2010年08月07日

2010/8/7、オカルト・私の主張・言い訳・回想9

第三部 「 二本足の考え 」

2010/5/8、私の記事

小脳の無意識は、呼吸や覚醒や鼓動という生命の無意識で、大脳の意識と区別し、二つを焦点とした「 二本足の考え 」を以前、発表した。

小脳という臓器は身体の範囲に限られているが、そこから発する無意識は、宇宙の運動を認識し、同じ「 動き 」の身体の行動と直結する。

「 小脳の無意識 」の範囲は「 心 」の範囲である。

「 心 」を動かす、眼を動かしたり、意識の方向を指図するのは、「 小脳 」であり、全ての物体を安定させる「 重力 」を感じるのも、「 小脳 」だと思う。

「 二本足に考え 」の「 無意識 」は、「 小脳の無意識 」である。

「 心 」も「 小脳の無意識 」で、大脳の「 意識 」は、「 時間意識 」と「 空間意識 」の電磁波的構造で、絶えず「 小脳の無意識 」を具現化していると考える。

大脳は、絶えず「 小脳の無意識 」を具現化し、それが「 意思は具現化する」という意味である。


頭脳も、生命維持のために働いている事を考えると当然の事だと思う。


宇宙の全てが、行動を促す「 欲 」であり、「 意欲 」は、個人の「 生活リズム 」という時間意識と「 身体の行動可能性 」という空間意識に合致した「 欲 」であり、行動の原因である。

それが、身体の外部で、「 時間 」や「 空間 」という「 形あるもの」にデフォルメされて、人間の意識と切り離されているが、本来の「 生活リズム 」と「 身体の行動可能性 」に戻して考える。

「 生活リズム 」とは、呼吸や鼓動であり、「 身体の行動可能性 」とは、シュミレーションであり、想像する未来の自分の行動である。

「 人の意見を聞く 」とか「 相手の立場に立って考える 」などは、「 小脳の無意識 」を相手まで広げる事であり、「 無意識で相手を理解する事 」であり、意識の焦点に乗って「 無意識 」の「 足 」を広げる事である。

「 行動する 」とは、無意識の焦点に立って、「 意識 」した行動可能性を決定する事であり、根底は「 無意識が行動を決定する 」事になる。

これが、「 二本足で歩く 」という事である。



2010/8/4、私の記事

シュミレーションや象徴について、以前、書いたが、言葉は、「 発音 」と「 表意 」があり、前者は「 音 」が主要な要素であるため時間的であり、後者は、「 行為の可能性 」を伝達するから、空間的であり、その「 可能性 」が「 現実 」に具現化する形態を考えるのが「 シュミレーション 」だと思う。


「 行為の可能性 」は、「 小脳の無意識 」だから、「 シュミレーション 」は行為しながら考えるという「 小脳で考える事 」であり、「 象徴 」は、個人の可能性が「 絵画 」や「 音楽 」や「 言葉 」へ具現化する事で、それらは根本は一つになった「 小脳の時間と空間 」で、具現化する過程に時間を必要としたり、空間を必要とすると思う。


具現化する過程の時間や空間を現実に提示する事が「 小脳が時空を作る 」事だと考える。

時空は、意識だから。

………………(省略)………………………

「 心 」とは、「 小脳の無意識 」であり、生命体の意識だと考え、それは、呼吸と心拍と身体図式であり、それを「 静か 」にするとは、利己心を捨てて、自己を拡大した「 生きている座標 」や「 生命の時空 」で考える事だと思う。


それは、意識の絶対静止した座標の内容を「 空 」にして、「 生命体 」を、意識の内容に受け入れる事だろう。


それは、「 意識 」で考える事から「 小脳の無意識 」で考える事、生きるための行為を想像する事に移す事であり、重心を「 意識 」から「 無意識 」に、そして「 意識 」へと移す事であると考える。

………………(省略)………………………

「 欲 」が感じる「 ベクトル 」が、自分を危うくするのか、あるいは安全にするかの「 ベクトルの方向 」の問題で、前者が「 嫌い 」で、後者が「 好き 」だと思うのだと考える。


「 速度ベクトル 」により時間と空間が規定されるように、「 欲 」の座標では、「 ベクトル 」を手放すか引き付けるかの引力の違いで、無意識が圧迫され、時間と空間に無意識を具現化する行為も違うから、「 欲の座標を持つ人格 」の許容力の違いで、「 ベクトルの方向の好きや嫌い 」が分かれると考える。


以前、「 眼が好きと嫌いを作る 」と書いたが、「 心 」の動きが「 眼 」に現れるから、「 小脳の無意識 」が、「 好きと嫌いを作る 」と考える。


2010/8/7、私の考え

私は、「 意識 」の領域と、生命の領域と言う「 無意識 」の領域が、「 意識の時空意識 」と、それに影響する無意識の呼吸や脈拍のリズムや行為可能性や身体図形による「 無意識の時空 」が連結していると考える。

行為の場合は、後者の「 無意識の時空 」で実体が既に決定された後「 意識の時空意識 」でデフォルメや概念化される。

思考する場合は、「 意識の時空意識 」で無意識の「 行為可能性 」を使って形態を具現化した後、「 無意識の時空 」が呼吸や脈拍のリズムで実体化する。

前者が「 末那識 」で後者が「 阿頼耶識 」であると考える。

「 意識 」と「 無意識 」を「大気」や「 霊 」と考え、これらを動かすのは、エーテル体に似た「 欲 」であると考える。

「 二本足で考える 」とは、二足歩行のように、一方の足を「 道具 」にしながら、前へ進むように、「 意識 」と「 無意識 」で認識し、行為するのであり、一方だけの研究は、誤りだと考える。


私は、「 意識 」と「 無意識 」に「 共変する時空 」、言い換えると「 互いに往来する時空 」を「 小脳 」が作るから「 時間 」と「 空間 」が、存在すると考える。

時計の無い生活も「 時間 」があるだろう。

私は、「 時間 」は「 時間意識 」であると考えるから、意識がある限り、「 時間 」はある。

時計の無い宇宙空間で、人間は何によって時間を知り、「 速度 」を知り、そして距離や方向を知るのだろう。

そのときは、自分の呼吸や脈拍のリズムや行為可能性や身体図形を投影して、自分の「 時空 」を作ると考える。

その事を、「 時間 」や「 空間 」に囚われずに実行する事が「 ルネッサンス」であり、それを実行した方が良いと思っている。


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2010年08月04日

2010/8/4、オカルト・私の主張・言い訳8

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


私が、先日、提出した「 なぜ 」について、現在、考えていることを書きます。


@

流れ星や天体の星の動き、小鳥のさえずり、車の騒音、滝の音などに、「 心 」が動くのは、なぜ?

これは、前述したように、「 行為 」に直結するのが「 欲 」であり、中途半端な「 欲 」は「意欲」や「 欲望 」というように、利己的になると思う。


限りなく宇宙まで、「 行為 」に直結する「 欲 」を拡大した時、流れ星や小鳥のさえずりが、「 心 」を動かす。


「 関係ない 」といって欲を区切り、区切った範囲で行為するが、本来は、全てが「 関係して 」いる。

地球は一つである。

「 関係ない 」というのは、関係を断ち切って自己保身するか「 心の動き 」を考える事を拒否する反応で、「 利己的自我意識 」だと考える。


「 心 」が「 欲 」ならば、意識した全てに対して、何かの反応をしている。

それが、「 好き 」「 嫌い 」であるだろう。


A

決まった時間に、就寝したり起床するのは、なぜ?

困ったとき、「 心 」を静かにすると、名案が湧くのは、なぜ?

シュミレーションとは、何?

「 象徴 」とは、何?


これらは、本能と呼ぶ欲求を支配している「 小脳 」の機能だろう。

決まった時間に、就寝したり起床するのは、小脳について調べると判明するだろう。


シュミレーションや象徴について、以前、書いたが、言葉は、「 発音 」と「 表意 」があり、前者は「 音 」が主要な要素であるため時間的であり、後者は、「 行為の可能性 」を伝達するから、空間的であり、その「 可能性 」が「 現実 」に具現化する形態を考えるのが「 シュミレーション 」だと思う。


「 行為の可能性 」は、「 小脳の無意識 」だから、「 シュミレーション 」は行為しながら考えるという「 小脳で考える事 」であり、「 象徴 」は、個人の可能性が「 絵画 」や「 音楽 」や「 言葉 」へ具現化する事で、それらは根本は一つになった「 小脳の時間と空間 」で、具現化する過程に時間を必要としたり、空間を必要とすると思う。


具現化する過程の時間や空間を現実に提示する事が「 小脳が時空を作る 」事だと考える。

時空は、意識だから。



困ったとき、「 心 」を静かにすると、名案が湧くのは、なぜ?


これは、私の「 二本足の考え 」で説明する。

「 名案 」というのは、「 意識 」である。

「 心 」とは、「 小脳の無意識 」であり、生命体の意識だと考え、それは、呼吸と心拍と身体図式であり、それを「 静か 」にするとは、利己心を捨てて、自己を拡大した「 生きている座標 」や「 生命の時空 」で考える事だと思う。


それは、意識の絶対静止した座標の内容を「 空 」にして、「 生命体 」を、意識の内容に受け入れる事だろう。


それは、「 意識 」で考える事から「 小脳の無意識 」で考える事、生きるための行為を想像する事に移す事であり、重心を「 意識 」から「 無意識 」に、そして「 意識 」へと移す事であると考える。



B

私の好き嫌いは、なぜ?



これは、「 欲 」が感じる「 ベクトル 」が、自分を危うくするのか、あるいは安全にするかの「 ベクトルの方向 」の問題で、前者が「 嫌い 」で、後者が「 好き 」だと思うのだと考える。


「 速度ベクトル 」により時間と空間が規定されるように、「 欲 」の座標では、「 ベクトル 」を手放すか引き付けるかの引力の違いで、無意識が圧迫され、時間と空間に無意識を具現化する行為も違うから、「 欲の座標を持つ人格 」の許容力の違いで、「 ベクトルの方向の好きや嫌い 」が分かれると考える。


以前、「 眼が好きと嫌いを作る 」と書いたが、「 心 」の動きが「 眼 」に現れるから、「 小脳の無意識 」が、「 好きと嫌いを作る 」と考える。



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2010年08月01日

2010/8/1、オカルト・私の主張・言い訳7・回想

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


これまでの話。

しかし、総体の「 霊 」が決めると言っても説得力がないと考え、天体と同じように、人間にも「重力 」があり、それが「 人格 」であり、仏教の「 六道 」で表現される「 心 」の状態が「 人格 」であり、人間は「 必ず 」この六道の一つに存在しているから、常に「 人格 」を練磨しなければならず、「 人格の向上 」が、仏教だと思った。


第二部

意識の総体が「 霊 」とは何か。

「 力 」とは、何か。

「 霊 」と「 力 」は、前者が「 意識 」であるのに反し、後者は「 エネルギー 」であり、両者は全く違う「 分野 」に属すると考える。

「 意識 」を取捨選択するのが「 力 」であり、前者が電磁波であれば、後者は「 欲 」であり、「 欲 」は行為に直結する。

「 欲 」は「 力 」を感じ、「 意識 」が加わった「 意欲 」は、行為の「 実行力 」である。

「 欲 」を統括するのが「 人格 」であり、「 価値観 」であり、それは「 行為を支配する小脳 」が生み出すと考える。

「 意識 」と「 無意識 」を意識だという理由で、同一面で考えず、「 無意識 」は、「 意識されないもの 」で、内臓などの意識、即ち、「 小脳の無意識 」であると考えた。

「 意識 」は左右の頭脳で生まれ、「 無意識 」は「 脳幹 」で生まれると思うが、ホルモンや酵素を分泌する「 小脳 」から生まれ、外部からの「 力 」に反応して行動する。

「 意識 」する前に、小脳で行為しているのだ。

意識で同一と判断する物事は、全て同一ではない。

地球が自転し、公転している事を思えば、同一の時空は「 今 」しか存在せず、「 持続 」は、有り得ない「 嘘 」である。

古代の人間は、時計で刻む時刻を知らず、これを「 無常 」というが、時刻を知っても「 無常 」なのだ。

人間には三つの眼を持っていたという説も有るが、この第三の眼が、「 小脳の無意識 」であり、「 心 」であると考える。

見る前に、見たい物を見ようという「 心 」が存在する。

実体は、既に「 無意識 」により決定され、実体を「 意識 」という電磁波で運搬しているのが認識であり、「 意識の学問 」などは、「 信じない 」。

この意味で、「 書を捨てて、自分で考えなさい 」と私は、忠告する。

人間が見たり、聞いたりするのは、「 欲 」が有るからであり、「 エーテル 」が「 欲 」で、酸素や窒素などの「 空気 」が「 意識 」だと考える。

だから、「 意識 」は伝達物を必要とする波の性質があると思う。

「 エーテル 」は、宇宙の果てから、人間のDNA 細胞まで浸透しているから、宇宙の運動のベクトルや地上の「 速度ベクトル 」を主観的に「 力 」と感じ、「 心 」が動き、動揺する。

これが「 情動 」であり、西洋哲学とは相違する。

頭脳のニューロンなどの神経組織の伝達では、真理に届かないだろう。

私は、「 意識 」と「 小脳の無意識 」(これは、心拍と呼吸が「 時間意識 」を生み、身体運動可能性が「 空間意識 」を生む)を中心とした、「 二本足の考え 」を提案している。

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2010年07月31日

2010/7/31、オカルト・私の主張・言い訳6・回想

私は、特別な事を書いていない。

「 私の空間 」や「 私の時間 」が、なぜ愛おしいのかを考えた時、今まで学んできた「 認識論 」が、無力であるのを感じた。

流れ星や天体の星の動き、小鳥のさえずり、車の騒音、滝の音などに、「 心 」が動くのは、なぜ?

決まった時間に、就寝したり起床するのは、なぜ?

困ったとき、「 心 」を静かにすると、名案が湧くのは、なぜ?

シュミレーションとは、何?

「 象徴 」とは、何?

私の好き嫌いは、なぜ?

私が、いつも私自身と認めるのは、なぜ?

このような、子供が発する疑問を、自分で考えようと思って、ブログを書いてきた。


第1部

当初は、昔からの「 意識 」と「 無意識 」の考え方をしていたが、「 意識は光(電磁波)である 」という観念が湧き、決定される現実面は「 無意識 」によって決められる不連続面だが、「 意識 」という電磁波の構造(サインカーブ)で、結ばれて連続しているから、私が、いつも私自身と認めるのだという結論になった。

そして、人体が宇宙の産物であれば、人体は宇宙の仕組みと矛盾せず、宇宙に存在する事は人体の内部でも存在するから「 人体は小さな宇宙 」と呼ぶと考えた。

その結果、脳波が示す電流は、「 プラズマ宇宙論 」の「 ビルケランド電流 」となり、人体の電気を統制し、その電流から、電磁波の構造で派生するのが「 意識という電磁波 」であると考えた。

「 意識 」を生む頭脳は、電流が流れる層を形成し、それは天空の電離層に似て、「 意識 」を反射するプラズマ状態であると考えた。

そこで主要な意識の流れが、認識であると考えた。

電流という流れる物が「 無意識 」であれば、流れから派生する物が「 意識の電磁波 」であると考え、前者が「 空間意識 」を生む「 電場 」で、後者が「 時間意識 」を生む「 磁場 」であると考えた。

このように、「 意識の時空間の座標軸 」は、「 無意識 」によって、統御されていると考えた。

その総体が、「 霊 」であり、「 魂 」だろうと考えた。

認識する現実は、総体の「 霊 」が作る現実面で、認識する座標は、意識と無意識が、サインカーブを描いて回転する事により、現実面が作られる。

その事が、「 弁証法 」だろうと思った。

肯定と否定を繰り返す事は、「 座標軸の回転 」だろうと思った。

実数と虚数の繰り返しも「 座標軸の回転 」に関係しているだろう。

無意識により決定されて現実面に現れる時、可能性が現実になる事で、それは、「 意思が形態として具現化する 」事だと考えた。


しかし、総体の「 霊 」が決めると言っても説得力がないと考え、天体と同じように、人間にも「重力 」があり、それが「 人格 」であり、仏教の「 六道 」で表現される「 心 」の状態が「 人格 」であり、人間は「 必ず 」この六道の一つに存在しているから、常に「 人格 」を練磨しなければならず、「 人格の向上 」が、仏教だと思った。


「 霊 」というのは、意識の総体で、これは後で述べる「 小脳の無意識 」、つまり生命体であると思う。

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2010年07月28日

2010/7/28、オカルト・私の主張・言い訳5

私が書いているのは、特別の事ではない。

全ての人類が「 時間 」と「 空間 」を必要とし、皆が、「 私の時間 」や「 私の空間 」を持っていると思う。

その「 時間 」や「 空間 」が時計や物差しで計測された「 時空 」ではなく、「 私が好きな時空 」であり、自分の「 心 」が安らぐ時空間である。

「 心 」とは、「 小脳の無意識 」だから、無意識が決定した、「 安らぐ 」、「 快適な 」時空間であり、それが、ヒトに注目すると「 人格の具現化 」であり、社会や国家に注目すると「 文化 」であると考える。

私は、時空を意識だと規定し、時計や物差しで計測された「 時空 」に規定されない「 脳内時空 」を考えた方が、「 楽しい 」と提案している。

「 小脳の無意識が安らぐ時空 」は、素晴らしいと思う。


なぜ「 安らぐ 」のか。
なぜ「 楽しい 」のか。

それが、「 人格 」であり、「 文化 」だと思う。

「 安らいでいる心 」、「 小脳の無意識が安定した状態 」が、「 人格 」の具現化であり、「 文化 」だと思う。

今まで述べたように、「 小脳の無意識 」は、知り得る限りの宇宙空間まで達し、最小は、自分を形成している細胞やDNA などの「 幅員 」をもつ全ての空間に達して、区切る事は不可能である。

その「 時空 」の規定次第で、理論も思想も決定される。

物理の理論で「 時空 」を規定しないという事は、「 時空 」は常識に委ねる事であり、「 時空 」については自由な解釈を受け入れる事であると解釈する。

「 小脳の無意識 」に、心拍や呼吸のリズムと身体図形という運動可能性を設定し、前者が「 時間意識 」で後者が「 空間意識 」として、「 人格 」と「 文化 」を貫き、相互に往来する「 関係 」があるから、人類の文化も進歩すると考えるが、その事情は、全てのヒトが違う。

私は、「 文化の相対性 」を主張するのではない。

「 相対性 」は、絶対静止の「 時空の座標 」を前提とし、「 文化の相対性 」の中に、共通の「 関係 」を把握するのが学問だろうし、それは、絶対静止の「 時空の座標 」を疑い、「 意識の座標 」と規定し、「 小脳の無意識 」から「 文化 」の生成を考えるのが学問だと思う。

それは、「 小脳の無意識 」の、心拍や呼吸のリズムと身体図形という運動可能性が、民族や国家に応じて変化するのを考える事を提案する。

それは、「 人格 」や「 文化 」を考える事に導くだろうと、私は思う。

何を、どのようにデフォルメし、「 象徴化 」して、観衆の何を訴えるのかを考えることが文化を考える事だと思う。

民族や国家などの「 系 」で、環境による影響で文化が違うのは、月や火星などの天体で重力が違うように、思想や価値観が違うから、生活様式が違うから、かも知れず、それを解明するのが学問だろうと思う。


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2010年07月19日

2010/7/19、オカルト・私の主張・言い訳4

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/7/18、私の記事

私は、認識は、感性と悟性により成立するのではなく、意識と無意識で成立すると考える。

感性に時間と空間の「 純粋直観 」があるのではなく、意識には、時間意識と空間意識があり、それは無意識の脈拍などのリズムと身体運動可能性から生じる。

時間と空間は、誕生と同時に、認識する事が出来なく、「 アプリオリ 」に与えられた生命の形態であると思う。

認識するのは、自分が作り上げた時間意識と空間意識であり、宇宙を形成する時間や空間ではない。


2010/7/19、私の考え


「 時間 」と「 空間 」を人間は知る事が出来ない。

人間は「 時空 」を意識として認識し、それが「 小脳の無意識 」に基礎があると私は考える。

実生活で、「 時間 」というのは「 時計 」が示す間隔であり、地球という天体の動きを「 時間 」として認識するのではなく、光速から定義された時間でも光速を認識するのでもない。

「 小脳の無意識 」に基礎があるから、自分が作り上げた時間意識と空間意識には限界があり、「 頭の中の時間と空間は閉じている 」と考える。

閉じた宇宙だから、意識の定在波により、鎖国時代の日本文化のように、「 文化 」が生まれる。

日本文化の浮世絵は、生命を空間的にデフォルメして版画に残したものであるから、(「 デフォルメと美人画 」は絵画であるが)凝縮した女性の美を感じさせる。

時間自体や空間自体を認識する事は出来ない。

時間や空間の認識というのは意識であり、「 小脳の無意識 」に基礎を持つために、時間と空間は閉じた宇宙を形成し、意識の定在波は「 文化 」を生む。

閉じた宇宙とは、「 系 」である。

「 私の時間 」や「 私の空間 」があるが、それは私の「 小脳の無意識 」により、慣れ親しんだ「 時空 」であり、「 私の文化 」である。


人間が生きている限り、

文化は消滅しない。



こうして、以下の主張になる。



2010/6/26、私の記事

以上により、個々の人間が認識する世界が、「 精神 」であり「 系 」であり、「 特殊相対論 」の世界や系であり、「 絶対静止の空間 」、つまり固定した座標系であると考える。


そして、人間の頭の数だけ、「 特殊相対性理論 」の世界や系が存在し、それら相互の関係は、「 一般相対性理論 」の世界であると考える。

2010/7/3、私の記事

それが、生活では、どのように考えるかを書く。

一人ひとりの「 頭の中の世界 」が「 系 」であり、国家や社会も「 系 」と考え、「 関係 」が重なっている「 ラグビー・ボール 」を「 系 」と考え、「ニュートンの世界の「 絶対静止の空間 」、つまり固定した座標系が「 価値観 」や「 文化 」と考える。


固定した座標系の「 時間 」と「 空間 」を、「 小脳の無意識 」、つまり心臓の心拍のリズムと呼吸する空間や身体運動可能性が、「 実在 」すると「 意識させる 」と考える。


固定した座標系の実在としての「 文化 」や「 価値観 」を、「 小脳の無意識 」が決定するならば、大脳の「 意識 」で、実在する「 文化 」や「 価値観 」を「 奪った 」り「 変革 」しても、「 小脳の無意識 」が新たな文化や価値観を作るから、「 文化を奪う事は出来ない 」と考える。


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2010年07月18日

2010/7/18、オカルト・私の主張・言い訳3

私は仏教が好きだが、僧侶ではない。
哲学的な文章だが、哲学を学んでいない。
物理の話をするが、物理を学んでいない。
心理の話をするが、心理学を学んでいない。
霊魂の話をするが、霊能力者ではない。
私は、三流大学の法律科を卒業した。


2010/7/17、私の記事

私は、カントの「 物自体 」を人間が知る事は出来ないということに賛成する。

「 物自体 」とは「 時間 」や「 空間 」と考え、これらは、「 先験的 」であり、人間は、これらを「 時間意識 」と「 空間意識 」として、デフォルメし、「 模写 」して考え、「 時間 」や「 空間 」を知らないと考える。

「 時間 」と「 空間 」が、「 時間意識 」や「 空間意識 」であるから、それの「 存在 」を小脳の無意識が決めるし、「 時間 」と「 空間 」を作り出している。

だから、一般相対性理論で、「 時空 」の区別がなくなり、「 時間意識 」や「 空間意識 」だから、「 時空 」を無視する事ができる。

私は、「 意識を電磁波 」と考え、「 時間 」は「 磁場 」、「 空間 」は「 電場 」を想定し、両者は「 符合を変えながら」、あるいは座標を回転させながら直進すると考える。

それは、空間的な運動が時間を生み、神経を流れる電流が磁場を作るが、前者は主観的で個性的な無意識であり、後者は人間一般に該当する客観性を持った無意識であり、前者は主観的「 時間意識 」や「 空間意識 」を作り、後者は、カントが言う「 直感形式や図式 」を作ると考える。

「 時間意識 」や「 空間意識 」であるから、デフォルメし、記憶が可能で、想起も可能である。

それは、「 時間意識 」や「 空間意識 」を作る「 運動 」や「 速度 」が「 絶対的静止座標 」を前提とするから、「 運動 」や「 力 」の認識が「 主観的 」であり、「 時間 」や「 空間 」の定義は、人間一般に共通な「 関係 」であると考える。

2010/7/18、私の考え

参照

イマヌエル・カント(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88

カントによれば、人間の認識能力には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリにそなわっている。感性には純粋直観である空間と時間が、悟性には因果性などの 12 種の純粋悟性概念(カテゴリー、すなわち範疇とも称する)が含まれる。純粋悟性概念は時間限定たる図式(schema)によってのみ感性と関係する。
意識はその二種の形式(感性と悟性)にしたがってのみ物事を認識する。この認識が物の経験である

直観
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E8%A6%B3

直観は基本的な認識能力のひとつであり、曖昧に知覚と呼ばれているものと同義である。われわれすべての精神が、空間の形相においては外的直観を与え、時間の形相においては内的直観(記憶、思考)を与えるのであると、カントは考えた。



2010/7/18、私の考え


私は、認識は、感性と悟性により成立するのではなく、意識と無意識で成立すると考える。

感性に時間と空間の「 純粋直観 」があるのではなく、意識には、時間意識と空間意識があり、それは無意識の脈拍などのリズムと身体運動可能性から生じる。

時間と空間は、誕生と同時に、認識する事が出来なく、「 アプリオリ 」に与えられた生命の形態であると思う。

認識するのは、自分が作り上げた時間意識と空間意識であり、宇宙を形成する時間や空間ではない。

感性に時間と空間の「 純粋直観 」があるというのは、私の考えと同様に主観的で、感性の分析を怠っていると思う。

感性が意識であれば「 精神 」であり、時間意識と空間意識を必要とし、感性が「 知覚 」であれば、意識と無意識で「 経験 」と考える事で解決する。

「 精神 」でもなく、「 知覚 」でもない「 純粋直観 」などは、「 私の見解・一般論 」で述べたように、時間や空間を必要としない、「 純粋直感 」であり、精神ではなく、「 時空の歪み 」である。

「 純粋直感 」や「 構成力 」というのも、「 時間 」や「 空間 」を必要としない、速度ベクトルが小脳の空間を「 ワープ 」させて、精神でデフォルメして新たな可能空間を生む事で、「 時間 」や「 空間 」を必要とする「 経験 」とは、全く相違する。


速度ベクトルによる「 小脳の無意識 」の、心拍リズムや運動可能性という空間の歪みの伝播が、「 直感 」であると考える。


「 経験 」による記憶の積み重ねが「 直感 」を生むかもしれないが、私は、「 経験 」と「 直感 」は、地球の大気圏内と宇宙の真空の違いほど相違し、(もっとも、宇宙の真空は地球の大気圏をエーテルという形で浸透しているが)、「 経験 」は特殊相対性理論の世界、「 直感 」は、一般相対性理論の世界に該当し、両者はヒトの中では、一つの「 系 」を形成すると考える。


過去の、時間や空間との関係で述べられた「 直感 」は全て「 虚偽 」であり、「 言葉の遊び 」であると考える。


「 形式や図式 」というのは、無意識が意識を生む「 関係 」であり、これは、人類の全てに共通する。

「 小脳の無意識 」の、心拍リズムや運動可能性という空間の歪みの伝播とは、全く相違する「 時空 」の応用や適用(apply)やシュミレーションであり、「 時空 」を無視して、実行する事だと思う。



私は、意識と無意識を次のように考えた。

無意識は流れる物であり、神経内の電流で「 電場 」を形成する。

意識は、派生する物であり、「 磁場 」を形成し、これが、地球の磁場に関連して「 価値観 」などの「 重力 」となる。

無意識はエネルギーで、境界が無く、「 関係 」として存在し、実体概念の内容となり、実体の内容を決定する。

意識は、「 知覚 」や「 感覚 」であり、感性であり、境界を設定し、「 関係 」を区切り、絶対性を形成し、実体の形態を決定する。

「 絶対静止の座標 」を前提とした主観的な運動が、意識や精神であり、人類に共通な意識を生むという意味で客観的な運動が、無意識であり、精神の範囲外の「 物理 」や「 物自体 」であると考える。

無意識は小脳の働きであり、意識は大脳の働きであると思う。

私の見解 一般論の要約(Yahoo USA)
http://search.yahoo.com/search;_ylt=AqsdUODapnlNqLY7JxL_ZuebvZx4?p=%E7%A7%81%E3%81%AE%E8%A6%8B%E8%A7%A3%E3%80%80%E4%B8%80%E8%88%AC%E8%AB%96%E3%81%AE%E8%A6%81%E7%B4%84&toggle=1&cop=mss&ei=UTF-8&fr=yfp-t-937


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2010年07月17日

2010/7/17、オカルト・私の主張・言い訳2

2010/7/6、私の記事

私の独り言を分類して、言い訳をしたい。

@意識の構造

☆「意識は電磁波(光)である」
☆意識は太陽光から生じた
☆意識の速度は一定である

A意識の人格化

☆六道は意識の定在波である
☆六道は人格である
☆欲は人格の引力
☆人格の魅力は重力波である

B意識の周囲

☆電離層は霊界である
☆意思は形態である
☆霊は意識の総和である
☆気は生命の印である

C意識を生み出す

☆時間意識はDNA
☆二つの眼は好きと嫌いを作る
☆デフォルメは精神である
☆小脳は時空を生む

D心は「 小脳の無意識 」である。

2010/7/17、私の考え

私は、カントの「 物自体 」を人間が知る事は出来ないということに賛成する。

「 物自体 」とは「 時間 」や「 空間 」と考え、これらは、「 先験的 」であり、人間は、これらを「 時間意識 」と「 空間意識 」として、デフォルメし、「 模写 」して考え、「 時間 」や「 空間 」を知らないと考える。

「 時間 」と「 空間 」が、「 時間意識 」や「 空間意識 」であるから、それの「 存在 」を小脳の無意識が決めるし、「 時間 」と「 空間 」を作り出している。

だから、一般相対性理論で、「 時空 」の区別がなくなり、「 時間意識 」や「 空間意識 」だから、「 時空 」を無視する事ができる。

私は、「 意識を電磁波 」と考え、「 時間 」は「 磁場 」、「 空間 」は「 電場 」を想定し、両者は「 符合を変えながら」、あるいは座標を回転させながら直進すると考える。

それは、空間的な運動が時間を生み、神経を流れる電流が磁場を作るが、前者は主観的で個性的な無意識であり、後者は人間一般に該当する客観性を持った無意識であり、前者は主観的「 時間意識 」や「 空間意識 」を作り、後者は、カントが言う「 直感形式や図式 」を作ると考える。

「 時間意識 」や「 空間意識 」であるから、デフォルメし、記憶が可能で、想起も可能である。

それは、「 時間意識 」や「 空間意識 」を作る「 運動 」や「 速度 」が「 絶対的静止座標 」を前提とするから、「 運動 」や「 力 」の認識が「 主観的 」であり、「 時間 」や「 空間 」の定義は、人間一般に共通な「 関係 」であると考える。

これは、私の見解だが、「 時空 」を真剣に考えるべきだと思う。


@意識の構造

☆「意識は電磁波(光)である」
☆意識は太陽光から生じた
☆意識の速度は一定である

以上の考えは、人間が「 太陽光 」を可視光線として認識し、太陽光のエネルギーが人体の中で、一定の速度や力として記憶され、人体のエネルギーに保全される構造である。

見る事も、太陽光の反射を網膜で知る事だと考えると、上下、左右の方向や重力を意識するのも、意識は太陽光から生じたと考える。


C意識を生み出す

☆時間意識はDNA
☆二つの眼は好きと嫌いを作る
☆デフォルメは精神である
☆小脳は時空を生む

以上の考えは、「 意識 」が「 生命 」でありDNAから生まれ、小脳が「 速度ベクトル 」を「 ストレス 」という「 力 」にデフォルメし、変換する事が、不連続であるが電磁波的に連続して頭脳の中で生じていると考える。

生じているのが、「 時空 」である。

機能はDNAであり、ストレスという力を、デフォルメして好きと嫌いに変換する連続が、「 小脳は時空を生む 」形態である。

B意識の周囲

☆電離層は霊界である
☆意思は形態である
☆霊は意識の総和である
☆気は生命の印である

以上の考えは、意識の総体は「 霊 」という、「 霊界 」で区切られた個人であり、「 気 」という生命の印を持つ「 意思の表現主体 」である。


A意識の人格化

☆六道は意識の定在波である
☆六道は人格である
☆欲は人格の引力
☆人格の魅力は重力波である

以上の考えは、Bの「 意思の表現主体 」が、他者から見た場合、進む方向を「 色分け 」する事が出来る事である。

D心は「 小脳の無意識 」であるから、「 心 」は他者から判別する事が出来る。

小脳の心拍のリズムや身体運動可能範囲を共通にする「 連中 」という人の集団を見る事により、集団に属する人の「 心 」、小脳の心拍のリズムや身体運動可能範囲を知る事ができる。

その「 心 」の状態が「 六道 」であり、「 人格 」であり、何をシュミレートして考えるかが、「 魅力 」であり「 引力 」であり、個人の特殊な考えであるから、「 個人の重力波 」であり、性格を決定する。

これは、「 ニコチン依存症 」や「 アルコール依存症 」や「 SEX依存症 」から、どのようにして脱却するかの時に衝突する問題である。

これは、自分が何故このような行動をするのかを考える事から出発する。

進む方向を断ち切る、強い力を必要とする。


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2010年07月06日

2010/7/6、オカルト・私の主張・言い訳

私の独り言を分類して、言い訳をしたい。

@意識の構造

☆「意識は電磁波(光)である」
☆意識は太陽光から生じた
☆意識の速度は一定である

A意識の人格化

☆六道は意識の定在波である
☆六道は人格である
☆欲は人格の引力
☆人格の魅力は重力波である

B意識の周囲

☆電離層は霊界である
☆意思は形態である
☆霊は意識の総和である
☆気は生命の印である

C意識を生み出す

☆時間意識はDNA
☆二つの眼は好きと嫌いを作る
☆デフォルメは精神である
☆小脳は時空を生む

D心は「 小脳の無意識 」である。

これまでの「 独り言 」は、「 私の見解・一般論2 」の考えを推進してきた言葉で基礎になっていると思う。

しかし、現在の考えは、「 私の見解・一般論2 」から飛躍している。

それは、「 速度 」に対して、疑問を持つようになったのだ。

それは、後日、書きます。


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