2012年06月25日

2012/6/25、オカルト・思考のエネルギー16・買えるもの

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

2012/6/25、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


TとUから連想するものを書こう。


Tは「 小脳 」でUは「 大脳 」に関するとは、以前、書いた。


内臓の不随意筋が前者で、随意筋が後者であることだと思うが、前者が「 欲 」で、後者は情(zyou)で着色された「 意欲 」であると思う。


Tは、人間の力では不可能な「 因縁 」や「 縁起 」の世界であり、何者かの複合物であるだろうし、Uは、Tを分析する「 自意識 」であるだろう。


Uの「 自意識」は「 欲 」の中の「 利己欲 」であり、人間の生命維持には必要だろうが、自分の意思を主張し、利益を独占する、人格には「 毒 」であると思う。


ある教授がテレビで、「 金銭で全てを買えるか? 」という問題を出したが、これは愚問であるだろう。


資本主義や社会主義などの「 金銭 」で、ルールを買うものは独裁者であり、「 金銭 」がUであれば、Tを「 金銭 」では買えないことは明らかであるからだ。


Uは「 存在 」という「 心的存在意識 」の上に成立するから、「 心的存在意識 」を生むTに支配が及ばないことは明らかである。


「 金銭 」という「 心的存在意識 」に心を奪われるから、「 心配 」や「 不安 」になるのであり、本当の「 幸せ 」は、資本主義や社会主義を超越した、即ち「 金銭 」という「 心的存在意識 」が及ばない、あるいは「 商売にならない 」ところに、存在すると思うからだ。


死ぬ間際に、「 金銭 」で「 天国 」や「 極楽 」は買えない。


それは、いつも言うように「 善因善果、悪因悪果 」という言葉があるように、個人は個人の「 行為 」によってのみ、「 因縁 」や「 縁起 」に参加し、日々、その報酬を受けるのみだと思う。

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2012年06月18日

2012/6/18、オカルト・思考エネルギー15・C1とC2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/6/18、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


E(人格形成のエネルギー)=M(人格)×C1(夢)×C2(構想力)



Mについては、TとUに分けたように、C1(夢)がTで、C2(構想力)をUと考え、前者を気(ki)の領域で、後者を情(zyou)の領域として考える。


Mを考えるとき書いたように、人間は、生まれたときから、「 欲 」と「 人格を向上する力 」を持つと仮定する。


前者が「 小脳 」の領域の「 本能 」であるだろうし、後者は「 大脳 」の領域の「 可能性を考える力 」であるだろう。



Mについて連想したように、C1(夢)は睡眠欲であり、生命欲であり、C2(構想力)は思考であり、哲学であり、どちらも「 時間 」(@とAの時間)を必要とすると同時に「 (因果)関係 」でもあるだろう。


ただし、C1(夢)は、睡眠中の夢ではなく、目覚めたときの夢であり、「 大志 」と同義であり、C2(構想力)によりC1(夢)を作ることは出来ないが、C1(夢や大志)によりC2(構想力)を作ることが出来るかもしれない。



「 (因果)関係 」が習慣により「 一定の関係 」になったときが気(ki)が情(zyou)になったときであり、M(人格)が変化したときだろう。



「 存在 」は、言葉では「 思想 」であり、目に見える物としては「 行為 」であり、人格であるMであり、それらを変化させる力がE(人格形成のエネルギー)であると思う。

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2012年06月17日

2012/6/17、オカルト・思考エネルギー14・Mの要約

忘れる心配があるので、M(人格)について要約する。

ここには、新しい考えは書いていない。




私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。


2012/6/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


宇宙の連鎖は、「 因果関係 」の「 因縁や縁起 」の関係であり、連続し、人間の中では、気(ki)というエネルギーにより決められる「 現在 」の中で「 無明 」として現われ、自分の「 因果関係 」を決めるのは、自分の「 行為 」だろうと思う。


「 善因善果、悪因悪果」


善きことをすれば善きことが、悪しきことをすれば悪いことが我が身に起こる。


行為の結果は、全て自分の身に降り注ぐ。


宇宙の連鎖や因果関係を「 時間 」で測定することは出来るかもしれないが、「 時間は時間意識 」であるため、測定した結果は全て「 主観的 」であることは免れない。


気(ki)というエネルギーが「 現在 」を決め、「 行為 」は「 現在 」で行われ、「 時間 」は「 現在 」にしか存在しないと思う。


「 過去や未来 」に時間があると思うのは、「 体験上の時間意識 」であり、バイオリズムで決めた時間であると思う。


「 時間 」は、開始と終わりの目印を必要とする情(zyou)という感情や遺伝子情報による「 時間意識 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から「 不連続 」である。


情(zyou)は、感覚から派生する意識であり、「 体験上の時間意識 」であり、「 過去や未来 」を決め、「 形あるもの 」を根拠に判断するから、「 無常 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から不連続であると思う。


「 人格 」を「 一定の習慣化した無意識のバイオリズム 」と考え、「 人格による行為 」が「 現在 」行われて宇宙の連鎖に影響すると思えば、「 行為 」が情(zyou)と気(ki)を繋ぐ無意識の具現化と考える。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体



このように分けて、前述したように、私は考える。

T、の連想により、
宇宙の連鎖は、「 因果関係 」の「 因縁や縁起 」の関係であり、連続し、人間の中では、気(ki)というエネルギーにより決められる「 現在 」の中で「 無明 」として現われ、自分の「 因果関係 」を決めるのは、自分の「 行為 」だろうと思う。


「 善因善果、悪因悪果」


善きことをすれば善きことが、悪しきことをすれば悪いことが我が身に起こる。


行為の結果は、全て自分の身に降り注ぐ。


宇宙の連鎖や因果関係を「 時間 」で測定することは出来るかもしれないが、「 時間は時間意識 」であるため、測定した結果は全て「 主観的 」であることは免れない。


U、の連想により、

「 過去や未来 」に時間があると思うのは、「 体験上の時間意識 」であり、バイオリズムで決めた時間であると思う。


「 時間 」は、開始と終わりの目印を必要とする情(zyou)という感情や遺伝子情報による「 時間意識 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から「 不連続 」である。


情(zyou)は、感覚から派生する意識であり、「 体験上の時間意識 」であり、「 過去や未来 」を決め、「 形あるもの 」を根拠に判断するから、「 無常 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から不連続であると思う。


「 人格 」を「 一定の習慣化した無意識のバイオリズム 」と考え、「 人格による行為 」が「 現在 」行われて宇宙の連鎖に影響すると思えば、「 行為 」が情(zyou)と気(ki)を繋ぐ無意識の具現化と考える。



T、の無意識は、「 小脳の無意識 」であり、U、の無意識は「 大脳の無意識 」であると仮定する。

T、は「 関係 」であり、「 宇宙の空間関係 」であり「 因縁 」と「 縁起 」で成立し、人間の中では「 無明 」であり、気(ki)で決まる「 現在 」の中だけに存在する「 行為 」により、その因果を決定する。


U、はT、の「 関係 」を実体化する人間の思いで、「 時間 」は気(ki)で決まる「 現在 」に存在し、「 現在の時間 」を「 心的存在意識 」により「 存在する 」と思い、その体験で過去や未来に時間が存在すると思うのだと考える。


人間の死期や果物の実りが「 時間 」で計れないように、Tの「 因縁や縁起 」は「 関係 」であり、Uの「 時間意識 」では計れない。


物体に時間が存在すると考えるのは間違いで、物体を見る人間の体験上の時間意識を、物体の時間に置き換えて想像しているのだと思う。

それは、「 生命 」を「 肉体 」で説明することが不能であることも、私の結論になる。


2012/6/16、私の記事


これは、私だけに考えであり、同調を求めない。


TとUに分けると、Tは、宇宙の構成物で、Uは、人間の大脳、特に「 記憶 」が働く領域であると思う。


「 人格 」は「 無意識 」であり、バイオリズムであると考えるが、バイオリズムも無意識もTとUに分けて考える。


Tにおけるバイオリズムはエネルギーであり、「 小脳 」の領域のリズムであり、心臓や脳や腸などの細胞や臓器の不随意筋のリズムだろう。


リズムは周期であり、人間は、太陽を回る惑星のような「 空間関係 」を体内に持ち、この関係が「 小脳の可能性 」であり、「 可能性を探すこと 」は「 行為の可能性 」即ち「 人格形成の可能性 」を探すことであり、常に人格を形成していると考える。


不随意筋というのは、「 意の従わない 」という「 無意識 」を持ち、これが「 小脳の無意識 」で「 欲 」という「 関係を実体化する 」作用を持つと考える。


人間は、根源的に「 欲 」を持つが、常に「 人格形成 」をする生き物であると、私は思う。


Uにおけるバイオリズムは「 大脳 」の領域のリズムであり、Tのリズムを「 記憶 」という情(zyou)である意識の力で増幅し、分類したのが、一般的に「 人格 」といわれるのだろう。


学問の精神病や仏教の「 六道 」やバイオリズムなどが、「 人格 」といわれるのだと思う。


Tの「 欲 」が、情(zyou)により着色されたのが「 人格 」であり、「 人格 」の源は清らかであると思う。


どうしてリズムが生まれるのかは、「 プラズマ宇宙論 」の「 ビルケランド電流 」とフィラメント構造のように、「 欲 」という気(ki)という電流が習慣によりDNA(神経回路)に主要な電気として形成された電流がリズムとなるのであり、リズムは、個人のDNA(神経回路)により相違すると思う。


人間も宇宙の産物であるので、「 ビッグ・バン理論 」を採用した人は、その理論の延長上で、人間の意識を考えるべきだろうと思う。


宇宙に例外は認められないと信じるからだ


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2012年06月16日

2012/6/16、オカルト・思考エネルギー13・Mの構造4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/6/16、私の考え


これは、私だけに考えであり、同調を求めない。


TとUに分けると、Tは、宇宙の構成物で、Uは、人間の大脳、特に「 記憶 」が働く領域であると思う。


「 人格 」は「 無意識 」であり、バイオリズムであると考えるが、バイオリズムも無意識もTとUに分けて考える。


Tにおけるバイオリズムはエネルギーであり、「 小脳 」の領域のリズムであり、心臓や脳や腸などの細胞や臓器の不随意筋のリズムだろう。


リズムは周期であり、人間は、太陽を回る惑星のような「 空間関係 」を体内に持ち、この関係が「 小脳の可能性 」であり、「 可能性を探すこと 」は「 行為の可能性 」即ち「 人格形成の可能性 」を探すことであり、常に人格を形成していると考える。


不随意筋というのは、「 意の従わない 」という「 無意識 」を持ち、これが「 小脳の無意識 」で「 欲 」という「 関係を実体化する 」作用を持つと考える。


人間は、根源的に「 欲 」を持つが、常に「 人格形成 」をする生き物であると、私は思う。


Uにおけるバイオリズムは「 大脳 」の領域のリズムであり、Tのリズムを「 記憶 」という情(zyou)である意識の力で増幅し、分類したのが、一般的に「 人格 」といわれるのだろう。


学問の精神病や仏教の「 六道 」やバイオリズムなどが、「 人格 」といわれるのだと思う。


Tの「 欲 」が、情(zyou)により着色されたのが「 人格 」であり、「 人格 」の源は清らかであると思う。


どうしてリズムが生まれるのかは、「 プラズマ宇宙論 」の「 ビルケランド電流 」とフィラメント構造のように、「 欲 」という気(ki)という電流が習慣によりDNA(神経回路)に主要な電気として形成された電流がリズムとなるのであり、リズムは、個人のDNA(神経回路)により相違すると思う。


人間も宇宙の産物であるので、「 ビッグ・バン理論 」を採用した人は、その理論の延長上で、人間の意識を考えるべきだろうと思う。


宇宙に例外は認められないと信じるからだ。
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2012年06月13日

2012/6/13、オカルト・Mの構造3・小脳の可能性

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2011/2/17、私の記事

@の「 時 」や「 空 」は天体の動きで、「 間(ma)」が、実生活の中で、「 時間 」や「 空間 」であると実感させる主観的な感情であると考える。

「 時 」や「 空 」を、バイオリズムで切り取ったのが「 時間 」や「 空間 」であると考え、バイオリズムが「 過去や現在や未来 」という時制を決定するので、人類の全てにおいて時制の範囲は相違する。

これは、地球上の全ての点で時空が相違する事を、人間の心理面で書いた事になる。


時制は、「 記憶 」が必要だが、これは「 時間 」や「 空間 」を創るのではなく、「 可能性 」を、時制の「 現在 」にフィットさせると思う。


Dにより、宇宙の果てまで「 小脳の運動可能性 」が「 欲 」として延びているが、その「 欲 」をバイオリズムで切り取ったのが「 可能性 」であり、「 確率を持った欲 」であり、「 目覚めた欲 」であり、「 意欲 」である。


「 可能性 」は、「 欲 」であり、どのように切り取っても、「 小脳の運動可能性 」つまり「 欲 」の総体に変化は無い。


「 エネルギー保存 」や「 不増不減 」というのは、物質の事かもしれないが、「 欲 」についても「 眠っている欲 」か「 目覚めている欲 」かの違いで、エネルギーも保全され、「 不増不減 」であると考える。


「 可能性 」は意識された欲だと思うが、意識が電磁波で無意識がバイオリズムである事により、「 欲 」は、人体の中で「 意識された欲 」と「 小脳の欲 」になると思うが、「 欲 」はエネルギーであり、「 小脳の運動可能性 」は、思考された空間も含む時空であると考え、少し違うと思うが、この事は留保する。


「 可能性 」は意識であるが、「 心当たり 」を記憶により往復する事により、眠った主観的時間の「 過去の可能性 」を溶解し、「 現在の可能性 」を取りだし、「 未来の可能性 」の眠りへと、記憶により主観的時間の「 現在 」にフィットさせ、「 可能性 」を変換するのが「 意識の記憶 」だと思う。 


2011/2/19、私の記事

宇宙の果てまで続く「 小脳の可能性 」は、個人の主観的時間の「 過去 」の中で、「 過去の可能性 」であり、それは「 知識 」だろう。

限りなく続く「 小脳の可能性 」、「 運動可能性 」を、「 自分の今 」という主観的な「 現在 」で区切っていて、「 自我 」という楕円体を形成し、外側の「 殻 」が知識だろう。


それは、地上に生育している植物に似て、目に見えない地下の「 根 」が知識であり、自我のバイオリズムの全ての「 正弦波 」であり、太陽から生じる電磁波的な構造の意識により、「 自我 」という「 幹 」を作り、社会の中で自分の可能性を開花させ、文化という果実を作り、死亡により「 自我 」が消滅しても、個人のバイオリズムから生じた可能性が開花し消滅しただけで、人類の「 小脳の運動可能性 」の総量には変化がない。


一つの生き物に生と死があっても、「 小脳の運動可能性 」は、生により「 眠っていた可能性 」が「 目覚め 」て、死によって「 眠った可能性 」になっただけで総量に変化がないと考える。

知識には、主観的な「 過去と現在と未来 」を貫く可能性が存在しているかも知れない。

なぜなら、「 過去と現在と未来 」という時制は、バイオリズムが決定し、「 記憶 」はこれに「 可能性 」をフィットさせて「 知識 」とするが、「 死 」により「 記憶 」が消えても、別の人の「 記憶 」が、同様にして、「 可能性 」を「 復活 」させるからだ。


「 小脳の運動可能性 」から言えば、人間は可能性を目覚めさせる動物である。


日本の幕末で「 坂本龍馬 」が現れたのは、社会の隠れた運動可能性が、個人の可能性を通じて具現化したと考える。

その意味で、動物も植物も、生き物の「 運動可能性 」を「 現在 」に具現化する生き物である事では相違はない。

この「 運動可能性 」が、時空を超越する「 阿弥陀仏 」や「 創造主 」であるかも知れない。



2012/6/13、私の考え


これは、私だけの考えである。


以上の「 小脳の可能性 」や「 運動可能性 」は、「 行為の可能性 」であり、行為は人格を作るから、「 行為の可能性 」や「 運動可能性 」は、「 他の人格へ変容する、他の人格を選ぶ可能性や確率 」であると考える。


これまで書いて来たように、「 可能性 」は「 行為の可能性 」であり、「 人格形成の可能性 」であると思う。


その最高の人格が、「 阿弥陀仏 」や「 創造主 」であるかもしれない。



「 過去の時間 」や「 未来の時間 」は無く、「 現在 」に「 時間 」があり、過去や未来に時間があると思うのは、「 体験上の、記憶された時間 」であると思う。


宇宙の因果は「 因縁 」や「 縁起 」が結合し、記憶による時間で測定することが出来ない。


「 時間 」は現在にあり、「 行為 」だけが宇宙の因果に参加できると考えると、「 現在の行為可能性 」こそ、「 人格を変える機会 」であるかもしれない。


それは、「 善因善果、悪因悪果 」で、善い行為は善い結果を得るし、悪い行為は悪い結果を受け取ることになる。


「 小脳の無意識 」や「 小脳の運動可能性 」は、後日、書くことにする。
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2012/6/13、オカルト・Mの構造2・小脳の無意識

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/6/13、私の考え

「 小脳の無意識 」については、すでに以下のように書いていた。

………………………………………………

2010/5/13、私の考え



私は、ペンローズに賛成すると書いたが、彼は「 ビッグ・バン 」理論を支持するが、私は「 プラズマ宇宙論 」を支持するので、私の考えは違う。

彼が言う「 脳内 」は「 大脳内 」だと思うが、私は、意識は大脳で生じるかも知れないが、「 心 」は「 小脳の無意識 」であり、これが「 生命 」であり、「 動き 」を感じる箇所だから、私のブログでは、「 小脳 」を重視する。


彼が、「脳内の神経細胞にある微小管で、波動関数が収縮すると、意識が生起する」と「 微小管 」に注目したのには敬意を表する。

しかし、私は、食事によるエネルギーや外部の太陽光などのエネルギーが、小脳の無意識と結合する事により「 プラズマ宇宙論のビルケランド電流 」のように、「 微小管 」というフィラメントに「 電流 」が生起すると考える。


「 脳内の神経細胞にある微小管 」の「 微小管 」をフィラメントと考えて、意識ではなく「 電流 」が生起すると考える。


その電流が、小脳や脳幹で、細胞を分裂する「 酵素 」を分泌させ、DNA の「 らせん構造 」を解く時、左右の大脳の中で「 電流 」とは違う「 磁場 」とも言うべき「 意識 」が生じると考える。

小脳の無意識は、「 欲 」で、「 電流 」は行動を惹起する「 意欲 」であり、リズムと行動可能性という意識を伴った「 欲 」である。

「 意欲 」は、行動の範囲として具現化する。

行為や意欲が「 収縮 」であり、それを見た他者は、「 意識した 」と見えるのかも知れない。

量子力学は、「 意識 」を記述していると思うが、「 小脳の無意識 」や「 心 」の「 欲 」は、まだ解決していないと思う。


「 力学は小脳が感じる運動の学問 」であり、運動を感じる「 小脳 」を解明していないと思う。

科学者が、図形をイメージするが、それは「 運動の可能性 」という小脳の空間意識を具現化したもので、イメージの発想が「 小脳の無意識 」から、意識になった事であり、それを考えなくてはならないと思う。

しかし、昨日の記事の下記の部分は維持する。

「 私は、この「 意識 」は、染色体に関係するから、DNA に関係して、「 時間意識 」や「 空間意識 」だけでなく、「 自我意識 」や「 人格 」を形成する「 意識 」も同時に、発生すると思う。 」

………………………………………………

以上の流れから、「 小脳の無意識 」は「 欲 」であり、電流であり、「 生命 」であることになる。

私は「 生気論 」と「 プラズマ宇宙論 」を採用するから、「 小脳の無意識 」は「 気(ki)の無意識 」と規定する。

Tの分類では、「 小脳の無意識 」は「 気(ki)の無意識 」であり、「 欲 」であり「 電流 」であり、「 生命 」であるということになる。


Tの分類は、「 宇宙の因果や因縁 」の世界であるから、「 小脳の無意識 」はすでに、「 欲 」を持った「 生命 」として宇宙に存在していたというのが私の結論になる。


Tの「 現在の行為 」や「 無明 」は「 欲 」が原因となるものであり、人間は「 欲 」を持つ存在であり、生きるための欲が「 性欲 」ならば「 性欲 」を持つのであり、「 欲 」が意識されて、情(zyou)の「 意欲 」など、情(zyou)に着色され、「 情欲 」になったとき、「 人格 」となると考える。


「 欲 」が情(zyou)により着色された程度で、「 人格 」が決まるのかも知れない。

これについては、後日、書くことにする。
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2012年06月12日

2012/6/12、オカルト・思考エネルギー12・Mの構造1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。


2012/6/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


宇宙の連鎖は、「 因果関係 」の「 因縁や縁起 」の関係であり、連続し、人間の中では、気(ki)というエネルギーにより決められる「 現在 」の中で「 無明 」として現われ、自分の「 因果関係 」を決めるのは、自分の「 行為 」だろうと思う。


「 善因善果、悪因悪果」


善きことをすれば善きことが、悪しきことをすれば悪いことが我が身に起こる。


行為の結果は、全て自分の身に降り注ぐ。


宇宙の連鎖や因果関係を「 時間 」で測定することは出来るかもしれないが、「 時間は時間意識 」であるため、測定した結果は全て「 主観的 」であることは免れない。


気(ki)というエネルギーが「 現在 」を決め、「 行為 」は「 現在 」で行われ、「 時間 」は「 現在 」にしか存在しないと思う。


「 過去や未来 」に時間があると思うのは、「 体験上の時間意識 」であり、バイオリズムで決めた時間であると思う。


「 時間 」は、開始と終わりの目印を必要とする情(zyou)という感情や遺伝子情報による「 時間意識 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から「 不連続 」である。


情(zyou)は、感覚から派生する意識であり、「 体験上の時間意識 」であり、「 過去や未来 」を決め、「 形あるもの 」を根拠に判断するから、「 無常 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から不連続であると思う。


「 人格 」を「 一定の習慣化した無意識のバイオリズム 」と考え、「 人格による行為 」が「 現在 」行われて宇宙の連鎖に影響すると思えば、「 行為 」が情(zyou)と気(ki)を繋ぐ無意識の具現化と考える。



2012/6/12、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体



このように分けて、前述したように、私は考える。

T、の連想により、
宇宙の連鎖は、「 因果関係 」の「 因縁や縁起 」の関係であり、連続し、人間の中では、気(ki)というエネルギーにより決められる「 現在 」の中で「 無明 」として現われ、自分の「 因果関係 」を決めるのは、自分の「 行為 」だろうと思う。


「 善因善果、悪因悪果」


善きことをすれば善きことが、悪しきことをすれば悪いことが我が身に起こる。


行為の結果は、全て自分の身に降り注ぐ。


宇宙の連鎖や因果関係を「 時間 」で測定することは出来るかもしれないが、「 時間は時間意識 」であるため、測定した結果は全て「 主観的 」であることは免れない。


U、の連想により、

「 過去や未来 」に時間があると思うのは、「 体験上の時間意識 」であり、バイオリズムで決めた時間であると思う。


「 時間 」は、開始と終わりの目印を必要とする情(zyou)という感情や遺伝子情報による「 時間意識 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から「 不連続 」である。


情(zyou)は、感覚から派生する意識であり、「 体験上の時間意識 」であり、「 過去や未来 」を決め、「 形あるもの 」を根拠に判断するから、「 無常 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から不連続であると思う。


「 人格 」を「 一定の習慣化した無意識のバイオリズム 」と考え、「 人格による行為 」が「 現在 」行われて宇宙の連鎖に影響すると思えば、「 行為 」が情(zyou)と気(ki)を繋ぐ無意識の具現化と考える。



T、の無意識は、「 小脳の無意識 」であり、U、の無意識は「 大脳の無意識 」であると仮定する。

T、は「 関係 」であり、「 宇宙の空間関係 」であり「 因縁 」と「 縁起 」で成立し、人間の中では「 無明 」であり、気(ki)で決まる「 現在 」の中だけに存在する「 行為 」により、その因果を決定する。


U、はT、の「 関係 」を実体化する人間の思いで、「 時間 」は気(ki)で決まる「 現在 」に存在し、「 現在の時間 」を「 心的存在意識 」により「 存在する 」と思い、その体験で過去や未来に時間が存在すると思うのだと考える。


人間の死期や果物の実りが「 時間 」で計れないように、Tの「 因縁や縁起 」は「 関係 」であり、Uの「 時間意識 」では計れない。


物体に時間が存在すると考えるのは間違いで、物体を見る人間の体験上の時間意識を、物体の時間に置き換えて想像しているのだと思う。

それは、「 生命 」を「 肉体 」で説明することが不能であることも、私の結論になる。
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2012年06月09日

2012/6/9、オカルト・思考エネルギー11・行為

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2012/6/3、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


宇宙の「 無明 」と人間の「 無明 」は、地球上では地球の自転に気づかないように、共変しているのかも知れない。


「 無明 」は人間には無意識であり連続であるが、意識は「 始めと終わり 」を持つ物語であるから不連続であり、前者は「 因縁や縁起 」の組み合わせであり、時間を生む(空間)関係であり、後者は人間のバイオリズムや無意識から生じた「 心的存在意識 」の比較による「 時間意識 」であることは、これまで書いてきた。


前者が気(ki)で、後者が情(zyou)であれば、「 過去や現在や未来 」は後者が決め、個人的文化滝であるのに反し、前者は宇宙のプログラムであるため、人類に共通することになる。


宇宙に共通な「 無明 」が、「 因縁や縁起 」(複素数かも知れない)であり、それが人間では現在という時制の中での「 行為 」が、「 因縁や縁起 」を変化する要素になっている。


本や講演会の話など、情(zyou)という情報の中に「 可能性 」を発見するのは、「 行為の可能性 」であり「 他の人格になることの可能性 」であることは以前、書いた。


以上のことにより、次のことを考える。


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。



現在、生起することも、将来、生起することも、現在の自分の行為が基点になって、人格を形成すると思う。


この「 人格形成 」は、時間が経過すれば(老人になれば)、人格が良くなることはない。

「 時間 」で「 因縁や縁起 」を測定することは出来ないからだ。


人生で最後の行為の死ぬとき、人間の「 人格 」が現れると考えている。

「 人格は死にざまを決める 」


それは、偉人が死ぬときに書き記した文章をみれば理解することが出来ると思う。


2012/6/9、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


宇宙の連鎖は、「 因果関係 」の「 因縁や縁起 」の関係であり、連続し、人間の中では、気(ki)というエネルギーにより決められる「 現在 」の中で「 無明 」として現われ、自分の「 因果関係 」を決めるのは、自分の「 行為 」だろうと思う。


「 善因善果、悪因悪果」


善きことをすれば善きことが、悪しきことをすれば悪いことが我が身に起こる。


行為の結果は、全て自分の身に降り注ぐ。


宇宙の連鎖や因果関係を「 時間 」で測定することは出来るかもしれないが、「 時間は時間意識 」であるため、測定した結果は全て「 主観的 」であることは免れない。


気(ki)というエネルギーが「 現在 」を決め、「 行為 」は「 現在 」で行われ、「 時間 」は「 現在 」にしか存在しないと思う。


「 過去や未来 」に時間があると思うのは、「 体験上の時間意識 」であり、バイオリズムで決めた時間であると思う。


「 時間 」は、開始と終わりの目印を必要とする情(zyou)という感情や遺伝子情報による「 時間意識 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から「 不連続 」である。


情(zyou)は、感覚から派生する意識であり、「 体験上の時間意識 」であり、「 過去や未来 」を決め、「 形あるもの 」を根拠に判断するから、「 無常 」であり、「 何時でも同じ結果を示す 」から不連続であると思う。


「 人格 」を「 一定の習慣化した無意識のバイオリズム 」と考え、「 人格による行為 」が「 現在 」行われて宇宙の連鎖に影響すると思えば、「 行為 」が情(zyou)と気(ki)を繋ぐ無意識の具現化と考える。

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2012年06月03日

2012/6/3、オカルト・思考エネルギー10・Mは人格4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/5/21、私の記事


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


2012/5/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間は、「 生起 」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「 縁起 」(注)の領域であり、原因が結果となって現れるのを、Aの時間で予想することは出来ないだろう。


「 縁起 」とは、@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情(zyou)で作られる情報ではなく、人類には「 先験的 」であり、宇宙の誕生から死滅が「 無明 」であるように、「 無明 」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」であり、時制的には「 現在 」の「 今 」の無明として現れて、意識で「 無明 」と感じ、「 心的存在意識 」や「 行為 」によって、「 形 」に具現化するが、その「 行為 」が「 縁起 」になり、さらに先(未来)の結果を決めるという形で「 連続 」していると思う。


@の時間は「 現在 」の気(ki)の中の無明であり、現在の行為が情(zyou)で決まる未来の結果になり、「 行為の可能性 」は「 結果の可能性 」であり、現在の中で「 行為 」が「 人格 」であれば、「 他の人格になる可能性 」であると考える。

………(略)………………………


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。



2012/5/27、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間を、Aの時間で測定することは出来ないと思う。


「 存在 」を「 時間 」で表現するのではなく、「 存在 」は@の時間で、「 縁起の関係 」であり、「 時間 」は「 時間意識 」であり、Aの時間であり、「 関係 」を感覚に具現化するバイオリズムや無意識を伴い、@の時間が、人類は全て共通であるのに反し、Aの時間は、人類全てが相違する。


「 人間存在 」を時間で測定する(いつまで生きるか)ことは「 縁起 」の関係で不可能であり、それに注目すべきでなく、「 死 」を迎えるときには個人の「 人格 」が現れるのであり、大事なのは、どのような「 人格 」を持ったまま「 死 」を迎えるかであると思う。


人格は一瞬にして変わるものではなく、一刻、一刻と変わる「 他の人格になる可能性 」の中に、自分の人格を形成することにより、「 死 」を迎える人格が形成される。


「 いかに死すべきか 」は、個人の美意識であり、昔の人は「 武士道は死ぬこととみつけたり 」と、没我、献身に重きを置き、「 正義 」のために死すべきと考えたが、「 正義 」とは「 正しい人の道(人倫)」と解釈すれば、それは「 正義 」というC1(夢)を持って人格を形成しなければ、「 正義(人倫) 」にために死ぬことは出来ない。


「 人格は死にざまを決める 」


それは、時間が経過すれば人格が形成されるのではなく、縁起の中に自分の人格を形成する努力が必要であると思う。



2012/6/2、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。

存在と時間について


これまでの考えにより、「 存在 」する物は、「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊であると思う。


「 原因と結果 」の「 関係 」で「 連続 」しており、人間の場合は「 現在 」という気(ki)の中では「 行為 」であり、「 行為 」(例えば呼吸)を無意識に行っていることは、「 原因と結果 」の「 関係 」の中であることであり、「 可能性 」は、「 行為の可能性 」であり可能性を選ぶことは、「 無明 」の中での「 将来の人格の選択 」であり、「 現在の行為で将来の結果を決めている 」ことになる。


「 存在 」は「 無明 」であり、人間が無明の生物であることは、「 宇宙が無明である 」ことと同じだと思う。


「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊が、繰り返し生起する様子を「 心的存在意識 」として固定したものを、「 存在 」と呼び、その精神的な「 位置 」の比較から「 時間意識 」が生まれ、無意識のバイオリズムや「 体内時間 」により比較を実体化した「 時間 」が生まれると思う。


存在は「 無明 」であり、形成された「 心的存在意識 」や「 時間意識 」を「 無常 」であると感じると思う。


「 存在 」は「 無明 」であるが、人間が考える「 無常 」ではない。


「 無常 」は観念であり、不連続であるが「 無明 」である「 存在 」は「 因縁や縁起 」として連続している。


Aの不連続の「 時間意識 」を@の連続した「 因縁や縁起 」に当てはめた結果には、「 無常 」という答えがあると思う。


過去に時間は無く、未来の時間が無く、現在だけに時間があるのは「 時間意識 」が生命による感覚であり、無意識のバイオリズムや「 体内時間 」が「 現在 」にしか存在しないことで、その「 現在 」とは呼吸という行為が作りだす間(hazama)であると、現時点では考える。


「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊である「 存在 」を「 時間 」で測定することや予見することは出来ないと思う。


科学で原因と結果が時間的に判明すると、(一般的には)考えるが、エネルギーの結びつきは時間では測定できないと思う。


自分が何歳まで生きるか、あるいは人の余命が何時間か、あるいは樹木が果実を実らせる時間は何年かなどが不明であることは、根本的にエネルギーの塊である「 存在 」を「 時間 」で測定することや予見することは出来ないことを示していると思う。


科学で原因と結果が時間的に判明するというのは、人間の精神的な「 時間意識 」を「 存在 」に当てはめただけで、「 存在 」の時間など不明であるのが本当だと思う。


2012/6/3、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


宇宙の起源と終焉が不明であるように、人間の生死の行方は不明であり、私はそれを「 無明 」と呼んでいる。


仏教の「 無明 」ではない。


宇宙の「 無明 」と人間の「 無明 」は、地球上では地球の自転に気づかないように、共変しているのかも知れない。


「 無明 」は人間には無意識であり連続であるが、意識は「 始めと終わり 」を持つ物語であるから不連続であり、前者は「 因縁や縁起 」の組み合わせであり、時間を生む(空間)関係であり、後者は人間のバイオリズムや無意識から生じた「 心的存在意識 」の比較による「 時間意識 」であることは、これまで書いてきた。


前者が気(ki)で、後者が情(zyou)であれば、「 過去や現在や未来 」は後者が決め、個人的文化滝であるのに反し、前者は宇宙のプログラムであるため、人類に共通することになる。


宇宙に共通な「 無明 」が、「 因縁や縁起 」(複素数かも知れない)であり、それが人間では現在という時制の中での「 行為 」が、「 因縁や縁起 」を変化する要素になっている。


本や講演会の話など、情(zyou)という情報の中に「 可能性 」を発見するのは、「 行為の可能性 」であり「 他の人格になることの可能性 」であることは以前、書いた。


以上のことにより、次のことを考える。


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。




現在、生起することも、将来、生起することも、現在の自分の行為が基点になって、人格を形成すると思う。


この「 人格形成 」は、時間が経過すれば(老人になれば)、人格が良くなることはない。

「 時間 」で「 因縁や縁起 」を測定することは出来ないからだ。



人生で最後の行為の死ぬとき、人間の「 人格 」が現れると考えている。

「 人格は死にざまを決める 」


それは、偉人が死ぬときに書き記した文章をみれば理解することが出来ると思う。
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2012年06月02日

2012/6/2、オカルト・思考エネルギー9・Mは人格3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/5/21、私の記事


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


2012/5/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間は、「 生起 」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「 縁起 」(注)の領域であり、原因が結果となって現れるのを、Aの時間で予想することは出来ないだろう。


「 縁起 」とは、@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情(zyou)で作られる情報ではなく、人類には「 先験的 」であり、宇宙の誕生から死滅が「 無明 」であるように、「 無明 」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」であり、時制的には「 現在 」の「 今 」の無明として現れて、意識で「 無明 」と感じ、「 心的存在意識 」や「 行為 」によって、「 形 」に具現化するが、その「 行為 」が「 縁起 」になり、さらに先(未来)の結果を決めるという形で「 連続 」していると思う。


@の時間は「 現在 」の気(ki)の中の無明であり、現在の行為が情(zyou)で決まる未来の結果になり、「 行為の可能性 」は「 結果の可能性 」であり、現在の中で「 行為 」が「 人格 」であれば、「 他の人格になる可能性 」であると考える。

………(略)………………………


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。



2012/5/27、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間を、Aの時間で測定することは出来ないと思う。


「 存在 」を「 時間 」で表現するのではなく、「 存在 」は@の時間で、「 縁起の関係 」であり、「 時間 」は「 時間意識 」であり、Aの時間であり、「 関係 」を感覚に具現化するバイオリズムや無意識を伴い、@の時間が、人類は全て共通であるのに反し、Aの時間は、人類全てが相違する。


「 人間存在 」を時間で測定する(いつまで生きるか)ことは「 縁起 」の関係で不可能であり、それに注目すべきでなく、「 死 」を迎えるときには個人の「 人格 」が現れるのであり、大事なのは、どのような「 人格 」を持ったまま「 死 」を迎えるかであると思う。


人格は一瞬にして変わるものではなく、一刻、一刻と変わる「 他の人格になる可能性 」の中に、自分の人格を形成することにより、「 死 」を迎える人格が形成される。


「 いかに死すべきか 」は、個人の美意識であり、昔の人は「 武士道は死ぬこととみつけたり 」と、没我、献身に重きを置き、「 正義 」のために死すべきと考えたが、「 正義 」とは「 正しい人の道(人倫)」と解釈すれば、それは「 正義 」というC1(夢)を持って人格を形成しなければ、「 正義(人倫) 」にために死ぬことは出来ない。


「 人格は死にざまを決める 」


それは、時間が経過すれば人格が形成されるのではなく、縁起の中に自分の人格を形成する努力が必要であると思う。



2012/5/29、私の記事



これは、私だけの考えであり、同意を求めない。


Aの時間と@の時間の中のMの不連続と連続、意識や無意識と、無常と無明がどのような関係であるかについて考えた。


これらの前者が大脳の領域で、後者が小脳の領域であると思う。


@の時間が宇宙の時間(空間関係)で、Aの時間が、宇宙の時間(空間関係)に現れた物体の比較による時間意識だとすると、@の時間は因果関係であり、「 関係 」であるから自分の関わり合いにより、相手も変わることで連続し、Aの時間の中で「 無明 」と原因となる「 時制の未来に影響する現在の行為 」として現れると思う。


@の因果関係の原因と結果が連続し、現在の「 無明 」の中の「 行為 」が原因であり、見えない形の結果を、すでに含んでいるという意味で「 連続 」していると思う。


@は、無意識(バイオリズム)の中で「 行為 」する点で、Aの時間に属し、Aは感覚器官で把握する「 行為 」と「 行為 」の間(hazama)を比較する点で、不連続な時間となる。


@の時間が連続し、Aの時間が不連続であり、連続を保つために「 うるう年 」を設定するし、@の時間とAの時間を結ぶのが無意識(バイオリズム)であり、「 体内時計 」であるから、「 体内時間 」を無視し、「 振り子の時間 」を信用する科学では、「 時間 」を解明することは出来ないと思う。


人類のすべての時間が相違することは、@の因果関係においてもAの「 振り子の時間 」においても相違し、両者の「 無明 」と「 無常 」、連続と不連続の点でも「 相違 」するが、両者は無意識(バイオリズム)で連結するというのが、現時点で考えていることである。


@の時間が「 無明 」であることは、「 宇宙 」の始まりと終わりが不明であるという所で一致するから、人間が持つ「 無明 」を感じることは宇宙的であるかもしれない。


「 無明 」は気(ki)で、エネルギーであり小脳に属し、「 無常 」は情報や感情の情(zyou)でエネルギーから派生した感覚であり、前者が宇宙に通じるため空間的に無制限であり、後者は、「 体験 」に依存し、科学的、文化的であると思う。


2012/6/2、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。

存在と時間について


これまでの考えにより、「 存在 」する物は、「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊であると思う。


「 原因と結果 」の「 関係 」で「 連続 」しており、人間の場合は「 現在 」という気(ki)の中では「 行為 」であり、「 行為 」(例えば呼吸)を無意識に行っていることは、「 原因と結果 」の「 関係 」の中であることであり、「 可能性 」は、「 行為の可能性 」であり可能性を選ぶことは、「 無明 」の中での「 将来の人格の選択 」であり、「 現在の行為で将来の結果を決めている 」ことになる。


「 存在 」は「 無明 」であり、人間が無明の生物であることは、「 宇宙が無明である 」ことと同じだと思う。


「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊が、繰り返し生起する様子を「 心的存在意識 」として固定したものを、「 存在 」と呼び、その精神的な「 位置 」の比較から「 時間意識 」が生まれ、無意識のバイオリズムや「 体内時間 」により比較を実体化した「 時間 」が生まれると思う。


存在は「 無明 」であり、形成された「 心的存在意識 」や「 時間意識 」を「 無常 」であると感じると思う。


「 存在 」は「 無明 」であるが、人間が考える「 無常 」ではない。


「 無常 」は観念であり、不連続であるが「 無明 」である「 存在 」は「 因縁や縁起 」として連続している。


Aの不連続の「 時間意識 」を@の連続した「 因縁や縁起 」に当てはめた結果には、「 無常 」という答えがあると思う。


過去に時間は無く、未来の時間が無く、現在だけに時間があるのは「 時間意識 」が生命による感覚であり、無意識のバイオリズムや「 体内時間 」が「 現在 」にしか存在しないことで、その「 現在 」とは呼吸という行為が作りだす間(hazama)であると、現時点では考える。


「 因縁 」の絡み合いであり、「 原因 」と「 結果 」の組み合わせであり、エネルギーの塊である「 存在 」を「 時間 」で測定することや予見することは出来ないと思う。


科学で原因と結果が時間的に判明すると、(一般的には)考えるが、エネルギーの結びつきは時間では測定できないと思う。


自分が何歳まで生きるか、あるいは人の余命が何時間か、あるいは樹木が果実を実らせる時間は何年かなどが不明であることは、根本的にエネルギーの塊である「 存在 」を「 時間 」で測定することや予見することは出来ないことを示していると思う。


科学で原因と結果が時間的に判明するというのは、人間の精神的な「 時間意識 」を「 存在 」に当てはめただけで、「 存在 」の時間など不明であるのが本当だと思う。

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2012年05月29日

2012/5/29、オカルト・思考エネルギー8・Mは人格2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/5/21、私の記事


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


2012/5/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間は、「 生起 」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「 縁起 」(注)の領域であり、原因が結果となって現れるのを、Aの時間で予想することは出来ないだろう。


「 縁起 」とは、@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情(zyou)で作られる情報ではなく、人類には「 先験的 」であり、宇宙の誕生から死滅が「 無明 」であるように、「 無明 」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」であり、時制的には「 現在 」の「 今 」の無明として現れて、意識で「 無明 」と感じ、「 心的存在意識 」や「 行為 」によって、「 形 」に具現化するが、その「 行為 」が「 縁起 」になり、さらに先(未来)の結果を決めるという形で「 連続 」していると思う。


@の時間は「 現在 」の気(ki)の中の無明であり、現在の行為が情(zyou)で決まる未来の結果になり、「 行為の可能性 」は「 結果の可能性 」であり、現在の中で「 行為 」が「 人格 」であれば、「 他の人格になる可能性 」であると考える。

………(略)………………………


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。



2012/5/27、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間を、Aの時間で測定することは出来ないと思う。


「 存在 」を「 時間 」で表現するのではなく、「 存在 」は@の時間で、「 縁起の関係 」であり、「 時間 」は「 時間意識 」であり、Aの時間であり、「 関係 」を感覚に具現化するバイオリズムや無意識を伴い、@の時間が、人類は全て共通であるのに反し、Aの時間は、人類全てが相違する。


「 人間存在 」を時間で測定する(いつまで生きるか)ことは「 縁起 」の関係で不可能であり、それに注目すべきでなく、「 死 」を迎えるときには個人の「 人格 」が現れるのであり、大事なのは、どのような「 人格 」を持ったまま「 死 」を迎えるかであると思う。


人格は一瞬にして変わるものではなく、一刻、一刻と変わる「 他の人格になる可能性 」の中に、自分の人格を形成することにより、「 死 」を迎える人格が形成される。


「 いかに死すべきか 」は、個人の美意識であり、昔の人は「 武士道は死ぬこととみつけたり 」と、没我、献身に重きを置き、「 正義 」のために死すべきと考えたが、「 正義 」とは「 正しい人の道(人倫)」と解釈すれば、それは「 正義 」というC1(夢)を持って人格を形成しなければ、「 正義(人倫) 」にために死ぬことは出来ない。


「 人格は死にざまを決める 」


それは、時間が経過すれば人格が形成されるのではなく、縁起の中に自分の人格を形成する努力が必要であると思う。



2012/5/29、私の考え



これは、私だけの考えであり、同意を求めない。


Aの時間と@の時間の中のMの不連続と連続、意識や無意識と、無常と無明がどのような関係であるかについて考えた。


これらの前者が大脳の領域で、後者が小脳の領域であると思う。


@の時間が宇宙の時間(空間関係)で、Aの時間が、宇宙の時間(空間関係)に現れた物体の比較による時間意識だとすると、@の時間は因果関係であり、「 関係 」であるから自分の関わり合いにより、相手も変わることで連続し、Aの時間の中で「 無明 」と原因となる「 時制の未来に影響する現在の行為 」として現れると思う。


@の因果関係の原因と結果が連続し、現在の「 無明 」の中の「 行為 」が原因であり、見えない形の結果を、すでに含んでいるという意味で「 連続 」していると思う。


@は、無意識(バイオリズム)の中で「 行為 」する点で、Aの時間に属し、Aは感覚器官で把握する「 行為 」と「 行為 」の間(hazama)を比較する点で、不連続な時間となる。


@の時間が連続し、Aの時間が不連続であり、連続を保つために「 うるう年 」を設定するし、@の時間とAの時間を結ぶのが無意識(バイオリズム)であり、「 体内時計 」であるから、「 体内時間 」を無視し、「 振り子の時間 」を信用する科学では、「 時間 」を解明することは出来ないと思う。


人類のすべての時間が相違することは、@の因果関係においてもAの「 振り子の時間 」においても相違し、両者の「 無明 」と「 無常 」、連続と不連続の点でも「 相違 」するが、両者は無意識(バイオリズム)で連結するというのが、現時点で考えていることである。


@の時間が「 無明 」であることは、「 宇宙 」の始まりと終わりが不明であるという所で一致するから、人間が持つ「 無明 」を感じることは宇宙的であるかもしれない。


「 無明 」は気(ki)で、エネルギーであり小脳に属し、「 無常 」は情報や感情の情(zyou)でエネルギーから派生した感覚であり、前者が宇宙に通じるため空間的に無制限であり、後者は、「 体験 」に依存し、科学的、文化的であると思う。

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2012年05月27日

2012/5/27、オカルト・思考エネルギー7・記憶と時間5

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/5/21、私の記事


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


2012/5/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間は、「 生起 」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「 縁起 」(注)の領域であり、原因が結果となって現れるのを、Aの時間で予想することは出来ないだろう。


「 縁起 」とは、@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情(zyou)で作られる情報ではなく、人類には「 先験的 」であり、宇宙の誕生から死滅が「 無明 」であるように、「 無明 」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」であり、時制的には「 現在 」の「 今 」の無明として現れて、意識で「 無明 」と感じ、「 心的存在意識 」や「 行為 」によって、「 形 」に具現化するが、その「 行為 」が「 縁起 」になり、さらに先(未来)の結果を決めるという形で「 連続 」していると思う。


@の時間は「 現在 」の気(ki)の中の無明であり、現在の行為が情(zyou)で決まる未来の結果になり、「 行為の可能性 」は「 結果の可能性 」であり、現在の中で「 行為 」が「 人格 」であれば、「 他の人格になる可能性 」であると考える。

………(略)………………………


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。



2012/5/27、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間を、Aの時間で測定することは出来ないと思う。


「 存在 」を「 時間 」で表現するのではなく、「 存在 」は@の時間で、「 縁起の関係 」であり、「 時間 」は「 時間意識 」であり、Aの時間であり、「 関係 」を感覚に具現化するバイオリズムや無意識を伴い、@の時間が、人類は全て共通であるのに反し、Aの時間は、人類全てが相違する。


「 人間存在 」を時間で測定する(いつまで生きるか)ことは「 縁起 」の関係で不可能であり、それに注目すべきでなく、「 死 」を迎えるときには個人の「 人格 」が現れるのであり、大事なのは、どのような「 人格 」を持ったまま「 死 」を迎えるかであると思う。


人格は一瞬にして変わるものではなく、一刻、一刻と変わる「 他の人格になる可能性 」の中に、自分の人格を形成することにより、「 死 」を迎える人格が形成される。


「 いかに死すべきか 」は、個人の美意識であり、昔の人は「 武士道は死ぬこととみつけたり 」と、没我、献身に重きを置き、「 正義 」のために死すべきと考えたが、「 正義 」とは「 正しい人の道(人倫)」と解釈すれば、それは「 正義 」というC1(夢)を持って人格を形成しなければ、「 正義(人倫) 」にために死ぬことは出来ない。


「 人格は死にざまを決める 」


それは、時間が経過すれば人格が形成されるのではなく、縁起の中に自分の人格を形成する努力が必要であると思う。


E=M×C1×C2により、人格(無意識な行為)を、C1(夢)とC2(構想力)で形成することが、自分が満足して死ぬことが出来ることに通じると思っている。
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2012年05月26日

2012/5/26、オカルト・思考エネルギ6・記憶と時間4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。




2012/5/21、私の記事


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


2012/5/26、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


@の時間は、「 生起 」する時間であり、原因と条件の組み合わせであり「 縁起 」(注)の領域であり、原因が結果となって現れるのを、Aの時間で予想することは出来ないだろう。


「 縁起 」とは、@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、物事の事物も生起する時間も、原因と条件で成立するが、情(zyou)で作られる情報ではなく、人類には「 先験的 」であり、宇宙の誕生から死滅が「 無明 」であるように、「 無明 」であり、それは、宇宙の一部であるかも知れない。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」であり、時制的には「 現在 」の「 今 」の無明として現れて、意識で「 無明 」と感じ、「 心的存在意識 」や「 行為 」によって、「 形 」に具現化するが、その「 行為 」が「 縁起 」になり、さらに先(未来)の結果を決めるという形で「 連続 」していると思う。


@の時間は「 現在 」の気(ki)の中の無明であり、現在の行為が情(zyou)で決まる未来の結果になり、「 行為の可能性 」は「 結果の可能性 」であり、現在の中で「 行為 」が「 人格 」であれば、「 他の人格になる可能性 」であると考える。


Aの時間の「 連続 」は、バイオリズムや無意識や体験によるが、@の時間の「 連続 」は「 原因が結果になる 」という意味で連続し、Aの時間で測定することは出来ないと思う。


@の時間は、連続していて、物体が原子や中性子などの組み合わせで成立しているように、「 縁起 」の組み合わせの状態で存続し、「 無明 」である状態は「 時間は虚数 」である状態で、Aの時間による「 記憶による虚数を乗じることにより 」、実時間としてバイオリズムや無意識が時間を実感し、目に見える物で判断した不連続の「 時間意識 」を生じ(連続と考えるのはバイオリズムによる体験上からの判断)、体験上で「 無常 」となると思う。


@の時間を基礎にして、@の時間が「 現在 」を決める気(ki)として現れ、「 過去や未来 」を決める情(zyou)の「 記憶 」によりAの時間意識を生じ、無明が「 形 」になった瞬間に「 無常 」となると考える。


@の時間の「 無明 」や「 現在 」の「 無明 」は物を生起するエネルギーであり、先験的というのは、判断が不能であることだと思うが、それは宇宙の「 無明 」と共変していることであり、人生が無明であるのは、宇宙の産物のひとつであることの証明であると思う。


気(ki)に中の「 現在 」で可能な「 行為 」が、情(zyou)が決める「 未来 」の自分を作る。

善いことを行為すれば、善い結果となって自分に戻って来る。

悪いことを行為すれば、悪い結果となって自分に戻って来る。


これを「 善因善果、悪因悪果 」というが、「 行為 」を「 人格の現れ 」と考えるならば、「 人格 」が結果となって現れるという結論になる。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%81%E8%B5%B7

縁起(えんぎ)


仏教における縁起(えんぎ、サンスクリット:pratiitya-samutpaada、パーリ語:paTicca-samuppaada)は、仏教の根幹をなす思想の一つで、世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って生滅変化しているという考え方を指す。縁起の語は「因縁生起」(いんねんしょうき)の略で、「因」は結果を生じさせる直接の原因、「縁」はそれを助ける外的な条件のことである。
ある結果が生じる時には、直接の原因(近因)だけではなく、直接の原因を生じさせた原因やそれ以外の様々な間接的な原因(遠因)も含めて、あらゆる存在が互いに関係しあうことで、それら全ての関係性の結果として、ある結果が生じるという考え方である。 なお、その時の原因に関しては、数々の原因の中でも直接的に作用していると考えられる原因のみを「因」と考え、それ以外の原因は「縁」と考えるのが一般的である。

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2012年05月21日

2012/5/21、オカルト・思考エネルギー5・記憶と時間3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれ、@は、出来事により脳にストレスを生じさせ(遠近でもストレスを生じる)、Aは、@により生じたストレスとストレスの間(hazama)を数えることだと考え、@は連続した時間でありAは、脳の電磁波により不連続と考える。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれるとは、五感で感じる光や音は「 波動 」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「 記憶 」であり、「 波動 」がストレスという「 粒子 」に変換され、大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると考えると、Aの一秒や一時間という「 時間意識 」は、ストレスの周期を数えているのであり、@の天体の関係からの、因果の「 時間 」とは相違すると思う。


Aの「 時間意識 」はバオリズム(体内時計)であり、「 記銘 」と「 想起 」という記憶により「 時間がある 」と思うが、それは「 時間の保持 」ではなく、ストレスを数えるバイオリズムによる「 時間の予想 」であり、「 記銘 」したり「 想起 」したりする瞬間に「 時間は無く 」、不連続の時間であり、虚数の時間であり、それに反して、@は、ストレスを作る「 関係 」として存在し、連続する実時間であると考える。


Aの時間が不連続というのは、目で見ることができる出来事(一定の関係)の間(hazama)を計測することにより、「 時間意識 」が生まれ、出来事は連続であるが、間(hazana)を計測する限り不連続であると思う。


Aは、文化的であり民族的であり、文化を生む情(zyou)であり、@は、情(zyou)の有無に関わらず気(ki)も情(zyou)も生むと思う。


「 うるう年 」の存在は、@とAに相違があることを証明していると思う。


Aにより、音楽や絵画や彫刻などの芸術が生まれるが、@を表現したとき、「 時代の先取り 」と呼ばれるのだろう。


Aの中で@を捕らえるのがC1(夢)やC2(構想力)であると思う。


人間は、目に見える形の経過の変化で「 時間 」を知り、Aの形で「 時間 」を把握し、不連続な「 時間意識 」であるが、「 時間を保持する 」とはバイオリズムが連続しているので、「 連続した時間 」だと感じるのだと思う。


「 連続した時間 」は天体の運動の関係として有るのだが、人間の場合は、映画を見るように不連続な場面を、感覚器官のバイオリズムにより連続していると思うのであり、感覚器官を使わない「 夢 」の中では「 時間 」を感じない。


2012/5/21、私の考え


これは私だけの考えであり、同調を求めない。


Aの時間は、感覚器官の「 時間意識 」であり、バイオリズムによる情(zyou)であり、過去や未来を決める。


過去に時間が有ったのであり、未来に時間が有るだろうが、それはバイオリズムによる「 体験としての時間 」であり、実体と思うだろうが、記憶に依存するから、本当の時間ではない。


@の「 時間 」は「 空間関係による時間 」であり、因果の時間であり、「 善因善果、悪因悪果 」として現実に具現化すると考える。


Aの時間で@を測定することは出来ず、@の時間が、記憶による現実的な時間ではない。


@の時間は、「 原因と結果 」の間(hazama)であり、Aの時間の間(hazama)のように文化的でも社会的でもなく、文化以前の生起の間(hazama)であり、Aの時間で測定不能の間(hazama)である。


人間は、この二つの時間で成立し、@の時間は細胞の生死の時間であり、Aの時間は、細胞が持つバイオリズムから生じた時間意識だと思う。


@の時間が宇宙の時間であり、Aは人間の時間意識であると思う。


果実が実る時間として「 桃栗三年、柿八年 」というが、人間のバイオリズムで、生物の生育を測定することは出来ず、「 三年と一日 」を経過した場合は、測定自体が間違いであったということだと思う。


自然が持つ原因と結果の間(hazama)が測定可能ならば、人間が死亡する時間も測定することが出来ることになると思う。

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2012年05月20日

2012/5/20、オカルト・思考エネルギー4・Mは人格

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれ、@は、出来事により脳にストレスを生じさせ(遠近でもストレスを生じる)、Aは、@により生じたストレスとストレスの間(hazama)を数えることだと考え、@は連続した時間でありAは、脳の電磁波により不連続と考える。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれるとは、五感で感じる光や音は「 波動 」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「 記憶 」であり、「 波動 」がストレスという「 粒子 」に変換され、大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると考えると、Aの一秒や一時間という「 時間意識 」は、ストレスの周期を数えているのであり、@の天体の関係からの、因果の「 時間 」とは相違すると思う。


Aの「 時間意識 」はバオリズム(体内時計)であり、「 記銘 」と「 想起 」という記憶により「 時間がある 」と思うが、それは「 時間の保持 」ではなく、ストレスを数えるバイオリズムによる「 時間の予想 」であり、「 記銘 」したり「 想起 」したりする瞬間に「 時間は無く 」、不連続の時間であり、虚数の時間であり、それに反して、@は、ストレスを作る「 関係 」として存在し、連続する実時間であると考える。


Aの時間が不連続というのは、目で見ることができる出来事(一定の関係)の間(hazama)を計測することにより、「 時間意識 」が生まれ、出来事は連続であるが、間(hazana)を計測する限り不連続であると思う。


Aは、文化的であり民族的であり、文化を生む情(zyou)であり、@は、情(zyou)の有無に関わらず気(ki)も情(zyou)も生むと思う。


「 うるう年 」の存在は、@とAに相違があることを証明していると思う。


Aにより、音楽や絵画や彫刻などの芸術が生まれるが、@を表現したとき、「 時代の先取り 」と呼ばれるのだろう。


Aの中で@を捕らえるのがC1(夢)やC2(構想力)であると思う。


人間は、目に見える形の経過の変化で「 時間 」を知り、Aの形で「 時間 」を把握し、不連続な「 時間意識 」であるが、「 時間を保持する 」とはバイオリズムが連続しているので、「 連続した時間 」だと感じるのだと思う。


「 連続した時間 」は天体の運動の関係として有るのだが、人間の場合は、映画を見るように不連続な場面を、感覚器官のバイオリズムにより連続していると思うのであり、感覚器官を使わない「 夢 」の中では「 時間 」を感じない。


現時点では、Mは出来事(場面や音楽)の波動がストレスと記憶により粒子化し、情(zyou)の「 一定の関係 」として「 心的存在意識 」となるが、内容は波動であり、「 記銘 」と「 想起 」することにより実時間となって実体化すると考える。


2012/5/20、私の考え


これは、私の考えであり、同調を求めない。

私は、以前、E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2と書いた。

Eは、思考エネルギーであり、人格形成のエネルギーであると思うからだ。

そしてMは情(zyou)であり、個人の意識や無意識や遺伝子情報や行為も含む全人格を形成する情報であると考える。

これまで書いたように、なぜ「 時間 」を問題にするかと言えば、「 時間は生命である 」と思うからだ。

@時間を創る空間関係(因果の時間)

A人間が考える時間(時間意識)


@は人類が破滅しても存在するだろうが、Aは人間だけにある事は、前述したとおりである。

Aは、地球上にいる限り空間関係による時間も違うし、私は、主観的時間はバイオリズムや無意識により決まるから、人類は全て、内面的にも「 時間 」は相違すると考える。


Mは情(zyou)であり、個人の意識や無意識や遺伝子情報や行為も含む全人格を形成する情報であると考えると、情(zyou)は全て、内面的に相違するし、すべてが時間的である。


小脳のストレスや大脳の記憶に関係するから「 時間 」は生命であり、「 時間意識 」は生命を感じることであり、感覚器官は、自分と違う動きをする(加速度運動)物体しか「 時間 」を感じることができず、自分と共変する物体は「 静止 」(連続)と考え、その「 静止 」(連続)から、「 無明 」という意識が生じると思う。

その「 無明 」を形にしたのが「 心的存在意識 」であり、「 無常 」という意識が生じるだろうと思う。

Mは情(zyou)であり、個人の意識や無意識や遺伝子情報や行為も含む全人格を形成する情報であり、時間的、文化的であり、個人のバイオリズムや無意識や記憶の「 塊 」(一定の関係)であると思う。

Mの発生原因は「 波動 」であることは以前に書いた。

Mは情(zyou)であるが、「 心 」でもあり、その表現である「 人格 」でもある。

それは、繰り返し書いたことだが、「 可能性を考える 」とは、「 どんな人格になる 」かの選択である。

人は、「 六道 」のひとつに投げいれられて、人格を向上するように創られているのであり、寿命という生命を通して、時間が生命であることに気づき、一瞬を輝いて生きることが「 生きること 」であると思う。

そのエネルギーがE=M×C1×C2であるというのが私の考えである。
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2012年05月19日

2012/5/19、オカルト・思考エネルギー3・記憶と時間2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2012/5/13、私の記事


これは私の考えであり同調を求めない。


「 時間意識 」とバイオリズムを考えるとき、「 記憶 」の問題に対する考えは不可欠だろう。


私は心理学者や脳科学者ではないから、「 知識 」は持っていないので、「 知識 」を求める人はここを去って欲しい。


記憶の「 記銘 」や「 保持 」があると思うが、私は「 意識は電磁波に似たもの 」であると思うから、私の立場からの「 記銘 」や「 想起 」を考える。


前述のように、「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


五感で感じる光や音は「 波動 」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「 記憶 」であると思う。


「 波動 」がストレスという「 粒子 」に変換されると考える。


大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると思う。


「 時間 」も同様に考える。


「 時間意識 」は電磁波による「 記銘 」と「 想起 」であり、その記銘した時と時の「 間(hazama) 」は、個人のバイオリズムにより相違する。


スポーツの競技者やピアニストの時間意識が「 時計 」のように正確なのは、競技者やピアニストの中に習練で得たバイオリズム(体内時計)が正確であることだろう。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思うから、「 時間 」は「 虚数 」として存在すると思う。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると思うから、「 記銘 」した時点で「 時間は存在せず 」、想起や予想する「 時間も存在しない 」。


「 記銘すること 」と「 想起すること 」が複素数であり、それを乗じた時「 時間は存在する 」と考える。


過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


「 記銘すること 」と「 想起すること 」が複素数であり、記憶は両者が一体となってバイオリズム上での「 実体 」を形成すると思う。


2012/5/19、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。

私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれ、@は、出来事により脳にストレスを生じさせ(遠近でもストレスを生じる)、Aは、@により生じたストレスとストレスの間(hazama)を数えることだと考え、@は連続した時間でありAは、脳の電磁波により不連続と考える。


@とAはバイオリズムやストレスで結ばれるとは、五感で感じる光や音は「 波動 」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「 記憶 」であり、「 波動 」がストレスという「 粒子 」に変換され、大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると考えると、Aの一秒や一時間という「 時間意識 」は、ストレスの周期を数えているのであり、@の天体の関係からの、因果の「 時間 」とは相違すると思う。


Aの「 時間意識 」はバオリズム(体内時計)であり、「 記銘 」と「 想起 」という記憶により「 時間がある 」と思うが、それは「 時間の保持 」ではなく、ストレスを数えるバイオリズムによる「 時間の予想 」であり、「 記銘 」したり「 想起 」したりする瞬間に「 時間は無く 」、不連続の時間であり、虚数の時間であり、それに反して、@は、ストレスを作る「 関係 」として存在し、連続する実時間であると考える。


Aの時間が不連続というのは、目で見ることができる出来事(一定の関係)の間(hazama)を計測することにより、「 時間意識 」が生まれ、出来事は連続であるが、間(hazana)を計測する限り不連続であると思う。


Aは、文化的であり民族的であり、文化を生む情(zyou)であり、@は、情(zyou)の有無に関わらず気(ki)も情(zyou)も生むと思う。


「 うるう年 」の存在は、@とAに相違があることを証明していると思う。


Aにより、音楽や絵画や彫刻などの芸術が生まれるが、@を表現したとき、「 時代の先取り 」と呼ばれるのだろう。


Aの中で@を捕らえるのがC1(夢)やC2(構想力)であると思う。


人間は、目に見える形の経過の変化で「 時間 」を知り、Aの形で「 時間 」を把握し、不連続な「 時間意識 」であるが、「 時間を保持する 」とはバイオリズムが連続しているので、「 連続した時間 」だと感じるのだと思う。


「 連続した時間 」は天体の運動の関係として有るのだが、人間の場合は、映画を見るように不連続な場面を、感覚器官のバイオリズムにより連続していると思うのであり、感覚器官を使わない「 夢 」の中では「 時間 」を感じない。


現時点では、Mは出来事(場面や音楽)の波動がストレスと記憶により粒子化し、情(zyou)の「 一定の関係 」として「 心的存在意識 」となるが、内容は波動であり、「 記銘 」と「 想起 」することにより実時間となって実体化すると考える。

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2012年05月13日

2012/5/13、オカルト・思考エネルギー2・M(記憶と時間)

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2012/5/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであり、同意を求めない。


E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2のC1は「 夢 」であり、C2は「 構想力 」であると書いたが、Mについては書いていない。


Mについては次のように考える。


E(人格形成のエネルギー)の全体が「 無明 」であり、気(ki)であり、Mは質量、即ち「 個人の習慣化した一定の関係 」であり、遺伝子情報や全ての物語である情(zyou)であり、常に変化するものであり「 無常 」を形成すると思う。


呼吸で決まる「 今 」「 現在 」という気(ki)は可能性が現実化したものであり、「 関係 」が「 実体 」となっているが、その中には情(zyou)という「 無常 」な「 関係 」を内包し、「 無明 」であると同時に「 無常 」であると思う。


Mが情(zyou)であるから、今まで考えた@関係と実体A無常と無明B情(zyou)と気(ki)C「 時間意識 」とバイオリズムなどの考えを内包し、前者が「 意識 」で「 大脳 」の問題、後者が「 無意識 」で「 小脳 」の問題になると思う。


この中でBの「 時間意識 」とバイオリズムに重点を置くことにする。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在すると思う。


過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


2012/5/13、私の考え


これは私の考えであり同調を求めない。


「 時間意識 」とバイオリズムを考えるとき、「 記憶 」の問題に対する考えは不可欠だろう。


私は心理学者や脳科学者ではないから、「 知識 」は持っていないので、「 知識 」を求める人はここを去って欲しい。


記憶の「 記銘 」や「 保持 」があると思うが、私は「 意識は電磁波に似たもの 」であると思うから、私の立場からの「 記銘 」や「 想起 」を考える。


前述のように、「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


五感で感じる光や音は「 波動 」であり、それを体内に取り入れたとき、小脳のストレスとなり、それを大脳で記録するのが「 記憶 」であると思う。


「 波動 」がストレスという「 粒子 」に変換されると考える。


大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると思う。


「 時間 」も同様に考える。


「 時間意識 」は電磁波による「 記銘 」と「 想起 」であり、その記銘した時と時の「 間(hazama) 」は、個人のバイオリズムにより相違する。


スポーツの競技者やピアニストの時間意識が「 時計 」のように正確なのは、競技者やピアニストの中に習練で得たバイオリズム(体内時計)が正確であることだろう。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思うから、「 時間 」は「 虚数 」として存在すると思う。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在し、大脳は「 現時点での情(zyou)」で小脳のストレスを電磁波で「 記銘 」するのであり、体験したバイオリズムで「 記銘 」したものを、電磁波で「 想起 」すると思うから、「 記銘 」した時点で「 時間は存在せず 」、想起や予想する「 時間も存在しない 」。


「 記銘すること 」と「 想起すること 」が複素数であり、それを乗じた時「 時間は存在する 」と考える。


過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


「 記銘すること 」と「 想起すること 」が複素数であり、記憶は両者が一体となってバイオリズム上での「 実体 」を形成すると思う。

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2012年05月09日

2012/5/9、オカルト・思考エネルギー1・M1

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。



2012/4/28、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

@「 夢 」は、睡眠中での脳の作用であり、それ自体を認識することは出来ない。


A「 夢 」を語るのは、「 夢の記憶 」であり、それは、覚醒したときの「 構想力 」であるから、「 夢診断 」の「 性衝動 」は「 構想力 」である。


B @とAより、「 夢診断 」などは不可能であり、情(zyou)や記憶により思い出した「 夢 」を分析して過去や未来を決定し、予想するのは、現実の「 夢を利用した 」性格判断である。


この理由により、「 性衝動 」が無意識であり、生命であるとは思うが、私は賛成しない。


無意識は「 性衝動 」より範囲が広く、「 性 」だけでは判断することは出来ないと考えるし、「 意識 」も解明していないのに、「 性衝動 」だけが無意識であるとは思わない。



C 私は、E(人格形成のエネルギー)は、E=M×C1×C2と考え、「 C1(夢) 」は、睡眠中の記憶を問題にするのではなく、「 覚醒時の夢 」を考え、「 C1(夢) 」は「 大志 」と考え、その具現化が、現実の「 行為 」であるから、 E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2が具現化した行為は「 人格の表現 」であると思う。


C1(夢)を覚醒状態のとき見るとき、エネルギーとなると思う。


C1の「 夢 」あるいは「 大志や目的 」の方向に、「 プラス思考 」は、「 プラスの構想力 」、「 マイナス思考 」は「 マイナスの構想力 」が働き、行為が習慣的になり、Mの「 一定の関係・心的存在意識 」を作り、それが他人には「 物 」と見られ、「 その人の人格 」と判断されると思う。


E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2が具現化した行為は「 人格の表現 」で、M(一定の関係・心的存在意識)になったとき、「 人物 」となるが、他者が私を「 人物 」と認めたとき、私の中では「 さらなる人格の具現化 」が始まっている。


その構造が、「 志向性 」や「 指向性 」であると考える。


「 志向性 」とは、すべての意識が常にある何ものかについての意識であるという意識の特性をいい、物質的、自然的現象から区別された心的現象を分析するが、私は賛成しない。


「 何者かについての意識 」の「 何者 」とは、「 C1(夢) 」であり、「 志向性 」はC1(夢)の具現化に向かう(無意識の)エネルギーであると思う。


C1(夢)は、行為の可能性であり、一般的には過去に「 夢 」を見ると言うだろうが、私は、C1(夢)は、覚醒時のC2(想定)と同じだが、C2(想定)が因果関係などの合理的な関係に従うのに反し、C1(夢)は合理的な関係に従わないことが相違すると考える。


意識はC1(夢)や行為の可能性を具現化するため、即ち人格を形成するために「 志向性 」という特性を持つと思う。


意識の志向性を考えるとは、意識の対象の心的現象を考えることで止まらず、C1(夢)に向かって、行為し、人格の形成を考えることまで発展すると思う。


私は、E(人格形成のエネルギー)は、E=M×C1×C2と考え、「 C1(夢) 」は、睡眠中の記憶を問題にするのではなく、「 覚醒時の夢 」を考え、「 C1(夢) 」は「 大志 」と考え、その具現化が、現実の「 行為 」であり、 E=M×C1×C2というエネルギーが「 心的現象 」であり、それが具現化した行為は「 人格の表現 」と思う。



ここで、私だけの考えは、さらに続く。


C1(夢)は、バイオリズムなどの物質波で、C2(構想力)は、脳や心臓を動かす電磁波で、これがMという遺伝子情報や知識など全ての情報を含む情(zyou)のバランスを変化させるとき、「 人格 」に大きなエネルギーを発生させると考える。


反対に「 人格 」が変化したときは、E=M×C1×C2のバランスが変化したときと考える。


E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2という無意識の「 エネルギー 」を生むC1(夢)が「 志向性 」や「 指向性 」を生み、人格の形成に進むから、コンピューターにとって志向性というエネルギーが判断不能であることは言うまでもない。


2012/5/9、私の考え


これは、私だけの考えであり、思考のモルモットであり、同意を求めない。


E(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2のC1は「 夢 」であり、C2は「 構想力 」であると書いたが、Mについては書いていない。


Mについては次のように考える。


E(人格形成のエネルギー)の全体が「 無明 」であり、気(ki)であり、Mは質量、即ち「 個人の習慣化した一定の関係 」であり、遺伝子情報や全ての物語である情(zyou)であり、常に変化するものであり「 無常 」を形成すると思う。


呼吸で決まる「 今 」「 現在 」という気(ki)は可能性が現実化したものであり、「 関係 」が「 実体 」となっているが、その中には情(zyou)という「 無常 」な「 関係 」を内包し、「 無明 」であると同時に「 無常 」であると思う。


Mが情(zyou)であるから、今まで考えた@関係と実体A無常と無明B情(zyou)と気(ki)C「 時間意識 」とバイオリズムなどの考えを内包し、前者が「 意識 」で「 大脳 」の問題、後者が「 無意識 」で「 小脳 」の問題になると思う。


この中でBの「 時間意識 」とバイオリズムに重点を置くことにする。


「 今 」「 現在 」の気(ki)の中でだけ、「 時間 」が存在すると思う。


過去や未来の時間を考えるのは、バイオリズムが過去から未来に通じているからであり、「 体験上、時間が存在する 」ということだと思う。


「 無常 」も「 体験上、存在する 」ということであり、「 無常 」は「 体験 」の範囲内であり、身体の新陳代謝が無常であるが、それは「 体験 」の最先端であり、意識することは出来ないという意味で無明である。


「 時間 」は「 関係 」であり「 形式 」であり、全人類に共通であるが、バイオリズムが相違するため「 主観的時間意識 」は、全人類は相違し、「 同時 」は、個人の「 体験の最先端 」で存在し、全人類が相違するので、「 同時性 」は「 定義 」することしか出来ないと思う。


「 関係 」は「 定義 」することが出来ても、「 実体 」は、バイオリズムである無意識が決めるもので、「 定義 」することは出来ないと思う。


それが「 与件 」とか「 世界内存在 」というものだと思う。


「 関係 」はバイオリズムを内包するので、「 想定内 」の関係であり、過去から未来へ通じるが、「 現在 」の中では「 可能性 」として現れると思う。


「 関係 」を「 実体化 」するのは、可能性が現実となることだが、「 関係 」という形式をバイオリズムからの無意識が「 実体化 」するものであり、「 物体 」が変化する内容は「 人間という物体 」が変化する内容と、私は、同視する。


変化するエネルギーがE(人格形成のエネルギー)=M×C1×C2であると思う。

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