2016年02月28日

2016/2/28。自民党が憲法九条改正を言い出した

私は、「 原発ゼロ 」の民意が理解不能な自民党に幻滅していたが、最近、次のような出来事があった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160227-00000025-mai-pol

<中谷防衛相>憲法9条改正、自衛隊の明確な位置付けが必要
毎日新聞 2月27日(土)11時16分配信
 ◇テレビ東京の番組収録で

 中谷元(げん)防衛相は27日午前、テレビ東京の番組で、憲法改正について「自衛隊の存在は意見が分かれる状態だ。国の安全保障の基本的なところは、国民に分かりやすいように制定すべきだ」と述べ、戦力不保持を規定した憲法9条を改正し、自衛隊を明確に位置付ける必要があると指摘した。

 ただ、中谷氏は「具体的な改正案を各党で議論し、(国民に)提案すべきだ。時間をかけて丁寧に議論し、決めるべき問題だ」と述べ、具体的な改正項目は夏の参院選の争点にならないという見方も示した。

 安倍晋三首相も3日の衆院予算委員会で9条改正に言及している。【村尾哲】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160219-00000047-mai-pol


<島尻北方担当相>「歯舞」言葉に詰まっただけ 政府答弁書

毎日新聞 2月19日(金)18時14分配信

<島尻北方担当相>「歯舞」言葉に詰まっただけ 政府答弁書


 政府は19日の閣議で、島尻安伊子沖縄・北方担当相が北方四島の一つである「歯舞(はぼまい)」群島を読めなかったことに関し、「読み方を知らないという事実はない」とする答弁書を決定した。

 島尻氏は9日の記者会見で、北方領土の元島民らでつくる「千島歯舞諸島居住者連盟」の団体名を資料を見ながら読み上げる際、「はぼ、えー、何だっけ」と一瞬考え込み、秘書官に「はぼまい」と教えられた。

 答弁書は、同団体は「千島連盟」という略称が使われることが多いとした上で、「(島尻氏が)正式名称を使用しようとした際に言葉に詰まっただけ」としている。維新の党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。【樋口淳也】



2016/2/28、私の考え



最近、自民党は、中国の武力行使を理由に、先ほど「 安保法案 」を可決した勢いで、戦力放棄を明言する憲法九乗を改正しようと画策を始めた。

「 安保法案 」が国会に招かれた憲法学者をはじめとする知識人に「 違憲 」と言われたにもかかわらず、憲法に「 戦力放棄 」が明言されているにもかかわらず、自民党の内閣は、従来の憲法解釈から踏み出て、戦争可能な戦力を持つ「 自衛隊 」にしようとしている。

これでは、自衛隊は、戦前の軍隊に逆戻りではないか。

もっとも、安倍氏の先祖は、「 戦犯 」であるから、その道が好きなのかもしれないが、憲法を遵守する「 特別公務員 」たる総理大臣や国会議員がすべきことなのか?

公務員になる前に「 憲法遵守 」を宣誓するが、あれもこれも、「 嘘 」だったのか?

民意の反映をいう前に、自民党は、公務員ではなく、利権で動く「 おっさんやおばさん 」に過ぎなかったことは、甘利大臣の汚職、上の二人の「 お大臣 」の知識不足からも容易に推察できる。

中国の武力行使に対する「 安保法制 」は認めるにしても、戦争による武力行使を否定した「 健保九乗 」を改正しようとする「 自民党 」に、私は強い危険課感を持つ。
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2014年06月08日

2014/6/8、戦争反対・無駄死には嫌だ・戦没者

2014/6/1、私の記事

これは、私だけの考えであり、同調を求めない

以上、述べたように、「 明治維新 」は決して国民のための戦争ではない。

戦争で死んだのは、薩摩・長州の兵隊が多いだろうし、その流血を犠牲にしないために、天皇をかつぎあげて、薩摩・長州を中心とした明治政府を作り、財閥を育て、財閥の欲のために第二次世界大戦を起こした。

そして、一般国民が兵隊に徴収され、陸軍や海軍として死んでいったのだが、その霊を「 靖国神社 」に祀ったと思うが、ここで死んでいったのは特攻隊を始め多くの「 国民 」であったことだ。

彼らは「 臣民 」として、天皇の子と称されて、都合が良く、中央の軍閥に殺された、戦争の犠牲になったのだが、彼らは、「 こんな政府は間違っている。死ぬのは嫌だ 」と言い切れずに死んでいったと思う

そうである以上、我々は「 戦争反対 」を叫ぶべきであり、「 靖国神社参拝 」と何の矛盾もない

「 靖国神社参拝 」すれば、必ず「 戦争反対 」と言うべきであり、それを隣国との対立に使用するのは間違いである。

2014/6/8、私の考え

これは、私だけの考えであり、同調を求めない

戦没者が無駄死にであったかについて、考えよう。

戦没者の全員が「 自分は天皇の臣民だ 」と思って死んでいったのなら、前述したように、人間は気(ki)の前では平等であるから、本来人間に差別が無いのに差別した情(zyou)である戦前の教育が間違いで、それを信じて死んだのだから無駄死にでしょう。

しかし、もし、彼らは、「 こんな政府は間違っている。死ぬのは嫌だ 」と言い切れずに死んでいったと思うならば、アメリカから与えられた日本国憲法は、彼らの「 死の結晶 」であり、戦没者の死が無駄死にでなかったことになると私は考える。

彼らは、家族を守るために戦場に行ったのであり、天皇のために行ったのではない事は、特攻隊の遺言からも推察される。

彼らは、「 国民 」のために死んだのであり、帝国国家を守るという意識は無かったと信じたい。

そうすれば、彼らは「 平和日本 」の人柱(犠牲)になったのであり、彼らの死は「 無駄死に 」ではないことになると思う。

彼らは「 臣民 」として、天皇の子と称されて、都合が良く、中央の軍閥に殺された、戦争の犠牲になったから、その戦争をする意思を受け継ぎ、日本国憲法を改正して、戦争が可能にする体制を作ることこそ、「 戦没者を無駄死にさせる事 」であり、死を死としてしか受け取らない現実的で冷徹な精神の持ち主だろう。

それが、自民党であると思う。

国民を国民と認めないから、「 民意 」である原発廃止もしないし、自分たちの議員の報酬を削減もせず、国会議員の定数も減らさないし、地方分権も無視する。

憲法違反の基準で選挙した違法な自民党が、憲法を改正するという。

「 靖国神社参拝 」でも、戦前の指導者の考えから、一歩も前進していない。

憲法を改正する前に、上記のことを検討すべきだと思う。

汚れた手で、憲法改正など、「 バカな人間がする事だ 」。
posted by kandk55 at 03:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦争反対 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月01日

2014/6/1、戦争反対・無駄死には嫌だ

2013/8/16、私の記事


これは、私だけの考えであり、同調を求めない。


毎年、8月15日は終戦記念日として、戦争責任や靖国神社参拝や憲法改正のことが話題になります。

私は詳しくは知りませんが、私の考えを書きます。

革命は「 流血 」を必要とします。

「 フランス革命 」「 アメリカの南北戦争 」「 中国の天安門事件 」など、世界各国は「 流血 」により何を獲得したのかを知っているので、獲得したものを手放そうとしません。

日本のことを考えますと、古代から「 戦 」がありましたが、戦国時代は武士のため、倒幕した「 明治維新 」は、庶民のためではなく(国民は臣民でした)、薩摩や長州などの下級武士のために「 流血 」して自分たちの社会を作ったと思います。

そして、その延長上に、「 第二次世界大戦 」が起こったと思います。

第二次世界大戦は、薩摩や長州の武士たちが作り上げてきた軍備を、財閥と共に海外に使った「 戦 」であり、マルクス主義の帝国主義の終末だと思います。

それと同時に、敗戦により、薩摩や長州の武士たちが作り上げてきた「 富国強兵 」の国家の敗退であり、道徳や規範が崩壊しました。

「 明治維新 」は、国民のための流血ではなかった(国民は君主の従属者)ことは参考で見てください。

第二次世界大戦の戦死者や戦没者の流血、神風特別攻撃隊の流血を考えますと、彼らは反抗すれば「 非国民 」というレッテルを家族に貼られるから、家族のために戦争に行かなくてはならないという社会の犠牲であり、自分たちが死んで国家が生まれ変わるならばそれでも良いと考えたかも知れません。

特に、神風特別攻撃隊で出撃する人が、自分に「 神になれ 」と言いながら自分の背後で酒を飲み女を抱く司令官のことを知らないで、死んだとは思えません。

死ぬ人は、涅槃に行く人ですから、すべてを知っていたと思います。

敗戦により国家が崩れ、国民を主権とする「 日本国憲法 」が、占領国のアメリカの意向で制定されました。

神風特別攻撃隊を始め靖国神社で眠る戦死者や戦没者の流血が、国民を主権とする「 日本国憲法 」を子孫にプレゼントしたのだと考えますと、現在の平和な憲法に感謝するならば、「 靖国神社参拝 」は、子孫の義務だと思います。

「 日本国憲法 」や「 憲法九条 」は、「 流血 」の結果に獲得したものですから、それを手放したくないと思うなら、靖国神社参拝は、神風特別攻撃隊を始め靖国神社で眠る戦死者や戦没者の流血の上に立つ「 国民 」の行為として、当然に良いことだと思います。

神風特別攻撃隊を始め靖国神社で眠る戦死者や戦没者の流血の上にたつ政治家ならば、獲得した平和を護る「 戦争放棄 」を語るべきだと思います。

戦前に憲兵を作り、「 非国民 」を作り、国民を兵隊として戦争させたのは、政治家と財閥や経済界であり、神風特別攻撃隊を始め靖国神社で眠る戦死者や戦没者を作ったのです。

政治家が終戦記念日に靖国神社の参拝する気持ちがあれば、政教分離に従って「 日本国憲法 」を護る集会でも開いたらどうでしょう?

憲法記念日に憲法の話をするだけでなく、終戦記念日にも憲法の話をするのが政治家だと思います。

憲法改悪のことですが、占領された国家のもとでの憲法だから改正するという考えに賛成しません。

中国で「 黒い猫でも、白い猫でも、ネズミを捕るのが良い猫だ 」というように、現在の、「 国民主権 」「 基本的人権の保障 」「 戦争放棄 」の憲法が、占領国から押し付けられた憲法であっても「 国民のため 」には「 良い憲法 」であり、これをを侵害することは、神風特別攻撃隊を始め靖国神社で眠る戦死者や戦没者も同意しないと思います。

2014/6/1、私の考え

これは、私だけの考えであり、同調を求めない

以上、述べたように、「 明治維新 」は決して国民のための戦争ではない。

戦争で死んだのは、薩摩・長州の兵隊が多いだろうし、その流血を犠牲にしないために、天皇をかつぎあげて、薩摩・長州を中心とした明治政府を作り、財閥を育て、財閥の欲のために第二次世界大戦を起こした。

そして、一般国民が兵隊に徴収され、陸軍や海軍として死んでいったのだが、その霊を「 靖国神社 」に祀ったと思うが、ここで死んでいったのは特攻隊を始め多くの「 国民 」であったことだ。

彼らは「 臣民 」として、天皇の子と称されて、都合が良く、中央の軍閥に殺された、戦争の犠牲になったのだが、彼らは、「 こんな政府は間違っている。死ぬのは嫌だ 」と言い切れずに死んでいったと思う

そうである以上、我々は「 戦争反対 」を叫ぶべきであり、「 靖国神社参拝 」と何の矛盾もない

「 靖国神社参拝 」すれば、必ず「 戦争反対 」と言うべきであり、それを隣国との対立に使用するのは間違いである。

それは、薩摩・長州の軍部の考えの延長線上にあり、現在の首相の行動は、「 三本の矢 」の例えのもわかるように、同じ考えのように思う。

私は、無駄死には嫌いである。

上杉謙信のように、「 義 」に死ぬことを理想としている。
posted by kandk55 at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦争反対 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする