2013年04月08日

2013/4/8、気(ki)と情(zyou)と欲 17・医食同源

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/4/7、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



日本語の「 病気(byouki)」は「 病(yamai)」と「 気(ki)」を組み合わせている。

The mind rules the body.

何事も「 心 」の持ち方次第であり、人体は霊の統一体であると思うが、私は次のように考える。


私の立場は、気(ki)と情(zyou)を峻別し、両者は相容れない特質を持ち、それが上記のTとUの違いだろうと思う。

「 病(yamai)」は、気(ki)を通して人から人へ感染するのは精神疾患に該当すると思うが、インフルエンザの場合の気(ki)は大気(taiki)であり、その中で運搬する媒体は情(zyou)の「 霊 」であり、気(ki)の「 魂 」ではないと思う。

トリインフルエンザは細胞寄生体でありウイルスという「 実体 」の増殖であり、情(zyou)である医学で退治することが出来るだろう。

トリインフルエンザを運搬するのが「 霊 」であるとは、鳥の身体を形成する「 鳥の霊 」のリズムを崩す「 病(yamai)」が人体を形成する「 人間の霊 」の調子を崩すことであり、「 鳥の霊 」が「 人間の霊 」に伝播したと私は考える。

「 人の霊 」が「 鳥の死霊 」に感染したと言う。

トリインフルエンザは、科学で解決することが出来る「 死霊 」の感染だろう。

鳥を食べて、その毒でもあるトリインフルエンザを人間の胎内に取り込む。

細胞寄生は、「 エーテル 」の領域(たとえば宇宙)で行われるエネルギーの交換ではなく、従って気(ki)ではなく、「 大気 」、すなわち生命界の中の死への感染であり、人体を統一する「 霊 」への「 鳥の霊 」の寄生である。

種の壁で遮られていた「 病(yamai)」という「 霊 」が、人体の霊に寄生したことであり、死亡した人は「 死霊 」の人、すなわちゾンビ、であるだろう。

それは、鳥を食べるときに心がける気持ちや「 鳥の霊 」に感謝して「 霊 」という生命を頂くという気持ちや「 欲 」(食欲)があれば感染しないだろうし、食生活を反省しなければ、同じように「 病気 」になるだろう。

「 医食同源 」

これは、中国の言葉である。


もし、それが「 エーテル 」の中の気(ki)の「 魂 」の仕業であれば、その「 魂 」は神様の指示によるかも知れない。



「 平和の象徴である鳩を食べるな と。



2013/4/8、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


先日、「 医食同源 」は、中国の言葉だと書いたが、ネットで調べてみると、日本での「 造語 」だと判明しましたので、訂正します。

私が言いたいことは、「 漢方薬 」も同じで、「 医は食にあり 」で、健康の源は食事であることです。

鳥を食べる食生活は、鳥インフルエンザの感染も含めて「 食べる 」ことであり、10年前の「 SARS 」を生んだ状況は、改善されていないことであり、自業自得、善因善果・悪因悪果のことわざが真実である証明であると思います。

「 鳩 」を食べると、「 鳩 」を死に至らしめる病気があるはずです。

人間の場合の「 ガン 」のように。

「 鳩 」やニワトリを、生命を頂くという感謝の気持ちも無しに、物質として食べる習慣が改められない限り、第二、第三の「 SARS 」が発生するでしょう。

鳥が死ぬ時限爆弾を、人間が飲み込むのです。

「 SARS 」などの病気を薬によって防ぐのではなく、食べ物を選択することで防ぐ方法もあるはずです。


生き物が誕生して死亡することが「 霊的統一体 」であるなら、「 霊 」が乗り移ったと考えてもよいと思います。

ちなみに、日本人は「 鳩 」を食べません。



医食同源

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E9%A3%9F%E5%90%8C%E6%BA%90

医食同源(いしょくどうげん)とは、日頃からバランスの取れた美味しい食事をとることで病気を予防し、治療しようとする考え方。

「医食同源」という言葉自体は中国の薬食同源思想から着想を得て、近年、日本で造語された。この言葉「医食同源」は発想の元になった中国へ逆輸入されている。

………………(省略)………………………


ちなみに、中国における「医食同源」的な思考とは、「肝臓を食べると肝臓に効く」「脳を食べると脳にいい」 「心臓を食べると心臓によい」といった様な中国漢方的なものである。

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2013年04月07日

2013/4/7、気(ki)と情(zyou)と欲 16・鳥インフルエンザ

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)






2013/3/31、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

エーテルの中で「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 )が伝播され、それを五感で感じたとき、「 エネルギー 」と呼ぶと考えると、物理学や化学で、エネルギーの測定指標が違うのも肯定することが出来る。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は目に見えないものであり、気(ki)のTの特徴があると思う。

私は、題名どおり、気(ki)と情(zyou)と欲に分類し、宇宙の「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は気(ki)、社会や人類全体の遺伝子情報も含めて「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」を情(zyou)と考え、それを五感で捉えたとき、「 欲 」と考えている。

宇宙すべてに「 欲 」は広がるから、月や火星などの天球に興味がわくのであり、物質の素粒子などにも興味がわくのだろう。

その根本的な「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」を「 小脳の可能性 」で、根本的な欲を「 小脳の欲 」であると私は考えている。

「 小脳の可能性 」は気(ki)のTであり、連続した関係で実有であり、「 形が無い関係であり、形を造る関係 」であり、それを五感で捉えたとき「 小脳の欲 」という実体になり、言語の「 言霊 」というのも、この「 小脳の可能性 」を「 欲 」に具現化する言葉が持つ「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であり、気(ki)の「 魂 」であると思う。

「 言霊 」に「 霊 」という言葉をつかうが、「 魂 」でなければエネルギーにならない。

「 魂 」を持つ言葉だけが、「 言霊 」を持つというのにふさわしい。

中華人民共和国は「 死霊 」を持つ「 ゾンビ 」を考えるが、「 ゾンビ 」は何の解決にもならず、「 魂 」の働きを不明にし、解決を阻害する。

中華人民共和国は「 魂 」が無い国であるかも知れない。

歌にも「 ソウル 」という分野があるが、絵画では画家の「 ソウル(魂) 」が人に伝わり、人の中で「 関係 」がエネルギーという「 実体 」になるのかも知れない。

人の行動の動機になって、はじめて「 エネルギー 」と認められるので、私の考えはエネルギーにならないだろう。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」がエーテルの中で伝播し、それは「 魂 」であり、人間の中では「 無意識 」の中で、伝播すると考える。


2013/4/7、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。



日本語の「 病気(byouki)」は「 病(yamai)」と「 気(ki)」を組み合わせている。

The mind rules the body.

何事も「 心 」の持ち方次第であり、人体は霊の統一体であると思うが、私は次のように考える。


私の立場は、気(ki)と情(zyou)を峻別し、両者は相容れない特質を持ち、それが上記のTとUの違いだろうと思う。

「 病(yamai)」は、気(ki)を通して人から人へ感染するのは精神疾患に該当すると思うが、インフルエンザの場合の気(ki)は大気(taiki)であり、その中で運搬する媒体は情(zyou)の「 霊 」であり、気(ki)の「 魂 」ではないと思う。

トリインフルエンザは細胞寄生体でありウイルスという「 実体 」の増殖であり、情(zyou)である医学で退治することが出来るだろう。

トリインフルエンザを運搬するのが「 霊 」であるとは、鳥の身体を形成する「 鳥の霊 」のリズムを崩す「 病(yamai)」が人体を形成する「 人間の霊 」の調子を崩すことであり、「 鳥の霊 」が「 人間の霊 」に伝播したと私は考える。

「 人の霊 」が「 鳥の死霊 」に感染したと言う。

トリインフルエンザは、科学で解決することが出来る「 死霊 」の感染だろう。

鳥を食べて、その毒でもあるトリインフルエンザを人間の胎内に取り込む。

細胞寄生は、「 エーテル 」の領域(たとえば宇宙)で行われるエネルギーの交換ではなく、従って気(ki)ではなく、「 大気 」、すなわち生命界の中の死への感染であり、人体を統一する「 霊 」への「 鳥の霊 」の寄生である。

種の壁で遮られていた「 病(yamai)」という「 霊 」が、人体の霊に寄生したことであり、死亡した人は「 死霊 」の人、すなわちゾンビ、であるだろう。

それは、鳥を食べるときに心がける気持ちや「 鳥の霊 」に感謝して「 霊 」という生命を頂くという気持ちや「 欲 」(食欲)があれば感染しないだろうし、食生活を反省しなければ、同じように「 病気 」になるだろう。

「 医食同源 」

これは、中国の言葉である。


もし、それが「 エーテル 」の中の気(ki)の「 魂 」の仕業であれば、その「 魂 」は神様の指示によるかも知れない。



「 平和の象徴である鳩を食べるな と。
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2013年03月31日

2013/3/31、気(ki)と情(zyou)と欲15・エネルギーと魂

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/2/25、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記のように、気(ki)であるエーテルの中で伝わるエネルギー(欲)が第六感で、情(zyou)である大気の中で伝わるエネルギーを感じるのが五感であると考えた。

気(ki)は、情(zyou)の中で「 不安 」であることは前に書いたが、この「 不安 」が第六感であると思う。

あるいは、変化を求める心だろう。

この「 不安 」が「 実体 」を変化させ、「 実体 」という存在意識を「 無常 」にすると思う。

この気(ki)である「 不安 」や「 無明 」や「 第六感 」は、情(zyou)が決めた「 今 」や「 現在 」の中で「 無明 」を構成し、「 無常 」という存在意識を生じさせると思う。


「 意識は何ものかについての意識である 」とは、言葉の構造の問題だけを考えても解決はしないと思う。

言葉は人間が使うのであり、人間の「 脳 」の働きの問題だと思う。

「 何ものか 」は「 実体 」であり、「 実体 」は意識される。

意識を破るのは「 実体 」は無いのに在るという「 実有 」である。

それは、不連続と連続の違いかもしれないが、空気とエーテルを伝わるエネルギーの感じ方、すなわち五感による「 実体 」を否定する「 実有 」を感じる第六感との違いが、ヨーロッパの哲学者が言う「 志向性 」ではないかと思う。

2013/3/17、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、エーテルと大気の中のエネルギーを区別して、人間の知覚は、前者が第六感で、後者が五感であるとしたが、私のブログでは、エネルギーは、エーテルの中で授受されるとする。

エネルギーは「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であると思うが、それはエーテルの中で授受され、そのことを五感で感じたとき、エネルギーを認識する。

食べ物がエネルギーになるのも、呼吸するのも、エーテルの中だろう。

エーテルは、「 無 」ではなく、上記Tの特徴がある構造で、大気と一体であり、人体はもちろん、宇宙のすべてを満たしていると考え、すべてが繋がっているのだと思う。

人体のエネルギーは「 欲 」であると思うが、生命のなかでそれは気(ki)という特徴で、精神のなかで情(zyou)という特徴があるが、それは地球の大気圏の中だけであり、大気圏を離れると、「 無 」ではなく、真空という構造をもった「 実有 」であり、「 エーテル 」で宇宙は繋がっているのだと思う。

生命、すなわち小脳の欲が気(ki)のエネルギーであり、精神、すなわち大脳の欲が情(zyou)のエネルギー、すなわち感情や思考エネルギー、であると考える。

超能力というのは第六感であり、生命的であり、空間的であるだろう。

五感は、記憶や想像による認識であり、時間的であり、物語であると考える。

エネルギーは、この第六感や五感を通して、エーテルの中で授受される。

私が、「 了解した 」というのは、エネルギーがエーテルの中で授受されたことであり、それを、私は以前、「 電離層で認識が成立する 」と言ったことに繋がる。

五感は「 電磁波的 」であり、第六感は「 重力的、引力的 」であり、五感が「 痺れる 」と表現し、第六感は「 魅力的 」と表現されると思う。

前者が現実的であり、後者は時空を歴史を超越する。



2013/3/31、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

エーテルの中で「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 )が伝播され、それを五感で感じたとき、「 エネルギー 」と呼ぶと考えると、物理学や化学で、エネルギーの測定指標が違うのも肯定することが出来る。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は目に見えないものであり、気(ki)のTの特徴があると思う。

私は、題名どおり、気(ki)と情(zyou)と欲に分類し、宇宙の「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は気(ki)、社会や人類全体の遺伝子情報も含めて「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」を情(zyou)と考え、それを五感で捉えたとき、「 欲 」と考えている。

宇宙すべてに「 欲 」は広がるから、月や火星などの天球に興味がわくのであり、物質の素粒子などにも興味がわくのだろう。

その根本的な「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」を「 小脳の可能性 」で、根本的な欲を「 小脳の欲 」であると私は考えている。

「 小脳の可能性 」は気(ki)のTであり、連続した関係で実有であり、「 形が無い関係であり、形を造る関係 」であり、それを五感で捉えたとき「 小脳の欲 」という実体になり、言語の「 言霊 」というのも、この「 小脳の可能性 」を「 欲 」に具現化する言葉が持つ「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であり、気(ki)の「 魂 」であると思う。

「 言霊 」に「 霊 」という言葉をつかうが、「 魂 」でなければエネルギーにならない。

「 魂 」を持つ言葉だけが、「 言霊 」を持つというのにふさわしい。

中華人民共和国は「 死霊 」を持つ「 ゾンビ 」を考えるが、「 ゾンビ 」は何の解決にもならず、「 魂 」の働きを不明にし、解決を阻害する。

中華人民共和国は「 魂 」が無い国であるかも知れない。

歌にも「 ソウル 」という分野があるが、絵画では画家の「 ソウル(魂) 」が人に伝わり、人の中で「 関係 」がエネルギーという「 実体 」になるのかも知れない。

人の行動の動機になって、はじめて「 エネルギー 」と認められるので、私の考えはエネルギーにならないだろう。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」がエーテルの中で伝播し、それは「 魂 」であり、人間の中では「 無意識 」の中で、伝播すると考える。
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2013年03月24日

2013/3/24、気(ki)と情(zyou)と欲14・志向性と不安

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2013/2/25、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記のように、気(ki)であるエーテルの中で伝わるエネルギー(欲)が第六感で、情(zyou)である大気の中で伝わるエネルギーを感じるのが五感であると考えた。

気(ki)は、情(zyou)の中で「 不安 」であることは前に書いたが、この「 不安 」が第六感であると思う。

あるいは、変化を求める心だろう。

この「 不安 」が「 実体 」を変化させ、「 実体 」という存在意識を「 無常 」にすると思う。

この気(ki)である「 不安 」や「 無明 」や「 第六感 」は、情(zyou)が決めた「 今 」や「 現在 」の中で「 無明 」を構成し、「 無常 」という存在意識を生じさせると思う。


「 意識は何ものかについての意識である 」とは、言葉の構造の問題だけを考えても解決はしないと思う。

言葉は人間が使うのであり、人間の「 脳 」の働きの問題だと思う。

「 何ものか 」は「 実体 」であり、「 実体 」は意識される。

意識を破るのは「 実体 」は無いのに在るという「 実有 」である。

それは、不連続と連続の違いかもしれないが、空気とエーテルを伝わるエネルギーの感じ方、すなわち五感による「 実体 」を否定する「 実有 」を感じる第六感との違いが、ヨーロッパの哲学者が言う「 志向性 」ではないかと思う。

2013/3/17、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、エーテルと大気の中のエネルギーを区別して、人間の知覚は、前者が第六感で、後者が五感であるとしたが、私のブログでは、エネルギーは、エーテルの中で授受されるとする。

エネルギーは「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であると思うが、それはエーテルの中で授受され、そのことを五感で感じたとき、エネルギーを認識する。

食べ物がエネルギーになるのも、呼吸するのも、エーテルの中だろう。

エーテルは、「 無 」ではなく、上記Tの特徴がある構造で、大気と一体であり、人体はもちろん、宇宙のすべてを満たしていると考え、すべてが繋がっているのだと思う。

人体のエネルギーは「 欲 」であると思うが、生命のなかでそれは気(ki)という特徴で、精神のなかで情(zyou)という特徴があるが、それは地球の大気圏の中だけであり、大気圏を離れると、「 無 」ではなく、真空という構造をもった「 実有 」であり、「 エーテル 」で宇宙は繋がっているのだと思う。

生命、すなわち小脳の欲が気(ki)のエネルギーであり、精神、すなわち大脳の欲が情(zyou)のエネルギー、すなわち感情や思考エネルギー、であると考える。

超能力というのは第六感であり、生命的であり、空間的であるだろう。

五感は、記憶や想像による認識であり、時間的であり、物語であると考える。

エネルギーは、この第六感や五感を通して、エーテルの中で授受される。

私が、「 了解した 」というのは、エネルギーがエーテルの中で授受されたことであり、それを、私は以前、「 電離層で認識が成立する 」と言ったことに繋がる。

五感は「 電磁波的 」であり、第六感は「 重力的、引力的 」であり、五感が「 痺れる 」と表現し、第六感は「 魅力的 」と表現されると思う。

前者が現実的であり、後者は時空を歴史を超越する。



2013/3/24、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


物体を動かす力は、宇宙全体に広がるエーテルの中に充満し、感覚することが出来たとき、「 エネルギー 」と呼ばれると解釈する。

エーテルの中のエネルギーを感じるのが第六感であり、地球の大気圏の空気中のエネルギーを感じるのが五感であると思う。

「 志向性 」と「 不安 」について考えた。

志向性とは「 意識は何ものかについての意識である 」と考えて、言葉の構造の問題だけを考えても解決はしないと思う。

言葉は人間が使うのであり、人間の「 脳 」の働きの問題だと思う。

論理学の問題ではなく、存在論として、志向性を考えると、それは過去の体験(存在=存在意識=実体)に向かう大脳の欲、情(zyou)のエネルギーであり、意識という電磁波に似たエネルギーを過去の記憶に照射して、過去の情報を「 思い出し 」、現在の不明な方向性を探るエネルギーであると思う。

過去の体験(存在=存在意識=実体)に意識を照射しても、実有する事態の方向性を定めることが出来ないとき、情(zyou)のエネルギーは気(ki)のエネルギーに転換されて「 不安 」になると思う。

存在意識という情(zyou)が、「 不安 」という気(ki)のエネルギーにより、方向性が無い「 無明 」にされた後、情(zyou)のエネルギーである「 志向性 」が、実有である「 無明 」の中で新たな「 存在=存在意識=実体 」を形成して、「 安定 」に変える。

私は、「 志向性 」はプラズマ宇宙論のビルケランド電流に該当すると思っている。

宇宙論は、人体の中でも、成立しなければならないからだ。

私は、「 不安 」という黒雲の中に、一条の「 志向性 」という雷鳴を想定し、「 不安 」が雷鳴に巻き付いて物化すると想像する。


「 志向性 」は情(zyou)のエネルギーであり、体験とか意識とかの言葉を研究しても解決しないと思う。

「 不安 」も「 志向性 」も、ともにシュミレーションすることで共通し、それは、ミラーニューロンの働きであるかも知れない。

渡り鳥が地磁気を感じて方向を発見するように、方向性が不明だと解釈した「 無明 」に方向を与えるのが情(zyou)のエネルギーである「 志向性 」だと思う。

意識を電磁波的に考え、電場の方向が物質などの「 空間意識 」と考え、地場の方向が「 時間意識 」などの精神的な方向だと考えるから、「 志向性 」は、「 時間的 」という結果になる。

時間的という意味で、情(zyou)のエネルギーである「 志向性 」は言葉の問題であるような様相を見せるのだと思う。

実有である「 無明 」の中で、(存在=存在意識=実体)への方向が「 志向性 」であり、(存在=存在意識=実体)が、気(ki)のエネルギーである「 不安 」により、大脳に中で、「 無明 」を生むと思う。

もう一方の気(ki)であるエネルギーの「 不安 」は、「 空間意識 」の働き、空間的になるというのが結論になる。

「 不安 」は、空間で方向性が不明であるという意味で「 無明 」になるのかも知れない。

志向性

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%90%91%E6%80%A7

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2013年03月17日

2013/3/17、気(ki)と情(zyou)と欲 13・エネルギー

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)








2013/2/24、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない



上記のように、気(ki)と情(zyou)、エーテルと大気、連続と不連続、実有と実体と考え、前者は「 小脳の欲 」後者は「 大脳の欲 」、前者は生命的で方向性が無いという意味で無明、後者は文化的で理論的であり、恒常でないという意味で無常といえると思う。

前者が後者を包摂すると考え、この両者を同時に考える。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、「 実体 」は時間的な欲であり、「 実有 」から生じる「 可能性 」は「 実体 」を否定する空間的な欲であるだろう。

「 可能性 」は「 実有 」であり、、時間的で空間的な「 実体 」から、時間を否定した空間的な「 実体 」を作り出すのかも知れない。

第六感は「 実有 」に属し、五感は「 実体 」に属すると思う。

「 思考エネルギー 」でも述べたように、E(人格形成力)=M(遺伝子情報や文化)+C1(夢)+C2(構想力)の延長に「 悟り 」や「 第六感 」があるかも知れないが、それは「 大脳の欲 」の延長であり、「 小脳の欲 」を包摂することはなく、理知的ではあるが、「 安心 」を生じない。

「 小脳の欲 」は「 無明 」だが、もし、無明でない場合があれば、それが「 第六感 」であると思う。

渡り鳥が、地磁気を感じて、方向を間違うことなく目的地につくように、重力や引力などのエーテルの中を流れるエネルギーを感じるのが「 第六感 」だと思う。

渡り鳥は、生命維持のために地磁気というエネルギーを感じるなら、人間も生命維持のためにエネルギーを感じる力があると思う。

「 大気 」という「 実体 」の中の電磁波に該当するのは、五感という意識であり、「 エーテル 」という「 実有 」の中の重力や引力に該当するのが「 第六感 」というものだと思う。

第六感は、真空という「 実有 」の中の太陽系のように、「 実体 」と「 実体 」を「 実有 」の真空の中で結ぶ重力や引力であり、それは、すでに「 関係 」として結ばれていて、重力や引力の伝わる速度は、「 光 」を超えるかも知れないと考える。

「 虫の知らせ 」で、親族の不幸が判明するように、事故と認識は時間や空間を超えて、同時である場合もあると思う。

このように、「 大気 」の中の時間的で空間的なエネルギーを感じるのが「 五感 」であり、「 エーテル 」という実有の中で、実体の間の「 関係 」のエネルギーを感じるのが「 第六感 」であるだろうと思う。

2013/3/17、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、エーテルと大気の中のエネルギーを区別して、人間の知覚は、前者が第六感で、後者が五感であるとしたが、私のブログでは、エネルギーは、エーテルの中で授受されるとする。

エネルギーは「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であると思うが、それはエーテルの中で授受され、そのことを五感で感じたとき、エネルギーを認識する。

食べ物がエネルギーになるのも、呼吸するのも、エーテルの中だろう。

エーテルは、「 無 」ではなく、上記Tの特徴がある構造で、大気と一体であり、人体はもちろん、宇宙のすべてを満たしていると考え、すべてが繋がっているのだと思う。

人体のエネルギーは「 欲 」であると思うが、生命のなかでそれは気(ki)という特徴で、精神のなかで情(zyou)という特徴があるが、それは地球の大気圏の中だけであり、大気圏を離れると、「 無 」ではなく、真空という構造をもった「 実有 」であり、「 エーテル 」で宇宙は繋がっているのだと思う。

生命、すなわち小脳の欲が気(ki)のエネルギーであり、精神、すなわち大脳の欲が情(zyou)のエネルギー、すなわち感情や思考エネルギー、であると考える。

超能力というのは第六感であり、生命的であり、空間的であるだろう。

五感は、記憶や想像による認識であり、時間的であり、物語であると考える。

エネルギーは、この第六感や五感を通して、エーテルの中で授受される。

私が、「 了解した 」というのは、エネルギーがエーテルの中で授受されたことであり、それを、私は以前、「 電離層で認識が成立する 」と言ったことに繋がる。

五感は「 電磁波的 」であり、第六感は「 重力的、引力的 」であり、五感が「 痺れる 」と表現し、第六感は「 魅力的 」と表現されると思う。

前者が現実的であり、後者は時空を歴史を超越する。
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2013年03月10日

2013/3/10、気(ki)と情(zyou)と欲 12、不安

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)





2013/2/25、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記のように、気(ki)であるエーテルの中で伝わるエネルギー(欲)が第六感で、情(zyou)である大気の中で伝わるエネルギーを感じるのが五感であると考えた。

気(ki)は、情(zyou)の中で「 不安 」であることは前に書いたが、この「 不安 」が第六感であると思う。

あるいは、変化を求める心だろう。

この「 不安 」が「 実体 」を変化させ、「 実体 」という存在意識を「 無常 」にすると思う。

この気(ki)である「 不安 」や「 無明 」や「 第六感 」は、情(zyou)が決めた「 今 」や「 現在 」の中で「 無明 」を構成し、「 無常 」という存在意識を生じさせると思う。


「 意識は何ものかについての意識である 」とは、言葉の構造の問題だけを考えても解決はしないと思う。

言葉は人間が使うのであり、人間の「 脳 」の働きの問題だと思う。

「 何ものか 」は「 実体 」であり、「 実体 」は意識される。

意識を破るのは「 実体 」は無いのに在るという「 実有 」である。

それは、不連続と連続の違いかもしれないが、空気とエーテルを伝わるエネルギーの感じ方、すなわち五感による「 実体 」を否定する「 実有 」を感じる第六感との違いが、ヨーロッパの哲学者が言う「 志向性 」ではないかと思う。


2013/3/10、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、気(ki)の中のエネルギーと情(zyou)の中のエネルギーとを考えたが、エネルギーがエーテルの中で働くものと考えると、人間の身体から宇宙の果てまで、エネルギーが満ちていることになる。


エネルギーが、「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」であり、人体にとって「 活力 」となるのは「 欲 」であり、エーテルと同じく「 欲 」も宇宙へ連続していると思う。

「 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 」は宇宙も地球上も同一の「 関係 」であり、関係の具現化の違いが気(ki)の第六感と情(zyou)の五感の違いであると思う。


エーテルと大気、気(ki)と情(zyou)は混在していて、エーテルや気(ki)の中のエネルギーが「 不安 」という欲であり、大気が無くてもエーテルが連続しているように、五感による「 実体 」が無くても、宇宙を満たすエーテルの中に「 実体 」へ導くエネルギーが「 実有 」するから「 不安 」という欲を生じると思う。

大気や情(zyou)の中のエネルギーが「 実体 」であり、「 不連続 」だから「 安心 」という欲が生じると思う。

エーテルと大気、気(ki)と情(zyou)は混在し、「 実体が無いのに実有する 」とか「 不連続は連続の中に実有する 」から「 不安 」である。


気(ki)である「 関係 」の何かを「 実体化 」するのは、情(zyou)の自由だろう。

これは、エネルギーを実体の形にするのが、個人の情(zyou)次第であると思う。

「 関係 」が、誰にとっても「 実体化 」するとき、自分を利する方向が「 希望 」であり、自分を不利にするのが「 不安 」であると思う。

「 無常 」であるのは、エネルギーと質量の往来と同じだと思う。

心の投影というのは、情(zyou)による「 関係の実体化 」であり、人格の現れであると思う

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2013年02月25日

2013/2/25、気(ki)と情(zyou)と欲11・第六感と志向性

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)



2013/2/24、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない



上記のように、気(ki)と情(zyou)、エーテルと大気、連続と不連続、実有と実体と考え、前者は「 小脳の欲 」後者は「 大脳の欲 」、前者は生命的で方向性が無いという意味で無明、後者は文化的で理論的であり、恒常でないという意味で無常といえると思う。

前者が後者を包摂すると考え、この両者を同時に考える。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、「 実体 」は時間的な欲であり、「 実有 」から生じる「 可能性 」は「 実体 」を否定する空間的な欲であるだろう。

「 可能性 」は「 実有 」であり、、時間的で空間的な「 実体 」から、時間を否定した空間的な「 実体 」を作り出すのかも知れない。

第六感は「 実有 」に属し、五感は「 実体 」に属すると思う。

「 思考エネルギー 」でも述べたように、E(人格形成力)=M(遺伝子情報や文化)+C1(夢)+C2(構想力)の延長に「 悟り 」や「 第六感 」があるかも知れないが、それは「 大脳の欲 」の延長であり、「 小脳の欲 」を包摂することはなく、理知的ではあるが、「 安心 」を生じない。

「 小脳の欲 」は「 無明 」だが、もし、無明でない場合があれば、それが「 第六感 」であると思う。

渡り鳥が、地磁気を感じて、方向を間違うことなく目的地につくように、重力や引力などのエーテルの中を流れるエネルギーを感じるのが「 第六感 」だと思う。

渡り鳥は、生命維持のために地磁気というエネルギーを感じるなら、人間も生命維持のためにエネルギーを感じる力があると思う。

「 大気 」という「 実体 」の中の電磁波に該当するのは、五感という意識であり、「 エーテル 」という「 実有 」の中の重力や引力に該当するのが「 第六感 」というものだと思う。

第六感は、真空という「 実有 」の中の太陽系のように、「 実体 」と「 実体 」を「 実有 」の真空の中で結ぶ重力や引力であり、それは、すでに「 関係 」として結ばれていて、重力や引力の伝わる速度は、「 光 」を超えるかも知れないと考える。

「 虫の知らせ 」で、親族の不幸が判明するように、事故と認識は時間や空間を超えて、同時である場合もあると思う。

このように、「 大気 」の中の時間的で空間的なエネルギーを感じるのが「 五感 」であり、「 エーテル 」という実有の中で、実体の間の「 関係 」のエネルギーを感じるのが「 第六感 」であるだろうと思う。



第六感
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E6%84%9F

第六感(だいろっかん、sixth sense)とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており[1]、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのことである[2]。



2013/2/25、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記のように、気(ki)であるエーテルの中で伝わるエネルギー(欲)が第六感で、情(zyou)である大気の中で伝わるエネルギーを感じるのが五感であると考えた。

気(ki)は、情(zyou)の中で「 不安 」であることは前に書いたが、この「 不安 」が第六感であると思う。

あるいは、変化を求める心だろう。

この「 不安 」が「 実体 」を変化させ、「 実体 」という存在意識を「 無常 」にすると思う。

この気(ki)である「 不安 」や「 無明 」や「 第六感 」は、情(zyou)が決めた「 今 」や「 現在 」の中で「 無明 」を構成し、「 無常 」という存在意識を生じさせると思う。


「 意識は何ものかについての意識である 」とは、言葉の構造の問題だけを考えても解決はしないと思う。

言葉は人間が使うのであり、人間の「 脳 」の働きの問題だと思う。

「 何ものか 」は「 実体 」であり、「 実体 」は意識される。

意識を破るのは「 実体 」は無いのに在るという「 実有 」である。

それは、不連続と連続の違いかもしれないが、空気とエーテルを伝わるエネルギーの感じ方、すなわち五感による「 実体 」を否定する「 実有 」を感じる第六感との違いが、ヨーロッパの哲学者が言う「 志向性 」ではないかと思う。


志向性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%90%91%E6%80%A7

posted by kandk55 at 04:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 42 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月24日

2013/2/24、気(ki)と情(zyou)と欲 10・第六感

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)






2013/2/10、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 在る 」とか「 形 」とかいうものは、実体の不連続な存在意識であり、恒常で無常でなく、新陳代謝しないと思うだろうが、それは欲であり、世界は「 在る 」とか「 形 」が無くても「 実有 」するのだと思う。

「 無 」ではなく「 実有 」であるので、迷うのである。

それは、無明が生じることだと思う。

「 在る 」とか「 形 」以外は「 無 」ではなく「 実有 」であるため迷う欲が生じ、新陳代謝が生じるのだろう。

細胞の酵素の代わりに、意識の領域では「 欲 」を置き換える。

「 在る 」とか「 形 」などの「 実体 」は、情(zyou)であり、大脳の欲であると思う。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、シュミレーションをするミラーニューロンの働きかも知れない。


2013/2/17、私の記事


これは、私だけの考えであり同調を求めない。

気(ki)と情(zyou)は、上記のようにエーテルと大気に比較する。

大気が無ければ生きてゆけないように、情(zyou)が無ければ生きてゆけない。

では、情(zyou)が気(ki)であるかと問えば、大気がエーテルでないように、情(zyou)は気(ki)ではない。

気(ki)と情(zyou)は、無明と無常と比較するが、エーテルと大気の比較によれば、大気に無いエーテルの状態は在るが、エーテルの無い大気は無い。



2013/2/24、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない



上記のように、気(ki)と情(zyou)、エーテルと大気、連続と不連続、実有と実体と考え、前者は「 小脳の欲 」後者は「 大脳の欲 」、前者は生命的で方向性が無いという意味で無明、後者は文化的で理論的であり、恒常でないという意味で無常といえると思う。

前者が後者を包摂すると考え、この両者を同時に考える。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、「 実体 」は時間的な欲であり、「 実有 」から生じる「 可能性 」は「 実体 」を否定する空間的な欲であるだろう。

「 可能性 」は「 実有 」であり、、時間的で空間的な「 実体 」から、時間を否定した空間的な「 実体 」を作り出すのかも知れない。

第六感は「 実有 」に属し、五感は「 実体 」に属すると思う。

「 思考エネルギー 」でも述べたように、E(人格形成力)=M(遺伝子情報や文化)+C1(夢)+C2(構想力)の延長に「 悟り 」や「 第六感 」があるかも知れないが、それは「 大脳の欲 」の延長であり、「 小脳の欲 」を包摂することはなく、理知的ではあるが、「 安心 」を生じない。

「 小脳の欲 」は「 無明 」だが、もし、無明でない場合があれば、それが「 第六感 」であると思う。

渡り鳥が、地磁気を感じて、方向を間違うことなく目的地につくように、重力や引力などのエーテルの中を流れるエネルギーを感じるのが「 第六感 」だと思う。

渡り鳥は、生命維持のために地磁気というエネルギーを感じるなら、人間も生命維持のためにエネルギーを感じる力があると思う。

「 大気 」という「 実体 」の中の電磁波に該当するのは、五感という意識であり、「 エーテル 」という「 実有 」の中の重力や引力に該当するのが「 第六感 」というものだと思う。

第六感は、真空という「 実有 」の中の太陽系のように、「 実体 」と「 実体 」を「 実有 」の真空の中で結ぶ重力や引力であり、それは、すでに「 関係 」として結ばれていて、重力や引力の伝わる速度は、「 光 」を超えるかも知れないと考える。

「 虫の知らせ 」で、親族の不幸が判明するように、事故と認識は時間や空間を超えて、同時である場合もあると思う。

このように、「 大気 」の中の時間的で空間的なエネルギーを感じるのが「 五感 」であり、「 エーテル 」という実有の中で、実体の間の「 関係 」のエネルギーを感じるのが「 第六感 」であるだろうと思う。



第六感
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E6%84%9F

第六感(だいろっかん、sixth sense)とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており[1]、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのことである[2]。

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2013年02月17日

2013/2/17、気(ki)と情(zyou)と欲 9・考え方 3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/02/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように、気(ki)と情(zyou)を、連続と不連続、エーテルと空気、実有と実体などを、同時に考え、その背後に「 欲 」を考えると、実体は、個人の「 欲 」の表明であり、すべては個人の内部の欲の程度次第であると思う。

実体、すなわち情(zyou)は、全人類にとって相違するのは、遺伝子情報だけでなく、すべてであり、個人の感覚であり、「 同一 」は、定義された言葉であると思う。

情(zyou)、すなわち言葉は定義されたものであるが、「 欲 」の定義であり、定義されないものは感情であると思うが、「 なぜ定義するのか? 」や「 どのように定義するのか?」、なぜ「 実体 」と考えるのかを問えば、「 それは欲の表明である 」という結論になる。

「 欲 」は、方向性が不明という意味で無明であり、その表明も、恒常でないから無常であり、「 実体 」を決める「 欲 」は個人次第という意味で「 主観的 」である。

「 気(ki)の欲 」は不安であり、「 情(zyou)の欲 」は実体であり、実体の裏に不安があるのは、不連続の実体は連続した実有が背後に存在することであり、意識の裏に無意識が潜んでいることと同義である。

不連続の実体であるから「 安心 」であり、連続した実有を思うと「 不安 」になる。

相当因果関係により自分の行為による損得の計算は可能であるから「 安心 」であり、善因善果、悪因悪果で、自分の行為の方向性が計算することが出来ないという意味で無明だから「 不安 」になる。

前者が情(zyou)の欲であり、後者が気(ki)の欲であると思う。


2013/2/10、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 在る 」とか「 形 」とかいうものは、実体の不連続な存在意識であり、恒常で無常でなく、新陳代謝しないと思うだろうが、それは欲であり、世界は「 在る 」とか「 形 」が無くても「 実有 」するのだと思う。

「 無 」ではなく「 実有 」であるので、迷うのである。

それは、無明が生じることだと思う。

「 在る 」とか「 形 」以外は「 無 」ではなく「 実有 」であるため迷う欲が生じ、新陳代謝が生じるのだろう。

細胞の酵素の代わりに、意識の領域では「 欲 」を置き換える。

「 在る 」とか「 形 」などの「 実体 」は、情(zyou)であり、大脳の欲であると思う。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、シュミレーションをするミラーニューロンの働きかも知れない。


2013/2/17、私の考え


これは、私だけの考えであり同調を求めない。

気(ki)と情(zyou)は、上記のようにエーテルと大気に比較する。

大気が無ければ生きてゆけないように、情(zyou)が無ければ生きてゆけない。

では、情(zyou)が気(ki)であるかと問えば、大気がエーテルでないように、情(zyou)は気(ki)ではない。

気(ki)と情(zyou)は、無明と無常と比較するが、エーテルと大気の比較によれば、大気に無いエーテルの状態は在るが、エーテルの無い大気は無い。

無常は、形や存在が流転することだと思うが、それは情(zyou)の区別であり、「 実体 」の区別であり、気(ki)であるエーテルは「 実有 」し、「 実有 」の「 実体 」が形であるかも知れない。

「 実有 」である「 無明 」が「 実体化 」したもの、「 心的存在意識 」になったのが形や存在であり、実質が無明であるから、「 実体 」は流転する「 無常 」であると思う。

「 無常 」は「 無明 」から生じると思う。

「 実有 」の「 実体 」は情(zyou)であり、知覚で確認することが出来る存在意識であるから、「 安心 」という「 欲 」が生まれるが、「 実体 」が無いのに「 実有 」するという気(ki)に「 欲 」が繋がると「 不安 」になると思う。

生や死というものは情(zyou)であり、経験則であり、「 実有 」としては、生きても死んでも変化は無いかも知れない。

生と死が一体の状態をエーテルと考え、生きようとする欲、死のうとする欲が、大気であり、そのエネルギーである「 欲 」が生気論の気(ki)であると思う。

以前の考えを下記に書く。

………………………………………………

2012/2/5、私の記事


私は、現時点では、「 無明 」と「 無常 」は無意識の中で連結し、「 一定の関係 」である「 心的存在意識 」を境界にして、互いに入れ替わると考えている。



「 無明 」と「 無常 」は、無意識の中で連結し、「 無明 」であるために、生命より安定的な「 存在 」という「 心的存在意識 」を作り出して「 安心 」し、それらの「 知覚可能な物 」を比較することにより、「 無常 」という、知覚不能の「 関係 」が生まれる。


逆に、「 無常 」な知覚不能の関係により生命に「 不安 」を生じ、それに意識を当てはめて、実体化して「 安心 」しようとして、「 心的存在意識 」が生じると、現時点では考えている。


両者は、全て「 心 」次第であり、「 心 」により、様々な「 心的存在意識 」が生じるだろう。


全ては、「 心 」の投影であり、「 人格 」という人を特徴づける「 心的存在意識 」の現れとして知覚されるだろう。

………………………………………………

「 心 」を「 欲 」に置き換えると、全ては「 欲 」の投影であることになる。
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2013年02月10日

2013/2/10、気(ki)と情(zyou)」と欲 8・考え方2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/02/9、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように、気(ki)と情(zyou)を、連続と不連続、エーテルと空気、実有と実体などを、同時に考え、その背後に「 欲 」を考えると、実体は、個人の「 欲 」の表明であり、すべては個人の内部の欲の程度次第であると思う。

実体、すなわち情(zyou)は、全人類にとって相違するのは、遺伝子情報だけでなく、すべてであり、個人の感覚であり、「 同一 」は、定義された言葉であると思う。

情(zyou)、すなわち言葉は定義されたものであるが、「 欲 」の定義であり、定義されないものは感情であると思うが、「 なぜ定義するのか? 」や「 どのように定義するのか?」、なぜ「 実体 」と考えるのかを問えば、「 それは欲の表明である 」という結論になる。

「 欲 」は、方向性が不明という意味で無明であり、その表明も、恒常でないから無常であり、「 実体 」を決める「 欲 」は個人次第という意味で「 主観的 」である。

「 気(ki)の欲 」は不安であり、「 情(zyou)の欲 」は実体であり、実体の裏に不安があるのは、不連続の実体は連続した実有が背後に存在することであり、意識の裏に無意識が潜んでいることと同義である。

不連続の実体であるから「 安心 」であり、連続した実有を思うと「 不安 」になる。

相当因果関係により自分の行為による損得の計算は可能であるから「 安心 」であり、善因善果、悪因悪果で、自分の行為の方向性が計算することが出来ないという意味で無明だから「 不安 」になる。

前者が情(zyou)の欲であり、後者が気(ki)の欲であると思う。


2013/2/10、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


「 在る 」とか「 形 」とかいうものは、実体の不連続な存在意識であり、恒常で無常でなく、新陳代謝しないと思うだろうが、それは欲であり、世界は「 在る 」とか「 形 」が無くても「 実有 」するのだと思う。

「 無 」ではなく「 実有 」であるので、迷うのである。

それは、無明が生じることだと思う。

「 在る 」とか「 形 」以外は「 無 」ではなく「 実有 」であるため迷う欲が生じ、新陳代謝が生じるのだろう。

細胞の酵素の代わりに、意識の領域では「 欲 」を置き換える。

「 在る 」とか「 形 」などの「 実体 」は、情(zyou)であり、大脳の欲であると思う。

「 実体 」の新陳代謝や「 実有 」から「 実体 」という存在意識を作るのは、小脳の欲であり、「 実有 」があるから「 可能性 」という「 形 」が発生するのであり、シュミレーションをするミラーニューロンの働きかも知れない。


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2013年02月09日

2013/2/9、気(ki)と情(zyou)と欲 7・考え方

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/1/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、上記のように、心理を「 気(ki)と情(zyou) 」と「 欲 」という「 エネルギー 」の二重構造と考える。



行動は無意識と意識の行動であると考えるのが一般的かもしれないが、私は賛成しない。


行動は気(ki)であり、それを促すのは「 気(ki)の欲 」と「 情(zyou)の欲 」というエネルギーであると思う。


前者が「 無意識 」で後者が「 意識 」であると考えるのではなく、「 気(ki)の欲 」や「 情(zyou)の欲 」の中にも「 無意識と意識 」は存在する。


私は、「 欲 」が気(ki)と「 実体化 」した、あるいは存在として感じたのが「 気(ki)の欲 」であり、それが「 対象が無い不安 」であると考える。


「 気(ki)の欲 」が「 不安 」であり、目的を持たない「 実体化 」であるのは、本来が「 無明 」から発生するからであり、「 実体 」ではないが、「 実有 」である。


これに対して、「 欲 」が情(zyou)と「 実体化 」したのが「 情(zyou)の欲 」であり、これが一般的に「 意欲 」と呼ぶものだと思う。


これは、対象(実体)のある動機であり、行動のエネルギーである。


「 欲 」が「 実体化 」するとはエネルギーが行動となって現れることであり、心理学で扱われるものだと思うが、「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 実有 」であるが「 実体 」でないので、心理学では解決することが出来ない「 無意識 」であると言われるかも知れない。


「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 無明 」を内包し、「 実体 」ではなく「 実有 」のエネルギーであり、「 実体 」を「 相対化 」する、あるいは「 無常 」と感じさせるエネルギーであると思う。


2013/1/27、私の記事・不安


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


不安は欲から生じるものだから、方向性が不明という意味で「 無明 」であり、気(ki)と結びつくため、気(ki)の特質が、すべて「 不安 」に該当する。

連続と不連続。

実有と実体。

前者が気(ki)で、後者が情(zyou)であるが、これまで述べて来たように、気(ki)は物語やストーリーや情報ではない。

しかし、真空でも重力や電磁波のエネルギーが往来するように「 無 」ではない。

ビッグ・バン以前が不明であることからわかるように、「 無 」というのは、人類が経験したものではない。

「 実体 」や「 不連続 」は人間が作ったもので、情(zyou)であり、物語であり、利用可能な相当因果関係である。

情(zyou)の「 実体 」は「 形あるもの 」で「 無常 」であるのに対し、気(ki)の「 実有 」は「 形がなくても物語を当てはめると存在するもの 」であり、物語によって、「 在るかも知れないし、無いかもしれないが、すべてを受け入れる 」という意味で「 形の無いもの 」であると思う。

「 無 」を人類は知らないが、物語の構想次第で存在意識になるものが在ることは知っている。

それを「 実有 」と、私は呼ぶ。

「 気(ki)の欲 」であるのが「 不安 」であるが、気(ki)であるため「 実有 」であり、「 実体 」が無くても「 在る 」エネルギーである。


「 不連続 」や「 実体 」にするのは人類であり、この世のすべては「 連続 」した「 因縁 」の世界が「 欲 」の世界であり、「 在るかも知れないし、無いかも知れない 」世界であるため、「 気(ki)の欲」が不安になると考える。


大気と真空が人類の身体を満たしているように、この世のすべては、重力や電磁波を通す真空のエーテルに満たされている。

それを、「 連続 」と呼ぶ。

「 実有 」で「 連続 」した「 欲 」が方向性が無い「 無明 」であるため、「 不安 」であると考えている。


2013/02/9、私の考え


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


このように、気(ki)と情(zyou)を、連続と不連続、エーテルと空気、実有と実体などを、同時に考え、その背後に「 欲 」を考えると、実体は、個人の「 欲 」の表明であり、すべては個人の内部の欲の程度次第であると思う。

実体、すなわち情(zyou)は、全人類にとって相違するのは、遺伝子情報だけでなく、すべてであり、個人の感覚であり、「 同一 」は、定義された言葉であると思う。

情(zyou)、すなわち言葉は定義されたものであるが、「 欲 」の定義であり、定義されないものは感情であると思うが、「 なぜ定義するのか? 」や「 どのように定義するのか?」、なぜ「 実体 」と考えるのかを問えば、「 それは欲の表明である 」という結論になる。

「 欲 」は、方向性が不明という意味で無明であり、その表明も、恒常でないから無常であり、「 実体 」を決める「 欲 」は個人次第という意味で「 主観的 」である。

「 気(ki)の欲 」は不安であり、「 情(zyou)の欲 」は実体であり、実体の裏に不安があるのは、不連続の実体は連続した実有が背後に存在することであり、意識の裏に無意識が潜んでいることと同義である。

不連続の実体であるから「 安心 」であり、連続した実有を思うと「 不安 」になる。

相当因果関係により自分の行為による損得の計算は可能であるから「 安心 」であり、善因善果、悪因悪果で、自分の行為の方向性が計算することが出来ないという意味で無明だから「 不安 」になる。

前者が情(zyou)の欲であり、後者が気(ki)の欲であると思う。

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2013年02月02日

2013/2/2、オカルト・気(ki)と情(zyou)と欲6、人生は不安

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/1/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、上記のように、心理を「 気(ki)と情(zyou) 」と「 欲 」という「 エネルギー 」の二重構造と考える。



行動は無意識と意識の行動であると考えるのが一般的かもしれないが、私は賛成しない。


行動は気(ki)であり、それを促すのは「 気(ki)の欲 」と「 情(zyou)の欲 」というエネルギーであると思う。


前者が「 無意識 」で後者が「 意識 」であると考えるのではなく、「 気(ki)の欲 」や「 情(zyou)の欲 」の中にも「 無意識と意識 」は存在する。


私は、「 欲 」が気(ki)と「 実体化 」した、あるいは存在として感じたのが「 気(ki)の欲 」であり、それが「 対象が無い不安 」であると考える。


「 気(ki)の欲 」が「 不安 」であり、目的を持たない「 実体化 」であるのは、本来が「 無明 」から発生するからであり、「 実体 」ではないが、「 実有 」である。


これに対して、「 欲 」が情(zyou)と「 実体化 」したのが「 情(zyou)の欲 」であり、これが一般的に「 意欲 」と呼ぶものだと思う。


これは、対象(実体)のある動機であり、行動のエネルギーである。


「 欲 」が「 実体化 」するとはエネルギーが行動となって現れることであり、心理学で扱われるものだと思うが、「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 実有 」であるが「 実体 」でないので、心理学では解決することが出来ない「 無意識 」であると言われるかも知れない。


「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 無明 」を内包し、「 実体 」ではなく「 実有 」のエネルギーであり、「 実体 」を「 相対化 」する、あるいは「 無常 」と感じさせるエネルギーであると思う。


2013/1/27、私の記事・不安


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


不安は欲から生じるものだから、方向性が不明という意味で「 無明 」であり、気(ki)と結びつくため、気(ki)の特質が、すべて「 不安 」に該当する。

連続と不連続。

実有と実体。

前者が気(ki)で、後者が情(zyou)であるが、これまで述べて来たように、気(ki)は物語やストーリーや情報ではない。

しかし、真空でも重力や電磁波のエネルギーが往来するように「 無 」ではない。

ビッグ・バン以前が不明であることからわかるように、「 無 」というのは、人類が経験したものではない。

「 実体 」や「 不連続 」は人間が作ったもので、情(zyou)であり、物語であり、利用可能な相当因果関係である。

情(zyou)の「 実体 」は「 形あるもの 」で「 無常 」であるのに対し、気(ki)の「 実有 」は「 形がなくても物語を当てはめると存在するもの 」であり、物語によって、「 在るかも知れないし、無いかもしれないが、すべてを受け入れる 」という意味で「 形の無いもの 」であると思う。

「 無 」を人類は知らないが、物語の構想次第で存在意識になるものが在ることは知っている。

それを「 実有 」と、私は呼ぶ。

「 気(ki)の欲 」であるのが「 不安 」であるが、気(ki)であるため「 実有 」であり、「 実体 」が無くても「 在る 」エネルギーである。


「 不連続 」や「 実体 」にするのは人類であり、この世のすべては「 連続 」した「 因縁 」の世界が「 欲 」の世界であり、「 在るかも知れないし、無いかも知れない 」世界であるため、「 気(ki)の欲」が不安になると考える。


大気と真空が人類の身体を満たしているように、この世のすべては、重力や電磁波を通す真空のエーテルに満たされている。

それを、「 連続 」と呼ぶ。

「 実有 」で「 連続 」した「 欲 」が方向性が無い「 無明 」であるため、「 不安 」であると考えている。


2013/2/2、私の考え

これは、私だけの考えであり、同調を求めない


このように、エーテルと大気を考え、前者が気(ki)であり、後者が情(zyou)であると考え、宇宙では前者は「 連続 」した「 実有 」であり、後者は地球だけの「 不連続 」なものであり「 実体 」であると考える。

私は「 生気論 」を支持するので、生き生きとした実体の世界の中での遺伝子情報などの情(zyou)が主と考えると思うかもしれないが、気(ki)を支持する。


それは、「 気(ki)の欲 」は「 不安 」であり、「 実体 」が無常であるのは、人間は「 不安 」を持つ生き物であるからだと思う。


死ぬ運命であるのが人間であり、人間は必ず死ぬ。


これが正当である限り、人生は不安が原則であるだろう。

「 呼吸 」は、エーテルと大気を同時に吸い込むことであり、大気はエーテルの存在無しには考えらないように、「 実体 」は「 実有 」、「 不連続 」は「 連続 」を考える限りで成立する。


「 実体 」とは「 満足 」であり「 実有 」とは「 実体 」を相対化して「 不満足 」に導くもの、不安にするものであり、「 生 」の中に「 死 」を内包することであり、あるいは「 死 」が「 生 」を「 生 」として自覚させているのであり、「 死中生有り、生中生無し 」ということかも知れない。


人生は不安だから生きるのであり、安心は死であり、安心や満足している状態は、「 死 」の状態であると思う。


これは、エーテルを欠いた大気は想定することが出来ないことと同義である。
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2013年01月27日

2013/1/27・オカルト・気(ki)と情(zyou)と欲 5、不安

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)



2013/1/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


これで、結論のような考えに至った。

宇宙の果てから、自分の体内の細胞に至るまで、「 欲 」が満ちていて、それはエーテルと符合する。

空中にはエーテルと大気が存在するように、人間の中に「 欲 」と「 欲望 」が存在し、それぞれエーテルと「 欲 」、大気と「 欲望 」が符合する。

「 欲 」の中には気(ki)と情(zyou)があり、気(ki)は「 欲 」やエーテルや「 実有 」、情(zyou)は「 欲望 」や大気や「 実体 」と符合し、両者を分けるのは、「 利己欲 」であるという考えである。


2013/1/26、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、上記のように、心理を「 気(ki)と情(zyou) 」と「 欲 」という「 エネルギー 」の二重構造と考える。



行動は無意識と意識の行動であると考えるのが一般的かもしれないが、私は賛成しない。


行動は気(ki)であり、それを促すのは「 気(ki)の欲 」と「 情(zyou)の欲 」というエネルギーであると思う。


前者が「 無意識 」で後者が「 意識 」であると考えるのではなく、「 気(ki)の欲 」や「 情(zyou)の欲 」の中にも「 無意識と意識 」は存在する。


私は、「 欲 」が気(ki)と「 実体化 」した、あるいは存在として感じたのが「 気(ki)の欲 」であり、それが「 対象が無い不安 」であると考える。


「 気(ki)の欲 」が「 不安 」であり、目的を持たない「 実体化 」であるのは、本来が「 無明 」から発生するからであり、「 実体 」ではないが、「 実有 」である。


これに対して、「 欲 」が情(zyou)と「 実体化 」したのが「 情(zyou)の欲 」であり、これが一般的に「 意欲 」と呼ぶものだと思う。


これは、対象(実体)のある動機であり、行動のエネルギーである。


「 欲 」が「 実体化 」するとはエネルギーが行動となって現れることであり、心理学で扱われるものだと思うが、「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 実有 」であるが「 実体 」でないので、心理学では解決することが出来ない「 無意識 」であると言われるかも知れない。


「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 無明 」を内包し、「 実体 」ではなく「 実有 」のエネルギーであり、「 実体 」を「 相対化 」する、あるいは「 無常 」と感じさせるエネルギーであると思う。


2013/1/27、私の考え・不安


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


不安は欲から生じるものだから、方向性が不明という意味で「 無明 」であり、気(ki)と結びつくため、気(ki)の特質が、すべて「 不安 」に該当する。

連続と不連続。

実有と実体。

前者が気(ki)で、後者が情(zyou)であるが、これまで述べて来たように、気(ki)は物語やストーリーや情報ではない。

しかし、真空でも重力や電磁波のエネルギーが往来するように「 無 」ではない。

ビッグ・バン以前が不明であることからわかるように、「 無 」というのは、人類が経験したものではない。

「 実体 」や「 不連続 」は人間が作ったもので、情(zyou)であり、物語であり、利用可能な相当因果関係である。

情(zyou)の「 実体 」は「 形あるもの 」で「 無常 」であるのに対し、気(ki)の「 実有 」は「 形がなくても物語を当てはめると存在するもの 」であり、物語によって、「 在るかも知れないし、無いかもしれないが、すべてを受け入れる 」という意味で「 形の無いもの 」であると思う。

「 無 」を人類は知らないが、物語の構想次第で存在意識になるものが在ることは知っている。

それを「 実有 」と、私は呼ぶ。

「 気(ki)の欲 」であるのが「 不安 」であるが、気(ki)であるため「 実有 」であり、「 実体 」が無くても「 在る 」エネルギーである。


「 不連続 」や「 実体 」にするのは人類であり、この世のすべては「 連続 」した「 因縁 」の世界が「 欲 」の世界であり、「 在るかも知れないし、無いかも知れない 」世界であるため、「 気(ki)の欲」が不安になると考える。


大気と真空が人類の身体を満たしているように、この世のすべては、重力や電磁波を通す真空のエーテルに満たされている。

それを、「 連続 」と呼ぶ。

「 実有 」で「 連続 」した「 欲 」が方向性が無い「 無明 」であるため、「 不安 」であると考えている。
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2013年01月26日

2013/1/26、オカルト・気(ki)と情(zyou)と欲4・不安

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/1/6、私の記事



上記のことは、「 実有と実体 」で書いたものだが、これは気(ki)と情(zyou)の考えの適用であると考えている。


人間は、すべて「 欲 」を持ち、生きることも「 欲 」を持つから可能であると思う。

本能も「 欲 」である。

ここで、「 欲 」を鬼(ki)、あるいは鬼(oni)であると置き換えて考える。


気(ki)である鬼(ki)を「 欲 」と解釈し、情(zyou)である鬼(oni)を「 欲望 」と解釈し、前者を「 実有 」と考え、後者を「 実体 」と解釈すれば、上記のことが、そのまま適用されると思う。


人間は、社会の様々な「 関係 」で結ばれているが、この「 関係 」を気(ki)と情(zyou)をつなぐエネルギーであると考える。


人間の気(ki)の「 関係 」は、人知が及ばない「 縁や因縁 」であるが、これが習慣となると「 存在意識 」が出来て、これが気(ki)と情(zyou)とつなぐ「 相当因果関係 」であり、「操作可能 」な関係(法則)となる。


気(ki)である、欲や実有や縁や因縁は「 連続するもの 」であり、情(zyou)である、欲望や実体や相当因果関係は「 不連続 」であり、後者の中に「 自由 」があるが、その基盤である前者の「 無明と可能性 」が連続しているから、自由は「 在る 」と感じられると思う。

これは、情(zyou)が「 大気 」であり、気(ki)が「 エーテル 」であることに符合する。


情(zyou)の「 自由 」は不連続であり、自分の内部に、気(ki)の「 無明 」を根底に含み、「 連続 」を断ち切り、「 利己欲 」で判断するため、社会に対する「 責任 」が生じ、根底が無明であるため、情(zyou)は「 無常 」であると解釈する。


「 欲 」や「 実有」と「 欲望 」や「 実体 」を分けるのは「 利己欲 」や「 保身 」であると思う。


情(zyou)は、遺伝子情報のように人間には不可欠であり、「 存在意識 」を持ち、自分と他人を区別するのは必然だが、人は自分だけでは生きてゆけない。



2013/1/19、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記より、人間の欲は、気(ki)としての、エーテルのような「 実有 」としての「 欲 」と情(zyou)としての、大気のような「 実体 」としての「 欲望 」に区別し、前者と後者を分かつのは、後者の「 利己欲 」であると思う。


後者は、情(zyou)の欲であり、本来は「 実有 」として連続し、区別することが出来ない空間を、情(zyou)は体験や記憶により、「 過去と現在と未来 」という不連続を作り、本来は「 縁と因縁 」による「 因果 」が、情(zyou)という欲により「 相当因果関係 」として人間が取扱い得る「 関係 」にして、「 過失責任 」を導入したのが、現在の社会であると思う。


情(zyou)によって決まる「 実体 」は流転し、相対的で、無常な形であるだろう。


気(ki)も情(zyou)も、根底には無明を抱えている。


「 相対的なものには相対的に、絶対的なものには絶対的に 」という哲学者の言葉がある。


上記のように考えると、無明の中に絶対的なもの(仏陀やキリスト)をもとめるべきで、無明であるから金銭や人情などの相対的なものを絶対的なものとして求めるべきではないと思う。


相対的なものは不連続であり、いつかは、幻滅するだろう。


絶対的と相対的は、自分が決めることだと思うが、それは気(ki)を選ぶか、情(zyou)を選ぶかの問題であると思う。


決めるのは情(zyou)であるかも知れないが、その行為は気(ki)である。


気(ki)を実行することが出来るか否かが、成功と失敗を分けると思う。


正しく気(ki)を「 認識 」し、「 行為 」することが、絶対的なものの実行だろう。


情(zyou)は、体験や記憶からくる「 損得勘定 」であり、「 愛 」と「 情 」が組み合った「 愛情 」は人間に必要であるが、「 損得勘定 」や「 打算 」が入れば、「 愛 」ではなくなる。


「 恋 」と「 情 」が組み合った「 恋情 」も、「 損得勘定 」や「 打算 」が入れば「 恋 」は「 愛 」と同じく本来の気(ki)ではなくなると思う。


「 恋 」も「 愛 」も、本来は方向性に迷うものであるが、「 損得勘定 」や「 打算 」で、その方向は決まり、迷いがない状態になるだろう。


「 損得勘定 」に誤算が生じ、「 離婚 」になり、「 愛 」の金銭的評価により、「 愛情 」が決まる。


これは、恋愛している場合のプレゼントの値段により「 愛情 」が決まることにも符合する。


「 愛 」が欲しいのでなく、「 愛情 」が欲しい結果、「 過去や未来 」の評価を決める情(zyou)が働き、情(zyou)の大きさが「 愛 」の大きさと勘違いをしてしまうだろう。


「 愛情 」は利己的な欲であり、情(zyou)を捨てることにより、「 愛 」が得られるかもしれない。


2013/1/20、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


これで、結論のような考えに至った。

宇宙の果てから、自分の体内の細胞に至るまで、「 欲 」が満ちていて、それはエーテルと符合する。

空中にはエーテルと大気が存在するように、人間の中に「 欲 」と「 欲望 」が存在し、それぞれエーテルと「 欲 」、大気と「 欲望 」が符合する。

「 欲 」の中には気(ki)と情(zyou)があり、気(ki)は「 欲 」やエーテルや「 実有 」、情(zyou)は「 欲望 」や大気や「 実体 」と符合し、両者を分けるのは、「 利己欲 」であるという考えである。

先日は「 愛情 」について書いたが、「 感情 」についても同じことが言えると思う。

「 感情 」は「 感じる 」ことと、「 情 」が合体した言葉だが、「 感じること 」は気(ki)に属し、「 情 」は情(zyou)であると考え、情(zyou)が発生するのは、ミラーニューロンであると思う。

他人の事を自分の事のように「 同情 」し、わが身にシュミレーションをするのがミラーニューロンであり、情(zyou)が持つ、記憶による予測や反省を引き起こすと思う。

どこまで「 同情 」するかは、個人の「 利己欲 」に依り、従って、何を「 実体 」と見るかも「 利己欲 」であり、どこを境界線とするかも「 利己欲 」であると思う。

今まで「 無意識 」というのが「 利己欲 」であったことになり、「 心は無意識の現れである 」というのも「 心は利己欲の現れである 」ことになり、「 人格は無意識の現れである 」ことも「 人格は利己欲の現れである 」という結果になる。

「 実有 」の中から「 実体 」を選出するのも「 利己欲 」であり、気(ki)から情(zyou)が生じるのも「 利己欲 」であり、「 欲 」の中の「 利己欲 」であるから、見た光景にベクトル(力線)を感じると思う。


2013/1/26、私の考え・不安


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


私は、上記のように、心理を「 気(ki)と情(zyou) 」と「 欲 」という「 エネルギー 」の二重構造と考える。



行動は無意識と意識の行動であると考えるのが一般的かもしれないが、私は賛成しない。


行動は気(ki)であり、それを促すのは「 気(ki)の欲 」と「 情(zyou)の欲 」というエネルギーであると思う。


前者が「 無意識 」で後者が「 意識 」であると考えるのではなく、「 気(ki)の欲 」や「 情(zyou)の欲 」の中にも「 無意識と意識 」は存在する。


私は、「 欲 」が気(ki)と「 実体化 」した、あるいは存在として感じたのが「 気(ki)の欲 」であり、それが「 対象が無い不安 」であると考える。


「 気(ki)の欲 」が「 不安 」であり、目的を持たない「 実体化 」であるのは、本来が「 無明 」から発生するからであり、「 実体 」ではないが、「 実有 」である。


これに対して、「 欲 」が情(zyou)と「 実体化 」したのが「 情(zyou)の欲 」であり、これが一般的に「 意欲 」と呼ぶものだと思う。


これは、対象(実体)のある動機であり、行動のエネルギーである。


「 欲 」が「 実体化 」するとはエネルギーが行動となって現れることであり、心理学で扱われるものだと思うが、「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 実有 」であるが「 実体 」でないので、心理学では解決することが出来ない「 無意識 」であると言われるかも知れない。


「 不安 」は「 気(ki)の欲 」であり、「 無明 」を内包し、「 実体 」ではなく「 実有 」のエネルギーであり、「 実体 」を「 相対化 」する、あるいは「 無常 」と感じさせるエネルギーであると思う。
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2013年01月20日

2013/1/20、オカルト・気(ki)と情(zyou)と欲 3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/1/6、私の記事



上記のことは、「 実有と実体 」で書いたものだが、これは気(ki)と情(zyou)の考えの適用であると考えている。


人間は、すべて「 欲 」を持ち、生きることも「 欲 」を持つから可能であると思う。

本能も「 欲 」である。

ここで、「 欲 」を鬼(ki)、あるいは鬼(oni)であると置き換えて考える。


気(ki)である鬼(ki)を「 欲 」と解釈し、情(zyou)である鬼(oni)を「 欲望 」と解釈し、前者を「 実有 」と考え、後者を「 実体 」と解釈すれば、上記のことが、そのまま適用されると思う。


人間は、社会の様々な「 関係 」で結ばれているが、この「 関係 」を気(ki)と情(zyou)をつなぐエネルギーであると考える。


人間の気(ki)の「 関係 」は、人知が及ばない「 縁や因縁 」であるが、これが習慣となると「 存在意識 」が出来て、これが気(ki)と情(zyou)とつなぐ「 相当因果関係 」であり、「操作可能 」な関係(法則)となる。


気(ki)である、欲や実有や縁や因縁は「 連続するもの 」であり、情(zyou)である、欲望や実体や相当因果関係は「 不連続 」であり、後者の中に「 自由 」があるが、その基盤である前者の「 無明と可能性 」が連続しているから、自由は「 在る 」と感じられると思う。

これは、情(zyou)が「 大気 」であり、気(ki)が「 エーテル 」であることに符合する。


情(zyou)の「 自由 」は不連続であり、自分の内部に、気(ki)の「 無明 」を根底に含み、「 連続 」を断ち切り、「 利己欲 」で判断するため、社会に対する「 責任 」が生じ、根底が無明であるため、情(zyou)は「 無常 」であると解釈する。


「 欲 」や「 実有」と「 欲望 」や「 実体 」を分けるのは「 利己欲 」や「 保身 」であると思う。


情(zyou)は、遺伝子情報のように人間には不可欠であり、「 存在意識 」を持ち、自分と他人を区別するのは必然だが、人は自分だけでは生きてゆけない。



2013/1/19、私の記事



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記より、人間の欲は、気(ki)としての、エーテルのような「 実有 」としての「 欲 」と情(zyou)としての、大気のような「 実体 」としての「 欲望 」に区別し、前者と後者を分かつのは、後者の「 利己欲 」であると思う。


後者は、情(zyou)の欲であり、本来は「 実有 」として連続し、区別することが出来ない空間を、情(zyou)は体験や記憶により、「 過去と現在と未来 」という不連続を作り、本来は「 縁と因縁 」による「 因果 」が、情(zyou)という欲により「 相当因果関係 」として人間が取扱い得る「 関係 」にして、「 過失責任 」を導入したのが、現在の社会であると思う。


情(zyou)によって決まる「 実体 」は流転し、相対的で、無常な形であるだろう。


気(ki)も情(zyou)も、根底には無明を抱えている。


「 相対的なものには相対的に、絶対的なものには絶対的に 」という哲学者の言葉がある。


上記のように考えると、無明の中に絶対的なもの(仏陀やキリスト)をもとめるべきで、無明であるから金銭や人情などの相対的なものを絶対的なものとして求めるべきではないと思う。


相対的なものは不連続であり、いつかは、幻滅するだろう。


絶対的と相対的は、自分が決めることだと思うが、それは気(ki)を選ぶか、情(zyou)を選ぶかの問題であると思う。


決めるのは情(zyou)であるかも知れないが、その行為は気(ki)である。


気(ki)を実行することが出来るか否かが、成功と失敗を分けると思う。


正しく気(ki)を「 認識 」し、「 行為 」することが、絶対的なものの実行だろう。


情(zyou)は、体験や記憶からくる「 損得勘定 」であり、「 愛 」と「 情 」が組み合った「 愛情 」は人間に必要であるが、「 損得勘定 」や「 打算 」が入れば、「 愛 」ではなくなる。


「 恋 」と「 情 」が組み合った「 恋情 」も、「 損得勘定 」や「 打算 」が入れば「 恋 」は「 愛 」と同じく本来の気(ki)ではなくなると思う。


「 恋 」も「 愛 」も、本来は方向性に迷うものであるが、「 損得勘定 」や「 打算 」で、その方向は決まり、迷いがない状態になるだろう。


「 損得勘定 」に誤算が生じ、「 離婚 」になり、「 愛 」の金銭的評価により、「 愛情 」が決まる。


これは、恋愛している場合のプレゼントの値段により「 愛情 」が決まることにも符合する。


「 愛 」が欲しいのでなく、「 愛情 」が欲しい結果、「 過去や未来 」の評価を決める情(zyou)が働き、情(zyou)の大きさが「 愛 」の大きさと勘違いをしてしまうだろう。


「 愛情 」は利己的な欲であり、情(zyou)を捨てることにより、「 愛 」が得られるかもしれない。


2013/1/20、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


これで、結論のような考えに至った。

宇宙の果てから、自分の体内の細胞に至るまで、「 欲 」が満ちていて、それはエーテルと符合する。

空中にはエーテルと大気が存在するように、人間の中に「 欲 」と「 欲望 」が存在し、それぞれエーテルと「 欲 」、大気と「 欲望 」が符合する。

「 欲 」の中には気(ki)と情(zyou)があり、気(ki)は「 欲 」やエーテルや「 実有 」、情(zyou)は「 欲望 」や大気や「 実体 」と符合し、両者を分けるのは、「 利己欲 」であるという考えである。

先日は「 愛情 」について書いたが、「 感情 」についても同じことが言えると思う。

「 感情 」は「 感じる 」ことと、「 情 」が合体した言葉だが、「 感じること 」は気(ki)に属し、「 情 」は情(zyou)であると考え、情(zyou)が発生するのは、ミラーニューロンであると思う。

他人の事を自分の事のように「 同情 」し、わが身にシュミレーションをするのがミラーニューロンであり、情(zyou)が持つ、記憶による予測や反省を引き起こすと思う。

どこまで「 同情 」するかは、個人の「 利己欲 」に依り、従って、何を「 実体 」と見るかも「 利己欲 」であり、どこを境界線とするかも「 利己欲 」であると思う。

今まで「 無意識 」というのが「 利己欲 」であったことになり、「 心は無意識の現れである 」というのも「 心は利己欲の現れである 」ことになり、「 人格は無意識の現れである 」ことも「 人格は利己欲の現れである 」という結果になる。

「 実有 」の中から「 実体 」を選出するのも「 利己欲 」であり、気(ki)から情(zyou)が生じるのも「 利己欲 」であり、「 欲 」の中の「 利己欲 」であるから、見た光景にベクトル(力線)を感じると思う。

感覚は、気(ki)を感じることであるが、何を感じるのかは、無意識、つまり「 利己欲 」であると思う。

感性の向上を願うならば、「 利己欲 」の中から、いかに「 清らかな欲 」を発見するかについて努力するのが良いと思う。

最初は、社会の「 道徳 」や「 信義則 」、その上に「 理性 」を考えることは、イマヌエル・カントの教えのとおりだと思う。

まず、人を手段として用いないこと。

これを第一に考えることが個人に「 人権 」を認めることになり、人を人として平等に認め合う出発点であると思う。


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2013年01月19日

2013/1/19、オカルト・気(ki)と情(zyou)と欲 2

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)




2013/1/6、私の記事



上記のことは、「 実有と実体 」で書いたものだが、これは気(ki)と情(zyou)の考えの適用であると考えている。


人間は、すべて「 欲 」を持ち、生きることも「 欲 」を持つから可能であると思う。

本能も「 欲 」である。

ここで、「 欲 」を鬼(ki)、あるいは鬼(oni)であると置き換えて考える。


気(ki)である鬼(ki)を「 欲 」と解釈し、情(zyou)である鬼(oni)を「 欲望 」と解釈し、前者を「 実有 」と考え、後者を「 実体 」と解釈すれば、上記のことが、そのまま適用されると思う。


人間は、社会の様々な「 関係 」で結ばれているが、この「 関係 」を気(ki)と情(zyou)をつなぐエネルギーであると考える。


人間の気(ki)の「 関係 」は、人知が及ばない「 縁や因縁 」であるが、これが習慣となると「 存在意識 」が出来て、これが気(ki)と情(zyou)とつなぐ「 相当因果関係 」であり、「操作可能 」な関係(法則)となる。


気(ki)である、欲や実有や縁や因縁は「 連続するもの 」であり、情(zyou)である、欲望や実体や相当因果関係は「 不連続 」であり、後者の中に「 自由 」があるが、その基盤である前者の「 無明と可能性 」が連続しているから、自由は「 在る 」と感じられると思う。

これは、情(zyou)が「 大気 」であり、気(ki)が「 エーテル 」であることに符合する。


情(zyou)の「 自由 」は不連続であり、自分の内部に、気(ki)の「 無明 」を根底に含み、「 連続 」を断ち切り、「 利己欲 」で判断するため、社会に対する「 責任 」が生じ、根底が無明であるため、情(zyou)は「 無常 」であると解釈する。


「 欲 」や「 実有」と「 欲望 」や「 実体 」を分けるのは「 利己欲 」や「 保身 」であると思う。


情(zyou)は、遺伝子情報のように人間には不可欠であり、「 存在意識 」を持ち、自分と他人を区別するのは必然だが、人は自分だけでは生きてゆけない。


「 利己欲 」という情(zyou)が強いほど「 実体 」に依存し、執着し、「 生前 」に執着するが、「 利己欲が無いとき 」は、「 生前 」も「 死後 」も「 実有 」を信じて、人を信じて、不安が無いと思う。


「 金銭 」という「 実体 」を信じて安心するか、「 人の関係 」を信じて安心するかは、「 利己欲 」という情(zyou)の有無による。


「 金銭 」が無くて不安なのは「 人の関係 」という目には見えないエネルギーを信じないからであり、物事を金銭で解決するという、人の関係より利己欲を重視するからであると思う。


「 金銭 」の有効性は、その時の政府が保障する価値であり、政府の補償が無ければ紙屑であり、それを信じるのは、「 金銭 」で善意を強要することであり、人の善意を信じていないと考える。


「 利己欲 」が物化し、「 存在意識 」や情(zyou)あるいは情報として霊長類の子孫に「 実体 」として伝染することを鬼(oni)や「 死霊 」が憑依すると解釈するのに対し、気(ki)である鬼(ki)は、人のエネルギーとして大気中や地球の周囲に拡散し、世界中の人類の中に「 実有 」する。


そして、「 利己欲 」は、自分に利益しか眼中にないから、「 信義則を持っていないこと 」も鬼(oni)の特徴であるかも知れない。

鬼(oni)を破壊するものは「 信義則 」という関係(エネルギー)であり、同じエネルギーである鬼(ki)へと移行すると思う。


人間を、情(zyou)という「 実体 」と気(ki)というエネルギーで構成すれば、関係は気(ki)であり、エネルギーであり、「 実体 」である「 利己欲 」が強いほど、移行するエネルギーは大きく、悪人が善人になる場合など、エネルギーも大きいと思う。



2013/1/19、私の考え



これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


上記より、人間の欲は、気(ki)としての、エーテルのような「 実有 」としての「 欲 」と情(zyou)としての、大気のような「 実体 」としての「 欲望 」に区別し、前者と後者を分かつのは、後者の「 利己欲 」であると思う。


後者は、情(zyou)の欲であり、本来は「 実有 」として連続し、区別することが出来ない空間を、情(zyou)は体験や記憶により、「 過去と現在と未来 」という不連続を作り、本来は「 縁と因縁 」による「 因果 」が、情(zyou)という欲により「 相当因果関係 」として人間が取扱い得る「 関係 」にして、「 過失責任 」を導入したのが、現在の社会であると思う。


情(zyou)によって決まる「 実体 」は流転し、相対的で、無常な形であるだろう。


気(ki)も情(zyou)も、根底には無明を抱えている。


「 相対的なものには相対的に、絶対的なものには絶対的に 」という哲学者の言葉がある。


上記のように考えると、無明の中に絶対的なもの(仏陀やキリスト)をもとめるべきで、無明であるから金銭や人情などの相対的なものを絶対的なものとして求めるべきではないと思う。


相対的なものは不連続であり、いつかは、幻滅するだろう。


絶対的と相対的は、自分が決めることだと思うが、それは気(ki)を選ぶか、情(zyou)を選ぶかの問題であると思う。


決めるのは情(zyou)であるかも知れないが、その行為は気(ki)である。


気(ki)を実行することが出来るか否かが、成功と失敗を分けると思う。


正しく気(ki)を「 認識 」し、「 行為 」することが、絶対的なものの実行だろう。


情(zyou)は、体験や記憶からくる「 損得勘定 」であり、「 愛 」と「 情 」が組み合った「 愛情 」は人間に必要であるが、「 損得勘定 」や「 打算 」が入れば、「 愛 」ではなくなる。


「 恋 」と「 情 」が組み合った「 恋情 」も、「 損得勘定 」や「 打算 」が入れば「 恋 」は「 愛 」と同じく本来の気(ki)ではなくなると思う。


「 恋 」も「 愛 」も、本来は方向性に迷うものであるが、「 損得勘定 」や「 打算 」で、その方向は決まり、迷いがない状態になるだろう。


「 損得勘定 」に誤算が生じ、「 離婚 」になり、「 愛 」の金銭的評価により、「 愛情 」が決まる。


これは、恋愛している場合のプレゼントの値段により「 愛情 」が決まることにも符合する。


「 愛 」が欲しいのでなく、「 愛情 」が欲しい結果、「 過去や未来 」の評価を決める情(zyou)が働き、情(zyou)の大きさが「 愛 」の大きさと勘違いをしてしまうだろう。


「 愛情 」は利己的な欲であり、情(zyou)を捨てることにより、「 愛 」が得られるかもしれない。

「 愛国無罪 」というが、「 愛国 」の中に、過去や未来を含んだ打算的な情(zyou)があるから、自国の外で「 犯罪 」を犯し他国の「 信義則 」を破るのであり、打算を含まぬ「 愛 」なら、自己を否定する、政治的であれば体制内批判になる行為として現れ、その行為を許すのが「 愛国無罪 」であると思う。


政治的に言えば、アメリカで富裕層への増税、中国では、「 天安門 」の自由を求める行為や「 チベット仏教 」の信仰の自由を求める行為、日本では「 原発ゼロ 」を求める行為を許すこと、いわゆる「 人権問題 」を解決することが、「 愛国無罪 」であると思う。


「 愛 」は気(ki)であり、現在にだけ存在する。


過去や未来への「 愛 」は、情(zyou)であり、愛情であり、打算的な愛であり、それを現在で発揮したのが「 愛 」ではなく、それを否定するのが「 愛 」であると思う。

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2013年01月06日

2013/1/6、オカルト・気(ki)と情(zyou)と欲

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。

2012/1/14、私の記事


「 万物は流転する 」が無常であり、「 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」を無明と考え、前者が情(zyou)であり、肉体であり、後者は気(ki)であり、生命であると思う


2012/5/19、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調は求めない。


私は、@時間を創る空間関係(因果の時間)と

A人間が考える時間(時間意識)を分ける。



2012/6/12、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。

私は、ここで「 無意識 」を修正することにする。

それは、「 小脳の無意識 」と「 大脳の無意識 」とに分け、前者が「 気(ki)」の無意識とし、後者を「 情(zyou)の無意識 」と仮定し、前者が後者を包摂すると考える。

そして、次のように連想する。

T、一方では、

@の時間

関係

連続

実有

気(ki)

気(ki)の無意識

現在

行為@「 閉じこもり 」(11/10追加)A「 脱皮 」(11/10追加)

無明

生命

エーテル(媒体)電磁場や重力場が存在する真空の空間(10/13追加)

ミラーニューロン(10/13追加)

生き物(10/13追加)

魂(11/10追加)

鬼(ki)「 邪しき神」や「邪しき鬼(もの)」という得体の知れぬ「カミ」や「モノ」、あるいは鬼神(kizinn)(11/10追加)



U、他方では、

Aの時間(時間意識)

実体

不連続

虚(kyo)

情(zyou)

情(zyou)の無意識

過去や未来

思考

無常

肉体

大気(媒体)(10/13追加)

ニューロン(10/13追加)

霊長類(10/13追加)

霊(11/10追加)

鬼(oni)(死霊)(亡霊)(11/10追加)


2012/11/25、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


単純なことだが、「 実体 」と「 実有 」とは違うことに気づいた。


前者は、「 不連続 」の「 意識 」であり、文化であり、教育も出来る、「 実体 」という「 虚 」であり、前者の無意識は大脳の情(zyou)の無意識である。


後者は、気(ki)の無意識であり、小脳の無意識、つまり生命に直結する「 連続 」した「 実有 」であり、範囲は「 実体 」より広く、意識を超えた宇宙である。


意識の「 実体 」に「 現在 」という気(ki)の無意識が加わったのが「 実有 」であるかも知れない。


教育し、伝承され、共感される(ミラーニューロンが働く)のは、「 今 」や「 現在 」という気(ki)の中で「 実体 」の「 不連続 」を「 連続 」させることであり、「 実有 」や「 連続 」は、共感した現在の個人の中に存在すると考える。


「 実体 」は「 実有 」を必要としない「 虚 」であり、学問は「 虚 」であり、学問を修めるとは、人類が知恵を喰い尽くし、その食べ残しを食べることだと思う。


この観点から、霊魂を考えると、情(zyou)として、意識としての見えない物や「 文化 」が「 霊 」であり、「 虚 」であり、これは人から教育や教唆されても、「 実体 」と意識するだろう。


これに対して、気(ki)として、見えない物、あるいはエネルギーが「 魂 」であり、無意識によって「 実有 」と実感され、「 実体 」と「 実有 」が出会い実感される場所が「 今 」「 現在 」の「 現実 」であり、それが「 霊魂 」であると思う。


教育や教唆されての「 人で無いもの 」が鬼(oni)であり、無意識に恐れる「 人で無いもの 」が鬼(ki)であるだろう。


前者の鬼(oni)が、文化として、情(zyou)としての「 人で無いもの 」であり、社会的であり、宗教など信じることなく生まれる。


言い換えると、「 信義則 」や「 信頼 」が無くても、鬼(oni)は生まれるし、「 信義則 」や「 約束 」は鬼(oni)には必要が無い。

それが、科学的「 実体 」であるだろう。


鬼(oni)は、後者の鬼(ki)を必要としない、科学的「 実体 」という「 虚 」であり、学問の「 虚 」であり、生命に直結する「 信義則 」や「 約束を信じること 」つまり「 義 」は必要ではない。


後者の鬼(ki)が、気(ki)としての「 人で無いもの 」であり、個別的であり、生命的な「 無明 」であり、「 信義則や約束を信じること 」により、存在し、それが「 義 」であるだろう。


「 不連続 」と「 不連続 」を「 信じること 」により「 連続 」させる。


鬼(oni)は情(zyou)であり、「 信義則 」や「 約束 」という「 義 」を破っても存在し続けるが、鬼(ki)は、「 信義則 」や「 約束 」を守り、信じる人は「 信義則や約束が無い状態、つまり「 義 」が無い状態(無明)が生命と直結することを恐れる 」から、「 恐れる 」人の間に存在する。


「 信義則 」や「 約束 」を破る鬼(oni)は、科学的な死霊であり、「 信じること 」をせず、「 義 」を知らず、生命を考えないから、鬼(ki)である「 魂 」を持っていないことになると考えている。


「 義 」とは、人倫の道であり、人として為すべき人の行為である。


「 魂 」という漢字の中には「 鬼(oni)」という漢字が含まれている。

「 魂 」は、人類のすべてが持っている。

人類のすべては、「 鬼(oni)」を持っている。


鬼(oni)を、鬼(oni)として残すか、鬼(ki)に変えるかは、個人の自由である。


2013/1/6、私の考え



上記のことは、「 実有と実体 」で書いたものだが、これは気(ki)と情(zyou)の考えの適用であると考えている。


人間は、すべて「 欲 」を持ち、生きることも「 欲 」を持つから可能であると思う。

本能も「 欲 」である。

ここで、「 欲 」を鬼(ki)、あるいは鬼(oni)であると置き換えて考える。


気(ki)である鬼(ki)を「 欲 」と解釈し、情(zyou)である鬼(oni)を「 欲望 」と解釈し、前者を「 実有 」と考え、後者を「 実体 」と解釈すれば、上記のことが、そのまま適用されると思う。


人間は、社会の様々な「 関係 」で結ばれているが、この「 関係 」を気(ki)と情(zyou)をつなぐエネルギーであると考える。


人間の気(ki)の「 関係 」は、人知が及ばない「 縁や因縁 」であるが、これが習慣となると「 存在意識 」が出来て、これが気(ki)と情(zyou)とつなぐ「 相当因果関係 」であり、「操作可能 」な関係(法則)となる。


気(ki)である、欲や実有や縁や因縁は「 連続するもの 」であり、情(zyou)である、欲望や実体や相当因果関係は「 不連続 」であり、後者の中に「 自由 」があるが、その基盤である前者の「 無明と可能性 」が連続しているから、自由は「 在る 」と感じられると思う。

これは、情(zyou)が「 大気 」であり、気(ki)が「 エーテル 」であることに符合する。


情(zyou)の「 自由 」は不連続であり、自分の内部に、気(ki)の「 無明 」を根底に含み、「 連続 」を断ち切り、「 利己欲 」で判断するため、社会に対する「 責任 」が生じ、根底が無明であるため、情(zyou)は「 無常 」であると解釈する。


「 欲 」や「 実有」と「 欲望 」や「 実体 」を分けるのは「 利己欲 」や「 保身 」であると思う。


情(zyou)は、遺伝子情報のように人間には不可欠であり、「 存在意識 」を持ち、自分と他人を区別するのは必然だが、人は自分だけでは生きてゆけない。


「 利己欲 」という情(zyou)が強いほど「 実体 」に依存し、執着し、「 生前 」に執着するが、「 利己欲が無いとき 」は、「 生前 」も「 死後 」も「 実有 」を信じて、人を信じて、不安が無いと思う。


「 金銭 」という「 実体 」を信じて安心するか、「 人の関係 」を信じて安心するかは、「 利己欲 」という情(zyou)の有無による。


「 金銭 」が無くて不安なのは「 人の関係 」という目には見えないエネルギーを信じないからであり、物事を金銭で解決するという、人の関係より利己欲を重視するからであると思う。


「 金銭 」の有効性は、その時の政府が保障する価値であり、政府の補償が無ければ紙屑であり、それを信じるのは、「 金銭 」で善意を強要することであり、人の善意を信じていないと考える。


「 利己欲 」が物化し、「 存在意識 」や情(zyou)あるいは情報として霊長類の子孫に「 実体 」として伝染することを鬼(oni)や「 死霊 」が憑依すると解釈するのに対し、気(ki)である鬼(ki)は、人のエネルギーとして大気中や地球の周囲に拡散し、世界中の人類の中に「 実有 」する。


そして、「 利己欲 」は、自分に利益しか眼中にないから、「 信義則を持っていないこと 」も鬼(oni)の特徴であるかも知れない。

鬼(oni)を破壊するものは「 信義則 」という関係(エネルギー)であり、同じエネルギーである鬼(ki)へと移行すると思う。


人間を、情(zyou)という「 実体 」と気(ki)というエネルギーで構成すれば、関係は気(ki)であり、エネルギーであり、「 実体 」である「 利己欲 」が強いほど、移行するエネルギーは大きく、悪人が善人になる場合など、エネルギーも大きいと思う。
posted by kandk55 at 04:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 42 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする