2012年09月30日

2012/9/30、オカルト・情(zyou)11・共感と価値観

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体




2012/9/26、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、欲と価値観について、まだ迷っているが、現時点では次のように考えている。


「 欲 」は、生きている限り、「 エーテル 」と同様、宇宙の果てまで続くだろう。


「 価値観 」と「 欲望 」は「 無意識 」であり「 心 」であるが、「 欲 」の気(ki)の領域の「 形 」が前者であり、ミラーニューロンや小脳の働きで、後者は情(zyou)の領域であり、「 実体化 」や「 存在意識化 」する大脳の働きで、個人のバイオリズムの働きだと思う。


「 価値観 」は「 可能性 」の「 形 」を採用し虚数の「 虚 」であり、「 欲望 」は「 現実 」の「 形 」であり、「 存在意識 」であり、実数だろう。


「 価値観 」は、気(ki)であり、「 無明 」であるため、精神的な「 方向 」を持たず、「 共感 」することにより、あらゆる方向に「 可能性 」の具現化を求めるが、その精神的な「 方向 」を与えるのが情(zyou)であり、「 無常 」である「 欲望 」であるだろう。


つまり、個人の「 欲望 」の実現の方向に「 価値観 」が向かうと思う。


「 価値観 」の具現化は「 可能性 」であるだろうし、「 欲望 」の具現化は、行為であるが、両者とも「 個人の心の中にあり 」、外部には「 個人の文化 」として現れると思う。


それが、「 心が見える 」状態だろう。

2012/9/29、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない


情(zyou)とは情報であると考えている。


以上が、気(ki)の領域の「 欲 」と、情の領域の「 欲望 」の「 関係 」であるが、情(zyou)としての「 欲望 」自体の特徴もあるだろう。


それは、情(zyou)としての、情報としての心理学などの学問からの特徴であると思うが、それは、ネットで調べてください。


私の考えを言えば、「 欲望 」という情(zyou)は、自意識から惹起して、個人的、利己的であり、社会や国家などの一般常識が、その内容であり、気(ki)が連続的であり、「 開放的 」であるのに反し、情(zyou)は、個人の肉体、見解として、不連続であり「 閉ざす 」ものだと思っている。


「 欲望 」は、Uの情(zyou)の特徴が適用されると思う。


「 欲望 」の中で考える時間は、人間や社会で考える常識としての時間であり、思考する時間は時間意識であるだろう。


「 過去 」や「 未来 」が存在する「 時間 」であり、記憶が介在する体験した時間であろう。


「 欲 」が「 存在意識 」になったのが精神としての「 欲望 」であり、実体のある「 不連続な欲望 」であり、媒体を必要とせず、気(ki)の「 欲 」がバイオリズムの「 共感 」により伝わり、すなわち零的存在の間(hazama)でミラーニューロンが働く、「 模倣 」という虚(kyo)の媒体で伝わるのが「 欲望 」である。


「 欲望 」の中身は、社会的、民族的、国家的、個人的な「 バイオリズム 」により、集団的無意識により決定され、それは「 無常 」であるという点で共通するだろう。


「 欲望 」は、「 個人の遺伝子 」特有のものだから、人類のすべての欲望は相違するだろう。


情(zyou)は、精神であるから、Tの気(ki)とは違い、「 原因と結果 」を相当因果関係として科学に適用し、予想や見込み、計算の上の行為など、大脳の働き全体が、精神に関与する。


「 欲望 」は、計算された「 欲 」であるから、気(ki)としての「 欲 」に与える「 方向性 」は時には間違うこともある。


そこに、「 人倫の道 」や「 義(gi)(人として為すべき行為)」などの「 道徳 」に「 欲望 」を従属させることが必要だろう。


「 欲 」という気(ki)が、情(zyou)の「 欲望 」という「 存在意識 」になった場合と、「 欲望 」という情(zyou)が「 欲 」という気(ki)になる場合もあるだろう。


前者が、自然発生的な情(zyou)であり、後者は、国家や民族の教育という情(zyou)による気(ki)の扇情であり、両者とも情(zyou)が「 無常 」であるのに、前者が「 主観的心理 」という絶対感を持ち、後者は、肉体や社会の絶対的な情(zyou)であると教育し、「 方向づけ 」するところに誤りがあると思う。


つまり、情(zyou)は「 無常(muzyou) 」であり、「 恒常で無いもの 」であり、「 絶対的 」ではなく「 相対的 」であるから、謙虚であることを忘れてはいけないと思う。


2012/9/30、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 欲 」は気(ki)であり、情(zyou)のバイオリズムが、ミラーニューロンにより「 欲 」とう気(ki)が「 共感 」し、それが「 価値観 」であると現時点では思っている。


情(zyou)のバイオリズムは、「 閉じるもの 」であり人体を「 不連続 」な自我を形成するが、「 閉じるもの 」とは、「 存在意識 」であり、「 存在意識 」の間(hazama)の中の「 欲 」という気(ki)が「 共感 」するのであり、その間(hazama)の「 段階や程度 」を「 流動性選好 」という「 遺伝子情報 」で決めたのが「 価値観 」だろうと思う。


「 何を存在意識とするか」は、個人のバイオリズムという無意識で決定し、その無意識が社会的な集合的無意識と共通するから、「 存在意識 」の間(hazama)を調節することにより、「 政治や経済 」の「 価値観 」の教育や「 宗教 」という生き方の価値観の教育も可能だと思う。


どれを選択するかは、「 個人のバイオリズム 」であり、「 個人の価値観 」であり、結局は「 個人次第 」であるだろう。


選択は、「 自分の価値観 」を選択しているのであり、他人の価値観と「 共感 」する自分の価値観を選択しているのだと思う。


人は常に「 自分であり続ける 」という宿命を背負っていると思う。
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2012年09月29日

2012/9/29、オカルト・情(zyou)10、欲と欲望

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体



2012/9/17、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


人類の全てが保有するが、それは皆、独自性があるということに、私は興味がある。


私は、人類の全てがミラーニューロンを保有し、その機能は同一であるが、それから得られる情(zyou)は、全て相違するのだろうと思う。


本を読んだり、音楽や絵画を見て、「 共感 」するのは、自分が保有する情(zyou)が音楽や本や絵画の情(zyou)と「 共鳴 」や「 共感 」することであり、音楽や本や絵画に、自分の情(zyou)を発見し、自分の「 行為 」や「 自分の人格 」の可能性を発見することだと思う。


ミラーニューロンは誰でも保有し、Tの気(ki)に属する機能は同一であるが、何に共感するかは個人の遺伝子情報などの情(zyou)であり、思考エネルギーであり、Uの情(zyou)を断ち切る、Tの「 行為 」を決定する「 価値観 」は「 共感 」であるというのが、私の現時点の考えである。


思考エネルギーは社会的であるので、民族的、国家的、歴史的な影響を受けるから、「 価値観 」は社会や教育や環境によって作られる「 価値観 」もあるだろう。


「 何に共感するか 」は自分が保有する情(zyou)と共感するのは何かを探すことであり、音楽や本や絵画を見て自分の情(zyou)すなわち「 自分の価値観 」や「 欲 」を発見することだと思う。


気(ki)や情(zyou)の内容は無意識の「 欲 」であり、「 無明 」であるため「 方向性 」が無く、「 方向性 」は記憶による情(zyou)に左右されるが、情(zyou)は「 無常 」であるため、科学などにより「 確定性 」を求めるが「 無常 」から逃れることは出来ず、「 妥協 」しか無い。


それは、情(zyou)が「 欲 」であることで、呼吸すること、食べることなど生命の維持自体が「 欲 」であり、情(zyou)すなわち「 欲 」を欠いた人間は存在しないからだと思う。


2012/9/26、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、欲と価値観について、まだ迷っているが、現時点では次のように考えている。


「 欲 」は、生きている限り、「 エーテル 」と同様、宇宙の果てまで続くだろう。


「 価値観 」と「 欲望 」は「 無意識 」であり「 心 」であるが、「 欲 」の気(ki)の領域の「 形 」が前者であり、ミラーニューロンや小脳の働きで、後者は情(zyou)の領域であり、「 実体化 」や「 存在意識化 」する大脳の働きで、個人のバイオリズムの働きだと思う。


「 価値観 」は「 可能性 」の「 形 」を採用し虚数の「 虚 」であり、「 欲望 」は「 現実 」の「 形 」であり、「 存在意識 」であり、実数だろう。


「 価値観 」は、気(ki)であり、「 無明 」であるため、精神的な「 方向 」を持たず、「 共感 」することにより、あらゆる方向に「 可能性 」の具現化を求めるが、その精神的な「 方向 」を与えるのが情(zyou)であり、「 無常 」である「 欲望 」であるだろう。


つまり、個人の「 欲望 」の実現の方向に「 価値観 」が向かうと思う。


「 価値観 」の具現化は「 可能性 」であるだろうし、「 欲望 」の具現化は、行為であるが、両者とも「 個人の心の中にあり 」、外部には「 個人の文化 」として現れると思う。


それが、「 心が見える 」状態だろう。

2012/9/29、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない


情(zyou)とは情報であると考えている。


以上が、気(ki)の領域の「 欲 」と、情の領域の「 欲望 」の「 関係 」であるが、情(zyou)としての「 欲望 」自体の特徴もあるだろう。


それは、情(zyou)としての、情報としての心理学などの学問からの特徴であると思うが、それは、ネットで調べてください。


私の考えを言えば、「 欲望 」という情(zyou)は、自意識から惹起して、個人的、利己的であり、社会や国家などの一般常識が、その内容であり、気(ki)が連続的であり、「 開放的 」であるのに反し、情(zyou)は、個人の肉体、見解として、不連続であり「 閉ざす 」ものだと思っている。


「 欲望 」は、Uの情(zyou)の特徴が適用されると思う。


「 欲望 」の中で考える時間は、人間や社会で考える常識としての時間であり、思考する時間は時間意識であるだろう。


「 過去 」や「 未来 」が存在する「 時間 」であり、記憶が介在する体験した時間であろう。


「 欲 」が「 存在意識 」になったのが精神としての「 欲望 」であり、実体のある「 不連続な欲望 」であり、媒体を必要とせず、気(ki)の「 欲 」がバイオリズムの「 共感 」により伝わり、すなわち零的存在の間(hazama)でミラーニューロンが働く、「 模倣 」という虚(kyo)の媒体で伝わるのが「 欲望 」である。


「 欲望 」の中身は、社会的、民族的、国家的、個人的な「 バイオリズム 」により、集団的無意識により決定され、それは「 無常 」であるという点で共通するだろう。


「 欲望 」は、「 個人の遺伝子 」特有のものだから、人類のすべての欲望は相違するだろう。


情(zyou)は、精神であるから、Tの気(ki)とは違い、「 原因と結果 」を相当因果関係として科学に適用し、予想や見込み、計算の上の行為など、大脳の働き全体が、精神に関与する。


「 欲望 」は、計算された「 欲 」であるから、気(ki)としての「 欲 」に与える「 方向性 」は時には間違うこともある。


そこに、「 人倫の道 」や「 義(gi)(人として為すべき行為)」などの「 道徳 」に「 欲望 」を従属させることが必要だろう。


「 欲 」という気(ki)が、情(zyou)の「 欲望 」という「 存在意識 」になった場合と、「 欲望 」という情(zyou)が「 欲 」という気(ki)になる場合もあるだろう。


前者が、自然発生的な情(zyou)であり、後者は、国家や民族の教育という情(zyou)による気(ki)の扇情であり、両者とも情(zyou)が「 無常 」であるのに、前者が「 主観的心理 」という絶対感を持ち、後者は、肉体や社会の絶対的な情(zyou)であると教育し、「 方向づけ 」するところに誤りがあると思う。


つまり、情(zyou)は「 無常(muzyou) 」であり、「 恒常で無いもの 」であり、「 絶対的 」ではなく「 相対的 」であるから、謙虚であることを忘れてはいけないと思う。



このように、「 欲望 」は、下記のような情(zyou)の一般の特徴が当てはまり、様々な「 学問 」からの研究を待っている私である。


参考

U、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

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2012年09月26日

2012/9/26、オカルト・情(zyou)9・共感と価値観と欲2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体



2012/9/17、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


人類の全てが保有するが、それは皆、独自性があるということに、私は興味がある。


私は、人類の全てがミラーニューロンを保有し、その機能は同一であるが、それから得られる情(zyou)は、全て相違するのだろうと思う。


本を読んだり、音楽や絵画を見て、「 共感 」するのは、自分が保有する情(zyou)が音楽や本や絵画の情(zyou)と「 共鳴 」や「 共感 」することであり、音楽や本や絵画に、自分の情(zyou)を発見し、自分の「 行為 」や「 自分の人格 」の可能性を発見することだと思う。


ミラーニューロンは誰でも保有し、Tの気(ki)に属する機能は同一であるが、何に共感するかは個人の遺伝子情報などの情(zyou)であり、思考エネルギーであり、Uの情(zyou)を断ち切る、Tの「 行為 」を決定する「 価値観 」は「 共感 」であるというのが、私の現時点の考えである。


思考エネルギーは社会的であるので、民族的、国家的、歴史的な影響を受けるから、「 価値観 」は社会や教育や環境によって作られる「 価値観 」もあるだろう。


「 何に共感するか 」は自分が保有する情(zyou)と共感するのは何かを探すことであり、音楽や本や絵画を見て自分の情(zyou)すなわち「 自分の価値観 」や「 欲 」を発見することだと思う。


気(ki)や情(zyou)の内容は無意識の「 欲 」であり、「 無明 」であるため「 方向性 」が無く、「 方向性 」は記憶による情(zyou)に左右されるが、情(zyou)は「 無常 」であるため、科学などにより「 確定性 」を求めるが「 無常 」から逃れることは出来ず、「 妥協 」しか無い。


それは、情(zyou)が「 欲 」であることで、呼吸すること、食べることなど生命の維持自体が「 欲 」であり、情(zyou)すなわち「 欲 」を欠いた人間は存在しないからだと思う。


2012/9/26、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、欲と価値観について、まだ迷っているが、現時点では次のように考えている。


「 欲 」は、生きている限り、「 エーテル 」と同様、宇宙の果てまで続くだろう。


「 価値観 」と「 欲望 」は「 無意識 」であり「 心 」であるが、「 欲 」の気(ki)の領域の「 形 」が前者であり、ミラーニューロンや小脳の働きで、後者は情(zyou)の領域であり、「 実体化 」や「 存在意識化 」する大脳の働きで、個人のバイオリズムの働きだと思う。


「 価値観 」は「 可能性 」の「 形 」を採用し虚数の「 虚 」であり、「 欲望 」は「 現実 」の「 形 」であり、「 存在意識 」であり、実数だろう。


「 価値観 」は、気(ki)であり、「 無明 」であるため、精神的な「 方向 」を持たず、「 共感 」することにより、あらゆる方向に「 可能性 」の具現化を求めるが、その精神的な「 方向 」を与えるのが情(zyou)であり、「 無常 」である「 欲望 」であるだろう。


つまり、個人の「 欲望 」の実現の方向に「 価値観 」が向かうと思う。


「 価値観 」の具現化は「 可能性 」であるだろうし、「 欲望 」の具現化は、行為であるが、両者とも「 個人の心の中にあり 」、外部には「 個人の文化 」として現れると思う。


それが、「 心が見える 」状態だろう。
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2012年09月23日

2012/9/23、オカルト・情(zyou)8・共感は学ぶこと

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体




2012/9/15、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない


私は、「 ミラーニューロンも気(ki)と情(zyou)に分割することが出来ないだろうか? 」と考えた。



そこで、ミラーニューロンの「 活動電位 」に注目した。

「 自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である 」とは、実際に行動しなくても行動している気持ちになることだろう。


気持ちも気(ki)であると考えるから、「 活動電位 」も気(ki)であると思う。


生気論の気(ki)と共通する。


ネットによると、この「 活動電位 」は、細胞ごとに相違するという(参照を見てください)


私は、ひとつの「 活動電位 」が、細胞ごとに相違した結果、ミラーニューロンが「 意図の理解 」や「 共感 」や「 言語 」や「 シュミレーション 」などに関係すると思うが、私は、これらは、ミラーニューロンだけではなく、他のニューロンと協同して、このような特徴になっていると思う。


私は、ミラーニューロンを気(ki)というエネルギーと情(zyou)の「 思考エネルギー 」を連結するものと考えている。


例えば、「 肺 」で空気を取り入れるように。

ミラーニューロンは、「 契機 」であり、気(ki)であり、「 考えられている機能 」は他のニューロンのバイオリズムだろうと思う。



ミラーニューロンの「 模倣 」は「 心の網膜 」であり、「 感受性 」であり、無意識の「 バイオリズム 」や「 欲 」は「 見る心 」あるいは「 見る欲 」だと思う。


前者の「 活動電位 」が、後者の「 心 」という「 バイオリズム 」を呼び起こし、どのような「 バイオリズム 」や情(zyou)を呼び起こし、あるいは呼び起こさないかは、「 人格 」次第だと思う。


「 感受性 」が「 活動電位 」であり、情(zyou)は、そこから始まると思う。



前回に書いたように、気(ki)の媒体は「 電磁場や重力場が存在する空間 」という「 エーテル 」を必要とするが、情(zyou)は、「 不連続 」の個人が「 欲 」を持てば、「 ミラーニューロン 」の働きで「 模倣 」が始まり、個人の中の「 バイオリズム 」が同調、あるいは「 共感 」することにより伝わる。


ミラーニューロンの「 模倣 」は「 心の網膜 」であり、「 感受性 」であり、「 活動電位 」を感じるか否か、あるいは「 心の網膜 」に写るか否かは、全て「 個人の遺伝子情報に従う 」すなわち「 個人次第である 」。




2012/9/16、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である 」とは、実際に行動しなくても行動している気持ちになることだろう。



気持ちも気(ki)であると考えるから、「 活動電位 」も気(ki)であると思う。


生気論の気(ki)と共通する。


ネットによると、この「 活動電位 」は、細胞ごとに相違するという(参照を見てください)


私は、ひとつの「 活動電位 」が、細胞ごとに相違した結果、ミラーニューロンが「 意図の理解 」や「 共感 」や「 言語 」や「 シュミレーション 」などに関係すると思うが、私は、これらは、ミラーニューロンだけではなく、他のニューロンと協同して、このような特徴になっていると思う。


私は、ミラーニューロンを気(ki)というエネルギーと情(zyou)の「 思考エネルギー 」を連結するものと考えている。


「 活動電位 」は気(ki)であり、ミラーニューロンを持つ生物は、「 エーテル 」を通して全て共通に持つが、それには「 段階 」があると思う。


「 段階 」とは、経済学でいう「 流動性選好 」のようなもので、思考エネルギーにより決まるだろう。


もし、思考エネルギー(E=M×C1×C2)の中でC1やC2が無いなら、Mの遺伝子情報だけで決まるだろう。


C1やC2が加わることにより、「 流動性選好 」が生まれ、「 無常 」である情報の中で、どれほどの確定や実在を求めるかに現れる。


ミラーニューロンは、情(zyou)の基礎であるが、「 実在 」や「 現実 」や「 絶対 」はミラーニューロンにより「 心・精神に形を与えられる 」つまり、無意識のバイオリズムや「 欲 」が「 流動性選好 」の結果として現れるから、無意識の選んだ「 活動電位 」こそ、「 実在 」を決定する「 価値観 」であると考える。


「 共感 」で終わるのか、あるいは「 共感 」を生かして「 自己の人格向上 」に向かうかは、思考エネルギー次第だと思う。


これを、情(zyou)の共通点であると、現時点では考えている。




2012/9/22、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記のように、「 共感 」をミラーニューロンの特徴と考えると、「 不安 」も、ミラーニューロンが働いた結果だろう思う。


それは、下記の参照にある、キルケゴールについての叙述からも言えると思う。


「 彼は 著作中に不安について「反感的共感であり、共感的反感である」とし、不安とは「恐れているものに心惹かれている」ことであると表現している。」


この「 共感 」が、ミラーニューロンの活動電位によって惹起されていると考えると、「 反感 」は情(zyou)であり、感情であり、「反感的共感であり、共感的反感である」とは、「 感情などの情(zyou)が作るミラーニューロンの活動電位であり、ミラーニューロンの活動電位が作る、感情などの情(zyou)である」と同義であると私は考える。


それは、活動電位という気(ki)が、「 無意識(=エネルギー) 」を媒介として、情(zyou)に伝わると考える。


ここで、私が以前書いてきた考えと合流する。


私の考えでは、「 流れるもの 」は気(ki)であり、「 派生するもの 」は情(zyou)であり、「 流れるもの 」は、エネルギーであり、「 連続 」し、「 派生するもの 」は、意識であり、「 不連続 」であるということになる。



「 無意識(=エネルギー)」を媒介するため、思考エネルギー(情)に伝わることができると思う。


この、「 連続 」する「 無意識(=エネルギー)」は「 欲 」であり、「 不連続 」の思考エネルギーが「 存在意識 」の形になり、行為に現れると思う。



2012/9/23、私の考え




これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


この「 共感 」が、ミラーニューロンの活動電位によって惹起されていると考えると、「 反感 」は情(zyou)であり、感情であり、「反感的共感であり、共感的反感である」とは、「 感情などの情(zyou)が作るミラーニューロンの活動電位であり、ミラーニューロンの活動電位が作る、感情などの情(zyou)である」と同義であると私は考える。


それは、活動電位という気(ki)が、「 無意識(=エネルギー) 」を媒介として、情(zyou)に伝わると考える。


「 価値観 」や「 不安 」だけが「 共感 」ではないだろうが、前者は行動を決めるときなどの積極的(プラス)で、後者は消極的(マイナス)な共感だと思う。


先ほど書いたが、人間は「 個人 」であり「 不連続 」であると思うが、これは「 意識 」の特徴であり「 自意識 」が代表的だろう。


しかし、人間は、身体でも意識でも「 不連続 」だが、「 学習 」し「 学ぶ 」ことにより、共感することにより、「 連続 」しているかのように、自分の人格を高めることが出来る。


「 学ぶ 」ことは「 模倣 」から始まるが、この「 模倣 」は、ミラーニューロンを持つからだと思う。


「 反感的共感であり、共感的反感である 」とは、「 不安 」のことだろうが、この過程は「 学ぶ 」過程であり、キルケゴールの「 共感 」はミラーニューロンのことを言っていると、私は解釈する。


「 学ぶ 」ことは、「 模倣 」すること、共感することで、積極的な共感が「 快感 」という価値で「 そうしたい 」という意識に繋がり、消極的な共感は「 反感 」という価値で、「 そのようにならない 」という意識に繋がると思う。


なぜ「 学ぶ 」かは、Tの気(ki)の中に、自分の思考エネルギーや自分の遺伝子で、すべての情(zyou)で、自分の人格を選んでいるからだと思う。


これは、「 無明 」の中に生きる人間が、常に「 人格形成 」を義務づけられ、無常であると知りながら、「 存在意識 」を作る宿命にあることだと思う。
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2012年09月22日

2012/9/22、オカルト・情(zyou)7・共感と不安

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体




2012/9/15、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない


私は、「 ミラーニューロンも気(ki)と情(zyou)に分割することが出来ないだろうか? 」と考えた。



そこで、ミラーニューロンの「 活動電位 」に注目した。

「 自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である 」とは、実際に行動しなくても行動している気持ちになることだろう。


気持ちも気(ki)であると考えるから、「 活動電位 」も気(ki)であると思う。


生気論の気(ki)と共通する。


ネットによると、この「 活動電位 」は、細胞ごとに相違するという(参照を見てください)


私は、ひとつの「 活動電位 」が、細胞ごとに相違した結果、ミラーニューロンが「 意図の理解 」や「 共感 」や「 言語 」や「 シュミレーション 」などに関係すると思うが、私は、これらは、ミラーニューロンだけではなく、他のニューロンと協同して、このような特徴になっていると思う。


私は、ミラーニューロンを気(ki)というエネルギーと情(zyou)の「 思考エネルギー 」を連結するものと考えている。


例えば、「 肺 」で空気を取り入れるように。

ミラーニューロンは、「 契機 」であり、気(ki)であり、「 考えられている機能 」は他のニューロンのバイオリズムだろうと思う。



ミラーニューロンの「 模倣 」は「 心の網膜 」であり、「 感受性 」であり、無意識の「 バイオリズム 」や「 欲 」は「 見る心 」あるいは「 見る欲 」だと思う。


前者の「 活動電位 」が、後者の「 心 」という「 バイオリズム 」を呼び起こし、どのような「 バイオリズム 」や情(zyou)を呼び起こし、あるいは呼び起こさないかは、「 人格 」次第だと思う。


「 感受性 」が「 活動電位 」であり、情(zyou)は、そこから始まると思う。



前回に書いたように、気(ki)の媒体は「 電磁場や重力場が存在する空間 」という「 エーテル 」を必要とするが、情(zyou)は、「 不連続 」の個人が「 欲 」を持てば、「 ミラーニューロン 」の働きで「 模倣 」が始まり、個人の中の「 バイオリズム 」が同調、あるいは「 共感 」することにより伝わる。


ミラーニューロンの「 模倣 」は「 心の網膜 」であり、「 感受性 」であり、「 活動電位 」を感じるか否か、あるいは「 心の網膜 」に写るか否かは、全て「 個人の遺伝子情報に従う 」すなわち「 個人次第である 」。




2012/9/16、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である 」とは、実際に行動しなくても行動している気持ちになることだろう。



気持ちも気(ki)であると考えるから、「 活動電位 」も気(ki)であると思う。


生気論の気(ki)と共通する。


ネットによると、この「 活動電位 」は、細胞ごとに相違するという(参照を見てください)


私は、ひとつの「 活動電位 」が、細胞ごとに相違した結果、ミラーニューロンが「 意図の理解 」や「 共感 」や「 言語 」や「 シュミレーション 」などに関係すると思うが、私は、これらは、ミラーニューロンだけではなく、他のニューロンと協同して、このような特徴になっていると思う。


私は、ミラーニューロンを気(ki)というエネルギーと情(zyou)の「 思考エネルギー 」を連結するものと考えている。


「 活動電位 」は気(ki)であり、ミラーニューロンを持つ生物は、「 エーテル 」を通して全て共通に持つが、それには「 段階 」があると思う。


「 段階 」とは、経済学でいう「 流動性選好 」のようなもので、思考エネルギーにより決まるだろう。


もし、思考エネルギー(E=M×C1×C2)の中でC1やC2が無いなら、Mの遺伝子情報だけで決まるだろう。


C1やC2が加わることにより、「 流動性選好 」が生まれ、「 無常 」である情報の中で、どれほどの確定や実在を求めるかに現れる。


ミラーニューロンは、情(zyou)の基礎であるが、「 実在 」や「 現実 」や「 絶対 」はミラーニューロンにより「 心・精神に形を与えられる 」つまり、無意識のバイオリズムや「 欲 」が「 流動性選好 」の結果として現れるから、無意識の選んだ「 活動電位 」こそ、「 実在 」を決定する「 価値観 」であると考える。


「 共感 」で終わるのか、あるいは「 共感 」を生かして「 自己の人格向上 」に向かうかは、思考エネルギー次第だと思う。


これを、情(zyou)の共通点であると、現時点では考えている。


2012/9/17、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


人類の全てが保有するが、それは皆、独自性があるということに、私は興味がある。


私は、人類の全てがミラーニューロンを保有し、その機能は同一であるが、それから得られる情(zyou)は、全て相違するのだろうと思う。


本を読んだり、音楽や絵画を見て、「 共感 」するのは、自分が保有する情(zyou)が音楽や本や絵画の情(zyou)と「 共鳴 」や「 共感 」することであり、音楽や本や絵画に、自分の情(zyou)を発見し、自分の「 行為 」や「 自分の人格 」の可能性を発見することだと思う。


ミラーニューロンは誰でも保有し、Tの気(ki)に属する機能は同一であるが、何に共感するかは個人の遺伝子情報などの情(zyou)であり、思考エネルギーであり、Uの情(zyou)を断ち切る、Tの「 行為 」を決定する「 価値観 」は「 共感 」であるというのが、私の現時点の考えである。


2012/9/22、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記のように、「 共感 」をミラーニューロンの特徴と考えると、「 不安 」も、ミラーニューロンが働いた結果だろう思う。


それは、下記の参照にある、キルケゴールについての叙述からも言えると思う。


「 彼は 著作中に不安について「反感的共感であり、共感的反感である」とし、不安とは「恐れているものに心惹かれている」ことであると表現している。」


この「 共感 」が、ミラーニューロンの活動電位によって惹起されていると考えると、「 反感 」は情(zyou)であり、感情であり、「反感的共感であり、共感的反感である」とは、「 感情などの情(zyou)が作るミラーニューロンの活動電位であり、ミラーニューロンの活動電位が作る、感情などの情(zyou)である」と同義であると私は考える。


それは、活動電位という気(ki)が、「 無意識(=エネルギー) 」を媒介として、情(zyou)に伝わると考える。


ここで、私が以前書いてきた考えと合流する。


私の考えでは、「 流れるもの 」は気(ki)であり、「 派生するもの 」は情(zyou)であり、「 流れるもの 」は、エネルギーであり、「 連続 」し、「 派生するもの 」は、意識であり、「 不連続 」であるということになる。



「 無意識(=エネルギー)」を媒介するため、思考エネルギー(情)に伝わることができると思う。


この、「 連続 」する「 無意識(=エネルギー)」は「 欲 」であり、「 不連続 」の思考エネルギーが「 存在意識 」の形になり、行為に現れると思う。



「恐れているものに心惹かれている」とは、「 死に対して心惹かれている 」ことだと思う。


人間は「 無明 」であるがため、精神的な方向が無い生命の「 欲 」を持ち、「 死 」に対して常に「 不安 」であるのが「 心惹かれている 」ことだと思う。


これは、明白に不安に言及することは勿論、「 死について何も考えない」ことも「 不安 」の範囲内だと思う。


人体が構造的にミラーニューロンを持つから、死に対する「 不安 」は必然であり、自然であるが、「 精神 」という知性を持つため、無明で無常であるにもかかわらず、思考エネルギーの強弱や大小に応じて「 流動性選好 」するように、種々の段階で「 確かな存在意識 」の形を作る。


それが、道具としての理論であり、論理だと思う。


道具や理論などの「 存在意識 」により、死の不安から逃れることが出来ないが、下記の「 賽の河原の積み石 」のように、無明で無常であると知りつつも「 存在意識 」を作り続ける、あるいは「 報われざる努力 」すなわち「 徒労 」を続けることが宿命であるのが人間だろう。


死を上回る「 欲 」を持てば、「 不安 」を乗り越えられるかもしれない。



参照


不安

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%AE%89

哲学と不安

主に実存哲学(独)及び実存主義(仏)において取り上げられることが多い。先駆的著作としてキルケゴール(Sølen Kierkegaard, 1813-1855)の著作『不安の概念』があり、彼は著作中に不安について「反感的共感であり、共感的反感である」とし、不安とは「恐れているものに心惹かれている」ことであると表現している。


三途川

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%80%94%E5%B7%9D

賽の河原 [編集]


積み石

三途川の河原は「賽の河原」(さいのかわら)と呼ばれる(「賽の河原」と呼ばれる場所も、後述の恐山のものをはじめとして、日本各地に存在する)。賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石(ケアン)による塔を完成させると供養になると言うが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされる

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2012年09月17日

2012/9/17、オカルト・情(zyou)6・共感と価値観と欲

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体




2012/9/15、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない


私は、「 ミラーニューロンも気(ki)と情(zyou)に分割することが出来ないだろうか? 」と考えた。



そこで、ミラーニューロンの「 活動電位 」に注目した。

「 自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である 」とは、実際に行動しなくても行動している気持ちになることだろう。


気持ちも気(ki)であると考えるから、「 活動電位 」も気(ki)であると思う。


生気論の気(ki)と共通する。


ネットによると、この「 活動電位 」は、細胞ごとに相違するという(参照を見てください)


私は、ひとつの「 活動電位 」が、細胞ごとに相違した結果、ミラーニューロンが「 意図の理解 」や「 共感 」や「 言語 」や「 シュミレーション 」などに関係すると思うが、私は、これらは、ミラーニューロンだけではなく、他のニューロンと協同して、このような特徴になっていると思う。


私は、ミラーニューロンを気(ki)というエネルギーと情(zyou)の「 思考エネルギー 」を連結するものと考えている。


例えば、「 肺 」で空気を取り入れるように。

ミラーニューロンは、「 契機 」であり、気(ki)であり、「 考えられている機能 」は他のニューロンのバイオリズムだろうと思う。



ミラーニューロンの「 模倣 」は「 心の網膜 」であり、「 感受性 」であり、無意識の「 バイオリズム 」や「 欲 」は「 見る心 」あるいは「 見る欲 」だと思う。


前者の「 活動電位 」が、後者の「 心 」という「 バイオリズム 」を呼び起こし、どのような「 バイオリズム 」や情(zyou)を呼び起こし、あるいは呼び起こさないかは、「 人格 」次第だと思う。


「 感受性 」が「 活動電位 」であり、情(zyou)は、そこから始まると思う。



前回に書いたように、気(ki)の媒体は「 電磁場や重力場が存在する空間 」という「 エーテル 」を必要とするが、情(zyou)は、「 不連続 」の個人が「 欲 」を持てば、「 ミラーニューロン 」の働きで「 模倣 」が始まり、個人の中の「 バイオリズム 」が同調、あるいは「 共感 」することにより伝わる。


ミラーニューロンの「 模倣 」は「 心の網膜 」であり、「 感受性 」であり、「 活動電位 」を感じるか否か、あるいは「 心の網膜 」に写るか否かは、全て「 個人の遺伝子情報に従う 」すなわち「 個人次第である 」。




2012/9/16、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である 」とは、実際に行動しなくても行動している気持ちになることだろう。



気持ちも気(ki)であると考えるから、「 活動電位 」も気(ki)であると思う。


生気論の気(ki)と共通する。


ネットによると、この「 活動電位 」は、細胞ごとに相違するという(参照を見てください)


私は、ひとつの「 活動電位 」が、細胞ごとに相違した結果、ミラーニューロンが「 意図の理解 」や「 共感 」や「 言語 」や「 シュミレーション 」などに関係すると思うが、私は、これらは、ミラーニューロンだけではなく、他のニューロンと協同して、このような特徴になっていると思う。


私は、ミラーニューロンを気(ki)というエネルギーと情(zyou)の「 思考エネルギー 」を連結するものと考えている。


「 活動電位 」は気(ki)であり、ミラーニューロンを持つ生物は、「 エーテル 」を通して全て共通に持つが、それには「 段階 」があると思う。


「 段階 」とは、経済学でいう「 流動性選好 」のようなもので、思考エネルギーにより決まるだろう。


もし、思考エネルギー(E=M×C1×C2)の中でC1やC2が無いなら、Mの遺伝子情報だけで決まるだろう。


C1やC2が加わることにより、「 流動性選好 」が生まれ、「 無常 」である情報の中で、どれほどの確定や実在を求めるかに現れる。


ミラーニューロンは、情(zyou)の基礎であるが、「 実在 」や「 現実 」や「 絶対 」はミラーニューロンにより「 心・精神に形を与えられる 」つまり、無意識のバイオリズムや「 欲 」が「 流動性選好 」の結果として現れるから、無意識の選んだ「 活動電位 」こそ、「 実在 」を決定する「 価値観 」であると考える。


「 共感 」で終わるのか、あるいは「 共感 」を生かして「 自己の人格向上 」に向かうかは、思考エネルギー次第だと思う。


これを、情(zyou)の共通点であると、現時点では考えている。


2012/9/17、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


人類の全てが保有するが、それは皆、独自性があるということに、私は興味がある。


私は、人類の全てがミラーニューロンを保有し、その機能は同一であるが、それから得られる情(zyou)は、全て相違するのだろうと思う。


本を読んだり、音楽や絵画を見て、「 共感 」するのは、自分が保有する情(zyou)が音楽や本や絵画の情(zyou)と「 共鳴 」や「 共感 」することであり、音楽や本や絵画に、自分の情(zyou)を発見し、自分の「 行為 」や「 自分の人格 」の可能性を発見することだと思う。


ミラーニューロンは誰でも保有し、Tの気(ki)に属する機能は同一であるが、何に共感するかは個人の遺伝子情報などの情(zyou)であり、思考エネルギーであり、Uの情(zyou)を断ち切る、Tの「 行為 」を決定する「 価値観 」は「 共感 」であるというのが、私の現時点の考えである。


思考エネルギーは社会的であるので、民族的、国家的、歴史的な影響を受けるから、「 価値観 」は社会や教育や環境によって作られる「 価値観 」もあるだろう。


「 何に共感するか 」は自分が保有する情(zyou)と共感するのは何かを探すことであり、音楽や本や絵画を見て自分の情(zyou)すなわち「 自分の価値観 」や「 欲 」を発見することだと思う。


気(ki)や情(zyou)の内容は無意識の「 欲 」であり、「 無明 」であるため「 方向性 」が無く、「 方向性 」は記憶による情(zyou)に左右されるが、情(zyou)は「 無常 」であるため、科学などにより「 確定性 」を求めるが「 無常 」から逃れることは出来ず、「 妥協 」しか無い。


それは、情(zyou)が「 欲 」であることで、呼吸すること、食べることなど生命の維持自体が「 欲 」であり、情(zyou)すなわち「 欲 」を欠いた人間は存在しないからだと思う。
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2012年09月16日

2012/9/16、オカルト・情(zyou)5・活動電位

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体




2012/9/15、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない


私は、「 ミラーニューロンも気(ki)と情(zyou)に分割することが出来ないだろうか? 」と考えた。



そこで、ミラーニューロンの「 活動電位 」に注目した。

「 自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である 」とは、実際に行動しなくても行動している気持ちになることだろう。


気持ちも気(ki)であると考えるから、「 活動電位 」も気(ki)であると思う。


生気論の気(ki)と共通する。


ネットによると、この「 活動電位 」は、細胞ごとに相違するという(参照を見てください)


私は、ひとつの「 活動電位 」が、細胞ごとに相違した結果、ミラーニューロンが「 意図の理解 」や「 共感 」や「 言語 」や「 シュミレーション 」などに関係すると思うが、私は、これらは、ミラーニューロンだけではなく、他のニューロンと協同して、このような特徴になっていると思う。


私は、ミラーニューロンを気(ki)というエネルギーと情(zyou)の「 思考エネルギー 」を連結するものと考えている。


例えば、「 肺 」で空気を取り入れるように。

ミラーニューロンは、「 契機 」であり、気(ki)であり、「 考えられている機能 」は他のニューロンのバイオリズムだろうと思う。



ミラーニューロンの「 模倣 」は「 心の網膜 」であり、「 感受性 」であり、無意識の「 バイオリズム 」や「 欲 」は「 見る心 」あるいは「 見る欲 」だと思う。


前者の「 活動電位 」が、後者の「 心 」という「 バイオリズム 」を呼び起こし、どのような「 バイオリズム 」や情(zyou)を呼び起こし、あるいは呼び起こさないかは、「 人格 」次第だと思う。


「 感受性 」が「 活動電位 」であり、情(zyou)は、そこから始まると思う。



前回に書いたように、気(ki)の媒体は「 電磁場や重力場が存在する空間 」という「 エーテル 」を必要とするが、情(zyou)は、「 不連続 」の個人が「 欲 」を持てば、「 ミラーニューロン 」の働きで「 模倣 」が始まり、個人の中の「 バイオリズム 」が同調、あるいは「 共感 」することにより伝わる。


ミラーニューロンの「 模倣 」は「 心の網膜 」であり、「 感受性 」であり、「 活動電位 」を感じるか否か、あるいは「 心の網膜 」に写るか否かは、全て「 個人の遺伝子情報に従う 」すなわち「 個人次第である 」。




2012/9/16、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である 」とは、実際に行動しなくても行動している気持ちになることだろう。



気持ちも気(ki)であると考えるから、「 活動電位 」も気(ki)であると思う。


生気論の気(ki)と共通する。


ネットによると、この「 活動電位 」は、細胞ごとに相違するという(参照を見てください)


私は、ひとつの「 活動電位 」が、細胞ごとに相違した結果、ミラーニューロンが「 意図の理解 」や「 共感 」や「 言語 」や「 シュミレーション 」などに関係すると思うが、私は、これらは、ミラーニューロンだけではなく、他のニューロンと協同して、このような特徴になっていると思う。


私は、ミラーニューロンを気(ki)というエネルギーと情(zyou)の「 思考エネルギー 」を連結するものと考えている。


「 活動電位 」は気(ki)であり、ミラーニューロンを持つ生物は、「 エーテル 」を通して全て共通に持つが、それには「 段階 」があると思う。


「 段階 」とは、経済学でいう「 流動性選好 」のようなもので、思考エネルギーにより決まるだろう。


もし、思考エネルギー(E=M×C1×C2)の中でC1やC2が無いなら、Mの遺伝子情報だけで決まるだろう。


C1やC2が加わることにより、「 流動性選好 」が生まれ、「 無常 」である情報の中で、どれほどの確定や実在を求めるかに現れる。


ミラーニューロンは、情(zyou)の基礎であるが、「 実在 」や「 現実 」や「 絶対 」はミラーニューロンにより「 心・精神に形を与えられる 」つまり、無意識のバイオリズムや「 欲 」が「 流動性選好 」の結果として現れるから、無意識の選んだ「 活動電位 」こそ、「 実在 」を決定する「 価値観 」であると考える。


「 共感 」で終わるのか、あるいは「 共感 」を生かして「 自己の人格向上 」に向かうかは、思考エネルギー次第だと思う。


これを、情(zyou)の共通点であると、現時点では考えている。
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2012年09月15日

2012/9/15、オカルト・情(zyou)4・ミラーニューロン3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体



2012/9/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


その脳細胞とは、「 ミラーニューロン 」である。


私は、以下の参照の、「 他者の意図の理解 」や「 共感 」や「 シュミレーション 」など、から判断して、情(zyou)の成立の前段階に「 ミラーニューロン 」が働くと思う。


「 前運動野 」や「 下頭頂葉 」にあり、前者が「 シュミレーション 」で後者は「 共感 」するときに働くのだろう。


前者が「 小脳 」の働きを必要とし、後者が、記憶などの「 大脳 」の働きを必要とすると考えると、前者が「 小脳の欲 」で後者が「 大脳の欲情 」で、前者が気(ki)の働きで「 無明 」、後者が、情(zyou)の働きで、「 無常 」へと分類する。


ここで、なぜ見たり聞いたりするのか、なぜ情報を得るのかを考えてみる。


それは、「 自分が他の人格を取得するために 」見たり聞いたりして情報を得るのだろう。


前者の「 シュミレーション 」とは、今まで書いたように、他者の行動を自分の行動に置き換えて模倣することだけではなく、他人のことを自分のことに置き換えて、自分の次の行動に活かすためである。


それが「 意味の理解 」であり、「 心・精神に形を与えること 」すなわち「 情報 」を得ることであると思う。


情報の取得の根底には「 ミラーニューロン 」を考えると理解が容易である。


人間の感情の根底には「 ミラーニューロン 」があるのかも知れない。


後者の「 共感 」こそ、今まで哲学者が言ってきた「 感情移入 」や「 共鳴 」であり、絵画や音楽という芸術鑑賞に必要な「 感動 」であり、人間は他の人格への飛翔を可能にするものである。



両者とも情(zyou)であり、「 始めと終わり 」があるもので、普通のニューロンが「 実体 」を形成し、Uの情(zyou)であるのに反し、「 ミラーニューロン 」は「 虚 」であり、Tの気(ki)に分類され、気(ki)を運ぶもの、すなわち無意識というエネルギーの領域の脳細胞であるかも知れない。


これは、学問による解明が待たれることであるが、私は、現時点では「 ミラーニューロン 」を上記のように考えている。


私は、前者の「 シュミレーション 」は「 可能性 」であり、後者の「 共感 」は「 感受性 」となるが、いずれも無意識のバイオリズムから生じると書いたが、「 シュミレーション 」も「 共感 」も「 波動 」であると思う。


「 波動 」は閉じた空間のエネルギーであると思うから、「 ミラーニューロン 」も閉じていて、その間(hazama)が作るバイオリズムが遺伝子情報だから全ての人類は相違するだろうと、現時点では考えている。


「 シュミレーション 」も「 共感 」も、個人的には全て相違し、社会的、民族的、国家的に閉じた無意識で一致するのは、情報と同じ種類だろうと思う。


2012/9/15、私の考え

これは、私だけの考えであり、同調を求めない


私は、「 ミラーニューロンも気(ki)と情(zyou)に分割することが出来ないだろうか? 」と考えた。



そこで、ミラーニューロンの「 活動電位 」に注目した。

「 自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である 」とは、実際に行動しなくても行動している気持ちになることだろう。


気持ちも気(ki)であると考えるから、「 活動電位 」も気(ki)であると思う。


生気論の気(ki)と共通する。


ネットによると、この「 活動電位 」は、細胞ごとに相違するという(参照を見てください)


私は、ひとつの「 活動電位 」が、細胞ごとに相違した結果、ミラーニューロンが「 意図の理解 」や「 共感 」や「 言語 」や「 シュミレーション 」などに関係すると思うが、私は、これらは、ミラーニューロンだけではなく、他のニューロンと協同して、このような特徴になっていると思う。


私は、ミラーニューロンを気(ki)というエネルギーと情(zyou)の「 思考エネルギー 」を連結するものと考えている。


例えば、「 肺 」で空気を取り入れるように。

ミラーニューロンは、「 契機 」であり、気(ki)であり、「 考えられている機能 」は他のニューロンのバイオリズムだろうと思う。



ミラーニューロンの「 模倣 」は「 心の網膜 」であり、「 感受性 」であり、無意識の「 バイオリズム 」や「 欲 」は「 見る心 」あるいは「 見る欲 」だと思う。


前者の「 活動電位 」が、後者の「 心 」という「 バイオリズム 」を呼び起こし、どのような「 バイオリズム 」や情(zyou)を呼び起こし、あるいは呼び起こさないかは、「 人格 」次第だと思う。


「 感受性 」が「 活動電位 」であり、情(zyou)は、そこから始まると思う。



前回に書いたように、気(ki)の媒体は「 電磁場や重力場が存在する空間 」という「 エーテル 」を必要とするが、情(zyou)は、「 不連続 」の個人が「 欲 」を持てば、「 ミラーニューロン 」の働きで「 模倣 」が始まり、個人の中の「 バイオリズム 」が同調、あるいは「 共感 」することにより伝わる。


ミラーニューロンの「 模倣 」は「 心の網膜 」であり、「 感受性 」であり、「 活動電位 」を感じるか否か、あるいは「 心の網膜 」に写るか否かは、全て「 個人の遺伝子情報に従う 」すなわち「 個人次第である 」。







参照


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%B3

ミラーニューロン(英: Mirror neuron)は霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。他人がしていることを見て、我がことのように感じる共感(エンパシー)能力を司っていると考えられている。このようなニューロンは、マカクザルで直接観察され、ヒトやいくつかの鳥類においてその存在が信じられている。ヒトにおいては、前運動野と下頭頂葉においてミラーニューロンと一致した脳の活動が観測されている。

考えられている機能
他者の意図の理解

したがって、下頭頂葉のニューロンは"行動の組み込まれた最終目標によって異なる方法で、同じ行動 (つかむ) をコードしている"といえる[24]。このことは、他者の次の行動を予測し、意図の情報を得るための神経基盤となっていると考えられる[24]。


共感 [編集]
ミラーニューロンは共感とも関連付けられている。なぜなら、特定の脳領域 (特に島皮質前部と下前頭皮質) は自身の情動(快、不快、痛みなど)に反応し、かつ他者の情動を観察する際にも活動するからである[25]

言語
ヒトにおいて、ミラーニューロンシステムはブローカ野(言語領域)に近い下前頭皮質で見つかっている。このことからヒトの言語は、ミラーニューロンによる身振りの実行/理解のシステムから生まれたと考えることもできる。ミラーニューロンは他者の行動の理解、模倣の習得、他者の行動のシミュレーションをもたらすといわれている[30]。しかし、他の多くの言語進化の理論と同様に、その根拠となる直接の証拠はほとんどない。


心の理論


このような私たちの持つ心の理論の能力に関してはいくつもの異なるモデルが存在する。その内最もミラーニューロンと関連が深いのはシミュレーション説である。シミューレーション説によれば、私たちが無意識に観察している他者の心理状態をシミュレートすることで、心の理論は可能となる[34][35]。ミラーニューロンは、私たちが他者をより深く理解するために行うシミュレーションに必要となる機構だと解釈され、ミラーニューロンの発見は、 (発見の10年前から提唱されていた) シミュレーション説の有効性を証明するものであると考えられている[36]。


活動電位

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB%E5%8B%95%E9%9B%BB%E4%BD%8D


活動電位(かつどうでんい、英: action potential)は、なんらかの刺激に応じて細胞膜に生じる一過性の膜電位の変化である。活動電位は、主としてナトリウムイオン、カリウムイオンが、細胞内外の濃度差に従い、イオンチャネルを通じて受動的拡散を起こすことにより起きるものである。
活動電位は動物の本質的な必要条件であり、素早く組織間・内で情報を伝えることができる。また、動物のみならず、植物にも存在する。活動電位は様々な種類の細胞から生み出されるが、最も広範には神経系に於いて、神経細胞同士や、神経細胞から筋肉や腺などの他の体組織に情報を伝達するために使われる。
活動電位は全ての細胞で同じわけではなく、同じ種類の細胞でも細胞固体によって性質が異なることがある。例えば、筋肉は神経に次いで活動電位を発する組織として有名だが、中でも心筋活動電位は大抵の細胞間で大きく異なる。この項では神経細胞の軸索の典型的な活動電位について扱う。



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2012年09月10日

2012/9/10、オカルト・情(zyou)3・ミラーニューロン2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体



2012/9/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


その脳細胞とは、「 ミラーニューロン 」である。


私は、以下の参照の、「 他者の意図の理解 」や「 共感 」や「 シュミレーション 」など、から判断して、情(zyou)の成立の前段階に「 ミラーニューロン 」が働くと思う。


「 前運動野 」や「 下頭頂葉 」にあり、前者が「 シュミレーション 」で後者は「 共感 」するときに働くのだろう。


前者が「 小脳 」の働きを必要とし、後者が、記憶などの「 大脳 」の働きを必要とすると考えると、前者が「 小脳の欲 」で後者が「 大脳の欲情 」で、前者が気(ki)の働きで「 無明 」、後者が、情(zyou)の働きで、「 無常 」へと分類する。


ここで、なぜ見たり聞いたりするのか、なぜ情報を得るのかを考えてみる。


それは、「 自分が他の人格を取得するために 」見たり聞いたりして情報を得るのだろう。


前者の「 シュミレーション 」とは、今まで書いたように、他者の行動を自分の行動に置き換えて模倣することだけではなく、他人のことを自分のことに置き換えて、自分の次の行動に活かすためである。


それが「 意味の理解 」であり、「 心・精神に形を与えること 」すなわち「 情報 」を得ることであると思う。


情報の取得の根底には「 ミラーニューロン 」を考えると理解が容易である。


人間の感情の根底には「 ミラーニューロン 」があるのかも知れない。


後者の「 共感 」こそ、今まで哲学者が言ってきた「 感情移入 」や「 共鳴 」であり、絵画や音楽という芸術鑑賞に必要な「 感動 」であり、人間は他の人格への飛翔を可能にするものである。



両者とも情(zyou)であり、「 始めと終わり 」があるもので、普通のニューロンが「 実体 」を形成し、Uの情(zyou)であるのに反し、「 ミラーニューロン 」は「 虚 」であり、Tの気(ki)に分類され、気(ki)を運ぶもの、すなわち無意識というエネルギーの領域の脳細胞であるかも知れない。


これは、学問による解明が待たれることであるが、私は、現時点では「 ミラーニューロン 」を上記のように考えている。


私は、前者の「 シュミレーション 」は「 可能性 」であり、後者の「 共感 」は「 感受性 」となるが、いずれも無意識のバイオリズムから生じると書いたが、「 シュミレーション 」も「 共感 」も「 波動 」であると思う。


「 波動 」は閉じた空間のエネルギーであると思うから、「 ミラーニューロン 」も閉じていて、その間(hazama)が作るバイオリズムが遺伝子情報だから全ての人類は相違するだろうと、現時点では考えている。


「 シュミレーション 」も「 共感 」も、個人的には全て相違し、社会的、民族的、国家的に閉じた無意識で一致するのは、情報と同じ種類だろうと思う。


2012/9/10、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


人間の感情の根底には「 ミラーニューロン 」があるのかも知れない。


このように考えることにより、Tの気(ki)が、「 連続 」して「 実有 」であり、Uの情(zyou)が「 不連続 」で「 虚(kyo) 」であるという考えが正しいように考える。


よく考えよう。


Tの気(ki)は、伝導するためには、「 真空のエネルギーの場 」や「 大気 」などの「 媒体 」を必要とする。


だから、「 連続 」であり「 実有 」であると考える。


Uの情(zyou)は、伝導するための「 媒体 」を必要としない。


情(zyou)は、「 個人 」という「 不連続 」な個体の間(hazama)で、伝導する。


情(zyou)の代表的なものは「 情報 」や「 遺伝子情報 」などであると思うが、全人類が相違する「 遺伝子情報 」の中で、全人類が持つ「 ミラーニューロン 」の働きで、社会的な意味である「 情報 」が伝わることが出来る。


Tの気(ki)の「 媒体 」という「 実有 」がUの情(zyou)の場合は、虚数(kyosuu)の「 虚(kyo) 」である。


Uの情(zyou)の媒体は、言葉が、「 言霊(kotodama)」というように、「 霊 」である。


「 霊 」を「 媒体 」とすることが、虚数(kyosuu)の「 虚(kyo) 」であり、それは「 ミラーニューロン 」の働きを不可欠とするので、「 人間の感情の根底には「 ミラーニューロン 」がある 」と考える。



「 不連続 」な個人が、「 聞こう 」とか「 読もう 」とかいう「 欲 」を持てば、「 ミラーニューロン 」の働きで、「 模倣 」が始まり、個人の中の「 バイオリズム 」を同調、あるいは「 共感 」して、情(zyou)が伝わる。


情(zyou)の実体は「 欲 」であり、「 可能性 」であるが、それは、空気や真空という「 実有 」を伝わるのではなく、個人が「 共感 」することにより伝わる。


情(zyou)は、「 心 」とも同義だと思う。


これが「 虚(kyo) 」の空間、すなわち「 霊 」であるから、「 人間は霊長類である 」と呼ばれると思う。
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2012年09月09日

2012/9/9、オカルト・情(zyou)2・ミラーニューロン

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体



2012/9/1、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」などという言葉があるが、これは天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、上述の「 言葉 」であると思う。


私は、「 ビッグ・バン宇宙論 」でなく「 プラズマ宇宙論 」を支持し、「 生気(seiki)論 」を支持するから、太陽の活動が、人類の頭脳と直結し、気(ki)という生物的な電気(denki)が、社会的無意識を形成し、「 景気循環 」を起こすことも肯定できる。


気(ki)が、人間の頭脳と宇宙が直結することを可能にするのは何か?

私は、「 エーテル 」が直結を可能にしていると思う。

………………(省略)………………………


光も音も、一つの周波数であり、人間は人体のバイオリズムにより、「 知覚することが出来るもの 」だけを知覚する。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」の知覚すなわちバイオリズムで獲得される「 精神 」や(情zyou)は、光や音や電磁波や重力という太陽や宇宙と結ぶエネルギーの気(ki)と二重構造になっていて、「 エーテル 」が両者の通り道であると考える。


後者は「 連続 」し、前者は生体のバイオリズムで知覚した獲得物だから「 不連続 」である。


科学も後者に属するから、「 法則 」といえど「 切り取った不連続なもの 」であると思う。


そうなると、「 連続 」や「 実有 」を成立させているのは「 エーテル 」であり、「 真空というエネルギーを運ぶ場 」であると思う。



エーテルは宇宙から人体の中まで存在し、「 呼吸をすること 」は、「 エーテルと共に有る空気(kuuki)を吸い込むこと 」であり、私たちか口に入れているのは「 宇宙の一部 」であり、宇宙」と共に生きることであると思う。

………………(省略)………………………



それは、気(ki)が「 心的存在意識 」の形になった後に測定したものが情(zyou)であると思うから、測定には前後すると思うからだ。


2012/9/8、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上のように、気(ki)は、人体の細胞から宇宙まで「 連続 」し、自分の肉体と宇宙を区別することが出来ない。


私が「 自分 」と「 宇宙 」を区別するのは、Uの情(zyou)という意識が原因であると思う。


情(zyou)は、情報(zyouhou)が代表し、その内容は以下の参照のとおりである。


上記のように気(ki)はひとつのエネルギーで開放的だが、私という個人の情(zyou)が、すなわち、始めと終わりの間(hazama)で出来るバイオリズムが、バイオリズムに合致するように切り取り、意識にすると考える。


情報(zyouhou)は、「 心・精神に形を与えるもの 」であると参照の中にあるが、情報を含む情(zyou)は「 閉ざすもの 」であり、現実的で社会的で文化的であり、実体を形成すると思う。


個人的、民族的、国家的、文化的であり、全ての人間が、世界で唯一の存在である「 自我 」を形成するのは情(zyou)であり、人は情(zyou)という色眼鏡で見ているのであり、情報は自分が理解可能な情報しか知らず(私の場合です)、遺伝子情報や全ての社会の情報によって得るのは、自分が興味を持つ事柄であり、選択や行為は、その人の「 人格 」を現し、全ての情(zyou)は、自己の内部から生じると考える。


自分を知っているのは「 自分 」であり、社会で認められる自分を形成しているのも「 自分 」であり、その「 責任 」は「 自分 」にあると思う。


どのような情報を信じるかは、「 自分 」の価値判断であり、情報も個人的、民族的、国家的、文化的価値を内包していて、何を信じるかは、選択という行為する自分に任されていると思う。


事物や事象自体は、無味無臭で単なる出来事であるが(気(ki))、それを、置かれた状況により意味を付与し、着色するのは、自分の内部にある「 欲 」であり、記憶が加わると「 欲望 」である。


情(zyou)や情報(zyouhou)についての知識は、本を読んだりネットで調べてほしい。


私はこれまで、「 可能性 」や「 感受性 」を重視する記事を書いてきた関係で、「 生体(生命)が働くために用いられている指令や信号 」に注目したい。


「 感覚器への入力だけとする限定的解釈 」 は、「 感受性 」かもしれないし、「 情報と判断や意識の有無 」の記述は「 知識 」と「 知恵 」を結ぶものであるかも知れない。


そして、「 生体(生命)が働くために用いられている指令や信号 」は、DNAに組み込まれた遺伝子情報であると思うから、脳細胞について考えなくてはならない。


私は勉強していないから、ネット情報で想像するだけだが、ひとつの脳細胞に注目した。、


2012/9/9、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


その脳細胞とは、「 ミラーニューロン 」である。


私は、以下の参照の、「 他者の意図の理解 」や「 共感 」や「 シュミレーション 」など、から判断して、情(zyou)の成立の前段階に「 ミラーニューロン 」が働くと思う。


「 前運動野 」や「 下頭頂葉 」にあり、前者が「 シュミレーション 」で後者は「 共感 」するときに働くのだろう。


前者が「 小脳 」の働きを必要とし、後者が、記憶などの「 大脳 」の働きを必要とすると考えると、前者が「 小脳の欲 」で後者が「 大脳の欲情 」で、前者が気(ki)の働きで「 無明 」、後者が、情(zyou)の働きで、「 無常 」へと分類する。


ここで、なぜ見たり聞いたりするのか、なぜ情報を得るのかを考えてみる。


それは、「 自分が他の人格を取得するために 」見たり聞いたりして情報を得るのだろう。


前者の「 シュミレーション 」とは、今まで書いたように、他者の行動を自分の行動に置き換えて模倣することだけではなく、他人のことを自分のことに置き換えて、自分の次の行動に活かすためである。


それが「 意味の理解 」であり、「 心・精神に形を与えること 」すなわち「 情報 」を得ることであると思う。


情報の取得の根底には「 ミラーニューロン 」を考えると理解が容易である。


人間の感情の根底には「 ミラーニューロン 」があるのかも知れない。


後者の「 共感 」こそ、今まで哲学者が言ってきた「 感情移入 」や「 共鳴 」であり、絵画や音楽という芸術鑑賞に必要な「 感動 」であり、人間は他の人格への飛翔を可能にするものである。



両者とも情(zyou)であり、「 始めと終わり 」があるもので、普通のニューロンが「 実体 」を形成し、Uの情(zyou)であるのに反し、「 ミラーニューロン 」は「 虚 」であり、Tの気(ki)に分類され、気(ki)を運ぶもの、すなわち無意識というエネルギーの領域の脳細胞であるかも知れない。


これは、学問による解明が待たれることであるが、私は、現時点では「 ミラーニューロン 」を上記のように考えている。


私は、前者の「 シュミレーション 」は「 可能性 」であり、後者の「 共感 」は「 感受性 」となるが、いずれも無意識のバイオリズムから生じると書いたが、「 シュミレーション 」も「 共感 」も「 波動 」であると思う。


「 波動 」は閉じた空間のエネルギーであると思うから、「 ミラーニューロン 」も閉じていて、その間(hazama)が作るバイオリズムが遺伝子情報だから全ての人類は相違するだろうと、現時点では考えている。


「 シュミレーション 」も「 共感 」も、個人的には全て相違し、社会的、民族的、国家的に閉じた無意識で一致するのは、情報と同じ種類だろうと思う。



参照



ミラーニューロン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%B3

ミラーニューロン(英: Mirror neuron)は霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。他人がしていることを見て、我がことのように感じる共感(エンパシー)能力を司っていると考えられている。このようなニューロンは、マカクザルで直接観察され、ヒトやいくつかの鳥類においてその存在が信じられている。ヒトにおいては、前運動野と下頭頂葉においてミラーニューロンと一致した脳の活動が観測されている。


考えられている機能
他者の意図の理解

したがって、下頭頂葉のニューロンは"行動の組み込まれた最終目標によって異なる方法で、同じ行動 (つかむ) をコードしている"といえる[24]。このことは、他者の次の行動を予測し、意図の情報を得るための神経基盤となっていると考えられる[24]。


共感 [編集]
ミラーニューロンは共感とも関連付けられている。なぜなら、特定の脳領域 (特に島皮質前部と下前頭皮質) は自身の情動(快、不快、痛みなど)に反応し、かつ他者の情動を観察する際にも活動するからである[25]

言語
ヒトにおいて、ミラーニューロンシステムはブローカ野(言語領域)に近い下前頭皮質で見つかっている。このことからヒトの言語は、ミラーニューロンによる身振りの実行/理解のシステムから生まれたと考えることもできる。ミラーニューロンは他者の行動の理解、模倣の習得、他者の行動のシミュレーションをもたらすといわれている[30]。しかし、他の多くの言語進化の理論と同様に、その根拠となる直接の証拠はほとんどない。


心の理論


このような私たちの持つ心の理論の能力に関してはいくつもの異なるモデルが存在する。その内最もミラーニューロンと関連が深いのはシミュレーション説である。シミューレーション説によれば、私たちが無意識に観察している他者の心理状態をシミュレートすることで、心の理論は可能となる[34][35]。ミラーニューロンは、私たちが他者をより深く理解するために行うシミュレーションに必要となる機構だと解釈され、ミラーニューロンの発見は、 (発見の10年前から提唱されていた) シミュレーション説の有効性を証明するものであると考えられている[36]。


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2012年09月08日

2012/9/8、オカルト・情(zyou)1・情報

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為

無明

生命



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続



情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体



2012/9/1、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」などという言葉があるが、これは天体の物質という観点から見ると、連続した物質であり、人間が「 物質 」や「 存在 」を決める「 心的存在意識 」を境にして、バイオリズム(知覚)で切り取り、「 不連続 」にした結果が、上述の「 言葉 」であると思う。


私は、「 ビッグ・バン宇宙論 」でなく「 プラズマ宇宙論 」を支持し、「 生気(seiki)論 」を支持するから、太陽の活動が、人類の頭脳と直結し、気(ki)という生物的な電気(denki)が、社会的無意識を形成し、「 景気循環 」を起こすことも肯定できる。


気(ki)が、人間の頭脳と宇宙が直結することを可能にするのは何か?

私は、「 エーテル 」が直結を可能にしていると思う。


下記の「 エーテルの否定 」の中でも、「 アインシュタインは「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在せず、従って「エーテルに対する相対運動」を考えることは無意味となる 」「 エーテルの実在性は完全には否定されていない 」。という記述がある。


私は、提唱と違うかも知れないが「 エーテル 」を、「 エネルギーを運ぶ場 」と考えて、人間と宇宙を結んでいると考える。

それが分類Tの「 関係 」である。


光も音も、一つの周波数であり、人間は人体のバイオリズムにより、「 知覚することが出来るもの 」だけを知覚する。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」の知覚すなわちバイオリズムで獲得される「 精神 」や(情zyou)は、光や音や電磁波や重力という太陽や宇宙と結ぶエネルギーの気(ki)と二重構造になっていて、「 エーテル 」が両者の通り道であると考える。


後者は「 連続 」し、前者は生体のバイオリズムで知覚した獲得物だから「 不連続 」である。


科学も後者に属するから、「 法則 」といえど「 切り取った不連続なもの 」であると思う。


そうなると、「 連続 」や「 実有 」を成立させているのは「 エーテル 」であり、「 真空というエネルギーを運ぶ場 」であると思う。



エーテルは宇宙から人体の中まで存在し、「 呼吸をすること 」は、「 エーテルと共に有る空気(kuuki)を吸い込むこと 」であり、私たちか口に入れているのは「 宇宙の一部 」であり、宇宙」と共に生きることであると思う。


人体の細胞の隅々まで「 エーテル 」が充満しているのも、人体の隅々までエネルギーが満たされていることであり、人間は宇宙と繋がって生きていることを示していると思う。




空気をポンプで抜くと「 真空 」になるが、これは宇宙線を無視すれば「 宇宙の真空 」と同じであるだろうし、この「 真空 」がエーテルであるかも知れない。


「 大気(taiki)」「 空気(kuuki)」「 天気(tenki)」「 電気(denki)」「 気持ち(kimoti)」の知覚すなわちバイオリズムと共に「 真空 」が存在し、気(ki)を運んでいると思う。


エーテルが重力や電磁波や、気(ki)などのエネルギーを運ぶ「 真空というエネルギーの場 」とすれば、「 位置 」という人間の「 精神的なもの 」、すなわち情(zyou )である概念は存在しない。



「 位置 」などの「 精神的なもの 」とエネルギーが同時に測定することができないことは、情(zyou)と気(ki)が同時に測定することが出来ないことであり、量子力学の「 観測問題 」の原因と同じであるかも知れない。


それは、気(ki)が「 心的存在意識 」の形になった後に測定したものが情(zyou)であると思うから、測定には前後すると思うからだ。


2012/9/8、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


以上のように、気(ki)は、人体の細胞から宇宙まで「 連続 」し、自分の肉体と宇宙を区別することが出来ない。


私が「 自分 」と「 宇宙 」を区別するのは、Uの情(zyou)という意識が原因であると思う。


情(zyou)は、情報(zyouhou)が代表し、その内容は以下の参照のとおりである。


上記のように気(ki)はひとつのエネルギーで開放的だが、私という個人の情(zyou)が、すなわち、始めと終わりの間(hazama)で出来るバイオリズムが、バイオリズムに合致するように切り取り、意識にすると考える。


情報(zyouhou)は、「 心・精神に形を与えるもの 」であると参照の中にあるが、情報を含む情(zyou)は「 閉ざすもの 」であり、現実的で社会的で文化的であり、実体を形成すると思う。


個人的、民族的、国家的、文化的であり、全ての人間が、世界で唯一の存在である「 自我 」を形成するのは情(zyou)であり、人は情(zyou)という色眼鏡で見ているのであり、情報は自分が理解可能な情報しか知らず(私の場合です)、遺伝子情報や全ての社会の情報によって得るのは、自分が興味を持つ事柄であり、選択や行為は、その人の「 人格 」を現し、全ての情(zyou)は、自己の内部から生じると考える。


自分を知っているのは「 自分 」であり、社会で認められる自分を形成しているのも「 自分 」であり、その「 責任 」は「 自分 」にあると思う。


どのような情報を信じるかは、「 自分 」の価値判断であり、情報も個人的、民族的、国家的、文化的価値を内包していて、何を信じるかは、選択という行為する自分に任されていると思う。


事物や事象自体は、無味無臭で単なる出来事であるが(気(ki))、それを、置かれた状況により意味を付与し、着色するのは、自分の内部にある「 欲 」であり、記憶が加わると「 欲望 」である。


情(zyou)や情報(zyouhou)についての知識は、本を読んだりネットで調べてほしい。


私はこれまで、「 可能性 」や「 感受性 」を重視する記事を書いてきた関係で、「 生体(生命)が働くために用いられている指令や信号 」に注目したい。


「 感覚器への入力だけとする限定的解釈 」 は、「 感受性 」かもしれないし、「 情報と判断や意識の有無 」の記述は「 知識 」と「 知恵 」を結ぶものであるかも知れない。


そして、「 生体(生命)が働くために用いられている指令や信号 」は、DNAに組み込まれた遺伝子情報であると思うから、脳細胞について考えなくてはならない。


私は勉強していないから、ネット情報で想像するだけだが、ひとつの脳細胞に注目した。、


その結果、私が考えている内容は、次回から書く予定である。




参照


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1

情報(じょうほう、英語: information、ラテン語: informatioインフォルマーティオー)とは、
1. あるものごとの内容や事情についての知らせ[1]のこと。
2. 文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手において、状況に対する知識をもたらしたり、適切な判断を助けたりするもの[1]のこと。
3. 生体(生命)が働くために用いられている指令や信号[1]こと。
4. (情報科学での用法)価値判断を除いて、量的な存在としてとらえたそれ

・ 概説
情報とは何かという問いに、ただひとつの答えを与えることは困難である[2]。
対応する英語の "information" は、informの名詞形であり、(心において)form(形)を与える、といった意味があり、語源としてはラテン語のinformationem(=心・精神に形を与える)、さらに語源を遡れば、ギリシャ語のeidosという語にも遡り、プラトンによるideaイデア論における用法にも遡ることができる。(→#語源)
情報という用語は、informationは歴史的に見ると哲学的な意味を継承している。が、近代では、1の意味の、事象、事物、過程、事実などの対象について知りえたこと、つまり「知らせ」の意味で広く使われてきた。20世紀、1940年代までの日常言語では、情報が諜報と近い意味と見なされ、なんらかの価値あることを知ったとき「情報を得た」といったように用いていた[2]。《価値》と結びつけられたものを《情報》としていたわけである。
20世紀後半における情報理論の発展に伴った意味・概念が加わる形で、より広い意味で使われるようになってきた。
1の意味での情報は「情報を交換する[1]」「情報を流す[1]」「情報が漏れる[1]」「極秘情報[1]」などのように用いられている[1]。
2の意味の情報は、「情報時代[1]」「情報社会」のように用いられている。
3の意味での情報は、生体の神経系のそれ[1]や、内分泌系のホルモン情報[1]などの生体シグナルの他にも、遺伝子に保持されているそれ、あるいは生命が生きる過程で遺伝子や細胞内に新たに書き加えられたり書きかえられたりするそれ[3]である。他にも環境中の光や音、生命に影響を与えうるあらゆるものを「情報」とみなすことができる。


生命と情報
多様な意味
冒頭に説明したように、生命に関わる情報としては、神経系のそれ[1]や、内分泌系のホルモン情報[1](身体の中で細胞同士が、神経システムを用いずに、微量物質によっておこなっている、直にやりとりしているそれ)、遺伝子に保持されているそれ、あるいは生命が生きる過程で遺伝子や細胞内に新たに書き加えられたり書きかえられたりするそれ[9]が挙げられる。他にも環境中の光や音、生命に影響を与えうるあらゆるものを「情報」とみなすことができる。

感覚器への入力だけとする限定的解釈 [編集]
一部の人は「情報は、生物や有機的システムへの入力」と限定的に解釈する場合がある。さらにDusenberyは入力を2つに分類して考えた。ある種の入力はその生物(例えば、食物)やシステム(例えば、エネルギー)が機能を維持するのに重要な役割を果たす。Dusenberyは著書Sensory Ecology[10](1992)の中でそのような入力を「原因入力 (causal input)」 と称した。他の入力(情報)は原因入力との関連性においてのみ重要であり、将来、いつどこで原因入力が得られるのかを予測する役に立つ。一部の情報は他の情報との関連において重要だが、最終的には原因入力との関連がなければ意味がない、という。実際、情報は通常 弱い刺激として何らかの感覚システムで検出され、エネルギー入力によって増幅されてから生物や装置にとって意味のあるものになる。例えば、植物にとって光は原因入力であることが多いが、動物にとっても情報を提供する。花の反射する特定の色の光は光合成を行うには弱すぎるが、ミツバチの視覚はその光を検出し、蜜や花粉という原因入力を見つけるのに使う。植物側から見れば、そのような情報を発信することでミツバチを引き寄せ、受粉を手伝わせるという意味がある。

情報と判断や意識の有無 [編集]

人の場合の実際  [編集]
「情報」と「知識」の複雑な定義は意味的・論理的な分析が難しいが、情報から知識への変換の条件は重要なポイントであり、特にナレッジマネジメントにおいて重要である。知的労働者が調査し判断を下すとき、次のような過程を経る。
・ 効率的に価値と意味を引き出すために情報を吟味する。
・ 可能ならばメタデータを参照する。
・ 考えられる多くの文脈の中から、適切な文脈を確立する。
・ その情報から新たな知識を引き出す。
・ 得られた知識から、何らかの意思決定または推奨を行う。



posted by kandk55 at 04:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 39 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする