる事は、虚数を乗じて実数とする事であり、実体とは、複数の感覚や意識の「 同時性 」が成立する物体だと考える。

全ての意識が、「 同時 」に、同じ速度で衝突し、不連続の意識が、連続の面になる「 関係 」が、「 実体 」であり、物質ではない。

…………………(省略)………………………

以前から言うように、「実体」は、意識の総体である「 心 」や「 無意識 」の内容で決まるのであり、それは、個人のDNAによりデフルメされた「 精神 」であり「 文化 」である。

言葉は一つの意味ではなく、複数の意識の同時性を示すもので、個人の「 意識 」と社会的な「 関係 」が混合し、何をデフルメしているのかを知るのが、認識だと思う。

モーツアルトの曲を演奏するとき、様々な楽器で演奏されるように、「 関係 」は複数の「 意識 」の混合で「 具現化 」する。

音楽は時間であり、情報であるが、脳細胞に走る信号であり、具現化する対象は、意識の光に照らされた音の空間的配置であり、楽器の配置という「 関係 」であると考える。

それが、楽譜となる。

配置という「 関係 」は、エネルギーを持ち、「 真善美 」という精神の極を、様々な意識という倒立した、虚数の「 実体 」で具現化すると考える。

2010/2/9、私の考え

私が「 今、見ている 」とか「 今、聞いている 」というが、「 同時 」は「 時間 」の中には無く、「 空間 」の中の衝突と考えると、私の感覚からの意識のエネルギーが、一定の速度で「 頭脳 」の空間的な面(関係)で衝突している事だと考える。

人間は、感覚器官により、自分に理解が可能な状態に物をデフォルメ(変形)し、多くの意識のエネルギーを統合して、「 頭脳 」の空間的な面(関係)を形成すると考える。

現象は人間にとっての物の一時的現れと考えるが、感覚による多くの意識のエネルギーの総和であるが、簡単なデフォルメ(変形)された空間的な面(関係)であり、自分に理解が可能な状態が「 主観的 」で、一般万人が同じデフォルメ(変形)するのが「 客観的 」であり、その「 客観的 」デフォルメ(変形)を発生させる空間(関係)が「 本質 」であると思う。

「 本質 」や「 理想 」は、デフォルメ(変形)のデフォルメ(変形)で虚数に虚数を乗じて実数にする「 究極のデフォルメ 」であり、デフォルメ(変形)を発生させる精神であり文化であると考える。

それは、感覚(意識)が可能と言うのではなく、感覚を生む関係であると考える。

感覚(意識)が原因を持つので始点と終点があり、始点と終点を設定する事が可能な空間(関係)であるから一時的で主観的であるのに反し、「 本質 」は、始点と終点が不明である事が誰でも同じである点で、「 永遠 」で客観的な空間(関係)であると考える。

「 本質 」は、意識に同じデフォルメ(変形)させる「 エネルギーの場 」かも知れない。

一時的というのは、「 今 」という空間の面での始点と終点であり任意に「 今 」を選ぶ事で空間(関係)が変わるが、「 時代 」や「 世代 」が変わっても始点と終点が不明であるが空間(関係)が成立する事を「 永遠 」であると、現時点で、考えている。



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2010年02月07日

2010/2/7、オカルト(関係と人格)デフォルメ5

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/2/4、私の記事

「 光 」が「 粒子の性質 」と「 波の性質 」を持つと言うが、私は、何故、光が二つの性質を持つのか、疑問に思う。

その二つの性質とは、ヒトが必要とする意識をデフォルメした概念だと思う。

「 粒子の性質 」は、開かれた空間を想像し、限り無い宇宙を伝達する媒体も無く進む、直線的な時間を想像する。

他方、「 波の性質 」は、閉じられた空間で、始めや終わりという特異点が無い、精神の円環的な時間を想像する。

前者は、空間的なエネルギー(時間や世代を超越して存在するエネルギー)を持つ絵画や写真であり、後者は、時間的なエネルギー(精神的なエネルギー)を持つ音楽を想像する。

絵画や写真というデフォルメの方法が向かうのは、「 空間の中に音楽を感じる事 」であり、音楽というデフォルメの方法が向かうのは、「 音楽の中の空間 」だろうと思う。



この二つの性質を「 光 」は、「 電磁波 」という形態で、現実の社会で同時に実現し、ヒトが、「 自分は自分である 」と考えるのは、「 電磁波的な発想で自分を考える事 」であると思う。

更に、B「時間」や「空間」は意識であり、根源には天体の運動があると考え、C「時間」や「空間」という場合、既にデフォルメしており、自分の存在が、デフォルメする主体であり、デフォルメが「 精神 」であり「 文化 」であると考えると、私は、@意識は電磁波の構造をしていると考える。




2010/2/7、私の考え



ヒトの頭脳は、「 物体 」をデフォルメする。

見る事は、自然を倒立した像で網膜に受け入れて、それを更に倒立させ、自分の空間感覚で配置し、判断すると考える。

倒立させ、更に倒立させる事は、虚数を乗じて実数とする事であり、実体とは、複数の感覚や意識の「 同時性 」が成立する物体だと考える。

全ての意識が、「 同時 」に、同じ速度で衝突し、不連続の意識が、連続の面になる「 関係 」が、「 実体 」であり、物質ではない。

唯物論が科学的な方法だろうが、実は、根底は「 虚数 」であり、「 倒立 」という虚数を乗じて得たデフォルメであるから、「 科学の進歩 」があると考える。

唯物論は、デフォルメされ、倒立した虚数の理論であると考える。

以前から言うように、「実体」は、意識の総体である「 心 」や「 無意識 」の内容で決まるのであり、それは、個人のDNAによりデフルメされた「 精神 」であり「 文化 」である。

言葉は一つの意味ではなく、複数の意識の同時性を示すもので、個人の「 意識 」と社会的な「 関係 」が混合し、何をデフルメしているのかを知るのが、認識だと思う。

モーツアルトの曲を演奏するとき、様々な楽器で演奏されるように、「 関係 」は複数の「 意識 」の混合で「 具現化 」する。

音楽は時間であり、情報であるが、脳細胞に走る信号であり、具現化する対象は、意識の光に照らされた音の空間的配置であり、楽器の配置という「 関係 」であると考える。

それが、楽譜となる。

配置という「 関係 」は、エネルギーを持ち、「 真善美 」という精神の極を、様々な意識という倒立した、虚数の「 実体 」で具現化すると考える。

これは、課題として残します。


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2010年02月04日

2010/2/4、オカルト(関係と人格)デフォルメ4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/1/28、私の考え

私の考えは、次のような特徴を持っている。

@意識は電磁波の構造をしていると考える。

A意識は一定の速度であると考える。


B「時間」や「空間」は意識であり、根源には天体の運動がある。

C「時間」や「空間」という場合、既にデフォルメしており、自分の存在が、デフォルメする主体である。
デフォルメが「 精神 」であり「 文化 」である。

D現実は、生命の意識と精神の意識の複合であり、前者は「 直線的な永遠の時間 」後者は「 特異点の無い永遠の時間 」であり、前者は「 自意識 」で生命の意識であり一瞬の不連続の意識であるのに対し、後者は「 文化的意識 」であり「 関係 」の意識で連続している。

E現実は、意識と関係が縄のように交互に現れ、「 関係 」は「 エネルギーを持つ場 」という空間意識であり「 空間的な配置 」であり、それがベクトルとして、個人の意識に潜入する。

逆に、個人が意思を「 関係 」としてエネルギーを放出し、総和は「 エネルギー保存 」される。

………………………………

BとCについては、2010/1/31、以下のように考えた。

「 デフォルメ 」とは、変形する事だが、私は「 考える事であり、虚数を乗じる事であり、座標軸の回転であり、エネルギーの変換であり、象徴する事である 」という意味に使用する。

Dについては、2010/2/2、以下のように考えた。

「 連続 」について考える。

生命の意識は不連続であり、「 文化的意識 」の「 関係 」が連続しているとは何か?

生命の意識は、「 今 」から想起される「 時間意識」であり「 空間意識 」であり、断片的で恣意的だと考える。

「 時間 」や「 空間 」が経歴や歴史として連続し、自分の身体が「 過去 」と「 現在 」と「 未来 」を連続させる。

意識により作られた「 自意識 」や「 文化意識 」が時空を統合し、自分が連続を維持しているように思う。

BとCにより、全てが精神的であり、「 今 」という意識も、デフォルメした意識だと考えると、デフォルメする事は考える事だから、「 過去 」と「 現在 」と「 未来 」を区別して不連続にし、境界を曖昧にして連続させるのは、デフォルメする自分であると考える。

「 惰性 」や「 習慣 」を、デフォルメされた意識だと考えると、デフォルメする前の実体は、「 確率 」であり「 空間意識 」である「 関係 」であると思う。

「 惰性 」や「 習慣 」が「 類型 」であり、一定の関係が、一定のエネルギーを持つと思うから、「 惰性 」や「 習慣 」で行為する。

「 確率 」や「 類型 」などの「 空間関係 」を、自分が無意識にデフォルメして行為しているのが、不連続の意識を連続させる事だと考える。


「 永遠 」について考える。

次に「 永遠 」の考え方だが、生命の「 永遠 」は、自分の生命と比較して、永久の連続を感じる事だろう。

これに対して、「 精神 」や「 文化意識 」などの「 デフォルメ 」の「 永遠 」は、「 特異点の無い永遠 」であり、デフォルメが発生する「 体験 」の「 追体験 」の可能性として「 永遠 」であると考える。


伊勢神宮では、20年に一度、「 遷宮 」が行われるが、これは社殿という建物の老朽化が原因ではなく、「 遷宮 」する事によって、社殿という建物の構築の方法を、後世に伝える。


デフォルメが発生する「 体験 」の「 追体験 」の可能性を後世に伝えるという方法で「 永遠 」なのである。

これは、「 関係 」の「 追体験 」であり、建物と人間の「 関係 」を保存する事だと思う。


Eについては、2010/2/3、次のように考えた。


TとUの、結果、「 類型 」や「 確率 」という「 関係 」が、デフォルメされて現実の「 惰性 」や「 習慣 」として現れる。


「 惰性 」や「 習慣 」がデフォルメされる前の「 関係 」は「 エネルギーを持つ場 」という空間意識であり「 空間的な配置 」であり、それがベクトルとして、個人の意識に潜入するから、「意欲」として行動を決定する無意識である。

この「 関係 」が持つエネルギーが、「 惰性 」や「 習慣 」として連続体を構成して、「 意識 」が持つ、呼吸や気(ki)という生命的で一時的なエネルギーの均衡を崩し、逆に、個人が、意識のエネルギーを「 惰性 」や「 習慣 」という「 関係 」として保存し、総和は「 エネルギー保存 」される。

エネルギーの空間的配置と、生命的で時間的なエネルギーは交流し、その総和を、現実の物体にデフォルメしたのが、「 体験 」であると考える。

「 体験 」により、「 関係 」という空間的なエネルギーと「 意識 」の時間的な呼吸の気(ki)というエネルギーが生じると、現時点では考えている。

………………………………

2010/2/4、私の考え

@意識は電磁波の構造をしていると考える。

A意識は一定の速度であると考える。


………………………………

A意識は一定の速度であると考える。

BとCにより、意識や精神の全てが、天体の運動をデフォルメしたものである。

頭脳の中は、変形した時空であり、無限大の宇宙をデフルメし、象徴として持っていると考える。

感覚は、デフォルメする器官であり、記憶と交信する感受性の違いにより、時空の変形の大小が決まると考える。

デフォルメが小さいならば、事実に近づくだろうし、デフォルメが大きいなら、「 オカルト 」と呼ばれるかも知れないが、これは、事実を写真で伝えるか絵画で伝えるかの違いであり、前者が後者に比べて正確な知識を得るだけの違いであり、私は、写真や絵画という伝達手段の優劣ではなく、何をデフォルメしているのかを重視する。

これは、絵画と写真だけでなく、音楽やその他の芸術の全てに及び、意識に優劣は無いと考える。

この事により、私は、A意識は一定の速度であると考える。

Eにより、意識が体験から発生する事を考える。

「 光 」が「 粒子の性質 」と「 波の性質 」を持つと言うが、私は、何故、光が二つの性質を持つのか、疑問に思う。

その二つの性質とは、ヒトが必要とする意識をデフォルメした概念だと思う。

「 粒子の性質 」は、開かれた空間を想像し、限り無い宇宙を伝達する媒体も無く進む、直線的な時間を想像する。

他方、「 波の性質 」は、閉じられた空間で、始めや終わりという特異点が無い、精神の円環的な時間を想像する。

前者は、空間的なエネルギー(時間や世代を超越して存在するエネルギー)を持つ絵画や写真であり、後者は、時間的なエネルギー(精神的なエネルギー)を持つ音楽を想像する。

絵画や写真というデフォルメの方法が向かうのは、「 空間の中に音楽を感じる事 」であり、音楽というデフォルメの方法が向かうのは、「 音楽の中の空間 」だろうと思う。



この二つの性質を「 光 」は、「 電磁波 」という形態で、現実の社会で同時に実現し、ヒトが、「 自分は自分である 」と考えるのは、「 電磁波的な発想で自分を考える事 」であると思う。

更に、B「時間」や「空間」は意識であり、根源には天体の運動があると考え、C「時間」や「空間」という場合、既にデフォルメしており、自分の存在が、デフォルメする主体であり、デフォルメが「 精神 」であり「 文化 」であると考えると、私は、@意識は電磁波の構造をしていると考える。


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2010年02月03日

2010/2/3、オカルト(関係と人格)デフォルメ3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/1/28、私の考え

私の考えは、次のような特徴を持っている。

@意識は電磁波の構造をしていると考える。

A意識は一定の速度であると考える。

B「時間」や「空間」は意識であり、根源には天体の運動がある。

C「時間」や「空間」という場合、既にデフォルメしており、自分の存在が、デフォルメする主体である。
デフォルメが「 精神 」であり「 文化 」である。

D現実は、生命の意識と精神の意識の複合であり、前者は「 直線的な永遠の時間 」後者は「 特異点の無い永遠の時間 」であり、前者は「 自意識 」で生命の意識であり一瞬の不連続の意識であるのに対し、後者は「 文化的意識 」であり「 関係 」の意識で連続している。

E現実は、意識と関係が縄のように交互に現れ、「 関係 」は「 エネルギーを持つ場 」という空間意識であり「 空間的な配置 」であり、それがベクトルとして、個人の意識に潜入する。

逆に、個人が意思を「 関係 」としてエネルギーを放出し、総和は「 エネルギー保存 」される。


………………………………

BとCについては、2010/1/31、以下のように考えた。

「 デフォルメ 」とは、変形する事だが、私は「 考える事であり、虚数を乗じる事であり、座標軸の回転であり、エネルギーの変換であり、象徴する事である 」という意味に使用する。

Dについては、2010/2/2、以下のように考えた。

「 連続 」について考える。

生命の意識は不連続であり、「 文化的意識 」の「 関係 」が連続しているとは何か?

生命の意識は、「 今 」から想起される「 時間意識」であり「 空間意識 」であり、断片的で恣意的だと考える。

「 時間 」や「 空間 」が経歴や歴史として連続し、自分の身体が「 過去 」と「 現在 」と「 未来 」を連続させる。

意識により作られた「 自意識 」や「 文化意識 」が時空を統合し、自分が連続を維持しているように思う。

BとCにより、全てが精神的であり、「 今 」という意識も、デフォルメした意識だと考えると、デフォルメする事は考える事だから、「 過去 」と「 現在 」と「 未来 」を区別して不連続にし、境界を曖昧にして連続させるのは、デフォルメする自分であると考える。

「 惰性 」や「 習慣 」を、デフォルメされた意識だと考えると、デフォルメする前の実体は、「 確率 」であり「 空間意識 」である「 関係 」であると思う。

「 惰性 」や「 習慣 」が「 類型 」であり、一定の関係が、一定のエネルギーを持つと思うから、「 惰性 」や「 習慣 」で行為する。

「 確率 」や「 類型 」などの「 空間関係 」を、自分が無意識にデフォルメして行為しているのが、不連続の意識を連続させる事だと考える。


「 永遠 」について考える。

次に「 永遠 」の考え方だが、生命の「 永遠 」は、自分の生命と比較して、永久の連続を感じる事だろう。

これに対して、「 精神 」や「 文化意識 」などの「 デフォルメ 」の「 永遠 」は、「 特異点の無い永遠 」であり、デフォルメが発生する「 体験 」の「 追体験 」の可能性として「 永遠 」であると考える。


伊勢神宮では、20年に一度、「 遷宮 」が行われるが、これは社殿という建物の老朽化が原因ではなく、「 遷宮 」する事によって、社殿という建物の構築の方法を、後世に伝える。


デフォルメが発生する「 体験 」の「 追体験 」の可能性を後世に伝えるという方法で「 永遠 」なのである。

これは、「 関係 」の「 追体験 」であり、建物と人間の「 関係 」を保存する事だと思う。

………………………………



2010/2/3、私の考え

E現実は、意識と関係が縄のように交互に現れ、「 関係 」は「 エネルギーを持つ場 」という空間意識であり「 空間的な配置 」であり、それがベクトルとして、個人の意識に潜入する。

逆に、個人が意思を「 関係 」としてエネルギーを放出し、総和は「 エネルギー保存 」される。


これについては、以前、書いた記事を参考にします。

………………………………

T、

2010/1/17、私の考え


過去の記憶の「 関係 」あるいは「 類型 」という「 精神 」が「 意欲 」という行動のエネルギーに変わる時、物理学で「 位置エネルギー 」や「 運動エネルギー 」が存在するように、過去の記憶の「 関係 」あるいは「 類型 」という「 精神 」に、「 エネルギー 」が蓄積されていて、「 無意識のエネルギー 」に溶け出すと考えます。

その反対が、「 時間意識 」を「 虚数化 」して、エネルギーを、記憶の「 関係 」あるいは「 類型 」に変換する事だと考えます。

過去の記憶の「 関係 」あるいは「 類型 」という「 精神 」は、「 エネルギー」の連続体であり、「 知識は力 」として、過去・現在・未来を結ぶ物だと考えます。

………………………………

U

2010/2/2、私の記事

「 惰性 」や「 習慣 」を、デフォルメされた意識だと考えると、デフォルメする前の実体は、「 確率 」であり「 空間意識 」である「 関係 」であると思う。

「 惰性 」や「 習慣 」が「 類型 」であり、一定の関係が、一定のエネルギーを持つと思うから、「 惰性 」や「 習慣 」で行為する。

「 確率 」や「 類型 」などの「 空間関係 」を、自分が無意識にデフォルメして行為しているのが、不連続の意識を連続させる事だと考える。

………………………………

TとUの、結果、「 類型 」や「 確率 」という「 関係 」が、デフォルメされて現実の「 惰性 」や「 習慣 」として現れる。


「 惰性 」や「 習慣 」がデフォルメされる前の「 関係 」は「 エネルギーを持つ場 」という空間意識であり「 空間的な配置 」であり、それがベクトルとして、個人の意識に潜入するから、「意欲」として行動を決定する無意識である。

この「 関係 」が持つエネルギーが、「 惰性 」や「 習慣 」として連続体を構成して、「 意識 」が持つ、呼吸や気(ki)という生命的で一時的なエネルギーの均衡を崩し、逆に、個人が、意識のエネルギーを「 惰性 」や「 習慣 」という「 関係 」として保存し、総和は「 エネルギー保存 」される。



エネルギーの空間的配置と、生命的で時間的なエネルギーは交流し、その総和を、現実の物体にデフォルメしたのが、「 体験 」であると考える。

「 体験 」により、「 関係 」という空間的なエネルギーと「 意識 」の時間的な呼吸の気(ki)というエネルギーが生じると、現時点では考えている。




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2010年02月02日

2010/2/2、オカルト(関係と人格)デフォルメ2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/1/28、私の考え

私の考えは、次のような特徴を持っている。

@意識は電磁波の構造をしていると考える。

A意識は一定の速度であると考える。

B「時間」や「空間」は意識であり、根源には天体の運動がある。

C「時間」や「空間」という場合、既にデフォルメしており、自分の存在が、デフォルメする主体である。
デフォルメが「 精神 」であり「 文化 」である。

D現実は、生命の意識と精神の意識の複合であり、前者は「 直線的な永遠の時間 」後者は「 特異点の無い永遠の時間 」であり、前者は「 自意識 」で生命の意識であり一瞬の不連続の意識であるのに対し、後者は「 文化的意識 」であり「 関係 」の意識で連続している。

E現実は、意識と関係が縄目のように交互に現れ、「 関係 」は「 エネルギーを持つ場 」という空間意識であり「 空間的な配置 」であり、それがベクトルとして、個人の意識に潜入する。

逆に、個人が意思を「 関係 」としてエネルギーを放出し、総和は「 エネルギー保存 」される。


2010/2/2、私の考え

BとCについては、2010/1/31、以下のように考えた。

「 デフォルメ 」とは、変形する事だが、私は「 考える事であり、虚数を乗じる事であり、座標軸の回転であり、エネルギーの変換であり、象徴する事である 」という意味に使用する。

D現実は、生命の意識と精神の意識の複合であり、前者は「 直線的な永遠の時間 」後者は「 特異点の無い永遠の時間 」であり、前者は「 自意識 」で生命の意識であり一瞬の不連続の意識であるのに対し、後者は「 文化的意識 」であり「 関係 」の意識で連続している。

@「 連続 」について考える。

生命の意識は不連続であり、「 文化的意識 」の「 関係 」が連続しているとは何か?

生命の意識は、「 今 」から想起される「 時間意識」であり「 空間意識 」であり、断片的で恣意的だと考える。

「 時間 」や「 空間 」が経歴や歴史として連続し、自分の身体が「 過去 」と「 現在 」と「 未来 」を連続させる。

意識により作られた「 自意識 」や「 文化意識 」が時空を統合し、自分が連続を維持しているように思う。

BとCにより、全てが精神的であり、「 今 」という意識も、デフォルメした意識だと考えると、デフォルメする事は考える事だから、「 過去 」と「 現在 」と「 未来 」を区別して不連続にし、境界を曖昧にして連続させるのは、デフォルメする自分であると考える。

「 惰性 」や「 習慣 」を、デフォルメされた意識だと考えると、デフォルメする前の実体は、「 確率 」であり「 空間意識 」である「 関係 」であると思う。

「 惰性 」や「 習慣 」が「 類型 」であり、一定の関係が、一定のエネルギーを持つと思うから、「 惰性 」や「 習慣 」で行為する。

「 確率 」や「 類型 」などの「 空間関係 」を、自分が無意識にデフォルメして行為しているのが、不連続の意識を連続させる事だと考える。




A「 永遠 」について考える。

次に「 永遠 」の考え方だが、生命の「 永遠 」は、自分の生命と比較して、永久の連続を感じる事だろう。

これに対して、「 精神 」や「 文化意識 」などの「 デフォルメ 」の「 永遠 」は、「 特異点の無い永遠 」であり、デフォルメが発生する「 体験 」の「 追体験 」の可能性として「 永遠 」であると考える。


伊勢神宮では、20年に一度、「 遷宮 」が行われるが、これは社殿という建物の老朽化が原因ではなく、「 遷宮 」する事によって、社殿という建物の構築の方法を、後世に伝える。


デフォルメが発生する「 体験 」の「 追体験 」の可能性を後世に伝えるという方法で「 永遠 」なのである。

これは、「 関係 」の「 追体験 」であり、建物と人間の「 関係 」を保存する事だと思う。



「 時間 」が円環時間ではなく、「 精神の時間 」が「 円環的 」であり、ホーキング博士が考えた「虚時間」は「 精神の時間 」であると考える。



遷宮(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B7%E5%AE%AE

伊勢神宮の遷宮

http://www.isejingu.or.jp/shikinensengu/shikinen-index.html


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2010年01月31日

2010/1/31、オカルト(関係と人格)デフォルメ

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


今日は、「 デフォルメ 」について考えました。

2010/1/30、私の考え

私の考えが奇妙だから、Yahoo USA が掲載してくれたのかも知れない。

「 脳 」の中に「 時空 」がある。

「 脳 」で、デフォルメした時空を、「 脳内時空 」と称している。

子供のような考えかも知れない。

B「時間」や「空間」は意識であり、根源には天体の運動がある。

C「時間」や「空間」という場合、既にデフォルメしており、自分の存在が、デフォルメする主体である。
デフォルメが「 精神 」であり「 文化 」である。


私が、「 箱根旅行と富士山 」の写真を見て思い出すのは、「 空間 」や「 時間 」を思い出すのではなく、時間と空間を統合した私の状況であり、私の五感で体験した「 脳内時空 」であり、私の「 文化 」である。

自然は膨大で、私が自然を考える時、自然をデフォルメして、時空をデフォルメして記憶するしか方法はない。

人間の認識自体が、デフォルメの上で成立した「 精神 」や「 文化 」であり、人間にとっては、自然の全てが「 現象 」である。

私の存在自体が宇宙をデフォルメするから、測定や観察などの科学的行為もデフォルメした「 文化 」であり、「 時間 」も「 空間 」も、天体の運動を知るために人間が作った概念で、「 時間意識 」や「 空間意識 」であると考える。

意識が及ぶ限りの宇宙であり、宇宙は、意識の「 外 」にあるかも知れない。

意識だから、デフォルメして、科学的な理論にも芸術にもなるし、記憶して思い出す事も出来ると考える。



2010/1/15、私の考え

私は、「 生命の時空 」と「 精神の時空 」とが、霊の力(重力)の「 方向性 」が同じだから、「 自意識 」を構成し、人類だからDNA(阿弥陀如来)や創造主の力で、「 時間 」を感じていると考えます。

だから、私の一瞬には、三つの時空が重なっていると考えます。

DNA(阿弥陀如来)や創造主の力による時空は、後日、考える事にして、「 脳内時空 」として、「 生命の時空 」と「 精神の時空 」を考えます。

まず、「 生命の時空 」を考えます。

「 生命の時空 」の「 時間意識 」は、過去・現在・未来と直線的で、「 魂の時間 」であり、死亡により終わりがあります。

「 生命の時空 」の「 空間意識 」が存在すれば、それはエネルギーであり、「 生命の時空 」は「 無意識 」の領域であると考えます。

直線的な時間意識の影響で、空間的には「 ベクトル 」として二つの眼に感じて、(無意識の中に)「 ストレス 」を形成し、ストレス解消のために行為し、身(身体)口(言葉)意(意識)に「 無意識の意思が具現化して 」、阿頼耶識(arayasiki)となり、「 記憶 」の中に保存されると考えます。


次に「 精神の時空 」です。

DNA(阿弥陀如来)や創造主の力による時空は無限の大きさで、「 時間 」や「 空間 」という言葉で、その大きさをデフォルメしているのだと思います。

「測定する事」は、(精神であり)事象を象徴化する事だと思います。

Big Dikz を賞賛するように、「 事実 」の中に「 快感や期待 」を感じるのが「 精神的動物 」の人間です。

「 精神の時空 」の「 時間意識 」は、事実をデフォルメした、特異点が無い球体上の時間のように、始めと終わりが結合した、「 永遠 」の時間であると考えます。

「 考える事 」により、直線的で不連続な(実数の実体的な)「 生命の時空 」を連続に統合して、認識を可能にすると考えます。

「 関係 」は、考えるために、意味として存在し、無意識の領域に存在すると考えます。

この「 考える事 」が、虚数を乗じる事であり、意識の座標を回転する事であり、(デフォルメであり)、「 認識 」や「 統合 」は、直線的で不連続な「 生命の時空 」の「 時間意識 」が衝突した現実面での干渉波(言い換えれば、連続の面に結合された物)であると考えます。

「 精神の時空 」の「 空間意識 」は、前述した「 記憶 」であり、行動の原因となったストレスのフォーメイションや配置、行動の手順であり、「 関係 」として、形態の意思として、「 現実 」に現れると考えます。


2010/1/17、私の考え


過去の記憶の「 関係 」あるいは「 類型 」という「 精神 」が「 意欲 」という行動のエネルギーに変わる時、物理学で「 位置エネルギー 」や「 運動エネルギー 」が存在するように、過去の記憶の「 関係 」あるいは「 類型 」という「 精神 」に、「 エネルギー 」が蓄積されていて、「 無意識のエネルギー 」に溶け出すと考えます。

その反対が、「 時間意識 」を「 虚数化 」して、エネルギーを、記憶の「 関係 」あるいは「 類型 」に変換する事だと考えます。

過去の記憶の「 関係 」あるいは「 類型 」という「 精神 」は、「 エネルギー」の連続体であり、「 知識は力 」として、過去・現在・未来を結ぶ物だと考えます。

2010/1/31、私の考え

「 デフォルメ 」とは、変形する事だが、私は「 考える事であり、虚数を乗じる事であり、座標軸の回転であり、エネルギーの変換であり、象徴する事である 」という意味に使用する。

そして、以下の事が基礎になって、前進する。

B「時間」や「空間」は意識であり、根源には天体の運動がある。

C「時間」や「空間」という場合、既にデフォルメしており、自分の存在が、デフォルメする主体である。
デフォルメが「 精神 」であり「 文化 」である。


現実に見ている時や聞いている時という現実の意識も、認識の全てが、デフォルメされた「 精神 」である。




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2010年01月30日

2010/1/30、オカルト(関係と人格)脳内時空の追加1

私の考えは、奇妙な考えかも知れない。

Yahoo USA で、次のように掲載されている。

脳内時空

http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGk9hox2JLF18B96ul87UF?p=%E8%84%B3%E5%86%85%E6%99%82%E7%A9%BA&fr=yfp-t-701&fr2=sfp&iscqry=&pvid=Mgkvq0oGkumtTyQASuVtjAD43gamIktix20AA290

脳内時空の要約

http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkkp1x2JLn0QBta1XNyoA?p=%E8%84%B3%E5%86%85%E6%99%82%E7%A9%BA%E3%81%AE%E8%A6%81%E7%B4%84&fr2=sb-top&fr=yfp-t-701&sao=1


2010/1/28、私の考え

私の考えは、次のような特徴を持っている。

@意識は電磁波の構造をしていると考える。

A意識は一定の速度であると考える。

B「時間」や「空間」は意識であり、根源には天体の運動がある。

C「時間」や「空間」という場合、既にデフォルメしており、自分の存在が、デフォルメする主体である。
デフォルメが「 精神 」であり「 文化 」である。


D現実は、生命の意識と精神の意識の複合であり、前者は「 直線的な永遠の時間 」後者は「 特異点の無い永遠の時間 」であり、前者は「 自意識 」で生命の意識であり一瞬の不連続の意識であるのに対し、後者は「 文化的意識 」であり「 関係 」の意識で連続している。

E現実は、意識と関係が縄目のように交互に現れ、「 関係 」は「 エネルギーを持つ場 」という空間意識であり「 空間的な配置 」であり、それがベクトルとして、個人の意識に潜入する。

逆に、個人が意思を「 関係 」としてエネルギーを放出し、総和は「 エネルギー保存 」される。


2010/1/30、私の考え

私の考えが奇妙だから、Yahoo USA が掲載してくれたのかも知れない。

「 脳 」の中に「 時空 」がある。

「 脳 」で、デフォルメした時空を、「 脳内時空 」と称している。

子供のような考えかも知れない。

B「時間」や「空間」は意識であり、根源には天体の運動がある。

C「時間」や「空間」という場合、既にデフォルメしており、自分の存在が、デフォルメする主体である。
デフォルメが「 精神 」であり「 文化 」である。


私が、「 箱根旅行と富士山 」の写真を見て思い出すのは、「 空間 」や「 時間 」を思い出すのではなく、時間と空間を統合した私の状況であり、私の五感で体験した「 脳内時空 」であり、私の「 文化 」である。

自然は膨大で、私が自然を考える時、自然をデフォルメして、時空をデフォルメして記憶するしか方法はない。

人間の認識自体が、デフォルメの上で成立した「 精神 」や「 文化 」であり、人間にとっては、自然の全てが「 現象 」である。

私の存在自体が宇宙をデフォルメするから、測定や観察などの科学的行為もデフォルメした「 文化 」であり、「 時間 」も「 空間 」も、天体の運動を知るために人間が作った概念で、「 時間意識 」や「 空間意識 」であると考える。

意識が及ぶ限りの宇宙であり、宇宙は、意識の「 外 」にあるかも知れない。

意識だから、デフォルメして、科学的な理論にも芸術にもなるし、記憶して思い出す事も出来ると考える。

時空は意識だから理論の中で融合し、時間は意識だから物理理論は、時間対称を好むと考える。

意識は、電磁波であり、「 生命 」であると考える。

DEについては、後日、書く予定です。


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