2010年04月23日

2010/4/23、オカルト・(自由)意志と意欲

これは、フィクションである。

まず、「 自由意志 」については、

以下の通りである。


2010/4/21、私の記事

人類の身体的運動可能性を基本にして、必然性や偶然性を考え、自分の最善の身体的運動可能性を考えたのが「 私の必然性 」であれば、私は、「 全ての可能世界の中で最善な私の世界 」に生きていると考える。

「 自由意志 」は、科学的な関数による定義と対立して考えるのでなく、科学が「 関数 」として定義しても、「 関数を生んだり、壊したりする力 」が、人類や神の「 意志 」だと思えば、「関数の存在が自由意志であり」、「 自由意志 」が存在するから、人類は進歩すると考える。

2010/4/22、私の記事

「 自由意志 」と「 科学 」を対立するとは、考えない。

「 自由意志 」を「 欲望 」で不明瞭な、人間の意志と思うから、対立するのであり、むしろ、科学という意識による解明を待つ認識の「 関係 」であり、それが「 関数 」で定義する事が終わりではなく、「 関数 」である点が、虚数の「 実体ではない意志 」が存在する事を認める事であると考える。

「 関数 」とは、虚数として存在する事だと思う。

「 意思は具現化 」し、寄せ集めた関数として科学が把握するのは、人類の意志が解明されていない事であり、私は、「 意志や意識は波動関数 」であると思う。

「 関係 」の中に「 実体 」がある。

隠れた「 ストーリー」という「 動き 」中に実体を作る事であり、小脳の運動可能性を隠れた虚数の「 関係 」とし、小脳が比較的に動かないものを実体だと認める事であると思う。

存在は、「 時間性 」ではなく、単純に「 自己との比較的動きの少なさ 」が「 存在 」であるかも知れない。

小脳の運動可能性を隠れた虚数として、無意識として、シュミレーションしながら、認識すると考えるからである。


次に、「 意欲 」については、

次の通りである。



2010/4/14、私の記事

私は、小脳や脳幹を、「 動物 」の基本的な要素だと考える。

これまで書いてきた、「 無意識 」は、ここから発生し、「 意志 」や「 意欲 」も、ここから発生すると考える。

無意識の「時間意識」を「 リズム 」とし、「 空間意識 」を「 欲の範囲 」とした。


「 リズム 」は、心臓を持った胎児の鼓動であり、誕生後も「 一秒 」の感覚が、天体の運動から測定する「 一秒 」と酷似し人類の全てが同じである事から考えると、心臓の鼓動が「 時間意識 」の発生であり、死後も、しばらくは時間意識が残存する事を考えると、動物に基本的な要素であると思う。


「 空間意識 」とは、「 生きるスペースの意識 」であり、胎児が生きるために運動する「 意欲 」が具現化する範囲であり、「 生きる可能性の範囲 」であると考える。

これらは、誕生する前の胎児のときに具備している事から考えると、胎児のときから、小脳や脳幹が時空を作ると考える。


運動を知る小脳は、自分と天体の運動を知るだろう。

「 時間 」と「 空間 」は天体の運動から生じるので、天体の運動を知る事は、天体の時空と自分の時空を連結する事だろう。

自分の時空意識は電磁波(光)の構造を持つと考えるので、自分の意識と天体の電磁波(太陽光)を調整する事により、天体の運動を自分の時間意識と空間意識に調整し、社会の「 時間 」と「 空間 」を知る。

…………………(省略)………………………

私は、小脳や脳幹の中で、「 意識 」を選択して行動する「 意欲 」が生じ、意識を統合して本質であるとデフォルメする価値観も、小脳や脳幹で生じると思う。

「 心の動き 」も「 意欲 」であり、「 意志 」も無意識の運動であり、「 意欲 」や「 意志 」に従って、眼球が動き、身体が動く。



2010/4/16、私の記事

私の考えは、一般の知識とは相違する。

右脳が視覚などの「 空間意識 」、左脳が聴覚や思考などの「 時間意識 」を司り、これらの意識が電磁波の構造を持ち、無意識の中に時空を形成すると考える。

「 無意識 」とは、身体を統御する脳幹や小脳の機能の領域で、体内リズムを時間的要素とし、操作可能性の範囲を空間的要素とすると考える。

「 意識 」が外部の太陽光と周波数を同調させて、エネルギーにするのに対して、「 無意識 」は食物により、エネルギーを摂取し、植物が光合成をするように、太陽光のエネルギーが、無意識の時間的要素と空間的要素を、時間意識と空間意識に変換すると考える。

構造や機能の類似が存在する事により、エネルギーの変換が可能であり、相違すれば独自のエネルギーとして存在するだろう。

独自性とは、「 意識 」が精神、「 無意識 」が行為であると考える。

認識を考える時、大脳ばかりではなく、脳幹や小脳を含めて考える。

学問や知識として合理的な認識を考えるのは単純な考えで、現実生活では役立たずの、学者のための認識論になり、「 本を捨てる 」のは正しいと思う。

「 意識 」が静的で、中立的で、合理的な「 知識 」であるのに対し、「 無意識 」は、動的で、個人的で、不合理な決定する「 欲 」であるが、「 神様 」は、不合理な決定をする点では、「 無意識 」と同じで、物質的であると考える。

小脳が「 時空 」を生むとは、物質的エネルギーを「 リズム 」と「 欲の範囲 」に分解する事であり、「 芸術は爆発である 」という考えに近い。

「 欲の範囲 」とは、小脳から指令する操作可能性や運動可能性であり、「 意識 」の「 可能性 」も、これを基礎としていると考える。

「 可能性 」は、物質の可能性かもしれないが、人類は、物質と同視される小脳の運動可能性として認識するのだと思う。

小脳の運動可能性や操作可能性が、「 意識 」される事により、「 意欲 」となり、行動に現れる。

「 意欲 」は、エネルギーの表現であり、操作可能な範囲だから、「 空間意識 」である。


「 意志 」は、「 意欲 」の実現に向けての意識の選択と持続であり、強い電磁波、周波数の高い電磁波の一種で、小脳の影響が強い意識だと考える。

「 プラズマ宇宙論 」の「 ビルケランド電流 」のように、「 雷 」のように、多数の「 無意識 」を束ねる電流に似た電磁波であると想定する。



小脳や脳幹は、「 物質的な脳 」であり、運動を調整する機能が宇宙の運動を知った時空の塊である。

「 時空 」は、自然界の時空であると考えるのが自然だが、私は、小脳や脳幹により、操作可能性の範囲やリズムとしてデフォルメして記憶の中に保存し、イメージとして現実生活に現れると考える。


2010/4/17、私の記事

以上の考えは、「 性欲 」を説明していると思う。

「 リズム 」と「 操作可能性の範囲 」を同時に身体に顕在化するのは、「 踊り 」であり、無意識に動くことも「 踊り 」で「 生殖行為 」も「 踊り 」であると解釈する。

「 操作可能性 」という空間に「 リズム 」という時間が顕在化したのが「 踊り 」であり、意識という磁場が、神経刺激の電場に変換された状態と考える。

「 小脳 」による「 意欲 」は、動物の生存に関わる「 性欲 」であり、「 自我の欲 」は「 性欲 」であり、フロイトの考えも、この点では、賛成するが、「 自我の欲 」であるため、「 自分 」が知るだけであるから、他者による「 精神の分析 」は、不可能である。

精神の分析に、フロイトの考えを支持する事は、「 解釈 」であり、患者を「 病気 」と見做す自己の正当化であると考える。

「 自我の欲 」は、患者自身の「 愛着 」や「 執着 」という「 こだわり 」が原因であり、そこから逃れる事を指導するのが精神科の医師の仕事だと思う。

執着しないという考えは、閉じた空間で合一した「 リズム 」と「 操作可能性 」ではなく、開いた空間で、「 リズム 」と「 操作可能性 」を、個性の表現という「 関係の顕在化 」として考える事であり、「 意識 」の実体は「 無意識 」である。

自分を「 病気 」にしているのは、自分であると自覚する事、自分という牢獄から出る事が、「 治癒 」であると考える。

「 小脳 」や「 脳幹 」は、生命維持の方向を持つから、盲目的な「 性欲 」の衝動が生じ、これを基礎にして、自己の精神を人類の精神に解消した時に、「 芸術 」が生まれると考える。

「 芸術 」が性的であるのは当然で、個人の性から人類の性に解消したか否かが、「 芸術性 」の分岐点だと考える。


2010/4/23、私の考え


「 意志 」と「 意欲 」は相違すると考える。

前者は、「 大脳 」による言葉や論理などという意識であり、虚数であり、「 開放した空間関係 」であると考える。

後者は、「 小脳 」による、「 身体の運動可能性 」であり、エネルギーであり、「 閉じた空間に生じた時間 」により「 実体 」を形成する実数である。

後者の「 関係 」の部分は、釈迦が垂らした「 くもの糸 」のように、「 意志 」から導かれる「 感覚の方向性 」であり、「 意志 」に通じると考える。

前者は、「 精神 」を支配し、後者は、「 肉体 」を支配すると考える。

前者の「 意思 」という虚数は二乗すれば、後者の「 意欲 」という実数に具現化する。

意思は、意欲という形態に具現化する。




Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月22日

2010/4/22、オカルト・自由意志

これは、フィクションである。

2010/4/21、私の記事

人類の身体的運動可能性を基本にして、必然性や偶然性を考え、自分の最善の身体的運動可能性を考えたのが「 私の必然性 」であれば、私は、「 全ての可能世界の中で最善な私の世界 」に生きていると考える。

「 自由意志 」は、科学的な関数による定義と対立して考えるのでなく、科学が「 関数 」として定義しても、「 関数を生んだり、壊したりする力 」が、人類や神の「 意志 」だと思えば、「関数の存在が自由意志であり」、「 自由意志 」が存在するから、人類は進歩すると考える。

2010/4/22、私の考え

「 自由意志 」と「 科学 」を対立するとは、考えない。

「 自由意志 」を「 欲望 」で不明瞭な、人間の意志と思うから、対立するのであり、むしろ、科学という意識による解明を待つ認識の「 関係 」であり、それが「 関数 」で定義する事が終わりではなく、「 関数 」である点が、虚数の「 実体ではない意志 」が存在する事を認める事であると考える。

「 関数 」とは、虚数として存在する事だと思う。

「 意思は具現化 」し、寄せ集めた関数として科学が把握するのは、人類の意志が解明されていない事であり、私は、「 意志や意識は波動関数 」であると思う。

「 関係 」の中に「 実体 」がある。

隠れた「 ストーリー」という「 動き 」中に実体を作る事であり、小脳の運動可能性を隠れた虚数の「 関係 」とし、小脳が比較的に動かないものを実体だと認める事であると思う。

存在は、「 時間性 」ではなく、単純に「 自己との比較的動きの少なさ 」が「 存在 」であるかも知れない。

小脳の運動可能性を隠れた虚数として、無意識として、シュミレーションしながら、認識すると考えるからである。

Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月21日

2010/4/21、オカルト・自由意志・必然性・可能世界2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/4/20、私の記事


自由意志や必然性は、小脳を持つ人類の「 身体可能性 」だから、私は、「 全ての可能世界の中で最善な私の世界 」に生きていると考える。

2010/4/21、私の考え

可能世界を、「 神 」による「 可能 」ではなく、ヒトの小脳の身体運動の「 可能性 」として、私は考えている。

小脳の身体運動の「 可能性 」の中で、無限に続く、限定されない因果を、時間的に前の形態の「 原因という時空 」と「 結果という時空 」を無意識が「 原因 」と「 結果 」だと決定する。

時空は切れ目なく「 関係 」として続いているが、実体化するのは身体的運動可能性の無意識の気(ki)というエネルギーである。

意識の内容は、身体的運動可能性の無意識の気(ki)であると思う。

身体に可能な形態にデフォルメ、意識化するから、意識化する気(ki)と可能性を分けて考えて、可能性は「 関係 」だと考える。

意識の不連続は、実体化した身体的運動可能性の無意識の気(ki)の不連続であり、気(ki)が身体細胞により限定されない無意識の可能性という「 関係 」により連続した意識になる。

言葉や物体で実体化すれば、失望するように。

必然性は、意識と無意識の「 ラグビーボール 」からではなく、「 ピラミッドパワー 」から生じる可能性であり、身体的運動可能性の無意識の気(ki)にとっては、「 幅 」という空間として現れ、自分の空間意識を閉ざして「 リズム 」という定在波、時間意識を作ると思う。

例えば、ヒトは死ぬ事を知ると、行為が変化するように。

必然性も偶然性も、ヒトにとっての因果の可能性であり、身体的運動可能性が基本になっていると思う。

人類の身体的運動可能性を基本にして、必然性や偶然性を考え、自分の最善の身体的運動可能性を考えたのが「 私の必然性 」であれば、私は、「 全ての可能世界の中で最善な私の世界 」に生きていると考える。

「 自由意志 」は、科学的な関数による定義と対立して考えるのでなく、科学が「 関数 」として定義しても、「 関数を生んだり、壊したりする力 」が、人類や神の「 意志 」だと思えば、「関数の存在が自由意志であり」、「 自由意志 」が存在するから、人類は進歩すると考える。

自由意志は、「 ピラミッドパワー 」かも知れない。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月20日

2010/4/20、オカルト・自由意志・必然性・可能世界

これは、私だけの特殊な考えです。

ネットで調べた知識では、「 自由意志・必然性・可能世界 」などを、「 大脳 」の思考を使い客観的な意味で定義するが、私は、これらは、「 大脳 」だけでなく、「 小脳や脳幹 」の無意識を使って考える。

私は、身体の運動を司る「 小脳や脳幹 」は、身体図形(身体図式)という運動可能な空間を作り、その延長上に「 存在する 」という無意識の決定をし、「 無意識が実体を決定し、意識はそれを理由づけする 」と考える。

「 必然性 」は思考の論理という「 関係 」であるとしても、「 必然性の存在 」は無意識が決定すると考え、閉じた身体図形(身体図式)という運動可能な空間の中の存在である。

身体の運動を司る「 小脳や脳幹 」は、「 運動 」を知覚する器官であり、運動可能な「 空間意識 」を作り、心臓の鼓動は、天体の運動にある程度合致するリズムであり、「 時間意識 」を作ると思うが、この「 身体的時間意識 」を「 振り子 」の「 科学的時間 」に置き換え、意識である事を否定した時、科学の進歩と時間の謎が発生したと考える。

運動を扱う「 力学 」は、小脳が運動する関数であるかも知れない。

運動は、「 小脳 」が認知器官だと考えるからである。

そして、力学が関数として意識される事が、「 自由意志 」の存在だと思う。

その理由は、「 力 」を感じるのは小脳であり、無意識の小脳の意志は、隠れた虚数であり、その具現化したのが「 関数 」であり、「 関数 」として意識するとは、無意識で「 自由意志 」を認める事だと考える。

「 自由意志 」とは、人類の意志ではなく、「 神の意志 」と考える。

自由意志や必然性は、小脳を持つ人類の「 身体可能性 」だから、私は、「 全ての可能世界の中で最善な私の世界 」に生きていると考える。




自由意志
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97

必然性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%85%E7%84%B6%E6%80%A7

可能世界論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%83%BD%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%AB%96

ライプニッツ「全ての可能世界の中で最善のものである」


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 06:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月17日

2010/4/17、オカルト・どこでも時空11・意欲

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
芸術の話をするが、芸術家ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



これは、フィクションである。


2010/4/14、私の記事

私は、小脳や脳幹を、「 動物 」の基本的な要素だと考える。

これまで書いてきた、「 無意識 」は、ここから発生し、「 意志 」や「 意欲 」も、ここから発生すると考える。

無意識の「時間意識」を「 リズム 」とし、「 空間意識 」を「 欲の範囲 」とした。


「 リズム 」は、心臓を持った胎児の鼓動であり、誕生後も「 一秒 」の感覚が、天体の運動から測定する「 一秒 」と酷似し人類の全てが同じである事から考えると、心臓の鼓動が「 時間意識 」の発生であり、死後も、しばらくは時間意識が残存する事を考えると、動物に基本的な要素であると思う。


「 空間意識 」とは、「 生きるスペースの意識 」であり、胎児が生きるために運動する「 意欲 」が具現化する範囲であり、「 生きる可能性の範囲 」であると考える。

これらは、誕生する前の胎児のときに具備している事から考えると、胎児のときから、小脳や脳幹が時空を作ると考える。


運動を知る小脳は、自分と天体の運動を知るだろう。

「 時間 」と「 空間 」は天体の運動から生じるので、天体の運動を知る事は、天体の時空と自分の時空を連結する事だろう。

自分の時空意識は電磁波(光)の構造を持つと考えるので、自分の意識と天体の電磁波(太陽光)を調整する事により、天体の運動を自分の時間意識と空間意識に調整し、社会の「 時間 」と「 空間 」を知る。

…………………(省略)………………………

私は、小脳や脳幹の中で、「 意識 」を選択して行動する「 意欲 」が生じ、意識を統合して本質であるとデフォルメする価値観も、小脳や脳幹で生じると思う。

「 心の動き 」も「 意欲 」であり、「 意志 」も無意識の運動であり、「 意欲 」や「 意志 」に従って、眼球が動き、身体が動く。



2010/4/16、私の記事



私の考えは、一般の知識とは相違する。

右脳が視覚などの「 空間意識 」、左脳が聴覚や思考などの「 時間意識 」を司り、これらの意識が電磁波の構造を持ち、無意識の中に時空を形成すると考える。

「 無意識 」とは、身体を統御する脳幹や小脳の機能の領域で、体内リズムを時間的要素とし、操作可能性の範囲を空間的要素とすると考える。

「 意識 」が外部の太陽光と周波数を同調させて、エネルギーにするのに対して、「 無意識 」は食物により、エネルギーを摂取し、植物が光合成をするように、太陽光のエネルギーが、無意識の時間的要素と空間的要素を、時間意識と空間意識に変換すると考える。

構造や機能の類似が存在する事により、エネルギーの変換が可能であり、相違すれば独自のエネルギーとして存在するだろう。

独自性とは、「 意識 」が精神、「 無意識 」が行為であると考える。

認識を考える時、大脳ばかりではなく、脳幹や小脳を含めて考える。

学問や知識として合理的な認識を考えるのは単純な考えで、現実生活では役立たずの、学者のための認識論になり、「 本を捨てる 」のは正しいと思う。

「 意識 」が静的で、中立的で、合理的な「 知識 」であるのに対し、「 無意識 」は、動的で、個人的で、不合理な決定する「 欲 」であるが、「 神様 」は、不合理な決定をする点では、「 無意識 」と同じで、物質的であると考える。

小脳が「 時空 」を生むとは、物質的エネルギーを「 リズム 」と「 欲の範囲 」に分解する事であり、「 芸術は爆発である 」という考えに近い。

「 欲の範囲 」とは、小脳から指令する操作可能性や運動可能性であり、「 意識 」の「 可能性 」も、これを基礎としていると考える。

「 可能性 」は、物質の可能性かもしれないが、人類は、物質と同視される小脳の運動可能性として認識するのだと思う。

小脳の運動可能性や操作可能性が、「 意識 」される事により、「 意欲 」となり、行動に現れる。

「 意欲 」は、エネルギーの表現であり、操作可能な範囲だから、「 空間意識 」である。


「 意志 」は、「 意欲 」の実現に向けての意識の選択と持続であり、強い電磁波、周波数の高い電磁波の一種で、小脳の影響が強い意識だと考える。

「 プラズマ宇宙論 」の「 ビルケランド電流 」のように、「 雷 」のように、多数の「 無意識 」を束ねる電流に似た電磁波であると想定する。



小脳や脳幹は、「 物質的な脳 」であり、運動を調整する機能が宇宙の運動を知った時空の塊である。

「 時空 」は、自然界の時空であると考えるのが自然だが、私は、小脳や脳幹により、操作可能性の範囲やリズムとしてデフォルメして記憶の中に保存し、イメージとして現実生活に現れると考える。


2010/4/17、私の考え

以上の考えは、「 性欲 」を説明していると思う。

「 リズム 」と「 操作可能性の範囲 」を同時に身体に顕在化するのは、「 踊り 」であり、無意識に動くことも「 踊り 」で「 生殖行為 」も「 踊り 」であると解釈する。

「 操作可能性 」という空間に「 リズム 」という時間が顕在化したのが「 踊り 」であり、意識という磁場が、神経刺激の電場に変換された状態と考える。

「 小脳 」による「 意欲 」は、動物の生存に関わる「 性欲 」であり、「 自我の欲 」は「 性欲 」であり、フロイトの考えも、この点では、賛成するが、「 自我の欲 」であるため、「 自分 」が知るだけであるから、他者による「 精神の分析 」は、不可能である。

精神の分析に、フロイトの考えを支持する事は、「 解釈 」であり、患者を「 病気 」と見做す自己の正当化であると考える。

「 自我の欲 」は、患者自身の「 愛着 」や「 執着 」という「 こだわり 」が原因であり、そこから逃れる事を指導するのが精神科の医師の仕事だと思う。

執着しないという考えは、閉じた空間で合一した「 リズム 」と「 操作可能性 」ではなく、開いた空間で、「 リズム 」と「 操作可能性 」を、個性の表現という「 関係の顕在化 」として考える事であり、「 意識 」の実体は「 無意識 」である。

自分を「 病気 」にしているのは、自分であると自覚する事、自分という牢獄から出る事が、「 治癒 」であると考える。

「 小脳 」や「 脳幹 」は、生命維持の方向を持つから、盲目的な「 性欲 」の衝動が生じ、これを基礎にして、自己の精神を人類の精神に解消した時に、「 芸術 」が生まれると考える。

「 芸術 」が性的であるのは当然で、個人の性から人類の性に解消したか否かが、「 芸術性 」の分岐点だと考える。



Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 03:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月16日

2010/4/16、オカルト・どこでも時空10・小脳4

これは、フィクションである。

運動を知る小脳は、天体の電磁波(太陽光)により、天体の運動を知り、時間意識と空間意識を生む。

小脳は時空を生む。


2010/4/14、私の記事

私は、小脳や脳幹を、「 動物 」の基本的な要素だと考える。

これまで書いてきた、「 無意識 」は、ここから発生し、「 意志 」や「 意欲 」も、ここから発生すると考える。

無意識の「時間意識」を「 リズム 」とし、「 空間意識 」を「 欲の範囲 」とした。


「 リズム 」は、心臓を持った胎児の鼓動であり、誕生後も「 一秒 」の感覚が、天体の運動から測定する「 一秒 」と酷似し人類の全てが同じである事から考えると、心臓の鼓動が「 時間意識 」の発生であり、死後も、しばらくは時間意識が残存する事を考えると、動物に基本的な要素であると思う。


「 空間意識 」とは、「 生きるスペースの意識 」であり、胎児が生きるために運動する「 意欲 」が具現化する範囲であり、「 生きる可能性の範囲 」であると考える。

これらは、誕生する前の胎児のときに具備している事から考えると、胎児のときから、小脳や脳幹が時空を作ると考える。


運動を知る小脳は、自分と天体の運動を知るだろう。

「 時間 」と「 空間 」は天体の運動から生じるので、天体の運動を知る事は、天体の時空と自分の時空を連結する事だろう。

自分の時空意識は電磁波(光)の構造を持つと考えるので、自分の意識と天体の電磁波(太陽光)を調整する事により、天体の運動を自分の時間意識と空間意識に調整し、社会の「 時間 」と「 空間 」を知る。

…………………(省略)………………………

私は、小脳や脳幹の中で、「 意識 」を選択して行動する「 意欲 」が生じ、意識を統合して本質であるとデフォルメする価値観も、小脳や脳幹で生じると思う。

「 心の動き 」も「 意欲 」であり、「 意志 」も無意識の運動であり、「 意欲 」や「 意志 」に従って、眼球が動き、身体が動く。



2010/4/16、私の考え



私の考えは、一般の知識とは相違する。

右脳が視覚などの「 空間意識 」、左脳が聴覚や思考などの「 時間意識 」を司り、これらの意識が電磁波の構造を持ち、無意識の中に時空を形成すると考える。

「 無意識 」とは、身体を統御する脳幹や小脳の機能の領域で、体内リズムを時間的要素とし、操作可能性の範囲を空間的要素とすると考える。

「 意識 」が外部の太陽光と周波数を同調させて、エネルギーにするのに対して、「 無意識 」は食物により、エネルギーを摂取し、植物が光合成をするように、太陽光のエネルギーが、無意識の時間的要素と空間的要素を、時間意識と空間意識に変換すると考える。

構造や機能の類似が存在する事により、エネルギーの変換が可能であり、相違すれば独自のエネルギーとして存在するだろう。

独自性とは、「 意識 」が精神、「 無意識 」が行為であると考える。

認識を考える時、大脳ばかりではなく、脳幹や小脳を含めて考える。

学問や知識として合理的な認識を考えるのは単純な考えで、現実生活では役立たずの、学者のための認識論になり、「 本を捨てる 」のは正しいと思う。

「 意識 」が静的で、中立的で、合理的な「 知識 」であるのに対し、「 無意識 」は、動的で、個人的で、不合理な決定する「 欲 」であるが、「 神様 」は、不合理な決定をする点では、「 無意識 」と同じで、物質的であると考える。

小脳が「 時空 」を生むとは、物質的エネルギーを「 リズム 」と「 欲の範囲 」に分解する事であり、「 芸術は爆発である 」という考えに近い。

「 欲の範囲 」とは、小脳から指令する操作可能性や運動可能性であり、「 意識 」の「 可能性 」も、これを基礎としていると考える。

「 可能性 」は、物質の可能性かもしれないが、人類は、物質と同視される小脳の運動可能性として認識するのだと思う。

小脳の運動可能性や操作可能性が、「 意識 」される事により、「 意欲 」となり、行動に現れる。

「 意欲 」は、エネルギーの表現であり、操作可能な範囲だから、「 空間意識 」である。


「 意志 」は、「 意欲 」の実現に向けての意識の選択と持続であり、強い電磁波、周波数の高い電磁波の一種で、小脳の影響が強い意識だと考える。

「 プラズマ宇宙論 」の「 ビルケランド電流 」のように、「 雷 」のように、多数の「 無意識 」を束ねる電流に似た電磁波であると想定する。



小脳や脳幹は、「 物質的な脳 」であり、運動を調整する機能が宇宙の運動を知った時空の塊である。

「 時空 」は、自然界の時空であると考えるのが自然だが、私は、小脳や脳幹により、操作可能性の範囲やリズムとしてデフォルメして記憶の中に保存し、イメージとして現実生活に現れると考える。

記憶は、時空(状況)を保存し、物を保存しない。

写真を見る事は、過去の時空に遡っているのだと思う。

Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 04:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月14日

2010/4/14、オカルト・どこでも時空9・小脳3

これは、フィクションである。

運動を知る小脳は、天体の電磁波(太陽光)により、天体の運動を知り、時間意識と空間意識を生む。

小脳は時空を生む。


2010/4/14、私の考え

私は、小脳や脳幹を、「 動物 」の基本的な要素だと考える。

これまで書いてきた、「 無意識 」は、ここから発生し、「 意志 」や「 意欲 」も、ここから発生すると考える。

無意識の「時間意識」を「 リズム 」とし、「 空間意識 」を「 欲の範囲 」とした。


「 リズム 」は、心臓を持った胎児の鼓動であり、誕生後も「 一秒 」の感覚が、天体の運動から測定する「 一秒 」と酷似し人類の全てが同じである事から考えると、心臓の鼓動が「 時間意識 」の発生であり、死後も、しばらくは時間意識が残存する事を考えると、動物に基本的な要素であると思う。


「 空間意識 」とは、「 生きるスペースの意識 」であり、胎児が生きるために運動する「 意欲 」が具現化する範囲であり、「 生きる可能性の範囲 」であると考える。

これらは、誕生する前の胎児のときに具備している事から考えると、胎児のときから、小脳や脳幹が時空を作ると考える。


運動を知る小脳は、自分と天体の運動を知るだろう。

「 時間 」と「 空間 」は天体の運動から生じるので、天体の運動を知る事は、天体の時空と自分の時空を連結する事だろう。

自分の時空意識は電磁波(光)の構造を持つと考えるので、自分の意識と天体の電磁波(太陽光)を調整する事により、天体の運動を自分の時間意識と空間意識に調整し、社会の「 時間 」と「 空間 」を知る。

「 時間の持続 」や「 空間の延長 」は、天体に従った意識の拡大という形態を持つが、「 時間 」と「 空間 」は、無意識をデフォルメしたものだから「 持続 」し「 延長 」するのも、意識による定義不能を意味すると考える。

「 持続 」や「 延長 」を「 実体化 」するのは「 無意識 」だが、それは胎児から具備する無意識の時空の範囲、「 意欲の範囲 」の「 無意識 」であると考える。



小脳は、生命体としての時空を生むから小脳が天体の運動を知る事を可能とし、大脳の意識が「 時間 」と「 空間 」を定義する。

「 時間 」と「 空間 」の持続や延長は、天体を定義する事が出来ない事であると同時に、持続や延長の実体は無意識で決定されるのであり、言葉で表現しても、言葉では決定する事が出来ない事でもある。

「 運動 」も、決定的な言葉の定義が存在するかについては疑問に思う。

言葉で表現するのは、無意識の小脳の活動が、意欲が具現化した「 情報 」であるが、無意識の小脳の活動であるため、言葉から「 逃げ出る物 」であり、定義する事は出来ないと考える。

言葉で、純粋の「 持続 」や「 延長 」を定義するのは言葉の遊びであり、本当に考えるなら、「 無意識による範囲の決定 」を考える必要があるだろう。

「 時間 」や「 空間 」という言葉自体が、無意識の具現化であり、デフォルメであるからである。

私は、小脳や脳幹の中で、「 意識 」を選択して行動する「 意欲 」が生じ、意識を統合して本質であるとデフォルメする価値観も、小脳や脳幹で生じると思う。

「 心の動き 」も「 意欲 」であり、「 意志 」も無意識の運動であり、「 意欲 」や「 意志 」に従って、眼球が動き、身体が動く。

これについては、更に考える。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月13日

2010/4/13、オカルト・どこでも時空8・小脳2

これは、フィクションである。

2010/4/11、私の考え


科学者は、大脳の事を話題にするが、私は「 小脳 」に注目すべきだと考える。

言葉は、運動を調整する小脳の文字情報であり、「 小脳の活動記録 」である。

言葉は大脳で生まれると考えるが、無意識の「 小脳の活動記録 」が「 意味 」となって、相手の「 意思 」を理解する。

小脳や脳幹による無意識が存在するから、会話が成立するのは、「 言葉 」や「 文字 」という意識が、小脳や脳幹による無意識に基礎を持つ事である。

思い出す事が「 出来事 」であり、「 シュミレーション 」するのは、「 出来事 」を想像する事だが、「 出来事 」を「 時空(状況)の行為 」と考えれば、言葉を使うのは行為や運動を考えている事である。

行為や運動を調節する小脳を使う事が基礎であり、無意識を使う事が、意識の基礎である。

全てが言葉で決定されるのではなく、「 全てが無意識 」で決定される。

「 時間意識 」も「 空間意識 」も、「 リズム 」と「 欲の範囲 」を基礎とすると考えるが、これらは脳幹や小脳の周波数や振幅と神経の範囲と考える。

行為や運動を調節する小脳や脳幹を使う事が基礎である事は、動物には、非常に重要な事である。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、無意識の領域だが、これらの運動の要素が存在しているから、天体の運動まで意識が広がり、「 時間 」や「 空間 」という概念を作る事を可能にする。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、宇宙の運動に連動するかも知れない。

小脳や脳幹が、無意識の領域であり、運動に関連し、天体の運動に関連しているかも知れない。




2010/4/13、私の考え

これまで、私が「 情 」とか「 情報 」や「 物語 」や「 意味 」という言葉や文字で伝達される時間的な因果関係は、無意識である「 小脳 」の活動記録である。


私は、運動する物は、運動に対応する知覚で認識されると思う。

視覚には眼があり、聴覚には耳があるが、運動を知覚するのではない。

眼や耳から得られる表象は意識であり不連続だが、時空の中で連続した運動と知覚するのが「 小脳 」であると考える。

「 運動の知覚 」が天体の運動を知覚する事も含むと考えれば、女性の生理が「 月 」の運動に影響されたり、太陽の運動による睡眠や覚醒という脳幹の働きも、「 小脳 」の機能であるかもしれない。

「 小脳 」が酵素を含んだ血液を循環させる事は、脳幹のホルモンの分泌となり、ストレスを生む「 力線 」や「 ベクトル 」、更に無意識の「 心の動き 」も「 小脳 」の機能だろうと推測する。



「 機能 」は「 時空という機会の中の脳の働き 」であると考えると、「 小脳 」は、宇宙の運動に影響されると考える。

この機能を「 私の小脳 」の限定するのが「 意識 」であると思う。

時間を意識し、空間を意識し、自分の運動を考える事により、「 小脳 」が運動の「 可能性 」を決定する。

自我を考える事により、「 小脳 」の働きが、天体の運動から、自分の運動を考える事にデフォルメされ、局限され、特殊化されると考える。

「 閉じた内なる宇宙 」という時空意識を持つ事により、無意識の生命的なエネルギーが内部に充満し、心臓の鼓動による「 リズム 」と、生命を維持するための「 欲 」が生じ、時空意識の中で、何を思い、何を行動するかを決定する身(身体)口(言葉)意(意識)の行動の傾向となり、「 人格 」となるというのが、私の考えである。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 04:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月11日

2010/4/11、オカルト、どこでも時空7・小脳

これは、フィクションである。

2010/4/8、私の記事

「 体験 」とは、「 状況に対処した運動 」を記憶している事であり、「 小脳 」の活動の記録だろう。

「 小脳 」や「 脳幹 」は、無意識であり、「 無意識が実体を決定する 」とは、無意識も意識である限り、時空の構造を持つと推定する。


「 時間意識 」に相当するのは「 リズム 」であり、

…………………(省略)……………………

「 空間意識 」に対応するのが、身体の活動範囲で、身体が到達する範囲はエネルギーが及ぶから、範囲はエネルギーの大きさに依存すると考える。

エネルギーの大小は、生命的な欲求の大小で、「 欲 」であると、現時点では考えている。

欲求不満は、「 性衝動 」に現れると思うが、私は、「 ラグビーボール 」という二本足の考えを採用するから、「 欲 」は、身(身体)口(言葉)意(意識)で「 行為する範囲 」に現れると考える。

「 行為する範囲 」を「 欲 」と考えると、「 過去に行為した範囲 」は「 身体の動きの確保 」で保存され、その反復は「 欲 」の持続であると考える。

「 行為する範囲 」と「 リズム 」が無意識の時空なら、意識と同じく、閉じられた範囲の「 定在波 」が「 安定し、満足した状態 」であり、実体を決定すると考える。

行為は「 小脳 」の働きと思うから、「 行為する範囲 」は「 小脳 」により決まると考える。



この無意識が作る「 リズム 」と「 行為の反復可能な範囲 」が、「 言葉 」の情報であると思うから、単に「 言葉の言霊 」を考えても、「 言葉 」は解明されないと思う。

2010/4/9、私の記事

「 思い出す 」とは、特別な事ではない。

認識する事は、全て「 思い出す事 」であり、珍しい事ではない。

言葉は意識して使うが、何故、相手に伝わるかを考えると、言葉には、「 リズム 」と「 行為の反復可能な範囲 」で決定された、無意識の「 小脳の活動した記録 」が内包され、無意識の「 小脳 」の行為により伝わると考える。

行為は「 欲 」の具現化であり、相手の身(身体)口(言葉)意(意識)の範囲を自分の範囲に置き換える事により、その中に、時間的な物語として存在する気(ki)としての「 小脳の活動した記録 」として存在する「 行動の情報 」を、行動する無意識の小脳が気(ki)として取得し、左脳が「 情報 」として取得すると考える。

認識に時間と空間を必要とするのは、ヒトが時間と空間の中で行為をするからである。

私の考えは、ヒトは「時間意識」と「空間意識」の中で、「 行動の情報 」を気(ki)として無意識が実体だとデフォルメし、ヒトは社会で身(身体)口(言葉)意(意識)に現れた行為を経由して、認識すると考える。


言葉が多重の意味を持つのは、「 小脳による運動の活動 」が、時間や場所の変化に応じて多重である事だと思う。

言葉は、意識の統合である実体を時間や場所の変化に応じた「 小脳による運動の活動 」を、デフォルメし、表現した物だと考える。




2010/4/11、私の考え


科学者は、大脳の事を話題にするが、私は「 小脳 」に注目すべきだと考える。

言葉は、運動を調整する小脳の文字情報であり、「 小脳の活動記録 」である。

言葉は大脳で生まれると考えるが、無意識の「 小脳の活動記録 」が「 意味 」となって、相手の「 意思 」を理解する。

小脳や脳幹による無意識が存在するから、会話が成立するのは、「 言葉 」や「 文字 」という意識が、小脳や脳幹による無意識に基礎を持つ事である。

思い出す事が「 出来事 」であり、「 シュミレーション 」するのは、「 出来事 」を想像する事だが、「 出来事 」を「 時空(状況)の行為 」と考えれば、言葉を使うのは行為や運動を考えている事である。

行為や運動を調節する小脳を使う事が基礎であり、無意識を使う事が、意識の基礎である。

全てが言葉で決定されるのではなく、「 全てが無意識 」で決定される。

「 時間意識 」も「 空間意識 」も、「 リズム 」と「 欲の範囲 」を基礎とすると考えるが、これらは脳幹や小脳の周波数や振幅と神経の範囲と考える。

行為や運動を調節する小脳や脳幹を使う事が基礎である事は、動物には、非常に重要な事である。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、無意識の領域だが、これらの運動の要素が存在しているから、天体の運動まで意識が広がり、「 時間 」や「 空間 」という概念を作る事を可能にする。

行為や運動を調節する小脳や脳幹は、宇宙の運動に連動するかも知れない。

小脳や脳幹が、無意識の領域であり、運動に関連し、天体の運動に関連しているかも知れない。


私は、次のように考えている。


運動を知る小脳は、

天体の電磁波(太陽光)により、

天体の運動を知り、

時間意識と空間意識を生む。

小脳は時空を生む。




Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月09日

2010/4/9、どこでも時空6・思い出す4

これは、フィクションである。

2010/4/8、私の考え

「 体験 」とは、「 状況に対処した運動 」を記憶している事であり、「 小脳 」の活動の記録だろう。

「 小脳 」や「 脳幹 」は、無意識であり、「 無意識が実体を決定する 」とは、無意識も意識である限り、時空の構造を持つと推定する。


「 時間意識 」に相当するのは「 リズム 」であり、

…………………(省略)……………………

「 空間意識 」に対応するのが、身体の活動範囲で、身体が到達する範囲はエネルギーが及ぶから、範囲はエネルギーの大きさに依存すると考える。

エネルギーの大小は、生命的な欲求の大小で、「 欲 」であると、現時点では考えている。

欲求不満は、「 性衝動 」に現れると思うが、私は、「 ラグビーボール 」という二本足の考えを採用するから、「 欲 」は、身(身体)口(言葉)意(意識)で「 行為する範囲 」に現れると考える。

「 行為する範囲 」を「 欲 」と考えると、「 過去に行為した範囲 」は「 身体の動きの確保 」で保存され、その反復は「 欲 」の持続であると考える。

「 行為する範囲 」と「 リズム 」が無意識の時空なら、意識と同じく、閉じられた範囲の「 定在波 」が「 安定し、満足した状態 」であり、実体を決定すると考える。

行為は「 小脳 」の働きと思うから、「 行為する範囲 」は「 小脳 」により決まると考える。



この無意識が作る「 リズム 」と「 行為の反復可能な範囲 」が、「 言葉 」の情報であると思うから、単に「 言葉の言霊 」を考えても、「 言葉 」は解明されないと思う。

2010/4/9、私の考え

「 思い出す 」とは、特別な事ではない。

認識する事は、全て「 思い出す事 」であり、珍しい事ではない。

言葉は意識して使うが、何故、相手に伝わるかを考えると、言葉には、「 リズム 」と「 行為の反復可能な範囲 」で決定された、無意識の「 小脳の活動した記録 」が内包され、無意識の「 小脳 」の行為により伝わると考える。

行為は「 欲 」の具現化であり、相手の身(身体)口(言葉)意(意識)の範囲を自分の範囲に置き換える事により、その中に、時間的な物語として存在する気(ki)としての「 小脳の活動した記録 」として存在する「 行動の情報 」を、行動する無意識の小脳が気(ki)として取得し、左脳が「 情報 」として取得すると考える。

認識に時間と空間を必要とするのは、ヒトが時間と空間の中で行為をするからである。

私の考えは、ヒトは「時間意識」と「空間意識」の中で、「 行動の情報 」を気(ki)として無意識が実体だとデフォルメし、ヒトは社会で身(身体)口(言葉)意(意識)に現れた行為を経由して、認識すると考える。


言葉が多重の意味を持つのは、「 小脳による運動の活動 」が、時間や場所の変化に応じて多重である事だと思う。

言葉は、意識の統合である実体を時間や場所の変化に応じた「 小脳による運動の活動 」を、デフォルメし、表現した物だと考える。

法則には、デフォルメした言葉による統合は必要でなく、デフォルメしない無意識の「 関係 」が「 法則 」であり、言葉にとっては、理念として具現化すると考える。

法則は言葉を生むのであり、その逆は成立しない。

「 言霊 」によっての法則ではなく、太陽光が意識を生むように、法則が「 言霊 」を生むと考える。

「 言霊 」は精神の領域であり、精神の発生の領域ではなく、太陽光を受ける細胞のように、時空が未分化の法則を「 時間意識 」と「 空間意識 」に分解して、具現化するエネルギーであると考える。

Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月08日

2010/4/8、どこでも時空5・思い出す3

これは、フィクションである。

2010/4/6、私の記事

小脳により行為する時に、眼による視覚や耳による聴覚で「 力線 」や「 ベクトル 」を感じて、脳幹の中で「 ストレス 」となる。

生きるために「 時間 」や「 空間 」を人格によりデフォルメ(変形)するのは、左脳の論理的処理であり、無意識で実体を決定し、未来を意識で予測し想像する事は、右脳のイメージ処理である。

この「 時間意識 」と「 空間意識 」の中に、「 ストレス 」が、気(ki)として挿入される。

その処理結果は、無意識を司る「 脳幹 」や生きるために運動を指令する「 小脳 」に送られ、身(身体)口(言葉)意(意識)の「 ラグビーボール 」を動かす事になる。



時間的な順序と物語という文字情報から、過去の体験を想起するのは「 左脳 」で、過去の写真や絵画を見て過去を想起するのは「 右脳 」だろう。

想起する内容は、「 状況に対処した運動 」であり、「 小脳 」の働きで過去の時空に現在の気(ki)を送る事が、「 思い出す事 」だと考える。

2010/4/8、私の考え

「 体験 」とは、「 状況に対処した運動 」を記憶している事であり、「 小脳 」の活動の記録だろう。

「 小脳 」や「 脳幹 」は、無意識であり、「 無意識が実体を決定する 」とは、無意識も意識である限り、時空の構造を持つと推定する。


「 時間意識 」に相当するのは「 リズム 」であり、呼吸や内臓の動きが「 心電図 」のように電気的刺激で、意識では統御する事が出来ないという意味で、天体の運動による「 時間 」と同じであり、天体の運動による「 時間 」が「 うるう年 」で調整するように、「 体内時間 」の誤差を考えなければ、無意識を解明する事は出来ないと思う。

これは、「 脳幹 」の問題だろう。


「 空間意識 」に対応するのが、身体の活動範囲で、身体が到達する範囲はエネルギーが及ぶから、範囲はエネルギーの大きさに依存すると考える。

エネルギーの大小は、生命的な欲求の大小で、「 欲 」であると、現時点では考えている。

欲求不満は、「 性衝動 」に現れると思うが、私は、「 ラグビーボール 」という二本足の考えを採用するから、「 欲 」は、身(身体)口(言葉)意(意識)で「 行為する範囲 」に現れると考える。

「 行為する範囲 」を「 欲 」と考えると、「 過去に行為した範囲 」は「 身体の動きの確保 」で保存され、その反復は「 欲 」の持続であると考える。

「 行為する範囲 」と「 リズム 」が無意識の時空なら、意識と同じく、閉じられた範囲の「 定在波 」が「 安定し、満足した状態 」であり、実体を決定すると考える。

行為は「 小脳 」の働きと思うから、「 行為する範囲 」は「 小脳 」により決まると考える。



この無意識が作る「 リズム 」と「 行為の反復可能な範囲 」が、「 言葉 」の情報であると思うから、単に「 言葉の言霊 」を考えても、「 言葉 」は解明されないと思う。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月07日

2010/4/7、どこでも時空4・思い出す2

これは、フィクションである。

2010/4/6、私の記事

小脳により行為する時に、眼による視覚や耳による聴覚で「 力線 」や「 ベクトル 」を感じて、脳幹の中で「 ストレス 」となる。

生きるために「 時間 」や「 空間 」を人格によりデフォルメ(変形)するのは、左脳の論理的処理であり、無意識で実体を決定し、未来を意識で予測し想像する事は、右脳のイメージ処理である。

この「 時間意識 」と「 空間意識 」の中に、「 ストレス 」が、気(ki)として挿入される。

その処理結果は、無意識を司る「 脳幹 」や生きるために運動を指令する「 小脳 」に送られ、身(身体)口(言葉)意(意識)の「 ラグビーボール 」を動かす事になる。



時間的な順序と物語という文字情報から、過去の体験を想起するのは「 左脳 」で、過去の写真や絵画を見て過去を想起するのは「 右脳 」だろう。

想起する内容は、「 状況に対処した運動 」であり、「 小脳 」の働きで過去の時空に現在の気(ki)を送る事が、「 思い出す事 」だと考える。



2010/4/7、私の考え


「 どこでも時空 」とは、ドラえもんの「 どこでもドア 」を想定した考えで、「 ドア」を、写真やビデオなどの映像や「 言葉 」という、文明の機器による保存方法と考え、「 ドア 」を開けて違う空間に入るとは、保存した内容で、文化という時空だと想定しています。

私は、静止した状態でも、地球は自転しているから、全て新たな空間に突入している状態であり、時間の経過を天体の運動で考えると、空間の移動であり、「 歴史 」は「 地球の空間移動の経路 」であると考える。

私の歴史は、「 地球の空間移動の経路 」の中での私の行為の累積であり、時間意識と空間意識の時空の中での「 小脳 」の活動の累積であると考える。

過去は消滅したのではなく、現在の中で「 歴史 」として連続している。

「 歴史 」や「 文化 」とは、全ての人類の時間意識と空間意識の時空の中での「 小脳 」の活動の累積として連続した時空であると考える。

言葉の意味という情報は、時間意識と空間意識の時空の中での「 小脳 」の活動という出来事であると思う。

現実生活の中で、タイムマシンやテレポーションなどによる空間移動は不可能だと思う。

しかし、私自身の中で連続している「 歴史 」という時間意識と空間意識の時空の中での「 小脳 」の活動の累積を「 形 」にデフォルメした「 文明の機器 」を利用する事により、「 小脳 」を活動させる気(ki)を惹起させる事が、「 思い出す事 」だと考える。

「 文明の機器 」を利用して、過去という時空の中の気(ki)を復活させるし、「 文明の機器 」により、他者の時間意識と空間意識の時空の中での「 小脳 」の活動の累積を、自分の時空を適応させて気(ki)を惹起させるのが、「 学習 」であると考える。

思い出すとは、意識の電磁波が運ぶ気(ki)というエネルギーが存在する所まで、時空を遡る事で、「 小脳 」や「 脳幹 」に意識の電磁波により気(ki)を送る事だと考える。

思い出すとは、常に新しい気(ki)であり、過去の気(ki)が復活するのではない。

「 歴史 」は、「 現在 」に存在する。

現在の意識の電磁波が届く範囲で、「 歴史 」は存在するから、社会は「 歴史教育 」する。

意識の電磁波が気(ki)を運ばないヒトには、「 歴史 」は存在しないと考える。

何を、「 小脳 」の活動の累積と考えて行為するかという歴史についての考えも、「 人格 」の判断材料となると考える。

「 人格 」は、そこから発生すると思う。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

2010/4/6、どこでも時空3・思い出す 1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は退職するが、人格者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


これは、フィクションである。

体験を思い出す事について考える。

私は、時間と空間は、社会生活のために、デフォルメした言葉であり、その実体は、個人の無意識により決定された時間意識と空間意識であると思う。

「 時間意識 」と「 空間意識 」は、左脳の言語を用いる論理処理と右脳の図形や空間を用いるイメージ処理に対応し、「 無意識で 」とは「 脳幹で 」という意味で「 決定する 」とは運動を支配する小脳が働くことであり、「 時間意識 」は聴覚、「 空間意識 」は視覚という感覚に対応すると考える。

「 時間意識 」と「 空間意識 」は、個人が、運動して生きるために、デフォルメ(変形)させた時空であり、一般的に四次元というが、私の考えは違う。

私は、「 関係と人格 」で書いたように、「 時間意識 」と「 空間意識 」は電磁波の構造で、ニューロンを流れる刺激が電気で電場なら、磁場として「 時間意識 」と「 空間意識 」が生じ、感覚への刺激で計測した後、意識で計測するのが、「 無意識は実体を決定する事 」であり、意識で計測した後感覚で計測するのが「 意識で予測し想像する事 」で、ヒトは、「 不可分 」の状態で行為すると考える。

「 不可分 」とは、頭脳が不可分である事だと考える。

小脳により行為する時に、眼による視覚や耳による聴覚で「 力線 」や「 ベクトル 」を感じて、脳幹の中で「 ストレス 」となる。

生きるために「 時間 」や「 空間 」を人格によりデフォルメ(変形)するのは、左脳の論理的処理であり、無意識で実体を決定し、未来を意識で予測し想像する事は、右脳のイメージ処理である。

この「 時間意識 」と「 空間意識 」の中に、「 ストレス 」が、気(ki)として挿入される。

その処理結果は、無意識を司る「 脳幹 」や生きるために運動を指令する「 小脳 」に送られ、身(身体)口(言葉)意(意識)の「 ラグビーボール 」を動かす事になる。



時間的な順序と物語という文字情報から、過去の体験を想起するのは「 左脳 」で、過去の写真や絵画を見て過去を想起するのは「 右脳 」だろう。

想起する内容は、「 状況に対処した運動 」であり、「 小脳 」の働きで過去の時空に現在の気(ki)を送る事が、「 思い出す事 」だと考える。


Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

2010/3/27、オカルト・どこでも時空2

私の考えは、一般的ではなく、特殊な考えなので、賛同を求めませんが、私にとっては真実なのです。


2010/3/27、私の考え

私は、時間は「 時間意識 」で、空間は「 空間意識 」と考え、時空は意識であり、人類の全てがその意識を持ち、「 一つの時空である 」というのは、因果的、科学的な考えだと思いますが、私は、社会的には「 一つの時空 」であるが、個人的には、断片的な時空の意識を統合した結果であると考えます。

単純に、睡眠中に時間や空間を考えず、覚醒したときの時空の統合した結果だと考えます。

時空は意識と考えると、「 言葉 」についての考えも、一般的な考えと異なります。

漢字で、「 言葉 」は、「 言 」の「 葉 」と書きます。

「 言 」を、「 出来事 」という時空と考え、「 葉 」は、デフォルメした「 記号 」だと考えると、哲学も音楽も、言語と音符というデフォルメする表現方法の違いはあるが、ある時空の中の意識を伝達する事では同じと考えます。

哲学は理由を考える事ですが、時間と空間を開示しなければ、知識人の遊戯です。

哲学者や文学者が、何を知っているかには興味はありません。

私は、哲学者や文学者が、言葉で何を訴えるか、何を表現するのかに注目します。

言葉や音符や、絵の具で表現しても同じです。

音楽と絵画も、「 心の叫び 」というある時空の中の意識を伝達するのであり、時空の中の意識を、音符の強弱の配列や構図や色の濃淡で表現する事だと思います。

その、強弱や濃淡は、周波数により視覚や聴覚の神経の刺激となり、出来事と「 不可分 」に結合する事により、芸術性を増すと考えます。

「 言 」は「 物事 」であり、本来は「 不可分 」な時空が、表現方法の違いで音楽や美術と分類されるが、鑑賞者の頭脳の中で、再び「 不可分 」な時空になると考えます。

日本の芸術家が「 芸術は爆発だ 」と言いましたが、「 不可分な時空 」が表現されるとき、芸術の「 誕生 」であり「 ビッグバン 」です。

私は、私の誕生により私の時空意識を得るから、私にとっての「 天地創造 」であり、「 誕生は爆発である 」と言うのが私の主張です。


音楽や絵画を鑑賞し、頭脳の中で「 不可分な時空 」を構築する時は、再び誕生するために、誕生前の胎内に回帰してる時かも知れない。



Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 06:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月26日

2010/3/26、オカルト・どこでも時空1私の考え

私の考えは、奇妙で、個性的ですから、絶対に真似をしないでください。

私の「 ビッグ・バン 」は、「 意識は電磁波(光)である 」という考えから始まりました。

私は、意識が物理的な「 光 」であるとは思いませんが、「 円偏光 」や「 旋光 」についてのWikipedia を読んでいますと、太陽光が人体に何かの影響を与えていると考えます。

太陽光は、可視光線だけでなく、紫外線も赤外線も持っています。

私は、生物は光を感じる「 感受性 」を持ち、ヒトの場合は「 意識 」であると考え、光の構造に沿った考えをすべきだと考えました。

また、「 時間 」が過ぎても、「 空間 」を移動しても、自分は自分であるという意識を持ち続けるのは、「 円偏光 」のように回転しながら、直進する「 光 」の構造が、意識だろうと思いました。

「 光 」の構造は、電磁波であり、電場と磁場が交互に現れます。

私は、この電場と磁場の構造を、「 時間 」と「 空間 」と考え、それぞれ「 時間意識 」と「 空間意識 」と考えました。


私は、天体の運動による時間や空間の真理は不明であるが、社会生活を円滑にするために、天体の運動を人間がデフォルメ(変形)したのであると考えます。


天体の運動と人間の体内時間や体内のリズムの関連を考えると、両者は、「 無意識 」であり、「時間」と「空間」を人間的にデフォルメ(変形)しても、解決しない「 時間意識 」です。

私は、その個人的な無意識の「 時間意識 」と、社会の「時間」との差が、ストレスや不安となると考えます。

一般人とは違う自分の意識が、自分を不安にする。

「 時間 」も「 空間 」も、地球が自転しながら太陽の周りを公転し、しかも「 宇宙が膨張する 」中での運動だから、一年が過ぎても元の位置ではなく、一刻一刻が、全く未知の空間を地球が動く。

安定を求めるために「 時間 」や「 空間 」として精神で定義してデフォルメ(変形)する必要はあるが、デフォルメであるから、真実ではない。



そこで、私は考えました。

デフォルメ(変形)する主体は自分だから、自分がデフォルメした時空を持ち、「 内なる宇宙 」では自分の「 時空 」で、社会では、定義された「 時空 」に自分の時空を適合させる。

自分がデフォルメするのは、時空を電磁波の構造で交差する「 時間意識 」と「 空間意識 」として考える事であり、社会生活の時間や空間は、因果律に合致するために従う。

社会では因果律により全てが決定され、それが正当であると思うが、「 同時性 」でなく「 不可分性 」が支配する身体の中では、自分のデフォルメを採用する事にした。

その事は、意識による「 実体 」の認識ではなく、デフォルメした無意識による「 実体 」の決定であり、意識はデフォルメした「 相当因果関係 」であると考える。

私の頭脳では、「 実体 」の決定が先に行われ、意識による「 認識 」は、決定の理由づけに過ぎない。

だから、無意識による「 実体 」の決定が「 相当因果関係 」で説明できるように努力しなければならないと考えます。




Every miller draws water to his own mill.
posted by kandk55 at 05:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 22 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする