2010年04月05日

2010/4/5、オカルト・関係と人格・太陽光は意識を生む

これは、フィクションであり、願望です。

2010/3/21、私の記事

(1)「 ピラミッド」についての考え。

ピラミッドの頂点に当てた光が、ピラミッドの底辺を形成すると考え、光が意識であり、ピラミッドの内部が光(意識)のエネルギーの回路で、ピラミッドの底辺の面積が、現実生活で「 事実 」と考えている、デフォルメした意識であると想定する。

この場合の「 光 」や「 意識 」は、物理的に考えるのではなく、「 霊の光 」であり、「 魂の意識 」であり、「 電離層 」や「 霊界 」の事であると考える。

現実面では、オカルトや擬似科学として「 力 」を否定されるが、精神的な「 ピラミッドパワー 」が「 現実の意識や精神 」を「 回転 」させる。

「 回転 」とは、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る。

その軸から軸へと「 回転 」するエネルギーが「 ピラミッドパワー 」であると考える。

その内容は、「 太陽光 」という「 霊の力」が伝える「 気 」であり、生命は「 気(ki) 」を持ち、霊と気が交流するという「 生気論 」に賛成する。

「 ピラミッド 」の中のエネルギーは、「 霊性 」の感受性により、強弱が決まるのであり、人間に平等な「 霊格 」であり、人格形成に影響するが、個人的な「 超能力 」や「 人格 」ではないと考える。



2010/4/5、私の考え

植物は、太陽光の向かって芽を伸ばし、光合成をする。

ヒトも生物であるから、万遍なく注がれる太陽光に影響されると考える。

太陽光の周波数の違いで、可視光線や紫外線や赤外線があり、前者の眼で見る事を可能にするだけでなく、後者は、身(身体)に作用する。

宇宙での太陽光の周波数は、多様で、地表では一部を摂取しているにすぎず、身(身体)に作用するならば、口(言葉)や意(意識)に影響する事を考える事も許されるだろう。

太陽光から意識が生じると考えると、「 色 」は太陽光の反射であり、太陽光と大気が存在するから「 色 」という意識があると考える。

「 狂気 」も、「 性的 」だけでなく、宇宙の周波数を感受し、一般社会とは違った感覚だから、「 病気 」であり、本当は、「 意識の爆発 」であり「 意識の誕生 」であるかも知れない。

「 芸術は爆発である 」というのも、「 芸術は意識を爆発させる事である 」と考え、「 狂気 」の存在を必要とするだろう。

「 狂気 」は、距離や速度の否定であり、地球から遠く離れた星座の爆発を、光速を超えて認識する事かも知れない。

距離や速度の否定は、時間意識や空間意識が未分化の時空であり、未分化が芸術の本質であると思う。

同時代では「 狂気 」と呼ばれた画家が、時間の経過につれて「 正気 」の画家となるように。

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2010年04月04日

2010/4/4、オカルト・関係と人格10・組み合わせ7

これは、フィクションです。

私だけの考えです。

2010/3/21、私の記事

(1)「 ピラミッド」についての考え。

ピラミッドの頂点に当てた光が、ピラミッドの底辺を形成すると考え、光が意識であり、ピラミッドの内部が光(意識)のエネルギーの回路で、ピラミッドの底辺の面積が、現実生活で「 事実 」と考えている、デフォルメした意識であると想定する。

この場合の「 光 」や「 意識 」は、物理的に考えるのではなく、「 霊の光 」であり、「 魂の意識 」であり、「 電離層 」や「 霊界 」の事であると考える。

現実面では、オカルトや擬似科学として「 力 」を否定されるが、精神的な「 ピラミッドパワー 」が「 現実の意識や精神 」を「 回転 」させる。

「 回転 」とは、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る。

その軸から軸へと「 回転 」するエネルギーが「 ピラミッドパワー 」であると考える。

その内容は、「 太陽光 」という「 霊の力」が伝える「 気 」であり、生命は「 気(ki) 」を持ち、霊と気が交流するという「 生気論 」に賛成する。

「 ピラミッド 」の中のエネルギーは、「 霊性 」の感受性により、強弱が決まるのであり、人間に平等な「 霊格 」であり、人格形成に影響するが、個人的な「 超能力 」や「 人格 」ではないと考える。



2010/4/2、私の記事

「 二本足の考え 」は、意識と無意識の中心が、ラグビーボールという身(身体)口(言葉)意(意識)を経由して結ばれるとういう考えです。

@本質(実数)と法則(虚数や関係)の精神の縦軸とA生命体のDNA(安定した状態)とRNA(不安定な状態)の横軸が交差し、「 軸上の一点 」を90度回転させるエネルギーが「 ピラミッドパワー 」と考え、それが描く「 円 」が「 真・善・美 」であると考える。

@がAにより規定され、同時にAが@により規定されるのが「 真・善・美 」だろう。

ヒトの意識は常にデフォルメするから、ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標上の一点 」しか存在しない。

「 座標上の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数であると考える。

@の場合、虚数は、客観的という因果関係であり、時間を排除する空間であり、法則であると考える。

実数は主観的という個人の時間で成立する特殊な因果関係で、意識の統合である本質であると考える。

Aの場合、虚数はRNA(活動的)、実数はDNA(安定的・保存的)と考える。

「 座標上の一点 」は、「 軸上の一点 」から離れているので、「 ピラミッドパワー 」が座標軸を回転させることにより、軌跡は「 実数と虚数の二つの円 」を形成すると考える。

ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標の一点 」が存在し、「 軸の交点(原点)」から「 座標の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数である事は、「 軸は同じ面で交差していない 」と考える。


@からの計測というデフォルメとAからの計測というデフォルメの和であり、@が「 意識や精神 」、Aが「 生命体 」からの計測である。

計測というデフォルメとは、@とAの交点(原点)からの距離で、「 座標の一点 」からは、@意識とA無意識の距離であり、ヒトは「 同時に 」計測する事は出来ないが、意識と無意識が「 不可分だから同時 」、あるいは主観的真理として「 同時に 」計測して、意識と無意識の総和は「 ラグビーボール 」の「 楕円体 」であると考える。

Aで計測した後@で計測するのが、「 無意識は実体を決定する 」事であり、@で計測した後Aで計測するのが「 意識で予測し想像する事 」で、ヒトは、「 不可分 」の状態で行為すると考える。

意識と無意識の距離の「 定在波 」が「 六道 」であり「 人格 」であるが、「 定在波 」が生じる距離は、(1)で考えた交点と、自分が持つと自覚する交点が、始点と終点である。

2010/4/3、私の考え


この実数とは、「 安定 」や「 実体 」で表現される時空で、生命体では、DNAや「 脳幹 」に対応し、「 無意識の性的安定 」だと考える。

虚数とは、「 意識 」であり、「 脳 」に対応し、社会に関連し、生命体ではRNAで、「 ピラミッドパワー」の気(ki)を受ける「 感受性 」だと考える。

この気(ki)が、電気であれば「 プラズマ宇宙論 」と同じであるが、円偏光と旋光の違いから、電気を誘発するだけだろう。

「 ピラミッドパワー 」は生物の全ての上に存在するが、虚数を、気(ki)が交流する演算子やアンテナと考え、虚数が描く円の大きさが、個人の「 ピラミッドパワー 」になると考える。

無意識は、生来は不安定であるから、安定を求めるのであり、生物的には「 女性 」を想像し、意識は、生来は安定しているが(例えば、物事に言葉を付与する事で安定する)、不安を求め、発展を求め、生物的には、「 男性 」を想像し、古代からの女性の「 陰 」と男性の「 陽 」で、女性がDNAで保存的であり、男性がRNAであり、発展的であると考える。

不安と安定は、「 性的 」であるから、心理学は「 性 」を中心に考えると思うが、生物の一面から来る意識であり、「 認識 」を考える場合は、「 ピラミッドパワー 」を考える必要があると思う。

「 人格 」を考える場合は、過去の自分の「 性的時空 」と現在の時空を結んだ場合の波長や振幅の安定した「 実数部分 」が強度であり、力線となり、脳幹に「 好み 」を生じるだろう。

一方では、「 ピラミッドパワー 」によって回転する、無意識と安定と女性と「 陰 」とDNAの「 円 」があり、他方は、「 ピラミッドパワー 」によって回転する意識と不安定と男性と「 陽 」とRNAの「 円 」があり、DNA が持つラセン構造のように、連結した姿が、「 ラグビーボール 」という細胞の似た形態になると考える。

2010/4/4、私の考え


以上で、「 ピラミッドパワー 」の内部の意識(光)は、「 今 」という平面に@本質と法則の縦軸とA生命体の「 陰 」と「 陽 」の横軸を回転させ、「 座標軸上の一点 」を回転させて、底辺に円の面積を作るが、ヒトは、意識と無意識を持つため、楕円の面積になる。

立体的に考え、彗星に乗っているように、「 今 」を境界として、過去は切り口を楕円とする円柱であり、未来は底辺を円とする円錐で、意識は前者では「 楕円の偏光 」の軌道を描き、後者では、「 円偏光 」の軌道を描くと考える。

「 円偏光 」する霊の意識に導かれながら、人体の中の意識は「 楕円偏光 」になる。

過去は切り口を楕円とする円柱の周囲が、身(身体)口(言葉)意(意識)で、内部は「 内なる宇宙 」であり、「 脳内時空 」であり、前者が「 物体的 」あるいは「 実数的 」な文化や文明であり、後者は「 精神的 」な文化や意識であると考える。

「 楕円偏光 」するのは、ヒトが欲望を持つからであり、生物として生きるための、食欲や性欲や睡眠欲の軌跡であると思う。

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2010年04月03日

2010/4/3、オカルト・関係と人格9・組み合わせ6

これは、フィクションです。

2010/4/2、私の記事

「 二本足の考え 」は、意識と無意識の中心が、ラグビーボールという身(身体)口(言葉)意(意識)を経由して結ばれるとういう考えです。

@本質(実数)と法則(虚数や関係)の精神の縦軸とA生命体のDNA(安定した状態)とRNA(不安定な状態)の横軸が交差し、「 軸上の一点 」を90度回転させるエネルギーが「 ピラミッドパワー 」と考え、それが描く「 円 」が「 真・善・美 」であると考える。

@がAにより規定され、同時にAが@により規定されるのが「 真・善・美 」だろう。

ヒトの意識は常にデフォルメするから、ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標上の一点 」しか存在しない。

「 座標上の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数であると考える。

@の場合、虚数は、客観的という因果関係であり、時間を排除する空間であり、法則であると考える。

実数は主観的という個人の時間で成立する特殊な因果関係で、意識の統合である本質であると考える。

Aの場合、虚数はRNA(活動的)、実数はDNA(安定的・保存的)と考える。

「 座標上の一点 」は、「 軸上の一点 」から離れているので、「 ピラミッドパワー 」が座標軸を回転させることにより、軌跡は「 実数と虚数の二つの円 」を形成すると考える。

ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標の一点 」が存在し、「 軸の交点(原点)」から「 座標の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数である事は、「 軸は同じ面で交差していない 」と考える。


@からの計測というデフォルメとAからの計測というデフォルメの和であり、@が「 意識や精神 」、Aが「 生命体 」からの計測である。

計測というデフォルメとは、@とAの交点(原点)からの距離で、「 座標の一点 」からは、@意識とA無意識の距離であり、ヒトは「 同時に 」計測する事は出来ないが、意識と無意識が「 不可分だから同時 」、あるいは主観的真理として「 同時に 」計測して、意識と無意識の総和は「 ラグビーボール 」の「 楕円体 」であると考える。

Aで計測した後@で計測するのが、「 無意識は実体を決定する 」事であり、@で計測した後Aで計測するのが「 意識で予測し想像する事 」で、ヒトは、「 不可分 」の状態で行為すると考える。

意識と無意識の距離の「 定在波 」が「 六道 」であり「 人格 」であるが、「 定在波 」が生じる距離は、(1)で考えた交点と、自分が持つと自覚する交点が、始点と終点である。

2010/4/3、私の考え

私は、勉強不足のため、同じ思考回路を循環してしまいます。

考えが脱線してしまう事をお許しください。

「 座標上の一点 」は、「 軸上の一点 」から離れているので、「 ピラミッドパワー 」が座標軸を回転させることにより、軌跡は「 実数と虚数の二つの円 」を形成すると考える。

ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標の一点 」が存在し、「 軸の交点(原点)」から「 座標の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数である事は、「 軸は同じ面で交差していない 」と考える。


この実数とは、「 安定 」や「 実体 」で表現される時空で、生命体では、DNAや「 脳幹 」に対応し、「 無意識の性的安定 」だと考える。

虚数とは、「 意識 」であり、「 脳 」に対応し、社会に関連し、生命体ではRNAで、「 ピラミッドパワー」の気(ki)を受ける「 感受性 」だと考える。

この気(ki)が、電気であれば「 プラズマ宇宙論 」と同じであるが、円偏光と旋光の違いから、電気を誘発するだけだろう。

「 ピラミッドパワー 」は生物の全ての上に存在するが、虚数を、気(ki)が交流する演算子やアンテナと考え、虚数が描く円の大きさが、個人の「 ピラミッドパワー 」になると考える。

無意識は、生来は不安定であるから、安定を求めるのであり、生物的には「 女性 」を想像し、意識は、生来は安定しているが(例えば、物事に言葉を付与する事で安定する)、不安を求め、発展を求め、生物的には、「 男性 」を想像し、古代からの女性の「 陰 」と男性の「 陽 」で、女性がDNAで保存的であり、男性がRNAであり、発展的であると考える。

不安と安定は、「 性的 」であるから、心理学は「 性 」を中心に考えると思うが、生物の一面から来る意識であり、「 認識 」を考える場合は、「 ピラミッドパワー 」を考える必要があると思う。

「 人格 」を考える場合は、過去の自分の「 性的時空 」と現在の時空を結んだ場合の波長や振幅の安定した「 実数部分 」が強度であり、力線となり、脳幹に「 好み 」を生じるだろう。

一方では、「 ピラミッドパワー 」によって回転する、無意識と安定と女性と「 陰 」とDNAの「 円 」があり、他方は、「 ピラミッドパワー 」によって回転する意識と不安定と男性と「 陽 」とRNAの「 円 」があり、DNA が持つラセン構造のように、連結した姿が、「 ラグビーボール 」という細胞の似た形態になると考える。

DNAとRNAを持つから、男性も女性も「 ラグビーボール」を持つが、女性は、軸を実数とした「 円 」を持ち、男性は虚数を軸とした「 円 」を持ち、両者は別れているが結合していると考える。

自分の中に、女性と男性が混在した結果、「 ラグビーボール 」を持つかも知れない。

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2010年04月02日

2010/4/2、オカルト・関係と人格8・組み合わせ5

これは、フィクションです。

2010/3/21、私の記事

(1)「 ピラミッド」についての考え。

ピラミッドの頂点に当てた光が、ピラミッドの底辺を形成すると考え、光が意識であり、ピラミッドの内部が光(意識)のエネルギーの回路で、ピラミッドの底辺の面積が、現実生活で「 事実 」と考えている、デフォルメした意識であると想定する。

この場合の「 光 」や「 意識 」は、物理的に考えるのではなく、「 霊の光 」であり、「 魂の意識 」であり、「 電離層 」や「 霊界 」の事であると考える。

現実面では、オカルトや擬似科学として「 力 」を否定されるが、精神的な「 ピラミッドパワー 」が「 現実の意識や精神 」を「 回転 」させる。

「 回転 」とは、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る。

その軸から軸へと「 回転 」するエネルギーが「 ピラミッドパワー 」であると考える。

その内容は、「 太陽光 」という「 霊の力」が伝える「 気 」であり、生命は「 気(ki) 」を持ち、霊と気が交流するという「 生気論 」に賛成する。

「 ピラミッド 」の中のエネルギーは、「 霊性 」の感受性により、強弱が決まるのであり、人間に平等な「 霊格 」であり、人格形成に影響するが、個人的な「 超能力 」や「 人格 」ではないと考える。


………………(省略)………………………

これらの条件は、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、軸上の一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る事で、成立すると考える。


この完全な「 円運動 」が「 真理 」だと思うが、人間は、意識だけではなく、無意識を持ち、「 軸上の一点 」が人間には無く、「 円運動 」は「 楕円運動 」になり、「 事実 」もデフォルメした事実になる。

2010/3/21、私の記事

(2)@「本質」という実体とAの「法則」という関係の縦軸とB「 感覚の複合 」である生命の横軸を「 デフォルメして限定する 」人格の説明

(1)の交点は、デフォルメした思考上の交点だから、一点として決まるが、(2)の人格を考える時、「 感覚の複合 」である生命の横軸が、@「本質」とA「 法則 」の縦軸との交点が、(1)とは、位置を異にする。

生命体には、意識と無意識があり、時間意識と空間意識を持つからであり、細胞を考えても、「 対称 」ではない。

………………(省略)………………………

その交点の距離は、「 二本足の考え 」で考えた、意識と無意識の距離であり、楕円のラグビーボールの焦点である。

(1)の「 ピラミッドの底辺 」が、(2)では、ラグビーボールの周囲となる。

意識と無意識の距離の「 定在波 」が「 六道 」であり「 人格 」であるが、「 定在波 」が生じる距離は、(1)で考えた交点と、自分が持つと自覚する交点が、始点と終点である。

「 人格 」は、その交点から発した意識が形成するラグビーボール、言い換えれば、身(身体)口(言葉)意(意識)という「 鏡 」を見る事により、個人は知る事ができる。



それは、「 神仏の教え 」から、自分の考えが離れているか、を知る事により、「 人格 」を神仏の考えに変換できる。

ヒトは、生まれた時から、アウトローであり、それが西洋では、「 罪 」を持つヒトで、東洋では「 六道 」の中のヒトという意味だろう。

(3)の「 欲 」とは、何か。

「 ピラミッドパワー 」に相当するヒトのエネルギーが「 欲 」であり、両者とも、気(ki)である。

磁場が回転を生むように、「精神」のピラミッドが座標を回転させるパワーを生み、「真・善・美」を形成するが、現実生活では、人格を作る無意識と意識の距離の「定在波」が、ラグビーボールの軌道を回る「六道」のエネルギーである「欲望」を生み、「真・善・美」から遠くなったり近くなったりする楕円軌道を描くと思う。



2010/4/2、私の考え

「 二本足の考え 」は、意識と無意識の中心が、ラグビーボールという身(身体)口(言葉)意(意識)を経由して結ばれるとういう考えです。

@本質(実数)と法則(虚数や関係)の精神の縦軸とA生命体のDNA(安定した状態)とRNA(不安定な状態)の横軸が交差し、「 軸上の一点 」を90度回転させるエネルギーが「 ピラミッドパワー 」と考え、それが描く「 円 」が「 真・善・美 」であると考える。

@がAにより規定され、同時にAが@により規定されるのが「 真・善・美 」だろう。

ヒトの意識は常にデフォルメするから、ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標上の一点 」しか存在しない。

「 座標上の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数であると考える。

@の場合、虚数は、客観的という因果関係であり、時間を排除する空間であり、法則であると考える。

実数は主観的という個人の時間で成立する特殊な因果関係で、意識の統合である本質であると考える。

Aの場合、虚数はRNA(活動的)、実数はDNA(安定的・保存的)と考える。

「 座標上の一点 」は、「 軸上の一点 」から離れているので、「 ピラミッドパワー 」が座標軸を回転させることにより、軌跡は「 実数と虚数の二つの円 」を形成すると考える。

ヒトには「 軸上の一点 」は存在せず、「 座標の一点 」が存在し、「 軸の交点(原点)」から「 座標の一点 」とは、実数と虚数の和であり、複素数である事は、「 軸は同じ面で交差していない 」と考える。


@からの計測というデフォルメとAからの計測というデフォルメの和であり、@が「 意識や精神 」、Aが「 生命体 」からの計測である。

計測というデフォルメとは、@とAの交点(原点)からの距離で、「 座標の一点 」からは、@意識とA無意識の距離であり、ヒトは「 同時に 」計測する事は出来ないが、意識と無意識が「 不可分だから同時 」、あるいは主観的真理として「 同時に 」計測して、意識と無意識の総和は「 ラグビーボール 」の「 楕円体 」であると考える。

Aで計測した後@で計測するのが、「 無意識は実体を決定する 」事であり、@で計測した後Aで計測するのが「 意識で予測し想像する事 」で、ヒトは、「 不可分 」の状態で行為すると考える。

意識と無意識の距離の「 定在波 」が「 六道 」であり「 人格 」であるが、「 定在波 」が生じる距離は、(1)で考えた交点と、自分が持つと自覚する交点が、始点と終点である。

「 人格 」は、その交点から発した意識が形成するラグビーボール、言い換えれば、身(身体)口(言葉)意(意識)という「 鏡 」(座標上の一点)を見る事により、個人は知る事ができる。

「 真・善・美 」を考える事は、何故、デフォルメするかという理由を問う事であり、@とAの交点を問う事であり、ラグビーボールの生命体の意識を、「 ピラミッドパワー 」が与える円の意識に近づける事であり、「 人格 」を向上させることだと思う。

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2010年03月22日

2010/3/22、関係と人格7、組み合わせ4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/3/21、私の記事

(1)「 ピラミッド」についての考え。

ピラミッドの頂点に当てた光が、ピラミッドの底辺を形成すると考え、光が意識であり、ピラミッドの内部が光(意識)のエネルギーの回路で、ピラミッドの底辺の面積が、現実生活で「 事実 」と考えている、デフォルメした意識であると想定する。

この場合の「 光 」や「 意識 」は、物理的に考えるのではなく、「 霊の光 」であり、「 魂の意識 」であり、「 電離層 」や「 霊界 」の事であると考える。

現実面では、オカルトや擬似科学として「 力 」を否定されるが、精神的な「 ピラミッドパワー 」が「 現実の意識や精神 」を「 回転 」させる。

「 回転 」とは、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る。

その軸から軸へと「 回転 」するエネルギーが「 ピラミッドパワー 」であると考える。

その内容は、「 太陽光 」という「 霊の力」が伝える「 気 」であり、生命は「 気(ki) 」を持ち、霊と気が交流するという「 生気論 」に賛成する。

「 ピラミッド 」の中のエネルギーは、「 霊性 」の感受性により、強弱が決まるのであり、人間に平等な「 霊格 」であり、人格形成に影響するが、個人的な「 超能力 」や「 人格 」ではないと考える。


………………(省略)………………………

これらの条件は、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、軸上の一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る事で、成立すると考える。


この完全な「 円運動 」が「 真理 」だと思うが、人間は、意識だけではなく、無意識を持ち、「 軸上の一点 」が人間には無く、「 円運動 」は「 楕円運動 」になり、「 事実 」もデフォルメした事実になる。

2010/3/21、私の記事

(2)@「本質」という実体とAの「法則」という関係の縦軸とB「 感覚の複合 」である生命の横軸を「 デフォルメして限定する 」人格の説明

(1)の交点は、デフォルメした思考上の交点だから、一点として決まるが、(2)の人格を考える時、「 感覚の複合 」である生命の横軸が、@「本質」とA「 法則 」の縦軸との交点が、(1)とは、位置を異にする。

生命体には、意識と無意識があり、時間意識と空間意識を持つからであり、細胞を考えても、「 対称 」ではない。

………………(省略)………………………

その交点の距離は、「 二本足の考え 」で考えた、意識と無意識の距離であり、楕円のラグビーボールの焦点である。

(1)の「 ピラミッドの底辺 」が、(2)では、ラグビーボールの周囲となる。

意識と無意識の距離の「 定在波 」が「 六道 」であり「 人格 」であるが、「 定在波 」が生じる距離は、(1)で考えた交点と、自分が持つと自覚する交点が、始点と終点である。

「 人格 」は、その交点から発した意識が形成するラグビーボール、言い換えれば、身(身体)口(言葉)意(意識)という「 鏡 」を見る事により、個人は知る事ができる。



それは、「 神仏の教え 」から、自分の考えが離れているか、を知る事により、「 人格 」を神仏の考えに変換できる。

ヒトは、生まれた時から、アウトローであり、それが西洋では、「 罪 」を持つヒトで、東洋では「 六道 」の中のヒトという意味だろう。

(3)の「 欲 」とは、何か。

「 ピラミッドパワー 」に相当するヒトのエネルギーが「 欲 」であり、両者とも、気(ki)である。

磁場が回転を生むように、「精神」のピラミッドが座標を回転させるパワーを生み、「真・善・美」を形成するが、現実生活では、人格を作る無意識と意識の距離の「定在波」が、ラグビーボールの軌道を回る「六道」のエネルギーである「欲望」を生み、「真・善・美」から遠くなったり近くなったりする楕円軌道を描くと思う。



2010/3/22、私の考え



今日、「 real Arcade 」社の「 最強の麻雀3D(Saikyo no Mah-jong 3D-JP)」で遊んでいる時、このように思った。

221回、戦った私の戦績は、一位が132回、二位が54回、三位が26回、四位が9回である。

このゲームで、「 運 」という「 ピラミッドの頂点から入る光 」に、自分の考えが合致すれば、勝つ。

このゲームでは、「 大統領選挙 」のように、一位になる事が、勝つ事である。

「 天の運、地の利、人の和 」を「 天地人 」と言い、昨年のNHKの大河ドラマのタイトルだった。

「 天の運 」が、「 ピラミッドパワー 」であり、「 地の利 」が、思想とDNAが交差する現実であると考える。

「 天の運、地の利、人の和 」が合致した所に、戦闘に「 勝ち 」があり、相撲では「 横綱 」と言われる。


天の運、地の利、人の和に従う時、「 ピラミッドパワー 」と「 欲 」が合一した、行為であり、社会の中の「 完全な円運動であり、複素数の回転である 」から、ヒトは「 円満な人格 」を好むと考える。



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2010年03月21日

2010/3/21、オカルト・関係と人格6・組み合わせ3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/3/20、私の記事

(1)「ピラミッド」の説明

(2)@「本質」という実体とAの「法則」という関係の縦軸とB「 感覚の複合 」である生命の横軸を「 デフォルメして限定する 」人格の説明

(3)「 二本足の考え 」を組み合わせた時の、人格と欲について説明する必要があると考える。


(1)「 ピラミッド」についての考え。

ピラミッドの頂点に当てた光が、ピラミッドの底辺を形成すると考え、光が意識であり、ピラミッドの内部が光(意識)のエネルギーの回路で、ピラミッドの底辺の面積が、現実生活で「 事実 」と考えている、デフォルメした意識であると想定する。


この場合の「 光 」や「 意識 」は、物理的に考えるのではなく、「 霊の光 」であり、「 魂の意識 」であり、「 電離層 」や「 霊界 」の事であると考える。



現実面では、オカルトや擬似科学として「 力 」を否定されるが、精神的な「 ピラミッドパワー 」が「 現実の意識や精神 」を「 回転 」させる。

「 回転 」とは、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る。

その軸から軸へと「 回転 」するエネルギーが「 ピラミッドパワー 」であると考える。

その内容は、「 太陽光 」という「 霊の力」が伝える「 気 」であり、生命は「 気(ki) 」を持ち、霊と気が交流するという「 生気論 」に賛成する。

「 ピラミッド 」の中のエネルギーは、「 霊性 」の感受性により、強弱が決まるのであり、人間に平等な「 霊格 」であり、人格形成に影響するが、個人的な「 超能力 」や「 人格 」ではないと考える。



(参考)ピラミッドパワー(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC

ピラミッド(形)の条件など
正四角錐であること。
方角を南北合わせること。
パイプ等で稜線を構成するのみでも可
形状が大きい程、効果が大きいといわれる。

(引用を終わる)

これらの条件は、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、軸上の一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る事で、成立すると考える。


この完全な「 円運動 」が「 真理 」だと思うが、人間は、意識だけではなく、無意識を持ち、「 軸上の一点 」が人間には無く、「 円運動 」は「 楕円運動 」になり、「 事実 」もデフォルメした事実になる。

そのため、「 二本足の考え 」を組み合わせて(2)と(3)を考える事が必要である。



2010/3/21、私の記事


(2)@「本質」という実体とAの「法則」という関係の縦軸とB「 感覚の複合 」である生命の横軸を「 デフォルメして限定する 」人格の説明

(1)の交点は、デフォルメした思考上の交点だから、一点として決まるが、(2)の人格を考える時、「 感覚の複合 」である生命の横軸が、@「本質」とA「 法則 」の縦軸との交点が、(1)とは、位置を異にする。

生命体には、意識と無意識があり、時間意識と空間意識を持つからであり、細胞を考えても、「 対称 」ではない。



キラリティ(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC

キラリティー (chirality) は、3次元の図形や物体や現象が、その鏡像と重ね合わすことができない性質。
…………………(省略)……………………
対掌性(たいしょうせい)ともいう。対掌とは右と左の手のひらの対を意味している。対称性と紛らわしいが、キラリティとは鏡像対称性の欠如であり、むしろ逆の意味になる。
………………(省略)………………………

アミノ酸や糖など生体分子の多くはキラルであり、原則として片方のエナンチオマーのみが使われている

(引用を終わる)

その交点の距離は、「 二本足の考え 」で考えた、意識と無意識の距離であり、楕円のラグビーボールの焦点である。

(1)の「 ピラミッドの底辺 」が、(2)では、ラグビーボールの周囲となる。

意識と無意識の距離の「 定在波 」が「 六道 」であり「 人格 」であるが、「 定在波 」が生じる距離は、(1)で考えた交点と、自分が持つと自覚する交点が、始点と終点である。

「 人格 」は、その交点から発した意識が形成するラグビーボール、言い換えれば、身(身体)口(言葉)意(意識)という「 鏡 」を見る事により、個人は知る事ができる。



それは、「 神仏の教え 」から、自分の考えが離れているか、を知る事により、「 人格 」を神仏の考えに変換できる。

ヒトは、生まれた時から、アウトローであり、それが西洋では、「 罪 」を持つヒトで、東洋では「 六道 」の中のヒトという意味だろう。

(3)の「 欲 」とは、何か。

「 ピラミッドパワー 」に相当するヒトのエネルギーが「 欲 」であり、両者とも、気(ki)である。


磁場が回転を生むように、「精神」のピラミッドが座標を回転させるパワーを生み、「真・善・美」を形成するが、現実生活では、人格を作る無意識と意識の距離の「定在波」が、ラグビーボールの軌道を回る「六道」のエネルギーである「欲望」を生み、「真・善・美」から遠くなったり近くなったりする楕円軌道を描くと思う。

ちょうど、太陽の周りを、地球が「 自転しながら」回るように。


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2010年03月20日

2010/3/20、オカルト、関係と人格5 組み合わせ2

2010/3/16、私の記事


デフォルメする意識を、三方向に考える。

@、デフォルメする意識の複合体を求める方向が、「 本質 」で、A万人に共通なデフォルメを求める方向が、「 法則 」で、この二方向は、信号による「 同時 」の定義から始まる社会的合意だろう。

Bもう一つの方向は、信号による「 同時 」ではなく、「 不可分 」なので「 同時 」である、個人の意識と感覚の複合体の「 現象 」を考える。

@とAは、始点と終点が、社会的合意で決まり、常に変動するので、始点と終点が無い、結論が無い意識であり、Bは個人的なDNAや無意識により決まり、不可分であるので、始点と終点を区別する事が出来ない意識である。

@の複合体とBの複合体は、合意と無意識で始点と終点が決まり、Aは、共通のデフォルメの複合体を拒否する「 関係 」であると考える。

「虚数が実数化し実数が虚数化する」とは、Aの「 法則 」という繰り返して成立する意識が実数(複合体)であり、繰り返しを破るのが虚数であり、法則の生成であると思う。

共通の「 客観性 」とは、実数(複合体)を求める事だと思うが、共通性は確認する事は出来ず、「 客観性 」は、社会的合意であるため、常に変化し、終わりという特異点が無いという意味で無限である。


この三方向を、現実に生きるエネルギーが回転し、意識を現在に具現化する。

2010/3/4の記事は、Bの個人の意識を、時間意識と空間意識と考えた時、個人の内部で@とAの、実体(複合体)と関係の相互の具現化であり、「 人格 」が統合し、「 人格 」が決まると考える。



2010/3/17、私の考え


@の「 意識の複合体 」という実数、実体が「 本質 」であり、時間意識と空間意識が「 一つの時空 」となったエネルギーが変換し合う領域であり、「 真理 」であると思う。

これは、「 デフォルメした意識の共通項という内容 」であり、内容は変化するが、「 一つの時空 」という事は不変であり、「 心 」に相当すると考える。


Aの「 法則 」は、「 現象と現象の関係 」だが、これは「 デフォルメする方法や機能 」であり、「 意識の電磁波という構造 」に相当すると考える。


Bは、「 感覚の複合体 」で、全てをデフォルメする主体であり、「 脳内時空 」や「 内なる時空 」に相当し、反復や主観的という意味で虚数であり、個人のDNAという素質により、相違する。


2010/3/18、私の考え

現実生活では、この@とAとBが、「 不可分 」で「 同時 」に、出現する。

そこで、「 虚実主義 」と「 関係と人格 」を組み合わせる。

@の「 本質 」が、複合する実体として、漢方医学の「 実 」であり、Aの「 法則 」は、デフォルメした現象と現象の関係として、漢方医学の「 虚 」に位置を指定して、精神的な縦軸とする。

Bの「 感覚の複合 」を、肯定し、安定的な方向を、漢方医学の「 陽 」とし、否定的で不安定な方向を、漢方医学の「 陰 」として、生命的な横軸とする。

遺伝子的には、「 陽 」がDNAで、「 陰 」は、RNA と考える。

これ等が、現実生活で、「 不可分 」で「 同時 」に出現するが、この縦軸と横軸に対して垂直な「 軸 」を、デフォルメを形成する形の「 人格 」による意識、太陽光により生じる意識と、デフォルメの内容を決定する無意識を想定する。

ピラミッドの頂点に当てた光が、ピラミッドの底辺を形成すると考え、光が意識であり、ピラミッドの内部が光(意識)のエネルギーの回路で、ピラミッドの底辺の面積が、現実生活で「 事実 」と考えている、デフォルメした意識であると想定する。



2010/3/20、私の考え


以上の考えの中で、これまでの私の考えが、どこに位置するのかを説明する必要があるだろう。

私の独り言

☆「意識は電磁波(光)である☆意識は太陽光から生じた☆六道は意識の定在波である☆六道は人格である☆意識の速度は一定である☆電離層は霊界である☆意思は形態である☆霊は意識の総和である☆気は生命の印である☆時間意識はDNA☆欲は人格の引力☆二つの眼は好きと嫌いを作る☆人格の魅力は重力波である☆デフォルメは精神である☆

☆「意識は電磁波(光)である」

これは、私のブログ全体を貫く考えであり、いたる所で書いている。

☆意識は太陽光から生じた

これは、物理的な「意識」や「太陽光」ではなく、それらは、「 霊界 」の信号であり、「ピラミッド」についてと同時に述べる。

☆六道は意識の定在波である

☆六道は人格である

☆意識の速度は一定である

以上の三点は、@「本質」という実体とAの「法則」という関係の縦軸とB「 感覚の複合 」である生命の横軸を「 デフォルメして限定する 」人格であり、これも後述する。

☆電離層は霊界である

これは、「ピラミッド」の箇所で述べる。

☆意思は形態である

☆霊は意識の総和である

☆気は生命の印である

これも、「 ピラミッド」の箇所で述べる。

☆時間意識はDNA

これは、生命の横軸であり、生命は時間意識だろう。

☆欲は人格の引力

☆二つの眼は好きと嫌いを作る

☆人格の魅力は重力波である

以上は、@「本質」という実体とAの「法則」という関係の縦軸とB「 感覚の複合 」である生命の横軸を「 デフォルメして限定する 」人格であり、これも後述するが、解消するのではなく、「 二本足の考え 」という、次の組み合わせで説明する。

☆デフォルメは精神である

これは、@「本質」という実体とAの「法則」という関係の縦軸の「 デフォルメ 」であり、横軸の、「 感覚の複合 」としての生命の軸もデフォルメする。

これから、

(1)「ピラミッド」の説明

(2)@「本質」という実体とAの「法則」という関係の縦軸とB「 感覚の複合 」である生命の横軸を「 デフォルメして限定する 」人格の説明

(3)「 二本足の考え 」を組み合わせた時の、人格と欲について説明する必要があると考える。


(1)「 ピラミッド」についての考え。

ピラミッドの頂点に当てた光が、ピラミッドの底辺を形成すると考え、光が意識であり、ピラミッドの内部が光(意識)のエネルギーの回路で、ピラミッドの底辺の面積が、現実生活で「 事実 」と考えている、デフォルメした意識であると想定する。


この場合の「 光 」や「 意識 」は、物理的に考えるのではなく、「 霊の光 」であり、「 魂の意識 」であり、「 電離層 」や「 霊界 」の事であると考える。



現実面では、オカルトや擬似科学として「 力 」を否定されるが、精神的な「 ピラミッドパワー 」が「 現実の意識や精神 」を「 回転 」させる。

「 回転 」とは、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る。

その軸から軸へと「 回転 」するエネルギーが「 ピラミッドパワー 」であると考える。

その内容は、「 太陽光 」という「 霊の力」が伝える「 気 」であり、生命は「 気(ki) 」を持ち、霊と気が交流するという「 生気論 」に賛成する。

「 ピラミッド 」の中のエネルギーは、「 霊性 」の感受性により、強弱が決まるのであり、人間に平等な「 霊格 」であり、人格形成に影響するが、個人的な「 超能力 」や「 人格 」ではないと考える。



(参考)ピラミッドパワー(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC

ピラミッド(形)の条件など
· 正四角錐であること。
· 方角を南北合わせること。
· パイプ等で稜線を構成するのみでも可
· 形状が大きい程、効果が大きいといわれる。

(引用を終わる)

これらの条件は、縦軸上の一点や横軸上の一点を90度回転する事、言い換えれば、軸上の一点に複素数を乗じた点を直線で結ぶ事により、「 ピラミッド 」の底辺の四角が出来る事で、成立すると考える。


この完全な「 円運動 」が「 真理 」だと思うが、人間は、意識だけではなく、無意識を持ち、「 軸上の一点 」が人間には無く、「 円運動 」は「 楕円運動 」になり、「 事実 」もデフォルメした事実になる。

そのため、「 二本足の考え 」を組み合わせて(2)と(3)を考える事が必要である。


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2010年03月18日

2010/3/18、オカルト・関係と人格 4組み合わせ1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2010/2/13、私の記事

昨日、漢方薬の使い方について、TVが放送していた。

その中で、漢方には、「 陰 」・「 陽 」・「 実 」・「 虚 」という方向があり、その病気の方向に沿って成分が違う薬を処方すると、私は理解した。

漢方医学(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%96%B9%E5%8C%BB%E5%AD%A6

私は、この「 陰 」・「 陽 」と「 実 」・「 虚 」を、私のブログに利用する事が可能か否かを考えた。


私は、これを「 心の状態 」と考えて、「 陰 」と「 陽 」は、DNA でデフォルメする生物的な「 関係 」で、「 実 」と「 虚 」は、現在をデフォルメ(変形)する意識的な「 関係 」であると考える。

……………………(省略)…………………………


「 陰 」と「 陽 」は、「 流れる物 」であり、性的、生物的な方向のエネルギーであり、「 実 」と「 虚 」は、「 派生する物 」であり、意識的、精神的なエネルギーであり、「 薬 」は、循環を促すエネルギーであると考える。


2010/3/16、私の記事


デフォルメする意識を、三方向に考える。

@、デフォルメする意識の複合体を求める方向が、「 本質 」で、A万人に共通なデフォルメを求める方向が、「 法則 」で、この二方向は、信号による「 同時 」の定義から始まる社会的合意だろう。

Bもう一つの方向は、信号による「 同時 」ではなく、「 不可分 」なので「 同時 」である、個人の意識と感覚の複合体の「 現象 」を考える。

@とAは、始点と終点が、社会的合意で決まり、常に変動するので、始点と終点が無い、結論が無い意識であり、Bは個人的なDNAや無意識により決まり、不可分であるので、始点と終点を区別する事が出来ない意識である。

@の複合体とBの複合体は、合意と無意識で始点と終点が決まり、Aは、共通のデフォルメの複合体を拒否する「 関係 」であると考える。

「虚数が実数化し実数が虚数化する」とは、Aの「 法則 」という繰り返して成立する意識が実数(複合体)であり、繰り返しを破るのが虚数であり、法則の生成であると思う。

共通の「 客観性 」とは、実数(複合体)を求める事だと思うが、共通性は確認する事は出来ず、「 客観性 」は、社会的合意であるため、常に変化し、終わりという特異点が無いという意味で無限である。


この三方向を、現実に生きるエネルギーが回転し、意識を現在に具現化する。

2010/3/4の記事は、Bの個人の意識を、時間意識と空間意識と考えた時、個人の内部で@とAの、実体(複合体)と関係の相互の具現化であり、「 人格 」が統合し、「 人格 」が決まると考える。



2010/3/17、私の考え


@の「 意識の複合体 」という実数、実体が「 本質 」であり、時間意識と空間意識が「 一つの時空 」となったエネルギーが変換し合う領域であり、「 真理 」であると思う。

これは、「 デフォルメした意識の共通項という内容 」であり、内容は変化するが、「 一つの時空 」という事は不変であり、「 心 」に相当すると考える。


Aの「 法則 」は、「 現象と現象の関係 」だが、これは「 デフォルメする方法や機能 」であり、「 意識の電磁波という構造 」に相当すると考える。


Bは、「 感覚の複合体 」で、全てをデフォルメする主体であり、「 脳内時空 」や「 内なる時空 」に相当し、反復や主観的という意味で虚数であり、個人のDNAという素質により、相違する。


2010/3/18、私の考え

現実生活では、この@とAとBが、「 不可分 」で「 同時 」に、出現する。

そこで、「 虚実主義 」と「 関係と人格 」を組み合わせる。

@の「 本質 」が、複合する実体として、漢方医学の「 実 」であり、Aの「 法則 」は、デフォルメした現象と現象の関係として、漢方医学の「 虚 」に位置を指定して、精神的な縦軸とする。

Bの「 感覚の複合 」を、肯定し、安定的な方向を、漢方医学の「 陽 」とし、否定的で不安定な方向を、漢方医学の「 陰 」として、生命的な横軸とする。

遺伝子的には、「 陽 」がDNAで、「 陰 」は、RNA と考える。

これ等が、現実生活で、「 不可分 」で「 同時 」に出現するが、この縦軸と横軸に対して垂直な「 軸 」を、デフォルメを形成する形の「 人格 」による意識、太陽光により生じる意識と、デフォルメの内容を決定する無意識を想定する。

ピラミッドの頂点に当てた光が、ピラミッドの底辺を形成すると考え、光が意識であり、ピラミッドの内部が光(意識)のエネルギーの回路で、ピラミッドの底辺の面積が、現実生活で「 事実 」と考えている、デフォルメした意識であると想定する。


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2010年03月17日

2010/3/17、オカルト・関係と人格 3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/3/16、私の記事


デフォルメする意識を、三方向に考える。

@、デフォルメする意識の複合体を求める方向が、「 本質 」で、A万人に共通なデフォルメを求める方向が、「 法則 」で、この二方向は、信号による「 同時 」の定義から始まる社会的合意だろう。

Bもう一つの方向は、信号による「 同時 」ではなく、「 不可分 」なので「 同時 」である、個人の意識と感覚の複合体の「 現象 」を考える。

@とAは、始点と終点が、社会的合意で決まり、常に変動するので、始点と終点が無い、結論が無い意識であり、Bは個人的なDNAや無意識により決まり、不可分であるので、始点と終点を区別する事が出来ない意識である。

@の複合体とBの複合体は、合意と無意識で始点と終点が決まり、Aは、共通のデフォルメの複合体を拒否する「 関係 」であると考える。

「虚数が実数化し実数が虚数化する」とは、Aの「 法則 」という繰り返して成立する意識が実数(複合体)であり、繰り返しを破るのが虚数であり、法則の生成であると思う。

共通の「 客観性 」とは、実数(複合体)を求める事だと思うが、共通性は確認する事は出来ず、「 客観性 」は、社会的合意であるため、常に変化し、終わりという特異点が無いという意味で無限である。


この三方向を、現実に生きるエネルギーが回転し、意識を現在に具現化する。

2010/3/4の記事は、Bの個人の意識を、時間意識と空間意識と考えた時、個人の内部で@とAの、実体(複合体)と関係の相互の具現化であり、「 人格 」が統合し、「 人格 」が決まると考える。



2010/3/17、私の考え


@の「 意識の複合体 」という実数、実体が「 本質 」であり、時間意識と空間意識が「 一つの時空 」となったエネルギーが変換し合う領域であり、「 真理 」であると思う。

これは、「 デフォルメした意識の共通項という内容 」であり、内容は変化するが、「 一つの時空 」という事は不変であり、「 心 」に相当すると考える。


Aの「 法則 」は、「 現象と現象の関係 」だが、これは「 デフォルメする方法や機能 」であり、「 意識の電磁波という構造 」に相当すると考える。


Bは、「 感覚の複合体 」で、全てをデフォルメする主体であり、「 脳内時空 」や「 内なる時空 」に相当し、反復や主観的という意味で虚数であり、個人のDNAという素質により、相違する。


ここで、赤ん坊を考えると、誕生前は「 一つの時空 」であり、誕生により「 光 」を与えられて眼を開き、「 呼吸 」する事により「 生きる 」。

「 光 」が意識を生む脳に連結し、「 呼吸 」が無意識を生む脳幹に連結する。

「 本質 」が「 一つの時空 」を目指すのは、誕生する前、あるいは死後の「 一つの時空 」を、生きている間に把握しようとする試みであると考える。


西洋の事は知らないが、仏教で「 六道 」の「 心の状態 」を教えるのは、「 人間は生まれた途端、六道の中の一つの道の上に必ず生まれる 」という事だと思う。


私は、太陽からの光が、水滴というプリズムに差し込んで、空に七色の虹を架けるように、時空が未分化の生命の光が、DNA という細胞に差し込み、DNA がプリズムのような働きをして、心に「 六道 」というヒトが進む心の「 虹 」を架けると考える。

その「 六道 」が人格で、虹が見える方向があるように、人格が見える方向もあるだろう。

私は、「 光に乗った生命 」を考えるから、それは、DNAの加速度を伴った、方向が違う座標軸のヒトから見た時、「 六道 」の中のヒトが見える。

つまり、自分の意識の座標では自分の方向は見えない。

人格や「 六道 」は、他者から見えるか、あるいは自分の身(身体)口(言葉)意(意識)や自分が行動を共にする仲間から、自分が知る事ができるかも知れない。

その「 六道 」が、「 人格 」である。

プリズムとは、Bの「 脳内時空 」であり、「 内なる宇宙 」であり、虹とは、「 心の状態 」であり、主観的で虚数である「 主観的真理 」である。

虹が大気に消えるように、Bが@やAを認識すれば、@やAの中の「 関係 」に依存する事により、「 人格 」の「 品格 」も上昇すると考える。


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2010年03月16日

2010/3/16、オカルト・関係と人格 2

少し考えました。

2010/3/4、私の記事

人間が認識する物は、全て、デフォルメした物であると考えるから、時間や空間も「 存在する 」だろうが、私の場合は、時間と空間は「 時間意識 」と「 空間意識 」と考え、それが認識の軸であるが、「 意識 」であるためデフォルメ(変形)する事が可能で、「 記憶 」は「 時空 」で、文字や写真や絵画や音楽で「 時空 」を保存すると考える。


それが、「 文化の文明化 」であり、「 文化の具現化 」であり、写真や絵画を見て思い出すのは、「 文明の中の文化 」であると考える。

思い出す時空が、個人の真・善・美の時空であるかもしれない。

個人的にデフォルメした時空を思い出す時空が記憶であり、全てのヒトが同じように思い出す時空は、全てのヒトがデフォルメした「 真・善・美の本質 」であると考える。


文明を空間的な広がり、文化を時間的な広がりと考え、「 時空は一つ 」であり、相互に変換する、「虚数が実数化し実数が虚数化する 」と考える。


眼や耳や鼻からの神経刺激の電流が頭脳で「 感覚の複合としての実体 」を形成し、「 意識の複合としての実体 」は、時間意識と空間意識を軸として、「 精神 」がその軸に「 関係 」として重なり、文明を空間的な広がり、文化を時間的な広がりと考え、相互に変換し、「虚数が実数化し実数が虚数化する 」のは神経刺激の電流から生じたエネルギーと考える。


「虚数が実数化し実数が虚数化する」のは、軸に対して変換するが、その軸は「 関係 」により複数の軸になる。

その軸から軸へ変換されるのが神経刺激の電流から生じたエネルギーであると考え、絵画や写真などの空間的な幅や濃淡による、神経刺激の電流から生じたエネルギーが、時間的な強弱や間隔を持つ音楽に変換されると考える。


また、縦軸に「 虚 」と「 実 」、横軸に「 陰 」と「 陽 」を配し、前者が「 精神のデフォルメ 」で、後者が「 生命のデフォルメ 」と考えるなら、「虚数が実数化し実数が虚数化する」エネルギーは、後者の無意識の「 脈拍の乱れ 」が、前者の「 不安 」の意識を生むと考える。


空間の幅が時間の強弱に変換され、空間の「 周波数 」の幅やエネルギーが、時間的な「 意識 」に変換されるかも知れない。


「 雷 」は、「 光の周波数 」と「 音の周波数 」が同時に惹起するのであり、感覚の差は、「 性質 」であり、「 性質 」を無視する事に、「 雷 」の「 精神的な実体 」があると考える。


2010/3/16、私の考え


デフォルメする意識を、三方向に考える。

@、デフォルメする意識の複合体を求める方向が、「 本質 」で、A万人に共通なデフォルメを求める方向が、「 法則 」で、この二方向は、信号による「 同時 」の定義から始まる社会的合意だろう。

Bもう一つの方向は、信号による「 同時 」ではなく、「 不可分 」なので「 同時 」である、個人の意識と感覚の複合体の「 現象 」を考える。

@とAは、始点と終点が、社会的合意で決まり、常に変動するので、始点と終点が無い、結論が無い意識であり、Bは個人的なDNAや無意識により決まり、不可分であるので、始点と終点を区別する事が出来ない意識である。

@の複合体とBの複合体は、合意と無意識で始点と終点が決まり、Aは、共通のデフォルメの複合体を拒否する「 関係 」であると考える。

「虚数が実数化し実数が虚数化する」とは、Aの「 法則 」という繰り返して成立する意識が実数(複合体)であり、繰り返しを破るのが虚数であり、法則の生成であると思う。

共通の「 客観性 」とは、実数(複合体)を求める事だと思うが、共通性は確認する事は出来ず、「 客観性 」は、社会的合意であるため、常に変化し、終わりという特異点が無いという意味で無限である。


この三方向を、現実に生きるエネルギーが回転し、意識を現在に具現化する。

2010/3/4の記事は、Bの個人の意識を、時間意識と空間意識と考えた時、個人の内部で@とAの、実体(複合体)と関係の相互の具現化であり、「 人格 」が統合し、「 人格 」が決まると考える。


Every miller draws water to his own mill.
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2010年03月12日

2010/3/12、オカルト(関係と人格)意識は太陽光から生じる3

もう少し考えた。

2010/3/10、私の記事

人類だけでなく、犬や猫や馬や牛も、意識を持つと考え、地球上の全ての生き物に、時空の意識を与えるのは何か?

太陽光が持つ光のエネルギーが、光の周波数が、シューマン波、脳波の周波数に影響していると考える。

光の信号で「 同時 」を規定するのが学問という精神によるデフォルメであるが、感覚の複合による実体では、脳内の信号を確認する事が出来ないから、「 同時 」とは、学問の信号による定義ではなく、感覚と「 不可分 」だから「 同時 」であると考える。

本来、意識と太陽光は「 不可分 」で、ヒトに与える作用という性質を考える事は、デフォルメする事だと考える。

意識と太陽光は「 不可分 」とは、「 一つの時空 」を持つ事だと考える。

「 一つの時空 」とは、意識と太陽光を区別する事が出来ない事で、意識と太陽光は融合して不可分の「 同時 」となり、太陽光の「 周波数 」が、眼や耳などの機能を人類の歴史の中で進化させたと考える。

太陽光の「 周波数 」と意識が「 同時 」に存在する事により、意識が育てられたと考える。

可視光線により、眼が機能し、低い周波数に耳が機能し、そのほかに不可視光線が皮膚を通して熱というエネルギーになるように、そして脳波には周波数があり、地球にはシューマン波があるように、意識と太陽光には「 違った周波数の統合 」という類似点がある。


2010/3/12、私の考え

「 性質 」を無視して構造を考えると、意識と太陽光は、「 不可分 」という「 同時 」の中で、それぞれは「 違った周波数の統合 」であり、周波数をエネルギーと考えると、両者は違った周波数の間で、エネルギーを出し入れしていると思う。

それは、「 気(ki)」である。

意識の「 違った周波数の統合 」は、「 心 」であり、「 気持ち 」とは、気(ki)を持つ(hold)事であり、ヒトの体内の周波数が太陽光やシューマン波の周波数を受け入れた状態であると考える。

その「 心の状態 」が、仏教の「 六道 」であり、人格であると思う。

違った周波数の間で出し入れするのは「 エネルギーの強弱や濃淡 」であり、個人のDNAにより、それぞれの力線の知覚を生じ、価値観を伴う判断力を生じると考える。

「 判断力の有無 」は、「 同時 」の中で生じるもので、「 判断力 」として頭脳の中に存在するとは考えない。

「 機能 」は、「 機会に対する脳の働き 」であり、「 機会 」という「 同時 」が必要であり、「 判断する器官 」として、頭脳には存在しなし、頭脳の「 判断力 」として限定されないと考える。

「 判断力 」は、時空(状況)に適合する無意識の価値観という意志であり、時間意識や空間意識を持ち因果の情報を統御する「 覚醒した状態 」に存在し、「 夢の中 」に、判断力は無いと考える。

「 虚実主義 」から考えると、陰と陽の生命の象徴であるDNAが作る「 感覚の複合の実体 」の意識と「 同時 」に、「 不可分 」に存在する太陽光により生じる「 虚 」の意識を考える事は、「 虚数を乗じる事 」であり、「実体」を「意識」と考えて「 意識の複合の実体 」を作る(デフォルメする)事であり、太陽光からエネルギーの「気(ki)」を受ける事であると考える。

DNAが作る感覚の「 判断力 」は、「 意識の複合の実体 」である「 関係 」の具現化、あるいは実体化であり、「 無意識から意識の目覚め 」(覚醒)であると考える。

ちょうど、強い日光で、目覚めるように。



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2010年03月10日

2010/3/10、オカルト(関係と人格)意識は太陽光から生じる2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/3/4、私の記事

空間の幅が時間の強弱に変換され、空間の「 周波数 」の幅やエネルギーが、時間的な「 意識 」に変換されるかも知れない。


「 雷 」は、「 光の周波数 」と「 音の周波数 」が同時に惹起するのであり、感覚の差は、「 性質 」であり、「 性質 」を無視する事に、「 雷 」の「 精神的な実体 」があると考える。



2010/3/7、考えた事

「 速度 」という「 性質 」を排除するならば、光は眼、音は耳からの神経刺激が「 意識 」を生む。

この「 意識 」は頭脳の中で統合して「 実体 」を形成するが、「 雷 」のように、本来は「 一つの時空 」から「 光 」と「 音 」が生じると考える。

その「 一つの時空 」とは、「 周波数 」であり、地球の全ての生物に「 命 」を与えるが、それは、「 意識が生じる根源である 」と考える。

…………………(省略)……………………………

太陽光のエネルギー(周波数)により、脳幹に「 レム睡眠 」と「 ノンレム睡眠 」が生じるリズムが生まれ、「 覚醒 」と睡眠が可能になる。


感覚の複合は、神経刺激であり、「 脳幹 」の無意識のエネルギーとして「 現象 」も「 本質 」も「 一つの時空 」として同時に、太陽光から受け取るが、人間の脳細胞では、「 意識 」と「 神経刺激 」に分離し、意識は「 時間意識 」と「 空間意識 」、神経刺激は「 脳内の電流 」となり、意識は神経刺激から派生すると考える。


私は、「 一つの時空 」とは、「 周波数 」であり、地球の全ての生物に等しいエネルギーを与え「 命 」を育てるが、それは、意識が生じる根源であり、地球の万物を差別する。

太陽光は、人間の時空を超越した「 阿弥陀如来 」だろうと、現時点では考えている。


2010/3/10、考えた事

私の記事が、Yahoo USA に掲載された。

Yahoo USA 「 意識は太陽光から生じる 」

http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGkwxVhJZLirkAp4il87UF;_ylc=X1MDMjE0MjQ3ODk0OARfcgMyBGZyA3lmcC10LTcwMQRmcjIDc2J0bgRuX2dwcwMwBHF1ZXJ5AY9JL?p=%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AF%E5%A4%AA%E9%99%BD%E5%85%89%E3%81%8B%E3%82%89%E7%94%9F%E3%81%98%E3%82%8B&fr=yfp-t-701&fr2=sfp&iscqry=

これで、私のブログも「 死 」を迎えるのかと思ったが、「 同時性 」を規定する事で「 生きる 」事を試みる。

私も、「 意識は太陽光から生じる 」と考える事は間違いだろうと思うが、時空を人類共通の意識と考え、脳波は電流で、脳波の発生原因を考える。

人類だけでなく、犬や猫や馬や牛も、意識を持つと考え、地球上の全ての生き物に、時空の意識を与えるのは何か?

太陽光が持つ光のエネルギーが、光の周波数が、シューマン波、脳波の周波数に影響していると考える。

光の信号で「 同時 」を規定するのが学問という精神によるデフォルメであるが、感覚の複合による実体では、脳内の信号を確認する事が出来ないから、「 同時 」とは、学問の信号による定義ではなく、感覚と「 不可分 」だから「 同時 」であると考える。

本来、意識と太陽光は「 不可分 」で、ヒトに与える作用という性質を考える事は、デフォルメする事だと考える。

意識と太陽光は「 不可分 」とは、「 一つの時空 」を持つ事だと考える。

「 一つの時空 」とは、意識と太陽光を区別する事が出来ない事で、意識と太陽光は融合して不可分の「 同時 」となり、太陽光の「 周波数 」が、眼や耳などの機能を人類の歴史の中で進化させたと考える。

太陽光の「 周波数 」と意識が「 同時 」に存在する事により、意識が育てられたと考える。

可視光線により、眼が機能し、低い周波数に耳が機能し、そのほかに不可視光線が皮膚を通して熱というエネルギーになるように、そして脳波には周波数があり、地球にはシューマン波があるように、意識と太陽光には「 違った周波数の統合 」という類似点がある。

私は、どの「 周波数 」を自分の心の因果関係としてデフォルメする態度が「 人格 」を決定すると考える。

阿弥陀仏により、人類が皆、共通の意識を与えられるが、全ての人類が形成する「 人格 」と「 阿弥陀仏の意識 」に対する距離の遠近により、全ての人類が差別されると考える。

こうして、意識は太陽光から生じると考えて、再び「 関係と人格 」の話に戻る。


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2010年03月07日

2010/3/7、オカルト(関係と人格)意識は太陽光から生じる

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/3/4、私の記事

人間が認識する物は、全て、デフォルメした物であると考えるから、時間や空間も「 存在する 」だろうが、私の場合は、時間と空間は「 時間意識 」と「 空間意識 」と考え、それが認識の軸であるが、「 意識 」であるためデフォルメ(変形)する事が可能で、「 記憶 」は「 時空 」で、文字や写真や絵画や音楽で「 時空 」を保存すると考える。


それが、「 文化の文明化 」であり、「 文化の具現化 」であり、写真や絵画を見て思い出すのは、「 文明の中の文化 」であると考える。

思い出す時空が、個人の真・善・美の時空であるかもしれない。

個人的にデフォルメした時空を思い出す時空が記憶であり、全てのヒトが同じように思い出す時空は、全てのヒトがデフォルメした「 真・善・美の本質 」であると考える。


文明を空間的な広がり、文化を時間的な広がりと考え、「 時空は一つ 」であり、相互に変換する、「虚数が実数化し実数が虚数化する 」と考える。


眼や耳や鼻からの神経刺激の電流が頭脳で「 感覚の複合としての実体 」を形成し、「 意識の複合としての実体 」は、時間意識と空間意識を軸として、「 精神 」がその軸に「 関係 」として重なり、文明を空間的な広がり、文化を時間的な広がりと考え、相互に変換し、「虚数が実数化し実数が虚数化する 」のは神経刺激の電流から生じたエネルギーと考える。


「虚数が実数化し実数が虚数化する」のは、軸に対して変換するが、その軸は「 関係 」により複数の軸になる。

その軸から軸へ変換されるのが神経刺激の電流から生じたエネルギーであると考え、絵画や写真などの空間的な幅や濃淡による、神経刺激の電流から生じたエネルギーが、時間的な強弱や間隔を持つ音楽に変換されると考える。


また、縦軸に「 虚 」と「 実 」、横軸に「 陰 」と「 陽 」を配し、前者が「 精神のデフォルメ 」で、後者が「 生命のデフォルメ 」と考えるなら、「虚数が実数化し実数が虚数化する」エネルギーは、後者の無意識の「 脈拍の乱れ 」が、前者の「 不安 」の意識を生むと考える。


空間の幅が時間の強弱に変換され、空間の「 周波数 」の幅やエネルギーが、時間的な「 意識 」に変換されるかも知れない。


「 雷 」は、「 光の周波数 」と「 音の周波数 」が同時に惹起するのであり、感覚の差は、「 性質 」であり、「 性質 」を無視する事に、「 雷 」の「 精神的な実体 」があると考える。



2010/3/7、考えた事

「 速度 」という「 性質 」を排除するならば、光は眼、音は耳からの神経刺激が「 意識 」を生む。

この「 意識 」は頭脳の中で統合して「 実体 」を形成するが、「 雷 」のように、本来は「 一つの時空 」から「 光 」と「 音 」が生じると考える。

その「 一つの時空 」とは、「 周波数 」であり、地球の全ての生物に「 命 」を与えるが、それは、「 意識が生じる根源である 」と考える。

本来は「 一つの時空 」である「 実体 」を、人間に届く「 速度 」によりデフォルメしたのが、眼に届く刺激の「 光 」と耳に届く刺激の「 音 」であり、前者は「 文明 」であり「 文化を物に具現化した意味 」であり、後者は「 文化 」であり、「 意味に具現化する前の意識 」であり、相互に変換されると考える。

感覚器官に届く刺激を、合理的に解釈するのがデフォルメである。

感覚の複合が「 現象 」という「 実体 」であり、複合する力は、「 無意識のエネルギー」であり、太陽光から得られる、無意識のエネルギーである。

意識の複合が「 本質 」という「 実体 」であり、複合する力は、「 無意識のエネルギー」であり、太陽光から得られる、無意識のエネルギーであり、「 複合するエネルギー 」は同一であり、「 欲 」として具現化すると考える。

太陽光のエネルギー(周波数)により、脳幹に「 レム睡眠 」と「 ノンレム睡眠 」が生じるリズムが生まれ、「 覚醒 」と睡眠が可能になる。


感覚の複合は、神経刺激であり、「 脳幹 」の無意識のエネルギーとして「 現象 」も「 本質 」も「 一つの時空 」として同時に、太陽光から受け取るが、人間の脳細胞では、「 意識 」と「 神経刺激 」に分離し、意識は「 時間意識 」と「 空間意識 」、神経刺激は「 脳内の電流 」となり、意識は神経刺激から派生すると考える。


私は、「 一つの時空 」とは、「 周波数 」であり、地球の全ての生物に等しいエネルギーを与え「 命 」を育てるが、それは、意識が生じる根源であり、地球の万物を差別する。

太陽光は、人間の時空を超越した「 阿弥陀如来 」だろうと、現時点では考えている。


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2010年03月04日

2010/3/4、オカルト・関係と人格 1

私の考えは、間違っていると思うが、これもブログの方針であり、続行するのが「 夢 」を続ける事だと思い、更に続けますから、嫌いなヒトは、去ってください。

私は、意識の構造と意識の内容のエネルギーは区別すべきと思う。


人間が認識する物は、全て、デフォルメした物であると考えるから、時間や空間も「 存在する 」だろうが、私の場合は、時間と空間は「 時間意識 」と「 空間意識 」と考え、それが認識の軸であるが、「 意識 」であるためデフォルメ(変形)する事が可能で、「 記憶 」は「 時空 」で、文字や写真や絵画や音楽で「 時空 」を保存すると考える。


それが、「 文化の文明化 」であり、「 文化の具現化 」であり、写真や絵画を見て思い出すのは、「 文明の中の文化 」であると考える。

思い出す時空が、個人の真・善・美の時空であるかもしれない。

個人的にデフォルメした時空を思い出す時空が記憶であり、全てのヒトが同じように思い出す時空は、全てのヒトがデフォルメした「 真・善・美の本質 」であると考える。


文明を空間的な広がり、文化を時間的な広がりと考え、「 時空は一つ 」であり、相互に変換する、「虚数が実数化し実数が虚数化する 」と考える。


眼や耳や鼻からの神経刺激の電流が頭脳で「 感覚の複合としての実体 」を形成し、「 意識の複合としての実体 」は、時間意識と空間意識を軸として、「 精神 」がその軸に「 関係 」として重なり、文明を空間的な広がり、文化を時間的な広がりと考え、相互に変換し、「虚数が実数化し実数が虚数化する 」のは神経刺激の電流から生じたエネルギーと考える。


「虚数が実数化し実数が虚数化する」のは、軸に対して変換するが、その軸は「 関係 」により複数の軸になる。

その軸から軸へ変換されるのが神経刺激の電流から生じたエネルギーであると考え、絵画や写真などの空間的な幅や濃淡による、神経刺激の電流から生じたエネルギーが、時間的な強弱や間隔を持つ音楽に変換されると考える。


また、縦軸に「 虚 」と「 実 」、横軸に「 陰 」と「 陽 」を配し、前者が「 精神のデフォルメ 」で、後者が「 生命のデフォルメ 」と考えるなら、「虚数が実数化し実数が虚数化する」エネルギーは、後者の無意識の「 脈拍の乱れ 」が、前者の「 不安 」の意識を生むと考える。


空間の幅が時間の強弱に変換され、空間の「 周波数 」の幅やエネルギーが、時間的な「 意識 」に変換されるかも知れない。


「 雷 」は、「 光の周波数 」と「 音の周波数 」が同時に惹起するのであり、感覚の差は、「 性質 」であり、「 性質 」を無視する事に、「 雷 」の「 精神的な実体 」があると考える。


過去の誰かが言ったように、「 光に乗った自分 」を考える。

「 変換 」は「 回転 」であり、虚数に虚数を乗じる事であり、実数に虚数を乗じる事で、「 事象 」の根底は「 虚 」であり、「 精神 」であり「 デフォルメ 」であり、「 無 」や「 空(kuu) 」ではなく「 虚 」に「 虚 」を乗じる事は、「 実 」を求める事であり、「 性質 」を無視するという私の考えは、「 性質 」の背後にある「 実 」を求める考えであり、「 虚無主義 」とは、正反対の考えである。


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