2012年10月13日

2012/10/13、オカルト・気(ki)と情(zyou)9・無常

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)







Tの気(ki)についての記事

2012/9/2、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上より、分類Tの根底には、気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」があり、その上に人類の「 精神 」があるという二重構造であるという結論だった。


宇宙に存在する全ての人類は、前者により、宇宙の果てまで気(ki)の無意識である「 欲 」が及び、後者により、「 精神的な欲 」である情(zyou)は、社会内(世界内)の自分のバイオリズムによって決まると思う。


気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」を「 位置 」などの「 精神的な定義 」は無意味であるため、自分の生命の「 方向 」という精神的な安定も不明であるため「 無明 」であると考える。


「 無明 」の原因は気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」自体が「 精神的に認識することが不能 」であるからであると思う。


「 精神的に不能だ 」と認識すれば「 無常 」の認識になる。

………………(以下省略)………………………





Uの情(zyou)についての記事

2012/9/30、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 欲 」は気(ki)であり、情(zyou)のバイオリズムが、ミラーニューロンにより「 欲 」という気(ki)が「 共感 」し、それが「 価値観 」であると現時点では思っている。


情(zyou)のバイオリズムは、「 閉じるもの 」であり人体を「 不連続 」な自我を形成するが、「 閉じるもの 」とは、「 存在意識 」であり、「 存在意識 」の間(hazama)の中の「 欲 」という気(ki)が「 共感 」するのであり、その間(hazama)の「 段階や程度 」を「 流動性選好 」という「 遺伝子情報 」で決めたのが「 価値観 」だろうと思う。


「 何を存在意識とするか」は、個人のバイオリズムという無意識で決定し、その無意識が社会的な集合的無意識と共通するから、「 存在意識 」の間(hazama)を調節することにより、「 政治や経済 」の「 価値観 」の教育や「 宗教 」という生き方の価値観の教育も可能だと思う。


どれを選択するかは、「 個人のバイオリズム 」であり、「 個人の価値観 」であり、結局は「 個人次第 」であるだろう。


選択は、「 自分の価値観 」を選択しているのであり、他人の価値観と「 共感 」する自分の価値観を選択しているのだと思う。


人は常に「 自分であり続ける 」という宿命を背負っていると思う。




2012/10/13、私の考え



これは、私の考えであり、同調を求めない。


人は常に「 自分であり続ける 」という宿命を背負っているから、Uの情(zyou)の限界は、自分が自分の未来の姿を把握することが出来ない状態だと思う。


Tの気(ki)も、「 精神的に不能だ 」と認識すれば「 無常 」の認識になると思うから、あとは「 絶望 」しか方法は無いと思うかも知れない。


しかし、気(ki)を「 精神的に不能だ 」と認識すれば「 無常 」の認識になるという意味は、気(ki)とは「 電磁場や重力場が存在する空間の中のエネルギー 」であり、その気(ki)であるエネルギーが無い状態になるのではなくて、「 常に流転する 」状態で、常に存在することが、「 気(ki)が無常である 」ということであると考える。


Uの情(zyou)、すなわち「 大脳の意識で考えた価値観 」は、自分が自分の未来の姿を把握することが出来なく「 絶望 」の状態であるかも知れないが、「 大気はエーテルと同時に存在するように 」、その根底には、「 常に流転する 」気(ki)のエネルギーは存在するのであり、このエネルギーで、「 絶望 」を変えることが出来るかも知れない。


「 常に流転する 」、すなわち「 無常 」の気(ki)のエネルギーの力により、新しい価値観を得ることや、本当に「 人倫の、義の、人としての幸福 」は何かを知ることが出来るかも知れない。


経済的な富だけが幸福ではない。


情(zyou)、すなわち認識による「 無常 」は絶望かも知れないが、気(ki)の「 無常 」は、「 常に流転するエネルギー 」であり、「 絶望を希望に変える力 」になるかも知れない。


これが、「 無常に身を任せること 」であり、「 何もしないで諦めること 」ではない。
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2012年09月02日

2012/9/2、オカルト・気(ki)と情(zyou)8・気(ki)6

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体



2012/9/1、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」などという言葉があるが、これは天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、上述の「 言葉 」であると思う。


私は、「 ビッグ・バン宇宙論 」でなく「 プラズマ宇宙論 」を支持し、「 生気(seiki)論 」を支持するから、太陽の活動が、人類の頭脳と直結し、気(ki)という生物的な電気(denki)が、社会的無意識を形成し、「 景気循環 」を起こすことも肯定できる。


気(ki)が、人間の頭脳と宇宙が直結することを可能にするのは何か?

私は、「 エーテル 」が直結を可能にしていると思う。


下記の「 エーテルの否定 」の中でも、「 アインシュタインは「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在せず、従って「エーテルに対する相対運動」を考えることは無意味となる 」「 エーテルの実在性は完全には否定されていない 」。という記述がある。


私は、提唱と違うかも知れないが「 エーテル 」を、「 エネルギーを運ぶ場 」と考えて、人間と宇宙を結んでいると考える。

それが分類Tの「 関係 」である。


光も音も、一つの周波数であり、人間は人体のバイオリズムにより、「 知覚することが出来るもの 」だけを知覚する。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」の知覚すなわちバイオリズムで獲得される「 精神 」や(情zyou)は、光や音や電磁波や重力という太陽や宇宙と結ぶエネルギーの気(ki)と二重構造になっていて、「 エーテル 」が両者の通り道であると考える。


後者は「 連続 」し、前者は生体のバイオリズムで知覚した獲得物だから「 不連続 」である。


科学も後者に属するから、「 法則 」といえど「 切り取った不連続なもの 」であると思う。


そうなると、「 連続 」や「 実有 」を成立させているのは「 エーテル 」であり、「 真空というエネルギーを運ぶ場 」であると思う。



エーテルは宇宙から人体の中まで存在し、「 呼吸をすること 」は、「 エーテルと共に有る空気(kuuki)を吸い込むこと 」であり、私たちか口に入れているのは「 宇宙の一部 」であり、宇宙」と共に生きることであると思う。


人体の細胞の隅々まで「 エーテル 」が充満しているのも、人体の隅々までエネルギーが満たされていることであり、人間は宇宙と繋がって生きていることを示していると思う。




空気をポンプで抜くと「 真空 」になるが、これは宇宙線を無視すれば「 宇宙の真空 」と同じであるだろうし、この「 真空 」がエーテルであるかも知れない。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」の知覚すなわちバイオリズムと共に「 真空 」が存在し、気(ki)を運んでいると思う。


エーテルが重力や電磁波や、気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」とすれば、「 位置 」という人間の「 精神的なもの 」、すなわち情(zyou )である概念は存在しない。



「 位置 」などの「 精神的なもの 」とエネルギーが同時に測定することができないことは、情(zyou)と気(ki)が同時に測定することが出来ないことであり、量子力学の「 観測問題 」の原因と同じであるかも知れない。


それは、気(ki)が「 心的存在意識 」の形になった後に測定したものが情(zyou)であると思うから、測定には前後すると思うからだ。


2012/9/2、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上より、分類Tの根底には、気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」があり、その上に人類の「 精神 」があるという二重構造であるという結論だった。


宇宙に存在する全ての人類は、前者により、宇宙の果てまで気(ki)の無意識である「 欲 」が及び、後者により、「 精神的な欲 」である情(zyou)は、社会内(世界内)の自分のバイオリズムによって決まると思う。


気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」を「 位置 」などの「 精神的な定義 」は無意味であるため、自分の生命の「 方向 」という精神的な安定も不明であるため「 無明 」であると考える。


「 無明 」の原因は気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」自体が「 精神的に認識することが不能 」であるからであると思う。


「 精神的に不能だ 」と認識すれば「 無常 」の認識になる。


「 欲 」は気(ki)であるが、「 欲 」には、気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」にある「 欲 」と、社会的な「 欲 」があり、前者が「 本能の欲 」であり、平等の「 欲 」であるが、後者は「 金銭欲 」や「 名誉欲 」といった、人を支配する欲であると思う。


これは、成立する土台が気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」であるのか、社会的な個人のバイオリズムであるかの違いであり、前者が小脳の欲で、後者が大脳の欲で、後者は「 記憶 」などの「 能力 」の大小で決まり、「 金銭 」を持つ富豪は後者の欲が具現したもので、人間的には「 欲が強い(強欲) 」と思う。


皇帝や富豪が、肉体の「 無常 」を知るので、「 恒常 」である「 不老不死 」を願うが、私のように貧乏な生活をしていると、全ての人類の肉体が「 無常 」であることが、「 ひとつの救い 」となっている。


肉体や金銭が「 無常 」であるため「 恒常(kouzyou) 」を求めるのではなく、「 無常 」を受け入れて、無意識な人格の現れである「 行為 」の人格的な「 向上(kouzyou) 」を願うのが良いと思う。

以上は「 欲 」について考えたが、「 欲 」が現れる「 時(toki)」と「 時間 」について考える。


私の考えによると「 時(toki)」は、気(ki)を内部に含み、気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」の宇宙の関係であるが、「 位置 」などの「 精神 」では規定することが出来ないから、「 時(toki)」は宇宙まで及び、決定するのは、私の「 呼吸 」の間(hazama)であり、言い換えれば「 生きている間(hazama)」である。


「 時間 」は、「 始まり 」を規定しなければ決定することは出来ない。


「 時間 」は大脳の記憶で決まり、情(zyou)すなわち情報(zyouhou)であり、「 過去も未来 」も決定する。


「 時(toki)」は、行為している間(hazama)の宇宙の関係であり、「 今 」「 現在 」に「 時(toki)」は存在し、「 過去や未来 」という情(zyou)に「 時(toki)」は無い。


これは、「 自由意思と決定論 」について、後日、書きたいと思う。


このように考えると、上記の分類Tは、気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」を考えることにより、説明が少し前進すると思う。
posted by kandk55 at 05:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 38 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月01日

2012/9/1、オカルト・気(ki)と情(zyou)7・気(ki)5

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/8/18、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


日本語には気(ki)という文字の言葉が多い。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」などという言葉があるが、これは天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、上述の「 言葉 」であると思う。


もう一つ、「 景気(keiki)」という言葉がある。

これも気(ki)であると思う。


経済の観点から、太陽黒点と景気循環が関係するという説がある(下記参照)。


天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、「 景気循環 」と考え、太陽の活動が、人類の頭脳と直結していると考える。


「 景気 」という気(ki)は、社会的で情(zyou)を成立させるエネルギーとしての「 集合的無意識 」であると思う。


「 心的存在意識 」の「 貨幣 」などの経済学の基礎も、全て流転し、「 無常 」であることから社会的な情(zyou)に近い気(ki)であると思う。



私は、「 ビッグ・バン宇宙論 」でなく「 プラズマ宇宙論 」を支持し、「 生気論 」を支持するから、太陽の活動が、人類の頭脳と直結し、気(ki)という生物的な電気(denki)が、社会的無意識を形成し、「 景気循環 」を起こすことも肯定できる。



宇宙の産物には、矛盾を起こすことが無く、首尾一貫した「 関係 」や「 法則 」があると思うから、「 ビッグ・バン宇宙論 」は、「 景気循環 」が起こる理由を考えなくてはならないだろう。


それから、もう一つ。


これらは、「 波 」を持っていて、私の「 波動(オカルト)」と一致するから、私の立場からは、全てが波動であるということも肯定する。



2012/9/1、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」などという言葉があるが、これは天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、上述の「 言葉 」であると思う。


私は、「 ビッグ・バン宇宙論 」でなく「 プラズマ宇宙論 」を支持し、「 生気(seiki)論 」を支持するから、太陽の活動が、人類の頭脳と直結し、気(ki)という生物的な電気(denki)が、社会的無意識を形成し、「 景気循環 」を起こすことも肯定できる。


気(ki)が、人間の頭脳と宇宙が直結することを可能にするのは何か?

私は、「 エーテル 」が直結を可能にしていると思う。


下記の「 エーテルの否定 」の中でも、「 アインシュタインは「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在せず、従って「エーテルに対する相対運動」を考えることは無意味となる 」「 エーテルの実在性は完全には否定されていない 」。という記述がある。


私は、提唱と違うかも知れないが「 エーテル 」を、「 エネルギーを運ぶ場 」と考えて、人間と宇宙を結んでいると考える。

それが分類Tの「 関係 」である。


光も音も、一つの周波数であり、人間は人体のバイオリズムにより、「 知覚することが出来るもの 」だけを知覚する。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」の知覚すなわちバイオリズムで獲得される「 精神 」や(情zyou)は、光や音や電磁波や重力という太陽や宇宙と結ぶエネルギーの気(ki)と二重構造になっていて、「 エーテル 」が両者の通り道であると考える。


後者は「 連続 」し、前者は生体のバイオリズムで知覚した獲得物だから「 不連続 」である。


科学も後者に属するから、「 法則 」といえど「 切り取った不連続なもの 」であると思う。


そうなると、「 連続 」や「 実有 」を成立させているのは「 エーテル 」であり、「 真空というエネルギーを運ぶ場 」であると思う。



エーテルは宇宙から人体の中まで存在し、「 呼吸をすること 」は、「 エーテルと共に有る空気(kuuki)を吸い込むこと 」であり、私たちか口に入れているのは「 宇宙の一部 」であり、宇宙」と共に生きることであると思う。


人体の細胞の隅々まで「 エーテル 」が充満しているのも、人体の隅々までエネルギーが満たされていることであり、人間は宇宙と繋がって生きていることを示していると思う。




空気をポンプで抜くと「 真空 」になるが、これは宇宙線を無視すれば「 宇宙の真空 」と同じであるだろうし、この「 真空 」がエーテルであるかも知れない。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」の知覚すなわちバイオリズムと共に「 真空 」が存在し、気(ki)を運んでいると思う。


エーテルが重力や電磁波や、気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」とすれば、「 位置 」という人間の「 精神的なもの 」、すなわち情(zyou )である概念は存在しない。



「 位置 」などの「 精神的なもの 」とエネルギーが同時に測定することができないことは、情(zyou)と気(ki)が同時に測定することが出来ないことであり、量子力学の「 観測問題 」の原因と同じであるかも知れない。


それは、気(ki)が「 心的存在意識 」の形になった後に測定したものが情(zyou)であると思うから、測定には前後すると思うからだ。



参考



エーテル

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB_(%E7%89%A9%E7%90%86)

エーテルの否定

前述の「エーテルの風」の実験結果についてエーテルの風が検出されなかったことは、エーテルの概念そのものを否定する意見を生み出した。そして、アインシュタインの特殊相対性理論はエーテルの実在性を根本から完全否定するに至った。ローレンツがエーテルを基準とした絶対座標系の存在を考えたのに対し、アインシュタインはエーテルも含めた絶対座標系及び絶対性基準は特殊相対性理論を根本から否定するとし、その存在を否定した。これは「相対性」理論と称される所以となっている。

アインシュタインは、より根本的な原理から「長さ」や「時間」といった性質を導出できるはずであると考えた。そして、ローレンツ変換をマクスウェルの方程式から切り離し、時空間の性質を表す基本的な法則であると仮定した。また、アインシュタインは「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在せず、従って「エーテルに対する相対運動」を考えることは無意味となる[6]。

アインシュタインが相対性原理を最も根本的な原理として考えたのに対し、特殊相対性理論の基礎を造ったローレンツは相対性原理の根本がエーテルであると考え、「長さの収縮」や「時間の遅れ」に表されるように、物体の特性はエーテル中の運動により変化すると考えた。アインシュタインとの違いは、長さや時間について絶対的な基準を設けることを可能と考えるか否かである。これは物理哲学の問題であるため、決着はついていない。従って、エーテルの実在性は完全には否定されていないと言える。

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2012年08月26日

2012/8/26、オカルト・気(ki)と情(zyou)6・気(ki)4自由

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/8/26、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 自由と必然 」について考える。


私は、気(ki)の中の「 自由と必然 」と情(zyou)の中の「 自由と必然 」があり、後者が哲学での「 自由と必然 」であり、結果は「 無常 」であり、本当の「 自由 」は気(ki)のなかの「 自由と必然 」あるいは「 エネルギーと関係 」であり、「 無明 」として「 現在 」の「 行為 」に生きていると思う。


「 自由 」とは、本来、「 形 」や「 物語 」になるのではない。


「 自由 」は気(ki)で決まる「 現在 」に有り、情(zyou)、つまり「 記憶 」で決まる「 過去や未来 」には無い。


それは、「 自由 」は気(ki)の中の「 行為 」の中に存在し、「 行為 」は「 因縁と縁起 」で決まるのであり、情(zyou)である「 因果関係 」という脳内の「 物語 」で行為は決まらない。


「 法則 」は決定した因果関係であれば、その実体は、気(ki)の中の「 関係 」であると思う。


「 関係に従って行為する 」ことが、必然と自由の融合であるが、これは、気(ki)という「 エネルギー 」の問題であり、「 哲学 」という情(zyou)の問題ではない。


気(ki)であるから「 自由と必然 」は「 無明 」として「 現在 」に存在し、情(zyou)が決める「 過去や未来 」に「 自由 」は無い。


「 自由 」は「 現在 」の「 行為 」の中にあると考えると、「 自由 」とは、Tの気(ki)であるという結論になる。


「 自由 」は気(ki)であるから「 無明 」であり、釈迦やキリストなどの悟った聖人の行為は「 自由と必然 」が融合した行為であり、「 無明 」から脱した、迷いが無い「 解脱(gedatu) 」した人だろう。


そう考えると、「 自由と必然 」の問題ではなく、「 自由であること即ち無明と、無明では無いこと即ち解脱(gedatu) 」の問題であると思う。


哲学で判明した「 自由と必然 」は「 無常 」であり、「 無明 」を解決することは出来ないだろう。


繰り返すと、「 関係に従って行為する 」ことが、必然と自由の融合であるが、これは、気(ki)という「 エネルギー 」の問題であり、「 哲学 」という情(zyou)の問題ではないと思う。


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2012年08月20日

2012/8/20、オカルト・気(ki)と情(zyou)5・気(ki)3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/8/18、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


日本語には気(ki)という文字の言葉が多い。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」などという言葉があるが、これは天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、上述の「 言葉 」であると思う。


もう一つ、「 景気(keiki)」という言葉がある。

これも気(ki)であると思う。


経済の観点から、太陽黒点と景気循環が関係するという説がある(下記参照)。


天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、「 景気循環 」と考え、太陽の活動が、人類の頭脳と直結していると考える。


「 景気 」という気(ki)は、社会的で情(zyou)を成立させるエネルギーとしての「 集合的無意識 」であると思う。


「 心的存在意識 」の「 貨幣 」などの経済学の基礎も、全て流転し、「 無常 」であることから社会的な情(zyou)に近い気(ki)であると思う。



私は、「 ビッグ・バン宇宙論 」でなく「 プラズマ宇宙論 」を支持し、「 生気論 」を支持するから、太陽の活動が、人類の頭脳と直結し、気(ki)という生物的な電気(denki)が、社会的無意識を形成し、「 景気循環 」を起こすことも肯定できる。



宇宙の産物には、矛盾を起こすことが無く、首尾一貫した「 関係 」や「 法則 」があると思うから、「 ビッグ・バン宇宙論 」は、「 景気循環 」が起こる理由を考えなくてはならないだろう。


それから、もう一つ。


これらは、「 波 」を持っていて、私の「 波動(オカルト)」と一致するから、私の立場からは、全てが波動であるということも肯定することができる。


2012/8/20、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない


私は、下記の中国思想や道教や中医学(漢方医学)などの用語や概説に書かれている気(ki)ではなく、「 プラズマ宇宙論 」の「 気体プラズマ 」に興味がある。


概説の「 雲は大気の凝結として捉えられ、風は大気の流動であり、その同じ大気が呼吸されることで体内に充満し、循環して、身体を賦活する生命力として働く。つまり、ミクロコスモスである人間身体の呼吸とマクロコスモスである自然の気象との間に、大気を通じて、ダイナミックな流動性としての連続性と対応を見出し、そこに霊的で生命的な原理を見るというアイディアが、気という概念の原型なのである。」と、私は考えない。


私は気(ki)とは何かを考えているのであり、「 原理 」が説明されていないと思う。


もちろん、下記の中国思想や道教や中医学(漢方医学)の中に「 原理 」は無い。


「 ダイナミックな流動性としての連続性 」こそが分類Tの気(ki)であり、「 気は、物に宿り、それを動かすエネルギー的原理であると同時に、その物を構成し、素材となっている普遍的物質でもある 」のではなく、「 霊的で生命的な原理 」が気(ki)であり、エーテルと共に宇宙に充満するプラズマ(電気だと思う)であり、それが太陽系では、太陽から大気を通して人間の頭脳まで貫いているエネルギーであると思う。


気(ki)は頭脳から宇宙に通じるので、気(ki)は「 現在 」や「 今 」の中にしか無く、その気(ki)とは「 呼吸する間(hazama)」にあると思う。


「 過去や未来 」が混在する「 思想 」では気(ki)というエネルギーを説明したり、理論にしたりすることは出来ないと思う。


気(ki)は「 現在 」や「 今 」の中にしか無く、その気(ki)は「 呼吸する間(hazama)」にあり、「 行為 」は「 現在 」「 今 」しか出来ないのは、「 行為 」が気(ki)というエネルギーの現れであり、「 因縁や縁起 」により「 未来 」に通じると考える。


その「 行為 」が、無意識という宇宙のエネルギーの具現化であり、「 人格の具現化 」であるというのが私の考えである。


何を見るのかは「 心 」であるが、「 心 」は無意識であり、人間の頭脳まで貫いている気(ki)という、エーテルと共に宇宙に充満するプラズマ(電気だと思う)のエネルギーであると思う。


情報を探すのは、「 心 」が、宇宙のエネルギーが、「 自分の人格形成の契機(可能性)を求めて 」、情報の中に将来の自分の姿を見ていると思う。


何を見るかで、人格が判断され、死ぬとき(エネルギーを最後に放出するとき)は、その人格が最後の具現化をするという意味で、死に際に人格が現れると考えている。





参考


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97

気(き,KI,Qi)とは、中国思想や道教や中医学(漢方医学)などの用語の一つ。一般的に気は不可視であり、流動的で運動し、作用をおこすとされている。しかし、気は凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素と定義する解釈もある。宇宙生成論や存在論でも論じられた。


概説
気はラテン語 spiritusやギリシア語 pneuma(プネウマ)、ヘブライ語 ruah(ルーアハ)、あるいはサンスクリット prana(プラーナ)と同じく、生命力や聖なるものとして捉えられた気息、つまり息の概念がかかわっている。しかしそうした霊的・生命的気息の概念が、雲気・水蒸気と区別されずに捉えられた大気の概念とひとつのものであるとみなされることによってはじめて、思想上の概念としての「気」が成立する。
雲は大気の凝結として捉えられ、風は大気の流動であり、その同じ大気が呼吸されることで体内に充満し、循環して、身体を賦活する生命力として働く。つまり、ミクロコスモスである人間身体の呼吸とマクロコスモスである自然の気象との間に、大気を通じて、ダイナミックな流動性としての連続性と対応を見出し、そこに霊的で生命的な原理を見るというアイディアが、気という概念の原型なのである。
一方では人間は息をすることで生きているという素朴な経験事実から、人間を内側から満たし、それに生き物としての勢力や元気を与えている、あるいはそもそも活かしているものが気息であるという概念が生まれる。そしてまたそこには、精神性、霊的な次元も、生命的な次元と区別されずに含まれている。ただし、精神的な次元は、後代には理の概念によって総括され、生命的な力としてのニュアンスのほうが強まっていく。
他方では、息は大気と連続的なものであるから、気象、すなわち天気などの自然の流動とも関係付けられ、その原理であるとも考えられていく。自然のマクロな事象の動的原理としての大気という経験的事実から、大気にかかわる気象関連の現象だけでなく、あらゆる自然現象も、ひとつの気の流動・離合集散によって説明される。この次元では気はアルケーとしてのエーテルである。
この霊的な生命力として把握された気息であり、かつ万象の変化流動の原理でもあるという原点から、ついには、生命力を与えるエネルギー的なものであるのみならず、物の素材的な基礎、普遍的な媒質とまで宋学では考えられるようになった。
こうした由来ゆえに、気は、一方では霊的・生命的・動的な原理としての形而上的側面をもちながら、他方では、具体的で普遍的な素材(ヒュレー)的基体でありかつ普遍的なエーテル的媒質であるがゆえに、物質的な形而下的側面も持つという二重性を持つことになった。気は、物に宿り、それを動かすエネルギー的原理であると同時に、その物を構成し、素材となっている普遍的物質でもある。従って、たとえば気一元論は、かならずしも唯物論とはいえない


プラズマ宇宙論

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%9E%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%AB%96

プラズマ宇宙論(プラズマうちゅうろん、Plasma Universe、Plasma Cosmology)とは、宇宙論の一種で、宇宙的スケールの現象は重力だけではなく、宇宙の全バリオン物質の99.9%を占める電気伝導性の気体プラズマの運動に起因する、巨大な電流と強力な磁場の影響を大きく受けているとする。そして電磁気力と重力の相互作用によって、壮大な現象を説明できると主張する。主としてプラズマ物理学の基本である電磁流体力学 (MagnetoHydroDynamics: MHD)の上に立脚した理論である。
ビッグバン理論に比べ、銀河の回転曲線問題などについては暗黒物質などという仮定の物質を持ち出すことなく簡潔に説明できる(#銀河形成と回転曲線問題)といった長所もあるが、宇宙マイクロ波背景放射などに関しては観測事実をうまく説明できていない(#マイクロ波背景放射)ため、現時点では標準的な理論とみなされてはいない。


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2012年08月18日

2012/8/18、オカルト・気(ki)と情(zyou)4・気(ki)2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2012/08/17、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


今日は、気(ki)について書くことにする。


「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂し、この無意識を「 欲 」であると考える。


下記の参考のように、小脳や大脳の「 睡眠 」や「 食欲 」という本能は「 セロトニン」が調整している。

それは「 必須アミノ酸 」から作られ、そのアミノ酸を分解する「 解析手法 」が「 電気泳動 (でんきえいどう)」であるならば、アミノ酸を結合しているのは「 電気 」ではないかと、私は思う。

「 睡眠 」や「 食欲 」などをコントロールする細胞が気(ki)により結合し、気(ki)は「 電気 」であり、生体的な電気と考え、「 生気論 」を支持している。


もう一つ。


日本語には気(ki)という文字の言葉が多い。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」などという言葉があるが、これは天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、上述の「 言葉 」であると思う。


つまり、物質は連続しているが、バイオリズム(知覚)により不連続にされ、その結果「 始めと終わりがある 」情(zyou)になり、波動(オカルト)になると思う。


バイオリズム(知覚)により「 物質 」という「 形 」を持ち、それが常でないから「 無常 」という感情になると思う。


一方、知覚で切り取られない物質(例えば、紫外線やエーテル)も、人体に(エネルギーとして)取り入れられているだろう。


これは、知覚することは出来ないので「 無明 」であると考え、「 無常 」を含むと考える。


エネルギーである気(ki)が、「 無意識 」という言葉であるだろうと現時点では考えている。



2012/8/18、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


日本語には気(ki)という文字の言葉が多い。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」などという言葉があるが、これは天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、上述の「 言葉 」であると思う。


もう一つ、「 景気(keiki)」という言葉がある。

これも気(ki)であると思う。


経済の観点から、太陽黒点と景気循環が関係するという説がある(下記参照)。


天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、「 景気循環 」と考え、太陽の活動が、人類の頭脳と直結していると考える。


「 景気 」という気(ki)は、社会的で情(zyou)を成立させるエネルギーとしての「 集合的無意識 」であると思う。


「 心的存在意識 」の「 貨幣 」などの経済学の基礎も、全て流転し、「 無常 」であることから社会的な情(zyou)に近い気(ki)であると思う。



私は、「 ビッグ・バン宇宙論 」でなく「 プラズマ宇宙論 」を支持し、「 生気論 」を支持するから、太陽の活動が、人類の頭脳と直結し、気(ki)という生物的な電気(denki)が、社会的無意識を形成し、「 景気循環 」を起こすことも肯定できる。



宇宙の産物には、矛盾を起こすことが無く、首尾一貫した「 関係 」や「 法則 」があると思うから、「 ビッグ・バン宇宙論 」は、「 景気循環 」が起こる理由を考えなくてはならないだろう。


それから、もう一つ。


これらは、「 波 」を持っていて、私の「 波動(オカルト)」と一致するから、私の立場からは、全てが波動であるということも肯定することができる。


参考


太陽黒点
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E9%BB%92%E7%82%B9

景気循環と太陽黒点周期

景気循環論のひとつに、景気循環と太陽黒点周期の関連を主張する太陽黒点説がある。著名な太陽黒点説論者としては、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズや、嶋中雄二(三菱UFJモルガン・スタンレー証券景気循環研究所長)がいる。ジェヴォンズによれば、太陽黒点面積の増減は10〜11年周期があり、穀物価格の騰貴、下落にもほぼ同様の周期があり、恐慌の発生にもまた同様の周期があるという。この説は必ずしもジェヴォンズの創始にかかわるものではなく、既にウィリアム・ハーシェルがこのことを考え、リチャード・キャリントンがこれを祖述したが、十分な論証を与えることができず、ジェヴォンズによって実証的説明が与えられ[2]、のちにその子ハーバート・スタンリー・ジェヴォンズによって修正が施された。



波動(オカルト)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%8B%95_(%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88)
波動(はどう、英: Vibration)は、サイエンス・フィクション (SF)、伝統・代替医療、オカルト、疑似科学のラジオニクスなどで使われる生命力エネルギーの概念のことである。多くは、世界は単なる物質と、それと等価の既知なるエネルギーの態様のみではなく、何らかの未知なるエネルギーの態様が存在していると捉えている。

オカルトや代替医療においては、英語の Vibration の訳語であり、「波動」の他には「振動」「エネルギー」などと訳される。肯定的に評価しても仮説であり、疑似科学であると批判されることが多い。物理学での「波動 (wave)」とは異なるもので、その名称から、物理学的な裏付けがあるように考えられがちであり、典型的なバズワードである。
「波動」という言葉は、代替医療を標榜する悪徳商法でも使われる[1]ことも少なからずある。



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2012年08月17日

2012/8/17、オカルト・気(ki)と情(zyou)3・気(ki)

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/08/17、私の考え

これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


今日は、気(ki)について書くことにする。


「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂し、この無意識を「 欲 」であると考える。


下記の参考のように、小脳や大脳の「 睡眠 」や「 食欲 」という本能は「 セロトニン」が調整している。

それは「 必須アミノ酸 」から作られ、そのアミノ酸を分解する「 解析手法 」が「 電気泳動 (でんきえいどう)」であるならば、アミノ酸を結合しているのは「 電気 」ではないかと、私は思う。

「 睡眠 」や「 食欲 」などをコントロールする細胞が気(ki)により結合し、気(ki)は「 電気 」であり、生体的な電気と考え、「 生気論 」を支持している。


もう一つ。


日本語には気(ki)という文字の言葉が多い。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」などという言葉があるが、これは天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、上述の「 言葉 」であると思う。


つまり、物質は連続しているが、バイオリズム(知覚)により不連続にされ、その結果「 始めと終わりがある 」情(zyou)になり、波動(オカルト)になると思う。


バイオリズム(知覚)により「 物質 」という「 形 」を持ち、それが常でないから「 無常 」という感情になると思う。


一方、知覚で切り取られない物質(例えば、紫外線やエーテル)も、人体に(エネルギーとして)取り入れられているだろう。


これは、知覚することは出来ないので「 無明 」であると考え、「 無常 」を含むと考える。


エネルギーである気(ki)が、「 無意識 」という言葉であるだろうと現時点では考えている。



参考

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%B3

セロトニン (serotonin)、別名5-ヒドロキシトリプタミン (5-hydroxytryptamine)、略称5-HT は、動植物に広く分布する生理活性アミン、インドールアミンの一種。ヒトでは主に生体リズム・神経内分泌・睡眠・体温調節などに関与する。


必須アミノ酸のトリプトファンから産生される[1]。生体内では小腸にある腸クロム親和性細胞、および腸クロム親和性細胞様細胞が主に産生し、約90%を保有する。神経細胞でも少量産生され、脳内モノアミン神経系(セロトニン神経)で生理機能などに深く関係している。


アミノ酸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%8E%E9%85%B8

それぞれのアミノ酸は、構造によって異なる酸・塩基性を持つ。構造内に2つのカルボキシル基を持つアミノ酸(アスパラギン酸およびグルタミン酸)は酸性を、2つ以上のアミノ基を持つアミノ酸(リシン・アルギニン・ヒスチジン)は塩基性を、その他のアミノ酸はほぼ中性を示す。また、それぞれのアミノ酸は等電点が実験的に決定されており、電気泳動などの分離時に意味を持つ。


電気泳動
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B0%97%E6%B3%B3%E5%8B%95

電気泳動 (でんきえいどう) は、荷電粒子あるいは分子が電場(電界)中を移動する現象。あるいは、その現象を利用した解析手法。特に分子生物学や生化学ではDNAやタンパク質を分離する手法としてなくてはならないものである。


波動(オカルト)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%8B%95_(%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88)
波動(はどう、英: Vibration)は、サイエンス・フィクション (SF)、伝統・代替医療、オカルト、疑似科学のラジオニクスなどで使われる生命力エネルギーの概念のことである。多くは、世界は単なる物質と、それと等価の既知なるエネルギーの態様のみではなく、何らかの未知なるエネルギーの態様が存在していると捉えている。

オカルトや代替医療においては、英語の Vibration の訳語であり、「波動」の他には「振動」「エネルギー」などと訳される。肯定的に評価しても仮説であり、疑似科学であると批判されることが多い。物理学での「波動 (wave)」とは異なるもので、その名称から、物理学的な裏付けがあるように考えられがちであり、典型的なバズワードである。
「波動」という言葉は、代替医療を標榜する悪徳商法でも使われる[1]ことも少なからずある。

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2012年08月11日

2012/8/11、オカルト・気(ki)と情(zyou)2・無意識

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/8/11、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 無意識はバイオリズム 」であるということは、波動(オカルト)(下記参照)であると思うが、物質的には「 エネルギー 」であり、精神的、心理的には「 欲 」であると思う。


上記の分類で、「 無意識 」をTの気(ki)の無意識と、Uの情(zyou)の無意識に分けているが、前者は「 小脳の欲 」であり、後者は「 大脳の欲 」であり、後者は記憶が要素となっていると思う。


前者のエネルギーや欲は「 腸 」から生じ(下記のセロトニンを参照)、後者の欲をコントロールすると思う。


その意味で、「 心 」は「 腸 」にあるのかも知れない。


前者の「 欲 」は睡眠や食欲などの「 本能 」に関わる(下記のセロトニンを参照)。


後者の「 欲 」や無意識は、社会の「 集合的無意識 」であり「 常識 」と言われるものであると思うし、このエネルギーについては「 思考のエネルギー 」として、以前、私は書いている。


「 無意識 」はエネルギーであることは波動(オカルト)(下記参照)であり、波動や振動は、始めと終わりがある点で「 不連続 」な情(zyou)であるが、この始めと終わりは人間が判断しているのであり、宇宙的に考えればTの「 連続 」しているエネルギーである。


私は、紫外線や可視光線や赤外線の集合が「 光 」という電磁波であり、人間は感応する知覚器官で「 連続 」を、自分中心の「 不連続 」にして認識していると思う。


前者がTであり、気(ki)であり、境界線が無い「 生命 」であるのに対し、後者はUであることから、境界線を持つ情(zyou)であり、社会の「 文化 」であると思う。


無意識はエネルギーであり、可視光線だけでなく、紫外線や赤外線をエネルギーとして取り入れているかも知れないが、私は知らない。


参照



波動(オカルト)Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%8B%95_(%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88)

波動(はどう、英: Vibration)は、サイエンス・フィクション (SF)、伝統・代替医療、オカルト、疑似科学のラジオニクスなどで使われる生命力エネルギーの概念のことである。多くは、世界は単なる物質と、それと等価の既知なるエネルギーの態様のみではなく、何らかの未知なるエネルギーの態様が存在していると捉えている。

オカルトや代替医療においては、英語の Vibration の訳語であり、「波動」の他には「振動」「エネルギー」などと訳される。肯定的に評価しても仮説であり、疑似科学であると批判されることが多い。物理学での「波動 (wave)」とは異なるもので、その名称から、物理学的な裏付けがあるように考えられがちであり、典型的なバズワードである。
「波動」という言葉は、代替医療を標榜する悪徳商法でも使われる[1]ことも少なからずある。



セロトニン wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%B3

セロトニン (serotonin)、別名5-ヒドロキシトリプタミン (5-hydroxytryptamine)、略称5-HT は、動植物に広く分布する生理活性アミン、インドールアミンの一種。ヒトでは主に生体リズム・神経内分泌・睡眠・体温調節などに関与する。


必須アミノ酸のトリプトファンから産生される[1]。生体内では小腸にある腸クロム親和性細胞、および腸クロム親和性細胞様細胞が主に産生し、約90%を保有する

生体リズム・神経内分泌・睡眠・体温調節などの生理機能と、気分障害・統合失調症・薬物依存などの病態に関与している。ドーパミンやノルアドレナリンなどの感情的な情報をコントロールし、精神を安定させる働きがある。
ホルモンとしても働き、消化器系や気分、睡眠覚醒周期、心血管系、痛みの認知、食欲などを制御している。



脳内のパターン形成機構によるリズム性運動(歩行運動、咀嚼運動、呼吸運動、グルーミングなど)で興奮し、覚醒状態における種々な活動に適度な緊張(抗重力筋の緊張や交感神経の緊張など)を与える役割がある。覚醒時の5-HT神経系の活動が抑制された状態はうつ病や慢性疲労症候群などの症状を惹起するとされる。



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2012年08月05日

2012/8/5、オカルト・気(ki)と情(zyou)1・意識

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体


2012/8/5、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない


私の出発点である「 意識は電磁波である 」ということを考えよう。


私は、プラズマ宇宙論と「 生気論 」を支持し、Tの気(ki)は電気であると思うから、「 意識は電磁波である 」と考えた。


太陽光は意識を発生させると思うが、なぜ、そう思うのか?


頭脳を持つ動物は、世界各国で誕生するのであり、その全てに「 意識 」があり、精神がある。


それを可能にするのは「 神 」かも知れないが、私は世界を包む「 太陽光 」であると考える。


動物が持つ臓器のバイオリズムもDNAの違いで全てが相違する。


「 太陽光 」は紫外線から可視光線や赤外線まで「 連続 」し、このDNAがプリズムのような働きをして、「 太陽光 」から「 可視光線 」を分離し、「 赤 」や「 青 」や「 黄色 」の三原色という記憶を媒介としたUの「 意識 」という情(zyou)を作り、紫外線や赤外線はTの気(ki)が吸収すると思う。


動物が持つ臓器のバイオリズムもDNAの違いで全てが相違するから、Uの情(zyou)やTの気(ki)は全て相違する。


「 太陽光 」も「 バイオリズム 」も連続しTの領域であるが、前者は電磁波で、後者は物質波で、無意識の中で、「 太陽光 」の「 可視光線 」は知覚され、紫外線や赤外線は人体のバイオリズムを変えることもあるだろう。

紫外線が「 皮膚がん 」を起こすのも、人体のバイオリズムを変える証拠だろう。


物質波であるバイオリズムがTの気(ki)であり、「 太陽光 」の「 可視光線 」以外を吸収するだろう。

Uの情(zyou)もバイオリズムであり、物質波であるが知覚器官により、Tの気(ki)の領域の「 可視光線 」の三原色という「 関係(法則) 」をDNAというバイオリズムをプリズムのよう使って実体化することが出来るのは、「 知覚意識は電磁波に同調する性質を持つから可能だ 」と考える。


それは、電磁波と物質波の関係だろうが、私はプラズマ宇宙論と「 生気論 」を支持し、Tの気(ki)は電気であると思うから「 知覚 」は電気で行われているかも知れないと思っている。

2015/2/1、私の現在の考え 6 意識の生成
足跡 T 参照



posted by kandk55 at 03:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 38 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする