2009年01月16日

2009/1/16・私は paranoia だろうか?

今日、ネットで見ました。

(Wikipedia より引用)

偏執病(へんしゅうびょう、パラノイア; :paranoia)は、精神病の一種で、体系だった妄想を抱くものを指す。自らを特殊な人間であると信じるとか、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、という点以外では人格的に常人と大して変わらない点が特徴。

( 引用を終わる )

私は、問うているのです。

時間とは何ですか?
空間とは何ですか?
人類は全て共通の時間や空間を持っていると思うが、それは何故ですか?
意識も無意識も、人類は全て持っていると思うが、それは何ですか?

私を「狂人」と言うだろう。

世間では、知ったふりをして、人を異常だと決める人が多い。

日本で「 精神病 」は、忌み嫌われた病気で、その偏見は強く、一度でも「 精神病 」になれば、その人の人生を変えてしまうと、私は思う。

「心療内科」や「クリニック」という医院が、最近は増えたが、私の青年時代では、「 精神病院 」しか無かった。

「 心 」の「 病 」ではなくて、頭の「 病気 」だった。

実際、頭蓋骨を割って手術した経験者にも会った。

「 精神 」の問題が、物理的な「脳」の病気になっていると思った。

私の立場では、「 流れる物 」が物質であり、「 派生する物 」は、精神であり、心なのだ。

私が「 光 」といえば、物理的な「光」だと思うかもしれないが、私は「 精神的な光 」なのだ。

人類の全部が、「時間」や「空間」として見ている事柄が、「 光 」の「 場 」や効果だと思う。


精神に病を持った人は、一旦、「精神病」と判定されると、「 社会的な死 」となる。

病院自体が、「 墓場 」であり、退院したとしても、一旦は死んだ人なのだ。

死んだ人が、復職するチャンスは、無いと言った方が良いだろう。

仮に復職する事が出来ても、周囲からの評価を元に戻すためには、必死の思いをするだろう。

最近は、有名人が、「私はうつ病だった」など、カミングアウトする場合が多く、多少は「 精神病 」に対する偏見は少なくなったかも知れない。

しかし、同僚の出世の足を引っ張る部門では、一旦、精神病に認定されると、「死んだと同じ」で、退職を勧告されるだろう。

その結果、自殺する者もいるだろう。

「 勝負は会社だけではない 」という事を強く、「 心 」に持って、自分の道を切り開いて欲しい。

日本で偉い人と呼ばれなくても良い。

金や地位や名誉は、あの世では誇りにはならない。

人が、人にどれだけ優しい行為をしたか、如来様(nyoraisama)は知っている。

人に優しいから、病になったとも言う事が出来る。

都会で病になったら、自分の故郷へ帰るのも良い方法だと思う。

地球は人間だけの物ではない。

友人はいなくても、山河があり、傷を癒してくれると思う。

都会に出て、錦を飾らなくても良い。

錦が何だ。

人造物で、「自分を評価されたくない」。



Every miller draws water to his own mill.
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2009年01月09日

2009/1/9・現実は心の投影

「 大円鏡智 」は、人間の阿頼耶識(arayasiki)の中にも存在すると思う。

これは、私が「 外に見える心 」の領域に入って来る物に気付くのと同じ性質だと思う。

自分の領域を侵入する者に対して、攻撃をするが、これは「自分が弱い存在である」事を知っているから自己防衛するのだと思う。

自己防衛は、正しく防衛すべきである。

心に恐怖を持っていると、自分の周囲が、「恐怖」に満ちた世界に見える。

心配して何もしないと、「心配」する通りの環境になる。

この世を、物質世界と心霊世界が共存する世界だと思うと、後者の「無明」が前者の「無知」に重なり、「恐怖の心霊世界」が、現実世界に実現すると思う。

私は、これが「被害妄想」だと思う。

共存とは、「知識」と「智恵」の「相関関係」のように、二つが数千光年、離れていても、一方が他方に影響を及ぼす「相関関係」の存在であると思う。

「投影する」とは、私が、心霊世界を物質世界に重ねて、実体があると思う事、あるいは、物質世界の中に、自分の心霊世界を見る事だと思う。

「心の実体化」だと思う。

自分の心の「恐怖」を、世間の一般的な現実世界の中で、自分にとっての「恐怖の環境」を作り出す事である。

「知識」と「智恵」が、意識によりマンホールを通して結びついているが、「知識」は「無知」を相棒として、そして「智恵」は「無明」を相棒として、現実生活の中に同時存在しているのがその理由だと、私は思う。

日本に「肉を切らせて、骨を切る」という言葉がある。

あるいは、「相打ち」を覚悟するならば、大胆な行動に出る事が出来ると聞く。

裸一貫、盗れるものなら盗ってみろ。



Poor thinking is as good as no thinking.
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2009年01月07日

2009/1/7・一流大学卒業者の行為

今朝、あるブログで、次のような記事を見た。

ブログ殺害予告の元東大生を再逮捕、女性教授ら3人も脅す
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090106-00000033-yom-soci

 文部科学省の局長らの殺害予告をインターネットのブログに書き込んだとして脅迫罪で起訴された男が、東大の女性教授ら3人についてもネット上で脅していたとして、警視庁は6日、東大法学部卒で東京都文京区本駒込の無職、前田記宏(ふみひろ)被告(25)を脅迫容疑で再逮捕した。

 発表によると、前田被告は昨年11月2日午後、東大在学中に講義を受けた女性教授ら3人の実名を挙げ、「明後日の午後1時に殺害する」などと自宅のパソコンから自分のブログに書き込んだ疑い。

 同庁幹部によると、同被告は「名を挙げた教授らは授業で学生を欺いていた。また文科省と東大は共謀して大人の都合のいいように子供たちをコントロールしてきた。殺害されるべきだ」と供述しているという。

(引用を終わる)



私の考え

日本の一流大学という評判の「東京大学」を卒業した人の犯罪である。

自分が就職する事が出来なかったので、大学に対して恨みを持っているのだろう。

「 教育 」など言う前に、「 大人 」として行動して欲しい。

文部科学省が、「 教育を出来ないエリート集団 」であることは、日本人は、皆、知っている。

教育を止めさせる権限や力がないから、黙って見ているだけで、黙認ではない。

犯罪者も、精神的な「 親 」になってから、文部科学省のエリートが、子供に対して「愛」を持って教育していないと糾弾して欲しい。

東京大学の卒業者は、何歳になったら、「 大人 」になるのだろうか?

派遣社員が、企業により物として扱われ、社員寮から追い出され、公園で「テント」を作り、地震の被災害者のように暮らしているのに、就職が出来ないから、出身した大学の教授を殺すなど、考える東京大学生の精神状態が考えられない。

これも、受験試験ばかりで、「温室」に入った者の「温室効果」なのだろう。

子供の性教育を考えると、教育現場は、セックス教育である。

文部科学省が、セックスを教えるように指導しているのかも知れないが、教える内容が違うと思う。

セックスなど、子供は興味があるから、「親の性行為」を見て、既に知っている。

パソコンにより、セックスのテクニックなど、親より遥かに知っているだろう。

コンドームを何故、装着するのか。

性病の感染を防ぐためというのは、「親」に言う事。

コンドームが快楽追求の道具だから、コンドームを教える事が、セックスする許可になるのだと思うが、子供には、「親」が、セックスだけでなく、子供を守っている事、親の尊厳を教えていない。


家庭で、コンドームの装着が教えられないから、学校で教育すると思うが、生物の「親」は知っていても、精神的な「親」を知らないから、子供は何歳になっても「子供」の状態である。

殺人未遂の東京大学生が、何と「幼い」事か。

これが、日本のトップの大学生なのか。

「東大生である事を、死ぬまで忘れない」のが、東京大学生だ。

こんな人が、文部科学省や政府機関に従事している事は、日本の発展を阻害しているのだと思う。

東大生を見れば、異常と思え。

Poor thinking is as good as no thinking.
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